ハ ンス・ フォン・ マ レーの「ナポ リの
フレス コ画」 について
(中
の
1)(り
高 阪 一 治 (昭和62年5月30日受理)
※ 図版 にお け るM.― G.と は,Meier―Graefe,
Junus:Hans von Marё
es.Bd.2,Munchen
1909に お ける図版 を指 し,G.L。 はGerlach―
Laxner,Uta:Hans vOn MarOes.Munchen
1980に お ける図版 をい う。
7の
1 さて四壁 の フレス コ画の 中,わ
れわれが考察 すべ き最後 の もの は,東
壁 の いわ ゆ る「 ペル ゴラ」 の図である(図 1)。ち マ レーのいう「五番 目の,最
後の図7で
ある。 海 と海 に生 きる男たちを描いた北壁,西
壁の両図が,激
しい労働の息吹 きを伝 える,動
きに富 む 画面であったのに対 して,南
壁の両図は陸 にあが って,楽
園のイメージをとどめる静かで穏やかなみ 動 きのあま り感 じられない,安
らぎにみちた画面 となっていた。「ペルゴラ」の図は,陸
での静 けさ, 憩い というもの を南壁の図 と共有 し,南
壁 の図 を うける形 をとる一方で,画
面左端 に海 と空 を配 し て,北
壁の図につな ぐ一面 を有する。本図が四壁 の画中,
もっ とも厳格 な構図を とり,動
きに乏 し く,ま
たほ とんど音のきこえない静寂の世界だ と見 る点では,研
究者間の一致がある解激 しい水 し ぶ きとオール を漕 ぐ音,そ
れに漕手の歌声が きこえて くるか と思 える北壁中央図か ら始 まった一連 のフレスコ画 は,西
壁,南
壁 とへて次第 に音 を減 じ,「ペルゴラ」の図において静寂の極 みに達 した かの観がある。 そ して この図は,建築物 が画面 に大 き く描かれている点で,マレーの作 品 においては 特異 な位置 をしめるものである伊 本図で研究者の注 目を集めてきたのは,画
面左下,四
分の一 をしめる友人群である(図2)。 食卓 の まわ りには五名 の男性が集 まっている。向って左端 に,帽
子 を手 に して腰 かけているのがアン ト阪 高 ン・ ドール ンであ り,その隣 に正面向 きで立つのが,ドール ンの研究助手 をつ とめる動物学者ニ コラ ウス・ クライネ ンベルグである。中央で帽子 をかぶ り
,肘
をついて こち らを見つめる男性 が,
ヒル デブラン トの学校時代 の英語の教師 にして友人であ り,ま
た ドール ンの友人で もあったスコッ トラ ン ド人の詩人,チ
ャールズ・ グラン トである。残 る右端 に腰 かける二人の中,左
側がマ レーその人 であ り,側
面観 をみせ る若 い男性 が ヒルデブラン トである。 さて,こ
の五人 をフレスコ画の中に描 く計画 は,当
初か ら存在 した。すでに引用 した手紙 (1873 年 7月20日付,フ
ィー ドラー宛)に
おいて,四
壁の フレスコ画のプログラムを説明す るなかで,マ
レーはこの五人 に言及 している。 「・…… そ して この海 には,網
をひ ろげ,一
漕 の船 を海 へ と押 しや って い る漁夫 た ちが お り, この船 その ものの中 には,
ドール ンや クライ ネ ンベ ル ク,グ
ラ ン ト, ヒル デブラ ン ト,そ
れ に私 自身 の 肖像 が見 える。海 ぞいの居酒屋。 ……P
したが って,
この時点 で は,五
名 は船 中 に配 され て いたわ けで あ るが,「 ペル ゴラ」の図で は,引
用 文 中の「海 ぞいの居酒屋」 との関連 で現 われ る。 この変更 を促 したの はマ レーの願望 で あ った。 デ ーゲ ンハ ル トや ゲル ラハ・ラクスナーが指摘 す るように甲マ レー は これ に先立 つ手紙 (1873年 7月 3 日付,イ
レー ネ・ コペ ル宛)の
なか で,こ
う書 いて い る。 「夕方 にな る と,私
た ちはた いてい海 に くり出 します。私 の気 に入 りの行 き先 は,海
ぞいの 宮殿 で す。 この宮殿 か らほ ど遠 くない ところに レジー ナ・ ジ ョヴ ァンナ とよびな らわ され る 廃墟 が あ り,こ れが私 たちのい きつ けの居酒屋 です。いつか ここに友人 のすべ てが集 まって, 卓 をか こむ とした ら, どんなにすばらしい ことで しょう。……f) したが って,画
家 は元来 この思いを懐 いていた ものの,い
ったんは五名 を船 中に描 く構想 を立て, その上で この構想 を元 に戻 して,「友人のすべてが集 まって,卓
をか こむJという自己の願望 をフレ スコ画に実現 したのだ と考 えられ るPし
か も,ゲルラハ・ラクスナーのい うように,こ の五名 は当時 ナポ リにいて,常
時顔 を合わせていたわけだか ら,実
際,
この願望が実現する機会 も充分 あったで あろう乎°その意味では,こ
の友人群像 は,画
家の願望 に発 して,現
実に もとづ くもの と見 ることも 可能である。 ところで,引
用文中の「海 ぞいの宮殿 」 とは,
ナポ リ湾 に面 したポシ リッポ通 りにある
,パ
ラッツォ・ドナンナのことであるとされるが
,Dこの宮殿は
17世紀に未完のままに残され
, 1688年の地震によって完全に廃墟と化したものであるよかすでにユベール・ロベールやカール・ブレ
ッヘンの画中
(1°に見えるこの廃墟と化した宮殿を
,マ
レーは「ペルゴラ」の図に導入した。画面左
ハンス・ フォン・マレーの「ナポリのフレスコ画」について(中の1) 半分 の人物 群 の背後 に そび え る建 築物 が
,そ
れ で あ る。 以上の点 を念頭 において,「ペルゴラ」の画面 を手短かに記述 してみよう。 まず目につ くのは,人
物が こちらを眺 める視線の強 さもさることなが ら,建
築物が画面 に しめる大 きな割合である。やや 白っぱい膚 をみせ る,飲
食店 として用 い られている建築物が階段 と手す り,そ
れにペルゴラを仲 ば して,画
面右半分 と中景 を支配す る。 そして背景 には,先
に触れた宮殿が よ り褐色 を増 して薄暗 く そびえ立ち,ア
ーケー ドをつ らね る。本図 は,判
型か らいえば正方形 に近 いやや横長 の画面である が,建
築物や手す り,建
築物への人 口,ペ
ルゴラを支 える三本の細 い柱,食
卓の脚等 に垂直線が く り返 し現れ ることか ら,ま
た,二
つの建築物の上部 を枠が切 ることもあずかって,む
しろ縦長 と思 える,垂
直の方向の勝 る画面 となっているよ°水平線 も階段やペル ゴラの屋根板,そ
れに食卓の台等 がつ くる線 によって幾重 に もくり返 され るが,垂
直線が生み出す効果 には及 ばない。 したがって, 画面のいたるところに縦長 の矩形が出現する。 建築物 に着 目すれば,グ
ローテのいうように争9人物 にはせ まい舞台 しか許 されていない。画面 に は男性 ばか りの友人群 のほかに,二
人の女性が全場する。右下隅の牡蠣 を売 る老女 と(図3),中
央 で手す りに腰 を下 ろして こちらを見つめる,こ
の飲食店の女主人がそれである(図4)。 画面 に登場 する人物たちは一一多少の逸脱 は認 め られ るものの一―,ラ ンクハイ トのいうように,「基本線 の網 目に とりこまれた存在であって,な
かんず く手す りに腰か ける女主人 と立つ友人 とは,建
築に支配 された彫像のような効果 を発揮 し」°ている。この二人 は垂直の方向を際立たせ る一方で,ペ
ルゴラ の屋根板 とその支柱,ま
た手す りとともに大 きな矩形 を構成する。 とりわけ女主人 については,ポ
ールの指摘するように手す りの内側がつ くる線が画面の中心軸 となるために 'D多 彩な色彩において は,や
や前傾姿勢をとって眠っているようにもみえる老女に劣るとはいえ,緑
の衣服 に白のエプロ ンをかけた彼女が図の中央に位置 して,造
形上大 きな役割を果た している。 ところで,画
面には三種の動物が登場する。画面手前の犬 と老女の前の籠に入った海産物,そ
し てペルゴラの尾根板にとまる二羽の鳩,そ
れに画面左上方で夕映 えの中を舞 う鳥たちである。 さてこのように見て くれば,画
面は,画
家が仕事の後で ヒルデブラン トや研究所の仲間たちと過 した,南
イタリアでの一夕を描いたものと映 るであろうし,そ
の場が居酒屋であれば,そ
この女主 人や物売 りの老女がいても別に不思議はない。その意味では,こ
の図は風俗画に近いもの といえよ うが,9友 人が一団 となって肖像で描 きこまれている点に着目すれば,群
像 肖像画,わ
けてもかれら の友情を記念 して結かれた友情 肖像画 とみることもできよう (後述)。 人物に注目すれば,本
図が群像 肖像画 と自由に案出された人物構成 とからなるものであることを 指摘 したのは,ポ
ールであるよ9彼
は次のように述べる。阪 「絵 の全体 と形式上の編成 か ら出発する とすれば
,友
人の一団の群像 肖像画 は上位 に くる自 由な人物構成の一成分 とな り:こ
の構成 では,牡
蠣 を売 る女性が,わ
けて も手す りに腰 かけ る若 い女性 が,少
なか らぬ意味 をもって くる。絵の内容 に関す る問いが考察の出発点 に くる な らば,
まず注 目され るのは飲食店の食卓 をか こむ友人たちである。構成上特異な位置 をし めるとはいえ,こ
の知的な人々の無言の集 ま りが,本
来の絵の中心 となるのである。……Y0 ここではひ とまず,こ
のポールの指摘 に従 って,ま
ず造形面か ら,つ
いで内容面か らこの図に検討 を加 えることにしたい。両面 は本来,互
いに切 り離 しえない ものであるが,
この点 については後 に 「ペルゴラ」の図の全体的解釈 において考察す る。 造形面か らいえば,
この図で問題 となって きたのは,す
でに触れた構図の厳格性 もさることなが ら,線
遠近法が用 いられていない こと,視
点の複数性 である。だが この問題 に立 ち入 る前 に,一
般 的な注意が必要である。手す りの内側がつ くる線 が この図の中心軸 に一致することはすでに述べた が,ポ
ールは画面が縦 に四分 されること,そ
して右半分の中央線 はこの飲食店 の壁の縁 がつ くる垂 直線 に符号することを指摘 したPそ
してその上で,彼は,すでにホーフマンが示唆 した点をうけて▼D 画面には伝統的な三角形の構図が とられている事実を明らかにした。すなわち,画
面中央に位置す る女主人 を頂点 としてヤ9-辺
をクライネンベル ク,あ
るいは ドールンとで,も う一辺 を老女 とでつ くる三角形の構図である。 この三角形の構図により,人
物群は互いに関連づけられるとともに,こ
の若い女性は質素な身な りなが らも,正
面観 をとっているということもあずかって,画
面中央で手 す りの上に「君臨V。する存在 として現われる。 さて奥ゆき表現についていえば,人
物像はほぼ同 じ大 きさで描かれていることか ら,か
れ らは同 一空間層に位置するかにみえる。 しかし,実
は,ポ
ールの指摘するように,か
れ らの間には三つの 空間層が区別できるV9画 面手前の第一の層をしめるのは老女 と犬である。手す りが正面から見 られ ているがために老女 と同じ層に,あ
るいは見様 によっては友人群 と同じ層に位置するかと思える中 央の女主人 は,第
二の層をしめる。 というのも,こ
の ことは,手
す りが犬によって一部覆われ,階
段が画面奥へ と退いていることから,ま
た他方で,
この手すりが友人群の右端に位置するヒルデブ ラン トの身体をなかば覆っていることから,明
らかだからである。そしてもういうまで もないこと だが,左
手に位置する友人群が第二の層をしめるのである。ポールの指摘に加 えれば,こ
の友人群 の背後にペルゴラと飲食店の左端部分が位置 し,そ
してこれらの背後で,宮
殿跡が最後の空間層を しめる。 以上 の分析 か らも明 らか な ように,こ
の画面 がル ネサ ンス以来 の線遠近 法 に もとづ くもので ない ことは,従
来 か ら指摘 され ていた。 すで にマ イアー・ グレー フェは ここに「遠近 法の解体 」が生 ま れてい る こ とを指示 して,「彼 (マレー)は面 と奥 ゆ き とを,
もはや それ らが 区別 しえない まで に曲ハンス・ フォン・ マ レーの「ナポ リのフレスコ画」 について (中の 1) 芸的に とり扱 っている」 と記 したま。またシュー ラーは「ペルゴラ」の図に「線遠近法の直接的な拒 否」を,「意識的な反 ―遠近法的構成」をみた子のそ して この構成が多数の消尽点 に もとづ くものであ って
,こ
れがため画面 に見入 る者の「奥へ と向か う視線 はいわばブレーキをかけ られ るのだ」 と述 べ,こ
の画面 に強い平面性 を認 めたのであったV°そ してポールは,こ
れ らの指摘 の上 に,画
面の左 右がそれぞれ に消尽点 をもつ こと,ま
たいずれの消尽点 にもよらない ものがあることを明 らかにし て,平
面性 を確認 した子9 画面に登場す るすべ ての ものを基本的な軸線 に従わせ,
しか も形象 を正面観 と側面観 とい う明瞭 な観面で もって描 きつつ,奥
ゆき以上 に画面の平面性 を重視するこの造形手法 は,今
後 のマ レーの 制作 を決定づけるものであった。厳格な法則性 に裏打 ちされた単純で明快,し
か も雄大 な画面 とい うのが彼の今後の目標 となってゆ くのであるが伊の時 をへるに従 っていよいよ現実か ら遠 ざか り,観
念的性格や「瞑想的性格子1)を強めてゆ く後期のマ レーの作品 とは異なって,こ こナポ リの作 品には, まだはっきりとした写実的性格がある。 この写実的性格 は,「ペルゴラ」の図においては,友
人たちを描 いた群像 肖像画の部分 に顕著であ る。画家はこれ まで もしば しば肖像画 を描 いて きたが,こ
の友人群像 は,た
しか にポールのい うよ うに,「彼 (マレー)の
肖像画の頂点Jで
あ り,
また,「彼の個人 に寄せ る関心の,
もっ とも力強い 表現Jと
なっている解 さて,こ
の「ペル ゴラ」の図には,同
題の油彩 スケ ッチー点 (M.―G Nr.217,G― L Nr.120/Ⅲ
/1a)(ブ
ッパータール,フ
ォン・ デア・ハイ ト美術館)(図
5)と
,肖
像の油彩習作が四点残 ってい る。「グラン ト,マ
レー,
ヒルデブラン トの三友人群像」(M.―G,Nr.218,G.―L.Nr.120/Ⅲ /1b)(ヴ
ッパータール,フ
ォン・デア・ハイ ト美術館)(図
6),「アン トン・ドール ンの肖像」(M.―G.Nr.220, G.―L.Nr 120/111/1C)(ナ ポ リ,個
人蔵)(図
7),「ニ コラウス・ クライネンベル クの肖像J(M.―G. Nr.219,G.―L Nr.120/m/1d)(フ
ランクフル ト・アム・マイン,シ
ュテーデル美術研究所)(図
8), そ して「牡蠣 を売 る女性」(M.―G.Nr.222,G.―L.Nr.120/Ⅲ
/1f)(ベル リーン 〈西〉,国
立美術館) (図9)が
これである。「手す りに腰 かける女性J(M.―G.Nr.221,G― L.Nr 120/Ⅲ /1e)(ベ
ル リ ーン 〈西〉,国
立美術館 旧蔵)(図 10)に
ついては所在が不明である。 そこで,以
下,
この フレスコ 画の内容上の検討 に先立 って,こ
れ らの油彩習作 との比較 をまじえなが ら,人
物 モチー フを中心 に して「ペルゴラ」の図を形体の上か ら眺めることにす る。 まず油彩習作の「ペル ゴラ」(図5)に
ついていえば,こ
こにはフレスコ画 との細 かな相違 にもま して,大
きな違 いが認 め られる。すなわち,
この習作 には,フ
レスコ画に描かれた画面右 四分の一 が省 かれているとい う事実がある。つまり,建
築物 もさることなが ら,老
女が描 かれていないので ある。この ことは老女が,何
らかの観点か ら,遅
れて他の人物たちの仲間 となった ことを意味す る。 ポールは三角形 の構図 をつ くるべ く彼女が導入 された と考 えているようであるが '° はた してそれだけの理 由 に よるの であ ろ うか。 この点 について は後 に内容面 で触れ る として
,た
だ ともか く,こ
の 老女 の形体 につ いて は,習
作 (図9)と
フ レス コ画 との間 (図3)に
は相違 が見 られ ない。 そ して この形体 について は,テ
ィツ ィアーノの「マ リアの宮詣 でJ(ヴ
ェネツ ィア,ア
ッカ デ ミア美術館) (図11)に
お け る画面手前 中央寄 りの老女 との関連 が,
く り返 し指摘 され て きた『→ 手す りに腰 か ける若い女性 に関 しては,こ
の女性 を単独 に描いた油彩習作 (図10)と フレスコ画 (図4)と
の間 に相違点 は認 め られない。だが油彩習作の「ペルゴラJに
おける彼女の像 (図 12) と,フ
レス コ画 における像 とはいささか趣 きを異 にす る。それ も当然で,油
彩習作の「ペルゴラ」 におけるこの部分 は,協
力者 ヒルデブラン トの手 になるものである『9しか し,この部分がマ レーの 構想 とは無関係 に成立 した とは考 えに くい し,そ
れ どころかマ レーの考 えの下 に描かれた可能性 の 方が圧倒的に大 きいのであるか ら,この部分 をフレスコ画 との比較か ら除外す るわ けにはいかない。 フレスコ画 における像 と異 なる点 をあげれば,彼
女 は赤 ん坊 を胸 に抱 き,授
乳 してい るように もみ えること,そ
して彼女 は赤ん坊の方 を見て,側
面観 に近 い頭部 をみせていること,ま
たエプロンを かけていず,し
か も裸足であるようにみえることであ る。着衣の色彩 については,濃
淡の差 はある ものの基本的には同 じで,自
のシャツと濃い緑のスカー トの組 み合わせである。 さてこの女性 のモチー フについては,従
来 あまり顧慮 されていなかったが,ポ
ールは,間
接的に ではあるが この女性 をプ ッサ ンの「階段の聖母子J(ワ
シン トン,ナ
ショナル・ギャラ リー)(図
13) と関連 させた。 ポールは直接的には,人
物 による三角形構図 と,建
築による枠に平行 な絵 画構造 と の緊密な結 びつ きか ら,プ
ッサ ンの作品を引 き合いに出 したのであるが '° この ことは手す りの女性 の形象 とも関連 をもつ ものである。階段や手す り,背
景の宮殿跡,そ
れに全体のための習作 におけ る赤ん坊 な どと考 え合わせ るとこの比較 は大変興味深 いが,そ
れだけに,ポ
ール もい うように,相
違点 も明 らかである。すなわち,キ
リス ト教的主題 の有無 は別 として も,プ
ッサ ンの場合 には遠近 法がゆきわたちて空間が安定 し,
しか も量感が豊かであるのに対 して,マ
レーの場合 には平面的で 物体感 に欠 けるきらいがある伊の加 えて,マ
レーの画面 には何 よ りも友人群が登場する。 この友人群 を描 くにあたっては画家は入念 な準備 を重ね,友
人群全体の習作 (油彩習作 の「ペル ゴラ」 にお ける)に
加 えて,五
人 を三つの組 に分 けて検討 した。いずれ も胸 か ら上の 肖像画である とはいえ, これ らのいわば個別習作 (図6, 7, 8)は
ほ とん どその ままフレスコ画 に全場する。 この点 はとりわ け右側の三名,グ
ラン ト,マ
レー,
ヒルデブラン トを描 いた習作 (図6)に
おいて 歴然 としているが,こ
の習作 は,1870年に描かれた「 ヒルデブラン トとグラン トの二人 肖像画」(M. ―G.Nr 154,G.― Lo Nr 104)(マ ンハイム,ク
ンス トハ レ)(図 14)を
引 き継 ぐものである。油彩習 作の「ペルゴラ」 における五人の群像 (図15)は ,フ
レスコ画 におけるそれ (図2)と
はいささか 異なっている。構成 は基本的には同 じであるが,フ
レスコ画の場合 よりも五人の結合度 はゆるやか で,よ
りくつろいだ様子が見 うけられる。 クライネ ンベルグはここでは帽子 をかぶ って左手 を胸 にハ ンス・ フ ォン・ マ レーの「ナポ リのフレスコ画」 について (中の
1) 71
あてがい,
ドールンはフレスコ画の場合以上 に頭部 を左 に向け,画
面の外 を眺めている。左手の位 置 も異なる とともに,右
手 には帽子のかわ りに杖が握 られている。右端の ヒルデブラン トにいたっ ては,頭
部 はほ とん ど見 えない。 このように見 て くれば,フ
レスコ画 にお ける友人群像の方が構成度が高 く,ま
た よリモニュメン タルな効果 をあげてい ることは明 らかである。かれ らは皆 あ まり特徴のない当時の男性 モー ドに身 を包み,ワ
インとパ ンがある食卓の まわ りに集 まっているが,さ
りとて談笑 している気配 はまった くない。ただわずかに画家 自身が,信
頼 す るに足 る若 い友人の方 をじっ と見つめている姿が注意 を ひ く。 ドール ンは疲れているのか '9そ れ ともグローテのい うように,科
学者であ りなが らも「起伏 に富む感情生活 を有す る,芸
術 を解す る人の顔立 ち,体
型,姿
勢子9を示 しているのか,外
を眺めて この友人群 像 に変化 をつ け,見 る者 に一息つかせて くれ る。画家 とドールンにはさまれた二人 は,一 見すると同 じようにわれわれの方 を凝視 しているようにみえるが,し
か し,ク
ライネンベルクには 「つめた く厳 しい分別 とけわ しい態度」が現われているのに対 して,グ
ラン トの眼 には,ど
こか「夢 見 ごこち」の ところがある子°この ように,こ
の友人群 の表現 には「鋭 い個人の描 き分 け」と,「はな はだ冷静なオ ランダ人 の描 く静物画 にも見当 らない,ま
った くつめたい客観性」が認 め られるので ある子' さて,先
に も触れたが,か
れ らが当時の「哀れな男性モー ド」りに身 を包んで画面 の重要な一角 を しめることは,研
究者の注意 を喚起 した。すでにマイアー・グレー フェは,「われわれが身につける 上着やズボンは記念的作品にふ さわ しい ものなのか」°と書いているが,画
家 はよ くこの男性モー ド を使いこな して子°一方で時代 の刻印 を記す とともに,しか もその ことを忘れ させ るほ どに配列や姿 勢,観
面などによって,不
動の永遠性 というもの を伝 えている。この ごくあ りぶれた 日常的世界 を, 同時代の衣服 の ままに写実的に,
しか もモニ ュメンタルに描 き出す手法 は,し
ば しば指摘 されて き たように子°クールベやマネを思わせ るものがある。クールベ とマ レーの関係 については とりわけホ ーフマンが詳 しいが,
この関連 において,レ
ピー ンは,
この食卓 に集 う友人群のモチー フをクール ベの「オルナンでの食後のひ ととき」(1848/49,
リール,美
術館)(図 16)に
結 びつけた子0 さて しか し,
このモチーフを美術史の伝統 に照 らして考 えてみる時,ま
ず思い浮かぶのは17世紀 のオランダでよ く見か けられる風俗画であ り,群
像 肖像画である。杯 を打 ちな らし,に
ぎやかに笑 い興ずる場面が多い とはいえ,時
に,マ
レーの作品に近 い ものがあるよつしか し,こ
うした作品にも ましてマレーの友人群像 に近づ くのは,ク
ールベに先立つ,フ
ランス17世紀 のル・ ナ ン兄弟の もの である。 デーゲ ンハル トの指摘 “ 0をうけて,ポ
ールは 「農民の家族 図」(1642,パ リ,ル
ーヴル美術 館)(図
17)と 「ペル ゴラ」の図 との比較 を試み,人
物たちが無言で何 をするで もない という事実, 描写の客観性,そ
して人物たちが前後の層において,
しか も並列的に配 されている点で,両
作品は 共通することを明 らかにした子9ポ
ールの指摘 に付 け加 えれば,共
通点 はさらに広が り,明
際な観面治 阪 高 と鋭い視線
,近
よ りがたい厳粛な雰囲気 といった ものがあげられ るであろ う。 だが,食
卓の まわ りの数人 を描 いた もの とい うことになれば,忘
れてはな らない図像伝統がある。 エマウスで の晩餐の図である。なかで もマレーの作品に近いのはティツィアーノの もの とレンブラントの作品であるが
'ω宗教的
,世
俗的の相違は別にしても
,先
のル・ナン兄弟のもの以上にマレー
の人物群に近いとはいえない。
さて,眼
を友人群か ら,そ
の手前 に位置す る犬 に転 じると,油
彩習作の「ペル ゴラ」 とフレス コ 画では多少の相違が認 め られ る。犬 は,習
作では,種
類 を異 にすることに力日えて,腹
ばいになって 頭部 を友人群の方 に向 けている。他方,フ
レスコ画で は逆 に,犬
は老女の前の海産物 を見つめる姿 で現れ る。 さて「ペルゴラ」の図を内容面か らとらえる とすれば,本
稿のはじめの方で指摘 しておいたよう に,こ
の図がマ レーの願望 にもとづ くと考 えられ るところか ら,友
人群像 に注意が集 まるのは当然 である。事実,こ
れ まで「ペルゴラ」の図は主 にこの視点か ら眺め られて きた し,先
に引用 したポ ールの言 も同様 である。 したが って,こ
の作品の代表的解釈 としては,た
とえばゲルラハ・ ラクス ナーがいうような,「友情 と喜びにみちた思 い出の記録」 という見方があげ られようξI) ところで,友
人群が描かれていることから,
この図が ドイツ 。ロマン派に顕著な友情 肖像画にあ たるか否かが問題 になっていた。友情画ないし友情 肖像画については,マ
レーはこれまで「レーン バハ との二人肖像画」(1863, ミュンヘン,新
絵画館)(M.―G Nr.105,G.―L.62)を
はじめとして, ここナポリの南壁にいたるまで二,三
点描いているP『
ロマン派の友情画』の著者クラウス・ラン クハイ トは,ペ
ルゴラの下の友人群を画家が「友情の記念」 として描いたことを認めつつ,
しかし 同時に,
もはやそこには一一油彩習作におけるほどではないにせよ一―「内的結合」が認められず, むしろそれは「19世紀の人間の救いようのない弧独 を裏がきする」ものだ と述べた『0そ してまた, ランクハイ トは別のところでも,友
人群のモチーフは内容上重要であるとはいえ,画
面の四分の一 をしめるにすぎない事実から,絵
画構造に仕 えるものであることを示唆 したξ°友人群だけをとりあ げれば友情 肖像画 とみることができるとしても,「ペルゴラJの図全体 をみれば,
このモチーフが画 面にしめる割合や位置,そ
してこの友人群に直接関係がないと思われるもの (女主人,老
女)が
画 面に登場することか ら,このフレスコ画全体 を厳密な意味で友情画 とみる研究者は皆無であるよ9と はいえ,ポ
ールはこのフレスコ画を友情画の系譜の上に置 くことを試み,
もしそう考えるなら,カ
ール・ フィー リプ 。フォールの一点が (図18)'° このマレーの図の先例になることを示唆 した『° さて,「ペルゴラ」の図全体の解釈を試みようとする者にとって,問
題 となるのは,本
図が二つの 中心をもつこと,す
なわち,造
形上では手す りに腰かける女性が中心をしめ,内
容上では友人群がハ ンス・ フォン・ マ レーの「ナポ リのフレスコ画Jについて (中の1) 中心 となる事態 その ものである。マイアー・ グレー フェ以来
,こ
の図は研究者 を当惑 しつづけて き たが '9そ の理由の大半 もこの ことにある。研究者の見解 は造形上の厳格な構成 と内容上の友情の記 念 との間を揺れ動 き,す
でにみたように,内
容上 の中心 を造形上の構成の中に包摂せ ざるをえない のであった。 しか し,そ
れで もなお,か
れ らはこの一見すれば南国の光景 を映 した と思われ る画面 の奥 に,何
かがあると感 じて きた。 グローテは,
この場面 は「不思議な夢見 ごこちf9を与 える とい う表現でもってその ことをいい表わ し,ポ
ールは端的に,「写実的描写の背後 には何 か夢 のような, 非現実的な ものが潜 んでいるように思 えるザωと書 いた。 ′ このように見 て くる と「ペルゴラ」の図は急 に謎 めき,さ
まざまな疑間に包 まれ る。 いったい三 つの中心はいかなる関連 をもつのか。これ までのように内容上の中心は一―内容 とは関係 な く一―, 造形上の構造 に包摂 されるしか道 はないのか。逆 の道 はないのであろうか。そ もそ も女主人 は,内
容上友人群 に無関係だ とすれば,な
ぜ画面の中心 を しめ,
しか も「君臨」 しているのか。手前の老 女 はなぜ画面 に登場 して くるのか。 ポールのい うように画面 に三角形の構図を確保す るためだ とし て も,そ
れがなぜ老女である必要があるのか。彼女 はなぜ他の人物群か ら離れて一人,眠
った様子 で描かれているのか。犬や鳩 はなんのために登場 しているのか,ま
た二つの建築物 の意味 あいはい かなるものなのか。 そ して友人群 にして も,友
情 の絆で もっ とも強 く結 ばれているはずの画家 と若 い彫刻家が,奇
妙な ことにこのグループの中では もっとも小 さな画面 しか与 えられていないのはど うしてか。画家 はまた,な
ぜ互いに顔 を合わせず,談
笑 もしていない場面 を選 んだのか。一一 こう した数々の疑間に答 えられ る解釈 は今の ところまだない『ゆ「ナポ リのフレスコ画Jに
ついて もっ と も詳細 な研究 を示 したポールにして も,「ペル ゴラ」の図に関 しては,造
形分析が主た る関心事であ った。 われわれはこれ まで述べてきた事柄 をふ まえなが ら,以
下 において,従
来の考察 とはいわば逆の 道 をた どって,こ
の「ペルゴラ」の図全体の解釈 を示 したい と思 う。すなわち,内
容 の点か ら造形 要素 を眺める道 を とって,本
図の解釈 にた ど りつ きたい と思 う。 さて,こ
の試みを企 てるにあたって,鍵
をにぎる存在 は手す りに腰 かける若 い女性 である。彼女 が造形上 いかなる位置 をしめるものであるかについては,す
でに述べた。 ここで重要 な ことは,そ
れが内容上 で どの ような意味 をもつのか とい う点 である。すなわち,彼
女が中央で「君臨」するの みならず,三
角形構図 において も,画
面の両端 の二つのモチーフ,つ
まり,友
人群 と老女 とをつな ぎ,
しか もまとめる存在 であるという点 は,内
容上 いかに解すべ きか ということなのである。 この若い女性が友人群 と密接な関連 をもつ ことを示す ものは,なにも三角形構図 に とどまらない。 すでに述べた ように,彼
女 とクライネンベルク とで矩形が形づ くられること (この矩形 の一辺であ るペルゴラの屋根板 には二羽の鳩がいることに注意 したい),また彼女が腰 を下 ろす手 す りはヒルデ ブラン トの身体 の一部 を覆 うこと,そ
して後脚 を友人群の前に置 き,手
す りを横切 る形 で画面右端阪 を見つめる犬 は
,友
人群 と老女 とをつな ぐ役割 を演 じるとともに,手
す りをへだてて友人群 と彼女 との結 びつ きを も暗示す ること,一
― こうしたすべ ての ことは,こ
の若 い女性がすべての人物群 を 内容上 も統轄す る存在であることを,わ
けて も,彼
女が友人群 と内容上 も密接な関連 をもつ存在で あることを強 く示唆す るものである。彼女が画面中央 で「君臨」する所以 もここにある。 だがそれな ら,両
者の間 にどのような結 びつ きが考 えられ,こ
の若 い女性 はいったいいかなる存 在であるのか。 この点 を考 えるにあたっては とりわ け犬 と鳩の存在が重要であるが,そ
の ことを論 じるに先立 ってみてお くことがある。女主人 についてはポール も注 目した。ポールは,科
学者 と美 術家の集 ま りが この絵 の精神的,知
的中心 をなす とはいえ,こ
れが この図の唯―の内容 なのではな く,図
の構成全体 か らみれば,も
うひ とつの中心,す
なわち若 い女性 に明 らかに従属す る存在だ と した上で伊りこの女性 について内容 にも踏み こみ,次
の ように指摘 した。 「 この女性 こそ,ま
さしく本能 と感情 の擬人化 として,知
的な人々の集 ま りの上 に君臨す る 存在 である。彼女 は一― こう解釈で きようが一―,厳
しく,だ
が威厳 にみちた品位 をもって, 直観 的な ものを,つ
まり合理的に説明 しえない ものを表わ している。 この直観的な ものがあ れば こそ,精
神的被造物,と
りわけ美術家の制作過程 も,お
よそはじめて可能 となるのであ る。子3) だが このポールの指摘 はこれ以上の展開をみず,こ
の面か ら「ペルゴラ」の図全体の解釈 に進 む こ ともなかった。 その上,こ
の解釈 は彼女の身近 にい る美術家たちを説明す るには都合が よい として も,他
の登場人物 への配慮 を,ま
った くといっていいほど欠いている。造形上の要 ともいえるこの 女性の際立 つ位置か らすれば,こ
の内容上の規定 は不充分であ り,説
得力 をもつ ものではない。 さて,元
に戻 って,わ
れわれな りに女主人 について考 えてみると,彼
女が内容上,友
人群 と密接 な関連 をもつ ことは,今
や充分予想で きる。 ところで,友
人群 については,か
れ らの友情 の記念が 主題である とはい うものの,そ
の描写の仕方か ら,
こう断定することに疑間の余地がないわ けで は なかった。しか し,こ
の点 に関 しても,決
定 を促 す要素が画面 には二つある。犬 と鳩がそれである。 犬 は周知の ように,古
来馬 とともに人間にもっ とも忠実な動物 とされて きたが,た
めに花嫁が主人 に忠節 を誓 う,あるいは花婿 。花嫁が互いの忠節 を誓 う婚姻の場面 にもしば しば登場す るよつでは「ペ ルゴラ」の図では,犬
は (図2)ど
のような忠節 を意味す るのであろうか。友人間の互いの忠誠が それである。 そ してまた犬 は,老
女への意味的関連 をも示唆する存在である。では鳩 は (図4)ど
うか。 この二羽の鳩 については,油
彩習作 においてではあるものの,レ
ピーンの言及がある。すな わち,全体 のための習作 にお ける赤ん坊 を抱 いた女性 同様,鳩は豊饒 を示唆す るというものであるよ9 もちろん この解釈 も充分考 えられ ようが,こ
こでの一対 の鳩 は互いに向 き合 っていることか らす るハンス・ フォン・ マレーの「ナポ リのフレスコ画Jについて (中の1) と
,む
しろ一致,和
合 を意味するもの と解 した方が適当ではなか ろうか『°ではいったい何の一致な のか。 もうい うまで もないであろうが,鳩
の しめる位置か ら考 えて,友
情 による友人 たちの一致, 結合がそれである。 ご く自然 に画面 に導入 された犬や鳩 をこのように解する時,友
人群の主題が友 情の記念であることは もはや確実である。 また,こ
の ように友人群が内容的 に規定 されれば,こ
れ まで述べて きた ことか らして,中央の女性が この主題 の圏内に入 ることはまず疑 いえないであろう。 すなわち,こ
の質素な身な りをした女性 は,何
らかの意味 あいで友情 を体現 しているのである。 し か も,友
情 を表わす この女性が,彫
刻のように画面 にそびえ,正
面観で他の人物 たちの上 に君臨す る存在 として描かれていることは,こ
の女性が個人 を超 えた普遍的,寓
意的な存在であることを強 く示唆するものである。すなわち,こ
の女性 こそ,日
常的表現の奥 に,擬
人化 された「友情」の意 味 を担 う存在 なのである。 註 (1)拙稿「ハ ンス・ フォン・ マ レーの『ナポ リのフレスコ画』 について」(■)は鳥取大学教養部紀要第17巻,昭和58 年 (1983),77-■8頁所収。 12)画面なか ほ どに簡単 なペルゴラがあることか ら,マイアー・ グレー フェ以来 こう呼 ばれている。(3)Brief raroes an Fiedler vom l Nov 1873 1n:Meier― Graefe,Juliusi Hans von MarOes 3 Bde.Munchen 1909-1910,Bd 3,Brief NF.134
(4)最初に指摘 したの は, もちろんマ イアー・ グレー フェである。Meier―Graefe,J:op Cit,Bd l,S269 脩
)マ
レーの作品中,建築物が画中に見 えるの は,他に,初期の「 ミュンヘ ン宮内グロッ トのある中庭」 (1862/63,M一G Nr 84,G―L Nr 53)と,晩年の三連画「求婚」(1885/87,M一G Nr 916 918,G.― L`Nr 163)の中央 図があるばか りであ る。
O h:Meier― Graefe,J:op Cit,Bd 3,Nr 126拙 稿 (上)81頁。
(7) Degenhart,Bernhard:Hans von Marё es Die Fresken in Neapet hattinchen 1958,S 45,Gerlach― Laxner,Uta:
Hans vOnふ江arOes.Katalog seiner Gemよ lde,Munchen 1980,S.133,137
(8)In i MeieF―Graefe,J:op Cit.,Bd 3,Nr 123
(9) Degenhart,B i op cit,S.45. 10 Geriach―Laxner,U :op cit,,S 133.
(1) Meier―Graefe,J iop.Cit,Bd 3,Nr 123 u Anm Geriach一 Laxner,U iop.cit,,S.137.
1) Palazzo Donn'Annaについては, ThOenes,Christof unter Mitarbeit von Thuri LOrenz:Reclams Kunstfihrer ltanen Bd vl,Neapel und Umgebung,Stuttgart 1971,S 301-3031こ こ羊し七ゝ。
(13) Thoenes,Chr i op cit,S 302 Pohl,Sieghard:Betrachtungen zun Freskenh/erk des IIans von MarOes in Neapel Dissヽ Vien 1977,S148f Geriach―Laxner,U:op cit,,S137 Hubert Robert(1733-1808)の 作品│こ ついては,これの版画がThOenesの前掲書S321の左 にあが っている。KarI Blechenの 作品「(ナポ リ湾ぞいの) 洞F写の修道僧J(1829)│こついては,Ost,Hans:Einsiedler und Mё nche in der deutschen Malerei des 19
76高
阪 一 治」ahrhunderts,DusseldOrf 1971,Abb 35としてあが っている。
QHl Teier―Graefe,」 i Op cit,Bd l,S 272
(19 GrOte,Ludwig:Hans vOnふ江arOes Die Fresken vOn Neapel Stuttgart 1958,S 13
(lo Lankheit,Klaus:Hans vOn larOes Die Wiederentdeckung der FOrm ヽVupperta1 1952,S ll またGrOte,L : op cit,S 13,17
(17) Pohl,S iop cit,S 20f またLankheit,K :op cit,S 12 (181 Grote,L iOp cit,S 14.
(19) Pohl,S iop cit,S 18
(2111 1bid
(21) Pohl,S iop cit,S 20f
(221 Hofnaann,IVerner i COurbet et larOes ln i Revue de l'art, Nr 45, 1979,S 35 1_93) Pohl,S iop cit,S 154
(241 GrOte,L iOp cit,S 13 Pohl,S iOp cit,s 29,150 (25)Pohl,S iop cit,S 19f
(20 h/1eier―Graefel」 i Op cit,Bd l,S 272
(2, Schiirer,Oskari Der BJdraum in den spaten werken des Hans vOn larёes ln i Zeitschrift filr Asthetik und
a■gemeine Kunstwissenschaft, Bd 28, 1934, S 176
¢0 1bidシュー ラーは ここで具体的に二つの消尽点 をあげている。 (20 Pohl,S iop cit,s 21f, 155-157
(30 GrOte,L :Op cit,S 17 Lankheit,K iOp cit,S 10f Von Einem,Herberti Hans vOn MarOes Bayerische
Akadenlie der l1/issenschaften,Phi10sO― histo Klasse,Sitzungsberichte,Jg 1967,Heft 4,hlinchen 1967,S 8, 12
(3D Baumgart, Fritz: Ideansmus und Realsmus 1830-1880 Dieふ /1alerei der birgerlichen Gesenschaft, K6in
1975,S 138 Und Lankheit,K :op cit,S 13 (32)Pohl,S iop cit,S 72,152
1331 Pohl,S iop cit,S 154
00 た とえばDegenhart,B:Op cit,S45
051 Meier― Graefe,」 :Op cit,Bd 2,S 161,194
00 Pohl,S i op cit,S155プ ッサ ンの「階段 の聖母子」 については,Hibbard,HOward:Poussin:The Holy
Family on the Steps,LOndon 1974を 参照。 13, Pohl,S iibid
(30 Meier―Graefe,J :Op cit,Bd l,S 274
1391 Grote,L iOp cit,S 13 Vgl Hcuss,Theodor:Die Begegnung nlit MarOes ln:Degenhart,B :op cit,S ll
10 Grote,L iOp cit,S 13f
9り Teier―Graefe,J :Op cit,Bd l,S 270
1H2) GrOte,L iOp cit,S 14 Degenhart, B :Op cit,S 45 日O Meier―Graefe,J :op cit,Bd l,S270
ハ ンス・ フォン・ マ レーの「 ナポ リのフレスコ画Jについて (中の 1)
日HI GrOte,L l op cit,S.14.Degenhart,B :op cit,S,45
lrll ふ/1cier―Graefe,J :Op cit.,Bd l,S 270 Degenhart,B,i op cit.,S 46 Ders :hIIarё es Zeichnungen,2 AufI
Berlin 1963,S 7 Ettlinger,LD :Hans vOn larOes and the Acade■lic Tradition ln:Yale Univ.Art Ga■ ery Bu■etin Nr 3,Okt 1972,Bd XXXIII,S 84.Schiff,Gert:Hans von MarOes and His Place inヽ 4odern Painting ln:Yale Univ Art Gallery Bulletin,Nr 3,Okt 1972,Bd XXXIII,S90.Hofmann,Werner:Das irdische Paradies 2 Ausg ふ江iinchen 1974,S 85 Ders :Der Weg nach Neapel ln:Frankfurter Allgemeine Zeitung von1 24 11 1978 Ders :Courbet et h/1arOes ln:Revue del'art,Nr 45,1979,S 31-36 Pohl,S iop
dt,S33f,71,73,106108,1■ 113,123f,139141,153拙 稿「 ハ ンス・ フォン・ マ レーーー その芸術 の基本 的 立場 を求 めて一―」同志社哲学年報,第3号
,1980,S5273の
注(7】 ⑬)および拙稿 (上)1983,S96f参
照。 961 Leppien,Heinlut R :Die deutschen Maler ln i Courbet und Deutschiand Ausst,Kat.Hamburg 1978,S 462“
つ た とえばフランス・ハル スが1664年に描 いた「 養老院 の理事 たちの 肖像」(ハールレム,フランス・ハルス美術館)。
ピーテル・ デ・ ホーホの風俗画,「園亭のある中庭 で飲 む者たち」(1658,エデ ィンバ ラ,スコ ッ トラン ド国立美 術館),h i Sutton,Peter C i Pieter de Hooch,Oxford 1980,CoI Plate VIIIに ついては
,建
築物 と画面右 の 人物群 との組 み合わせにおいて「ペルゴラJと似 ていな くもないが,この方が雰囲気 はず っ と柔 らかで,その相 違 も重大 である。9o Degenhart,B :Wraroes Fresken S 46.
1491 Pohl,S iop cit,S 151 Thuillier,Jacques u Michel Lac10tte(Hrsg von):Les frOres Le Nain Ausst Kat
Pa s 1978/79に あが っているル・ナ ン兄弟の作品 を見れば,「農民の家族図Jに限 らず,「ペ ル ゴラJの図 と共通 点 を もつ作品 は数点ある。ル・ナ ン兄弟の作品 とマ レー との関係 については,研究の進展が望 まれ る。なおThuillier
は同 カタログで,「農民の食事J(また「農民の家族 図J)が造形上 はエマウスでの晩賽の図か ら とられていること を指摘 している (Thuillier,Ju_M LacIOtte i op cit,S180)。 本 カタログを参照 しえたの は
,神
戸大学教授池 上忠治氏の ご好意 による。 ここに厚 く御礼 を申 し上 げる。60
ともにパ リ,ルーブル美術館所蔵。 (51) Gerlach―Laxner,U iop cit,S 1336か 拙稿「 ハ ンス・ フォン・ マ レーーー その芸術の基本的立場 を求 めて一―」
1980,S55f拙
稿 (上)1983,S90
(o3) Lankheit,Klaus:Das Freundschaftsbild der Romantik Heidelberger Kunstgeschichtliche Abhandlungen NF Bd l,Heidelberg 1952,S 163
641 Lankheit, K : Hans von Ⅲ′【arOes ヽ│「uppertal 1952,S ll
筋) Beenken,Hermann:Das neunzehnte Jahrhundert in der deutschen Kunst Aufgabe und Gehalte Versuche einer Rechenschaft Munchen 1944,S342は女主人 や老女が画面 に登場 することが この図 では本 質的である と 述べ,以 下の研究者たちはいずれ もこの フレス コ画 を厳密 な意味で友情画 とみていない。Hofmann,W i Courbet
et“raroes,S 35 Pohl,S i Op cit,S 149f Geriach― Laxner,U iOp cit,S 137 (30 1n:Lankheit,K :Das Freundschaftsbild der Ronaantik,Abb 12
67) Pohl,S iop cit,S 149
60 Meie「Graefe,」 :Op cit,Bd l,S269
(59)GrOte,L iOp cit,S 17 (60 Pohl,S iop cit,S 148
78高
阪 一 治ぞれその意味に言及した (後述
)が
・ 画面全体の意味連関を問うまでにいたってぃなぃ。6)Pom.a― i。事OtⅢ S.150. 1631 ibid
la41 Ha11,」am∝:Dictおhaiy of Sむbiects alad Synbols in Arti Rev.ed.LOndOI1 1979,S,105 tDog).Henlteri AFthuF
!nd AIbFeCh eChoれ 。.(Hr働手 von): Emblemata, Handbuch zuF Sinlabildkulast des xVI. und xvII,
JahthundeFtSI Sorlderausg,sttlttttFt lつ 78iュ6開i(Hund). m Lepoien,H.elmut R.:op.Ott,S.4骸 ,
60 Hall,J,190c仕.,S.109(DOve).Vどli Henkel,A.ind A.Sぬ もnc(Hrsg.vOn)l op.cit,S8591(T,rteltattbelal.
ハ ンス・ フォン・ マ レーの「 ナポ リの フレスコ画」 について (中の 1)
図 1 東壁 ペル ゴラ 1873年 フレスコ 350×408cm
図
5
ペルゴラ 油彩習作 735×63cmブ ッパー タール
図
2
図 1の 部分ハ ンス・ フォン・ マ レーの「ナポ リのフレスコ画」について (中の 1)
図
3
図1の部分図■ テ ィツ ィアー ノ 「マ リアの宮詣でJの部分 油彩 1534/38年
図
4
図1の部分ハ ンス・ フォン・ マ レーの「ナポ リのフレスコ画Jについて (中の 1) 図
6
グラン ト,マレー, ヒルデブラ ン トの三友人群像 油彩習作 ブ ッパ ータール フォン・ デア・ ハ イ ト美術館 図14 ヒル デ ブ ラ ン トとグラ ン トの 二 人 肖像 画 1870年 油彩 マ ンハ イム クンス トハ レ治 阪 高 図8 ニ コラ ウス・ クライ ネン ベ ル クの 肖像 油彩 習作 図
7
アン トン・ ドール ンの 肖像 油彩習作 ナポ リ 個人蔵 フランクフル ト・ アム・ マ イン シュテーデル美術研究所 図10 手す りに腰 か ける女性 油彩習作 所在不明 ベル リー ン 〈西〉 目立美術館 旧蔵 図9
牡嘱 を売 る女性 油彩習作 ベル リー ン 〈西〉 国立美術館ハ ンス・ フォン・ マ レーの「ナポ リのフレスコ画Jについて (中の 1)
図
13 Nプ
ッサ ン 階段 の聖母子 1648年 油彩 ワシン トン ナシ ョナル・ ギャラ リー図
16 G
クールベ オルナ ンでの食後のひ ととき 1848/49年 油彩 リール美術館図17 ル・ ナ ン兄弟 農民の家族図 1642年 油彩 パ リ ルーヴル美術館