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A c t i v i t i e s o f T h e M I T S U I P u b l i c R e l a t i o n s C o m m i t t e e スペシャルインタビュー 王貞治氏 野中ともよ氏 4 概要 8 これまでのあゆみ 10 現在の主な活動 18 会員会社紹介

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スペシャルインタビュー

 

王 貞 治氏 × 野中ともよ氏

4

概要

8

これまでのあゆみ

10

現在の主な活動

18

会員会社紹介

22

三井の歴史

28

A c t i v i t i e s o f T h e M I T S U I P u b l i c R e l a t i o n s C o m m i t t e e

(3)

S p e c i a l I n t e r v i e w

三井広報委員会

財団法人 世界少年野球推進財団/理事長 NPO法人 ガイア・イニシアティブ/代表

王 貞治

×

野中ともよ

(聞き手)

野中: 「三井広報委員会」は2012年、創立40周年を迎えました。 その間、芸術や文化の後援、また地域活動やスポーツの支援を行う など、一企業では成し得ない幅広い広報活動を行ってきました。 王さんは 現 役 時代 に「三井ゴールデン・グラブ賞 」を

9

年連続で 受賞され、現在も「三井ゴールデン・グラブ野球教室」などで三井 グループとはいろいろと関わりを持たれているわけですが、実は 私も、三井グループ各社の経営に参画したり、講演をさせていただい たりして、いろいろとお世話になっています。近くで見ていると、 それぞれ個性の強い企業が集まっているので大変なことも多そう ですが、チームワークを大事にして頑張っておられるなと感じて います。王さんは三井グループにどんな印象をお持ちですか? 王: そうですね。私はやはり「三井ゴールデン・グラブ賞」や「三井 ゴールデン・グラブ野球教室」などで野球界を力強くサポートしてい ただいているという思いが強いですね。また、多くの人に夢と希望を 与えてくれる取り組みを、経済状況などに左右されず長く継続して いただいていることは、本当にありがたいことだと感じています。 野中: 確かに。継続は力なり、継続はブランドなりですね。その 「三井ゴールデン・グラブ賞」が始まったのが約

40

年前。当時は、 ダイヤモンドグラブ賞という名前でしたが、王さんは

1972

年から現 役を引退される

1980

年まで

9

年連続で受賞されました。 王: 野球はどうしても「ピッチャーが投げてバッターが打つ」とい うところに目がいってしまいがちです。それに比べると守備は評 価が低いというか、あまり注目されるものではありませんでした。 アメリカでは

1957

年にグラブメーカーのローリングス社が「ロー リングス・ゴールドグラブ賞」というものを創ったのですが、日本 にはずっとそういったものがなくて・・・。それで三井グループがダ イヤモンドグラブ賞を創ってくれたわけです。昔からプロの世界に は、打つ方ではそれほど目立たないけれど守備は凄い!という職 人タイプの人がいたのですが、この賞のおかげで その人たちが注目を浴びるようになり、俄然やる 気になりました。だから野球界への貢献という意 味で言いますと、皆さんが思っている以上に本当 に大きいと思います。 野中: 王さんからそんな話を伺うと、すごい賞 だと改めて認識できます。 王: 私も川上(哲治)さんから厳しく鍛えられては いましたけれど、第

1

回の際に表彰していただい て以来、「よし今年もしっかりやろう」と、より一層 守備に力を入れてプレイするようになりました。 実際、プロの試合では守備が勝敗を左右すること が多いのです。この賞ができたおかげで観ている 人もだんだんそういうことを理解してくれるよう になったので嬉しかったですね。 野中: 「三井ゴールデン・グラブ野球教室」についてはいかが ですか? 最近、一番熱心に取り組んでおられるのが少年野球 教室の活動だとお聞きしたのですが。 王: これまで私は、野球を通して本当にいろいろな経験をさせ てもらいました。野球のおかげで仲間がたくさんできて、彼らと 感 動体験を共有することができましたし、体も丈夫になりまし た。そうした自分の経験を野球教室の活動を通して、できるだけ たくさんの子どもたちに伝えていきたいと考えています。もちろ ん勉 強も大切ですが、やはり汗を流して、皆と苦しさや喜びを 共有するような経験をもっと積んでもらいたいと思っています。 そしてそれができるのはやっぱりスポーツだと考えています。 野中: 「三井ゴールデン・グラブ野球教室」では、実は指導者の 方に正しい野球知識や理論を取得してもらう機 会を設けてい らっしゃるそうですね。 王: 指導者の中には、個人的な経験だけで教えようとされてい る方が案外多いんですね。子どもたちは教えられた通りにやり ますから、間違えたことを教えないように、我々は指導者の方 たちに対してうまく教えていきたいなと思っているんです。熱意 のある指導者の方はたくさんいらっしゃるので、後は正しい知 識を身につけてもらえればと思います。 野中:王さんが関わっていらっしゃることもあって、元プロ野球選 手たちが続々と講師役を引き受けてくれていると伺いました。 王: ありがたいことです。やっぱりうまくできる人の姿をたくさ ん見たら違いますからね 。少年野 球の指導者の方たちにはそ こで見たものを分かりやすい言葉で、野球をする楽しさも併せ て子どもたちに伝えていってもらいたいですね。 野中: 野球教室といえば、今は「財団法人世界少年野球推進財 団」の理事長として、世界各地から子どもたちを招いて少年野球 教 室や国際 親善試合なども開催されていらっしゃいます。 王:そういう機会や場をどんどんつくっていくことが、私をここ まで育ててくれた野球界への恩返しなのかなと思っています。 それを社会貢献というのも何ですが・・・。子ども同士というのは とても面白いものでしてね、自分が上手にできなかった時の記 憶がまだ新しいからか、できない子どもにすごく優しいんです。 皆思いやりがあって初心者の子どもたちに一生懸命教えようと する。そしてできない子どももそれを素直に受け入れるんです。 国が違っても言葉が違っても同じ。ずっと前からの友だちのよう に野球を教え合うんですよね。 野中: この財団も

1990

年から活 動されているのですね。 王: ええ、いろいろ失 敗もありましたけれど、何とか 続 いて いますね。「世界少年野球大会」というのをやっているのです が、

1

年かけて準 備して、たった

10

日くらいで終わってしまう 催しでして、正 直 言って大 変 なことだらけなのですが(笑)。 だけどそんな辛さが 全 部 吹っ飛 んじゃうくらい 子どもたちの 笑顔が良いのです。最初はホームシックにかかって「家に帰り たい」と言っていた小さな子どもが、

1

週間経つと「みんなと離 れるのはイヤだ」って言い出したり(笑)。ああいう姿を見ると、 また続けていきたいなと思いますね。ちょっと大げさかもしれ ないけれど、やはり子どもの笑顔は世界の宝だと思うので。必ず しも野球でなくていいのですが、スポーツで汗を流しながら、 学校や家ではなかなか教わることのできないことを学んでもら いたいなと。 野中: 最近は徒競走でも順位をつけない学校があったりする ようですけれど、やっぱり勝ち負けがある中でしか学べないこ ともたくさんあるわけですしね。

「三井ゴールデン・グラブ賞 」は、

皆さんが思っている以上に

野球 界 に貢献していると思います。

本業で社会を良くしていこうというのが

これからの時代の社会貢献だと思います。

勉 強も大切ですが、子どもたちが皆と

苦しさや喜びを共有する経験が積めるのは、

やっぱりスポーツだと考えています。

(4)

野中: 三井グループの中には、重 厚長大産業や鉄 鉱石・原油 などの資源関連、さらにはサービス産 業、ロジスティクスなど といった、それぞれ業種も業態も違う企業が一つの名前のもと に集まっているわけですが、今日のようなグローバル市場で戦 い、そして生き残っていくためには、それこそ野 球のチームプ レーのように、もっと企業同士が手を取り合って共に歩んでい くことが大 切だと思います。そのあたり王さんはどのようにお 考えですか? 王: 私 はビジネスのことはあまりわからないので偉そうなこと は言えませんが、まずはやはり、それぞれの会社や人が自分た ちの専門分野についてしっかりと考えることが大切だと思いま すね。後は全体を取り仕切る人が、それぞれをうまく結びつけ て良い形にしていけばいいわけですから。無理に同質になろう とする必要はないと思います。例えば監督と選手では役割が違 います。いま、私はフロントですが、それも役割が違う。全体と しては一つのチームですが、役割分担は全然違う。それで良い のだと思います。 野中: お話を聞いていて、そういえば昔、祖母から、「働くとい うことは “傍(はた)”を“ 楽(らく)”にすることだ」って教えられた ことを思い出しました。つまりはグループシナジーを生かす方向 で、各々の企業がもつコアコンピタンスを最大限に高めるのが 重要だということですよね。 王: 私は今、福岡ソフトバンクホークス球団の取締役会長もし ているのですが、このチームがうまくいっている理由はやはり オーナーの孫さんの采配が大きいです。我々にとっては本当に 良き理解者でして、野球事業で出た利益は、すべて選手の補強 であるとか施設の改善だとか、裏方さんたちの待遇を良くする ために使ってくれる。「俺には一銭も持ってこなくていい」とい つも言っているんです。つまり我々が自分たちのために頑張れ ば、それを観たファンの皆さんが喜んでくれる。そういうシンプ ルな環境をつくってくれているわけです。 野中: 動員数も今ではパ・リーグの方がずいぶんと多くなりま したものね。 王: ええ、我々が選手だった頃のことを考えると夢のような話 です。私は選手時代もずいぶん良い思いをしましたが、こうして もう一度、別の野球人生を味わうことができてこんな幸せなこと はないですよ。 野中: グループがうまくいくかどうかはトップの力にかかって いるから頑張れってことですね(笑)。 王: いやいや、三井グループはトップがしっかりされているか ら、こういう「三井ゴールデン・グラブ賞」みたいなものもずっと 継続してくれているわけでして。本当にありがたいことですよ。 野中: そうですね。続けていくこと、大事なものを次の世代に 手渡していくこと。三井グループは確かにそういうところを大 切にしていますね 。それでは、王さん、最後 に王さんの今後の 夢をお聞かせください。 王: そうですね。私は常々、今度生まれ変わったら音楽関係の 仕事をしてみたいと思っていました。というのも野球は決まった ルールの中でいつも同じことをやるでしょう。今度は全く決まり ごとのないところで新しいものを生み出すような仕事をしてみた いなって。 野中: ピアノの鍵盤が壊れるほど練習なさりそう(笑)。 王: 思い立った時がスタートの時ですからね。 野中: 人生で一番若いのは今日ですもの。三井グループプレゼ ンツでコンサートなどいかがですか(笑)。 王: それはいいですね。あっ、でもそうだなぁ、もう一度ホーム ランを打つ時のあの感触も味わってみたいなあ。 野中:

868

回、いや練習の時も含めるともっとたくさん味わって らっしゃるのにまだ物足りない? 王: もっと、もっと味わいたいです(笑)。 野中: そのためには練習もいっぱいしないといけないですけど。 王: 辛さは忘れるんですよ。でもあの感触だけはいつまでも忘 れられないんだよなぁ(笑)。 王: 世の中に出てからもまったく競争しなくていいのだったらそ れでもいいのでしょうが、やっぱりそうではない部分もあるわけ で、だったらやはり小さい頃から勝つ喜びとか負ける悔しさみた いなものも経験しておくことは大事なのかなと思います。あと野 球にはルールがあって、ルールには絶対に従わなくてはいけませ ん。そういうことを子どものうちに、楽しみながら自然に覚えら れるのもとても素晴らしいことだと思います。それと子どもとい うのはちょっとした体験でガラっと変わるじゃないですか。この 変化を見るのが実は結構楽しみでして。大人たちも何とか気づか せてやろうと思って必死になって取り組んでくれています。 野中: 私も最近まで経営者の立場でいろいろ取り組んできたこ とがあるのですが、例えば、電機メーカーで『

Think GAIA

』と いうヴィジョンを創りました。未来の子どもと地球が喜んでくれ る商品を世に出そう、というものですが、太陽光でも

2000

回近 く充電できて廉価な電池が生まれました。途上国では電池が分 別されることなくポンポンと捨てられていて、それが土壌汚染に 繋がって作物をダメにしてしまっている。その国では、ずいぶんと お役に立っていると情報を受けています。環境保護の視点で立 ち上げたプロジェクトだったのですが、それが売れに売れたので すね(笑)。そのとき電池を開発した技術者の方が、お子さんが 書いた作文を持って私のところにやってきたんです。そこには「う ちのお父さんは地球防衛軍です。地球の未来のためになる電池 を開発したら、それがとっても売れて、お母さんも喜んでいます」 と書いてありました。それを技術者の方がとっても嬉しそうに話 すんですよ。それまではとにかく売上をあげればいいと思って邁 進してきたような人たちが、ちょっと考えを変えてくれて・・・。先 程の王さんの話もそうですし、「三井ゴールデン・グラブ賞」のよ うな取り組みもそうですけれど、王さんがまさに野球を通して実 践されているような、本業で社会を良くしていくというのがこれ からの時代の社会貢献だと強く思います。 王: そうですね。まだ気づいていない人に気づいてもらう。気づ いてくれないようだったら、そのための手段をもう一度考えて再度 トライする。私も野球教室などを通し、自分が経験したことを伝 え、社会に役 立つことができたらいいなと思っています。私の 場合は野球の楽しさを伝えるということでそれをやっているわけ ですけれど、子どもたちを育てるというのはまさに典型的な例 で、子どもたちが変わるきっかけや人がやる気になるきっかけを、

40

年以上にわたってつくり続けてこられた「三井広報委員会」 の方たちの取り組みは本当に意義があるものだと思います。 野中: いま「三井広報委員会」の話が出ましたが、企業の広報 活動について何かアドバイスはございますか? プロ野球の世 界でも広報はとても大事な役割を担っていると思いますが。 王: 正直言うと、我々が現役だった時は広報なんて必 要ない と思われていた時代でした。「観に来たい人は観に来るよ、テ レビも勝 手に放 送してくれるよ」って考えている人がたくさん いて、私たちはそういう時 代に野 球をやっていました。でも今 は明らかに皆の意識が変わりましたね。こちらが伝えようとし ない限り思いは伝わらないということが分かってきた。だから 自分たちから積極的に伝えていかないといけない。選手たちが いくら良い仕事をしても、良い伝わり方をしなければ何にもなり ませんからね。ですから広報の方たちは、自社と世の中の人たち を繋ぐ重要な役割を担っていることを常に意識しながら活動さ れるのが大事なのではないでしょうか。 野中: おっしゃるとお りだと思います。三井グ ループのような巨大な組 織では、グループ企業の 中で、相互に人材が行き 来 するような関 係 を構 築すれば、さらに企業力 が高まるとも思います。 これからの 時 代はそう いったグループ企業の人 材交流を後押しするよう な、グループ内広報の仕 事も大切になってくるの ではないでしょうか。

こちらから積極的に伝えようとしない限り

伝わらない。

広報というのは、世の中の人たちと繋がるための

重要な役 割を担っているんです。

それぞれの会社や人が異なる役 割・専門分野に

ついてしっかり考え、トップがそれらをうまく

結び付けて良い形にまとめあげていく流れが

できれば、素敵だと思います。

(5)

S u m m a r y o f T h e M I T S U I P u b l i c R e l a t i o n s C o m m i t t e e

三井広報委員会の

行動理念

三井広報委員会とは

行動指針

三井広報委員会は、三井グループ各社がまとまり、

様々な文化活動および広報活動を通じて、国際交流や地域社会の活性化に貢献するとともに、

社会の繁栄と福祉に寄与し、三井グループのより一層のイメージ向上を目指します。

1. 国際文化交流の推進

三井広報委員会は、国際間の相互理解の促進を図るため、

国内外において主催・協賛する各種イベントを通じて、

優れた芸術・文化を広く紹介し、国際文化交流を進めます。

2. 地域文化活動の活性化

三井広報委員会は、日本国内において各地域の主体的参画による

芸術・文化活動を後援し、地域社会の活性化に貢献します。

3. 広報活動の推進

三井広報委員会は、三井グループ各社の活動について

国内外に広く理解と支援を得るため、多様なメディアを通じて、

積極的な広報活動を展開します。

企業グループの広報活動は、社会との接点に位置しながら、「グループの考え」「グループ の真の姿」を社会に伝えて理解を得るところにあります。この様な考え方から、個々の企 業がそれぞれ独立して単独に努力するだけではなく、グループ企業が力を結集して、一企 業で成し得ないようなスケールと内容をもって、社会への還元を図ることも大きな意味を 持つという共通認識を持ち、

1972

年(昭和

47

年)

4

1

日、前身の「三広会」(三井系

8

社 の広報活動母体)を発展的に拡充し「三井広報委員会」を発足しました。現在、三井広報 委員会の会員会社は

25

社(特別会員会社

1

社を含む)を数えています。

運 営 会 議

総  会

事 務 局

アウター活動検討チーム

■ 三井ゴールデン・グラブ賞の提供 ■ 三井ゴールデン・グラブ野球教室の開催

インナー活動検討チーム

■ 三井グループ・コミュニケーション誌   「MITSUI Field」の発行 ■ 会員会社向け研修会の開催 ■ 会員会社向けポスターの制作

会 長 / 若杉 末雪

(1972年4月就任)

     池田 芳蔵

(1973年6月就任)

     八尋 俊邦

(1979年6月就任)

     熊谷 直彦

(2002年6月就任)

委員長 / 菰田 正信

(2009年6月就任)

     久保 哲也

(2011年6月就任)

     木下 雅之

(2013年6月就任)

[ 組 織 図 ]

[ 歴代会長/委員長 ]

(6)

H i s t o r y o f T h e M I T S U I P u b l i c R e l a t i o n s C o m m i t t e e

三井広報委員会

1960

12

月、東京都中央区日本橋室町にある三井本館に、三井銀 行(現・三井住友銀行)、三井物産、三井化学工業(現・三井化学)、 三井金属、三井石油化学工業(現・三井化学)、三井精機工業、三井 造船、三井船舶(現・商船三井)の

8

社が集まり、三井グループとして 国内外向けに広告宣伝を共同で行うことを目的に、

1961

1

1

日 を期して現在の「三井広報委員会」の前身となる「三広会」を設立 することが決まりました。当時は戦後の成長期の中で各企業グルー プの求心力 が求 められていた時期で、すでに三菱グループや住友 グル ープ では共同でテレビ番 組を提 供するなどしており、三井グ ループ内でもPRの共同化を求める声が高まっていました。三広会 は設 立と同 時 に、当 時 三井 物産 が 提 供していたテレビ番 組『 兼 高かおる世界の旅 』のお正月特別番組にグル ープ各社で共同参加 するという形で、三井グル ープのPRを具体化。同年

7

月からは 三 井物産の単独提供から三井グループの共同提供に変わり、

1972

年 には現在の三井広報委員会へと引き継 がれ、三井グループとして

16

年間 にわたってスポンサーを務めました。

1972

4

月、三広会を発展的に解 消し、三井広報 委員会を発足。 三広会は、企業が単に経済活動を行っていけば良いという時 代は 終わり、これからは企業も社会との調和や社会貢献に努力していか なければならないこと、また、三井グループが発展していくために は、「グループの考え」や「グループの真の姿」を社会に伝えて “ 理 解 ” を得ることが必 要であり、社会に認められるための “ 努力 ” が 重要であると考えました。そして、三井グル ープの真の 姿 を社 会 にアピールするためには、個々の企業がそれぞれ単独に努力する だけでなく、グル ープ企 業が総力を結集して一 企 業では成し得な いようなスケールと内容をもって社 会貢 献を行うことが不可欠で あることから、当時

19

社で構成されていた三広会をさらに拡充し、 新たにグループ

31

社を結集した三井広報 委員会をスタートさせま した 。三井広 報 委員会の目的は、国内や海 外における三井グルー プの 広 報 活 動 を 推 進し、社 会 の 繁 栄と福 祉 に 寄 与 する三 井 グ ル ープのイメージを高めて広く内 外 に定 着させることにあり、こ の目的を達 成 するために常に会員各社 が 知 恵を出し合いながら 時 代の要請に的確に応える活動を展開し、今日に至っています。

1980

年、三井広報委員会は三井物産 が

1970

年より発行してきた 広報誌『三井グラフ』(季刊)を

42

号から引き継ぎ、三井グループ外 へ向けてのPR誌として編集発行。三井グループの活動を広く一般 の方に知ってもらい、そのイメージアップを図ることを目的 にスター トさせました。

1990

年には当初の「三井グループ外向けのPR誌」 というコンセプトを、グループ各社社員にも三井広報委員会の活動 を理 解してもらうために「三井グル ープ内外向けPR誌 」に改め、 全国の図書館、宿泊施設、病院などやグループ各社に配布し、グ 三井グループの広報活動を共同で行う「三広会」がスタート 「三広会」を発展的に解消し、新たに「三井広報委員会」が発足 『三井グラフ』が三井広報委員会の広報誌となる(1980〜2005) ●三井広報委員会の前身である「三広会」発足。 ●三井物産が提供していたテレビ番組「兼高かおる 世界の旅」が三広会の提供となる。 女性ジャー ナリストの兼高さんが旅をしながら世界各地を紹 介するもの。63年から10年間、番組内で「三井ク イズ」を行い、当選者39名を香港やパリに招待。 人気教養番組として注目を集める。  「三広会」の発足を伝える1961年1月1日付けの三友新聞  「三井広報委員会」の発足を伝える1972年3月30日付けの三友新聞  テレビ番組「世界にかける橋」に登場した鳥飼玖美子 さんの「ワンポイント英語コーナー」  テレビ番組「兼高かおる 世界の旅」を提供  「三井グラフ」創刊号  三井広報委員会発行となり最初の  霞が関ビル36階にオープンした「三井スカイプロムナード」 「三井グラフ」42号 ●三広会を発展的に解消し、「三井広報委員会」発 足。 ●「兼高かおる 世界の旅」の提供も三井広報委員会と なる。三井グループといえば「兼高かおる 世界の旅」 といわれるほど人々に親しまれ、三井グループのイ メージアップに貢献した。 ●三井物産スポーツ用品販売がプロ野球セ・パ両リー グに申し入れていた「ダイヤモンドグラブ賞」の制定 が承認される。現在の「三井ゴールデン・グラブ賞」 である。 ●「世界をあなたに」に替わり、世界各国の 経 済、 文化、芸術などを紹介しながら、日本との関係を テーマにした教 養 番組「世界にかける橋」の提供 開始、1982 年まで続ける。80年からは、番組中 に鳥飼玖美子さんの「ワンポイント英語コーナー」 を設けて好評を博す。 ●360度パノラマ展望が楽しめる東京・霞が関ビル の36階に、三井グループの活動をパネルや写真 で紹介する「三井スカイプロムナード」をオープン。 連日500人近い入場者でにぎわう(1990年公開 終了) 。 ●三井物産が三井グルー プの PR 誌「三井グラフ」 を 創刊。  創刊号の特 集は、 同 年開 催された 「日本万国博覧会」。 ●「兼高かおる 世界の旅」 の提供を終了し、新たに クイズ番組「世界をあな たに」を提供。 ●三井物産より「 三 井 グ ラフ」の 企 画・編 集・発 行を引き継ぐ(42号よ り)。 ●ロサンゼルス上空に日 本語の文字「三井グルー プ」を描き出したコマー シャルが、「日本民間放 送連盟年間表彰・テレビ コマーシャルの部」で金 賞受賞。

1961

[昭和36年]

1969

[昭和44年]

1970

[昭和45年]

1972

[昭和47年]

1977

[昭和52年]

1978

[昭和53年]

1980

[昭和55年]

1981

[昭和56年] 三井広報委員会  1972年に 「三井ゴールデン・グラブ賞」の前身である「ダ イヤモンドグラブ賞」を受賞した巨人軍の選手/左から堀内 恒夫・王貞治・長嶋茂雄・柴田勲・高田繁選手 1 2 3 4 5 6 7 8 8 7 6 5 4 3 2 1

(7)

●全国各地で日本を代表する知性との出会いを提供しようと、各 界の第一線で活躍中の多彩な講師陣をそろえたシンポジウム形 式の文化活動「三井シンポジア・トゥモロウ」をスタート。 ●日本の現代文化を海外に紹介し、国際間の相互理 解を深める ことを目的とした国際文化交流事業「クロースアップ・オブ・ジャ パン」の第1回をサンフランシスコで開催。 日本の“生の文化” を紹介する民間初の文化交流活動として、国内外で注目を集め る。  「三井シンポジア・トゥモロウ」  「第1回三井フェスティバル東京」。日本および韓国 の劇団の演劇上演のほか、フランスとブラジルのダンス、 インドの古典舞踏を紹介  三井広報委員会がスポンサーとなり新たなスタートを切った 「第15回三井ゴールデン・グラブ賞」 の表彰式  「第1回クロースアップ・オブ・ジャパン」 三宅一生 ボディ・ワークス  「第2 回クロースアップ・オブ・ジャパン」オープニングセレモニー には浩宮殿下(現皇太子)も来場   三井広報委員会20周年記念「山下洋輔ピアノコン サート」  小渕恵三外務大臣(当時)から「外務大臣表彰」を受け る八尋会長(当時)  「三井コラボレーション」記者発表会(1998年12月) ●世界各 国 の代 表 的 な現 代 演 劇人やグルー プなどを招いて、生のステージを 紹介する 「三 井フェスティバル東京」をスタートさせ、 1996年まで隔年で計 5 回開催。演劇をは じめ、ダンス、パントマイムなど日本で初め て紹介されたプログラムも多く、観客に新 鮮な感動を与える。 ●三井広報委員会創立20 周年を記念して「山下洋 輔ピアノコンサート」を 開催。 ●三井広報委員会が従来の「ダイヤモンドグラ ブ賞」の提供を引き継ぎ、「三井ゴールデン・ グラブ賞」と名称を改め、新たなスタートを 切る。 ●ロンドンで開催された「第2 回クロースアッ プ・オブ・ジャパン」には浩宮殿下(現皇太子) が来場されるなど、皇室の方々や各国の重 鎮も来場された。

1983

[昭和58年]

1985

[昭和60年]

1986

[昭和61年]

1988

[昭和63年]

1992

[平成4年] ●「三井グラフ」100号 記 念号を発 行( 創刊 25周 年 )。そ の 後 200 5 年 141号をもって休刊。

1995

[平成 7年] 狂的ともい え る 大 き な 反 響 を 呼 び ま し た。 優 れ た 日 本 文 化 は 世 界 的 に も 第 一 級 の 文化であることが海外の人々にも理解さ れ、 文化によるコミュニケーションの 輪 が大きく広がりました。 『クロースアップ・オブ・ジャパン』は

1998

年 のモスクワを最後に、 新たな文化支 援 活 動『三井コラボレーション』に 引 き 継 が れる ことになります。

1986

12

月、プロ 野 球 の 守 備 の ベ ストナインに 贈られ る『 三 井ゴールデン・グラブ賞』の表彰式 が東京・大手 町 の三井物 産本 社で盛大に行われました。前年度までは三井物産スポーツ用品販 売が提供スポンサーとなり『ダイヤモンドグラブ賞』の名称で表 彰が行われていましたが、第

15

回を迎えたこの年度 から三 井 広 報委員 会が 提 供を受け継ぐこととなり、名称も『三井ゴールデン・ グラブ賞』に改め新たなスタートを切った最初の表彰式でした。 それまでの表彰は、翌年の開幕戦時期に受賞選手に対して個別 に 行 わ れ て い ましたが、この年度から

12

月に受 賞 選 手全 員 を 一 堂 に 集 めて表彰することとなり、表彰式は一層華やかなもの になりました。また、表 彰 式 に は 都 内 の 養 護 施 設 の 子 ど もた ちを 招 待 し、表 彰 式 後 の懇 親 パ ーティで 憧 れの 選 手 とにこや かに話す風景なども見られました。

2008

年からは表 彰式 の 開 催を夜 から昼にうつし、毎 年多くの 報 道 陣 が 集 まるなか、その 年の守 備のベストナインの 表 彰 に注目が寄せられています。『ダ イヤモンドグラブ賞』として本 賞が制定された

1972

年から

40

周 年にあたる

2011

年には、記念特別番組(BSフジ)や 記 念 冊 子 を 制作し、

40

年の軌跡をあらためて振り返りました。 三井広 報 委員会 は、内から外への国 際交流として『クロースアッ プ・オブ・ジャパン』を世界各地で開催しましたが、

1988

年から は外から内への文化事業として、 東 京で本格的 な国 際 舞台 芸 術 祭『三井フェスティバ ル東京』の開 催 をスタートさせました。当 時、世界各地で舞台芸 術のフェスティバルは盛んに行われていま したが、国内ではほとんど 実 績 が 無く、国 際 都 市・東 京 に世 界 の 舞台芸術 が 集まる祭 典 がない のはいかにも寂しいということ で、東京で初めて国際的 な芸 術祭を開くことになりました。『三 井フェスティバル東 京 』は、

1988

年から

96

年までの 隔 年 に 計

5

回 開催し、日本の舞台芸術界に大きな足 跡 を 残 しました。

1992

年は、三井広報委員会 が発足してからちょうど

20

周年、『ク ロースアップ・オブ・ジャパン』のスタートから

10

年目に当たる年と なり、これを 記念して

11

月に東 京・池 袋の東京芸術 劇 場 大ホー ループ内外に幅広く親しまれる広報誌を目指しました。 (

2005

141

号をもって休刊 )

1980

年代、首 都 圏 の み ならず全 国 各 地 の 産 業 や 文化 が 活 発 に なっていく時代の潮流の中、三井広 報 委 員会は各 地の文化活 動を 応 援していく方針を決め、その具体化を探っていました。そこで、

1974

年から三井 物産が各都市で開催していた地域文化の活性化 に貢献する三井 教養セミナー「学びの出 発 」を引き 継ぐかたちで 更に内容を充実させ、

1983

年からは地域 社会の主体性と参加性 を重 視した 新しいシンポジウム形 式 の文化 活 動『 三井シンポジ ア・トゥモロウ』をスタートさせました。コンセプトは、“学び・考 える ” ことに 真 剣 に 取り組 んで いな がら中 央 の文化 に 接 する 機 会の 少ない 全 国 各地の人たちに、日本を代 表する優れた知性と の出会いを提 供しようというもので、地 元の自主性にポイントを 置いた地元主導型のセミナー(講演会)として行うところが大きな 特徴でした。しかし、スタート当時は珍しかったこの種のセミナー も、

90

年代に入ると全国各地で 頻 繁に行われるようになり、“ 開 拓者 ”としての 役 割は 終 わったとの認識 で、

1998

3

月を 最 後に 終了することになりました。『三井シンポジア・トゥモロウ』は、

16

年という長期間にわたって、全国約

370

ヵ所で開催され、その聴講 者の数は延べ

13

万人以 上となりました。 経済大国として世界経済への日本の影響力が大きくなるにつれ て諸外国からの誤解や摩擦が増え、深刻な問題になりつつあっ た

80

年代。原因が、相互のコミュニケーション不足とカルチャー ギャップにあるのは明らかでした。世界と日本の相互理解の溝が 深まっていく現実を目の当たりにし、孤立感を強めていく日本 の 状 況 を 憂 慮 し た 三 井 広 報 委 員 会 で は、 現 代 の 文 化 を 中 心 と し て 日 本 の あ り の ま ま の 姿 を 世 界 中 の 人 々 に 紹 介 し、 そ こ か ら日本に対する真の信頼 と 理 解 を 得 る こ と を 目 的 と し た 企 画 を 検 討 し ま し た。それが『クロースアップ・オブ・ジャパン』と いうかたちになり、

1983

年にスタートすることになったのです。 そ れ ま で の 日 本 の 紹 介 と い え ば、 貿 易 を 目 的 と し た 商 品 の 展 示 や 古 い 伝 統 芸 術 の 紹 介 が ほ と ん ど で し た が、 現 代 の 日 本 の 文 化 が 欧 米 の 文 化 先 進 国 と 比 べ て も 決して見劣りしないこと を示すために日本の多彩な現代文化を紹介することに主眼を置 いた、民間として初めての試みとなりました。 第

1

回目は

1983

9

月からサンフランシスコで開催され、以降は毎年、 ロンドン、 ニューヨーク、ミネアポリス &ロサンゼルス、パリ、シドニー、バ ンコク、トロント、クアラルンプール、ベルリン、リスボン、アト ランタ、サンパウロ &リオ・デ・ジャネイロ、ジャカルタ、ニュー デリー、モスクワと、

16

年にわたって世界

18

都市で開催し、皇 室の方々や各国の重鎮が来場されるなど注目度も高く、毎回熱 全国各地へ日本を代表する知性との出会いの場を提供する 『三井シンポジア・トゥモロウ』(1983 〜98) 東京で本格的な国際舞台芸術祭 『三井フェスティバル東京』を隔年開催(1988 〜96) 日本の現代文化を海外に紹介する 『クロースアップ・オブ・ジャパン 』をスタート(1983 〜98) プロ野球の守備のベストナインに贈られる 『三井ゴールデン・グラブ賞』のスポンサーに(1986 〜) 三井広報委員会の20 周年を記念し、 『山下洋輔ピアノコンサート』を開催 9 10 12 11 13 14 9 10 11 12 13 14 15 16 ●「三井シンポジア・トゥモロウ」の特別企画「誰でも わかるオペラ入門」を東京で開催。 ●「クロースアップ・オブ・ジャパン」や「三井フェスティ バル東京」などの文化活動が国際交流に果たした貢 献度が評価され、外務大臣表彰を受ける。 ●「クロースアップ・オブ・ジャパン」「三井シンポジ ア・トゥモロウ」などの文化事業を見直し、新たな文 化支援活 動「 三井コラボレーション」をスタート。  国内第1弾は沖縄県那覇市でりんけんバンドとの共 演による「国府弘子サウンドスケッチ in ジャパン」。

1998

[平成10 年] 15 16

(8)

●日蘭交流400周年を記念して「三井コラボレーショ ン」の海外第2 弾「安倍圭子マリンバコンサート」 と、CGアーティスト・原田大三郎氏とテクノミュー ジシャン・スピーディJ 氏のコラボレーションライブ をオランダで開催。 ●coba 氏プロデュースの「三井コラボレーション『光 と音のページェント。天使は空から降ってくる。』」を 福岡で開催。 ●「 三井コラボレーション『リーディングドラマ "天国 の本屋 "』」を開催。以降も各地で再演を重ねる。 ●芝居と音楽を融合した「三井コラボレーション 『ド ラマコンサート " ミッシング・ピース" 』」を東京で 上演。 ●イギリスにおける日本年JAPAN 2001の公式行 事として、「三井コラボレーション」の海外第3弾「仮 面舞踏劇『 天照 』」  、 「ジミー大西×ジェーン・パッ カー エキシビション『 Energy of Nature』」  を ロンドンで開催。   coba氏プロデュース「三井コラボレーション『光と音のページェント』」

  「ふれあいマーケット」  「仮面舞踏劇『天照 AMATERASU, The Sun Goddess』」  「ジミー 大 西 ×ジェーン・パッカ ー エキシビション『 Energy of

N ature 』」  「リーディングドラマ『天国の本屋 』」  「ふれあいトリオ」 ●「ジミー大 西展 『 Energy of Nature 』」を恵比寿 ガーデンプレイス、京都駅コンコースにて開催。その 後、2004年 5月まで全国通算13ヵ所で開催され る「ジミー 大西絵画展『世界を巡る絵筆の冒険』」 に特別協賛(主催:朝日新聞社)。 ●文化・教育・福祉の支援プログラムとして全国各地に クラシックの演奏家を派 遣する「ふれあいトリオ」 をスタート。  2008年までに、北海道根室から鹿 児島県沖永良部島まで、全国各地で約 250 公演を 行う。

2000

[平成12年]

2001

[平成13年]

2002

[平成14年]

2003

[平成15年] この主旨に共鳴して参加したアーティストは、国内外で活躍する ピアニストで作曲家の国府弘子さん、日本を代表するCGアーティ スト原田大三郎氏、世界的なアコーディオン奏者coba氏、狂言 師の和泉元彌氏、現代邦楽をリードする作曲家の三木稔氏の

5

人 で、

12

月に行われた記者発表ではそれぞれの立場から期待と抱 負が述べられました。また、席上で八尋俊邦三井広報委員会会 長(当時)は「 新しいものが定着するまでにはこれから実績を重 ねていく必要があります。皆様からの忌憚のない助言をいただ き、日本文化を支えるために、絶え間ない支援、努力をしてい くつもりです」とその決意を語りました。その後、

2004

年に活 動を終えるまで、国内はもとより、海外における日本との交流 行事にて公演を行うなど、いずれも成功裏に終わりました。 三井広報委員会では、三井グループが積極的に展開すべき活動 は文化支援活動だけにとどまらず、何らかの社会的な貢献も必 要ではないかと考え、

1999

10

月に札幌で開催された『三井コ ラボレーション』の 会場 において、三井グループとしての社会貢 献活動をスタートしました。札幌市には、障がいのある方々が さま ざ ま な 商 品 を 作りな が ら 社 会 参 加 を 目 指 すネットワーク組 織 “ 札 幌 市 小 規 模 作 業 所 連 絡 協 議 会” があり、 その 傘下の小 規 模 共 同 作 業 所 に 商 品 販 売 の 場 を 提 供 し 、三 井グル ー プ の 社 員 が エプロン姿でその準備と販売を手伝うことになったのです。 小規模共同作業所とは、障がいのある方々が自分の能力に合っ た作業を行う規模の小さい施設ですが、当時、その認知度は極 めて低いのが現状でした。そこで、これらの作業所で心を込めて 作られた商品を三井グループが展示・販売の協力をすることで、 小規模共同作業所の存在 を少しでも知ってもらうことができる と考えました。結果は、商品に対する好意的な評価はもちろん、 こうした活動に初めて参加したグループ各社の社員からも、社会 貢 献 の 大 切 さ を 理 解 す る こ と が で き たとの 声 が 多く寄 せ ら れ 大成功となりました。そこで、三井広報委員会ではこの活動を 『 ふ れあ い マーケット』と名付け、共同作業所の全国組織である 共同作業所全国連絡会(共作連)との連携を密にしながら、 その 後の『三井コラボレーション』国内イベントの会場で毎回開催し、 その後

2003

年 からスタートする『ふれあいトリオ』事業の一 環と してコンサート会 場でマーケットを開催するなど、継続的な活 動 へと展 開していきました。

2003

4

月からは新たな事業として『ふれあいトリオ』を開始しま した。“ 教育+文化支援 ”を基本路線に、全国各地に国際的に活躍 するプロのクラシックの演奏家を派遣し、各地のホールが主催・ 開催する「ふれあいコンサート」、近隣の小・中学校などでミニコ ルで『山下洋輔ピアノコンサート』を開催しました。コンサートは 『クロースアップ・オブ・ジャパン “トロント

1990

” 』でのコンサー トを再現したもので、和太鼓 のレナード衛藤氏との二重 奏 や井 上道義氏指 揮 の新日本フィルハーモニー交響楽団との協奏「ラプ ソディー・イン・ブルー」も演 奏され、会 場を熱気の渦 に巻き込 みました。コンサートの後、会場に隣接するホテルで

20

周年記念 のレセプションを開催し、各界諸氏やマスコミ関係者など約

400

人が列席。挨拶に立った八尋俊邦三井広報委員会会長(当時)は、 「三井グループの文化支援活動を景気の動 向などに左右されるこ となく持 続させ 充 実させていく」と力強く誓 い、会場は大きな拍 手に包まれました。

1998

7

8

日、『クロースアップ・オブ・ジャパン』などの開催 を通して国 際文化交 流の 推進に貢献した功 績に対し、外務省か ら『平成

10

年 度 外 務 大臣 表 彰 』 が授 与さ れました。 授 賞 理 由 は「同 団体は三井グループ各社が参加して、わ が 国 の 現 代 芸 術 を 海 外 に 紹 介 す る『クロースアップ・オブ・ジャパン』を諸外 国において毎年開催、さらに外国の舞台芸術をわが国に紹介す る『三井フェスティバル東京』を隔年開催し、これらの事 業を通 じて我が国と諸外国との国際文化交流および相互理解の増進に 多大な貢献をされた(要旨)」というものです。東京・港区の外務 省 飯倉公館で行われた表彰式 で は、 小渕恵 三外 務大 臣( 当 時 ) から八尋俊邦三井広報委員会会長(当時)に表彰状が手渡され、 民間企業関連では唯一 の受賞となりました。 三井広報委員会は、これまで『クロースアップ・オブ・ジャパン』 や『三井シンポジア・トゥモロウ』などの文化事業をスタートさせ、 継続させてきました。その努力が実って、海外での現代日本の文 化に対する認識を大いに高めるとともに、国内においても人々 の文化的関心の高まりに大きく貢献。しかし、当初は珍しかった これらの事業スタイルも、年を重ねるうちにさまざまな団体が 頻繁に行うようになり、三井広報委員会 が “ 開 拓者 ”として目指 した役割はすでに終えているのではないかという意見が会員会 社から出されるようになりました。こうした中で、三井広報委員 会では

1

年以上をかけて

21

世紀につながる文化事業の新しいス タイルを模索し、その答えとして出てきたのがこ れ ま で の 文 化 事業をさらに進化・発展させた新たな文化支援活動『三井コラ ボレーション』でした。各分野で活躍する国内外のアーティスト に交流の場を提供し、コラボレーション(共同制作)を通して新し い日本文化の創造を図るもので、アーティストに自らのテーマに取 り組む場を提供して国内外で一般公開し、さらにそのプロセスや 作品をドキュメント(文化遺産)として残し、さまざまなかたちで 活用していくことを目的としています。

1998

年のスタート時に 三井広報委員会の国際文化支援活動が『外務大臣表彰』受賞 『 ふれあいマーケット』など三井グループとしての 社会貢献活動を開始(1999 〜 2008) これまでの文化支援活動をさらに進化・発展させた 『三井コラボレーション』(1998 〜 2004 ) 文化・教育・福祉の支援プログラムとして 『 ふれあいトリオ』を開始( 2003 〜 08 ) 18 20 19 21 22 18 17 19 20 21 22 ●「三井コラボレーション」海外第1弾 は1999日中 文化友好年事業の一環として、日本側の主役に和泉 元彌氏を起用した楽曲劇「天人」を北京で開催。 ●社会貢献活動の一環として、障がいのある方々が 働く小規模共同作業 所で作られた商品を販売する 「ふれあいマーケット」の1回目を「三井コラボレー ション」の会場(札幌)で開催。

1999

[平成11年] 17 三井広報委員会

(9)

●1月1日、三井グループ8社により、三井広 報委員会の前身である「三広会」が発足。 ●7月31日、テレビ番組「兼高かおる 世界の 旅」の番組スポンサーが三井物産から三 広会へ。 ●4月、三井物産から「三井グラフ」が創刊。 ●4月1日、三広会を発展的に解消し、「三 井広報委員会」が発足。 ●3月27日、同日放送分の「兼高かおる 世 界の旅」がスポンサーとして最後の番組と なり、4月3日からはテレビクイズ番組「世 界をあなたに」をオンエア。 ●4月2日、「世界をあなたに」に替わり「世 界にかける橋」の提供開始。 ●夏休みに「相模湖ピクニックランド」(神 奈川県)と「三井グリーンランド」(福岡県) で、子どもたちに虫かご2万個をプレゼ ント。 ●4月27日、提供テレビ番組「世界にかけ る橋」で鳥飼玖美子さんのワンポイント 英語コーナーを新設。 ●12月、「三井グラフ」通刊42号から三井 広報委員会の発行となる。 ●5月7日、霞が関ビル36階に三井グルー プのPRの場「三井スカイプロムナード」が オープンし、11日より無料公開。 ●9月26日、同日放送の「世界にかける橋」 をもって同スポンサーを終了。 ●10月14日~29日、第5回「クロースアップ・ オブ・ジャパン」をパリで開催。 ●5月7日、第1回「三井シンポジア・トゥモ ロウ」を大分市で開催。 ●9月14日~11月30日、第1回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をサンフランシスコ で開催。 ●2月6日~4月14日、第2回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をロンドンで開催。 ●11月17日 ~86年2月28日、第3回「ク ロースアップ・オブ・ジャパン」をニュー ヨークで開催。 ●5月12日~6月17日、第1 回「三井フェスティ バル東京」を開催。 ●5月18日~7月3日、第6回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をシドニーで開催 。 ●10月、三井広報委員会企画のPR映画 「三井300年の歩み」が完成。 ●11月3日~12月17日、第7回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をバンコクで開催。 ●成城大学、青山学院大学、学習院大学 などの学 園 祭における街の 清 掃 活 動 「CAMPUS SWEEPER学園キャラバン 隊」を応援。大学周辺の商店街などを清 掃するというもので、地 元 の人々から も好評を得る。 ●6月9日、「 三井コラボレ ーション『原 田大三郎CG in シンフォニー “メタボー ル”』」を東 京で開催。 ●7月8~16日に「三井コラボレーション」の 海外第1 弾を北京/上海で開催。 ●7月24日、coba氏プロデュースの「三井コ ラボレーション『ミュージックスペース“テ クノキャバレー”』」を新潟で開催。 ●10月13日、「三井コラボレーション『国府 弘子サウンドスケッチin ジャパン』」を札 幌で開催。同時に第1 回目となる「ふれ あいマーケット」を開催。 ●4月26・27日、5月5日、「三井コラボレー ション」の海外第2弾をライデン/アム ステルダム(オランダ)で開催。 ●7月14日、「三井コラボレーション『国府 弘子サウンドスケッチin ジャパン』」を大 阪で開催。 ●10月20日、coba氏プロデュースの「三井コ ラボレーション『光と音のページェント“天 使は空から降ってくる”』」を福岡で開催。 ●1月25・26日、「三井コラボレーション 『リーディングドラマ “天国の本屋”』」を 東京で上演。 ●2月27・28日、「三 井 コラボレ ーショ ン『ドラマコンサート“ミッシング・ピー ス”』」を東 京で上演 。 ●5月24~26日、「三井コラボレーション」の 海外第3弾をロンドンで開催。 ●9月20~30日、「三井コラボレーション『ジ ミー大西×ジェーン・パッカ ーエキシビ ション“Energy of Nature ”』」をロンドン で開催。 ●11月20日、「三井コラボレーション『国 府弘子サウンドスケッチin ジャパン』」を 長野で開催。 ●3 月28~31 日、「三井コラボレーション 『リーディングドラマ“天国の本屋 ”』」を東 京で上演 。 ●映画「天国の本屋 ~恋火~」(配給:松竹 主演:竹内結子玉山鉄二)の日本語字幕 版制作に協賛。 ●「三井ゴールデン・グラブ賞」が40 周年 を迎え、記念特別番組(BSフジ)と記念 誌を制作。 ●「三井広報委員会」発足40 周年を迎える。 ●7月、200回目となる「ふれあいコンサー ト」を開催。2008年の終了までに約250 公演、参加者6万人以上を数えた。 ●3月、三井ゴールデン・グラブ賞受賞歴 のあるプロ野球OBによる指導者向け 野球教室「三井ゴールデン・グラブ野球 教室」をスタート。 ●三井グループおよびグループ各社の“人” に焦点を当てた社会貢献活動や様々な取 り組みを総称したPR「三井ヒューマン プロジェクト」をスタート。 ●1月、三井グループ社員の相互理 解を 深めるグループ・コミュニケーション誌 「MITSUI Field」を創刊。 ●三井の事業精神や先見性・創造性をグ ループ各社に改めて知っていただくこと を目的に、DVD「三井のこころ」を制作。 ●4 月、文化・教育・福祉の支援プログラ ムとして「ふれあいトリオ」をスタート。 北海道江別市を皮切りに、年間全国10 ヶ所以上の市町村で開催。 ●11 月3~30日、New York 日本ギャラ リーにて開催の「ジミー大西作品展~原 始の眼 ~」(主催:NY日本クラブ・吉本 興業)に協賛。 ●12 月4~27日、「リーディングドラマ『天 国の本屋』」(出演:須賀貴匡・紺野まひ る・ルー大柴)の再々演に特別協賛。 ●4月24日~5月9日、第9回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をクアラルンプール(マ レーシア)で開催。 ●4月27日~6月27日、第11回「クロー スアップ・オブ・ジャパン」をリスボン(ポ ルトガル)で開催 。 ●2月8日~3月2日、第15回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をニューデリー(インド) で開催。 ●1月30日、「三井シンポジア・トゥモロウ 特別企画『 誰でもわかるオペラ入門~三 枝成彰のトークとオペラアリアコンサー ト』」を東京で開催。3月をもって、「三井 シンポジア・トゥモロウ」終了。 ●7月8日、三井広報委員会の国際文化交 流支援活動が評価され、「外務大臣表彰」 を授与される。 ●9月11日~10月3日、最 後となる第16 回「クロースアップ・オブ・ジャパン」をモ スクワで開催。 ●12月16日、「三井コラボレーション」の国 内 第1 弾、「国府 弘子サウンドスケッチ in ジャパン( 国府弘子 +りんけんバン ド)」を那覇で開催。 ●三井広報委員会ホームページ開設。 ●10月30日~12月17日、第13回「クロー スアップ・オブ・ジャパン」をサンパウロ/ リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)で開催。 ●5 月6 日~6 月11 日、第4 回「三井フェス ティバル東京」を開催。 ●9月27日~10月9日、第12回「クロー スアップ・オブ・ジャパン」をアトラン タ(米国)で開催。 ●6月3~15日、最後となる第5回「三井フェ スティバル東京」を開催。 ●6月6~30日、第14回「クロースアップ・ オブ・ジャパン」をジャカルタ(インドネ シア)で開催。 ●4月1~30日、第10回「クロースアップ・ オブ・ジャパン」をベルリンで開催。 ●5月21日~6月7日、第3回「三井フェス ティバル東京」を開催。 ●三井広報委員会発足20周年として、11月 2日に東京・池袋で「山下洋輔ピアノコン サート」および20周年記念レセプション を開催。 ●6月、JR有楽 町駅に三井広報委員会の 電飾看板を掲示。 ●8月31日、1981年から続いた「三井スカ イプロムナード」終了。 ●9月27日 ~10月19日、第8回「クロー スアップ・オブ・ジャパン」をトロント(カ ナダ)で開催。 ●5月10日~6月10日、第2回「三井フェスティ バル東京」を開催。 ●4月20日~7月20日、第4回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をミネアポリス(米国) で、9月1日~10月26日にはロサンゼルス で開催 。 ●11月26日、三井広報委員会がスポンサー となり、ダイヤモンドグラブ賞から「三井 ゴールデン・グラブ賞」に名称を改め、12 月10日に表彰式を開催。

2000

2001

2002

2004

2011

2012

2007

2010

2008

2009

2003

三井広報委員会 これまでのあゆみ

●「三井ゴールデン・グラブ賞」 40周年を迎える。 40周年 の記念としてBSフジ特別番 組「第40回三井ゴールデン・ グラブ賞 ~球史を飾った名 手たち~」、記念誌「三井ゴー ルデン・グラブ賞40年の軌 跡」を制作。   「三井ゴールデン・グラブ野球教室」   「三井ゴールデン・グラブ賞40 周年記念誌」   「三井ゴールデン・グラブ賞」40周年を記念し、 表彰式には山本浩二氏、福本豊氏が来場 ●「三井広報委員会 」創立40 周年を迎える。40年のあゆみ を振り返る記念誌「三井広報 委員会40年史」を制作。

2011

[平成23年]

2012

[平成24年] ●三井ゴールデン・グラブ賞 を受賞した元プロ野球選 手を講 師とする指 導者向 け 野球教室「 三井ゴール デン・グラブ野球教室 」を スタート。

2010

[平成22年] ンサートや音楽指導を行う「ふれあいプログラム」、そしてコン サートホールのロビーなどで障がいのある方々の作業所で作ら れた商品を販売する場を提供する「ふれあいマーケット」を、『ふ れあいトリオ』の

3

つの柱として展開しました。普段、生の音楽 を聴く機会の少ない子どもや高齢者・障がいのある方などに質の 高い音楽にふれていただく場を提供するだけでなく、ヴァイオリ ンの演奏体験や音楽にあわせて体を動かすボディパーカッション など、聴衆と密着した “ふれあい” により開催地域との 一 体感を 生 むイベ ントとして大きな盛り上がりをみせ、

2008

年の事業終 了までに全国各地で行った公演は約

250

回、参加者延べ

6

万人 以上を数えました。 野球を中心としたスポーツ支援というアウター(三井グループ外) 向けの 活 動と並 行して、

2009

1

月、インナー(三井グループ内) 向けに、グループ各 社 の 相 互 理 解とグループ意 識 の 醸 成を目指 して、グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』(季刊) を創刊しました。

330

余 年という三 井 の 歴 史 を 踏まえて今ある グループ 各 社 社 員 間 の 相 互 理 解とコミュニケーションの活性化 の一助となるべく、毎号三井の歴史やグルー プ各 社とその社員 の情 報 をさまざまな角度 から紹介しています。

2008

年には、「人の三井」という三井グループらしさをベースに、 人を大 切 に し 多 様 な 個 性 と 価 値 を 尊 重 す る こ と で 社 会 を 豊 か にしたいという想いを込めて『三井ヒューマンプロジェクト』を立 ち 上 げ ま し た。 そ の 一 環 として

2010

3

月よ り、三 井 ゴ ー ル デン・グラブ賞を受賞し た 元 プ ロ 野 球 選 手 を 講 師 と する、少 年 野 球 の 指導者を対象とした野球教室『三井ゴールデン・グラブ 野 球 教 室 』を スタ ートさ せました。第

1

回目となる明治神宮外 苑教室では、阿波 野 秀 幸 氏( 近鉄OB)、 大 矢 明 彦 氏( ヤクルト OB)、水 上 善 雄 氏(ロッテOB)、屋 鋪要氏(巨人OB)と、トレー ナ ー と し て 吉 田 直 人 氏(NSCA認 定 検 定 員 )の

5

名 が、

100

名 近 い受講者に向け、“ 守 備 ” を中心と した 野 球 の 基 本 技 術 や 理 論、子 ど も た ち が ケ ガ を し な い た め の 正 し い 練 習 方 法 や そ の 指 導 方 法 に つ い て、 講 義 や 実 技 指 導 を 行 い ま し た。 子ど も を 対 象 にした 野 球 教 室 は 数 多 くあります が、 指 導 者 を 対 象 に し たも の は 珍しく、 受 講 者 か ら 好 評 を 博 して い ま す。 今 後 も 全 国 各 地 に て 本 教 室 を 開 催 し、子ど もたち が 大 好きな「野球」と いうスポ ーツ に一 生 懸 命 取 り組めるように、そしてケガをせず 今後も長くプレーを続けていけるように、子どもたちの 夢を応 援していきたいと考えています。 少年野球指 導 者を対象とした 『三井ゴールデン・グラブ野球教室 』を開催( 2010 〜) 三井グループ内の相互理解とグループ意識の 醸成を目指してグループ・コミュニケーション誌 『MITSUI Field』を創刊( 2009 〜)

1961

1970

1972

1977

1978

1980

1981

1982

1987

1983

1985

1988

1989

1990

1986

1999

1991

1993

1997

1998

1995

1994

1996

1992

年 25 26 27 25 26 27 ●三井グループおよびグルー プ各社の「人」に焦点を当 てた社会貢献活動やさま ざまな取り組みを総称し たPR「三井ヒューマンプロ ジェクト」をスタート。

2008

[平成20年] 23 ●三井グループ社員の相互理 解を深めるグループ・コミュ ニケーション誌「 MITSUI Field 」を創刊 。 ●三井の事業精神や先見性、 創造性をグループ各社に改 めて知っていただくことを 目的に、DVD「三井のここ ろ」を制作。

2009

[平成21年] 24  「MITSUI Field」創刊号   「三 井ヒューマンプロジェクト」 新聞広告(日経新聞 2009年4月 2日付) 23 24 ●11月21日「三井コラボレーション『リーディ ングドラマ “zelkova(ゼルカーヴァ)”』」を 東京で上演。

(10)

C u r r e n t m a i n a c t i v i t y

o f T h e M I T S U I P u b l i c R e l a t i o n s C o m m i t t e e

三井広報委員会の

三井広報委員会の

三井ヒューマンプロジェクト事業

三井ヒューマンプロジェクトは、「人の三井」という三井グループらしさをベースに

「人を大切にし、多様な個性と価値を尊重することで社会を豊かにする」ことを目的とした、

「三井広報委員会会員会社」「三井グループ全体」「三井広報委員会」の

それぞれが行う社会貢献活動を世の中に発信するための総称です。

ロゴにこめられた想い

人のモチーフをロゴの一部として採り入れ、人を大切に考えるヒューマン プロジェクトの理 念を象徴させました。手を上げたシルエットが、自由闊 達で活力ある三井グループの気風と、人が伸びやかに育っていく様子を表 現しています。 【 選考対象となるプレーヤーの資格】 ●投手は規定投球回数以上投球していること、またはチーム試合数の1/3以上登板していること ●捕手はチーム試合数の1/2以上捕手として出場していること ●内野手はチーム試合数の1/2以上1ポジションの守備についていること ●外野手はチーム試合数の1/2以上外野手として出場していること

三井ゴールデン・グラブ賞受賞実績のある講師陣による“指導者”のための野球教室

三井ゴールデン・グラブ賞 を受 賞した元プロ野球選手を 講 師 に招き、“ 守備 ”を中心とした野球の基本技術とその指導方法に ついて分かりやすく教える「指導者のための野球教室」です。

2010

年よりスタートした本教室では、子どもたちの身体に負担を かけない、ケガをしないための正しい練習および指導方法を指導 し、あわせて野球理論の講義を行います。本教室を通じて指導 者の皆さまに正しい野球知識を習得し、日々の指導に役立ててい ただくことで、ひたむきにプレーする子どもたちの夢を応援します。 ※丸数字は受賞回数 ※球団表記は最終受賞時の所属 第1回 明治神宮外苑教室 講師陣 指導者講習会 投球指導 守備(捕手)指導 守備(外野手)指導 【 三井ゴールデン・グラブ賞 アラカルト】 最 多 受 賞 回 数 最多受賞外国人選手 最 多 連 続 受 賞   最 年 長 受 賞 最 最 年 少 受 賞 最 満 票 受 賞 [パシフィック・リーグ] 福本  豊(急)⑫ マルカ ーノ(急)④ 福本  豊(急)⑫ 12年連続/1972〜83年 稲葉 篤紀(日)  2012年/40歳3ヵ月 松坂 大輔(武)  1999年/19歳1ヵ月 大橋  穣(急)1972年 有藤 通世(ロ)1974年 福本  豊(急)1976〜79年 梨田 昌崇(近)1979年 秋山 幸二(武)1990年 [セントラル・リーグ] 山本 浩二(広)⑩ 駒田 徳広(横)⑩ 古田 敦也(ヤ)⑩ 宮本 慎也(ヤ)⑩ ラ イ ト ル(広)④ 山本 浩二(広)⑩ 10年連続/1972〜81年 宮本 慎也(ヤ)  2012年/41歳11ヵ月 立浪 和義(中)  1988年/19歳2ヵ月 堀内 恒夫(巨)1972年 高田  繁(巨)1972年 王  貞治(巨)1974年 山本 浩二(広)1975〜79年 飯田 哲也(ヤ)1992年

プロ野球セ・パ 両リーグの“守備のベストナイン”を表彰

三井ゴールデン・グラブ賞は

1972

年にダイヤモンドグラブ賞としてスター トし、

1986

年に現在の名称になりました。 日本プロ野球セ・パ両リーグの第三者公式表彰として制定される本賞は、 毎年卓越した守備によりチームに貢献した選手を、新聞社・通信社・テ レビ局・ラジオ局のプロ野球担当記者(現場取材経験

5

年以上)による 投票で選ぶ、権威ある賞のひとつです。その年守備で最も輝いたベスト ナインの選出に、毎年多くの期待が寄せられています。 各受賞選手のグラブを かたどって作られる トロフィー

(11)

三井家旧蔵の優れた美術工芸品を所蔵・展示

社会福祉の精神で慈善病院から発展

三井記念美術館

三井記念病院

三井記念美術館は、三井家が江戸時代から収集した美術品約

4

,

000

点(国宝

6

点、重要文化財

71

点、重要美術品

4

点を含む) を所 蔵しています。 展示室では、洋風建築の空間に日本と東洋の美術品を展示し、 伝統的な「造形の美」と「用の美」を 鑑賞することができます。 三井家とゆかりの深い国宝茶室「如庵」の内部を再現した展示 室では、茶道具の取り合わせを展示することもあります。 また、館蔵品の展覧会だけでなく、様々なテーマによる「特別展」 を企画・開催しています(常設展 示なし)。東京駅周辺の

3

つ の美術館とも連携して新しいアートスポットを創出しています。 三井記念病院は、

1909

年、三井

11

家(総代三井八郎右衛門・ 高棟氏)の寄付(当時の

100

万円)により、「三井慈善病院」とし て下谷和泉橋通り(現千代田区神田和泉町)の東京帝国大学医 科大学附属第二医院跡地に開院しました。 生活困窮者を対象に無料で治療を行うという設立趣旨を受け 継ぎ、以来一貫して「社会福祉の精神」のもと、患者一人ひとり の立場に立ちながら、患者と医療者がともに生きる医療の実践 に努めています。 また、医療を通じて地域への貢献活動や研究・教育活動などさ まざまな活動も行っております。 国宝「雪松図屏風」 円山応挙筆 【公式ホームページ】http://www.mitsui-museum.jp 【公式ホームページ】http://www.mitsuihosp.or.jp 外観 病室 総合受付 重要文化財「黒楽茶碗 銘俊寛」 国宝「志野茶碗 銘卯花墻」 展示室

三井グループのコミュニケーション誌

会員会社の相互理解と、広報部門のレベルアップを目指して

グループ意識の醸成・向上のために

MITSUI Field

会員会社向け研修会

会員会社向けポスター制作

三井グループ各社が活躍する分野(

Field

)と、 そこで働く人々を幅広く紹介する三井グルー プのコミュニケーション誌を年

4

回発行して います。各社社員が相互理解を深め、三井 ブランドの向上をグループ内から促進する働 きかけとして制作。三井の歴史やゆかりの地、 各社社員のオン・オフタイムなど、毎号多彩 な内容を掲載しています。 三井広報委員会では、会員各社の相 互理解促進と各社広報部門のレベル アップを目指して各種研修会を開催し ています。ディスカッションやグルー プワーク、施設見学会などを通じ、様々 な発見や刺激を受ける ” 学びの場 ” を 提供しています。 三井広 報 委員会では、会員各社にお けるグループ意識の醸成や向上を目的 に、毎年インナー向けのポスターを制 作しています。その年ごとにテーマを 設け、会員各社の若手社員にモデルと して登場していただきます。 研修会風景 2013年 2012年(40周年記念) 2011年

自由闊達な三井の気風を紹介する、社員向けツール

DVD「三井のこころ」

330

余年の歴史を誇る、三井の事業精神や先見性・創造性を改めて知っていただくため、グルー プの社員向けに制作したツールです。「三井家の由来」「三井の事業精神」「三井家から三井 グループへ」「人の三井」「三井グループのこれまで、そして未来」の内容で構成しています。 DVD画面 ※ダイジェスト版はホームページでもご覧いただけます。 DVD(33分版・15分版)

INNER

COMMUNICATION インナーコミュニケーション

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参照

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