著者
大村 美保
雑誌名
福祉社会開発研究
号
6
ページ
47-58
発行年
2014-03-31
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006505/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja福祉社会開発研究センター 客員研究員 国立のぞみの園研究部 研究員
大村 美保
障害者権利条約第 19 条に関する公定訳の課題
―条約制定過程に着目して―
キーワード: 障害者権利条約、第19条、入所施設、制 定過程,公定訳1.はじめに
2006年に国際連合(以下、国連)総会で採択された障 害者の権利に関する条約(以下、障害者権利条約)につ いて、日本政府は2007年9月28日に条約に署名しており、 同条約の締結に必要な国内法の整備ⅰ)を行ってきたが、 障害者基本法や障害者差別解消法の成立に伴い国内の 法律が条約の求める水準に達したとして、2013年末の 第185回国会(臨時国会、会期2013年10月15日~ 12月8日) においてその批准案件が内閣から提出され、衆参両院 で審議・可決されたⅱ)。2014年1月20日には批准書を国 連事務総長に寄託し、その批准が行われたところであ る。これにより、2014年2月19日には我が国において障 害者権利条約が発効することとなる。 本稿は、障害者権利条約第19条の英語原文にあるa particular living arrangementについて、2001年に国連 総会において特別委員会の設置が決まってから2006年 12月に国連総会で採択されるに至るまでの障害者権利 条約の条約制定過程に焦点を当て、その議論を確認す ることによって、我が国の公定訳である「特定の生活 施設」という日本語訳の問題点を明らかにするととも に、訳語問題とその解釈に関する国会審議の内容を記 録するものである。 国連の公用語は英語、フランス語、ロシア語、中国 語、スペイン語、アラビア語の6か国語であり、国際条 約はこの6か国語で表記される。そのため、我が国で批 准を行う際には政府により日本語訳が行われる(公定 訳)。条約は憲法の下位でありかつ他の国内法の上位に あると解され、条約の内容を具現化するための国内の 実施体制に公定訳が与える影響は少なくないものであ る。そのため、この問題に焦点化した議論を整理する ことは、障害者権利条約の理念を具体化し我が国で障 害者施策を実施する上で重要な意味があると考える。 本研究は文献研究である。国連ホームページのUN enableに掲載される障害者権利条約に関するアーカイブ 資料及びその他の関連文献を用いた。2.第19条の概要及び日本語訳
検討に先立ち、まず、障害者権利条約及び同条約第 19条の概要、及びその日本語訳について確認しておき たい。(1)障害者権利条約について
障害者権利条約は、全ての障害者によるあらゆる人 権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保 護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の 尊重を促進することを目的としている。2001年の第56回国連総会において、メキシコの提案により、障害者 の権利及び尊厳を保護・促進するための包括的総合的 な国際条約を検討するための特別委員会(以下、特別 委員会)が設置され、当該の特別委員会での議論を経て、 2006年12月の第61回国連総会において採択された。そ の後、障害者権利条約は2007年3月30日には署名のため 開放され、約1年後の2008年4月3日に20番目の批准書が エクアドル政府により寄託されたことにより、2008年5 月3日に発効している。 2013年1月25日現在、障害者権利条約の署名を行って いるのは158か国、批准国は141か国・地域である。
(2)第19条の概要
障害者権利条約には、「合理的配慮」、「自立生活」、「イ ンクルーシブ(公定訳は包容)教育」、「言語としての 手話」など、既存の主要な人権条約には見られない新 しい概念が盛り込まれた(川島・東2008:28)。第19条 はこうした新しい概念のうち「自立生活」にかかる規 定を示したもので、「自立した生活及び地域社会への包 容(公定訳。英語原文はinclusion)」と表題が付けられ る。第19条はいわば「障害者の自立の中核的規定」(雀 2008:186)を示した部分である。以下に原文を示す(下 線は筆者による、以下同じ)。Article 19 - Living independently and being included in the community
States Parties to the present Convention recognize the equal right of all persons with disabilities to live in the community, with choices equal to others, and shall take effective and appropriate measures to facilitate full enjoyment by persons with disabilities of this right and their full inclusion and participation in the community, including by ensuring that:
a) Persons with disabilities have the opportunity to
choose their place of residence and where and with whom they live on an equal basis with others and are not obliged to live in a particular living arrangement;
b) Persons with disabilities have access to a range of in-home, residential and other community support services, including personal assistance necessary to support living and inclusion in the community, and to prevent isolation or segregation from the community;
c) Community services and facilities for the general population are available on an equal basis to persons with disabilities and are responsive to their needs.
(3)aparticularlivingarrangement の
日本語訳の変遷
日本政府は、2007年9月に障害者権利条約への署名を 行うにあたり政府仮訳を行った。2013年10月には批准 案件が国会に提出されたが、この折には政府仮訳を一 部変更して公定訳案が示された。批准に際してはこの 公定訳案がそのまま承認された。 政府による日本語訳とは別に、民間によるものとし て川島聡と長瀬修が日本語訳を行っている(以下、川 島・長瀬訳)。継続的に特別委員会に出席した川島と長 瀬による訳は障害者権利条約の制定過程及びその過程 における議論を踏まえたものとして定評がある。加え て、川島と長瀬は2007年3月29日付、2007年10月29日付、 2008年5月30日付と、障害者団体等の意見を踏まえて複 数の改訂を行い、政府仮訳の問題点を指摘している。 さて、制定過程を確認するに先立って、第19条の英 語原文にあるa particular living arrangementについて、 その日本語訳を確認しておきたい。政府は仮訳で「特定の居住施設」とした。この日本 語訳について、雀は、「英語の原義から“arrangement” を「施設」と訳せるか大変疑問」(雀2008:200)と指 摘しており、その理由として精神障害者の社会的入院
者が含まれなくなるおそれがあることを挙げた。雀と 同様に、条約制定過程でNGOとして参加した国際障 害コーカス(IDC)の一員である日本障害フォーラ ム(JDF)は、2010年1月に「(特定の居住施設という) 政府訳では病院が入らない」と指摘している。 その後、2013年秋に示された公定訳案では当該部分 は「特定の生活施設」と変更され、内閣提出の障害 者権利条約の批准案件に付されて国会審議に諮られた。 政府仮訳から公定訳に変更された理由は、川島・長瀬 訳も含めた政府仮訳への意見・批判によるものと考え られる。後述するように、国会では訳語問題も含めて 議論が行われたが、それを踏まえての特段の修正は行 われず、結果として「特定の生活施設」という訳語が そのまま公定訳とされた。 川島・長瀬訳では当該部分を一貫して「特定の生活 様式」としており、筆者はこれを支持するものである。 公定訳は、障害者権利条約の制定過程での議論を無視 しているか、あるいは見過ごしているもので、問題が ある。その理由は制定過程における議論の中で明白だ。 そこで以下では、第19条の英語原文にあるa particular living arrangementがそもそもどのような経緯により障 害者権利条約の中で文言化されたのかを確認してゆく こととする。なお、以下、当該部分については川島・ 長瀬訳と同様に「特定の生活様式」と表記した。
3.条約制定過程
第19条の制定過程を検討するにあたり、そもそも障 害者権利条約はどのような過程により制定されたか、 簡単に振り返っておきたい。 特別委員会は2002 年7月から2006 年8 月にかけて全 8 回にわたって開催されて条約案の基本合意に至ってい る。その実質的な条約交渉は第3 回特別委員会以降であ る。第2 回特別委員会後に設置された作業部会により作 業部会案が作成され、これをもとに、第3 回(2004 年5 ~ 6 月)から第6 回(2005 年8月)までの特別委員会で 議論が行われた。第6 回までの議論を踏まえて2005 年 10 月には議長案が公表され、これをたたき台に、第7 回特別委員会(2006 年1 月~ 2 月)が行われ、これを 受けて修正議長案が提示されている。第8 回特別委員会 (2006 年8 月)ではこの修正議長案を基礎として政府間 交渉が行われ、条約と選択議定書の実質的内容につい て基本合意が得られた。 なお、障害者権利条約の政府間交渉のたたき台となっ た作業部会案に関連し、バンコク草案について言及し たい。2004年1月5日から16日にかけて作業部会が開催 されたが、その議論は作業部会に向けて特別委員会議 長が示した議長テキストに基づいて行われている。こ の議長テキストは、2003年10月14日から17日まで国連 アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)によって タイのバンコクで開催されたワークショップで作成さ れた、バンコク草案に基づいたものであった。実は、 メキシコが当時既に草案を作成しており、その他にも アフリカ、欧州連合(EU)も案を示していた。しか しながら、障害者権利条約を議論するうえでの基礎と して採用されたのは、アジア太平洋地域で作られた草 案であるバンコク草案であった。 ここからは、案の示された順、すなわち、(1)バン コク草案、(2)議長テキスト、(3)作業部会案、(4) 作業部会案をもとに行われた第3回~第6回特別委員会、 (5)議長案・修正議長案及び第7回特別委員会、の5つ の段階での議論を確認してゆくこととする。(1)バンコク草案
バンコク草案では自立生活について第21条で示さ れ たⅲ )。 第21条 第 1項aで は「 障 害 者 は 誰 一 人 と して 施 設 収 容 さ れ な い(no person with disability is institutionalised)」ことが明確に記述されている。また、 第21条第2項にも、入所施設での生活をしない権利につ いて重ねて言及がある(This right includes the right not to reside in an institutional facility.)。
0 なお、バンコク草案第21条にはarrangement という 単語は含まれていなかった。
(2)議長テキスト
第2回特別委員会の後に開始された作業部会に先立ち、 議長テキストⅳ)が示された。 この議長テキストでは自立生活については第17条に 位置づけられているが、障害者権利条約の制定過程に おけるarrangementという単語の初出はこの議長テキス ト第17条である。 第17条第1項には、自身の生活様式を選択する平等 な権利(the equal right to choose their own living arrangements)が示されている。ところで、第17条第1項では「入所施設に居住しない 権利(This right includes the right not to reside in an institutional facility)」の記述があるが、先に述べたバ ンコク草案第21条第2項と全く同じ文言であることが 確認できるだろう。さらに、第17条第2項aでは「障害 者は誰一人として施設収容されない(no person with disability is institutionalised)」とあり、これもまたバン コク草案第21条第 1項aと全く同じ文言であることがわ かる。つまり、議長テキストは、バンコク草案と同様に、 障害者が入所施設での生活を強要されることを明確に 否定しており、議長テキストにおけるtheir own living arrangement、すなわち「自身の生活様式」とは、入所 施設での生活を強要されることへの対概念として位置 づけられることが明白である。
(3)作業部会案
続いて作業部会案について見ていくこととする。作 業部会案ⅴ)は、議長テキストに基づいて作業部会で議 論を行い、その成果物として作業部会としての条約案 を特別委員会に対し示したものである。作業部会案で は自立生活にかかる部分は第15条で示された。 「特定の生活様式」に関連した表現としては、第15 条第1項aにliving arrangements、bに特定の生活様式 (a particular living arrangement)の文言が認められる。なお、作業部会案の脚注では同条同項1及び2の内容が 重複指摘されており、承認を受けた条約正文では第19 条aとしてこれらを整理した条文となっていることが確 認できる。 また、同条同項bでは特定の生活様式(a particular living arrangement)と並べて、入所施設(institution) での生活についても言及され、それらが障害者に強要 されないことが示される。
(4)第3回~第6回特別委員会
次いで、実質的な条約交渉である第3回以降の特別委 員会について見ていきたい。① 第3回特別委員会
第3回及び第4回特別委員会で作業部会案の第1読が行 われたが、第15条第1項bを巡っては第3回特別委員会に おいて議論が行われた。論点は大きく3点であり、以下 に示す。 ア.「身体の自由及び安全」(作業部会案第10条、条約 正文では第14条)との整合性:欧州連合(EU)は、特 定の生活様式(a particular living arrangement)を強 要されないことは「身体の自由及び安全」と重なる部 分があり、この2つの条文の間にどのように整合性を持 たせるか議論すべきという意見を示した。イ. 入 所 施 設 や 特 定 の 生 活 様 式(a particular living arrangement)を強要されないという規定について、譲 歩を示す文言の追加:南アフリカ共和国は、現実と して入所施設や特定の生活様式(a particular living arrangement)でない居住の場がない場合への担保とし て、「しかるべきものが見つかる限りは」という文言を 追加するよう意見を示した。
ウ.第15条第1項bの削除:作業部会案脚注にも示され ていたとおり、同条同項aとbの内容が重複することか
0 ら、bについては削除すべきという意見が示された。ア ルゼンチン、シエラレオネ、カナダ、南アフリカ共和国、 ロシアの5か国による意見である。
② 第6回特別委員会
作業部会案の第2読は第4回~第6回特別委員会におい て行われた。自立生活にかかる第15条が議論されたの は第6回特別委員会である。 第6回 特 別 委 員 会 の レ ポ ー トⅵ )で は、「 他 の 人 と 同 等 の 基 盤 に 基 づ き 彼 ら の 生 活 様 式(their living arrangements) を選ぶ自由があるということがこの条 文の本質であるということが全般的に支持を得た」と ある。つまり、この条文におけるarrangementの意味内 容は少なくとも入所施設ではないということが明白で ある。 ま た、 入 所 施 設 に 関 す る 言 及 に 関 し て も 議 論 が あ っ た。 既 に、 特 定 の 生 活 様 式(a particular living arrangement)については選ぶ義務を負わないことが示 されているが、これに並列する形で、入所施設で生活 する義務を負わないということについても明確に書き 込むかどうかというものである。第6回特別委員会の到 達点としては両論が併記されている(in [an institution or] a particular living arrangement)。第6回 特 別 委 員 会 の 議 論 で は、 障 害 者 は 他 の 人 と 対等の権利があるという障害者権利条約の本質に則 り、 入 所 施 設 や 特 定 の 生 活 様 式(a particular living arrangement)が強要されることはない、ということを この条文で示そうとしたことがわかるだろう。
(5)議長案・修正議長案及び第7回特別委
員会
① 議長案及び議長コメント
議長案では、それまでの特別委員会において重複が指 摘されていた項目a 及びb が整理・統合された。そして、 第6回特別委員会終了後に両論併記となった部分、すな わち特定の生活様式(a particular living arrangement) に並べる形で入所施設を書き込むかどうかについては、 特定の生活様式(a particular living arrangement)だ けが残された状態で提案された。特 定 の 生 活 様 式(a particular living arrangement) が強要されない、という文章から入所施設という文言 が外されたのはいったいなぜか。その理由は第7回特別 委員会に先立ち議長が示したコメントⅶ)に述べてある。 実は、この議長によるコメントが大変重要な示唆となる。 その理由とは、入所施設という文言そのものを条文 から消すことの意義を重視したからであった。議長は、 障害者は施設を含めて特定の生活様式(a particular living arrangement)を義務づけられるべきでないこ とに改めて言及した。そのうえで、institutionsという 文言を入れると暗に入所施設が認められてしまうので はないか、という懸念が示されたことを挙げた。そし て、一般的な言葉である特定の生活様式(a particular living arrangement)を使いたい、という提案を行った のである。つまり、入所施設での生活を強要されるこ とを否定しつつ、入所施設という文言を使わずに、入 所施設を含意する一般的な言葉として特定の生活様式 (a particular living arrangement)という文言が提案さ
れたこととなる。
② 第 7回特別委員会
第7回及び第8回特別委員会では、労働・雇用等、い くつかの論点について意見が交換されたが、この論文 が焦点とする自立生活に係る部分の議論は行われな かった。入所施設という文言を敢えて外した議長提案 の趣旨が理解されたことが窺えるものである。4.公定訳の問題点
これまで条約制定過程を確認してきたが、以下では これを含めて公定訳の問題点を「条約制定過程から」「施 設について」「他の公用語の表記」の3点により説明する。
(1)条約制定過程から
まず、これまで見てきた条約制定過程における議論 を簡単にまとめておきたい。特別委員会では、障害者 が入所施設での生活を強いられることがない、という ことをこの条約に盛り込むことが一貫して強く意識さ れていた。しかしながら、入所施設という文言が条文 に載ることでむしろ障害者の権利を制限することが懸 念されたため、入所施設という文言を外すとともに、障 害者に義務付けられない特定の生活様式(a particular living arrangement)という表現を用い、これには入所 施設が含まれる概念として用いたのである。 こうした経過を踏まえるとすると、公定訳の「生活 施設」という日本語訳は、「施設」という言葉が入って いる故に、明らかに不適切であろう。議長が入所施設 という文言を外した経過があるにもかかわらず、それ が無視されているか、見過ごされていると言わざるを 得ない。 加えて、障害者だから家族と一緒に住まなければな らないといったことも、まさに特定の生活様式を強い られる状態であるが、「生活施設」を強要されないとい う表現では、こうした問題状況に言及できないことに なってしまう。障害者であることを理由に、どんな居 住の場で生活を送るかが決められてしまい自由に選択 できないということになると、障害者の権利が他の者 と平等であるという条約の基本的な考え方に反するも のとなってしまう。(2)施設について
併せて、「施設」が障害分野でどう位置付けられるか に言及する必要がある。 我が国の障害分野において、現在、「施設」とは体育 施設や集会所といった建造物を単に示す用語ではなく、 入所施設を指すものである。従来第1種社会福祉事業に 位置づけられていた通所施設は、障害者自立支援法及 び障害者総合支援法では障害福祉サービス事業所とし て整理されたため「施設」とは呼ばない。また、従来 の入所施設は障害者総合福祉法では障害者支援施設と 名称が変わっており、「施設」といえば入所部門を持っ た事業体を指すのである。 つまり、「生活施設」という公定訳からは、障害関係 者であれば、障害者支援施設や社会政策による何らか の入所部門を思い浮かべるのが一般的であろう。(3)他の公用語の表記
外務省は英語だけでなく他の国連公用語での表記に ついても参考にして日本語訳を行うとしていることか ら、ここでは英語だけではなく、当該部分の他の公用 語の表記についても確認しておく。括弧内は筆者による。 中国語では特定的(特定の)居住(居住)安排(ア レンジメント)中生活(生活)、すなわち「生活におけ る特定の居住アレンジメント」と表記され、英語とほ ぼ同様である。 それに対して、フランス語では un milieu(環境) de vie(生活) particulier(特定の)、すなわち「特定の生 活環境」、スペイン語では un sistema(システム) de vida(生活) específico(特定の)、すなわち「特定の 生活システム」と表記される。 英語のarrangement をそのまま置き換えた表記もそ うでないないものも見られるが、いずれにせよ第19条 に通底する、何か特定の生活の仕方が強要されること がない、という意味合いを示すものであろう。そして、 当然のことだが、いずれも「施設」を意味する言葉は入っ ていない。改めて、わが国の公定訳は条約制定過程の 議論を見過ごしていると言わざるをえない。
5.第185回国会における審議につ
いて
当該部分の公定訳に課題があることをここまで述べ てきた。障害関係団体は政府との折衝に加えてロビー 活動を行っており、障害者権利条約の批准案件が承認 を受けた第185回国会における審議において、衆議院・ 参議院ともに当該部分の公定訳も取り上げられている。 以下では国会における質疑及び答弁を確認しておく。(1)衆議院
平成25年11月13日に行われた外務委員会では、小川 淳也議員(民主党)が、この論文で焦点とした特定 の 生 活 様 式(a particular living arrangement) の ほ か、意思疎通(英語原文はcommunication)、包容(同 inclusion)等も含め、「……解釈の改善、あるいは公定 訳の改善について、法施行に当たって、障害当事者の 意見を十分にそんたくして解釈の改善なり公定訳の改 善に鋭意努力してほしいという声があります。ぜひこ の声には寄り添っていただきたい」と発言した。これ に対し、岸田文雄外務大臣は、障害者団体との意見交 換を踏まえて訳を行っており、既に締結している他の 条約との整合性も踏まえていることに言及したうえで 「現在国会に提出させていただいている訳文についても、 いろいろな御意見があること、これは十分承知をして おります。ただ、提出に先立って、障害者団体等の方々 に対して、御質問に答える形でできる限り丁寧に説明 を行うなど、本訳文につきましては、理解が得られる よう努力をしてきた次第であります。」と答弁した。こ の答弁を受けて、小川議員は「障害当事者のニーズを 含めて、こういうものに対してはぜひ真摯に耳を傾け ていただく、その姿勢が彼らにとっては一つの救いと いいますか、一筋の光明になるのではないかと思いま す。重ねてお願いしておきたいと思います。」と言及した。(2)参議院
参議院では外交防衛委員会で審議が行われた。外交 防衛委員会は平成25年11月28日に参考人招致を行って おり、参考人からの発言でも当該訳について言及があ り、さらに参考人招致を受けて12月3日に行われた同委 員会でも議論された。 11月28日に行われた同委員会で参考人として招致さ れた4名ⅷ)のうち、川島聡と藤井克徳が当該部分に関 する発言を行った。川島は「この言葉は、私自身は特 定の生活様式あるいは特定の生活環境と訳すべきだと 思っております。といいますのも、この十九条(a) の規定は、障害者が障害者福祉施設で生活義務を負わ ないということのみならず、親や家族と生活する義務 も負わないし社会的入院のような形で生活する義務も 負わないという、広く障害のある人が自由に自分の生 活を決めていくことを定めたものですので、施設に入 所されないという義務だけじゃなくて、もっとより広 い意味内容を含んでいると理解されるからです。」と発 言、また、藤井も「生活施設に関しては全く川島参考 人と同じ意見を持っています」と述べるとともに他の 訳語に言及した。 12月3日には同委員会において福山哲郎議員(民主 党)が、「特定の生活施設をリビングアレンジメントと いうふうに、特定の生活施設という訳をしているわけ ですが、これは一体どういうことを指すのか、お答え をいただけますでしょうか。」と質問した。これに対し て岸田外務大臣は「条約の交渉経過等から見ますとこ ろ、特定の生活施設とは場所的概念だと認識をしてお ります。障害者が生活を送る可能性のある場所一般を 指しているものと考えられます。」と答弁した。福山議 員は「これは、障害者福祉施設で生活する義務を負わ ないという意味のほかに、一般的に言うと、例えばあ る障害当事者の方が独り暮らしとか自分の障害の状況 によって親や家族と生活をする、若しくは生活をしな くて別々に暮らすということに対しても義務を負わな い、いろんなことに対して義務を負わないという意味も含まれると解しています。今大臣が場所一般を指す ということは、障害者が意に反して病院とかを含む特 定の場所で生活する義務を負わないという意味でよろ しいでしょうか。」と重ねて質問し、岸田外務大臣は「ま ず、障害者が意に反して入所施設、病院等の特定の場 所で生活する義務を負わないことを意味するものと解 しております。また、この十九条におきましては、誰 と生活するかを選択する機会を有すると規定されてい ますから、独り暮らしをする義務や家族との生活義務 についても負わない、このように解しています。」と答 弁しており、この発言は注目に値する重要なものであ ろう。なお、福山議員はこの答弁に対して「この特定 の生活施設という公定訳は、どちらかというと誤解を 招くと。何らかの施設というイメージが日本の場合に はあります。それは、何となく障害者の方のいらっしゃ るどこかの特定の施設というイメージがすぐ出るんで すけど、リビングアレンジメントというのは、やっぱ り生活環境とか生活形態とかそういったものに対して 義務を負わない、いろんなことが可能性としてあると いう意味合いだと思っておりますので、今大臣が明確 に御答弁をいただいたので非常に有り難いと思ってお ります。」と改めて確認をしつつ、日本語訳の問題点を 述べている。 また、福山議員は重ねて、当該部分の解釈について 厚生労働省にも確認を求めており、蒲原基道(厚生労 働省社会・援護局障害保健福祉部長)は「先ほど外務 大臣から御答弁があったとおり、特定の施設で何か義 務付けるということではないというふうに認識をいた しております。」と答弁した。 これまで見てきたように、参議院の委員会審議にお いて第19条の当該部分の解釈について質疑が行われ、 障害者支援施設での生活に留まらず、特定の場所や誰 と生活するかを義務づけるものではないという答弁が 行われた。そして、公定訳のままでは誤解されるおそ れがある部分について、政府による当該部分の解釈が 示されており、日本国内において障害者権利条約を実 施する上で大きな意味をもつ審議であったと言えるだ ろう。
6.おわりに
本稿では、障害者権利条約第19条の英語原文にあるa particular living arrangementについて、障害者権利条 約の条約制定過程に焦点を当て、その議論を確認する ことによって、公定訳である「特定の生活施設」とい う日本語訳の問題点を指摘した。 条約の内容を具現化するための国内の実施体制に公 定訳が与える影響は少なくないが、障害者権利条約の 批准に関して国会における審議では、公定訳の問題点 について議論があったことを確認するとともに、政府 は公定訳の「生活施設」について、単に障害者支援施 設での生活を義務付けないということに留まらず、特 定の場所や誰と生活するかを義務づけるものではない という解釈が示された。今国会では残念ながら公定訳 が修正されることはなかったが、国会審議で取り上げ られ議事録として残されたことは、今後の国内の実施 体制を考えるうえで大変重要である。 なお、藤井は参議院外交防衛委員会に置いて参考人 として言及しているが、「生活施設」以外にも障害者 団体がその問題点を指摘する訳語はいくつかある。例 えば公定訳にある「包容」は英語原文ではinclusion / inclusiveであり、包摂と訳すかインクルージョン/イ ンクルーシブとそのまま用いることが妥当であるだろ う。また、personal assistance は、支援の受け方や内 容などの自己決定及び自己選択を尊重した個人を支援 する仕組みであるが、「個別の支援」という公定訳から は、障害者を集合的に支援するのでなく個人に着目し て支援するという一般的な意味にしか取れない。他に も、 公 定 訳 で はinformation and communication technologyを「情報通信機器」としているが、これはI CTとして国際的に定着している用語で、2000年代以 降、総務省をはじめとする行政機関および公共事業などでICTもしくは「情報通信技術」と用いられており、 整合性を持たせるべきである。 こうした問題の残る訳語は国内の実施に影響を与 えるため、本来的には改めるべきである。実際のと ころ、過去に日本政府は、ILO99号勧告(1955年) Vocational Rehabilitation(Disabled) Recommendation を「身体障害者の職業更生に関する勧告」としていた。 Disabledを「身体障害者」と限定したことは明らかに誤 訳であるのだが、国内では雇用促進にかかる法律とし て1960年に身体障害者雇用促進法が制定されたものの、 知的障害者では1988年、精神障害者では2006年と実に 30年、40年と遅れて障害者雇用率の算定対象となった という歴史がある。誤解を招く訳語は国内の実施体制 に影響を与えることを示すものである。国会を通った 段階では公定訳の修正が難しいだろうが、少なくとも 問題があることが国会での審議に上ったことを踏まえ、 課題意識を共有し続けることが重要である。 最後になるが、第19条の議論を通して、行政機関の 連携や総合的な実施体制の確保の課題が見えてくる。 条約を担当する外務省が十分に国内の障害者施策に精 通していないこと自体は問題ではないが、当然、内閣 府は必要な技術的助言を行うべきである。また、障害 関係者との協議を絶え間なく行い、その世界観を理解 するのは厚生労働省であり、また貧困や社会的排除と いった社会政策を所管することを踏まえると、厚生労 働省と内閣府とが有機的に連携することは当然必要 なことである。障害者権利条約は、障害ゆえに自由権 及び社会権が奪われている状態を回復するプロセスに 貢献するものである。国内における障害者施策全体を 所管するのは内閣府であり、障害者基本計画の策定又 は変更に当たって調査審議や意見具申を行うとともに、 計画の実施状況を監視や勧告を行う機関である障害者 政策委員会が設置されている。今後、障害者権利条約 の国内実施にあたり、総合的な実施体制を構築するこ とは必須であり、内閣府及び障害者政策委員会のイニ シアチブがより重要であろう。 【注】 ⅰ) 2009年12月に障がい者制度改革推進本部会議が設置され、 障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備を始めとする障害 者制度の集中的な改革が行われた。障害者基本法の改正、障害 者虐待防止法、障害者差別解消法、障害者雇用促進法改正等が 挙げられる。 ⅱ) 衆議院では外務委員会に付託され、11月8日の発議を受け 同13日及び同15日に審議、同19日に衆議院本会議で可決した。 参議院では外交防衛委員会に付託され、同26日の発議を受け同 28日の参考人招致並びに12月2日及び同3日の審議を経て同4日 の本会議で可決した。 ⅲ) バンコク草案(抜粋)
Article 21 Right to live in and be a part of the community 1. States Parties recognize the right of all persons with disability to live in and be a part of the community, and shall take all necessary measures to ensure that:
a. no person with disability is institutionalised;
b. persons with disabilities have access to a range of in-home, residential, and other community support services, necessary to effectively support community living; and c. general community services are available and responsive to the needs of persons with disabilities living in the community.
2. This right includes the right not to reside in an institutional facility.
ⅳ)議長テキスト(抜粋) Article 17
Right to live in and be a part of the community
1. Persons with disabilities have the equal right to choose their own living arrangements, which may include establishing their own household, or living with their families, and to the necessary financial and other support in order to effect this choice. This right includes the right not to reside in an institutional facility.
2. States Parties recognize the right of all persons with disability to live in and be a part of the community, and shall take all necessary measures to ensure that:
a. no person with disability is institutionalised;
b. persons with disabilities have access to a range of in-home, residential, and other community support services, necessary to effectively support community living; and c. general community services are available and responsive to the needs of persons with disabilities living in the community.
ⅴ)作業部会案(抜粋)
LIVING INDEPENDENTLY 51 AND BEING INCLUDED IN THE COMMUNITY
1. States Parties to this Convention shall take effective and appropriate measures to enable persons with disabilities to live independently and be fully included in the community, including by ensuring that:
a. persons with disabilities have the equal opportunity to choose their place of residence and living arrangements; b. persons with disabilities are not obliged to live in an institution or in a particular living arrangement; 52
c. that persons with disabilities have access to a range of in-home, residential and other community support services, including personal assistance, necessary to support living and inclusion in the community, and to prevent isolation or segregation from the community;53
d. community services for the general population are available on an equal basis to persons with disabilities and are responsive to their needs;
e. persons with disabilities have access to information about available support services.
________________________________________ Footnotes:
51: Some members of the Working Group expressed the concern that the words "living independently" in the title and chapeau of this draft Article does not reflect the cultural norm in many countries, and that the words might suggest that persons with disabilities should be separated from their families. The Ad Hoc Committee may wish to consider an alternative formulation.
52: Some members of the Working Group, while accepting the principle, thought that States Parties would find it impossible to guarantee this obligation without exception. Other members considered that the sub-paragraph was redundant, as the issue was covered in sub-paragraph 1(a).
53: Some members of the Working Group considered that it would be difficult for States Parties to ensure the availability of the services described in paragraphs 1(c) and (d), and in particular the undertaking in paragraph 1(c) to provide personal assistance.
ⅵ)第6回特別委員会レポート(抜粋)
11. There was general support that there should be an article in the convention on this issue, and that the Working Group text was a good basis for discussion. There was general support to the essence of draft article 15 that persons with disabilities should be free to choose their living arrangements on an equal basis with others. It was also noted that the key to this draft article was the right of every person with disabilities to live in the community.
Chapeau
12. There was support to re-draft the chapeau as follows: States Parties to this Convention shall take effective and appropriate measures to [enable/facilitate] full enjoyment by persons with disabilities of their freedom of choice, independent living and full [inclusion/participation] in the community, including by ensuring that:
13. The Committee noted that the use of the word “facilitate” might not be linguistically correct, and that this would need to be looked at again when draft article 15 was next discussed. 14. There was some support for a proposal to re-draft the chapeau so that it drew on Article 12 of the International Covenant on Civil and Political Rights, and incorporated the right of persons with disabilities to liberty of movement and freedom to choose their residence. Others however argued that this proposal did not take into account the limits on this right that were contained in the Covenant.
15. There was support to merge subparagraphs (a) and (b), with slight amendment, so that they read:
(a) Persons with disabilities have the opportunity to choose their place of residence and where and with whom they live on an equal basis with others and are not obliged to live in [an institution or] a particular living arrangement.
16. Some delegations objected to the inclusion of any reference to “institutions”, and proposed the deletion of the substance of subparagraph (b) on the basis that it was covered under either draft article 10 or in the substance of subparagraph (a). Other delegations proposed to append paragraph (b) with clauses such as “except where necessary” or “subject to the provisions of article 10”. It was noted, however, that such language went beyond the situations set out in draft article 10, and would undermine the approach taken in that draft article.
17. There was general agreement that there was an element of duplication with draft article 10, and that when that article was next discussed it should be ensured that the elements of draft article 15, subparagraph (b), were adequately covered to avoid the duplication.
Subparagraphs (c), (d) and (e):略
18. There was a proposal to insert a new subparagraph (c) bis, which would address the manner in which support services were to be provided. The Committee noted that this proposal replicated elements that appeared in the preamble and under draft article 4, although there might also be a place for inclusion in the context of this draft article.
19. There was general agreement that the phrase “and facilities” should be inserted in subparagraphs (d) and (e) after the word “services”.
20. It was noted that draft article 15(e), with the additional language of “and facilities in a format that is accessible to and in plain language” could be considered in future discussion on draft article 19.
21. The Committee noted that subparagraphs (c), (d) and
(e) related to economic, social and cultural rights, and as such were progressively realisable. While it had been previously agreed that draft article 4 should include the concept of progressive realisation, it was noted that this did not necessarily preclude the use of progressive realisation language in draft article 15 or in other articles containing hybrid or ambiguous provisions. The issue of how to address economic, social and cultural rights in the draft convention was an issue still to be properly discussed.
22 ~ 25 略
ⅶ)議長コメント
74. As regards subparagraph (a) there appeared to be no difference of view over substance — i.e., that persons with disabilities should not be obliged to live in a particular living arrangement, including institutions — but some delegations were concerned that saying that persons with disabilities were not obliged to live in an institution implicitly approved of the use of institutions per se. I therefore suggest that we not specifically refer to “institutions” here, as this is included in the generic term “particular living arrangement” anyway. ⅷ)参考人は以下の4名である。川島聡(東京大学先端科学技 術研究センター客員研究員)、尾上浩二(特定非営利活動法人 DPI(障害者インターナショナル)日本会議事務局長)、久 保厚子(社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会理事長)、藤井 克徳(日本障害フォーラム(JDF)幹事会議長) 【参考文献】 川島聡・東俊裕(2008),障害者の権利条約の成立(第1章),『障 害者の権利条約と日本 概要と展望』,生活書院 長瀬修他編(2008),『障害者の権利条約と日本 概要と展望』, 生活書院 外務省,障害者の権利に関する条約の説明書,http://www. mofa.go.jp/mofaj/files/000018095.pdf 国会会議録検索システム,http://kokkai.ndl.go.jp/ 日本障害フォーラム(2010),障害者の権利条約 日本政府仮訳 に対するコメント, http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_2/
pdf/s3.pdf 大村美保(2013),一般就労する知的障害者と地域生活―通勤 寮の自立支援モデルとその課題―,久美出版 衆議院ホームページ, http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index.htm 雀栄繁(2008),自立生活(第8章),長瀬修他編『障害者の権 利条約と日本 概要と展望』,生活書院,185-205 UNenable(国連障害関係ホームページ), http://www.un.org/disabilities/