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与論島における観光化と地域振興

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Academic year: 2021

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(1)

著者

桑原 季雄

雑誌名

南太平洋海域調査研究報告=Occasional papers

42

ページ

90-96

別言語のタイトル

Tourism and Regional Development in Yoron

Island

(2)

与 論 島 に お け る 観 光 化 と 地 域 振 興 桑 原 季 雄 鹿 児 島大学法 文学部 要 旨 与論島では昭和54年 を ピー クに観 光客が減少 してい くなかで、様 々なイベ ン トを企画す るこ とに よって、シーズ ンオ フ期 の冬場 の観 光客の開拓 と誘致 を積極 的にはかって きた。 従来 の若 者中心の ビーチ観光やマ スツー リズムか ら、ブー ム後 は様 々なイベ ン トの企画 に よって幅広 い年齢 層、多様 な観光客 の誘致 を 目指 して大 き く方 向転換 した。 また、ブー ム 期 は兼 業農 家が激 増 したが、ブー ム後 は兼 業農 家が減少 し専業農家 が増 え、脱観 光産業化 と農業重 視の方向 性が顕著で ある。特 に、切 り花や輸送野菜への多角化 と畜産 の比重が増 大 した。観 光 も、受動的観光か ら能動 的観光へ 、量か ら質の観光へ 、 自然依存 型か ら自然 利用型観 光へ、娯 楽型か ら健康 ・癒 しの観 光へ 、農 業 と観 光の分離 か ら連 携へ 、個 人か ら 島民 全体 の観 光へ、夏型か ら通年型観光へ とシフ トし、「健康 ・癒 し」を軸 にセル フイ メー ジの構築 と差別化 の過 程 にあ る。 キー ワー ド:観 光化 、地域振 興、差 別化 、セル フイ メー ジ

Tourism

and Regional

Development

in Yoron Island

KUWAHARA Sueo

Faculty of Law and Humanities, Kagoshima University

Abstract

Tourism in Yoron had its peak in 1979 and after that the number of tourists decreased markedly.

After the boom, Yoron islanders

have ever been trying to bring tourists

back again by creating

various

kinds of events and attractions

not only in summer but also in off-seasons.

During the boom, farmers

were more depending on tourist industries.

After the boom, they are more depending on agriculture

and stock breeding. Tourism in Yoron also sifted from passive to active, from quantitative

to

(3)

Yoron island seems to be still in the process of constructing self-image to differentiate her from other touristic sites by focusing on 'health and healing'.

Keywords: tourism, regional development, difference, self-image

観 光 ブ ー ム 期 前 後 の 比 較 昭 和50年 代 の 観 光 ブ ー ムで 知 られ る 与論 島 の観 光 化 の 足 跡 は 、奄 美 の他 の諸 地 域 に は 全 く見 られ な い 、 ま さ に特 殊 ヨ ロ ン 的現 象 で あ っ た 。 与 論 島で は 、観 光 ブー ム に わ く直 前 の 昭和44年(1969)に 、観 光 客 は14,535人 に過 ぎ な か っ た が 、そ の後 昭 和48年 に69,986 人 と急 増 し、 昭 和51年 に は10万 人 を超 え 、 昭 和53年 に は初 め て15万 人 を突 破 し、 昭 和 54年(1979)に は150,387人 とそ の ピー ク に達 した 。 しか し、 そ の後 は 減 少 に転 じ、昭 和 61年(1986)に は10万 人 を割 り、 平 成3年(1991)ま で は9万 人 台 で推 移 して い た が 、 平 成7年 以 降 は 平 成15年 ま で7万 人 台 で 推 移 し、 ブー ム初 期 の 昭 和49年(1974)の 水 準 に ま で 減 少 した。 観 光客 の動 向 の 特 徴 につ い て み れ ば 、 ブ ー ム 期 は そ の 多 くが 夏 季 に極 端 に集 中 し、 昭 和 51年 にお け る7∼8月 の2ヶ 月 間 の観 光 客 数 は 、1年 間 の観 光 客総 数 の50%を 占め た 。 さ らに 、観 光 客 の90%以 上 が 夏 休 み を利 用 した 学 生 と若 い 会 社 員 で 占め られ た が 、ブ ー ム 後 は 、 夏場 の み な らず 、 冬 場 も ヨ ロ ンマ ラ ソ ンな ど さま ざま なイ ベ ン トに よっ て様 々な年 代 層 の 観 光 客 を取 り込 む よ うに な っ た 。 ブー ム 前 の 宿 泊 施 設 は 、小 さい 宿 屋 が4、5軒 に す ぎな か った が 、 ブー ム初 期 の 昭 和46 年 と昭和47年 の2年 間 で 、 一 挙 に41の 宿 泊施 設 が 新 設 され 、 ピー ク期 の 昭和54年 に は 、 宿 泊施 設 が99カ 所(ホ テ ル18、 民 宿81))と 激 増 した。 民 宿 が全 宿 泊施 設 の80%、 収 容 人数 の70%を 占 め 、圧 倒 的 に農 家 の兼 業 か ら発 展 した 民 宿 に依 存 して い た の が そ の 大 き な 特 徴 で あ っ た。 ブ ー ム 後 は 、宿 泊 施 設 の 数 も激 減 し、平成15年 現 在 、与 論 島 に は ホ テ ル が 8軒 、 民 宿 ・旅 館 が24軒 稼 働 し、最 盛 期の3分 の1に ま で減 少 した が 、相 対 的 に ホ テ ル の 割 合 が 大 き く な り、 リ ゾー トホ テ ル な ど宿 泊 施 設 の 高級 化 が 一 段 と進 ん だ 。 ブー ム期 の 宿 泊 施 設 の 分 布 状 況 をみ る と、 高級 ホ テ ル は す べ て 茶 花 市街 地 な らび に百 合 が浜 海水 浴 場 に 近 い 海 岸 付 近 に建 て られ て い た が 、 民 宿 は そ の ほ とん どが農 家 の兼 業 な い し転 業 に よる もの で あ るた め、 各 地 区 に広 く分 散 した 。 民 宿81施 設 の うち 、茶 花 地 区 に 32、 東 区 に29、 立 長 に10、 郡 間地 区 に3、 古 里 地 区 に4、 朝 戸 地 区 に2、 西 区 に1と い う 分 布 を 示 して い る。 ブ ー ムが しぼむ と同 時 に 、 茶 花 地 区以 外 の 宿 泊 施 設 は大 きな 打 撃 を受 け 、 そ の ほ とん どは 廃 業 に追 い や られ た。 特 に 東 地 区 には 現 在 で もかつ て の ホ テ ル や 民 宿 の廃墟 が 目 に付 く。

(4)

観 光ブーム期に与論 にや って きた観光 客の大 半は、東京 ない しはそ の周辺地域 の人び と で、東京方面 か らの人 々は全 観光客の75%近 くに も及 び、次い で、関西方面 か らの者 が15%、 その他 が10%と い う割合 であった。沖縄 の復帰 直後、観 光客が減少 して しま うのではない か と懸念 されたが、昭和60年 頃 までは沖縄 を経 由 して与論へ周遊す る観光 客が漸 次増加傾 向を示 した。 ただ、 この時期か ら、観光 客の多 くが高級ホテル に宿泊す る よ うにな り、民 宿 客が少 な くなって きたの が大 きな変化 で あった。 過疎化 の著 しかった与論か ら人 口の減少 を くい とめた こ とは、観光 開発 の成果だ と評価 され た。 と りわ け、多 くの農民 たちが、きびの刈 取 りに重 な らない季節 に民宿 を兼 業 と し て経 営 した り、土産 物 を販売 した り、観 光サー ヴ ィス機 関へ 農 閑期 に就 労 した。 観 光 と農 業 昭和30年 頃、与論の全世帯 の95.2%が 農業 を生業 とし、全作付面積 の4分 の3ほ どを 自給用食糧作 物にあて、残 りの4分 の1の 耕地 を換金作物で あるサ トウキ ビにあてていた。 昭和30年 代後 半以 降になる と、大型 の製糖 工場 が設立 され、特 に、奄美振興政策 の もとで、 与論経 済の建て直 しが観光 開発 とい う形 で促進 された結果、農外収入 を得 る機 会が増大 し た。 昭和30年 当時、全農家戸数 の66%の 農 家が砂 糖 きびの生産 を行 っていたが、その作 付面積 は全 耕地面積 の20%程 度 に過 ぎなかった。観 光ブー ムが ピー クに達 した昭和53年 には、全 農家戸 数の91%の 農家 で砂糖 きびが栽 培 され、その作付面積 も全 農作物作付 面積 の82%に 達 したが、 これは必ず しも農業収入 の増 大 を意味 しなかった。 昭和30年 代前半 期 まで大きな比重を 占めていた農業所 得がその後次第 に漸減 し、昭和42年 には じめて農 外 所得 が農 業所得 を逆転 した。その後 は急激 に農外所得 が増 大 し、昭和50年 代 半ばの時 点で は農外所得 が全所得の4分 の3を 占めた。また、昭和41年 の総所得 に 占める農林水 産所得 は52.8%、 農 外所得が47.2%で あったのが 、昭和53年 にはそれぞれ18.8%と81.2%と 、 農外所得 が大 きく逆転 した。農 外所 得のなかで も特 に観 光所得 は、昭和45年 に全体の2.2% であっ たのが 、昭和53年 には34.7%と 激増 してい る。 奄美全域 で農 家戸数が昭和30年 代後 半か ら50年 代 半ばまでの20年 間 に50%以 上減 少 し過疎化 が著 しく進んだ 中で 、与論 では20%程 度の減少 に止 ま り、与論 の観 光開発 が過疎 化 を くい止 めた。昭和30年 当時、全農家戸数の88%に も及んでい た専業農家 が、昭和50 年 には15%、60年 には7%に まで激 減 したが、平成2年 には18%、12年 には28%と 上昇 に転 じている。兼業農家 につい て見れ ば、ブーム初 期の昭和45年 に83%で 、 ピー ク期の 55年 には88%、 昭和60年 には93%と ピー クに達 したが、平成12年 には61%に まで減 少 し、逆 に、専業農 家の割合が増大 しているのが特徴で ある。ブー ム期 の観 光事業 の ほとん どは民 宿を主体に した もので あ り、農業 の比較 的暇な夏の期 間を観光 関係 の仕事 にふ りむ け、観 光のない冬の時期 を農業労働 にふ りむけ るとい うよ うに、農業 と観 光とは互い に共 存 し合 う関係にあったが、ブー ム後 はこの補完 関係が弱ま り、農業 を専業 とす るものが増

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与論 町 は過 去 一 貫 して 砂 糖 キ ビを重 視 して き た が 、 ブ ー ム期 は特 に か ぼ ちゃ が 重 要 な 作 物 で あ っ た。 昭和52年 当 時 、そ の 売 上 高 は1億7,700万 円 で 、カ ボ チ ャ の 生 産額 は 、農 林 水 産 所得 の うち第2位 を 占 めた 。 そ の後 、 カ ボ チ ャの 生 産 が 急 落 し、石 川 さ とい もや イ ン ゲ ン 、切 花 な どへ と大 き く転 換 した 。ま た 昭 和50年 代 以 降 、畜 産 業 の重 要 性 と収 益 が右 肩 上 が りに増 加 し、平成12年(2000)に は7億7,200万 円 と、基 幹 産 業 で あ るサ トウキ ビの 生 産 高(6億9,800万 円)を 追 い 越 した 。 昭 和52年(1977) 平 成12年(2000) 砂糖 キ ビ粗収 入 7億3,000万 円 6億9,800万 円

紬の粗収入

9億2,000万 円

-畜産の粗収入

1億3,000万 円 7億7,000万 円 カ ボチ ャ 1億8,000万 円 -与論 町 の所 得構 成 は 、 昭 和53年 の 町 民 所 得 の うち観 光 所 得 が20億5,600万 円 、 商 業 所 得4億7,000万 円 、両 者 合 わせ て 与 論 町 にお け る 直接 の観 光 収 入 は25億2,600万 円 とな り、 与 論 町総 所得 の34.6%に 及 ん だ 。 同年 の 農 林 水 産 所 得 は13億8,000万 円 、 そ の うち砂 糖 キ ビの粗 収 入 が8億7,500万 円 で あ っ た。 与論 町 の 経 済 に とって 観 光 に よる収 入 が い か に 大 き な も の で あ っ た か が わ か る。 観 光 の 多 角 化 と潮IJ化 昭和50年 代 の ブー ム期 の 唯 一 の観 光 資 源 は ビー チ で あ っ た。学 生 や 若 者 が 大挙 して 海 を 求 め てや っ て きた 。昭 和60年 代 か ら現 在 に か けて 、与論 島 で は観 光ブー ム初 期 の数 字 にま で落 ち 込 ん だ観 光 客 数 の 回 復 を は か る た め様 々 な イ ベ ン トを企 画 して 多様 な年 代 層 を取 り 込 む 努 力 を 行 っ て きた 。 特 に冬 場 の 観 光 客 の 確 保 の た め に ヨ ロ ンパ ナ ウル 健 康 ウォ ー ク (1990)、 ヨロ ンマ ラ ソ ン(1992)、 パ ナ ウル 王 国杯 争 奪 グ ラ ン ドゴル フ大 会(1999)、 ギ リ シ ャ ・フ ェス テ ィバ ル(1997)、 ヨ ロ ン ・沖 縄 音 楽 交 流 会(1995)な ど様 々 な企 画 を た て て き た。 冬期 以 外 に も、 パ ナ ウル 王 国杯 争 奪 ゲ ー トボ ー ル 大 会(1985)ラ フ ウォ ー ター ス イ ム(1993)、 森 謡 子 七夕 ツ ア ー(1996)や 、修 学旅 行 の 積 極 的 な受 入 な ど観 光の 多 角化 や 差 別 化 を進 め て き た 。 与論 島 の 差 別化 の 方 策 と して 、茶 花 地 区 の ギ リシ ャ村 や プ リシ ア リゾー トな ど、 東 地 区 の 与論 民 俗村 や 百 合 が 浜 海 岸 、 タ ラ ソテ ラ ピー や ア イ ラ ン ドテ ラ ピー な どの他 に 、他 方 で は 、基 幹産 業 で あ るサ トウ キ ビや 輸 送 野 菜 、 そ して 畜 産 にカ を入 れ る農 業 の 島 とい っ た い くつ もの試 み が な され て きた 。 こ う して 「ギ リシ ャ」 「リ ゾー ト」 「民 俗 」 「エ コ」 「ア イ ラ ン ド」 「癒 し」 「農 業 」 な ど多 く の顔 を持 つ よ うに な っ た が 、 どれ が与 論 の ほ ん と うの顔 な

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の か 、 あ る い は どの よ うな顔 に して い くの か 、模 索 の た だ な か に あ る。 む す び ブー ム後 の 大 きな 変 化 の 一 つ は 、観 光活性化 や 地域 興 しの た め の様 々 な 団体 や 運 動 が 生 まれ 、官 民 一体 とな っ て 活 発 に活 動 して い る こ とで あ る。また 、与 論 島 に は来 住 者 も多 く、 彼 らが観 光 の 多 角化 に様 々 な形 で貢 献 して い る が 、 島 民 と来 住 者 、そ れ に様 々 な 団 体 と運 動 との 間 で どの よ うな 連 携 の か た ち が 可能 か 、 ま た 、 どの よ うな与 論 のセ ル フ イ メー ジ を 構 築 して い くか が 重 要 で あ る。 ま た 、観 光 の大 きな 障 害 とな って い る交 通 機 関 の 不 便 さ に つ い て は 、 与論 島 が 時 間 、 お 金 を か け て も来 て も らえ る よ うな観 光 地 に な る必 要 が あ る。 さ らに 与論 観 光 の独 自性 の 問題 につ い て は 、 特 に 沖 縄 との 関係 で 、観 光 資 源 が 両者 に大 き な差 異 が な い とす れ ば 、 地 元 に あ る資 源 の組 み 合 わ せ の 工 夫 の 独 自性 で もっ て 、 沖縄 観 光 との 差 別 化 を は か る必 要 が あ る よ うに思 わ れ る 。 最 後 に 、観 光 ブ ー ム 前 後 の 歴 史 と観 光 形態 の 変 遷 とい う観 点か ら与 論 島 の観 光 の 特 徴 を 要 約 す れ ば 以 下 の よ うに な ろ う。 1)受 動 的観 光 か ら能 動 的 観 光 へ 1980年 代 ま で 与 論 島 は観 光 の メ ッカ で あ り、何 もせ ず とも観 光 客 がや っ て きた 。そ こ に あ る 自然 と 「南 の最 果 て 」 とい う位 置 が観 光 資源 で あ り、 与 論 は宿 泊 施 設 さえ提 供す れ ば よ か っ た。 しか し、現在 は 与 論 町 が動 き 出 して 宣伝 、PRす る こ とが 必 要 に な っ た。待 っ て いれ ば観 光 客 が 来 る時代 で は な くな っ た。 与論 町 は イ ベ ン トを次 々 と うち だ し、旅 行 会 社 に売 り込 み を 行 い 、 観 光 客 を 「誘 致 」す る よ うに な っ た 。 修 学 旅 行 の誘 致 は ま さ しく売 り 込 み の成 果 で あ る。 今 後 は、 イ ン ター ネ ッ トを利 用 した観 光 宣 伝 の確 立 を め ざす とい う。 ま た 、 ヨ ロ ンマ ラ ソ ンは3月 、 ダイ ビン グ フ ェ ス テ ィバ ル は6月 、森 瑞 子 ツ ア ー は7月 、 パ ナ ウル ウォ ー クは11月 、 グ ラ ン ドゴル フ大 会 は1,5,7月 に開催 す る とい っ た よ うに 、 イ ベ ン トの 開催 時期 を 拡 散 させ て 、 夏 季 だ け で な く、1年 を通 した誘 客 を め ざ して い る。 2)量 か ら質 の 観 光 へ 昭和50年 代 半 ば の観 光 ブ ー ム の 頃 は15万 人 を超 え る観 光 客 が 訪 れ 、 そ の数 だ けで 与 論 の経 済 は 潤 っ た 。 しか し、観 光 客 へ の対 応 は 不親 切 だ っ た 。 宿 泊 施 設 はす し詰 め 状 態 で 、 廊 下 な どに も寝 か せ て い た とい う。 しか し、観 光 客 の 数 が ブ ー ム 時 の 半分 に な っ た 現在 、 一 人一 人 の観 光 客 を 大 事 にす る観 光 に な っ た 。 ま ず 、 修 学 旅 行 は 同 時期 に1つ 以 上 の 学 校 を誘 致 せ ず 、 一 島 一 校 を貫 き、 生 徒 た ちへ の対 応 が お ろそ か に な らな い よ うに して い る。 ま た 、旅 館 業組 合 は ピー ク時 の 対 応 を反 省 し接 客 態 度 を改 善 し、 もて な しの 心 で歓 迎 して い る。 さ らに 、 行 政 は 既 存 の 観 光 施設 の整 備 や 充 実 を図 っ て い る。 観 光 客 の減 少 に よっ て 観 光 業 者 も最 近 の リ ピー ター の 多 さ を感 じる こ とが で き る よ うに な っ た。 3)自 然 依 存型 か ら 自然 利 用 型 観 光 へ これ ま で 与論 の 観 光 とい え ば 、海 水 浴 な ど海 を 中 心 と した ビー チ 観 光 で あ っ た 。 与論 町

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ラ ソテ ラピー、修学旅行の漁業体験や マ リンスポー ツ体験の場 として、マ リンスポー ツ大 会 の開催や ダイ ビング、海 中結 婚式 な ど、海 の利用方 法 が多様化 してい る。 4)娯 楽型 か ら健康 ・癒 しの観 光ヘ ブー ム時の ビーチ に依存 した娯楽型観光 か ら海 水や潮風 な どの 自然 を利用 した観 光 を提 供す る よ うになった。特 に、海水 を利用 した治療法で あるタラ ソテ ラ ピー が研 究 されてい る。 また、パナ ウル健康 ウォー クでは、 ミネ ラルやマイナスイオ ンを大 量に含 む とされ る 潮風 が健 康にいい とい う。 この よ うに温暖 な気 候や豊かな 自然 を 「健康 ・癒 し」 と結 びつ けた観 光をア ピール し、長期的 に滞在す る ことで健康 にな ろ うとい う 「ヨロンピア計画」 を推 進 してい る。 5)農 業 と観 光 の分離 か ら連携 ヘ ブー ム時は農 業 と観光 は分離 していたが、現在 の取組は、環境保全 の農業 をめ ざ し、観 光 と連携 させ よ うと してい る。行政 は有機 農業を推 進 し、牛糞 を堆肥に変 え るた めの堆肥 セ ンターを建設中で ある。有機 農業で栽培 した農作物 を郷 土料理 に活かそ うと考 えている。 民 間では、婦 人会主催の 「ス ワーユル シの食 」の会が、生 ゴ ミを堆肥に変 え、有機 農業 を 実 現 しよ うとい う活 動 を展 開 してい る。 また、宿泊施設の女将 さんで構戒 され る 「女将 さ ん会 」は、観光 客に提供す る郷土料理の 開発 を 進 めてい る。 「食 」は観光 の重 要な要素の 一つ であるが、その不足 を改善す る動 きがでて きた。有機 農業 による食 の安全 は、健康 志 向の観光 とも結 びつ くだ ろ う。 6)個 人 か ら島民 全体 の観 光へ 観 光ブームの頃は、観光従事者 が個 々の利 益のた めだ けに観 光サー ビスを行 っていた。 しか し、与論 の人気 が落 ち込ん だこ とで行政 も民間 も、 あるい は観 光従事者 もそ うでない 島民 も与論 島全体の利益 を考 えたサー ビスを考え るよ うになった。観光 が衰 退 し始 めてか ら与論 町が打 ち出 した計画の ほ とん どは、官 民一体で取 り組 まれ てい る。観 光協 会な ど民 間の団体 の発 案 した活動 を行政 がバ ックア ップ してい るもの には、修学 旅行 の誘 致やギ リ シャ風街 づ く りがあ る。一方 、行政 が計画化 し民間の組織が協力 している ものには、 ヨロ ンマ ラ ソンや タラソテ ラピー な どがある。相互 に専門知識 を出 し合い なが ら活動 を展開 し ている。 また、最 近の与論観光 は、直接観 光に関係のない農業従事者や漁業従事者 とも関 係 している。 まず、農業 はさ とうきび農家 が修 学旅行や グ リー ンツー リズムの際の さと う きび の刈 り取 り、苗 うえ体験 に協力 し、漁 業は修 学旅行生の漁業体験やハー レー大会 に協 力 している。 即 ち、全島 あげて の取 り組み が観 光に結 びついてい る といえる。 この よ うに 官民一体 となって よ りよい観 光を提 供 しよ うと してい るこ とが、 島内の活性化 に もつなが ってい る とい え る。 7)夏 型 か ら通年 型観 光へ 観 光ブーム時は7、8月 だけで約8万 人の来 島者 があったが、現在 で は7、8月 の入込み

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数 は2万 人ほ どでブーム時の よ うな混乱 はない。最 近の傾 向は通年 的だ とい う夏型 か ら通 年 型になってい るのは、与論町 が通年 的にイベ ン トを開催 し誘客 している ことも関係 して いる。 与論 島の よ うな小 さな島では、きわめて限 られた短期 間に観光 客が著 しく集 中す る とい うことは、島民の平和 な生活環境 の確保や 企業経営 とい う観 点か ら見た場合 、決 して 望 ま しい ことではない。現在の通年型観光 は島内に混乱 を生 じさせず 、なお かつ観 光業者 に安 定 した収 入を もた らしてい る。 また、昭和期は ほ とん どの観光客 が船舶 でや って きて いたが 、平成 にな ってか らは飛行機 と船舶 の利 用が ほぼ 同数 になってい る。 与論 に とって観 光の衰退 は、 町全体 の観 光収入の減少、多 くの宿泊施設 の廃業 、若者 の 島外流 出な ど、一見マイナスだ らけの よ うに感 じられ る。 しか し、それ をプ ラスの視 点か ら見る ことも可能で あろ う。観 光が衰退 した こ とに よって、1)町民 の間に危 機感が芽生 え、 与論 島の将来 に対す る自覚 と責任 と行動 が生まれた とい える。そ の結果 、様 々なイベ ン ト や方策 が考案、実行 され、その 中で、行政 と民間の連携、再編、組織化 、島民の連 帯の強 化 、与論 島の観 光資源の再発見 と様 々な再利用 、環境保 全対策、サー ビス意識 の向上 とい った多 くの進 歩が見 られた。誘客 のために始 めた活 動が、与論 を活性化 させ活気 あ る島 に している。今 後の与論の観光 は、島民 自らが暮 らしを豊か に楽 しみ 、その島民の魅 力で観 光 客 を呼 ぶ こ とので き るもの になる こ とで あろ う。 参 考 資 料 ・文 献 与論 町役場企 画調 整課編 『町勢要 覧資料編 』1999 与論 町役場 企画調 整課編 『町勢要 覧資料編 』2001 与論 町役場企 画調 整課編 『町勢要 覧資料編 』2002 与論 町役場 商工観 光課 「み じ らしゃイベ ン ト IN YORON」2003(プ リン ト資料) 与論 町役場 商工観 光課 「年別 入込 客数表 」(プ リン ト資料) 与論 町役場 商工観 光課 「旅行 客入込 調査表 」(プ リン ト資料) 与論 町役場 商工観 光課 「ヨロンマ ラソン ・デー タ」(プ リン ト資料) 古川 誠二 「与論:与 論健 康村 」青 山亨編 『薩 南諸 島-21世 紀へ の挑戦-』 鹿 児 島大 学多 島圏研 究セ ンター 、2001 戸谷 修 「与論農 村の構造 と変化-朝 戸部落 を中心 に-」 松原 治郎他編 『奄 美農村 の構造 と 変動』 御茶 の水書房 、1981

参照

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