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博士(文学)学位請求論文審査報告要旨

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Academic year: 2022

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博士(文学)学位請求論文審査報告要旨

論文提出者氏名 山本 聡美 論 文 題 目 中世六道絵の研究 審査要旨

本論文は、滋賀県・聖衆来迎寺所蔵の「六道絵」を中心に、中世、およびその前後の古代、近世に おける六道絵の展開を多角的に考察、論及したものである。聖衆来迎寺の「六道絵」(以下「聖衆来迎 寺本」)は、鎌倉時代、13 世紀後半の制作と考えられ、全 15 幅の大作であり、わが国の仏教絵画史の 中でもきわめて重要、かつ優れた作例として注目されている。本研究はこの聖衆来迎寺本の成立と伝 来、以後のヴァリエーション作品への変容を、『往生要集』というテクストとの関連から論じたもので ある。

全体は三部七章立ての構成になるが、まず序論においてこれまでの研究の傾向として三つの流れの あることを指摘する。第一に六道絵作品成立の背後に横たわる多彩な中世仏教文化の断面の解明、第 二に絵画様式による制作年代の比定、第三に図様と典拠の対応関係や個別図像の継承関係を辿る流れ であり、本論考はこれらのうち、主として第一と第三の方法に依拠しつつ独自の考察を進めることを 述べ、本論に入る。

第一部「古代的六道絵の終焉」

本題の中世六道絵に先立つ古代における六道絵の作例、「地獄草紙」「餓鬼草紙」、さらに「病草紙」

があげられるが、その典拠について考察を及ぼす。

第一章で『往生要集』が六道絵のテクストとして固定化される以前の、古代における経典、とくに

『正法念処経』と六道絵との強い結びつきを指摘。平安末期に作られた、病気を主題とした特異な絵 巻である「病草紙」がこれまで典拠不明とされてきたが、本論考では『正法念処経』を典拠としたも の、という新説を提示した。経の文言と絵巻の詞書、そして描かれる画面の図様を丹念に照合し、そ の出典に辿り着いた考察は説得力に富み、卓見である。さらに同時代の「地獄草紙」「餓鬼草紙」とい った一連の絵巻が種々の経論に依拠しつつ、「六道世界の網羅的絵画化」を意図した作品であること、

そうした絵巻制作の背景には後白河院の文化政策の反映がうかがえることを指摘する。

第二章では、こうした後白河院の絵画制作に参与し、かつては先の三つの絵巻の作者と言い伝えら れてきた絵師、常盤光長について言及する。最勝光院障子絵や年中行事絵巻を描いた高名な宮廷絵師 として知られる光長の人物像を、史実と伝承から模索、推論する。

第二部「聖衆来迎寺本と中世六道絵の成立」

中世六道絵の出発点にして最も重要な作品である聖衆来迎寺本を中心に、その画面に看取される中 世的六道絵の特質解明に意が傾けられる。その考察の遂行には、現在諸所に寄託、分蔵されている聖 衆来迎寺本各幅の画面の実地調査、資料収集が必須の条件となる。稿者(山本氏)は年月をかけてこ れらを実現、達成した。

第三章では聖衆来迎寺本の全 15 幅の画面を精査し、検討を加える。各幅画面の内容と上方に付置さ れる色紙形の文言を『往生要集』のそれと照らし合わせ、本作品の制作意図が『往生要集』の絵画化 にあった、とする大串純夫氏の説を追認する。それにより、平安時代の地獄、餓鬼、病の三草紙絵巻 が典拠とした経典類に代わり、『往生要集』が六道絵の制作に重要な存在をなすに至ったことを説く。

15 幅に描き込まれた大量の図様を丹念に読み解き、『往生要集』の絵画化の状況を的確、明瞭に再確 認した意義は大きい。

第四章は、聖衆来迎寺本に次いで『往生要集』に基づいた六道絵の遺品として、米国・フリア美術 館所蔵の「六道絵」をとり上げる。もとは六幅本と思われるが、現在は「畜生道」と「天道」の二幅 が伝存する。『往生要集』の内容と対照させて、モチーフがよく整理され、また制作時期は「石山寺縁

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起絵巻」などと様式的に比較し、十四世紀前半と推定する。在米の作品で、これまで詳細な研究が見 られなかっただけに、画面の内容と様式的特徴を明らかにした点は大きい。

第三部「中世六道絵の変容」

聖衆来迎寺本の伝来の経緯と、これに続く後の作品群から、中世六道絵の変容の様子を検証する。

今日伝来する聖衆来迎寺本の元の軸木の修理銘や諸史料から跡付けられる中世から近世、さらに近代 に至る約七百年の長きにわたる歴史を追った考察は、これまでの研究にない充実した内容である。

第五章では聖衆来迎寺本「六道絵」の伝来を周辺史料から明らかにする。同「六道絵」の旧軸木に は、正和二年(1313)から天和三年(1683)にかけて、八回に及ぶ修復の墨書銘がのこる。これらを 精読すると、各時期の修復活動を通じて、この「六道絵」が源信・『往生要集』・横川の地、と一体化 した「横川霊山院の霊宝」としての一種の聖性が付与され、「源信信仰」の拠りどころとされていく過 程がよく理解できる。そして元亀二年(1571)には織田信長による比叡山焼き討ちにより、山を下り、

聖衆来迎寺の所有に帰し、江戸時代には出開帳に供されるなど、新たな歴史を迎える。これらの過程 が本章では詳しく考察され、近世における聖衆来迎寺本の存在意義を検証している。

第六章では聖衆来迎寺本 15 幅の中でとくに異彩を放つ「人道不浄相」図中に描き込まれた女性の死 体の場面に焦点を当て、その部分が独立し、描き継がれていく「九相図」の成立と展開を、中世から 近世に至る長い歴史を通して、広い視野で考察する。

第七章では中世六道絵の変容を示す作例として、高野山天野大念仏寺旧蔵の「六道絵」をとり上げ、

中近世の転換期に成立した同作が、『往生要集』による六道の描写を採りながらも、十王による裁き、

十一面観音や地蔵菩薩による救済等、古代から中世にかけて蓄積された多様な六道イメージを集大成 していることを説く。ここにおける六道世界は浄土に連なる通過点として位置づけられ、そこに六道 絵の終焉を指摘する。これら第三部においては、聖衆来迎寺本の成立後の歴史に視点を向けている点 が注目される。本作品が今日まで伝存する過程でさまざまな背景を背負い、また単なる仏画作品とし てだけでなく、文化史的意義を担いつつ存在価値を高めてきたことを重要視する。

以上の通り、本論文は聖衆来迎寺本を中心とする中世六道絵の研究を、その成立に至る過程、成立 後の近世までに及ぶ多様な展開にも紙面を費やし論じている。問題が多面にわたり、やや読み難い、

との意見も出たが、一方、六道絵の長い歴史の中で、中世における独自の展開、その特色を深く理解 するには、これだけの広がりが必要、かつ有効との見解が支配的であった。新規制に富み、これまで の個々の作品論に傾きがちな論文とは異なり、大きな視野と深い考察で中世の六道絵を全面的にとら えたことは、高く評価すべきである。

以上、本論文の内容は六道絵研究に限らず、日本の仏教絵画史の研究として、きわめて高い水準を 示すものであり、博士(文学)の称号を付与するに相応しいものと確認する。

公開審査会開催日 2007年 10月 27日

審査委員資格 所属機関名称・資格 博士学位名称 氏 名 主任審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 村重 寧

審査委員 早稲田大学文学学術院・教授 星山晋也

審査委員 上智大学国際教養学部・教授 米倉迪夫

審査委員 九州大学大学院人文科学研究院・教授 井出誠之助

審査委員 明星大学造形芸術学部・准教授 山本陽子

審査委員 奈良女子大学・准教授 博士(文学)京都大学 加須屋誠

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