<妖怪学>のススメ
著者名(日)
島田 茂樹
雑誌名
井上円了センター年報
号
3
ページ
31-57
発行年
1994-07-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002610/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja︿妖怪学﹀のススメ
島田茂樹・§ミ§
第一章 ︿妖怪学﹀へのアフローチ ー ︿妖怪﹀、妙に懐しい響きを感じさせる言葉である。子供の頃、異様な姿に畏怖心をいだきながらも、何故か遭 て ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 遇する度︵残念ながら実際には一度もないが︶、好奇心に胸を踊らせたことが脳裏に浮かぶ。河童、天狗、雪女、 狐の嫁入り⋮⋮と童心に想いを馳せる。この一種の憧憬にも似た不思議な、そして純粋な興奮を、きっと誰もが ロ マ ン かつて経験したに違いない。そればかりか大人になっても、未だ心の片隅にその余情を秘めているものも少なく なかろう。江戸川乱歩の小説にでも登場しそうな遊園地の古惚けたお化け屋敷や、立ち並ぶ縁日の見世物小屋に おどろき 展開する異次元空間に一歩足を踏み入れた瞬間の興奮などは、今尚冷めやらない。﹁幽霊の正体見たり枯尾花﹂と ひとけ 頭では知りつつも、夜、人気の無い所、怪しい雰囲気と三拍子揃えば、やや妖怪気分になるのも人情といえよう。 あたり 但し近頃では、白昼、それも寂しい辺地の沼川や山などではなく、大都会東京の真中の永田町界隈にも妖怪が出 没し︵残念ながらこの場合は実際に︶、人間を化かすばかりか、日本の動静をも左右しているようであるが O 31〈妖怪学〉のススメノスタルジア さて雑談はさておき、小稿の主旨は別段われわれの懐古趣味に浸った妖怪談を語ることにあるのではない。題 名にも提示したように、それは広い意味での妖怪を一つの﹁学﹂として追求しようとする筆者の試み 妖怪学 プロロ グ 研究 の謂わば序章に位置づけさせようとするものであり、﹁ススメ﹂とは他者への歓誘の意味も勿論あるが、 何よりもまず筆者自身に対して投げかけた言葉といえよう。従って、入門書故に、小稿では文体として敢えて論 文形式をとらなかったことを、予め断っておきたい。 バブル経済崩壊前の高度成長︹とその後遺症︺、ハイテクノロジーの企業への浸透、機械化・合理化された生活 様式など、取り巻く環境が物質的進歩の一途をたどる昨今、われわれはえてして自己疎外に陥りやすい状況に置 も の やすらぎ かれているといっても過言ではない。そして恰もその反動の如く、逆に非合理的な対象を通して精神的安穏を求 めようとする傾向が強まっているように思われる。新宗教ブームが社会現象として取り沙汰され、また、神或は カ カ 仏陀の再誕を誇示する普通の人間が世間の脚光を浴びる。同様に、科学万能の世代に生まれ育ち、ファミコンや パソコンに興ずる若者たちが、占いの店に殺到したり︵時代を反映してかコンピューター占いなるものも開発さ れ、盛況しているが︶、奇跡の石ラピスラズリや水晶玉を身に付け幸運を祈ったりなどという、他人の未来を予知 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ パワ する霊能力者や至福を招く貴石が持つ︹と信じられている︺神秘的な霊力よりも、もっと摩詞不思議な話題を巷 でよく見かけるようになったのもその一例といえるであろう。 一方、雑誌やテレビが妖怪の特集を組んだり、或は妖怪に関する単行本が出版︵殊に、文庫・新書版としては 硬派の誉れ高い岩波新書からも水木しげる著﹃妖怪画談﹄、﹃続妖怪画談﹄なるものが刊行された程︶、復刻された りするなど、非合理的存在の筆頭ともいうべき妖怪に人々の関心が集まるのも、それら社会的背景とも決して無 関係とはいえない。また、二十一世紀を目前にしているのにもかかわらず、なお仏滅を避け大安に吉事が集中し、 32
逆に友引に葬式が敬遠されたり、厄年に不安を感じ高額な祈薦料を払い厄払いをしたり、鬼門に苛まれ新築・移 転を躊躇したり、さらにはキリスト教徒でもないのに十三日の金曜日に拘りをもったり⋮⋮⋮と、紙数に限りが ない程の、正に、井上円了︵後述する︶が力説した迷信︵迷心︶という名の﹁妖怪﹂が依然として日常を支配し 続けている。 このような状況に鑑み、今こそ︿妖怪学﹀について問う意義は十分なのである。
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︿妖怪Vと云えば、古来より民話・説話文学等の物語の中に登場し、時には恐ろしい姿で震え上がらせ、また 時には滑稽な姿で笑わせ、また時には妖艶な姿で魅了し続けてきた。例えば、中世では日本最古の仏教説話集﹃日 本霊異記﹄を始め、﹃今昔物語﹄、﹃宇治拾遺物語﹄、﹃古今著聞集﹄、﹃御伽草子﹄、近世では﹃伽碑子﹄、﹃雨月物 語﹄、﹃南総里見八犬伝﹄、江戸時代﹃仮名草子﹄が代表作として掲げられる。 これに対し、活字上の妖怪を、活字から受ける想像を遥かに超えた大胆なタッチで色鮮かに再現させた絵巻物 や浮世絵も数多く現存しており、視覚を通してより具体的な容姿でわれわれを圧倒する。﹃大江山絵巻﹄︵鎌倉時 代︶、﹃土蜘蛛草紙﹄︵南北朝時代︶、﹃玉藻前草紙﹄︵室町時代︶、﹃付喪神絵巻﹄︵室町時代︶、圧巻﹃百鬼夜行絵巻﹄ ︵原本.室町時代︶などは、美術史的観点からも重要な作品といえる。さらに江戸時代に入ると、浮世絵師たち がこぞって魑魅魍魎の世界を展開させる。鳥山石燕︵一七一二∼一七八八︶、歌川国芳︵一七九七∼一八六一︶、 大蘇芳年︵一八三九∼一八九二︶、葛飾北斎︵一七六〇∼ 八四九︶、河鍋暁斎︵一八三一∼一八八九︶は殊に有 名である。 33 c妖怪学’のスxメこれらに書︵描︶かれた妖怪たちは、恰も妖怪が秘めている不死の魔力を具現するかのように、時空を超越し て現在に至っても健在で、見るものを十分に堪能させてくれる。このように妖怪たちの活躍を堪能すること自体 それはそれで良い。だが、それだけでは単なる鑑賞の段階に止まってしまい、未だ︿妖怪学﹀の領域には入り得 ていない。 では、︿妖怪学﹀とは一体如何なるものであろうか。いやそれよりも前に、︿妖怪﹀という言葉そのものを定義 へんげ せねばならないだろう。︿妖怪﹀と似た言葉に﹁幽霊﹂、﹁お化け﹂、﹁怪物﹂、﹁変化﹂などがある。﹁幽霊﹂は必ず ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ うらみ 死を媒介とし、怨念や未練のために未だ成仏できずにいる霊魂が、この世に生前の姿を借りてさまよっているも ので、特に夜現われる。必ずしもその出現に際して、死を前提としなかったり、夜に限定されない︿妖怪﹀とで は少し概念が異なる。リバイバルで人気の怪獣映画のヒーロー﹁ゴジラ﹂を︿妖怪﹀と呼ぶかといえば決してそ のようなこともない。しかし一般に、これらの間には明確な学術的区別がなされていないのが現実かもしれない。 中国語にも﹁妖怪﹂︵葛o噌巴という単語はあるが、︿妖怪Vという言葉を日本に定着させたのは井上円了であ る、という見解もある。 さて︿妖怪﹀出生の背後︵起原︶には、古今東西を通して、自然現象の猛威に対する、或はアニミズム、トー テミズム的要素を有する聖なる石や樹木や動物に宿る精霊に対する畏敬の念や、死や病気に対する不安と恐怖の 念が認められ、それが擬人化とでもいうべき具体的な形相をとったものと考えられる。また、人々の無知蒙昧に 根差した︿迷信﹀がこれらを生じせしめることもあろう。井上円了は﹁普通の知識にて知るべからず、尋常の道 理にて究むべからざるもの﹂としたが、とにかく<妖怪﹀という単語を共通性をもって定義づけすることは難しい。 へ 従って、これを一つの学問の対象として研究していこうとするのが︿妖怪学﹀ということになるとともに、当 34
然︿妖怪﹀自体の解釈によって︿妖怪学﹀の内容も異なる。︿迷信﹀を︿妖怪﹀と見倣す井上円了は、通常の︿妖 怪学﹀を﹁皆妖怪の現象にして妖怪其者の解釈にあらず﹂と批判を下しながら、﹁妖怪の原理を論及して其現象を 説明する学なり﹂、﹁妖怪其者の何たるを究めて之に説明を與ふるは即ち妖怪学の目的とする所なり﹂、﹁余の所謂 妖怪学は實に此門を開く管鎗にして又此路を照らす燈憂なり﹂としている。 このように、研究の方法や内容によって若干の相違も認められ、一概に規定することは難しいが、総括的にみ て、その草分け・先駆者として、まず柳田国男︵一八七五∼一九六二︶を挙げねばならないだろう。 柳田は、もともとは国家公務員で貴族院書記官長まで勤めるが、在任中に視察や講演のため地方を巡行した際 に見聞した民話や伝承に興味を引かれ、後年は公職を辞して民俗学の研究に専念した。昭和二十二年自宅に民俗 学研究所を、そして二年後日本民俗学会を創立させた。従って研究とその成果も広範囲に及び、︿妖怪﹀に関する フィ ルドワロク ものも数多い。その中で、著書﹃妖怪談義﹄や﹃遠野物語﹄に看取されるように、柳田は実地調査を中心とした 民俗学的立場から︿妖怪﹀にアプローチを試みた。そこに集約された︿妖怪﹀の記述は多種多様を極め、貴重な ざしきわらし かっぱ てんぐ 資料を提供してくれ、後代に与えた影響も大きい。座敷童子、河童、天狗、一つ目小僧がベールを脱ぎ捨て、実 体が浮き彫りにされる。﹃妖怪談義﹄・﹁妖怪名彙﹂には、郷土史、民俗関係の文献を整理し、日本全国から八十種 もの︿妖怪﹀が名まえを列ね、その簡単にして要を得た解説は、正に︿妖怪﹀事典の名に相応しい様相を具えて いるといってもよい。 ただ、著者自身も﹁⋮⋮⋮要するにこれは資料であり、説明というものからは遠いのだが、出所を掲げておけ ば後の人の参考にはなるだろう。どうかこれに近い話があったら追加してもらいたい⋮⋮⋮﹂︵傍点筆者︶と言及 しているように、各地の伝承、風俗、習慣に現われる事実︵?︶を事実のまま列挙したもので、真偽の実証がな 35 〈妖怪学〉のススメ
されていない点と、︿妖怪﹀の形相の明確な記述が無い点とがやや寂しいところではある。また︿妖怪﹀を﹁信仰 が失われて零落した神々のすがたである﹂と定義するなど、一概に賛成しかねるところもあるが、しかし、民俗 学的分野からなされた︿妖怪学﹀研究としての価値が、第一級のものであることには何ら変わることはない。 柳田のく妖怪Vに対する態度の根底には、﹁私が生来オバケの話をするのが好きで、又至って謙虚なる態度を以 て、この方面の知識を求め績けて居た。それが近頃はふつとその試みを断念してしまったわけは、一言で言ふな らば相手が悪くなったからである。先づ最も通例の受返事は、一雁にやりと笑ってから、全髄オバケというもの は有るもので御座りませうかと來る。⋮⋮⋮︵中略︶⋮⋮⋮まだしも腹の底から不思議の無いことを信じてやっ きとなって論辮した妖怪學時代がなつかしい位なものである⋮⋮﹂︵傍点筆者︶と述べているように、︿妖怪﹀ヘ ノスタルジア の一つの郷愁があったように想われる。それ故︿妖怪﹀それ自体の実在も否定することなく︵そうかといって別 ヘ ヘ ヘ へ 段肯定している訳でもない︶、文献資料からの引用、或は実際に見聞した事実をそのまままとめあげた。それが柳 田の︿妖怪学﹀の立場である。 同じ時代に、同じ民俗学的領域に於いて︿妖怪﹀を解明しようとした人物に南方熊楠︵一八六七∼一九四一︶ がいる。近年、著作集や解説書が相次いで出版され、一般に名前だけは知られるようになってきた。だが、柳田 が﹁スサノオのミコト﹂と評したり、﹁⋮⋮⋮南方熊楠先生ばかりは、どこの隅を尋ねて見ても、これだけが世間 なみというものが、ちょっと捜し出せそうにもない⋮⋮⋮。﹂︵傍点筆者︶と感じたように個性が強く、さらに民 俗学の他にも植物学、粘菌学⋮⋮等に造詣が深く、一種の﹁博物学﹂の様相を示しているため、全体像を把握す るのにはまだまだ厄介な人物である。 では、南方の︿妖怪学﹀の立場はいかなるものであったのだろうか。残念ながら南方には、柳田や後述の井上 36
タイトル 円了のように︿妖怪﹀という固有の名称︵題名︶のもとにまとめられた単独の著作が無く、比較の対象としては も の 些か不満が残る。ただ膨大な民俗学研究の論稿の中に断片的ではあるが︿妖怪﹀に関する記述がいくつか存する ので︵﹃幽霊に足なしということ﹄等︶、今はそれを足掛かりとして考察してみたい。 一読してまず感じることは、引用・参考文献資料が洋の東西を問わず広範囲に渡るとともに、語学にも堪能で、 その博識には柳田ならずとも驚嘆する。因に、使用した文献を新たに調べ、追研究するだけでも並大抵のことで ダ キ ニ はない。例えば、妖狐・稲荷と深い関連性を有するインドの妖怪﹁茶吉尼天﹂の記述では、﹃慈恩伝﹄、﹃仏説楡伽 ヘ へ 大教王経﹄、﹃正法念処経﹄、﹃金剛薩唾説頻那夜迦天成就儀軌経﹄、﹃妙法蓮華経﹄等の漢訳仏教文献、バルフォー ル﹃印度事彙﹄、ブレザー﹃ゴルズン・バウ﹄、㌃oオωoロ国コ臣○<oコ﹃○⊆冨﹁陪ブo完−一〇﹁①ZO9ω﹄等の西洋の近代 学術研究書を使い、興味深い論述を進めている。また﹃千里眼﹄では、資料の提示、実例紹介に加え、自分の体 験や実験を通して科学的見地から批判的に分析を試みている。 このような南方の民俗学に対する態度は、七年間の英国留学経験を持ち、そこで十九世紀末のヨーロッパ流学 問に触れ、自然科学をも研究領域に持つという背景に拠るものと考えられ、自ずと柳田とは本質を異にすること になる。中沢新一氏によれば、二人が日本民俗学を創設せんとしていた時代、ヨーロッパの民俗学には二つの傾 向があった。一つはドイツを主流とする﹁ロマン・王義的傾向を有する民俗学﹂、もう一つは英国やフランスを主流 とする﹁科学・王義的傾向を有する民俗学﹂とであり、詳説は避けるが、前者が柳田、後者が南方と、そしてその 方法論に最も近い井上円了のく妖怪Vへのそれぞれのアプローチの仕方なのである。 さて、柳田や南方と同時代に活躍しながらも、二人とは異なった独特な︿妖怪学﹀を確立、展開させたのが井 上円了二八五八∼一九一九︶である。すべての分野に精通していた偉大な奇人南方でさえ﹁ただし前年、井上 37〈妖怪学〉のススメ
円了先生、妖怪学を立てたりと聞き、大英博物館にて、予先生の講義の序文を演べ、何と欧州にはまだ化け物の 学問はなかろうがと威張りしに⋮⋮⋮﹂、﹁井上円了氏の﹃妖怪学講義﹄など見ば手がかり有えべくと存じ候えど も、その書手許になく困りおり候。﹂と、ことく妖怪学Vに関しては一目おいていたように、その存在は︿妖怪学﹀ インパクト 史上に強烈な影響を及した。 井上は新潟県越路町の浄土真宗の寺に生まれ、旧長岡洋学校︵新潟学校第一分校︶を経て、東本願寺の留学生 として東京大学文学部哲学科に入学する。在学中よりく妖怪学V研究に着手し、明治十九年には﹁不思議研究会﹂ を同志と共に創設した。この中には後の坪内遣遥︵雄蔵︶の名前も見られる。これを契機として、まず手始めに、 当時日本で流行していた﹁コックリさん﹂に着目し、その実態解明に乗り出し、科学的方法論をもって論究を推 し進めていった。こうして井上は、これ以後本格的に︿妖怪学﹀研究に着手することになる。 ニックネ ム 世間から﹁お化け博士﹂とか﹁妖怪博士﹂とかと大層な愛称で呼ばれることからも察せられるように、とにか く<妖怪﹀について論じた著作・論文が多く、しかも︿妖怪﹀という題名が付いたものだけでも相当な数にのぼ り、単にそれらを読破するだけでも並大抵のことではない。量、内容とも百科事典的︵oコ∩署一80合o︶要素を持 ち、それ故一つ一つの項目についての解説が概説的でもう一歩踏み込みが浅いという欠点︵例えば、﹁仏教の鬼神﹂ の解説では、原典に当たることなく、主に﹃翻訳名義大集﹄を参考にしている︶もない訳ではないが、当時に於 いては比類なきものであったろうし、九十年も経った今尚専門家の間でもその評価には絶大なものがある。 も の 代表的な著作としては、﹃妖怪学﹄︵一九三一年。﹃妖怪学講義﹄全六冊の合本︶、﹃妖怪玄談﹄︵一八八七年。妖 怪学の出発点となるもの︶、﹃迷信解﹄︵一九〇四年︶、﹃迷信と宗教﹄︵一九一六年︶、﹃おばけの正体﹄︵一九一四年︶ ⋮⋮⋮⋮︹等、紙数に限りがない︺が挙げられる。これら全著作の書名、年代等については、﹃井上円了関係文献 38
年表﹄︵東洋大学井上円了研究会第三部会発行・一九八七年︶に網羅されており、また、井上が︿妖怪学﹀に携わ いきさつ るようになった経緯、並びに主張するところの概要は、平野威馬雄編著﹃井上円了妖怪学講義﹄︵リブロポート. 一九八三年︶、板倉聖宣解説﹃妖怪博士・円了と妖怪学の展開﹄︵﹃新編妖怪叢書﹄付録。国書刊行会二九八三年︶ に詳しい。従って、小稿で改めてこれらについて触れる必要はないのであるが、ただ井上が確立した︿妖怪学﹀ の独自性だけは、前の柳田や南方との比較の意味からも、一応記さねばならないであろう。 ば け も 井上は、前の二人、そしてわれわれの通念的な︿妖怪﹀の範囲、即ち、天狗や河童や一つ目小僧などの妖怪変 の ヘ ヘ ヘ ヘ へ 化の他に︹というよりも、﹃妖怪学講義﹄の中で﹁幽霊狐葱天狗等は之れに附属せる問題に過ぎす﹂︵傍点筆者︶ と述ているように、﹁之れ﹂こそ主たる対象と見倣そうとした︺、真なる信仰︵宗教︶の妨げとなる巷に氾濫する 諸々の︿迷信﹀の類を︿妖怪﹀と定義したところにまず特色がある。﹃妖怪学﹄︵﹃妖怪学講義﹄︶の冒頭﹁余や不 肖自ら端らず、一鮎の心燈を挑げ、以て天地の活書を讃まんと欲するに當り、常に一大妖雲の溺然として人界の 上に横はるものあるを見る、眞理之が爲めに其光を隠し、道徳之が爲めに其影を潜め、教育宗教馨道政法亦た皆 之が爲めに遮蔽せられ、荘々昧々天地否塞す、而して是れ即ち妖怪の迷雲なり。﹂︵傍点筆者︶と定め、﹁妖怪學は 宗教に入るの門路にして、教育を進むるの前駆なりと、⋮⋮⋮︵中略︶⋮⋮⋮知識の光は日の如く道徳の光は月 の如し、﹂と、自らの決意を述べているように、啓蒙主義的立場に立脚して、︿迷信﹀︵迷心︶に姿を変えた︿妖怪﹀ に対してアプローチを挑んでいく。ただ、井上以前にそのような傾向が全く無かったかといえばそうではなく、 例えば江戸時代に、西川如見﹃怪異弁断﹄︵一七一四年。従来の怪異とされてきたものを科学的に分析︶、北誉﹃古 今弁惑実物語﹄︵一七五二年。怪奇談の謎を解明︶、平田篤胤﹃古今妖魅考﹄︵一八二八年。神道の啓蒙書というべ きもので、民間伝承の妖異を打破︶などが存する。 39〈妖怪学〉のススメ
さて、井上はそれらを一種の分類学に基づいて整然とした同類に振り分け、しかもそれらの再統一を図らんと した。この﹁分類←統一﹂なる試みは︿妖怪学﹀のみに限らず、西洋近代哲学の合理思想の流入による日本近代 思想の幕開け、という時代を背景に、仏教︹学︺の再構築のために著わされた一連の啓蒙書︵﹃仏教活論﹄等︶に も看取される。 ﹃妖怪学講義﹄では、︿妖怪﹀をまず八種の部門 第一・総論、第二・理学部門、第三・医学部門、第四・純 正哲学部門、第五・心理学部門、第六・宗教学部門、第七・教育学部門、第八・雑部門 に分類し、解説を施 している。われわれの一般観念からする︿妖怪﹀は﹁理学部門﹂、﹁心理学部門﹂、﹁宗教学部門﹂、﹁雑部門﹂に入 る。井上にとって︿妖怪﹀とは、﹁異常にして不思議なるもの﹂全てを指すことになる。 それにしても多種多様な︿妖怪﹀の定義であり、確かに﹁異常にして不思議なるもの﹂は全て掲げられている。 井上はこれをさらに、物怪︵物理的妖怪︶、心怪︵心理的妖怪︶、理怪の三種に分け、前二者を仮怪とし、理怪の みを真の妖怪となしたり、或は、偽怪︵人の偽造したるもの︶、誤怪︵偶然に誤りて妖怪にあらざるものを妖怪と 認めたるもの︶、仮怪︵天地自然の道理によりて起りたるもの︶、真怪︵天地自然の道理をもって説明し得べから ざるものにして、真の不思議と称すべきもの︶の四種に分け、前二者を合わせて虚怪︵その実妖怪にあらざるも の︶と称し、第三の仮怪には物怪︵物理学の道理に照らして説明し得るもの︶と心怪︵心理学の道理に照らして 説明し得るもの︶を当て︵先述の三種分類の仮怪と同じ︶、最後の真怪こそが超理的妖怪にして、真の不可思議な フィ ルドワ ク るもの、と定義を想定している。そして、それらを実地調査と実験、さらに明治時代の近代化を背景に西洋合理 、王義、思想を駆使して、︿妖怪﹀の打破、即ち、︿妖怪﹀退治に力を注いだのである。前の柳田とは、根本的に逆 の立場といえるかもしれない。これが井上円了の︿妖怪﹀へのアプローチの方法であった。 40
カテゴリ われわれの通俗の範疇を超えた広義の井上円了の︿妖怪学﹀について全てを論じるのは小稿では無理なので、 他の二人の事例も含め別稿を期することにし、概略のみに留めておいた。 第二章妖怪博物館 インド編
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︿妖怪﹀︵ここでは、井上円了にとっては副次的な狭義の、つまり幽霊、化けものなどを含んだ通俗的なものに 限定する︶は、古今洋の東西を問わず、その数を挙げれば限りがない。ギリシャ神話に登場するメドゥーサ︵蛇 髪人身︶、ミノタウロス︵牛頭人身︶、ケンタウロス︵人頭馬身︶、エジプト神話のアヌビス︵山犬頭人身︶、セベ マ メイド バンパイヤ ク︵鰐頭人身︶、ヨーロッパの人魚、吸血鬼、中世に活躍する魔女、中国では﹃西遊記﹄や﹃山海経﹄に描かれた 多くの妖怪たち︵井上円了は﹁我国の妖怪は多く支那より入り来り⋮⋮⋮⋮今日に伝わる妖怪種類中七分は支那 伝来⋮⋮﹂と述べている︶、少々変わったところでは、ゲーテの﹃ファウスト﹄で主人公ファウストを︿真理の命 題﹀ともいうべき謎めいた言葉 コ切の生じ来るものは滅びるだけの値打のものなんです。それならいっそ 生じて来ない方がよいわけです﹂、﹁実は高尚な秘密は打ち明けたくないんですが。寂しい所に女神たちが神々し く座についている。その周りには場所もなければ、まして時間もない。この女神については、語るさえ難儀なん だ。それは母たちなのです﹂︵相良守峯訳︶ で翻弄させる知性を秘めた悪魔メフィストフェレス⋮⋮⋮と、ざ っと世界を見渡しただけでもこれだけ魅力溢れたものたちが勢揃いする。 マンダ ラ これは、筆者の専門分野であるインド・チベットに於いても例外ではなく、殊にチベット密教の曼茶羅上に出 現する諸神を見ると、正に日本の﹁百鬼夜行絵巻﹂にも優るとも劣らぬ大パンテオンを構成している。ではこれ 41 ・妖怪学’のススメイマヨンネハション から、文献と美術遺品という一枚の地図と、われわれの想像力というコンパスとを頼りに、優しく微笑みかける 仏・菩薩、鋭い眼差しで威嚇する多面多腎の鬼神、恰もわれわれを誘うかの如きエロチックなポーズをとる女神 たちなどが待ち受ける遥かなる一千年前のインドへ︿妖怪﹀散策の旅に出てみよう。 42
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タイムマシロン まずわれわれが文献操作によって辿り着いたのは、まわりの様子から察するに、恐らく八、九世紀頃のインド しりん の 林︵ω∋①ω①O①︶に違いない。﹁ 林﹂というのは、一言でいえば﹁墓場﹂︵oΦヨo甘q︶のことであるが、現代の 日本や欧米諸国に見在する整然とした形態から受けるイメージとは些か異なり、日本語として単純に﹁墓場、墓 地﹂とは訳し難い意味を持つ。即ち、古代インドに於ける 林は、森や林藪奥深く分け入った荒地にある屍体遺 棄、或は火葬のために設けられた特定の場所を指し、世間からは積れ、恐怖という烙印を押され、隔絶された、 忌避的場所である。余り声を荒だてると気づかれてしまうので、下手な解説はこの位にして、息を潜めてそこに 繰り広げられる情景を暫時垣間見てみることにしよう。 シ ャ ヴ ァ ラ 屍体が屍体運搬人︵ω餌く①﹁①︶に担がれ、運ばれてくる。殆どのものがそのまま地面に放置されるか、若し くは屍体処理人によって茶毘に付されるが、罪人の場合は樹の枝に掛けられたり、串刺しにされたりもした。そ むこう ういえば、前方の樹に逆に吊るされた屍体が見える。そして、屍体を運んできた者たちが立ち去るや否や、それ ね じ ろ を待ち兼ねていたように、そこを隠れ家とする盗賊や悪しきものたちが現われ、亡骸から衣服や装飾品を剥ぎ取 ジャッカル っていく。一方、森に住む飢えた虎や山犬などの獣たちが先を争って死肉に喰い付き、また空からは鳥たちが一 斉に舞い降りてきて眼や鼻を啄み、屍体はいとも無残な姿へと変貌する。これが夜ともなれば、異様さと恐怖は絶頂に達す。昼間焼かれた屍体の残り火が、異臭を漂わせながら、暗闇の中で不気味な輝きをみせ、喰いちぎら チティパ ティ れて散乱する腕や足の残骸や白骨をより青白く照らし出す。 林の主と化した骸骨は、恐ろしさの中にも一見滑 ダンス プータ ヴェーターラ ︵<o鼠一①︶たちの歓喜の叫稽とも思える奇妙な踊りを披露する。さらに、部多鬼︵亘冨S︶や屍体に週いた屍鬼 こだま び声が静寂の中に反響し、向うの方では、怪しげな修行者たちの集団が地面に幾何学模様に似た図絵を描いて、 何やら秘密の儀式を⋮⋮⋮ 前口上が長くなってしまったが、少しは当時の怪しい雰囲気を味わっていただけたに違いない。後述するが、 プ タ ヴェ タ ラ ここに登場した部多鬼︵鬼神の一種︶や屍鬼︵屍体に逓く鬼神︶などは、インドの妖怪の筆頭格といってもよい だろう。 ヴィクリティ さて、古代インド語︵サンスクリット語︶で﹁妖怪﹂に相当する言葉を捜してみると、﹁忌茸巳﹂が一番相応し いように思われる。﹁≦−⊃引﹂からの派生語で、﹁変化︹したもの︺﹂、﹁変形︹したもの︺﹂、﹁異﹂、﹁変異﹂などの 意味を有し、日本語の﹁妖怪変化﹂にも意味上最も近いようで、モニエル︵ロ肖Oコ一〇﹃ <﹃==①巳口ω︶は﹁曾①馨o日﹂ とも訳している。これら妖怪たちは、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教の聖典.経典、或はインド文学の中にと 広範囲に語り継がれてきた。インドという土壌は、正に︿妖怪﹀たちの宝庫といっても過言ではない。 前鵬屠雇.の例一つ取ってみても、文化面では、十一世紀にソーマデーヴァ︵oりo日注而く①︶によって書かれた長 ヴェ タ ラ もの 編物語﹃内9冨c・①日゜・抽σq①墨﹄全十八巻中第十二巻に、この屍鬼を題材とした作品として有名な﹃<o吟巴e昌8<且弘①江, 冨﹄︵﹃屍鬼二十五話﹄︶が挿入されている。これは、勇者トゥリヴィクラマセーナ王︵↓ユく完日∋①ωo墨︶が悪徳 乞食僧︵亘巨訂已︶クシャーンティシーラ︵冨葺芭芭に欺かれ、黒月︵耳習e①村溜︶の第十四日目︵月が全く欠 へ けた暗夜。これこそ日と時間の差こそあれ、日本の﹁丑三つ時﹂・﹁丑の刻﹂に匹敵する妖怪出現には最適の日︶ 43〈妖怪学〉のススメ
に大 林︵[口①古助伽﹁コ①㎝画コ①︶へ、樹に掛けてある屍体︵恐らく罪人であろう︶を取りに行く。だがその屍体には既 ヴェドタ ラ に屍鬼が葱いていて、なかなか一筋なわでは行かず、担いでいる王に物語を聞かせてはそれに関する難問を課 し、王が答えると直ぐ樹に戻ってしまう、ということを二十四回も繰り返す。そして最後︵二十五回目︶に、賢 ヴェ タ ラ い屍鬼の機転によって、王は見事悪僧を倒し、これら二十五の話が世の中に広まり、そればかりか﹁たといこの 物語の一詩節だけでも、それを心をこめて語ったり聞いたりしたものは、即座に罪障を脱れることであろう。そ して、この物語が語られる場所では、夜叉、屍鬼、クーシュマーンダ、ダーキニー、羅刹などは力を失うことで ヴェ タ ラ あろう﹂︵上村勝彦訳による︶ということが屍鬼によって約束され、さらにシヴァ神が現われ、無敵の剣が授け られる。聖典︵経典︶受持・聴聞・読諦の巧徳を説く一種の宗教書的な結末で締め括られている、というのもい かにもインド的といえば、そういえるかもしれない。 ヴェ タ ラ 一方、仏教側でも屍鬼は重要な位置にある。普通は他の妖怪たちと共に排除の対象として︵例えば、離多勉に プ タダ マラタントララ ジャ は固有の﹃仏説金剛手菩薩降伏一切部多大教王経﹄の経典がある如く︶、連記される程度であるが、後期密教に至 ヴェ タ リ ってはその地位は逆転し、女性形﹁屍鬼女﹂︵<①[助=︶の姿をとり、主尊へールカ神︵ロ隅鼻①︶とセクシャルな ヨーガを演じる曼茶羅上の八女神の一人へと変貌する。 このように、インドの宗教、文化全般から妖異の事例を列挙することは容易といえよう。そこで今は、それら を仏教文献に視点を絞って考察してみることにしたい。 44 3 数ある仏典の中で、大乗経典﹃法華経﹄︵°。①合冨﹁日e曇コ書あO障①︶、初期密教経典﹃孔雀明王経﹄
︵﹀﹁さ∋①冨日剖日ヨ身曽鋤盲︶、同じく﹃仏説守護大千国土経﹄︵ζ①ゴ餌ψ・響毘日買①日①己碧一︶、中期密教経典﹃大 毘盧遮那成仏神変加持経﹄︵通称﹃大日経﹄。呂①富く巴﹁08畠ぴ臣ω§oα古一く完ξ己錨合一゜・9曽碧①■已百ぽ口茸oo酔ぼ旬 ]①︶︹及び同経所説の胎蔵生曼茶羅の最外周たる外金剛部院︺、同じく﹃大方広菩薩蔵文殊師利根本儀軌経﹄︵通称 テ ル マ ﹃文殊師利根本儀軌経﹄。﹀蔓①∋践言⑲ユ∋ロ一畏巴O①︶、或は、チベット仏教︵殊にニンマ派︶に伝わる埋蔵経と呼 パル ド トウエ ドル ばれる聖典の一つで、日本の枕経に相当する通称﹃チベット死者の書﹄︵げ曽己O−書o°・−σq﹁o一︶などは、一つの経典中 に多くの異なった妖怪たちが羅列されており、貴重な資料を包含している。﹃孔雀明王経﹄を例に取って、抜粋で はあるが梵︵サンスクリット語。田久保周誉校訂本︶と漢︵漢訳。不空訳﹁大正蔵経﹂・ZoO°。N︶を対照させて表 にまとめてみた︵︿表1>︶。 この他にも、人間の生命を脅かす数々の病気の擬人︵?︶化とでもいうべき病魔︵妖怪︶も説かれている。 さらに、密教文献、美術を瞥見すると、もとは五百人の子供がいるにもかかわらず、他人の幼児を取って食べ る鬼女であったが、釈尊の神通力によって諭され、仏教に帰依してからは安産と子供の守護を司るようになった きしもじん ハ リティ ウマ 鬼子母神︵属曽一寓。詞利帝母とも音写︶、元来はシヴァ神とその妃鳥摩の子で、現在インドでは特に商業と学問の かんぎてん ガネ シャ ガナパ ティ 神として信仰が厚く、また日本でも聖天様として名高い象頭人身の歓喜天︵Ω讐瓜POきe巴一。識那鉢底とも音 びなやか ヴィナドヤカ じんじゃだいしょう 写。毘那夜迦・<日剖呉①はその異名︶、﹃西遊記﹄に登場する沙悟浄のモデルとなった砂漠の守護神深沙大将、 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 牛頭人身多面多腎︵日本では人頭人身で牛に乗る︶というまるで劇画の世界から抜け出たような形相を有するが、 ヤ マ アンタカ だい い とくみょうおう 実は死神︵<①日①︶を調伏︵呂G六〇︶するために文殊菩薩がより強大な姿に変身したところの大威徳明王 ヤ マ ン タ カ ︵く①ヨ鋼コ冨冨。閻曼徳迦とも音写。不動とともに五大明王の一尊︶⋮⋮⋮たちが、所︵文献︶狭しとその異様な すがた ち か ら 風貌と不可思議な神通力でわれわれに迫ってくる。 45〈妖t’E”“〉のJ・スメ
サンスクリット語(発音)
漢訳
意 味 bhロta(プータ) 鬼神(部多) 鬼神の一種。精霊。 naga(ナーガ) 龍 龍(人頭蛇身) asura(アスラ) 阿蘇羅 悪魔。神にあらざるもの。 「修羅とも音写。 garuda(ガルダ) 蘂櫓畢 伝説(神話)上の鳥の名で、ヒンhゥー教ではヴィシゥヌ神の乗 ィ。迦模羅とも音写。 kinnara(キンナラ) 緊那羅 半人半獣の妖怪(クベーラ神に dえることもある) mahoraga(マホーラガ) 摩護曜識 大蛇神 yaksa(ヤクシャ) 薬叉 鬼神の一種。クベーラ神の春属。 骰ウとも音写。 rak§asa(ラークシャサ) 曜刹娑 悪鬼。悪魔の一種。羅刹とも音写。 preta(プレータ) 畢嚇多 祖霊。悪霊。餓鬼とも意訳。 pi§aca(ピシャーチャ) 比舎遮 死人の肉を喰う悪鬼。悪魔。 pUtana(プータナ) 布軍那 悪臭をはなっ妖怪。 skanda(スカンダ) 塞建那 シヴァ神の息子。章駄天。 ojahara(オージャーハーラ) なし 精気を食べる妖怪。 rudhirahara(ルディラーハーラ) なし 血を飲む妖怪。 yamadOti(ヤマドゥーティ) 焔摩弩底 ヤマ神(死神)の使者。 〈表1> 46ところで、多少なりとも︿妖怪﹀に詳しい読者なら、﹁まだ肝心なものが出てこないのではないか。どうしたの だろう?﹂と思われたに違いない。もしそう思われた方がおられたのならば、﹁御心配はいりません。実は勿体ぶ って最後まで取って置いたのです﹂とお詫び申し上げなければならない。 も の インド では、その肝心の︿妖怪﹀とは一体何者か。それこそは、印度、中国、日本と三国を股に掛けて、妖しい美貌 しもつけ せつしょうせき と怪しい術によって荒し回り、終には下野国︵現在の栃木県︶の那須野ヶ原で討たれ、怨念の固まり﹁殺生石﹂ たまものまえ だ き にてん だ き のモデルとなったと考えられる茶吉尼天なのである。 茶吉 と化した玉藻前の正体たる金毛九尾の妖狐︹の説話︺ にてん アンダ グランド 尼天は、日本歴史上余り表面に登場することを好まず、秘密裏に行動することを常としていた。にもかかわら ず、重要な場面になると必ずといってよいほどその妖姿を覗かせている。古典﹃平家物語﹄、﹃古今著聞集﹄、﹃大 平記﹄、それに幸田露伴までが著書﹃魔法修行者﹄の中で言及している程である。 とよかわだ き にてん また、豊川稲荷︵正式には、豊川茶吉尼天と呼ぶが、妙厳寺というれっきとした曹洞宗の寺︶や伏見稲荷︵弘 いなりだいみょうじん 法大師の東寺と関係が深かった︶として広く知られている稲荷大明神の御神体でもあり、日本中津々浦々日本三 大稲荷の大社から寒村の道端にひっそりと立つ祠堂に至るまで、本来粗朴な稲荷信仰がこれ程までに行き渡った だきにてん いつな のも、彼女との習合に拠るところが大きかった。天狗や飯綱信仰とも深く関係していたらしい。 こころ では、いよいよ著者が最も興味を引かれる、わが愛しのダーキニー嬢︵茶吉尼天︶に御登場願うことにしよう。
4
だ き にてん ヘ へ 茶吉尼天は、サンスクリット語の男性名詞﹁島書﹂の女性形﹁島口o巳の音写︹に仏教に於ける諸尊分類−仏. 菩薩・明王・天等 を表現する﹁天﹂を付加したもの︺で、撃吉禰、茶枳尼、陀祇尼、茶書尼、茶加女とも書 47 (妖怪学)のススメ写され、インド後期密教︵狭義のCo昆匹三゜・[↓①耳﹁︷ω∋︶では欠くべからざる存在で、︿人間の血肉を喰う恐ろしき シッディ 鬼女﹀にして、しかも︿成就への美しきパートナー﹀という両義性を具有している。チベット語訳では、西洋の カ ド ド マ 魔女の特権が箒に乗って空を自在に飛べるのと類似して、通常﹁虚空を飛行する女性﹂︵日ズ訂7ゴσq﹁9日①。空行母 ヘ ヘ ヘ へ にゅうりょうがきょう とも意訳する︶と意訳されるが、ただインド後期大乗仏典﹃入樗伽経﹄︵訂穿助く巴胃oあ口言pd。南條文雄校訂梵 本、漢訳三種、チベット語訳二種が現存する︶と、前にも触れたチベット仏教所伝の﹃チベット死者の書﹄では、
タメンマ
タメンマ ヘへ
﹁魔女﹂︵㊥宮甲ヨoコー∋ぶo﹁言耳知−日o苧∋①︶と意訳されている。 この名前の由来は定かではないが、仏教に導入される以前は、ヒンドゥー教のカーリー女神︵内鋤一﹁。︿図1>参 照︶に下女として仕えていた。その異名でもあるチンナマスタi女神︵ひ庁︷口5㏄ヨ①o力[画︶の横に寄り添う二人の侍 ミニアチュ ル 女の一人として、宗教画︵細密画︶にもよく描かれている。 カーリー女神というのは、シヴァ神妃の恐ろしい一面を象徴する尊名の つで、マハーカーリー︵呂①訂冨一﹁。 偉大なカーリー︶とも言われ、色がとても黒く︵﹁×巴﹁﹂は﹁×巴①・黒色﹂という単語の女性形︶、足下に夫シヴ ァ神を踏みつけ、人頭で作られたネックレスを首に掛け、手には切断刀とそれで切ったばかりの血の滴る生首を 持ち、 林に出没する。 このような恐ろしい女神に仕えていたダーキニーは、後に他のヒンドゥー教の神々や土俗神︵σq品∋巴Φ<①︶と 共に仏教に摂取される。当時、厳格な修行体系に基づいて解脱を得るのみではなく、絶対的な信仰によって神々 の恩寵に与ずかろうとする傾向の強いヒンドゥー教の勃興と隆盛に対して、直接的慈悲行・利他行を重要視する 大乗仏教側が、この事態を静観できない状況に置かれていたことは確かで、その対抗策として、それらを仏教的 に転化させて組み込んでいった。 48<図1>カーリー女神
プリミティブ 初めは、未だヒンドゥー教的性格を十分に残したままの雑然とした内容で、請雨や息災や調伏などの現世利益 を司ったり、または、かつてガンダーラ仏教美術に於いて、ギリシャ神話の英雄ヘーラクレース︵]声⑩﹁①村一61ω︶が ヴァジュ 金剛手︵﹀畳①冨泡︶、執金剛神︵<ど毒穿ぼ①︶と名のり、勇姿はそのままで︵但し、棍棒を仏教の象徴たる金剛 ラ プッダダルマ ロ カ 杵に持ち替えている︶、釈尊の脇に守護尊として描かれる例と同じく、仏、法、国土、そして一切衆生を守護する 役割を担わされたりすることになり、主に天部へと配属されていった。 これが後期になると、外観は外教的要素が依然として強いままであるが、目的が日常的な利益から非日常的な さとり 成仏へと変わり、尊格自体も単なる天部の守護尊から、後にダーキニーたちが仕えることになるへールカ神 ︵コ02書。もとはヒンドゥー教のガネーシャ神の替属︶の場合のように、五仏の一尊、さらにはそれらを統括す る法身へと昇格するものも出てくる。 ダ キ ニ さて話を茶吉尼天に戻し、仏教︵密教︶経典中に記される有名な箇所を見てみたい。 中期密教経典﹃大日経﹄の注釈たる﹃大日経疏﹄︵一行阿闇梨記︶では、もとは八ヶ月以前に人の命終を知りて きも マ ハ カ ラ へ その心を食べてしまう鬼女であったが、大日如来が﹁毘盧遮那降伏三世の法﹂をもって摩詞迦羅︵ζ筈賀巴①。大 黒天︶に変身してこれを教化し、仏教に帰依するかわりに、六ヶ月前に人の死を知る力を与えられ、但し命終を きも へ 待ってその心を食することを許される。その姿は、胎蔵生曼茶羅︵胎蔵界とはいわない︶では、南方に人間の切 カバ ラ 断された手や足、刀、鉢︵恐らく人間の頭蓋骨で作られた髄瞠盃であろう︶をそれぞれ持った三体が描かれてい だ き にてん ヘ へ る。余談だが、茨城県のとある町で、茶吉尼天︵豊川稲荷︶を祭った社の門前に、大黒屋という屋号の豆腐屋︵勿 論奉納する油揚げも売っている︶が店を構えているのを見かけたことがある。 また﹃仏説楡伽大教王典﹄︵﹃幻化網タントラ﹄。忌剖&巴①白①富冨コ茸曽鋼]①︶では、 陀林︵ぬ∋毘曽①。 林︶ 50
へ ル カ に住む鬼神で、両手の人さし指を立て手の甲を合わせるように小指と小指をからませる咽噌寄明王︵チベット語 ドルジェタクトウン 訳では、金剛飲血尊︶の印を結ぶことによって退散させられてしまう。 ダロキ ニ ロ これら茶吉尼天の初期の一つの例を見ただけでもその妖異な雰囲気は感じ得たであろう。では次に、それに拍 車を加えて、彼女がその本性を思う存分に披露してくれるインド後期密教の世界を覗いてみよう。 ダ キ ニ まずは、筆者が所蔵しているネパールで刷られた一枚の茶吉尼天の絵︵︿図2V︶を通して、その容姿を紹介し ダ キニ ヴァジュラ ヴァジュラカルトリ ておこう。彼女は、一面二腎三眼で、右手に金剛杵︵﹀ど轟。通常は金剛曲刀という金剛杵の柄の付いた饗曲し カバ ラ カバドラ カバロラ たナイフ︶、左手に人間の頭蓋骨で作られた鉢たる燭饅盃︵書O巴①︶を持ち、髄饅盃に満たされた生血を飲んでい る。儀式の際には、五甘露︵O①コo①ふヨ誓①︶と隠語︵°・①唱Oξ勘げ庁鋤留①︶で呼ばれる五種類の不浄物︵精液、経 血、大便、小便、疾︶を入れて飲む場合もある。また、左手で、左肩を支えに、カトヴァーンガ杖︵江巴く巴ひq①。 ● シヴァ神の持物︶といって生首や髄瞠を串刺しにしたものを先端に飾りとして付けた棒を担いでいる。豊かな髪 む ね は解けて肩や腰まで垂れ下がり、豊満な乳房を誇示するかのように全裸に近い露な格好で、おまけに左足を一種 アクロバット的に高く上げて、秘処さえも惜し気もなくわれわれの目にさらけ出している。ただ普通は、丁字立 ︵胃穿①−b①昌呂訂。半蜘坐舞勢とも意訳する。丁の字の如く、片足を股の付け根につく位曲げ、もう片足をまっ すぐ展ばして立つ︶、或は展右︵巴己9。弓を引く時の姿勢の一種で、右足を後方に展ばして引き、左足は前方に 一歩出して屈める︶か展左︵買①[剛−助一己古①。展右の逆︶で立つ。頭には金剛界五仏を象徴する五つの髄瞠からなる ネックレス 宝冠を被り、胸には五十個の髄髄︵文献には生首や干し首と書かれる例の方が多い︶を繋いだ首飾りを掛けてい アクセサリ イヤリング ネックレスプレスレット ガトドル アンクル る。その他に、五印︵廿呂8日已臼品︶と名づけられる五種類の装飾品︵耳飾り、理路、腕輪、腰帯、足釧︶を身 に着けており、材質は人骨であることが多い。そして、全体像としては、恐ろしいながらも、十六歳の少女をイ 51〈妖怪学)のススメ
︵
〈図2>ダーキニー女神
メージさせる女性としての究極の美も同時に兼ね備えている。 さて、髄髄、血、生首、人骨、五甘露と言葉が続き、そのおどろおどうしさに、いくら妖怪好きな読者といえ ダ キニ ダロキニド ども些か茶吉尼天ショック︵ωプOoパ。衝撃と憤慨︶を感じていることだろう。況してや、初めて茶吉尼天に遭遇し ダ キ ニ ト た方の心境を察するに余りある。だが、これが正真正銘インド密教に於ける茶吉尼天の原像なのである。しかも これから話を進めようとしているインド後期密教という舞台では、そのおどろおどうしさに一層磨きがかかる。 ダ キ ニ これまで見てきた茶吉尼天は、インドに於ける架空的な鬼女︵妖怪︶の固有名詞の一つであった。それが、般 若・母タントラ、その中でも、へールカ神︵ロo日ぎ。形相の違いでヘーヴァジュラ、サンヴァラ、ブッタカパー あじゃり ラとも名のる︶を崇拝する集団では、実際の儀礼に参加し、へールカ神の役目を果たす阿閣梨︵抽6餌﹁養。師のこ ヘ ヘ ヘ ヘ ヨ ギニ ヘ へ と︶或は選ばれた男性のパートナーを務めるべき生身の女性たちをダーキニーたち、若しくは楡伽女たち︵<oぴq日﹁︶ ヘ ヘ へ と見倣した。それは常に八人︵真中の一人を入れば九人︶を基本とする複数形をとっている。 彼らは、インドの国全体に点在するジャーランダラ︵]鋼一①Oユゴ①﹁㏄︶、オーディヤーナ︵○合葛墨︶、プールナギ リ︵勺口﹁o①σq三︶、カーマルーパ︵×餌∋碧口窟。﹀﹁9合の場合もある︶の四大聖地をはじめとする三十二、或はニ ピ タ サイン 十四処ある巡礼地︵宮菩①︶をめぐり、彼らだけに通じる秘密の手印︵合o日鋤︶を交し合い、同じ集団に属するも ダ キニ さそい しるし のであることを確認する。例えば、﹁もし女性が一本指を示すならば、ごきげんいかがですか、という招待の印で ダ カ いいですよ しるし ある。それに対し、男性は二本指を示すことによって良好、という応答の印となる⋮⋮﹂など、十数種のサイン が繰り返される。そして、月明りの全く無い暗黒の夜︵西洋では逆に満月の夜に妖怪は活躍するが︶に、連れ立 シツづアィ オじジ って 林に集い、成就のための儀式︵o﹃σqぺ︶を催す。その内容たるや、一見西洋の魔女たちの饗宴サバト︵°・①ぴσ陪ゴ︶ や、エウリピデスの﹃バッコスの信女﹄にも描写されている古代ギリシャのディオニューソス祭礼などを彷彿さ 53 〈妖怪学〉のススメ
せる。 シュマシャロナコストトラ まずは地面に、隠語で﹁ 林の糸﹂と称される﹁人間の腸﹂の紐を用いて墨打ちが行なわれ、 林に関連の あるものから作られた五色の顔料︵黒は 林の灰、白は人骨、黄は雄黄、赤は 林のレンガ、緑はチャウルヤの マンダ ラ 葉と人骨︶で曼茶羅︵∋①口江巴①︶が描かれる。 ヘ ヘ ヘ へ そこに於いて、女神たるダーキニーたちを演じる人間たちは、チャンダーラ︵8昌α則邑、ラジャカ︵﹁①冒口︶、 ドーンバ︵ユO∋亘﹁︶などの種族に属する、いわゆるインド社会の底辺層を構成するアウトカーストの十二歳か十六 歳の女性たちで占められる。 彼女たちは、﹃摩登伽経﹄︵ヨ曽9αq①。マータンガとはアウトカーストの一種姓名︶や、薬師如来︵ロゴ巴溜ご①ひqξ已︶ の真言﹁オン コ ロ コ 嵩匤嵩冾Wp合冒§け・茜゜・<餌富﹂︵・還巴・と試・暑が﹁竃せよ、撒せよ﹂の主体者たる アキュサティプ ボカティプ 呼格なのか、それとも目的格なのかで意味が全く異なる︶をみてもわかるように、その種姓故に世間一般から忌 み嫌われる一方、魔術的能力に長けているために儀礼・実践面ではある種の存在感を保持していた。 男性修行者は、自ら主尊へールカ神となって曼茶羅の中央に入り、彼女たちと共に五甘露や五肉︵人肉と四種 ク ラ マ ヘ へ の獣肉︶を飲食しながら、儀軌次第︵ζ①日①︶に則って、彼女たち全てと平等にセクシャルなヨーガ ︵ユく日合■①文oぴq①。二根交会と訳す︶を行じ、宗教的至福たる大楽︵日①ゴ留已江①︶或は最勝楽︵ω①白く①墨︶を体 タントリズム 得するのである。これは密教とはいえ、通仏教的な般若・方便、空・悲、浄・不浄などを悟る不二智に他なら サハジャ ず、タントリストたちはこのような境地を倶生︵。・①冨盲︶と定義した。︿図3>は、へールカ神の異名の一つであ るチャクラサンヴァラ︵︵U①オ﹁飴oD①当口く知﹁①︶の父母仏の絵である。 さて、今まで多少興味本意とも取られる解説をしてきたが、当時のタントリストに成り代わり、読者の曲解を 54
〈図3>チャクラサンヴァラの父母仏
避けるため、最後に一箴言を加えておこう。 サンスクリット 文献の表面上を読めば︵最低限、原語で読めば、を前提とするが︶、確かに、オカルト関係の俗本を見て神秘 主義に傾倒する者にはこの上ない事柄が列記されている。しかし、われわれの文献解釈学の作業をもって、表面 上に現われない内実 タントリストたちの真意と理想 を探究していくと、彼らなりの深遠な思想体系が浮 かび上がってくる。その内容については既に拙稿﹁チベットの倫理思想﹂︵里道徳雄・新保哲編著﹃東洋倫理思想 史﹄.北樹出版︶に於いて触れたので省略するが、ただ決していい加減なものではなかった、ということだけは述 べておきたい。 56 てんぽう 第三章 ︿妖怪学﹀の展望 柳田、南方、井上と、三人三様のアプローチで始まる明治以降の︿妖怪学﹀の歴史は、大正、昭和、平成へと 伝統を受け継ぎながらも新しい展開を見せている。民俗学の領域では、五来重、宮田登、馬場あき子、吉野裕子、 小松和彦などの諸氏、博物学の領域では、荒俣宏の活躍が目覚しい。この他にも、﹃妖怪学入門﹄を著した阿部主 計のように、特筆すべき人物が何人かいるが、紙幅の関係上、小稿では割愛させていただく。 一方、井上の研究方法を引き継ぐ︿迷信﹀打破を掲げた啓蒙主義的︿妖怪学﹀の領域は、﹃信仰と迷信﹄︵昭和 二年︶を著した富士川遊、﹃迷信と妄想﹄︵昭和三年︶を著した森田正馬︵神経症の心理療法として有名な﹁森田 療法﹂の創始者である。これは井上の﹃心理療法﹄からヒントを得たものといわれ、﹁あるがまま﹂ということを い ま 重視する︶など数える程しか実在しないが、小稿の始めにも記したように、現代こそこのような立場にたった︿妖 怪学﹀研究が必要な時代と声を大にして言いたいのである。
なぜならば、若年から老年にいたるまで、精神的不安や悩みを抱えた者たちをターゲットに、いとも霊験あら たかの如く売り込むオカルト商法がはびこっている噂を聞き、また、先日ゼミの女子学生から新聞の切り抜きを 示され、歴とした大学の研究者である宗教学者︵宗教家ではない︶が、﹁へールカ﹂というユニットを結成し、大 阪のディスコで﹁秘密集会﹂なる精神世界を若い世代にアピールする催物を開いた︵因に、﹃秘密集会タントラ﹄ にはヘールカは登場せず、インド・チベット密教史に於いても全く異なった系統を有する︶、という記事を読んだ ことも関係している。ダンスミュージックにのって﹃般若心経﹄や真言が会場に流され、スライドでチベットや 日本の仏画や地獄絵が映し出される中、若者が踊りに熱中する。企画者の一人は﹁ぼくなりに密教の勉強をして きて、人類を救う最後の知恵は東洋思想だと思うようになりました。だから、できることなら、日本だけでなく 世界を回って、こうした﹃秘密集会﹄をやっていきたいですね﹂︵﹃読売新聞﹄平成六年五月十四日より引用。傍点 筆者︶と張り切っているらしい。この方がいかなる密教二学﹂を付けなかったところは偉いが、逆にそれが真の 宗教としての密教であったならば、余計問題だが︶の勉強をなされたのかは知らないが、果してこの﹁秘密集会﹂ なる企画が世界を救い得るのであろうか。そしてまた、これが人類を救う最後の知恵といえるのであろうか︵筆 者はもし人類を救う知恵があるとすれば、それは﹃秘密集会﹄などのタントリズムではなく、大乗仏教の説く菩 薩思想のような気がするのだが︶。 これと大同小異の例は、チベットや密教ブームの再来といわれる今日ではよく見かけるところである。だが、 筆者からするならば、これこそが真の密教、或は密教学を学ぶ者にとっては︿妖怪﹀たり得る存在なのである。 筆者も含め、これから広義の︿妖怪学﹀研究が必要となってくることだろう。 57 〈妖怪学〉の/.’xメ