NII-Electronic Library Service 北 陸大学 紀 要 第
15
号 (1991
)pp .1 〜20
1
大 麻 文
化
科 学 考
(そ
の
2
)
山 本 郁
男
*AStudy
on theCulture
andSciences
of
the
Cannabis
andMarihuana
,
H
Ikuo
Yamamoto
*Received
October
21,
1991
第
2
章
大麻
の文 化
第
4
節続
, 我が国の大麻
一
大麻
と苧
麻
「
女
が嫁にゆ くに は,
縫いもの,
飯 仕 度, 麻か き。 ・その三っ は どうで も名 人にな らなけれ ばな んね」が母の 口癖だ っ た。 「つ ましい夕 食 後の長い夜なべ。
廈
場は農 具のつ くろいや 蚕の仕事。
そ して冬
は麻
の よ り合
せ」。 こ れ は長野
県 上水内郡小
川村
に住
む今年
68
才
の老
女の述 懐で あ るD。こ の ように大 麻 は, 老 女が語るように信 州, 北 陸, 越
後
な ど, っ い最 近 まで,我
々 の身 近に あっ たの で あぐ
。 か?
て長野
石 川,新潟
, 福島
栃 木, 茨 城, 千 葉な.
ど は大麻
の産 地県
で あっ た。前報
2)に引続
き ,古代
,中世
, 近世,
近代
の我
が国
の大麻
につ い て再考
して み る こ とにす る。前節
2)で も若干触
れ た よ う に,古代,中世
の民衆
の衣生活
を 語る時
,大麻
を除外 す
る訳
には いかない。 そ こ に は大 麻と は明記 さ れて いないが, その求め る文 献の最 初は,
や は り魏 志倭人
伝
3)で あ ろ う 。 「柔補
・
寿
1
森
を植
え,
i
譲棊鴇
う績
して ,飄
鮮篠鞣
を出
す 」。 すな わ ち,
「稲
や紵麻
Wh を植え, 養蚕を行っ て絲 をつ く り , 布や練綿をっ くっ てい る」という意である。一
方, 范 曄 (〜445
つく年
)の 『後 漢 書 』, 「第115東
夷 伝倭 」に は 「土は禾
稲, 麻紵 ・蠶桑に宜しく ,織績
を知り,練布
を為
る」 とある4)。
こ こで は,
倭人
伝の紵 麻が麻 紵と逆 転して い るこ と が注 目さ れ る。
こ の こ とか ら,著者
は , 後 述 する ように,
これ は麻と紵
と を分離
して考
え るべ きであ る と 思っ て い る。 従っ て,古
代の倭の衣 生 活は大麻と紵麻が主 要な原 料であっ たので は な か ろ うか。 そして時
代
は下り,
奈 良・平
安時代
コ ロ . コ と中世
に向
けて移
るの であ る が,
以下
に麻
の歌
の いくっ か を前報
に引
き続き掲
げることにする。 *薬学部衛生化学教室Faculty of Pharmaceutical Sciences
,
Department ofHygienic
Chemistry .
1
2
山 本 郁幽
男Fig
−
1
大 麻 種 子 (
THCA
種 ),播種
10
日後 (高さ約4
.
5cm
) (著 者 画く)
庭
に立つ麻手
刈 り干
し署
さら
す ひ た ち の お と め東女
を忘れ た ま ふ な,
常 陸 娘子
(
万葉集
4
− 521
) さ く ら を お う桜
麻の苧 原の下草 ,
露
しあ れ ば明
か して
哘
け 母は知 るとも、
(縢集
11
”
2687
)
,
小 垣田の麻
を引
き干
し妹
な ねず ひ も作り
着
せ けむ
白栲の紐を も
解かず
一
重 結ぶ(
万
棄
集
1
−
800
)
お け ふ す さ麻
苧 ら を麻 笥に多に績まずと も響
明日養
さめせい ざ せ む
床
に(万 葉 集
1−
3484
)
つま よ 庭に立つ麻
手小衾今宵
だに夫 寄 し来せ ね,
麻手
小 衾(
東歌)
少
女 らが績麻
の絡環打麻
懸 け績む時な しに恋ひ渡る か も
(
万葉集 1− 299Q
)NII-Electronic Library Service 大麻文化 科 学 考 (その
2
) 3 あ さま なつ ま さ くらを 枕 詞に は 「麻 裳よし 」 と か 「夏 麻引
く」 な ど が あ る。 ま た桜
麻は雄の大 麻の枕 詞 と さ れて い る。古代
から中世
。集権
的な国家体制
の形成
プロ セ スにおい て, 祖, 庸, 調の税 制が確 立され る と, そ の中に, 北 陸, 東 国の麻 布 (以 下 i 単に布 と呼 ばれる) と絹
と綿 (
木
綿は こ の 時代
に は ま ゆ まだ な く全て蚕
の繭
から と る真綿
で あっ た)
が主要
な位
置を占
めて いた。 「布
」 は現 代の よう に一
般 的な織 物をさ すの で は なく,絹 や綿 とは明 確に区 別された麻 織 物の こ とであっ た。 別名,
あら軽
くて,
運ぶ に便利
なた め 「軽物
」と も呼ば れ た ら しい。粗織
りの「
布 」は,今
日,
奈 良 正 倉 院の御 物の中に実 在 する。今
年行
く新島守
が麻衣
肩の紕
は誰か取り見む
(
万葉集 1− 2481)
うちそ を み おお きみ あ ま打麻
を麻績
の王海人
なれや い ら こ 伊 良 虞の島の玉 藻 刈 りま す (万 葉ft
1
’
一
341
) とこ ろ で,
先 きの万 葉 集4 − 521
に出て くる律 令 国 家 時 代の 麻を栽 培 して い た東 女の住む国 ひ た ち um は どこを指 すの であろうか。 これは常 陸が現 在の茨 城 県で あ、
ると考え る と関
東, 東 北, これ に 北陸
が含まれる と思わ れ る。 北陸
とは越前
, 加賀,
、
能
登,
越中,
そ れ に越後
t信濃
な ど も入る の で は ないか。 だ からとい っ て麻の栽培
が東 方に限られ
て いた とは い え ない。 文 献 的にみると 平 安 時 代 以 降爾
中 世 荘 園 制 時 代には随 所に麻の栽 培の記 録があっ た。 丹 波の大 山 荘,
肥 後の人’
ざい け お吉荘南坂梨郷,伊勢
の大
園荘
,越前
の牛原荘 ,若狭
の太良荘
な ど,
そ れ ぞ れ 「在家苧
」と して 在 家 か ら麻 布 を 徴 して いた。 「在 家 」とは家 屋, 入, 田 畠をふ くめ た課 役の収 取 単 位であっ た 6) 。 『延喜式
』に,麻布
は調,庸,中男作物
と して全国
的に賦課
さ れて い たこと が記
さ れ ているの で, 大 麻の 栽 培は日本 列島
い たるところ で な さ れて い た と みて よい。 大 麻の 栽 培に適し た,
北 陸,
東
北は特
に力
が入れ られて いた ことは確
かで ある。 ま た, この地方
は荘
園 制度支
配と収
取が衰 退 する に及ん で麻
は特産品
として注目
された。 越後
上布 ,能
登 上布,奈良晒 ,高富細布 ,小千
谷 縮 や 近 江 八 幡の蚊 帳の名 が 近 世 まで残 っ て い ること から,
これ らの地 は一
大 , 麻 織 物 産 地で あっ た。 すなわ ち,網
苧,
畳 苧,筆
結 苧などの需要
が 増 加 したこ とか ら も窺
い知ることが出来
る。 当時
の生産
高を み る と, 信濃商布
6450
端(
=
反 ),
上 野7731
端,
下 野7003
端,越
後1000
端,
越中
12000
端, 加賀
,能
登1500
端, 越 前1000
端とある。こ こ で
著者
は再
び,大麻
と苧麻
との区別
にっ い て の見解
を明確
に してお か ねばな らな い。 と い う めは, は た し て我が国で は単に麻
といっ た場 合, それは苧 麻 (か らむ し)で あるとい う意 見 が少
な くないか らで ある6) 。事実 ,
広義
の麻
の当字
と して,大麻,苧麻,紵麻 ,麻紵
が しばし ば引 用さ れ,
これ が混 乱の原、
因 となっ て い る。 著 者 が一
番 知 りたい こ とは, 現 在 『大 麻 取 締 法 』の対 象と なっ てい
る幻覚作
用を有
する真
の 「大麻
」は古代
日本
か ら近世
まで,
吸 煙の風習
が ないものの,本当
に栽培
さ れ て い たのだ ろうか という疑 問で ある。3
4 山 本 郁 男
・
木暦
は中 国に おい て,
『詩
経』
で は単に 「暦
」 と書
か れ,
『事物起
原 』には 「漢 麻」 と わざわ ざ塰
とい う字をつ けて い る。 『日用 本 草』 に は 「火
麻 」,
『本 草 綱 目』には 「黄
麻」,
『救荒本 草
』 さん し びょう に は 「山糸
苗⊥
『神 農本草経集
』に は 「大 麻 」とある などな
お複雑
で あ る9) 。この
複雑
さの 因を宋 代, 沈 括 著の 『夢渓筆
談 』 に求め ると,
こう記 し てい る。 「張 騫
は鱗
箘
よ り概
て醺
唖
子を入 手 し た。 これ讌
と呼ぶ もの がい たの で漸
し覇 麻
(外 国 あ6
い は異 国のあさ) とし,従来
の 「麻
」を 「漢大麻
」す な わ ち 「漢 麻 」 ま たは 「大麻
」と命
名 した」とある。 さ らに大 麻は前 報に も記し たよ うに雌雄
異 株で あ り,中国
で は雄
株 (実の な ら ない もの)
を彙麻
ある いは牡麻 雌株 (
実
のな るもの) をiEtlkl
と 呼んだことが攀
麻
と混 同さ れ るよ うになっ たの で は ないか,
と著
者は考 えている。 ち ようま永原慶
二著
6)(
新 ・
木 綿 以前
の こと一
苧 麻
か ら木
綿へ・
中 公 新 書 )の14
頁
に は 「苧麻
の葉
と 刈 り取 り」 (藤森
武氏撮
影)
と あ る が,
2
人の農 夫が手に して い るの は,
よくみるとこれは苧 麻 で は な く,
明ら か に大麻
である。そ
れは葉
の 形か ら判 別で きる。 大 麻は3
〜
9
裂
の掌 状複 葉
で あり,苧麻
は卵 型 を して い る(
Fig
2
・
3
)
Dこうい うこと からも
魏
志倭
人伝
の紵
は苧
と簡
単に書 きか えて よい ものか とい う疑問
が残
る。『麻 薬の 科 学 』 の
著 者
4),一
戸良行氏
に よれ ば 「古 代か ら江戸
まで は大麻
と苧麻
。明
治 以 降は大 麻と亜麻
が対
比さ れる。」 とい う。 こ れ に 関 して , 著 者は最 近,
石
川 県 立図書館
の古 文 書の中Fig
−
2
、
大
麻
9)Fig −
3
苧
麻
9) に重 要な絵図資料
を発見
し だユ) 。 そ れ は江 戸 時 代に画 か れた 「民家検労
図 」という全2
冊の彩 色 入 りの 図で ある。
その 原本
か ら直接
写っ た もの がFig − 4
及び5
であ る。 図か ら も分か る よ う に,麻
と か か れて い るFig
−
4
は明 らかに大麻
であ り,Fig
・r・
5
は麻
苧 (
か らむし と云 う)
す なわち苧 麻で ある。
大麻
を一
字の暦
と書き,
しかも
「皮牽
こそげ取 り竹竿
にか けて ほす 也。 是’を苧
を引
と云」
と あ る。こ の文 献か ら少 くとも
断言
で きること は,
こ の図が画かれた江 戸 時 代。 加 賀,能
登に は2
種 の繊維作物
が栽培
さ れて いた とい うことであろう。 を あ さのぞく しろ く してほ そき ものな り関連
して, さ らに 「和名抄』
に は 「苧
,麻 属,白 而 細 者也
」とあ る。 ま た,既述
の 『日本
か ら む し あ を な 書紀」
に は 「天下
を して, 桑, 紵, 梨, 栗, 蕪 蓄 等の草木
を勧
め植
えし む」 (持
統 女 帝693
年頃)
を か ら む し と書
か れて おり, 苧と紵はやはり完 全に違うの で あ る。 前 者が大麻
後 者が苧麻
とい うこ と か (?) 現 在, 紵 (イラクサ科)
を栽培
して い る の は福
島(
昭和村),新
潟, 沖 縄 (宮 古, 石 垣, 竹 富,小
浜)
に限ら れて い る。で は, 近
世
まで 「希
」
は どのような原料
か ら作
られ たのか。
広義
の布
とは,慧
,隷
,竃
麻
,
キ オ マ フ カ ラム シ(
苧麻)
などの植 物 質 繊 維で織っ た もの の総 称であ っ た。 沖 縄で は 「生 苧麻布
」といNII-Electronic Library Service 大麻 文化 科 学 考 (その
2
) 5 じょうふ い,本土
で は上 布とい っ た 。 これ が 『能 登 上布
』な どの言 葉 として現在
に残っ て い るもの と考 え られる。 わ きん永 原
慶
二氏
6)は 「 倭 錦・
絳 青練 ・緜
衣 ・帛
布 等 を 倭 王は魏
に贈
っ て い る 。 これ らの織物
の各々 の性 質は不 明である が,
や は り絹 と麻
を 原料
と し た もので あろ う」 と 述べ て い る に過 ぎな い。 「しか し, こ の暁
代の主 力は苧麻
であっ た ようである」と して表
現は極めて曖 昧で ある 。村
上直
太 郎著
8)『着物 ・染
と織
の 文 化 』 か ら引用す
れ ば「
麻 も倭 人 がも
っ て き た といわれて い まナ
。彼
らが もっ て きた麻
は中央
アジアか南
ア ジア生ま れ 。・
・
1
中
略。 倭 入伝
に麻
を栽培
し, 麻 織 物を織
っ て い る,
とい うの は, こ の麻
で しょ う。」とある。 す なわ ち,中央
ア ジ ァ原 産な らば 大麻
を 指 して い る と もい え るの で はないか。著 者の 推
測
で は,在来
種の繊維作物
は苧麻
(か ら む し),勿論
,植物
と して の大 麻はあっ たの で あ る が,
こ こ に漢 麻 といわれる繊維作物
と して の 「大麻
」が待 込まれた と み るべ きであ ろFig
− 4
江 戸時代
の大麻
(
石
川 県立図書館
蔵 「民家検労
図 』より)lt)5
N工 工一
Eleotronlo L!brary6
山 本 郁 男『
Fig
− 5 、
江 戸時代
の苧
麻(
石川県
立図書館蔵
『民家検労図
』・
より)
11> う。中国
大
陸
にすで にあっ た大麻
か らの織
物
で
は さ しで
珍 し くはない。 異国
のか らむ.
しか ら作
っ ● ●●
,
た布で あっ て こ そ初
めて,
贈 物と して価 値があっ たの では な.
いか。これに関
連
して ,外
来
の ものをアオ ソ(
麻)
であ り,.
国 産の ものをカ.
ラム シであ
る との説
も あ る.
こと を付言
し てお こうb カラム シ の手 織の布
は サ ヨ ミ(
貲
布 )と呼 び, 調(
税)
.
と して 中 央 政 府に集 め
b
’
れ た。 興味
ある こと に隣
の韓国
では巾
ラム シの こ とを 「拳希簟
」 とい う 。 朝鮮
半島
における大 麻の歴
史は ぜひ とも今後
研究
の対象
と し な くて は ならない事項
である 。人 類は土 器よ り も早 く糸= 絲= 繊 維を作 り , や がて
身
にま と う布 (織 )を衣と し た。『
その 原 料 として大麻
が用いられ た が, 既に再
三述べ てい る よ うに大 麻は薬物 として も貴
重 な もので あっ pm た。こ こ で
前報
で記さ な か っ た大麻
の摩
史
を一
覧
表
と してTable
I
に揚
げる1!),・
/
’
)NII-Electronic Library Service 大 麻 文 化 科 学考 (そ の
2
)7
Table
I
大 麻の歴 史 年 代.
地 域 内 容 出 典B ,
C .
7000〜10000
中央ア ジア 大麻の起源地,
野 生 大 麻の栽 培一
5000
エ ジ プ ト フ ァイユー
ム 遣跡か ら麻布・
と種子 チ』
グ リ ス 発見。 繊 維, 薬物 と して使用 (?) ユー
ブラ テ ス3000
エ ジ プ ト ゲルゼ出土品 麻 布 発 見薬物と し チ グ リ ス て の使 用 (?) ユ
ー
フ ラ テ ス1400〜900
イ ン ド 魔 術 師 が戦術に用いた ア ザ ル バ・
べ一
ダ1200
中 国 大麻の幻 覚作用の記 事 エ ル 9 ヤ1000
イ ン ド 大 麻は多 幸 感 を 生 じさせ る サスル タ (イ ゾ ドの古 書 ) 日 本 大麻,
大陸から持ち込まれ る、
800
ト ル コ ア ンカ ラ の古墳か ら大 麻 出 土800〜
500 中近
粛
回
教の宗 教 儀 式に用い ら れ る650
ア リシ リア 楔 形 文L
字板に大 麻の記 載500
ゲ ル マ ン 墳墓から麻の種 子,
死 者を天 国に 導くた め と考えられ る イ ラ ン 大 麻は幸 福の源で ある ゾロ ア スター
経 典 「ゼン ドア ベ スタ」 イ ン ド 大麻樹脂 , 花 穂の記識
バ.
ラモ ン経 典ヴェー
ダ484
・
中 国」
カス ピ海沿岸 大麻とい う名の最 初,
大 麻を赤 熱 し た石の上で焙りその 書経 ス キ タ イ文 化, ヘ ロ ド トス 蒸気を吸い歓 喜に酔い しれた (古 代ギ リシア の 歴史家)450
ギ リ シ ア スキタ イ人の犬麻吸飲の風習 ギリシア文学の中に初めて既 述100
イ ラ ン‡
着宗教の神官 (アギ)の間で大 麻 を 用い荒行,
幻術を行っ た。 宗 教 的秘事に用いたA .
D . 70
ロー
マ ネロ皇帝の主治 医.
ダアイ・
オコ リ ディー
ズ は大麻を初め て薬 物と し广
て使 用。 併せて使用方法 も残 す 日 本 千 葉 県 銚 子 市 余 山貝塚 大麻の実の 出土100
大 麻は耳痛に有効 プ リニ ウス (博物学者)175
ギ リ シ ア 大麻は屁を止め る ガレ ン (医師)220
中 国 大麻と松 樹 脂』
と酒の混合液を手 術幽
用麻酔 剤 と して利用200
〜250
中 国 麻沸散 (大 麻を配 剤 ) 華佗伝 (医者) (三国 時代 )400
ド イ ツ 大 麻の栽培 始ま る7
,
N工 工一
Eleotronio Library8
山 本 郁 男 年 代L
地 域 内 容 出』
典 イ ギ リ ス
A ,
D.
500
イ ン ド 大 麻の栽培と使用 方法が イン ドか ら西 方ペルシ ア,
ア ラ ブ請
国へ と ノ 次 第に広ま る 中 国 大 麻に は繊維用と種子 油用の栽培 斉民要術512
大麻の図,
最古の図版 写本 「アニ シァ ・ ジュ リアー
ナ」 ダア イ・
オ コ リディー
ズ 754 日 本 鑑 真 和 上薬 物持参712
日 本 日本に おける麻 栽 培の最 初の記事、
「常陸 風 土 記 」807
日 本 麻の 記 載 「古 語 拾 遺 」.
正倉院嘛希
あウ
「鞭 醐 占6
嚠 麻の歌.
一
「万 葉集」 麻 汁に よ る 幻覚による中毒
死 「播磨風 土 記 」900
ア ラ ブ 地 中 海 沿岸,
大麻を麻酔 剤として活 用1000〜1500
イス ラム教 圏 大 麻は素晴ら しい もの , こ の頃読 「千 夜一
夜物語」 物, 詩歌にし ば しば登 場 する1000
年 頃 ペ ル シ ア 土 民の暗殺団 (Hashshashin
),
大 麻を飲ん で 白人 を殺害
1200
中央ア フ リ カ 大 麻 を燃 し,
その煙 を 吸い陶 酔 作 用 を 楽 しむ1320
エ「
チ オ ピ ア木
麻吸煙器 具 と して水キセ ルが初 め て使 われ
た1300〜1500
ヨー
ロ ツ ノぐ ア フ リ カ;
ア ジァを通 過 したヨー
ロ ッパ 人 が故 国に大 麻の繊維以外 の利用法を伝承1530〜1540
チ リー
スペ イン人 が大 麻を南米
チ リー
に 持込む1500
年代 中頃1
大 麻 め植 物 学ボ幻覚 作用を記す フ ラ ン ソ ワ・
ラ ブレ’
一
著 「パ ンタグル エ ル」.
1606
カ’
ナ ダ ヘ ベ ル ト (薬剤 師)が大 麻を栽培1726
日 本 大麻は毒が あ る, 大 麻 は狂 う草 用薬順知 (医学書) 古今 要 覧1753
スウェー
’
デ ン σα π πα配8S α麗りαL
に分類 リンネ1783
σα几几 α配88 α伽 α 腕d記α の分 類 ラマ ル ク1798
エ ジ プ ト ナ ポレオン,
大麻入 りの酒 及 び喫 煙 をエ ジ プ ト遠征 中の兵士に禁ず1800
r
ヨ尸
ロ ツ ノ寸 大 麻が ナ ポ レオン軍に よりヨー
ロ’
ッ パ に流布され た广
NII-Electronic Library Service 大麻 文化 科学考 (そ の
2
)9
年 代 地 域 内 容 出、
典A .
D .
1809
ヨー
ロ ツ ノぐ 暗殺とい う言葉はハ シ ッ シュ
の常 シ ル ベ ス トル・
デ・
サ シー
用 者とい う説1839
エ ジ プ ト オ シ ョ ネシー
(カル カ ッ タの科 学 者)が大 麻を西洋医学 会に紹介, 疲 労,
リュー
マ チ,
喘 息,
偏 頭 痛 の治療1840
北 ア フ リ カ 大麻の樹脂は チフス や疫病に効果 ・ シェ・
(医
師) あ り1840
年代 フ ラ ン ス 大麻に よ り私は全 くの幸 福 感 を味 ジャッ ク・
モロー・
ディ ト ウ ァ わっ た(Moreau
自身の体 験 記 ) (パ リー
の精神医学者).
1844 フ ラ ン ス 大麻ク ラ ブ誕生,
月に1
回 会合を ゴー
ティエ,
バ ルザ ック,
開 ぎ大麻入 りの 菓子 を食べ る ボー
ドレー
ル,
デュ マ,
ユー
ゴ 1845 フ ラ ン ス 大 麻の媚 薬 的効 果を記 述 「モ ンテ・
ク リ ス ト伯 」デュ
マ 著1854
ア メ リ カノ
大 麻 吸 飲 体 験記 ベイヤー
ド・
ラィ
ラー
(作 家 )1857
ニ ュー
ヨー
ク 「大麻 食用者」 ドラ ック文学の最 フ ィ ッツ・
ヒュー・
ル ドル フ 初 (ア メリカ の作 家 )1800
ア メ リ カ ア メ リカ の製薬会社大 麻め薬 剤を 製造1880
年代 ア メ リ カ「
ア メ リカ各 地に秘 密の大 麻ク ラブ が結成1889
・
イ ギ リ ス 麻 薬 中 毒 患 者の治 療に初めて大 麻 エ ド ワー
ド・
バー
チ を 用いた (イギリスの医 師 )1890
イ ギ リ ス 大 麻は特に偏 頭 痛に著効 レイノ ル ド (ビ ク ト リ ア女 王の主 治 医 )、
1894
イ ギ リ ス こ の頃東イン ドよ り大麻輸入 イ ン ド大麻 調査委員 会報告書.
1898 メ キ シ.
コ 大 麻が流 行・
1906
ア メ リ カ 食 品や薬 物 中の大 麻の 明示を法的 純 粋 食 品お よ び薬物 法 に義
務づ けた1910
〜30
メ キ シ コ 大麻吸煙め 風 習 広 まる 西イン』
ド諸島1924
ソ 連 大麻 草の形態 学的一
変 種 ジ ャニ チェ フスキー
伽
励ls
r眈 rdllS の分 類1925
’
大 麻の取 締 規 定 国 際ア ヘ ン条 約 (ジユ ネー
ブ)幽
1929
ア メ リ カ ア メ リカ16
州で大麻禁 止1934 、
ニ ュー
ヨー
ク 大 麻 吸 飲体
験 記〆
ウォル ター ・
プロ ム ベ ル グ1940
年代 ア メ リ カ カンナ ビジ オー
ル をテ ト ラヒ ドロ ロー
ジヤ・
ア ダム ス ガンナ ビノー
ル に化学的に変 換9
N工 工一
Eleotronio Library10
山 本・
郁 男 年 代 地域
内 容 出 典A .
D .
1942
ア メ リ カ アヘ ン中 毒者の 治 療に大麻を使 用 ア レ ン タ ッ ク・
ボー
マ ン1947
日 本 「大 麻取締法 規 則」制 定 1961 大 麻 が 国 際 的規制をうげ
る 国 連 麻薬 委員会、
1964
イ ス ラ エ ル 大 麻の有効成
分 (催 幻覚)はテ ト メコ.
一
ラム ラ ヒ ドロ カ ン ナビー
ノルで ある置
■
1
1960
年代 ア メ リ カ・
ベ トナム戦争で ア メリカ兵に大麻な ど ド ラッグ が流行,
常飲者お00
万人1968
大 麻の管理の強 化を呼び か け る ユ ネス コ1969
大 麻、
は人体
に対 ずる依存 性の恐 れ 世 界 保 健 機L
構信
ないゲ
精神的 依 存 性は強い ので 法 律で取 締ること1973
コ ロ ン ビア 大麻
成育地山谷50
マ イル を焼ぐ1975
ア メ リ カ 制癌剤投 与をう けて い るガン患 者 の吐 き気 を止める作用 及び鎮痛作 用晃 緑 内障の治療 薬△の応 用1977
日 本 大 麻による ラ ッ ドの異 常行動 植木 昭和, 他 「科 学 」198Q
年代 日 本木
麻 乱 用が激 化1984
日 本 ロ ス五輪選手大 麻持込み。
1984
kg
単位の寧
輸 入が顕 著1984〜
ア メ リ カ1960〜70
年 代の薬 物 礼 賛の風潮 を 政府がおさえる方 向に変更1986
イン ドネ シァ 世界麻薬 追 放 宣 言 ア メ リ カ大
麻 (マ リフ ァナ) 撲滅運動 ナンシー・
レー
ガン 日 本 大麻威
分の代謝的活 性 化.
山本郁男, 他 「薬 学 雑誌」 (毒性 増大 )』
1990
日 本 市 販 大麻種子 中にTHC
を確認 山 本郁 男,
他 「衛生化学」今, 著 者は大 麻の
文化
にっ い て書
き進めて はい る が、 ピエ 「 ル・
チュ イ リエ は科 学は文 化の一
部である,科学
が文化
を 支えるもの, あるい は単 なる技術
と して で は なく, 文 化の 「一
部
」 と して と ら え るべ きであると指 摘 する。<
その1
)
2)の 冒頭
にもかいた ように, 大 麻は ま さ し く 文 化の〒 部 と して科学
的 に把
え な くて は な ら ないもの で あろ う.
。年
表の
1
つ1
つ を取 り上
げて説明
する紙面
をもた ないが,.
大 麻こそ は 厂反 F科学史
」で知
られるチュ イ リエ に絶 好の材料
を 提 供しT
いるか も知れ ない。何故
な ら,科
学が,南
う
時 代の社 会文化状況
を 反映
し な が ら も,時
に は その 中で遅 退 し, 逡 巡つ っ , まぎ
れ もな く文化
を形 成 して い るか らである。 で は現在
の こだ ま大麻
乱 用の風 潮は は たし
て科学
なの か。文化
なのか。 という命 題が著者
の心の中
に鷁 する。・
そ もそも近 代 科 学は
16C 初
頭J 錬金術の相 反の関係あ中
で誕生 した。 「科学
は常に リァ リテ イー
といか が わ し さ を持 ち, その両方
を兼
備 して い るがゆ えに危険
なほど魅惑的で
ある。科学
は時
代の欲 望 を体言
してい る」(
チュ イ リエ )。 ひ るがえっ て,
厂地 球環
境や生 態系
の破壊
, 麻 薬へNII-Electronic Library Service 大 麻 文 化 科 学 考 (そ の 2)
11
の恐 威 等が特に関 心を もたれて い る現 在こそ総合
的な判断
力が必要
と さ れ るの であ ろ う。 こ の模索
は今始
まっ たばか りで ある。少
な くと も大麻
に関
して は…
」。ことほど さように, 人 類は誕 生 以 来, ア ダム とイ ブの
神話
を ひ き だすまで もな く,個人
は家
族 と なり
,
親 族 をっ くり,
部 落,村,小国
家 を形成
し た。 その中
で,食
し,住 み
,身
にま と う衣
をっ く り出
し た。 そ して拡散
と移 住を繰 り返レ
な が ら, こ の五 大 陸の い つ こ に も住み , 定 着。 と同時
に様
々 な文化
を醸成
し,
そ れを持
ち は こん だ。 そ してその文 化は時
には(
こ の時
こ そ科
学 =技術)有効
な人
類融
合の手
段 (交 易 品 (=
技 術の集 合 体 ))ともなっ たの で ある。 当 然の ことな が ら そこで,大麻
を衣 とし た だ けで はなく薬物
と して利
用 する と い うこと は より魅 惑的
であっ た。 そこ に別の文 化が生 ま れた ともいえる。B .
C .
1000
年。 中 央ア ジア か ら5000年
以上ζ
い う気が遠 くな る よ うな時間
を経
て , い ろん な海 流に乗
っ て,
渡 っ て きた 日本民族
の特
に北方
か らの裡
先
が持
ちこん だの は毛皮
や麦
と共
に大 麻
の種 子だ っ た。 そ れ は繊 維を得る た めの もの であっ た。 あ るい は可 能 性は少ないが, 渡 り鳥が 大 陸か ら, そ の胃袋に種 子と して運ん で きた か も知 れぬ。いず れにせ よ
,現在
, 「大麻
⊥は栃木
県 を中
心に細
々と栽
培
さ れてし〜る の であ る。 「大
麻 取締
法
とい う法 律の規 制 下におい て・
州。 そ うい う意味
で, 大 麻は科 学 性の乏 しい状 況の中で, そ の繊 維 と しての 文 化 的 意 義は,少な くとも我 が 国で
は消されっ っ ある。 そ の原 因として麻
薬 性 が あ まりにも強 調された結
果である が故に疑 問さ尭
残る。 け しの有
効 成 分, モ ル ヒ ネ が現在
で もな お人 類に とっ て最 良の 唯一
の 鎮 痛 薬として’
「ガ ン末 期の患 者」 にとっ て必要
か くべ か ら ざ るもの で あ ること と対
比して考
え る時,文化
の中
の科
学
の重要性
がいま だ大麻
には ない と言わ ね ばな らない。第 5 節
北陸
の大 麻ここで
貴
重 な北 陸地方
にお け る大
麻に関す る資料
1醤冖
16) を紹 介す る。 お か せ江 戸
時代
の北陸
に お け る農業
以外
の収
入 源は苧紬
の生
産であっ た (鹿島
町史
p。
368)
。’
苧
と
は VVNA’
お麻
(すなわ ち前 頁に述べ た大麻
の こと)の ことで, その繊 維 を 裂い て, より をかけ (これ を 苧 お か せ を績
む とい う)
Fig
−
6
。糸
に仕立
でた もの が苧紬
で あ る。麻織物
は,
こ の苧 紬
を原料
とする。’
ζれ まで農 民の衣料
と して自
給自
足 さ れて いた苧紬
が商 品 と して の価 値 を もっ て来 たのは,
正徳
3
年 (
1713
年)
羽咋
郡 子浦村
の彦
九郎
が問 屋を開業
してか ら と される。 こ の能
登の上質
の苧
く ち こおり粕
を近江商人
が多 量に買位
けに来た か らであ る。 当時
,能
登 国の 鹿島
郡, 羽 咋 郡は ロ郡(
これ お く こ お り ふ げ し に対 して奥 郡は鳳 至 郡 ・ 珠 洲 郡を さす)
と呼ば礼 麻
の一
大 生 産 地で あっ た 。 こ の原料
は近 江 風 花 紋 (近 江 産の麻
織物
の こ とで 花模
様 を 織 り込んだ 特 産品
) となっ た。
その 後,文化
11
年
(
1814
年)能
登部の十村与
三右 衛 門は近 江商
人
か ら資
金を得
て,新
しい麻織
抑
を生
み出
し た。 これが既 述の能 登 上 布(
能 登 縮 )であっ た。縮
を織る技 術 は近 江か ら習い, 徳丸
村の権 右 衛 門 が藩
の 奨 励 を受
け生 産に あ たっ た。文政
4
年
(1831
年)
に は その生 産高
は24
,287
反に達 し,夏
チ デ ミ サラシ の着物
と して全 国 的に販
布さ
れ た。徳丸縮
阿 部 屋 晒(
羽 咋の 阿 部 屋村
の海 岸で晒し たこと か らこ の名
が ある)
ともい う。清水隆久著
16! , 「近世北陸農業史
」一加賀藩農書
の研究一
によ れ ば,麻
は当時 (
18
世紀)
,大量
11 N工 工一
EleotrOnlo Llbrary12
山 本 郁 男・
di ”Fig
−
6
木 綿か な曳 く図
・
苧 うむ 図(
石 川 県 立 図 書 館所
蔵 『民家検労図
」より)
ID かつ広
範 囲に動《
代表的商
品で あ り, 衣料
原料
だけでな く漁網
, あるしは蚊帳
の原料
と して取 引 の対
象であっ た という。 加賀藩
ア サオリモ ノ において は,麻 織物
の こと を じよ う ふ 「上布
」と呼び,
中で も能 登 上布
は品質
が良
く高
く評 価さ れて,
鹿島郡能
登部村 (
余 喜, 鹿 島, 千 路 ) を 中 心 と して生 産さ れ た。 ま た,
元禄時代
に は羽 咋,
鹿 島 郡50
余か村に及び, 婦 女 子の冬期
に よい賃仕事
(内 職 )で あっ た。 これ は本 報の冒 頭に引用 し た長 野の老 女の話
と よ く符合
す る。 こ れ らの村
々 で は冬, 雪の中
で トン トン とい う上布
を織
る イザリバ タのさ え た音
が聞こ え た とい う。 北 陸 地 方の大 麻 栽 培 は商 品 作 物 と して注目
さ れ,
盛 んで あっ た とい うこと が推 測 さ れる。 この こ と か ら も北陸
を代 こうかしゆんじ ゆ う 表 する農書
の一
つr
耕 稼 春 秋 』 土 屋又三 郎著
6L 宝永4 年 (1707
) に は,
加 賀,石
川郡
におい て畑
作に 用 い る干鰯等
の金肥の中で 施用量が最も多
か っ た作 物が麻であっ た と記されて いる。 すな わ ち,
麻 栽 培には基
肥え と して300
歩
1
反に鰯の粉3
石2,
3
斗
を1 番
こなしの時
に入れ,
2
番こなしの時}こ,
小 便20
荷,灰
10
俵
を施
し,成
長がよ くない場合
は,
さ ら に追
肥として鰯
の粉5
〜8
斗
,小便
な ら5
〜
10
荷
を施せ とい っ た具合
に,育
種法
にっ い て も詳 細に既 述 して い る。 また 「土ヨ キ所ヲ遠 方ナ リ トモ 受畠
シテ作 リタル 方 得 分ア リ」と もあり,(
農事
遺書,加賀
江沼
郡)
, 大 麻栽培
の経済性
や栽培法
を 綿 密に記 録して い るQ繰
り返 すが18
世紀
の初頭 ,加,越,能
, 三州は大麻
の近 世におけ る一
大供給地
で あっ たの で あ る。著者
は加賀藩
の豊潤
な文化
は, すなわ ち加賀
百 万 石の 資 金 源は米や塩のみ でなく, この麻
に も大 きな依 存 が あっ た と見
て いる。『
加賀
志徴
」に よ れ ば,暦苧
の名 産 地 と して,示野
,赤
土,観音堂
, 鷺森
,篠場
,桜
田,高畠,
く ち こ お り 黒 田等
石 川郡
の里方
8
ケ村
が挙
げら れて い る。 口 郡にお ける苧粕
の生産高
は何
ん と諸物
産中,
第
一
位 (
安永
7
年 (1778
年
))で あっ た 。r
羽咋,鹿嶋両御
郡諸産
物 之 様 子書
上申帖』 (
金 沢市
立図書館
加 越能
文 庫 )に よれば,
はっ きりと麻と書
か れ,
その生 産は210
箇 (1
箇は約14
貫 ) と12
NII-Electronic Library Service 大 麻文化 科 学考 (そ め
2
)13
して収役金
は代銀
13
貫
で当時木綿
の約
2
倍
で あっ た とい う。芥
川村兵助組,能
登 部下
村 兵右衛
門 跡組
荻 谷 村 平 右 衛 門 組,
三階 村 五 左衛
門組 高
田村助
四郎組,
武部村
端 左衛門組
とい っ た組単位
に よ る生 産の競争
が考
え ら れて興 味 深い 。 先にあげた加 賀 藩の腰の入れ方が窺
い知れ る。こ こ で貴 重な記 録を引 用 したい。 先の 『羽 咋
,
鹿 嶋両御
諸 産物
之様子書
申帖
』 中に,
原 料 と な る苧
にっ い て 「口郡に お け る苧の 生産 高は3700
貫 目程で,
か ら む し(
苧麻
の こと)
の苧
は い たって少 な く,
大 部 分は麻 (大 麻 を さす)の苧である…
」 と あり, 先に述べ て 来た,麻
と苧麻
との 区 別が明
確とな り,北陸
地方 (
他
の地方
も同じ と みて よい であ ろう)
は大麻
が主で あっ た と結 論さ れるIG) 。 天 保 年 間 (1830
年 頃 )の従事
者 数は15000
人, 生 産 高の8
割が西ノ庄
と東
ノ庄
や もめ で あっ た。 余 談で あるが, 「在々百 姓 頭 振 妻 子・
後 家, 孀, 女 童に至 迄…
」が冬の 農 閑 期に麻 布織
り に精 を 出したの で あろ うが,
その 賃 金は一
日働
い て米
五合
に し か な らなか っ たとい う。 こ こ で も藩
を支
えて い たのは零細
な農民
,婦女
子であっ た訳で あ る。苧
紿
の 生 産 構 造に言 及 する と, 各 農 家で生 産さ れ た苧紬
を小 買 人が集 荷 するの であ る が,
小買人
の数
が 口郡
全体
で125人
。村
ご との人数分布
はFig −
7
の通 りである。 鹿島町
地域
で は在江
{1
),武部
(4
), 二宮
(3
),徳前
(4
〕,井
田(1)
,小竹
{2
),水白
,東
馬
場
{3
),久
江 (5
),少
田中
(4
),藤井(
2
}, 福田(2
),高畠
(5
),小
金森
(1
)と合計
39
人 を数え, こ れは全 小 買 人af
3
割
強 (31
.
2
%) にあた る。
この集
め ら れ た苧紬
は粕問屋
をへ て その殆
ど が前 述の よ う に近
江商人
に売
り渡
さ れ た。 こ の粕
問 屋の こと を粕
中 買旅
人 (近 江 商人
の こと), 宿 問屋 ・紬買宿
・紬
荷宿とも呼び文 化7
年 (1810
年
)に は13
人Q文
政9
年 (1826
年)
に は20
人。 天保
6
年 (1835
年)
に は13
人がいた とい う。 文 政9
年
の 『口郡紬方仕法
ノ件
』 金沢市
立図書館蔵 (
余談
であ る が加賀藩
が天 下の書府
といわれる 由故
が わか る)に よれば, これ らの人 物としで 高 畠 村 惣 右 衛 門, 甚 右 衛 門, 与 左 衛 門, 忠 兵 衛,藤井村喜
九衛
門,小
田中村清次郎
, 茂十郎
,徳
前村吉
兵衛
, 二宮村
藤蔵
,久
乃木村文
左衛
門, 芹川
村与
三兵衛
の11
名
の名
がみえる。販 売ル
ー
トは,近
江商人
く →紬
問 屋・ →
小
買 人e 生 産 者 (紬
師=
多 くは女性 )。
自
治紬
問 屋は近 江 商 人 か らの前Fig
一
ア天
保
四年
の 口郡苧紬小買人
の分布状
況貸
銀(
仕
込銀)
を小買
人に貸
し付
け,苧紬
を買
い集
め るの で,
い ず れ も村の 財 力の あるものが従 事 して いた。 前 貸的支
配 下で は当然
の こと な が ら搾取が
おこな われ
加賀商
人の沈滞
が続
くこと に な る。 こ こで は著者
の専 門 以外
なの で他
にゆ ず るこ と に す る が,若
し,
加 賀地
方に こ の麻の生
産 と販
売を一
手に行
いえ る資本
力と知 恵 が あっ たのな ら ば近 代にお け る加賀藩
の動
き も ま た変
わ っ て い たか も知 れぬ。 しか し ,高 畠
村 源 左 衛 門は1830〜1846
年にか け,
上 よ州
より縒
り堅 く, 上質
である麻
苧
を 買 入 れて上質
の布 を生 産 させ ようと した 記 録がある。 当時, 加 賀 藩にあっ て質 屋,紬
屋, 苧粕
商を一
手に営
む豪商
で あっ た。1813
年文化十年 ,
凶作
によ る 13 N工 工一
Eleotronlo Llbrary14
山 本 郁 男御貸米不足
に対す
る口郡地
区では激
しい一
揆
が続発
している。 ま た,近江商人
か らの脱脚
で生
ま れた もの に能 登 部 土 村の 土 村与
三右 衛 門の発案
に よ り手 代の徳 丸 村 権左衛 門が中心 と なっ て 生 産されたの が 「徳丸縮
」であっ た。し か し, 繊 維 流 通 経 済の浮 沈 はこの
時代
も同
じであ り,
苦難
の 時 代を経
て 明 治に入 っ たの で ある。特
に徳丸縮
の生産
は元 治 元 年 (1864
年 ) 明 治 維 新の直 前, 現 在の金 沢 市 尾 張 町に徳 丸 村藤
吉が出 店し,
加 賀 藩に1000
両の無償
Tab
【e− 1
明 治 十一
年の徳 丸 縮の生 産 者 数融
資を願いで て い るg’
ま た,真館
与 四 郎が社 長と なっ て 「能
登 製布会社
」を設
立,能
登 上布
の改善 ・
生産
を 行 っ て い る, な ど北 陸の麻 布を め ぐる話
題は っ きない。明
治11
年 (
1879
年)
の生
産従
事 者 は 鹿島
町 地域
だ けで も1000
名
に達
し,
(
Table
−
ff) 羽 咋 郡を入れ る と実に73
ケ村
,2
,313
名。特
に,東
馬場
C117
t 戸 ), 最 勝 講 (36
戸 ),
尾 崎 (43
戸 ),
小竹 (
160
戸),水 臼 (
68
戸)
で ある か ら 能登半 島一
帯に麻 畠があっ た筈である。 大 正 七年 (
1918
年)
鹿 西 町,鳥
屋 町, 鹿 島 町の女 性で麻 布 を織
らないものは J いな か っ た とい う。 生 産高14万
3
干反
。これ が昭
和初
年に は25
万8
千反,
出機
数
9300
台, ユ50
業 者と全
国 第一
位と なっ た 。村 名
生産者数
村
名 生産
者数
名 名 曽 祢22
井 田85
東 馬 場
最 勝 講75
L30
尾崎 ・
小 竹3698
・
在 江8
水
白
42
西
6
久
江115
坪
川8
藤井
25
久 乃木
25
小
田中
70
武 部
70
福
田11
二 宮44
盲 白 同 田82
徳 前
85
小
金森
13
芹
川50
合
計1
,000
金沢
市 立 図書館
河 合 文庫
「能 登 縮 明 治 十一
年 中 産 額 并金額 」に よ る。 つ ま り,
北陸
地 方は麻布
の有名
産 地であっ た わ けであ る。 しか し,
「辛 苦っ くして糸 取り なろ うて 夜なべ しまいをまっ わい の 」とい う
仕事歌
「七っ 八っ か ら
糸取
り な ろ うて はた を し ま しよ うでひ が やり
機
を」とい う機織
り歌
に は,麻畠
の.一
種独特
の香
(匂
い)
りと は別の,
一
沫の 哀愁
が漂っ て い る。 あ さ そ ば俗説
にある 「麻
と蕎麦
の生え るところ, いず れ文化
はっ る処 」と は,
逆説的
に表
題の文化
を 支えて い る と み るべ きであろ う。 と同 時に, 麻 糸の 強 靱さ と同 じ ような北 陸 人の足 腰の強さを 知る。14
NII-Electronic Library Service 大 麻 文 化 科 学 考 (その
2
)15
第 β
節北 海 道の大 麻
天 然 繊 維の我が国にお ける利 用は, 前 節まで に述べ たように古 代か ら
2000
年 近 く, 大 麻 と苧 あ ま麻
が主であっ た が,近代
で は大
麻
と亜麻
が対比
さ れ る。 こ の亜麻
にっ い て は後述
する。北 海 道における大 麻 栽 培の史 実と して, 札 幌
農
学 校にお ける南 (池田) 鷹次
郎の実 験 実習
報告書
が あ る。 これによ る と,
亜麻
と大麻
の栽
培実
習が正 式の教
課 内容
であっ たこ と が分か る。1892
年 (明治25
年 )の実 習 書に は 「七 月 上 旬 害 虫 発 生のた め繊 維を採 取 する に は適せず, 種 実 おs あさ を採
るに留
まっ た」とある。因
み に道内江別市
に は大麻
とい う地名
すら あ る。こ の よ うに明 治, 大 正, 昭 和と道 内で は第
2
次 世 界 大 戦 前 まで は各 地で大 量に大 麻 は栽 培さ れて い た。 とこ ろが戦後
,大 麻
の需要
が極端
に少
な くな っ た こ とや,既
述の法
的規
制
な ど が か ら んで, 道 内の 広 大な地域
に大麻
が野
生化
し た と考
え ら れ る。 これ を 以後
, 道 産野
生 大麻
似
下 単に野 生 大 麻 )と称 す。昭和
40
年の野 生 大麻
憾Fig
−
8
に示 すよ う.
に札 幌
を中
心 として,
江 差,夕張,北見,紋別,美
幌 広
尾 な ど が密
生 地域
と さ れてい た。各保健所管内
で の抜
取 り総株数
は昭和
41
年度
5
万 本,42
年14
万 本,’
43
年38
万 本に達している。 これ ら野 生 大 麻 中の ,幻 覚 成 分である△ LTHC (△9一
テ ト ラ ヒ ドロ カ ンナ ビノー
ル)
の含
量は最高
,網
走 地区
で採 取
さ れ た雌株
で1.
6
% を 示して お り,
これで充分
に幻覚作
用の目
的 を達す る もの で ある。大体
,雌葉
0
.
2
− 1.
6
%,雄葉
の0,
1− 1.
1
%,
種 子O
−
O
.
5
%であ り, 地 域差
によ る成 分の変 動 およ び雌 雄 間で大 きな差 異は ない との報 告15
N工 工一
Eleotronlo Llbrary16 山 本 郁 男
c7
)Fig
−
9
・。 ・ ・i 保 健 所 別野
生大麻
除 去 実 績 図 (平成
2
年度)
が ある’?) 。 その後の調査
で は (Fig
−
9
及びFig − 12)
, 昭 和56
年 度は560
万 本 ,57
年
度670
万 本,58
年 度850
万と増 加,
昭和
58
年に ピー
クを 記 録してい る。 しか し, その 後は抜 取 りの効 果が出
たた めか,
現在
で は150
万 本と激 減してはい る もの の, 昭和40
年 代の約
4
倍
であ り, いまだ予 断 を許
さ ない状
況にある。Fig
−
lo
及q
“
11
は道 内にお ける野
生大麻
の写 真である。因
みに全国
に おける野 生 大麻
の除去状
況をTable
− 1
旺に示 すが,
そ れで も北 海 道は平成
元年 度
で88
.
0
%, 平 成2
年 度で は86
.
9
%を占め依 然として全国
の約
9
割
で第一
位
である・
ことに変
わ りない。 こ の たぬ
本 州べ の持
込違
反が後を断
たない状
況で ある。 こ の原 因と し七,
大 麻の植 性が冷涼
な気 候 に適 応 すること, 広 大な土 地の た め, 風 ・鳥
獣に よる拡散,
また
監 視の不行
届
などの 条件
が重 なっ た結 果と考え ら れ る 。 平 成2
年 度の 道内
保健所
別 野生
大 麻除去実績
Fig
−
9
に よれ ば ,昭
和40年度 (
Fig
−
8
)とは様 相が異な り,札幌,
江 差 地 区は減 少 する もの の, 網 走,本別
は30
万本
以上
と道 央, 道北
に野生化
が移 動 している。 「大麻取締法
」とい う現実
の中
で「
野
生大
麻
」
はど
うなる の であろ う か。北海道
保 健 環 境 部の御苦労
が推察
さ れ る。16
NII-Electronic Library Service 大麻文 化科学考 (その
2
)17
Fig
−
10
北 海 道 野 生 大
麻
を抜
取る保 健 所 員17
18
18
山 本 郁 男