就学前児教育の質とは
池上由紀子
[キーワード:就学前教育、新しい時代に必要となる資質・能力、 幼児期の終わりまでに育ってほしい姿、協同性 ] 1.はじめに 国では、待機児童の解消を目指し、2013 年に閣議決定された「待機児 童解消加速化プラン」のもと様々な施策が進められてきたが、2017 年度 末までの目標は達成できず、さらに 2020 年度末までに 32 万人分の保育の 受け皿を確保しようとしている。「『量』と『質』の両面から子育てを社会 全体で支える」とうたった子ども・子育て支援新制度施行後は、量的拡大 はすすんでいるものの、それによって保育士不足が進行し、むしろ保育の 質の低下を招いていると指摘する向きもある。 子ども・子育て支援新制度による保育制度改革は、それまでも進められ つつあった保育への市場の競争原理の導入を加速化させた。保護者向けの サービスを重視したものに重きが置かれ、子どもの健全な発達を保障する ものになっているのだろうかという危惧もある。このような状況を受け、 近藤は1)保育の質の向上に必要なこととして次の 3 点を挙げている。 ①保育環境の諸条件の質…具体的には保育環境に関わる質(保育環境、園 庭の確保、保育者の配置基準等)や保育者の賃金・労働条件に関する 質 ②関係性の質…保育における人間関係に注目する内容(子どもが安心でき るような保育の場や関係づくり) ③保育におけるプロセスの質…一人ひとりが成長・発達を遂げていく保育そのもの 就学前教育の質をとらえるには、①②も外すことのできない重要な課題 ではあるが、本稿では、自身の就学前教育経験をもとに、「保育における プロセスの質」に関して、事例を踏まえて考察する。 2.目的 学校教育に共通する3つの「資質・能力」を育むため、2018 年に改訂 された幼稚園教育要領等では「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」(10 の姿)が示された。無藤2)は、著書においてこれらの姿が総合的な活動 としての遊びや生活の中で育まれることを確認したうえで、保育の質を上 げていくための分析の視点となることを示している。 また、幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導 要領等の改善に際して、新しい時代に必要となる資質・能力として押さえ られている 3 つの柱「知識・技能の習得(基礎)」「思考力、判断力、表現 力等の育成(基礎)」「学びに向かう力、人間性等の涵養」3)が示されており、 これらを育成することが求められている。 それに対して、近藤1)は、「10 の姿に照らしながら検討する作業を重ね ることで、結果的に、チェック項目のようにとらえてしまうことにならな いだろうか。10 の姿に保育の内容を当てはめる作業などに力を投入する ことになってしまうのではないだろうか。」と指摘している。 これらのことを受け、 10 の姿のひとつである「協同性」4)に着目し、 『育ってほしい姿』が目標ではなく、幼児期にふさわしい生活の中で、総 合的な活動としての遊びや生活の中で育まれていく姿であることを示した い。その際、どのように育まれていくかについて先に示した 3 つの資質・ 能力に即して事例を分析し、就学前教育の質について検討する。
3.事例検討 事例1 「 私だって売る人になりたい」( 4 歳児 5 月) ある日、 A・B・C・D・Eがアクセサリー屋さんを始め、 自分たちで作っ た指輪やネックレスなどの品物を並べていた。 指輪・ネックレスの材料は、 カラーモール、 ビーズ、 スズランテープ ・ 色画用紙、 道具はセロテープ ・ はさみなど、 4歳児が容易に扱うことのできる材料 ・ 用具であった。 おおよ そ品物ができたところで、 店をオープンさせた。 ほとんどの子どもが園庭で あそんでいたため、 お店には立ち寄る人もなく閑散としており、 A・B・C・ Dはお客を呼び込むため店を離れ、 Eが店の留守番をしていた。 その時、 たまたま店の前を通りかかった担任外の保育者をEが呼び止めた。 Eが保 育者に品物を勧めていると突然Aが 「 ダメ! Eちゃんダメ!」 と大声で近 寄ってきた。 Aの剣幕の意味が分からずEは無言。 DがAに 「 いいでしょ!」 とEのかたをもつ。 BとCは成り行きを伺う。 不穏な空気が流れる中、 しば らくすると担任が仲介に入る。 まず、 Aの主張を聴く。 そもそも最初にアク セサリー屋さんを始めたのはAとBだったこと、 C ・ D ・ Eは途中から仲間 入りしてきたこと、 お客が来ないから呼び込みに行っていたこと、 売る人に なることを楽しみにしていたことなどを担任に訴えた。 一方Eは、 自分も売 る人になりたかったこと、 お客さんが来てくれたから売っていただけなのに 「 ダメ!」 と怒られたことの理由が分からないことを主張した。 A「 私が売 る人になりたい」 E「 私だって…」 担任は、 5 人に「 どうしたら一緒に店を続けられるか」 と投げかけ、 し ばらく考えさせた。 しかし、 沈黙がしばらく続いたので、 担任は一人一人 の思いを聴いたところ、 どの子も自分自身が売る人になりたいとのことだっ た。 そこで「 みんなが売る人になるにはどうしたらよいか」 と投げかけたと ころ、「( この店の広さでは) 狭くて 5 人みんなが並べない」「 あとから入っ た3人ががまんすればいい」、「 がまんするのは嫌だ」 などと、 それぞれの 思いが出された。 自分たちで打開策が見つけられなかったため、 担任が店
を二つに分けチェーン店にしてはどうかという提案をすると、 全員が納得し た。 2 つのアクセサリー屋さんができ、 それぞれにお客を呼びに行ったり、 売り買いを楽しんだりする姿が見られた。 アクセサリー屋さんをしたいというA・Bの願いを受け、担任は、これ までの経験の中で得た技能を踏まえ、容易に作れる材料・用具を準備した。 お店をやりたいという期待感によって、作ることを楽しむ経験となった。 【知識・技能の基礎】 AやEが自分のやりたいことを通そうとする姿になったのは、譲れない 気持ちを表現できる安心感が根底にあるからではないだろうか。担任の描 く解決の方向性には向かわなかったが、このことがむしろ、子どもたちに とっては相手の気持ちに気付くことに、担任にとっては援助の引き出しを 増やすことにつながった。【思考力、判断力、表現力等の基礎】 自分の気持ちを言葉で表し、保育者に受け止めてもらい、担任が提案し た解決策を皆が納得し遊びを進めていったことは、困難があっても解決し ようとする意欲や互いを尊重し合う気持ちの大切さに気付くことができる 経験となった。【学びに向かう力、人間性等】 事例2 「“ まるやまどうぶつえん” ってかいて!」( 4歳児 9月) 動物園遠足の翌日、 2 人の子どもが積木でキリンを作って遊んでいた。 興味をもった子どもが近づいてきたので、 保育者が「 ほかにも動物いたよ ね」 と言葉をかけると「 シマウマ!人が乗れるのを作りたい」 と積木で作り 始めた。 また別の子は、「 キリンははっぱを食べていたよね」 と言って、 色 画用紙ではっぱを作っていた。 さらに「 トイレもあったよね」 と大型積木で トイレをつくる子も現れ、 10 人くらいがそれぞれに自分の興味のあるものを 作って遊んだ。 片付けの時間になり、 作ったものをどうするか保育者が尋ねると、 全員 が「 とっておきたい!」 とのこと。 そこで、それぞれが自分の作ったもの( キ
リン ・ シマウマ ・ トイレ ・ 餌のはっぱ) をホールの一角に運んだ。 すると、 一人の子が「“ まるやまどうぶつえん” ってかいて!」 と保育者に頼んだ。 その言葉に誘発されて他の子も賛同し、 その瞬間から、 この場所が「 ま るやまどうぶつえん」 になった。 翌日、「 ワニもいた!」 と、 ワニを作ろうとした子どもが現れた。 しかし、 どのようにして作ればよいかわからず、 保育者に相談することにした。 段 ボールで作る、 積木で作る、 廃材で作るなどの保育者からの提案を受け、 牛乳パックでパクパク口が開くワニを作った。 手踊り人形のように自分の手 にはめて口を開け閉めしながらワニになって遊ぶ姿が見られた。 また、 餌 をやる人になると言って「 しいくいん」 というネームを保育者に作ってもら い胸につけて餌やりや掃除をする子も現れた。 さらには幼稚園児として自 作のリュックを背負って遠足に訪れる子の姿もあった。 その日の午後にな ると、 しいくいんたちは「 帰る家が欲しい」 と動物園近くに自宅を作るよう になった。 ワニなった子は、 動物園を飛び出し、 鬼ごっこを楽しんでいた。 当初は一人ひとりやりたいことがバラバラであった遊びでが、「まるや まどうぶつえんってかいて」という子どもが発した言葉により、「昨日み んなで行った円山動物園のこと」と共有された。すなわち、作る・乗る・ 餌をやるなどそれぞれが楽しんでいるうちに、その場が「動物園」と特定 されたことにより、互いのつながりができてきて、動物園に行く人、動物 園で働く人、動物になる人が互いに関わり合っての遊に展開していった。 【学びに向かう力、人間性等】 動物を作ることにおいては、人が乗れるものを作りたいから大型積木で 作る、自分が操作したいから牛乳パックで作るなど、子どものやりたいイ メージを引き出しながら保育者が提案する形で進められた。保育者が子ど もの思いを受け止め形にしていく丁寧なかかわりは、4歳児のこの時期に は大変重要な援助である。【知識・技能の基礎】【思考力、判断力、表現力 等の基礎】 また、同じ「動物園」のイメージをもって遊びを展開できたことは、友
達と関わって遊ぶことの楽しさを体験した。これは協同性を育むためには 欠かすことのできない土台である。いろいろな人のアイディアで遊びが充 実したものになったことで、友達と一緒に遊ぶことの楽しさを満喫できた ものと考える。【思考力、判断力、表現力等の基礎】 事例3 「イグルーができた!」(年長児 2月) 北海道の冬は雪遊びが盛んである。雪質によって、あるいは雪の量によっ て雪だるまづくり、 雪合戦、 トンネル掘り、 迷路づくり、 そり滑り、 ままごと 等々、 雪によって無限の遊びが生み出される。 2 月のある日の午後、 年長児 3 人が園庭の一角に雪の塊を積み上げ 始めた。 自分たちが入れる程度の大きさのイグルーを作るとのこと。 30 セ ンチ角程度の雪の塊を積み上げ、 円形の壁を作っていく方法である。 積 み上げただけでは崩れてしまうので、 湿った雪を隙間に張り付ける。 また、 雪の塊は程よい硬さのものが必要で、 少し離れた場所から雪を切り出し、 そりに載せ慎重に運ばなければならない。 すでに始めていた 3 人は、「 切 り出し」「 運び」「 積み」 の役割分担ができていた。 その後、 この遊びに 興味をもった年長児が「 どこ手伝ったらいい?」 と聞き、 参加していった。 「 積み」 の場所では、 雪の塊を押さえる子どもと湿った雪を張り付ける 子どもが声を掛け合いながら作っていた。「 切り出し」 の場所では、「 切り 出し」 の子どもが「 運び」 の子どもに「 これ、持って行っていいよ」 や「 そ りに載せるのを手伝って」「 オー!」 という会話が交わされるなど、 より効 率的に運ぶための方法を伝え合い、 それぞれが懸命に活動に取り組んで いた。 保育者が片付けの時間が迫っていることを告げると、「 急げ!」 と一人が 声をかけ、 それに呼応して「 よっしゃ!」 と応えていた。 この時間内で完成 できなかったが、「 ここまでできた‼」 と満足そうにイグルーを見つめ、「 明 日もやろう!」 と互いに言葉を掛け合い、 片付けに向かっていった。
年長のこの時期は、目的に向かって友達と自分たちで遊びを進めること を楽しむようになる。また、鬼ごっこなどの集団遊びを自分たちで繰り返 し楽しんだり、いろいろな子どもが加わって多くの友達と楽しんだりする 姿が多くみられる。 この事例でも、誰かが始めた遊びの目的を周囲の子が理解し、自分の関 わり方を考えて遊びに参加していく姿が見られた。共通の目的に向かい、 どのようにしたら実現できるか、自分はどのような役割を担うとよいかを 自分で決めている。共通の目的をもつことで遊びを継続的に進める力が育 まれるのではないだろうか。また、この遊びにおいて、保育者は友達同士 で遊びを進めている姿を見守りつつ共感し、関わりが一層深まるように支 えていた。また、翌日もこの続きができることや終わりの時間を知らせて 見通しをもたせる援助をしたことにより、子どもたちにより充実感を味わ わせ、明日もやりたいという意欲へとつなげることができた。【学びに向 かう力、人間性等】【思考力、判断力、表現力等の基礎】 4.まとめ 以上の事例から、「協同性」を視点としてどのようなプロセスが重要で あるかを以下のように導いた。 (1)安心して自分を表すことでできること 幼稚園教育要領の総則では、「安定した情緒の下で自己を十分に発揮す ることにより発達に必要な体験を得ていく」という記載があり、幼保連 携型認定こども園教育・保育要領の総則では「周囲との信頼関係に支え られた生活の中で、園児一人一人が安心感と信頼感をもっていろいろな 活動に取り組む体験を十分に積み重ねられるようにすること」、保育所 保育指針の「養護に関わるねらい」では情緒の安定の項目において「安 心感をもって過ごせるようにする」「自分の気持ちを安心して表すこと ができるようにする」とある。安心感や信頼感が、人が生きていくう
えで最も根源的なことであることは言うまでもない。幼稚園・保育所・ こども園においては、保育者が子どものどのような表現も受け止め、 子どもが安心して自分を表せる関係性を築くことが、まず肝要である。 「事例 1」において、一人の子どもが自分の思いを言葉や態度で表し、そ れを保育者が肯定的に受け止め一緒に遊んでいた子ども同士で考える場を もったことの意味は大きい。一人一人が自分の思いを強くするとともに、 他者の思いにも触れる経験となったのである。このように、安心して自分 を表すことのできる雰囲気、関係性は「協同性」の視点からも土台として 押さえておくべき内容である。 (2)一人一人がやりたいことを十分にできること 「事例2」では、この活動への入り口は一人一人のやりたいことは違っ ており、興味の対象もバラバラであった。保育者は一人一人のやりたいこ とを満足させることを優先させた。その満足感があったことでキーワード 「まるやまどうぶつえんってかいて」により、個々の思いがつながり楽し さを共有できた。子どもが周囲の環境に自ら関わることで、思いを強くし たり、発見や感動を他者に向けて表現したりする姿につながる。このよう な経験を繰り返すことにより他者の存在を意識し、友達がいることによっ てより遊びが楽しいものになっていく。 (3)友達と共通の目的をもち、遊びをすすめられること 自分がやりたいことに取り組むことを基本として、友達とのつながりを 楽しむ経験の中で友達との間で共通の目的が生まれていく。一人一人の子 どもがもつイメージが違っていたとしても、遊びをすすめる過程で、対 話が生まれ、目的(こうしたい)の確認、修正、変更などをしていく。 共通の目的があることで、やり遂げた充実感を味わうことが可能である。 このような経験を通して、友達と協同することの意味・価値を実感として 蓄積されていくことが大切である。
新しい時代に必要となる資質・能力は、自発的な活動としての遊びを通 して総・ ・ ・合的総合的に育まれていくものである。総・ ・ ・合的であるからこそ、育 ちをとらえ分析する視点が重要であり、それが「幼児期の終わりまでに 育ってほしい姿」である。「協同性」の視点を通して明らかになった「安 心感」「やりたい」「共通の目的」のプロセスは、就学前教育の現場におい て長期・短期の指導計画の中に位置づけられているものである。保育者は 日々の保育において子どもとの関わりの過程を振り返りながら、子どもの 育ちの方向性を見据え、実践を重ねていくこと、このことが就学前教育に 求められる質の向上ではないかと考える。 参考文献 1)近藤幹生「保育の自由」岩波新書、2018年 2)無藤隆監修「10の姿プラス5・実践解説書」ひかりのくに、2018年 3)「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改 善及び必要な方策等について(答申)」平成29年12月21日中央委教育審議会 4)幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領に おいて「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」として「協同性」を次のよ うに押さえている。「友達と関わる中で、互いの思いや考えなどを共有し、 共通の目的の実現に向けて、考えたり、工夫したり、協力したりし、充実感 をもってやり遂げるようになる。」