日本の哲学教育史(下の二)
著者名(日)
柴田 隆行
雑誌名
井上円了センター年報
号
13
ページ
107-129
発行年
2004-07-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002755/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja日本の哲学教育史︵下の二︶
柴田隆行
§ミミミぎ㊦㌻ まえがき 何度も繰り返すことになるが、日本における哲学教育の歴史を調べるならば、哲学科の歴史よりも教養教育な いし一般教育としての哲学教育を調べた方が興味深い結果が得られるであろう。そのことを重々承知しながらな おも哲学科の歴史を調べているのは、当然のことながら、↓般教育科目としての哲学や倫理学を教えている教員 のほとんどが、哲学科や倫理学科ないしはその大学院出身であるからである。まずは教員がどのような体制で哲 学教育を受けてきたかを知ることは、日本の哲学教育の歴史を知る上でそれなりに必要だと思われる。 これまでに取りあげた大学は、言及量の少ない大学も含めて、西から九州大学、広島大学、大阪大学、京都大 学、立命館大学、同志社大学、龍谷大学、大谷大学、佛教大学、高野山大学、東京都立大学、一橋大学、駒沢大 学、大正大学、立正大学、筑波大学、東北大学、北海道大学であり、東京大学、東洋大学、早稲田大学は別稿で 取りあげた︹−︶。インターネットで検索すると、哲学科ないし哲学専攻等を有する大学は、このほかに山口大学、 岡山大学、神戸大学、四国学院大学、大阪市立大学、関西大学、関西学院大学、名古屋大学、愛知大学、南山大 学、桜美林大学、学習院大学、慶応大学、國學院大学、国際基督教大学、国士舘大学、上智大学、聖心女子大 107 日本の哲学教育史(rの二)学、専修大学、中央大学、東京女子大学、日本大学、法政大学、お茶の水女子大学、埼玉大学、金沢大学が見出 される。さらに、熊本大学、高知大学、富山大学、信州大学、静岡大学、創価大学など、人間科学科等へ名称変 更したり基礎人間学科等に含めたりしている大学もある。︵調査漏れについては、他意はなく、ご海容いただき、ご 一報願いたい。︶哲学科や哲学専攻と銘打っていても、内容的に広くとって人文科学や人間科学としてカリキュラ ムを組む大学も増えつつあり、帝国大学以来の講座制や、概論・特講・演習・講読といった形式は消えつつある。 今回は、まだ取りあげていない東京の私立大学をまとめて取りあげたが、資料はすべて大学史とホームページ から得たものである。地方大学調査として、今年度は金沢大学と名古屋大学を訪問した。金沢大学文学部学務 係、名古屋大学文学部教務学生掛および名古屋大学大学史資料室の職員の皆さまには、ご多忙にもかかわらず、 貴重な資料の閲覧を許可し用意して下さり、感謝している。 なお、本稿は、上中下三回を予定していたが、今回とは別にさらにもう一回続け、最終回で教養教育としての 哲学教育を取りあげたい。 108 ﹂ 名古屋大学 前身を]八七一年︵明治四︶の医学校に持つ。一九三九年に創立された名古屋帝国大学は、一九〇八年創立の 旧制第八高等学校ほかを統合して、]九四九年に新制名古屋大学として再出発した。その前年の九月に旧制名古 屋大学で文学部が設置され、哲学科、史学科、文学科の三学科が誕生していた。哲学科は当初西洋哲学史︵哲学 第二︶とインド哲学史︵哲学第四︶の二講座のみであったが、新制大学になると同時に哲学︵哲学第一︶と中国哲 学︵哲学第三︶が加わった。さらに一九五四年に社会学、一九五五年に心理学が加わり、六五年には心理学講座
が第一と第二に分かれ、また、七〇年に美学美術史が、七六年に比較社会学がそれぞれ増設された。一九四八年 の哲学科開設当初計画されていた哲学第五講座の宗教学宗教史と哲学第六講座の倫理学は結局開設されずに終わ った︵﹃名古屋大学五十年史 部局史=一九八九年、参照︶。現在は、学科制を解消し、哲学講座︵哲学研究室・西洋 古典学研究室︶、東洋学講座︵中国哲学研究室・中国文学研究室・インド文化学研究室︶、美術史学・考古学講座︵美学 美術史学研究室・考古学研究室︶、日本史学講座、東洋史学講座、西洋史学講座、言語学講座、日本文学・日本語学 講座、西洋文学・西洋語学講座、社会学講座、心理学講座、地理学講座、比較人文学講座という編成になってい る。 西洋哲学の歴代担当者は、着任順に、真下信一、服部英次郎、竹内良知、藤野渉、古在由重、大鹿一正、有福 孝岳、川村栄助、黒積俊夫であり、現在は哲学研究室に山田弘明︵近世フランス哲学︶、田村均︵英国古典経験論・ 現代科学哲学︶、金山弥平︵古代ギリシア哲学および中世哲学︶、水野美穂︵近世ドイツ哲学︶が、西洋古典学研究室 に小川正廣︵ギリシア・ローマの叙事詩︶、吉武純夫︵ギリシア文学︶が着任している。 名古屋大学哲学研究室と言えば、藤野渉による竹内良知の“学風”に対する徹底的な批判が想起されるが、い まは触れない。小さな研究室のなかで同僚に対しかくも徹底的に学問的批判を加えることができるのかと感動す るが、背後に学問以前の人格的な戦いがあるのかどうかは部外者には測りかねる︵﹃名古屋大学文学部研究論集 哲学二二﹄一九七五年、六七∼一〇九頁、一一一∼一四五頁、同誌二三、一九七六年、九∼六六頁参照︶。 つぎにカリキュラムを見てみよう。一九五〇年度﹃名古屋大学文学部講義題目﹄によると、哲学科の科目は ﹁哲学講義﹂︵真下信一、哲学概説︶、﹁哲学講義﹂︵真下、認識論の方法的基礎研究︶、﹁哲学講読﹂︵真下、=。ぴq⑦[国苧 ∩芽一〇℃注一①︶、﹁哲学講読﹂︵真下、℃一巴。戸勺訂昆。コ︶、﹁哲学講義﹂︵竹内良知、近世思想史概説︶、﹁哲学講読﹂︵竹内、 109 [1本の哲学教育史(下の一)
[。一ひ巳ぶ呂oコ巴。一。巴①︶、﹁西洋哲学史講義﹂︵服部英次郎、西洋哲学史概説、スコラ哲学︶、﹁西洋哲学史演習﹂︵服部、 uu①∩Op↓冨①α<昌oΦ〇二〇餌∋日ひq︶、﹁西洋哲学史講読﹂︵服部、弓古o日①ω>O已日餌㌘O①⇔葺⑦象①ω切雪9°oり。oΦ。ぶO①<目 σ8旦、﹁西洋哲学史講読﹂︵佐々木理、口巴oロ﹀℃巳oぴq品︶である。一〇年後の一九六〇年度は、﹁哲学概論﹂︵真 ド信一、哲学概論︶、﹁哲学特殊﹂︵真下、意識と存在の問題︶、﹁哲学講読﹂︵真下、O完α①⊆㌃合Φ完m。一。°q⋮①の研究︶、 ﹁哲学講読﹂︵真下、=露①一、国9喜言葛ユ一。︶、﹁哲学演習﹂︵真下、匡。σq♀O一Φ<。日き津日△隅○Φ切⇔三∩耳Φ5︾已︷ご、 ﹁哲学演習﹂︵真下・竹内・藤野、哲学の諸問題︶、﹁哲学特殊﹂︵竹内良知、ドイツ古典哲学の研究︶、﹁哲学講読﹂︵竹内、 ス碧戸×苔完ユ隅﹁o日窪く。∋§芭、﹁西洋哲学史概論﹂︵古在由重、近世哲学史︵フォイエルバッハ﹃近世哲学史﹄真 下訳︶︶、﹁西洋哲学史講読﹂︵古在、切8。ロZo<已∋○品①旨∋︶、﹁倫理学概論﹂︵藤野渉、現代倫理学の諸問題︶、﹁倫 理学特殊﹂︵藤野、ドイツ古典哲学と社会倫理思想︶、﹁倫理学講読﹂︵藤野、﹀﹁一ω8⇔色。。・“卑宮・ω︶となっている。こ の間一九五七∼六二年度にかけて出隆﹁哲学概論﹂︵古代哲学概論︶の集中講義が開かれている。 名古屋大学哲学科の特徴はまさに一目瞭然、服部の古代中世哲学を除くと、講義内容のほとんどがいわゆる ﹁ドイツ古典哲学﹂とマルクス関連であり、この後も一九六一∼六三年度﹁倫理学講読﹂︵藤野渉、ζ①﹁〆 ○ズ08ヨ一ω合①菩=o°。oo庁[°・合。忌c。コ已。・古一冥。︶、一九六四年度﹁西洋哲学史演習﹂︵古在由重、ゲルツェン﹁自然研究に ついての書簡﹂︶、一九六五年度﹁倫理学特殊﹂︵藤野、 ﹃資本論﹄における倫理思想︶といった科目内容が続く。竹 内が﹁哲学演習﹂で日本近代思想史やサルトル、スピノザを取りあげ始めたが、全体の傾向が大きく変わったの は、哲学科草創期以来の教員がみな退官したあとの、一九七八年以降である。たとえば、一九八五年度の講義概 要を見ると、﹁哲学概論﹂︵黒積俊夫、哲学概論︶、﹁哲学演習﹂︵黒積、×①コ戸×﹁三ズユ隅﹁。日。コく隅o§芭、﹁哲学演 習﹂︵黒積、空9。﹁でO隅○①σq。5[§匹αΦ叶陣冨目巨゜・︶、﹁西洋古代哲学史概説﹂︵大鹿一正、西洋古代哲学史概説︶、 110
﹁西洋中世哲学史概説﹂︵大鹿、西洋中世哲学史概説︶、﹁西洋哲学史特殊研究﹂︵大鹿、後期スコラ哲学研究︶、﹁西洋 哲学史演習﹂︵大鹿、↓ゴo∋器>〇三コ器“○仁駕゜。亘oコΦ゜・O一ω〇三冨冨oO①﹀①﹁団冨甘︶、﹁西洋近世哲学史概説﹂︵山田弘明、 西洋近世哲学史︶、﹁西洋近世哲学史演習﹂︵山田、Omω鶏口①酌閃。ぴq⊆巴器論考︶、﹁西洋近世哲学史演習﹂︵山田、ライ プニッツ研究、9°・8已切△①忌Φ8菩▽ωδ已。︶となっている。さらに二〇〇〇年度では半期制となって、﹁哲学概論﹂ ︵田村均、自我と社会、前期︶、﹁哲学概論﹂︵田村、知識と行為、後期︶、﹁西洋哲学史概説﹂︵金山弥平、西洋古代哲学 史概説、前期︶、﹁西洋哲学史概説﹂︵金山、西洋中世哲学史概説、後期︶、﹁西洋哲学史概説﹂︵山田、西洋近世哲学史 概説1.H、前期・後期︶、﹁西洋哲学史特殊研究﹂︵金山、形而上学の基本問題、通年︶、﹁西洋哲学史特殊研究﹂︵山 田、デカルト﹃哲学原理﹄の研究1・H、前期・後期︶、﹁西洋哲学史特殊研究﹂︵田村、ジョン・ロックの哲学1・H、 前期・後期︶、﹁西洋哲学史特殊研究﹂︵加藤泰史、カント研究1・11、前期・後期︶、﹁西洋哲学史特殊研究﹂︵渋谷克美、 オッカムの哲学研究、前期︶、﹁哲学演習﹂︵水野美穂、民①三∀×﹁三×巳雲﹁⑫日①コ<。∋§津、前期︶、﹁西洋哲学史演習﹂ ︵金山、℃一巴o戸弓すo巴臼霧、通年︶、﹁西洋哲学史演習﹂︵瀬口昌久、プルタルコス﹃モラリア﹄、前期︶という科目が開 講されている。これを見ると、古代から現代まで英独仏バランス良く科目が配置されていることがわかるが、特 色はわからない。 二 金沢大学 金沢大学は、遡ると一七九二年︵寛政四︶開設の加賀藩校に行きつくが、ここでは一八八七年︵明治二〇︶創 立の第四高等中学校二八九四年第四高等学校に昇格︶からとしよう。第四高等学校では当初、修身と倫理、漢文 を村上珍休が、論理と法学通論を秋山正議が担当していたが、のちに日本を代表する哲学者の一人となった西田 111 日本の哲学教育史(下のこ)
幾多郎が一八九九年七月、校長の北條時敬に招かれて教授に就任し、]九〇九年京都帝国大学に転出するまで倫 理学、論理学、心理学などを教授した。西田の代表作の一つ﹃善の研究﹄の草稿はこの時代に書かれたと、西田 みずから記している。 ﹃金沢大学五〇年史 通史編﹄︵二〇〇一年、=七頁︶に掲載されている、一九一九年四月に改正された第四 高等学校学則によれば、﹁第五条 修身ハ教育二関スル勅語ノ趣旨二基キ道徳上ノ思想及情操ヲ養成シ実践窮行 ヲ勧奨スルヲ以テ要旨トス﹂﹁第一〇条 哲学概要ハ思想界二関スル知識ヲ与へ哲学ノ概念ヲ会得セシムルヲ以 テ要旨トス。哲学概要ハ東洋及西洋ノ哲学、宗教等二就キテ其ノ大要ヲ授クヘシ﹂﹁第一一条 心理及論理ハ心 意二関スル知識ヲ得シメ思考ヲ鍛錬セシムルヲ以テ要旨トス。心理及論理ハ各種ノ精神作用、思考ノ原則及大要 ヲ授クヘシ﹂とある。科目の目的がこのように具体的に書かれている例はめずらしい。当時の文科の時間割表で は、論理は第二学年、倫理と東洋及西洋ノ哲学宗教等ノ大要が第三学年の配当になっている。担当者は相良益次 郎で、一九二八年には木場了本が就任した。木場の突然の事故死のあと、アリストテレス研究で知られる安藤孝 行が着任した。ちなみに、当時のドイツ語担当教員には、独和辞典やゲーテ研究で著名な木村謹治、シラーやニ ーチェ研究の新関良三、ツヴァイク研究の高橋禎二、シュトルム研究の伊藤武雄など、後世に名を残す錘々たる 人物がそろっていた。 第四高等学校が金沢医科大学や石川師範学校等を統合して新制金沢大学となったのは、他の多くの大学と同様 に戦後の一九四九年である。創立と同時に法文学部が開設され、法学科と文学科を擁した。哲学第一科目は安藤 孝行教授、山田琢助教授︵中国哲学史︶、中村秀吉講師︵論理学、科学哲学︶が担当、哲学第二科目は鬼頭英一教 授︵実存哲学、現象学︶、橋本芳契助教授︵仏教学︶、戸頃弁空助教授︵倫理学、日蓮宗学︶が担当した︵﹃金沢大学 112
五〇年史 部局史﹄一九九九年、二六頁︶。 一九六四年、文学科は、哲学︵哲学、倫理学、心理学、社会学︶と史学と文学の三学科に分かれた。その後一九 七八年頃に、哲学、倫理学、科学哲学、西洋哲学史、印度哲学史・仏教史、中国哲学史の講座を擁する哲学科を 含む文学部創設案がまとめられたが、一九八〇年に最終的に決まったのは行動科学科︵実験行動学、差異行動学、 社会行動学、動態社会学、文化人類学、比較文化学、行動科学基礎論︶、史学科、文学科であり、哲学講座は行動科 学基礎論講座に、倫理学講座は比較文化学講座に解消した。さらに一九九六年の文学部改組︵教養部改組・廃止と 大講座化︶により、行動科学科は人間学科となり、行動科学基礎論講座は人間学基礎論講座となって現在に至っ ている。この間担当者には、上述した教員のほか、中澤宣夫︵アウグスティヌス研究︶、田中加夫︵ハイデガー研 究︶、鎧淳︵サンスクリット語学︶、土屋純一︵近現代イギリス哲学︶、尼ヶ崎徳一︵古代ギリシア哲学︶、砂原陽] ︵近現代フランス哲学︶、柴田正良︵分析哲学︶、菊地恵善︵近現代ドイツ哲学︶などがいる。二〇〇三年度の担当教 官は砂原教授、柴田教授のほか、三浦要助教授︵初期ギリシア哲学︶の三名である。 つぎに科目名と担当者を詳細に見ておきたいが、二〇〇三年一〇月現在、金沢大学文学部学務係には 九八二 年度以降の資料しか保管されていない。 一九八二年度後期の文学部行動科学科の講義要項によると、﹁行動科学概論︵哲学特講、心理学特講、社会学特 講︶ 人格論をめぐって﹂︵田中富士夫・畑中幸子・佐藤嘉一、三年対象︶、﹁文化構造論︵東洋哲学史︶ インド思想史﹂ ︵鎧︶、﹁人間学︵哲学概論︶ 哲学の諸問題﹂︵土屋︶、﹁哲学史︵哲学史演習︶ 初期ギリシア哲学演習﹂︵教養部澄田 宏︶、﹁科学思想史︵西洋哲学史︶ 十七世紀の哲学﹂︵土屋︶、﹁人間学特殊講義︵倫理学概論または哲学特講︶ へー ゲルの道徳哲学と人倫的共同体論﹂︵田中加夫︶、﹁人間学特講︵哲学特講︶身体論の基礎﹂︵教養部砂原陽一︶、 113 日本の哲学教育史(}の二)
﹁人間学特講︵哲学特講︶ カント・へーゲル・ニーチェの歴史哲学﹂︵医療技術短大竹田純郎︶、﹁論理学・科学方法 論︵哲学特講︶ 証明とは何か﹂︵土屋︶、﹁行動科学基礎論演習︵哲学演習︶民①︼芸○︹旨合①゜q。N已﹁呂Φ鼠℃三⑦穿匹o﹁ Gn︷口m巨︵田中︶、﹁行動科学基礎論演習︵哲学演習︶=o亘σΦ酌いΦ忌巴訂コ﹂︵土屋︶となっている。組織再編後の一 九九六年度の授業計画を見ても、内容はさほど変わらない。新制度の完成年度を終えてしばらく経った二〇〇三 年度の講義要項によると、﹁哲学概論 前期・後期 主観−客観問題﹂︵砂原︶、﹁古典哲学 前期・後期 古代ギリ シア哲学﹂︵三浦要︶、﹁近代哲学 前期・後期 イギリス経験論の哲学﹂︵柴田︶、﹁実践哲学 前期 反照的自我意 識と行為の問題﹂︵槻木裕︶、﹁実践哲学 後期 J・ロールズの﹃正義論﹄﹂︵槻木︶、﹁人間学特殊講義 前期・後期 ニーチェの哲学﹂︵砂原︶、﹁人間学特殊講義 前期・集中 西洋古代・中世哲学における﹃ことばと認識﹄﹂︵中川 純男︵非常勤講師︶︶、﹁論理学 前期 だれにでも分かる現代論理学入門﹂︵柴田︶﹁哲学演習︵一︶ 前期・後期 サルトルの哲学﹂ ︵砂原︶、﹁哲学演習︵二︶ 前期・後期 ハイデガーの存在論﹂︵砂原︶、﹁哲学演習︵一︶ 前期・ 後期 J・R・サールによる心の哲学入門﹂︵柴田︶、﹁哲学演習︵二︶ 後期 指標性についての哲学的分析﹂︵柴 田︶、﹁哲学演習︵= 前期・後期 プラトンの哲学四讐o戸o廿已σ一一∩ご︵三浦︶、﹁哲学演習︵二︶ 前期・後期 デ モクリトスの原子論勺ひ碧巳o△ひqPOo日oO葺已切﹄︵三浦︶とある。一九八〇年に哲学科を改め行動科学科とした目 的は﹁個人及び集団の行動の記述・測定・予測及び制御の方法や理論を構築すると同時に、人間行動の背後にあ る思想や倫理などを明らかにするという、学際的な学科﹂を目指す点に置かれたが︵前掲﹃金沢大学五〇年史 部 局史﹄五六頁︶、外見上は他大学の一般の哲学科の科目構成ととくに異なっているようには見えない。もちろん、 講義内容に踏み込んで調査をしないと正確にはわからない。 114
﹂二 学習院大学 前身の学習所が開設されたのは一八四七年︵弘化四︶、学習院設立は一八七七年、宮内省から離れて財団法人 学習院となったのは一九四七年、学習院大学設置は一九四九年のことである。学習院大学設置とともに、文政学 部が開設され、哲学科、文学科、政治学科を擁した。初代学部長は、学院長であった哲学者安倍能成が務めた。 哲学科開設には安倍の意向が働いた︵﹃学習院大学五十年史﹄上巻、二〇〇〇年、二七七頁︶。 開設時の哲学科専任教員は寛泰彦教授、矢内原伊作助教授、勝田守一講師、久野収講師で、天野貞祐が兼任し たが、天野は翌年吉田茂内閣の文部大臣となって退職、代わりに下村寅太郎と淡野安太郎が加わり、淡野は哲学 科長となった。一九五一年に矢内原が退職し、五二年に高橋穣が着任した。 一九五一年度カリキュラム表によれば、必修科目は西洋哲学講義︵務台理作﹁哲学の根本問題﹂、山本光雄﹁古代 哲学﹂、石原謙﹁中世哲学﹂︶、美学︵富永惣一︶、宗教学︵北森嘉蔵︶、卒業論文であり、選択必修科目は西洋哲学講 読︵寛泰彦×昌で○己コα一①ぴq已コぴqNξζo︷巷ξ゜。完△雲∪り一江oコ、淡野安太郎國紹o一∋○日白匹=己①コユ隅勺茎o°・oo三〇αoむ・ 問Φ6宮ω、久野収]︺o乞①子国×O①ユ①コoo①コ匹之巴=﹁⑦、同[o∩ズP↓古08コユ已90︷夢o﹃已∋①o已コム隅゜。冨コム日ぴq、山本コ讐o戸 >oo吉σq品、三宅徳嘉O①。・8詳ゆμO︷白・60旨⑦エ。冨字︼。夢&①︶、西洋哲学演習︵下村寅太郎匡①ぴq巴く。∋旨津日α隅○。甲 6三。宮①、淡野Oコ。﹁σq°。○艮国切。・巴。・°・烏一。切△。コ器ω日日6合讐①切合言ひ9ゴ゜。∩[而コ8︶、西洋哲学研究︵矢内原伊作﹁近代フラン ス哲学﹂、山崎正一﹁近代英米哲学﹂、大島康正﹁近代ドイツ哲学﹂、久野﹁現代哲学﹂︶、キリスト教学、仏教学︵宇井 伯寿︶、日本思想史︵寛泰彦︶、印度思想史、中国思想史︵西順蔵︶、社会学特殊講義︵清水幾太郎︶、倫理学特殊講 義︵金子武蔵︶、古典ギリシャ語講読︵呉茂一︶、古典ラテン語講読︵今道友信︶、中国思想史講義、史学概論であ り、随意科目は文学概論、イギリス社会思想史︵池田潔︶、法哲学︵尾高朝雄︶、教育哲学︵勝田守一︶である︵担 115日本の哲学教育史(トの_)
当者名が入っているものが開講科目︶。 その後、一九五二年に文政学部は政経学部と文学部に分かれ、文学部にはそのまま哲学科と文学科が置かれ た。一九五六年に哲学科は哲学専攻コースと人文専攻コースに分かれ、七五年には哲学コースと人文コース︵日 本思想史・教育学・芸術学︶に再編、七九年に哲学コースは哲学系、人文コースは文化・芸術学系と改称、八六年 に後者を美学美術史系に改称、さらに一九九二年には哲学・思想史系と美学・美術史系と改称した。 哲学科の歴代専任教員は、寛泰彦︵倫理学、日本思想史︶、下村寅太郎︵近世哲学講義、科学概論︶、淡野安太郎 ︵社会思想史、哲学演習︶、久野収︵論理学、現代哲学︶、石上太郎︵教育学、心理学︶、林友春︵教育史︶、田島節夫 ︵現代哲学︶、磯部忠正︵宗教学、倫理学︶、高橋穣︵倫理学、西洋哲学︶、小倉志祥︵西洋倫理思想︶、小松茂夫︵哲 学概論、哲学史︶、加藤泰義︵ドイツ哲学、美学︶、詫摩武俊︵心理学︶、三宅剛一︵哲学概論、哲学演習、ドイツ哲 学︶、門脇卓爾︵ドイツ哲学、倫理学︶、石川公一︵美学、美術史︶、浅輪幸夫︵アメリカ哲学︶、森田良紀︵西洋近世 哲学︶、左近司祥子︵ギリシャ哲学︶、永田良昭︵社会心理学︶、新川哲雄︵日本思想史︶、秋山光和︵日本美術史︶、 北嶋美雪︵ギリシャ哲学︶、酒井潔︵西洋近現代哲学︶である。 二〇〇四年度の哲学科シラバスによると、哲学特殊研究︵左近司祥子﹁ピュタゴラスとソクラテス﹂、湯浅正彦 ﹁超越論的自我論への序説﹂︶、思想史特殊研究︵杉山直樹=九世紀フランス思想﹂︶、美学美術史特殊研究︵佐野み どり、小林頼子、高橋裕子︶、哲学演習︵伊藤泰雄﹁マルブランシュにおけるω窪巳∋。日﹂、左近司﹁アリストテレス﹃詩 学﹄演習﹂、三宅中子﹁確実性への問い﹂、木戸三良﹁ホルクハイマーの社会哲学﹂、下川潔﹁ジョン・ロック研究﹂︶、思 想史演習︵新川哲雄﹁密教思想研究﹂、下川﹁テイラーと近代的自我﹂、林淑美﹁雑誌﹃近代思想﹄研究﹂︶、美学美術史 演習︵太田泰人、小林忠︶、哲学史︵左近司﹁ローマ期の哲学﹂、舩木祝・小林玲子﹁イギリス経験論・大陸観念論の源﹂︶、 116
美術史講義︵吉田典代、小林忠、高橋朋子、郭在祐、金恵信、吉田紀子︶、比較芸術学講義︵児嶋由枝︶、哲学講義 ︵茂牧人﹁ハイデガーをめぐって﹂︶、思想史講義︵馬渕昌也﹁随唐思想史﹂、丸井浩﹁インド思想史﹂、新川﹁奈良仏教 研究﹂、原島正﹁近代日本思想史﹂︶、美学講義︵村山康男︶、哲学演習1︵犬竹正幸﹁カント入門﹂、齋藤智志﹁生と実 存の哲学﹂、下川﹁政治哲学の基本問題﹂︶、思想史演習1︵新川、杉山直樹︶、思想史演習n︵山本眞功、杉山晃太 郎︶、美術史演習1︵有川治男、小林忠、高橋、佐野みどり︶、美術史演習H︵亀井若菜、小林優子︶、比較芸術学演 習1︵新川︶、比較芸術学演習H︵藤原義久︶、基礎演習、2年次演習といった科目が開講されている︵講義内容一 部省略︶。 四 慶応大学 慶雁義塾に大学部が創設されたのは一八九〇年︵明治二一二年︶である。その前身である一八六八年創設の慶雁 義塾は、英学と実学を柱とし、﹁数学を基礎学として、有形学から入って、無形の学に進む﹂︵﹃慶雁義塾百年史 別巻︵大学編︶﹄一九六二年、=頁。以下本書による︶という学習方法を採用していた。有形学は地学、窮理学、 化学、算術学を、無形学は史学、経済学、脩心学等を指した。論理学の教科書にはJ・S・ミルの﹃自由の理﹄、 哲学の教科書には同じくミルの﹃代議政体﹄の原書が使われた。 一八九〇年の大学部創設と同時に、理財学科と法律学科と文学科の三つの学科が設けられた。文学科で教えら れた哲学関連科目は、第一学年の論理学、第二学年の倫理学、第三学年の哲学史である。外国人教員が大半を占 めるなかで、義塾出身の門野幾之進が論理学と倫理学と心理学を担当した。文学科に哲学専攻ができたのは一九 一〇年であり、哲学概論、哲学史、倫理学、認識論のほか、心理学、教育学、英語・英文学史、独文学或仏文学、 117 n本の哲学教育史(下の・
社会学、東洋哲学、美学などの科目が講義された。 大学令公布により、一九二〇年慶雁義塾大学部を廃して慶雁義塾大学を創設し、文学、経済学、法学、医学の 四学部を擁する総合大学となった。文学部には、文学、哲学、史学の三学科が置かれ、哲学科は、認識論及び哲 学史を主とするもの、心理学及び教育学を主とするもの、倫理学及び社会学を主とするものの三コースに分けら れた。一九二三年に美学及び美術史を・王とするもののコースが増設されたが、一九二八年には三学科を廃止し、 一五の専攻学科に細分された。西洋哲学科は西洋哲学、西洋哲学史、哲学概論、認識論、論理学を必修科目と し、倫理学科は倫理学、社会学、哲学概論を必修科目とした。戦後の一九四九年新制大学として発足後に哲学 科、史学科、文学科の三学科制を復活させ、哲学科には哲学、倫理学、心理学、教育学、社会学、美学美術史学 専攻が設けられた。 一九五八年度の哲学科哲学専攻の必修科目は、哲学概論、哲学特殊研究、哲学演習、西洋哲学史、論理学、形 而上学、認識論、原典講読であり、選択科目は中国哲学、印度哲学、歴史哲学、宗教哲学、倫理学概論、倫理学 史、倫理学特殊研究、倫理学演習、美学、心理学概論、教育学概論、社会学概論、社会心理学、史学概論、洋書 講読、英語学、独語学、仏語学、ギリシャ語学、ラテン語学であった。 担当教員は、川合貞一︵哲学概論、教育学、心理学︶、柴田 能︵哲学概論︶、蔵原惟郭︵哲学概論、哲学史、倫理 学︶、今福忍︵認識論、哲学史︶、河辺治六︵哲学概論、倫理学︶、吉田静致︵倫理学︶、鹿子木員信︵倫理学、哲学︶、 船田三郎︵哲学概論、歴史哲学︶、小山靹絵︵哲学︶、伊藤吉之助︵認識論︶、橋本孝︵西洋哲学史、西洋倫理学史︶、 松本正夫︵西洋哲学、論理学、形而上学︶、神山四郎︵歴史哲学、西洋哲学史、近代思想史、西洋史演習︶、沢田允茂 ︵哲学特殊、認識論︶、宮崎友愛︵倫理学概論、西洋倫理学史︶、山本万二郎︵哲学、認識論︶、三雲夏生︵倫理学演 118
習、原典講読︶、大出晃︵哲学演習、論理学︶、務台理作︵哲学概論︶、中山浩二郎︵哲学︶である。二〇〇三年度の 哲学専攻専任教員は、西脇与作︵論理学、科学哲学︶、中川純男︵西洋古代・中世哲学︶、岡田光弘︵論理学、認識論、 科学哲学︶、飯田隆三口語哲学、数学の哲学︶、斎藤慶典︵現象学、西洋近現代哲学︶、堀江聡︵古代中世哲学︶、納富 信留︵西洋古代哲学︶であり、倫理専攻専任教員は、小松光彦︵カント研究︶、谷寿美︵ソロヴィヨフ研究︶、樽井 正義︵生命倫理学︶、西村義人︵現代倫理思想、倫理学基礎論︶、石井敏夫︵ベルクソン研究︶である。なお、慶応大 学哲学科では、いわゆるゼミを﹁研究会﹂と称している。 五 中央大学 前身は一八八五年︵明治一八︶創立の英吉利法律学校で、英米法の全科の教授、法律書庫設置、日本語による 英米法書籍の著述を目的として掲げた。一八八九年東京法学院、一九〇三年東京法学院大学、一九〇五年中央大 学と改称した。英吉利法律学校時代の学科課程表に見られる哲学関連科目は、他の同時代の法律学校等と同様 に、論理学のみである。﹃中央大学↓○○年史 通史編﹄︵ヒ巻、二〇〇一年、=○頁︶によると、論理学の担当 者には千頭清臣と井上円了という二種類の記録があるらしい。東京法学院大学では論理学は予科の科目とされ、 一九〇五年の中央大学でも予科で論理学と倫理学大意が教授された。 中央大学に文学部が設置されたのは戦後の一九五一年で、昼間部文学科・史学科、夜間部文学科という構成で ある。一年遅れて哲学科が増設された。担当教員は、今泉三良︵西洋古代中世哲学︶、伊藤吉之助︵西洋哲学︶、高 瀬久太郎︵西洋古代・中世哲学︶、鈴木由次郎︵中国哲学︶、布施欽吾︵中国哲学︶、田中於菟弥︵印度哲学︶、桑木務 ︵西洋現代哲学︶である。その後、数江教一︵日本思想︶、斎藤信治︵西洋現代哲学︶、高木友之助︵中国哲学︶、所 ll9 日本の哲学教育史(下0)ゴ
雄章︵西洋近世哲学︶、武田信一︵西洋古代中世哲学︶、木田元︵西洋現代哲学︶、山井湧︵中国哲学︶、桂寿一︵西洋 近世哲学︶が順次着任した。哲学科発足に尽力した今泉が伊藤吉之助を北海道大学から招き、伊藤が斎藤と武田 を招いて、当時は﹁さながら北大の出張所といった感じ﹂だったと木田元がのちに回想している︵﹃中央大学文学 部の五十年﹄二〇〇↓年、]一〇頁より重引︶。ほかに、森千草、吉原文昭、熊田陽一郎、宮武昭、須田朗、野崎守 英、宇野茂彦、土橋茂樹、中村昇が哲学科専任教員となっている。二〇〇三年度は須田︵ドイツ哲学︶、宮武︵懐 疑主義︶、土橋︵西洋古代・中世哲学︶、中村︵西洋現代哲学︶、野崎︵日本思想史︶、宇野︵儒学史︶、吉原︵宋明儒学︶ に加えて渡邊博︵科学哲学、科学史︶の八名が勤めている。 学科の特色は、﹁東西の哲学が同時に学べること﹂におき、﹁ありとあらゆる領域や対象がひしめく、豊饒な思 索の海で思う存分泳ぎ、また溺れることもできる﹂︵同上、二一頁︶。具体的にどのような科目が配置されてい るかは﹃大学史﹄に記述がないので不明だが、二〇〇三年度の開講科目はつぎのようになっている。基礎演習科 目として、基礎演習︵須田朗、㌘合鶴ユ勺〇三=Φ己oぴqぴqo﹁﹀三コ障○合n匡○コ︶︵宮武昭、≧昌ζ⊆白・ぬ日くOひo∋∋o口∪り窪゜・逸 切9Φコ8巴αoo80江巳゜。ヨ︶︵宇野茂彦、﹃中國名文選﹄︶、原典講読/基礎演習︵土田健次郎、山鹿素行﹃聖教要録・配所残 筆﹄・伊藤仁斎﹃童子問﹄︶︵富松保文、[①勺o月巾℃亘oコ合ひゴ碧ぴq⑦∋①日︶︵平田裕之、=o庄ΦσqぬΦ︹国⋮己①︷gコoq日α⋮o 勺巨8。o宮。︶、必修科目として、西洋哲学史︵土橋茂樹、橋本由美子︶、中国哲学史︵土田︶、哲学概論︵宮武︶、選 択科目として、倫理学概論︵須田︶、倫理思想史︵米田達也︶、現代論理学︵中村昇︶、哲学講義︵土橋、宇野茂彦、 野崎守英、村岡晋一︶、哲学講読︵宇野、韓詩外傳︶︵橋本、O訪∩o⊆﹁°。ユ①訂ζ①仔oOo︶︵宮武、○﹃≦一一巳一℃古ま゜。8三ω− 合oQり冨冨゜。︶、哲学演習︵須田、=而己①σqσqm︹ooo日§αNΦ巳︵土橋、=①己①ぴqぬ①︹□巴o白−o力o℃三゜。9Qり︶︵中村、cu隅ぴqむ。。巳 9勺而コ゜・mo2冨呂oロ<①日、∋古①ρo①江︿o忌日△︶︵野崎、寺田透﹃正法眼蔵を読む﹄︶︵小須田健、﹀コ貸6ひ○∋︷Φ 120
乙n 浮X﹂≦一〇冨σ。︸㊦昌“念゜・①゜・忌品∋①邑、哲学関連研究基礎科目として、研究基礎︵リレー講義︶、哲学関連特別教 養科目として、プロジェクト科目︵野崎︶、特別教養︵本間栄男︶、哲学関連外国語科目として、英語読解︵瀬嶋貞 徳、力已゜・切。一∵口⋮誓o蔓亀綱Φu。冨﹁コ昌︷一〇ω・菩乙、︵平田裕之、π已ωu。①F↓ゴo勺﹁o亘⑳ヨむ力○︹℃ゴ一一〇〇〇℃古尾︶、ギリシャ語初級 ︵伊藤雅巳︶、ギリシャ語上級︵伊藤︶、哲学関連共通科目として、哲学︵中村︶、倫理学︵小須田健︶、日本倫理思 想史︵野崎︶、キリスト教概説︵山本芳久︶、印度哲学史概説︵佐藤裕之︶、仏教概説︵小島岱山︶、美学概論︵樋笠 勝士︶、比較科学史/科学史︵本間︶、比較文化特論︵本間︶。 六 法政大学 法政大学の前身は、遡れば一八八〇年︵明治=三に設立された東京法学社であり、翌八一年東京法学校がそ こから分離独立し、一八八六年設立の仏学校と八九年に合併して和仏法律学校と改称、一九〇三年財団法人和仏 法律学校法政大学となり、]九二〇年財団法人法政大学となる。当初は法学部と経済学部のみであったが、一九 二二年法学部に文学科と哲学科を開設して法文学部とした。そして一九四七年に法学部と文学部が分かれ、四九 年新制大学となり、その後、工学部、社会学部等々を増設して現在に至っている。 ﹃法政大学百年史﹄︵一九八〇年︶によれば、法文学部開設に際しては漱石門下の英文学者野上豊一郎が中心と なり、﹁官学的製肘を受けず﹂﹁官立大学のおこぼれを頂くのを光栄とすることなく﹂﹁自我と人格と教養とのま ったく新しい観念を提出し、自由な思考と近代的な人間観﹂を持った﹁教養主義の思想系譜の人びと﹂を集めた という︵四四二頁︶。すなわち、森田草平、内田百閉、和辻哲郎、小宮豊隆らである。 哲学科は、哲学、倫理学、心理学の三つの専攻に分かれたが、倫理学専攻は一九三三年に学生募集を中止し 121 日本の哲学教育史くトの二)
た。哲学科の初代主任教授は安倍能成であり、哲学概論、哲学史、哲学演習を担当した。ほかに、出隆︵哲学演 習︶、和辻哲郎︵日本思想史、文化史、古典文学︶、高橋穣︵心理学︶などがいた。しかし、哲学科の学生はわずか に一人だった。翌年、中心的教員が全員退職し、代わりに山内得立︵現象学︶、林達夫︵文化史︶、伊藤吉之助 ︵哲学︶、矢崎美盛︵美学︶、大室貞一郎、河野与一など著名人が着任した。その後、河野と矢崎が転出したが、 一九二七年に三木清、二八年に谷川徹三、三一年に戸坂潤が着任、三二年には卒業生の池島重信が助手として就 任し、哲学研究室の充実を見た。その後も、矢吹慶輝、樺俊雄、佐藤信衛、桝田啓三郎、長谷川鉱平、瀬川行有 ︵別名福田定良︶などが専任教ロ貝として着任している。一九四七年に文学部が独立し、哲学科、国文学科︵のち 日本文学科と改称︶、英文学科の三学科制となった。その後、長谷川克彦が助手に就任、矢内原と桝田が転出、佐 藤信衛と瀬川行有が教授昇任、斎田隆着任などの動きがあり、さらに斎藤哲郎︵分析哲学︶、矢内原伊作、山崎 正一︵西洋哲学史︶、濱田義文︵カント哲学︶、加来彰俊︵ギリシア哲学︶が着任した。組織改編後の二〇〇三年度 現在は、牧野英二︵西洋近世哲学︶、中釜浩一︵科学哲学、言語哲学︶、星野勉︵西洋近現代哲学・倫理学︶、奥田和夫 ︵古代ギリシアの哲学・倫理学︶、菅沢龍文︵西洋近代実践哲学︶、安孫子信︵フランス哲学︶、山口誠一︵行為理論︶、 笠原賢介︵ドイツ近現代思想史︶、酒井健︵フランス現代思想、芸術論︶、竹本健︵西洋法史学︶、安東祐希︵数学︶、 ディトマー.ハイデンライヒ︵比較文学、比較文化︶が専任教員として在職している。哲学科以外にも、人間環境 学部に池田俊彦︵ドイッ哲学︶、関口和男︵哲学、宗教現象学︶、村上恭一︵西洋近代哲学︶、国際文化学部に森村修 ︵哲学、応用倫理学︶、キャリアデザイン学部に竹内昭︵哲学的価値論︶、経済学部に財津理︵哲学、現代思想︶、社 会学部に吉田傑俊︵哲学、社会思想史︶がいる。 残念ながら、科目編成や開講科目は﹃大学史﹄等に記されていない。ホームページで二〇〇三年度の開講科目 122
一覧を見ると、必修科目に哲学概論、論理学概論、倫理学概論、西洋哲学史、基礎演習、哲学特講、哲学演習 が、選択科目に科学哲学、 現代思想、美学・芸術学、東洋哲学史、宗教学、心理学、日本思想史、文化史、社会 思想、ラテン語、ギリシア語、教育思想といった科目が開講されていることがわかる︵紙数の関係で詳細省略︶。 七 早稲田大学 早稲田大学の前身である東京専門学校は、一八八二年︵明治一五︶一〇月大隈重信を総理として仰ぐ立憲改進 党の小野梓、高田早苗などが中心となって創設され、政治経済学科・法律学科・理学科の正則三学科と英語学科 の四科で出発した︵以下、﹃早稲田大学百年史別巻1﹄二〇〇〇年を参照︶。政治学、経済学、法学以外の科目とし て、学校設立当初は史学、史論、世態学、論理学、心理学、和漢文学、作文が開講され、一八八六年度から哲学 が加わっている。論理学は演繹法と帰納法に分けられ、田原栄が担当した。 坪内雄蔵の構想になる文学科の開設は一八九〇年九月であり、﹃早稲田大学百年史﹄によると、﹁学閥や官私の 別に拘らずに人材を求める創立当初からの本学の基本方針に沿って﹂︵六四〇頁︶、早稲田大学からだけではな く、東京大学や京都大学、同志社、慶雁義塾からも教員を募ったとある。文学科の開設と同時に大西祝が就任 し、哲学史を担当した。大西は哲学のみならず心理学、美学、さらには近代歌学でも秀でた才能を示しており、 一八九二年の学科配当表によると、哲学史のほかに文集、倫理学、論理学、アジソンを担当した。大西は、しか し、海外研修中に病気となり、帰国後まもなくして亡くなった。 一八九七年に文学科は文学部となり、文学科と文学科選科に分かれた。文学科では哲学科目として第一学年に 論理学、心理学、哲学概論、第二学年に西洋哲学史と支那倫理学史、第三学年に西洋哲学史と倫理学と審美学が 123 日本の哲学教脅史(トの二)
教授された。また、特別科及科外として歴史哲学、印度哲学、比較宗教学などが開講された。一九〇二年に早稲 田大学と改称し、大学部文学科の学科配当表もさらに充実を見せた。文学科哲学専攻では、第一学年に哲学概論 ︵英書︶、心理学、西洋哲学史、論理学、社会学、東洋哲学史︵印度︶、儒学︵経学︶が、第二学年に西洋哲学史、 倫理学︵原書︶、東洋哲学史︵支那︶、儒学︵子類︶、教育学史、心理学、倫理学が、第三学年に西洋哲学史、東洋 哲学史︵日本︶、倫理学︵原書︶、美学、教育学、心理学、宗教学、近世哲学︵原書︶がそれぞれ開講された。一 九一九年四月に文学科より哲学科が独立し、東洋哲学専攻、西洋哲学専攻、社会学専攻の三専攻を擁した。西洋 哲学専攻の一九二二年度科目担当表には、金子馬治︵心理学、西洋哲学史、美学、西洋哲学研究︶、遠藤隆吉︵東洋 哲学史︶、本田親二︵科学概論︶、熊崎武良温︵哲学研究︶、杉森孝次郎︵倫理学、社会学︶、桑木厳翼︵西洋哲学史、 哲学通論︶、久保良英︵実験心理︶、伊達保美︵西洋哲学研究︶、田中喜一︵認識論︶等の名が見られる。一九三二年 文学科は支那哲学専攻、印度哲学専攻、西洋哲学専攻、心理学専攻、倫理学専攻、社会学専攻に分かれた。 戦後一九四九年開設の新制早稲田大学文学部哲学科は、東洋哲学専攻、西洋哲学専攻、心理学専攻、社会学専 攻、教育学専攻に分かれ、西洋哲学専攻では、必修科目として哲学概論︵岩崎務︶、西洋哲学史一︵仁戸田六三 郎︶、西洋哲学史二︵佐藤慶二︶、論理学︵小山甫文︶、認識論︵岩崎︶、倫理学︵熊崎︶、心理学︵赤松保羅︶、宗教 学︵仁戸田︶、西洋哲学研究一︵佐藤︶、西洋哲学研究二︵小山︶、西洋哲学研究三︵樫山欽四郎︶、選択科目として 美学︵大西昇︶、希臓哲学︵仁戸田︶、倫理学史︵仁戸田︶、アメリカ哲学︵植田清次︶、西洋倫理学研究︵岩崎︶、倫 理学演習︵熊崎︶、日本思想史︵福井康順︶等が開講されている。 ]九六六年文学部大改革が実施された。第↓文学部は二つの類に大別され、1類には哲学、東洋哲学、心理 学、社会学、教育学、日本史学、東洋史学、西洋史学、美術史学、人文が、H類には日本文学、中国文学、英文 124
学、フランス文学、ドイツ文学、ロシア文学、演劇、文芸が配置された。哲学専門教育科目として、一九六八年 度には哲学史1︵有田潤︶、哲学史H︵佐藤慶二︶、現代哲学︵佐藤︶、倫理学研究︵神沢惣一郎︶、キリスト教研究 ︵小山宙丸︶、宗教哲学︵仁戸田六一二郎︶が、一九七八年度は、哲学演習1︵遠藤弘︶、哲学演習H︵高橋允昭︶、哲 学演習m︵伴博︶、哲学演習W︵岩波哲男︶、哲学研究1︵谷口龍男︶、哲学研究H︵永井成男︶、哲学研究m︵川原 栄峰︶、哲学研究W︵松浪信三郎︶が、選択科目として現代哲学︵谷口︶、哲学史1︵武井英明︶、哲学史H︵北村 実︶、キリスト教研究︵植田重雄︶、倫理学研究︵塩屋竹男︶、宗教哲学︵峰島旭雄︶が開講されている。 担当教員では、上記以外に、他学部所属教員も含めると、北玲吉︵哲学史︶、帆足理一郎︵デューイ哲学︶、河 面仙四郎︵宗教哲学︶、渡利弥生︵プラトン研究︶、大江精一︵新カント派︶、出隆︵ギリシア哲学︶、今田竹千代︵科 学哲学︶、石関敬三︵現代哲学︶、掛下栄一郎︵フランス哲学︶、富永厚︵フランス現代哲学︶といった人たちがいた。 なお、二〇〇三年度の第一文学部は、総合人文学科として一九の専修を有し、哲学専修担当教員には、遠藤弘 ︵西洋近・現代哲学、論理学︶、鹿島徹︵ドイッ近現代哲学︶、北村実︵西洋近・現代哲学︶、小島雅春︵哲学︶、酒井紀 幸︵中世哲学、宗教哲学、美学︶、佐藤真理人︵西洋近代哲学︶、田島照久︵宗教哲学︶、丸野稔︵西洋古代哲学︶、御 子柴善之︵ドイツ近・現代哲学、倫理学︶の名が見られるが、早稲田大学は学部縦割りのため、他学部に所属する 哲学担当教員をすべて合わせるとかなりの人数にのぼると思われる。 八 明治大学 最後に明治大学を取りあげたい。ただし、明治大学には哲学科も哲学専攻も存在しない。 を取りあげる理由は、奇妙な話だが、哲学科がないからである。 それなのに明治大学 125 日本の哲学教育史(下の
明治大学の前身である明治法律学校は一八八一年︵明治一四︶に開設された。一九〇三年、専門学校令改正 で、予科を有する専門学校は大学と称することができることとなったため、高等予科を開設して明治大学とし、 落合直文、桑原騰蔵、上田敏、大町桂月、夏目漱石ら錘々たる人物を集めた︵﹃明治大学文学部五〇年史﹄一九八 四年、五頁︶。これら著名人は予科だけでは来てもらえないとの判断で文科を設置する計画を立て、一九〇六年 に文科を増設した。学科目は、国文学、漢文学、英文学、哲学、歴史、文学概論及近世文学、独逸語で、哲学 は、第↓学年に哲学概論と心理学、第二学年に哲学史と倫理学史、第三学年に美学、社会学、哲学史を開講する こととした。哲学担当は深田康算である。入学者は三年間で六四名だったが、第一回卒業生は三名にすぎなかっ たため、閉鎖となった。その後しばしば、文科復活をめぐり学内で激論が交わされた結果、一九三二年文科専門 部が復活し、第一部文科文芸科、第二部文科史学科が開設された。教員には萩原朔太郎、阿倍知二、小林秀雄、 今日出海、米川正夫、舟橋聖 、岸田国士、土屋文明、田中千禾夫、などふたたび鍾々たる人物を集めている。 論理学、哲学及哲学史担当者は吉野源三郎、倫理学担当者は鈴木竜司である。小林秀雄も倫理学を教えたことが ある。戦後の一九四六年に唐木順三が専任講師として着任し、倫理学、哲学、論理学を担当した。四八年には神 尾庄司が兼任助教授として倫理学と哲学を担当、↓九六八年まで務めた。 文芸科専門部長の尾佐竹猛は、文芸科と史学科をもとに哲学科と地理学科を加えた文学部への発展を構想し準 備を進めたが、急逝によりその計画は消滅した。結果的に文学部は一九四八年に開設されたが、文芸科と史学科 の二学科構成はそのままとなった。文芸科の専攻は英文学、仏文学、文芸学だったが、五〇年に日本文学科と独 文科が独立した。 予科長兼教務理事の小林秀穂は﹁哲学専攻が文学部の柱にならなくてはいけない﹂と考え、下村寅太郎に声を 126
かけて内諾を得ていたらしく︵同右、二一二〇頁︶、総長も哲学専攻設置に意欲を示していたが、哲学担当教員唐木 順三が、﹁作るなら誰がみても恥ずかしくない哲学専攻を作らなければならないが、それには金がかかるぞ。い いかげんなものなら、やめちまえ﹂と言って反対し︵同右︶、哲学科開設は見送られることとなった。ただし、 唐木と親しかった小島威彦氏ならびに國谷純一郎元明治大学文学部教授にそれぞれ生前に筆者が私的にうかがっ たところでは、唐木が哲学専攻開設に反対した理由は金銭による教員不足にとどまらず、そもそも哲学をそれ自 体として専門的に教えることに反対であったからだという。 九 小括 名古屋大学哲学科は、かつては一言でマルクス主義哲学と特徴づけられたが、他大学同様に、いまは偏りのな い教育が行われて、或る意味で特色を失っている。これに対して、金沢大学は、哲学専攻を哲学科に改組する段 階で、他学科とともに行動科学科として発足し、さらにそれを人間学科としたために、従来一般にある哲学科と は異なる科目編成を組むことが可能になった。外見上はまだその特色が明確でないように見えるが、﹁哲学概論﹂ を﹁人間学﹂としたり、﹁哲学演習﹂を﹁行動科学基礎論演習﹂としたり、あるいは﹁人間学特講﹂や﹁実践哲 学﹂という科目をそろえるなどして、特色を出す努力が見られる。 学習院大学の場合、哲学と思想史との関わりが興味深い。先に見たように、草創期は哲学と思想史の科目を同 時に開講していたが、その後、哲学専攻と人文専攻に分けて思想史を後者に配置し、さらに人文専攻における芸 術学の位置が大きくなると、そこを美学美術史に全面的に譲って、ふたたび思想史が哲学専攻に戻り、哲学・思 想史系となるという変遷を経験している。しかも、以前は﹁思想史﹂は日本思想と東洋思想が中心であったが、 127 日本の哲学教育史(bの⊃
いまでは西洋思想史も含めて哲学との関わりを強めている。 慶応大学は早くから哲学科と倫理学科を分けている点が特徴であるが、さらに哲学科では設立当初から認識論 を重視している点が注目に値する。一時期は、認識論の沢田允茂と存在論の松本正夫が双壁をなして慶応の哲学 を全国に知らしめたが、松本のトマス主義的形而上学もきわめて論理的な展開を特徴とし、慶応大学出身の論理 学者がいまでもいくつかの大学で活躍している。 中央大学哲学科の特色は、みずから称しているように、東西の哲学をつねに同等の位置において教授している 点に見ることができる。東西の哲学を教える体制を維持している大学はほかにもたくさんあるが、東洋大学を一 つの例として見ることができるように、西洋哲学、インド哲学、中国哲学がそれぞれに独立して学科を形成して いるのが一般的である。早稲田大学も戦後は西洋哲学と東洋哲学に分かれ、他大学ととくに異なる点は見られな いが、第二文学部の思想・宗教系という学科は、西洋哲学と東洋哲学の教員が合同で担当し、ユニークな展開を 見せている。しかし、実際に学生たちが東西の哲学を、広く浅くにならずに、総合的に捉える能力を身につける ことができるかどうかが課題であろう。 法政大学哲学科の特徴は、ホームページ︵二〇〇四年三月現在︶によると、教員が﹁多様な専門領域にバラン スよく配置されて﹂おり、﹁文字通り古今東西の哲学・思想、宗教や美学・芸術学、文化史や心理学・社会学関係 などの関連分野の多彩な学問分野﹂を網羅している点、﹁体系的で総合的な教育カリキュラムを設置﹂しており ﹁きめの細かい少人数教育を徹底している点﹂、そして﹁特に定員制の演習科目﹂がある点であると謳っている が、失礼ながら、これはほとんどすべての大学に言えることであり、ほかならぬ法政大学の特徴とは言えない。 しかし仔細に教員や科目内容を見ると、とくに組織改編後の充実ぶりがうかがえ、もう少し具体的な表記をした 128
方が良いのではないかと、お節介ながら思われる。法政大学ではかつて夜間部で哲学が専門に学べると言われて いたが、現在夜間部で西洋哲学を専門に学べる大学は東京都立大学と大阪市立大学、関西大学の三校のみであ る。 各大学・学部の理念の明確化が強く求められている現在、まさに理念論を得意とする哲学科は自己主張する絶 好の機会を迎えている。しかし他方で、教育目標とその達成度を毎年明らかにすることが必要最低条件と言われ るなか、短期的成果主義をとらない哲学科は同時に存亡の危機を迎えている。﹁哲学﹂や﹁倫理学﹂といった従 来の科目名称が消え、かつての副題が表に出る傾向があるが、それがそのまま特色になるとは必ずしも言えな い。そのようななかで、たとえば京都大学文学部日本哲学史専修の開設二九九五年︶は新たな方向性を示唆す るものとして注目に値する。 ︻注︼ ︵1︶ ﹃哲学史成立の現場﹄︵一九九七年、弘文堂︶、﹁哲学館︵東洋大学︶における哲学史講義﹂︵二〇〇〇年、本誌第九 号八五∼一〇三頁︶、﹁哲学史の受容から見えるもの﹂︵二〇〇〇年、藤田正勝編﹃シリーズ・近代日本の知﹄第一巻六 三∼八三頁︶。 129 [本の哲学教育史(ドの二)