一八四八年の革命を経て 、 雑誌版 ﹃ ピッチ焼き職人 ﹄︵ Die Pech-brenner , 1849 ︶ は 単行本版 ﹃みかげ石﹄ ︵ Granit ︶ に な り 、 雑 誌 版 ﹃ 聖 夜﹄ ︵ Der heilige Abend, 1845 ︶ は 単 行 本 版 ﹃ 水 晶 ﹄︵ Ber gkristall ︶に なった 。﹃ みかげ石 ﹄ は 、 改稿版が公表されたシュティフター作品の なかでは、改稿により分量が大幅に減少した唯一の作品であり、雑 誌版のペストをめぐる逸話が大幅に改変された。これに対して﹃水 晶﹄への改作は、筋書きに変更が見られないことから、小規模の改 稿にとどまるものであるという見解が一般的である (1)。 本論では 、 こ の小規模の改稿を再検討し、改作後の﹃水晶﹄を﹃みかげ石﹄との 連続性のなかで考察したい 。 単行本版を収めた作品集 ﹃ 石さまざま ﹄ ︵ Bunte Steine, 1853 ︶ の なかでは 、﹃ みかげ石 ﹄ が 第一巻の最初の 、﹃ 水 晶﹄が第二巻の最初の物語となったため、両作品は離れて配置され た。しかし、作者シュティフターが一八五一年十一月に﹁最初の物 語 ︵ =︽ み かげ石 ︾︶ の後には 、︽ 聖夜 ︾ が続きます ﹂︵ PRA 18, 95 ︶ と 予告しているように、作者の頭のなかで両作品が連続していたので はないかと推測されるのである。 四八年の三月革命を目の当たりにして、青少年の教育の必要性を 痛感したシュティフターは 、 教育的な関心をもって ﹃ 石さまざま ﹄ に取り組み、ここでは﹁子どもの物語﹂から﹁青少年の物語﹂への 方向転換が図られているものの、この作品群の核となる共通項を見 つけ出す試みはあまり成功していない (2)。 青少年の教育という観点 からこの作品群を理解しようとする際 、﹃ 水晶 ﹄ は一つの躓きの石と なる。シュティフター作品に頻繁に登場する教育者の存在や、何か を学んでいる学習者の様子も 、 この作品では見えにくいからであ る (3)。 実 際に ﹃ 水 晶 ﹄ の 研究史は 、 救 出という帰結や物語冒頭のク リスマスをめぐる描写から考えられた宗教的な解釈と、自然の脅威 と子どもたちの極限状態についての解釈という二極に牽引されてき たように見える 。 本論ではこうした先行研究に対峙しながら 、﹃ 水 晶﹄の教育の問題を再検討したい。
過誤への肯定
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シュティフター﹃水晶﹄における学習過程
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磯
崎
康
太
郎
一 教育者の役割 ﹃ み かげ石 ﹄ には 、 足にピッチを塗られたままで帰宅し 、 部屋にあ がり込んだ少年に対し、これに驚愕した母親が、少年の足を激しく 鞭で打つ場面がある 。﹁ 恐ろしい転回点 ﹂ と称されている (4)この場面 自体は雑誌版、単行本版ともに見られるものだが、母親が息子にか ける言葉には異同がある 。 雑誌版では 、﹁ こ の出来損ないになった息 子を私はどこで教育した ︵ erzogen ︶ というのだろうね ﹂︵ HKG 2, 1, 14 ︶ と書かれているのに対して 、 単行本版では 、﹁ このどうしようも ない困った息子は 、 今日はまたなんてものをつけてきたのだろうね ﹂ ︵ HKG 2, 2, 26 ︶ と書かれている 。 少年の行為を ﹁ 教 育 ﹂ 上の問題に 帰した雑誌版と比較して、単行本版ではこの言葉が削除された。こ こでは、処罰として広く知られた鞭打ちと﹁教育﹂との結びつきが 回避されたと言えるだろう。雑誌版では枠内物語となるペストの逸 話においてその中心的事件となるのは、ピッチ焼き職人の息子ヨー ゼフが、父親の意に反してよそ者を匿ったという理由から、罰とし て父親によって帽子岩のうえに置き去りにされる出来事である。悪 意のない子どもへの処罰という共通要素によって枠物語と枠内物語 とが接続する雑誌版 (5)と比して 、 単行本版では 、 この帽子岩での事 件は跡形もなく削除された 。 雑誌版の物語末尾の文は 、﹁ 奇妙なの は 、[ ⋮ ] なにしろすべての出発点となった床についたピッチの足跡 が消えているのか、そうでないのか、僕は今日では覚えていないと いうことだ ﹂︵ HKG 2, 1, 54f. ︶ で ある 。 一方の単行本版の末尾は 、﹁ だ が世のなかには奇妙なことがあるものだ 。[ ⋮ ] すべての出発点と なったピッチの足跡について、これが洗って消えたのか、削り落と したのかはもはや覚えておらず、帰郷の旅を思い立つと、よく母親 に尋ねてみようと思うのだが、毎回またしてもそれを忘れてしまう のだった﹂ ︵ HKG 2, 2, 60 ︶ である。 ﹁ すべての出発点となった床につ いたピッチの足跡﹂は、すでに消えたのか、まだ消えていないのか と問う雑誌版と、それが消えたことを前提として洗うことで消えた のか 、 削り落としたのかと問う単行本版は 、 意味合いが多少異なる 。 つまり前者が処罰を想起させる痕跡、いわば処罰の名残がまだ残存 している可能性があるのに対して、後者では、それ自体はすでに消 えたことの確認となっている。 母親の処罰によって失意にある少年を、祖父はメルム村までの旅 路に同行させる。道中での二人の問答、つまり祖父の質問や啓発に 少年が応じるという形式が、質、量ともに拡大している単行本版で は 、 少年の ﹁ は い 、 お祖父さん ﹂︵ Ja, Großvater ︶ という科白が十回 使われている。これは教育環境において少年の受動的態度がいまだ に支配的であることを端的に示しているが、単行本版には次の記述 も見られる。道中で見かけた﹁その木を覚えておきなさい。そして 後年、私がもう墓に入っているときになったら、この木を初めてお まえに見せたのは、おまえのお祖父さんであったことを思い出して くれ ﹂︵ HKG 2, 2, 42 ︶。 自らの死後のこと 、 つまり想定上の 、 いわば 導き手を失った世界のなかでは、少年は主体的に学習を継続するし かない。 ﹁人はすべてを学ばなくてはならない。歩くことさえもだ﹂ ︵ HKG 2, 2, 41 ︶ という祖父の言葉からも窺えるように 、 や がて自立 していく少年の指針となる言辞や内容が 、 単行本版には散見される 。 散歩から帰宅した二人に対して、祖母が述べた﹁お祖父さんは孫よ
りもはるかに愚かで軽率ですよ ﹂︵ HKG 2, 2, 58f. ︶ と いう見解は 、 た とえこれが冗談めいた言辞であるにせよ、暗に教育者の絶対的な力 を格下げすることにより、自責の念に駆られていた少年を励まして いる。単行本版では﹁処罰﹂の直接的効果に頼ることなく、遠巻き に少年の主体性や自主性が後押しされている 。﹁ 教育的英知の一つの 模範﹂と説明されている祖父の作用は、失望した少年の自意識の回 復、母親によって﹁引き裂かれた世界﹂の正常化という原状回復に 役立っている (6)ばかりか 、 その先の人生に向かう少年の姿もが見据 えられている。 ﹃ 水 晶 ﹄ の雑誌版 ﹃ 聖 夜 ﹄ で は 、 父親の子どもたちに対する教育 が 、 次のように述べられている 。﹁ 自らの子どもたちを非常に厳しく 教育し、何よりも、かなり遠い距離を歩くことにかれらが慣れるよ う主張していた父は 、 そ れ ︵ = 兄妹が二人だけでミルスドルフまで 行くこと︶ を喜んで許した。 ﹂︵ HKG 2, 1, 148 ︶ この厳しい父親像は、 単行本版には存在しない 。 同版ではその替わりに 、﹁ 父は子どもたち と遊んだり、ふざけたりすることは滅多になく、まるで大人とでも 話すかのようにいつも静かにかれらと話した。食事や衣服やその他 の外的な事柄に関しては、彼は子どもたちを申し分のない状態にし ておいた﹂ ︵ HKG 2, 2, 199 ︶ と書かれている。 雑誌版ではただ厳しい 教育者だった父親の存在は、単行本版において、子どもたちを遠巻 きに見守り、かれらの﹁大人﹂としての主体性を尊重する方向へと 変化した。この変化は、兄妹が赴く母方の祖父、すなわちミルスド ルフの染物屋にも該当する 。 雑誌版では 、﹁ 染物屋は 、 自分の仕事の ことで部屋を通ったときには、子どもたちに学校のことについてい ろいろと尋ねたが 、 何か贈り物をしたことはなかった ﹂︵ HKG 2, 1, 149f. ︶ とだけ書かれている 。 一方の単行本版では 、﹁ 食後に子どもた ちは、外の風に当たったり、遊んだりしていいし、祖父の家のいろ いろな部屋を歩き回ることも許された。他にも、不適切なことや禁 じられていたことでなければ、子どもたちは自分たちがしたいこと をしてよかった ﹂ と説明されたうえで 、﹁ 食事にはつねに同席してい た染物屋は、子どもたちに学校のことをいろいろと尋ね、かれらが 学んでおくべきことを強く心にとどめさせた ﹂︵ HKG 2, 2, 201 ︶ と 記 されている。両版ともに、染物屋は、孫たちに学校のことを尋ねは するが、仕事の片手間で尋ねるにすぎない雑誌版に比べて、単行本 版では、わざわざ食事の時間をそのことに割き、子どもたちの学ぶ べきことにも配慮をしながら 、 かれらを見守っている様子が分かる 。 さらには、子どもたちを自由に活動させるという記述も、単行本版 にのみ見られる。ここでの祖父および父親の姿は、学習者の主体性 という単行本版 ﹃ み かげ石 ﹄ の教育方針を引き継いでいる 。 したがっ て、シュティフターの理想的な教育は﹃みかげ石﹄によって体現さ れる一方で 、﹃ 水晶 ﹄ で は子どもと大人の関係が齟齬をきたしている ため 、 教育の失敗が暗に示されている (7)とは言い切れない 。 子ども の主体性を尊重する庇護者の存在を前提とした単行本版﹃水晶﹄に おいて、兄妹は﹃みかげ石﹄の散歩道よりはるかに苛酷な雪山での 体験によって、否が応でも自律が促されることになるのである。 二 被教育者の迷い道 クリスマスの前日 、 祖父母の家へと出発した兄妹の往路において 、 二人は﹁頸﹂と呼ばれる森の高地で、亡くなったパン屋を記念する
﹁ 災難柱 ﹂︵ Unglücksäule ︶ が倒れているのを目にする 。 兄妹が経験す る不幸の指標や、これから見舞われる苛烈な自然の﹁迷宮﹂からの 出口とその出口のなさの矛盾した予示とみなされてきた (8)、 こ の ﹁ 災 難柱 ﹂ に ついて 、 雑誌版では 、﹁ か れらは 、 いつもは上から輝いてい る様子を見ることができるだけだった、その絵、死の物語、傍に書 かれた祈りの求めをしばらくよく眺めた後に、自らの道程を先へ進 んだ ﹂︵ HKG 2, 1, 153 ︶ と記されている 。 単行本版では 、﹁ ともかく 災難柱が転がっていたので、いつもはそうできなかったように、絵 と文字をとても近くでよく眺めることができたことが兄妹には嬉し かった﹂ ︵ HKG 2, 2, 205 ︶、 ﹁ かれらはすべてを [⋮] よく眺め、文字 を読み 、 それを大声で口に出し 、 また先へ進んだ ﹂︵ HKG 2, 2, 205f. ︶ と記されている。後者では、この﹁災難柱﹂が倒れているという状 況を、兄妹がどのように受けとめたかが記され、音読という形でそ こに主体的に働きかけた様子も描かれている。しかし、単行本版に 見られる二人の朗らかな態度は、不幸や危険を告げるこの柱の存在 意義からはずれており、兄妹はすでに文字を読むことはできるもの の、この柱のもつ警告的なメッセージを理解できない。この不十分 な状況理解には 、 かれらの学習者としての到達段階が示されており 、 この柱が特定の意味を備えた指標として充分に機能していない点も 看過できない。 雪道を歩く兄妹の様子は 、 単行本版にのみ 、﹁ かれらは今 、 子ども と動物がもつ不断さと懸命さで歩き続けた。なぜなら、子どもや動 物は、自分たちにどれほどの力が授けられているか、いつ自分たち の貯えが尽きてしまうかが分からないからである﹂ ︵ HKG 2, 2, 214 ︶ と書かれている 。 兄妹は 、 成長段階としていまだ ﹁ 子どもと動物 ﹂ のもつ行動力を備え、自らの力の限界を意識することなく、歩くこ とに没頭している。行動が先に立っている二人には、繰り返し﹁無 知 ﹂ が強調されているように (9)、 状況理解や判断が覚束ない 。 妹 の 信頼を得ている兄コンラートについても、この点はまったく同様で ある 。 雑誌版では三回しか使われなかった妹ザンナの科白 ﹁ そうね 、 コンラート ﹂︵ Ja, Konrad ︶ が 、 単 行本版では十四回に増えた (10)。し か し 、 兄が憶測を語ったり 、 指示を出したりして 、 妹 の科白 ﹁ そうね 、 コンラート﹂が反復されるたびに、二人はどんどん道に迷い、目的 地から離れる一方である (11)。﹁ ︿ こ わがらないで 。 僕 が山をくだって 、 グシャイトまで連れて帰ってあげるから。 ﹀︿そうね、コンラート。 ﹀ 二人はふたたび先へ向かった。しかし、どう歩いても、どう向きを 転じても、下りの道は現れようとしなかった﹂ ︵ HKG 2, 2, 216 ︶ 。 単 行本版にのみ見られる 、 このやりとりが典型的な例となるように 、 雑誌版には少なかった﹁そうね、コンラート﹂の科白が圧倒的に増 えたことにより 、﹁ 兄の語り︱妹の肯定︱道に迷う ﹂ という構造が随 所に見られるようになった。二人が岩室で一夜を明かし、翌朝に発 見される直前においても、まだ次のように語られている。 ﹁ もう氷のなかに入っていくのはやめにしよう 。 氷のなかに 入ったら 、 出られなくなってしまうから 。[ ⋮ ] まっすぐ歩いて 山の向こうに降りていこう。きっとどこかの谷にはたどり着く さ。そこで僕たちは、会った人たちに、グシャイトから来たっ て言うんだ。かれらは、家まで道案内の人をつけてくれるだろ う。 ﹂ ﹁そうね、コンラート﹂と少女は言った。
こうしてかれらは雪のなかを、たまたま下りになっていると 思われた方向に降り始めた 。[ ⋮ ] けれどもしばらく降りたとこ ろで、その斜面は行き止まりになって、雪がまたもや上にせり あがっていた。そこで子どもたちは方向を転じ、ある細長い窪 地を伝って降りていった。しかしそこでもまた、かれらは氷塊 の前に出てしまった。 ︵ HKG 2, 2, 231f. ︶ 氷塊を抜けるはずの道が、また氷塊へと続いている。こうして兄の 推測や指示は、最後の最後まで一つも当たらずに、二人の迷い道は 終了、すなわち救出のときを迎える。先述の﹃みかげ石﹄と比較す るならば 、﹃ みかげ石 ﹄ に頻繁に見られた ﹁ は い 、 お祖父さん ﹂ の 回 答形式が 、 問いに対する答えとして機能しているのに対して 、﹃ 水 晶﹄の﹁そうね、コンラート﹂はその限りではない。兄コンラート は基本的に何かを尋ねているわけではなく、ただ自らの考えを語っ ているにすぎず、妹ザンナの返事は、相槌、もしくは兄の考えや行 動を後押しする役目を果たすにとどまっている。この点について先 行研究では 、﹁ 白い闇 ﹂︵ HKG 2, 2, 216 ︶ と まで称される猛吹雪を経 験した兄妹は、アイデンティティの混乱に陥り、そこから無意味な 返事が生まれていると指摘されている。つまり、とりわけ妹は茫然 自失の状態でこの返事を繰り返し、返事の内容ではなく、話し続け ること自体に意義があり 、 会話こそが生き延びる手段になる (12)、と 。 この啓発的な見解は、たしかに猛吹雪の場面には該当するかもしれ ない 。 しかし 、 一夜明けて雪も止んだ ﹁ 明 るい陽光のもと ﹂︵ HKG 2, 2, 230 ︶ で は 、 茫然自失の状態が続いているとも考えにくいため 、 翌日になっても語られる ﹁ そうね 、 コ ンラート ﹂ を 、 一時的なショッ ク状態にのみ帰することは難しい 。 かといって 、﹁ 兄の知識 、 洞 察 力、 権威を大いに信頼﹂ ︵ HKG 2, 2, 200 ︶ している妹という、 両親の 家父長的関係にならった兄妹の関係性から説明するには、あまりに も兄は頼りない 。﹁ 妹の絶対の服従と信頼 ﹂ に対して 、 救済という神 の ﹁ 恩寵は贈り物として置かれうる ﹂ (13) という解釈は 、 テキストの 複雑な様相について、それ以上の判断を停止させてしまう。兄の推 測や指示が当たらないという点は、妹に対する配慮に関しても同様 である 。 雪を目の当たりにした兄によって ﹁ 心 配してはいけないよ 。 僕についておいで ﹂ と 声をかけられた妹の心境は 、﹁ 少女は心配など していなかった﹂ ︵ HKG 2, 2, 215 ︶ と語り手に告げられている。 こ の 微妙なずれは、兄の行動や言葉が決して正しいわけではなく、妹も それに気づいているのではないかと思わせる。同様な箇所は、少な からず見られる 。﹁ はい 、 お 祖父さん ﹂ の回答が機能している ﹃ み か げ石﹄においては、祖父と孫、すなわち教育者と被教育者という関 係のなかで、前者が後者を導いているため、道にも迷わない。それ とは対照的に﹃水晶﹄では、道に迷う二人はどちらも発展途上の被 教育者である。物語の冒頭に登場し、教育者の役割を担っている両 親や母方の祖父母は 、 すでに迷子になった二人の目の前にはいない 。 岩室に入ってから眠りそうになる妹に対して 、 少年は ﹁ ザ ンナ 、 眠 っ てはいけないよ 。 だっておぼえているだろう 、 いつかお父さんが言っ ていたように 、 山で眠りこんだら凍え死ぬことになるんだ ﹂︵ HKG 2, 2, 225 ︶ と声をかけ 、 山で眠ったために死んでしまったエッシェン イェーガー老人の例を挙げている。教育者は、いわば少年たちの記 憶のなかに内在化され、時折、遠い声のように響く存在にとどまっ ている。
三 価値の相対化 教育者に導かれない道程において、迷子になった兄妹は何を学ぶ のか。自然の事物のこの﹁迷宮﹂は、兄妹の、ひいては読者の内面 的な自己発見を促している (14)と漠然と指摘されている 。 とはいえ 、 二 人の先行きに関する見直しや反省は、テキストのなかでは明示され ない 。 遭難したかれらは 、﹁ 途轍もなく大きく 、 非常に入り乱れた何 かの破片からなる氷塊﹂ ︵ HKG 2, 2, 217 ︶ に遭遇する。 この巨大な一 帯には 、﹁ まるで一軒の家さながらの 、 大 きくて恐るべき黒い岩さえ もが ﹂︵ HKG 2, 2, 217 ︶ 包摂される 。 ここで少年は 、﹁ 日が照ってい るとき 、 うちの庭から真っ白に見える山 ﹂︵ HKG 2, 2, 218 ︶ の 氷 が 、 この氷塊に相当する場所であることに気づく。自宅から眺めた山の 光景について 、 単 行本版のコンラートは次のように語っている 。﹁ 下 の方の、雪がなくなる辺りには、よく眺めていると、様々な色が見 えてくる。緑や青や白っぽい色
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あれがここの氷だった。とても 遠く離れているから、下からだとあんなに小さくしか見えない。お 父さんが言っていたように、これは世界の終りのときまで消えない のだ 。﹂ ︵ HKG 2, 2, 218 ︶ ここでも教育者の言葉が想起されながら 、 ご く平和でのどかな﹁美しい﹂だけだったはずの遠景が、じつは巨大 で﹁恐ろしい﹂前景であることを、少年は実見によって確かめるこ とになる。自宅の庭での甘美な認識は、雪山での苛酷な体験によっ て相対化され、その雪山での苛酷な体験は、最終的にはまた自宅の 庭に戻ることによって相対化されることになる。そしてコンラート の相対化された認識は 、﹁ この並はずれて大きな氷の地帯のなかで は 、 かれらはさまよい動く微小の点にすぎなかった ﹂︵ HKG 2, 2, 219 ︶ と告げる語り手の視点によって 、 さらなる相対化も企てられている 。 ﹃ 石さまざま ﹄ の ﹁ 序文 ﹂ における ﹁ 大と小との重要な相対化 ﹂ (15) の 問題は、物語形式を纏った単行本版﹃水晶﹄のなかで、このように 入れ子式の複雑な構造を備えている。 迷路のような氷原を抜け出し、岩室で夜を過ごさなくてはならな くなったとき、兄は妹に﹁泣いてはいけないよ、本当にお願いだか ら、 泣いてはいけないよ﹂ ︵ HKG 2, 2, 221 ︶ と話すが、 語り手によれ ば ﹁ ザンナは泣いたりもしなかった ﹂︵ HKG 2, 2, 222 ︶。 つ ま り、 ﹁今 日はもう山を降りて家に帰るわけにはいかなかったということ、こ れは、コンラートがそう思っただろうほどザンナをがっかりさせて などいなかった﹂ ︵ HKG 2, 2, 222 ︶。 彼は祖母からもらった白パンを 二つとも妹に渡すと 、﹁ 少女はそのうち一つのパンを食べてしまう と、もう一つの方も少しかじった。しかしコンラートが食べていな いことに気づくと 、 残りを彼の方にさし出した 。 彼はそれを受け取っ て 、 残さずにすっかり食べた ﹂︵ HKG 2, 2, 223 ︶。 ﹁ 子どもたちがこれ まで経験したことのなかった 、 計 り知れない骨折り ﹂︵ HKG 2, 2, 222 ︶ が、ザンナにも成長を促し、彼女の配慮や行動は、兄の想定を超え たところにまで到達しているのではないか。この箇所でコンラート もパンを食べているように、極限状態のなかで兄の行動にも変化が 見られる。道に迷った当初は、降りしきる雪を前に、妹に自分の帽 子をかぶせたコンラートは 、﹁ 自分の頭にこんなにたくさんの濃い巻 き毛があり、まだ長いこと、雪はここに落ちるから、水気、寒気が 浸み込んでくることはありえない ﹂︵ HKG 2, 2, 213 ︶ と考えている 。 しかし今や 、﹁ コ ンラートはまず小さな妹の雪を払い落した 。[ ⋮ ]それから彼は、自分の服についている雪も、できるだけきれいに払 い落した﹂ ︵ HKG 2, 2, 222 ︶ と語られているように、 自らも妹と同じ 行動をとるようになるのである。先述のパンだけではなく、眠気覚 ましのコーヒーについても、彼はまず妹に飲ませた後で、自らも口 にしている。出発前にコンラートは、母親から﹁ザンナにはよく気 をつけてね 。 ザ ンナが転んだり 、 汗をかいたりなどしないように ﹂ ︵ HKG 2, 2, 203 ︶ と念を押されている。 そのため、 ザ ンナの身を守る ことは、兄の主体的な配慮であるのみならず、教育者側の指示でも あったと理解される 。 けれども直面した極限状態のなかで 、 コ ンラー トは自分の身も同様に守らなくてはならないことを知る。換言すれ ば、幼い妹の身を守るという価値観は、それだけが絶対のものなの ではなく、自分の身を守ることなくして、他人を助けることもでき ないというまた別の価値観によって相対化されていることになる。 祖母が、母への土産としてコーヒーを持たせる際、雑誌版におい て彼女はコンラートに次のように伝える。このコーヒーは濃縮され たものだから、薄めて構わないと母に伝えてほしい、そして、この コーヒーは寒い冬の日にはとても良いもので、一飲みすれば胃が温 まり、 身体が凍えることはない ︵ HKG 2, 1, 154 ︶、 と。 一方の単行本 版では 、 このコーヒーは 、 母が家で入れるものよりも上等なもので 、 ﹁本当の薬﹂ ︵ eine wahre Arznei ︶ であり、一飲みすればどんな寒い日 でも身体が凍えることがないほど﹁強力で﹂あり、他のものととも に ﹁ 傷つけることなく家へ持っていく﹂ ︵ HKG 2, 2, 207 ︶ よ う 、 コ ン ラートは指示される。結局のところ、二人は山上でこのコーヒーを 口にするわけだが、このことへの禁忌的な意味合いが、単行本版で は強化されている 。 祖母の指示に反してコーヒーに手をつける際に 、 ﹁ なぜ僕たちがこれを必要としたかを分かりさえすれば 、 お母さんは これを僕たちにくださるよ﹂ ︵ HKG 2, 2, 226 ︶、 と彼が述べているこ とからも、このコーヒーが本来は母のためのものであることは、少 年にも十分に意識されている。そして二人が飲んだコーヒーは、期 待通りの効果を挙げ、かれらの眠気は駆逐される。これが凍死を回 避できた所以であるという点から、コーヒーは、かれらの救済を基 礎づける ﹁ 両親や祖父母の配慮と保護 ﹂ (16) の例と指摘されているが 、 とくに単行本版において祖母の指示に従わないことによって、少年 たちがそこに到達している点は看過できない 。 より正確に言えば 、 かれらは教育者側の指示を意識しつつも 、 これに盲従することなく 、 一飲みすればどんな寒い日でも身体が凍えることがないという言葉 を判断材料にして、自らの判断でこの行動に出たのである。岩室で 夜を明かす際にも、 ﹁お母さんは [⋮] 怒らないだろう。僕たちを引 きとどめたこの大雪のことを話すからさ。お母さんは何も言わない だろうし、 お父さんだってそうだ﹂ ︵ HKG 2, 2, 222 ︶ と教育者による 批判の可能性を意識しながらも 、 兄妹はその決断に踏み切っている 。 雑誌版では 、 復路の道中で祖母のところに戻ることもできる ︵ HKG 2, 1, 160 ︶ という記述が見られるが 、 単行本版においてこれは削除さ れた。兄妹の退路が断たれたことにより、かれらが手段を選ばずに 助かること、つまりかれらの救出そのものよりも、グシャイトを目 指して兄弟が迷い続け、ひたすら前進する点こそが、単行本版への 改稿において重要視された。この迷い道は、少年たちが実体験によ り 、 価値の相対性を体得していく道程である 。 そのため ﹁ そうね 、 コンラート﹂は、かれらが迷い続けることへの後押し、すなわちザ ンナを通じた語り手の声であるように思われる。二人が救出された
とき 、 当然のことながら母親は二人の身を非常に案じている 。﹁ しか しまもなく彼女にはっきりわかったように、子どもたちは喜びのた めに 、 彼 女が考えていたよりも元気に ︵ stärker ︶ な っていた 。 少しだ けの温かい食べ物が必要であったが、それはすぐに与えられた。少 しだけ休息する必要もあったが、この必要も同様に満たされるはず だった ﹂︵ HKG 2, 2, 235 ︶ 。 兄妹は母親の想像以上に逞しくなってお り、彼女の食事、暖、睡眠についての心配はほとんど該当しない。 雪山での遭難から救出にいたる事件を経て 、﹁ ようやく本当の村の 人間になった ﹂︵ HKG 2, 1, 175; 2, 2, 239 ︶ 兄妹について 、 雑誌版の末 尾では 、 次のように告げられている 。﹁ かれらはグシャイトの靴屋で 暮らす限り、この聖夜のことを語るだろう。そして、かれらの子ど もやそのまた子どもも、鍛冶屋の庭からあれほど美しく見える山の ことが話題になるときに 、 さらにこの聖夜のことを語るだろう 。﹂ ︵ HKG 2, 1, 175 ︶ 子どもたちから後世に至るまで語り伝えられるのは 、 この聖夜の事件のことである。世代の連鎖のなかで何かが伝承され るという形式は、作者シュティフターが好んで用いたモティーフで あるにもかかわらず、単行本版において雑誌版のこの末尾の記述が 削除されたのは、この﹁未曾有の事件﹂の伝承に、作者はもはや関 心がなかったとみなすべきだろう (17)。 単 行本版の末尾では 、 自宅の 庭の情景について ﹁ かつてと同じように陽光がとても美しく照り 、 菩提樹が香り、 蜜蜂が羽音を響かせている﹂ ︵ HKG 2, 2, 240 ︶ と 述 べ られている 。 ここでは雪山で自宅の庭を想起したときと同じ表現 ﹁ 陽 光 ﹂ 、 ﹁ 菩 提 樹 ﹂ 、 ﹁ 蜜 蜂 ﹂ ︵ HKG 2, 2, 218; 240 ︶ が記号として反復され 、 後年になっても﹁子どもたちはあの山のことを忘れてしまうことな く 、 いまやずっと真剣な想いをもってそれを眺めることだろう ﹂ ︵ HKG 2, 2, 240 ︶ という振り返りのなかで 、 子どもたちの経験が相対 化されたことが告げられている。単行本版における関心事は、迷い 続けることからもたらされた主人公の内面における見えにくい変化 、 自律へと向かう歩みなのである。 周囲の世界から閉ざされた ﹁ 古 い ﹂ 村グシャイトから ﹁ 新しい ﹂ 市場町ミルスドルフへの ﹁ 越 境 ﹂ を繰り返す兄妹とその母親は 、 人 々 から ﹁ よそ者 ﹂︵ HKG 2, 2, 200 ︶ とみられてきた 。﹁ よそ者 ﹂ を生み 出すような両村の関係性は 、 兄妹の救出を経て変化し 、﹁ 一つの越境 的な全体像 ﹂ が 構想されると指摘されてきた (18)。 こ の点から例えば 、 ヨーゼフ ・ フィルスマイアー監督により映画化された ﹃ 水 晶 ﹄︵ Ber g-kristall, D 2004, Joseph V ilsmaier ︶ において 、﹁ 災難柱 ﹂ のもとに双方 の村人が集うというラストシーンが象徴的に示すように 、﹃ 水晶 ﹄ の 結末は、閉ざされた共同体の開放、両村の関係の変化と理解される ことがある。シュティフターのテキストでは、たしかに救出に際し て 、 染物屋の一行には ﹁ 数名のミルスドルフの人々 ﹂︵ HKG, 2, 2, 237 ︶ も加わっているし 、﹁ この事件はグシャイトの歴史に一章をつ け加えた ﹂︵ HKG, 2, 2, 239 ︶ と書かれているが 、 これはさしあたりグ シャイトの内部での変化を意味し、その後の他の村との往来や人的 交流の変化までは読み取れない 。﹁ ようやく本当の村の人間になっ た﹂という語り手の告知も、何よりも主人公たちの内面で生じた自 己理解の変化を示唆し、それに伴う成長を周囲も認めるようになっ たことを示すと考えられる。
四 ﹁過誤﹂と﹁発見的﹂学習 シュティフターの革命後の態度に関するもっとも重要な記録とさ れ (19)、 先行研究で頻繁に取りあげられてきた一八四九年三月六日付 ヘッケンアスト宛の書簡では (20)、﹁ 国家が子どもたちの教育と人間形 成を啓蒙された人の手に導くときだけ、その子どもたちを通じて理 性すなわち自由が形成されうるのです ﹂︵ PRA 17, 322 ︶ と 述べられて いる 。 この政治と教育に関わる思想は ﹁ 観念論の遺産 ﹂、 とりわけヘ ルダーの人文主義に由来することが確認されてきた (21)。ま た、ヘ ル ダーとともに一八五 〇 年頃のシュティフターの文章にその影響力が 認められるカント哲学 (22)を引き合いに出せば 、﹁ 啓 蒙とは 、 人間が自 ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年とは、他人の 教導がなければ自分自身の悟性を使用し得ない状態である ﹂ (23)。 ﹁ こ のような啓蒙を成就するのに必要なものは 、 実に自由に他ならな い﹂ (24)。 カ ントの考えでは 、 後見人に代表される他人の教導は自律を 妨げる要因にもなりうるが 、﹁ 大衆の後見人に任ぜられている人たち のなかにも、自主的に考える人が何人かいる。この人たちは、未成 年状態という軛から自分で脱出すると、各人に独自の価値と、自分 で考えるという各人の使命とを理性に従って正しく評価する精神を 、 諸人に広く宣伝するだろう ﹂ (25)。 被教育者の自律の獲得に至る道程と 、 自主性を尊重する後見人・教育者の役割がここに示されている。と はいえ、すでに十九世紀中葉のオーストリアにおいてこれらの﹁観 念論の遺産﹂に遡及することは、一種のアナクロニズムとして、現 実の政治問題はおろか、シュティフターが関与した同時代の教育改 革にも役に立つものではなかったとも考えられている (26)。 しかし、単行本版﹃水晶﹄への変更点を追ってきた本論の立場か ら見れば、これらの作品が、思想内容には還元できない、学習行為 についての複雑な経過をたどっていることは明らかである。この学 習行為は 、﹁ 発見的 ﹂︵ heuristisch ︶ と呼ぶことができる 。﹁ 発見的 ﹂ 方 法は、認識の拡大に寄与するが、その獲得された認識の確かさを根 拠づけることはできない 。 この方法は 、 憶 測 、 思考実験 、 モデル 、 作業仮説等の形で、いまだ厳密な演繹的な根拠づけや決定の手順が 知られていない、あるいはありえないようなところで随所に応用さ れるため、暫定的な特徴をもつと同時に、さらなる前進を可能にす るという特徴をも備えている 。 またこの方法においては 、﹁ 過誤 ﹂ ︵ Irrtümer ︶ が大きな ﹁ 発見的価値 ﹂ を持ちうることも知られている (27)。 すなわち、ある目的に到達するために、当て推量と試行錯誤とが繰 り返されていく 。 もっとも 、﹃ 水晶 ﹄ の 場合 、 少 年たちは目的には到 達しない。かれらは自らの力で村にたどり着くわけではなく、途中 で救出されるからである。それでも、当て推量と試行錯誤のなかか ら﹁過誤﹂の経験を積み、以前の経験や教育者の言葉とも比較する うちに個別的な主観的見解や体験を客観視する視座が生まれている 。 ﹃ み かげ石 ﹄ か ら ﹃ 水 晶 ﹄ を通じて自律へ向かう子どもたちの成長 は、この﹁認識の拡大﹂の段階に到達している。 子どもを大人の世界に参入させることを教育目的とみなす場合に 、 ﹃石さまざま﹄の作品群は、 ﹃みかげ石﹄以外の作品では﹁教育の失 敗 ﹂ という結末に到達すると指摘されている (28)。 しかし 、 目的あり きではなく 、 子どもの学習過程そのものに意義を認めることにより 、 第四作 ﹃ 水 晶 ﹄ によって焦点化された ﹁ 過誤への肯定 ﹂ の主題に 、
﹃ 石さまざま ﹄ の他の作品も接続することになる 。 本論で取りあげた 第一作﹃みかげ石﹄では、主人公がアンドレアス老人との交流のな かで、ピッチを足に塗ってもらうという行為が﹁過誤﹂となり、前 述の通り 、 少年の主体性が促される出発点となっている 。 第二作 ﹃ 石 灰石﹄ ︵ Kalkstein ︶ で は、 貧しい司祭の生涯が語られている。 幼少の 頃から優秀で、やがて父の家業を継ぐことになる兄と比して、司祭 となる弟は 、 複雑な課題には ﹁ 混 乱 ﹂ し 、﹁ 見通しがつかなくなり ﹂、 翻訳の課題は﹁間違いだらけだった﹂ ︵ HKG 2, 2, 104 ︶。 しかし商売 に移行した兄とは対照的に、弟は勉学をやり直すなかで、かつて挫 折した課題を徐々に克服していく 。 以後 、 恋愛の挫折 、 兄の失敗 、 司祭への就業などを経た弟の生き方は、遺言として残された﹁人は 誰でも、生涯においてなすべきすべてのことを行うため、職務と生 業の他に自分の果たすべき事柄を見出したり、探したりしなくては ならない ﹂︵ HKG 2, 2, 127f. ︶ という言葉に 、﹁ 過誤 ﹂ から展開された 認識の到達地点が示され、語り継がれるに値する生涯として扱われ ている。第三作﹃電気石﹄ ︵ T urmalin ︶ で は、異様なフルートの音を 奏でる 、 す なわち狂気めいた芸術活動を行う父親のもとで学び 、﹁ 純 然たる書き言葉 ﹂ を用いて 、 一般的には ﹁ ほ とんど理解できない ﹂ ︵ HKG 2, 2, 164 ︶ ことを話す少女が登場している 。 言語の社会性の観 点からすれば ﹁ 過 誤 ﹂ に他ならない 、 この少女の言語の使い方は 、 最終的には教養ある一市民の手によって修正されてしまうが、近年 の研究では、こうした社会化への教育そのものが社会の匿名性への 埋没であり 、 人間の脱個性化の過程であると考え 、 少女の ﹁ 誤った ﹂ 言語形態に﹁子どもの芸術﹂としての積極的な評価が与えられてい る (29)。第五作﹃白雲母﹄ ︵ Katzensilber ︶、 第六作﹃石乳﹄ ︵ Ber gmilch ︶ は 、 どちらも異者と子どもたちとの交流を主題化している 。﹃ 白雲 母 ﹄ においてこの交流は 、 自然児である ﹁ 褐色の少女 ﹂ を大人が ﹁ 教 育し、 可能な限りの幸福へと導くことを決意﹂ ︵ HKG 2, 2, 31 1 ︶ し た 結果 、 崩 壊する 。 野外での自由な交流がなされていたときと比して 、 大人の ﹁ 教 育 ﹂ を受けている ﹁ 褐色の少女 ﹂ の姿には 、﹁ その女の子 はとても熱心に学んだし、その家の子どもたちよりも身体能力や器 用さの点で優っていた ﹂︵ HKG 2, 2, 312 ︶ と 述べられているように 、 不思議なまでに﹁過誤﹂が見られない。だが、これは逆に不穏な兆 候であり、同化を迫る﹁新しい世界で受けた痛み﹂ ︵ HKG 2, 2, 315 ︶ は、確実に彼女を苛んでいる。少女が姿を消すという帰結は、生き 生きとした学びの場としての合理化されない自然の存続を強調する ことにもなっている。他方で、ナポレオン戦争の時代を背景にした ﹃ 石 乳 ﹄ は 、 異者である ﹁ 白いマントの見知らぬ男 ﹂ とルルとの結婚 という予期せぬ幸運な結末を迎える 。﹁ この人は敵ではあっても 、 一 人の男なんだから ﹂︵ HKG 2, 2, 340 ︶ というルルの言葉が示すように 、 ﹁ 敵か味方か ﹂ を判断基準にする大人の固定観念に 、 子どもの ﹁ 誤 っ た﹂認識が対置されつつも、大人である城主は、自らの固定観念を 覆し 、 ルルの認識に同調するに至る 。 その伏線として 、﹁ おちびさ ん﹂ ︵ der Kleine ︶ という綽名のこの城主は、 ﹁ とても純粋な心﹂をも ち 、﹁ ︵ 三十歳の ︶ 年齢でもまだほとんど少年のように純粋だった ﹂ ︵ HKG 2, 2, 322 ︶ と描かれている。 この人物の場合、 大人の固定観念 を抱いたことが ﹁ 過 誤 ﹂ となり 、 異者との交流のなかで ﹁ 発見的 ﹂ 学習をやり直している。以上のように﹃石さまざま﹄は、作品間に 程度の差はあれ、子どもの﹁発見的﹂学習過程やそこで獲得された 認識が、大人の世界の常識とは対置されるものとして描かれ、社会
化を目的とする﹁教育﹂からはその価値を否定されながらも、語り 手によってその存在意義は強く肯定されているように思われる (30)。 前述の一八四九年三月六日付の非常に長い書簡には、従来の研究 では 、 ほ とんど取りあげられたことのない次の一節も見られる 。 ﹁︿ 我々の学校はまさしく修練の場となるでしょう ﹀、 とある友人が言 いました。 ︿そうです、と私 ︵ = シュティフター︶ は答えました。私 のところの男子は、水泳を学ばなくてはならず、そのために彼は水 に入らなくてはなりません。ですから私は、彼を橋からドナウ河へ 放り込むのです ! ﹀﹂ ︵ PRA 17, 322 ︶ 教 育者でもあったシュティフター の教育方針や、学習者に求める自律の姿勢は、この言葉にも表れて いる 。﹁ ドナウ河へ放り込 ﹂ まれた学習者が 、 いかにして困難に立ち 向かい 、﹁ 過誤 ﹂ を経てその人に学びがもたらされるのか 。 それを告 げているのが、四八年の革命を経た﹃水晶﹄を始めとする﹃石さま ざま﹄の物語世界なのである。 注 シュティフターのテキストからの引用は、次の版により、本文で は括弧内に略号、巻数、頁数を示す。 Adalbert Stifter: W
erke und Briefe. Historisch-kritische
Gesammtaus-gabe
︵
=
HKG
︶. Hrsg. von
Alfred Doppler und
W
olfgang Frühwald.
Stutt-gart/Berlin/Köln ︵ Kohlhammer ︶ 1978f f. Ders.: Sämtliche W erke ︵ = PRA
︶. Begründet und hrsg. mit anderen von
August Sauer . Prag ︵ Calve ︶ 1904f f.: Reichenber g ︵ Kraus ︶ 1927f f. (1) F・エーゲラーによれば、 ﹃水晶﹄への改作では﹁本質的には、 思い切った手直しは行われず、数か所の置き換えや拡張を除い ては、様式上の改訂が行われただけである。とはいえ、その置 き換えや拡張も 、 雑誌版にかなり緊密に結びつくものである ﹂ ︵ PRA 5, LIXf. ︶。 その他の変更点としては 、 物語冒頭と末尾の改 変や 、 兄妹のやりとりが拡大している点も重要視されている 。 Vgl.
Adalbert Stifter: Erzählungen in der Urfassung. Hrsg. von Max
Ste fl . Bd. 3. Augsbur g ︵ Kraft ︶ 1952, S. 343. (2) Vgl. Mathias Mayer: Adalbert Stifter
. Erzählen als Erkennen. Stuttgart
︵ Reclam ︶ 2001, S. 1 14. (3) 柳勝己 ﹁︽ 石さまざま ︾
︱
教育と子供の可能性 ﹂︵ 日本独文学会 ﹃ ドイツ文学 ﹄ 第九五号 一九九五年 六六︱七六頁 ︶ と くに七 〇 、七二頁参照。 (4)Vgl. Gerhard Friedrich: Der
V
o
rgang der Erziehung in
Adalbert
Stif-ters Erzählung
Granit
. In: Die Pädagogische Provinz 22
︵ 1968 ︶, S. 334–343, hier S. 334. (5) Vgl. ebd., S. 341. (6) Vgl. ebd., S. 335f. u. 343. (7) 柳前掲論文、七三︱七四頁参照。 (8) Vgl. Mar
grit M. Sinka: Unappreciated Symbol.
The Unglücksäule in Stifters Ber gkristall . In: Modern Austrian Literature 16 ︵ 1983 ︶, S. 1–17, hier S.
2f.; Martin Beckmann: Das ästhetische
Erfahrungs-verhältnis in
Adalbert Stifters Erzählung
Ber gkristall . In: Literatur für Leser 1 ︵ 1994 ︶, S. 36–51, hier S. 41f. (9) 柳前掲論文、七 〇 頁参照。
(10) 谷口泰 ﹁︽ 水晶 ︾
︱
贈られた言葉 ﹂︵ 同 ﹃ アーダルベルト ・ シ ュ ティフター研究︱
十四の論考によるコンステラツィオーン ﹄ 水声社 一九九五年 一一九︱一六 〇 頁︶ 一四九頁参照。 (11)Vgl. Peter Küpper: Literatur und Langeweile. Zur Lektüre Stifters. In:
Lothar Stiehm
︵
Hg.
︶:
Adalbert Stifter
. Studien und Interpretationen.
Gedenkschrift zum 100. T odestage. Heidelber g ︵ Stiehm ︶ 1968, S. 171–188, hier S. 181. (12) Vgl. ebd.; Mayer , a. a. O., S. 140. (13) 谷口前掲書、一五二頁。 (14) Vgl. Beckmann, a. a. O., S. 45f. (15) Mayer , a. a. O., S. 1 16. (16) 谷口前掲書、一四八頁。 (17) 単行本版﹃水晶﹄は、研究史上、緊迫した筋書きの欠如という 点から ﹁ 形式の解体 ﹂︵ G・ ルカーチ ︶ を招いたと批判されたり 、 散在する個別的要素のために﹁ノヴェレよりもロマンの構造に 適している形式 ﹂︵ P・ ハ ンカマー ︶ と評価されてきた 。 谷口前 掲書、一四九頁参照。 (18) Vgl. Beckmann, a. a. O., S. 51. (19) Vgl. W olfgang Matz:
Adalbert Stifter oder Diese fürchterliche
W
en-dung der Dinge. Biographie. München/W
ien ︵ Hanser ︶ 1995, S. 281. (20) Vgl. etwa ebd.;
Alois Raimund Hein:
Adalbert Stifter
. Sein Leben und
seine W erke. 2. Au fl . W ien/Bad Bocklet/Zürich ︵ Krieg ︶ 1952, Bd. 1, S. 308; Urban Roedl:
Adalbert Stifter in Selbstzeugnissen und
Bilddo-kumenten. Reinbek bei Hambur
g ︵ Rowohlt ︶ 1965, S. 98f. (21) Vgl. Matz, a. a. O., S. 282. (22) Vgl. Mayer , a. a. O., S. 228. (23) Immanuel Kant: W erke. Akademie-T extausgabe. Berlin ︵ W alter de Gruyter ︶ 1968, Bd. VII, S. 35. (24) Ebd., S. 36. (25) Ebd. (26) Vgl. Matz, a. a. O., S. 282f. (27)
Vgl. H. Schepers: Heuristik, heuristisch. In: Joachim Ritter
︵
Hg.
︶:
Historisches
Wörterbuch der Philosophie. Bd. 3: G-H. Basel
︵
Schwabe & Co.
AG ︶ 1974, Sp. 1 115–1 119, hier Sp. 1 119. (28) 柳前掲論文、七三︱七四頁参照。 (29) Vgl. Eva Geulen:
Adalbert Stifters Kinder
-Kunst. Drei Fallstudien. In:
Deutsche V ierteljahrsschrift 67 ︵ 1993 ︶, S. 648–668, hier S. 666–668. (30) 社会化に偏重した教育に対するシュティフターの抵抗は、一八 五 〇 年からの教育視学官の職務との関連で発表された論説文の なかにも見られる 。 彼 は一八四九年一月十四日付の ﹃︵ アウクス ブルク ︶ 一般新聞 ﹄ に発表した記事のなかで 、 現行の教育制度 は 、 生徒の ﹁ 窮屈な精神の発達と機械的な習得 ﹂︵ HKG 8, 2, 54 ︶ しか生まないため、大学生になっても﹁自立した判断や推論へ と至る精神力の自由な戯れ ﹂︵ HKG 8, 2, 55 ︶ が見られないと批 判している。こうした持論を有した彼は、当時のオーストリア の教育界とは反りが合わず、一八五六年には視学官の職を罷免 されてしまう。この事実は、実科重視の教育界の風潮と、彼の 教育的試みとの齟齬を端的に示しているように思われる。