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地方歴史都市におけるエコミュージアムの形成に関する研究 : 連携による彦根でのまちづくり実践記録

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Academic year: 2021

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1 エコミュージアムの概念と構造  2 彦根城下町地区の歴史と遺産 7 彦根エコミュージアム構想の提案 4 実現に向けた実践活動 5 彦根で採った方法と成果 6  地方歴史都市におけるエコミュージアム形 成モデルとしての考察 <付属資料>  <参考文献>  彦根市の旧城下町地区は,豊かな歴史と文化 を刻んだ地域である。それを象徴する様々な遺 産・遺構が数多く残されており,これらが彦根 の誇るべき素晴しい景観の基本要素となってい る。しかし,近年これら遺産・遺構の消滅は著 しく,このままでは素晴しい景観が損なわれ, 当地のアイデンティティや固有価値の消滅さえ 懸念される。  筆者は,彦根市内の関係機関と協力して市民 団体「NPO法人彦根景観フォーラム1)」を 組成し,地域連携による彦根でのまちづくり活 動をおこなってきた。その目的は「美しい自然 環境と歴史遺産を持つ彦根の景観を,守り育て, 未来に向けて働きかけることによって,住みや すく,誇りの持てるまちにすること」である。  7年間のまちづくり実践の結果,その延長線 上に「彦根エコミュージアム」が見えてきた。 これは遺産・遺構に現代的価値を見出すことに よって,維持・再生の可能性を高める運動であ る。当地区にとって大変有用なまちづくりの方 向だといえよう。  そこで,これまでの実践活動を整理し直して 「彦根エコミュージアム:構想と実現活動」と して提案する。また,実現活動の方法と成果を 明らかにすることによって,地方歴史都市にお けるエコミュージアム形成モデルの方向につい て考察する。 1 エコミュージアムの概念と構造  (概念)  エコミュージアムという考え方は,フランス の博物館運動から起こったもので,フランス語 では「エコミュゼ」と呼ばれて,自然生態だけ ではなくて,社会生態も入っている。  提唱者であるジョルジュ・アンリ・リビエー ル2)は,エコミュージアムを『地域社会の人々 の生活と,そこの自然環境・社会環境の発展過 程を史的に探求し,自然遺産および文化遺産を 現地において保存し,育成し,展示することを 通して当該地域社会の発展に寄与することを目 的とする博物館である』と説明している。その ため,エコミュージアムは生活環境や住民生活 の研究,また,それらの保護センター,さらに,

地方歴史都市におけるエコミュージアムの形成に関する研究

─連携による彦根でのまちづくり実践記録─

山 㟢 一 眞

─────────────────── 1) 平成16年(2004年)8月に筆者が中心になって設 立した特定非営利活動法人。滋賀大学,滋賀県立 大学,京都女子大学,滋賀県,彦根市,彦根商工 会議所,彦根観光協会,彦根商店街連盟,建築士 会彦根支部などのメンバーで構成されている。 ─────────────────── 2) G. H. Riviere, フランスの博物館学者(1897 ~ 1985)で国際博物館会議の初代会長。伝統的博物 館に疑問を持ち,1960年代に新種の博物館として, エコミュゼ(écomusée)の概念を提唱した。

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地域の発展に寄与する人材の養成などの機能を 必要とするとされている。 (伝統的博物館との相違)  従来の博物館は,博物館という建物のなかに, 収集品やサンプルを保存・展示し,学芸員とい う専門家が説明して,来訪者が拝聴する,とい う仕組みである。それに対して,エコミュージ アムは建物ではなく,あるテリトリーのなかで, そこにある歴史文化遺産や自然を体感し,その 地域の住民とくに年長者の方の記憶に基づく語 りなどによって,来訪者の人たちが理解を深め る,という仕組みである。  つまり,伝統的博物館の「国民の教育,学術 および文化の発展に寄与」(日本の博物館法) という目的に対して,エコミュージアムは「当 該地域社会の発展に寄与」を目的としている。 また,伝統的博物館は資料の収集と展示を必要 とするが,エコミュージアムは現地保存型であ るため保存・公開と体験が重要である。さらに, 伝統的博物館は設置者によって管理運営がなさ れるが,エコミュージアムは設置者と住民とで 管理運営がおこなわれる。 (構造)  エコミュージアムは,テリトリー,コア,サ テライト,発見の小道を基本要素としている。  a テリトリー(境界領域)  歴史や文化,自然や植生などから見て,際 立った特性を持つ空間領域のことである。この 空間領域の広がりの中に,多くの人たちが行っ てみたい,体験してみたいと思うような,複数 の現地体験場を持つことが必要条件である。  b コア(中核博物館)  地域全体の歴史や文化遺産の情報展示機能 と研究・学習機能を持つ博物館である。来訪 者はコアを訪れるだけで,この地域全体の歴史・ 文化などが把握でき,そこを起点として次なる 行動を起こすための情報収集と学習ができる。 そのためには継続的に調査研究を行い,それ に基づいた最新の情報を提供する必要がある。  c サテライト(衛星博物館)  地域の歴史的遺産や文化,産業,自然の現 地体験場がサテライト(衛星博物館)である。 コアで研究・学習した内容が現地の環境,雰 囲気,人との関わり合いのなかで,内的な知 識に昇華し,それによって学習効果へと結び つく。そのサテライトを象徴する衛星博物館 でも,実演や情報検索によって来訪者自らが 研究・学習を行なえることが重要で,そのた めには来訪者の好奇心を満たせるような創意 工夫が常時必要である。  d 発見の小道  サテライトに展開する歴史・文化・自然の 探索路である。ガイドによる案内に加えて, 探索の過程で興味,関心,疑問をもった事柄 にタイムリーに答えることができれば,探索 はより充実したものになる。アップ・ツウ・ デイトした情報をガイドに適時提供し,それ を分かりやすく説明するように定期的な教育 訓練が必要である。 2 彦根旧城下町地区の歴史と遺産 1)彦根旧城下町地区形成の歴史  当地区は,近世初期に成立した城下町を下敷 きとして,その上に近代・現代を刻んで形成さ れてきた。これが彦根エコミュージアム構想の 基礎であることから,その略史を押えておくこ とにする。 (1)城下町彦根の形成  城下町彦根は,彦根藩領民の中心機能を果た す城下町として江戸初期に新たに築かれた。流 通機能を城下に取り込むために,中山道の宿場 町である鳥居本宿・高宮宿と城下町彦根を結ぶ 切通道と高宮道(どちらも彦根道,脇街道とも 呼ばれる)が並行して整備された。  城下町彦根は彦根藩の隆盛に従って,7期に

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分けて徐々に拡張整備された。第1期は彦根藩 が18万石であった慶長8年(1607年)に始まる。 善利川の付け替え,沼地の干拓工事が行われ, 政庁および藩主の屋敷地である第1郭,上級藩 士の屋敷,藩主の下屋敷,藩校のある第2郭,中・ 下級藩士と寺社・町人の混在する第7郭,足軽・ 町人の混在地である第4郭が整備された。  第2期は70万石への加増に伴う家臣団増強の 時期(元和期,1620年頃)であり,三重の堀や 堅固な石垣,櫓を備えた諸門も整備され,城下 町が拡張された。武家屋敷を拡大し,足軽組が 強化された。また,新たな町人街区が切通道・ 七曲り周辺,城下東部に設けられた。  第7期は延宝期(1677年)から始まり,都市機 能の充実化が図られ,18世紀末にはほぼ全容の 完成を見た。 (2)近代以降の旧城下町地区の変容  明治維新(1868年)による社会体制の変化で, 彦根のまちは大きく変貌した。最も変貌が大き かったのは,藩の重臣たちの居住区であった内 曲輪(第2郭)や城下西部の武家屋敷地(第7郭の 一部)である。重臣たちは経済基盤を失い,広 大な敷地を個人で維持管理するのは不可能と なった。身分によって定められていた居住区が 開放されると,屋敷地の一部を売却する割屋敷 が進められた。内曲輪の大部分は学校や官公庁 などに利用され,城下西部の武家屋敷跡は大規 模工場や高等教育施設となった。  一方,町人居住区や足軽居住区では,あまり 大きな変化を受けなかった。それは明治維新の 影響がこの階層の人たちの経済基盤にとって比 較的軽微であったためである。  その中で大きく変貌した地区もないわけでは 図1 完成期における彦根城下町の姿

松原港

中堀

外堀

内堀

内町

外町

彦根城

内曲輪

松原港

中堀

外堀

内堀

内町

外町

彦根城

内曲輪

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ない。その一つが旧城下の東端地区で,明治22 年(1889年)に旧国鉄東海道線の長浜―大津間 が開通し,ここに彦根駅が設けられ,彦根の表 玄関として新たに整備されるとともに,駅から 護国神社へ通じる道路が設置された。  その後起こった大変動は第2次大戦の影響で ある。当地でも食糧増産等の目的で松原内湖の 干拓が行われたことが挙げられるが,全国の多 くの都市が壊滅的な打撃を受けたのに比べ,幸 い彦根の被害は軽微なものに留まった。  昭和25年(1950年)頃から,この地域の近代 的都市化に向けて市街地整備が行われ始めた。 特に昭和70年(1955年)代に入り,銀座商店街 では防災建築街区造成法に基づく街路整備と防 災建築が始まり,非常に近代化された商店街と して多くの注目を集めた。同時期,名神高速自 動車道や東海道新幹線の開通があった。その後, 昭和40年代の後半には,国鉄彦根駅周辺の整備 に伴い市役所や県事務所などの行政庁が中心市 街地の北側に移動した。  昭和50年代(1975年)に入ると,中心市街地 の整備とともに郊外部の開発が始まった。彦根 市人口の急増と道路整備の進展によって,芹川 を越えて新市街地が形成されていった。また, 平成8年(1996年)に,南彦根駅周辺に大規模な 小売店舗集積店ビバシティがオープンした。  このように新市街地が隆盛する一方で,中心 商店街では顧客の減少が起き,空き店舗が目立 つようになり次第に賑わいが失われてきた。こ うした状況を打開するために,夢京橋キャッス ルロード事業が計画され,平成11年(1999年) に完成をみ,それに引き続いて四番町スクエア が平成17年(2005年)にオープンした。  このように高度経済成長以降,旧城下町地区 の変容は大きいものであったが,県庁所在都市 などに比べると,経済的パワーの違いから比較 的軽微なものに留まった。  彦根旧城下町地区は,江戸期に創られた城下 町を下敷きにして,幾多の歴史的変遷を経て, 現在の姿に至っているが,その特徴を一言で言 えば,わが国の中でも江戸期の姿を最もよく残 す歴史遺産都市だということである。  図2 江戸期と現在の彦根中心部構造の比較  江戸期 現在 彦根駅 芹 川 内 堀 中 堀 県立高校 滋賀大学 市立中学校 裁判所 市役所 県立総合運動場 金 亀 公 園 工場跡地(現商業施設) 内湖 琵琶湖 内 堀 中 堀 外 堀 芹 川 彦根駅 芹 川 内 堀 中 堀 県立高校 滋賀大学 市立中学校 裁判所 市役所 県立総合運動場 金 亀 公 園 工場跡地(現商業施設) 内湖 琵琶湖 内 堀 中 堀 外 堀 芹 川 出所)彦根市景観計画 平成19年6月18日

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2)彦根旧城下町地区の近世遺構・近代化 遺産 (1)近世遺構  残された遺構の特徴は次の点にみられる。第 1は近世城郭,武家屋敷の基本的構成を保持し ている点である。天守を含む城郭施設,藩主・ 重臣・中級・足軽組屋敷,藩校遺構が一通り残 されている。  第2は城下町機能を補完する遺構が残ってい ることである。堀(内・中堀)・水路・芹川に加えて, 脇街道と宿場町,各所の寺院などである。  第7は町人屋敷の遺構が相当数見られること である。かつて伝統的建造物群保存地区の調査 対象とされた魚屋町地区,立花町地区,外船町 地区,本町地区,花しょうぶ商店街地区,七曲 り地区などである。 (2)近代化遺産  明治以降(1868年~)に近代化を志向して作 られた様々な建造物や碑は近代化遺産と呼ばれ, まちの魅力を構成する重要な要素として近年注 目が高まっている。彦根にも近代化遺産が非常 に豊富に存在している。  彦根の近代化はまず外貨獲得産業としての生 糸産業の導入によって進められ,長年主力産業 であったが,今ではすべてが取り壊されて遺産 として残されているものはない。近江鉄道の電 気機関車群や「辛苦是経営」の碑は今でも残る 近代化遺産である。金融業も近代化の過程で重 要な役割を果たした。旧百三十三銀行の建物は 今も銀座で銀行として利用されており,他に俳 遊館に利用されている信用組合建物などもある。  これら近代化遺産は,旧市街地内に点在して おり,群を構成しているものはない。ただ,旧 彦根高商の講堂として建てられた現滋賀大学講 堂,ヴォーリズ設計の滋賀大学陵水会館などの 教育文化関連の近代化遺産は,堀,石垣などの 近世遺産のなかに溶け込んで,独特の地区を形 成している。 図3 彦根旧市街地の近世遺構・近代化遺産の分布 教育関連近代化遺産 彦根民家地図 江戸期 明治期 大正期 ∼戦前

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3 彦根エコミュージアム構想の提案  城下町彦根の形成史および近世遺構の内容や 分布状況から判断して,彦根エコミュージアム 構想を次のように提案する。 ①テリトリーは,400年前に建造された「彦根 城と彦根城下町」とする。芹川以北でJR沿 線以西の地域はほぼ旧城下町と一致しており, この地域は共有する歴史・文化でまとまった 領域である。このテリトリーの外側の区域は, 現在市街化しているものの江戸期農地であっ たため,明らかに城下町とは異なる景観を呈 している。 ②地域全体の歴史や文化遺産の情報展示機能と 研究・学習機能を有するコアは,新たに彦根 城下町博物館(仮)として創設することを想 定している。今のところ目処が立っていない ことから,イベント時に彦根商工会議所の1 階ロビーを臨時に利用し,常時は滋賀大学設 置のサーバーを介して携帯電話で情報を提供 している。 ③江戸期の城下町では,身分や職業によって居 住地が決められていた。生活様式は身分や職 業で大いに異なることから,各居住地は独特 の地域文化をもっていたと考えてよいだろう。 当時の土地利用と遺構のまとまりから次のよ うにサテライトと発見の小道を想定する。 (城郭・内曲輪サテライト)  1郭・2郭から成る地区で,政庁および藩主の 屋敷地,上級藩士の屋敷,藩主の下屋敷,藩校 が置かれた。天守・彦根城博物館が衛星博物館 であり,城内の通路や内堀を走る屋形船を発見 の小道とする。  (商人町人サテライト)  かつて伝統的建築物群保存地区の調査が行わ れた地区で,江戸期魚屋町と呼ばれ,商人職人 が生活していた。大商人屋敷の旧広田邸(市指 定文化財)が衛星博物館であり,城町地区内の 通りを発見の小道とする。 (足軽組屋敷サテライト)  彦根藩最大の足軽部隊「善利組」が置かれた 地区で,両角に覗き窓のある辻番所とそれに併 設する足軽組屋敷が衛星博物館である。芹橋地 区内の通りが発見の小道で,「どんつき」「くい 違い」がいたる所に見られる。 (脇街道サテライト)  城下町と中山道を結ぶ脇街道で職人街・仏壇 街から成る地区。江戸期の町家が軒を並べてお り,その中で往時寺子屋であった建物を街の駅 として活用しており,これを衛星博物館とする。 通りに繋がる路地が迷路の様相を呈し,発見の 小道とする。 (芹川・雨壺山サテライト)  400年前に城下町形成のために付け替えられ た人工河川周辺とそれに連なる小高い山から成 る地区。湖東焼の創成期の窯場に因んで晒庵を 開設しており,これを衛星博物館とする。ケヤ キの連なる芹川堤と犬走り,雨壺山の山道を小 道とする。 表1 彦根エコミュージアム構想の骨子 テリトリー 「彦根城と彦根城下町」を出自とする彦根旧市街地 コ ア 彦根城下町博物館(仮)・・・商工会議所+滋賀大学サーバー(DB) サテライト 名称 衛星博物館 発見の小道 城郭・内曲輪 天守・彦根城博物館 城内通路,屋形船 商人町人 旧広田邸 城町地区内の通り 足軽組屋敷 足軽辻番所館 芹橋地区内の通り 脇街道 街の駅「寺子屋力石」 花しょうぶ商店街,七曲がり 芹川・雨壺山 晒庵 芹川堤・犬走り,山道 教育関連近代化遺産 滋賀大学講堂 学内散策路

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(教育関連近代化遺産サテライト )  江戸期中級武士の居住地区跡地に設けられた 滋賀大学彦根キャンパスから成る地区。大正17 年の創立時に建造された講堂を衛星博物館とす る。景観や眺望に配慮して設けられた学内散策 路を発見の小道とする。 ④彦根旧市街地には,各サテライトの歴史・文 化体験を巡る以外に,歴史上の人物の軌跡や 景観の連なりを辿る「小さな旅のテーマ」が 多数存在する。彦根エコミュージアム構想の 推進力とすべく,これらも付け加えるものと する。 (花の生涯コース)  幕府大老・井伊直弼の一代記『花の生涯』(著 者:舟橋聖一)の中で舞台となった寺社仏閣や 施設などを巡るコース (湖東焼コース)  湖東焼は直弼の時代を頂点に80年間存在し た焼物で,開始から消滅までが『藍色のベン チャー』(著者:幸田真音)として小説化された。 その舞台を辿るコース  (朝鮮通信使コース)  徳川幕府が善隣友好として朝鮮から招いた通 信使は,江戸に上る途中で彦根に宿泊すること を恒例にしていた。その足跡を辿るコース  (キャンパスツーリズムコース)  滋賀大学の彦根キャンパスは,城郭の一角に 位置し,「士魂商才」を建学の精神としている。 内堀沿い―大学構内―中堀沿いで「士魂商才」 を体感するコース 図4 彦根エコミュージアム構想の骨子 教育関連近代化遺産サテライト教育関連近代化遺産サテライト 彦根藩の施設 1.000石以上の家臣の屋敷  同 上 家臣の下屋敷 1.000石未満の家臣の屋敷 足軽衆の屋敷 町人の屋敷 湖沼・川・水路 道 路 土居・芝地 凡 例 教育関連近代化遺産サテライト 彦根藩の施設 1.000石以上の家臣の屋敷  同 上 家臣の下屋敷 1.000石未満の家臣の屋敷 足軽衆の屋敷 町人の屋敷 湖沼・川・水路 道 路 土居・芝地 凡 例

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4 彦根エコミュージアム実現に向けた実 践活動 1)発端としての日仏景観会議  発端は,滋賀大学産業共同研究センターが中 心になって主催し,平成15年(2007年)に開催 された,「日仏景観会議・彦根3)」であった。 その目的は,「日本の景観について,フランス との情報交流を行いながら,国際的視野にたっ て議論することにより,ひろく景観に対する意 識の向上を図るとともに,優れた景観の形成に 寄与すること」で,テーマは「時のデザイン」 とされた。 表2 彦根旧市街地の小さな旅のテーマ 小 さ な 旅 の テ ー マ 名称 内容 サテライトコース 江戸期の5サテライトを巡る(前頁図4参照) 花の生涯コース 井伊直弼の所縁の地を巡る 湖東焼コース 幻の湖東焼の史跡を巡る 朝鮮通信使コース 朝鮮通信使の足跡を辿る キャンパスツーリズムコース JR彦根駅から滋賀大学までを巡る 図5 小さな旅のコース 彦根藩の施設 1.000石以上の家臣の屋敷  同 上 家臣の下屋敷 1.000石未満の家臣の屋敷 足軽衆の屋敷 町人の屋敷 湖沼・川・水路 道 路 土居・芝地 凡 例 彦根藩の施設 1.000石以上の家臣の屋敷  同 上 家臣の下屋敷 1.000石未満の家臣の屋敷 足軽衆の屋敷 町人の屋敷 湖沼・川・水路 道 路 土居・芝地 凡 例

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 都市景観を守り育てるためには,各時代の歴 史の掘り起こしに加えて,市民がそれを知り楽 しみ慈しみ,未来に向けて働きかけていく,そ れを行政を始めとする関係者が協力・支援して いくことが必要だとの考え方からである。  市民が参加しやすい祝祭日の会議初日は,彦 根の価値の再発見を目指して,歴史解説,まち 探索,対話を行った。歴史解説は,近世,近代, 現代の時代区分での彦根の形成史であった。  会議二日目の討論の後,「未来に向けた宣言」 を採択し,実現に向けた努力を確認した。宣言 の内容を記すと,1)世界遺産にふさわしい彦 根都市ビジョンの作成,2)彦根らしい都市景 観の考え方や制度の研究と実現努力,7)歴史 ・ 文化や技術の調査・研究,教育と学習,4)街 なか観光や街なか居住の振興,5)永続的な「彦 根景観フォーラム」の組織化の5点である。 2)推進組織・彦根景観フォーラムの設立  「未来に向けた宣言」を実現すべく,早速, 平成16年(2004年)8月に,NPO法人「彦根景 観フォーラム」が設立された。日仏景観会議に 係わったメンバー(滋賀大学・滋賀県立大学の 教職員,彦根市・商工会議所・観光協会の職員, 建築士会・商店街連盟・ガイド協会のメンバー など)が主たる会員である。この時に設立され た「彦根景観フォーラム」がまさに推進組織と して,以降の活動を支えているのである。 3)彦根エコミュージアムに向けた実践活動 (1)まちの歴史を知ったうえでの小さな旅  歴史講演会,まち歩きなど,日仏景観会議と 同様のイベントを毎年実施してきた。歴史講演 会としては,「彦根の近世・近代・現代のまち づくり」,「幻の湖東焼」,「朝鮮通信使」,「脇街 道と善利組屋敷」などのテーマを随時取り上げ て,専門家の話を拝聴する。歴史的位置付けを 知った上で,その話にちなんだ名所旧跡をガイ ドの説明を受けながら小さな旅として散策する。 なお,専門家の話は地域の歴史を語るものとし て記録し,何時でも読み返せる状態にしている。 (2)調査・研究によるサテライトの発見  10年以上前に,滋賀県立大学の先生と学生 が,江戸期・明治期・大正期・戦前期に建てら れた古民家を地図上にプロットする調査を行っ た。このデータを逐次アップ・ツー・デイトす るとともに,デジタルデータ化を行い,いつで も分析できる状況を作り出している。また,こ のような伝統的な建造物が,いつでも復元・活 用できる状況をつくり出すために,正確な実測 図面づくりを行っている。さらに,往時の景観 の状況を示す古写真を発掘しデータ化を図って いる。  これら基礎的情報を使って分析した結果から 導かれた成果の一つが,サテライトの発見であ る。往時の土地利用規制と残存古民家の分布を 重ね合わせたところ,城郭内曲輪ゾーン,商人 町人ゾーン,足軽組屋敷ゾーン,脇街道ゾーン, 芹川雨壺山ゾーン,大学ゾーンなどが今も往時 の風致を残すゾーンとして析出された。 (3)サテライトを体感する衛星博物館  「街の駅・寺子屋力石4)」がサテライトを体 感する衛星博物館の第一号である。脇街道ゾー ンを構成する花しょうぶ通り商店街から,「250 年前に寺子屋であった町家が現在,使われてい ─────────────────── 3) 平成15年(2007年)9月27・24日,滋賀大学講堂 を主会場に開催した国際会議。フランスからは建 築家,シノン市の歴史的遺産担当官・都市計画課 長が参加。在日フランス大使館,建設省(当時), 滋賀県,彦根市の協賛を受け,実行委員会方式で 実施。筆者は副委員長を担当。 ─────────────────── 4) 江戸期,寺子屋であった古民家を再生した学習・ 交流施設(現代の寺子屋)。小学生対象の学び舎, 談話室,陶芸教室,手作り甲冑教室,喫茶などの 事 業 を 実 施。 滋 賀 大 学 と N P O 法 人 彦 根 景 観 フォーラムの指導と支援で,事業企画・建物改修・ 起業を行なう。彦根市河原町にある花しょうぶ通 り商店街の中ほどに位置する。

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ない。街のランドマークなので是非,活用した い。」という相談があった。早速,実測調査・マー ケット調査を行い,「街の駅」という考え方を 提唱した。各種助成制度に応募して,水洗トイ レの設置などの費用を捻出し,できるだけ手作 りで改装工事をおこない,平成17年(2005年) 10月にオープンした。「街の駅」とは,人と情 報が集まり散ずるみんなの空間で,いわゆるコ モンズである。運営組織として,「LLPひこ ね街の駅5)」を設立した。  平成19年(2007年)にオープンした「足軽辻 番所」は,足軽組屋敷サテライトを体感する衛 星博物館である。調査・研究によるサテライト の発見の過程において,「足軽辻番所」には注 目していた。両角に覗き窓をもつ辻番所は大変 珍しい上に,足軽組屋敷を併設しており,しかも, 通路などの基盤が往時のままに現存しているか らである。それが売却されることになり,早速 「彦根古民家再生トラスト6)」によって買い取 り,衛星博物館として活用する運動を開始した。 市民のこのような動きに市および議会が賛同し, 「文化財保護基金」制度を設立し,その資金で 市が購入することになった。市民による運営を 目指して「辻番所の会」を組織し,サテライト の衛星博物館として活用する道を進んでいる。 (4)現地体験場の発掘  脇街道サテライトを紹介する街の駅において, 月に2回のペースで談話室「それぞれの彦根物 語」を開催している。市民が自分独自の彦根の 住まい方・楽しみ方を語り,それを話の種に聞 きに来た人みんなが語り合うものである。これ までに60回を超える談話を重ねてきた。  この談話室では非常に多彩な話題が取り上げ られているが,それをテーマや分野,空間に括 ると,サテライトとそのコンテンツが明確に浮 かび上がってきた。例えば,城郭内曲輪ゾーン では藩主・重臣の生き方・住まい方,自然や四季, 芸能や教育などが語られ,まさに,これがこの サテライトのコンテンツである。同様に,足軽 組屋敷ゾーンではそのサテライトのコンテンツ にふさわしい足軽衆の家屋敷,身分・職制,住 まい方,冠婚葬祭などが語られた。芹川雨壺山 ゾーンでは,河川の付け替え前後の状況,堤防 強化のための植林と400年のケヤキ並木,雨壺 山の植生と寺社の歴史などが語られ,これがこ のサテライトのコンテンツといえよう。  このような話を記録として残し,同時に,史 実を確認する。また,語り部の案内でサテライ トを散策し,楽しみを追体験する。このような 積み上げは,文化,産業,自然の現地体験場の 発掘と呼ぶべきものであり,現在これらを紡い で現場体験の仕組みを構築する最中にある。 (5)公的計画との連動  彦根のシンボル彦根城は,平成4年(1992年) にわが国が世界遺産条約を締結した時点で,暫 定リストに登載された。しかし,それ以来長年 に渡って,本格登録への動きはみられなかった。 それが,上記のまちづくり活動の影響もあって, 本格登録に向けた機運の高まりがみられるよう になってきたのである。  その端緒は,筆者が委員長を務め,平成19年 7月にまとめた「彦根都市マスタープラン」で ある。「彦根城および城下町の世界遺産登録」 がはじめて彦根市の公的計画に記載された。こ れを受けて,平成19年6月に「彦根市景観計画」 が策定され,「城下町景観形成地域」が設けら れた。これは彦根の旧城下町全域を歴史的景観 を重視する地域に指定するものである。  その直後から,市長もメンバーに加わった ───────────────────

5) LLP(Limited Liability Partnership:有限責 任組合)は,事業を目的として組合契約によって 形成された企業組織体を言う。有限責任性・内部 自治原則・構成員課税に特徴がある。街の駅(上 記の寺子屋力石,戦國丸)は収益事業であること から,LLPを採用した。 6) 足軽辻番所の買取・修繕・活用資金を獲得する ために設立した任意団体。平成19年12月1日に発足 し,所期の目的を達成したことから平成20年12月 末日に解散した。筆者は会長を務めた。詳細は付 属資料を参照されたい。

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「世界遺産懇話会」が設けられ,世界遺産登録 のコンセプトの検討が始まった。そのコンセプ トにおいて,城郭内曲輪サテライト,商人町人 サテライト,足軽組屋敷サテライト,脇街道サ テライトが世界遺産城下町のコア・ゾーンに想 定された。市をあげて,歴史的遺産や文化,産 業,自然を本格的に調査する段階に進んだので ある。  また,平成20年5月の国会でいわゆる「歴史 まちづくり法」が制定され,彦根市が提案した 彦根歴史まちづくり計画が政府の1号認定を受 けた。この計画において,我われが衛星博物館 とした,足軽辻番所が保存修理の対象に位置づ けられた。  このように市民から始まった,彦根エコ ミュージアム構想実現の活動が,地元の行政は もとより国の政策とも連動してきたのである。 5 エコミュージアム実現に向けて彦根で 採った方法と成果 1)地域コンテンツ探究の方法と成果  エコミュージアムは,従来の博物館と違って, ある地域範囲のなかにある歴史文化遺産や自然 を体感し,その地域の住民とくに年長者の方の 記憶に基づく語りなどによって,来訪者の人た ちが理解を深める,という仕組みである。した がって,エコミュージアムを形成するためには, 「地域の生活,自然,文化や社会環境を史的に 探求する」方法を確立して,地域毎のコンテン ツを発掘し,同時にその語り部を見つけ出し続 ける必要がある。  彦根で採った方法は談話室方式である。何故 そのような方法を模索したのかを含めて紹介し, それを運営するための創意や成果等について報 告する。 表3 構想実現活動の歩み 2007 平成15年 平成16年2004 平成17年2005 平成18年2006 平成19年2007 平成20年2008 シンポジウム 日仏景観会議 景観シンポ 景観シンポ 景観シンポまちナビシンポ 景観シンポ彦根あそび博 景観シンポ辻番所シンポ 歴 史 解 説近世まちづくり近代まちづくり 現代まちづくり 幻の湖東焼 朝鮮通信使 脇街道と 善利組屋敷 新史料・井伊直弼 足軽部隊と辻番所 士塊商才 彦根藩足軽と   善利組屋敷 小 さ な 旅 花の生涯コース 湖東焼コース 朝鮮通信使コース 士塊商才コース サテライトコース 調 査 研 究 古写真発掘調査 古民家実測調査 古民家分布調査 世界の城下町出版 古民家実測調査 古民家分布調査 古民家実測調査 彦根歴史散歩出版 古写真発掘調査 古民家実測調査 古民家分布調査 古写真発掘調査 古民家実測調査 サ テ ラ イ ト 発 見 の 小 道 城郭内曲輪ゾーン 商人町人ゾーン 足軽組屋敷ゾーン 脇街道ゾーン 芹川雨壺山ゾーン 足軽組屋敷ゾーン 芹川雨壺山ゾーン 大学ゾーン 足軽組屋敷ゾーン 脇街道ゾーン 核 施 設 と サテライトの 歴史文化自然 街の駅開設 街の駅(談話室) 街の駅(談話室) 辻番所開設 パーソンズ出版 街の駅(談話室) 辻番所(サロン) 彦根足軽部隊出版 組 織実行委員会 彦根景観フォーラム 彦根景観フォーラム 彦根景観フォーラムLLP 街の駅 彦根景観フォーラムLLP 街の駅 彦根景観フォーラムLLP 街の駅 辻番所の会 行 政 世界遺産懇話会彦根市景観計画 世界遺産懇話会歴史まちづくり計画

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(1)狙いと手順 (方法)  話しやすい雰囲気の中で,コーヒーを飲みな がら,自分が楽しみで行なっている活動を生き 生きと紹介し,それを話の種にみんなで語り合 う。この方法を「談話室方式」と名づけ,「そ れぞれの彦根物語」と称した。  具体的には,江戸期に寺子屋として利用され た古民家(前述の街の駅)を談話室とし,筆者 がコーディネータとなって,その日の話題提供 者に自分自身の活動(彦根物語)を話してもらう。 それを聞きに来た人同士が交流し,談話する。 場の雰囲気を和ませる仕掛けがコーヒーの香り である。月に数回,土曜日の朝10時半から12時 まで開いており,平成18年(2006年)5月からは じめ,これまでに7年,60回以上に積みあがっ ている。 (狙い) ①サテライトの語り部候補者は,愛する地元を ベースに,自発的に自己実現活動を行ってい る人のなかにいると考えており,そのような 人を発掘する機会を設けることが第一の狙い である。 ・自発的な自己実現活動は趣味的学習的なもの が多いことから,その活動を「それぞれの彦 根物語」と名づけた。 ・趣味的学習的な活動であっても,その成果の 社会的評価を得たいとする欲求はあり,それ に応える機会を設ければ,名乗り出て話し手 になってもらえるものと考えた。 ・また,評価を受けるに値する場で話すという ある種の権威づけが必要だと考えて,大学人 がコーディネータを勤め,本学とNPOが主 催と支援をする形をとった。 ②語り部候補者は必ずしも話慣れた人ばかりで はないため,話易い・親しみやすい場の設定 が特に重要である。そこで,リラックスした 雰囲気をもつ談話室方式にしたのが第二の狙 いである。 ・誰でも気楽に出入りできる街の駅,しかも, 温もりのある木造古民家で,民芸調の内装が 施されている。コーヒーの香りがゆったりと した雰囲気を醸し出す。 ・時間と興味のある人は誰でも参加でき,質問 したり・意見を述べたり・対話をしたり,そ れらが自由にできるオープンな空間である。 (談話室方式の運用手順)  運用手順は,大きく事前準備,当日の談話, 事後処理に分かれる。 ①事前準備活動(概ね7ヶ月前から前日まで行 なわれる活動) ・談話室で採り上げるテーマを決める(話題性・ 新規性などを重視する。鋭敏なアンテナを常 に上げておく必要があり,ブレインストーミ ングで決める) ・テーマにふさわしい話し手をピックアップす る。(テーマを決めた段階で話し手の一人に ついては目処が立っている場合が多い。同じ テーマで何回かの談話室を開きたいことから, その人以外の話し手をピックアップしている。 人の繋がり,新聞などメディアの情報などが 重要な情報源である) ・話し手と出演交渉を行い,了解が得られれば, 日程調整・話のタイトルなどを決める。また, 話し手に当日のプレゼン方法の意向を聞き, プレゼン資料作成への協力支援を申し出る。 ・当方でチラシを作成し,各種のチャンネルを 使って広報活動を行なう。(自前のホームペー ジやメールグループ,また,リンクを張った 他のメールグループへの広報活動が有効であ る。これらメールグループには報道関係者も 多数参加しており,新聞,テレビで報道して くれる場合もある) ②当日の談話(土曜日の午前10時半から12時ま での1時間半の談話室) ・場の設定(温度・照明など会場の環境整備, プレゼン方法に応じた機器の設営,資料配布, 参加者の確認―新規参加者はメールグループ

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に追加―など) ・談話(話し手・タイトルの紹介,映像や実技 を交えた話し手によるトーク,コーヒーを飲 みながら参加者との対話,写真撮影と記録取 りなど) ③事後処理(7日から1 ~ 7ヶ月) ・話し手による400字の要約原稿の作成(7日後 には大学ホームページで公開) ・詳細記事の作成(1ヶ月後に NPOホームペー ジで公開) ・NPO情報誌や出版物で公開(定期情報誌“き らっと彦根”にて公開,反響によっては出版) ・話し手にガイドして貰いながらのサテライト の散策(散策の企画に合わせて) (出演謝金や会場費など)  多くの話し手は,彦根在住か彦根勤務の方 である。そのため,交通費は発生しない。遠 方の場合のみ,交通費を支給している。また, 謝金は支給していない。その対価は,発表機 会の提供,ネットワーク作りの機会の提供, 発表成果の各種手段を通じた広報などである。 これまで謝金を理由に出演を断られたことは ない。  会場として使用している街の駅は,本学の 協力と指導によりオープンしたという経緯が ある。その過程で会場の利用権を提供して貰 う合意が出来ているため,無料で利用してい る。パソコン・プロジェクター・スクリーン なども設置している。  話を聞きに来るひとの参加費用も無料であ る。ただし,一杯200円のコーヒー代は自己 負担でお願いしている。このコーヒー代は街 の駅の収入となる。 (2)談話室で話された彦根物語の特徴 ①現在も継続中であるが,概ね7年間重ねた談 話室の特徴は次のように要約できる。 ・ 話し手は,NPOやボランティアを実際に 行っている人が最も多く,全体の77%を占め, 次いで教員が20%を占める。後は,経営者・ 商店街メンバー・講師の順である。学生が話 し手になるケースも現れている。話し手に共 通している特徴は,職場か住居を彦根に置き, 研究テーマにしろ,趣味や活動のテーマにし ろ,彦根を対象としている。 ・ これらの話し手を見つけ出し,出演交渉を 行った交渉者は,勿論主催者が58%を占めて 最大であるが,会場である街の駅の経営主体 LLPが25%を占める。このLLPは,街の 駅が立地する商店街の商店主を中心に多彩な メンバーで構成されており,それぞれの人の 緊密なネットワークが話し手の発掘や交渉に おいて有効であった。また,自ら名乗り出た 人も4名あり,さらに,談話中に上がってき たテーマを,聞き手であった大学関係者が調 べて,その成果を話題として提供したケース もある。 ・ 79回までに取り上げられたテーマは,「歴史」 「自然」「文化」「建築」「観光」が中心であっ たが,40回からのテーマは「彦根城築城400 年祭」が16回を占めた。それは,2007年に開 催された「400年祭」を盛り上げた市民グルー プに話し手になってもらう企画のためである。 ・ 話の現場はどこであるかを見ると,既に記述し た城郭・内曲輪ゾーン,善利組屋敷ゾーン,芹 川・雨壺山ゾーン,脇街道・七曲ゾーンに加えて, 近代化遺産の集積ゾーン,石田三成の居城の あった佐和山ゾーン,100年前に英国人画家が 滞在した天寧寺ゾーンが上がってきた。 (3)談話室の開催で得たもの ①話し手の方から次のような感想が聞かれた。 「わくわくして発表の準備をした」,「勉強が 楽しかったのは生まれて初めて」などで,人 前での話となると,手馴れた活動とはいえ, 活動の見直しを必要とし,さらに人にわかる ようなストーリー立てとそれに応じた資料の 整理が必要である。その準備がわくわくする のであり,また,事実の確認のための勉強が

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表4 談話室「それぞれの彦根物語」 回 内      容 分類 話題提供者 交渉者 1 「その後の直弼:20世紀に生きた郷土の偉人」 歴史 教員 2 「私の好きな彦根のスポット」 自然 教員 3 「林檎・ワリンゴ・彦根りんご」 歴史 学芸員 4 「彦根で出会ったもの」 文化 NPO LLP 5 「彦根あれこれ」 文化 NPO LLP 6 「井伊直弼~新しい人間像をさぐる」 歴史 郷土史家 LLP 7 「お茶と庭─白露庵見学 茶室と茶庭─」 建築 教員 8 「ヴォーリス建築と再生」 建築 NPO 9 「伝統的木造建築と私」 建築 宮大工 10 「青い目で見る彦根:70年以上彦根に住んでいる経験」 文化 教員 11 「江戸時代、彦根の女性の旅─自芳尼『西国順拝名所記』から─」 歴史 教員 12 「絵本から広がる世界『私のギャラリーに、ようこそ!』」 文化 ボランティア 名乗り出 17 「水戸から見た『桜田門外の変』─彦根と直弼─」 観光 NPO 商工会議所 14 「新しいまちづくり型観光」 観光 コンサルタント 15 「料亭の女将が語る『一期一会』」 観光 女将 商工会議所 16 「当世観光の裏事情」 観光 経営者 商工会議所 17 「佐和山を10倍楽しむ法」 観光 郷土史家 LLP 18 「女将が語る『袋町今昔物語』」 観光 女将 商工会議所 19 「伝統的建築物群保存地区(伝建地区)のまちづくり」 建築 県職員 20 「私達のボランティア支援について」 文化 ボランティア LLP 21 「商店街~過去~現在~未来へ」 観光 連盟会長 商工会議所 22 「100年前に描かれた彦根 ─英国人水彩画家パーソンズのまなざし─」 歴史 NPO 談話室 27 「画家パーソンズが日本に見ようとしたもの」 歴史 教員 談話室 24 「洋画家 父・島戸繁と彦根」 文化 画家 25 「彦根南部の民話」 歴史 NPO 26 「滋賀大学キャンパスツーリズム構想」 観光 教員 27 「彦根史話のいろいろ」 歴史 NPO 28 「彦根市で大切にしたい自然」 自然 NPO 29 「彦根市の野鳥」 自然 NPO 70 「彦根城の自然」 自然 NPO 71 「長野義言とその門人 中村長平」 歴史 郷土史家 72 「文学にみる彦根」 文化 講師 77 「滋賀大学 士塊商才の道をたどる」 歴史 教員 74 「彦根近代の立役者‘幻の彦根製糸場’」 歴史 教員 名乗り出 75 「彦根藩と琵琶湖」 歴史 教員 76 「表千家茶道を楽しむ」 文化 講師 77 「アフガンでの NPO 活動」 文化 NPO 78 「植物との語らい ─会えてよかった─」 自然 NPO 79 「まちなかギャラリー 実動80日」 400年祭 NPO 40 「ゆらっと遊覧 彦根城お堀めぐり」 400年祭 NPO LLP 41 「彦根城築城400年祭の市民サポーター ─彦根を盛上げ隊」 400年祭 NPO LLP 42 「音楽で生活をおもしろく (^o^)、会場のみんなで演奏♪」 400年祭 講師 LLP 47 「佐和山一夜城復元プロジェクト」 400年祭 商工会 LLP 44 「ベロタクシー ~町の風景になじむ移動手段」 400年祭 NPO LLP 45 「彦根に素晴らしいものがありました─彦根まちなか博物館」 400年祭 商工会 LLP 46 「ひこねまち遊びケータイ「ひこにゃんをさがせ」」 400年祭 学生 名乗り出 47 「彦根地場産業(ファンデーション)について」 歴史 学生 名乗り出 48 「城下町彦根を描く─故郷彦根は畢生のテーマで最高のモチーフ─」 文化 講師 49 「写真でみる彦根の今と昔」 文化 有志 50 「井伊直弼・大老料理の再現」 400年祭 生協職員 51 「県内芸術家さんとの出会い─高宮蝸牛アート展について─」 400年祭 NPO 52 「400年祭経済調査から見えてきたもの」 400年祭 教員 57 「生まれ変わった商店街・四番町スクエア・新しい街への取り組み」 400年祭 商店街 LLP 54 「毎回大変な彦根城下町検定試験について」 400年祭 商店街 LLP 55 「花しょうぶ一二将!汗と涙の奮戦記」 400年祭 商店街 LLP 56 「「彦根遊び博」の発想・仕掛け・企画・実行」 400年祭 NPO 57 「「それぞれの彦根物語」での出会い」 400年祭 NPO

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楽しいという感想に繋がったのである。この ような前向きな気持ちは,今後語り部として 活躍するベースになるのではないかと期待し ている。 ②詳細記事を書き続けた人の感想を紹介する。 「「それぞれの彦根物語」によって,彦根の秘 められた歴史や自然,魅力的な人物や市民活 動についての知見が増えただけではない。私 にとっては,自分の感性が徐々に磨かれて いった実感がうれしい。芹川のケヤキ並木や 小さな花の美しさに気づき,素晴らしい画家 や音楽家,建築家,文学者,経営者や若い起 業家,学生達やボランティアの人たちの思い にふれて,町の息づかいや流れる空気,自然 の奥深さに心が開いていくような感覚を味わ うことができた。   世界が変わったのではない。自分が変わっ たのである。多くの素晴らしい語り部に接す ることから得たものは,見えないものを見え るように表現し,自分に思い切り引き寄せて 考えることが大切だと思うようになったこと である。」 2)地域資産保存の方法と成果  エコミュージアムの形成における大きな問題 の一つは,歴史的建造物が徐々に壊されて地域 の歴史とはかけ離れた新しい構造物が建てられ, サテライトとしての特性を失っていく懸念であ る。「城郭・内曲輪」は特別史跡彦根城跡に指 定されていることから恒久的保存が保証されて いるが,他のサテライト候補地は,民有地であ り古民家であることから,これからも地域の特 性を維持し続けるという保証はない。それだけ に,これら土地・家屋所有者の存続意思を喚起 し高揚を促すことが重要であり,また,土地・ 家屋の存続を応援する行政の支援措置が重要で ある。  彦根の「足軽組屋敷」も同様の状況に置かれ ており,早急の対応が求められている。2007年 夏頃,このサテライトを象徴する古民家が売り に出されるという情報がもたらされた。この古 民家所有者と交渉する中から,「トラスト運動」 方式とでも呼ぶべき方法を行うことになり,約 1年間の運動により,一定の成果が得られた。 ここでは,何故そのような方式をとったのかを 含めて紹介し,それを運営するための創意や成 果等について報告する。 (1)問題の発生,所有者との交渉 (問題発生)  「足軽組屋敷」地区には,江戸期に700軒の足 軽組屋敷が立ち並んでいた。現在,足軽組屋敷 は70軒弱が点在するに過ぎなくなったが,幅一 間半で「どんつき」「食い違い」のある筋を保ち, 往時の雰囲気を伝えている。今では,街なかの 閑静な住宅地である。  この地区のほぼ中央部に,両角に「覗き窓」 のある辻番所と足軽組屋敷が残されている。こ の古民家を所有者の事情により売却したいとい う意向が伝わってきた。所有者の要望に応えつ つ,この建物をどのように維持するか,重大な 問題が発生した。 (所有者との交渉)  早速所有者と連絡をとり,その意思を確認し た。まず,当方から会見申し込みの理由を次の ように説明した。「この建物は足軽組屋敷地区 の歴史を語る上で貴重なものだと認識している。 手放す意思を事前に伝えて貰えたのは,建物保 存の方法を考える時間と機会をいただいたこと になり,大変有難く感謝している。我々として は,永久に保存再生したいと考えており,当方 に貸すか,または,寄付を考えてもらえないか。」  先方からは,次の返答があった。「先祖は700 石取りの彦根藩士であった。明治維新によって 従来の家・屋敷の維持は困難になった。そこで, 先々代がそれを手放して,身の丈にあった家と してこの建物を購入した。自分はここで育った が,就職を機会に他の都市で生活することにな り,この家は人に貸してきた。ここ数年は借り

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る人もなく,空家の状態である。事前に売却の 情報を知らせたのは,これまで世話になった彦 根に対する思いからである。今や彦根には親族 もいないし老後の資金の確保が必要なことから, 市場価格で売却したい。」  交渉の結果,次のような結論に達した。「こ の建物の先買い権をわれわれに与える。その期 限は6 ヵ月後の平成20年(2008年)7月末とする。 われわれが購入する場合は,利益を生み出すた めではなく保存再生のためという考えに賛同し て,市場価格の9掛けとする。」 (NPO 内部の議論とそこでの結論)  所有者との交渉と並行して,内部で保存再生 の方法についての議論を積み上げてきた。そこ で出た主な方法は次の7つである。1つ目は市当 局に陳情して市の財政負担で購入してもらう方 法,2つ目は資金的にゆとりがあり保存再生に 理解のある有力者に購入してもらう方法,7つ 目は不特定多数の市民による募金によって市民 団体で購入し再生する方法である。  2つ目の有力者購入の方法は時間制約のある 中で魅力的な方法であり,実際にその可能性を 模索した。有力者が見つかったものの,その条 件は今のままの状態で凍結するものであった。 建物だけは今しばらく残るものの,この建物を 活用したサテライトの衛星博物館としての利用 はできないことから,手を尽くした後の最後の 手段という位置づけにした。  合意をみた方法は,1つ目と7つ目の方法の組 み合わせ案であった。本来,このような物件は 市が買取って所有し,地元に住む市民が自分た ちの資産として自主的に運営すべきである。し かしながら,所有者の事情を考えると迅速な行 動と決断が必要であり,行政のスピード感では, 対応に限界がある。そこで,市民の力によって 浄財を集めつつ売買交渉を進め,念願かなった 暁には,市民による自主運営を担保しつつ市に 寄付するという道筋である。  以上の議論を経て,平成20年(2008年)7月末 までに,「辻番所をもつ足軽組屋敷」の保全に 賛同する方々から寄付をいただき,基金をつ くって「トラスト(信託)方式」で土地・家屋 を買い取ることに決まったのである。その後は 時間をかけて,本来の姿に再生することにした。 (2)狙いと活動実態 (方式)  「辻番所をもつ足軽組屋敷」の買取・修繕・ 活用を目指して「彦根古民家再生トラスト」を 結成し,この組織を中心に地域の歴史的価値啓 発活動,パブリシティ活動,募金活動を組織的 計画的に行う。目標金額は1000万円とした。  組織化にあたっては,地元在住で誰もが知っ ている有力者(景観審議会会長・陶芸家・文化人・ 財界人)と運動の責任者(NPO法人理事長)が 呼びかけ人になる。この呼びかけ人の名前で記 者発表をおこない,同時に多くの人にトラスト 発起人就任を個別に要請する。この発起人には 一口5万円の寄付と自身のネットワークを通じ て募金活動をお願いする。  応じてくれた発起人で「彦根古民家再生トラ スト」総会を開いて,理事と監事を選任し,以 降の活動は理事会による決定と責任で実施する。 特に資金管理の責任とトラストの対応方針につ いての意思決定が重要な役割である。  実践活動としては,地域の歴史的価値啓発活 動を特に重視し,足軽に関する歴史解説,足軽 地区と組屋敷の構造解説,足軽地区の散策と建 物の内覧,建物利用に関するワークショップな どを精力的に実施する。 (狙い)  「辻番所をもつ足軽組屋敷」の買取・修繕・ 活用を目指して模索した「トラスト運動方式」 の狙いは次のように整理される。 ①トラスト運動方式は,その主宰者の信用を ベースに,多くの市民の寄付によって資金を 集めるものである。信頼できる呼びかけ人と 発起人の参加が非常に重要であり,このよう

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な人たちの賛同が初期の段階で得られれば, 運動の目処が立ちやすい。このようにこの方 式採用の第1の狙いは,運動のベースに信頼 を置くことによって,運動の輪を拡げること にある。 ・平成19年(2007年)11月7日に呼びかけ人会 議を行い,その結果を踏まえて,11月7日 に募金キャンペーン開始の記者発表を行い, その中でトラスト発起人の呼びかけを行っ た。新聞各紙は大きく報道してくれたため, 衆目を集めることとなった。 ・呼びかけ人がトラスト発起人候補者に個別 に運動の説明と参加の要請に回った。新聞 で報道されたこともあって,事情は既に理 解されており,比較的早期に目標の発起人 を募ることができた。 ・12月1日に,彦根古民家再生トラストの設 立総会を開催した。総会会場は対象施設で ある足軽辻番所の座敷である。発起人の多 くは初めてこの建物を内覧し,この運動の 意義を体感した。また,理事・監事11人を 選び,会の規約も承認された。 ・翌日の新聞各紙は,この設立総会の様子を 大きく報道し,これから募金キャンペーン が本格化することが印象付けられた。 ②多くの市民がトラストの呼びかけに応じてく れれば,この運動は一部の人たちのものでは なく,自分たちの運動であるという当事者意 識を醸成しやすくなる。トラスト運動はこの 当事者意識を喚起するものであり,そのため の補助手段として,シンポジウムやワーク ショップなどを行った。 ・募金キャンペーンの趣旨を記したチラシを 作成し,発起人を介して,NPOのメンバー を介して,賛同する多くの市民を介して, 広く配布された。 ・市民団体や業界団体などが開催するイベン トに可能な限り参加し,その場で趣旨を説 明し寄付を募った。また,この運動に協賛 する商業店舗に募金箱を設置した。 ・地元町内会自治会に働きかけて,後述のイ ベントへの参加勧誘と建物保存の趣旨説明, および,寄付の必要性を説明した。 ・芹橋散策イベント,辻番所シンポジウム2 回,辻番所活用ワークショップ2回開催し, その場に募金箱を設置し,寄付を募った。 (3)トラスト運動の効果と影響,市への提案 (効果と影響)  このようなトラストの自主的な活動は,多く の市民や行政・議会に熱い思いを伝えた。トラ スト運動開始報道の1 ヶ月後には,約60人もの 方が発起人になって,早速設立総会を開くこと ができた。その後も順調に募金が積み上がって いった。  行政や彦根市議会にも動きが出てきた。平成 19年の12月議会に「文化財保護基金条例」が上 程され,その審議過程で「足軽辻番所のような 案件に対処するため」という説明があり,明ら かにトラスト活動が条例制定に影響を与えたと 思われる。  ただ,残念なことに,この条例制定によって 辻番所問題は解決したと多くの市民に受け取ら れ,その後の募金は低調で,2月末時点で700万 円弱に留まった。 (市による買取・民による自主運営の提案)  足軽辻番所の所有者と約束した期限,7月末 が迫ってきた。しかし,必要な資金が集まらな い。トラスト理事会で対処の方法を議論した。 理事会メンバーが不足額を等分で負担する案, トラスト名義で銀行から融資を受ける案なども 上がった。  その中で,トラスト結成時の考え方に立ち帰 る案が最も妥当だという結論に達した。つまり, 「本来,このような物件は市が買取って所有し, 地元に住む市民が自分たちの資産として自主的 に運営すべき」という考えの実現である。つま り,集めた資金とトラスト運動が設立に貢献し た「文化財保護基金」を組み合わせて,足軽辻

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番所を買取り・市民によって管理運営する,と いう考え方の推進である。  早速,市当局に対して「トラストで集めた募 金は市に寄付する。それを有効に使って,「市 による買取・民による自主運営」を図る」とい う提案をした。市当局もわれわれの思いを正面 から受け止め,提案の受け入れを決断した。 (寄付をいただいた市民への説明)  「トラストで集めた募金は市に寄付する」と いう決定は,トラスト理事会の合意を得たもの であるが,トラスト会員(発起人と同一人)や 一般の寄付者に説明し同意を得たものではない。 「市による買取・民による自主運営」という考 え方も,これらの人たちに正式に話したもので はない。  トラストという信頼をベースにした運動を展 開している以上,これらについて意を尽くすこ とが不可欠である。そこで,住所や電話番号, メールアドレスなどで連絡の取れる方すべてに, 封書または電話,メールを通じて,経過,考え方, 提案内容,今後の展開などについて説明した。  また,連絡の取れない方も含めて一般の市民 に知らせるために,記者発表という方法をとっ た。全国紙・地方紙・地元紙・テレビ・ラジオ などほとんどのメディアが取り上げてくれ,十 分に当方の考えは伝わったと考えている。 (自主管理組織立上げ)  「市による買取・民による自主運営」という 考え方を進めるためには,地元市民による運営 組織を組成し,その組織が中心になって地元で 有効に活用し続ける仕組みの構築が必要であ る。  足軽辻番所のある芹橋地区は人間関係が非常 に複雑なため,地元市民による組織づくりなど 無理である,特に,足軽組屋敷の価値を評価す る人は僅かなため,その運営組織に参加する人 などいない,と見られていた。しかし,地元在 住の呼びかけ人自らがその趣旨を説明して参加 を依頼したところ,比較的短時間に運営組織を 立ち上げることができた。  地元の通念に反して地元運営組織が出来た理 由を関係者で議論したところ,次のような解釈 となった。 ①これまで地元の人たちは,足軽組屋敷や辻番 所などを,古くて暗くて汚い建物で,早く建 替えるべきだと考えていた。 ②ところが専門家がトラスト運動を起こしてま で保存しようとし,それに呼応して市が買取 る決断をした。 ③これをみた地元の人たちは,この建造物が実 は歴史的価値の高いものだと考えるに至り, これらは残さなければならないし,それに貢 献できるのであれば自ら参加したい,という 通念の転換が生じたものと考えられる。 ④事実,壊そうと考えていた(足軽組屋敷であ る)自分の家をできるだけ利用し続けたいと いう発言が随所で聞かれるようなった。  このことは,トラスト運動の開始時に目的と した「歴史的建造物所有者の存続意思を喚起し 高揚を図る」,ということについて一定の効果 が出たことを示している。 (集めた資金の寄付とトラストの解散)  平成20年(2008年)12月26日,当トラストが 集めた資金を彦根市に寄付し,直ちに,理事会 を開いて,トラストの解散をおこなった。市へ の寄付金額は600万円強。これは集めた資金から, 辻番所の(庭の手入れ +応急耐震工事)にかかっ た費用を差し引いたすべての金額である。  辻番所の運営については,地元と彦根景観 フォーラムが協力連携してあたることとし,地 元組織として有志による「彦根辻番所の会」が 平成21年(2009年)10月10日に設立された。足 軽辻番所の所有者である彦根市当局と協議を重 ねながら,運営にあたる所存である。

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6 地方歴史都市におけるエコミュージア ム形成モデルとしての考察  7年間に亘って実践してきたまちづくり活動 を整理して,「彦根エコミュージアム:構想と 実現活動」として提案してきた。彦根は間違い なく,わが国を代表する地方歴史都市であり, ここでエコミュージアム形成の進捗がみられる ことの意義は大きいと考えている。そのことを まず,エコミュージアム形成史の観点から考察 する。  ついで,地方歴史都市におけるエコミュージ アム形成モデルの端緒を開く目的で,彦根エコ ミュージアムを成立せしめる主たる要因につ いて明らかにし,形成モデルの方向を考察す る。 1)エコミュージアム形成史からの考察  フランスでエコミュージアムの壮大な実験 が始まったのは,地方分権制度が導入された 1960年代に入ってからである。それまでのフ ランスは,中央集権制の強い国家で,その影 響もあって地方経済は振るわず,人口の流出 なども顕著で,地方の疲弊は憂慮すべき状況 にあった。この地方分権制度の導入に併せて, 中央と地方の経済格差是正策として全国に地 方自然公園が設けられた。この環境変化を捉 えて,エコミュージアム形成活動が始まり, その後の発展が始まったのである。 ① 第1期としての農山村地域型エコミュージ アム(自然植生・遺産)  エコミュージアムは地域独自の自然・歴史・ 文化に係る遺産や生活に着眼する活動である ために,地域のことは地域が自由に考え,地 域の人たちで実行することが不可欠であり, そのことが地方分権によって可能になったの である。また,地方自然公園に指定された地 域においては,自然や環境はもとより,集落 や生活の再生に対して国費が投ぜられるとと もに,地方による管理運営が認められた。  これらはエコミュージアムの推進において不 可欠の条件であり,それらが共に揃うという 社会環境の変化を機敏に捉えた,第1期のエコ ミュージアムは農山村地域型エコミュージアム であった。  1980年代に入り,日本にもエコミュージアム の考え方が導入され,推進活動が始まった。山 形県朝日町や千葉県富浦町,広島県高宮町な どがそれである。いずれも農山村地域型エコ ミュージアムで,わが国でも当初はこのタイプ が主流であった。 表5 足軽辻番所の再生キャンペーンの経過 2007年 8月初旬 足軽辻番所の所有者より売却の意向が伝わる 9月12日 NPO 彦根景観フォーラム会議で対応策の検討を決定 (対応策の検討) 10月10日 NPO 彦根景観フォーラム会議で募金活動の実施を決定 (募金活動) 10月71日 彦根古民家トラスト呼びかけ人会合 彦根古民家トラスト発起人交渉 11月7日 彦根古民家トラスト設立の記者発表 11月11日 募金キャンペーン開始(芹橋散策イベント) 彦根古民家トラスト発起人交渉 12月1日 彦根古民家トラスト設立総会 (募金活動) 12月末日 文化財保護基金条例の議会承認 2008年 1月18日 第1回トラスト理事会(市買取・寄付案俎上に) (募金活動) 3月15日 第1回辻番所シンポジウム 3月16日 市長へ市買取の打診(戦国商店街宣言日) (募金活動) 3月末 市買取を6月議会提出を決定 4月4日 第2回トラスト理事会(市買取・寄付を承諾) (募金活動) 6月1日 第2回辻番所シンポジウム(利用ワークショップ) 6月2日 彦根市20年度補正予算で辻番所買取を発表 6月20日 第3回トラスト理事会(応急対策・寄付・運動継続) 7月20日 ~9月5日まで応急耐震工事 7月24日 3日(24.25.26)で庭の植栽手入れ 8月2日 第2回足軽辻番所利用ワークショップ 8月末 彦根市が足軽辻番所を購入 8月末 足軽辻番所の管理について市と協議 9月12日 芹橋有志の会準備会1 10月4日 芹橋有志の会準備会2 10月10日 彦根辻番所の会発足 10月25日 第4回トラスト理事会(寄付・解散) 10月29日 トラストの寄付と解散について新聞発表 12月26日 彦根市教育委員会教育長室にて小切手の形で寄付 12月26日 第5回トラスト理事会(解散手続き)

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② 第2期 と し て の 地 方 部 の 町 村 連 合 型 エ コ ミュージアム(空間の博物館)  自然植生や自然史の遺産をサテライトとする 農山村地域型エコミュージアムが第1期とすれ ば,ある時点の人間の足跡をサテライトとする 町村型エコミュージアムが第2期である。ある 時点の足跡を象徴するサテライトが空間的に広 がっていることから,別名,空間の博物館と呼 ばれている。  代表的な例としては英国の「アイアンブリッ ジ―ゴージ」がある。ここは18世紀産業革命の 発祥地の一つであり,セバーン川上流の製鉄工 業を主軸とした産業遺産である。往時の製鉄所, 積出港,世界初の鉄橋,徴税所などでサテライ トは構成されている。  また,サテライトの数が限られる場合は,地 方部町村の連合でテリトリーを設定するケース も多い。この特徴に着眼して,地方部の町村連 合型エコミュージアムと呼ばれることもある。  日本では,島根県吉田村の「鉄の歴史村エコ ミュージアム」,横田町「神話とタタラの里エ コミュージアム」などが産業遺産をベースとし, 長野県須坂町・愛知県足助町・山形県金山町な どが歴史的街並をベースにしてこのタイプのエ コミュージアムの形成を進めている。 ③ 第3期としての都市型エコミュージアム(時間 の博物館)  ニュータウンなどの一部を除く大半の都市は, ある時代に建造された建物と都市基盤を生かし つつ,徐々に次の時代に合った建物と都市基盤 に改修・改築され,また,新たに建造されるこ とによって,形成されてきた。つまり,現在に 生きる都市も,過去の足跡を年輪のように刻ん で出来ているのである。  この年輪として残されている歴史・文化・自 然遺産を,サテライトとして機能させることが できれば,現代の都市にもエコミュージアムを 形成できることになり,そうだとすれば一つの 都市の中に存在する,時代が積み重なった時間 の博物館と呼ぶことができる。  しかし,②で述べた地域と違い,それぞれの 都市は,現在でも時代の変化のなかで生き抜く べく,発展(あるいは脱皮という表現の方がふ さわしいかもしれない)を続けている。  このことがサテライトの成立を極めて困難に する。時間の経った歴史・文化・自然遺産は, 特別な価値を発見できない限り,時代の要請に 合わせて改修・改築されるのが必定である。また, 仮にこれら遺産が残ったとしても,その遺産が 語る往時の生活や暮らしを学習できたり体験で きたりしなければ,サテライトとは呼べない。  つまり,このタイプのエコミュージアムを成 立させるためには,その都市に対する市民の誇 りとそのことを象徴する歴史・文化・自然遺産 に対する愛着が不可欠で,その上に立って,こ れら遺産とその中で営まれた往時の生活に,新 たな現代的価値を見出し,根気よく,かつ,体 系的に,サテライトづくりを実践することが必 要なのである。  このような成立条件の困難さが,このタイプ のエコミュージアムが世界的にも少なく,日本 においては皆無の状況をもたらしているのであ る。そのような中で,彦根エコミュージアムは これらの成立条件の困難さを乗り越えて,形成 の目処が立ってきたのである。このことの持つ 意義は大変大きいものと考えている。それは, このケースの形成過程を一般化できれば,都市 型エコミュージアム形成モデルが構築できる可 能性を持つからである。 2)エコミュージアム形成条件からの考察  上述したように都市型エコミュージアムの形 成には,乗り越えるべき様々な条件がある。そ の条件の主要なものを洗い出し,彦根では何故 それらを乗り越えることが出来たかについて考 えてみたい。 ①地域社会が主体的に取組めるか  フランスで始まったエコミュージアム運動の

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