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言を聞て 其人の愚智剛柔廉姦の標あり 三国の人品 は既に人の耳に有て其声聞改がたく作意展かねたり ナガシモノ カハ サカイ カヘテ 九 迭 釈 義 は 其 カ ハ リ ア ツ テ カ ユ ル コ ト 詩 経 ノ 字 ニ 也 水 滸 第 二 高 俅 ヲ 配 ノ 迭 リ ニ 界 ヲ 追 ヒ 放 ツ コ

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Academic year: 2021

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都賀庭鐘読本における『水滸伝』の受容

  江 戸 中 期 頃、 唐 話 学 習 が 盛 ん に な り、 そ の 教 科 書 と し て 最 も 広 く 読 ま れ た の は、 中 国 明 代 の 白 話 小 説『 水 滸 伝 』 で あ る。 『 水 滸 伝 』 は 江 戸 時 代 に 絶 大 な 人 気 を 博 し、 そ の 和 刻 本、 通 俗 本、語釈書、影響作品が相次いで出された。   『 水 滸 伝 』 流 行 の 最 中 に、 白 話 小 説 の 翻 案 を 最 初 に 試 み、 読 本を創出し、中国小説の受容において最も先進的な業績を残し た人物、都賀庭鐘(一七一 八 ―九四頃)は、どのように『水滸 伝』に接したのか、その読本がいかに『水滸伝』と関わったの か、 『 水 滸 伝 』 が 庭 鐘 の 読 本 創 作 に ど の よ う な 役 割 を 果 た し た の か、 と い っ た 重 要 な 問 題 は 未 だ 十 分 に 明 ら か に さ れ て い な い。   本 稿 で は ま ず、 先 行 研 究 を 踏 ま え な が ら、 庭 鐘 と『 水 滸 伝 』 との関係を確認する。その上で、従来指摘されていない、庭鐘 読本が『水滸伝』を利用した箇所を新たに提示する。また、庭 鐘読本の語彙・表現と『水滸伝』との関わりを検討する。以上

 

を 通 し て、 『 水 滸 伝 』 が 庭 鐘 の 読 本 創 作 に 果 た し た 役 割 を 考 え 直 す と と も に、 庭 鐘 の『 水 滸 伝 』 受 容 の 先 進 性 を 再 評 価 し た い。 一   先行研究   庭 鐘 と『 水 滸 伝 』 に つ い て 中 村 幸 彦「 水 滸 伝 と 近 世 文 学 (注1) 」は、 白話小説通の都賀庭鐘も『水滸伝』に通じていたはずであ る。 彼 の『 英 草 紙 』 な ど の 三 部 作 に、 目 ざ ま し い『 水 滸 』 の 影 響 の 指 摘 は 未 だ な い が、 彼 の 遺 稿『 義 経 磐 石 伝 』( 文 化三年)の跋文には、中国小説と日本の王朝物語を、様々 短評するうちに、 『水滸』についても、的確な発言がある。 彼 宋 元 の 後 つ 方 か た 、 発 端 に 話 説 と 筆 を 染 る も の が た り は、皆俚語にして古言にはあらず。それが中にも専ら 人情をつくすの快談あり。水滸は美にも悪にも先其発

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言を聞て、其人の愚智剛柔廉姦の標あり。三国の人品 は既に人の耳に有て其声聞改がたく作意展かねたり と。いう所は『水滸伝』は登場人物の性格をよく表現し得 たから、人情を尽して、作意を『三国志演義』以上に展開 し得たとする。 (中略)その上庭鐘は、 『水滸』の出典考を まで試みている。それは自筆の読書抄記『過目抄』に見え る。 ( 中 略 ) 庭 鐘 が 試 み た の は、 恐 ら く 日 本 に お い て は、 単発的なものはともかくとして、初めての試みではないか と思われる。ただし彼はこの案と方法を、清の袁棟の『書 隠叢説』に学んだ如くである。その書に見える、 『水滸伝』 『 西 遊 記 』 を 主 と し た 出 典 考 を 数 多 く 抄 記 し て い る こ と か ら考えられる。しかしそれに学んで、庭鐘自らが、採集し たもの十一をまじえ、その殆どが『水滸伝』である。 と、庭鐘が『水滸伝』に通じており、その登場人物の性格や素 材の出典にまで関心を寄せていたことを指摘する。   中 村 氏 の 指 摘 を 補 足 す る と、 庭 鐘 は『 過 目 抄 』(注2) 第 九 冊 「 天 基 奇 言 」 条 で、 清・ 石 成 金『 伝 家 宝 』 か ら「 世 伝 水 滸 伝 者 三 世 唖 」 と い う『 水 滸 伝 』 の 作 者 に 関 す る 記 述 を 抜 粋 し て い る。 ま た 庭 鐘 は『 水 滸 伝 』 の 語 彙 に も 詳 し い。 『 通 俗 医 王 耆 婆   (注3) 』( 伝 宝暦十三年〈一七六三〉刊、以下『耆婆伝』 )第七回 「不当材」釈義は「字面ノ如ク。用ニタ ヽ ヌ材木ト云コトナリ。 水 滸 第 二 回 一 本 ニ 材 ヲ 村 ノ 字 ニ 謬 リ 写 テ 解 シ ガ タ シ 」、 ま た 第 九 回「 迭 」 釈 義 は「 其 カ ハ リ ア ツ テ。 カ ユ ル コ ト。 詩 経 ノ 字 ナガ シ モノ カ ハ サカイ カヘテ 俅 也。 水 滸 第 二 回 高 ヲ 配 ノ 迭 リ ニ 界 ヲ 追 ヒ 放 ツ コ ト ア リ。 迭 レ ニ ト ヨ ム ベ シ 」 と『 水 滸 伝 』 の 語 彙 に 言 及 し て い る。 こ の 二 つの釈義から①庭鐘が『水滸伝』をよく研究し、その語彙の出 典や意味を考察したこと、②『水滸伝』複数の種類の版本を読 み比べたこと、③『水滸伝』の語彙を意識的に『耆婆伝』に用 いたことがわかる。以上のように庭鐘は『水滸伝』の作者、登 場人物、素材の出典、語彙 の意味、諸本の異同に関心を寄せて いる。   ここで庭鐘読本と『水滸伝』との関係について先行研究の指 摘をまとめてみると、 『英草紙』 (寛延二年〈一七四九〉刊)第 七 篇 で は、 『 水 滸 伝 』 第 三 十 四 回 よ り 宋 江 が 敵 将 の 秦 明 を 味 方 に す る た め 秦 明 軍 の 姿 に 装 っ て 青 州 を 襲 い 敵 方 を 欺 く 趣 向 を、 ま た 第 六 十 一 回 よ り 呉 用 が 算 者 に 扮 し て 盧 俊 義 を 騙 す 趣 向 を、 そ れ ぞ れ 取 っ て い る (注4) 。『 繁 野 話 』( 明 和 三 年〈 一 七 六 六 〉 刊 ) 第 七 篇 で は、 『 水 滸 伝 』 第 十 一 回 よ り 朱 貴 が 響 箭 を 送 っ て 梁山泊の仲間を呼び寄せる趣向を、細部の一素材として取り込 んでいる (注5) 。『莠句冊』 (天明六年〈一七八六〉刊)第三篇の 登場人物の荒法師円性には『水滸伝』の魯達の面影が投影され ており、円性が茅渟男の恋文が代筆であると見破る趣向も『水 滸伝』第五回の魯達が桃花村の劉老人の娘を強引に嫁にしよう とした周通を懲らしめる話に影響を受けている (注6) 。

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二   『繁野話』と『水滸伝』   論を進める必要上、まず『水滸伝』の諸本について述べる。 『水滸伝』の版本は文繁本(叙述や描写が詳細な本)と文簡本 ( 叙 述 や 描 写 が 簡 略 な 本 ) の 二 系 統 に 大 別 さ れ る (注7) 。 文 繁 本 系統には百回本・百二十回本・七十回本の三種がある。文繁本 系統の百回本にも容与堂本・四知館本のような古い百回本と芥 子園本・無窮会本等の新しい百回本がある (注8) 。文簡本系統に は 百 四 回 本・ 百 十 五 回 本・ 百 二 十 四 回 本・ 英 雄 譜 本 等 が あ る。 収録する話や回数の構成は諸本によって異なる。諸本の差異を 左の表に示す。文簡本は版本ごとに回数が異なるため、詳細は 示さない。 発端 梁山泊集結 招安 征遼 征 田 虎 ・ 王慶 征方臘 百回 本 1回 2 - 71回 72 82回 83 90回 無 回 91 100 百二十回 本 1回 2 - 71回 72 82回 83 90回 91 110回 回 111 120 七十回本 楔 子 1 - 70回 無 無 無 無 有 有 有 有 有 有   文繁本系統『水滸伝』諸本の収録話には差異が存在する。田 虎・王慶討伐譚は百回本にはなく、百二十回本にのみ含まれて いる。七十回本には梁山泊集結後の部分が全て削除される。   さ て、 『 繁 野 話 』 と『 水 滸 伝 』 と の 関 係 に つ い て 検 討 す る。 き し くわい こ つ い こ と 『 繁 野 話 』 第 五 篇「 白 菊 しら ぎ く の 方 猿 掛 か た さ る か け の 岸 に 怪 骨 を 射 る 話 」( 以 下 「 白 菊 の 方 」) は、 明 代 の 短 編 白 話 小 説 集『 喩 世 明 言 』 巻 二 十 「陳従善梅嶺失渾家」 (以下「陳従善」 )を下敷きにした作品で、 じ け よろづ た   滸 伝 』 第 九 十 回「 五 台 山 宋 江 参 禅 る (注 10) き ん じ め い き ん せ ん ま き ぎ ぬ ① 大 名 近 侍 に 命 じ て 金 銭 巻 絹 い ふ わづら い ち を 引 せ て 云 「 道 人 を 煩 は す 一 事 あ り。 我 給 へ る 卦 の ご と く 万 心 に 足 れ ど も 近 比、 一 つ の し ん ぐわん け い あ い 任 せ ざ る 心 願 あ り。 今 日 敬 愛 の ほ う ゑ おもむき 法 会 に 趣 て 此 願 を 祈 ら ん と 存 る ほ じ な り 」。 道 人 云「 や が て 晡 時 の だ ん の ぼ と も 壇 に 登 れ ば、 倶 に 法 会 に 参 じ て ち や く わ け ふ もてな 祈 り 玉 へ 」 と 茶 菓 を 供 じ て 待 さ す で ど きやう せ ん くわん る。 ② 既に壇に登り読経の宣 巻 お わ り 香 を ひ ね り て「 南 無 十 方 し よ て ん ひ と た き の 諸 天、 此 一 炷 の 香、 あ ん 四 海 安 ご こ く ほ う と う み つ をしへ あ き ら か ひじり せ い 静、 五 穀 豊 登、 三 の 教 昭 明 に 聖 よろこび お ゝ ひ と た き ひねり の 君 歓 多 か れ 」。 又 一 炷 撚 て ゑ ん め い ば つ く よ 「 十 方 施 主、 福 徳 延 命、 抜 苦 与 ら く い つ ち う た き か つ し 楽 」。 又 一 炷 を 焼 て「 今 此 甲 子 に よ ゐ ま ん ぞ く の貴人、 如意満足ならしめ玉へ 」 (注9) 。   双 林 渡 燕 青 射 雁 」、 智 真 長 ① 細部は唐代の伝奇小説『補江総白猿伝』に趣向を取る 「 白 菊 の 方 」 に は「 陳 従 善 」 に な い、 三 依 道 人 が 飛 雲 の 願 い を 叶 え る べ く 経 を 読 む 場 面 が あ る。 こ の 場 面 は 文 繁 本『 水 老 が 五 台 山 を 参 拝 す る 宋 江 一 行 の た め に 法 会 を 行 う 趣 向 に 拠 宋 江 亦 取 金 銀 綵 段 上 献 智 真 長 老、 長 老 堅 執 不 受。 ( 略 ) 須 臾、 合 寺 衆 僧、 都 披 袈 裟 坐 具、 到 於 法 堂 中 坐 下。 宋 江、 魯 智 深 并 衆 頭 領 立 於 両 辺。 引 磬 響 処、 両 碗 紅 紗 灯 籠、 引 長 老 上 升 法 座 。 ② 智真長老到法座上、 先拈信香、 祝 讃 道、 「 此 一 炷 香、 伏 願 今 上 天 子 万 歳 万 万 歳、 皇 后 斉 肩、 太 子 千 秋、 金 枝 茂 盛、 玉 葉 光 輝、 文 武 官 僚 同 増 禄 位、 天 下 太 平、 万 民 楽 業。 再 拈 信 香 一 炷、 願 今 斎 主 身 心 安 楽、 寿 算 延 長、 日 転 千階、 名垂万載。再拈信香一炷、 願 今 国 安 民 泰、 歳 稔 年 和、 五 穀 豊 登 、 三 教 興 隆 、 四 方 寧 静 、 諸 事禎祥、万事如意 。」 (略)

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と 懇 に 祈 り 求 ら る。 参 詣 の 衆 し う 、 籤 と り す う ことば みくじ を 拈 て 其 数 の 辞 を 求 む。 ③ 貴 き 人 の り に ん の いわく 籤 せ ん 、 六 十 三 の 歌 に 云 、 法 の 庭 あ け もふで に は よ き 日 詣 て あ す よ り は 紅 の 衣 を 褻 衣 なれ ぎ ぬ に せ ん。 ④ 女 房 の 拈 と り た る 九 十 四 籤 せ ん に 云 いはく 、 あ な た ふ と け ふ の み の り に あ ふ 人 は 千 と せ の 命 有 と こ そ き け。 お り 道 人 壇 だ う じ ん だ ん を 下 て、 巻 数 くわん じ ゆ を 注 し る し て 参 ら す。 貴 人 頂 ちやう ゝ め 戴 な だ い し て 悦 び 斜 な ら ず 下 向 あ る 。 ⑤ 道 人 徒 と 弟 て い に 命 め い じ て 玄 関 げん くわん に 送 ら しむ 。 ③ 智 真 長 老 命 取 紙 筆、 写 出 四 句 偈 語「 当 風 雁 影 翻、 東 闕 不 団 円。 隻 眼 功 労 足。 双 林 福 寿 全。 」 写 畢、 逓 与 宋 江 道、 「 此 是 将 軍 一 生 之 事、 可 以 秘 蔵、 久 而 必 応。 」( 略 ) ④ 長 老 説 罷、 喚 過 智 深 近 前 道、 「 吾 弟 子 此 去 与 汝 前 程 永 別、 正 果 将 臨 也。 与 汝 四 句 偈 去、 収 取 終 身 受 用。 偈 曰 逢 夏 而 擒、 遇 臘 而 執。 聴 潮 而 円、 見 信 而 寂。 」( 略 ) ⑤ 智 真 長 老 并 衆 僧都送出山門外作別。 (容与堂 本 回)90 傍線を施した①宋江が智真長老に金銀綵段を献ずる点、②智真 長老が三炷の香を焚いて祈願する点、③智真長老が宋江に四句 の偈を送る点、④智真長老が魯智深に四句の偈を送る点、⑤智 真長老と僧侶達が宋江一行を山門の外まで見送る点という五つ の要素が「白菊の方」に摂取される。但し、智真長老が宋江と 魯 智 深 に 偈 を 送 る こ と は、 「 白 菊 の 方 」 で は、 三 依 道 人 が 大 名 と白菊の引いた籤に書かれた歌を読むことに変えられている。   右の場面について、文繁本系統『水滸伝』の諸本と本文を比 較 対 照 し て み る と、 傍 線 ② に 相 当 す る 箇 所 に は 表 現 の 異 同 が 確 認 で き る。 四 知 館 本 の 本 文 は 前 掲 の 容 与 堂 本 の 本 文 と 同 様 で、無窮会本・芥子園本・百二十回本の三本の本文は同じであ る (注 12 11) 【無窮会本】 【芥子園本】 【百二十回本】 智 真 長 老 到 法 座 上、 先 拈 信 香、 祝 讃 道、 「 此 一 炷 香、 伏 願 皇 上 聖 寿 斉 天、 万 民 楽 業。 再 拈 信 香 一 炷、 願 今 斎 主 身 心 安 楽、 寿 算 延 長。 再 拈 信 香 一 炷、 願 今 国 安 民 泰、 歳 稔 年 和、 三 教 興 隆、 四 方寧静。 」        ( 回) ご こ く ほ う と う に よ ゐ ま ん ぞ く 「白菊の方」にある「五穀豊登」 「如意満足」の二つの表現は、 容 与 堂 本・ 四 知 館 本 に 確 認 で き る が、 無 窮 会 本・ 芥 子 園 本・ 百二十回本に見えない。また、七十回本『水滸伝』 (金聖歎本) は 百 二 十 回 本 の 後 半 第 七 十 二 回 以 降 を 全 て 削 除 し た た め、 「 五 台山宋江参禅」の一節がなく、文簡本系統『水滸伝』の傍線② に 相 当 す る 箇 所 の 描 写 は ご く 簡 潔 で、 「 白 菊 の 方 」 と 共 通 す る 表 現 は な い。 即 ち、 『 繁 野 話 』 第 五 篇 を 創 作 す る 際 に、 庭 鐘 が 直接依拠した『水滸伝』の版本は、文繁本系統のなかの、容与 堂本・四知館本のような古い百回本と推定できる。 も ち づ き か ね い ゑ りやう く つ のがれ い ゑ つ ぎ こ と   『繁野話』 第七篇 「望 月三郎兼舎 竜 屈を脱て家を続し話」 (以 下「 望 月 三 郎 」) は、 井 沢 蟠 竜 の 考 証 随 筆『 広 益 俗 説 弁 』 遺 編( 享 保 二 年〈 一 七 一 七 〉 刊 ) 所 収 の「 甲 賀 家 伝 」 を 背 景 と し ( 注 ) 、所々に白話小説に由来すると思われる趣向が鏤められ ている。   「 望 月 三 郎 」 に は 兼 舎 が 船 子 に 扮 し、 僧 を 装 っ て 逃 走 す る 眉 鱗王を生け捕る一節がある。この一節は、文繁本系統の百二十 90

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回 本『 水 滸 伝 』 第 一 百 九 回「 王 慶 渡 江 被 捉 宋江の手下の李俊らが船子に成り済まして、大敗を喫して逃げ 落ちる淮西叛乱の首魁の王慶を生け捕りにする趣向に拠る。   話の前半部には僭偽の御衣を着て落ち延びる眉鱗王が、途中 に出会う僧と服を交換する場面が描かれている。 ① 従 者 じう し や 皆 云「 わ れ 〳〵 は 寄 手 の 加 勢 の さ ま に も て な し 行 べ き が、 い か に し て も 御 姿 の き ら ぎ 〳〵 と か く れ な く 見 へ 玉 ふ 難 な ん 儀 さ よ 」 と い ふ 。 ② 眉 鱗 王、 「 実 げ に も 隠 かくれ か ぬ る は 朕 ち ん が 身 な り。 潜 ひそみ た る い りやう 行 みゆき の 折 か ら な れ ば、 早 く 竜 衣 を 脱 だ つ せ ん と お ぼ せ ど も、 換 か へ て 参 ぞ ら す べ き 御 お ん 衣 な し。 宸 襟 しん き ん こ れ が 為 に 悩 なやむ 」 と い ふ 所 へ、 水 に 添 そ ひ た る げ 路 み ち を き た な げ な る 僧 そ う の 朝 あ さ 気 の 雨 を ご 簑 み の に ふ せ ぎ、 く び 鉦 しやう 子 頸 に か け て 里 に だ 頭 づ 陀 す る と 見 へ け る を や が て 取 と ゞ め 将 い て 参 り、 「 忝 も 是 こ そ 山 中 さん ち う の 君 に て わ た ら せ 玉 ふ。 你 が 衣 い 服 ふ く を 召 る ゝ 間、 錦 にしき の い か へ 御 ぎ よ 衣 に 換 て 参 ら せ よ 」( 略 ) ③ 扨 大 王 の 上 襲 下 襯 着 換 う は おそひ し た がさね つ け か へ ら る。   宋 江 剿 寇 成 功 」、 ① 当 有 王 慶 手 下 一 箇 有 智 量 近 侍 説 道「 大 王、 事 不 宜 遅。 請 大 王 速 卸 下 袍 服、 急 投 東 川 去、 恐 城 中 見 了 生 変。 」 ② 王 慶 道、 「 愛 卿 言 之 極 当。 」 ③ 王 慶 随 即 卸 下 沖 天 幞 転 角 金 頭 、 脱 下 日 月 雲 肩 蟒 下 金 顕 縫 雲 根 朝 靴、 換 了 巾 幘、 便服、軟皮靴。 繍 袍、 解 下 金 箱 宝 嵌 碧 玉 帯、 脱 下 に 御 ぎ よ し た る 白 綾 しら あ や の 袙 あこめ を 榛 染 はり そ め の ひ と へ な る に 召 か へ、 上 な る 僭 せ ん 偽 し ろ ぬ の あはせ ぎ の 日 月 袍 は 白 布 袷 の あ か づ き じ つ げ つ は う た る に か は り、 密 金 葉 し げ か な も の の き せ な し ゑ が を 五 ふ 倍 し か そ う 染 ぞ め の 僧 衣 の 然 も 破 や ぶ れ た る に 召 か へ 身 は か は れ ど も 猶 頭 ぎ き ん くわん せ ん かしら に 僭 偽 の 金 冠 た か く 戴 た る は ( 略 ) し 雪 帽 ゆき ぼ う 子 に い た ゞ き か へ 髪 を 帽 子 の 内 に 束 つ か ね 挙 あ げ て 鳥 頭 とり く び の 御 ぎ よ 剣 ゝ さ か ね け ん に か へ て 小 小 や か な る 鉦 を 取 て か け た る に 大 の ち 男 をのこ の 乳 の き わ みたらし に さ が り て ぶ ら め き 村 藤 むら ど う の 弓 を 禿 ち び た る 鐘 木 しゆ も く に 取 か へ た る 御 有 さ ま、 水 に 映 う つ し て 我 な が ら せ わ し き な か に も お か し く 随 したがふ も の ど も こ け 腹 痛 はら い た き 迄 に 笑 ひ 倒 た り( 略 ) ひとよざけ う る い へ ④ 此 あ い だ に 醴 売 家 さ へ も な し。 よ べ よ り う る は し く 物 め さ う へ ね ば い と い た う 飢 た り。 ⑤ 此 川 う ば を わ た ら ば 岸 の 鼻 の 嫗 が 店 に て べ た 〳〵 の か ち ん に て も め し て 参らせよ 。 傍 線 を 施 し た ① 近 習 が 皇 帝 の 袍 服 を 脱 ぐ こ と を 王 慶 に 薦 め る 其 余 侍 従 亦 都 脱 卸 外 面 衣 服。 急 急如喪家之狗、 忙忙如漏網之魚。 従 小 路 抄 過 雲 安 城 池、 望 東 川 投 逩 、 ④ 走 的 人 困 馬 乏、 腹 中 饑 餒。 百 姓 久 被 賊 人 傷 残、 又 聞 得 大 兵 厮 殺、 凡 衝 要 通 衢 大 路、 都 没 一 箇 人 烟、 静 悄 悄 地、 雞 犬 不 聞、 就 要 一 滴 水、 也 没 喝 処、 那 討 酒 食 来。 那 時 王 慶 手 下 親 倖 跟 随 的、 都 是 仮 登 東、 詐 撒 溺、 又 散 去 了 六 七 十 人。 王 慶 帯 領 三 十 余 騎、 走 至 晩、 纔 到 得 雲 安 属 下 開州地方、 ⑤ 有一派江水阻路。 (百二十回 本 回) 109

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点、②王慶が近習の意見を首肯する点、③王慶が袍服を着替え る 点、 ④ 王 慶 ら は お 腹 が 空 き、 酒 食 を 得 る 所 を 見 つ け な い 点 、 ⑤ 王 慶 ら が 江 の 辺 り に 着 く 点 と い う 五 つ の 要 素 が「 望 月 三 郎 」 に摂取される。また眉鱗王の「日月袍」と「金冠」の装束も王 幞 慶の「日月雲肩蟒繍袍」と「金 頭」に由来する。但し眉鱗王 が僧と服を交換することと従者達が眉鱗王の似つかわしくない 装 束 を 笑 う こ と は『 水 滸 伝 』 に な く、 別 の 典 拠 の 可 能 性 が あ る。   後半部では、眉鱗王が川を渡ろうと乗り込んだ船で、船子に 扮した兼舎に生け捕りにされる場面が描かれている。 せ う 〳 〵 し ① 招 々 た る 舟 し う 子 も 朝 ま だ き に 猶 な を ① 近 侍 高 叫 道、 「 兀 那 漁 人。 撑 いびき よ び お こ 船 の な か に 鼾 の 高 き を、 呼 起 し 攏 幾 隻 船 来、 渡 俺 們 過 了 江、 多 て「 船 仕 れ 」 と い ふ。 ② 舟 子 ふな び と 目 与 你 渡 銭。 」 ② 只 見 両 箇 漁 人 放 す り あくび の び ぐ ん を 摺 欠 伸 し つ ゝ 船 を よ せ、 軍 下 酒 碗、 揺 着 一 隻 小 漁 挺、 吚 吚 か ゞ 人 じ ん な る を 見 て 腰 こ し を 屈 め、 き た 啞 啞 揺 近 岸 来。 ( 略 ) ③ 那 漁 人 な き 僧 の 後 をくれ て の ら ん と す る を、 一手執着竹篙、 一手扶王慶上船、 「 次 つ ぎ の 便 船 びん せ ん を や る べ し。 見 ぐ る 便 把 篙 望 岸 上 只 一 点 、 那 船 早 離 し 」 と 叱 し か り と ゞ む。 ( 略 ) ③ 船 岸 丈 余。 ⑥ 那 些 随 従 賊 人、 在 岸 き し を 出 し 岸 に つ く 時、 五 人 の 兵 は 上 忙 乱 起 来、 斉 声 叫 道、 「 快 撑 あ が ふ な び と さ ほ ふた ゝ 早 く 上 る。 舟 子 竿 を 取 て 再 び 川 攏 船来。 咱 毎也要過江的。 」(略 ) へ 押 出 す 。 此 僧 い ぶ か り、 「 我 ④ 便放下竹篙、 将王慶劈胸 扭 住、 あ げ を い か に 上 ぬ ぞ 」 と す さ ま じ き 双 手 向 下 一 按 、 撲 通 的 按 倒 在 艎 さ ほ 目 を に ら み 出 す。 ④ 舟 子 棹 を す 板 上。 ⑤ 王 慶 待 要 掙 扎、 那 艄 上 を そ まなこ て ゝ 、「 扨 恐 ろ し き 眼 つ き か な 」 揺 櫓 的、 放 了 櫓、 跳 過 来 一 斉 擒 も ろ く む と つ と よ り て 双 手 に し か と 組 。 住。 ⑦ 那 辺 曬 網 船 上 人、 見 捉 了 ⑤ 僧も力を出し、 からがひしが、 王 慶、 都 跳 上 岸、 一 擁 上 前、 把 う へ あ し ふ み どころ さだま 船 の 上 足 の 踏 所 定 ら ず、 力 な 那 三 十 余 箇 随 従 賊 人、 一 箇 箇 都 し う し な わ く も 組 ふ せ ら れ た り。 舟 子 縄 を 擒 住。 ⑧ 原 来 這 撑 船 的、 是 混 江 か らめ 出 し て 綁 つ く る を、 ⑥ 岸 に あ が 龍 李 俊、 那 揺 櫓 的、 便 是 出 洞 り し 五 人、 船 を 見 て あ せ り さ け 蛟 童 威、 那 些 漁 人、 多 是 水 軍。 ほとり の う に ん ぶ。 ⑦ 辺 の 農 人 出 来 り て 五 人 の ( 略 ) 当 下 李 俊 審 問 従 人、 知 是 とりこ 兵を擒 にす。 ⑧ 是農人にあらず。 王 慶、 拍 手 大 笑、 綁 縛 到 雲 安 城 た う じ た う ざ ら 兼 舎 の 家 人 丹 二・ 丹 三 等 な り。 中。 一 面 差 人 喚 回 三 阮 同 二 張 守 い け ど り ひ か 舟 子 は 即 兼 舎 な り。 ⑨ 生 捕 を 牽 城、 ⑨ 李 俊 同 降 将 胡 俊、 将 王 慶 ぢ ん し よ せて兄の陣所にいたる。 等一行人、 解送到宋先鋒軍前来。 (百二十回 本 回) 傍線を施した①王慶らが漁師を呼びかけて渡河してくれと頼む 点、②漁師が船を王慶らの所へ漕ぐ点、③漁師が手下達を岸上 に残し、王慶一人を船に入れる点、④漁師が篙を放して両手で 王 慶 を 押 し つ け る 点、 ⑤ 王 慶 が 抵 抗 し よ う と も が く と こ ろ を、 漁 師 に 取 り 押 さ え ら れ る 点、 ⑥ 手 下 達 が 岸 上 で 慌 て て 叫 ぶ 点 、 ⑦ 網 を 乾 か す 漁 師 達 が 岸 へ 跳 び 上 が り、 手 下 達 を 捕 ま え る 点 、 ⑧篙を操る漁師が李俊で、櫓を操る漁師が童威で、その他の漁 師達が宋江の水軍達である点、⑨李俊らが王慶一行を宋江の陣 所 へ 護 送 す る 点 と い う 九 つ の 要 素 が「 望 月 三 郎 」 に 摂 取 さ れ る 。 109

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  両場面を比べると顕著な共通表現はないが、船子の「 竿 さ ほ を取 ふた ゝ も ろ く む からめ 綁 て再 び川へ押出す」 、「双手にしかと組」 、「 つくる」の三つの 動 作 を 描 く 表 現 は そ れ ぞ れ『 水 滸 伝 』 の「 便 把 篙 望 岸 上 只 一 綁 点、那船早離岸丈余」 、「双手向下一按」 、「 縛」に類似する。   梁山泊軍が淮西で叛乱を起こした王慶を討伐する話は文繁本 系統『水滸伝』の百回本と七十回本にはなく、百二十回本と文 簡 本 系 統『 水 滸 伝 』 に は 含 ま れ て い る。 ま た、 文 簡 本『 水 滸 伝』では王慶を生け捕ったのは李俊でなく、盧俊義である。そ の 場 面 は 簡 潔 に 描 か れ て お り、 「 望 月 三 郎 」 と 類 似 す る 趣 向 は な い。 即 ち、 『 繁 野 話 』 第 七 篇 を 創 作 す る 際 に、 庭 鐘 が 直 接 依 拠した『水滸伝』の版本は、文繁本系統の百二十回本と推定で きる。   以上をまとめると、庭鐘は『繁野話』第五篇と第七篇を執筆 する際に、それぞれ文繁本系統『水滸伝』の百回本と百二十回 本 を 利 用 し た。 ま た、 『 水 滸 伝 』 を 摂 取 し た 箇 所 で は、 『 水 滸 伝』と類似する表現が確認されることから、創作の際に『水滸 伝』を机上に置いて参照したと考えられる。 三   『莠句冊』と『水滸伝』   『 莠 句 冊 』 は、 白 話 小 説 の 素 材 を 日 本 の 伝 説 の 世 界 に 綯 い 交 おきな う ん じよう ぜることを基本的な創作方法とする。第九篇「 白 介 しら す け の翁運に乗 じ て 大 おほい に 発 跡 はつ せ き す る 話 こ と 」( 以 下「 白 介 の 翁 」) は『 三 国 伝 記 』( 室 町中期成立)巻五第三十話「信州更級郡白介翁事」 、『長谷寺観 音 験 記 』( 鎌 倉 中 期 成 立 ) 下 巻 第 一 話 な ど の 説 話 集 に 見 ら れ る 白介翁の長者譚を背景としているが (注 13)、利用した白話小説の 粉本は従来明らかではなかった。   「 白 介 の 翁 」 の 後 半 部 に は 白 介 の 家 僕 の 雲 蔵 と 領 家 の 力 士 が 相 撲 を 取 る 話 が 語 ら れ て い る。 こ の 話 は、 文 繁 本 系 統『 水 滸 伝 』 第 七 十 四 回「 燕 青 智 撲 擎 天 柱   李 逵 寿 張 喬 坐 衙 」、 燕 青 が 東獄廟で任原と相撲を取る趣向を、白介翁の長者譚にある相撲 を取る趣向に重ね合わせて作り上げられている 。 ぢやう じ つ み す し ろ け ん だ ん と う ざ い たむろ さ ん じ き ち う あ う □ A ① 定 日 に な れ ば 御 簾 代 引 た る 献 壇 の 東 西 に 屯 す。 桟 鋪 の 中 央 に す は くわん じやう やかた だ い に ん りやう ぐ ん じ あ   づ み こほり ま く 諏 訪 の 御 神 を 勧 請 し、 館 の 代 人、 両 郡 司、 安 曇 郡、 何 れ も 幕 を か ゝ の ぞ き せ ん 掲 げ て 臨 み 見 る。 ② 凡 一 国 の 貴 賎、 女 こ そ あ れ 来 り 見 ざ る は な と う ど り ぎやう じ だ ん の ぼ で う も く し。 ③ 部 署 の 行 司 す る も の 両 人、 壇 に 上 り 八 方 を 拝 し、 ④ 条 目 よ み しやう め ん こまぬ ど う ゑ ん こ ん ね ん す ま ふ た い を 読 を は り、 正 面 に 立 て 手 を 拱 き 同 音 に 申、 「 今 年 の 相 撲 は 大 か か け も の ほ つ き お く に は ん じやう ず ゐ て う そも〳〵 わ ざ じ ん だ い 家賭物の為に発起し、即御国繁昌の瑞兆なり。 抑 此業は神代よ し ふ ら い あ く い に ん じやう ほ ん ぜ ん て う ら ん り習 来し、勝んとして悪意なく、人 情 本然の戯れなり。朝覧の の み け り は や せ ち ゑ も ろ こ し くわい き ん へ う し や 始 は 野 見 蹴 速 の 後 に 節 会 と な る。 唐 土 に 其 会 を 錦 標 社 と 申 す。 つ ゝ し の べ だ ん ま さ つ が (略) 」と、謹 み叙て壇をくだり、 ⑤ やがて方に対はしむ。   な の り あ げ か け か た か ぼ く う ん ざ う だ ん □ B ⑥ 行 司 名 乗 を 揚 ん と す る 時、 東 の 賭 方 の 家 僕 雲 蔵 壇 に 上 り、 鉄 わ れ あ は や せ た ゞ 八 を 引 さ げ て「 我 合 ん 」 と い ふ。 ⑦ 痩 た る 素 の 男 な れ ば、 ⑧ 衆 だ い た ん も の に く だ ん し か 人「 大 胆 者 」 と 悪 む も あ り、 「 壇 を お り よ 」 と 叱 る も あ れ ど、 ひ く い ろ き は そ ん りやう ぐ ん じ 雲 蔵 引 色 見 え ず。 「 是 こ そ 究 め て 身 を 損 ず べ し 」 と、 ⑨ 両 郡 司 ひ か せ い よ り 白 介 に「 退 せ 候 へ 」 と 制 す れ ど も 下 ら ず。 ⑩ 行 司 見 て 此 人 す ま ふ の 耳 を見るに相撲せし人なり。

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て き な し み ぎ あ し あがり さ ぎやく は づ み を ど かこみ た ふ ちから ぞ ん □ C 敵 無 右 脚 踏 て 左 脚 発 含 躍 り て 套 を 出 て 倒 る。 ⑪ 其 力 あ る こ と 存 か う と ら ゆ う ゐ に し 孝 虎 を 打 の 雄 威 も か く や と 見 ゆ。 ( 略 ) ⑫ 西 の 虎 大 夫、 東 の せ い せ ん は わ う おの〳〵 よ る ゆ う た か、 い づ れ も 当 時 の 撰 を き は め た れ ば、 覇 王 各 山 に 頼 の 勇 だ ん た い あ り。 時 に 14 ま た 雲 蔵 壇 に 上 り、 虎 大 夫 に 対 せ ん と す ゝ む。 ⑬ 行 い ら ち いのち よ の つ ね て き し ゆ つ ま 司 焦 燥 て「 か ゝ る 命 し ら ず や あ る。 是 尋 常 の 敵 手 と 思 ふ か。 撮 く だ すみやか だ ん め い ま れ て 砕 け ぬ べ し。 速 に 壇 を 下 り 命 を つ ぎ 候 へ 」 と 叱 る。 云、 しよう れ う け 「 是 大 事 の 勝 負 な れ ば 人 に は 合 せ じ 」 と 立 去 ら ず。 ( 略 ) 領 家 よ しよう れ つ や く た ち あ ひ す で ゑ い り も 望 な れ ば、 是 を 三 番 の 勝 劣 と 約 し 立 合 て、 ⑭ 行 司 已 に 翳 を ひ き ちから ご ゑ さ け は な 撁 て 力 声 を 叫 び、 前 後 左 右 を 廻 り て 目 を 放 さ ず。 藤 こ ぶ 先 に 雲 て あ ひ た ふ こ が ら 蔵 が 手 格 を 知 り て 只 取 と め て 倒 さ ん と す る に、 ⑮ 雲 蔵 小 材 に 身 いなづま か た は 只 電 の 如 く、 右 に 去 り 左 に う つ る。 ⑯ 藤 こ ぶ 心 え て 身 を 固 め ぶ さ せ い き て 動 か ず。 ( 略 ) し ば し 見 る 内、 ⑰ 雲 蔵 精 気 を 張 て 力 ご ゑ を 出 う ん ひ と こ ゑ た け の び い つ し ん し、 「 云 」 と 一 声 す れ ば、 其 長 忽 ち 伸 る こ と 一 尺 ば か り。 一 身 に く む ら だ ち た か ひ く こ ん が う あ れ か く か ら は ら の 肉 憤 起 て 乞 答 を な し、 金 剛 の 暴 た る も 斯 や と、 ⑱ 紐 む 手 を 払 つき は ね めくるめ ふ み な ほ ひ 去 り、 一 ト に 撥 ら れ、 藤 こ ぶ 眩 き て 踏 直 さ ん と す る 所 を、 て い へ い た ゝ へた す く ほめる こ ゑ 頂 平 叩 か れ て し り ゐ に り 縮 む。 ⑲ 是 を 見 て 百 千 万 人 喝 采 大 に う ご わ き す ま ふ さ ん 動 き湧て、相撲は散じけり 。 傍線を施した十九箇所は、何れも『水滸伝』第七十四回から の 摂取である ( 注 ) 。 Ⓐ 宋 江 説 道、 「 賢 弟、 聞 知 那 人 身 長 一 丈、 貌 若 金 剛、 約 有 千 百 斤 気 力。 你 這 般 ⑦ 痩 小 身 材、 総 有 本 事、 怎 地 近 傍 得 他。 」 燕 青 道、 「不怕他長大身材、只恐他不着圏套(略) 」。 Ⓑ 燕 青 閃 入 客 店 裏 去、 看 見 任 原 坐 在 亭 心 上、 真 乃 有 掲 諦 儀 容、 金 剛 貌 相。 ⑪ 坦 開 胸 脯、 顕 存 孝 打 虎 之 威。 ⑫ 側 坐 胡 床、 有 覇 王 抜 山之勢 。 Ⓒ ② 那 日 焼 香 的 人、 真 乃 亜 肩 畳 背、 偌 大 一 箇 東 嶽 廟、 一 湧 便 満 了、 屋 脊 梁 上 都 是 看 的 人。 ① 朝 着 嘉 寧 殿、 扎 縛 起 山 棚、 棚 上 都 是 金 銀 器 皿、 錦 繍 段 疋。 ( 略 ) ③ 一 箇 年 老 的 部 署、 拿 着 竹 批、 上 得 献 台、参神已罷、 ⑤ 便請今年相撲的対手出馬争交 。 Ⓓ ⑥ 燕 青 捺 着 両 辺 人 的 肩 臂、 口 中 叫 道、 「 有、 有。 」 従 人 背 上 直 飛 搶 到 献 台 上 来。 ⑧ 衆 人 斉 発 声 喊。 ( 略 ) ⑬ 那 部 署 道、 「 漢 子、 性 命 只 在 眼 前、 你 省 得 麽 。 你 有 保 人 也 無。 」( 略 ) 殿 門 外 月 台 上 ⑨ 本 州 太 守 坐 在 那 裏 弾 圧、 前 後 皂 衣 公 吏、 環 列 七 八 十 対、 随 即 使 人 来 叫 燕 青 下 献 台、 来 到 面 前。 ⑩ 太 守 見 了 他 這 身 花 繍 、 一 似 玉 亭 柱 上 鋪 着 軟 翠、 心 中 大 喜。 ( 略 ) 燕 青 道、 「 死 而 無 怨。 」 再 上 献 台 来、 要 与 任 原 定 対。 ④ 部 署 問 他 先 要 了 文 書、 懐 中 取 出 相 撲 社条 、読了一遍。   Ⓔ ⑭ 部 署 拿 着 竹 批 、 両 辺 分 付 已 了。 叫 声「 看 撲。 」 這 箇 相 撲、 一 来 一 往、 最 要 説 得 分 明。 ⑮ 説 時 遅 那 時 疾、 正 如 空 中 星 移 電 掣 相 似、 些 児 遅 慢 不 得。 当 時 燕 青 做 一 塊 児 蹲 在 右 辺、 任 原 先 在 左 辺 立 箇 門 戸、 ⑯ 燕 青 只 不 動 撣 。( 略 ) 燕 青 却 搶 将 入 去、 用 右 手 紐 住 任 原、 探 左 手 挿 入 任 原 交 襠、 用 肩 胛 頂 住 他 胸 脯、 把 任 原 直 托 将 起 来、 頭 重 脚 軽、 借 力 便 旋 四 五 旋、 旋 到 献 台 辺、 ⑰ 叫 一 声「 下 去。 」 ⑱ 把 任 原 頭 在 下、 脚 在 上、 直 攛 下 献 台 来。 這 一 撲 名 喚 做 鵓 鴿旋。 ⑲ 数万香官看了、斉声喝采。       (百二十回本 74回 ) 「白介の翁」と類似する所は、次の十九点にまとめられる。

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①相撲見物の飾り棚(桟敷)の様子が描かれる。 ( Ⓒ ) ②大勢の人が当日の相撲を見物に訪れる。 ( Ⓒ ) ③一人の部署(行司)が献台(奉納舞台)の上に登る。 ( Ⓒ ) ④部署が懐から相撲の規則書を取り出して読む。 ( Ⓓ ) ⑤部署が力士たちの対戦を促す。 ( Ⓒ ) ⑥燕青が献台に登って任原と対戦しようと申し出る。 ( Ⓓ ) ⑦燕青は体が痩せていて小さい。 ( Ⓐ ) ⑧燕青の申し出を聞いた後、衆人が一斉に喊声を発する。 ( Ⓓ ) ⑨太守が部下を遣わして燕青を献台から降ろさせる。 ( Ⓓ ) ⑩太守は燕青の花繍(入れ墨)を見ると大いに喜ぶ。 ( Ⓓ ) ⑪ 任 原 の 胸 を 開 け る と 存 孝 の 虎 を 打 つ よ う な 雄 々 し さ が 現 れ る。 ( Ⓑ ) ⑫任原が胡床に座ると覇王の山を抜く程の勢いが現れる。 ( Ⓑ ) ⑬部署は任原と相撲を取ると命が危ないと燕青に言う。 ( Ⓓ ) ⑭部署が竹批を持って「始め」と掛け声を発する。 ( Ⓔ ) ⑮燕青と任原が稲妻の如く迅速に取り組む。 ( Ⓔ ) ⑯燕青は立ったまま動かない。 ( Ⓔ ) ⑰燕青が「下りよ」と一声を発する。 ( Ⓔ ) ⑱燕青が任原を献台から投げ落とす。 ( Ⓔ ) ⑲数万人の参詣人たちが一斉に喝采する。 ( Ⓔ ) 「 白 介 の 翁 」 に 見 え る「 献 壇 」、 相 撲「 条 目 」、 行 司 の 持 つ 「 翳 」、 雲 蔵 の「 耳 」 は そ れ ぞ れ、 『 水 滸 伝 』 の「 献 台 」、 相 撲 「 社 条 」、 部 署 の 持 つ「 竹 批 」、 燕 青 の「 花 繍 」 に 対 応 し て 設 定 される。   また、雲蔵の人物像は燕青に基づいて造型されている。その 名 前 の 設 定 も 燕 青 と 関 わ る。 『 水 滸 伝 』 第 一 百 十 六 回「 盧 俊 義 分兵歙州道   宋公明大戦烏龍嶺」には、 次後、 方臘見柴進署事公平、 尽心喜愛、 却令左丞相婁敏中做媒、 把 金 芝 公 主、 招 贅 柴 進 為 駙 馬、 封 官 主 爵 都 尉。 燕 青 改 名 雲 壁、 人都称為雲奉尉。         (百二十回 本 回) とある。柴進と燕青が主従に扮して方臘の本拠に潜入してほど なく、柴進は方臘の信頼を得てその娘婿になり主爵都尉に封ぜ られ、燕青は柴進の昇進をきっかけに雲壁に改名する。雲蔵の 名 前 に あ る「 雲 」 と い う 字 は 燕 青 の 改 名 の 雲 壁 か ら 取 っ て い る。なお、主人に忠誠を尽くす点においても、雲蔵と燕青は共 通する。   そ し て、 「 白 介 の 翁 」 に 見 え る「 錦 標 社 」 と は、 相 撲 の 場 の ことで、燕青が『水滸伝』で初めて登場する第六十一回「呉用 智賺玉麒麟   張順夜閙金沙渡」に使われている。 這 人 是 北 京 土 居 人 氏、 自 小 父 母 双 亡、 盧 員 外 家 中 養 的 他 大。 為 見 他 一 身 雪 練 也 似 白 肉、 盧 俊 義 叫 一 箇 高 手 匠 人 与 他 刺 了 這 一 身 遍 体 花 繍、 却 似 玉 亭 柱 上 鋪 着 軟 翠。 若 賽 錦 体、 由 你 是 誰、 都 輸 与 他。 不 則 一 身 好 花 繍、 更 兼 吹 的、 弾 的、 唱 的、 舞 的、 拆 白 道 字、 頂 真 続 麻、 無 有 不 能、 無 有 不 会。 亦 是 説 的 諸 路 郷 談、 省 的 諸 行 百 芸 的 市 語。 更 且 一 身 本 事、 無 人 比 的。 拿 着 一 張 川 弩、 只 用 三 枝 短 箭、 郊 外 落 生、 並 不 放 空、 箭 到 物 落、 晩 間 入 城、 少 殺 116

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也 有 百 十 箇 虫 蟻。 若 賽 錦 標 社、 那 裏 利 物 管 取 都 是 他 的。 亦 且 此 人百伶百俐、 道頭知尾。本身姓燕、 排行第一、 官名単諱箇青字、 北京城裏人口順、都叫他做浪子燕青。      (百二十回 本 回) 「錦標社」の用例は、 『水滸伝』にこの一例があるのみである。   これらにより、庭鐘は『水滸伝』に書かれた燕青のことを意 識して『莠句冊』第九篇の後半部を創作したことがわかる。上 掲の引用文によれば、燕青は音楽や舞踊の芸事、各地の方言や 諸 行 百 芸 の 隠 語 に 精 通 し、 弓 の 腕 と 相 撲 の 技 に も 優 れ て い る。 燕 青 は『 水 滸 伝 』 の 中 で 最 も 魅 力 的 な 人 物 と し て 描 か れ て お り、多芸多才の持ち主であるだけでなく、主人の盧俊義に忠誠 を尽くす情義に厚い忠僕で、方臘討伐後に盧俊義に栄誉を棄て て隠棲するよう諫言する賢明な人物でもある。庭鐘は燕青の人 物造型にひときわ共感し、自作に利用したと考えられる ( 注 ) 。 四   『通俗医王耆婆伝』 『義経磐石伝』と『水滸伝』 15 61   『 耆 婆 伝 』 は、 全 十 回、 後 漢 の 安 世 高 訳『 仏 説 柰 女 耆 婆 経 』 (以 下『耆婆経』 )を粉本とした作品である。全体の構成は『 耆 婆経』に基づくが、第一 ・ 五回は『金瓶梅』に、第六 ・ 七回は 明 代の長編白話小説『禅真逸史』 『禅真後史』に趣向を取る (注 16)   さ ら に、 『 水 滸 伝 』 の 趣 向 が『 耆 婆 伝 』 の 二 箇 所 に 用 い ら れ ている。第六回の波斯爽が耆婆を追いかける趣向は、 『水滸伝 』 鄆 第 四 十 二 回「 還 道 村 受 三 巻 天 書   宋 公 明 遇 九 天 玄 女 」、 城 県 の趙都頭らが宋江を追いかける趣向と似通う。 ヨ モ ス ガ ラ モヤウ ヒトツ サ ン カ ウ 通 宵 路 ヲ 催 シ 一 ノ 山 崗 ヲ 過 ル ① 只 聴 得 背 後 有 人 発 喊 起 来。 宋 ウ シ ロ ノカタ シ ン セ イ ツ イ ヲ コ 時。 ① 只 聴 後 辺 喊 声 次 デ 起 リ。 江 回 頭 聴 時、 只 隔 一 二 里 路 、 シ ウ カ ウ コ ノ ヤ ツ トリニガス 衆 口 ニ 云 這 斯 ヲ 脱 コ ト ナ カ レ ③ 看 見 一 簇 火 把 照 亮、 只 聴 得 叫 タ イ マ ツ ハ ク ジ ツ ト。 ② 火把白日ノ如ク来リ追フ 。 道、 「 宋 江 休 走。 」( 略 ) 已 把 住 コ ヘ 〳 〵 ク チ 〴 〵 クハウ コ ン ニ グ ③ 声々口々耆婆 光 棍逃ルコトナ 了路口、 ② 火把照曜、 如同白日。 カレト 。 (百二十回 本 回 )   第 九 回 の 洛 護 波 羅 那 が 耆 婆 の 前 へ 駆 け る 趣 向 は、 『 水 滸 伝 』 第 五 十 七 回「 徐 寧 教 使 鈎 鎌 鎗   宋 江 大 破 連 環 馬 」、 孔 亮 が 敗 軍 を率いて落ち延びる途中、武松に出会う趣向と似通う。 イソギ ヤ マ フモト ス グ ① 耆 婆 ハ 急 テ 山 ノ 嘴 ヲ 過 ル 処 ① 孔 亮 引 領 敗 残 人 馬、 正 行 之 ゼ ン ヘ ン イ ツ タ イ ニ ン ジ ユ コト〴〵ク ミ ニ。 前 辺 一 隊 ノ 人 数。 悉 皆 身 間、 猛 可 裏 樹 林 中 撞 出 一 彪 軍 ハダグソク ヒ ラ ミヲカタメキビ シ バ ジヤウ ニ軟戦ヲ披キ結束緊ク。 ② 馬 上 馬、 ② 当 先 一 筹 好 漢。 怎 生 打 扮 ブ ニ ン アタツ ノ 武 人 先 ニ 当 テ 来 ル。 耆 婆 心 ( 略 )。 ③ 孔 亮 見 了 是 武 松、 慌 忙 ウタガヒ ス ヽ ヱ 疑 テ進ミ得ズ。 ③ 近ク来テ耆婆 滾鞍下馬、 便拜道、 「壮士無恙。 」  ノリハナ シ (百二十回 本 回) ヲ 見 テ 馬 ヲ 滾 下 来 リ。 地 上 ニ 拜 ツ ヽ ガ シテ云。幸ニ医王恙 ナシ 。   『 義 経 磐 石 伝 』( 文 化 三 年〈 一 八 〇 六 〉 刊、 以 下『 磐 石 伝 』) は、 全 十 八 回 よ り 成 り、 『 義 経 記 』『 平 家 物 語 』『 源 平 盛 衰 記 』 『 平 治 物 語 』『 保 元 物 語 』『 東 鑑 』 を 基 礎 と し、 源 義 経 の 一 生 を 描 い た 歴 史 小 説 で あ る。 第 六 回 は『 金 瓶 梅 』 に、 第 十 五 回 は 『拍案驚奇』に趣向を取る (注 17)   『 磐 石 伝 』 に も『 水 滸 伝 』 を 利 用 し た 箇 所 が 一 つ あ る。 そ の 第 十 五 回、 義 経 が 八 陣 図 石 を 語 る 趣 向 は『 水 滸 伝 』 第 六 十 回 57 42

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芒 碭 「公孫勝 山降魔   晁天王曽頭市中箭」 、公孫勝が宋江に八陣 図の陣法を語る趣向と第八十七回「宋公明大戦幽州   呼延灼力 擒 番 将 」、 顔 延 寿 が 八 陣 図 の 陣 法 で 宋 江 軍 と 戦 う 趣 向 に 由 来 す る。 『水滸伝』の八陣図の陣法が細部の一素材として『磐石伝』 に取り込まれている。 あ る ひ ひがし 一 日 東 の 壺 に 伺 候 し け る に、 御 兀 顔 小 将 軍 再 入 陣 中、 下 馬 上 将 け い う ゑ わたし 壺 の 景 に 植 た る 虎 の 子 済 と い ふ 台、 号 旗 招 展、 左 右 盤 旋、 変 成 は ち ぢ ん づ せ き 三 石 に 付 て、 ① 八 陣 図 石 の 事 御 箇 陣 勢、 四 辺 都 無 門 路、 内 藏 しよく 尋 仰 下 さ る。 義 経 申 す、 「 ② 蜀 八 八 六 十 四 隊 兵 馬。 朱 武 再 上 し よ か つ ぎ こ く ち う き う じ ん の 諸 葛 魏 の 国 中 に 入 て 久 陣 す 雲 梯 看 了、 対 呉 用 説 道、 此 乃 是 く ば る 時、 二 十 万 の 大 軍 を 配 り て 、 ① 武 侯 八 陣 図、 蔵 了 首 尾、 人 皆 ぐ う おの〳〵 さ つ ③ 四 方 四 隅 の 八 陣 各 三 札 あ り 不暁。 せ む (百二十回 本 回) ば 其 三 陣 に て 是 に 当 る。 内 に て 二 十 四 陣 な り。 敵 一 方 を 責 れ 公 孫 勝 対 宋 江、 呉 用 献 出 那 箇 さ つ い れ かはり 二 十 四 札 あ り。 昼 夜 内 外 更 代 し 陣 図、 更 是 漢 末 三 分、 ② 諸 葛 孔 や う そ く ち う か た おの〳〵 て 養 息 す。 中 の 堅 め 八 陣 各 二 明 擺 石 為 陣 的 法。 ③ 四 面 八 87 方、 60 す べ た ゞ 札 、 ④ 都 て 八 八 六 十 四 陣 、 ⑤ 中 ④ 分 八 八 六 十 四 隊、 ⑤ 中 間 大 将 な か す ゐ ふ し き 心 の 帥 府 よ り 八 方 へ 末 広 く 布 居 之。 其 像 四 頭 八 尾、 左 旋 右 ゑ ん き ん き ん と う は つ か く ぎ の おもて て、 遠 近 均 等 に 八 格 戯 局 面 の 如 転、 按 天 地 風 雲 之 機、 龍 虎 鳥 蛇 くなり 。 之状。 (百二十回 本 回)   こ こ で 庭 鐘 読 本 と『 水 滸 伝 』 と の 関   係 を   整   理 し て み る と、 『英草紙』第七篇、 『繁野話』第五 ・ 七篇、 『莠句冊』第三 ・ 九篇、 『 耆 婆 伝 』 第 六 ・ 九 回、 『 磐 石 伝 』 第 十 五 回 は『 水 滸 伝 』 の 趣 向 を 利 用 し て い る。 即 ち、 『 水 滸 伝 』 は 庭 鐘 の 全 て の 読 本 作 品 に 姿を見せたのである。逆に『水滸伝』の側から見れば、その第 五 ・ 十 一 ・ 三 十 四 ・ 四 十 二 ・ 五 十 七 ・ 六 十 ・ 六 十 一 ・ 七 十 四 ・ 八 十 七・ 九 十 ・ 一 百 九 ・ 一 百 十 六 回 の 趣 向 は 庭 鐘 読 本 に 用 い ら れ て い る。 取材範囲が広いことと素材が不自然なく作中に取り込まれるこ と は、 庭 鐘 の『 水 滸 伝 』 へ の 精 通 の 深 さ を 物 語 る。 『 水 滸 伝 』 は庭鐘の各作において主典拠とし て使われないまでも、その趣 向は副次的な素材として作中に屡々取り上げられている。また 登場人物の人間像も庭鐘読本に影響を与えている。 五   庭鐘読本における『水滸伝』語彙・表現の利用   前 述 の 如 く、 庭 鐘 は『 水 滸 伝 』 の 語 彙 の 出 典 や 意 味 を 考 察 し、 意 識 的 に『 耆 婆 伝 』 に 用 い た。 『 耆 婆 伝 』 に 使 わ れ る 白 話 語彙・表現のほとんどは『水滸伝』に見られる (注 18)。『耆婆伝 』 以外の庭鐘読本の白話語彙の出拠を見ると、やや特殊な白話 表 現 を 含 む 例 の 大 部 分 も『 水 滸 伝 』 と 重 な る こ と に 気 付 く。 そ の 中 か ら、 代 表 的 な 二 十 例 を 挙 げ て 検 討 す る ( 作 品 名 略 称 と 回 数 を 示 す ) 。 白 話 語 彙 の 用 例 を 捜 索 す る 際 に 開 放 文 学 デ ー タ ベ ー ス を 利用した 。 て つ き ①圧 手 (英 6) ―圧手 (水滸 62) 注 ) の ぞ へ ん か ふ と ゞ め ② 天 兵 一 た び 臨 ん で、 片 甲 も 留 ざ る ( 繁 4) ― 天 兵 一 至 ( 水 滸 75) 片甲不留 (水滸 99) か く へ き そ う じ ん に ③隔壁一層人耳多し (繁 4) ―隔墻須有耳 (水滸 16) 19

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く わ じ ん じやう ④化人場 (繁 6) ―化人場 (水 滸 )      ちやう さ ん せ ん し 24 ⑤ 趙 三銭四 (繁 6) ―張三李四 (水滸 7) し ぼ は う ⑥子母炮 (繁 7) ―子母砲 (水 滸 )       あいづのや ⑦ 号 な が 箭 た 7 さ ん 16 ぐは ― ひ 17 しやく 箭 ( り 水 や う や ) 104 17 とらのかはのいす 44 ⑧ 虎 椅 (繁 7) ―虎皮交椅 (水 滸 ) ⑨かしこに三瓦こ ゝ に両舎 (繁 8) ―三瓦両舎 (水滸 2) うすくよそひかるくぬり ⑩ 淡 粧 軽 抹 (莠 3) ―淡粧軽抹 (水滸 45) あきつむし て ん 11 ⑪蜻蛉の水に点ずる (莠 3) ― 16 蜻 18 蜓点水 55 26 (水 滸 ) し へ い ⑫斯併 (莠 6) ―厮併 (水滸 6) ⑬ 馬 蹄 刀 を も て 瓢 酌 の 裏 に 切 る ( 莠 9) ― 馬 蹄 刀 木 杓 裏 切 菜 ( 水 滸 ) 41 は り を ど い と は し ⑭針躍り糸走る (莠 9) ―飛針走線 (水 滸 ) 102 16 す る り と ⑮一流煙 (磐石伝 8) ―一溜煙 (水 滸 )    むしろ 33 氊 ⑯針の筵 に坐する如く (磐石 伝 ) ―如坐針 (水 滸 ) せ ん に ち こ う ひやく に ち こ う ⑰ 花 に 千 日 紅 あ れ ど 人 に 百 日 好 な し ( 磐 石 伝 ) ― 人 無 千 日 好 花 無百日紅 (水 滸 ) ひ は ぎ ⑱剪径 (磐石 伝 ) ―剪逕 (水滸 6) け い き う ひ ば ⑲軽裘肥馬 (磐石 伝 ) ―軽裘肥馬 (水滸 85)   い つ しやう ば ん こ つ かる ゝ ⑳一 将 功成りて万骨枯 (磐石 伝 ) ―一将功成万骨枯 (水滸 97) 右二十例は何れも該当する作品の主典拠になく、庭鐘自ら附加 したものである。⑩⑬の例は『水滸伝』特有の表現で、その他 の十八例はそれぞれ『水滸伝』以外の白話小説にも見られるも の の、 十 八 例 が 全 て 使 わ れ る 白 話 小 説 は『 水 滸 伝 』 の み で あ る。また、主典拠にない普通の白話語彙も『水滸伝』と多く重 なる。   庭鐘の習作時代に『水滸伝』が大流行し、岡白駒『水滸伝訳 解 』( 写 本、 享 保 十 二 年〈 一 七 二 七 〉 跋 ) や 陶 山 南 涛『 忠 義 水 滸 伝 解 』( 宝 暦 七 年〈 一 七 五 七 〉 刊 ) の よ う に『 水 滸 伝 』 の 講 義 録 や 辞 書 ま で も 世 に 出 た。 『 水 滸 伝 』 に 対 す る 精 通 の 深 さ か ら、 庭 鐘 は『 水 滸 伝 』 を 通 し て 唐 話 を 学 び、 手 製 の『 水 滸 伝 』 単語集を作成していたことが推測される。その結果、 『水滸伝』 の語彙・表現は、庭鐘読本の所々に散見されることとなったと 思われる。創作にあたって、庭鐘は『水滸伝』の語彙・表現を 作品に活用したと考えられる。 おわりに   以 上 を 要 す る に、 庭 鐘 読 本 の 根 底 に は『 水 滸 伝 』 が あ る。 『 水 滸 伝 』 は 庭 鐘 の 最 も よ く 利 用 す る 取 材 源 で、 そ の 読 本 創 作 において重要な役割を果たした 。   従 来、 北 壺 游 の 読 本『 湘 中 八 雄 伝 』( 明 和 五 年〈 一 七 六 八 〉 刊 ) が『 水 滸 伝 』 翻 案 小 説 の 嚆 矢 と さ れ て き た。 そ れ に 対 し て、高島俊男「 『水滸伝』影響下の江戸の小説 (注 20)」は 、 (『 湘 中 八 雄 伝 』 は )『 水 滸 伝 』 と は 世 界 が ち が う し、 ス ト ー リ ー も 似 た と こ ろ は な い。 ( 中 略 ) 部 分 的 に は『 水 滸 伝 』 に ヒ ン ト を 得 た と 思 わ れ る 個 所 が い く つ か あ る。 ( 中 略)せいぜい「作者が『水滸伝』を読んでいると認められ

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る最初の作品」であるにすぎない。 4 3 2 と 異 な る 見 解 を 述 べ る。 ま た、 建 部 綾 足『 本 朝 水 滸 伝 』( 前 編 安 永 十 年〈 一 七 八 一 〉 刊 ) や 山 東 京 伝『 忠 臣 水 滸 伝 』( 前 編 寛 政 十 一 年〈 一 七 九 九 〉 刊・ 後 編 享 和 元 年〈 一 八 〇 一 〉 刊 )、 曲 亭 馬 琴『 南 総 里 見 八 犬 伝 』( 文 化 十 一 年〈 一 八 一 四 〉 ― 天 保 十三年〈一八四二〉刊)なども同様で、何れも『水滸伝』の話 を「部品」としてのみ用いていると指摘する。そして、それら の小説家及び岡島冠山・岡白駒・陶山南涛ら唐話学者より突出 78 して、研究と創作の両面から『水滸伝』に接したのは馬琴だけ であると結論する。   し か し、 『 湘 中 八 雄 伝 』 に 先 立 ち、 庭 鐘 の『 英 草 紙 』『 耆 婆 伝 』『 繁 野 話 』 が 既 に『 水 滸 伝 』 の 趣 向 を 利 用 し て い た。 庭 鐘 は研究の姿勢で『水滸伝』と向き合い、その素材の出典や語彙 の意味、諸本の異同にまで考察を加えた。さらに『水滸伝』の 語 彙・ 表 現 を 創 作 に 活 用 し た。 即 ち、 初 め て 本 格 的 に『 水 滸 伝』研究に取り組み、その 成果を作品に示したのは庭鐘であっ た。 注 1   『中村幸彦著述集』第七巻(中央公論社、一九八四) 。     庭鐘自筆読書抄記。 天理大学附属天理図書館蔵。 全十四冊、 第一冊欠。     庭鐘中編読本。各回の末尾に難解語彙の釈義が付される。     新編日本古典文学全 集 『英草紙』第七篇の解説による。     新日本古典文学大 系 『繁野話』第七篇の注釈による。     徳 田 武「 庭 鐘 と『 西 湖 佳 話 』『 聊 斎 志 異 』 ―『 莠 句 冊 』 第 三篇覚 書 ―」 (『日本近世小説と中国小説』所収、 青裳堂書店、 一九八七)による。     高島俊男『水滸伝の世界』 (大修館書店、一九八七) 。     中村綾『 日本 近世 白話小説受容の研究』 (汲古書院、二〇一一) 。     新日本古典文学大 系 『繁野話』第五篇の解説による。     引 用 は、 文 繁 本 系 統 百 回 本 の 容 与 堂 本『 李 卓 吾 先 生 批 評 忠 義水滸伝』 (『古本小説集成』所収、 上海古籍出版社)による。     底 本 は 以 下 の 通 り。 四 知 館 本『 鍾 伯 敬 先 生 批 評 水 滸 伝 』 は 神 山 潤 次 蔵 本( 『 古 本 小 説 集 成 』 所 収 )。 芥 子 園 本『 李 卓 吾 先 生 批 点 忠 義 水 滸 伝 』 は 国 会 図 書 館 蔵 本。 無 窮 会 本『 全 像 忠 義 水 滸 伝 』 は 無 窮 会 図 書 館 蔵 本。 百 二 十 回 本『 出 像 評 点 忠 義 水 滸全書』は京都大学附属図書館蔵本(郁郁堂本) 。     新日本古典文学大 系 『繁野話』第七篇の解説による。     木越治 「『莠句冊』 第九話をめぐって」 (『近世文学論輯』 所収 、 和泉書院、一九九三)による 。     文 繁 本 百 二 十 回 本 と 百 回 本 は『 莠 句 冊 』 が『 水 滸 伝 』 を 利 用 し た 箇 所 に ほ と ん ど 表 現 の 異 同 が な い。 引 用 は 百 二 十 回 本 12 15 (京都大学附属図書館蔵本) 14 13 11 10 9 8 7 6 5 による。以下、 『磐石伝』 『耆婆伝 』 が『水滸伝』を利用した箇所の引用は同様である 。 け く も り こ り あらは     『 磐 石 伝 』 第 十 五 回 に「 却 に よ し 盛 は 古 里 に 顔 を 露 す こ と たくみ さ け い つ し ゆ せ ふ ち あ た は ず、 巧 に 世 を 避 て 判 官 の 為 に す。 是 ま た 一 種 の 捷 智 の 80 80 80

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ひ し し か ん あ た し じ う ね ん 人 な り。 稗 史 氏 曰、 漢 の 張 良 は、 韓 の 仇 の 為 に し て 始 終 を 念 ち ん ぺ い じ へ ん したが 20 19 18 17 16 92 とせ ず、 陳 平 は 身 を 保 つ を 専 と し て 時 変 に 随 ふ。 し か れ ど も と も お ひ き ち つ く げ き し よ ら う し ゑ ん せ い こ ゝ と く よ し 倶 に 身 に 負 て 機 智 を 尽 せ り。 劇 書 に 浪 子 燕 青 あ り。 此 に 説 能 80 も り せ ふ ち 盛の捷智の類なるべし」とある。     拙稿 「都賀庭鐘 『通俗医王耆婆伝』 典拠考」 (『国語と国文学 』 巻 3号、東京大学国語国文学会、二〇一五)による。 86     論 者 博 士 論 文『 都 賀 庭 鐘 に お け る 漢 籍 受 容 の 研 究 ― 初 期 読 1 本の成 立 ―』第四章「 『義経磐石伝』典拠考」による。     『 耆 婆 伝 』 語 彙・ 表 現 と『 水 滸 伝 』 と の 関 係 に つ い て は、 拙稿 「都賀庭鐘の白話運 用 ― 『通俗医王耆婆伝』 を中心 に ―」 78 (『 国 語 国 文 』 第 巻 第 号、 京 都 大 学 文 学 部 国 語 学 国 文 学 研 究室、二〇一七)に指摘した。     『水滸伝』語彙の用例の引用は文繁本百二十回本による。     高島俊男『水滸伝と日本人』 (大修館書店、一九九一) 。 【依拠底本】   『 英 草 紙 』 は 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 。『 繁 野 話 』 は 新 日 本 古 典 文学大 系 。『莠句冊』 は 『都賀庭鐘 ・ 伊丹椿園』 (国書刊行会) 。『耆 婆伝』 は刈谷市中央図書館村上文庫蔵本。 『磐石伝』 は八戸市立図 書館蔵本。適宜、 旧漢字を新漢字に改め、 句読点を補った。なお、 引用箇所の傍線等は論者による。 〔付記〕   本 稿 は 東 海 近 世 文 学 会 平 成 二 十 八 年 度 六 月 例 会( 於 熱 田 神 宮 文 化 殿 ) の 口 頭 発 表 を も と に 作 成 し た も の で す。 発 表 の 際 に 御 教 示 を 賜 り ま し た 先 生 方 に 深 謝 申 し 上 げ ま す。 な お、 本 稿 は 平 成 二十八年度笹川科学研究助成による成果の一部です。 (りゅう   ふぇいふぇい/名古屋大学・博士研究員)

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