2015-09-30 收稿,2015-11-06 通過刊登 DOI: 10.6183/NTUJP.2015.30.27
藤 村 『 異 鄉 人 』 中 的 繪 畫
─夏 凡 諾 的 〈 貧 窮 的 漁 夫 〉 所 發 揮 之 機 制 ─
范 淑 文*摘 要
眾 所 周 知 , 島 崎 藤 村 在 妻 子 過 世 後 , 與 來 家 裡 幫 忙 家 務 的 姪 女 駒 子 (二 哥 的 第 二 個 女 兒 )發 生 不 倫 關 係 , 為 了 要 擺 脫 不 倫 關 係 伴 隨 的 苦 惱,於 大 正 二 (1913)年 4 月 留 下 駒 子 及 小 孩 們,隻 身 遠 渡 法 國。之 後 , 於 大 正 五 (1916)年 4 月 終 於 在 海 外 生 活 劃 下 句 點 返 回 日 本 , 為 要 找 出 一 條 生 路 , 跟 駒 子 的 關 係 做 一 個 了 斷 , 決 定 透 過 寫 成 小 說 而 將 這 層 叔 姪 不 可 告 人 的 關 係 公 諸 於 世 。 這 個 〈 新 生 事 件 〉 公 開 後 執 筆 的 『 異 鄉 人 』 由 離 開 日 本 寫 起 , 內 容 包 括 三 年 的 法 國 生 活 及 其 心 境。換 言 之,『 異 鄉 人 』所 描 寫 的 內 容 可 以 視 為 是 藤 村 由 叔 姪 不 倫 關 係 的 苦 惱 逃 離 , 進 而 找 出 一 條 生 路 的 時 間 與 空 間 。 藤 村 旅 居 之 法 國 , 在 當 時 是 畫 家 們 憧 憬 之 地 , 可 以 說 是 到 處 洋 溢 著 藝 術 氣 氛 的 國 家,『 異 鄉 人 』裡 的 主 人 翁 岸 本 (作 者 藤 村 )跟 許 多 畫 家 往 來 頻 繁 , 其 中 , 夏 凡 諾 的 名 字 以 及 主 人 翁 多 次 去 觀 賞 他 作 品 的 描 寫 頗 富 涵 意 。 拙 稿 中 將 探 討 畫 家 名 字 的 出 現 的 意 義 、 夏 凡 諾 最 為 有 名 的 〈 貧 窮 的 漁 夫 〉如 何 發 揮 效 應 解 決〈 新 生 事 件 〉,藉 此 釐 清 主 人 翁 岸 本 的 心 境 、 如 何 找 出 生 路 。 關 鍵 詞:島 崎 藤 村、『 異 鄉 人 』、〈 新 生 事 件 〉、夏 凡 諾、〈 貧 窮 的 漁 夫 〉、 機 制 * 台 灣 大 學 日 本 語 文 學 系 教 授A Study on the Pictures in Toson Shimazaki’s Étranger
:
Focusing on the Machenism of Chevannes’s
The Poor
Fisherman
Fan, Shu-wen*
Abstract
As most people knows, Toson Shimazaki committed adultery with his niece( the second daughter of his second brother ) , Komako, who helped him with housework after his wife passed away. To escape from confrontations, he left Komako and his children behind, and fled to France along in April 1913. His life abroad ended in April 1916 , when Toson went back to J apan, and tried to figure out a solution for the relationship. Afterwards, Toson decided to publish the episode in his new novel, and told publics about his incestuous affair, which is called “the Sinsei event”.
After the Sinsei event went public, Toson started another new work called É tranger, which is regarding his thoughts and 3 -year life in France. In other words, the contents of É tranger could be deemed as his escape from the incestuous affair, and therefore, bought him some time and space to figure out the final solution.
In Toson’s time, France is a promised land for all artists. The spirits of art could be felt all over the count ry. The main character of É tranger, Kishimoto ( who actuall y implies Toson himself ) , kept close
*
P ro fe s s or, D ep ar t me n t o f J a pa ne s e La ngua g e a nd Li t er a t ur e, N a t io na l Ta i wa n U ni ve r s i t y
relationships with many artists. Among those descriptions, the artist Chevannes and the scenes that Kishimoto appreciated his art works are with certain implica tions. This study focused on the implications of this artist, and expected to figure out how Chevannes’s most famous work, The Poor Fisherman , helped Kishimoto solve the Sinsei event , and eventuall y find his way home.
Keywords: Toson Shimazaki , É tranger, Shinsei Event , Chevannes, The Poor Fisherman , Machenism
藤 村 の 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 に 眠 る 絵 画
― シ ャ ヴ ァ ン ヌ 作 「 貧 し き 漁 夫 」 の メ カ ニ ズ ム ―
范 淑 文*要 旨
周 知 の と お り に 、 島 崎 藤 村 は 妻 の 死 後 、 家 事 の 手 伝 い に 来 た 次 兄 広 助 の 次 女 こ ま 子 と 不 倫 関 係 を 持 ち 、 そ の 不 倫 が も た ら し た 苦 悩 か ら 逃 れ よ う と 、 大 正 2 ( 1913) 年 4 月 に こ ま 子 及 び 子 供 た ち を 残 し て フ ラ ン ス へ 渡 っ た の で あ る 。 そ の 後 、 大 正 5( 1916) 年 4 月 に 帰 朝 し た 藤 村 は 、 一 つ の 生 き る 道 を 開 こ う と し 、 こ ま 子 と の 関 係 を 清 算 す る つ も り で 書 く こ と を 通 し て 世 間 に 公 開 し た 。 こ の 「 新 生 事 件 」 の 公 表 後 、 執 筆 し た 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 は 、 旅 立 ち か ら 、 そ の 後 の 三 年 間 の フ ラ ン ス で の 生 活 振 り や 心 境 が 描 か れ て い る 。言 い か え れ ば 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』は 不 倫 の 苦 悩 か ら 逃 れ 、洋 行 し 、 そ こ で 次 の 生 き る 道 を 藤 村 が 見 出 そ う と し て い た 時 間 と 空 間 の 物 語 と 見 な す こ と が で き る 。 さ て 、 藤 村 の 旅 先 で あ る フ ラ ン ス と い え ば 、 当 時 画 家 た ち の 憧 れ の 地 で あ り 、 芸 術 の 雰 囲 気 が 漂 う 国 で あ る こ と は 言 う ま で も な い 。 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 に は 、 藤 村 自 身 が モ デ ル と な っ た 岸 本 の 色 々 な 画 家 と の 交 流 な ど が 多 く 描 写 さ れ て い る 。 そ の 中 で も 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 名 や 彼 の 作 品 を 見 に 行 っ た こ と へ の 言 及 が 目 だ つ 。 こ の よ う に 画 家 シ ャ ヴ ァ ン ヌ へ の 言 及 や 彼 の 最 も 有 名 な 絵 画 「 貧 し き 漁 夫 」 は 藤 村 に の し か か る 「 新 生 事 件 」 の 解 決 に ど の よ う な 役 割 を 果 た し て い る か 、 な ど を 明 ら か に し 、 そ れ を 通 し て 岸 本 の 心 境 、 ま た 生 き る 道 に ど の よ う に つ な が っ て い っ た の か 、 な ど の 問 題 点 の 解 明 を 本 稿 の 主 旨 と す る 。 * 台 湾 大 学 日 本 語 文 学 系 教 授キ ー ワ ー ド:島 崎 藤 村 、「 新 生 事 件 」、シ ャ ヴ ァ ン ヌ 、「 貧 し き 漁 夫 」、 メ カ ニ ズ ム
藤 村 の 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 に 眠 る 絵 画
― シ ャ ヴ ァ ン ヌ 作 「 貧 し き 漁 夫 」 の メ カ ニ ズ ム ―
范 淑 文 一 、 は じ め に 周 知 の と お り 、 島 崎 藤 村 は 妻 の 死 後 、 家 事 の 手 伝 い に 来 て い た 次 兄 広 助 の 次 女 こ ま 子 と 不 倫 関 係 を 持 ち 、 そ の 不 倫 が も た ら し た 苦 悩 か ら 逃 れ よ う と 、 大 正 2 ( 1913) 年 4 月 に こ ま 子 及 び 子 供 た ち を 残 し て フ ラ ン ス へ 渡 っ た の で あ る1。所 謂「 新 生 事 件 」の 処 理 の 一 環 だ と 思 わ れ る 。 そ の 後 、 大 正 5( 1916) 年 4 月 に 漸 く 三 年 の 海 外 生 活 に ピ リ オ ド を 打 ち 、帰 朝 し た 藤 村 は 、一 つ の 生 き る 道 を 開 こ う と し 、 こ ま 子 と の 関 係 を 清 算 す る つ も り で 書 く こ と を 通 し て 世 間 に 公 開 し た 。 大 正 7 ( 1918)年 、5 月 1 日 よ り 10 月 5 日 ま で 『 新 生 』第 一 部 を 『 朝 日 新 聞 』 に 連 載 し 、 更 に フ ラ ン ス 滞 在 期 間 中 の 体 験 を 題 材 に し た 作 品 を 次 々 と 発 表 し た 。『 エ ト ラ ン ゼ エ 』は 、後 の 大 正 11( 1921) 年 9 月 に 春 陽 堂 か ら 出 版 さ れ た 。つ ま り 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』の 執 筆 は 「 新 生 事 件 」が 公 表 さ れ た の ち に 、取 り 組 ん だ こ と に な る 。こ の『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 は 、 日 本 を 旅 立 っ た 時 点 か ら 後 の 三 年 間 の フ ラ ン ス で の 生 活 振 り や 心 境 な ど が 描 か れ て い る 。ま た 、一 部 の 内 容 が『 新 生 』 と 重 な っ て い る 点 か ら 鑑 み 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』に 描 か れ て い る 作 者 藤 村 を モ デ ル と す る 主 人 公 岸 本2に と っ て 、フ ラ ン ス で の 三 年 の 生 活 は 、 文 字 通 り 彼 が 次 の 生 き る 道 を 見 出 そ う と す る 時 間 で あ り 、 空 間 で も あ っ た 。と な れ ば 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』に は 主 人 公 岸 本 が 自 己 救 済 の た め に 生 き る 道 を 見 出 そ う と す る そ の プ ロ セ ス 、 或 い は そ の ス ト ラ テ ジ ー を 考 え て い た 状 況 が 語 ら れ て い る こ と は 言 う ま で も な い で あ ろ 1 瀬 沼 茂 樹 『 評 伝 島 崎 藤 村 』( 1 981 .1 0. 15 筑 摩 書 房 ) を 参 照 。 2 第 一 人 称 で は な く 、第 三 人 称 と い う 手 法 で 主 人 公 を 新 た に 岸 本 と 定 め た の は 、 自 己 を よ り 客 観 的 に 見 つ め る た め 物 語 の 外 部 の 視 点 よ り 眺 め る と い う 便 宜 を 図 っ た 可 能 性 が 考 え ら れ る の で あ ろ う 。う 。 さ て 、 藤 村 の 旅 し た フ ラ ン ス と い え ば 、 当 時 画 家 た ち に と っ て の 憧 れ の 地 で あ り 、 芸 術 の 雰 囲 気 が 漂 う 国 で あ る こ と は よ く 知 ら れ て い る 。『 エ ト ラ ン ゼ エ 』に は 、主 人 公 岸 本 が 泊 ま っ て い た 下 宿 に 日 本 人 画 家 が 住 ん で い た り 、「 国 か ら 来 て 巴 里 に 集 つ て 居 る 美 術 家 仲 間 に は い ろ / \ な 人 が あ つ た 。そ の 中 で も 私 は 山 本 君 を 一 番 早 く 知 つ た 。」 ( 33 章 P187) や 、「 さ う し た 場 所 に 集 ま つ て 見 る と 、 些 細 な 事 に 慰 め ら れ る の は 私 一 人 で も 無 い こ と が 思 は れ た 。 若 い 美 術 家 仲 間 は 一 杯 の 珈 琲 や ビ ー ル な ど に 旅 の 憂 さ を 忘 れ て 居 た 。」( 37 章 P191) な ど の 描 写 が あ る よ う に 、 色 々 な 画 家 と の 交 流 の よ う す が 多 く 描 か れ て い る 。特 に 、19 世 紀 の フ ラ ン ス の 著 名 な 画 家 シ ャ ヴ ァ ン ヌ( 一 般 に は シ ャ ヴ ァ ン ヌ 、 藤 村 の 「 水 彩 画 家 」 に も シ ャ ヴ ァ ン ヌ と さ れ て い る が 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 に は 「 シ ャ ヷ ン ヌ 」 と 表 記 さ れ て い る 。) の 名 や 彼 の 作 品 を 見 に 行 っ た こ と へ の 言 及 は 目 を 引 く 。 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 名 は こ の 他「 水 彩 画 家 」3な ど の 作 品 に も 盛 り 込 ま れ て い る 。で は 、 画 家 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の こ の よ う な 言 及 を 始 め 、 彼 の 最 も 有 名 な 絵 画「 貧 し き 漁 夫 」は 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』に 、ま た「 新 生 事 件 」の 処 理 に ど の よ う な 意 義 を も っ て い る の か 、 ま た 如 何 な る 役 割 を 果 た し て い る の か 、 本 論 で は こ の よ う な 問 題 点 を 探 っ て み る 。 さ ら に そ れ ら は 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 の 主 人 公 、 岸 本 の 心 境 に ど の よ う に 現 れ て い る の か 、 言 い 換 え れ ば 、 所 謂 生 き る 道 と し て 岸 本 は 如 何 な る 身 辺 の も の を 有 効 に 使 っ た の か 、 な ど の 問 題 点 の 解 明 に も つ な が る も の で も あ る 。な お 、考 察 の 便 を 図 る た め に 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』と 内 容 が か な り 重 な り 、 主 要 登 場 人 物 の 名 も 共 通 し て い る 『 新 生 』 を 考 察 の 対 象 と す る 。 3 ヨ ー ロ ッ パ か ら 帰 朝 し た 主 人 公 画 家 伝 吉 が 新 し い 住 居 へ 昔 懇 意 し て い た 女 性 清 乃 を 案 内 し 、建 築 の 設 計 を 話 し て 聞 か せ る 場 面 に 、「 欧 羅 巴 か ら 持 つ て 帰 つ た 名 画 の 写 真 、 そ れ を 見 せ る の が 、 第 一 の 目 的 で 、 斯 う し て 伝 吉 は 清 乃 を 誘 つ て 来 た の で あ る が 、 さ て 其 を 取 出 し た 頃 は 妙 に 手 が 震 へ て 来 た 。 そ の な か に は 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 新 し い 壁 画 も あ つ た 。」 と 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 画 に 言 及 し て い る 。 「 水 彩 画 家 」『 島 崎 藤 村 全 集 第 二 巻 』 1981.1.20 筑 摩 書 房 P217
二 、 偶 然 に ( ? ) 岸 本 の 旅 先 と な っ た フ ラ ン ス 先 ず 、藤 村( 岸 本 )4の 外 遊 の き っ か け に つ い て 、作 品 か ら 探 っ て み よ う 。 行 き 先 が フ ラ ン ス に 決 ま っ た の は 果 し て 偶 然 と 言 い 切 れ る だ ろ う か 。 不 倫 事 件 や そ の 苦 悩 な ど 旅 立 つ 前 の こ と か ら 語 り 始 め た 作 品 『 新 生 』 に は 次 の よ う に 描 か れ て い る 。 「 ね え 、 君 、 岸 本 君 な ぞ も 一 度 欧 羅 巴 を 廻 つ て 来 る と 可 い ね … … 」 客 は こ う し た 酒 の 上 の 話 も 肴 の 一 つ と い ふ 様 子 で 、 盃 を 重 ね て 居 た 。( 中 略 )「 も し 君 が 奮 発 し て 出 掛 け ら れ る や う な ら 、 僕 は ど ん な に で も 骨 を 折 り ま す … … 一 度 は 欧 羅 巴 と い ふ も の を 見 て 置 く 必 要 が あ り ま す よ … … 」 岸 本 は 黙 し 勝 ち に 、 友 人 の 話 を 聞 い て 居 た 。 ど う か し て 生 き た い と 思 ふ 彼 の 心 は 、情 愛 の 籠 つ た 友 人 の 言 葉 か ら 引 き 出 さ れ て 行 つ た 。 (『 新 生 第 一 巻 』『 島 崎 藤 村 全 集 第 六 巻 』 27 章 P43) 時 々 酒 に 誘 っ て く れ る「 元 園 町 の 友 人 」に 招 か れ た 席 上 で 、「岸 本 先 生 は 何 を 其 様 に 考 へ て 被 入 つ し や る ん で す か 。」「 奈 何 か な す つ た ん ぢ や な い か と 思 ふ ほ ど 蒼 い 顔 を し て 被 入 つ し や る こ と が あ る … … 」 と 、 店 の 女 中 た ち が 言 っ て い る ほ ど 岸 本 は 元 気 が な か っ た 。 数 日 後 、 そ の 友 人 は そ う し た 岸 本 を 元 気 づ け よ う と で も 思 っ た の か 再 び 誘 い 出 し 、 上 掲 の よ う に ヨ ー ロ ッ パ に 出 掛 け て 来 い 、 と 軽 い 気 持 ち で 提 案 し た の で あ る 。し か し 、「 私 の 様 子 は 、叔 父 さ ん に は 最 早 よ く お 解 か り で せ う 。」 「 節 子 は 極 く 小 さ な 声 で 、 彼 女 が 母 に な つ た こ と を 岸 本 に 告 げ た 。」 ( 13 章 P26) と い う 、 避 け よ う と し て い た 事 態 が ― ― 恐 れ て い た 結 果 が ― ― 到 頭 岸 本 の 身 に 訪 れ た 。 そ の よ う な 、 途 方 に 暮 れ た ― ― こ れ 以 上 姪 で あ る 節 子 と 一 緒 に そ こ に 住 む こ と が で き な い ― ― 岸 本 に と っ て は 、 友 人 の そ の 助 言 が 恐 怖 の 深 淵 か ら 自 分 を 救 っ て く れ る 絶 好 な 提 案 だ と 思 え た の だ ろ う か 、そ の 宴 の 席 か ら 帰 っ て 来 た 岸 本 は 、 4 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 の み な ら ず 、『 新 生 』 に も 「 岸 本 」 と い う 名 を 用 い 、 更 に 、 他 の 作 品 を め く っ て み れ ば 、 作 家 の 自 伝 と 思 わ れ る 『 春 』 な ど 初 期 作 品 に も 同 じ く 、 藤 村 を モ デ ル と す る 登 場 人 物 の 名 を 「 岸 本 」 で 統 一 し て い る 。
大 層 明 る く な っ て い る 。 何 事 も 知 ら ず に 居 る 姪 に ま で 自 分 の 心 持 を 分 け ず に 居 ら れ な か つ た 。 「 可 哀 さ う な 娘 だ な あ 。」 思 は ず そ れ を 言 つ て 、 彼 ゆ ゑ に 傷 つ い た 小 鳥 の や う な 節 子 を 堅 く 抱 き し め た 。 「 好 い 事 が あ る 。 ま あ 明 日 話 し て 聞 か せ る 。」( 中 略 ) と め ど も 無 く 流 れ て 来 る や う な 彼 女 の 暗 い 涙 は 酔 つ て 居 る 岸 本 の 耳 に も 聞 え た 。( 28 章 P44) こ の よ う に 、 岸 本 は 自 分 一 人 で 決 め た 洋 行 が 、 不 倫 の 相 手 で あ る 姪 に と っ て も 「 好 い 事 」 だ と 決 め つ け た 。 翌 日 、 岸 本 は 「 元 園 町 の 友 人 」に「 欧 羅 巴 」行 き を 決 心 し た 内 容 の 手 紙 を 寄 こ し た が 、「 酒 の 上 で 言 つ た や う な こ と を 、 左 様 岸 本 君 の や う に 真 面 目 に 取 ら れ て も 困 る 。」( 30 章 P45) と い う 友 人 か ら の 思 い が け な い 冷 た い 返 事 が 返 っ て き た 。更 に 、そ の 後 、そ の 友 人 が 訪 れ て 来 た 時 に 、「 何 も そ ん な に お 急 ぎ に 成 る 必 要 は 無 い で せ う ― ― ゆ つ く り お 出 掛 け に な つ て も 可 い で せ う 。」( 30 章 P46) と 、 あ た か も 先 日 の 話 は 本 気 で は な か っ た か の よ う な 言 い 方 を し た 。に も か か わ ら ず そ れ を 受 け た 岸 本 は「 思 ひ 立 つ た 時 に 出 掛 け て 行 き ま せ ん と ね 、 愚 図 々 々 し て る う ち に は 私 も 年 を 取 つ て し ま ひ ま す か ら 。」( 30 章 P46) と 、 一 向 に 決 心 を 変 え る 様 子 を 見 せ な か っ た 。「 こ の 旅 の 思 立 ち が 、い か に 兄 を 欺 き 、友 を 欺 き 、 世 を も 欺 く 悲 し き 虚 偽 の 行 ひ で あ る か を 思 は ず に 居 ら れ な か つ た 」( 31 章 P47) 岸 本 で は あ る が 、 節 子 の お 腹 が 目 立 つ 前 に 、 一 刻 も 早 く そ う し た 状 況 か ら 逃 れ よ う と す る 強 い 気 持 ち が 先 走 り 、 渡 航 と い う 目 的 の 邪 魔 に な る よ う な こ と や 考 え を 一 切 跳 ね 除 け 、 心 に 決 め た 洋 行 の 準 備 を ど ん ど ん と 進 め て い っ た の で あ っ た 。 洋 行 と 「 新 生 事 件 」 と の 関 連 性 に つ い て は 既 に 十 分 な 研 究 が な さ れ て い る こ と で あ り 、 そ れ 以 上 新 た な 論 考 を 挙 げ る 考 え は な い が 、 冒 頭 で も 触 れ た よ う に 、 物 語 と 絵 画 と の 関 わ り 、 物 語 と 絵 画 の 役 割 を 明 ら か に す る こ と が 本 稿 の 主 旨 で あ る こ と を 改 め て 断 っ て お く 。
そ の 洋 行 は こ こ ま で は「 元 園 町 の 友 人 」と の 相 談 で 、「 欧 羅 巴 」と い う 大 ま か な 方 向 し か 定 ま ら な か っ た 。 し か し 、 い よ い よ 出 発 が 迫 っ て 来 た 時 、 何 も 知 ら な か っ た 二 人 の 子 供 に 、 岸 本 は 次 の よ う に 語 っ た 。 「 二 人 と も お と な し く し て 聞 い て 居 な く ち や 不 可 。 お 前 達 は 父 さ ん の 行 く と こ ろ を よ く 覚 え て 置 い て お 呉 れ 。 父 さ ん は 仏 蘭 西 と い ふ 国 の 方 へ 行 つ て 来 る ― ― 」 「 父 さ ん 、 仏 蘭 西 は 遠 い ? 」 と 弟 の 方 が 訊 い た 。( 32 章 P48) こ こ に き て 初 め て 「 仏 蘭 西 」 と は っ き り 旅 先 が 明 ら か に な っ た 。 作 品 に は 語 ら れ て は い な い が 、 岸 本 が 色 々 と 情 報 を 集 め 、 ま た 「 元 園 町 の 友 人 」な ど 周 り の 友 達 と 相 談 し た 上 で 、「 仏 蘭 西 」に 決 め た 可 能 性 が 十 分 に 考 え ら れ る 。勿 論 、「 一 切 か ら 離 れ よ う 」と す る 、彼 の 心 の 底 に あ る 意 図 か ら 考 え れ ば 、 基 本 的 に は 外 国 で あ れ ば ど の 国 で も 都 合 が よ か っ た 筈 で あ る 。 が 、 敢 え て 「 仏 蘭 西 」 に 決 め た の は 、 当 時 洋 行 す る 画 家 た ち に と っ て は 「 仏 蘭 西 」 が 憧 れ の 地 で あ っ た こ と は 言 う ま で も な い 。 の み な ら ず 、 藤 村 の 随 筆 『 新 片 町 よ り 』 に は 「 有 島 君 が 洋 画 の 研 究 に 志 し て 遠 く 伊 太 利 を 指 し て 出 発 せ ら れ た の は 、 自 分 が 西 大 久 保 に 居 た 頃 の こ と で あ つ た 。」( P36)、ま た『 後 の 新 片 町 よ り 』に は「 此 間 有 島 壬 生 馬 君 が 訪 ね て 来 ら れ て 、 絵 の 話 に セ ザ ン の こ と が 出 た 。 其 の 話 の 中 に セ ザ ン は 、草 や 木 を 描 く と 同 じ 心 持 で 人 間 を 描 い ゐ る 、 と 或 る 人 が 評 し た と 云 ふ 話 が あ つ た 。」5と 、 当 時 の 有 名 な 画 家 と の 交 流 が 述 べ ら れ て い る こ と か ら 、 作 者 藤 村 は 何 人 も の 画 家 と 交 流 を し て い た の は 明 ら か で あ る 。 そ の よ う な 藤 村 の 随 筆 や 談 話 で は 、 し ば し ば 絵 画 に 触 れ て い る 。 次 の 引 用 文 は そ の 一 つ で あ る 。 絵 画 の こ と は 自 分 に よ く 解 ら な い が 、 ミ レ エ の 素 材 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 瞑 想 は 、 彷 彿 と し て 自 分 の 眼 前 に あ る 。 今 又 、 セ ザ ン ヌ の 新 し き 感 覚 を 加 へ た 。 自 分 は 斯 の 画 を 眺 め て か ら 、 日 頃 読 ん 5 『 後 の 新 片 町 よ り 』『 島 崎 藤 村 全 集 第 十 巻 』 198 1.11. 30 筑 摩 書 房 P 1 36 、 13 7
で 居 る 仏 蘭 西 の 小 説 に 特 別 の 香 気 を 覚 え た 。6 藤 村 は 絵 画 に つ い て は よ く 解 ら な い と 述 べ て は い る が 、 こ れ ら の 随 筆 や 「 水 彩 画 家 」 な ど の 絵 画 を 題 材 と す る 小 説 を 見 る 限 り で は 、 少 な く と も 洋 画 に つ い て あ る 程 度 の 見 識 が あ り 、 自 分 な り の 嗜 好 を 持 っ て い た に 違 い な い 。 ま た 随 筆 や 「 水 彩 画 家 」 な ど の 作 品 に シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 名 が よ く 登 場 し て い る 点 か ら み る と 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ は 藤 村 が か な り 心 を 傾 け て い た 画 家 で あ る と 言 え よ う7。 さ ら に 、 こ こ で 「 水 彩 画 家 」 を 加 え て 論 を 進 め て み よ う 。 妻 子 が い な が ら 、 音 楽 家 で あ る 独 身 の 女 性 清 乃 と 自 由 に 交 際 し て い る 主 人 公 で あ る 伝 吉 は 、 母 親 に 叱 ら れ 妻 に 不 快 を 買 わ れ て も な お 、 次 の よ う に 反 発 を し て い る 。 「 今 の 世 の 中 は を か し な 癖 で 、 男 と 女 が 交 際 す れ ば 直 に 妙 な 意 味 に 汲 る 。 そ ん な 世 間 で 言 ふ や う な こ と を 、 貴 方 が 信 ず る ん で す か 。( 後 略 )」 「 私 の 絵 を 観 て 呉 れ る 人 は ― ― 彼 女 で す 。 言 は ゞ 吾 儕 は 知 己 な ん で 、 男 だ の 、 女 だ の 、 そ ん な こ と は 最 早 忘 れ て 交 際 つ て る 。 女 房 が あ る か ら 、 女 の 友 達 に 交 際 つ て は 不 可 ― ― 家 庭 と い ふ も の が 左 様 な 狭 苦 し い も の で せ う か 。」(「 水 彩 画 家 」 8 章 P222、 223) 主 人 公 伝 吉 の 母 親 に 対 す る 反 発 は 、 ヨ ー ロ ッ パ に お け る 男 女 の 交 際 へ の 一 般 的 な 世 間 の 目 ― ― 「 知 己 」 の つ も り で あ れ ば 性 別 は 問 わ れ な い ― ― つ ま り 、 本 人 同 士 の 気 持 ち を 尊 重 す る と い う 自 由 な 風 潮 6『 新 片 町 よ り 』『 島 崎 藤 村 全 集 第 十 巻 』 1981.11.30 筑 摩 書 房 P37 7 沖 野 厚 太 郎 は 「 つ ま り 藤 村 は 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ に 対 し 《 種 蒔 く 人 》 や 《 晩 鐘 》 の ミ レ ー だ と か セ ザ ン ヌ と 同 等 、あ る い は そ れ 以 上 の 高 評 価 を あ た え る 、「 シ ャ ヴ ァ ン ヌ 熱 」の 」「 最 も 重 症 の 患 者 」の ど う や ら ひ と り ら し い の で あ る 。第 二 感 想 集 『 後 の 新 片 町 よ り 』 の 「 労 働 の 世 界 」 を 読 む と 、 パ リ の パ ン テ オ ン を か ざ る シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 壁 画 《 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ の 幼 少 期 》 を 、 藤 村 が 「 写 真 版 」 で す で に 知 っ て い た こ と は ま ち が い な い 。」 と 、 藤 村 の 芸 術 評 価 を 語 っ て い る 。 沖 野 厚 太 郎「 フ ラ ン ス 第 三 共 和 制 下 の 芸 術 宗 教――島 崎 藤 村 と ピ ュ ヴ ィ ス・ド ・ シ ャ ヴ ァ ン ヌ――」『 文 芸 と 批 評 』 第 11 巻 第 10 号 2014.11.25 文 芸 と 批 評 の 会 P 40
へ の 憧 れ の 現 わ れ で あ ろ う 。そ の よ う な ヨ ー ロ ッ パ の 風 潮8に 藤 村 が 惹 か れ て い た こ と は 初 期 の 『 春 』 な ど の 自 伝 小 説 に も 十 分 に う か が え よ う 。 す な わ ち 、 男 女 の 交 際 の 自 由 な ヨ ー ロ ッ パ 、 そ し て 画 家 ― ― そ の 男 女 の 交 際 に お い て 更 に 自 由 に 振 る 舞 う 人 ― ― が 集 中 し て い る フ ラ ン ス が 、 不 倫 事 件 で 苦 悩 し て い る 岸 本 ( 藤 村 ) に と っ て は 猶 更 好 都 合 な 国 と さ れ た の で は な か ろ う か 。 と な れ ば 、 旅 先 を フ ラ ン ス に し た の は 完 全 な 偶 然 と は 言 い 切 れ な く な る 。 三 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 に 織 り 込 ま れ て い る シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 絵 さ て 、『 新 生 』の 主 人 公 で あ り 、ま た『 エ ト ラ ン ゼ エ 』の 主 人 公 で も あ る 岸 本 の 旅 先 が フ ラ ン ス に な っ た の は そ の 必 然 性 か ら で あ る 。 言 い 換 え れ ば 岸 本 に と っ て の メ リ ッ ト は ど こ に あ る の だ ろ う か 、 そ れ を 考 え る 必 要 が あ る 。 上 述 し た 自 由 な 空 気 、 画 家 の 自 由 な ラ イ フ ス タ イ ル 以 外 に 、岸 本 が 画 家 た ち と よ く 付 き 合 っ た り9、絵 画 を 見 に 行 っ た り す る こ と は ど ん な 意 識 の 現 れ な の か 、 次 に 考 察 し て み る 。 絵 画 の 視 座 よ り 考 察 す る 前 に 、 先 ず 従 来 の 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 研 究 を 幾 つ か 掲 げ て お こ う 。 ( 1)か つ て 表 現 さ れ た 呵 責 と 罪 の 意 識 、遠 心 力 と 求 心 力 の 緊 張 関 係 は 、 こ こ に 戦 乱 の 異 国 を 漂 泊 す る 不 安 と 旅 情 に 置 き 換 え ら 8 時 間 が 少 し 前 後 を し て い る が 、『 新 生 』に な る と 、さ ら に そ の よ う な 自 由 な 風 潮 が 赤 裸 々 と な る 。よ く 岸 本 の 下 宿 に 訪 ね て 来 る 岡 と い う 画 家 が 、「 二 人 の 間 に は モ デ ル と 同 棲 す る 美 術 家 達 の 噂 が 引 出 さ れ て 行 つ た 。 旅 に 来 て は 仏 蘭 西 の 女 と 一 緒 に 住 む 同 胞 も 少 な く な か つ た 。」(『 新 生 第 一 巻 』 70 章 、 P 88) と 、 自 分 の 国 で は 批 判 さ れ る よ う な 乱 れ て い る 生 活 を し て い る 画 家 が 少 な く な い こ と を 時 々 岸 本 に 聞 か せ る 。 9 「 小 杉 君 が 帰 国 の 日 も 近 づ い た 頃 、 私 は 地 下 電 車 で エ ト ワ ア ル の 広 場 ま で 行 つ て 、 凱 旋 門 の 附 近 に 集 る 五 人 の 美 術 家 と 一 緒 に 成 つ た 。 そ れ は 巴 里 の 郊 外 に あ る ペ ル ラ ン 氏 の 住 宅 に セ ザ ン ヌ の 遺 画 を 見 る た め で あ つ た 。 五 人 の 美 術 家 と は 小 杉 君 の 外 に 、満 谷 君 、小 林 君 、山 本 君 、桑 重 君 で あ つ た 。」 と い う 一 節 か ら 、 岸 本 が フ ラ ン ス に い る 画 家 と よ く 交 流 し て い る こ と が よ く う か が え る 。( 42 章 、P197)『 エ ト ラ ン ゼ エ 』『 島 崎 藤 村 全 集 第 10 巻 』1981.11.30 筑 摩 書 房
れ て 、 比 類 の な い 旅 愁 の 深 さ の 流 露 と な り 、 こ の 作 品 の 基 調 を か た ち 造 る の で あ る 。1 0( 下 線 筆 者 、 以 下 同 ) ( 2) 藤 村 は 一 個 の エ ト ラ ン ゼ エ と し て 、「 東 洋 人 」 と い ふ 自 覚 を 抱 か し め ら れ た 。 巴 里 へ 来 て み て よ く シ ナ 人 に ま ち が は れ る が 、 東 洋 人 と し て ど ん な 待 遇 を う け た か 。 そ こ か ら 彼 は 自 国 に お け る シ ナ 人 の 位 置 を 反 省 し て ゐ る 。1 1 ( 3)要 す る に 、「 エ ト ラ ン ゼ エ 」と の 会 話 に は 、「 私 」が フ ラ ン ス に 行 つ て 掴 ん だ 変 換 の 兆 し が 集 約 さ れ て い る の で あ る 。 そ の 一 つ が 内 面 の 病 気 を 治 す た め の 「 心 の 革 命 」 で あ る 。 そ し て も う 一 つ が 、 異 国 の 学 習 と 省 察 に よ る 、 伝 統 の 見 直 し 、 愛 国 心 と 同 時 に 冷 静 に 自 分 の 国 を 見 つ め 得 る 眼 目 の 獲 得 で あ る 。1 2 ( 1)に 挙 げ て い る の は 、戦 乱 の 環 境 に 身 を 置 か れ た 岸 本 が 戦 よ り 齎 さ れ た 不 安 に 囚 わ れ 、「 新 生 事 件 」の 不 安 が そ れ に 置 き 換 え ら れ た と い う 、 山 田 晃 の 見 解 で あ る 。( 2) は 、 フ ラ ン ス で 喰 わ さ れ た 「 エ ト ラ ン ゼ エ 」 扱 い か ら 、 主 人 公 が 改 め て 国 に い た 時 の 自 分 を 省 察 し て い る と 、フ ラ ン ス 生 活 の 意 義 に つ い て の 亀 井 勝 一 郎 の 捉 え 方 で あ る 。 ( 3)は 、岸 本( 藤 村 )に と っ て の フ ラ ン ス で の 生 活 の 意 義 に つ い て 、 個 人 の 面 及 び 、 国 ( 伝 統 ) と い う ス ケ ー ル の 面 と の 二 つ の 省 察 だ と い う 、 姜 政 均 の 捉 え 方 で あ る 。 姜 政 均 が 語 っ た 「 愛 国 心 」 に ま で 果 た し て 至 っ て い る か は 些 か 考 え る 余 地 が あ る と は 思 う が 、 そ れ 以 外 の 論 点 は 主 人 公 ( 或 は 藤 村 と も 言 え る ) の 内 面 に 対 す る 省 察 で 、 戦 争 か ら の 不 安 に よ っ て 都 合 よ く 置 き 換 え ら れ た と い う 見 解 で あ る 。 い ず れ も 内 面 を 見 詰 め る 主 人 公 の 姿 勢 が 多 か れ 少 な か れ 感 じ 取 れ る 。 ( 一 ) シ ャ ヴ ァ ン ヌ に 惹 か れ る 岸 本 1 0 山 田 晃 「 海 へ ・ エ ト ラ ン ゼ エ 」『 国 文 学 解 釈 と 教 材 の 研 究 特 集 島 崎 藤 村 と 日 本 の 近 代 』 4 月 号 1971.4 學 燈 社 P124 1 1 亀 井 勝 一 郎 「 島 崎 藤 村 論 」『 亀 井 勝 一 郎 全 集 』 第 五 巻 19 74 .2 .2 0 ( 第 一 刷 り 197 2. 9.2 0 ) 講 談 社 P 9 0 1 2 姜 政 均 「 島 崎 藤 村 『 海 へ 』 ―「 私 」 の 内 な る 「 エ ト ラ ン ゼ エ 」 ―」『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 特 集 = 続 ・ 日 本 人 の 見 た 異 国 ・ 異 国 人―明 治 ・ 大 正 期 』 1999 年 12 月 号 P155
先 行 研 究 に 言 及 さ れ て い る 内 面 の 省 察 や 自 己 へ の 眼 差 し に は 全 く 賛 同 す る 。 で は 、 そ れ が 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 に 語 ら れ て い る 絵 画 と ど の よ う に 関 わ っ て い る の か 、 探 っ て み よ う 。 ( 1)私 は す で に パ ン テ オ ン の 中 に あ る ピ ュ ウ ヸ ス・ド・シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 壁 画 の 前 に 立 つ て 見 た 。( 中 略 )( A) 私 は 一 人 の 少 女 の 図 の 掛 つ た 壁 の 前 に 行 つ て 立 つ た 。 シ ャ ヷ ン ヌ の 筆 だ 。 同 じ 人 の 筆 で 、 か ね て 複 製 を 見 た 時 か ら 心 を 引 か れ た (B)『 漁 夫 』の 図 が そ の 近 く に 私 を 待 つ て 居 た 。(『 エ ト ラ ン ゼ エ 』1 3以 下 同 。 18 章 、 P170、 171) ( 2)私 が そ こ( パ ン テ オ ン ― 筆 者 注 )へ 小 山 内 君 を 誘 つ た の は 、も と よ り シ ャ ヷ ン ヌ の 壁 画 を 見 る た め で あ つ た が 、( 中 略 )パ ン テ オ ン 詣 で と も 言 ひ た い 人 達 の 中 に 混 つ て 、 私 達 は あ の 尼 さ ん の 生 立 ち を 描 い た 幼 時 の 伝 説 の 図 か ら 見 て 廻 つ た 。 そ の 廻 廊 に 上 る こ と は 私 と し て は も う 初 め て ゞ も な か つ た 。 し か し 私 は 見 る 度 に 深 い 静 寂 な 心 持 を 経 験 し た 。( 中 略 )そ こ の 壁 に は 鶏 を 飼 ふ 子 供 が 居 た 。羊 の 乳 を 搾 る 女 が 居 た 。 帆 柱 に 倚 り か ゝ る 漁 夫 が 居 た 。( 中 略 ) (C)淡 い 黄 ば ん だ 月 に 対 つ て 立 つ て 居 る 晩 年 の 尼 さ ん の 壁 画 の 前 で 、 し ば ら く 私 は 旅 の 身 を 忘 れ て 居 た ( 25 章 、 P178、 179) ほ か に も 例 え ば 、 セ ザ ン ヌ な ど 他 の 画 家 や そ の 作 品 な ど に 触 れ た も の も 見 ら れ る が1 4、 そ れ ら も 岸 本 の 内 省 と 最 も 深 く 関 わ っ て い る シ ャ ヴ ァ ン ヌ や そ の 作 品 の 部 分 に 絞 っ て 以 上 の よ う に 関 連 描 写 を 掲 げ て い る 。( 1)の 波 線 の 引 い て あ る 部 分 、「 私 は す で に パ ン テ オ ン の 中 に あ る ピ ュ ウ ヸ ス ・ ド ・ シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 壁 画 の 前 に 立 つ て 見 た 。」 と い う の は 、 十 八 章 の 冒 頭 に あ る パ リ の 下 宿 に 到 着 早 々 の こ ろ の も の で あ る 。 他 の 画 家 や 絵 画 の 叙 述 に 比 べ 、 か な り 詳 ら か に 語 ら れ 、 1 3 『 島 崎 藤 村 全 集 第 1 0 巻 』 19 81 .11 .30 筑 摩 書 房 1 4 4 1 章 に あ る 「 私 は 山 本 君 と 一 緒 に 君 が 手 摺 に し た 小 品 を 眺 め た 。 其 中 に は 、 船 の 欄 に 倚 り な が ら 海 を 見 る 女 の 図 な ぞ も あ つ た 。」( P196) と い う 、 下 線 部 の 「 海 を 見 る 女 の 図 」 と い う 書 き 方 か ら で は 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 「 眠 る パ リ の 街 を 見 お ろ す 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ 」 の 画 で は な い か と 早 合 点 し 勝 ち だ が 、 そ の 前 に あ る 「 自 分 で 描 き 自 分 で 彫 り 又 自 分 で 手 摺 に し た と い ふ も の を 私 に 取 り 出 し て 見 せ た 。」 と い う 説 明 で は 、 山 本 の 作 品 で あ る こ と は 明 か で あ る 。
極 め て 鮮 明 な 書 き 出 し で あ る 点 に 目 を 向 け る と 、 語 り 手 が 抑 え き れ な い 、 何 か を 読 者 に 或 は 自 分 に 強 く 訴 え よ う と し て い る 姿 勢 を 感 ぜ ず に は い ら れ な い 。 そ の ユ ニ ー ク な 書 き 出 し 及 び そ の 次 の 「 斯 う し た 黙 し 勝 ち な 旅 行 者 の 境 涯 か ら 言 つ て も 、 私 は ル ュ キ サ ン ブ ウ ル 公 園 の 美 術 館 に あ る も の を 独 り で 探 り に 行 き た か つ た 。 そ こ で 出 掛 け た 。」( 18 章 、P171)と い う 一 節 を 合 わ せ て 読 ん で 見 れ ば 、ま る で ず っ と 前 か ら 期 待 し て い た 、 あ る い は 行 か ざ る を 得 な い 予 定 が 到 頭 、 実 現 さ れ = 現 実 に な っ て い る 語 り の よ う に 思 え る 。ま た( 2)の「 私 が そ こ へ 小 山 内 君 を 誘 つ た の は 、 も と よ り シ ャ ヷ ン ヌ の 壁 画 を 見 る た め で あ つ た 」 と い う 描 写 を 合 わ せ て 読 ん で い れ ば 、( 1) は 一 回 目 で 一 人 で 、( 2) は 二 回 目 で 友 人 小 山 内 と 一 緒 に 、 い ず れ も シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 絵 を 見 に 行 っ た こ と は 明 か で あ る 。 ( A) の 「 一 人 の 少 女 の 図 」 に つ い て は 、 中 島 国 彦 は 「 希 望 」 と 題 し た シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 少 女 図 と 見 做 し 、 姪 節 子 ( 現 実 は こ ま 子 ) に 擬 え ら れ て い る と 解 い て い る1 5。 確 か に そ の 可 能 性 は 十 分 に 考 え ら れ る 。 紙 幅 の 制 限 で 、 小 論 で は 岸 本 の 方 に 焦 点 を 絞 り 、 そ の 内 面 の 省 察 と の 関 連 性 を 考 察 し て い く た め 、「 一 人 の 少 女 図 」の 方 の 論 考 は 割 愛 す る 。 そ の 次 の (B)「『 漁 夫 』 の 図 が そ の 近 く に 私 を 待 つ て 居 た 。」 と い う の は 、「 貧 し き 漁 夫 」(「 貧 し き 漁 師 」と 名 付 け ら れ る の も 見 ら れ る 。) と 題 し た 絵 で あ る の は 言 う ま で も な い 。 こ の 「 貧 し き 漁 夫 」( 図 1 、 2 ) と 題 す る 絵 は 、 船 に 漁 師 と 赤 ん 坊 が 描 か れ る 作 品 の ほ か 、 船 に 漁 師 一 人 だ け で そ の 岸 辺 の 野 原 に は 赤 ん 坊 と 花 を 摘 ん で い る 女 性 の 姿 が 描 か れ て い る も の な ど 、 幾 つ か の バ ー ジ ョ ン が 残 っ て い る 。 岸 1 5 「 実 は 、 そ れ が こ こ で 「 一 人 の 少 女 の 図 」 と さ れ て い る 作 品 で あ る 。 一 人 の 裸 体 の 少 女 が 石 垣 に 坐 り 、 手 に 芽 ぶ き 始 め た 小 枝 を 持 っ て い る の を 描 い た 作 品 は シ ャ ヴ ァ ン ヌ 作 品 の 中 心 系 列 か ら は ず れ た も の と 言 え る が 、( 中 略 )藤 村 の 眼 に は 、 そ れ は 日 本 に 残 し て 来 た 姪 こ ま 子 の 裸 体 と 重 な っ て 、 見 え た の で は な い か 。」と 、中 島 国 彦 が こ こ に 言 及 さ れ て い る「 一 人 の 少 女 図 」を 「 希 望 」 と 題 し た シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 絵 だ と 見 な し 、藤 村 の 姪 こ ま 子 に 謎 得 ら れ て い る と 解 い て い る 。 中 島 国 彦 『 近 代 文 学 に み る 感 受 性 』 1994.10.20 筑 摩 書 房 P691、 692
本 ( 藤 村 ) は ど の バ ー ジ ョ ン の 作 品 を 見 た か 知 る 由 は な い が 、 子 供 や 花 を 摘 ん で い る 女 性 に 背 を 向 け 船 に 茫 然 と 立 ち つ く し て い る 漁 師 ――前 途 に 暮 れ て い る よ う に 見 え る 、 元 気 の な い 父 親 ――の 様 子 は ど れ も 共 通 し て い る 。 そ し て 、(C)「 淡 い 黄 ば ん だ 月 に 対 つ て 立 つ て 居 る 晩 年 の 尼 さ ん の 壁 画 」と は 、「 眠 る 街 を 見 守 る 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ 」と 題 し た 作 品 で あ る の は 明 白 で あ ろ う 。 つ ま り 、 そ の よ う な シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 「 壁 画 の 前 で 、し ば ら く 私 は 旅 の 身 を 忘 れ て 居 た 」と い う 描 写 や 、「 あ の 尼 さ ん の 生 立 ち を 描 い た 幼 時 の 伝 説 の 図 か ら 見 て 廻 つ た 」「 私 は 見 る 度 に 深 い 静 寂 な 心 持 を 経 験 し た 。」と い う さ り げ な い 、岸 本 の 心 境 の 語 り 、 ま た パ リ に 到 着 早 々 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 絵 を 見 に 行 っ た 、 な ど を 合 わ せ て 考 え て み れ ば 、 岸 本 ( 藤 村 ) が 如 何 に シ ャ ヴ ァ ン ヌ に 惹 か れ て い た か 、 そ の 絵 が 彼 に 如 何 に 重 要 だ っ た の か が 、 自 然 と 浮 き 彫 り に な っ て く る 。 ( 二 ) 我 が 身 を 「 貧 し き 漁 夫 」 に 重 ね て 絵 を 眺 め る 岸 本 数 あ る シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 作 品 の 中 で は 、「 貧 し き 漁 夫 」が 最 も 代 表 的 な 絵 だ と 思 わ れ る 。 パ リ 滞 在 中 の 岸 本 ( 藤 村 ) に と っ て も こ の シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 代 表 作 「 貧 し き 漁 夫 」 は 特 別 な 意 義 が あ る こ と は 上 掲 の 引 用 文 か ら も う か が え よ う 。さ て 、こ の 絵 は 如 何 に 解 か れ て い る か 、 幾 つ か 研 究 者 の 見 解 を 掲 げ て お こ う 。 ( a)雨 上 が り の 川 水 は 金 色 に 満 ち 溢 れ て 居 る 。野 に は 色 々 の 草 花 が 暖 い 光 を 受 け て 咲 い て 居 る 。身 に は 襤 褸 を 纏 ひ 髪 鬚 共 に 茫 々 と し た 、 然 も 一 種 の 気 品 を 備 へ た 、 見 る か ら に 原 始 人 た る 男 が 四 ツ 手 網 を 下 し て 黙 然 と そ れ を 注 視 し て 居 る 。 野 育 ち の 彼 の 娘 は 余 念 な く 花 を 摘 ん で 居 る 。 其 の 傍 に は 裸 の 子 が 腹 部 に 陽 炎 を 受 け て 眠 っ て 居 る 。 遥 か 水 平 線 の 彼 方 に は 暖 灰 色 の 雲 が 垂 れ て 居 る 。そ れ が『 貧 し き 漁 夫 』 の 光 景 だ 。1 6 ( b)主 題 と な っ た「 貧 し き 漁 師 」に し て も 、彼 が 乗 っ て い る 粗 末 な 1 6 紅 野 敏 郎 「 有 島 生 馬 の 『 セ ザ ン ヌ 』 と 斉 藤 與 里 の 『 シ ャ ヴ ァ ン ヌ 』 ―― ア ル ス 美 術 叢 書――」『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 』 第 66 巻 2 号 2001.2 至 文 堂 P209
小 舟 に し て も 、 こ と ご と し く 貧 し さ を あ ら わ に し て は い な い 。 漁 師 は 、 子 供 た ち に 背 を 向 け 、 綱 籠 を ぶ ら さ げ た 棒 の そ ば で 、 眼 を 伏 せ て 何 か 考 え 込 ん で い る が 、 彼 は 、 貧 し さ と い う 衣 裳 を 着 て い る の で は な く 、 た だ 貧 し い の で あ る 。 彼 が 乗 っ て い る 小 舟 に し て も 、 櫓 と か 綱 と か 棒 に ぶ ら さ げ た 綱 籠 と か い っ た 必 要 最 小 限 の も の し か 描 か れ て い な い が 、 こ の 舟 の 存 在 そ の も の が 貧 し い の で あ る 。1 7 (c)漁 夫 や 船 、 幼 子 な ど 、 伝 統 的 に キ リ ス ト 教 美 術 に お い て 象 徴 的 な 意 味 を 担 わ さ れ る モ チ ー フ が 描 き 込 ま れ て い る 上 、 手 前 に 描 か れ た 漁 夫 が 茨 の 冠 を か ば っ た キ リ ス ト の よ う だ と い う 指 摘 や 、( 中 略 ) つ ま り こ の 作 品 は 、 既 存 の 物 語 や あ る 特 定 の 状 況 を 描 く よ り 、 人 間 が 普 遍 的 に 抱 く 情 感 や 観 念 そ の も の が 主 題 と も な っ て い る の で あ る 。 1 8 (a)に お い て は 、紅 野 敏 郎 が 絵 に 描 か れ て い る 光 景 を 客 観 的 に 語 ろ う と す る 姿 勢 が 感 じ ら れ る 。と は い え 、「 野 育 ち の 彼 の 娘 は 余 念 な く 花 を 摘 ん で 居 る 。」と 、漁 師 と 女 性 を 親 子 関 係 と す る 捉 え 方 に は ま だ 意 見 の 余 地 は あ る が 、 貧 し い 漁 師 の 姿 に 「 然 も 一 種 の 気 品 を 備 へ た 」 と 、 そ の 精 神 を 見 出 し た 点 は 深 い 意 味 の あ る 解 き 方 だ と 言 え よ う 。 (b)は 、 主 人 公 漁 師 の 生 活 に 焦 点 を 合 わ せ 、「 こ の 舟 の 存 在 そ の も の が 貧 し い 」 と み な し 、 貧 困 が 漁 師 の 基 本 的 な 苦 境 だ と 捉 え る 、 栗 津 則 雄 の 見 解 で あ る 。(c)に 挙 げ て い る の は 江 澤 菜 櫻 子 の 説 で 、キ リ ス ト 教 と の 関 連 性 以 外 に 、「 人 間 が 普 遍 的 に 抱 く 情 感 や 観 念 」だ と 絵 の 主 題 を 見 出 し て い る 。 当 然 の こ と で あ ろ う が 、 以 上 の 研 究 者 ら は い ず れ も キ ャ ン パ ス の 最 も 手 前 に 位 置 し て い る 主 体 の 漁 師 に 焦 点 を 合 わ せ て 絵 を 解 い て い る の は 言 う ま で も な い 。 こ れ は 岸 本 ( 藤 村 ) に と っ て は 大 変 重 要 な こ と で あ る 。 1 7 栗 津 則 雄 「 私 の 空 想 美 術 館 第 8 8 回 ジ ャ ヴ ァ ン ヌ 『 貧 し き 漁 師 』」『 美 術 の 窓 』 No.333 2011.5.20 生 活 の 友 社 P93 1 8 江 澤 菜 櫻 子 「 ピ エ ー ル ・ ピ ュ ヴ ィ ・ ド ・ シ ャ ヴ ァ ン ヌ 作 《 眠 る 街 を 見 守 る 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ 》再 考――パ ン テ オ ン 壁 画 の 連 関 を 通 し て ――」『 美 学 』第 244 号 2014.6.30 美 学 会 P89
そ の 絵 に は 、 長 い 川 が 広 々 と し た 海 に 流 れ て い く 風 景 が 絵 の 三 分 の 二 ほ ど の 広 い ス ペ ー ス を 占 め て い る 。 そ し て 、 下 の や や 右 に 偏 っ た ス ペ ー ス に は 舟 と 花 が 咲 い て い る 岸 辺 が 描 か れ て い る 。 繰 り 返 し に な る が 、 岸 辺 に は 熟 睡 し て い る 赤 ん 坊 と 花 を 摘 ん で い る 女 性 と い う バ ー ジ ョ ン の 作 品 と 、 人 物 が 描 か れ て い な い バ ー ジ ョ ン と の 二 種 類 の 作 品 が あ る 。い ず れ の 作 品 も 、主 役 で あ る 漁 師 の( 1)身 に 纏 っ て い る 衣 も ( 2) 船 に 立 ち つ く し て い る 姿 勢 も ( 3) 顔 の 表 情 も 一 致 し て い る の は 興 味 深 い 。 つ ま り 、 そ の 三 点 は シ ャ ヴ ァ ン ヌ が こ だ わ っ て い た テ ー マ で あ る と と も に 、 岸 本 ( 藤 村 ) が 渡 仏 す る 前 に 見 た 複 製 も 、パ ン テ オ ン で 目 に し た 本 物 の「『 漁 夫 』の 図 」も そ の ポ イ ン ト に お い て は 変 わ っ て い な い 筈 で あ る 。 ま ず は 、 身 に 纏 っ て い る 服 と は い え な い 程 ボ ロ ボ ロ の 布 は 、勿 論 生 活 に 苦 し ん で い る 印 で あ り 、 草 臥 れ て い る そ の 布 は ま た 自 分 の 憂 鬱 な 人 生 を も 意 味 し て い る と 捉 え る こ と が 出 来 る 。 次 に 船 に 立 っ て い る 漁 師 の 姿 勢 に つ い て で あ る が 、 赤 ん 坊 が 一 緒 に 船 に 乗 っ て い る 作 品 に し て も 、 或 は 赤 ん 坊 が 女 性 と 同 じ く 岸 辺 に 配 置 さ れ る 作 品 に し て も 、 漁 師 は 背 を 向 け て い る の が 作 者 シ ャ ヴ ァ ン ヌ が 訴 え た か っ た 点 で あ ろ う 。 女 性 と の 関 係 は 親 子 か 或 は 夫 婦 か 、 い ず れ に し て も 、 子 供 や 女 性 に 背 を 向 け た 漁 師 の 姿 勢 は 、 そ の 関 係 に 置 か れ る 自 分 の 担 わ さ れ た 責 任 が 重 す ぎ る か ら 正 面 き っ て 向 か う だ け の 勇 気 も な く 、 敢 え て 拒 否 し て い る と 看 做 せ よ う 。 更 に 弱 そ う に 組 ん で い る 両 手 も 、 担 わ さ れ た そ の 責 任 を 到 底 果 す 見 込 み も な さ そ う な 、 途 方 に 暮 れ た 証 の ポ ー ズ で あ り 、 絵 に 描 か れ て い る 小 さ な 「 社 会 」 に お け る 漁 師 の 孤 独 、 孤 立 が 一 層 鮮 明 に 見 え て 来 る 箇 所 で あ る 。 そ し て 、 そ の 表 情 に 至 る と 、 項 を 垂 れ 、 下 向 い た 顔 に よ っ て 、 社 会 と の リ ン ク の 可 能 性 が 薄 ら い で い き 、 そ の 孤 立 の 雰 囲 気 が 一 層 高 ま っ て い く の で あ る 。 そ の よ う な 堪 え ら れ な い 状 況 に 置 か れ て い る 漁 師 の 苦 境 、 そ れ は 江 澤 菜 櫻 子 の 所 謂 「 人 間 が 普 遍 的 に 抱 く 情 感 や 観 念 」 に 通 じ る と こ ろ が あ る と と ら え て も よ か ろ う 。 そ の よ う な 含 意 を 持 つ 「 貧 し き 漁 夫 」 を 、 か つ て 複 製 で 見 た 岸 本
は ル ュ キ サ ン ブ ウ ル 公 園 の 美 術 館 へ 、「 独 り で 探 り に 行 き た か つ た 」。 二 度 と 日 本 に 帰 る ま い と 決 心 し て す べ て を 棄 て て フ ラ ン ス に 渡 っ た 岸 本 は 、 そ の 本 物 の 「 貧 し き 漁 夫 」 の 前 で 、 孤 独 な 自 分 を 漁 師 に 重 ね な が ら 、 漁 師 と 自 分 を 見 詰 め て い た の で あ る 。 節 子 に も 彼 女 と の 不 倫 で 生 れ て 来 る 自 分 の 血 を 引 い た 子 供 に も 背 を 向 け て い る 岸 本 は 、 絵 に 描 か れ て い る 漁 師 の そ の 姿 に 自 分 が 重 な り 、 己 の 苦 境 を 改 め て 味 わ う の で あ る 。 慌 て て 国 を 出 て 来 た 岸 本 は 、 そ れ ま で 直 視 し な か っ た 己 の 心 の 苦 悶1 9を 「 貧 し き 漁 夫 」 を 通 し て 、 真 正 面 よ り 正 視 し 、 恐 れ て い た も の を 見 詰 め る こ と が で き た の で あ る 。 四 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 絵 か ら 救 済 さ れ た 岸 本 「 貧 し き 漁 夫 」 に 自 分 の 境 遇 を 重 ね な が ら 絵 を 見 詰 め る こ と に よ っ て 、 岸 本 ( 藤 村 ) は そ れ ま で 混 沌 し て い た 不 安 の 内 質 を 明 ら か に し 、 問 題 の 核 を 正 視 す る こ と が で き る よ う に な っ た 。 そ れ ゆ え で あ ろ う か 、『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 の 中 で は 、「 私 は 八 箇 月 ば か り も 眺 め 暮 し た 自 分 の 部 屋 の 窓 へ 行 つ て 、 両 側 に 並 木 の 続 い た ポ オ ル ・ ロ ワ イ ア ル の 町 を 眺 め た 。 古 い 寺 院 に し て も 見 た い や う な 産 科 病 院 の 門 の 上 に は 、三 色 旗 の 雨 に 濡 れ た の が 望 ま れ る 。」( 45 章 、P201)と い う よ う な 形 で 、 節 子 と の 不 倫 や そ の 結 果 で あ る 妊 娠 を 「 産 科 病 院 」 と い う 記 号 で 岸 本 の 不 安 の 内 質 を 仄 め か し て い る 。2 0そ の よ う な 「 産 科 病 院 」が し ば し ば 岸 本 の 目 に 入 る 設 定 に つ い て 、山 田 晃 は 、「 た と え 1 9 『 エ ト ラ ン ゼ エ 』 5 3 章 に は 、「 一 切 の も の を 忘 れ よ う と し て 遠 い 旅 に 来 た 私 の と こ ろ へ も や が て 一 年 近 い 月 日 が め ぐ つ て 来 る や う に 成 つ た 。 私 は 自 分 の 国 か ら 離 れ る た め に 斯 の 知 ら な い 土 地 へ 来 た の か 、 自 分 の 国 を 見 つ け る た め に 来 た の か 、そ の 差 別 も つ け か ね る や う に 思 つ て 来 た 。」と 、国 か ら 離 れ た 当 時 の こ と に つ い て 語 っ て い る 。 (『 島 崎 藤 村 全 集 第 10 巻 』、 P213) 2 0 瀬 沼 茂 樹 は 「 他 に 日 本 人 の 下 宿 し て い る も の が あ っ た の で 、 僅 か に エ ト ラ ン ゼ の 不 安 と 好 奇 心 を 鎮 め る こ と が で き た 。 こ こ で 、 藤 村 は 、 窓 か ら 産 院 を 臨 み な が ら 、 故 国 か ら 背 負 っ て き た 悖 徳 の 心 の 傷 手 を 、 見 知 ら ぬ 人 の 間 に 「 身 を 隠 す 」よ う に し て 、癒 そ う と し て い た 。」と フ ラ ン ス 滞 在 の「 私 」の 内 面 に つ い て 「 身 を 隠 」 し 、 心 の 傷 手 を 「 癒 そ う と 」 す る と 見 做 し て い る が 、 作 品 に お け る こ の 産 科 病 院 の 意 義 に つ い て は 、 そ れ 以 上 に は 言 及 し て い な い 。 瀬 沼 茂 樹 『 評 伝 島 崎 藤 村 』 1981.10.15 筑 摩 書 房 P219
ば 、 同 じ 人 間 た ち の 生 活 が 展 開 さ れ て い る 異 国 の 地 に は 、 当 然 彼 の 葬 り 去 り た い 記 憶 を 刺 戟 す る も の が な い わ け は な い 。 執 拗 に 彼 の 視 界 に 立 ち は だ か る 産 科 病 院 も そ れ で あ る 。」2 1と 、如 何 に も 岸 本 の 記 憶 か ら そ の 苦 悩 を 喚 起 し て い る よ う な 働 き が あ る と み な し て い る 。 そ の 記 憶 の 喚 起 に よ っ て 岸 本 は 問 題 の 核 を 正 視 せ ざ る を 得 な か っ た の で あ る 。 し か し 、 「貧 し き 漁 夫 」の 凝 視 、 繰 り 返 し 目 に 入 る 「 産 科 病 院 」 の 設 定 だ け で は 、 岸 本 は 問 題 の 正 視 に 留 ま る だ け で 、 更 な る 進 展 は 望 め な い の で は な か ろ う か 。 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 壁 画 を 見 る た め に パ ン テ オ ン へ 小 山 内 君 を 誘 っ た 。 そ こ で 、「「 淡 い 黄 ば ん だ 月 に 対 つ て 立 つ て 居 る 晩 年 の 尼 さ ん の 壁 画 の 前 で 、 し ば ら く 私 は 旅 の 身 を 忘 れ て 居 た 。」( 25 章 、 P179) と 、 シ ャ ヴ ァ ン ヌ の 最 も 有 名 な 「眠 る 街 を 見 守 る 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ 」( 図 3 )と い う 作 品 を 眺 め た と 、叙 述 さ れ て い る 。人 々 を 救 う 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ の こ と に 熟 知 し て い る 岸 本( 藤 村 ) は こ こ で 、 こ の 壁 画2 2に 筆 を 費 や し た 彼 女 の 広 く て 優 し い 心 に 惹 か れ た に 違 い な い 。そ の よ う な 背 景 の あ る 「眠 る 街 を 見 守 る 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ 」だ か ら こ そ 岸 本( 藤 村 )は「 見 る 度 に 深 い 静 寂 な 心 持 を 経 験 し た 。」 と 語 る こ と が で き る の で あ ろ う2 3。 つ ま り 、 混 沌 と し た 不 安 か ら 自 分 の 国――不 安 の 元 で あ る 罪 を 招 く 火 の よ う な 場 所――を 離 れ 、 そ の 罪 を 誰 も 知 ら な い 土 地 で あ る フ ラ ン ス に 渡 っ た 。 そ の よ う な 岸 本 ( 藤 村 ) は そ こ を 一 つ の 場――時 2 1 山 田 晃 「 海 へ ・ エ ト ラ ン ゼ エ 」『 国 文 学 解 釈 と 教 材 の 研 究 特 集 島 崎 藤 村 と 日 本 の 近 代 』 4 月 号 1971.4 學 燈 社 P119 2 2 江 澤 菜 櫻 子 は 、 従 来 の 研 究 に あ ま り 注 目 さ れ な か っ た 蝋 燭 な ど に 目 を 向 け 、 「 あ る い は 、 聖 女 が 用 心 深 く 街 を 見 守 っ て い る こ と を 思 え ば 、 ラ ン プ を 持 っ た 姿 で 表 さ れ る「 用 心 」の 擬 人 像 と も 関 連 付 け ら れ る か も し れ な い 。」と 、描 か れ て い る ポ ー ズ を 解 い て い る 。( 江 澤 菜 櫻 子 「 ピ エ ー ル ・ ピ ュ ヴ ィ ・ ド ・ シ ャ ヴ ァ ン ヌ 作 《 眠 る 街 を 見 守 る 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ 》 再 考――パ ン テ オ ン 壁 画 の 連 関 を 通 し て――」『 美 学 』 第 244 号 2014.6.30 美 学 会 P9 2 3 中 島 国 彦 は 「 あ る 沈 潜 し た 心 情 、 一 人 静 か に 周 囲 を 見 つ め る 人 間 の 情 感 、 そ し て 何 よ り も 、 孤 立 し た 場 に お い て 再 発 見 さ れ た 「 静 寂 」 を 、 示 し た の で は あ る ま い か 。」 と そ の 「 静 寂 」 を 捉 え て い る 。 中 島 国 彦 『 近 代 文 学 に み る 感 受 性 』 199 4. 10. 20 筑 摩 書 房 P 6 87
間 と 空 間 が 融 合 し た 場――と し 、 「貧 し き 漁 夫 」と い う 絵 に 描 か れ て い る 主 人 公 に 自 分 を 重 ね な が ら 漁 師 及 び 自 分 の 内 面 を 観 照 し 、 そ の 不 安 の 内 質 を 正 視 し 、 更 に 「 眠 る 街 を 見 守 る 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ 」 に あ る 聖 女 の 「 守 る 」 と い う 姿 勢 に 助 の 光 を 見 出 し 、 自 己 救 済 に 可 能 性 を 仕 組 ん だ の で あ る 。 そ う し た 意 味 で も 外 遊 先 で あ る フ ラ ン ス ――ジ ャ ヴ ァ ン ヌ の 絵 の 所 在 地 ――は 一 つ の 救 済 の メ カ ニ ズ ム と し て 十 分 に 発 揮 さ れ て い る と 言 え よ う 。 テ ク ス ト 『 島 崎 藤 村 全 集 』 全 13 巻 1981.1.20―1983.1.30、 筑 摩 書 ) 参 考 文 献 江 澤 菜 櫻 子「 ピ エ ー ル ・ピ ュ ヴ ィ・ド・シ ャ ヴ ァ ン ヌ 作《 眠 る 街 を 見 守 る 聖 ジ ュ ヌ ヴ ィ エ ー ヴ 》 再 考 ― ― パ ン テ オ ン 壁 画 の 連 関 を 通 し て ― ― 」『 美 学 』 第 244 号 2014.6.30 美 学 会 沖 野 厚 太 郎 「 フ ラ ン ス 第 三 共 和 制 下 の 芸 術 宗 教 ― ― 島 崎 藤 村 と ピ ュ ヴ ィ ス ・ ド ・ シ ャ ヴ ァ ン ヌ ― ― 」『 文 芸 と 批 評 』 第 11 巻 第 10 号 2014.11.25 文 芸 と 批 評 の 会 亀 井 勝 一 郎 「 島 崎 藤 村 論 」『 亀 井 勝 一 郎 全 集 』 第 五 巻 1974.2.20( 第 一 刷 り 1972.9.20) 講 談 社 姜 政 均 「 島 崎 藤 村 『 海 へ 』 ― 「 私 」 の 内 な る 「 エ ト ラ ン ゼ エ 」 ― 」 『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 特 集 = 続 ・ 日 本 人 の 見 た 異 国 ・ 異 国 人 ― 明 治 ・ 大 正 期 』 1999 年 12 月 号 栗 津 則 雄「 私 の 空 想 美 術 館 第 88 回 ジ ャ ヴ ァ ン ヌ『 貧 し き 漁 師 』」 『 美 術 の 窓 』 No.333、 2011.5.20 生 活 の 友 社 紅 野 敏 郎 「有 島 生 馬 の『 セ ザ ン ヌ 』と 斉 藤 與 里 の『 シ ャ ヴ ァ ン ヌ 』― ― ア ル ス 美 術 叢 書 ― ― 」『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 』第 66 巻 2 号 2001.2 至 文 堂 瀬 沼 茂 樹 『 評 伝 島 崎 藤 村 』 1981.10.15 筑 摩 書 房 中 島 国 彦 『 近 代 文 学 に み る 感 受 性 』 1994.10.20 筑 摩 書 房
松 本 鶴 雄「 デ カ ダ ン ス と ル ネ ッ サ ン ス ― ― 続・『 新 生 』論 ― ― 松 本 鶴 雄 『 春 回 生 の 世 界 ― ― 島 崎 藤 村 の 文 学 』 2010.05.10 勉 誠 出 版 山 田 晃「 海 へ・エ ト ラ ン ゼ エ 」『 国 文 学 解 釈 と 教 材 の 研 究 特 集 島
崎 藤 村 と 日 本 の 近 代 』 4 月 号 1971.4 學 燈 社
『 国 立 西 洋 美 術 館 名 作 選 』 2006 東 京 国 立 西 洋 美 術 館
Pierre Puvis de Chavannes 『 Aimée Brown Price with contributions by Jon Whiteley and Genevi ève Lacambre 』 Amsterdam : Van Gogh museum ; Zwolle : Waanders, 1994.
図 録
2015-09-30 收稿,2015-11-11 通過刊登 DOI: 10.6183/NTUJP.2015.30.51
佐 藤 春 夫 〈 霧 社 〉 論
ー 對 於 台 灣 原 住 民 的 雙 重 凝 視 ー
橫 路 啟 子*摘 要
本 論 文 以 佐 藤 春 夫 的 短 篇 〈 霧 社 〉 為 對 象 , 探 討 此 作 品 中 所 呈 現 的 凝 視 到 底 為 何。作 者 佐 藤 春 夫 對 於〈 霧 社 〉的 主 要 創 作 契 機 是 在 1920 年 夏 天 , 作 者 本 人 來 台 旅 行 的 實 際 體 驗 , 然 而 作 者 卻 在 時 隔 五 年 之 後 才 實 際 著 手 執 筆 創 作 。 故 此 , 即 便 作 品 屬 於 一 種 旅 行 文 學 , 其 內 容 憑 藉 的 竟 是 作 者 五 年 前 的 記 憶 。 換 言 之 , 本 作 是 利 用 作 者 以 往 的 親 身 經 驗 重 新 建 構 的 。 相 較 於 原 本 的 經 驗 , 筆 者 相 信 重 建 的 記 憶 更 為 強 烈 地 反 應 作 者 本 身 的 意 識 形 態 、 思 維 以 及 觀 點 。 基 於 以 上 內 容 , 本 論 文 將 觀 察 敘 述 者 用 何 種 視 線 來 描 寫 台 灣 的 霧 社,以 及 在 此 地 遇 到 的 在 台 日 本 人、「 蕃 人 」( 原 住 民 )。而 經 過 觀 察 , 筆 者 發 現 敘 述 者 用 兩 種 截 然 不 同 的 態 度 來 呈 現「 蕃 人 」。當 強 烈 意 識 到 在 台 日 本 人 時 , 敘 述 者 描 寫 「 蕃 人 」 的 論 述 語 調 變 得 富 有 人 本 主 義 ; 但 是 當 敘 述 者 本 身 直 接 接 觸 到 「 蕃 人 」 時 , 其 態 度 卻 急 遽 變 化 。 敘 述 者 以 「 旅 人 」 自 居 , 視 他 們 為 珍 奇 異 獸 , 凝 視 的 雙 重 性 便 就 此 生 成 , 而 其 來 有 自 皆 發 於 敘 述 者 潛 在 所 擁 有 的 統 治 者 姿 態 。 關 鍵 詞 : 佐 藤 春 夫 、〈 霧 社 〉、 凝 視 、 台 灣 原 住 民 * 輔 仁 大 學 日 本 語 文 學 系 副 教 授A Study of Haruo Sato’s Work MUSHA:
The Gaze to Native Taiwanese by Double Standards
Yokoji, Keiko *
Abstract
This paper aims to analyze the main target text Haruo Sato’s work Musha for revealing his gaze on native Taiwanese. A J apanese novelist Haruo Sato traveled Taiwan in 1920 summer. That was the catal yst to write this work. But the time when he wrote this novel is five years later from the travel. This means this work made by not onl y his experiences in Taiwan, but also was rebuilt by his memories. Of course the rebuilt memories is different from the real experiences ev identl y. It may reflect his ideology unconsciousl y.
In this regard, this paper gives light on how the narrator gazes Musha, the Japanese in Taiwan who met there, and native Taiwanese. As a result, we know that the narrator has double standards to describe native Taiwanese. The first is humanistic attitude in situation of being conscious the another J apanese in Taiwan. But his attitude changes totall y when he meets native Taiwanese accutuall y, he describes them like a curiosit y. These double standards is mad e by his conscience as a ruler.
Keywords: Haruo Sato, Musha, gaze, native Taiwanese u
*
As s o c i a te P ro fe s s o r o f t he D ep ar t me nt o f J a p a ne s e La ngua ge a nd Li t e r a t ur e, F u J e n C a t ho li c U ni ver s i t y
佐 藤 春 夫 「 霧 社 」 論
― 台 湾 原 住 民 を 見 つ め る 二 重 の ま な ざ し ―
横 路 啓 子*要 旨
本 稿 は 、 佐 藤 春 夫 の 作 品 「 霧 社 」 を 主 な 対 象 と し 、 そ こ に 見 ら れ る ま な ざ し が ど の よ う な も の な の か 考 察 す る こ と を 目 的 と し て い る 。「 霧 社 」 が 書 か れ た き っ か け は 佐 藤 春 夫 自 身 が 1920 年 夏 、 台 湾 を 旅 行 し た 実 体 験 に よ る も の で あ る が 、「 霧 社 」が 書 か れ た の は そ の 5 年 後 で あ る 。 こ の た め 、 作 品 に 書 か れ て い る の は 作 者 の 5 年 前 の 記 憶 に よ る も の 、 つ ま り 実 体 験 を 記 憶 に よ っ て 再 構 成 し た も の だ と い う こ と で あ る 。 再 構 成 さ れ た 記 憶 は 、 本 来 の 体 験 そ の も の と は 異 な り 、 よ り 強 く 書 き 手 の 意 識 的 な 或 い は 無 意 識 の イ デ オ ロ ギ ー を 浮 か び 上 が ら せ る 。 こ う し た 点 か ら 、 本 稿 で は こ の 作 品 が ど の よ う な ま な ざ し で 語 り 手 が 台 湾 の 霧 社 や そ こ で 出 会 っ た 在 台 内 地 人 、「 蕃 人 」を 語 っ て い る か を 考 察 す る 。 結 論 と し て 、 語 り 手 は 2 つ の ま っ た く 異 な る 態 度 に よ っ て 「 蕃 人 」 を 語 っ て い る こ と が 明 ら か と な る 。 語 り 手 が 在 台 内 地 人 を 強 く 意 識 し た 時 に は 、 実 に ヒ ュ ー マ ニ ス テ ィ ッ ク な ま な ざ し で 「 蕃 人 」 を 語 る 一 方 、 語 り 手 が 実 際 に 「 蕃 人 」 と 接 触 し た 際 に は 珍 奇 な も の を 探 し 出 そ う と す る 旅 人 の ま な ざ し に な っ て い る の で あ る 。 こ う し た ま な ざ し の 二 重 性 は 実 際 に は い ず れ も 統 治 者 と し て 「 蕃 人 」 を 見 つ め た こ と に よ る も の な の で あ っ た 。 * 輔 仁 大 学 日 本 語 文 学 科 副 教 授佐 藤 春 夫 「 霧 社 」 論
― 台 湾 原 住 民 を 見 つ め る 二 重 の ま な ざ し ―
横 路 啓 子 一 、 は じ め に 戦 後 か ら 半 世 紀 以 上 が 経 ち 、 ポ ス ト コ ロ ニ ア ル 、 ポ ス ト モ ダ ニ ズ ム と い っ た 思 想 の 流 れ の 中 、 戦 前 の 作 家 、 作 品 の 読 み 直 し が 進 ん で い る 。 佐 藤 春 夫 も そ う し た コ ン テ ク ス ト の 中 で 研 究 が 進 ん で い る 作 家 の 一 人 で あ る 。そ の 春 夫 の 諸 作 品 の 中 で も 、「 霧 社 」は 扱 わ れ る こ と が 比 較 的 増 え て き た 作 品 の 一 つ で あ る と 言 っ て よ い だ ろ う 。 「 霧 社 」 の 作 品 論 と し て は 、 蜂 矢 宣 朗1、 邱 若 山2と い っ た 在 台 の 研 究 者 が 実 際 の 歴 史 と 突 き 合 わ せ た 実 証 的 研 究 と 深 い 分 析 で 優 れ た 研 究 成 果 を 挙 げ て い る 。 ま た 石 崎 等 は 日 本 文 学 の 流 れ か ら 佐 藤 春 夫 の 台 湾 の 旅 を 取 り 上 げ 、「 霧 社 」に こ め ら れ た 佐 藤 春 夫 の 日 本 の 植 民 政 策 の 現 実 に 対 す る「 鋭 い 批 判 的 精 神 」を 指 摘 し て い る3。秋 吉 収 は 、 こ の 作 品 を 頼 和 の 「 南 国 哀 歌 」 と 比 較 し 、 そ こ に 佐 藤 春 夫 の 持 つ 統 治 者 と し て の ま な ざ し を 明 か に し て い る4。だ が 、こ れ ら の 論 は 、い ず れ も 佐 藤 春 夫 の 一 面 し か と ら え て お ら ず 、「 霧 社 」と い う 作 品 が 持 つ 、 知 識 人 で あ り 統 治 者 で あ る 佐 藤 春 夫 の 多 面 的 な 面 を 論 じ 切 れ て は い な い 。 こ う し た 点 か ら 見 れ ば 、 こ の 興 味 深 い テ ク ス ト に は ま だ 論 じ る べ き 点 が 残 さ れ て い る よ う に 思 わ れ る 。 「 霧 社 」が 書 か れ た き っ か け に な る の は 、1920 年 の 夏 、佐 藤 春 夫 が 台 湾 を 旅 し た こ と に よ る 。 春 夫 の 来 台 は 、 た ま た ま 出 会 っ た 旧 友 に 誘 わ れ た こ と と 、 春 夫 が 当 時 抱 え て い た 「 鬱 屈 に 堪 え へ ぬ 事 情 」 1 蜂 矢 宣 朗 「 霧 社 」 覚 書 」『 南 方 憧 憬 ―― 佐 藤 春 夫 と 中 村 地 平 ―― 』 台 北 : 鴻 儒 出 版 社 、 1991 年 5 月 、 pp.9-32。 2 邱 若 山 「「 霧 社 」 に つ い て ―― 文 学 作 品 と 歴 史 記 述 の 間 ―― 」(『 佐 藤 春 夫 台 湾 旅 行 関 係 作 品 研 究 』 台 北 : 致 良 出 版 社 、 2002 年 、 pp.127 -160 3 石 崎 等 「〈 I LH A F O R M O S A 〉 の 誘 惑 ―― 佐 藤 春 夫 と 植 民 地 台 湾 (2 ) 」『 立 教 大 学 日 本 文 学 』( 90)、 2003 年 7 月 、 pp.56 -70。 4 秋 吉 収 「 植 民 地 台 湾 を 描 く 視 点 ― 佐 藤 春 夫 『 霧 社 』 と 頼 和 「 南 国 哀 歌 」」『 佐 賀 大 学 文 化 教 育 学 部 研 究 論 文 集 』 8(2)、 2004 年 3 月 、 pp.77 -94。を 癒 す た め で あ っ た 。 春 夫 と 「 支 那 趣 味 」 に つ い て は す で に 多 く の 論 文 で 論 じ ら れ て い る が5、こ の 時 す で に 日 本 の 植 民 地 で あ っ た 台 湾 は 、 春 夫 の 「 支 那 趣 味 」 に 応 え る に は 充 分 な 場 所 で あ っ た 。 春 夫 は 台 湾 で 3 ヶ 月 以 上 も の 時 間 を 過 ご す こ と に な る の で あ る 。 先 行 研 究 に よ る と6、 春 夫 の 台 湾 中 部 へ の 旅 程 は 、『 台 湾 蕃 族 志 』 の 作 者 で あ り 当 時 台 北 博 物 館 の 館 長 代 理 の 職 に あ っ た 森 丙 牛 が 作 成 し た と い う 。そ の 予 定 で は 、9 月 8 日 に 高 雄 を 出 発 し 、同 月 14 に 日 月 潭 を 出 発 、 埔 里 社 に 宿 泊 し 、 翌 日 15 日 に は 霧 社 に 到 着 、「 霧 ヶ 岡 倶 楽 部 」に 宿 泊 、16 日 に は 霧 社 か ら 能 高 山 へ 向 か い 、能 高 の 駐 在 所 宿 舎 に 宿 泊 、 17 日 に は 能 高 山 か ら 埔 里 に 戻 る 、 と い う も の だ っ た 。 し か し 、 台 風 の 来 襲 な ど に よ っ て 予 定 ど お り に は 行 か な か っ た 。 実 際 の 足 取 り を 追 え ば 、 9 月 18 日 に 集 集 街 、 19~ 20 日 に 日 月 潭 、 21 日 に は 埔 里 社 、 22 日 に 霧 社 、 23 日 に 能 高 、 24~ 25 日 に 霧 社 、 26 日 に 山 中 小 駅 、 そ し て 27 日 に 台 中 、 10 月 2 日 に 台 北 と い う 旅 と な っ た の で あ る 。 し か し 、 こ の 旅 に 関 す る 作 品 を 春 夫 は 内 地 日 本 に 戻 っ た 後 す ぐ に 書 い た わ け で は な か っ た 。本 稿 が 扱 う「 霧 社 」に 関 し て 言 え ば 、1925 年 3 月 号 の 『 改 造 』 に 発 表 さ れ て お り 、 な お か つ 作 品 の 「 附 記 」 な ど か ら 見 れ ば 、 台 湾 の 旅 か ら 戻 っ た 5 年 後 に 書 か れ た と 見 ら れ る 。 こ の 作 品 は 、そ の 翌 年 に は 改 造 社 か ら 出 版 さ れ た 佐 藤 春 夫 短 編 集『 窓 展 く 』7に 収 録 さ れ 、 さ ら に 1936 年 7 月 に は こ の 短 編 の 題 名 が 書 名 と し て 用 い ら れ た 『 霧 社 』 が 発 行 さ れ る 。 出 版 社 は 昭 森 社 で あ る 。 さ ら に 、 ま さ に 戦 時 下 に あ っ た 1943 年 11 月 に は 若 干 の 作 品 が 差 し 替 え ら れ 再 版 さ れ て い る8。こ の よ う に「 霧 社 」が 春 夫 の 作 品 集 に 何 5 例 え ば 渡 邊 晴 夫「 佐 藤 春 夫 の「 支 那 」趣 味 に つ い て 」『 東 ア ジ ア 比 較 文 化 研 究 』 7 ( 2 0 0 8 年 6 月 )、 p p. 1 30 -1 4 7 。 6 邱 若 山 「「 霧 社 」 に つ い て ――文 学 作 品 と 歴 史 記 述 の 間 ――」、 p. 13 0 。 7 な お 『 窓 展 く 』 に 収 録 さ れ て い る 作 品 は 、「 売 笑 婦 マ リ 」、「 窓 展 く 」、「 時 計 の い た づ ら 」、「 砧 ( 田 舎 の た よ り )」「 ア ダ ム ・ ル ツ ク ス が 遺 書 」「 哀 れ 」「 霧 社 」 「 秋 立 つ 」「 F・ O・ U( 一 名 「 お れ も さ う 思 ふ 」)」 で あ る 。 8 19 43 年 版 の 『 霧 社 』 で は 「 殖 民 地 の 旅 」 が 削 除 さ れ 「 鷹 爪 花 」「 蝗 の 大 旅 行 」 「 社 寮 島 旅 情 記 」に 差 し 替 え ら れ て い る 。「 殖 民 地 の 旅 」が 差 し 替 え ら れ た 点 に つ い て は 、 河 原 功 「 佐 藤 春 夫 「 殖 民 地 の 旅 」 の 真 相 」(『 台 湾 新 文 学 運 動 の 展 開