牽連犯(手段的競合)の再構成
江
藤
隆
之
Ⅰ 本稿の目的 Ⅱ 判例の状況 Ⅲ 比較法的検討 Ⅳ 要件の再構成と必然性概念 Ⅴ その他の部分の再構成の可能性 Ⅵ 結語 キーワード:牽連犯,科刑上一罪,スペイン刑法,手段的競合Ⅰ
本稿の目的
刑法54条1項後段に定める牽連犯の思想は,窃盗の連続犯の運用めぐる ローマ法の実務に由来し,イタリア古典学派・フランス古典学派によって 発展させられ,ボアソナードを通じて日本にもたらされた。牽連犯という 用語は,その思想とは全く別に淵源を持つ。もともと日本旧治罪法におい て「附帯の犯罪」と訳されていたフランス治罪法上の概念 ”délits con-nexes” の訳し直しである。旧治罪法時代に「附帯の犯罪」に含まれてい た共犯,結合犯,連続犯,観念的競合等が,刑法学の発展および現行法制 定過程の議論において実体法的な概念として独立していったことにより, 「附帯の犯罪」とされてきたもののうち,手段的競合のみがそのままその 概念に取り残され,旧刑法295条が「牽連故殺」と呼ばれていたことも相 まって牽連犯と呼ばれるようになった。現在,牽連犯規定は,ヨーロッパにおいてはスペイン,アジアにおいて は日本とフィリピン,アフリカにおいては赤道ギニア,そして中南米にお いては相当多くの国と地域に存在す(1)る。ところが,日本においては長らく の間,外国にあまり例のない日本独自の規定であるという誤解が広まって い(2)た。したがって,これまで牽連犯について比較法的研究が行われること はほとんどなかった。そのため,牽連犯の成立要件については,主観的牽 連・客観的牽連や抽象的牽連・具体的牽連等の概念分析などが簡潔に行わ れるだけであり,その多くは判例の積み重ねを分析する手法がとられてき た。それは,一面において,実務的な罪数論に関する研究としては必要な アプローチであった。しかし反面,判例をどのように評価・分析し,賛同 または批判するかという理論刑法学的な枠組みの構成に不十分さを残す要 因ともなっていた。 そこで本稿は,牽連犯研究に比較法的な視点を新たに導入することに よって,その成立要件を再構成することを目的とする。
Ⅱ
判例の状況
本稿は,従来の判例分析を手法としてとらないが,ここでは,いくつか の判例をその内容が理解できる程度に列挙する。それは,判例のおおよそ の位置を知り,かつ判例の使用している概念の意味を検討するきっかけと する目的である。ここで重要なのは事実ではなく,判例の理論的な説明で あるため,必要でない事実描写は省略し,検討も後に回す。なお,理解の 便宜に資する範囲で,引用元とした判決録や刑録,刑集に掲げられた「判 旨」からの引用も行っている。ここでは,個別具体的な事案に対する裁判 所の判断の分析やその当否の指摘はしない。牽連犯の趣旨や成立要件を裁 判所がどのように説明してきたのかという大まかな流れがつかめればそれ で足りる。なお,理解に必要な範囲で上告趣意も引用した。1)判例の列挙 大審院明治42年2月23日第1第2刑事連合部判 (3) 決 【判旨】 「行使の目的を以て文書を偽造し,その目的に従いてこれを行使したると きは,その偽造の所為は行使の手段となり,また行使の所為は偽造の結果 に外ならざれば,刑法第54条を適用してこれを処断すべきものとす」 大審院明治42年10月8日判決刑録15輯1293頁 「性質上一方の手段として普通に用いられ又はその一方より生ずる当然の 結果」 大審院明治42年12月20日判決刑録15輯2012頁 「刑法第54条に所謂犯罪の手段とはある犯罪の性質上その手段として普通 に用いらるべき行為をいい,また犯罪の結果とはある犯罪より生ずる当然 の結果」 大審院大正6年2月26日第2刑事部判(4)決 【判旨】 「刑法54条にいわゆる犯罪の手段とはある犯罪の性質上その手段として普 通に用いらるべき行為を指称することは,当院判例の示す所なり。故にあ る犯罪の性質上普通にその手段として用いらるべき行為なる以上は,犯人 が当初よりこれを手段と為すの意思ありたるものと否とを問わず,該行為 は犯罪の手段に該当するものとす」 大審院大正15年10月14日第2刑事部判(5)決 【判旨】 「人を恐喝して財物を交付せしむるため,不法にこれを監禁したる場合 においては,刑法第54条第1項後段により牽連一罪として処断すべきもの とす」
【上告理由】 「手段結果に該当すべき事実は,必然または当然に牽連する場合にして, 本件の如く常に各個に独立して成立すべき事実が偶然に関連したる場合の 如きはこれに相当せざるものと思料す」 【判決理由】 「一行為が一犯罪に対し,刑法第54条にいわゆる手段たる関係ありという には該行為が該犯罪の性質上その手段として普通に用いらるるものなるこ とをもって足れりとし,必ずしも所論の如く二者の間必然または当然の牽 連関係の存在することを要するものにあらざる」 最高裁判所昭和24年12月21日大法廷判 (6) 決 「牽連犯は元来数罪の成立があるのであるが,法律がこれを処断上一罪と して取扱うこととした所以は,その数罪間にその罪質上通例その一方が他 方の手段又は結果となるという関係があり,しかも具体的にも犯人がかか る関係においてその数罪を実行したような場合にあっては,これを一罪と してその最も重き罪につき定めた刑を以て処断すれば,それによって,軽 き罪に対する処罰をも充し得るのを通例とするから,犯行目的の単一性を も考慮して,もはや数罪としてこれを処断するの必要なきものと認めたこ とによるものである。従って数罪が牽連犯となるためには犯人が主観的に その一方を他方の手段又は結果の関係において実行したというだけでは足 らず,その数罪間にその罪質上通例手段結果の関係が存在すべきものたる ことを必要とするのである」 最高裁判所昭和32年7月18日第1小法廷判 (7) 決 上掲最高裁判所昭和24年12月21日大法廷判決をそのまま引用・維持 最高裁判所昭和44年6月18日大法廷判 (8) 決 【多数意見】 「牽連犯を構成する手段となる犯罪と結果となる犯罪とは,本来数罪とし
て広義の併合罪に包含されるが,科刑上の一罪として罪数上は本来の一罪 と同様に取り扱われ,刑法45条の適用については数罪ではなく一罪である と解することに文理上支障はない。そして,牽連犯はその数罪間に罪質上 通例その一方が他方の手段または結果となる関係があり,しかも具体的に 犯人がかかる関係においてその数罪を実行した場合(略)に科刑上とくに 一罪として取り扱うこととしたものである」 【長部謹吾裁判官の個別意見】 「本来牽連犯を構成する手段となる犯罪と結果となる犯罪とは,複数の犯 罪が競合する実質的数罪であり,広義の併合罪に包含せられるものであつ て,ただ刑法54条1項後段の規定により科刑上の一罪とされるものである ことは,多数意見もこれを認めるところである。元来数罪であるべき牽連 犯を科刑上一罪として取り扱うことにした所以は,多数意見の引用する当 裁判所昭和24年12月21日大法廷判決が判示するように,その数罪が客観的 主観的に同一目的を指向する特性があることに着目して,これを数罪とし て処罰すべき場合よりも悪性の弱いものとして,最も重い罪の刑による処 断をもつて他の軽い罪の処罰をも充足せしめる趣旨に出たものである。し たがつて,その充足の認められないような場合は,もはや処断上一罪とし て取り扱う理由はなくなる」 最高裁判所平成17年4月14日第1小法廷判 (9) 決 「原判決は,これら各罪が牽連犯となるとする上記大審院判例(引用者注: 前掲大判大正15年10月14日判決)と相反する判断をしたものといわざるを 得ない。 しかしながら,恐喝の手段として監禁が行われた場合であっても,両罪 は,犯罪の通常の形態として手段又は結果の関係にあるものとは認められ ず,牽連犯の関係にはないと解するのが相当であるから,上記大審院判例 はこれを変更し,原判決を維持すべきである」
2)分析 判例の述べているところを分析し,本稿の議論を進めるにあたり,分析 道具として,2種の対概念を使用する。すなわち,主観的牽連と客観的 牽 (10) 連および抽象的牽連と具体的牽連である。 主観的牽連とは,複数の罪が手段と結果との関係として行為者の主観面 において牽連していることをいう。たとえば,A 罪の目的で手段として B 罪を犯そうと計画したとき,両罪は主観的に牽連している。これに対して, 行為者が意図せず偶然に A 罪と B 罪が客観的文脈において手段と結果と の関係に立ったときは,主観的牽連がない。 客観的牽連とは,複数の罪が手段と結果との関係で事実的に牽連してい ることをいう。たとえば,A 罪が犯されるにつき,行為者の意図とは無関 係に B 罪が事実的にその手段となっていることをいう。 抽象的牽連とは,個別の事件ではなく一般的な罪質上の牽連を意味する。 たとえば,A 罪が一般的に B 罪の手段として犯される傾向を有している とき,A 罪と B 罪は抽象的に牽連している。たとえば,住居侵入と窃盗, 文書偽造と詐欺などがこれである。 具体的牽連とは,個別具体的な事案において数罪が手段と結果との関係 に立つことをいう。たとえば,ある事案においてその抽象的牽連性の有無 にかかわらず,現に A 罪と B 罪とが牽連しているとき,両罪は具体的に 牽連している。もちろん,具体的牽連の内には,具体的文脈において行為 者が目的・手段として設定する主観的具体的牽連と事実的に牽連する客観 的具体的牽連とが観念しうる。 まず,客観的牽連と主観的牽連とをともに近年の判例が要求しているこ とを確認する。大審院大正6年2月26日判決は,「犯人が当初よりこれを 手段と為すの意思ありたるものと否とを問わず」という。この段階では主 観的牽連は求められていないようにも思われる。しかし,戦後の判例では 説明の仕方に変化が見られる。最高裁判所昭和24年12月21日大法廷判決は, 牽連犯の根拠を「犯行目的の単一性をも考慮して,もはや数罪としてこれ を処断するの必要なきものと認めたことによるもの」と述べ,「従って数
罪が牽連犯となるためには犯人が主観的にその一方を他方の手段又は結果 の関係において実行したというだけでは足らず……」という。この言及は, 客観的牽連を求める趣旨のものだが,同時に主観的牽連も求められている。 さらに,この判決を名指しする形で,主観的牽連と客観的牽連の両方を考 慮する趣旨を明確に述べるのが,最高裁判所昭和44年6月18日大法廷判決 における長部謹吾の個別意見である。長部は,「元来数罪であるべき牽連 犯を科刑上一罪として取り扱うことにした所以は,多数意見の引用する当 裁判所昭和24年12月21日大法廷判決が判示するように,その数罪が客観的 主観的に同一目的を指向する特性があることに着目して,これを数罪とし て処罰すべき場合よりも悪性の弱いものとして,最も重い罪の刑による処 断をもつて他の軽い罪の処罰をも充足せしめる趣旨に出たもの」という。 長部の見解は,この部分において,法廷意見と対立することなく昭和24年 12月21日判決を援用して自説を開陳したものだが,そこで牽連犯の根拠に ついて「客観的主観的に同一目的を指向する特性があることに着目し」た ものであると述べている。 次に,判例が抽象的牽連を要求していることを確認する。大審院は「犯 罪の手段とはある犯罪の性質上その手段として普通に用いらるべき行為を 指称する」といい,この判断を複数の事案において繰り返し維持してきた。 最高裁の時代になり,その表現は「数罪間にその罪質上通例その一方が他 方の手段又は結果となるという関係」と変化し,「普通」が「通例」にとっ て代わられた。さらに,最高裁平成17年4月14日第1小法廷判決は,「犯 罪の通常の形態として手段又は結果の関係」と表現し,「通常」という言 葉も使用している。これら,「普通」,「通例」,「通常」が同じ意味なのか そうでないのかは一概に判断できないが,いずれにせよ,これらは「A 罪 と B 罪がその性質上通例として手段と結果との関係に立つか」という文 脈における「性質」,「罪質」の関連の「通例性」を意味していることは明 らかであろう。つまり,判例によるこれらの言明は,具体的に牽連してい ても抽象的な牽連がなければ牽連犯の成立を認めないという点において, 抽象的牽連を要求する趣旨であると理解される。
最後に,具体的牽連は当然の前提であることを確認する。そもそも,複 数の罪が具体的に関連していなければ牽連犯の適用は問題とならない。た とえば,行為者がある日窃盗を行い,別の日に前記窃盗とは無関係な住居 侵入を行ったとき,牽連犯規定適否の問題は最初から生じず,法廷におい て争点を形成することもない。具体的牽連は,事案の前提となっている。 以上のとおり,判例は主観的牽連・客観的牽連,抽象的牽連・具体的牽 連のすべてを要求している。だが,これらの概念は,判例においては必ず しも十分に整理されていない。そして,古い大審院時代には使用されてい た「必然」の概念は,大審院大正15年10月14日判決を転機に用いられるこ とがなくなった。このことを念頭に置いて,以下に比較法的検討を行う。
Ⅲ
比較法的検討
日本の学説は,草野豹一郎の論(11)稿以来,牽連犯の実際の立法経緯は謎で あり,外国に参照可能な立法例は(ほとんど)ないとして,牽連犯が科刑 上一罪を構成する理由を独自に推測し,判例の状況を整理するものが主流 であった。だが,牽連犯規定が存在する外国刑法は少なくない。本稿では, それらのうち,牽連犯規定発祥の国でもあり最も議論が活発なスペインの 状況を参照して比較法的な示唆を得ることにする。 スペイン刑法は,数罪が犯されたとき,原則として刑の併科主義を採る。 73条は次のように定めてい(12)る。 第73条 2つ以上の犯罪または違警罪の行為者には,その性質および効 果によって可能であれば,それぞれの罪に対応する刑をすべて同時に科 す。 この併科主義の例外が74条以下にいくつか定められているが,そのうち のひとつが77条に定める観念的競合と牽連犯である。 第77条① 前2条の規定は,1個の行為が2個以上の罪を構成し,またはそのうち1つの罪が他の罪を犯すために必要な手段であるときは適用 しない。 ② 前者の場合,最も重い犯罪行為について定めた刑の上半分を適用す る。ただし,それぞれの犯罪行為が別々に罰せられたときに適用される 刑罰の合計を超えることはできない。そのように計算された刑罰がこの 制限を超えるとき,犯罪行為は別々に罰せられる。 ③ 後者の場合,具体的事案において最も重い犯罪行為に対応する刑を 超える刑を科す。この刑は罪のひとつひとつに対して個別に科刑したと きの具体的刑罰の合計を超えることはできない。この制限の範囲内で, 裁判官または裁判所は,第66条に明文で定める基準に従って刑を量定す る。いずれにせよ,科される刑は前条が定める期間の限界を超えること ができない。 要件を定める77条1項は,「必要な」という文言,すなわち「必然性要 件」を別にすれば,日本の規定とほとんど同じである。効果については, 観念的競合,牽連犯ともに細かい指示がなされている点で日本と事情が異 なるが,これらが科刑上一罪を構成し,刑の加重を制限する効果を営むこ とに違いはない。なお,観念的競合と牽連犯との刑の量定方法が異なる方 式は2015年改正時に導入されたものであり,それ以前は,伝統的に牽連犯 は観念的競合と等しい取り扱いを受けるものであっ (13) た。たとえば,牽連犯 規定が導入された1848年刑法典の77条は次の通りであっ(14)た。 1848年スペイン刑法 第77条 前条の規定は,1個の行為が2個以上の罪を構成し,またはそ れらのうちのひとつが他の罪を犯すのに必要な手段であるときは適用し ない。 これらの場合には,その最も重い罪の刑の最も重いものを適用して処断 する。 この立法以来,スペインにおいては,牽連犯の成否は刑法総論上のひと
つの争点を形成した。現在は,おおむね通説・判例によって一致した牽連 犯の成立要件が求められている。以下にその点を詳しく参照してみよう。 ミール・プッチは,「ある罪が他の罪を犯すための必要な手段となるの はいつであろう (15) か」と問いを立て,次のように続ける。「当初は(パチェ コのいうように),その固有の性質からして,手段となる罪がなければ目 的となる罪がまったく犯しえないときのみにそうであると解されていた (抽象的な意味における必然性)。そのような解釈は,後に見るように,通 常一方が他方の罪の存在を失わせる法条競合の理論と衝突することになる (吸収原理)。今日では,具体的事案においてある罪が他の罪がなければ発 生しえなかったことのみが要求されるという具体的な意味における必然性 として解されている。もちろん,この必然性は客観的に存在していなけれ ばならず,行為者がそう信じていたというだけでは足りない。ただし,も ちろん,客観的な必然性の認識も求められ (16) る」と。 ミールの叙述からは,3つのことが読み取れる。 第1に,かつては抽象的な必然性が要求されていたことである。ミール が名をあげるパチェコとは,スペイン刑法に初めて そしておそらく世 界で初めて 牽連犯規定を総則に置いた1848年刑法典成立に影響を与え た重要人物のうちのひとりであるホアキン・フランシスコ・パチェ (17) コのこ とである。ミールによれば,パチェコは牽連犯の成立には罪質上の抽象的 な必然性を求めていたが,現在ではこのように考えると法条競合との関係 がうまく説明できなくなるため,抽象的牽連は求められないとい(18)う。 第2に,現在では,必然性は具体的事案における必然性として理解され ていることが読み取れる。 第3に,その具体的事案における必然性は客観的に存在していなければ ならず,単なる主観的必然性だけでは足りないということである。ただし, 行為者の内心が排除されているわけではなく,行為者が客観的必然性を認 識していたことが求められることにも触れられている。 続けて,ムニョス・コンデの記述も参照する。やや長くなるが,半ペー ジほどをそのまま訳出する。
77条1項によれば,1個の所為が2個以上の罪にあたる場合の(真 正)観念的競合だけでなく,「それらのうちのひとつが他の罪を犯す ために必要な手段である場合」(不真正観念的競合または手段的観念 的競合)も存在する。たとえば,詐欺を犯すための公文書偽造,であ る。 このタイプの競合の場合,現実には,1個の所為のみが存在するの ではなく,2個の完全に異なった所為がある。しかし,手段と目的と いう目的論的関係にある数罪間の密接な牽連(conexión íntima)は, 立法者をして前述の真正な観念的競合と同等に扱わせた。結局のとこ ろ,行為の一個性があるか否かという理論的問題よりも,まとめて取 り扱うべき(観念的競合)か,別の取り扱い(実在的競合)をすべき かという実務的な問題が重要である。論理的には,それらのうちの一 罪がなければ他の罪が犯せないほどに各犯罪間の牽連性が密接である とき,それらの犯罪複合体のすべてを一罪とみなすべきであり,個々 に2つの罪(上述の実在的競合を参照)とすべきではない。それゆえ, 判例や学説は,当然に,現実的,具体的,限定的な意味において理解 されるべき必然性の関係(relación de necesidad:引用者注原文イタ リック体)がある場合にのみこの規定が適用されることを要求する。 すなわち,行為者の主観的な計画では足りず,具体的な事案において, ある罪がそれと独立した構成要件に該当する他の罪(たとえば, 偽造―詐欺)がなければ客観的に発生しなかったという厳密な方法に よるのであ (19) る。 このムニョスの叙述から,次の4点を読み取ることができる。 第1に,ミールと同様に,ムニョスは,現在の見解は抽象的な牽連では なく,具体的な必然性の関係を要求するとしている。 第2に,ムニョスは,ミールが法条競合との衝突という言葉で言わんと していたことをはっきりと述べている。すなわち,牽連犯において所為は 単一ではなく複数存在するという。
第3に,ムニョスによれば,これは理論の問題というよりもどう取り扱 うべきかという実務的な問題である。 第4に,牽連犯を観念的競合と同様に扱うのであれば,その両者に共通 点が必要であり,それが一方の罪を犯せば他方の罪も必然的に犯してしま うという,「必然性の関係」にこそ求められるということである。 すなわち,ムニョスは,牽連犯が犯罪成立上の数罪であること,これが 具体的に必然的な牽連を理由にして,科刑上一罪として取り扱われるべき ものであると述べてい(20)る。これらミールとムニョスの述べるところがスペ インの牽連犯をめぐる通説的見解である。 判例の立場も通説と同様である。まず,牽連犯の状況を判例の状況も含 めて詳細に描写するエスクチュリ・アイサの叙述を参照し,概要をつかん でから具体的な判例を見る。 77条は複数の犯行のうちのひとつが他の犯行を犯すための必然的な 手段として,目的と手段の関係が存在することを要求する。この関係 を認定するために,学説と判例は,他の犯罪を実現する際の予見とし ての主観的牽連では足りず,現に行われた諸犯行間に,論理的,時間 的場所的要素によるつながりが認められるという客観的牽連も必要で あると解してきた。最高裁2001年9月19日判決(STS 1837/2001)に よると,「77条にいう必要な手段は,主観性の観点の下で純粋に心理 的な側面によって理解されるべきではなく,個別の事実的状況に徴し つつ客観的,現実的,具体的意味によって理解されるべきである。所 為の合理的評価において,媒介または手段として特徴づけられかつ第 2の犯行の達成のために適切であるとき,ある行為は必然であること になる」。最高裁2016年6月8日判決(STS 492/2016)は,牽連犯に ついて「両犯行間の牽連は,手段と目的の目的論的関係であり,具体 的かつ厳密な意味で理解されるべき必然性の関係であって,行為者の 主観的計画では足りず,具体的事案においてある犯罪が独立して犯罪 構成要件に該当する他の犯罪を欠いたならば発生しえなかったことが
必要である。」との見解を主張した。 判例は,公用文書,公文書,商用文書偽造罪(392条)とその後に 犯された詐欺罪のケースにおいて,牽連犯を認め(21)る。 このエスクチュリの叙述から,判例はミールおよびムニョスの記述で見 た学説の立場と何ら変わらないことを主張していることが読み取れる。さ らに,その詳細な内容がわかる最高裁2007年3月9日判(22)決を引用する。 牽連犯の要件が存するか否かを決定することの難しさは,その競合 の前提として要求される「必要な手段」という表現に具体的内容を与 えることにある。原則として,この関係は,行為者が必要であると信 じていることでは十分でなく,必要性が客観的に存在することが要求 され,具体的事案に即して検討されなくてはならない。しかし,絶対 的な必然性を要求することもできない。というのも,その要求は,2 つの法の同時適用の場合に予定されている処理である法条競合と衝突 する。思うに,「必然性」を決定するための確実な基準は,具体的事 案において競合する犯罪の間において構成要件的な牽連があるか否か を確認することである。このようにして,目的となる罪,たとえば詐 欺を犯すにつき,論理的,時間的および空間的牽連の要求を考慮に入 れて,構成要件的な欺罔が他の罪,たとえば偽名を使用する偽造など, を通じて実現されるとき,その行為は必然的に手段たる罪とみなされ るべきである。 次に,他の最高裁判例に何度も引用され (23) る最高裁2001年9月22日判 (24) 決の 簡潔な表現を引く。 ある罪が他の罪を犯すために必要な手段であったかの判断は,抽象 的に評価されるべきではなく,具体的意味および各犯罪所為の行為者 または行為者たちが追求する最終目的との特別な関係において判断さ
れるべきである。 このように,判例は,抽象的牽連を明文で退け,具体的牽連を客観的か つ主観的に検討することを求めている。 つまり,スペインにおいては,牽連犯は抽象的な罪質の牽連を検討する のではなく,客観的な観点から具体的な所為を観察することが行われてい る。その観察から,ある罪を犯すことが必然的に別の罪も犯すことになる とき,牽連犯の成立が認められる。たとえば,公文書を偽造して詐欺をす るとき,その具体的な詐欺にとってその具体的な公文書の偽造が必要不可 欠である場合に牽連犯となるのである。 このようなスペインの学説・判例の現状の原点は,牽連犯規定が初めて 制定された1848年までさかのぼることができる。そこで,1848年刑法立法 関係者のうちの最重要人物の一人であるパチェコの逐条解説を手掛かりに, 1848年刑法牽連犯規定の意義を探る。 1848年スペイン刑法は,手段と結果との関係に立つ数罪について2つの 規定を持っていた。ひとつは数罪が手段と結果との関係には立つものの必 然関係に立たない場合に刑を加重する規定(10(25)条)であり,もうひとつは それが必然関係に立つときに刑を加重しない科刑上一罪(77条:前掲)の 規定である。パチェコは,数罪の罪が加重される理由を「他方がなくても 起こりえ (26) た」ことに求める。したがって彼は,必然性のない事案について 定める刑法第10条第11号に触れるときには「他の罪を遂行するための手段 となった罪は結果として加重され (27) る」という。これに対して,「必要であっ たということが追加されてい(28)る」第77条についてはそれは「他方がなけれ ば起こりえなかった」,「ひとつの罪を犯せば必然的に付随する」ので,観 念的競合と変わらないことにな(29)る。それゆえ,必要な牽連関係に立つ数罪 を併科しあるいは加重して処罰することは二重評価の禁止に反するとパ チェコは考えた。先ほどミールによるパチェコ評で見たように,パチェコ はこの関係を抽象的に罪質の文脈で捉えていたようではある。たしかに, 当時,結合犯と牽連犯との区別は曖昧であった。だが,結合犯と牽連犯と
を明確に区別し,牽連犯の場合に数罪を具体的牽連の文脈に置いて検討す ることを前提とすれば,両罪の必然性を要求するパチェコの叙述は現在も まったく色褪せてはいない。観念的競合と牽連犯が同じ科刑上一罪として 扱われるのは,それらがある罪を犯すともうひとつの罪が必然的に付随す るからである。 パチェコと類似の見解を精緻に展開したのは,19世紀中ごろから後半に かけてのイタリアのカッラーラである。彼は,手段と目的との関係に立つ 罪をそれぞれ処罰するのは許されない二重処罰にあたるとその教科書にお いて主張し (30) た。カッラーラのこの主張は,すでに牽連犯規定を持っていた スペインにも流入し,パチェコの見解を補強する働きをした。現在でも, ミールは牽連犯規定の根拠を「行為者の計画において統合されている複数 の罪のそれぞれについて処罰するのは,同一意思に対する二重処罰になる と考えた(カッラーラのような)古典学派の構想に対応するも (31) の」と説明 する。 このように,スペインでは,1848年立法時から現在に至るまで,牽連犯 の科刑上一罪性は,「一方の罪を犯せば他方の罪も必然的に犯してしまう」 という点に求められてきた。 では,日本においてはどうだろうか。古くは,前掲大審院明治42年10月 8日判決などに「性質上一方の手段として普通に用いられ又はその一方よ り生ずる当然の結果」という表現が見られ (32) た。だが,この表現には批判が 加えられた。少し時代が後になるが,中野次雄がこの表現の問題性を簡潔 に表現している。いわく,「『当然の結果』であればむしろ不可罰になる筈 であ(33)る」と。そこで大審院は,早々に,大正15年には牽連犯を「手段結果 に該当すべき事実は,必然または当然に牽連する場合」と主張する上告を 退け,「一行為が一犯罪に対し,刑法第54条にいわゆる手段たる関係あり というには該行為が該犯罪の性質上その手段として普通に用いらるるもの なることをもって足れりとし,必ずしも所論の如く二者の間必然または当 然の牽連関係の存在することを要するものにあらざる」と必然性要件を放 棄した。このあたりから,手段と結果との牽連に必然性を求める見解は判
例では見られなくなる。現在の学説では,「一方が他方に必然・当然に伴 うものであれば,むしろそれは当初から織り込み済みのはずであって,別 評価に値しない(すなわち本来的一罪)といえるから,牽連犯とするため にはそこまでの一体性は必要とされない点において異論はなかろ (34) う」とま でいう者がいるほどに,必然性は検討の外に追い出されてしまっている。 実は,後に参照する高橋則夫のように,現在においても必然性に着目する 見解は唱えられている。だが,必然性要件の放逐が定着してしまい,「必 然性」が牽連犯における本来的なキー概念であるということが忘れ去られ た今,「必然」という概念を使用する論者がいても,その点にほとんど注 目されない状況にある。それどころか,必然性を要求しないことに「異論 はなかろう」と言われるまでになってしまっている。 日本の判例や学説の大半が「当然」「必然」の概念を十分な検討もせず に早々に放棄してしまったのは本来避けるべき短絡であった。スペインを はじめとする諸外国で150年以上にわたり明文で,判例で,学説で求めら れ続けている牽連犯の成立要件のキー概念が「本来的一罪」と混同する結 果をもたらすはずがない。必然の捉え方を日本の判例および学説は誤って きたといえる。 「必然性」を大審院は「当然の結果」と表現した。中野も大審院が「当 然の結果」としたことを問題視した。だが,スペインにおいては必然なの は「結果」でなく「手段」である。すなわち,ある罪を犯そうとするのに 必然的にともなう「手段」が牽連関係にあるのであって,ある罪を犯した ら必然的に付随する「結果」を考慮するものではない。この意味で,日本 の判例も学説も,「結果の必然性」を正当にも退けたが,一緒に「手段の 必然性」を検討もせずに不当にも退けてしまった。まさに,たらいの水と 一緒に赤子も流してしまったのである。 もちろん,日本において必然性を牽連犯に求める見解が学説上皆無だっ たわけではない。草野豹一郎は,牽連犯の成立範囲につき「手段又は結果 たる行為が主たる犯罪に対して別個の存在を有し,しかも必然的過程を為 す場合の外は,濫に牽連関係を拡張すべきでな (35) い」としていた。ここでは,
牽連犯の成立の前提に「必然的過程」が置かれている。ただし,この草野 の表現では,結果の必然性を要求しているようにも読めてしまい,その内 容は明らかでない。現在の学説で,明確に行為の必然性に触れているのは 高橋則夫である。高橋は,その教科書において牽連犯を「観念的競合と同 様に,目的とする行為規範違反の行為を行う際に必然的に手段による行為 によって他の行為規範に違反してしまうことから,重い刑で処断すれば足 り(36)る」と説明する。この高橋の叙述は, 意図的にか意図せずにか スペインにおいて1848年から現在まで一貫して加えられている説明と同一 である。本来,このような理解の妥当性こそが論証の対象とならなくては ならなかった。ところが,日本ではこのような「具体的な文脈において行 為の必然性を要求することの当否」が,「抽象的文脈において結果の必然 性を要求することの否定」によって,まったく異なるものであるにもかか わらず,論点として一顧だにされずに棄てられてきたのである。 日本とスペインは牽連犯の思想的ふるさとが同一であり,牽連犯を一定 の限度に制限して成立させようという考え方には違いはない。むしろ,も し仮に当時のスペイン刑法を日本刑法が参照したのだとすれ(37)ば,「必要な 手段」の要件を書くべきであったにもかかわらず,立法者がこれを書き落 としたことの方に問題があるとすらいえ (38) る。そこで以下に「必然性」要件 をキー概念とした牽連犯成立要件の再構成を試みる。
Ⅳ 要件の再構成と必然性概念
1)客観的牽連と主観的牽連の要否 刑法54条1項後段が,「手段若しくは『目的』」ではなく,「手段若しく は『結果』」と書いているのは,ある罪を犯す際に他の罪を「目的」とす るのみでは足りず,現に両罪が犯された「結果」でなくてはならないとい う意味,すなわち客観的牽連を要求する趣旨であると解することができる。 牽連犯において客観的牽連の要求は解釈上素直に導き出せる。実定法の文 言を根拠に解釈をする以上,客観性を不要とすることはできない。もちろん,客観的牽連のみでも足りない。これは,「犯行目的の単一性 をも考慮し (39) て」,「元来数罪であるべき牽連犯を科刑上一罪として取り扱う ことにした所以は,……その数罪が客観的主観的に同一目的を指向する特 性があることに着目して,これを数罪として処罰すべき場合よりも悪性の 弱いものとして,最も重い罪の刑による処断をもつて他の軽い罪の処罰を も充足せしめる趣旨に出たものであ (40) る」と述べる日本の判例が積み重ねて きたところであり,スペインの学説もまた客観的牽連を要求しつつも, 「客観的な必然性の認識も求められ(41)る」としているところである。だが, 主観的牽連が必要であるとだけ述べても,その内容や意義は必ずしも明ら かでない。そこで,主観的牽連の概念を以下のように明確に定義し,意義 づけを行う。 主観的牽連とは,手段たる罪を実行する時点において,結果たる罪を実 行する所為計画があり,かつその結果たる罪を実現するために手段たる罪 の実行が必要であるという認識があることをいう。たとえば,侵入盗であ れば,現に他人の住居に侵入する時点において,侵入後に当該住居内で窃 盗を行う所為計画があることを前提に,侵入しなければ具体的な本件窃盗 が実現不可能であることの認識があれば主観的に牽連しているといえる。 文書偽造と詐欺であれば,文書偽造の時点で,詐欺を行う所為計画があり, かつ具体的なその詐欺の実行には当該文書の偽造が必要であることの認識 があれば主観的に牽連している。つまり,A 罪を手段とし,B 罪を結果と する事案において,A 罪実行の時点で,A 罪実行後に B 罪を行う所為計画 があり,かつ B 罪実行(すなわち所為計画の完成)のためには A 罪が不 可欠であるという認識がある場合を主観的牽連があるという。 この主観的牽連は,牽連犯にとって理論的に本質的である。というのも, 主観的牽連は,手段たる罪の実行時に,本来等価である他のあらゆる抽象 的な犯罪の中から,特定の犯罪を具体的に切り出して特定し,両罪の主観 的不 (42) 法を統合する要素だからである。侵入盗事案において,侵入行為時に は客観的にはその侵入とあらゆる他の犯罪に牽連関係は存在しない。それ どころか,その時点では他の犯罪はいまだ抽象的観念にすぎず,一切の具
体的輪郭を持っていない。侵入の時点では,その後に行われるかもしれな い住居内での窃盗も,帰宅後に起こすかもしれない殺人も,2ヶ月後にし てしまうかもしれない放火も,10年後に職場で犯すかもしれない横領も, すべてただ論理空間に漂うだけの抽象的観念であって,具体的実体は何も なく,当該侵入とまったく結び付いていない。これら「人であるからには 何らかの罪を犯す可能性はある」という程度の抽象的観念でしかない諸犯 罪は,当該侵入との関係では関連性ゼロとして等価である。行為者がその 主観面において,侵入客体たる住居内での窃盗を具体的に企図することに よってはじめて,「その罪」は輪郭を持ち,単なる「人であるからには何 らかの罪を犯す」から抜け出して「その罪を犯す」という評価対象となり, 「その罪」と「この罪」の牽連という考察対象の特定が可能になる。そし て,結果たる罪の主観的特定が手段たる罪の行為時にすでに行われている ことにより,手段たる罪(侵入罪)の主観面がその結果たる罪(窃盗罪) の主観面内に包摂されて評価できることになる。そうでなければ, つ まり事後的に結果的に牽連したという客観的牽連のみを問題とするのなら ば 住居侵入行為時の侵入意思は,窃盗意思に包含されることなく実現 されたものとして,窃盗を超過してしまう。主観面・客観面ともに包摂関 係に立ちうる別罪だからこそ科刑上一罪として重い罪の上限を科刑の上限 とすることが正当化されるのに,重い罪とは別途不法評価可能な超過した 要素が残ったままであるのは不合理である。したがって,手段たる罪の主 観的不法が,結果たる罪の主観的不法に具体的に結びつけられ包摂される ための要素として,主観的牽連が求められることになる。 かくして,牽連犯成立のためには客観的牽連および主観的牽連の両者が 必要であることが帰結された。そのため,客観的に牽連していても,主観 的に牽連していない行為は牽連犯とはならない。たとえば,窃盗の目的の ない住居侵入後に,新たに窃盗の意思を生じて財物を窃取したとき,判例 はこのような事案にも牽連犯を認めたこともあ (43) るが,すでに当該住居に侵 入している行為者にとっては,侵入罪の行為時に当該侵入が具体的窃盗実 現のために必要であるという認識も具体的窃盗を実行する所為計画もない
ため,主観的牽連性が欠けている。それゆえ,侵入罪の不法は窃盗罪の不 法を超過しており,牽連犯の成立を認めることができな (44) い。また,日頃よ り山奥に死体を遺棄してみたいと考えていた行為者が,ついに死体遺棄の 目的で人を殺害したとき,当該死体遺棄罪と殺人罪は,抽象的には死体を 自ら作出せずともどこかから調達してくればよいのであるから必要関係に 立たないが,具体的な所為計 (45) 画においては必要関係に立つので牽連犯とな る。ところが,別の理由で人を殺害した後に,死体遺棄の意図を生じたと してもすでに死体が現前している以上,当該死体遺棄と殺人は別の意図に 担われているものであり,主観的牽連を欠く。 このように,牽連犯が成立するためには,客観的牽連および主観的牽連 がともに要求される。 2)抽象的牽連と具体的牽連の要否と必然性概念の明確化 次に,抽象的牽連と具体的牽連の要否を検討する。 ここでは,「必然性」の概念の明確化によってその検討を行うことにす る。それは,先に紹介した「一方が他方に必然・当然に伴うものであれば, むしろそれは当初から織り込み済みのはずであって,別評価に値しない (すなわち本来的一罪)といえるから,牽連犯とするためにはそこまでの 一体性は必要とされない点において異論はなかろ(46)う」という見解に対する 応答ともなる。もちろん,抽象的な段階すなわち罪の法定の段階において, ある罪が他の罪を必然的に伴うのであれば,それは別罪とはならない。結 合犯はその典型である。強盗罪や強制性交等罪に含まれる暴行罪または脅 迫罪は,別途成立しない。結合犯でなくとも,たとえば殺人罪中に含まれ る傷害罪が殺人罪と同時に別途成立することがないことについて異論はな い。したがって,抽象的な段階における必然性,つまり論理的必然性は, 牽連犯の要件ではない。これに対して,具体的な段階,すなわち現に所為 を実行する段階における事実的必然性は常に複数の罪を一罪とするのでは ない。たとえば,被害者宅内にある財物を窃取する窃盗罪の実現にとって, その行為の具体的状況および実行時点において,当該被害者宅に侵入する
ことは客観的にも主観的にも必要不可欠であるが,これら両罪は成立上の 一罪とはならない。牽連犯は,本来このような具体的所為実行の段階にお ける必然性に着目するものである。牽連犯における必然性とは,抽象的牽 連における必然性ではなく,具体的牽連の文脈で,現にある一罪の所為を 実現する際に他罪が必要である関係をいう。公式的に換言すれば,「手段 たる罪なくば結果たる罪なし」の関係である。 このように考えてみると,これまで判例や学説が「罪質上の通例性」と 述べてきたことは,あまりにもミスリーディングであった。「罪質上通例」 というと,抽象的牽連性が想起される。ところが,抽象的な罪質の文脈か らは,具体的事案における客観的牽連および主観的牽連の判断は不可能で ある。牽連犯が科刑上一罪とされるのは,二重評価を「現に」行うことを 避けるためなのだから,牽連性の判断は具体的に行われるところにこそポ イントがある。スペインにおいても,1848年の立法当初パチェコは罪質上 の牽連を考えていたようではあるが,議論の発展により,今では通説は具 体的文脈における牽連を判断することにしている。日本においてもそのよ うにするのが牽連犯の立法趣旨からしても,実際の要請からしても妥当で ある。 ここから本稿は,牽連犯の成立には抽象的牽連を要求しないこと,およ び具体的牽連を要求することを帰結する。したがって,あらかじめ抽象的 に A 罪と B 罪とは牽連関係に立つ/立たないなどと分類しておくのは意 味のないことである。たとえば,窃盗と住居侵入であっても,道路に面し た開いた窓から手を入れれば取れる物を窃取するためにした侵入(当該窃 取にとって具体的には不要な侵入)は牽連犯ではなく併合罪とすべきであ る。当該侵入は窃盗の外側に付け加わった新たな犯罪であり,当該窃盗の ための手段ではない。反対に,普段は牽連犯が認められない2罪であって も,具体的状況により,ある罪を犯すために別の罪が必要な手段であり, それを犯したのであれば,牽連犯とすべきである。 なお,スペインにおいては必然性を考慮する前提として複数罪間の関連 が求められるという議論がある。エスクチュリは手段たる罪と目的たる罪
との間に「論理的,時間的および空間的要素によるつながり」(ligadas por elementos lógicos, temporales y espacia
(47)
les)を求め,最高 裁2007年3月9 日判決は「論理的,時間的および空間的牽連」(conexión lógica, temporal y espac (48) ial)を要求する。だがこれは,必然性判断のための注意的な表現 であって,これらの要求自体を特別に考慮する必要はないだろう。前記ス ペイン最高裁判決も,「必然性を決定するための確実な基準は,競合する 2犯罪間に具体的なケースにおいて構成要件的な牽連があるかを確認する ものであるように思われる」と述べ,そのための具体的な判断作業として 論理的,時間的および空間的牽連を「考慮しつつ」(teniendo en cuenta) 行うと述べているにすぎないからである。たとえば,詐欺のための文書偽 造は,詐欺のためであると偽造当時に行為者が認識し,かつ客観的にもそ うであるならば,偽造と詐欺との間に時間差があるからといって牽連性が 否定されるわけではない。場所的時間的に乖離がある数罪は,場所的時間 的に接着している数罪よりも,認定の際に事実的に「牽連していないので はないか」と思わせるが,それは事実的な一考慮要素にすぎないのであり, 決定的な規範的基準を構成するものではない。つまるところ,たとえば大 掛かりな詐欺のために,詐欺実行の何年も前から必要な各種文書を偽造し ておくという牽連犯がないわけではないのである。もちろん,両罪の実行 時期が離れれば離れるほど,他の有用な選択肢が発生してくるため,先行 する偽造が後行する詐欺にとって客観的に必要でなくなるため牽連犯の成 立が否定されやすくなるということは考えうるであろうが。 3)小括 牽連犯の成立は,観念的競合以外の数罪の成立を前提とし(複数行為に よる数罪),各罪間に手段と結果との関係が,客観的に存在すること(客 観的牽連)およびその客観的な関係を行為者が認識していること(主観的 牽連)が求められ,具体的所為の文脈において先行する罪の行為が先行す る罪の行為時において後行する罪を達成するために必要不可欠なものであ る(具体的必然関係)ときに認められる。このとき,客観的牽連と具体的
必然関係は同時に判断しうる。すなわち,「個別具体的な事案を客観的に 見たときに,手段となった罪がその実行時に結果たる罪にとって必要不可 欠であったといえるか」という判断である。したがって,複数行為による 数罪性,具体的客観的必然関係,その認識(主観的牽連)の順で検討すれ ば足る。 本稿の主張は,具体的事案に当てはめれば,従来の判例と大きく異なる 結論を導くものではないかもしれない。ただし,これまで判例や学説が 「罪質上通例」という表現で抽象的牽連を思わせてきたのは誤りであっ(49)た ことは明確に指摘しておく。
Ⅴ その他の部分の再構成の可能性
1)再構成の可能性の提示 ここまで述べてきた成立要件の再構成は,本稿における強い主張である。 つまり,「そのようにすべきである」という主張である。それに対して, これから述べるのは,本稿における弱い主張,つまり「そのようにするこ とも考えられるのではないか」という提案である。本稿の強い主張は牽連 犯の本質部分に関連し,かつそのように再構成しても大きな問題は生じな い点についての主張であるが,弱い主張はすでに長期に定着してしまって おり,変更に相当の混乱を伴う可能性のある部分に関するものである。具 体的には,法的効果としての「最も重い刑」の決め方の変更と「牽連犯」 という名称の変更提案である。いずれにせよ,弱い主張であり,簡潔な可 能性の提示にとどめておく。 2)法的効果 日本刑法54条1項は,科刑上一罪について「その最も重い刑により処断 する」と定め,学説も判例もこれを異論なく法定刑から処断刑を導く方法 に関する規定として解している。しかし,スペインでは宣告刑を導く規定 であると解されてい (50) る。スペインにおける科刑上一罪は,それぞれ個別に科刑されたときに科せられる刑の合計の上限を超えることができず,それ ゆえ個別に科刑した場合の具体的刑罰が導き出されてから比較される。こ の窃盗罪は何年,この侵入罪は何年と具体的に算出してから宣告刑を認定 するための処理である。日本の方法の正当性について再考の余地があろ (51) う。 3)名称 54条1項後段を「牽連犯」と呼ぶのは,概念的には不正確である。牽連 犯は,元来訴訟法上の用語であり,1808年フランス治罪法典(ナポレオン 治罪法典)226条の “délits connexes” の訳語である。日本では,明治時代 の治罪法39条において「附帯の犯罪」と訳されて使用されていた。「附帯 の犯罪(=牽連犯)」とは,①同一の場所において同時に一人又は数人に 対して数罪を犯した場合,②数人通謀して日時又は場所を異にし数罪を犯 した場合,③自己又は他人の犯罪を容易にするため又は其罪を免れるため 他の罪を犯した場合をいう。ここから,旧刑法時代に他の罪を容易にする ためまたは免れるために犯した殺人が「牽連故殺」と呼ばれるようになり, 現行刑法制定時に,牽連犯から併合罪,観念的競合,連続犯などの概念が 次々と名称を与えられて独立していき,特に名称を与えられなかった54条 1項後段が訴訟法上の「牽連犯」カテゴリーの中に残っていたため牽連犯 と呼ばれるに至ったものである。だが,「牽連犯」は本来観念的競合も連 続犯も共犯も含む概念であり,もちろん,現在のフランス刑訴法(203条) でも,スペイン刑事訴訟法(17条2項)でもそのように理解されている。 実体法上の手段・結果の関係を牽連犯と呼ぶのは誤りである。 そこで,本稿は,54条1項後段を「手段的競合」と呼ぶことを提案した い。もちろんすでに定着してしまった「牽連犯」という用語法を今すぐに 廃棄せよというほどの強い主張は困難である。だが,あるいはそれゆえ, 私はこれ以降,牽連犯という言葉の後ろにカッコ書きで手段的競合という 言葉も併記する「牽連犯(手段的競合)」という名称を使用し,本稿のタ イトルもそうすることにしようと思う。遠い将来における名称変更の可能 性を拓くためである。
Ⅵ
結語
強い主張として牽連犯(手段的競合)の成立要件を再構成し,弱い主張 として法的効果と名称について提案をした。最後に,強い主張をまとめて 結語としたい。 ある罪と別の罪が牽連犯(手段的競合)であるか否かは次の手順で判断 される。 ① 数罪の成立が認められる。 ② 成立する複数の罪が1個の行為によるものではない。 ③ 先行する罪の実行時において,その具体的状況に鑑みて,後行する罪 を犯すためには,先行する罪を犯す客観的な必然性があった(「手段た る罪なくば結果たる罪なし」)。 ④ 先行する行為の実行時において,行為者が後行する罪を犯す所為計画 を有し,かつ③の必然性を認識していた。 以上の4要件をすべて満たせば牽連犯(手段的競合)である。 (了) 注 (1) 牽連犯の概念,用語の来歴の詳細は,江藤隆之「牽連犯の来歴 そ の3つの謎を解く 」桃山法学33号(2020年)41頁以下。牽連犯規定 は少なくとも,国家の刑法としてスペイン,日本,フィリピン,チリ, グアテマラ,ホンジュラス,ニカラグア,エルサルバドル,キューバ, 赤道ギニアの各種刑法に,自治領域の刑法としてプエルトリコ刑法にあ る。 (2) たとえば,団藤重光『刑法綱要総論』第3版(創文社,1990年)462 頁は,「諸国の立法例にはこの種のものはみあたらない」といい,川端 博『刑法総論講義』第3版(成文堂,2013年)667頁は「外国法に例を 見ない異色な立法例」といい,草野豹一郎「牽連犯に於ける牽連性」 『刑事判例研究』3巻(巖松堂,1940年)177頁以下は,「牽連犯の規定 たるや我が刑法独特の規定なる」のであり,立法案の理由書も解釈上資 するところがないため,その解決は「判例に待つの外はなかった」という。また,只木誠『罪数論の研究』補訂版(成文堂,2009年)286頁は 「牽連犯の規定は,ほとんど他国に類例をみない特異なもの」といい, 鎮目征樹「§ 54」西田典之=山口厚=佐伯仁志編集『注釈刑法第1巻総 論』(有斐閣,2010年)758頁は,「国際的にみても,立法例としてはほ とんど類例がない」という。 (3) 判決録15輯127頁。 (4) 刑録23輯134頁。 (5) 刑集5巻456頁。 (6) 刑集3巻12号2048頁。 (7) 刑集11巻7号1861頁。 (8) 刑集23巻7号950頁。 (9) 刑集59巻3号283頁。 (10) 主観的牽連・客観的牽連については,中谷雄二郎「§ 54(一個の行為 が二個以上の罪名に触れる場合等の処理)」大塚仁=河上和雄=中山善 房=古田佑紀編『大コンメンタール刑法 第4巻』第3版(青林書院, 2013年)372頁以下参照。 (11) 草野・前掲注(2)175頁以下。日本の牽連犯研究のほとんどが草野の この研究に端を発している。だが,その内容は正確ではなかった。この 点につき,江藤・前掲注(1)41頁以下。 (12) スペイン刑法典総則全体の邦訳として,江藤隆之訳「スペイン刑法 典:総則」桃山法学33号(2020年)243頁以下参照。
(13) V. Antonio Obregón García y Javier Gómez Lanz, Derecho Penal Parte General : Elementos Básicos de Teoría del Delito, 2.ed., 2015, p. 308. (14) 条文を掲げつつ起草者たるパチェコが立法趣旨を解説しているものと
し て,v. Joaquín Francisco Pacheco, El Código Penal, Tomo 1, 1848, pp. 436s.
(15) Santiago Mir Puig, Derecho Penal Parte General, 10.ed. Victor Gómez Martín y Vicente Valiente Iváñez(colaboración), 2016, p. 677.
(16) Mir, nota(15),p. 677. (17) その経緯や思想については,江藤・前掲注(1)41頁以下参照。 (18) なお,パチェコの時代は,観念的競合,牽連犯,連続犯,結合犯の区 別はさほど明確ではなく,一罪と数罪の線引きも曖昧であったため,法 条競合と牽連犯が未分離であってもさほど問題として意識されなかった のではないかと思われる。当時の観念的競合,牽連犯,連続犯,結合犯 の区別が明確でなかったことにつき,江藤・前掲注(1)41頁以下参照。
(19) Francisco Muñoz Conde y Mercedes García Arán, Derecho Penal Parte General, 9.ed., 2015, p. 499.
(20) V. también José María Luzón Cuesta, Compendio de Derecho Penal Parte General, 24. ed., Alejandro Luzón Cánovas y María Luzón Cánovas (actualizado),2018, p. 228.
(21) Estrella Escuchuri Aisa, El concurso de leyes y delitos, en Carlos María Romeo Casabona y Esteban Sola Reche y Miguel Ángel Boldova Pasamar (coordinadores),Derecho Penal Parte General, 2.ed., 2016, p. 344. (22) STS 174/2007(roj STS 1482/2007) (23) 本判決のこの文章は,STS 1632/2002(roj : STS 6608/2002)に引用さ れ,それがさらに STS 174/2007(roj : STS 1482/2007)に引用されてい る。 (24) STS 1620/2001(roj STS 7035/2001) (25) 第10条 加重情状であるのは:(略)第11号 他の罪を遂行するため の手段として罪を実行したとき(“Art. 10. Son circunstancias agravantes : 11. Ejecutar el delito como medio de perpetrar otro.)。
(26) Pacheco, nota 14, p. 436. (27) Pacheco, nota 14, p. 437. (28) Pacheco, nota 14, p. 437. (29) Pacheco, nota 14, p. 436s.
(30) Francesco Carrara, Programa del Corso di Diritto Criminale Parte Gen-erale, 8.ed., 1897, pp. 167ss. in particolare p. 169.(初版は1859年) (31) Mir, nota 15, p. 677. (32) 古ければ古いほど判例にも文献にも「必然・当然」を要求するものが 見つかる。本稿では具体的資料をもって立証できないが,スペイン刑法 (あるいはその元となったイタリア古典学派)の影響があったのかもし れない。 (33) 中野次雄「併合罪」日本刑法学会編『刑事法講座7巻補巻刑法(V)』 (有斐閣,1953年)1389頁。 (34) 田山聡美「恐喝とその手段としての監禁の罪数関係」成瀬幸典・安田 拓人編『判例プラクティス 刑法Ⅰ 総論』第2版(信山社,2020年) 426頁。 (35) 草野・前掲注(2)186頁。 (36) 高橋則夫『刑法総論』第4版(成文堂,2018年)534頁。 (37) 中野次雄は,日本刑法の牽連犯規定について「当時のスペイン刑法90
条が『ある罪が他の行為を実行するについての必要的手段であった場 合』を観念的競合と同一に扱っていることが主として参考とされたので はないかと想像される」という(中野・前掲注(33)1391頁以下)。これ はあくまで中野の「想像」である。それがどこまで正しいといえるのか を考察したものとして,江藤・前掲注(1)41頁以下。 (38) あるいは意図があって書き落としたのだろうか。岡田朝太郎は,現行 刑法制定以前の1901(明治34)年の「手段としたる所為は実行の所為に 吸収されて別罪を成さない」という学説を批判的に紹介するときに「そ の所為の遂行されるにつきて欠くべからざる所為は手段として当然に吸 収されると……」と述べ,「欠くべからざる」という言葉を使っている (岡田朝太郎「一罪と数罪との区別に就いて」法政新誌47号(1901年)6 頁。岡田はその見解の出典を挙げてはいないが,この記述から手段に 「必然性」を求める見解は現行刑法制定以前からあったものと推察でき よう。ただし,2点注意が必要である。すなわち,第1に,外国刑法に 詳しい岡田のことであるから,外国の見解を紹介したものである可能性 があること(現にこれに続く同名の論文(つまり同名の講演の後半部, 法政 新 誌48号1頁 以 下)で は,「ブ リ イ」(思 う に Buri),「ヒ ル レ ル」 (思うに Hiller),「リスト」,「ワッフェンフェルド」(思うに Wachenfeld) の名が挙げられており,当時のドイツ人学者の見解が当たり前のように 紹介されている),第2に,文脈からすると科刑上一罪ではなく,成立 上一罪の話であるように思われること,である。 (39) 上掲最高裁判所昭和24年12月21日大法廷判決。 (40) 上掲最高裁判所昭和44年6月18日大法廷判決長部意見。 (41) Mir, nota 15, p. 677. (42) 主観的不法要素を認めない見解に立つ者については,これを責任と読 み替えて読んでも本稿では趣旨を損なわない。 (43) 上掲大審院大正6年2月26日第2刑事部判決。ただし,これはかなり 広く牽連を認めていた大審院時代のものであり,最高裁がこれを認める かは不明である。というのも,最高裁は上掲最高裁判所平成17年4月14 日第1小法廷判決において,大審院時代に牽連犯を成立させるためには 「普通に用いらるるものなることをもって足れり」とする判例(上掲大 審院大正15年10月14日第2刑事部判決)を否定しているからである。侵 入後の窃盗と当該侵入との牽連関係を認めた大審院判例は,両罪の関係 を「普通に用いらるべき行為」としているが,最高裁がこの判断を維持 しているとは断言できない。
(44) 侵入罪を状態犯と解する私見からの帰結である(江藤隆之「住居侵入 と不退去:そして共罰的事後行為」桃山法学29号(2018年)21頁以下)。 侵入罪を継続犯と解するならば,侵入後退去前に窃盗の意思を生じたと してもなお牽連を認める余地はあるだろうが,前提も結論も不当である。 (45)「この人の死体を遺棄する」という文脈である。 (46) 田山・前掲注(34)426頁。 (47) Escuchuri, nota 21, p. 344. (48) STS 174/2007(roj STS 1482/2007) (49) 抽象的牽連を念頭に置くことで,必然性を要求すると牽連犯と結合犯 との区別が不可能となり,必然性要件を放逐しなければならないという 現象が起こってきた。そして,必然性に代わる適切な制限原理は存在し ないため,牽連犯の成立は「罪質上通例」という曖昧で感覚的な判断基 準が使われてきた。抽象的牽連を捨て,具体的牽連を念頭に置くことで, 歴史的にも理論的にも実務的にも明晰で適切な,必然性要件による成立 制限が可能となる。 (50) たとえば,STS 444/2016(roj STS 2293/2016) (51) 牽連犯の法的効果が争われた最近の事案として最判令和2年10月1日 (裁判所サイト・最高裁判所判例集掲載)がある。本件は,パチンコ店 の女子トイレ内で盗撮をしたという建造物侵入(3年以下の懲役または 10万円以下の罰金)および埼玉県迷惑行為防止条例違反(盗撮:6月以 下の懲役または50万円以下の罰金)の牽連犯の事案である。一審さいた ま簡易裁判所は,住居侵入と盗撮の重い刑種たる懲役の法定刑を比較し, 住居侵入の方が重いため住居侵入の法定刑を使うものとし,その罰金の 上限は10万円であると解した(ので罰金では軽すぎるとして懲役の執行 猶予を選択した:原判決は被告人の控訴棄却)のに対し,最高裁は, 「数罪が科刑上一罪の関係にある場合において,各罪の主刑のうち重い 刑種の刑のみを取り出して軽重を比較対照した際の重い罪及び軽い罪の いずれにも選択刑として罰金刑の定めがあり,軽い罪の罰金刑の多額の 方が重い罪の罰金刑の多額よりも多いときは,刑法54条1項の規定の趣 旨等に鑑み,罰金刑の多額は軽い罪のそれによるべきものと解するのが 相当である」と判示し,原判決を破棄して差し戻した。簡裁は,科刑上 一罪の規定を「いずれかの罪の法定刑をまるごと処断刑として選択する 規定」として解釈したものであり,最高裁は「それぞれの罪の刑種ごと に重い罪を取り出して重い方をもって処断刑を導く規定」として解釈し たものである。「その最も重い刑により」と定める日本法を前提とする
かぎり最高裁の判断が妥当である。簡裁の方法が正当化されるためには, 条文は「その最も重い罪により」や「その最も重い刑を定める最も重い 罪により」でなくてはならない。