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しかし Jえ々にとってや1If~~ な 客 員 とは rj~~ におい C..I(1l 幣 れの lìi~l 必 におい C. 自 の 心 ~.'1h!えて h v. ぷない ο う V. ~ l1. はいつも.い もあのヲljp ーあ t lìt~ い の 調 i QJ7だ そのり j の! 日

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(1)

、 . .. ‘・、. 人 文 研 究 人 阪 市 立 人 学 文 学 部 第

4

4

巻 第

2

分冊

1

9

9

2

1

7

g

-

-

3

2

プーシキンの詩

英雄

J

浅 間 宣 彦

-

1

7

-この作品の創作にはひとつの事件が関連している。 それは

1

8

3

0

9

J

]

2

9

[

:

1

に,ニコ ライ一世が モス クワを訪問した事件である。吋時.モスクワはコレ ラが娼獄をきわめ,国民の志気を低下させていた。皇帝は国民の低下したぶ 気を高めるために コレラ の受延した首都をn忘 れ 当 時の人 々 に 英 雄 的 行 為 として歓迎されたようである。プーシキ ンは 叶時モスク ワから遠く離れたボ ルジノに足止めをされ モスクワに住む婚約者ナター リア ・ゴンチャローヴァ の身を案じつつ,次々と作品を産み出していた。彼が情報源として読 ん だ 唯 一の新聞は │モスクワ報知 │であり 111,

1

0

1

日付 け の 「 モス クワ報知

J

に は,

r

モスクワ 。 皇帝陛ドは

9

2

9

日真夜中

1

1

時にサンクト ・ペ テ ル フ ル グ から当地 の 行部に御光臨された」 と記されてあ った。 皇帝は一週間以

k

滞紅 しt

1

0

7

日に首都ぺテルブルグに戻った。

1

0

9

日付けの「モス クワ報知

I

J

に掲載されたポゴーシンの記事は当時の人々の一般的感情を示すも のであろ う。「この僚に 彼 (皇帝)が毒要 で 非 常 に 困 難 な 職 務 の聞をぬって,とり わけたえず皇帝の注意を引きつける現今のヨーロ ッハの政治情勢にも拘らず, モスクワ のため に割し、た一週間は ,彼の生涯にと ってマイナスにはならない であろう 。 モスクワの人々はこの一週 間 を 長 く 記 憶 に と ど め 父 親 た ちは感 謝の気持ちをこめて祖国の祭別に捧げられたこの高潔な犠牲について

f

供た ちに語るであろう。そしてそれは数多くの成功勝利偉業よりも後世の人々 のもとに刷くだろう。JI2J この記事が詩の創作の契機になったことは間違いな

(

4

3

)

(2)

-

1

8

いであろう。この記事かフーシキンの手元に届いたのは

1

0

1

8

-

2

0

日頃と

される。フーシキンは

1

0

2

0

日には短編小説

f

吹雪j

を完結し,その余白に

r

1

0

J

J

1

9

.第卜歌を焼却

J

と記しているか.後に復元された第十歌の断片

には詩『英雄』と額似の詩句か見られる。その詩句は

1

8

2

4

年に書かれ七末完

n

r

不動の番兵は

E

室の敷居てまどろんでいた

j

にも見られるもので.従

米のプーシキンのナホレオン観を反映していると見ていいたろう

310

キンは

1

0

}

j

末か

1

1

J

J

始めにモスク

ワのホコ

シン宛に詩『英雄

j

の原稿を書

き必

ているので.言寺『英雄

J

のお

IJ

作の時期は

1

0

月下旬とみて間違いない

初めに,詩の大怠を紀しておく

失雄

れ.理とは何か?

友人

G

f

;

r

かに.栄光とはいまぐれで移り気なものだ。

百の

J

f

;

をした炎のように.それは

選ばれた人々の凶上を飛び回り.

E

1.一人のu.

f

L

I

ごから姿を消したと思うと‘

もうすでに他の

U]し│二l

こ安を現す。

新しいものを従J

I

l

i

t

に迫ぃ、比めるのは

政かな民喰の押し、。

しかし Jえ々にとってや1If~~ な客員とは

百の炎がぱっと燃え上がった納ごはないか。

rJ~~ におい C. .I(1l幣れの lìi~l必におい C.

その他のう川

'

f

成功し

・にいる者たちの.

これら

j

i

S

ばれた者(,

)

,)ちで泌がー添

自の心 ~.'1h!えて hv. ぷない ο うV.

J

~ l1. はいつも.い〉もあのヲljp ーあ t 、 lìt~ い の調i QJ7だ そのりj の!日i に !;iT行どもは 1!|》りを静~~

.

I~II:I:I によっ 1て王冠をJ受けられたか(.

'

)

'

1

1

'

材J~J'E けの ijiitη ように 消えよ 3 たあの l}j だ。

‘ a -E ・ ・ ・ 4e . ‘ E a a

(3)

-・ .

プーシキンの詩~

9

J

d

t

J

-

1

9

ー 友 人 一体し、つのことか その男が不思ふな運命の日て 君の頑脳を篤嘆させているのは. アルフスの山々から聖なるイタリアの台地を 彼か術敵しているときか, それとも軍旗を.あるいは独裁再の勿杖を 手にするときか,それとも あたり一面に遠方に飛ぶような戦火を 導 い て い く と き か 勝 利 に 次 ぐ 勝 利 が 彼 の 頭

k

l

f

をひすぎていくときか それとも巨大なヒラミソドの前て 拍手喝采で軍隊か災援を迎えるときか それとも モ スクワが人気もなく輝き 彼を迎えて,一押 し黙っているときか? 詩 人 いや,幸福のふところに抱かれたときでも 戦場においてでもなく,私が彼をみるのは

5

1

.

惜の娘婿として長路にあるときでもない またあそこでもない,巌のうえに 肢 か 無 柳 の 処 刑 に

2

7

しめられ 英雄とあだ名されて笑い者とされ, 軍 隊用 の外安に包まれて ひっそりと消えていく彼でもない。 私の目の前にある情ぷ-はそれではないo

k

い長い一列の自床か見える。 そこには生ける屍が倹 たわる。 病気の

'

1

1の女

E

強力 なペストに 絡

n

J

を押 されて・・・ 彼 は l波湯の死には閉まれずに J(jをひそめて寝床の間を歩き同り 冷ややか にペスト のT:を爆 りしめ (45)

(4)

-

2

0

-消え果てようとする脳裏に

勇気を呼ひ起こす

天にかけて

笠う,自らの生命を

暗い病のまえに危険にさらし,

消え去った眼差しを励まそうとする者は

括って肴う,その省は天の友となろう

盲目の

上の判決か

いかなるものであろうとも

友人

詩人の空想よー

厳しい照史家かそれらを追い払う!

ああ,彼の戸

2

は鳴り料いた*

位聞を魅

f

した魅力などどこにあろう!

詩人

真実の光明など呪われるがいい。

もしもそれが冷ややかで,妬み深く

誘必

l

こりれ、俗衆に肢かにもおもねるならば!ーいや!

無数のド劣な《'だよりも私にとって尊いのは

孜々の心を

1

3

める j

l

胤ぐある

9

:

c

a

t

に心を伐しておけ!それかなければ

その人物は

{

"

J

行になるだろう?暴

}え入

'

:

L

たまえ

1

8

3

0

9

J j ~9 r] モミ、ワ

*

1

¥

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r

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点、

B

O

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.

( lーシキン

(

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)

i

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2

このわL I4 . fiJj: 「》11M{;J は た人 J; 対 人 との セ、jm かん十時fJ~ぷ ‘ 拘 h い ー

(5)

フーシキンの詩

l

英雄』論

-

2

1

ー 式の主な詩は『君と僕

J

(

1

8

1

7

-

2

0

.

散文作家と詩人),

r

官吏と詩人j

(

1

8

2

1

.

官吏と詩人),

r

本屋と詩人の対話

J

(

1

8

2

4

,本屋と詩人).

r

ファウストからの ー 湯 面

J

(

1

8

2

5

.

ファウストとメフィストフェレス), r散文作家と詩人 ~

(

1

8

2

5

.

散文作家と詩人).

r

詩人と部衆j}

(

1

8

2

8

.

詩人と群衆)などがあり.ファ ウストの モチーフ の詩を除けば,つねに

-Jj

は詩人であり,他ノjは 創 刊 的 利 絡を優先する散文作家,官吏,本

J

,Tf{.群衆などで,両者の間には相

l

l

のノ付!日 解,敵怠 I~ 藤などが見られる 。 詩『英雄』の詩人と友人は,それに反して, かなり近しい関係にあると言えるたろう 。 この詩はあたかも 二人の論争のー 断面を切りとってきたようなものであり,友人は明らかに,栄光は丸まくれ で移ろい易いものだ,という詩人の怠見に相づちを打つか の ように. f {確か に, (君の言う通り),栄光は気まくれて移ろい易いものだ j と諮り.地 1~. の 名声の移ろい易さを提起して,対話を始めている 。 その点に関しては.両行 の議論は一致しているように思われる。友人はさらに,無分別な

t

r

i

衆 ( こ の 表現は『詩人と群衆』の中で詩人が用いている)もまた気まぐれであり

.M

新流行の英雄のあとを従順に従うものだが,と語り,しかし打の場代はどう かと詩人に尋ねる。運命に選はれた有の

q

J

E

位にあっても,戦局にあ っ ても,他の世界的功績の分野においても. ~ffi が彼の心を支配し.彼の 2Y 伐と 鈴美の的になっているのか。詩人は,

I

それはつねに彼である.自[11によっ てモ討を俊けられ,支配者たちがそのがj に屈服した軍人の成 l~ かり行.そし てノテは佼明けの影のように消え去った男である」と答える。この時に詩人は. そして作者フーシキンはナホレオンの問街名詞を用いずに, 三人 称 巾 数 の 代 名詞

o

H を用いている。この代名訴jは版によって大文字と小文字とかみられ るが,これは竜要な違いであり,今後検討を要する問題である 1。 ま た こ の 詩ではこ人の人物(ナポレオンとニコライ 一世)が対比 され,

f

J

の 英 雄 と は

jかが問われているが,雨宿はいずれもヴェールに隠されており,ニコライ

-

'

l

!

:

t

t

こついてはわずかに最後の日付で暗示されているにすぎない。 詩人の

l

u

l

答 を聞くと,友人はナホレオン の偉大さを彼の「軍 'Ji的 ・政 治 的 尺度

J

に法づいて詩人に質問を重ねてし 1く。いかなる点てナポレオンか

J

人 の心を引きつけているのか,何故詩人はナホレオンを英雄とみなしている の か。それは,制圧したイタリアをアルフスの高みから見下ろした時のナポレ オン

(

1

7

9

6

-97

年のイタリア遠征〉か,それとも軍旗

(

1

7

9

6

年 の ア ル コ レ の戦い)か,あるいは独 裁 者の勿杖

(

1

7

9

9

1

1

9

日 ブリュ ー メル

1

8

F

1

)

を手にしたときか,それとも足の早い戦火をヨーロッパ各地に送り山してい (47)

(6)

-

2

2

-るときか,あるいはエジプトのピラミッドの巨像のまえで (

1

7

9

9

7

月1

2

エンペプでの戦勝)兵士たちが彼を英雄として拍手喝采で迎えたときか,る

るいは見姶てられたモスクワが炎上し,無言で彼を迎えたとき

• ノリ手ア

ポレオンの鯨かしい「栄光

J

の数々を挙げていく。それに対して,詩入は

人とは迎う観点からナポレオンの英雄たる由縁を説明する。

l

それは友人の

r:n!.~

.

H的

政治的尺度」に対して,

r

よ首徳的

倫理的価値基準

j3!f

こ選づいたも

のである。私が念

u

Jlに浮かべているのは幸福の絶

=

頂にあるナポレオンで

{

乞.

戦闘

q

J

のナポレオンでも.また皇帝の娘婿 (

1

8

1

0

4

月?オーストリア皇帝

フランツ

世のt;

l

女マリイ

ルイーズと結婚)としての彼でもな

t

、。また一

人鍛の上

i

こすわり,

m

E

刑地で静かな回想、の日々を送り,英雄と皮肉られ

t.l'fl{ りI

I

H

J

J

日の外恋に身を包んで,静かに消えていく彼の滞日のときでもむい

込が念、副に結

!

L

、怖くのは,病気の女王ペストに死の絡印を

l

押され,

.

生ける

とな

て兵上が横たわる寝床の列.その聞を胞をひそめて捗き回り

"

死を問

近にひかえた人

l

a

J

に!万気を鼓制

るナポレオン

l

の浴で・ある

詩人は向蝕して

こペスト患者の

こかい一

:

1

2

1

らの命を

H

1

1

L

、械のまえに危険にさら

し.

消え去った m~:t~~ しを励まそうとする有一

i

;

ってし{う.その者は天の友としー

たとえ官 [1 の地上の ~~Jì~Ì)

いかなる

h

のであろうと

E、… ?、 -・ ・ 、 ー 1

が生じ一

t-L ~....=_) 11)

r

た。しかし

i

詩人の心を

r

l

I

'

さつドー

.

.

'

.

"

J

(

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fRn

の人治的行為{

と時人は ~'I::~1~ した。

l

.

i

l

i

1

1

1

J

涙された「

l

H

l

i

也似

J

-1 1

ーして,

I{

. 式1‘

、 ー ¥ AI む t

:

i

において.

ンに

'

.

{ ぬ りでホ!

i

{

J

f

じでい

?、 ‘ の

l

H

1

みだした

V

H

叫にすぎな

, ,

e

lip

(7)

プーシキンの詩『英 雄

J

-23-•

詩人の空想よー

厳格な歴史家がその空想を追い払う!

ああ,かれの声が轟いた。

世間を魅了した魅力などありはしない!

zh, rν.町

E

しかし詩人は友人の反駁に怯まずに自説を主張する

たとえそれが真実

(npas

a)であったとしても,それが冷ややかで

妬み深く,誘惑に弱い

俗 衆 に お も ね る よ う な も の な ら ば , 呪 わ れ て あ れ

無 数 の 下 劣 な 真 実

(HH3KHe HCTHHbI)

よりも我々の心を高め

,浄

化して

くれる《欺楠)

(06-MaH)

のほうが自分にとっては尊いのだ,と主張する。友人は,その言葉

を聞くと,相手を宥めるように,

r

心するがいい

」 と 言 っ て 対 話 を 中 断 し

た。こうして見ると詩人と友人の対立は詩人の抱いた美しい

空想

と友人

の主張した

歴史的真実

の対立のように思われるであろう

- π 信 u h H z -7 -d , t e ' e

-i

r

f

;

t

:

詩は友人の

葉「安心したまえ

J

で終わっているが,この語の後に多重点

があり,友人の台詞は中断された印象を与え詩が完結していないように見

える。この手法は詩人のロマン主義時代からのもので彼の創作の写実主義

時代にも踏襲されたプーシキンお好みの手法である

「空間の美学」とでも

名付けられょうか。詩に奥行きと広がりを与える効果と読者との掛合の妙を

醸し出す手法と

言っ

てもよし

1

彼は友人に「安心したまえ」と語らせている

が,その理由については読者の想像,判断に委ね詩人と友人の討論にあた

かも読者を参加させようとしているようである。その判断の材料を作者はそっ

と最後の注釈に忍び込ませる。詩の創作の日付である。これが実際の創作の

日付ではなく,作者の作意的日付であることは上述した。この日付はニコラ

イ一世がコレラの蔓延した首都モスクワを訪問し低下した人心のモラルを

高揚させようとした行為を暗示させる象徴的な日付である。当時の読者は勿

論この日付をニコライ一世のモスクワ訪問と結び付けて読みとったことであ

ろう。ここで詩人と友人の論争の的であったナポレオンはニコライ一世と対

比されることになる。過去の歴史上の「英雄」ナポレオンと現代の皇帝ニコ

ライ一世との対比であり,作者の思惑はむしろこの日付のほうに向けられて

いくのである。何故友人は「安心するがいい

Jと詩人に語ったのか,何故友

人はその理由を述べていないのか,読者は詩を読み終えた後に

そうした疑

問に突き落とされるであろう。友人は次のように言いたかったのであろうか

ニコライ一世の行為は,君が誇りとするような人道的行為であり,しかもそ

(

4

9

)

(8)

-

2

4

-れは空怨でも嘘,偽りではなく,現実の行為である,それは政治的 ・軍 事 的 に な 人 間 的 に も 二 つ の 要 素 を 兼 ね 備 え た よ う な 「 英 雄j の出現なのた.と。 もしそうならば,この詩の一番の狙いは「ニコライ一世」の賛歌にある,と いうことになる。

3

詩『英雄』には二人の声,詩人の声と友人の声か反映しているが.その他 にテキスト外の要素として,エピグラフ,脚注,日付が含まれている。これ らの要素の役割は互いに論争する詩人と友人の視点とは異なる〈他者の視点 》を作品に導入することにある。この作品は多層的,ないしは多声的構造を もっ作品である。この点から作品の意図を検討してみる必要があるだろう。 フーシキンの対話形式のテキストの構造に関しては,ロ ートマ ンの論文があ り, 教わることが多い 7。 ロ ー ト マ ン は , プ ー シ キ ン の ロ マ ン 主 義 的 テ キ ス ト,主観的で、独内が中心の南方叙事詩の中にも.言 語構造のレベルてはなく.

i

U

l

文 の テ キ ス ト と 散 文 の テ キ ス ト (

npe

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刀 OB

lle

序文.日

p 1t Me4aH l1 e

(

1

-

釈)とのJ1

t

f

に対話術造が見られることを指摘し,プーシキンの叙事詩を 二 つのクルーフに大別している。

1

)注釈のついた作品.つまり.韻文テキス トと散文テキストとの結合から情成されている作品:

r

コーカサス の 捕 虜 『ノミフ チサライの以

J

など,

2

)

注 釈 が つ い て い な い 作 品 . つ ま り 韻 文 子 キ ス卜部分が叙ポ詩のテキストと向ーの もの,明らかにノヴェル的主題をもっ た叙

'

H

r

ヌーリン

f

n

J

I

r

コロームナの家

J

や,ノヴェル的主題と哲学的問 地を結び付けた作品『ジプシー』や『アンジエロ j など。叙事詩の額支テキ ストがポリフォニー的であればあるほど,その作品の散文の付属物は役割jを 減じていく傾向が

Q

られる。この

J

と 散 文 の 対 比 は 「 自 分 の テ キ ス ト │ と 「他人のテキスト

J

との関係にも応川される。 例 を

r

ハ フ チ サ ラ イ の

i

H

J

に とると.この

r

r

h

Y

1

は古典

t

義 的三 郎 構 造 :

1

予文+部文テキスト+注釈.を有・ し て い る ら フ ー シ キ ン は こ の 叙

'

H

持への序文の執 鍛 を 友 人 の ヴ ァ ー セ ム ス キイに依頼

l

I 他行・の悦

J

J

A

の入った 散文のゆ文と

'

t

t

l

l

文テキストとの女、

t

U

I

S

を 定

:g~しようとした。作者は.削文の I~~ のテキストと散文の序文;.1

2

190 チキス

トと他人のテキストとの鮎《した作品挑JJ父を113 制したので‘ある。そ ~D後.フー

シキンは次人の

F

j

.

.

.

文を取り外し,以後の作

1

5

1

1

3

では!司令}てく序文、》を別、よう になった。プーシキシの必│火

l

が十分に友人の九いたく

H

三文¥に反映されてい なかコたためであろう。

r

パフチサライの以』のれ-釈は本*の'j

1

釈ごはた・ (50) '.

(9)

プーシキンの詩『英 雄』論

-

2

5

-品 川 川 . さ 字 句@市 ある旅行者の綴った「タヴリーダ旅行記」からの抜粋を散文テキストの政 文の形で添えたものである。ロ ートマンは, プーシキン のテキストの多声的 構成(韻文のテキストが作品と同一でなく,その一部を構成している)は南 方の,ロマン主義の時期に誕生し,後期の成熟した時期にも「初期の創作の 知覚と読者への提供

J

という形で保持されたと指摘している 。 それはプーシ キンの創作に有機的に備わり I

1

)

<別の》人生観

2)

テキスト外の構成

を容認する傾向,対話への志向に結び、ついていった。その後,テキスト外的 rl

c

h

要素の運命は, 二つの方向を辿ったへ

1

)ひとつは I

npen

l1

CnOB

l1

e

序文,

nOCBR

eH

l1

e

献詞I

30

l1

rpaφ

エピグラフ I

np

l1

Me

aH

l1

e

脚注,注 釈 の 利用の道が関かれた I

2

)

もうひとつはI

W

ジプシ ー

J

や そ の 後 の 劇 作 品 へ

の勤きとなって現れた。 (tf~ I

r

バフチサライの泉』を創作した後,南方叙事詩『ジプシ ー』 が 創 作 さ れ 似 た。 この作品は最終稿で注釈がカットされて出版されたがその理由のひと :な(. つは,ロ ートマ ンの指摘の通り,対話構造が韻文テキストの中に移されたか H 11e I らであろう。プーシキンは,ノヴェル的主題を持ち,注釈を持たない叙事詩

i

t

:

l

r

ヌーリン伯

J

を書いた後に,再び叙事詩『ポルタワ

J

で 叙 事 詩 の 権 利 を 復

ρ

活し韻文テキストと散文の注釈の対話構造を取り上げた。 『パフチサライ

l の決

J

と『ポルタワ

J

の構造を比較すると,次のようになる。 ‘. d l , t 、 ・ ・ h ・ -a e ' t 、 川 ﹄ , 国 f L t

.

b ' J S V 仇 叶 , 『パフチサライの泉

J

(

1

8

2

1

1

8

2

3

)

(他人の古いた散文の)序文+ (エピグラフ) +韻文テキスト+散文の政文

r

ポルタワ

J

(

1

8

2

8

年一

1

8

2

9

年)

(エピグラフ) +献詞+韻文テキスト+注釈(歴史的コメン卜) 内 d . , r , d Q U A m H り ' '

fJ~

4 . . ポルタワ

J

では<序文>がとられ,韻文テキストと散文の注釈の対話が作 品憐造の紬に鋸えられている。『ポルタワ

J

の注釈は歴史的コメン卜の性格 を有しており t

r

コ ー カ サ ス の 捕 虜 』 や 『 バ フ チ サ ラ イ の 泉j で見られた

<

n033HR

詩〉と

<op03a

散文>の対比は,<口

033

l1

R

詩> と<

H

-CTOP

I1

R

歴史>の対比に位相されている問。ひとつの〈伝説〉をめぐって, 削文テキストの歌い手である「詩人」とそれを歴史的に注釈しようとする 「歴史家

J

との対立が見られるのである。ロ ートマ ンの次の指摘は傾聴に値

lる。 4 A p t 咳 F ・ 4 ・ ハ , (51)

(10)

-26-「叙事詩(韻文テキスト)は主題の詩的

Be

p

C

H

H

(異 説 ) を 与え,注釈は歴史的

Be

p

C

H

H

(異説)を再構築する。

J

この対話構造(韻文テキストと散文の注釈)は詩『英雄j ては詩人と友人 の対話に移し換えられ,

r

ボル タワ

J

で 始 め ら れ た 詩 人 と 歴 史 家 の 関 係 は 詩 人と友人の二人の声に収飲されていった,と見ていいだろう。ロ ー トマンは 「全体として,序文はプーシキンの叙事詩の構造体系を形成する上で,注釈 よりもはるかに小さな役割しか果たさなかった」と述べて,主に韻文テキス 卜と散文の注釈の対話構造に着目しているが,

r

他 者 の 声」 を 反 映 さ せ よ う とした<序 文> の役割を無視するわけにはいかなし、。叙事詩において序文の 役割を果たした「第

-

Z

の声

J

か詩『英雄』ではエピグラフに変容した,とい える。 この詩の場合には,エピグラフと脚注と最後の日付の中に,詩人と友 人のF釘とは異なる,日JIの,第 三の声,作者の声を読みとることが可能であろ う。勿論,詩人の声も友人の声も作者プーシキン自身の矛盾した内部の声を 顕イ宝化させたものにほかならなし、。 そのこつの声を対比させ,新たな視点か らその問題を凡つめl汽そうとした のが, エピグラフであり,脚注であり.日 付てはなかろうか。 持 の

E

題はそれに従って,英雄論から歴史的真実とは何 かに移り,エピグラフの「点理とは何か

J

という聞に収倣されていったのー ある。詩人と友人の対活は主題の詩的異説と歴史的異説の再機築として認め られるとしたら ,こ のエ ヒクラフや脚注,日付はこの;つの異説に対して何 を

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1

ノJミしているのであろうか。

4

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与『英雄

J

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1

1:かひと つだけつ いている。 それは 「ああ .彼(歴史安〕

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である。

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111]時代人

J

必に尚峨された持には綿糸

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がつけ加えられてい る。「 フリエンヌは〈手

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の,"で,ボナバルトがヤッファでヘスト想、活の 仇院を日

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し,彼らのうちの数れに励ましのぶ日本で従触したという《伝説〉 を戸

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と し 次 の よ う に

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っくいる: (J'

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仏、

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(ベスト忠之;の

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かに械が触ったところを私はよもなかったと 断ばする)Jnuナポレオンの硲

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が執

L

たとい弓同組録は.文民

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プー シ キン

j

虫記の

1

1:によればペこの

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紀 は 偽

j

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さ れ た も の で ー 外 交 山 上 が り の . フ〉ンスのジャーすリストか 11! いたものだそう -C ある O この r~uè は ~ l~-~ ぁ • 、 の , u k u , z

(11)

. . . 、 . ョ ,

プーシキンの詩『災雄』論

-27

るが.

.

ラヴィヨーヴァ女史の報告安行によると

I

r

ッファ

における市件

は徐々な,互いに矛盾する

BepC

l

l

H

(異説)で伝えられており,プルニン

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H

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H

)

の回惣録は

のひとつの

SepC

l1

H

(

異説)にすぎず

,反

しか

たいような事実は全く含まれていない

J

という

ことである

目。女・

s

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によれば,

「詩ヘ」と(

友人

の論争において対比されているのは,

(空想、〉と(!

桜山

的事実}ではなく,異説同士のお}比で

ある

すなわち.詩人の詩的

n

e

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C

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f

l

(異説)と歴史家の再

構築

した

se

pCUH

(異説)との対比ということになる。

しも友人の主張か反駁す余地の無い歴史的事実に法

づいているとし

詩人の主張は説得力を有し得るであろうか

史実

(npaBna)

の光明は呪われるがいし、

その兵実の光か冷ややかで

,好

i

み深く,

誘惑に弱し、俗衆に愚かにもおもねるな

らば一否!

無数の下劣な真'メミ(

11C T U H bl

)よりも私に

尊い

のは

われわれの心を高める欺蹴(空旬

、,成れわである。

英雄に心を残しておけ!も

しそれがなければ

彼は何者になるだろう

?暴君

.

詩人は友人の主張を〈歴史的点実

として認めているわけでも.合定して

いるわけでもな川。たとえそれか歴史的手夫,

A

実であろうとも.もしもそ

れが冷ややかで,妬み深く,誘惑に弱し、俗衆に肢かにもおもねるような事実

ならは呪われてあれ,と呪いの

交を浴びせている

のである

3

彼は人々の心

を高めるような

空想

)

をそうした下劣な真実よ

りもよしとするのである。

すなわち,友人かナポレオンの功紡として向けたような事仏は防止:的事実で

あるとしても,それらは英雄の要件とはなりえない,何故ならそれは暴打に

も可能な行為だからである,英雄にとって人切なことはヤッファでナポレオ

ンか示したような行為てあり,もしそれかなければ,ナポレオンは《英雄》

資格を

失い

t

(

暴君

にすきないということになる

3

いかなる政治的

2

F

事的成功も人道的な思いやりの心を持たなけれは,永遠の

1

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f

t

l

f

白するよう

な〈英雄

とは

n

乎べないのである。詩人はヤッファにおけるナホレオンのエ

ヒソートか事実であるか否かに関心かあるのではなく,失厳にそうしたわ為

かあることを伝しようとしているのである

J

友人はそれに対して.

i

安心し

たまえ

」と

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i

り,二人の論

1

"

させる。友人はその陀It

J

については触れ

(53)

(12)

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n / “ てはいなし、。作者が詩の最後に記した日付がその理由を推し量る材料とし 一 提供されているだけである。ポゴ ー ノノが「モスクワ報知

J

で書き記したぷ うに F ニコライ一世の行為は ;r多くの戦勝,功績,偉業

J

に 優 る 行 為 と し 一 受 け 取 ら れ た の で あ る 。 リ ス ト フ が 指 摘 し て い る よ う に 目 こ の ポ ゴ ー ジン の記事には,詩『英雄

J

との思想的パラレルが見 lられる。「高潔な犠牲

J

と 「政治的 ・軍事的成果,すなわち.戦勝や功績やl偉業j とを比設し,前者を高 く評価している点である。

E

J

'

f

寸の設定は作者が友人の意見lこ向型しているよ うな印象を読者に与えないであろうか。詩人よ。安心したまえ ~!君が主張す るような r~雌」が交場したのだ.我らの王.ニコライ一世のことである E と。 それでは.エピグラフの 「真理とは何かj はどういう 窓 味 を 持 つ の で あ ろl うか。このエピグラフは「ヨハネによる福音

1

2

J

1

8

3

8

からの引用である。 ピラトがイエスを尋問したときに I

r

わ た し は 真 理 に つ い て あ か し を す る た めに生まれ,また,そのためにこの世にきたのであるj と い う イ エ ス の 戸 ー を│甘い、て,ピラトがイエスに尋ねた言葉である。その言誌に対する回答は記 cれていなし、。このエピグラフについては他の作品を援用しよう。

1

8

2

9

年に プーシキンはバラード『貧しき騎士』を

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F

L

、た。それは聖母1マリアに恋した

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1

しい騎士の物

3

1

i

で・あり.彼は.

r

(

へ勺〉知踏にはおよばない/幻 を 蜘 に 抱 ~ / その間泌を探く /胸に京IJみ J. 制1 にもキリストにも祈 ., .i11 " x こと λ うに ~Vl ほに懸想したために 品 、 になる 。 しかし虫 I~・マリアは彼を駆り.その地を '.1 ~'Iこ導いた '.という の

i

t

市である。このバラードは

1

8

3

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年に創作され. (に からの Jé,}i1fiJ に主人公 l) フランツが~;f\、ロマン トエフスキイは 小II~~

r

I~I前iJ の "1:1にこのロマン . . . 岬 -B~・ して利用された。 サ

I

1

羽し "この

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らせている。ドストエフスキイはl前

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のソーニャ ・イヴァーノ ヅァにあてた

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3

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I~I凶』の ;線本思惣について理「しんじっ い人 I::¥Jを仙 〈ζ とである」と

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lさ,そのような 久町の部 リスト.ドン ・キホーテ,ピクウィック ジャン ・ヅァ Jレジャン ていふが. ドン ・キホーテに

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:Jで.もっとも諒)JXぶれた いの(l,

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JII~ (こ f皮が滑:加で-~ 'Is#, いるIl~。アグラーヤはフ。ーシキン ド 111 ーテと |百j じような 人 t~J いては.

r

キリスト較 文官!こム はドン ・キホーー---・ ただそのためにほ治 ンスにつ いぐI

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けれども,ただまじ ,~

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フーシキンの詩『英 雄』論

-29

ないところがちがうこと,そして,第一に,この詩の中には 開 忽 を か か げ ることのできる人聞がはっきり拙かれ,第てには,いったん即似を決めたか らにはそれを信じ ,それを信したか らにはそのために自分の一生を盲倒的に 鯵げるだけの勇気を持っているが故に,彼を尊敬していることを穴げた 。 ア グ ラ ー ヤ は ま た ム イ シ ュ キ ン 公 民 に 対 し て 知 忠 に は 大 切 な も のと そ れ ほ ど たいせつでないものと, 二 つ の知恵があると I沼っている。「大 切 で な い 知 必」 とは,ドストエフスキイによれば,理性によ って 獲 得 さ れ る も の で あ り , そ れによっては

f

i

理は把握できないものである 。 これらの知性の持ち巨たちは, その探求かし 1かに深遠であろうとも,結局は兵浬に到着しえず.かえ って そ のために破滅する運命を背 負 っているのである 160 児 性 で は と らえ が た い 必 を白痴の巨人公ムイシュキン公民は非合問的,感覚的にとらえる 。 そ れ は 人 の知慧(理性)にはおよばない幻を胸に抱いた貧しい騎

t

と相通 ずるもので ある。すなわち,貧しき騎士もムイシュキン公爵も 《美 と 点

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)

を非合則的, 感覚的に抱擁しうる点、で,共通しており, 二人ともそうした (人-切 な 知 必》 の持ち

t

であることをノ示している。 詩 『 英 雄

J

に は 詩 人 の 主 張 す る BC P -C l1H (異説)と友人の主張する BepC~1H (児説)が提示されている。友人の 提示した

W

rJtは惟史家の叫王立を媛則した時間:に基づく主張てあり,客観的 ・ 歴史的事実を標傍したものである。 しかしそれは英雄からその威光をはぎ取 り,人々に抱かせている美しい夢を打ち砕くような異説である 。 それに対し て.詩人は人々の心を高尚にするような 《美しい空怨》の

n

J

能 性 を 感 覚 的 に 把 慢 し 貧 し き 騎 七 が 人 の 知 悲 ・児性にはおよばない幻を胸に抱き. 一生 を それに捧げたように t (美しい'空想》 を限延!と信じているのである 。つ まり. 詩人の史必と友人の異説は 〈イリュージョン 〉 と 知 識〉 の対¥(.ではなく, 懐 疑 主 義 ・尖Itl[主義といずれの異説を信じるかという 《信 仰》の問題であり, 人間jに内配する同情と自己犠竹への潜在的可能性を信ずるか何かという選択 に移し換えられているのである'-)

I

真理とは何か

J

, こ の エ ヒ グ ラ フ は ま た トルストイの小必『アンナ ・カレーニナ

J

て凶l家ミハイロフの描いた「ピラ トの裁きの前のキリスト」の絵を想起させる。ゴレニ ーシチュフとアンナの 批泌を削し、たあと,画家ミハイロフは次のように考えた。「アンナは, キリ ストがピラトをあわれんでいる,と言った。いかにもキリストのぷ情の rj:1に は憐欄の表情もあったにちがいなし、。そこには愛とこの世ならぬ平安と,タ

E

の覚悟と百ァ柴のむなしさを知った表情があるからである 。 ヒラトに役人のぷ ↑

1

5

があり,キリストに憐'閥のぷ情があるのはむろんのことで,これは一点は (55)

(14)

-

3

0

-情欲の生活の権化であり,他は一宗教生活のそれだからである。 すべてこうしたことやほかにも多くのことがミハイロフの脳裏に閃いた」。 ここには二 つの道が暗示されている。一方は情欲(肉)の生活の道を示し, 他方は宗教的(精神的)生活の道が示されている。現世的価値に生きる友人 (歴史家)の生き方と来世的価値に生きる詩人の生き方はこのこつの道に相 当するであろう。真理とは何か。 そ れ は こ の 愛 と あ わ れ み に 満 ち た 宗 教 的 (精神的)生活をおくることを示している 。天 上 の , 永 遠 の 友 と な る 道 を 選 ぶことである。 プーシキンの詩『英雄』にふされたエピグラフの意図は.懐 疑主義的友人(歴史家)の異説ではなく,詩人の主張する異説,すなわち人々 の心を高めるような 《美しい空想〉 を理想、として選択し,それを信じ,それ を信じたならばそのために一生を捧げる勇気を持って生きること.つまり. トルストイの説く 「愛とあわれみ

J

の道を暗示するものなのである。 結 論 この詩にはニコライ 一 位のモスクワ訪問の行為を「人道的 ・自己犠牲的

J

行為と評価し,ニコライ 一 世を賛美した作品と解釈する説。,と,ニコライ一 向の行為もナポレオンの 〈美しい空想、》 と 同 じ く . 見 せ か け だ け の 歎 騎 ( 06MaH) にすぎないとして,この詩はニコライ 一世への失望を歌った作品 と解釈する説四とが見られる。 しかし,筆者にはそのいずれでもないように 忠われる。「安心したまえ

J

という友人の言葉のあとの多重点.そして.作 品の故後につけられた作怠的日付はエピグラフを介在させるとき.作者の不 │河尽を階示するものではないだろうか。コレラの益延した首都を訪れるだけ では「地上的名声」は得られでも,永遠の天七の名声は得られなし、。点の英 縦としての名声を得るためには.点.周に従って行動しなければならなし、。そ れは知性のノ

J

で担保されうるべき夫先の世界ではなく.潜任能力として内在 している

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J

的ゃあわれみの心.つまり人間的な心を持った

5

2

滑として付勤す ることである。そう

L

た行動の 11}能性を皇帝に求めつつ t (美しいセ旬、と して t

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q

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旬、と

L

て作者は信じようとしたのではあるまいか。その期待はまも なく災切られてしまうのだが…。

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(紙数の関係で参与引川文献の指摘に乙どめ,説明を制愛する) (1)

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プーシキンの詩『英雄

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(2) Ta M 淑 e: C T P .144 (3) それぞれ類似の箇所を引別しておく 。 (He且 8Y1mHbli1 CTpa爪 且 peMa刀 Ha

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a p C T 8 e H H 0 ¥1 n 0 p 0 r e) (1824)

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18. NO.4. 1974.

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(l心注(1

)

参照

( 1

5

)

J

:

紙の引用は河出

1

9

房新社版 「ド ストエフスキイ全集」の米川正夫訳を

)

f

t

した。

(

6

)

~公j ド茂雄 I (内痴〉の ムイシキンの形象と 〈貧しき騎士〉 との関係

J

外│玄│諸外悶文学研究,

1

9

5

9

(7)

(

1

2)

を参照

(

1

8) :お波文庫「アンナ ・カレニーナ

J

(中村融訳)から引用。 (1

9

)

ポゴーシンの解釈 (20) キルポーチ ンの解 釈 :

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参照

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