• 検索結果がありません。

談話室-香川大学学術情報リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "談話室-香川大学学術情報リポジトリ"

Copied!
5
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

123 談 話 室

政治学講義雑感

大 賀 睦 夫 の側には,それぞれ専攻が異なる,関心の 在り方が違う,−・般的学力に差があるなど の問題がある。しかし,あまり違いを強調 する必要はないのかも知れないとも思う。 私の担当している政治学について言えば, 誰しも政治社会の−\員であり,選挙で一・・−・一票 を行使する権利をもつなど,共通性がある わけである。 教師の側,つまり私の問題は,自分の専 門分野が非常に狭く,幅広い知識がないと いうことである。この点は,今後大いに努 力しなければならない課題である。また, 今日,政治学自体が非常に科学的,分析的 になっており,そうした学問は,アマチ・ユ アリズム的関心からみて,必ずしも面白い ものではないという問題がある。人間ほど う生きるべきか,より良い生活はどのよう にして達成されるか,といった古典的問題 は専門分化の中で,ともすれは見失われが ちであるように思える。 そういう点を考慮して,ややおおげさに 言えほ,科学的に解答できないような問題 にも挑戦しようという気挿で講義にとりく んでいる。そして,あまり政治科学という ことにこだわらず,ある程度古典的政治理 論も取り入れている。「政治学の基礎理論」 という題目で取り上げた主な内容は,政治 的近代化,政治におけるコミュニケーショ ソ,政治権力などであった。 初めて大学の講義というものを担当し て,感じたこと,考えたことを述べてみた い。 良い講義をしようと常々思っているが, なかなか難しい。講義をしていて学生が熱 心に聴いているという感触があるとき,ま た,試験を採点していて立派な答案に出会 うとき,そういうときには充実感を感じる ことができる。しかし,教室のあちこちか ら,ため息が聞こえてくるような講義をし たときは,どうも後味が悪い。 最近,少し気にしているのは,学生の出 席率の低さである。前期ほ,後期と比較す ると非常に出席率が良かった。受講票を受 け付けた数も多かったが,教室の座席がか なり埋まった状態で講義していた。後期は, 前回と同叫の講義題目で,前回の改訂版講 義をやっているせいだろうか,人気のない 野球ゲームの外野スタンドのような状態で ある。 出席をとる,頻繁に小テストを実施する, 同じ講義を避ける,学生の関心に沿う講義 をするなど,先輩の先生方から直接間接に いろいろとアドバイスをしていただいた。 そういう点を考慮し,講義を改善したいと 思っている。 とはいえ,どんな講義をしたら良いかと いうことについては,今も大いに迷ってい る。いくつか問題もあるように思う。学生

(2)

124 長谷川 順 一・ ういう答案に出会うと,自分の講義も全く ムダでほなかったのかなと,少しホッとす る。 試験答案の出来はさまざまだったが,概 して良く書けているという印象を受けた。 政治学の理論をクラブ活動運営の問題に適 用し,分析したユニークな学生もいた。そ

算 数 と 数 学

長谷川 順 一 き返すと,、、論理力がつく,思考力がつく′′ といった紋切り型の答えが返ってくる。し かし,論理力や思考力は別に数学の“専売 特許′′ではないだろう。有名な作家の中に 、、僕は学生の頃,数学がさっばり分からな くで1いノ′ と述べている人がいる。だから と言ってその人に論理力がない,とは言え ない。算数,数学を学習すると論理力や思 考力が本当につくのかどうかは私にはよく 分からないが(例えば,内容を離れた思考 力なるものが存在するのか,といった −),しかし,少なくとも一つほ算数,数 学の学習に期待できるものがあると思う。 それは,算数や数学が,我々が、、世界′′ を見る際の一つの枠を提供してくれるので はないか,ということである。たとえば“い ち′′、、に′=、さん′′に相当する言葉はあるが, それ以上はすべて、、たくさん′′ですませる, すなわち、、し′′、、ご′= 、ろぐ′ ・‥に相当す る言葉を持たない人達が地球のどこかにい るそうである。そのような人達と我々とで は,そのもつ世界はかなり異なったもので あることは,容易に想像がつく(ただし, どちらが、、よりよい′′のかは分からない)。 とすれば,算数や数学の学習ほ,我々の側 小学校の算数は易しかったが,算数が数 学と名前が変わり,中学,高校と進むにつ れて段々難しくなってきた,だから大学の 数学は一番難しいだろうーそんな考えを もっている学生もたくさんいるだろう。勿 論,大学の数学は易しいなどと言うつもり は,私にはない。しかし大学の数学が難し いなら,それと同様に算数もやはり難しい, と思うのだ。それは、、そう言えば,つるか め算などの文章題はよく分からなかった, 難しかった′′といったことでは決してない。 大学の数学の難しさが(こう言い切ること には異論もあろうが)その論理の明噺さに あるとするなら,算数の難しさは,そこで 扱われている概念のある種のあいまいさに ある。−・言で言うなら,算数には余りにも 分からないことが多いのである。 ところで,算数,数学の授業をしていて 小学生や中学生,高校生から出る質問のw つに,、、算数や数学を勉強して一・体何になる の′′ というのがある(この“−・体何になる の′′ という質問の前あるいは後には,必ず といっていい程,、、数学(算数)がさっぱり 分からない′′ という恨み言がついているの だが1‖)。、、何になると思う?′′ と逆に聞

(3)

125 話 室 談 から見れば文化あるいは世界の伝達として の教育の問題となろうし,子どもの側から 見れば,外的世界,事物との相互交渉を通 じて自らの内に世界(特に数学)を構築し てゆく過程とも見られることになる。しか し,我々がいくら伝達しようとしても,子 どもが数学を主体的に構築してくれなけれ ば,その伝達は成功しないだろう。 ここに,最初に述べた算数の難しさが立 ち現れてくる。すなわち,どのようにして 数は、、発生′′するのか,分数の意味ほ−・体 何か,倍と比と比例はどのような関係にあ るのか,直線とは何か,面帯とほ何か etcl‥“。つまり,数学的概念の発生にまと わりつくあいまいさが,算数をよく分から ない,難しいものにしているのである。そ れを整理し直し,体系づけたものが“数学′′ ということになるのだろう。最初に,大学 の数学の難しさがその論理の明晰さにあ る,と述べたが,それは,交通整理をした が故の明晰さであり,やはり交通整理をす る前の、、影′′をひきずっているはずである (想像力が創造力につながることは,多く の数学者の指摘するところでもある)。 私は現在授業を担当していない。それで 一般数学として,明噺な昼間の数学をとり 上げるか,それとも夜明けあたりから始め るか一今だに決めかねている。また,数 学に、、怨念′′ をもつ学生もいよう。昼間と 影と怨念と一三題噺ではないが,そのあ たりに実は数学の楽しさがあるようにも思 うのだが−。

講道館柔道,タイを往く−その4

村 田 直 樹 も束の間,訳の分からぬうらに全く期待外 れのアヤさんを雇う破目になった私。 そんな或る日,アパートの敷地内で二人 のタイ女性に遭遇。一人ほまさに明陣暗歯。 一人はその肌浅黒き,まさに食べ頃お色気 権化。聞けは共に此処で働くアヤさんとい うではないか−−−−も 前号迄のあらすじ・−・−−㌔ 東南アジアの巨大国際都市バンコク。そ の中央を動脈の如く走るスクンヴィソト通 りソイ47の高級7パー=仁旅装を解き,時 に聞く、、ァヤさん′′ を雇うことになる。 「随分広い部屋だなァ。寝室が2つも在っ て。さて,時に聞くアヤさんだけど,どう やって雇うのかなァ。できれは若いピチビ チギャルで,住み込みがいいぜ,ウッヒッ ヒッ0」 と,期待に胸ふくらませてうきうきする ブプーソ,キィーッ。車の停まる音。 、、コブクソカップ,サワヅディカップ′′′ 、、サワッディカップ,アチャーソ。′′ 最初の方は私で,彼の方は運転手が言っ

(4)

直 樹 と目覚めれば,自分の粁で起こされた,な どということも幾度やら。 「ふあぁ−い。よく眠ったァ……い。」 大きな欠を鵬つして,寝室を出,またシャ ワーを浴びに行く。タイ人と同じく,私も 日に何度とシャワー・を浴びる人となる。 シャワー重からベタベタと,素足に気持 ち好い光沢露わしきラワソの板の間を歩い て何気なく私は,部屋正面の大きなガラス 戸越しにプ・−ルの方を見,次の瞬間,アブ と息を呑んだ。私の瞳がとらえたものは ◇ プールサイドの白い揺り椅子に確かにあ の人影。そう,その肌浅黒き,まさに食べ 頃お色気権化のあのアヤさんが,首を傾げ て長い髪を琉かしているではないか。 じ一つ。私,釘付け。 「気持ち好い? 綺麗な髪ねェ′」 釘付け,の管の私だったが,いつの間に かプールの脇に立っていた。 日本でなら,思っても中々表出に迄は至 らぬものが,異国の地でほ容易に外へ。 横文字をしゃべるからか,と考えてみる。 しかし直ぐ反論。いや,そうではなかろう, と。何故なら,横文字をしゃべる御仁にも, 内面→外面的行動の疎通必ずしもよくない 人は居るだろうから。 Thinka10udの成果少し表れしかな,と も考える。これは少々手応えあり。Think aloudとは上山つの技術で,考えを,まとまら ぬうちは黙っていて出さぬというのではな く,昔(=言葉)にどんどん出していくこ と。 異国の他にて,沈黙ほ必ずしも「金」で はない。むしろ沈然ほ,無能かそれとも無 村 田 126 た。タイ語で,「有難う。じゃァさよなら/」 と私が言い,「さよなら,先生。」と運転手 が言ったのだ。 柔道指導の仕事を終えて,私はアパート へ帰って釆た。先刻の運転手ほ中年の軍人 で,士官学校教官,中佐。彼は講習会参加 者の一人であり,毎朝私を迎えに来,講習 会終了後はきちんと毎回,アパートヘ送っ てくれるのだった。礼儀正しく,常に微笑 みを絶やさぬザ・ジェントルマンに柏手だ 「今日の講習会も暑かったァ,′」 私は,アパー・トの門衛氏に常にそう話し掛 け,汗を拭き拭き自分の部屋へ帰っていく。 広い駐華場を通り抜け,目にしみる緑の芝 に囲まれたプールを右手に見 椰子の木蔭 迄歩けば私の部屋だ。 腰の高さ程の囲いが巡らされ,その入口 の扉を無雑作に開ければ,全面ガラスの大 きな部屋が待っている。 バッグから,汗でグッショリ重くなった 柔道衣を取り出し,アヤさんに渡しに行く。 私のアヤさん,トング(彼女の名)は,ア パートの裏手に.彼女の兄夫婦−・家と同居し ているのである。 「あー疲れた。今日も暑かったぜ。道場内 はまた40度Cになったんじゃないかァ。」 部屋に戻ってそう言いながら,私は着て いるものを次々脱いで,シヤワ・一室へ直行 だ。そして気の済む迄シャワーを浴びる。 これが私の日課であった。 シャワーを浴びたらど−するか。次は午 睡。昼寝である。柔道の稽古疲れと暑さの

し■ 疲れか,身体を横にすれば直きにストソと

墜落睡眠。どれだけ深く眠ったか。時にハタ

(5)

談 気味に思われる位がオチ。加えてニヤニヤ 笑っていれは,恐らく殆ど理解されぬ存在 となろう。 「アチャーソ,今日はもう終わったの?」 と彼女は振り向きながら言った。目元に笑 みを浮かべ,頬が丸かった。漆黒の長い髪 に茶色の肌。深い緑地に緋色の柄の派手な 布地を胸まで巻いて。まぶしい裸の両肩の, 何とツルツル光沢のあること。 私は言った。 「ウソ,終わった。今日も暑かったァ′」 「そう? 日本はどうなの,暑くない の?」 「ウン。夏でも30何度で,そういう時は 新聞にでる。」 「へェ・−,新聞に。バンコクではそんなの 全然ニュースにほならないワ。」 「そりゃそうだろう,熱帯じゃァ。」 「日本は寒い?」 「ウン。冬はネ。」 「どの位?」 「そうネ,零度より下がるネ。」 「信じられないワ。」 「そうだろうネ。雪なんて知らないで しょ?」 「知ってるわヨ,TVで見たワ。」 「あ,そうか。ハハハハハ。テレビでネ。 話 室 127 なる程ネ。」 バンコクのアヤさんは,テレビは大抵 持っている由。 さて,以上の会話はタイ語でなくて英語 だった。彼女はとてもよく英語を話す。 「アチャーソはいつ日本へ帰るの? ア クシをその時連れてって,−・緒に。ねっ。」 (オレ,−L目惚れされちゃったのかなァ。 見てみィよ,このま顔。全然笑ってないぜ。 一体どういうつもりなんだろう。それにし ても見つめるネ。照れくさいぜ‥11。) 彼女ほ続けた。 「ここでは話したくないの。あっちへ行き たいワ。」 そう言って指差す方をず・一つと追えば, 何と私の部屋を指していた。 「OK,レッツゴー 。」 私もま顔でそう言って。 しかし,顔はま顔でも,胸の中は膨らん だ。 (狐につままれた様だけど,兎に角,面白 くなってきたぞ・……。) 一つづく−

参照

関連したドキュメント

ところが,ろう教育の大きな目標は,聴覚口話

今日のお話の本題, 「マウスの遺伝子を操作する」です。まず,外から遺伝子を入れると

この説明から,数学的活動の二つの特徴が留意される.一つは,数学の世界と現実の

ともわからず,この世のものともあの世のものとも鼠り知れないwitchesの出

が有意味どころか真ですらあるとすれば,この命題が言及している当の事物も

目標を、子どもと教師のオリエンテーションでいくつかの文節に分け」、学習課題としている。例

手話の世界 手話のイメージ、必要性などを始めに学生に質問した。

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは