スペシャルインタビュー
王 貞 治氏 × 野中ともよ氏
4
概要
8
これまでのあゆみ
10
現在の主な活動
18
会員会社紹介
22
三井の歴史
28
A c t i v i t i e s o f T h e M I T S U I P u b l i c R e l a t i o n s C o m m i t t e e
S p e c i a l I n t e r v i e w
三井広報委員会
財団法人 世界少年野球推進財団/理事長 NPO法人 ガイア・イニシアティブ/代表王 貞治
氏
×
野中ともよ
氏
(聞き手)
野中: 「三井広報委員会」は2012年、創立40周年を迎えました。 その間、芸術や文化の後援、また地域活動やスポーツの支援を行う など、一企業では成し得ない幅広い広報活動を行ってきました。 王さんは 現 役 時代 に「三井ゴールデン・グラブ賞 」を9
年連続で 受賞され、現在も「三井ゴールデン・グラブ野球教室」などで三井 グループとはいろいろと関わりを持たれているわけですが、実は 私も、三井グループ各社の経営に参画したり、講演をさせていただい たりして、いろいろとお世話になっています。近くで見ていると、 それぞれ個性の強い企業が集まっているので大変なことも多そう ですが、チームワークを大事にして頑張っておられるなと感じて います。王さんは三井グループにどんな印象をお持ちですか? 王: そうですね。私はやはり「三井ゴールデン・グラブ賞」や「三井 ゴールデン・グラブ野球教室」などで野球界を力強くサポートしてい ただいているという思いが強いですね。また、多くの人に夢と希望を 与えてくれる取り組みを、経済状況などに左右されず長く継続して いただいていることは、本当にありがたいことだと感じています。 野中: 確かに。継続は力なり、継続はブランドなりですね。その 「三井ゴールデン・グラブ賞」が始まったのが約40
年前。当時は、 ダイヤモンドグラブ賞という名前でしたが、王さんは1972
年から現 役を引退される1980
年まで9
年連続で受賞されました。 王: 野球はどうしても「ピッチャーが投げてバッターが打つ」とい うところに目がいってしまいがちです。それに比べると守備は評 価が低いというか、あまり注目されるものではありませんでした。 アメリカでは1957
年にグラブメーカーのローリングス社が「ロー リングス・ゴールドグラブ賞」というものを創ったのですが、日本 にはずっとそういったものがなくて・・・。それで三井グループがダ イヤモンドグラブ賞を創ってくれたわけです。昔からプロの世界に は、打つ方ではそれほど目立たないけれど守備は凄い!という職 人タイプの人がいたのですが、この賞のおかげで その人たちが注目を浴びるようになり、俄然やる 気になりました。だから野球界への貢献という意 味で言いますと、皆さんが思っている以上に本当 に大きいと思います。 野中: 王さんからそんな話を伺うと、すごい賞 だと改めて認識できます。 王: 私も川上(哲治)さんから厳しく鍛えられては いましたけれど、第1
回の際に表彰していただい て以来、「よし今年もしっかりやろう」と、より一層 守備に力を入れてプレイするようになりました。 実際、プロの試合では守備が勝敗を左右すること が多いのです。この賞ができたおかげで観ている 人もだんだんそういうことを理解してくれるよう になったので嬉しかったですね。 野中: 「三井ゴールデン・グラブ野球教室」についてはいかが ですか? 最近、一番熱心に取り組んでおられるのが少年野球 教室の活動だとお聞きしたのですが。 王: これまで私は、野球を通して本当にいろいろな経験をさせ てもらいました。野球のおかげで仲間がたくさんできて、彼らと 感 動体験を共有することができましたし、体も丈夫になりまし た。そうした自分の経験を野球教室の活動を通して、できるだけ たくさんの子どもたちに伝えていきたいと考えています。もちろ ん勉 強も大切ですが、やはり汗を流して、皆と苦しさや喜びを 共有するような経験をもっと積んでもらいたいと思っています。 そしてそれができるのはやっぱりスポーツだと考えています。 野中: 「三井ゴールデン・グラブ野球教室」では、実は指導者の 方に正しい野球知識や理論を取得してもらう機 会を設けてい らっしゃるそうですね。 王: 指導者の中には、個人的な経験だけで教えようとされてい る方が案外多いんですね。子どもたちは教えられた通りにやり ますから、間違えたことを教えないように、我々は指導者の方 たちに対してうまく教えていきたいなと思っているんです。熱意 のある指導者の方はたくさんいらっしゃるので、後は正しい知 識を身につけてもらえればと思います。 野中:王さんが関わっていらっしゃることもあって、元プロ野球選 手たちが続々と講師役を引き受けてくれていると伺いました。 王: ありがたいことです。やっぱりうまくできる人の姿をたくさ ん見たら違いますからね 。少年野 球の指導者の方たちにはそ こで見たものを分かりやすい言葉で、野球をする楽しさも併せ て子どもたちに伝えていってもらいたいですね。 野中: 野球教室といえば、今は「財団法人世界少年野球推進財 団」の理事長として、世界各地から子どもたちを招いて少年野球 教 室や国際 親善試合なども開催されていらっしゃいます。 王:そういう機会や場をどんどんつくっていくことが、私をここ まで育ててくれた野球界への恩返しなのかなと思っています。 それを社会貢献というのも何ですが・・・。子ども同士というのは とても面白いものでしてね、自分が上手にできなかった時の記 憶がまだ新しいからか、できない子どもにすごく優しいんです。 皆思いやりがあって初心者の子どもたちに一生懸命教えようと する。そしてできない子どももそれを素直に受け入れるんです。 国が違っても言葉が違っても同じ。ずっと前からの友だちのよう に野球を教え合うんですよね。 野中: この財団も1990
年から活 動されているのですね。 王: ええ、いろいろ失 敗もありましたけれど、何とか 続 いて いますね。「世界少年野球大会」というのをやっているのです が、1
年かけて準 備して、たった10
日くらいで終わってしまう 催しでして、正 直 言って大 変 なことだらけなのですが(笑)。 だけどそんな辛さが 全 部 吹っ飛 んじゃうくらい 子どもたちの 笑顔が良いのです。最初はホームシックにかかって「家に帰り たい」と言っていた小さな子どもが、1
週間経つと「みんなと離 れるのはイヤだ」って言い出したり(笑)。ああいう姿を見ると、 また続けていきたいなと思いますね。ちょっと大げさかもしれ ないけれど、やはり子どもの笑顔は世界の宝だと思うので。必ず しも野球でなくていいのですが、スポーツで汗を流しながら、 学校や家ではなかなか教わることのできないことを学んでもら いたいなと。 野中: 最近は徒競走でも順位をつけない学校があったりする ようですけれど、やっぱり勝ち負けがある中でしか学べないこ ともたくさんあるわけですしね。「三井ゴールデン・グラブ賞 」は、
皆さんが思っている以上に
野球 界 に貢献していると思います。
本業で社会を良くしていこうというのが
これからの時代の社会貢献だと思います。
勉 強も大切ですが、子どもたちが皆と
苦しさや喜びを共有する経験が積めるのは、
やっぱりスポーツだと考えています。
野中: 三井グループの中には、重 厚長大産業や鉄 鉱石・原油 などの資源関連、さらにはサービス産 業、ロジスティクスなど といった、それぞれ業種も業態も違う企業が一つの名前のもと に集まっているわけですが、今日のようなグローバル市場で戦 い、そして生き残っていくためには、それこそ野 球のチームプ レーのように、もっと企業同士が手を取り合って共に歩んでい くことが大 切だと思います。そのあたり王さんはどのようにお 考えですか? 王: 私 はビジネスのことはあまりわからないので偉そうなこと は言えませんが、まずはやはり、それぞれの会社や人が自分た ちの専門分野についてしっかりと考えることが大切だと思いま すね。後は全体を取り仕切る人が、それぞれをうまく結びつけ て良い形にしていけばいいわけですから。無理に同質になろう とする必要はないと思います。例えば監督と選手では役割が違 います。いま、私はフロントですが、それも役割が違う。全体と しては一つのチームですが、役割分担は全然違う。それで良い のだと思います。 野中: お話を聞いていて、そういえば昔、祖母から、「働くとい うことは “傍(はた)”を“ 楽(らく)”にすることだ」って教えられた ことを思い出しました。つまりはグループシナジーを生かす方向 で、各々の企業がもつコアコンピタンスを最大限に高めるのが 重要だということですよね。 王: 私は今、福岡ソフトバンクホークス球団の取締役会長もし ているのですが、このチームがうまくいっている理由はやはり オーナーの孫さんの采配が大きいです。我々にとっては本当に 良き理解者でして、野球事業で出た利益は、すべて選手の補強 であるとか施設の改善だとか、裏方さんたちの待遇を良くする ために使ってくれる。「俺には一銭も持ってこなくていい」とい つも言っているんです。つまり我々が自分たちのために頑張れ ば、それを観たファンの皆さんが喜んでくれる。そういうシンプ ルな環境をつくってくれているわけです。 野中: 動員数も今ではパ・リーグの方がずいぶんと多くなりま したものね。 王: ええ、我々が選手だった頃のことを考えると夢のような話 です。私は選手時代もずいぶん良い思いをしましたが、こうして もう一度、別の野球人生を味わうことができてこんな幸せなこと はないですよ。 野中: グループがうまくいくかどうかはトップの力にかかって いるから頑張れってことですね(笑)。 王: いやいや、三井グループはトップがしっかりされているか ら、こういう「三井ゴールデン・グラブ賞」みたいなものもずっと 継続してくれているわけでして。本当にありがたいことですよ。 野中: そうですね。続けていくこと、大事なものを次の世代に 手渡していくこと。三井グループは確かにそういうところを大 切にしていますね 。それでは、王さん、最後 に王さんの今後の 夢をお聞かせください。 王: そうですね。私は常々、今度生まれ変わったら音楽関係の 仕事をしてみたいと思っていました。というのも野球は決まった ルールの中でいつも同じことをやるでしょう。今度は全く決まり ごとのないところで新しいものを生み出すような仕事をしてみた いなって。 野中: ピアノの鍵盤が壊れるほど練習なさりそう(笑)。 王: 思い立った時がスタートの時ですからね。 野中: 人生で一番若いのは今日ですもの。三井グループプレゼ ンツでコンサートなどいかがですか(笑)。 王: それはいいですね。あっ、でもそうだなぁ、もう一度ホーム ランを打つ時のあの感触も味わってみたいなあ。 野中:
868
回、いや練習の時も含めるともっとたくさん味わって らっしゃるのにまだ物足りない? 王: もっと、もっと味わいたいです(笑)。 野中: そのためには練習もいっぱいしないといけないですけど。 王: 辛さは忘れるんですよ。でもあの感触だけはいつまでも忘 れられないんだよなぁ(笑)。 王: 世の中に出てからもまったく競争しなくていいのだったらそ れでもいいのでしょうが、やっぱりそうではない部分もあるわけ で、だったらやはり小さい頃から勝つ喜びとか負ける悔しさみた いなものも経験しておくことは大事なのかなと思います。あと野 球にはルールがあって、ルールには絶対に従わなくてはいけませ ん。そういうことを子どものうちに、楽しみながら自然に覚えら れるのもとても素晴らしいことだと思います。それと子どもとい うのはちょっとした体験でガラっと変わるじゃないですか。この 変化を見るのが実は結構楽しみでして。大人たちも何とか気づか せてやろうと思って必死になって取り組んでくれています。 野中: 私も最近まで経営者の立場でいろいろ取り組んできたこ とがあるのですが、例えば、電機メーカーで『Think GAIA
』と いうヴィジョンを創りました。未来の子どもと地球が喜んでくれ る商品を世に出そう、というものですが、太陽光でも2000
回近 く充電できて廉価な電池が生まれました。途上国では電池が分 別されることなくポンポンと捨てられていて、それが土壌汚染に 繋がって作物をダメにしてしまっている。その国では、ずいぶんと お役に立っていると情報を受けています。環境保護の視点で立 ち上げたプロジェクトだったのですが、それが売れに売れたので すね(笑)。そのとき電池を開発した技術者の方が、お子さんが 書いた作文を持って私のところにやってきたんです。そこには「う ちのお父さんは地球防衛軍です。地球の未来のためになる電池 を開発したら、それがとっても売れて、お母さんも喜んでいます」 と書いてありました。それを技術者の方がとっても嬉しそうに話 すんですよ。それまではとにかく売上をあげればいいと思って邁 進してきたような人たちが、ちょっと考えを変えてくれて・・・。先 程の王さんの話もそうですし、「三井ゴールデン・グラブ賞」のよ うな取り組みもそうですけれど、王さんがまさに野球を通して実 践されているような、本業で社会を良くしていくというのがこれ からの時代の社会貢献だと強く思います。 王: そうですね。まだ気づいていない人に気づいてもらう。気づ いてくれないようだったら、そのための手段をもう一度考えて再度 トライする。私も野球教室などを通し、自分が経験したことを伝 え、社会に役 立つことができたらいいなと思っています。私の 場合は野球の楽しさを伝えるということでそれをやっているわけ ですけれど、子どもたちを育てるというのはまさに典型的な例 で、子どもたちが変わるきっかけや人がやる気になるきっかけを、40
年以上にわたってつくり続けてこられた「三井広報委員会」 の方たちの取り組みは本当に意義があるものだと思います。 野中: いま「三井広報委員会」の話が出ましたが、企業の広報 活動について何かアドバイスはございますか? プロ野球の世 界でも広報はとても大事な役割を担っていると思いますが。 王: 正直言うと、我々が現役だった時は広報なんて必 要ない と思われていた時代でした。「観に来たい人は観に来るよ、テ レビも勝 手に放 送してくれるよ」って考えている人がたくさん いて、私たちはそういう時 代に野 球をやっていました。でも今 は明らかに皆の意識が変わりましたね。こちらが伝えようとし ない限り思いは伝わらないということが分かってきた。だから 自分たちから積極的に伝えていかないといけない。選手たちが いくら良い仕事をしても、良い伝わり方をしなければ何にもなり ませんからね。ですから広報の方たちは、自社と世の中の人たち を繋ぐ重要な役割を担っていることを常に意識しながら活動さ れるのが大事なのではないでしょうか。 野中: おっしゃるとお りだと思います。三井グ ループのような巨大な組 織では、グループ企業の 中で、相互に人材が行き 来 するような関 係 を構 築すれば、さらに企業力 が高まるとも思います。 これからの 時 代はそう いったグループ企業の人 材交流を後押しするよう な、グループ内広報の仕 事も大切になってくるの ではないでしょうか。こちらから積極的に伝えようとしない限り
伝わらない。
広報というのは、世の中の人たちと繋がるための
重要な役 割を担っているんです。
それぞれの会社や人が異なる役 割・専門分野に
ついてしっかり考え、トップがそれらをうまく
結び付けて良い形にまとめあげていく流れが
できれば、素敵だと思います。
S u m m a r y o f T h e M I T S U I P u b l i c R e l a t i o n s C o m m i t t e e
三井広報委員会の
行動理念
三井広報委員会とは
行動指針
三井広報委員会は、三井グループ各社がまとまり、
様々な文化活動および広報活動を通じて、国際交流や地域社会の活性化に貢献するとともに、
社会の繁栄と福祉に寄与し、三井グループのより一層のイメージ向上を目指します。
1. 国際文化交流の推進
三井広報委員会は、国際間の相互理解の促進を図るため、
国内外において主催・協賛する各種イベントを通じて、
優れた芸術・文化を広く紹介し、国際文化交流を進めます。
2. 地域文化活動の活性化
三井広報委員会は、日本国内において各地域の主体的参画による
芸術・文化活動を後援し、地域社会の活性化に貢献します。
3. 広報活動の推進
三井広報委員会は、三井グループ各社の活動について
国内外に広く理解と支援を得るため、多様なメディアを通じて、
積極的な広報活動を展開します。
企業グループの広報活動は、社会との接点に位置しながら、「グループの考え」「グループ の真の姿」を社会に伝えて理解を得るところにあります。この様な考え方から、個々の企 業がそれぞれ独立して単独に努力するだけではなく、グループ企業が力を結集して、一企 業で成し得ないようなスケールと内容をもって、社会への還元を図ることも大きな意味を 持つという共通認識を持ち、1972
年(昭和47
年)4
月1
日、前身の「三広会」(三井系8
社 の広報活動母体)を発展的に拡充し「三井広報委員会」を発足しました。現在、三井広報 委員会の会員会社は25
社(特別会員会社1
社を含む)を数えています。運 営 会 議
総 会
事 務 局
アウター活動検討チーム
■ 三井ゴールデン・グラブ賞の提供 ■ 三井ゴールデン・グラブ野球教室の開催インナー活動検討チーム
■ 三井グループ・コミュニケーション誌 「MITSUI Field」の発行 ■ 会員会社向け研修会の開催 ■ 会員会社向けポスターの制作会 長 / 若杉 末雪
(1972年4月就任)池田 芳蔵
(1973年6月就任)八尋 俊邦
(1979年6月就任)熊谷 直彦
(2002年6月就任)委員長 / 菰田 正信
(2009年6月就任)久保 哲也
(2011年6月就任)木下 雅之
(2013年6月就任)[ 組 織 図 ]
[ 歴代会長/委員長 ]
H i s t o r y o f T h e M I T S U I P u b l i c R e l a t i o n s C o m m i t t e e
三井広報委員会
1960
年12
月、東京都中央区日本橋室町にある三井本館に、三井銀 行(現・三井住友銀行)、三井物産、三井化学工業(現・三井化学)、 三井金属、三井石油化学工業(現・三井化学)、三井精機工業、三井 造船、三井船舶(現・商船三井)の8
社が集まり、三井グループとして 国内外向けに広告宣伝を共同で行うことを目的に、1961
年1
月1
日 を期して現在の「三井広報委員会」の前身となる「三広会」を設立 することが決まりました。当時は戦後の成長期の中で各企業グルー プの求心力 が求 められていた時期で、すでに三菱グループや住友 グル ープ では共同でテレビ番 組を提 供するなどしており、三井グ ループ内でもPRの共同化を求める声が高まっていました。三広会 は設 立と同 時 に、当 時 三井 物産 が 提 供していたテレビ番 組『 兼 高かおる世界の旅 』のお正月特別番組にグル ープ各社で共同参加 するという形で、三井グル ープのPRを具体化。同年7
月からは 三 井物産の単独提供から三井グループの共同提供に変わり、1972
年 には現在の三井広報委員会へと引き継 がれ、三井グループとして16
年間 にわたってスポンサーを務めました。1972
年4
月、三広会を発展的に解 消し、三井広報 委員会を発足。 三広会は、企業が単に経済活動を行っていけば良いという時 代は 終わり、これからは企業も社会との調和や社会貢献に努力していか なければならないこと、また、三井グループが発展していくために は、「グループの考え」や「グループの真の姿」を社会に伝えて “ 理 解 ” を得ることが必 要であり、社会に認められるための “ 努力 ” が 重要であると考えました。そして、三井グル ープの真の 姿 を社 会 にアピールするためには、個々の企業がそれぞれ単独に努力する だけでなく、グル ープ企 業が総力を結集して一 企 業では成し得な いようなスケールと内容をもって社 会貢 献を行うことが不可欠で あることから、当時19
社で構成されていた三広会をさらに拡充し、 新たにグループ31
社を結集した三井広報 委員会をスタートさせま した 。三井広 報 委員会の目的は、国内や海 外における三井グルー プの 広 報 活 動 を 推 進し、社 会 の 繁 栄と福 祉 に 寄 与 する三 井 グ ル ープのイメージを高めて広く内 外 に定 着させることにあり、こ の目的を達 成 するために常に会員各社 が 知 恵を出し合いながら 時 代の要請に的確に応える活動を展開し、今日に至っています。1980
年、三井広報委員会は三井物産 が1970
年より発行してきた 広報誌『三井グラフ』(季刊)を42
号から引き継ぎ、三井グループ外 へ向けてのPR誌として編集発行。三井グループの活動を広く一般 の方に知ってもらい、そのイメージアップを図ることを目的 にスター トさせました。1990
年には当初の「三井グループ外向けのPR誌」 というコンセプトを、グループ各社社員にも三井広報委員会の活動 を理 解してもらうために「三井グル ープ内外向けPR誌 」に改め、 全国の図書館、宿泊施設、病院などやグループ各社に配布し、グ 三井グループの広報活動を共同で行う「三広会」がスタート 「三広会」を発展的に解消し、新たに「三井広報委員会」が発足 『三井グラフ』が三井広報委員会の広報誌となる(1980〜2005) ●三井広報委員会の前身である「三広会」発足。 ●三井物産が提供していたテレビ番組「兼高かおる 世界の旅」が三広会の提供となる。 女性ジャー ナリストの兼高さんが旅をしながら世界各地を紹 介するもの。63年から10年間、番組内で「三井ク イズ」を行い、当選者39名を香港やパリに招待。 人気教養番組として注目を集める。 「三広会」の発足を伝える1961年1月1日付けの三友新聞 「三井広報委員会」の発足を伝える1972年3月30日付けの三友新聞 テレビ番組「世界にかける橋」に登場した鳥飼玖美子 さんの「ワンポイント英語コーナー」 テレビ番組「兼高かおる 世界の旅」を提供 「三井グラフ」創刊号 三井広報委員会発行となり最初の 霞が関ビル36階にオープンした「三井スカイプロムナード」 「三井グラフ」42号 ●三広会を発展的に解消し、「三井広報委員会」発 足。 ●「兼高かおる 世界の旅」の提供も三井広報委員会と なる。三井グループといえば「兼高かおる 世界の旅」 といわれるほど人々に親しまれ、三井グループのイ メージアップに貢献した。 ●三井物産スポーツ用品販売がプロ野球セ・パ両リー グに申し入れていた「ダイヤモンドグラブ賞」の制定 が承認される。現在の「三井ゴールデン・グラブ賞」 である。 ●「世界をあなたに」に替わり、世界各国の 経 済、 文化、芸術などを紹介しながら、日本との関係を テーマにした教 養 番組「世界にかける橋」の提供 開始、1982 年まで続ける。80年からは、番組中 に鳥飼玖美子さんの「ワンポイント英語コーナー」 を設けて好評を博す。 ●360度パノラマ展望が楽しめる東京・霞が関ビル の36階に、三井グループの活動をパネルや写真 で紹介する「三井スカイプロムナード」をオープン。 連日500人近い入場者でにぎわう(1990年公開 終了) 。 ●三井物産が三井グルー プの PR 誌「三井グラフ」 を 創刊。 創刊号の特 集は、 同 年開 催された 「日本万国博覧会」。 ●「兼高かおる 世界の旅」 の提供を終了し、新たに クイズ番組「世界をあな たに」を提供。 ●三井物産より「 三 井 グ ラフ」の 企 画・編 集・発 行を引き継ぐ(42号よ り)。 ●ロサンゼルス上空に日 本語の文字「三井グルー プ」を描き出したコマー シャルが、「日本民間放 送連盟年間表彰・テレビ コマーシャルの部」で金 賞受賞。1961
年
[昭和36年]1969
年
[昭和44年]1970
年
[昭和45年]1972
年
[昭和47年]1977
年
[昭和52年]1978
年
[昭和53年]1980
年
[昭和55年]1981
年
[昭和56年] 三井広報委員会 1972年に 「三井ゴールデン・グラブ賞」の前身である「ダ イヤモンドグラブ賞」を受賞した巨人軍の選手/左から堀内 恒夫・王貞治・長嶋茂雄・柴田勲・高田繁選手 1 2 3 4 5 6 7 8 8 7 6 5 4 3 2 1●全国各地で日本を代表する知性との出会いを提供しようと、各 界の第一線で活躍中の多彩な講師陣をそろえたシンポジウム形 式の文化活動「三井シンポジア・トゥモロウ」をスタート。 ●日本の現代文化を海外に紹介し、国際間の相互理 解を深める ことを目的とした国際文化交流事業「クロースアップ・オブ・ジャ パン」の第1回をサンフランシスコで開催。 日本の“生の文化” を紹介する民間初の文化交流活動として、国内外で注目を集め る。 「三井シンポジア・トゥモロウ」 「第1回三井フェスティバル東京」。日本および韓国 の劇団の演劇上演のほか、フランスとブラジルのダンス、 インドの古典舞踏を紹介 三井広報委員会がスポンサーとなり新たなスタートを切った 「第15回三井ゴールデン・グラブ賞」 の表彰式 「第1回クロースアップ・オブ・ジャパン」 三宅一生 ボディ・ワークス 「第2 回クロースアップ・オブ・ジャパン」オープニングセレモニー には浩宮殿下(現皇太子)も来場 三井広報委員会20周年記念「山下洋輔ピアノコン サート」 小渕恵三外務大臣(当時)から「外務大臣表彰」を受け る八尋会長(当時) 「三井コラボレーション」記者発表会(1998年12月) ●世界各 国 の代 表 的 な現 代 演 劇人やグルー プなどを招いて、生のステージを 紹介する 「三 井フェスティバル東京」をスタートさせ、 1996年まで隔年で計 5 回開催。演劇をは じめ、ダンス、パントマイムなど日本で初め て紹介されたプログラムも多く、観客に新 鮮な感動を与える。 ●三井広報委員会創立20 周年を記念して「山下洋 輔ピアノコンサート」を 開催。 ●三井広報委員会が従来の「ダイヤモンドグラ ブ賞」の提供を引き継ぎ、「三井ゴールデン・ グラブ賞」と名称を改め、新たなスタートを 切る。 ●ロンドンで開催された「第2 回クロースアッ プ・オブ・ジャパン」には浩宮殿下(現皇太子) が来場されるなど、皇室の方々や各国の重 鎮も来場された。
1983
年
[昭和58年]1985
年
[昭和60年]1986
年
[昭和61年]1988
年
[昭和63年]1992
年
[平成4年] ●「三井グラフ」100号 記 念号を発 行( 創刊 25周 年 )。そ の 後 200 5 年 141号をもって休刊。1995
年
[平成 7年] 狂的ともい え る 大 き な 反 響 を 呼 び ま し た。 優 れ た 日 本 文 化 は 世 界 的 に も 第 一 級 の 文化であることが海外の人々にも理解さ れ、 文化によるコミュニケーションの 輪 が大きく広がりました。 『クロースアップ・オブ・ジャパン』は1998
年 のモスクワを最後に、 新たな文化支 援 活 動『三井コラボレーション』に 引 き 継 が れる ことになります。1986
年12
月、プロ 野 球 の 守 備 の ベ ストナインに 贈られ る『 三 井ゴールデン・グラブ賞』の表彰式 が東京・大手 町 の三井物 産本 社で盛大に行われました。前年度までは三井物産スポーツ用品販 売が提供スポンサーとなり『ダイヤモンドグラブ賞』の名称で表 彰が行われていましたが、第15
回を迎えたこの年度 から三 井 広 報委員 会が 提 供を受け継ぐこととなり、名称も『三井ゴールデン・ グラブ賞』に改め新たなスタートを切った最初の表彰式でした。 それまでの表彰は、翌年の開幕戦時期に受賞選手に対して個別 に 行 わ れ て い ましたが、この年度から12
月に受 賞 選 手全 員 を 一 堂 に 集 めて表彰することとなり、表彰式は一層華やかなもの になりました。また、表 彰 式 に は 都 内 の 養 護 施 設 の 子 ど もた ちを 招 待 し、表 彰 式 後 の懇 親 パ ーティで 憧 れの 選 手 とにこや かに話す風景なども見られました。2008
年からは表 彰式 の 開 催を夜 から昼にうつし、毎 年多くの 報 道 陣 が 集 まるなか、その 年の守 備のベストナインの 表 彰 に注目が寄せられています。『ダ イヤモンドグラブ賞』として本 賞が制定された1972
年から40
周 年にあたる2011
年には、記念特別番組(BSフジ)や 記 念 冊 子 を 制作し、40
年の軌跡をあらためて振り返りました。 三井広 報 委員会 は、内から外への国 際交流として『クロースアッ プ・オブ・ジャパン』を世界各地で開催しましたが、1988
年から は外から内への文化事業として、 東 京で本格的 な国 際 舞台 芸 術 祭『三井フェスティバ ル東京』の開 催 をスタートさせました。当 時、世界各地で舞台芸 術のフェスティバルは盛んに行われていま したが、国内ではほとんど 実 績 が 無く、国 際 都 市・東 京 に世 界 の 舞台芸術 が 集まる祭 典 がない のはいかにも寂しいということ で、東京で初めて国際的 な芸 術祭を開くことになりました。『三 井フェスティバル東 京 』は、1988
年から96
年までの 隔 年 に 計5
回 開催し、日本の舞台芸術界に大きな足 跡 を 残 しました。1992
年は、三井広報委員会 が発足してからちょうど20
周年、『ク ロースアップ・オブ・ジャパン』のスタートから10
年目に当たる年と なり、これを 記念して11
月に東 京・池 袋の東京芸術 劇 場 大ホー ループ内外に幅広く親しまれる広報誌を目指しました。 (2005
年141
号をもって休刊 )1980
年代、首 都 圏 の み ならず全 国 各 地 の 産 業 や 文化 が 活 発 に なっていく時代の潮流の中、三井広 報 委 員会は各 地の文化活 動を 応 援していく方針を決め、その具体化を探っていました。そこで、1974
年から三井 物産が各都市で開催していた地域文化の活性化 に貢献する三井 教養セミナー「学びの出 発 」を引き 継ぐかたちで 更に内容を充実させ、1983
年からは地域 社会の主体性と参加性 を重 視した 新しいシンポジウム形 式 の文化 活 動『 三井シンポジ ア・トゥモロウ』をスタートさせました。コンセプトは、“学び・考 える ” ことに 真 剣 に 取り組 んで いな がら中 央 の文化 に 接 する 機 会の 少ない 全 国 各地の人たちに、日本を代 表する優れた知性と の出会いを提 供しようというもので、地 元の自主性にポイントを 置いた地元主導型のセミナー(講演会)として行うところが大きな 特徴でした。しかし、スタート当時は珍しかったこの種のセミナー も、90
年代に入ると全国各地で 頻 繁に行われるようになり、“ 開 拓者 ”としての 役 割は 終 わったとの認識 で、1998
年3
月を 最 後に 終了することになりました。『三井シンポジア・トゥモロウ』は、16
年という長期間にわたって、全国約370
ヵ所で開催され、その聴講 者の数は延べ13
万人以 上となりました。 経済大国として世界経済への日本の影響力が大きくなるにつれ て諸外国からの誤解や摩擦が増え、深刻な問題になりつつあっ た80
年代。原因が、相互のコミュニケーション不足とカルチャー ギャップにあるのは明らかでした。世界と日本の相互理解の溝が 深まっていく現実を目の当たりにし、孤立感を強めていく日本 の 状 況 を 憂 慮 し た 三 井 広 報 委 員 会 で は、 現 代 の 文 化 を 中 心 と し て 日 本 の あ り の ま ま の 姿 を 世 界 中 の 人 々 に 紹 介 し、 そ こ か ら日本に対する真の信頼 と 理 解 を 得 る こ と を 目 的 と し た 企 画 を 検 討 し ま し た。それが『クロースアップ・オブ・ジャパン』と いうかたちになり、1983
年にスタートすることになったのです。 そ れ ま で の 日 本 の 紹 介 と い え ば、 貿 易 を 目 的 と し た 商 品 の 展 示 や 古 い 伝 統 芸 術 の 紹 介 が ほ と ん ど で し た が、 現 代 の 日 本 の 文 化 が 欧 米 の 文 化 先 進 国 と 比 べ て も 決して見劣りしないこと を示すために日本の多彩な現代文化を紹介することに主眼を置 いた、民間として初めての試みとなりました。 第1
回目は1983
年9
月からサンフランシスコで開催され、以降は毎年、 ロンドン、 ニューヨーク、ミネアポリス &ロサンゼルス、パリ、シドニー、バ ンコク、トロント、クアラルンプール、ベルリン、リスボン、アト ランタ、サンパウロ &リオ・デ・ジャネイロ、ジャカルタ、ニュー デリー、モスクワと、16
年にわたって世界18
都市で開催し、皇 室の方々や各国の重鎮が来場されるなど注目度も高く、毎回熱 全国各地へ日本を代表する知性との出会いの場を提供する 『三井シンポジア・トゥモロウ』(1983 〜98) 東京で本格的な国際舞台芸術祭 『三井フェスティバル東京』を隔年開催(1988 〜96) 日本の現代文化を海外に紹介する 『クロースアップ・オブ・ジャパン 』をスタート(1983 〜98) プロ野球の守備のベストナインに贈られる 『三井ゴールデン・グラブ賞』のスポンサーに(1986 〜) 三井広報委員会の20 周年を記念し、 『山下洋輔ピアノコンサート』を開催 9 10 12 11 13 14 9 10 11 12 13 14 15 16 ●「三井シンポジア・トゥモロウ」の特別企画「誰でも わかるオペラ入門」を東京で開催。 ●「クロースアップ・オブ・ジャパン」や「三井フェスティ バル東京」などの文化活動が国際交流に果たした貢 献度が評価され、外務大臣表彰を受ける。 ●「クロースアップ・オブ・ジャパン」「三井シンポジ ア・トゥモロウ」などの文化事業を見直し、新たな文 化支援活 動「 三井コラボレーション」をスタート。 国内第1弾は沖縄県那覇市でりんけんバンドとの共 演による「国府弘子サウンドスケッチ in ジャパン」。1998
年
[平成10 年] 15 16●日蘭交流400周年を記念して「三井コラボレーショ ン」の海外第2 弾「安倍圭子マリンバコンサート」 と、CGアーティスト・原田大三郎氏とテクノミュー ジシャン・スピーディJ 氏のコラボレーションライブ をオランダで開催。 ●coba 氏プロデュースの「三井コラボレーション『光 と音のページェント。天使は空から降ってくる。』」を 福岡で開催。 ●「 三井コラボレーション『リーディングドラマ "天国 の本屋 "』」を開催。以降も各地で再演を重ねる。 ●芝居と音楽を融合した「三井コラボレーション 『ド ラマコンサート " ミッシング・ピース" 』」を東京で 上演。 ●イギリスにおける日本年JAPAN 2001の公式行 事として、「三井コラボレーション」の海外第3弾「仮 面舞踏劇『 天照 』」 、 「ジミー大西×ジェーン・パッ カー エキシビション『 Energy of Nature』」 を ロンドンで開催。 coba氏プロデュース「三井コラボレーション『光と音のページェント』」
「ふれあいマーケット」 「仮面舞踏劇『天照 AMATERASU, The Sun Goddess』」 「ジミー 大 西 ×ジェーン・パッカ ー エキシビション『 Energy of
N ature 』」 「リーディングドラマ『天国の本屋 』」 「ふれあいトリオ」 ●「ジミー大 西展 『 Energy of Nature 』」を恵比寿 ガーデンプレイス、京都駅コンコースにて開催。その 後、2004年 5月まで全国通算13ヵ所で開催され る「ジミー 大西絵画展『世界を巡る絵筆の冒険』」 に特別協賛(主催:朝日新聞社)。 ●文化・教育・福祉の支援プログラムとして全国各地に クラシックの演奏家を派 遣する「ふれあいトリオ」 をスタート。 2008年までに、北海道根室から鹿 児島県沖永良部島まで、全国各地で約 250 公演を 行う。
2000
年
[平成12年]2001
年
[平成13年]2002
年
[平成14年]2003
年
[平成15年] この主旨に共鳴して参加したアーティストは、国内外で活躍する ピアニストで作曲家の国府弘子さん、日本を代表するCGアーティ スト原田大三郎氏、世界的なアコーディオン奏者coba氏、狂言 師の和泉元彌氏、現代邦楽をリードする作曲家の三木稔氏の5
人 で、12
月に行われた記者発表ではそれぞれの立場から期待と抱 負が述べられました。また、席上で八尋俊邦三井広報委員会会 長(当時)は「 新しいものが定着するまでにはこれから実績を重 ねていく必要があります。皆様からの忌憚のない助言をいただ き、日本文化を支えるために、絶え間ない支援、努力をしてい くつもりです」とその決意を語りました。その後、2004
年に活 動を終えるまで、国内はもとより、海外における日本との交流 行事にて公演を行うなど、いずれも成功裏に終わりました。 三井広報委員会では、三井グループが積極的に展開すべき活動 は文化支援活動だけにとどまらず、何らかの社会的な貢献も必 要ではないかと考え、1999
年10
月に札幌で開催された『三井コ ラボレーション』の 会場 において、三井グループとしての社会貢 献活動をスタートしました。札幌市には、障がいのある方々が さま ざ ま な 商 品 を 作りな が ら 社 会 参 加 を 目 指 すネットワーク組 織 “ 札 幌 市 小 規 模 作 業 所 連 絡 協 議 会” があり、 その 傘下の小 規 模 共 同 作 業 所 に 商 品 販 売 の 場 を 提 供 し 、三 井グル ー プ の 社 員 が エプロン姿でその準備と販売を手伝うことになったのです。 小規模共同作業所とは、障がいのある方々が自分の能力に合っ た作業を行う規模の小さい施設ですが、当時、その認知度は極 めて低いのが現状でした。そこで、これらの作業所で心を込めて 作られた商品を三井グループが展示・販売の協力をすることで、 小規模共同作業所の存在 を少しでも知ってもらうことができる と考えました。結果は、商品に対する好意的な評価はもちろん、 こうした活動に初めて参加したグループ各社の社員からも、社会 貢 献 の 大 切 さ を 理 解 す る こ と が で き たとの 声 が 多く寄 せ ら れ 大成功となりました。そこで、三井広報委員会ではこの活動を 『 ふ れあ い マーケット』と名付け、共同作業所の全国組織である 共同作業所全国連絡会(共作連)との連携を密にしながら、 その 後の『三井コラボレーション』国内イベントの会場で毎回開催し、 その後2003
年 からスタートする『ふれあいトリオ』事業の一 環と してコンサート会 場でマーケットを開催するなど、継続的な活 動 へと展 開していきました。2003
年4
月からは新たな事業として『ふれあいトリオ』を開始しま した。“ 教育+文化支援 ”を基本路線に、全国各地に国際的に活躍 するプロのクラシックの演奏家を派遣し、各地のホールが主催・ 開催する「ふれあいコンサート」、近隣の小・中学校などでミニコ ルで『山下洋輔ピアノコンサート』を開催しました。コンサートは 『クロースアップ・オブ・ジャパン “トロント1990
” 』でのコンサー トを再現したもので、和太鼓 のレナード衛藤氏との二重 奏 や井 上道義氏指 揮 の新日本フィルハーモニー交響楽団との協奏「ラプ ソディー・イン・ブルー」も演 奏され、会 場を熱気の渦 に巻き込 みました。コンサートの後、会場に隣接するホテルで20
周年記念 のレセプションを開催し、各界諸氏やマスコミ関係者など約400
人が列席。挨拶に立った八尋俊邦三井広報委員会会長(当時)は、 「三井グループの文化支援活動を景気の動 向などに左右されるこ となく持 続させ 充 実させていく」と力強く誓 い、会場は大きな拍 手に包まれました。1998
年7
月8
日、『クロースアップ・オブ・ジャパン』などの開催 を通して国 際文化交 流の 推進に貢献した功 績に対し、外務省か ら『平成10
年 度 外 務 大臣 表 彰 』 が授 与さ れました。 授 賞 理 由 は「同 団体は三井グループ各社が参加して、わ が 国 の 現 代 芸 術 を 海 外 に 紹 介 す る『クロースアップ・オブ・ジャパン』を諸外 国において毎年開催、さらに外国の舞台芸術をわが国に紹介す る『三井フェスティバル東京』を隔年開催し、これらの事 業を通 じて我が国と諸外国との国際文化交流および相互理解の増進に 多大な貢献をされた(要旨)」というものです。東京・港区の外務 省 飯倉公館で行われた表彰式 で は、 小渕恵 三外 務大 臣( 当 時 ) から八尋俊邦三井広報委員会会長(当時)に表彰状が手渡され、 民間企業関連では唯一 の受賞となりました。 三井広報委員会は、これまで『クロースアップ・オブ・ジャパン』 や『三井シンポジア・トゥモロウ』などの文化事業をスタートさせ、 継続させてきました。その努力が実って、海外での現代日本の文 化に対する認識を大いに高めるとともに、国内においても人々 の文化的関心の高まりに大きく貢献。しかし、当初は珍しかった これらの事業スタイルも、年を重ねるうちにさまざまな団体が 頻繁に行うようになり、三井広報委員会 が “ 開 拓者 ”として目指 した役割はすでに終えているのではないかという意見が会員会 社から出されるようになりました。こうした中で、三井広報委員 会では1
年以上をかけて21
世紀につながる文化事業の新しいス タイルを模索し、その答えとして出てきたのがこ れ ま で の 文 化 事業をさらに進化・発展させた新たな文化支援活動『三井コラ ボレーション』でした。各分野で活躍する国内外のアーティスト に交流の場を提供し、コラボレーション(共同制作)を通して新し い日本文化の創造を図るもので、アーティストに自らのテーマに取 り組む場を提供して国内外で一般公開し、さらにそのプロセスや 作品をドキュメント(文化遺産)として残し、さまざまなかたちで 活用していくことを目的としています。1998
年のスタート時に 三井広報委員会の国際文化支援活動が『外務大臣表彰』受賞 『 ふれあいマーケット』など三井グループとしての 社会貢献活動を開始(1999 〜 2008) これまでの文化支援活動をさらに進化・発展させた 『三井コラボレーション』(1998 〜 2004 ) 文化・教育・福祉の支援プログラムとして 『 ふれあいトリオ』を開始( 2003 〜 08 ) 18 20 19 21 22 18 17 19 20 21 22 ●「三井コラボレーション」海外第1弾 は1999日中 文化友好年事業の一環として、日本側の主役に和泉 元彌氏を起用した楽曲劇「天人」を北京で開催。 ●社会貢献活動の一環として、障がいのある方々が 働く小規模共同作業 所で作られた商品を販売する 「ふれあいマーケット」の1回目を「三井コラボレー ション」の会場(札幌)で開催。1999
年
[平成11年] 17 三井広報委員会●1月1日、三井グループ8社により、三井広 報委員会の前身である「三広会」が発足。 ●7月31日、テレビ番組「兼高かおる 世界の 旅」の番組スポンサーが三井物産から三 広会へ。 ●4月、三井物産から「三井グラフ」が創刊。 ●4月1日、三広会を発展的に解消し、「三 井広報委員会」が発足。 ●3月27日、同日放送分の「兼高かおる 世 界の旅」がスポンサーとして最後の番組と なり、4月3日からはテレビクイズ番組「世 界をあなたに」をオンエア。 ●4月2日、「世界をあなたに」に替わり「世 界にかける橋」の提供開始。 ●夏休みに「相模湖ピクニックランド」(神 奈川県)と「三井グリーンランド」(福岡県) で、子どもたちに虫かご2万個をプレゼ ント。 ●4月27日、提供テレビ番組「世界にかけ る橋」で鳥飼玖美子さんのワンポイント 英語コーナーを新設。 ●12月、「三井グラフ」通刊42号から三井 広報委員会の発行となる。 ●5月7日、霞が関ビル36階に三井グルー プのPRの場「三井スカイプロムナード」が オープンし、11日より無料公開。 ●9月26日、同日放送の「世界にかける橋」 をもって同スポンサーを終了。 ●10月14日~29日、第5回「クロースアップ・ オブ・ジャパン」をパリで開催。 ●5月7日、第1回「三井シンポジア・トゥモ ロウ」を大分市で開催。 ●9月14日~11月30日、第1回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をサンフランシスコ で開催。 ●2月6日~4月14日、第2回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をロンドンで開催。 ●11月17日 ~86年2月28日、第3回「ク ロースアップ・オブ・ジャパン」をニュー ヨークで開催。 ●5月12日~6月17日、第1 回「三井フェスティ バル東京」を開催。 ●5月18日~7月3日、第6回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をシドニーで開催 。 ●10月、三井広報委員会企画のPR映画 「三井300年の歩み」が完成。 ●11月3日~12月17日、第7回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をバンコクで開催。 ●成城大学、青山学院大学、学習院大学 などの学 園 祭における街の 清 掃 活 動 「CAMPUS SWEEPER学園キャラバン 隊」を応援。大学周辺の商店街などを清 掃するというもので、地 元 の人々から も好評を得る。 ●6月9日、「 三井コラボレ ーション『原 田大三郎CG in シンフォニー “メタボー ル”』」を東 京で開催。 ●7月8~16日に「三井コラボレーション」の 海外第1 弾を北京/上海で開催。 ●7月24日、coba氏プロデュースの「三井コ ラボレーション『ミュージックスペース“テ クノキャバレー”』」を新潟で開催。 ●10月13日、「三井コラボレーション『国府 弘子サウンドスケッチin ジャパン』」を札 幌で開催。同時に第1 回目となる「ふれ あいマーケット」を開催。 ●4月26・27日、5月5日、「三井コラボレー ション」の海外第2弾をライデン/アム ステルダム(オランダ)で開催。 ●7月14日、「三井コラボレーション『国府 弘子サウンドスケッチin ジャパン』」を大 阪で開催。 ●10月20日、coba氏プロデュースの「三井コ ラボレーション『光と音のページェント“天 使は空から降ってくる”』」を福岡で開催。 ●1月25・26日、「三井コラボレーション 『リーディングドラマ “天国の本屋”』」を 東京で上演。 ●2月27・28日、「三 井 コラボレ ーショ ン『ドラマコンサート“ミッシング・ピー ス”』」を東 京で上演 。 ●5月24~26日、「三井コラボレーション」の 海外第3弾をロンドンで開催。 ●9月20~30日、「三井コラボレーション『ジ ミー大西×ジェーン・パッカ ーエキシビ ション“Energy of Nature ”』」をロンドン で開催。 ●11月20日、「三井コラボレーション『国 府弘子サウンドスケッチin ジャパン』」を 長野で開催。 ●3 月28~31 日、「三井コラボレーション 『リーディングドラマ“天国の本屋 ”』」を東 京で上演 。 ●映画「天国の本屋 ~恋火~」(配給:松竹 主演:竹内結子玉山鉄二)の日本語字幕 版制作に協賛。 ●「三井ゴールデン・グラブ賞」が40 周年 を迎え、記念特別番組(BSフジ)と記念 誌を制作。 ●「三井広報委員会」発足40 周年を迎える。 ●7月、200回目となる「ふれあいコンサー ト」を開催。2008年の終了までに約250 公演、参加者6万人以上を数えた。 ●3月、三井ゴールデン・グラブ賞受賞歴 のあるプロ野球OBによる指導者向け 野球教室「三井ゴールデン・グラブ野球 教室」をスタート。 ●三井グループおよびグループ各社の“人” に焦点を当てた社会貢献活動や様々な取 り組みを総称したPR「三井ヒューマン プロジェクト」をスタート。 ●1月、三井グループ社員の相互理 解を 深めるグループ・コミュニケーション誌 「MITSUI Field」を創刊。 ●三井の事業精神や先見性・創造性をグ ループ各社に改めて知っていただくこと を目的に、DVD「三井のこころ」を制作。 ●4 月、文化・教育・福祉の支援プログラ ムとして「ふれあいトリオ」をスタート。 北海道江別市を皮切りに、年間全国10 ヶ所以上の市町村で開催。 ●11 月3~30日、New York 日本ギャラ リーにて開催の「ジミー大西作品展~原 始の眼 ~」(主催:NY日本クラブ・吉本 興業)に協賛。 ●12 月4~27日、「リーディングドラマ『天 国の本屋』」(出演:須賀貴匡・紺野まひ る・ルー大柴)の再々演に特別協賛。 ●4月24日~5月9日、第9回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をクアラルンプール(マ レーシア)で開催。 ●4月27日~6月27日、第11回「クロー スアップ・オブ・ジャパン」をリスボン(ポ ルトガル)で開催 。 ●2月8日~3月2日、第15回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をニューデリー(インド) で開催。 ●1月30日、「三井シンポジア・トゥモロウ 特別企画『 誰でもわかるオペラ入門~三 枝成彰のトークとオペラアリアコンサー ト』」を東京で開催。3月をもって、「三井 シンポジア・トゥモロウ」終了。 ●7月8日、三井広報委員会の国際文化交 流支援活動が評価され、「外務大臣表彰」 を授与される。 ●9月11日~10月3日、最 後となる第16 回「クロースアップ・オブ・ジャパン」をモ スクワで開催。 ●12月16日、「三井コラボレーション」の国 内 第1 弾、「国府 弘子サウンドスケッチ in ジャパン( 国府弘子 +りんけんバン ド)」を那覇で開催。 ●三井広報委員会ホームページ開設。 ●10月30日~12月17日、第13回「クロー スアップ・オブ・ジャパン」をサンパウロ/ リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)で開催。 ●5 月6 日~6 月11 日、第4 回「三井フェス ティバル東京」を開催。 ●9月27日~10月9日、第12回「クロー スアップ・オブ・ジャパン」をアトラン タ(米国)で開催。 ●6月3~15日、最後となる第5回「三井フェ スティバル東京」を開催。 ●6月6~30日、第14回「クロースアップ・ オブ・ジャパン」をジャカルタ(インドネ シア)で開催。 ●4月1~30日、第10回「クロースアップ・ オブ・ジャパン」をベルリンで開催。 ●5月21日~6月7日、第3回「三井フェス ティバル東京」を開催。 ●三井広報委員会発足20周年として、11月 2日に東京・池袋で「山下洋輔ピアノコン サート」および20周年記念レセプション を開催。 ●6月、JR有楽 町駅に三井広報委員会の 電飾看板を掲示。 ●8月31日、1981年から続いた「三井スカ イプロムナード」終了。 ●9月27日 ~10月19日、第8回「クロー スアップ・オブ・ジャパン」をトロント(カ ナダ)で開催。 ●5月10日~6月10日、第2回「三井フェスティ バル東京」を開催。 ●4月20日~7月20日、第4回「クロースアッ プ・オブ・ジャパン」をミネアポリス(米国) で、9月1日~10月26日にはロサンゼルス で開催 。 ●11月26日、三井広報委員会がスポンサー となり、ダイヤモンドグラブ賞から「三井 ゴールデン・グラブ賞」に名称を改め、12 月10日に表彰式を開催。