• 検索結果がありません。

大麻文化科学考(その2)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "大麻文化科学考(その2)"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

NII-Electronic Library Service 北 陸大学   紀 要 第

15

号   (

1991

)  

pp .1 〜20

1

大 麻 文

科 学 考

(そ

2

山 本 郁 

AStudy

 on  the 

Culture

 and  

Sciences

of 

the

 

Cannabis

 and  

Marihuana

 

H

Ikuo

 

Yamamoto

Received

 

October

 

21,

 

1991

2

章 

大麻

文 化

4

 

, 我が国の

大麻

 

が嫁にゆ くに は

縫いもの

飯 仕 度, 麻か き。 ・その三っ は どうで も名 人にな らなけれ ばな んね」が母の 口癖だ っ た。 「つ ましい夕 食 後の長い夜なべ

場は農 具のつ くろいや 蚕の

仕事。

そ して

の よ り

せ」。 こ れ は

長野

県 上

水内郡小

今年

68

女の述 懐で あ るD。

 

こ の ように大 麻 は, 老 女が語るように信 州, 北 陸, 越

な ど, っ い最 近 まで,

々 の身 近に あっ たの で あ

。 か

て長

石 川,新

, 福

栃 木, 茨 城, 千 葉な

ど は大

の産 地

で あっ た

 

前報

2)

引続

古代

中世

, 近

世,

大麻

につ い て再

して み る こ とにす る。

 

前節

2)

若干触

れ た よ う に

,古代,中世

民衆

衣生活

を 語

大麻

除外 す

には いかない。 そ こ に は大 麻と は明記 さ れて いないが, その求め る文 献の最 初は

や は り魏 志

倭人

3) あ ろ う 。 「

柔補

寿

1

i

譲棊鴇

して ,

鮮篠鞣

す 」。 すな わ ち

紵麻

                                                                                                                    Wh を植え 養蚕を行っ て絲 をつ く り , 布や練綿をっ くっ てい る」という意である。

方, 范 曄 (

〜445

      つく

)の 『後 漢 書 』, 「第

115東

夷 伝倭 」に は 「土は

稲, 麻紵 ・蠶桑宜しく ,

織績

を知り,

練布

る」 とある4)

こ こ

紵 麻麻 紵逆 転 と が注 目さ れ る

こ の こ とか ら

,著者

, 後 述 する ように

これ は麻と

と を分

して

え るべ きであ る と 思っ て い る。 従っ て,

代の倭の              

 

衣 生 活は大麻と紵麻が主 要な原 料であっ たので は な か ろ うか。 そして時

は下り

奈 良

・平

時代

        コ   ロ       .    コ と

中世

けて

るの であ る が

の いくっ か を前

き続き

げることにする。 *薬生化学教

Faculty  of Pharmaceutical  Sciences

 Department  of 

Hygienic

 

Chemistry .

1

(2)

     

2

  

   

Fig

1

  

大 麻 種 子 (

THCA

種 )

,播種

10

日後 (高さ約

4

5cm

) (著 者 画く

に立つ

麻手

刈 り

す       ひ  た ち の お と め

  

東女

を忘れ た ま ふ な

 

常 陸 娘子

 

葉集

4

− 521

さ く ら を       お   う

麻の苧 原の

下草 ,

しあ れ ば

か し

け 母は知 るとも

(縢

11

2687

小 垣田の

な ねず       ひ も

  

作り

せ け

 

白栲の紐を も

    

解かず

重 結ぶ

      

1

800

        お   け       ふ す さ

苧 ら を麻 笥に多に績まずと も

 

い ざ せ む

 

(万 葉 集

1−

3484

      つま よ 庭に立つ

小衾今宵

夫 寄 せ ね              

  

麻手

小 衾

       

東歌)

女 らが

績麻

絡環打麻

懸 け

  

績む時な しに恋ひ渡る か も

  

葉集 1− 299Q

(3)

NII-Electronic Library Service 大麻文化 科 学 考 (その

2

) 3       あ さま       なつ ま       さ くらを 枕 詞に は 「麻 裳よし 」 と か 「夏 麻

く」 な ど が あ る。 ま た

麻は雄の大 麻の枕 詞 と さ れて い る。

 

古代

から

中世

集権

的な

国家体制

の形

プロ セ スにおい て, 祖, 庸, 調の税 制が確 立され る と そ の中に 北 陸, 東 国の麻 布 (以 下 i 単に布 と呼 ばれる) と

綿 (

綿は こ の 時

に は       ま ゆ まだ な く全て

から と る

真綿

で あっ た

主要

置を

めて いた。 「

」 は現 代の よう に

般 的な織 物をさ すの で は なく,絹 や綿 とは明 確に区 別された麻 織 物の こ とであっ た。 別

名,

      あら

くて

運ぶ に

便利

なた め 「

軽物

」と も呼ば れ た ら しい

粗織

布 」は

,今

奈 良 正 倉 院の御 物の中に実 在 する。

新島守

麻衣 

肩の

  

誰か取り見む

         (

万葉集 1− 2481)

うちそ    を  み  おお きみ あ ま

打麻

麻績

の王

 海人

なれや     い  ら こ     伊 良 虞の島の玉 藻 刈 りま す (万 葉

ft

 

1

 

341

)   とこ ろ で

先 きの万 葉 集

4 − 521

に出て くる律 令 国 家 時 代の 麻を栽 培 して い た東 女の住む国       ひ  た ち       um は どこを指 すの であろうか。 これは常 陸が現 在の茨 城 県で あ

ると考え る と

東, 東 北, これ に 北

が含まれる と思わ れ る。 北

とは越

, 加

賀,

中,

そ れ に

越後

t

信濃

な ど も入る の で は ないか。 だ からとい っ て麻の栽

が東 方に限ら

て いた とは い え ない。 文 献 的にみると 平 安 時 代 以 降

中 世 荘 園 制 時 代には随 所に麻の栽 培の記 録があっ た。 丹 波の大 山 荘

肥 後の人      

                       ざい け お

吉荘南坂梨郷,伊勢

越前

牛原荘 ,若狭

太良荘

な ど

そ れ ぞ れ 「

在家苧

」と して 在 家 か ら麻 布 を 徴 して いた。 「在 家 」とは家 屋, 入, 田 畠をふ くめ た課 役の収 取 単 位であっ た 6) 。 『延

喜式

』に,

麻布

調,庸,中男作物

と して全

的に賦

さ れて い たこと が

さ れ ているの で, 大 麻の 栽 培は日本 列

い たるところ で な さ れて い た と みて よい 大 麻栽 培に適し た

北 陸

北は

が入れ られて いた ことは

かで ある。 ま た, この地

園 制

度支

配と

取が衰 退 する に及ん で

特産品

として注

された。 越

布 ,能

登 上

布,奈良晒 ,高富細布 ,小千

谷 縮 や 近 江 八 幡の蚊 帳の名 が 近 世 まで残 っ て い ること から

これ らの地 は

大 , 麻 織 物 産 地で あっ た。 すなわ ち

,網

畳 苧

,筆

結 苧などの需

が 増 加 したこ とか ら も

い知ることが

出来

る。 当

生産

高を み る と, 信

濃商布

6450

反 )

上 野

7731

端,

下 野

7003

端,越

1000

12000

端, 加

1500

端, 越 前

1000

端とある。

 

こ こ で

著者

,大麻

苧麻

との

区別

にっ い て の

見解

明確

に してお か ねばな らな い。 と い う めは, は た し て我が国で は単に

といっ た場 合, それは苧 麻 (か らむ し)で あるとい う意 見 が

な くないか らで ある6) 。

  事実 ,

当字

と して

,大麻,苧麻,紵麻 ,麻紵

が しばし ば引 用さ れ

これ が混 乱の原

因 となっ て い る。 著 者 が

番 知 りたい こ とは, 現 在 『大 麻 取 締 法 』の対 象と なっ て

る幻

覚作

用を

する

の 「

大麻

古代

か ら近

まで

吸 煙の

風習

が ないものの

,本当

栽培

さ れ て い たのだ ろうか という疑 問で ある。

3

(4)

4  本  郁 男

 

木暦

は中 国に おい て

で は単に 「

」 と

か れ

事物起

原 』には 「漢 麻」 と わざわ ざ

とい う字をつ けて い る。 『日用 本 草』 に は 「

麻 」

『本 草 綱 目』には 「

麻」

救荒本 草

』       さん し びょう に は 「山

『神 農

本草経集

』に は 「大 麻 」とある など

複雑

で あ る9) 。

 

この

複雑

さの を宋 代, 沈 括 著の 『

夢渓筆

談 』 に求め ると

こう記 し てい る。 「

張 騫

よ り

を入 手 し た。 これ

と呼ぶ もの がい たの で

覇 麻

(外 国 あ

6

い は異 国のあさ) とし

,従来

を 「漢

大麻

」す な わ ち 「漢 麻 」 ま たは 「大

」と

名 した」とある。 さ らに大 麻は前 報に も記し たよ うに

雌雄

異 株で あ り

中国

で は

株 (の な ら ない もの

彙麻

ある いは

牡麻 雌株 (

のな るもの) を

iEtlkl

と 呼んだことが

と混 同さ れ るよ うになっ たの で は ないか

者は考 え       ち よ

 

永原慶

6)

新 ・

木 綿 以

の こと

苧 麻

か ら

綿へ

中 公 新 書 )

14

に は

苧麻

刈 り取 り」 (藤

氏撮

と あ る が

2

人の農 夫が手に して い るの は

よくみるとこれは苧 麻 で は な く

明ら か に

大麻

である。

れは

の 形か ら判 別で きる。 大 麻は

3

9

掌 状複 葉

で あり

,苧麻

は卵 型 を して い る

Fig

 

2

3

D

 

こうい うこと からも

単に書 きか えて よい ものか とい う疑

る。

 

『麻 薬の 科 学 』

著 者

4)

良行氏

に よれ ば 「古 代

江戸

まで は大

と苧

治 以 降は大 麻と亜

比さ れる。」 とい う。  こ れ に 関 して , 著 者は最 近

川 県 立

図書館

古 文 書の中

      

Fig

2

9)

 

Fig −

3

 

9) に重 要な

絵図資料

発見

し だユ) 。 そ れ は江 戸 時 代に画 か れた 「

民家検労

図 」という全

2

冊の彩 色 入 りの 図で ある

その

か ら

直接

写っ た もの が

Fig − 4

及び

5

であ る 図か ら も分か る よ う に

,麻

と か か れて い る

Fig

4

は明 らかに

大麻

であ り,

Fig

 ・r

5

苧 (

か らむし と云 う

す なわち苧 麻で ある

字の

と書き

しか

「皮

こそげ取 り竹

竿

にか けて ほす 也。 是

’を苧

と云

と あ る。

 

こ の文 献か ら少 くとも

断言

で きること は

こ のが画かれた江 戸 時 代。 加 賀

,能

登に は

2

種 の

繊維作物

栽培

さ れて いた とい うことであろう。       を  あ さのぞ       しろ く してほ そき ものな り

 

関連

して, さ らに 「和

名抄』

に は 「

麻 属,白 而 細 者也

」とあ る。 ま た

,既述

の 『日

      か ら む し      あ を な 書

紀」

に は 「天

を して, 桑, 紵, 梨, 栗, 蕪 蓄 等の

草木

えし む」 (

統 女 帝

693

頃)

      を  か ら む し と

か れて おり, 苧と紵はやはり完 全に違うの で あ る。 前 者が大

後 者が苧

とい うこ と か (?) 現 在, 紵 (イラクサ

科)

栽培

して い る の は

和村),新

沖 縄 (宮 古 石 垣 竹 富

,小

に限ら れて い る。

 

で は

まで 「

は どのような

原料

か ら

られ たのか

      キ  オ       マ   フ カ ラム シ

苧麻)

などの植 物 質 繊 維で織っ た もの の総 称であ っ た。 沖 縄で は 「生 苧

麻布

」とい

(5)

NII-Electronic Library Service 大麻 文化 科 学 考 (その

2

) 5       じょうふ い

,本土

で は上 布とい っ た 。 これ が 『能 登 上

』な どの言 葉 として現

に残っ て い るもの と考 え られる。       わ  きん

 

永 原

6)は 「 倭 錦

絳 青

練 ・緜

衣 ・

布 等 を 倭 王

て い る 。 これ らの

織物

の各々 の性 質は不 明である が

や は り絹 と

を 原

と し た もので あろ う」 と 述べ て い る に過 ぎな い。 「しか し, こ の

代の主 力は苧

であっ た ようである」と して

現は極めて曖 昧

太 郎

8)

着物 ・染

文 化 』 か ら

引用す

れ ば

麻 も倭 人 が

っ て き た といわれて い ま

らが もっ て きた

中央

アジアか

ア ジま れ

1

略。 倭 入

栽培

麻 織 物を

い る

とい の は, こ の

で しょ う。」とある。 す なわ ち

,中央

ア ジ ァ原 産な らば 大

を 指 して い る と もい え るの で はないか。

 

著 者の

で は

在来

種の繊

維作物

苧麻

(か ら む し),

勿論

植物

と して の大 麻はあっ たの で あ る が

こ こ に漢 麻 といわれる

繊維作物

と して の 「大

」が待 込まれた と み るべ あ ろ

   

Fig

− 4  

江 戸

時代

大麻

川 県立

図書館

蔵 「民

家検労

図 』より)lt)

5

N工 工

Eleotronlo  L!brary  

(6)

6

山  本   郁   男

   Fig

− 5  、

江 戸

時代

石川県

図書館蔵

民家検労図

り)

11> う。

中国

にすで にあっ た

大麻

か らの

は さ し

珍 し くない

のか らむ

しか ら

っ       ●   ●  

  

た布で あっ て こ そ

めて

贈 物と して価 値があっ たの では な

いか

 

これに関

して

の ものをアオ ソ

麻)

であ り,

国 産の ものをカ

ラム シで

る との

も あ る

こと を付

し てお こうb カラム シ の手 織の

は サ ヨ ミ

布 )と呼 び, 調

税)

と して 中 央 政 府に

集 め

b

れ た。 興

ある こと に

韓国

では

ラム シの こ とを 「

拳希簟

」 とい う 。 朝

半島

における大 麻の

史は ぜひ とも

今後

対象

と し な て は ならない

 

人 類は土 器よ り も早 く糸= 絲= 繊 維を作 り , や がて

にま と う布 (織 )を衣と し た。

その 料 として

大麻

が用いられ た が, 既に

三述べ てい る よ うに大 麻は薬物 として も

重 な もので あっ       pm た。

 

こ こ で

前報

で記さ な か っ た大

と して

Table

 

I

げる1!)

  

 

(7)

NII-Electronic Library Service 大 麻 文 化 科 学考 (そ の

2

7

Table

 

I

大 麻の歴 史 年    代

地   域 内      容 出         典

B ,

C .

7000〜10000

中央ア ジア 大麻の起源地

野 生 大 麻の栽 培

 

5000

エ  ジ  プ   ト ァイユ

か ら麻布

グ リ ス 発見。 繊 維, 薬物 と して使用 (?) ユ

ラ テ ス

3000

  プ ト ゲルゼ出土品 麻 布 発 見

 

薬物と し チ   グ   リ ス て の使 用 (?) ユ

フ ラ テ ス

1400〜900

イ   ン    ド 魔 術 師 が ア ザ ル バ

1200

中       国 大麻の幻 覚作用の記 事 エ ル 9 ヤ

1000

イ   ン   ド 大 麻は多 幸 感 を 生 じさせ る サスル タ (イ ゾ ドの古 書 ) 日      本 大麻

大陸から持ち込まれ る

800

ト    ル    コ カ ラ の ら大 麻 出 土

800〜

500

 

 粛

教の宗 教 儀 式にい ら れ る

650

ア リシ リア 楔 形 文

       L

字板に大 麻の記 載

500

ゲ ル マ ン 墳墓から麻の種 子

死 者を天 国に 導くた め と考えられ る イ   ラ   ン 大 麻は幸 福の源で ある ゾロ ア スタ

経 典 「ゼン ドア ベ スタ」 イ   ン    麻樹脂 , 花 穂の記

ラモ ン経 典ヴェ

484

中     

      」

カス ピ海沿岸 大麻とい う名の最 初

       ,

大 麻を赤 熱 し たの上でその 書経 ス キ タ イ文 化, ヘ ロ ド トス 蒸気を吸い歓 喜に酔い した (古 代ギ リシア の 歴史

450

ギ リ シ ア スキタ イ人の犬麻吸飲の風習 ギリシア文学のめて既 述

100

イ   ラ   ン

着宗教官 (アギ)の間で大 麻 を 用い荒行

幻術を行っ た。 宗 教 的秘事に用いた

A .

D . 70

ロ      

      マ 治 医

ディ

ズ は大麻を初め て薬 物と し

广

て使 用。 併せて使用方法 も残 す 日      本 千 葉 県 銚 子 市 余 山貝塚 大麻のの 出土

100

大 麻は耳痛に有効 プ リニ ウス (博物学

175

ギ  リ シ ア 大麻は屁を止め る ガレ ン (医師)

220

中       国 大麻と松 樹 脂

と酒の混合液を手 術

用麻酔 剤 と して利用

200

250

中       国 散 (大 麻配 剤 ) 華佗伝 (医者) (三国 時代 )

400

ド   イ  ツ 大 麻の培 始ま る        

7

 N工 工

Eleotronio  Library  

(8)

8

山  本 郁 男 年    代

     L

地    域 内      容 出

   

典 イ ギ リ ス

A ,

D

500

イ   ン    ド 大 麻の栽培使用 方が イン ら西 方ペシ ア

ア ラ ブ

国へ と       ノ 次 第に広ま る 中      国 大 麻に は繊維用と種子 油用の培 斉民要術

512

大麻の

最古の図版 写本 「アニ シァ ・ ジュ リア

ナ」 ダア イ

オ コ リデ

ズ 754 日      本 鑑 真 和 上薬 物持参

712

日      本 日本に おける麻 栽 培の最 初の記事

「常陸 風 土 記 」

807

日      本 麻の 記 載 古 語 拾 遺 」         

正倉院嘛

「鞭 醐 占

6

嚠 麻の歌

「万 葉集」 麻 汁に よ る 幻覚による中

死 「播磨風 土 記 」

900

ア   ラ   ブ 地 中 海 沿岸

大麻を麻酔 剤として活 用

1000〜1500

イス ラム教 圏 大 麻ら しい もの こ の頃読 「千 夜

夜物語」 物, 詩歌にし ば しば登 場 する

1000

年 頃 ペ  ル  シ ア 土 民団 (

Hashshashin

大 麻を飲ん で 人 を殺

1200

中央ア フ リ カ 大 麻 を燃 し

その煙 を 吸い陶 酔 作 用 を 楽 しむ

1320

チ オ ピ ア

麻吸煙器 具 と して水キセ ルが初 め て使 わ

1300〜1500

 

   ノぐ ア フ リ カ

ア ジァを通 過 したヨ

人 が故 国 麻の繊維以外 の利用法を伝承

1530〜1540

チ    リ   

スペ ン人 が大 麻を南

チ リ

に 持込む

1500

年代 中頃

1

大 麻 め植 物 学ボ幻覚 作用を記す フ ラ ン ソ ワ

ラ ブレ

「パ ンタグル エ ル

1606

ナ   ダ ヘ ベ ル ト (薬剤 師)が大 麻を栽培

1726

日      本 大麻は毒が あ る 大 麻 は狂 う草 用薬順知 (医学書) 古今 要 覧

1753

スウ

ェー

デ ン σα π πα配8S α麗りα

L

に分類 リン

1783

σα几几 α配88 α伽 α 腕d記α の分 類 ラマ ル ク

1798

エ ジ プ ト ナ ポレオン

大麻入 りの酒 及 び喫 煙 をエ ジ プ ト遠征 中の兵士に禁ず      

1800

r

ヨ 

 ロ ツ ノ寸 大 麻が ナ ポ レオン軍に よりヨ

ッ パ に流布され た

广

(9)

NII-Electronic Library Service 大麻 文化 科学考 (そ の

2

9

年    代 地    域 内      容 出

      典

A .

D .

1809

ヨ 

ロ ツ ノぐ 暗殺う言はハ シ ッ シ

シ ル ベ ス トル

サ シ

用 者とい う説

1839

エ   ジ  プ   ト オ シ ョ ネシ

(カル カ ッ タの科 学 者)が大 麻を西洋医学 会に紹介 疲 労

リュ

マ チ

喘 息

偏 頭 痛 の治療

1840

北 ア フ リ カ 大麻の樹脂は チフス や疫病に効果 ・ シェ

師) あ り

1840

年代 フ  ラ ン ス 大麻に よ り私は全 くの幸 福 感 を味 ジャッ ク

モロ

ー・

ディ ト ウ ァ わっ た(

Moreau

自身の体 験 記 )

医学者)   

1844 フ  ラ ン ス 大麻ク ラ ブ誕

生,

月に

1

回 会合を ゴ

ック

開 ぎ大麻入 りの 菓子 を食べ

ドレ

デュ マ

ゴ 1845 フ  ラ  ン  ス 大 麻の媚 薬 的効 果を記 述 「モ ンテ

ク リ ス ト伯 」デ

マ 著

1854

ア メ  リ  カ

大 麻 吸 飲 体 験記 ベ

(作 家 )

1857

ク 「大麻 食用者」 ドラ ック文学の最 フ ィ ッツ

ヒュ

ー・

ル ドル フ 初 (ア メカ の作 家 )

1800

メ リ カ ア メ リカ の製薬会社大 麻薬 剤を 製造

1880

年代 ア メ  リ カ

ア メ リカ各 地に秘 密の大 麻ク ラブ が結成

1889

 

イ  ギ リ ス 麻 薬 中 毒 患 者の治 療に初めて大 麻 エ ド ワ

チ を 用いた (イギリスの医 師 )

1890

イ ギ  リ ス 大 麻は特に偏 頭 痛に著効 レイノ ル ド (ビ ク ト リ ア女 王の主 治 医 )

1894

イ ギ リ ス こ の頃東イン ドよ り大麻輸入 イ ン ド大麻 調査委員 会報告書

1898 メ キ シ

大 麻流 行

1906

ア メ  リ カ 食 品や薬 物 中の大 麻の 明示を法的 純 粋 食 品お よ び薬物 法 に

務づ けた

1910

〜30

メ  キ  シ コ 煙め 風 習 広 まる 西イン

ド諸島

1924

ソ        連 大麻 草の形態 学

的一

変 種 ジ ャニ ェ フスキ

ls

 r眈 rdllS の分 類

1925

大 麻の取 締 規 定 国 際ア ヘ 条 約 (

   幽

1929

ア メ リ カ ア メ リカ

16

州で大麻禁 止

1934 、

ニ ュ

ク 大 麻 吸 飲

験 記

ウォル タ

ー ・

プロ ム ベ ル グ

1940

年代 ア メ  リ カ カンナ ビジ オ

ル をテ ト ラヒ ドロ ロ

ア ダム ス ガンナ ビノ

ル に化学的に変 換

9

N工 工

Eleotronio  Library  

(10)

10

山 

郁 男 年    代 地

  域

内      容 出        典

A .

D .

1942

ア メ  リ カ アヘ 中 毒 治 療使 用 レ ン ッ ク

マ ン

1947

日      本 「大 麻取締法 規 則」制 定 1961 大 麻 が 国 際 的規制

る 国 連 麻薬 委員会

   

1964

イ ス ラ エ ル 大 麻有効

分 (催 幻覚)

ラム ラ ヒ ロ カ ン ナビ

ノルで ある

   置

         ■

1

1960

年代 ア メ  リ カ

トナ戦争で ア メリカ兵に大麻な ど ド ラッグ が流行

常飲者お

00

万人

1968

大 麻の管理の強 化を呼び か け る ユ ス コ

1969

大 麻

 、

は人

に対 ずる依存 性の恐 れ 世 界 保 健 機

        L

ない

精神的 依 存 性は強い ので 法 律で取 締ること

1973

コ ロ ン ビア 大

成育地山谷

50

マ イル を焼

1975

ア メ  リ  カ 制癌剤投 与をう けて い るガン患 者 の吐 き気 を止め作用 及び鎮痛作 用晃 緑 内障の治療 薬△の応 用

1977

日      本 大 麻による ラ ッ ドの異 常行動 植木 昭和, 他 「科 学 」

198Q

年代 日      本

麻 乱 用が激 化

1984

日      本 ロ ス五輪選手大 麻持

1984

kg

単位の

輸 入が顕 著

1984〜

ア メ  リ カ

1960〜70

年 代の薬 物 礼 賛の潮 を 政府がおさえる方 向に変更

1986

イン ドネ シァ 世界麻薬 追 放 宣 言 ア メ リ  カ

麻 (マ リフ ァナ) 撲滅運動 ナンシ

ー・

ガン 日      本 大麻

分の代謝的活 性 化

山本郁男, 他 「薬 学 雑誌」 (毒性 増大 )

1990

日      本 市 販 大麻種子 中に

THC

を確認 山 本郁 男

他 「衛生化学」

 

今, 著 者は大 麻の

文化

にっ い て

き進めて はい る が、 ピエ 「 ル

チュ イ リエ は科 学は文 化の

,科学

文化

支えるもの, あるい は単 なる

技術

と して で は なく, 文 化の 「

」 と して と ら え るべ であると指 摘 する。

その

1

2)

にもかいた ように, 大 麻は ま さ し く 文 化の〒 部 と して

科学

的 に

え な くて は な ら ないもの で あ

1

1

つ を取 り

げて

説明

する

紙面

をもた ないが,

大 麻こそ は 厂反 F

科学史

」で

られるチュ イ リエ に絶 好の材

を 提 供し

T

いるか も知れ ない。

何故

な ら,

学が,

時 代の社 会

文化状況

を 反

し な が ら も,

に は その で遅 退 し, 逡 巡つ っ , ま

れ もな く

文化

を形 成 して い るか らである。 で は

現在

の       こだ ま

大麻

乱 用の風 潮は は た

科学

なの か。

文化

なのか。 という命 題が

著者

の心の

に鷁 する。

 

そ もそも近 代 科 学は

16C 初

頭J 錬金術の相 反の関

係あ中

で誕生 した。 「科

は常に リァ リテ イ

といか が わ し さ を持 ち, その両

備 して い るがゆ えに

危険

なほど

魅惑的で

ある。

科学

代の欲 望 を体

してい る」

チュ イ リエ )。 ひ るがえっ て

厂地 球

境や生 態

破壊

麻 薬へ

(11)

NII-Electronic Library Service 大 麻 文 化 科 学 考 (そ の 2)

11

恐 威 等が特に関 心を もたれて い る現 在こそ総

的な

判断

力が必

と さ れ るの であ ろ う。 こ の

模索

今始

まっ たばか りで ある

な くと も

大麻

して は

 

ことほど さように, 人 類は誕 生 以 来, ア ダム とイ ブの

神話

を ひ き だすまで もな く

,個人

族 と な

親 族 をっ くり

部 落

,村,小国

家 を

形成

し た。 その

で,

し,

住 み

にま と う

をっ く り

し た。 そ して

拡散

と移 住を繰 り返

な が ら, こ の五 大 陸の い つ こ に も住み , 定 着。 と

同時

々 な

文化

醸成

そ れを

ち は こん だ。 そ してその文 化は

には

こ の

こ そ

学 =技術)有効

合の

段 (交 易 品 (

技 術の集 合 体 ))ともなっ たの で ある。 当 然の ことな が ら そこで,

大麻

を衣 とし た だ けで はな

く薬物

と して

用 する と い うこと は より魅 惑

であっ た そこ に別の文 化が生 ま れた ともいえる

 

B .

C .

1000

年。 中 央ア ジア か ら

5000年

以上

ζ

い う気が遠 くな る よ うな

時間

て , い ろん な海 流に

渡 っ きた 日

本民族

北方

か らの

ちこん だの は毛

大 麻

種 子だ っ た。 そ れ は繊 維を得る た めの もの であっ た。 あ るい は可 能 性は少ないが, 渡 り鳥が 大 陸か ら, そ の胃袋に種 子と して運ん で きた か も知 れぬ。

 

いず れにせ よ

,現在

, 「

大麻

⊥は

栃木

県 を

心に

々と

さ れてし〜る の であ る。 「

麻 取

とい う法 律の規 制 下におい て

州。 そ うい う意

で, 大 麻は科 学 性の乏 しい状 況の中で, そ の繊 維 と しての 文 化 的 意 義は,少な くとも我 が 国

は消されっ っ ある。 そ の原 因として

薬 性 が あ まりにも強 調された

果である が故に疑 問さ

残る。 け しの

効 成 分, モ ル ヒ ネ が現

で もな お人 類に とっ て最 良の 唯

の 鎮 痛 薬として

「ガ ン末 期患 者」 にとっ て必

か くべ か ら ざ るもの で あ ること と

比して

え る

時,文化

重要性

がいま だ

大麻

には ない と言わ ね ばな らない。

第 5 節

の大 麻

 

ここで

重 な北 陸地

にお け る

麻に関す る資

1醤

16) を紹 介す る。       お か せ

 

江 戸

時代

北陸

に お け る

農業

入 源は

苧紬

産であっ た (鹿

p

368)

は       VVNA                              

                   

(すなわ ち前 頁に述べ た大

の こと)の ことで その繊 維 を 裂い て より をかけ (これ を 苧       お か せ を

む とい う

Fig

6

仕立

でた もの が

苧紬

で あ る。

麻織物

こ の

苧 紬

を原

とする。

ζれ まで農 民の衣

と して

足 さ れて いた

苧紬

が商 品 と して の価 値 を もっ て来 たのは

3

年 (

1713

年)

郡 子

浦村

が問 屋を

開業

してか ら と される。 こ の

登の上

      く ち こおり

近江商人

が多 量に買

けに来た か らであ る。 当

登 国の 鹿

郡, 羽 咋 郡は ロ郡

これ         お く こ お り   ふ げ し に対 して奥 郡は鳳 至 郡 ・ 珠 洲 郡を さす

と呼ば

礼 麻

大 生 産 地 。 こ の原

は近 江 風 花 紋 (近 江 産の

の こ とで 花

様 を 織 り込んだ 特 産

) となっ た

その 後

,文化

11

1814

年)能

登部の

村与

三右 衛 門は近 江

か ら

金を

,新

しい

麻織

し た。 これが既 述の能 登 上 布

能 登 縮 )であっ た。

を織る技 術 は近 江か ら習い, 徳

村の権 右 衛 門 が

の 奨 励 を

け生 産に あ たっ た。

文政

4

1831

年)

に は その生 産

24

287

反に達 し,

      チ デ ミ       サラシ の

と して全 国 的に

れ た。

徳丸縮

阿 部 屋 晒

羽 咋の 阿 部 屋

の海 岸で晒し たこと か らこ の

が ある

ともい う。

 

清水隆久著

16! , 「

近世北陸農業史

一加賀藩農書

研究一

によ れ ば,

当時 (

18

世紀)

大量

11 N工 工

EleotrOnlo  Llbrary  

(12)

12

山 本  郁  男

di    ”

 

Fig

6

  

木 綿か な曳 く図

苧 うむ 図

石 川 県 立 図 書 館

蔵 『

民家検労図

」より

ID かつ

範 囲に動

代表的商

品で あ り, 衣

だけでな く

漁網

, あるしは

蚊帳

の原

と して取 引 の

象であっ た という。 加

賀藩

      ア サオリモ ノ において は,

麻 織物

の こと を じよ う ふ 「上

」と呼び

中で も能 登 上

品質

く評 価さ れて

鹿

島郡能

部村 (

余 喜, 鹿 島, 千 路 ) を 中 心 と して生 産さ れ た。 ま た

禄時代

に は羽 咋

鹿 島 郡

50

余か村に及び 婦 女 子の冬

に よい

賃仕事

内 職 )で あっ た。 これ は本 報の冒 頭に引用 し た長 野の老 女の

と よ く

符合

す る。 こ れ らの

々 で は冬, 雪の

で トン ン とい う上

る イザリバ さ え た

こ え た とい う。 北 陸 地 方の大 麻 栽 培 は商 品 作 物 と して注

さ れ

盛 んで あっ た とい うこと が推 測 さ れる。 この こ と か ら も

北陸

を代       こうかしゆんじ ゆ う 表 する

農書

r

耕 稼 春 秋 』 土 屋又三 郎

6L 宝永

4 年 (1707

) に は

加 賀

,石

におい て

作に 用 い る干

鰯等

の金肥の中で 施用量が最も

か っ た作 物が麻であっ た と記されて いる。 すな わ ち

麻 栽 培には

肥え と して

300

1

反に鰯の

3

2,

3

1 番

こなしの

に入れ

2

番こなしの時}こ

小 便

20

荷,灰

10

長がよ くない

場合

さ ら に

肥として

の粉

5

8

小便

な ら

5

10

を施せ とい っ た具

,育

にっ い て も詳 細に既 述 して い る。 また 「土ヨ キ所ヲ遠 方ナ リ トモ 受

シテ作 リタル 方 得 分ア リ」と もあり,

農事

書,加賀

, 大 麻

栽培

経済性

栽培法

を 綿 密に記 録して い るQ

 

り返 すが

18

世紀

初頭 ,加,越,能

, 三州は大

の近 世におけ る

大供給地

あっ たの で あ る。

 

著者

加賀藩

の豊

な文

は, すなわ ち

加賀

百 万 石の 資 金 源は米や塩のみ でなく, この

に も大 きな依 存 が あっ た と

て いる

 

加賀

」に よ れ ば,

暦苧

の名 産 地 と して

,示野

土,

観音堂

, 鷺

篠場

,高畠,

      く ち こ お り 黒 田

石 川

の里

8

げら れて い る。 口 郡にお ける

苧粕

生産高

ん と諸

中,

位 (

安永

7

年 (

1778

))で あっ た 。

r

羽咋,鹿嶋両御

諸産

物 之 様 子

申帖』 (

金 沢

図書館

加 越

文 庫 )に よれば

はっ きりと麻と

か れ

その生 産は

210

箇 (

1

箇は約

14

貫 ) と

12

(13)

NII-Electronic Library Service 大 麻文化 科 学考 (そ め

2

13

して

収役金

代銀

13

当時木綿

2

で あっ た とい う。

村兵助組,能

登 部

村 兵

右衛

門 跡

荻 谷 村 平 右 衛 門 組

三階 村 五 左

組 高

村助

四郎

組,

部村

端 左

衛門組

とい っ た

組単位

に よ る生 産の

競争

え ら れて興 味 深い にあげた加 賀 藩の腰の入れ方が

い知れ る。

 

こ こ で貴 重な記 録を引 用 したい。 先の 『羽 咋

鹿 嶋

両御

諸 産

様子書

』 中に

原 料 と な る

にっ い て 「口郡に お け る苧の 生産 高は

3700

貫 目程で

か ら む し

苧麻

の こと

は い たって少 な く

大 部 分は麻 (大 麻 を さす)の苧である

」 と あり, 先に述べ て 来た,

と苧

との 区 別

確とな

,北陸

方 (

地方

も同じ と みて よい であ ろう

大麻

が主で あっ た と結 論さ れるIG) 。 天 保 年 間 (

1830

年 頃 )の従

者 数は

15000

人, 生 産 高の

8

割が西ノ

      や もめ で っ た。 余 談で あるが, 「在々百 姓 頭 振 妻 子

後 家, 孀, 女 童に至 迄

農 閑 期麻 布

り に精 を 出したの で あろ うが

その 賃 金は

い て

に し か な らなか っ たとい う。 こ こ で も

えて い たのは

零細

農民

婦女

子であっ た訳で あ る。

 

紿

生 産 構 造に言 及 する と, 各 農 家で生 産さ れ た苧

を小 買 人が集 荷 するの であ る が

買人

が 口

125人

ご との

人数分布

Fig −

7

の通 りである。 鹿

島町

で は

在江

1

),

武部

4

), 二

3

),

徳前

4

〕,

田(

1)

小竹

2

),

水白

  ,

3

),

江 (

5

),

4

),

藤井(

2

}, 福田(

2

,高畠

5

,小

1

)と

合計

39

人 を数え, こ れは全 小 買 人

af

 

3

31

2

た る

この

め ら れ た

苧紬

粕問屋

をへ て その

ど が前 述の よ う に

商人

さ れ た。 こ の

問 屋の こと を

中 買

人 (近 江 商

の こと), 宿 問屋 ・

紬買宿

荷宿とも呼び文 化

7

年 (

1810

)に は

13

人Q

9

年 (

1826

に は

20

人。 天

6

年 (

1835

に は

13

人がいた とい う。 文 政

9

の 『口

郡紬方仕法

』 金

図書館蔵 (

余談

であ る が

加賀藩

が天 下の

書府

といわれる 由

が わか る)に よれば これ らの人 物としで 高 畠 村 惣 右 衛 門, 甚 右 衛 門, 与 左 衛 門, 忠 兵 衛,

藤井村喜

中村清次郎

, 茂

十郎

村吉

, 二

宮村

木村文

門, 芹

      

村与

兵衛

11

がみえる。

 

  

販 売ル

トは

商人

く →

問 屋  

 

 

・ →

買 人e 生 産 者 (

多 く

 

 

  

性 )。

問 屋は近 江 商 人 か らの前

Fig

  

の 口

郡苧紬小買人

分布状

銀)

小買

人に

け,

苧紬

め るの で

い ず れ も村の 財 力の あるものが従 事 して いた。 前 貸

的支

配 下で は

当然

の こと な が ら

搾取が

おこな わ

賀商

人の沈

くこと に な る。 こ こで は

著者

の専 門 以

なの で

にゆ ず るこ と に す る が

,若

加 賀

方に こ の麻の

産 と

売を

手に

いえ る資

力と知 恵 が あっ たのな ら ば近 代にお け る加

賀藩

き も ま た

わ っ て い たか も知 れぬ しか し ,

高 畠

村 源 左 衛 門は

1830〜1846

年にか け

上       よ

より

り堅 く, 上

である

を 買 入 れて上

の布 を生 産 させ ようと した 記 録がある。 当時, 加 賀 藩にあっ て質 屋

商を

手に

豪商

で あっ た。

1813

年文化十年 ,

によ る 13 N工 工

Eleotronlo  Llbrary  

(14)

14

山  本   郁   男

御貸米不足

対す

る口郡

区では

しい

続発

している。 ま た,

近江商人

か らの

脱脚

ま れた もの に能 登 部 土 村土 村

三右 衛 門の発

に よ り手 代の徳 丸 村 権左衛 門が中心 と なっ て 生 産されたの が 「

徳丸縮

」であっ た。

 

し か し 繊 維 流 通 経 済の浮 沈 はこの

時代

じであ り

時 代

て 明 治に入 っ たの で ある。

徳丸縮

生産

は元 治 元 年 (

1864

年 ) 明 治 維 新の直 前, 現 在の金 沢 市 尾 張 町に徳 丸 村

吉が出 店し

加 賀 藩に

1000

両の無

       

Tab

【e

− 1

    明 治 十

年の徳 丸 縮の生 産 者 数

資を願いで て い るg

ま た

真館

与 四 郎が社 長と なっ て 「

登 製

布会社

」を

,能

登 上

改善 ・

を 行 っ て い る な ど北 陸の麻 布を め ぐる

題は っ きない。

 明

11

年 (

1879

年)

事 者 は 鹿

町 地

だ けで も

1000

Table

ff) 羽 咋 郡を入れ る と実に

73

2

313

名。

に,

C117

      t 戸 ), 最 勝 講 (

36

戸 )

尾 崎 (

43

戸 )

竹 (

160

戸),水 臼 (

68

戸)

で ある か ら 能登半 島

帯に麻 畠があっ た筈である。 大 正 七

年 (

1918

年)

鹿 西 町

,鳥

屋 町, 鹿 島 町の女 性で麻 布 を

らないものは       J いな か っ た とい う 生 産

高14万

3

干反

 

これ が昭

和初

年に は

25

8

千反

9300

台, ユ

50

業 者と

国 第

と な

村  名

生産者数

村   

名 生

名 名 曽   祢

22

井    田

85

東 馬 場

最 勝 講

75

    L

30

   崎 ・

小    竹

3698

在    江

8

水   

42

西

6

久   

115

坪   

8

   

 

25

久 乃

25

70

武    部

70

福   

11

二    宮

44

盲       白 同         田

82

徳   前

85

13

芹   

50

合   

1

000

市 立 図

書館

河 合 文

「能 登 縮 明 治 十

年 中 産 額 并金額 」に よ る。 つ ま り

地 方は

麻布

有名

産 地であっ た わ けであ る しか し

「辛 苦っ くして糸 取り なろ うて     夜なべ いを

 

まっ わい の とい

仕事歌

  

「七っ 八っ か ら

糸取

り な ろ うて       はた を し ま しよ うで

  

ひ が やり

を」とい う

機織

に は

,麻畠

の.

独特

りと は別の

沫の 哀

が漂っ て い る。       あ さ     そ  ば

 俗説

にある 「

蕎麦

の生え るところ, いず れ

文化

はっ る処 」と は

説的

題の

文化

を 支えて い る と み るべ きであろ う。 と同 時に, 麻 糸の 強 靱さ と同 じ ような北 陸 人の足 腰の強さを 知る。

14

(15)

NII-Electronic Library Service 大 麻 文 化 科 学 考 (その

2

15

第 β

 

北 海 道の大 麻

 

天 然 繊 維の我が国にお ける利 用は 前 節まで に述べ たように古 代か ら

2000

年 近 く, 大 麻 と苧       あ  ま

が主であっ た が

,近代

で は

と亜

対比

さ れ る こ の亜

にっ い て は後

する。

 

北 海 道における大 麻 栽 培の史 実と して, 札 幌

学 校にお ける南 (池田) 鷹

郎の実 験 実

告書

が あ る。 これによ る と

大麻

習が正 式の

課 内

であっ たこ と が分か る。

1892

年 (明治

25

年 )の実 習 書に は 「七 月 上 旬 害 虫 発 生のた め繊 維を採 取 する に は適せず, 種 実       おs さ を

るに

まっ た」とある

み に道

内江別市

に は

大麻

とい う地

すら あ る

 

こ の よ うに明 治, 大 正, 昭 和と道 内で は第

2

次 世 界 大 戦 前 まで は各 地で大 量に大 麻 は栽 培さ れて い た。 とこ ろが

戦後

大 麻

需要

極端

な くな っ た こ とや

,既

述の

な ど が か ら んで 道 内の 広 大な地

に大

し た と

え ら れ る。 これ を 以

, 道 産

生 大

下 単に野 生 大 麻 )と称 す。

 

昭和

40

年の野 生 大

Fig

8

に示 すよ う

札 幌

心 として

江 差

,夕張,北見,紋別,美

幌 広

尾 な ど が

生 地

と さ れてい た。

各保健所管内

で の

取 り

総株数

は昭

41

年度

5

万 本,

42

14

万 本,

43

38

万 本に達している。 これ ら野 生 大 麻 中の ,幻 覚 成 分である△ LTHC 9

テ ト ラ ヒ ドロ カ ンナ ビノ

量は

最高

走 地

採 取

さ れ た

雌株

1.

6

% を 示して お り

これで充

に幻

覚作

用の

的 を達す る もの で ある。

大体

雌葉

0

2

− 1.

6

%,

雄葉

0,

1− 1.

1

種 子

O

O

5

%であ り, 地 域

によ る成 分の変 動 およ び雌 雄 間で大 きな差 異は ない との報 告

   

 

 

 

15

N工 工

Eleotronlo  Llbrary  

(16)

16    男

c7

Fig

9

・。 ・ ・i 保 健 所 別

大麻

除 去 実 績 図 (平

2

年度)

が ある’?) 。 その後の調

で は (

Fig

9

及び

Fig − 12)

昭 和

56

年 度は

560

万 本 ,

57

670

万 本,

58

年 度

850

万と増 加

58

年に ピ

クを 記 録してい る。 しか し, その 後は抜 取 りの効 果が

たた めか

で は

150

万 本と激 減してはい る もの の 昭和

40

年 代の

4

であ り, いまだ予 断 を

さ ない

況にある。

Fig

lo

q

11

は道 内にお ける

大麻

の写 真である

。因

みに全

に おける野 生 大

除去状

Table

− 1

旺に示 すが

そ れで も北 海 道は

平成

年 度

88

0

%, 平 成

2

年 度で は

86

9

%を占め依 然として全

9

で第

である

ことに

わ りない。 こ の た

本 州べ の

反が後を

たない

で ある。 こ の原 因と し

七,

大 麻の植 性が冷

な気 候 に適 応 すること, 広 大な土 地の た め, 風 ・

獣に よ

拡散,

監 視

が重 なっ た結 果と考え ら れ る 。 平 成

2

年 度の 道

健所

別 野

大 麻

除去実績

Fig

9

に よれ ば ,

40年度 (

Fig

8

)とは様 相が異な り

,札幌,

江 差 地 区は減 少 する もの の 網 走,

本別

30

と道 央, 道

野生化

が移 動 している。 「

大麻取締法

」とい う現

生大

うなる の であろ う か。

北海道

保 健 環 境 部の

御苦労

推察

さ れ る。

16

(17)

NII-Electronic Library Service 大麻文 化科学考 (その

2

17

Fig

10

 

北 海 道 野 生 大

取る保 健 所 員

17

(18)

18

18

山 本  郁 男

参照

関連したドキュメント