第七十八巻 第 三 号 日 本 法 学
日 本 大 学 法 学 会
第 七 十 八 巻 第 三 号 2013 年2月
日 本 法 學
ISSN 0287−4601 N I H O N H O G A K U (JOURNAL OF LAW)Vol. 78 No. 3 February 2 0 1 3
CONTENTS 論 説 航空保険の現状と課題 コンピュータ・ネットワークに関連する犯罪と刑事立法︵二・完︶ 変化する司法審査の基準 ││合衆国連邦最高裁判所││ 研究ノート 米国違憲立法審査権の確立 ││マーシャル第四代長官の時代││ NOTE
Sunao Kai, The Establishment of Judicial Review in the United States ―The Period of Marshall, the 4th Chief Justice―
Takahiro Matsushima, Tomoyuki Nakajima, Current Conditions and Issues
in Aviation Insurance
Atsushi Nanbu, Computer Network Crime and Criminal Legislation (2) Takenori Aoyama, Changing Standards of Judicial Review
―The U.S. Supreme Court―
ARTICLES ……… 松 嶋 隆 弘 中 島 智 之 …… 南 部 篤 ……… 青 山 武 憲 ……… 甲 斐 素 直
日 本 法 学 第七十八巻第三号 平成二十五年二月 十五 日 印刷 平成二十五年二月二十五日 発行 非売品 発行者 日 本 大 学 法 学 研 究 所 編集 発行 責任者 杉 本 稔 日本大学法学会 東京都千代田区猿楽町二 │ 一 │ 一四 A& X ビ ル 印刷所 株 式 会 社 メ デ ィ オ 電話〇三︵五二七五︶八五三〇番 電話〇三︵三二九六︶八〇八八番 機関誌編集委員会 委 員 長 野木村 忠 邦 副委員長 楠 谷 清 委 員 秋 山 和 宏 〃 伊 藤 文 夫 〃 岩 崎 正 洋 〃 大 井 眞 二 〃 小 川 浩 一 〃 黒 川 功 〃 関 正 晴 〃 髙 橋 雅 夫 〃 藤 川 信 夫 〃 松 嶋 隆 弘 〃 簗 場 保 行 〃 谷田部 光 一 〃 外 園 澄 子 執筆者紹介 掲載順 松 嶋 隆 弘 日本大学教授 中 島 智 之 法学部比較法研究所研究員 南 部 篤 日本大学教授 青 山 武 憲 前日本大学教授 甲 斐 素 直 日本大学教授 日本法学 第七十八巻第二号 目次 論 説 中世日本の謀について ││大逆罪・内乱罪研究の前提として││ イギリス救貧法における right to relief の形成について ││新救貧法の成立まで││ コンピュータ・ネットワークに関連する犯罪と刑事立法︵一︶ 研究ノート 米国初期の憲法判例 米国の裁判所で提起された外国仲裁判断確認訴訟に おけるフォーラムノンコンビニエンスの法理の適用 ││ Figueiredo 事件に見るコモンロー法域の新展開とシヴィルロー法域との交錯││ 判 例 研 究 流動動産譲渡担保権に基づく物上代位 … 新 井 勉 … 矢 野 聡 … 南 部 篤 … 甲 斐 素 直 … 坂 本 力 也 … 清 水 恵 介 日本法学 第七十八巻第一号 目次 論 説 古代日本の謀反・謀叛について ││大逆罪・内乱罪研究の前提として││ 名の法をめぐる民法草案と全国惣体戸籍法の対峙 ││明治六年小野組転籍事件をとおして││ 米国ドッド・フランク法における銀行持株会社ならび に M & A 取引規制等にかかる考察 パンデミック対策に関する憲法的考察 ││国家の公衆衛生に関する責務とその限界についての憲法的アナトミー││ 資 料 再生可能エネルギーによる事故発生に関する被害者救済 システム ││私法学の観点から││ 判 例 研 究 脱線転覆事故における安全対策責任者の過失 ││尼崎 JR 脱線事件││ … 新 井 勉 … 小 林 忠 正 … 藤 川 信 夫 … 大 林 啓 吾 … 松 嶋 隆 弘 … 船 山 泰 範
日 本 法 学 第七十八巻第三号 平成二十五年二月 十五 日 印刷 平成二十五年二月二十五日 発行 非売品 発行者 日 本 大 学 法 学 研 究 所 編集 発行 責任者 杉 本 稔 日本大学法学会 東京都千代田区猿楽町二 │ 一 │ 一四 A& X ビ ル 印刷所 株 式 会 社 メ デ ィ オ 電話〇三︵五二七五︶八五三〇番 電話〇三︵三二九六︶八〇八八番 機関誌編集委員会 委 員 長 野木村 忠 邦 副委員長 楠 谷 清 委 員 秋 山 和 宏 〃 伊 藤 文 夫 〃 岩 崎 正 洋 〃 大 井 眞 二 〃 小 川 浩 一 〃 黒 川 功 〃 関 正 晴 〃 髙 橋 雅 夫 〃 藤 川 信 夫 〃 松 嶋 隆 弘 〃 簗 場 保 行 〃 谷田部 光 一 〃 外 園 澄 子 執筆者紹介 掲載順 松 嶋 隆 弘 日本大学教授 中 島 智 之 法学部比較法研究所研究員 南 部 篤 日本大学教授 青 山 武 憲 前日本大学教授 甲 斐 素 直 日本大学教授 日本法学 第七十八巻第二号 目次 論 説 中世日本の謀について ││大逆罪・内乱罪研究の前提として││ イギリス救貧法における right to relief の形成について ││新救貧法の成立まで││ コンピュータ・ネットワークに関連する犯罪と刑事立法︵一︶ 研究ノート 米国初期の憲法判例 米国の裁判所で提起された外国仲裁判断確認訴訟に おけるフォーラムノンコンビニエンスの法理の適用 ││ Figueiredo 事件に見るコモンロー法域の新展開とシヴィルロー法域との交錯││ 判 例 研 究 流動動産譲渡担保権に基づく物上代位 … 新 井 勉 … 矢 野 聡 … 南 部 篤 … 甲 斐 素 直 … 坂 本 力 也 … 清 水 恵 介 日本法学 第七十八巻第一号 目次 論 説 古代日本の謀反・謀叛について ││大逆罪・内乱罪研究の前提として││ 名の法をめぐる民法草案と全国惣体戸籍法の対峙 ││明治六年小野組転籍事件をとおして││ 米国ドッド・フランク法における銀行持株会社ならび に M & A 取引規制等にかかる考察 パンデミック対策に関する憲法的考察 ││国家の公衆衛生に関する責務とその限界についての憲法的アナトミー││ 資 料 再生可能エネルギーによる事故発生に関する被害者救済 システム ││私法学の観点から││ 判 例 研 究 脱線転覆事故における安全対策責任者の過失 ││尼崎 JR 脱線事件││ … 新 井 勉 … 小 林 忠 正 … 藤 川 信 夫 … 大 林 啓 吾 … 松 嶋 隆 弘 … 船 山 泰 範
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三四一︶
航空保険の現状と課題
松
嶋
隆
弘
中
島
智
之
一.はじめに
本稿は、航空事業が円滑に運営されるためにその存在が不可欠である航空保険につき、そのあらましを述べた上で、 現在実務が直面している問題点につき整理を試み、空法学及び空法実務の発展に資せんと試みるものである。航空保 険は、海上保険等の他の保険と比べると、損害額が巨大であることに比べ、リスクの平凖化を図るためのリスク数が 限定的であるため、実務では、再保険の活用やプール制度の創設等様々な工夫をしているところ、湾岸戦争、米国同 時多発テロといった新しい戦争危険の登場により、航空保険、特に戦争保険が試練にさらされた時期があった。 論 説 一日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三四二︶ 筆者のうち松嶋は、航空保険のうち戦争保険が試練にさらされた時期に、航空保険につき整理を試みたことがある 者であり ︵1︶ 、同中島は、航空会社法務部員として航空保険の業務に携わり、かつ、日本大学法学部比較法研究所研究員 として、自己が携わる実務の理論化に取り組む者である。両者は、その重要性にも関わらず、依拠すべき文献が乏し い航空保険につき、航空保険に関する研究の出発点を確認するため、その概念と課題を整理する必要があるという認 識で意見の一致をみるに至り、ここに本稿を共著で執筆することにした。具体的手順として、まず、航空保険の意義 及び種類につき整理した上で、航空保険の課題を整理してみたい。
二.航空保険の意義及びその種類
1.航空保険の意義 ⑴ 総説 保険は、運送事業が円滑に運営されるために不可欠であり、海上運送の分野においては古くから海上保険の制度が 発達してきた。この理は航空運送事業においても同様である。高価な航空機の財産的価値を保全するためにも、航空 機を調達するファイナンスの場面において投資の安全性を図るためにも、また、乗客や機外の第三者に対する損害賠 償の原資を保全するためにも 、保険の存在は必要不可欠である 。かかる場面において利用されるのが 、航空保険 ︵ aviation insurance ︶ である 。航空保険は 、航空機の発達とともに発展してきた新種保険の一つであり 、海上保険を母 体とする。 ただ、航空保険には、危険の巨大性に比して対象案件数が限定され、統計的安定性を確保することが困難であるこ 二航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三四三︶ とから、保険事業運営に必要な安定性に乏しい面があった。航空保険の持つこの脆弱性は、湾岸戦争や米国をおそっ た同時多発テロによって明らかになったが、現在では制度が再構築されている。ここでは、航空保険制度の問題点を も含め、包括的に概説を試みたい。 ⑵ 航空保険の定義 まず前提として、航空保険の概念について確定する必要があるのだが、航空保険の範囲は歴史的に変動してきてお り、明確ではない面がある。ここでは、航空保険が特別な市場として成立したのは、 Aviation Risks という危険の特 殊性によるとの指摘に留意しつつ ︵2︶ 、航空保険が有するとされる特質について指摘し、現行実務上行われている航空保 険について解説することにしたい。 ⑶ 航空保険の特質 以上のとおり、航空保険の範囲については必ずしも一貫した共通認識があるわけではない。ただ、一般に航空保険 とされるものには 、下記の特色があり 、この特色が他の保険と異なる航空保険の特質をかたちづくっている ︵3︶ 。そこ で、これらの特色についてみてみたい。 ① 危険の巨大性 まず、航空保険の特色として危険の巨大性が挙げられる。航空機事故はいったん発生すると機体のみならず、多く の乗客や第三者の生命・身体・財産に影響を与える。したがって、これに対応する航空保険も、填補限度額が巨額に なり、引き受ける危険も巨大なものにならざるを得ない。例えば機体保険でも場合によっては一機で数百億円になり うるし 、乗客等に対する賠償保険については補償限度額が数千億円にのぼることもある 。航空機同士が衝突すれば 、 三
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三四四︶ 額は一気に倍増する。史上最大の損害額となった米国同時多発テロにおいては、損害額が七十億米ドル程度と見込ま れている。このような巨大な危険を引き受ける航空保険の分野においては、一社だけで保険を引き受けることは到底 できず、全世界レベルでの再保険の活用が不可欠であり、航空保険プールの役割が重要なものとなる。この点につい ては後述する。 ② 国際性 危険が巨大な航空保険においては、危険を分散するため再保険の手段を用いることが不可欠であり、しかもかかる 再保険は、国際的規模のものにならざるを得ない。このことは他面において、海外の再保険市場の影響を受けやすく する。いずれにせよ、かかる国際性も、航空保険の特色の一つということができる。 ③ 事故原因の複雑性 航空機事故は、様々な原因が重なって発生することが多く、その上いったん事故が生じた場合に全損となる確率が 他分野と比べて高い。そのため、事故の原因解明が他の事故に比べ困難である。また、国際政治の動向を反映しやす い航空業界においては、これまで予想もしなかった事故が発生しがちである。例として、米国同時多発テロをあげる ことができよう。 ④ 市場変動のボラティリティの高さ ︵4︶ 航空保険においては、リスク数が保険制度の前提となる大数の法則が機能するレベルに達していないため、市場の 成績が不安定になりやすい 。このため収入保険料に比して支払保険金が少ない場合 ︵例えば 、事故の少ない時期 ちな みに保険金を保険料で除したものを損害率という。 ︶ には、保険者の引受能力の供給意欲が高まることによって市場の競争 四
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三四五︶ 原理が働き保険料が低下に向かう ︵ソフト ・マーケット︶ 。他面 、いったん巨大な事故が発生すると損害率が上昇し 、 保険市場は保険料の引き上げを志向する ︵ハード ・マーケット ︵5︶ ︶ 。このように航空保険は 、市場の変動の度合いが激し く、これが特色の一つとされる。 ⑤ 担保内容の多様性 航空機の運航には、様々な業務 ︵航空機の誘導、牽引、清掃から手荷物・貨物の積みおろしや機内食の手配まで︶ が付随す る。また航空会社が何らかの損害を被る可能性のある事態は、単に航空機事故に限るわけではない。こうした航空事 業の性格を反映して、いきおい航空保険も幅広い危険を担保することが必要になる。このため、航空保険は、多種類 の危険を総合的に担保するものとして商品設計が行われている。 ⑥ 契約条件の柔軟性 航空保険においては 、契約者の数も 、契約対象たる航空機の数も家計分野の保険に比べて極めて限られる 。また 、 航空会社ごとに保険手配に対する方針等は異なっている。こうした状況により、航空保険は、保険契約者の意向や状 況を反映した契約条件を設計することが可能となっており、定型性の強い自動車保険や火災保険などとは異なり、保 険契約内容は個別交渉に委ねられ、自由裁量の余地が大きい。 ⑦ 専門性 航空保険の契約対象は、主に航空会社であるので、基本的に航空保険は、関係当事者がすべて航空に関する専門的 知識を有しているといってよい。航空保険は海上保険と同様、深い知見を有する専門家によって購入される保険のひ とつである。ただし、自家用機を保有する個人や、行政目的のために航空機を所有する官公庁が航空保険契約を締結 五
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三四六︶ する例など、例外もある。 ⑷ 航空保険の引受 危険の巨大性に見合う危険平準化が困難な航空保険においては、すべての危険を一社だけで引き受けることは不可 能に近い 。そこで 、危険を分散して消化するために航空保険プール制度が重要な役割を担うことになる 。航空保険 プールとしては、ロンドンに本部を置く GLOBAL ︵ Global Aerospace Underwriting Managers ︶ が有名だが、わが国にお いても航空保険の事業を行っている損害保険会社全てが加盟している日本航空保険プールが存在している ︵6︶ 。ちなみに 日本航空保険プールに対しては、独占禁止法の適用が除外されている ︵保険業法一〇一条、一〇二条︶ 。 日本航空保険プール会員である保険者 ︵元受保険会社︶ は 、同プールが対象とする契約 ︵プール物件︶ について航空 保険を締結した場合 、自己の責任で元受契約を行い 、自己の名で保険証券を発行する 。しかし 、プール物件の保険 料・料率は、すべて日本航空保険プールが決定することとされている。このため、同一物件・同一条件であれば、誰 が引き受けても同一の保険料・料率となる。また、プール会員は、引受額全額について一旦再保険に出さなければな らない。つまりプール会員が引き受けた航空保険契約は、一度全部プールに投入され、所定の割合で会員に再配分さ れる。会員の消化能力を上回る分については、海外にさらに再保険に出される ︵7︶ 。 他方 、日本航空保険プールが対象としない物件 ︵非プール物件 例えば 、空港の保険 、飛行船 ・グライダーや PL 保険の 一部等 ︵8︶ ︶ については、保険者が独自に引き受け、引受限度を超えるものについては、再保険に出される。 その他に保険者によっては、海外の航空保険プールに加盟し、その参加分についての再保険手配を行う場合や、海 外の保険ブローカー ︵ロンドンのブローカーのことが多い 。︶ を通じて再保険を引き受ける場合もある 。後者の場合は 、 六
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三四七︶ 危険の規模からいってすべてではなく一定の割合を決めて引き受けることになろう。 2.航空保険の種類 ⑴ 航空保険の分類 航空保険は、損害の対象及び事故原因によって分類することができる ︵9︶ 。まず損害の対象を基準にすると、物保険と 損害賠償責任保険とに大別できる 。前者は 、航空機自体に関する保険である 。機体保険 ︵ Hull Insurance ︶ 、航空 機装備品 ・予備部品保険 ︵ Spares Insurance ︶ 等が挙げられる 。なお 、機体保険に任意に付保する保険として 、捜 索・救助費用保険 ︵ Search and Rescue Insurance ︶ 、航空機使用不能損害保険 ︵ Loss of Use Insurance ︶ 、航空機未経過 保険料保険 ︵
Unearned Premium Insurance
︶
及び担保違反保険
︵
Breach of Warranty Insurance
︶ 等がある。 後者としては 、乗客損害賠償責任保険 ︵ Passenger Legal Liability Insurance ︶ 、第三者損害賠償責任保険 ︵ Third Party Legal Liability Insurance ︶ 、航空機搭乗者傷害保険 ︵ Aviation Personal Accident Insurance ︶ 及び貨物賠償責任保 険等が挙げられる。 次に、事故原因によって分類すると、悪天候、機材の故障、操縦ミス等の事故など、免責事項に該当しない限りあ らゆる損害を対象とする保険 ︵これを﹁オール・リスクス保険﹂という︶ と、戦争、ハイジャック等による損害に限定し て対象とする戦争保険 ︵
War and Allied Perils Insurance
︵ 10︶ ︶ とに分けることができる。 戦争保険については三. で後述するので、ここでは、まずオール・リスクス保険について説明する ︵ 11︶ 。 七
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三四八︶ ⑵ 航空機に関する保険 ① 機体保険 ︵ Hull Insurance ︶ 意義 機体保険は、航空機 ︵被保険航空機 ︵ 12︶ ︶ 自体に関する物的損害 ︵ physical loss or damage to an aircraft ︶ を担保する保険で ある。中でも代表的な位置づけを占めるのは、航空機に生じる物的損害をオール・リスクス条件で担保する機体オー ル・リスクス保険 ︵
Aircraft Hull All Risks Insurance
︶ である。 機体保険には、大きく分けて保険価額型 ︵ insured value ︶ と協定保険価額型 ︵ agreed value ︶ とがある。これは保険填 補の限度を定める基準の違いによる分類である。前者は、契約締結時に填補最高限度額だけ決めておき、保険価額は 保険填補実行時に損害発生の日の航空機の市場価格を基準として合意するのに対し、後者は、契約締結時に航空機の 保険価額までも予め合意しておくものである。全損の場合両者の効果が違ってくる。すなわち前者において、保険者 は保険価額を支払うか、同等の代替航空機を提供するかの選択権を有するのに対し、後者においてかかる選択の余地 はなく、保険価額の支払いがなされることになる。被保険者が定期航空会社の場合、航空機の修理等に相当の経験を 有する定期航空会社に対して保険者が代替航空機を手配し、現物填補することは実情にそぐわず、後者によるのが一 般的である。 損害及びその支払 機体保険の支払の対象となる損害は、墜落、衝突等偶然な事故によって生じた物的な損害に限られ ︵直接損害︶ 、間 接損害を含まない ︵間接損害を填補する保険としては、後述の航空機使用不能損害保険がある。 ︶ 。 八
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三四九︶ 機体保険には、通常、約定された金額まで保険者は保険金支払義務を負わないとする免責金額 ︵ Deductible ︶ が設定 される ︵ 13︶ 。免責金額による自己負担が大きく、最終的な自己負担を軽減したい場合の保険として、航空機免責金額保険 ︵ Deductible Insurance ︶ が用意されている。 直接損害は全損と分損とに分けられる。全損とは、被保険航空機を事故発生の直前の状態に復旧することが物理的 もしくは技術的に不可能な場合や修理費が協定価額を超える場合または被保険航空機が行方不明となった場合をいう。 全損の場合には免責金額の適用はない。 分損は、全損以外の場合であり、分損の場合、損害額または保険金額のいずれか低い額から保険証券記載の免責額 を差し引いた額が支払われる ︵ただし約款で、現物による支払の選択肢を留保する例もある。 ︶ 。 免責 ただ、オール・リスクスといっても、免責とされる場合があるので、注意が必要である。 免責事由としては次に掲げるものが挙げられる。 保険契約者 、被保険者 、保険金を受け取るべき者またはこれらの者の同居の親族もしくは法定代理人 ︵保険契 約者、被保険者が法人である場合には、その理事、取締役または法人の業務を執行するその他の機関︶ の故意により損害が生じ た場合 これらの者が被保険航空機の耐空性の維持または航行の安全性に関する法律等に故意に違反した場合 詐欺・横領の場合 注意すべきなのは、自然の消耗 ︵ wear and tear 反復して使用している間にシャフト軸受部がすりへり、シャフトが折 九
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三五〇︶ 損した場合︶ 、機能の低下 ︵長期間使用している間に規定のエンジン出力が得られなくなった場合︶ 及び故障 ︵電気的なトラブ ルにより計器が動かなくなった場合︶ といった 、急激かつ偶然な外来の事故によらずに発生した損害については 、免責 とされていることである。 免責が適用される範囲は、これらの損害が生じる原因となった部分と機能的に一体となった航空機の部品の最小単 位 ︵単位部分︶ に限られる 。したがって 、損害が他の部分に波及した場合には 、他の部分についての損害は支払の対 象となる 。また 、免責となる単位部分が原因となり 、航空機に墜落 、爆発等の二次的損害が発生した場合 、原因と なった単位部分を除いて、保険金が支払われる。 また 、戦争危険 、戦争関連危険 ︵例えばテロやハイジャック等︶ についても免責の対象とされているが 、この中 の一部は戦争保険 ︵三. で後述する︶ で復活担保される。 ② 航空機装備品・予備部品保険 ︵ Spares Insurance ︶ 地上及び輸送中にある間、航空機装備品・予備部品の物的損害を担保する保険であり、オール・リスクス条件であ る。限度額を定めるに当たっては、事故・品目・輸送・場所等さまざまなものが用いられる。航空機に取り付けられ ていない予備エンジンも対象としうる。機械の故障が免責事由とされていることは、機体保険の場合と同様である。 ③ 捜索・救助費用保険 ︵
Search and Rescue Insurance
︶
これは、航空機が遭難したり行方不明になった場合において、航空機や搭乗者の捜索や救助活動にかかる費用を担
保する保険である。
一 〇
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶
︵三五一︶
④
航空機使用不能損害保険
︵
Loss of Use Insurance
︶ 機体が損傷すると、被保険者は航空機を修理している間使用できず、予定した収入が得られない。航空機使用不能 損害保険は、この間接損害を填補するためのものである。 ⑤ 航空機未経過保険料保険 ︵
Unearned Premium Insurance
︶ これは、全損発生日時から満期時までの間の割当分保険料を担保する保険である。 ⑥ 担保違反保険 ︵
Breach of Warranty Insurance
︶ これは、被保険者が保険契約の担保条件に違反した場合でも、保険者が填補義務を負うとする特約保険であり、追 加保険料の支払を前提とする。運送人が保険契約の担保条件に違反して、保険金を受け取ることができなくなるリス クをカバーするものであり、航空機が担保に供されていたり、リースが組まれている場合に実益がある。 ⑶ 損害賠償保険 ① pay on behalf of 型と indemnity 型 航空保険における損害賠償保険の型については、大きく分けると、被保険者が支払うべき賠償額を保険者が被保険 者に代わって支払う型 ︵ pay on behalf of ︶ と 、被保険者がまず被害者に賠償金を支払い 、その後に保険者が被保険者 に対し補填する型 ︵ indemnity ︶ とがあ ︵ 14︶ る ︵ 15︶ 。どちらの場合にせよ 、実務上は保険者が被保険者の代理人たる弁護士の選 定への助言を行い、当該弁護士と協働する等、賠償プロセスに深く関与することが一般的なので、あまり大差がない ともいえる。 一 一
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三五二︶ ② 強制保険 賠償責任の履行を確実にし、被害者を保護するための手段として、付保を強制することがある。これを強制保険と いい、わが国の例でいうと、自動車保険におけるいわゆる自賠責保険が挙げられる。では、航空保険においてはどう か。 まず 、現行法をみてみる 。わが国では 、国土交通大臣は 、公共の福祉を阻害している事実があると認めるときは 、 わが国の航空運送事業者に対して、航空事故により支払うことあるべき損害賠償のため保険契約を締結することを命 ずることができるとされている ︵航空法一一二条六号︶ 。学説の中には 、航空法に基づき 、航空運送事業の許可を申請 する際に、当該申請が法に掲げる許可基準 ︵航空法一〇一条一項︶ に適合する旨の説明を求められる中で ︵航空法施行規 則二一〇条三項一号イ︶ 、相当の付保が指導されるとしても当然であると説くものもある ︵ 16︶ 。 次に条約についてみてみる。これまで航空運送の分野においては、直接的に付保を強制する条約はみあたらなかっ た 。付保の強制はもっぱら間接的な手段によりなされてきた 。例えば 、公の安全の見地から外国航空機の飛行を禁 止 ・制限するシカゴ条約九条は 、ローマ条約 ︵一九五二年︶ の規定に従った付保を行わない航空運送人に対しても適 用されることを挙げることができる ︵ 17︶ 。 ところが 、モントリオール条約 ︵一九九九年︶ は 、条約として初めて 、直接的に付保を強制する規定を設けている 。 すなわち 、同条約五〇条は 、﹁締約国は 、自国の運送人に対して 、この条約に基づく責任についての適切な保険を維 持するよう要求する。運送人は、締約国の領域内への運送を行う場合に、当該締約国から、この条約に基づく責任に ついての適切な保険を維持している旨の証拠を提出するよう要求されることがある 。﹂と規定する 。同条約は 、ワル 一 二
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三五三︶ ソー条約を置き換えたものであるが、同条のような規定はワルソー条約には存在せず、モントリオール条約において 初めて創設されたものである。この規定の評価については、同条により、これまで以上に乗客が保護されることにな ると積極的に評価する見解 ︵ 18︶ と、航空運送の世界では付保は当然になされていることであり、付保を求めるとしても国 内法に基づいてなせば足り、あえて条約で規定する必要はないとする見解とがある ︵ 19︶ 。 ③ 免責金額 損害賠償保険については、機体保険と異なり、通常は免責金額は設定されない ︵ 20︶ 。したがって、保険者が承諾した適 正な賠償額全額が支払われる。 ④ 乗客損害賠償責任保険 ︵
Passenger Legal Liability Insurance
︶ これは、被保険航空機の所有、使用もしくは管理に起因し、または運送契約の履行に起因し、偶然の事故によって、 乗客の生命もしくは身体を害し、あるいは乗客の手荷物を滅失、破損もしくは汚損することにより、被保険者が法律 上の損害賠償責任を負担することによって生ずる損害を担保する保険である。 乗客とは、被保険航空機に飛行の目的をもって搭乗中または乗降中の者で、被保険航空機の乗組員としての職務に 従事する者を除くすべての者をいう。 乗組員は本保険でなく、航空機搭乗者傷害保険の対象とされる。 乗客の手荷物とは、乗客が携行もしくは装着する機内持込手荷物または運行者等が原則として乗客の搭乗する航空 機で運送することを目的として乗客から受託した受託手荷物 ︵積載中 、積み込み中または積みおろし中の物に限る 。︶ のう ち、見回品 ︵日常生活の用に供する動産︶ 等の財物をいう。 一 三
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三五四︶ 通常、対人・対物賠償共通で、一事故あたりの填補限度額を設定する。 ⑤ 第三者損害賠償責任保険 ︵
Third Party Legal Liability Insurance
︶ これは、被保険航空機の所有、使用もしくは管理に起因し、または運送契約の履行に起因し、偶然な事故によって、 機外の第三者の生命もしくは身体を害し 、あるいは機外の第三者の財物を滅失 、破損もしくは汚損することにより 、 被保険者が法律上の損害賠償責任を負担することによって生ずる損害を担保する保険である。 例えば、飛行機が空中衝突し、他の航空機、空港その他の関連施設や人員に損害を与えた場合、航空機の墜落ある いは機体、積荷の落下により地上の第三者に損害を与える場合等が挙げられる。自動車保険でいう対人・対物賠償責 任保険に相当するが、自動車保険と異なり、機内の搭乗者は対象とならない。これらは前述した乗客損害賠償責任保 険の対象となる。 飛行機が頻繁に離着陸する空港周辺では、落下物等により第三者に損害が発生しても、落下物を落とした飛行機を 特定することが困難である。本邦の成田空港乗り入れ航空会社では、このことを考慮して、全ての保険契約の特約条 項の章に﹁成田空港落下物条項﹂を入れて対処している。これは、航空会社、空港公団、保険会社により作られた審 査機関が、落下物を落としたと思われる航空会社の範囲を指定し、指定された航空会社は共同して補償を行うととも に、右補償すべき責任を各航空会社の航空保険で担保するというものである ︵ 21︶ 。航空保険の特徴である契約条件の柔軟 性が発揮された一例である。 なお、第三者賠償責任保険は、乗客損害賠償責任保険と組み合わせて、単一の填補限度額を定める場合もある。こ れを第三者・乗客包括賠償責任保険という。この場合、両保険の間で填補限度額を相互に融通処理できる利点がある。 一 四
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶
︵三五五︶
⑥
航空機搭乗者傷害保険
︵
Aviation Personal Accident Insurance
︶ これは被保険航空機に搭乗中または乗降中の者 ︵被保険者︶ が急激かつ偶然な外来の事故によって身体に傷害を 被った場合に、一定の保険金が支払われる保険である。乗客損害賠償責任保険の対象とならない乗組員も対象とする ことができるので、労務管理上有益である。 もちろん飛行機に乗り込む者が自分自身を被保険者として契約することも可能である。 ︵なお、空港等で自動販売機に より購入できる保険は、保険カバー内容はこれと似ているが、航空保険ではなく、傷害保険のひとつである。 ︶ 本保険は定額払いの保険であり、運送人の責任の有無、実損害如何にかかわらず一定の保険金が支払われる。した がって、乗客損害賠償責任保険が支払われない場合でも本保険により支払がなされうる。本保険は、乗客損害賠償責 任保険の補完的機能を営んでいる。逆に、運送人に賠償責任が発生する場合、本保険から保険金が支払われても、当 然に賠償金に充当されるわけではない。本保険は、通常の傷害保険と異なり、被保険者の氏名を特定せず、事故当時 に被保険航空機に搭乗していた者全員を被保険者とすることができる。 ⑦ 貨物賠償責任保険 これは 、航空運送人の貨物に対する賠償責任を担保する責任保険である 。貨物に関する保険としては 、この他に 、 貨物の所有者または荷主として貨物に生じる損害を担保する物保険としての貨物保険もある ︵ 22︶ 。 一 五
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三五六︶
三.戦争保険と航空保険の課題
1.はじめに 多数の人命を運ぶ航空機は、戦争、テロ、ハイジャックなどの対象となりやすく、しかも一転損害が発生すると多 数の人命に関わる損害を発生させるので 、特に定期航空会社としては 、かかるリスク ︵戦争リスク︶ に対しても航空 保険を付保する必要がある 。ところが 、二 .でみたオール ・ リスクス保険はいずれも 、原則として戦争危険を免責対 象としているので、オール・リスクス保険とは別に、付保しなければならない。 戦争保険は、オール・リスクス保険よりも新しく、第二次世界大戦以後に生まれ、その後ハイジャックの頻発を機 にハイジャックをも担保されるように独自の発展を遂げてきたが、近時湾岸戦争や米国の同時多発テロにより、さら に大きく変容した ︵ 23︶ 。ここでは、定期航空会社の航空保険を前提として、戦争保険の概要と変遷について検討する。 2.戦争危険に対する航空保険のカバー ⑴ 航空機機体賠償責任保険 ︵Hull and Liability combined Policy
︶ 航空保険の種類としては 、二 .で述べたように実に様々なものがあるが 、定期航空保険会社が通常付している航空 保険は 、保険の種類毎に個別に契約するのではなく 、包括的な契約方式 ︵航空機機体賠償責任保険 Hull and Liability combined Policy 通常、メインポリシーと呼ぶ。 ︶ がとられている。 図1は、同時多発テロ発生以前に、定期航空保険会社が通常付していた包括的な航空保険を示している。 すなわち、メインポリシーは、機体損害については、戦争リスクを担保しないが、乗客に対する賠償責任損害及び 一 六
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三五七︶ 第三者に対する賠償責任損害については、戦争危険までも復活担保していた。航空 保険において、戦争危険は一般的な免責条項とされているが、免責とされる戦争危 険による損害のうち 、乗客 、第三者に対する賠償責任損害 ︵ AVN48B という免責条 項︶ については 、特約条項 ︵図 1 でいうと AVN52C という特約︶ で担保していたので ある。これは、一旦排除した戦争リスクを引き受け直すことから、復活担保とかラ イトバック ︵ Write back ︶ と呼ばれている ︵ 24︶ 。 ⑵ 機体戦争保険 ︵
Hull War Insurance
︶ メインポリシーは 、機体損害に関して戦争危険を担保しないので ︵機体保険につ いては 、ライトバックが行われない 。︶ 、機体損害を担保するためのものとして 、別途 機体戦争保険 ︵ Hull War Insurance ︶ が用意されている 。戦争保険が 、オール ・リス クス保険とは別に発展してきたことを反映し、機体戦争保険は、ライトバックでは なく、メインポリシーの航空保険市場とは別に主としてロイズの再保険者によって 引き受けられている。ちなみに、機体戦争保険においては、三機分程度の填補限度 額 ︵ aggregate limit ︶ が付されるのが一般である。 このように機体保険については、オール・リスクスと戦争危険とが峻別されてい る。このため、発生した事故がどちらによるか特定できない場合の処理が問題とな る。 〈図 1 〉 機体損害 乗客に対する損害 第三者に対する損害 オール・リスクス (通常の危険) 航空機機体賠償責任保険 →特約付加にあたり追加保険料 戦争危険 機体戦争保険 特約(AVN52C)により メインポリシー自体で復活担保 (支払限度額一事故あたり15∼20億米ドル) 一 七
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三五八︶ 一九八五年六月にインド航空のボーイング 747機がアイルランド沖に墜落した際に、この問題が顕在化し、一億米ド ルを超える機体保険金をどちらの保険で支払うのかが議論となった。この事件においては、当初両方の保険事業者が 半分ずつ負担して支払い、その後時間をかけて事故の原因調査を行い、その結果を待って仲裁により、いずれの対象 とするか決することとし、後日回収された機体片の鑑定により、戦争危険によるものとされ決着をみた。 現在では、どちらの保険で支払うべきか決しきれない場合は、双方の保険事業者が仮に半分ずつの割合で保険金を 支払い、その後仲裁でいずれが支払うか決めることとされ、かかる旨の条項がロイズの標準文言集に収録されている。 これをフィフティ・フィフティ条項 ︵
50/50 Provisional Claims Settlement Clause
︶ という ︵ 25︶ 。 ちなみに、賠償保険については戦争危険がライトバックされているので、かかる問題は生じない。 3.戦争保険における二つの制約 ⑴ 七日前解約予告条項 ︵
7 Days Cancellation Clause
︶ 注意すべきは 、戦争保険には 、二つの重大な制約がある 。一つは 、七日前解約予告条項 ︵ 7 Days Cancellation Clause ︶ である 。これによると被保険者 ・保険者は 、七日前に予告すれば 、相手方の同意なしに契約を解除すること ができる。但し、解約の発効以前に、両者が新しい保険料率、条件、適用地域に合意すれば、契約を更新することが できる。規定の上では保険者・被保険者が対等に解除権を行使できるようであるが、被保険者がこの条項を利用する ことはまず考えられないので、実際上は保険者側に有利にできた条項である。 この条項は、一九九〇年八月、イラクがクウェートに侵攻した際に発動され、一九九一年二月イラクが降伏し、湾 岸危機が一応の解決を見るまで、湾岸地域一帯について全くの無保険状態が生じた。 一 八
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三五九︶ このような状態の下で、救援機などを派遣する場合、個別に救援機を担保する保険を手配せざるを得ないが、かか る保険が常に手配できるとは限らず、仮に手配できても保険の有効期間が数日に限られるなど、不十分なものになり がちである。 この条項は、同時多発テロの際にも問題となった。この点については4. で後述する。 ⑵ 自動終了条項 ︵
Automatic Termination Clause
︶ もう一つの制約は、自動終了条項 ︵ Automatic Termination Clause ︶ である。核兵器の使用、五大国 ︵イギリス、アメリ カ 、フランス 、ロシア 、中国︶ 間における戦争勃発の場合には 、通告の有無にかかわらず 、保険契約は自動的に終了す る旨の条項である。これらの場合には、保険契約が前提としている社会秩序が失われるという趣旨から、全ての戦争 保険契約の中に挿入されている。かかる場合は、民間の保険事業者でなく国家による措置が必要となる。 この条項が発動されると、前述のライトバックされた分を含め、全世界の戦争保険が自動的に終了するため、不安 定な状態が出現する ︵ 26︶ 。 4.同時多発テロの戦争保険に対する影響と対策 ⑴ はじめに 二〇〇一年九月一一日に発生した米国同時多発テロは、死者約三〇〇〇名という重大な人的被害と莫大な経済的損 失をもたらした。ハイジャックした航空機自体を武器として使用するというテロは、航空の安全に対する認識を根底 から揺るがせた。当然の事ながら、これにより航空保険、特に戦争保険のシステムは、大きな影響を受けざるを得な いことになった。そこで、同時多発テロにより惹起された戦争保険に関する問題について、整理・検討することとし 一 九
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三六〇︶ たい。 ⑵ 同時多発テロ直後の保険カバー AVN52D によるライトバック 同時多発テロの際にも、ライトバックされた分を含むオール・リスクス保険の 保険者サイドから七日前解約予告条項が行使された。すなわち、二〇〇一年九月 一七日二三時五九分 ︵グリニッジ標準時︶ に、保険者から、同条項に基づき、前記 AVN52C の特約を解除するとの通知が 、世界の各航空運送事業者に対してなさ れた。 ただこのときは、解約の発効直前に、保険者から免責条項を一部ライトバック する新たな特約 ︵ AVN52D ︶ が提示され、全くの無保険状態は回避された。 同時多発テロ直後の保険カバーは、図2のようになった。 一見すると、図1と変わらないようであるが、戦争保険カバーの範囲が大きく 縮小され、かつ、航空運送事業者の負担が大きなものとなった ︵ 27︶ 。 まず第一に、戦争危険による第三者に対する賠償責任損害に対して、支払限度 額が一事故あたり二〇億米ドルから一事故及び期間中五〇百万米ドルに引き下げ られ 、第三者に対する損害に対する賠償保険の範囲が限定された ︵なお 、乗客に 対する賠償保険の範囲は従来どおりである 。︶ 。いくつかの保険会社は 、さらに追加保 険料の支払いで五〇百万米ドルから一〇億米ドルまでカバーする損害賠償保険を 〈図 2 〉 機体損害 乗客に対する損害 第三者に対する損害 オール・リスクス (通常の危険) 航空機機体賠償責任保険 →特約付加にあたり追加保険料 戦争危険 機体戦争保険 →追加保険料 キャンセル&ライトバック(AVN52D) (5000万米ドルの サブリミット) 二 〇
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三六一︶ 引き受けることになった。 第二に、 AVN52D の特約付加にあたり、有償旅客 一 人 あたり 一 ・ 二 五米ドルの追加保険料が要求されるようにな った。 第三に 、機体戦争保険においても 、総機体保険金額 ︵ Average Fleet Value ︶ の〇 ・ 〇五 % の追加保険料の支払を要求 し、支払わなければ保険をキャンセルされることになった。 ⑶ その後の状況 以上のとおり、同時多発テロ直後の戦争危険に対する航空保険によるカバーは限定的であったため、多くの国にお いて政府による援助措置がとられることになった。 イギリスでは 、政府が TROIKA と称する保険会社を設立し 、二〇億米ドルまでの政府保険制度を二〇〇二年一〇 月まで実施したし、アメリカでは、政府が二〇〇一年九月中に民間保険の上乗せ分の第三者賠償保険を提供した。ア メリカではさらに同時多発テロの個人被害者に対する VICTIMS FUND も形成された ︵ 28︶ 。 日本においては 、平成一三年一〇月二日の閣議決定で 、﹁国会の議決を条件として 、本邦航空運送事業者が運航す る航空機へのテロ等により航空機事故が発生し、第三者に損害が生じた場合には、当該事故により発生した損害の賠 償金の支払いが可能となるよう 、適切な措置を講ずる 。﹂ものとされ 、民間保険で填補可能な金額 ︵一〇億米ドル︶ を 超える部分について、二〇億米ドルを上限に政府が補償することが定められた。しかしながら、その後、一〇億米ド ルを超える第三者損害についても、民間保険で填補できる体制が整ったことから、この措置は、平成一五年一二月一 日に終了した。 二〇一二年現在の保険カバーの状況は、図3のとおりである。 二 一
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三六二︶ 一時保険料が高騰した、戦争危険に起因する第三者への賠償責任保険の提供を 事業機会と捉え 、保険会社の新規の市場参入が増加したこともあり 、現在では 、 追加保険料の支払いで二〇億米ドルまでをカバーする、世界の保険者による引受 体制が構築されている 。また 、前述の七日前解約予告条項 ︵ 7 Days Cancellation Clause ︶ についても 、現在では 、核兵器の敵対行為としての爆発 ︵ pure War Risk のみ︶ による自動終了以外は解約されない保険が提供されている。 ただし、航空賠償責任保険契約は通常一年契約であることから、長期間に渡る 付保が確約されているわけではなく、戦争やテロの危険性が世界的に再び高まっ た場合には、戦争危険に起因する第三者への賠償責任保険市場から一部の保険者 が撤退し、世界的な引受体制が再び脆弱となる可能性は否定できない。
四.結びに代えて
本稿の執筆者両名の手になる本稿は、共著者の一人松嶋による前著 ︵ 29︶ を、その後 の航空保険の実務の発展に照らし、共著者の一人中島が、全面的に加筆訂正を加 え、さらに両名の共同討議により執筆されたものである。討議の場としては、本 学部比較法研究所所管の現代空法研究会を活用させていただいた。戦争保険に関 する課題は以前に比べて限定的なものになっており、現在においては、世界の保 〈図 3 〉 機体損害 乗客に対する損害 第三者に対する損害 オール・リスクス (通常の危険) 航空機機体賠償責任保険 →特約付加にあたり追加保険料 戦争危険 機体戦争保険 →追加保険料 キャンセル&ライトバック(AVN52E) ( 1 億5000万米ドルの サブリミット) 二 二航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三六三︶ 険者による安定した引受体制が構築されている。だからこそこの時期が、航空保険の現状を俯瞰し課題を整理するに もっとも適しているというのが、我々両名の認識である。本稿が、依拠すべき文献が少ない航空保険につき、隙間を 埋める基礎文献となることを願っている。 なお 、執筆にあたっては 、全日本空輸株式会社法務部長菅原貴与志氏から全面的バックアップがあったとともに 、 東京海上日動火災保険株式会社からは、航空保険の現状に対する情報提供と原稿に対するチェックをいただいた。こ こにそのことを特記し、感謝申し上げる。もちろん文責がすべて我々両名にあるのは当然のことである。 ︵1︶ 藤田勝利編﹃新航空法講義﹄ ︵平成一九年︶二五九∼二七八頁︵松嶋隆弘︶ ︵2︶ 原茂太一 ﹁イギリス法における航空保険﹂ ︵平成三年 ・財団法人損害保険事業総合研究所︶二一頁 、なお 、同 ﹁航空保険 の意義およびその範囲│イギリスの法と実務を中心にして﹂空法三二号︵平成三年︶一頁 ︵3︶ 阿部紘一﹁定期航空会社の航空保険について﹂空法三三号︵平成四年︶三三頁以下、羽原敬二﹃航空機ファイナンスの諸 問題﹄ ︵平成九年・関西大学経済・政治研究所︶六一頁以下 ︵4︶ 本稿執筆に際し 、東京海上日動火災保険株式会社から 、﹁航空保険市場は Volatile ではあっても 、言葉の厳密な意味で Speculative で は な い︵ た だ し、9・ 11直後に限っては 、きわめて例外的に投機的な動きを示した保険者が存在したことは事 実である︶ ﹂旨の指摘を受けた。敢えてここに記しておくことにしたい。 ︵5︶ もっとも単一の事故が損害率に影響を及ぼす場合は、よほどの規模の場合︵例えば日航の御巣高事故クラス︶に限られよ う。 ︵6︶ 坂本昭雄 ・三好晉 ﹃新国際航空法﹄ ︵平成一一年︶三三三頁 。ちなみに日本航空保険プールは 、外国からの保険の引受け は行わず、外国への再保険のみを行う出再プールである。阿部・前掲三四頁 二 三
日 本 法 学 第七十八巻第三号︵二〇一三年二月︶ ︵三六四︶ ︵7︶ 羽原・前掲書一一五頁 ︵8︶ 羽原・前掲書一一四頁 ︵9︶ 阿部・前掲二五頁 ︵ 10︶ ハイジャックがオール・リスクス保険と戦争保険のいずれで担保されるかが問題となった事例︵
Pan Am. World Airways,
Inc. v. Aetna Cas. & Sur. Co., ︹ 1974 ︺ ILoyd ’s Rep 207, ︹ 1975 ︺ ILoyd ’s Rep 77,505 F. 2d 989 ︵ 1974 ︶, 12 Avi Cas 18,069, 13 Avi Cas 17,340 ︶を紹介するものとして、羽原・前掲書九四頁。ちなみに、米国同時多発テロにおいても、このことが問題と な り う る と 指 摘 す る も の と し て 、 Erwin E. Cabin, War-Risk, Hijacking & Terrorism Exclusions in A viation Insurance:
Carrier Liability in The Wake of September 11, 2001
︵
2003
︶ 68 Journal of Air Law and Commerce, p.421.
︵ 11︶ なお 、本文に述べたほかに航空に関係する保険として 、空港施設所有 ・管理者賠償責任保険 ︵ Airport Owners and Operators Liability Insurance ︶、航空機製造物責任保険 ︵ Aviation Products Liability Insurance ︶、航空機乗員免許喪失保険 ︵ Air Crew Loss of License Insurance ︶、人工衛星に関連する宇宙保険︵ Space Insurance ︶、飛行船保険、グライダー保険等が ある。 ︵ 12︶ 被保険航空機とは、保険証券記載の航空機をいう。 ︵ 13︶ 免責金額の定め方については、羽原・前掲書三九頁 ︵ 14︶ 阿部・前掲三一頁 ︵ 15︶ 本稿執筆に際し、東京海上日動火災保険株式会社から、 ﹁米国が pay on behalf 方式、英国が indemnify 方式﹂という説明は、 歴史的沿革の説明であれば該当する面もあるが、現状の説明としては正確ではない旨指摘を受けた。敢えてここに記しておく ことにしたい。 ︵ 16︶ 坂本=三好・前掲書三四九頁 ︵ 17︶
I. H. Diederiks-Verschoor, An Introduction to Air Law
︵ 7th ed., 2001 ︶ p.175. ︵ 18︶ Ibid. p.183 二 四
航空保険の現状と課題︵松嶋・中島︶ ︵三六五︶ ︵ 19︶ 坂本=三好・前掲書三五一頁を参照 ︵ 20︶ ただし、損害賠償保険のうち、手荷物に関しては、一般的に一二五〇ドルの免責金額が付けられる。 ︵ 21︶ 阿部・前掲三八頁 ︵ 22︶ 大野和雄﹃航空貨物損害賠償の実務﹄ ︵平成三年・成山堂書店︶四五頁、来見田實﹃新訂航空貨物の理論と実務﹄ ︵平成七 年・成山堂書店︶一五八頁 ︵ 23︶ 中村克己﹁テロに起因する第三者賠償責任の現状と考察﹂空法四四号︵平成一五年︶二三頁 ︵ 24︶ 図 1 では 、貨物や航空機部品について触れていないが 、貨物の賠償責任保険としては 、航空貨物賠償責任保険 ︵ Freight Liability Insurance ︶が、航空機部品については、航空機部品保険︵ Aircraft Spare Parts Insurance ︶があり、それぞれオー ル・リスクス条件であるだけでなく、戦争危険までも担保する。ライトバックについても、本文に述べたところが当てはまる。 阿部・前掲二六頁、羽原・前掲書七七頁 ︵ 25︶ 阿部・前掲四〇頁、羽原・前掲書九四頁 ︵ 26︶ 湾岸戦争の際には 、イスラエル ・アラブ間で核兵器の使用が予測されたため 、日本航空は 、七日間に限り 、機体のハイ ジャックリスクを担保する保険を作出した。ただ、担保リスクがハイジャックに限定されており、賠償保険については実現で きなかった。阿部・前掲四四頁 ︵ 27︶ 中村・前掲二六頁の他、平成一七年五月二七日における淡路信広氏の空法学会報告﹁米国同時多発テロ後の航空保険マー ケットの動向﹂による。 Rod D. Margo, 11 September 2001 - An Aviation Insurance Perspective ︵ 2002 ︶ 27 AIR & SPACE LAW, p.389. ︵ 28︶
Raymond L. Mariani, The September 11th Victim Compensation Fun
d of 2001 and The Protection of The Airline Industry:
A Bill for The American People,
︵
2002
︶ 67 Journal of Air Law and Commerce p.141.
︵
29︶
藤田・前掲書︵前注1︶
二 五