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An Introductory Research on the Long-term Mentorship : The Role and Influence of Mentor on Top Management in Japan

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(1)

長 期 密 着 型 メ ンタ ー に 関 す る序 説 的 研 究

一 日本 の経営者 にとってのメ ンターの役 割 と影響一

1.問 題 意 識 近 年 、 キ ャ リ ア 形 成 上 の 指 導 者 ・支 援 者 で あ る メ ン タ ー(mentor)に 注 目 が 集 ま っ て い る1。 と りわ け トッ プ 経 営 者 層 ま で 登 りつ め た 人 物 の キ ャ リア を み る と き に 、 そ うい っ た メ ン タ ー の 役 割 は 重 要 な 意 味 合 い を 帯 び て く る。 な ぜ な ら、 経 営 者 の ス キ ル に は 、 幅 広 い 能 力 が 必 要 と さ れ 、 そ れ ら を独 力 で 身 に つ け る こ と は 不 可 能 だ か らで あ る 。 例 え ば 、 日本 の 経 営 者 の メ ン タ ー を み て み る と、 チ ャ ン ス や 窮 地 に 陥 っ た 際 、 ま た 何 ら か の 転 機 や 節 目 に お い て 、 必 ず とい っ て 良 い ほ ど メ ン タ ー の 存 在 を 確 認 で き る 。 こ うい っ た 場 合 、 あ る 一 定 期 間 、 メ ン タ ー は 経 営 者 に 対 して 様 々 な 影 響 を 与 え て い る 。 と こ ろ が 、 あ る ケ ー ス で は 運 命 共 同 体 と も い え る 強 い メ ン タ ー と の 関 係 が 存 在 す る 場 合 も あ る。 長 期 間 に 渡 り、 経 営 者 と メ ン タ ー と の 二 人 三 脚 で キ ャ リア を積 ん で い く の で あ る 。 こ の よ うな メ ン タ ー を 、 本 稿 で は 「長 期 密 着 型 メ ン タ ー 」 と 呼 ぶ こ と に す る。 当 然 の こ と な が ら 、 経 営 者 に と っ て 、 長 期 密 着 型 メ ン タ ー の 役 割 は 、 一・定 期 間 だ け の メ ン タ ー 以 上 に 大 き な 意 味 を 持 つ は ず で あ り、 そ の 点 を 細 か く見 て い く こ と は 、 経 営 者 に とっ て の メ ン タ ー の 役 割 を 理 解 す る 上 で 興 味 深 い テ ー マ に な る と思 わ れ る 。 そ の た め 、 本 稿 で は 、 『私 の 履 歴 書 経 済 人 』1∼38巻2に 依 拠 し、 そ こ に描 か れ て い る経 営 者 の キ ャ リア の 中 か ら 「長 期 密 着 型 メ ン タ ー 」 の ケ ー ス を抽 出 し 、 日本 の 経 営 者 に とっ 長 期密着 型メンター に関す る序説 的研 究一 日本 の経 営者 にとってのメンター の役 割 と影 響一79

(2)

て の メ ン ター の機 能 を よ り詳 細 に 分析 す る。 本 題 に入 る前 に 、 本稿 に関係 す る研 究 を整 理 しつ つ 、筆 者 の枠 組 み と分 析 方 法 につ い て述 べ て お くこ とにす る。 2.分 析 の 視 角 1)企 業 家 ・経 営 者 研 究 の検 討 最 初 に企 業 家 ・経 営者 研 究 の 先 行 研 究 を検 討 す る。 日本 の 企 業 家 や 経 営 者 が どの よ うな 人 々 で あ っ た か の研 究 は 、 明 治 期 に活 躍 した 経 営 者 か ら現 代 の 経 営 者 を対 象 と した も の ま で 多 く存 在 す る3。 これ らは 、 経 済 史 、 経 営 史 、 教 育 社 会 学 とい っ た様 々 な 分 野 か らの ア プ ロー チ の も の で あ る。 これ らの研 究 は 、社 会 が い か な る人材 を ビジネ ス ・エ リー トと して 補 充 して い くの か と い う 「社 会 に お け る企 業 家 の 供 給 」 とい う観 点 の もの が ほ とん どで あ る。 た とえ ば 、 萬 成 に よ る と、 日本 の 工 業化 の過 程 の 中 で 、明 治 期 の先 駆 的企 業 家 、大 正 期 の所 有 経 営者 、 昭 和 期 の 専 門経 営 者 の 学歴 や 経 歴 の 内容 は著 し く異 な っ て い て 、 経 営者 の 条 件 は変 化 して い る とい う。 ビジネ ス ・エ リー ト とな る上 で 、 家 族 的 背 景 や 出 身 階 層 は 重 要 性 を減 じ、 か わ っ て 高 い学 歴 や 企 業 内 の官 僚 制 的 キ ャ リア を経 る こ とが 基本 的 な条 件 とな って い る と指 摘 して い る4。 引 き 続 き行 な われ た 萬成 と アベ グ レ ンの 研 究 で は 、1960年 と1970年 の 大 企 業 の 経 営 者 と の比 較 か ら、 経 営 者 は い ろ い ろ な職 業 層 か ら構 成 され 、 都 市 上層 ホ ワイ ト ・カ ラー層 に か わ り、経 営 者 が都 市 的 工 業 化 階 級 の 内部 で 補 充 され るパ ター ン が 出現 しは じめ て い る と して い る5。 山本 と高 瀬 は 、 萬 成 とア ベ グ レン の研 究 を基 に、1985年 の 大 企 業 経 営 者 の 出 身 階 層 、 教 育 歴 、 経 歴 を 中 心 と した 分 析 を行 な っ て い る6。 そ の 出身 階 層 は 、特 定 階 層 に よ る地位 の独 占は 生 じて い な い が 、補 充 の 多 い 階 層 と少 な い 階 層 の格 差 は60年 以 降継 続 し、 教 育歴 で は 、 高 等 教 育 卒 業 が 地位 達成 の 必須 条 件 とな り、 特 に威 信 の高 い 大 学 の 卒 業 者 の 比 率 が 高 くな っ て い る と述 べ て い る。

(3)

『私 の履 歴 書 』 を 資 料 と した経 営 者 の研 究 もい くつ か み られ る。 鳥 羽 は 、 『私 の 履 歴 書 経 済 人 』(1∼24巻)に 含 まれ る企 業 家 ・経 営 者134人 お よび1 988年2月 ま で の 「日本 経 済新 聞 」 紙 上 に掲 載 され た 「企 業 家 ・経 営 者 ・財 界 人 」42人 の 計176人 の 「自伝 」 を 資 料 と して 「日本 の 企 業 家 ・経 営 者 を産 み 落 と した社 会 階 層 とそ の 個 人 的 背 景 は どの よ うな もの で あ った か 、 そ して 時 代 の変 化 に よ って どの よ うに変 化 して い っ た か 」 を分 析 して い る7。 石 川 も 同 じ く 『私 の履 歴 書 経 済 人 』(1∼24巻)を 資 料 と し、 そ の 中 か ら貧 困 に 生 ま れ 、 高 い 学歴 を獲 得 した7名 と低 い学 歴 の12名 、 計19名 の 事 例 を あ げ 、 日本 の 経 営 者 の供 給源 あ るい は供 給 過 程 の 多 様 で複 雑 な様 相 を 明 ら か に して い る言。 鳥 羽 も石 川 も、 高 学 歴 が 官 吏 や 企 業 人 とな る上 で 重 要 な要 素 で あ る と して い る。 一 方 、低 学 歴 の経 営者 の多 くは創 業 者 とな っ て い る とい う。 つ ま り近 代 日本 の企 業 者 の 供 給 源 は 、 古 くか ら整 備 され た徒 弟 制 度 とい う伝 統 的 人材 供 給 シ ステ ム と穎 しい教 育 シ ステ ム の 二種 類 の装 置 が 明確 に機 能 して い た と 石 川 は結 論 づ けて い る。 この よ うな企 業 家 ・経 営者 研 究 で は 、社 会 全 体 の 中 で 、 出 身 階 層 や 学歴 な どに よ る経 営者 の 供 給 源 は 明 らか に で き る が 、人 との 関 わ りの 中 で経 営 者 が どの よ うにキ ャ リア を積 み 、経 営 者 とな るに到 っ た の か は 明 らか に で き な い 。 萬 成 は 、今 日の ビジ ネ ス ・エ リー トの 多 くは上 役 との 接 触 を通 して仕 事 の経 験 を積 み 、 ま た、 管 理 的 な地 位 に昇 進 し、 日本 の大 企 業 の 官 僚 制 的 な 組 織 に お け る昇 進 は組 織 内の 知 己関係 に よっ て行 な わ れ るの で 、年 功 や 業績 の 上 で 、 上 役 との 知 己 関 係 が き わ め て 重 要 とな る と して い る9。 こ の よ うに 萬 成 は 、 経 営 能 力 習 得 に際 して の 先 輩 や 上 司 か らの 具 体 的 な人 材 育 成 の 中身 につ い て は ほ とん ど触 れ て い な い もの の 、 そ の 重 要 性 を指 摘 して い る。 人 との 関係 性 の 中で の経 営 者 の キ ャ リア を分 析 した もの に浜 口 らの研 究 が 存 在 す る10。これ も 『私 の 履歴 書 経 済 人 』(1∼24巻)を 資 料 と し、一 個 人 の 生 涯 の過 ご し方 で あ る 「社 会 的 履 歴 」 を、 対 人 関係 か ら浮 き彫 りに し、 日 長期密着型メンターに関する序説的研究一 日本の経営者にとってのメンターの役割と影響一81

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本 の 経 営 者 の 社 会 的 履 歴 に 作 用 した 人 脈 を 分 析 した も の で あ る 。 浜 口 ら は 、 当 人 の 履 歴 を 方 向 づ け る 重 要 人 物 を 「レ フ ァ レ ン ト ・パ ー ソ ン(referent person)」 と呼 び 、 そ の 役 割 と して 、 ① 進 路 指 導 者 ま た は 依 拠 す べ き 準 拠 者 、 ② 経 歴 上 の 先 生(キ ャ リ ア ・テ ィ ー チ ャ ー)、 ③ ス ポ ン サ ー の3つ を 挙 げ て い る 。 浜 口 ら の 指 摘 す る レ フ ァ レ ン ト ・パ ー ソ ン は 、 メ ン タ ー の 概 念 を 含 ん で い る と 考 え られ る が 、 本 稿 で は 、 近 年 研 究 が 進 ん で き た メ ン タ ー 研 究 の 枠 組 み か ら 、 経 営 者 の キ ャ リア へ の 影 響 を 再 考 し、 分 析 す る こ と とす る。 2)本 稿 の 枠 組 み と分 析 方 法 分 析 に 入 る 前 に キ ャ リア や メ ン タ ー の 概 念 整 理 お よ び 本 稿 の 分 析 方 法 に つ い て ま と め て お き た い 。 キ ャ リア(career)と は 、 昇 進 し て い く姿 や 専 門 的 職 業 な ど を 指 す こ と も あ る が 、 「あ る 人 が 生 涯 を 通 じて 経 験 す る職 業 に 関 連 し た 役 割 や 活 動 の 全 て 」 と 定 義 で き る1旦。 個 人 の ラ イ フ ・サ イ ク ル の 上 に キ ャ リ ア ・サ イ クル が 重 な り、 そ の キ ャ リア ・サ イ ク ル は 質 的 に 異 な っ た 段 階 で あ る キ ャ リア ・ス テ ー ジ(careerstage)か ら成 る と捉 え られ て い る 。 キ ャ リ ア ・ス テ ー ジ は 、 一 般 的 に 「初 期 キ ャ リア(earlycareer)」 「中 期 キ ャ リ ア(midcareer)」 「後 期 キ ャ リア (1atecareer)」 の3つ の 時 期 に 分 け られ 、 そ れ ぞ れ 異 な っ た 発 達 課 題 を持 っ'2。 キ ャ リア ・ス テ ー ジ の 年 齢 区 分 は 研 究 者 に よ っ て 様 々 に 捉 え られ て い る が 、 こ こ で は 、 ク ラ ム の 年 齢 区 分 に 依 拠 し、 初 期 キ ャ リア を22∼40歳 、 中 期 キ ャ リア を40∼60歳 、 後 期 キ ャ リ ア を60歳 以 降 と 区 分 す る'3。 メ ン タ ー と は 、 高 い 職 位 や 権 力 、 ス キ ル 、 豊 富 な 知 識 な ど、 何 か し ら プ ロ テ ジ ェ ー に 勝 る も の を持 ち 、 少 な く と も プ ロ テ ジ ェ ー よ り も 成 熟 して い て 、 プ ロ テ ジ ェ ー に 対 して 支 援 を 行 な う存 在 で あ る 。 本 稿 に お い て も 、 メ ン タ ー は 何 か し らプ ロテ ジ ェ ー に 勝 る 大 き な パ ワー を 持 っ た 存 在 と して 捉 え る。 メ ン タ リ ン グ の 機 能 に つ い て は 、 多 くの 研 究 者 が ク ラ ム の 提 唱 した キ ャ リ ア 機 能(careerfUnctions)と 心 理 社 会 的 機 能(psychosocial{hnctions)に 依 拠

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して き た 。 キ ャ リア 機 能 は 、 キ ャ リア の 発 達 を 主 に 強 化 し、 組 織 内 で の 昇 進 を 促 進 す る 関 係 性 と 関 連 して お り、 具 体 的 機 能 と して ス ポ ン サ ー シ ッ プ 、 推 薦 と 可 視 性 、 保 護 、 挑 戦 的 な 仕 事 の 割 り 当 て が あ る。 一 方 、 心 理 社 会 的 機 能 は 、 人 の コ ン ピテ ン ス 、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 明 確 化 、 管 理 的 な 役 割 に お け る 有 効 性 を 主 に 強 化 す る も の で あ り、 役 割 モ デ ル 、 受 容 と承 認 、 カ ウ ン セ リ ン グ 、 友 情 が あ る14。 筆 者 は 、 ク ラ ム の モ デ ル を 基 に 、 表1の よ う に メ ン タ リ ン グ の モ デ ル を 再 検 討 して い る'5。 表1本 稿 の メ ンタ リング モ デ ル と先 行 研 究 の比 較 本稿 の メ ン タ リン グ のモ デ ル Kramの モ デ ル(1983,19$5)

① 知識 や スキル を伸ばす 教育 ・訓練 ② 技能 を習得 で きる仕事 の提供 コー チ ン グ(キ ャ リア機 能)挑 戦 的 な仕 事 の割 り当 て(キ ャ リア機

仕 影 ③能力証明の機会付与

能)推 薦 と可 視 性(キ ャ リア機 能)

④重要な情報提供

⑤仕事 に関す る助言

ス ポ ン サ ー シ ップ(キ ャ リア 機 能)保 護(キ ャ リア機 能)

⑥ 仕 事 の フ ォ ロー お よび リス ク排 除

⑦ 管理 職や新 しい仲間への紹介 な し 的

⑧顧客や取引先の紹介

⑨ 人間 関係 の環境 づ くり 間

関 係

⑩相談

⑪ 良き理解者

カ ウンセ リング(心 理 ・社 会 的 機 能)受 容 と承 認(心 理 ・社 会 的 機

⑫社会的パ ワー と信用 の付与 能)友 情(心 理 ・社 会 的機 能)

⑬ キ ャ リア モ デル と して の存 在 役 割モ デル(心 理 ・社会 的機 能) 的 ⑭知識や スキル の見本 目

⑮ キ ャ リア ア ンカ ー の見 本

⑯ 自己啓発 の姿勢へ の刺激 ⑰仕事 に対す る姿勢へ の共感 な し

⑱人間的な尊敬

(出 所)合 谷 美 江 『女 性 の キ ャ リア 開 発 とメ ン タ リ ン グ』 文 眞 堂,1998年,30頁 。 長期密 着型メンター に関する序 説的研 究一 日本の経 営者 にとってのメンターの役割 と影響一83

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メ ン タ リン グの 枠 組 み は 「仕 事 」、 「人 間 関係 」、 「目標 」 の3つ の機 能 に 分 け られ 、 さ ら にキ ャ リア形 成 に直 接 的 に影 響 す る機 能 と間接 的 に影 響す る機 能 に 分 け る こ とが で き る。 「仕 事 」 の機 能 は 、仕 事 に 関 連 し、 技 術 や 知 識 、 経 験 、 昇 進 な どの 向 上 を促 進 す る機 能 で あ る。 「人 間 関 係 」 の機 能 は、 人 間 関係 に 関連 し、 キ ャ リア形 成 を ス ム ー ズ にす る機 能 で あ る。 「目標 」 の機 能 は 、 キ ャ リア形 成 の 方 向性 の 決 定 を促 進 す る機 能 で あ る。 具 体 的 な メ ン タ リ ン グの機 能 と して は 、表1に あ る よ うに18項 目に分 け られ る。 実 際 の メ ンタ リン グ は 、 い くつ か の 要 素 を 同 時 に含 み 、 明確 に 区別 で き な い こ と も多 い。 本 稿 で は こ の メ ン タ リン グの モ デ ル を踏 ま え、 実 際 に メ ン ター か らどの よ う な メ ン タ リン グが 提 供 され て い るか の機 能 を基 に検 討 す る。 さて 、筆 者 は 、 既 に 『私 の履 歴 書 経 済 人 』 を 資 料 と して 、 生 え抜 き型 、 転 職 型 、 後継 者 型 、創 業 型 とい う4つ の類 型 別 に経 営者 の キ ャ リア にお け る メ ン ター の役 割 と影 響 につ い て整 理 して い る16。経 営 者 研 究 にお け る、4つ の類 型 に よ る メ ン ター の傾 向 は 、 表2の よ うに ま とめ られ る'7。どの経 営 者 の タイ プ も、 良 き メ ン ター が 存在 す る こ とが成 功 要 因 の ひ とつ とな っ てい る。 表2経 営 者 の タ イ プ とメ ン ター の傾 向(84∼85頁)

キ ャ リア のタイ プ 主 な経営者(掲 載 時肩書 き) メ ン ター の 傾 向 とキ ャ リア へ の影 響 ほ とん ど 石 毛郁 治(東 洋 高圧社 長)、 メ ン ター の有 無 が 極 端 な傾 向。 メ ン が ひ とっ 木 川 田 一 隆(東 京 電 力)、 ター が 存在 す る場 合 、 そ の影 響 が非 の企業 で 時 国 益 夫(麟 麟…麦 酒 社 長)、 常 に大 き い 。 メ ン タ ー の 引 き で入 社

キ ャ リア を積 み 、 瀬川美能留(野 村証券会長)、 木 下又三郎(本 州製紙社長)、 す る な ど、 初 期 キ ャ リア の 段 階 で 出 会 い 、 そ の 関係 は 数 十 年 にわ た る。 え ト ッ プ ま 山下 勇(三 井 造 船 相 談 役)、 社 内 で の昇 格 ・降 格 を大 き く左 右 。 抜 き で登 りつ 田 中精 一(中 部 電 力 会 長)、 強 い影 響 の メ ン タ ー は 、 生 え抜 き型

めた経 営 新 井正 明(住 友 生命 保 険名 を 実 際 に 指 導 し 、 自分 の 片 腕 と して 者 。 誉会 長)な ど 仕 事 を任 せ 、 後 継 者 と して 育 て て い る。 また 、 経 営 哲 学や 経 営者 と して の判 断力 に 大 き な影 響 を与 えてい る。

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キ ャ リ ア 石 坂 泰 三(経 団 連 会 長)、 ほ とん どが 大 き なパ ワー を 持 っ た メ の途上 で 川勝 伝(南 海電気鉄道社長)、 ン タ ー が 存 在 し 、 メ ン タ ー へ の 追 随 他企業 に 野 田岩 次 郎(ホ テ ル オ ー ク や 引 き抜 か れ て の 転 職 が 多 い 。 メ ン

転 職 。 役 ラ 会 長)、 萩 原 吉 太 郎(北 ター と とも に 失脚 して 退 職 す る とい

人 か ら転 海 道 炭鉱 汽 船 社 長)、 三 村 う 転 職 も あ る 。 ま た 、 メ ン タ ー か ら

職 して い 起 一(石 油 資 源 開発 社 長)、 専 門経 営 者 と して 見 込 まれ 、 再 建 の 型 る ケ ー ス 高 橋 政 知(オ リエ ン タル ラ 依 頼 を受 けて経 営者 とな るケー ス も も 多 い 。 ン ド相 談 役)な ど 多 い 。 さ ら に 、 転 職 に つ い て メ ン タ ー に相 談 し、 メ ン タ ー の 薦 め で 転 職 し て い る ケ ー ス も あ っ た 。 家業 を継 戸 田利 兵衛(戸 田建 設 会長)、 実 父 、 義 父 、 養 父 が メ ン タ ー と な っ いだ経営 諸 井 貫 一(秩 父 セ メ ン ト社 て い る こ と が 多 い 。1人 の 強 い メ ン 者 。 他 企 長)、 松 田恒 二(東 洋 工 業 タ ー と して の父 親 や 義 父 な どの事 業

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業 に勤務 社 長)、 安 西 正 夫(昭 和 電 観 か ら強 い 影 響 を受 け て い る。 初 期

後 、 又 は 養 子 や 結 工 社 長)、 水 野 健 次 郎(美 津 野 社 長)、 五 島 昇(日 本 キ ャ リア の 段 階 か ら、 後 継 者 と して み な され 、 育 て られ て い る こ とが 多 型 婚 に よ り 商 工会 議 所名 誉 会頭)、 佐 い。 社 内 の 上 司 、 社 外 の 別 の 企 業 の 継 ぐ事 も 治 敬 三(サ ン トリー 会 長) 経 営 者 を メ ン タ ー と して 持 っ て い る あ る 。 な ど こ と も多 く、 そ の 場 合 は メ ン ター が 相 談 者 とな って い る。 自ら企業 松 下 幸之助(松 下電器 産 業 メ ン ター の 存 在 や 影 響 が も っ と も少 を興 した 相 談 役)、 早 川 徳 次(早 川 ない。資 金調 達 の必 要 性か らメン ター 経 営 者。 電 機 工 業 社 長)、 江 崎 利 一 は仕 事や金 銭 を提 供す るスポ ンサ ー L`t」 強い信念 (江 崎 グ リ コ社 長)、 大 社 義 で あ る。 強 い信 念 を持 っ て 起 業 して

を持 ち 自 規(日 本 ハ ム 社 長)、 鬼 塚 い る 経 営 者 が 多 く 、 メ ン タ ー は 、 そ

カ で 切 り 喜 八 郎(ア シ ック ス 社 長)、 の信 念 を 持 つ き っ か け を与 え た り、 型 開 くタイ 塚 本 幸 一(ワ コ ール 会 長) 信 念 に基 づ いた起業 に対 して チ ャン プ が 多 い 。 な ど ス を与 えて 手 助 け した り して い る。 ま た 、 メ ン タ ー と い う よ り、 良 き パ ー トナ0を 得 て い る 。 (出 所)合 谷 美 江 「経 営 者 の キ ャ リア と メ ン タ ー 一 日本 経 済 新 聞 『私 の 履 歴 書 経 済 人1∼38・ 巻 』 の 分 析 か ら 一 」 『国 際 経 営 論 集 』 第30号,神 奈 川 大 学 経 済 学 部,2005年,87∼110頁 を 基 に ま と め,作 成 。 本 稿 で は 、 経 営 者 の4つ の 類 型 別 に 、 運 命 共 同 体 と も い え る 長 期 密 着 型 メ ン タ ー とみ ら れ る 事 例 を 取 り上 げ 、 ① メ ン タ ー に 出 会 っ た 時 期 、 ② 出 会 っ た 時 の 状 況 とメ ン ター の役 職 、 ③ メ ン タ ー と プ ロ テ ジ ェ ー の 年 齢 差 、 ④ メ ン タ ー 関 係 の 年 数 、 ⑤ 具 体 的 な メ ン タ リ ン グ 内 容 の5つ を 基 に 分 析 す る 。 長期密 着型メンター に関する序説 的研 究一 日本 の経 営者 にとってのメンター の役 割 と影 響一85

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3.「 長 期 密 着 型 メ ン タ ー 」 の 分 析 1)生 え抜 き型 の 長 期 密 着 型 メ ン ター の傾 向 生 え 抜 き型 の長 く強 い 関係 の メ ン タ ー は17名 に の ぼ っ た。 この ケー ス をま とめ る と表3の よ うに な る。 表3生 え抜 き型 の 長 期 密 着 型 メ ンタ ー(86∼91頁)

経 営 者 名

メ ン タ ー に メ ン タ ー 名 出 会 っ た 備 考(『 私 の 履

掲載

(掲 載 時 肩 書 き)と 生 出 会 っ た 頃 の状況 と生没 年 頃 の メ ン タ ー 肩 書

歴 書 』 に よ る メ ン タ ー か ら の 影

没年

き 響) 塚 田 公 太 入 社 後 、 ボ 児 玉 一 造 三 井 物 産 児 玉 の イ ン ド視 (倉 敷 紡 績 ン ベ イ 支 店 1881-1930

綿 花 部 長

察 へ2ヶ 月 間 の 会長) 綿 花 係 。 駐 (1920年 に お 伴 。 頭 脳 の鋭 1883-1966 在13年 半 。 独 立 し 、 さ 、 判 断 力 、 度 大 正3年(19

東 洋 綿 花

2 胸 、 政 治 力 、 人 5 14)、 児 玉 が 創 立 で 専

情 味 に 影 響 。 東

綿 花 部 長 と 務 。 後 に 年 洋 綿 花 を独 立 さ な っ て か ら 会 長 。) せ た 児 玉 。 世 界 の 指 導 。 視 察 旅 行 へ の推 薦 。 児 玉 の 逝 去 ま で16年 の 関 係 。 井 上 五 郎 父 角 五 郎 も 松永安左工門

東 邦 電 力

偶 然 に も副社 長 (中 部 電 力 松 永 も 福 沢 1975-1971

副 社

の 松 永 が 主宰 す 会 長 ・経 団 諭 吉 子 弟 。 (後 に社 長) る新設 の東 邦 電 連 会長)

東 邦 電 入 社

力 に入 社 した こ 1899-1981 ま で 松 永 を とで40数 年 間 の 知 ら な か っ 24 薫 陶 を 受 け る。 9 た 。 大 正12 年(1923)、 歳 年 上 終 戦 後 の 占領 政 策 を心 配 し、 引 東 邦 電 力 入 退 して いた 松 永 社 。 に 相 談 。 「悲 観 す る こ とは な い 」 の 言 葉 。

(9)

倉 田主税 明 治45年(19

小平浪平

日 立 製 作

電線製造 で何度

(日 立 製 作 12)入 社 。 大 1874-1951

失 敗 して も 「お 所相 談役) 正5年(1916)、 (後 に社 長 。 前 な らで き る 」 1889-1969 小 平 の 依 頼

公 職 追 放

の 励 ま し。 小 平 15 12

で 新 規 電 線

で 社 長 退 歳

に 絶 対 の 信 頼 。

製 造 。20年 く 。 そ の

小 平 社 長 らの公 間 、 電 線 と 後 相 談 役 。) 上 職 追 放 で 、 小 平 取 り組 む 。 よ り社 長 就 任 の 依 頼。 小 平逝 去 ま で35年 の 関 係 。 土川 元夫 昭 和3年(19 千 田

名 岐 鉄 道

千 田 と刎 頚 の交 (名 古 屋 鉄 23)、 名 岐 鉄 生没年不 明 (役職 不 明) わ り。 名 岐 鉄 道 道社 長) 道 入 社 。 入 (1964年 頃 没) (戦 後 、 名 と愛 知 鉄 道 の合 1903-1974 社 後30数 岐 側 の 神 併 で 愛 電側 の 藍 間 、 千 田 の

野 社 長 就

川 社 長 よ り反 乱 13 直 属 の 部 下 任 。 そ の 軍 の頭 領 千 田 の

と し て 仕 事 。 後 、 千 田 明 有 力 な 部 下 とみ が社長) な さ れ 、 目 の 仇 に され る 。 昭 和 36年(1961)、 千 田か ら引継 ぎ 社 長 。 小原鉄 五郎 知 遇 か ら 大 立石知満 大 崎 町 長 ・ 採 用 以 来 、 後 継 (城南信 用

崎 信 用 組 合

1870-1945

大 崎 信 用

者 と して 育 て ら 金庫理事長) 創 立 時(191

組 合 創 立

れ る。 台 湾 視 察 1899-1989 9)、 主 事 に 者(大 崎 団 に とも に加 わ 29 13 採 用 され る。

信 用 組 合 歳

る。 敗 戦 直 前 に

長)

病 気 療 養 中 の 立 上 石 よ り後 事 を託 さ れ 、45歳 で 専

務 理事就任(組

合 長 は空 席)。 田 口連 三 昭 和25年(1

土光敏夫

石 川 島 重 も と も と石 川 島 (石 川 島 播 950)、 石 川 1896-1988

工 業 社 長

10 重 工 業 の10年 先

磨 工 業 会 長) 1906--1990 島 重 工 業 再 建 で 土 光 が (石 川 島 芝 浦 タ ー ビ

輩 。 新 人 の 設 計 部 時 代 、 隣 の 社 長 に 。 他 ン社長 か 部 屋 。 土 光 体 長期 密着 型メンター に関す る序説 的研 究一 日本 の経 営者 にとってのメンター の役 割 と影 響一87

(10)

の 重 役 は 全 ら 再 建 の 制 で 営 業 担 当。 て 辞 め た が 、 た め 石 川 土 光 に は 設 計 ・ 残 る よ う言 島 重 工 業 生 産 ・管 理 を依 わ れ る 。 条 へ) 頼 。 昭 和35年 件 を 出 し 、 (1960)、 播 磨 造 残 る こ と に 船 所 と合 併 。 社 な る 。 長 は 土 光 。 嫌 だ と だ だ を こ ね る が 、 副 社 長就 任 。 越 後 正 一 上 級 学 校 に

伊藤忠兵衛

伊藤忠

書 生 と して 住 み (伊藤 忠商 行 け な い は 1886-1973 2代 目 込 み 。 神 戸 高 商 事会長) ず が 、 高 等 の 受 験 失 敗 に も 1901-1991 科 卒業 前の1 励 ま し。 人 物 の 916年 、15歳 大 き さ 感 じ る 。 16 で 伊 藤 と 出 15 歳 伊藤 に 出会 った

会 い 、 八 幡

幸 運 。 臨 終 に 商 業 へ 進 学 。 上 「伊 藤 忠 に 入 っ て くれ て 良 か っ た 」 の 言 葉 。 伊 藤 逝 去 まで60年 近 い 関係 。

安藤楢六

高 等 文 官試

理光鶴松

小 田 原 急 ス ケ ー ル が 大 き (小 田 急 電 験 に 落 ち 、 1863-1945

行 鉄 道 創

37 く人 情 深 い 人 。 鉄会長) 実 業 家 の 理 立 者 ・ 初

入 社 の1925年 か 1900-1984 光 に 就 職 の

代社長

ら理 光 逝 去 ま で 世 話 を頼 む 。 20年 の 関 係 。 19 巻 小 田 急 入 社 を 決 め て く れ る 。1939 年 、 五 島 が 再 建 に 招 か れ る 。 後 に 東横 ・京 浜 ・ 小 田 急 の3社 合 併。 五 島 慶 太 1882-1959 東急 グルー プ創 業者 ・ 小 田 原 急 行 鉄 道 取 締 役 、 そ の 後 小 田 急 電 鉄3 代 目社 長 18 歳 年 上 合 併 に 関 連 し、 五 島 に決 済仰 ぎ、 反 対 され た 後 、 賛 成 。 五 島 の 下 で働 け る 幸 せ 。 命 も惜 し く な い と さ え思 う。 仕 事 に 厳 しい が 情 が あ り、 経 験 が な い か ら こ そ 仕 事 を言 い つ け た。

(11)

竹 田弘太郎 入 社 後 、 召 十川元夫 名 古 屋 鉄 経 営 悪化 の 会社 (名 古 屋 鉄 集 で戦 地 に6 1903-1974

道 運 輸 部

を と も に 再 建 。 道社長) 年 。 戦 後 、

部長

土川 の依 頼 で社 1916一 不 明 復 社 し 、 運 13 長 就 任 。 逝 去 前 19 巻

輸 部 総 務 課

「会 社 の こ と は に 配 属 。 土 上 一 切 頼 む 」 の 言 川 と コ ン ビ 葉 。1946年 よ り 、 で 仕 事 。 土 川 逝 去 ま で約 30年 の 関 係 。 田中文雄 戦 後 、GHQ指 中島慶次 戦 後 、 王 1947年 、 中 島 社 (王 子 製 紙 令 で会社 が3 生年 不明

子 製 紙 社

長 就 任 。 長 い 間 会長) 分 割 さ れ 、 1973年 頃 没

督励 を受けてきた 22 巻 19101998 そ の 合 併 が (享年79歳) 不 明 大 恩 人 。 強 い影 中 島 社 長 の 響 を受 け 、 社 員 悲 願 。 へ の思 いや りな ど 手 本 としてきた。

岩村英郎

東 大 の 三 島 西 山弥太郎

川 崎 造 船

馬 車 馬 の よ うに (川 崎 製 鉄 徳 七 先 生 の 1893-1966

所 製 飯 工

引 っ 張 っ て くれ 会長) 親 友 が 西 山 。 場 技 師長 ・ る西 山 に必 死 で 1915T-1991 三 島 の 薦 め 後 に 、 川 12 つ い て い く だ け 。 25 巻 で 川 崎 造 船

崎 製 鉄 初

こ の 人 の 為 な ら 所 に1938年

代社長

上 命 を捨 て て も良 入 社 。 い と の 思 い 。 入 社 か ら西 山逝 去 ま で28年 の 関 係 。 田 中精 一 父 と松 永 は 松永安左工門

東邦電力

父 の 死 後 、 父 の (中 部 電 力 慶 磨 の 同 級 1975-1971

社長

友 人 小 林 一 三 に 会長) 生 。 父 は 松 就 職 の相 談 をす 1911-1999 永 と と も に る と 、 松 永 に 相 東 邦 電 力 の 談す るよう言われ 27 巻 創 立 に 役 員 と し て 加 わ 36 歳 年 る 。 松 永 の 「う ち に お れ 」 の 一 る 。 父 は 松 上 言 で東 邦 電 力 入 永 の 片腕 。 り。 松 永 の 電 力 事 業 に対 す る強 い 情 熱 。 松 永 か ら の 遺 書 あ り。 長期 密着型 メンター に関す る序説 的研 究一 日本 の経 営者 にとってのメンターの役 割 と影 響一89

(12)

新井正 明 昭 和21年(19 安岡正篤

東 洋 思 想

父 が敬 慕 して い (住 友 生 命 名 誉会長) 46)、 本 店 従 業 員 組 合 初 1898-1983 の 大 家 ・ 陽 明 学 者 14 た 。 吉 田茂 首相 を始 め戦 後 の歴 1912-2003 代 委 員 長 に

代 総 理 の こ指南 な り 、 そ の 上 番 。 生 涯 の 師 と 時 、 芦 田 は 仰 ぐ 。 渉 外 窓 口 。2 芦 田泰三 芦 田 が 人 会 社 人 生 で 大 き 28 ケ 月 で 人 事 課 長 に 転 じ 1903-一 一1979 事 部 部 長 の 時 出 会 な 影 響 。 芦 田 の 期 待 に応 え よ う て か ら は 直 属 の 上 司。 う.1947 年 、 芦 田4 9 歳 とす る。 経 営 哲 学 に感 銘 。 芦 田 4歳 で 社 長 年 上 の 下 で 働 く こ と 就 任 。 に 喜 び を 感 じ、 疲れを知 らなかっ た 。 芦 田 よ り 社 長 の 指名 。

石原俊

戦 後 、 公 職 川又克 二 日 産 自 動 部 下 をか わ いが (日 産 自 動 追 放 後 、 日 1905--1986 車 常 務 ・ る と か 、 上 司 を 車相 談役 〉

本 興 業 銀 行

半 年 後 に 慕 う と い う関係 1910-2003 か ら 送 り 込 専 務(後 5 で は な い 。 昭 和 31 ま れ た 川 又 に社長)

52年(1977)、 の 意 向 で 経 川 又 よ り社 長 の 理 部 部 長 に 。 指 名 。 最 も影 響 を受 けた 最 大 の 恩 人 。

稲葉興作

大 学 恩 師 よ

土光敏夫

石 川 島 芝 真 摯 な行 動 と気 (日 本 商 工 り 、 土 光 社 1896-1988 浦 タ ー ビ 迫 、 気 配 り 、 信 会議所会頭) 長 の 石 川 島 ン 社 長 念 と実行 力 の塊 1924一 芝 浦 タ ー ビ (後 に 石 川 の よ うな 土 光 に ン を 紹 介 さ

島 播 磨 重

感 銘 。 東 芝 に 吸 31 巻 れ る 。 工 業 社 長) 28 年 収 合 併 の 際 、 土 光 社 長 の石 川 島 上 播 磨 重 工 業 に課 ご と 移 る 。

(13)

永野健

叔 父 や 父 の

大槻文平

三 菱 鉱 業 父 は永 野6兄 弟 (三 菱 マ テ 知 り 合 い で 19031992 人 事 部 副 の 一 人 で 永 野 護 リア ル 相 談 あ る 大 槻 ら 部 長(後 20 (政 治 家 ・実 業 33 役) の 縁 で 就 職 。 に 三 菱 金

家)。 父 の 知 り

1923一 属 ・ 社 長

合 い の縁 で就 職 。 会 長 ・ 相 上 大槻 は経 営 者 と 談役) して 最 も尊 敬 す る 人 物 。 上 山善紀 貨 客 課 長 で

佐伯勇

近 畿 日 本 佐 伯 は好 奇 心 の (近 畿 日 本

運 賃 改 定 業

1903-一 一1989

鉄 道 社 長

塊 で 疲 れ 知 らず 。 鉄道相談役) 務 。 佐 伯 に (社 長 時 代 新 しい こ と が 好 1914一 「君 は 運 賃 の に 大 阪 商 き な ア イ デ ィ ア 神 様 や ね 。 工 会 議 所 11 マ ン 。 早 く か ら 35 巻 そ の 調 子 で い い ん だ よ 」 会 頭 就 任 。 上 山 は 秘

薫 陶 を 受 け た 。 火 の 玉 の よ うな と お だ て ら 書 室 長 と 佐 伯 と と もに燃 れ 、 良 い 会 し て 財 界 焼 で き た幸 せ 。 社 に 入 っ た 活 動 補 佐) と感 激 す る。 (出所)『 私 の 履 歴 書 経 済 人 』 を基 に 筆者 作 成 。 生 え抜 き型 の長 期 密 着 型 メ ン タ ー は 、社 外 に 存在 す る人 生 の 師 や 相 談 相 手 の場 合 も あ る が 、企 業 内 部 の 上 司や 先 輩 が 中 心 で あ る。 メ ン ター と 出会 っ て い る時期 は、 ほ とん どが 初 期 キ ャ リア で 、 特 に20代 前 半 頃 が 多 い。 また 、 恩 師 や 親 戚 の 紹 介 な どの 縁 で メ ン ター と出会 い入 社 して い るケ ー スや あ る 時 期 の直 属 上 司だ っ た こ とが多 い。 メ ン タ ー との 年 齢 差 は2歳 か ら37歳 年 上 ま で 幅 広 い が 、概 ね10歳 か ら30歳 年 上 で あ る。 出会 った 頃 の メ ン タ ー の役 職 は 、 部 課 長 ク ラス以 上 が 多 く、社長 が メ ン ター で あ る こ とも多 い。 また 、 メ ンター は 、 出 会 っ た 頃 に部 課 長 ク ラ ス で も 、 後 に社 長 に就 任 して い る こ とが 多 く、 社 内で 高 い職 位 と権 力 を持 っ た 存 在 で あ る。 メ ン タ ー 関係 が 形 成 され る過 程 をみ て み る と、 プ ロテ ジ ェ ー が この人 を メ ン ター と見込 ん で 、つ い て い こ うとい う場 合 とメ ン ター が プ ロテ ジ ェー を 見 込 ん で 目をか け る場 合 の 両 方 が み られ る。 メ ン タ リン グ 内容 は 、仕 事 に 関連 した 日常指 導 お よび 目標 に 関連 した 事 業 長期密着型メンターに関する序説的研究一 日本の経営者 にとってのメンターの役割 と影響一91

(14)

観 ・経 営 観 の 醸 成 に 影 響 を受 け て い る こ とが 多 い 。 具 体 的 に は 、 仕 事 の 提 供 、 能 力 証 明 の 機 会 付 与 、 仕 事 に 関 す る助 言 、 キ ャ リア モ デ ル と して の 存 在 、 仕 事 に 対 す る 姿 勢 へ の 共 感 、 人 間 的 な 尊 敬 と い っ た 機 能 が 多 く み られ た 。 特 に 生 え 抜 き型 の 場 合 、 強 い パ ワ ー を 持 っ た メ ン タ ー が プ ロ テ ジ ェ ー を 見 込 ん で 、 高 度 な 仕 事 を 与 え 、 や らせ て み て 、 成 果 を 出 す と 、 さ らに 次 の 仕 事 を 与 え 、 そ の メ ン タ ー の 期 待 に プ ロ テ ジ ェ ー が 応 え る こ と が 多 い 。 メ ン タ ー に と っ て は 、 優 秀 な プ ロテ ジ ェ ー は 自分 の 片 腕 で あ り、 仕 事 を 与 え る こ とで 経 営 者 と して の 資 質 を 試 しっ つ 、 後 継 者 と し て 育 成 して い る 。 た と え ば 、 石 原 俊(日 産 自動 車 相 談 役 、31巻)は 、 メ ン タ ー の 川 又 の 意 向 で 経 理 部 の 部 長 と な る 。 そ の 後 弱 小 の 輸 出 部 に 回 され 、 左 遷 と い う言 葉 が 頭 を か す め る 。 対 米 輸 出 で 大 き な 成 果 を 収 め た 後 、 意 に 沿 わ な い 国 内 の 営 業 担 当 に 回 され る 。 こ こ で も新 車 の サ ニ ー の ヒ ッ トで 成 果 を あ げ る 。 さ ら に プ リ ン ス 自動 車 工 業 と の 合 併 に 際 し、販 売 に 関 す る 統 合 作 業 を 実 行 す る。 そ して 、 っ い に 会 長 で あ っ た 川 又 よ り指 名 を 受 け 、65歳 で 社 長 に 就 任 し て い る 。 石 原 は 川 又 に つ い て 「私 を ど う思 っ て い た か は い ま だ に わ か らな い 。 最 終 的 に は 私 を 信 頼 し社 長 に 選 ん で くれ た の だ ろ う。 ビ ジ ネ ス マ ン と して の 私 に 最 も影 響 を 与 え た の は 川 又 さ ん で あ り、 最 大 の 恩 人 だ と思 っ て い る」 と記 述 して い る。 慕 い 、 か わ い が られ る とい っ た 関 係 で は な い が 、 石 原 に と っ て 川 又 は そ の キ ャ リ ア に 最 も 大 き な 影 響 を 与 え た メ ン タ ー で あ る 。 ま た 、 企 業 内 の ひ とっ の 「閥 」 と い っ た メ ン タ ー 関 係 も み られ る。 浜 口 ら は 、 レ フ ァ レ ン ト ・パ ー ソ ン との 密 接 な 連 関 は 組 織 の 中 で 権 力 へ の 志 向 性 を 持 つ 無 形 の 集 団 と して の 「閥 」 を 生 み 出 す 可 能 性 を 持 っ て い る と指 摘 す る18。 土 川 元 夫(名 古 屋 鉄 道 社 長 、13巻)の ケ ー ス で は 、 合 併 に よ り 、 自分 側 の 「閥 」 が 抗 争 に 敗 れ れ ば 、 左 遷 さ れ 、 権 力 を 握 る と、 階 層 上 位 の ポ ジ シ ョ ン に つ い て い る。 「閥 」 の マ イ ナ ス 作 用 と も い え る 人 事 に 関 す る派 閥 抗 争 が 表 面 化 し て い る ケ ー ス で あ る 。 こ の よ う に メ ン タ ー 関 係 が 企 業 内 で ひ とつ の 「閥 」 と な る 可 能 性 は 否 め な い 。

(15)

次 に メ ン タ ー 関係 の長 さ をみ て み よ う。 生 え抜 き型 の長 期 密 着 型 メ ン ター との 関係 は、 概 ね メ ン ター の逝 去 ま で続 い て い る。 出 会 っ た 頃 の メ ン タ ー は 既 に 部 課 長 ク ラス や役 員 で あ るが 、 そ の後 ほ とん どが社 長 、会 長 や 相 談役 と な り、 さ らに逝 去 前 に遺 書 や 遺 言 に よ って プ ロテ ジ ェー に後 事 を託 して い る。 生 え抜 き型 の メ ン タ ー も プ ロテ ジ ェー も と も に企 業 組 織 に強 く コ ミ ッ トし、 そ の 中で メ ン ター 関係 を築 い て い る。 この よ うに長 期 密 着 型 メ ン ター の 関係 は 、 とも に企 業 を成 長 させ る、 ま た は事 業 を通 して何 か を実 現 させ る とい う 強 い信 念 の も とに成 り立 っ て い る。 2)転 職 型 の 長 期 密 着 型 メ ン タ ー の 傾 向 転 職 型 の 長 期 密 着 型 メ ン タ ー は 、12名 あ げ られ る 。 こ の ケ ー ス を ま と め る と表4の よ う に な る。 表4転 職 型 の長 期 密 着 型 メ ン タ ー(93∼97頁)

経営者名

メ ン タ ー に メ ン タ ー 名 出 会 っ た 備 考(『 私 の 履 (掲 載 時 肩 出 会 っ た 頃 と生没年 頃 の メ ン 歴 書 』 に よ る メ

書 き)と 生没 年 の状 況 タ ー 肩 書 き

ン タ ー か ら の 影 響i)

原安 三郎 早 稲 田 大 学 山本条 太郎 三 井 物 産 山 本 の 依 頼 で 、 (日 本 化 薬 高 田 総 長 よ 1867--1936

常 務(後

出版 社 金 港 堂 の 社長) り山 本 紹 介 。 に 衆 院 議 経 営 整 理 、 日本 1884-1982 山 本 の 紹 介 員 ・ 南 満 硫 黄 の仕 事 な ど 1 で 三 井 物 産

州 鉄 道 株

17 を 行 な う。 山本

の 就 職 試 験 、

式 会 社 総 年

の 判 断力 の 正確 結 局 山 本 の 裁) 上 さ 、 国 家 的 見 地 紹 介 で 薬 丸 な ど事 業 観 ・人 金 山 の仕 事 。 生 観 にs^大 き な影 響 受 け る。 長期 密着 型メンター に関す る序説 的研 究一 日本 の経 営者 にとってのメンターの役割 と影響一93

(16)

石坂 泰三 逓 信 省 で の

矢野恒太

第 一 生 命 矢 野 の 引 きで転 (経 団 連 会 直 属 上 司 下 1865-1951 創 業 者 ・ 職 。 矢 野 に 代 わ 長)

村 貯 金 局 長

社 長(後

り実 際 の会社 の 1886-1975 の 簡 易 保 険 に会長) 運 営 。 型 破 りだ の 提 唱 に 、 zi が 一 緒 に い て 、 1 民 間 保 険 業

大 な り小 な りの

界 の 反 対 。

影 響 を受 けて い 特 に 第 一 生 る 。 昭 和21年 命 の 矢 野 と (1946)ま で32 の 対 立 。 年 間 第一 生命 に。 支 配 人 、 専 務 、 社 長 を勤 め る。

河合良成

農 商 務 省 時 郷誠之助

実 業 家 ・ 郷 とは遠 い婚 戚 (小 松 製 作 代 に 米 騒 動 1865-1942

貴 族 院 議

関 係 。 東 株 入 り 所社 長) の責任 を とっ 員 ・東 京 後 、 郷 の 片 腕 と 1886-1969 て 退 職 。33 株 式 取 引 21 な り、 子 分 的 存 2 巻 歳 の 時 、 郷

所理事長

在 と な る。 郷 の の 紹 介 で 東 上 退 任 と と も に 東 株 入 り。 株 退 職 。 郷 の 紹 介 で 日華 生命 常 務 。 足立 正 三 井 物 産 入

藤原銀次郎

王 子 製 紙 藤 原 は昔 か らの (日 本 商 工 社 で 藤 原 の 1869-1860 専 務(192 知 り合 い 。 三 井 会議所会頭) も と で 働 く 。 0年 か ら18 物 産 入社 後 、 藤 1883-1973 1911年 、 下 年 間社 長 ・ 14 原 が 台 北支 店 長 2 巻 子 製 紙 の 再 後 に 商 工

を し て お り 、 台 建 に 向 か っ 大 臣) 上 北 へ 赴 任 。 そ の た 藤 原 よ り 後 、 藤 原 よ り窮 誘 わ れ る。 地 の 王子 製 紙 に 誘 わ れ転 職 。 大川博 鉄 道 院 に20 五島慶太 東 急 グル ー 自分 の 一 生 を託 (東映社長) 数 年 勤 め た 18821959 プ創 業者 ・ す 人 との 判 断 。 1896-1972 後 、 五 島 よ

東 京 急 行

14 五 島 よ り実 際 の 3 り 引 き が あ

電鉄社長

指 導 。 昭 和26年

り 転 職 。 年 上 (1951)、 五 島 に 依 頼 され 、 厳 し い 経 営状 況 の東 映社 長 に。

(17)

藍沢彌八

哲 学 館 学 撲

原 亮 一 郎

出 版 社 金

出 版 社 の仕 事 後 、 (東 証 理 事 (日 大)卒 業 生没年 不明 港 堂主人 原 の薦 め で株 の 長) 後 、 原 の と 世 界 に入 る。 株 1880-1969 こ ろ で 書 生 暴 落 で無 一 文 に に 。 裁 判 官 不 な り 、 満 州 に 二 志 望 だ っ た 明 年 間 。 そ の 後 、 が 、 原 の 薦 身 の 振 り方 を原 3 巻 め で 金 港 堂 に 相 談 。 に 入 社 。

山本条太郎

三 井 物 産

山本 は原 の 娘 婿 。 1967-1936

常務

13 歳 相 談 相 手 。

萩原吉太郎

入 社 後 す ぐ 島田勝之介 三 井 合 名 島 田が 北 炭 の 会 (北海 道炭 二 年 の 病 気 (生没年 不 明) (後 に北 海 長 に 移 っ た の を

礪汽船社長)

療 養 。 三 井

道 炭 鉱 汽

き っ か け に 、 北 1903-2001 物 産 か ら 三 船会長) 炭 に 移 る 決 心 。 井合名に移 っ 秘 書 部 長 に 。 島 て き た 島 田 田の 度胸 の 大 き 5 巻 の 秘 書 に な 不 明 さ に 感 心 。1955 る 。 年 に 入 り、 島 田 の健 康 が 優 れ な く な っ て 、 社 長 に就 任 。

奥 村 政 雄

大 正5年(19

岩崎小弥太

三 菱 財 閥 大蔵 省 よ り三 菱 (日 本 力,_._.. 16)、 社 長 が 1879-1945 4代 目 当 合 資 に移 っ た 後 、 バ イ ド工 業 岩 崎 久 弥 か 主 ・大 正5 小 弥 太 社 長 よ り 社 長)1879一 ら小 弥 太 に 年 、38歳 20年 に 渡 り厚 い 6 1966 代 わ る 。 の 時 、 三 同 信 望 。 し か し 、

菱 合 資3 い

内部 の波 紋 も あ 代 目社長 り 、 昭 和7年(1 932)、 理 事 の 時 54歳 で 三 菱 退 職 。 長期密 着型メンター に関す る序説 的研 究一 日本 の経営者 にとってのメンターの役割 と影響一95

(18)

神谷 正太 郎 日 本GMに 見 豊 田喜 一 郎 ト ヨ タ 自 豊 田 に 会 い 、 販 (ト ヨ タ 自 切 り つ け 、 1894-1952

動 車 創 始

売 任 せ る との 言

動車販売社

国 産 メ ー カ ー 者(1950年 、 葉 受 け る 。 熱 情 、 長) に 移 る希 望 。

労 働 争 議

4 ス ケ ー ル 、 人 格 15 1898-1980 東 洋 綿 花 の

で 社 長 辞 歳

に 心 酔 し 、 入 社 。

岡 本 よ り 、 任) 年 上 豊 田 の全 面 の信 豊 田 を 紹 介 頼 を 得 て 、 期 待 さ れ る 。 を裏 切 らない よ う万全 の努 力 。 西 川 政 一

鈴 木 商 店 が

落 合 豊 一 日 商 株 式 小 麦 課 に 引 っ張 (日 商 岩 井 破 綻 し 、 新 生没年不 明

会 社 小 麦

り 、 新 生 日 商 で 相談役) 会 社 日 商 株

直接 指 導 を受 け 18991986 式 会 社 に 創 (後 に社 長) た 。 最 も尊 敬 す 立 よ り 入 る 。 る 人 物 。 長 年 、 17 小 麦 課 は 落 不 落 合 の暖 か い肌

合 と 二 人 の 明 に 触 れ 、 直 接 の 課 。 膝 下 で指 導 を受 け た人 は他 に い な い 。 落 合 急 逝 で社 長 就 任 。

加藤誠之

神 谷 は 日本G

神谷正太郎

ト ヨ タ 自 神 谷 よ り40年 の (ト ヨ タ 自 Mの2年 先 輩 。 1898-1980

動 車 広 告

薫 陶 。 神 谷 よ り

動車販売会

ト ヨ タ に 移 っ

部長

9 社 長 の 依 頼 。 神 長) た 神 谷 か ら

谷 流 哲 学 は身 体 1947一 の 強 い 誘 い

の 一 部 。1930年 で ふ ん ぎ り に 日本GM入 社 か が つ く 。 ら50年 の 関 係 。 19 巻 豊 田喜 一 郎 ト ヨ タ 自 外 貨 獲 得 に よ る 1894-1952

動 車 創 始

国家 貢 献 の信 念 、

国 産 車 に賭 け る 13

す さま じい 情熱

に 打 た れ る 。19 上 35年 、 入 社 か ら 豊 田 逝 去 ま で17 年 の 関係 。

(19)

松原治

東 大 の 先 輩 田辺 茂 一

紀 伊 国 屋

昭 和25年(1950)、 (紀 伊 国 屋 に 身 の 振 り 1905-1981 創 業 者 ・ 32歳 の 時 、 田 辺 会 長 兼CEO) 方 を 相 談 。

社長

に 出 会 う。 天 衣 1917一

紀 伊 国 屋 書

無縫 で私利 私欲

店 の 田 辺 社 に 走 る こ とが な 長 の 危 な っ 12 い 人 柄 。 天 命 を 38 か しい 経 営 歳 感 じ 、 こ の 人 と

を み て い ら

や っ て み よ う と れ な い の で 上 思 う 。 昭 和53年 書 店 に 入 ら (1978)頃 か ら な い か の 言 田辺 が社 長 の依 葉 。 頼 、 昭 和55年 (1980)、 社 長 就 任 。 (出 所)『 私 の 履 歴 書 経 済 人 』 を 基 に 筆 者 作 成 。 転 職 型 の 長 期 密 着 型 メ ン タ ー は 、 メ ン タ ー が 自分 の 企 業 に 引 い て くれ る 、 も し くは メ ン タ ー が 関係 して い る 企 業 の 仕 事 を プ ロ テ ジ ェ ー に 任 せ る こ と が 多 い 。 メ ン タ ー と 出 会 っ て い る 時 期 は 、 大 川 博(東 映 社 長 、3巻)を 除 け ば 、 全 て 初 期 キ ャ リア で あ る。 ま た 、 生 え抜 き 型 と 同 じ く、 恩 師 の 紹 介 、 縁 戚 関 係 、 親 類 同様 の 付 き 合 い な ど の縁 が メ ン タ ー と あ っ た り、 あ る 時 期 の 直 属 上 司 だ っ た りす る こ と が 多 い 。 も し く は メ ン タ ー が プ ロ テ ジ ェ ー を 見 込 ん で 、 自分 の 会 社 に 引 い て い る 。 メ ン タ ー との 年 齢 差 は 、 不 明 な ケ ー ス も あ る が 、 同 い 年 か ら21歳 年 上 ま で と な っ て い る。 メ ン タ ー は 概 ね10歳 か ら20歳 く らい 年 上 で あ る。 出 会 っ た 頃 の メ ン タ ー の 役 職 は 、 社 長 が 多 く、 自分 の 会 社 に 引 くパ ワ ー を 持 っ た 存 在 で あ る 。 メ ン タ ー 関 係 が 形 成 され る過 程 を み て み る と 、 生 え 抜 き 型 と 同 じ く 、 プ ロ テ ジ ェ ー が こ の 人 を メ ン タ ー と見 込 ん で っ い て い こ う とい う場 合 と メ ン タ ー が プ ロ テ ジ ェ ー を 見 込 ん で 目 を か け る 場 合 の 両 方 が み られ る。 但 し 、 転 職 型 の 場 合 は 、 特 に 転 職 時 に メ ン タ ー か ら 引 き が あ るか 、 プ ロテ ジ ェ ー が メ ン タ ー に つ い て い く とい う決 心 を し て い る 。 長期密 着型メンター に関する序説 的研 究一旧 本 の経 営者 にとってのメンターの役 割 と影 響一97

(20)

具 体 的 な メ ン タ リン グ は、 仕 事 に 関 連 した機 能 が 多 く、仕 事 の提 供 、能 力 証 明 の機 会 付 与 が多 くみ られ た。生 え抜 き型 と同様 、 メ ンター が プ ロテ ジ ェー を見 込 ん で 、 次 々 と高度 な仕 事 を与 え て い る。 そ れ は メ ン ター が 関係 す る企 業 の 再建 で あ る場合 も多 い。 プ ロテ ジ ェー は メ ン ター か ら、厚 い 信 望 を得 て 、 そ の 信 望 を裏 切 らな い よ うに行 動 して い る。 ま た 、生 え抜 き型 と同 じ く、 ひ とつ の 「閥」 にな っ てい る メ ンタ ー 関係 も み られ る。 河 合 良 成(小 松 製 作 所 社 長 、2巻)は 、 メ ン ター 郷 誠 之助 の 片 腕 とな っ て活 躍 し、 子 分 的 存在 で あ っ た。 郷 を 囲 ん で集 ま る親 睦 会 と して発 足 した 番 長 会 は 、 正 力 松 太 郎 や伊 藤 忠 兵 衛 、 永 野 護 らの メ ンバ ー で構 成 され た 財 界 でひ とつ の 「閥 」 と して 注 目 され た ネ ッ トワー クで あ る。 メ ン ター 関係 の長 さに つ い て は 、記 述 だ け で は わ か らない ケ ー ス も多 い が 、 メ ン タ ー が逝 去 前 に社 長 就 任 を依 頼 した り(松 原 治 、 紀 伊 国屋 会 長 兼CEO、 38巻)、 メ ン タ ー の 急 逝 で後 任 の 社 長 とな る ケ ー ス(西 川 政 一一、 日商岩 井 相 談 役 、17巻)が み られ た。 他 の ケ ー ス も概 ね 、 出会 っ て か ら亡 くな る まで そ の 関係 は続 い て い た と推 測 で き る。 転職 型 の長 期 密 着 型 メ ン ター の 特 徴 と して 、 メ ン ター が プ ロテ ジ ェー を 自 社 に 引 くだ け の 高 い 職位 や 権 力 を 持 ち 、仕 事 の 能 力 を 見込 ん だ プ ロテ ジ ェー に仕 事 を任 せ 、長 年 自分 の片 腕 と して い る こ とで あ る。 プ ロテ ジ ェ.___は、 メ ン タ ー の仕 事 の進 め 方 や 経 営 観 に 大 き な影 響 を受 け て い る。 つ ま り、 生 え抜 き型 と同 じ く仕 事 に 関連 した 目常 指 導 お よび 目標 に 関連 した事 業観 ・経 営観 の 醸 成 に影 響 を受 け て い る こ とが 多 い。 3)後 継 者 型 の 長 期 密 着 型 メ ン ター の傾 向 後 継 者 型 の長 期 密 着 型 メ ン ター は 、11名 あ げ られ る。 この ケー ス を ま とめ る と以 下 の表5の よ うに な る。

(21)

表5後 継 者 型 の 長 期 密 着 型 メ ン タ ー(99^-102頁)

経営者名

メ ン タ ー に メ ン タ ー 名 出 会 っ た 備 考(『 私 の 履 (掲 載 時 肩 出 会 っ た 頃 と猛没年 頃 の メ ン 歴 書 』 に よ る メ

書 き)と 生 没年 の状 況 タ ー 肩 書 き

ン タ ー か ら の 影 響) 中山均 父 の 「誰 か

金原明善

金 原 財 団

起 居 を と も に し 、 (日 銀 政 策 偉 い 人 に つ 1832-1923 理 事(天 か ば ん 持 ち。 慈 委員会委員) い て 修 業 し 竜 川 の 治 善 事 業 ・公 共 事 1886-1966 ろ 」 の 言 葉 水 事 業 に 業 に 人 生 を捧 げ で 金 原 と 半 私 財 つ ぎ 54 た 姿 に 多 大 な 影 年 起 居 を と 込 む)

響 。 年 を とれ ば も に す る 。

と る ほ ど 、 そ の 偉 大 さに 心 を打 2 た れ る 。 金 原 の

孫 娘 と結 婚 。 中 山 誠 一

浜 松 銀 行

母 の死 去 で 実 家 (父)生 没 年

経営者

に 戻 り、 父 の 経 不 明 不 営 す る浜松 銀 行 明 入 行 。 山本 為三郎 大正6年 根津嘉一郎

加 富 登 麦

父 の 逝 去 した 翌 (朝 日麦 酒 (1917)頃 、 1860-1940

酒経営者

年 に合 併 。 根 津 社 長) 根 津 の 経 営 に 父 の よ う な 親 ].893-1966 す る加 富 登 しみ 感 じ、 か わ 麦 酒 と の 合 い が られ る。 誰 2 併 話 。 33 歳 よ り も 話 を し 、

対 等 に 遊 び 、 付 上 き 合 う こ と の で き る 人 。 生 涯 を 通 じて 大 き な影 響 。 長 期密 着型メンター に関す る序説 的研 究一 日本 の経 営者 にとってのメンター の役 割 と影 響一99

(22)

藤 山愛 一郎 父 の 「お 前

藤 山雷太

父 の 恩 師 留 学 後 、 父 の 薦 (外相) は お れ の 跡 (父) は 福 沢 諭 め で小 さな 会社 1897-1985 を 継 い で や 1863-1938 吉 。 渋 沢 の 社 長 を 歴 任 。 る べ き だ 。 栄 一 の 依 父 は仕 事 を与 え、 サ ラ リ ー マ 頼 で 大 日

社長業 を学ばせ

ン に な ん か

本 製 糖 再

た 。 父 と事 業 方 34 2 な る べ き で 建 。 藤 山

針 の こ とで け ん

な い 」 と の 財 閥 築 く。

か を した こ と も 言 葉 。 上 あ る。 折 れ た が 父 も何 も言 わ な か っ た 。 愛 一 郎 が45歳 の 時 父 逝 去 。 諸 井 貫 一 「理 想 の 事 業

諸井恒平

秩 父 セ メ 父 の 師 は 、 親 戚 (秩 父 セ メ 経 営 は 自 分 (父) ン ト 創 業 関係 にあ っ た渋 ン ト社 長) の 一 生 だ け 1962-1941 者 ・社 長 沢 栄 一 。 渋 沢 の 1896-1968 で は で き な い か ら 、 俺 34 歳 年 ア ドバ イ ス に よ り父 は 息 子 を 実 の 理 想 を受 上 業 界 に 入 れ る。 5 巻 け継 いでや っ 貫 一 が45歳 の 時 て く れ 」 の 父 逝 去 。 言 葉 。

大友幸助

秩 父 セ メ 父 を 支 え 、 二 代 生没年不 明 ン ト常務 目社 長 と な っ た 明 大 友 の影 響 。 中部謙 吉

高 等 学 校 卒

中部幾次郎

大 洋 漁 業

父 の 商 売 み て育 (大 洋 漁 業 業 後 、14歳 (父) 初 代社 長 ・ つ 。 商 売 の コ ツ 社 長) で 家 業 の 手 1866-1946 家 は 祖 父 教 わ る。 父 が 背 1896-1977 伝 い 。 の 代 か ら 後 に い た か ら大 6

魚 運 搬 問

30 歳 胆 な 商売 が で き

た 。5歳 年 上 の 上 兄 が 二 代 目。 謙 吉 が50歳 の 時 父 逝 去 。

(23)

鹿 島守之助 大 正11年(1 鹿 島 精 一

鹿 島 組 組

鹿 島精 一 の長 女 (鹿島建 設 922)、 外 交 (義 父) 長3代 目 と の 縁 談 。 昭 和 会長) 官 と し て ド 1875--1947 (後 に 株 式 2年(1927)、 結 1896-1975 イ ツ 赴 任 の

会 社 で 社

婚 、 婿 養 子 。 昭 際 、 船 の 中 長) 和11年(1936)、 7 で 鹿 島 精 一 21 歳 鹿 島 の事 業 に初

に 出 会 う。

め て 関係 。 昭 和 上 13年(1938)、 精 一 が会 長 に退 き 、 社 長 就 任 。 安西 正夫 生 家 の 隣 が

森轟憩

森 コ ン ツ ェ 娘 婿 とな っ た縁 (昭 和 電 工 森 宅 。 鐘 紡 (義父) ル ン 創 業 か ら森 の事 業 に 社長) に 勤 め て い 1884-1941 者 ・ 日 本 参 画 す る宿 命 。 1905-1972 た が 結 婚 の 電 工社長 日本 電 工 で重 い 翌 年(1932)、 責 任 を 負 う。 信 森 よ り 日 本 念 、 独 特 の 強 気 13 電 工 に 来 る 21 歳 な ど 、 様 々 な 影

よ う招 き 。

響 大 。 敬 愛 し て 上 や ま な い 偉 大 な 事 業 家。 入 社 か ら森 の 逝 去 ま で 9年 。 黒 田障之助 入 社 に 反 対 黒 田善太郎 コ ク ヨ 創 物 心 っ い た 時 か (コ ク ヨ 会 し た 父 が 、 (父)

業者

ら 、 家 長 と し て 、 長) 他 人 以 上 に 1879-1966 店 の 主 人 と して 1916一 自分 を 律 せ 威 厳 を持 っ た 姿 よ と い う 厳 37 に 畏 敬 の 念 。 父 24 し い 言 葉 。

の 性 根 の 座 っ た 上 事 業 観 。 障 之 助 が50歳 の 時 父 逝 去 。 長期密 着型メンター に関する序説 的研 究一 日本 の経 営者 にとってのメンターの役割 と影響一101

(24)

水野健次郎

大 学 卒 業 後 、 水野利 八

美 津 濃 創

父 の ス ポ ー ツ の (美 津 濃 社 大 日電 線 に (父)

業者

普 及 、 体 力 向 上 長) 入 社 。1942 1884-一 一1970 が 自分 に で き る 1913--1999 年 、 家 業 の 報 国 の道 との信 美 津 濃 に 取 29 念 。 父 の経 営 哲 25 巻 締 役 と し て

学 を 徹 底 。 二 代 入 社 。 上 目 と して の 道 を 模 索 。 先 人 を 乗 り越 え る気 概 で 経 営 。56歳 の 時 、 父 逝 去 。 五 島昇 父 へ の 反 抗 五島慶 太 東 急 グル ー 弟 の 死 で父 の弱 (日 本 商 工 心 か ら事 業 (父)

プ創業者

さ を 見 て 、 反 抗

会議所名誉

は 継 が な い 1882-1959 で き な く な る 。 会頭) と 決 め て い 34 事 業 を引 き継 が 26 巻 1916-1989 た が 、 弟 の

せ た い気 持 ち を 戦 死 で 事 業 上 理 解 。 東 映再建 を 継 ぐ 。 に あ た り事 業 の 鬼 を 見 る 。42歳 の 時 、 父 逝 去 。

林原健

1961年 、 大

井深大

ソ ニ ー 社 大 学 を卒 業 した (林原社長) 学2年 で 、 父 1908-1997

22歳 の 時 、 井 深 1942一 死 去 。19歳 に 出 会 い 、 逝 去 で 社 長 就 任 。 34 ま で33年 に 渡 り 38 巻 1964年 に 井

指 導 を 受 け る。 深 に 出 会 う。 独 自技 術 を開発 す る方 向 を決 め る 大 き な 力 と な る 。 (出 所)『 私 の 履 歴 書 経 済 人 』 を 基 に 筆 者 作 成 。 後 継 者 型 の 長 期 密 着 型 メ ン タ ー は 、 先 代 の 実 父 の 場 合30歳 前 後 年 上 で あ り、 メ ン タ ー が 義 父 の 二 つ の ケ ー ス で は21歳 年 上 と な っ て い る 。 実 父 、 義 父 以 外 の メ ン タ ー で は 、 山 本 為 三 郎(朝 日麦 酒 社 長 、2巻)、 林 原 健(林 原 社 長 、38 巻)の ケ ー ス の よ うに 、 父 逝 去 後 、 父 ほ ど年 齢 が 離 れ た30歳 く らい 年 上 が メ ン タ ー と な っ て い る。

(25)

メ ン ター 関係 が 形 成 され る過 程 をみ て み る と、 実父 が メ ン タ ー の 場 合 、 幼 少 期 よ り父親 の仕 事 をす る姿 をみ て 育 ち 、仕 事 や 目標 に関連 した機 能 が 多 い。 義 父 が メ ン ター の場 合 、 初 期 キ ャ リア に お け る結 婚 を きっ か け と して 、 後 継 者 と して 、 責 任 あ る仕 事 を任 され る よ うに な って い る。 ま た は メ ン ター の仕 事 に対 す る姿 勢 へ の 共感 とい っ た機 能 が 多 い。 中 山均(日 銀 政 策 委 員 会 委 員 、2巻)の 場 合 は 異 質 な ケ ー ス だ が 、 父 の 「人 間 は 学校 を 出 た だ け で は だ め で 、 誰 か偉 い 人 に つ い て 修 業 しろ 」 の 言 葉 で 、 大 学 卒業 後r54歳 年 上 の金 原 と半 年 間 起 居 を と もにす る。 金 原 の生 き方 に共 感 し、そ の 後 、慈 善事 業 に尽 く し、 つ つ ま しい 生 活 を し、 学 生 の 面倒 を み る とい う金 原 と同様 の道 を歩 ん で い る。 中 山 に とっ て 金 原 は ま さ に人 生 の 師 そ の も ので あ る。 次 に メ ン タ ー 関係 の長 さに つ い て は 、 プ ロテ ジ ェ...._が40代か ら50代 の 頃 に メ ン ター が 逝 去 す るま でそ の 関係 が 続 い て い る。 この よ うに後 継 者 型 の長 期 密 着 型 メ ン ター は 、 ほ とん どが 父 や 義 父 とい っ た先 代 で あ り、 そ の 関係 は メ ンタ ー が 逝 去 す る ま で続 い て い る。 メ ン タ リン グは仕 事や 目標 に関 連 し、特 に仕 事 に対 す る姿 勢 へ の 共感 の メ ン タ リン グ が 強 い。 4)創 業型 の 長 期 密 着 型 メ ン ター の傾 向 創 業 型 の長 期 密 着 型 メ ンタ ー は ほ とん どみ られ ず 、 表6の よ うに ま とめ ら れ る。 表6創 業 型 の長 期 密 着 型 メ ンタ ー(103∼104頁)

経営者名

メ ン タ ー に メ ン タ ー 名 出 会 っ た 備 考(『 私 の 履

(掲 載 時 肩 出 会 っ た 頃 と生没 年 頃 の メ ン

歴 書 』 に よ る メ

書 き)と

状況

タ ー 肩 書

ン タ ー か ら の 影

没年

響 …) 長 期密着 型メンター に関す る序説 的研 究一 日本 の経営者 にとってのメンター の役 割 と影 響一103

(26)

石井久

証 券 業 界 入

高橋亀吉

経 済 評 論

尊敬 してや ま な (立 花 証 券 り で お 世 話 1891-1977 家 ・経 済 い 最 高 の 師 。 金 会長) に な っ た 天

史研究者

融 的 な 経 済 の見 1923一 沼 両 平 よ り 方 か ら知恵 を盗 高 橋 の 紹 介 。 32 み 、 株 式 相 場 に 30 1948年 、 初

応 用 。 親 近 感 を

め て 高 橋 宅 訪 問。

覚 え、 勉 強す れば 自分 もやれ る とい う励み になっ た 。 出 会 っ て か ら高 橋 逝 去 ま で 約30年 。 (出 所)『 私 の 履 歴 書 経 済 人 』 を 基 に 筆 者 作 成 。 表6の 石 井 久 の 場 合 、 長 期 密 着 型 メ ン タ ー は 、 外 部 の 相 談 相 手 で あ り、 師 とい う存 在 で あ る 。 メ ン タ ー の 知 恵 を 盗 み 、 ス キ ル の 見 本 と して い る。 創 業 型 の 経 営 者 の 場 合 、 表2に ま とめ た よ うに メ ン タ ー の 存 在 や そ の 影 響 が も っ と も少 な い 。 メ ン タ ー が 存 在 す る 場 合 も 、 あ る 一 時 期 に 仕 事 や 金 銭 を 提 供 す る ス ポ ン サ ー で あ る こ と が 多 い 。 ま た は 、 創 業 型 の 強 い 人 間 関 係 は 、 事 業 の パ ー トナ ー に み られ る こ と が 多 い 。 た と え ば 、 平 塚 常 次 郎(日 魯 漁 業 社 長 、3巻)は 、26歳 の 時 に 生 涯 の 仕 事 の パ ー トナ ー で あ る堤 清 六 と 出 会 い 、1909年 、 二 人 で 堤 商 会 を 発 足 させ る 。 1931年 に 堤 が 死 去 す る と事 業 が む な し く感 じ られ る ほ ど 、 強 い 絆 の パ ー トナ ー で あ っ た 。 こ の よ うに創 業 型 の 場 合 、 長 期 密 着 型 メ ン タ ー は ほ と ん どみ られ ず 、 存 在 し て も外 部 の 相 談 相 手 か 、 あ る 一 時 期 の メ ン タ ー で あ る こ とが 多 い 。 4.若 干 の ま と め 『私 の 履 歴 書 経 済 人 』(1∼38巻)の 中 か ら経 営 者 の 長 期 密 着 型 メ ン タ ー の 分 析 に お い て 、 ① メ ン タ ー に 出 会 っ た 時 期 、 ② 出 会 っ た 時 の 状 況 と メ ン タ ー の 役 職 、 ③ メ ン タ ー とプ ロ テ ジ ェ ー の 年 齢 差 、 ④ メ ン タ ー 関 係 の 年 数 、 ⑤ 具 体 的 な メ ン タ リ ン グ 内 容 は 、 以 下 の よ うに ま と め られ る。

(27)

ま ず メ ン タ ー に 出 会 っ た 時 期 は 、 プ ロ テ ジ ェ ー の キ ャ リ ア ・ス テ ー ジ か ら み る と、 どの 類 型 の 経 営 者 も 、 ほ とん ど が 初 期 キ ャ リア で あ る 。 レ ビ ン ソ ン や ク ラ ム は 、 メ ン タ ー と の 関 係 は 初 期 キ ャ リア で よ り重 要 と指 摘 して い る18。 そ れ は 初 期 段 階 で の キ ャ リア が そ の 後 の キ ャ リア を 大 き く規 定 し 、 影 響 す る か ら で あ る。 本 稿 の 分 析 か ら も 、 や は りキ ャ リア ・ス テ ー ジ の 初 期 段 階 で 強 い パ ワ ー を 持 っ た 良 き メ ン タ ー に 出 会 う こ と が 望 ま しい と 言 え る 。 ふ た つ め の 、 メ ン タ ー に 出 会 っ た 時 の 状 況 と メ ン タ ー の 役 職 に つ い て は 、 メ ン タ ー は 出 会 っ た 時 既 に 高 い 職 位 や 権 力 を 持 っ た 部 課 長 ク ラ ス や 役 員 ク ラ ス の 場 合 が 多 い 。 生 え抜 き 型 と転 職 型 の 場 合 は 、 恩 師 や 親 戚 の 紹 介 な どの 縁 で メ ン タ ー と出 会 い 入 社 して い た り、 あ る 時 期 の 直 属 上 司 だ っ た こ と か ら メ ン タ ー 関 係 が 続 く こ と が 多 い 。 後 継 者 型 の メ ン タ ー は 、 ほ と ん ど が 身 内 で あ る 先 代 と し て の 実 父 や 義 父 で あ る 。 創 業 型 に は 、 長 期 密 着 型 メ ン タ ー は ほ と ん どみ られ ず 、 存 在 す る の は 事 業 の パ ー トナ ー で あ っ た 。 三 つ 目 は メ ン タ ー と プ ロ テ ジ ェ ー の 年 齢 差 で あ る。 メ ン タ ー と の 年 齢 差 に つ い て レ ビ ン ソ ン は 、 ふ つ う8歳 か ら15歳 年 上 で あ る とい う。 年 齢 差 は こ れ く らい が 普 通 で 、 あ りす ぎ る と親 子 の 関 係 の よ う に な り、 な さす ぎ る と同 輩 の よ うな 気 持 ち に な りや す い と して い る'9。実 際 に は 、 メ ン ター とプ ロテ ジ ェ ー の 年 齢 差 は 、 出 会 っ た 際 の 役 職 に 大 き な 差 が あ る た め 、10歳 か ら30歳 く ら い の 年 齢 差 が あ る こ と が 多 か っ た 。 四 つ 目の メ ン タ ー と の 関係 の 長 さ に つ い て は 、 ク ラ ム は 、 メ ン タ ー 関 係 は 、 普 通2年 か ら5年 継 続 す る と述 べ て い る20。 し か し な が ら 、 長 期 密 着 型 メ ン タ ー と の 関 係 の 場 合 、 初 期 キ ャ リア に 関 係 が 始 ま り、 メ ン タ ー が 逝 去 す る ま で 続 い て い る ケ ー ス が 多 い 。 メ ン タ ー の 年 齢 や 逝 去 した 年 齢 に も 因 る が 、 そ の 関 係 は 数 十 年 続 い て い て 、 長 い 場 合 は5,60年 に 渡 る。 非 常 に 長 い 強 固 な 関 係 で 、 ま さ に 仕 事 を 通 じて 人 生 を と も に して い る 。 最 後 に 具 体 的 な メ ン タ リ ン グ 内 容 に つ い て ま と め て み よ う。 長 期 密 着 型 メ ン タ ー の メ ン タ リ ン グ 内 容 は 、 仕 事 に 関 連 した 日常 指 導 お よ び 目標 に 関 連 し 長 期密着 型メンター に関す る序説 的研 究一 日本 の経 営者 にとってのメンター の役 割 と影 響 一105

(28)

た事 業観 ・経 営観 の 醸 成 へ の影 響 が 多 い。 具 体 的 な メ ン タ リン グ に は 、仕 事 の提 供 、 能 力 証 明 の 機 会 付 与 、仕 事 に 関す る助 言 、 キ ャ リアモ デ ル と して の 存 在 、仕 事 に対 す る姿 勢 へ の 共感 、 人 間的 な 尊 敬 とい っ た機 能 が多 くみ られ る。 メ ン タ リン グの 内容 は 、類 型 別 に違 う とい うよ り、 メ ン ター が社 内 に存 在 す るか 、社 外 に 存 在 す るか で違 うこ とが多 い 。 社 内 の長 期 密 着 型 メ ン ター は 、優 秀 な プ ロテ ジ ェ ー を 片腕 と し、 後 継 者 と して育 成 して い る。 経 営 者 と して ふ さ わ しい か仕 事 を 与 え、 そ の 能 力 を試 して い る よ うにみ え る。 生 え抜 き型 とメ ン ター との 関係 は 、企 業 内 で の 「閥 」 に な りや す い 面 もあ る が、 メ ンタ ー に とっ て プ ロテ ジ ェ ー は事 業 を託 す 相 手 で あ り、 プ ロテ ジ ェー に とっ て は 、 メ ン ター か ら事 業 を 引 き継 ぐ とい っ た相 互 性 を持 って い る。 これ に対 し、社 外 の メ ンタ ー は 、長 期 密 着 型 の ケー ス は 少 な く、 そ の機 能 は助 言 や 相 談 、仕 事 に対 す る姿 勢 へ 共 感 す る とい うもの に と どま っ て い る。 この よ うに長 期密 着型 メ ン ター は 、主 に社 内 に存 在 して い る。 プ ロテ ジ ェー はメ ンター を見込 ん でつ いてい く、メ ンター は高い職位 や 権力 を持 ちプ ロジ ェー を見 込 ん で 目を か け る とい う関係 に あ る。 メ ン ター は 高度 で 責任 あ る仕 事 を 任 せ 、 プ ロテ ジ ェー はそ の期 待 に応 え て成 果 を 出 して い る。 プ ロテ ジ ェー は、 長 期 間 を か け て 経 営 者 と して 育 て られ 、 必 要 な 経 営 能 力 を身 につ け て い る。 そ こ に は メ ン ター に もプ ロテ ジ ェー に も共 通 した企 業組 織 へ の 強 い コ ミ ッ ト が あ る。 さて 、 こ こま で 長 期 密 着 型 メ ン ター につ い て 分 析 して きた が 、 あ る一 時 期 に のみ 影 響 を与 え る メ ン ター と長 期密 着 型 メ ン ター の比 較 は ひ とつ の課 題 で あ る。 ま た 、 今 回 丁 寧 に行 え な か っ た キ ャ リア ・ステ ー ジ 毎 の メ ン タ リン グ の 変 化 や メ ン ター の 役 割 を分 析 す る こ とも課 題 で あ る。 これ らの 点 につ い て は 、 今 後 よ り研 究 を発 展 させ て い き た い 。

参照

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