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名誉会員 浦昭二博士を偲ぶ

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Academic year: 2021

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(1)名誉会員 浦 昭二博士を偲ぶ 市川 照久 本会元理事/静岡大学  浦昭二先生は,病気ご療養中のところ,去る 8 月 16 日に. が神沼靖子先生(本会フェロー)であり,その後の情報システ. 肺炎のため 84 歳で逝去されました.ここに謹んで哀悼の意. ム教育委員会へと浦先生の思いはつながっています.1998. を表します.ご闘病生活に入られてからはお目にかかること. 年に出版された「情報システム学へのいざない:人間活動と. をご遠慮していましたが,お亡くなりになったのを知ったの. 情報技術の調和を求めて」は先生の思いを集大成した名著と. は,家族葬がお済みになった後でした.. いえます..  先生は,1927 年 11 月に東京でお生まれになり,1952 年 3.  1979 年から先生とご一緒に「情報処理システム入門」の執. 月に東京大学工学部応用数学科を卒業され,同大学院を修了. 筆を開始しましたが,出版できたのは 1989 年 12 月でした.. 後は東京大学工学部助手として奉職されました.当初の研究. 「利用者の立場に立つ」という先生の執筆方針に従い,悪戦苦. 分野の成果として,若くして官能検査における浦の手法を開. 闘の 10 年でした.月 1 回のペースで執筆した原稿を持ち寄り. 発され,官能検査の普及に大きく寄与されました.また,大. 査読しましたが,先生はただ「何かおかしい」とおっしゃる. 規模な統計数値表を作製され,これによって安心して容易に. だけで具体的な指摘はありませんでした.原稿の改訂と「何. 数表が利用できるようになりました.. かおかしい」の繰り返しが 10 年続きまし.  1957 年 4 月に慶應義塾大学工学部助. た.8 年後に第 2 版,さらに 8 年後に第. 教授に迎えられ,1959 年創設の管理工. 3 版を出版しましたが,改訂にも各々 4. 学科の教育・研究体制の確立に尽力さ. 年かかりました.先生と当時を振り返. れました.1962 年 4 月に 34 歳の若さで. りお話したことがありますが,「最近は. 教授に就任されて以来,1993 年 3 月に. どこかおかしいという違和感は持つが,. 定年退職されるまで,温厚な人柄と学. どこがおかしいか本当に分からなくな. 問に対する真摯な姿勢で,あまたの研. ったよ」と,当時は分かっていて教えな. 究者,教育者,実務者を輩出されまし. かったということを間接的に白状され. た.佐伯胖東京大学名誉教授,土居範. ました.最も教育効果の高い指導方法. 久慶應義塾大学名誉教授,北城恪太郎. であり,相当辛抱強くないとできませ. 国際基督教大学理事長など多くの著名. ん.浦門下生は,自分で考え,自分で. 人が浦門下生です.. 解決する能力に長けた人が多いのもこ.  情報科学や情報システム学のパイオ. の教育法の賜物ではないでしょうか?. ニアとしてもその進歩発展に貢献されました.機械語プログ.  1993 年 3 月に慶應義塾大学を定年退職された後は,新潟国. ラミングの時代に高水準言語の有効性を予見し,FORTRAN. 際情報大学の創設に尽力され,1994 年創立と同時に情報文. の啓蒙書をいち早く出版され,また,編集委員長として「情. 化学部初代学部長に就任されました.情報システム学科の 8. 報システムハンドブック」,「情報システムと情報技術辞典」. 割の教員は産業界出身の人材であり,特に企業の事業部で. などの編纂にあたられました.. 活躍した人材を登用され,実学に長けた大学を実現されまし.  先生に呼ばれて 1977 年度から「情報システム」を教えてい. た.情報システム分野で JABEE 認定も受けています.. ますが,「利用者が機械に合わせるような情報システムはお.  このように先生は,情報システム学の生みの親であり,一. かしい.人間中心の情報システムでなければならない」とた. 貫して人間的側面を強調し続けておられました. 最も新し. びたび注意され叩き込まれました.その頃,HIS(Human. い著書の中でも「現在の情報技術の広がりと社会への影響を. oriented Information Systems)という私的研究会が発足し,. 見ると,利用者の立場に立つということを今一度,根本的に. 人間中心の情報システムはどうあるべきかの議論を重ねまし. 認識しなおす必要があると痛感します」と述べられています.. た.1984 年度に本会に情報システム研究会を創設され,初. この言葉を遺言と思い,微力ながら多くの人に伝えていきた. 代主査として人間中心の情報システムの啓蒙に尽力されまし. いと思います.これからもご指導いただきたい方でした.心. た.また,1991 ∼ 92 年度に科学研究費補助金を得て「情報シ. からご冥福をお祈り申し上げます.. ステムの教育体系の確立に関する総合的研究」研究成果報告. (2012 年 10 月 12 日). 書を取りまとめられました.その中心的な役割を担った 1 人. 情報処理 Vol.53 No.12 Dec. 2012. 1317.

(2) 御 略 歴. 1927 年 11 月 24 日. 東京都生まれ. 1952 年 3 月. 東京大学工学部応用数学科卒業 東京大学大学院(旧制度)入学. 1954 年 8 月. 東京大学工学部助手. 1957 年 4 月. 慶應義塾大学助教授(工学部). 1962 年 1 月. 理学博士(九州大学). 4月. 慶應義塾大学工学部教授. 1993 年 4 月. 慶應義塾大学名誉教授. 1994 年 4 月. 新潟国際情報大学情報文化学部長. 1998 年 4 月. 新潟国際情報大学名誉教授. 2012 年 8 月 16 日. 逝去(84 歳). 1960 年 4 月. 情報処理学会入会. 1959 年度∼ 1968 年度. プログラミングシンポジウム初代幹事長. 1970 年 4 月∼ 1972 年 5 月. 情報処理学会理事. 1981 年 5 月∼ 1983 年 5 月. 情報処理学会監事. 1984 年 4 月∼ 1988 年 3 月. 情報システム研究会主査. 1986 年 5 月∼ 1988 年 5 月. 情報処理学会副会長. 1988 年 5 月∼ 1990 年 5 月. 創立 30 周年記念国際会議組織委員会副委員長. 1990 年 5 月∼ 1994 年 5 月. 調査研究運営委員会 1 号委員. 1995 年 5 月. 情報処理学会功績賞. 1996 年 5 月. 情報処理学会名誉会員. 受賞・栄誉 1955 年 10 月. 品質管理文献賞. その他の活動 1982 年度∼ 1984 年度. 日本ソフトウェア科学会監事. 1992 年度∼ 1993 年度. 通商産業省構造審議会臨時委員. 1998 年度∼. 学校法人新潟平成学院理事. 2005 年度∼. 情報システム学会初代理事. 2007 年度. 情報システム学会名誉会員. 1318 情報処理 Vol.53 No.12 Dec. 2012.

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