DOI: http://dx.doi.org/10.14947/psychono.34.21
「人と溶け合う映像空間」
400年前の枝の分岐からデジタル水族館の発想
山 本 明 彦
セイコーエプソン(株)“The picture space that blends with a person”:
Divergence of the branch 400 years ago. Idea of the digital aquarium
Akihiko Yamamoto
Seiko Epson Corporation
This study is concerned with development in the picture space by projection where I aimed at “person, picture and spatial relationship.” I found the functionality of the picture as a space material, and created the space for a per-son to take action by the environment. In actual fact, we have been trying to create the space in a pediatric hospital, handicapped children’s school (children with a disability) and a tea party. Focusing the illusion as a feature of the image, “Phantom,” our study is also a proposal to the evolution of the functionality of picture.
Keywords: relationship, picture, space, projection, handicapped children
1. は じ め に 1960 年代,「幻灯機」(magic lantern)という言葉は, 私が子供のころ,まだどこかで生きていた。今は,「プ ロジェクター」(Projector)になった。 「幻灯機」なんとなくぼんやりとしたゆるい画が映り そうだ。それは,どこかワクワクするし,怪しげな魅力 に満ちる。きっと江戸時代は,ロウソクのゆらゆらと揺 れる紅い光源で,幽霊などを映して楽しんでいたのだろ う。 「映像」を扱うものにとって,私が好むのはこの言葉 だ。懐古的な意味で好むのではなく,映し出される情報 の指示性の弱さに惹かれる。また,映像空間の質感の豊 穣性に惹かれる。幻灯機の「幻」まぼろしとは映像感の 一つだが,それは,絵画や夢のように人の想像力やイ メージが心の奥に広がる方向感のない自由なイメージを 連想させる。さらにその言葉の響きの向こうに,やわら かな映像空間,「人と溶け合う映像空間」(Figure 1)の 未来の映像空間のイメージが漂っていることを私は予感 する。幻は身体の内にも外にも映るし心にも映る。つま り映像として人と溶け合う。そして,映像空間を通じ て,現代における「見る」ことの解放,広がりを作りた いと夢みる。 2. 開発の趣旨 今から約200年前,人は壁に映る映像を画像として保 存することに成功した。絶えず変化して移ろうものを時 間を止めて固定化した。強い保存欲の象徴。 その絵画としての写真は,やがて,カメラなど映像装 置をつくりだして産業という幹として成長していくが, 私が,今さらながらに,着想するのは,その一方で,そ こに置き忘れたのは空間,映像,身体を核とする発想が あるのではないか?あえて,そこに注目したい。保存価 値よりも体感価値ということだ。さらにさかのぼり映像 空間の400年前の枝の分岐点に人の未来の芽はないか? 今一度,観察する。「情報余りの時代」の予感だ。 ここに登場する話は,極めて具体的な映像空間の開発 の話である。まさに身体と幻(=映像のイリュージョ ン)を一体化し「身体レベルでの映像のありかた」を見 つけ出して「映像と人のかかわり」にスマホやパワーポ Copyright 2015. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Corresponding address: Suwa Minami Plant, Seiko Epson
Corporation, 1010 Fujimi, Fujimi-machi, Suwa-gun, Nagano 399–0295, Japan. E-mail: [email protected]. co.jp.
イントやTVに代表される性格の情報化社会の映像感と は違った別の秩序を生み出していく未来の映像のあり方 を開発するという趣旨である。 プロジェクターは,パワーポイントの指示性をせわし なく映し出し,映写機は,映画の物語を映し出す。幻灯 機は,幻を映し出す。 「人と溶け合う映像空間」の開発は,映像の指示性よ りも自由に広がる幻が必要なのだ。主体(人)と対象 (映像空間)の分離しないアプローチが必要だ。さらに 四角い映像を俯瞰することに慣れてしまった現代人の 「見る」ことの広がりを揺さぶりながら。 3. 開発する映像空間の性質とは? 「見る」ことと「体感」 ある私的空間体験から始めよう。(画を描く)例えば ある日の夕方,私は山間の河原に出て,イーゼルを立て 画用紙を固定する。西の空はゆっくりと紅くなり始め, 時間が空間を押し動かしていくことを感じる。川のせせ らぎと混ざった柔らかな巨大な空気の塊の中で,ゆるい 振動が体を襲う。空間に濃淡の密度を感じ,私は,紙に 線を引き,なんとか世界を把握しようと試みる。全身 は,暗くなりかけた空間の殺気にすっかり溶け込み,全 身で感じる映像が,体で濾過されて,結果,選択,修正 Figure 1. The picture space that blends with a person.
Figure 2. The soft relationships between the host, guests and observers of the tea ceremony are born in the picture space.
された線が紙の上に画を残す。同時に身体を通過した映 像が画像になる。画に落とされる。 そのとき,すでに意識が意識に向けて「どうか?」と 問いたところで,意識以外にその外側に触れている世界 観があることを現実に身体が,実感する瞬間である場な のだ。画材を片づけるころ,私はすでに「現場の映像空 間」に溶解している。心地よく一体化している。時空間 に流れている。心地よく,呼吸するように山間の河原を 「見る」のである。 私は,このような自己溶解する性質,質感をもった場 (=映像空間)を意識的に作りたい。風がやさしく体を 撫ぜるように映像空間で心を撫ぜたい。社会の状況を見 ても同時に時代の身体が求めている気配を感じる。さま ざまな場所,例えばストリート,病院,水族館,オフィ ス,福祉空間,ホテル,お茶会などの文化空間に。人は 空間の質感を把握できる。身体で感じる映像というイ リュージョンを手がかりにしながら。 3.1 報媒体としての映像から空間素材,身体感覚,さ らに物質レベルを超えていく映像 はじめにも関連するが,例えばwebやスマートディバ イスに代表される現代の映像の特徴は,自分とは無関係 に過剰生産されているコンテンツの更新に重心を置く。 例えば,パワーポイントは指示性,主張の塊だし,機関 銃のように「見る」ことの強制の感を打ち出してくる。 私たちが通常「見る」こととは,どこか,ヒエラルキー や指示性によって,ヒトとしての自然状態にはないのだ ろうと直感する。多くは,「見る」とは社会的意味のう えでの重みづけで機能してしまっているかもしれない。 現代は,すべてにおいてタイトな時代ではないか?過剰 生産される映像の心理的影響も無視できないしヒトは, 機能的に視覚を純粋化,対応化しているわけではない。 四角い液晶の画面の上に現れる映像は,行動までも指示 性,誘導性をもつのである。 これらの映像感において私が,注目すべき点は,液晶 の平面の上の光の情報が文字であろう図像であろうと娯 楽映画であろうと今の扱いでは物質的なレベル超えるこ とはない。むしろその四角い平面を前提としたコンテン ツの内容と更新に意味の重心を置いている点である。 私は,そこに映像の扱い,人との関係性にある意味で 情報化社会とは裏腹に閉塞性を感じる。ある意味とは, もちろん,映像の「見ること」の偏った扱いである。こ れは,現代社会の特性を象徴している。人にとって,映 像の性質の中核とは本来,自己意識に中に変化し漂う記 憶やイリュージョンであるし一方,現代ならば,プロ ジェクションという光の技術によって空間的に光を媒体 として扱うことができ,空間素材に開放していくことに なじむ性質があるという点だ。また,日常の実感として も寝ている間の夢が,液晶画面のように平面として頭に 映像化してこないのは,そもそも映像のもつイリュー ジョン性やスマホのように俯瞰できない関係に自己があ るからだろう。映像とはこの意味でイメージや質感その ものと言ってもいい。 人は空間を出られない,空間と共存する事柄だ。なら ば,上記の映像の性質を踏まえて,建築家が建材を扱う ように空間構成素材としての身体性のレベルでの映像の あり方を今一度,取り扱うことが,実質的な開発につな がると直感する。空間素材としての映像は,豊かな質感 を持ち,今までにない人と映像の関わり方を生み出して 行けるだろう。大自然の中で風を感じるように,もっと 直接,身体的に映像を感じることに開放していくこと が,ひとつの閉塞性を打破する具体的アイディアだ。 これからの世界に求められる未来の映像の性質や機能 性とは,直感的には,もっとゆるく揺らいで,有機的に 流れていていいと思う。連続的な流れる映像空間をつく りたい。不安定なもの,循環するもの,ゆれるもの,四 角でなく歪んだ空間に映像は同居していい。 映像の向こう側にいる人は,映像と一体になれる人間 とは,本来,ルーズで,曖昧な存在だ。ここでの映像と は,情報の伝達手段ではなく,注視する対象だけでもな い。空気のようにゆるく開放して人の本来持つ空間把握 能力を開花させる素材であり,気配や殺気を蘇らせる機 能性をもつことに意味を置きたい。私は,今一度,空間 に映像を戻して身体レベルで扱う新しい方法を見つけた い。「見る」ことの多様性を切り開くためにも。 4. 実験,方法 下記の2件についての具体的事例として「溶けあう映 像空間」を紹介する。 実験-1 茶会,茶室を映像空間で再構築した「ゆふら り亭」(2014年12月21日,石川県,金沢,いしかわ子ど も交流センター) 実験-2 病院空間で行った「デジタル水族館」(2013 年8月20日,長野県,安曇野市,安曇野こども病院,安 曇野養護学校) 実験-1「ゆふらり亭」 茶会は,そもそもハレの場としての茶会から四畳半, 三畳,二畳と狭くても豊かな非日常空間の茶室の発展と ともに完成してる世界観だが,おおよそその物理的な建
築空間基本構造は,丸太,竹,土壁などで作られ,窓は 明かり窓とし,陰影礼賛の美の中に包み込まれる仕掛け で満たされている。 そこには,掛け軸,画や書があり,季節の茶花,歪ん だ茶器などが,空間と人をつなぐ。茶道が生まれる。主 客とその人を囲む,道具や掛け軸,室内のすべてから発 生する質感が,人と一体になり柔らかな豊かな質感とし ての時空間が,進行していく。 まさしく,主客にとって空間と相互に溶解していく空 間ではないだろうか? 私が,空間開発に茶会を選んだのは,それが,すでに 歴史的に完成されたまさしく「人と溶け合う空間」だか らだ。そして,光,映像を演出する空間だからだ。人と 外の関係においていま,テーマにしている同質,近隣の 世界観であり,映像空間開発において一つの明快な手本 になる。そして,何よりそこにすべてから解放された自 由な心が生まれるからだ。そこにある空間の構成要素 は,歴史伝統とともに洗練,多様化,定着しているが, 新たな人と空間の関係性や所作の創造,そこに発生する 心のありようを試みたく今一度,空間と映像を使い再構 築してみた。特に人の外側の空間映像要素が人の行動や 心に影響を与える誘発性という視点も含めて。 「ゆふらり亭」の具体的な特徴 人を取り囲む茶室の 伝統的な土壁は,半透明の布のスクリーンに置き換え, その形状は,茶室の木材や土壁などの平面や直線要素で はなく,むしろ反対の有機的なうねりのある柔らかな フォルムにつくりかえた。そこでは,まるで歪んだ茶器 の中にいるような歪みを没入した身体が全身で空間を味 わう。その柔らかな壁面は,人の動きを滑らかにうなが し,和装の動きに変化を与える。和装とうねる壁面が擦 れ合う触覚性も空間と主客の振動を心地よく増幅するポ ジティブ要素だ。空間に密度や流れを生み出し人の心身 の躍動に働きかける仕掛けだ。そして,掛け軸や茶花な どのいわゆる視覚芸術要素,つまり草花や水流などを上 記のスクリーンに投影して流れる動画で包み込む。実際 には,投影といよりは,動画がスクリーンに染色されて いる感じに見える映像空間(Figure 2)である。また, この薄いスクリーン壁面空間は,茶室の外側からも中の 主客を鑑賞できる透過性を持っている。不透明で構築的 な造形要素を霞や霧のように緩やかな透明にした。その ことにより同時に,内部の主客ともう一つの観覧者とい う人の関係を生み出している。茶室の外側にいる人は, 内部の主客を包括した一枚の絵空間的として動的に把握 できる仕組みを作った。主客と茶道具,壁面の動画がひ とつのイリュージョンとなって見るものを楽しませるわ けだ。動画映像を壁面に染み込ませ流すことによって, さらに積極的に柔らかく開かれた部屋構造をめざす。そ れにより,内部の壁に包まれた人は,映像を見ると同時 にその柔らかい壁面スクリーンの物質性を感じるはずで ある。この二つの認識の同時性が,ある種の包まれる安 らぎを生み出すことに寄与している。あえて,「見る」 「認識」と書いたが,この状態の実際の感覚は,安らぎ とともに「空間に溶解する」に近い。この空間では,実 際に目の焦点は定まりにくい。床の間の「掛け軸を見 る」とは,違う視覚体験をすることになる。空気を見 る。空間の流れを見る。映像と主客とが一体になって, 今までの伝統的な構造とは違う体験性に落とし込まれて いく。視覚認識は,錯視のようなトリッキーな効果を目 指しものではなくあくまでも,主客が映像空間に溶け込 み,主従の関係が心理的にも崩壊する世界を作りたかっ たのである。 また,動画のコンテンツも海中をイメージする魚など 用意して,水中にいる浮遊感や魚の動的な躍動感あふれ る世界も子供たちには,素直に楽しく受け入れられる。 建築空間としての茶室は物質としての永遠性ではな く,空間としてのインスタレーション性,世界中,適当 な空間がれば,設置できるフレキシビリティー,移動性 も固定的な伝統的な茶室とも違う。建築と自然との関係 においても,高エネルギーの建築はますます閉じる方向 にいっているのが現実ではないか?それを別の秩序に よってこのように環境とのなじみのいいやわらかな関係 を捉えなおすパラダイムが必要だとも思う。 実際に体験した人からは,映像空間の茶室は,暗闇ゆ え,そこに入っていく子供のドキドキワクワク感はもち ろん,普段休んでいる五感がとぎすまされる。また,映 像に包まれる所作では,緊張感がとれて,リラックスし てお点前がすすむ。子供達も落ち着き,お茶を集中して 楽しむこともできる。また,日頃見失ったリラックスし た人間関係が,生まれていく。呼吸が合う。などさまざ まな意見が聞かれた。そこは,何事にも束縛されないや わらかな心の解放の場になった。 実験-2「デジタル水族館」 「デジタル水族館」安曇野こども病院,安曇野養護学 校。「動けないこどもたちに,揺らぎを。心の躍動を。 よろこびを。」そんな思いで,病室や擁護学校の子供た ちに,「デジタル水族館」と称して,喜びを届けた。 重度心身障害など,先天的,事故,さまざまな要因 で,彼らは病室から出られない。人は,本来,自然の揺 れる光や風の音,あらゆる外部環境刺激の中で,それに
身を委ね,成長していく,しかし何らかの理由により無 味乾燥な病室に閉じ込められたとき,心は閉ざされてし まう。人工的な病院環境が待っているのは冷たく整理さ れた客観的とされた数値の世界。また,狭い閉塞的な管 理環境であろう。病室の彼らが何より求めるのは,心揺 さぶる魂ではないか?高度な医療機器においても科学的 医療装置は魂を扱わない。というか扱えない。人のもつ 柔らかく曖昧な心に寄り添うための事柄が望まれる。院 内でもコンサートや文化行事が増えているのはそのため だ。先に,私は,人は空間を出られないと書いたが,ま さしくこの場合,病院空間から出られないのだ。デジタ ル水族館は,動けないストレッチャーや車椅子に乗った 子供たちにそのままでも揺らぎの世界につれて行ってく れる映像空間装置だ。体が緊張から解きほぐされて,笑 顔がこぼれる。そこでは,ウトウトする子ども,リラッ クスする子ども,喜びを心にまさしく心と体が溶け合う 場だ。 デジタル水族館の具体的な特徴的 彼らは,ストレッ チャーなど寝たまま,または車椅子,または医療機材を 外せない。そんな彼らにやさしく包み込む映像空間は基 本的に一つの形としてレイヤーなどの構造をスクリーン が向いている。または,ストレッチャーごと包み込む空 間だ。天井を向いたままの子供には天井への水平なスク リーンが望ましい。その半透明のしなやかな7デニール の糸でできた薄膜のポリエステルのスクリーンに動画を 流し包み込む。目の周りは病室の無味乾燥な白とは一転 し,自分が水中にいるように魚が乱舞する。ここで,特 に重要なのは,身体を動かそうとするアフォーダンス性 がスクリーン空間とコンテンツの組み合わせに大きく依 存している点だ。こどもたちは,魚を取ろうとして手を 伸ばす。映像空間(Figure 3)は,魂を揺さぶるととも にいつしか無意識に身体の運動性をも触発している。こ のように楽しみながら外部刺激と戯れるところが,医療 機器とは圧倒的に違う点である。遊び,心を開放し,魂 を揺さぶる「人と溶け合う映像空間」なのである。ここ は見る場ではない。彼らの日常世界を脱出して溶け込む 空間だ。おそらくこの空間にある対極の性質の空間は, 鏡だ。鏡は自己を鮮明に映してしまう。鏡と逆のもの は,白い壁ではなく,自己を包み込んでしまうこの「人 と溶け合う映像空間」だ。イリュージョンの世界。身体 の流れに沿うように空間は有機的に流れていき空間の質 感と身体が同期していく。心,魂に効く薬はないが,人 が作った映像空間ならそれに近いものは作れる。そんな アプローチだ。 5. 「映像空間」に関して,必須な造形的特徴
5.1 Frame Free Pictures 動画の枠の消失化。いかに
映像のフレームのない絵を作るか?そもそも身の回りの 映像,画は四角い画面で扱われている。これは工業規 格,作りやすさの産物。そもそも映像はカメラでしか作 り出せない。しかし。21世紀,PCの普及により,バッ クグラウンドつまりカメラで言うところの画像素子の影 響を受けないでも映像は,オブジェクト化できるように なった。絵画の世界では,このことはすでに20世紀に 進行しているが,私は,そのことを動画で表現すること にしている。枠を取り払った映像でスクリーン空間を染 める。人はよりその中に,空間を意識化して入り込んで いけるのだ。 5.2 Dyeing fabric スクリーンに光を投映するのでは なくて,光を布に染み込ませる。布を映像で染色する。 絵に例えるならドローイング,ペインティング,油絵で はなく水彩や書に近い。ただし,動画で布を染色してい く。布の繊維の中を映像が移動する。映像の空間的両面 性を獲得できる。光とメディウムが一体化して独自の素 材感が生まれる。空間とイリュージョンをつなぎ合わ せ,映像を物質レベルで扱うことの大きな要素でもあ る。
5.3 Story Free Pictures この映像のストーリ構成は,
物語性の弱いものにすることによって,質感の濃い,濃 密な意識をそこに注げる工夫を配慮している。また,長 さも20分くらいを想定したものが多い。これは,目線 をオブジェクトとしての枠の映像に仕向けるものではな く,現実の空間とシームレスにつなぎかつその空間密度 を変えることで,空間そのものを意識化することの大き なアイディアになっている。空間は,味とか粘りとかそ ういう感触表現が生まれてくる。 5.4 Tactile Image 触覚映像を作る。素材 メディウ ムの選定。スーパーオーガンザ,不織布,寒冷紗,和 紙…。ここでは,映像の質感を増量し,独自の量感を与 えるために上記のメディウムを使っている。ここで重要 なポイントは,触れられる。という単純な行為が導かれ る仕組みを組み込んでいること。見て,同時に感触が フィードバックされる。子どもたちが目で見たものを即 時に触れる。または映像を体験すると同時にあるスペー ス間を同時に把握する空間意識も生み出す役割を果たし ている。 5.5 Nature Image 自然の運動,色の導入。今のとこ ろ,映像は自然の運動や色など,人が作り出せないモノ を使っている。理由は,偶有性の持つ予期できない楽し
さ。優雅な動き。自然に似たことは,おそらくPCでも 作り出せるとは思うが,あえて自然界の魅力を最大限に 使っていくことが有効だ。計算できないコトへの憧れ, 人の作ったものではない魅力に満ちている。 5.6 Ambient Sound 音。これは大きな要素だ。ここ は私は作る立場でないが,メロディーよりも,空間的な イメージの強いミニマルな音楽を重ね合わせている。も ちろん観客や,場,プログラムに依存する。 6. 今後の展望,まとめ ここでは,上記の 2つの空間を紹介したが,まだま だ,映像空間には,広がりの可能性は無限である。私は 人を相手にしている。間接的にではあるが物事を作っ て。いつもデザインするうえで,思うことは,人を相手 にしたときに外せない根源的命題は何か?「デジタル水 族館」の事例でも紹介したように,難病で,体の動かせ ない子供たちを見るとなおさらである。命題の一つとし て,「自由を求めること」そのことに答えるデザイン。 この「人と溶け合う映像空間」は,その表出の一つであ る。身体が自由にならないならば,せめて魂だけでも自 由になってほしいと。そしてまた,この映像空間は,患 者や茶室の人にとっての「自己表現装置」でもあるのだ。 これは,人間は,すべてが,言葉,笑顔,動作など表現 をしていくことの自然な欲求に対応するものだというこ とでもある。 そして,さらに情報化社会において人と映像の関係に おいて,「見る」ことの解放の確かさを実験によって実 感できたということである。この場合の「見る」という ことは,生理的意味での「見る」を超えて,先の空間認 識レベルでの見るということであり,「見る」ことの多 様性の枠を広げていけると感じる。さらにそれは,空間 を質感として認識していくことにつながり,人は,この 見えない空間のもつ豊穣性を確かめることに寄与すると 考える。 映像が体の外側で溢れている今日,身体と映像の関係 を再構築していくことで 21世紀の新たな人の世界観, 価値観が生まれまいか?人と人の関係においても。 「映 像と人のかかわり」に別の秩序を生み出していく冒険は 始まったばかりである。強制のないゆるい開かれた「人 と溶け合う映像空間」。まだ,この空間は,試行錯誤の 段階だ。確実に病院の患者や茶室のなどの心を動かすコ トとして実感を得ている。 身体は何万年も変わらない。この空間も。400年前の 過去の枝の分岐点を見つめ直して「人と溶け合う映像空 間」を未来に前進させたい。心と直感をたよりに。映像 は,心に投影されるから。