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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案-香川大学学術情報リポジトリ

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案

昭和ノ49年11月8 日

一 般 教 育 部 日 次 まえがき (附託)本試案作成の経過 1‖ 問題の経緯 (1)「大学における一般教育」の制度 (2)教養部の法制化 (3)サセックス方式 (4)新しい大学構想 (5)授業科目区分の弾力化 2小 間題への対処 (1)基本的事項 (2)授業料目区分の弾力化の意義 (3)後期−・般教育科目 (4)「■A科目」 (5)「副専攻」 (6)外書請託 (7)身体に障害ある学生の体育実技 3い 当面の方針 (1)基本的な前提条件 (2)実施にあたっての心構え (3)学則改正等の骨子 (附)参 考 資 料

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授業料目区分の弾力化の措置に・関する試案 64 まえがき 大学は授業科目区分の弾力化の措置をとることができるという規定が,昭和 48年11月28日の改正により大学設置基準に新たに加えられた。(参考資料1, 2)−・般教育部は,この問題が一・般教育の制度の基本にかかわって重要な意味を もつばかりでなく,大学の研究教育体制全体にわたる改革の契機を蔵している ことにかんがみ,そめ取扱いについで慎重に検討を進めてきた。本試案ほ,こ れまでの検討にもとづいて−・般教育部としての見解をとりまとめ,さらに学内 の検討に資するため作成したものである。今後この措置を実施に移すさいほ, 学内の検討の成果をふまえ,あらためて学則改正その他の具体案をねり一・般教 育部運営協議会等の審議を経ることになるであろう。 (付記)本試案作成の経過 一・般教育部は,昭48..11い28大学設置基準改正後,昭48−12−20(木)教官会議 に.おいて授業科目区分の弾力化の措置に.関する検討委員会を発足させることと し,委員に主事,常任委員および運営協議会委員をあてる。昭亜.1.25(金)検 討委員会に.おいて一・般教育部としてのとりくみの方針案をきめ,昭49小21.8(金) 教官会議において同案を承認し,「授業科目区分の弾力化に・ついては,その積 極的な意味が認められないわけでほない。しかし,無原則に利用され−・−・般教育 の解体をもたらすおそれがある。したが、つて−・般教育部としては,−・般教育の 理念・制度の根本にさかのぼりつつ,一・般教育カリキュ.ラムの再検討のなかで 具体的に検討を進める。」という方針をきめる。昭49い5‖20(月)−・般教育部運 営協議会に.おいて「授業科目区分の弾力化に関する検討について」を議題と し,一L般教育部の方針を説明して各学部でも検討する等今後の協力をもとめ, 了解をうる。昭49‖614(金)検討委員会において本試案の原案をとりまとめ る。昭49.9り20(金)教官会議にその原案を付議し,関係学科等に.おける検討を 経ることとし,昭49‖1018(金)教官会議および昭49.11.8(金)教官会議にお いて継続審議し,本試案を決定する。 1.問題の経緯 (1)「大学における一・般教育」の制度 戦後の画期的な教育制度改革の一層として,「大学における一・般教育」の

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授業料日区分の弾力化の措置に関する試案 65 制度を採用した新しい大学制度が創設された。昭和24年発足した新制度の大 学ほ,教育上の基本的な枠組としヤー・般教育科目,外国語科目,保健体育科 日および専門教育科目の授業科目区分を設定し,その区分に.したがって授業 科目を開設し,また卒業の要件としての修得単位数を規定することとなっ た。(「大学基準」昭22.7.8大学基準協会決定) それとともに−・般教育担当学部を定め,新たに.設けられた−L般教育に.関す る研究協議を推進することとなった。(大学基準協会一・般教育研究委員会報 告「大学に.於ける一・般教育」昭26.9..1) (2)教養部の法制化 しかし旧制度の意識や経済界からの要望等もあり,−・般教育・専門教育と いう授業科目区分をめぐり,在学年数4年の枠のなかでのウェイトや担当責 任について紛議を生じ,昭和31年省令として大学設置基準を制定するさい. 基礎教育科目という不明確な中間的授業料日区分をつくりだした。(「大学設 置基準」昭31−10−22文部省令) その後もー・般教育・専門教育をめく“る紛議は収まらず,やがて国大協およ び中教審は,一・般教育と専門教育とを画然と区別サーる方針のもとに,−・般教 育等をもって前期2年の教養課程を,専門教育科目をもって後期2年の専門 教育課程を編成し,教養課程ほ専任の教員組戯滋もつ教養部が,専門教育課 程は各学部が担当する構想をわ出した。(国立大学協会「大学における一・般 教育について」昭37.3,中央教育審議会答申「大学教育の改善に.ついて」昭 38い1)それに.より昭和38年教養部の法制化が実現し,また省令により−・般教 育等と専門教育科目を区別して講座または学科目を置くことが始められた。 本学は,昭和40年から教養部設置の可否についての検討を始め,昭和44年・一・ 般教育部規程(案)を決定し,昭和46年一・般教育部を設置した。 前述の一・連の方針のもとに大学設置基準の改正が検討され,一・般教育科目 から基礎教育科目を分離することを含む案が答申された。(大学基準等研究 協議会答申「大学設置基準等の改善について」昭40‖3..31)この答申は−・般 教育の軽視につながるという批判が強く,直ちには実施の運びに.至らなかっ た。しかし,昭和娼年大学設置基準が改正された。その骨子は,一・般教育科

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授業科目区分の弾力化の措置に.関する試案 66 目についてほ「人文,社会および自然の三分野にわたり36単位」とするこ と,一・般教育科目36単位のうち12単位までは外国語科目,基礎教育科目また は専門教育科目の単位で代えることができるとすること等である。(「大学設 置基準の一・部を改正する省令の制定について」昭45”9い19文部事務次官通達, 文部省「新しい大学設置基準一一・般教育−」)本学は,この改正に応じて 学則を改正することをしていない。 (3)サセックス方式 大学紛争の過程へさしかかるにつれて教養部制に対する批判が高まり,国 大協はあらためてイギリスのサセックス大学等の例をとり,−−・般教育と専門 教育とは一・体的に.行なわれるべきものとし,「教養教育の授業科目と専門教 育の授業科目とを画然と区別して考え.ることは適当といわれぬであろう」と し,教養課程と専門教育課程との制度上の区分の廃止,あるいは専任教員制 に代る全学出動方式の採用を提案するに至った。(参考資料3) このいわゆるサセックス方式,す−なわち−L般教育・専門教育の授業科目区 分を設けず…L般教育と専門教育とを「・体的に行なうという方式は,大学数具 に.とって理念的に選解しやすいものであるだけに,諸大学の改革案の多くが 「大学に.おける一・般教育」の制度を肯定しつつも,その考え方を基調として いる。本学の大間研報告もほぼ同様の考え方を述べている。(参考資料4) このようにして教養部の解体ないし改革ほ,大学改革の中心課題となるに 至った。 (4)新しい大学構想 いわゆるサセックス方式をとり一・般教育と専門教育とを一・体的に.行なうこ とは,それ相応の,例えばサセックス大学のような研究教育体制をもつ大学 においてはじめて実現を期待しうることである。それは単なる制度上の授業 科目区分の廃止,あるいは教養部の解体ないし改革に.よって解決される問題 ではなく,大学の研究教育体制の改革にかかわる問題である。諸大学の多く はそのような大学のあり方を模索しつつ改革案を作成したが,国大協はそれ らの改革案を集約・整理して一・般教育と専門教育とを一・体的に行なう新しい 大学の構想をえがきだした。それは,研究と教育の一・体性,−−・般教育と専門

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ま受薬科目区分の弾力化の措置匿関する試案 67 教育の−・体性を基本原則としつつ,−・般教育・専門教育の授業科目区分を廃 するとともに.従来の固定的な学部・学科・講座の区分を廃して新たに機能的 に教員組戯を基礎として研究組願および教育・学習組戯を構成し,学生の学 習は主専攻,副専攻の制度を活用することを骨子とする新しい総合大学の構 想である 。(参考資料5)諸大学のうちとくに旧来の伝統的な総合大学,ま たはそれに準じる規模の大学は,現在すでに.マン・モス化しているだけに抜本 的な改革を必要としているが,それらの大学構想(例えば東京大学,広島大 学)は国大協のそれと軌を一・にしている。 このような情勢をうけて,中教審答申は,一・般教育・専門教育の区分の廃 止に関して国大協同様の見解をとっているものの,その前提となる大学構想 ・・についてほ,大学としての基本原則の普遍性よりも,目的性格や学生の進路 に応じた現実の多様性を強調し,それに.より制度上種別化し類型化する方向 を示している。 (中央教育審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡 充整備のための基本施策について,第3章高等教育の改革に関する基本構 想」昭46ハ6.11)その結果,一・般教育・専門教育の区分を廃することは文字 どおり一・般教育の解消をもたらすのでほないかという危惧の念を残してい る。 (5)授業科目区分の弾力化 −・般教育・専門教育の授業料ノ目区分を設けないサセックス方式に.ついて, 国大協は次の二つの難点を指摘している。一つは「今日の大学人の気風とし ては・…‥一・ 般教育を業としない教員集団に.よってどこまで−・般教育の目標が 達成されるかはすこぶる疑問である」ことである。いま一つは,「大量の学 生をどうさばくかは,時間割編成上の大きな問題であり,そのための有効な 組織が考えられなければならない」ことである。(参考資料6)したがっ て,現状においては,−・般教育・専門教育の授業科目区分を廃するのでな く,その区分の趣旨にもとづいて−・般教育に関する責任体制を明確にし,そ のうえで授業科目区分の弾力的な運用をはかることが妥当な措置であるとい えよう。 昭和48年創設の筑波大学は,研究教育上の基本組織として学部でなく学

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授策科目区分の弾力化の措置に関する試案 68 群・学系を置き,とくに−・般教育担当部局は設けず,カリキヱ.ラムもー・般教 育と専門教育とを有機的に総合した形で4年間を通じて編成するという新し い構想のもとに計画されたが,叫・般教育・専門教育の授業科目区∵分を弾力的 に.運用サーることによって新構想を実施に移すこととした。その創設に.ともな い大学設置基準が改正され,授業科目区分の弾力化の措置が規定された。 昭和49年創設の広島大学総合科学部ほ,一・般教育を核心す−る新構想の総合 大学への過渡的段階として,教養部を拡充改組した新構想の−・般教育担当学 部であるという。授業料目についてほ弾力化の措置を活用し,教員について は−・般教育・専門教育の区分なく全員が新講座ケこ配置され,−・般教育・専門 教育・大学院教育を担当するという′如こおいて現行の東京大学教養学部と異 なも。 しかし,このような授業科目区分の弾力化の措置は,新構想の大学・学部 の創設をまつまでもなく,大学設置基準の改正以前からすでに一・部の大学に おいて実施されてきたところである。(参考資料7) 今後この措置は,各大学において,大学の将来構想,大学改革とかかわり あいながら,検討され実施されていくであろう。

2。問題への対処

(1)基本的事項 大学にとって,また大学構成員個々に.とって,研究と教育,−−・般教育と専 門教育ほ.−L体であることが理想であり,その−・体化をはかることを原則とす る新しい総合大学の構想,例えば国大協の大学構想は,大綱に.おいて,本学 を含め現代の大学に妥当し,その改革の方向となしうるものであることを, まず共通理解としておいてよいであろう。 研究と教育,−−・般教育と専門教育が−・体であることを理想とし,しかも一 体であることが崩れがちな傾向のなかでその一・体化をはかるためには,あえ て−・体化すべき枚能・要素を区分して考え扱うことをせざるをえないのが現 実である。すなわち一・体化を目的とし,区分を手段とするということであ る。このことは,区分そのものを目的化し,区分される各機能・各要素を絶 対化することを斥けるとともに,区分を経ない,区分された各機能・各要素

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授業料目区分の弾力化の措置に関する試案 69 の自立性を媒介としない形式的■■・・‖】・・体化を目的とすることを否定している。そ のような目的・手段の体系のなかで,−・体化と区分というみかけ上の二律背 反に.とらわれて不毛の形式諭におちいることなく,客観的に問題の実質をと らえ,しかも主体的な実践の問題として責任のある対処をすることこそ,大 学の自治の本領であるといえよう。 新しい大学構想のもとに今日の大学のおかれている状況を考えるとき,一 般教育の制度を持続し,−・般教育の責任体制を確立し,一・般教育の理念体系 を明確にすることは.,ますます重要であると判断せざるをえない。 一・般教育は,もともと自律的な人間形成をめざす総合的な教育機能として 成立しているものであり,専門教育と異なる独自の制度,責任体制および理 念体系が必要であるとしても,個々の授業料日,個々の担当教官まで一・般教 育に限定して専門教育と区分する必然性をみいだすことはできない。したが って,上述の基本的事項に混乱をひきおこすことのない限り,そして積極的 な意義を認めうる限り,−・般教育,専門教育それぞれの立場において協力し 授業科目区分の弾力化をほかることがあってしかるべきである。 (2)授業科目区分の弾力化の意義 授業科目区分の弾力化ほ,直接的には,教育課程編成の自由度,すなわち 生彩ある教育計画の可儲性を拡大することに.ある。ひぺ、てほ従来−■・般教育と 専門教育とを機械的に.区分する方式を標準としてきた大学の教育課程を,一 般教育と専門教育とを区分したうえで一価化をはかる方式に麿換する羊とに あるといってよい。 教育課程は,本来,学生にとって,学生の知的・学問的成熟発展にとっ て,総合的であることを基本とするものである。学則その他の規定はその水 準を維持するために二次的・外的条件にすぎない。ところが,これまで教育 課程の編成,指導および学生の履修は,とかく学則その他の規定に依存しす ぎるきらいがあった。今後たえず基本にたちかえって教育課程を検討し,構 想し,改革する余裕・自由をとりもどすことができるとすれば,授業科目区 分の弾力化の意義は大きいといえるであろう。 これまでも一・般教育に関しては,旧来の博学的・虚飾的な教養観念,ある

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授業料日区分の弾力化の措置に関する試案 70 いは講義・説明本位の教育通念からの脱皮をめざす新しい教養教育の考え方 が,しばしば拷起されてきた。それほ,概していえば,学生が専攻し,また は関心をもつ問題を中心としてその多面的・多層的な問題領域に.対する知的 探究を深め,広げて問題の解決・解明にあたるとともに.,獲得した知識の体 系化・構造化を進める過程を教育課程の基本とするものである。そして,そ れらいくつかの問題を中心とする専門的探究が,さらにそれらを主体的に総 合し統一しようとする専門的探究を包含することに.よって一・般教育の成果を あげることを期待するものである。専門教育に.関しても発想の転換が必要で あろう。 いずれにせよ,一・般教育と専門教育の一・体化,すなわち教育課程の学生に とっての総合化は,教育課程を単に.よこわり塑からくさび型ないしたてわり 型に改めてすむものではなく,両者に共通する「知ること」「考えること」 「学ぶこと」の根源にまでさかのぼることを余儀なくさせるものである。そし て新しい意味での総合的な大学構想への途を開くいとぐちとなりうるもので ある。 次項以下に.おいて,−・般教育に.閲し,授業科目区分の弾力化について具体 的に検討しうる主な問題事項をあげる。 (3)後期−・般教育科目 後期一・般教育科目は,「一・般教育修学案内」にその趣旨がのべられている が,要するに後期(第3∼4年次)の学生を対象とする一・般教育科目であ る。望ましいとされるくさび型の教育課程が実質的な意味をもつために.は, 主として前期(第1∼2年次)の学生を対象とする科目を後期の学生も選択 履修しうるということでなく,科目の種瑛にもよるが,後期の学生が履修す るにふさわしい内容・方法をもつ一・般教育科白が開設されていてしかるべき である。現在のところ時間割上よこわり型をとっているため後期一・般教育科 目を履修する学生数も少なく,授業効率上開設科目数も限られているが,専 門教育科目または外国語科目として開設される科目のなかで後期一・般教育科 目の趣旨に該当する科目は少なくないものと思われる。 (4)「A科目」

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授業科目区分の弾力化の措置笹関する試案 71 国大協の新しい大学構想のなかで,次のようなカリキュラム秦がのべられ ている。各専攻ごとに編成されるカリキュ.ラムのなかで,講義ほA,B,C の三段階とし,A科目は「当該専攻分野の初等的かつ基本的な問題をえら び,できるだけ広い視野からとらえることを主眼とし,学問の歴史的発展, 方法的側面ならびにその社∴会的意義などの解説を通じて学問への展望を与え る入門的なもの」である。そして1「ひとつの学問的領域への学習をめざす 学生が,それを関連する他の専門領域に対する理解をふかめ,あるいは専攻 する学問とヒュ.−・マニチイとのかかわりをさらに掘り下げてほあくするなど の目的に.他の専攻に属するA科目を活用できるような配慮が望ましい。」と している。 このことは,現行制度のもとで,専門教育科目として開設するA科目を専 攻外の学生に対してほ.−・般教育等として履修することを認め,逆に−・般教育 等として開設するA科目同等の科目を専攻の学生に対しては専門教育科目と して履修することを認める可能性を示唆している。その場合,A科目の内容・ 方法は,専攻の学生にとっての専門教育科目,専攻外の学生に.とっての−・般 教育等という条件を充足することが要求されることになる。 この方法は,カリキュラムの構成を専攻中心の単純なものとし,−・般教育 等の科目の意味・内容や専攻学生との関係についてのなやみを解消すること ができるが,いわゆる基礎教育の問題とも関連して一・般教育の自立性の問題 があり,また一・般教育等として履修する学生数の問題もあり,さらに具体的 な検討が必要である。 (5)「副専攻」 従来−・般教育科目ほ個々に4単位をもって完結することを通例とし,各系 列3科目以上12単位詔9科目以上36単位を修得するものとされてきた。この ような総花的履修が一・般教育の本旨にそうものであるかどうか疑問のあると ■ころである。そこでこれまでも8∼12単位という大型の総合科目あるいは9 科目以上36単位をセットにしたコースが試みられたが,いずれも定着してい ない。それらほ.一L般教育科目の枠に束縛されて知的探究の体系的な展開を欠 き結局は網羅的な,まとまりの弱いものにとどまったためと思われる。

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授業料日区分の弾力化の措置に関する試案 72 学生が,所属学部の定める専攻(主専攻)にかかわらず,−・般教育に関す る特定の問題領域について,4単位だけでなく,さらに.深く体系的に専攻履 修(副専攻)することほありえてよいであろう。そのため,そのような問題 領域に閲し,各学部が開設する専門教育科目をも包括して総合的なカリキュ. ラムを編成し,一・般教育に関する(副)専攻カリキュラムとして提示されて∴ よいであろう。その場合,一・般教育に関する(副)専攻カリキェ.ラムほ,・−・一・ 般教育に関する主要な問題領域および学部・学科の枠をこえ.た総合的な問題 領域について−・般教育部が編成し提示することが適当であろう。そのような 一一・般教育に.関する(副)専攻が−・般教育か,専門教育か,については既成概 念の限りでほ決められないであろうが,そのカリキュ.ラムの個々の科目が−一・ 般教育等か,専門教育科目か,については授業科目区分の弾力化に.より技術 的な問題として解決しうるであろう。 国大協の一・般教育・専門教育の区分を設けない総合大学構想では,「学習 がひとつの専攻領域にかたよりすぎて,境界領域の自由な学習をさまたげる ことのないよう,主専攻,副専攻の制度を活用する。すなわち,学生は所要 単位の主力をひとつの専攻におく場合にも,他の専攻を副専攻にえらび,た とえば,単位のうち主専攻50%,副専攻30%,自由単位.20%のような構成に. よって単位.を取得するものとするなどの方法が検討されるべきであろう」と している。 (6)外書講読 昭和49年度創設の広島大学総合科学部は,外国語科目について次のような 履修基準を定めている。 初修外国語6単位 既修外国語6単位 専門科目の振替2単位 (注)「専門科目の振替」は既に選択した初修または既修の外国語による 外書講読などによる振替を示す。 「専門科目の振替」を必修とする趣旨は,外国語の学習に・おいても,基礎 的な学習は別として,関心の深い,または専攻に関する内容について学習す

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授業料日区分の弾力化の措置匿関する試案 73 るのでなければ自発的な学習効果を期待することが困難であること,学術研 究活動の国際化の情勢に贋榛的に対応すること,などのようである。もちろ ん,外国語科目に.振替える授業料日は,担当教官の教授能力,授業科目の内 容・方法等についての審査を経て決定される。 なお同学部でほ外国語に関する授業料目については,外国語科目としての 必修科目のほかは,専門教育科目として開設し,学生の専政に応じ,それを 外国語科目として履修することができるものとしている。 (7)身体に障害ある学生の体育実技 本学学則は卒業の要件として「保健体育科日詰義および実技各々2単位」 を規定しているが,これと関連しで身体に.障害ある学生の体育実技の取扱い がいま検討課題となっている。大学設置基準の規定は,昭和45年の改正によ り「保鹿体育科目については,講義及び実技4単位」と改められていること を考慮し,身体に障害ある学生に対し授業料冒区分の弾力化の措置を適用す ることの可■否が検討されてよいであろう。 3.当面の方針 (1)基本的な前提条件 この措置を実施に移すための基本的な前提条件は次のとおりである。 (∋ この措置を積極的に満定し大学教育の改善に役立てようとする気運が学 内に生れること ② −・般教育部が−・般教育担当部局として一・般教育に責任を負い自律的に判 断する立場を確立し,そのうえで各学部と協議するという分担協力の貴任 体制がととのえられること (2)実施に.あたっての心構え この措置を実施するにあたっては具体的な計画が必要であるが,問題の経 緯からいって完全なものを期待することはできない。むしろ,一L部の分野, 例えば人文科学の分野から実施し,また試行錯誤をいとわず,旧来の諸概念 にとらわれない自由な発想のもとに逐次構想の枠を拡げてその内容の具体化 を進めていくことを旨とすべきである。 (3)学則改正等の骨子

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j受業科目区分の弾力化の措置に関する試案 74 この措置を実施に移すさいの学則改正等の骨子を示せば 次のとおりであ る。 ① 学則に.例えば次の条を加える。 第6条の2 第2粂に規定する授業料日の区分により開設する授業料目に ついては,別に定めるところにより,当該授業料員の区分以外の区分に. 係る授業科目として履修させることができる。 ② 学則の規定をうけて細則を定める。その要旨は次のとおりである。 授業科目の区分を振替え−L般教育等として履修させることができる授業 科目およびその区分振替の条件は一・般教育部が,また各学部の専門教育科 目として履修させることができる授業科目およびその区分振替の条件は当 該学部が,それぞれ当該授業科目を開設する学部または−・般教育部の承認 を経て,あらかじめ定め,公示し,履修上の取扱いを行なうものとする。 (一・般教育部および各学部が,この措置の趣旨に.もとづき大学教育の充実 改善をはかる見地から,それぞれ主体的な教育計画または判断基準のもと に実施するものとし,必要ある場合協議し協力することはいうまでもない こととする。) 学生が授業料目の区分を振替えて履修する場合,当該授業科目の担当教 官の承認を要するものとする。 学生が履修を開始した後,授業科目の区分を振替えることは原則として 認めない。 一・の授業科目の内容,方法,試験および評価等ほ,学生が授業科目の区 分を振替えて履修することにかかわらず,同一・とする。

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案 75

(附)参考資料

1小 大学設置基準(抄) (授業科目の区分)

第19条 大学で開設すべき授業科目は,その内容により,−・般教育科目,外

国語科目,保健体育科目及び専門教育科目に分ける。

2 前項に規定するもののほか,教育上必要があるときは,専門教育の基礎

となる授業料日として,基礎教育科目を置くことができる。

(授業科目の区分に関する履修上の特例)

第24粂 大学ほ,第19条に.規定する授業科目の区分により開設する授業料目

について−,学生の専攻との関連において教育上有益と認めるときほ,当該授

業科目の区分以外の区分に.係る授業科目として履修させることができる。

2。、大学設置基準の一部を改正する省令について(抄)

昭和48年11月28日 文部事務次官通達 2 授業科目の区分の弾力化について

(1)大学の授業科目ほ,その内容により,一腰教育科目,外国語科目,保健体

育科目,専門教育科目及び基礎教育科目のいずれかの区分に・より開設される

ものであるが,大学は,これらの区分に.より開設する授業料目について−,学

生の専攻との関連に.おいて,教育上有益であると認めるときは,当該授業科

目の区分以外の区分に偏る授業科目として履修させることができるものとす ること。(第24粂)

(2)本条ほ,現在の授業科目の区分を前提としながら,この区分を固定するこ

となく,例えば専門教育科目として開設されている特定の授業科目を学生が

−・般教育科目として履修し,又は,一般教育科月として開設されている特定

の授業科目を専門教育科目として履修することを認めることができる等,学

生の専攻等との関連において,授業科目の区分を柔軟に取り扱うことによ

り,教育課程の内容を豊富にするとともに,授業科目の無用な重役を避け,

有戚的に総合した教育課程の編成に資するものであること。

(3)このような取扱いほ,大学が教育上の配慮から定めるべきものであり,大

学は,教育課程の編成にあたって,このような履修を認める授業料日をあら

かじめ明示し,学生に対する履修上の指導を適切に行う必要があること。

桓)大学は,このような措置をとるにあたっては,(2)の趣旨により,調和のと

れた教育課程の編成に十分留意し,これによって一腰教育本来の趣旨が損わ

れたり,いたずらに専門教育に偏重する結果■を招くことのないよう十分配慮

する必要があること。

(5)上記の授業科目の区分の弾力化とも関連し,基礎教育科目について,これ

まで一般教育科目に関する授業科目のうちから開設するものとされていた規

定を改め,専門教育の基礎となる授業科目として開設されるものであること

等,その趣旨を明確にすること。(第19粂弟2項)

(14)

授業科目区分の弾力化の措忠に.関する試薬 76

3.大学における一般教育と教養課程の改善について(抄)

昭和崩年11月 国立大学協会教養課程に関する特別委員会 わが国の旧制高校(あるいは大学予科)も,高等学校令(大正7年公布)に.よれば,「つとめて 専門化をさけ……教授内容は常に他学科との全体的統一せ失うことなきを肝寮とす」と定められ ていて,大学教育の基礎として広く一般教範をあたえ,人間形成のための教育を施すことをその 使命としてきた。その点で新制大学の教糞課程と撞めて類似している。(海後・寺崎,「大学数 育」∼3斑巽以7■参照)その上に,新制大学の発足当初,一般教育の中心は,新たに大学に組み 外れられた旧制高等学校であった。これらの事情から,時に,一「股教習闇専門教育よりも程安の 低いものとされ本来の大学教育ではないといった兢念から,全学的な理解や協力が得られなか ったとも考えられるのである。教養課産と専門教育課雇とを制度上画然と区分することば,本来, 必ずしも必要ではなかった。両者を峻別することIこよって,上述の如き好ましくない傍向をかえ って助長するi■ぎかりでほなく,大学における教養教育の方向を誤らしめる恐れもあるのである。 それ故に,−・般教育,あるいは教餐課程の改革濫当っては,先ず,教範教育と専門教育との課 程上の区分をやめて,4か年の学部課程を通じて教餐教育∼広い視野と深い識見とを養う人間的 完成への教育へと専門教育,あるいは専門的分野に傾斜した教育とを,適宜,並行的に実施する 方法を考究すべきであろう。或は,それぞれの趣旨が充分に生かされている場合に.は,大学教育 を−・表として「教養教育」・「専門教育」といった別々の名称を特に用いる必要がなくなるとも 考えられる. 教乗数育であっても,大学に.おいて行なわれるかぎり,学問,もしくは学問上の専門分野から 全く離れた授業は考えられないであろう。従って,専門教育とは全く関係のない,教養教育に独 自の授業料員を月出すことも田野である。これまでは,教養課程と専門教育課程とが峻別せられ ていた関係もあって,一・般教育に独自の授業料日といったようなものがあるかのように考えられ ていたが,現行の大学設匿基準第別条第2項に,一腰教育の授業料日として掲げられている諸科 目にしても,それらはいずれも学問の専門分野に屈するものである。基準に示されているそれぞ れの単一科目が,そのままの形で一般教育の投菜科目となるのではなく,科目の形式で示されて いるそれぞれの専門分野について,教養教育の日的にかなったような授業計画をたてるよう,本 来は幅広く考えられていたのである。さきにも触れた如く,新制度採用当時のアメリカ側の当局 者も,一般教育科目と専門教育科目との間に奉質的な差異は認めず,両者の別は科目の見方,あ るいは扱い方の如何によるものとしている。それ故,教基数育の授業料日と専門教育の授業料巨 とを画然と区別して考えるのは,適当とほいわれぬであろう。

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案 77 数年前に開設されたイギリスのサセックスの大学は,カリキュラム霜碇に・衆知をあつめ,新し い大学教育を目指して努力を跡ケているが,ここには教養教育に相当するものはあるが,それは 専門教育と分離された形で行なわれてはいない。例えば,経済学第一・と呼ばれる洋裁があるとす れば,これを経済専攻の学生がとれば専門の単位となるが,他の専攻分野の学生がとれば教養の 単位となる。いわば,日本式の教範の学生と専門の学生とが机を並べて同じ講義を開き,それぞ れに必要な単位として認定される制度である。この方法に.ついては,講義の内容はかなり高い水 車のものであることが予想され他の専攻分野の学生にとって負担となるのではないかとの懸念 も生ずるが.これに対してサセックス大学の当局は,いやしくも大学生である限り,自ら選んで 修めようとする科目に,ついて行けないような心配ほないという見解を示している。(「大学資 料」,第29号参照)これまで,一般教育は専門敦育よりも笹庶が低いものと考えられがちであっ たが,これらの点についてもー考を要するであろう。 また,ドイツの諸大学においてほ,全ての学部が,その学部の学生のための授業の外に,全学 の学生のための講義・演習(VorlesungenfdrH6reraller FakultEten)を多数開設しで教襲教 育に協力している。

4.香川大学大学間題研究委兵舎報告(抄)

昭和46年3月31日 香川大学 (1)一般教育をるものは元来学問の専門分化の進展の申から必要と卓れるょう丹こなったのである○ したがってわれわれは.学問の専門分化が存在しないところ佗は本来の一般教育はあ少えをい. とぃう自明の前授から出発すること忙し上う○ ところで大学教育托おぃては.すで忙述べた上うK.本来特定学問分野の専門研究の成果を教 授ナるという意味Kおける「専門教育」しか存在しなhのである。かかる大学数育こ「専門教育」 托おぃて,一般教育托対置されて専門教育とレーわれる場色 それは学生の専攻する特定領域忙か ぃてをされる体系的教育をさしてぃる。 いづこの上うを専門教育がもっとも理想的を形で行なわれてぃるものとして.しかもなかそう した専門教育のみが行なわれてぃる場食 いったぃぃかなる問題が生ずるかをみてみ上う○ 専門教育峰.もともとその学問領域作固有の対象.方乾 体系K∴とって特定の専門教育た少え てぃるのてあるカ㌔それ陀上って得られる認識力㌔豊富を総体としての現実世界との連関忙おい て.一定の限界を画されていることはぃうせでもをい。例えば自然科学の場包 その特殊領域の

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案 78 科学的認識でもって白鼠 人間,社会の統十・としての現実世界をすべて剖少切るのはせったくナ ンセンスであろう。それは特殊科学の成果をそれが本来妥当する領域をこえて;したがって.科 学的作用いること好なるからである○特殊科学のかかる「活用」は,それぞれの特殊科学の協力 托エる人間生活の豊富化とぃう本来の目的托そむき,諸科学問に混乱と衝突をもたらすだけであ る○ 特殊科学はその独自性=限界性の認識(全体的視野の形成)なくしては真狩・その科学性を発揮 しうるものではない。換言すれ吼具体的忙は特殊領域の学問としてしか存在しをhそれぞれの 学問は,その限界認識三位濫づけを欠ぃて鴫人間Kとって意味ある学問たゎえをいのである○ そ・の根拠は.特殊学問のみでは割ク切少えをh現実世界・の多様性とそれ陀規定された人間の現実 的・実践的生活の多様性 したがってまた人間そのものの多鱒性と俊雄性忙あるといっでょい○ このょうな限界認識は.しかし 一一般的陀ぃって.特殊専門領域への埋没.したがっで.また 専門教育のみの大学数青からは得られをh可能性が大きい。たとえ教員が自らの専門領域と他の それとの関吼 それの研究史上での位置づけ.さら忙は自らの研究の社会的恵味をたえず問い直 し,かつそれを教育活動匿おいて明らか托するとしても.あるいはまた彼忙ぃか托すぐれた哲学 的尭革があるとしても.をおそれが特殊専門教育として行をわれる限カ,自らの位置づけを全休 の中で積梅的かつ充分忙与えることは制約されてレ嶋。また軍実.専門教育鴫 とのエうな制約 二特化の申で行なわれるからこそ専門教育たれえているのである。 専門教育自体のもつ制約はこのエうな限界認識の確立だけ忙あるのではなぃ。専門教育吼特 定領域忙関する高度の知識の付与,研究方敬 体系の教授に上るぃわば観照的椅神=生活態度の 形成をらともかく.自然.人間,社会佗対する自由で主体的・実践的精神こ生活態度の形成とぃ う教育の任務陀対し 全面的佐答えることは決してできなぃo(詳しくは後述。)それは専門教 育の範囲をこえた独自の領域の放題なのである。 かくして.専門教育のみの教育鴫 それ自体のもつ制約のゆえ陀学生忙与えられる限界認放は 不充分たらざるをえなレヽ一般托そ・れは.自己の専攻以外の主要な特殊領域作学び.具休的にそ の領域忙闇有の対象 方法,休系佗ふれることを通じて1もっとも内容豊か忙修得されるとい ってエい。一般教育の必要を根拠とその日的吼 もっとも根源的には以上の点忙ある。 筐)上述上り以下の諸点が明らかとなる。 ① 一般教育の根拠は,多様をものの統一・たる現実世界と人間とのトータルなかかわ少の申忙あ 少,その日的は基本的忙は自らの専門の位置づけと.その位置づけを人間と社会佗とって有意 味たらしめるところの自由で主体的・能動的を椅神=生活態度の形成忙ある。一般教育の目的 忙ぃわゆる「上き市民」の形成を掲げるのは.きわめてイデオロギッシュであれ正しくなぃ。

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授業料日区分の弾力化の措置に関する試案 79 むしろ一般教育の一つの効果はそ■うした公認の価値観忙立脚した「期待される人間像」を根底 的佐批判する人間をつく少出す点灯ある。 ② 一般教育は専門教育と密接不可分な開係陀おぃて把捉されねばならなぃo したがって,■一般 教育のヨコ割少方式は,両者を機械的忙分断し.一般教育を専門教育の準備教育化するもので あって 原理的佗は誤カである○せたその極端な一変形としての「高校以下の段階Kおろすべ し」との見解にも同様の点が指摘できる粥.さらにこの見解は.一般教育をたんK社会生感匿 標準的忙必要とされる幅広h教養む教育とみ改す点で誤せってぃる。 またこれと正反対忙.「大衆化した大学」は常識ある平均的職業人の育成を目指ナ「教養大 学」たるペしとする見解がある○だがかかる「大学」はわれわれの大学のカテゴリー・佗入らな ぃ。大学は特定の専門領域の研究成果を教捜するところ夜のてある。 ③ −一般教育は,原理的灯私学生の専攻領域との関連忙おぃて.相対的に規定されるべきであ って,専攻を異托する学生佐一律に与えられる共通の学問領域をどではありえなぃ。したがっ て例え吼 A学部の専門科日が8学部の学生忙とっで一般教育科日た少うる○このことば.一 般教育が全学的事業として行をわれねばならをhことを端的K示している。 さて とのエうをわれわれの見解忙対し,大学教育忙封ぃて.それ自体としては「専門科目」 としてしふ存在しないものを,ト般教育の本旨」忙そう上う再構成したものが一般教育科日 だとする見解がある○との規定はいささかトートロジー忙類する発想であるが.それはともか く.ここ忙hう ト般教育の本旨」なるものはきわめて曖昧である。もしそれが当該科目を全 体の申で位置づけることを意味するのであれば,1授業科目でそれが与えられるはずもない。 またこの見解は,同じ学問領域を一般教育向けと専門教育向けの二億忙説くととができると しているが,はたしてそうであろうか○それはせぃぜhのところ,入門をhし概論とそうでな hものとの区別忙堕するであろう○要ナる把,特定投光科日も それ自体として,その内容忙 よって「一般」とか「専門」とか規定することはできをh。学生の専攻領域との関連を基軸忙 して,非専攻科日の1群を「「般」と規定すべきなのである。 ④ 一般教育吼 それが目的とする全体的視野の形成のために,非専攻学問系列申の主要な領域 佗ついて行なわれねばならない○一般的忙はそれは自然.社会.人文の諸系列のうち,基礎的 で主要衣領域から選択ナベきものとして上ho しかしそれら諸系列も.また各系列中の基礎的 で主要を学問領域も,歴史的忙変化するものであるから,決して固定化させてはをらなぃし, 各系列別配分単位を固定的忙考えては夜らをい。 (5)さて,具体的灯吼 一般教育科目は次の上う忙設定されるペきであろう○各系列内の主要な学 問領域.例えば社会科学の場合ならば.法観経軌歴史等々の中からとく忙基礎的科日■で.し

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案 80 かも本学の現有スタッフK∴【って充分体系的教育を行をえる科日を学部忙とらわれず匠選び.一 般教育科日とナる。かかる一般教育科日陀は2種頬あれ 5学部佗共通のそ・れと 特定学部の学 生躍とっては専門教育科日とされるものと陀別れる。後者の例をあげると.経済学部学生にとっ ては「経済学」は専門教育科日とをるが,他学部の学生忙とっては「吸教育科日とをる○このさ ぃ,学生の受講能力狩上る制約憬.それが基礎的科日である限少閑題忙な少えをho ・そし一ち1系列12単位の配分の場色 各系列内の主要を学問領域の申から一つづつツマミ食 ぃするのではなく,例えば「歴史」ならばそめ中から各授業科日を12単位.系統的搾安浦する ことを原則とすべきである。との場包 もちろん どの主要領域を選択するかは学生の自由であ る○ この上うなやゎ方佗ついては若干の異論も予想されるが.重要な点は与えられた単位枠の中一ち 浅く幅広くいわば総花的に{投教育科日を陳列し学生がそれをツマミ食ぃする従来の方式は, 専攻領域の限界認撤を養ううえで何の役佗も立たをぃとぃうことである○ そのょうを「一般教育」はおエそ教育忙不可欠を体系性をもちえ1完全を入門か通少いっづん の概論か,あるh吐トピックスの雑然たる上せ集め佐藤始し したがって時間のムダ昨季る可能 性が大草い。大学忙おける一般教育はぃわゆる幅広h「市民的教養」を与えるとと忙あるのでは をいし また5る単位の枠内でそれが与えられるはずもない○ しかし との上うなわれわれの見解忙反対し 学問の専門分化を悪として把もー般教育の任 務をその解消忙求める者もhエう○ この見解の持主鴫「全人的教育」とかの名田のもとに.事 実上学問のこんにち的発展段階(′こおいて,なかナベての学問領域佗通暁した学生を期待する看で ある○だがそれは救ぃ兜hアナクロニズムであゎ.せたこん忙ちの一般教育がかかる過剰期待忙 応えうるはずがをhoそこで現実には,それが嘩」イヒされ従来と同様総花主義=非一般教育と 稔って横行すること忙をるのである。 学問の専門分化は学問の発展の必然的帰結である。分化しえていそい学問など現実世界におい て無力である。こうした学問状況忙対応して学生もまたそれぞれの専攻忙特化し しかも1その特 化苫分菜忙上ってしか社会托奉仕できをh。こと忙大学教育佗おぃて専門教育が中核とをる理由 がある。この上うなこん忙ち的状況のもとで必要宏ことは.深化した分業が.それ忙エってはじ めて社会的忙意義あるものとモクうる協業体制を確立ナるさい.前提となるところの自巳の位置 づけを与えることである○ との位盈づけが全学間領域忙適壱舟ナることK∴とってしか与えられなlへ とぃうのは誤少である。またそのょうな通暁は,すで灯述べた「市民的教塾」を与えること以上 阿国難である。 自らの専攻領域の仕組づけ吼各系列内の1主要領域忙特化し,それを体系的K学習すること

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試薬 81 K∴とって与えられるであろうし.所定の枠内ではむしろそれ亡そが放良の方法なのである。 射 以上においては.自らの専攻領域の限界三位把づけを,主要な非専攻銃域忙接すること佗上っ て.ぃわば消極的忙明らか忙しただけである○ したがって,をおその位置づけは積極的托されて からず,各学問領域間の相互関連したがってまた現実世界の全体像も鮮明ではなh。この上うな 状況では,各領域のばらばらな認識だけが与えられる可能性がある○レ、わゆる総合コースなるも のも,−・歩誤ればかかるもの忙転落する可能性を有する。また一郎忙は「知的統合」を志向して. 「諸学連関(インターディシプリナリー)アプローチ」が一般教育の重要な方法だとする者もい るが.・それはじつは「統合」とはほど遠い諮特殊科学の方法,成果のプラグマティックな,寄木 細工的利用でしかなぃ。 問題はそ・れ忙とどまらない0.上述までの専門依域のいわば消庵的位置づけだけでは.孜お観照 的をいしたん忙アかデミックを椅神=生活感度の形成,つま少専門領域佗関する一度の醇門知識 の修得佗とどまれ.自然と社会忙対する主應的・実践的生活を期待できないであろう。 したがってここ忙,英昭現実世界の統一的・全体的認執 諸学の綜島全体性の確保を志向し その申で形成される全体的視野のもとで積極的に自己の付置づけを行かへ しかもその軍門知識 を能動的・主体的に生かしてぃく精神=生活態度の形成が絶対忙要請される。この要諦拓応える ことは,と少も蒐さず自然.人間,社会,歴史の一腰的■櫓源約諾問題に敬力組むことを意味す る。したがってそこでは当然世界観,認識論,論理学.倫理学,科学論をいし科学方法論卦よび 美学等々が取少上げられねばならをレ㌔それは結局広義の「哲学」の課題といって上い○ かくして.一般教育忙おいて「哲学」はその中核佐位置する。た■がそれはあくまで中核に位置 するものであって,一般教育科日が「哲学」のみで編成されるペきことを意味しをい。をぜなら. 諸個別科学の具休的成果をふまえることをく行をわれる「哲学」教育は余少忙も抽象的すき1し たがって無内容たらざるをえをぃからである0「哲学」を中核に その周辺忙諸個別科学を配し た形で成立する一般教育のもとて はじめて両者はその豊かな内容を与えられ.相互の発展を共 に促進されるのである。 さて,この上うな形で行モわれる一般教育が,白租 人乳社会お上び歴史等の広範な学問領 域における自己の専攻の独自性=限界認識を与え,全体の中での革極的佗監づけを可能にし そ のことを基礎忙して,他領域との積極的蓮鮮・協力を碇保する上で毘献するととは明白であろう○ したがってそ九吼逆忙専門そのものを,上少広h視野から絶えず杷え直し.また偏門外の領 域への関心の拡張にエって,専門そのもの佗上少広い基盤を提供し それ忙新たを展望を与える ことにもなるのである。 ー一也教育のもつかかる効果忙上って.さら忙,現実世界忙対する統一的・実践的精神;生活態

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案 82 度形成の可能性が与えられ・自らの専門を適正宏判断をもって●批判的・創遷的陀活用するとと が可能となるのである。

5.大学間題に関する調査研究報告脅(抄)

昭和46年6月 国立大学協会大学運営協議会 Ⅰ大学における研究と教育 (国立大学のあり方についての前提と原則) 1.研究と教育の均衡 大学における研究と教育とほ,原則的に不可分であることはいうまでもない。ただし,これら

は必ずしも無条件に両立しうるものではないことは現状の示すとおりであるが,しかも研究と教

育とは原則的に均衡を保った不可分の関係を保たなければならず,その際研究の成果はおのずか ら教育に.表現される関係に・あることが適当であろう。 大学教員は,もとより研究者でなければならない。その研究ほ,たんに大学が備えうる研究設 備に.よるばかりでなく,さらに強力な共同研究施設を基礎として遂行されなければならない。そ の理由ほ,重野−・に,特定の大学に研究設備が不均衡に集中す−ることは大学の研究能力の格差を助 長するので不可であり,欝こに,−・大学に備えられる研究設備の規模には限界があるばかりでな く,現代の学問領域ほ発達と細分化を遂げ,ことにある部門では巨大な設備を必要不可欠として いる現状から,一大学にとってこれを備えることはその能力をこえているからである。 教育は,もとより専門人を育成する技術教育,専門教育を遂行することを意味するのはいうま でもないが,その究極的な目的は人間的な教範としてのHumanit翫をふくみ,これらを両立し たかたちで充実させるものでなければならない。大学ほ,専門人を育成する役割を果たすもので あるが,たんに完成した専門家なり研究者なりを墓成すれば足りるのではない。この点につい て,各大学は共通の理解をもちうるであろう。 大学は,この恵味での研究と教育とを二つながら全うすることを理想とする。したがって大学 の教員は,研究者であるとともに,教育者であることを欠いてはならず,研究者的能力と教育者 的資質および熱意を備えるものでなければならないのである。たんに研究者であっても,教育者 的資質を欠く場合には,大学数負としては適当でないであろう。

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授業料臥区分の弾力化の措掛こ関する試案 83 乱 諸 原 則 以上のような諸前提に留意しつつ,つぎに,新たな大学のよって立つべき原則についでその要 点を挙げたい。 (1)研究と教育の関係 大学における研究と教育とは不可分でなければならないが,研究・教 育課程の全卸こわたって未分離のままに結合していなければならない,というこ七を意味しな い。むしろ,大学における教員の研究組織と教具および学生の教育・学習組織とはある段階では 分離されていることも必奏であろう。その見地から,従来の大学制度は全体として再検討され, 分離すべきものは分凝して,研究組織と教育(学習)組織にご分した上で,その縫合として再構成 すべきであろう。 ここでのべている新しい構想によれば,その教育課馨のなかに,専門的な学問領域にある程度 の債斜が含まれていることはいうまでもないが,その日的が上述のような意味での教墓教育を含 むことを忘れてはならない。しかし,従来の大学院に相当する教育ほ,大学の教育放能から・一応 離して,研究者養成ならびに研究課程として別個の組織とすることがのぞましいであろう。いわ ゆる一般教育がめざす教薬教育ほ,この構想においては,大学の教育・学習課程の全面にわたっ て施行され 学習しうるように配分されなければならない。 (2)課程の駁修 大学は本来上述の意味での教養教育を目的とし,教育・学習期間は三年ない し四年閏(六ないし八学期問)程度を基準とするが,学年制は採用しない。研究と教育の要諦に 基づいて必要欠くべからざる場合にほ,特定の専門学術分野に盈点を匿いた専門的教育課笹を備 える大学を設けることは許さるべきであろう。また,技術老あるいは国家公務員試験などのため に必要な場合にほ.上級課程を・設けることもできる。他方,学生の能力においては,専門的研究 者として成長しうる見込が大きいときには,学習期間に捉われない早期教育を開始することも. 資格認定試験などの方法を前提とすれば認めてよいであろう。 (御 所講座制,研究・教具鼠織 大学に・おける教員の研究・教育の単位組織ほ薪講日劇であり, 一講座は教授−・名からなる人員と,適正な予算および研究象教育設備を含んでいる。講座せ担 当する故掛ま,学問領域を共通粧する乾田で,原則として教員数10ないし20とし,止むをえない 場合にもその2倍程度の教員組織としての部すなわち教授田(Faculty)を構成し,教授の人乳 身分に関する最下部組織とする。しかし教授の身分についての濃終的保障は,噂瀬常付属する会 議体に.あることが適当であろうと考えられる。 教員の研究組織としては,学問領域のまとまりの上に「部」を形成し,ついで,さらに部を統 合する「専攻」に所属し,その上には「系列」があり,それらが大学全体を構成する。これらの 組織は,従来の学部,学科などの制度と全く無縁でほないが,一応それらを離れて,新たに弾力

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案 84 性,流動性を備える組織として構想されるものである。したがって,大学間に・おいて,研究者相 互間の交流なり,学生の単位履修についての互換制度なども考慮さるべきであろう。教員と学生 の教育・学習組織は,専攻を基礎とし,系列によってとりまとめられ,大学に・よって統合される。 理念としては,教員の身分制度を廃止し,大学の教員ほすべて教授とし,一人一成座制の上に 立つという構想も可能であろう。ただしその他にフェロー・(授業・研究の補助担当者)を置き, それは部に.直接所属する。なお,講座のうら若干は部に保留されて自由語座と,して境界領域ある いほ新分骨に屈する研究・教育老のために利用されてもよい。(彪冥教員組織のあり方参照) (4)研究院(大学院と附圧研究所) 従来の大学院および各附旺研究所は,−・括して,研究偽 園,アカデミ・−(国.立大学研究院)に統合され,それにほ「国立大学院」が含まれている。アカデミ ー・ほ,全国の大学の連合体に.よって運営され,従来大学院が果たしてきたような研究者肇成のい みでの教育を行なうことを含んではいるが,本質的には研究扱閑であり,総合的であり故力でな ければならない。しかも,それは公開されており,共同利用の原則に・立つべきであろう。ただ し,これに属する研究者であっても,教育者的資質を欠く者は,たとえ研究者として−の資質があっ ても,大学教眉となることは不適当であろう。 大学教眉常.ついては,その研究と教育の能力に・ついて,何らかの方法により定期的に審査をす ることが望ましいと考えられるが,その期間と方法については研究と教育の各分野忙よって異る であろう。ただし,その際,教員は自主性をそこなわれてほならず,主として自身の申告が尊重 されて然るべきであろう。 (句 学生組織 学生組織は,原則的に全学一本であり,大学の全学的本部がこれに対応する. その下部単位としては,せいぜい系列迄が役員組織選出の母胎として組織される程度であろう○ このような学生超絶に応じて,学生問題を処理するそれぞれの検閲が設けられるペきであろう○ たお,本部には,一腰的な学生へのカウソセリソグを担当する磯閑をおくのが適当であろう。 (6)その他の問題点 以上の諸点の他には,次の如き問題点があることを列挙しておきたいo a)学生福祉制度は,大幅に・改普され充宍されるべきであり,奨学金,学生保険,勤労学 生援護,保健体育,学生寮,学生食堂など,その全面的改革は切迫した必要となってい る。

b)学生の教育ほ,自発的な学習と研究への意欲をめぎめさせるために,学生用の学習設

備,図杏館などを充実させなければならない。 c)学生の自発的な学習を支えるためには,大学の各教育組織,系列,専政などにおいて, ガイダンスに常時留意しなければならない。

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授業料日区分の弾力化の措置に関する試案 85 ;d)ここに研究∩教育私鉄として構想されている各組織は,弾力的い流動的であるが,学生 の教育組織への所属関係も,同じく弾力的・一流動的であってさしつかえないであろう。 e)カリキュラムの拓成は,各教育組織が分担する。教具選任についても,同様な原則に従 うのが適当であろう。ただし,学生の要求吼 カリキュラムに関する場合にほ,その編成 に参加するための合目的的な方法により許容さるべきであろう。 Ⅱ カリキュラムの編成 学部課程は原則として4年とする。学年制をとらず単位制とし,学生は適当なガイダンスによ って自由にその履修する科目を選択できるものとする。研究者の嚢成は各大学の研究鼠殺のほか 研究院(アカデミー)に・所属する大学共同研究施設に.おいで行なわれるが,かならずしも学部課 程の修業年限にこだわらず,大学の課程の・−・定の料巨を学習し,かつ検定に.合格することによっ てアカデミーの研究員の資格をえたものは,ただちに研究生活にはいれるようにする。名専攻ご とにカリキュラムが編成されるが,学科課程は講義,演習(実習),セミナー・からなるものとす る。誇汲は全体的町知識体系をもうらするよりは各分野の基礎的な方法をとらえることに重点を おき,学生の自発的学習を助けるよう演習・・セミナー・等が活用されることが望ましい。講糞はた. とえばA,B,Cの三段階とし, A 当該専攻分野の初等的,かつ基本的な問題をえらび,できるだけひろい視野からとらえる ことを主脹とし,学問の歴史的発展,方法的側面ならびに.その社会的恵敦などの解説を通じて学 問への展望を与える入門的なもの B 専政分野のやや分化した領域における基本問題の組織的解説 C さらに分化した領域のやや高度の内容,あるいは境界俄域に屈するものに分けられる。ひ・ とつの学問領域への学習をめざす学生が,それと関連する他の専門領域に.対する理解をふかめ. あるいほ専攻する学問とヒューマニティとのかかわりをさらに.掘りさげてはあくするなどの邑的 に他の専攻にぞくするA科目を活用できるような配慮が望ましい。また学習がひとつの専攻領域 にかたよりすぎて,境界領域の自由な学習をさまたげることのないよう,主専攻,副専攻の制度 を活用する。すなわち学生は所要単位の主力をひとつの専攻におく場合にも,他の専攻を註専攻 にえらび,たとえば単位のうち主専攻50%,副専攻30%,自由単位20%のような梓成によって単 位を取得するものとするなどの方法が検討されるべきであろう。 カリキュラムの内容についてひとつの注月すべき点ほ,高等学校のそれとの閑適であり,他の

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案 86 ひとつほ改装課程と専門課程との過度の形式的分離のためにカリキーラムの一異性を欠く場合の 問題であり,これらについての組級的な研究が必要とされるであろう。 また従来の大学課程の講義がややもすれば固定した知識の体系を教授することに終始Lて,柔 軟な理解と方法の会得が鹿祝されがちであった点は改善されるべきであり,国立大学協会第1常 置委員会「大学院制度の故事について」において,大学院修士課程鑑ついて述べられた「学問分 野のあたらしいフP:/ティ■7に接し研究活動に欠くことのできない直観の養成と,新しい研究方 法の修得にたいし努力する」ことほこんごの大学課程のあり方としても充分険討されるべきであ り,そのような配慮ほ大学課程と上級課程との関連をなめらかなものとする点においても盈賓で あると考えられる。 6.大学改革に関する調査研究報告者(抄) 昭和48年12月 国立大学協会大学運営協議会 まず授来科月についていえば,現在一般教育科目として開講されているものは,そのほとんど が個別科学の入門的・概論約諾或であるが,それらが互に有依的連関をもつことなくばらばらに 行なわれているという宍暗もあって,果たしてこれらによっで一般教育の本来の日群が達成され ると考えられるかどうかが,一般教育の担当者ばかりか.その受講乱他学部教官によっても問 われている。諸科学のなかでの自分の専門の位置を知り,また自立的市民としての韮挺を身なこつ けるた削こは,個別科学に・関わるもののほか,より統合的なもの.諮領域の相関を扱うものが必 要だと考えられるのである。この批判に応えるものとしては.稔合コ・−スの試みがいくつかの大 学で行なわれており,その一層の発展が期待される〔国立大学協会教養課程に関する特別委員 会.「一般教育と教養課程並びに外国語教育及び保健体育に関する突情調査報告番」(昭和47年 11月37べ・−・ジ)〕。 しかし授業料日の問題の本質をいっそうほりさげて考えるならば,現在の制度のように,一般 教育科目と専門教育科日とを画然と区別して教育することの是非にまで問題はつながっていく。 この点について,国立大学協会大学運営協談会「大学間題に関する調査研究報告番」(昭和 亜年6月)は,「一般教育の授業料日と専門教育の授菜科目とを画然と区別して考えるのは適当 とはいわれぬであろう」として.両者が融合的・統一的な形で行なわれるための方式を模索して いる汎 この点もまた,今日の大きな問題の一つである。

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授業科目区分の弾力化の措置に関する試案 87 ー廠教育と専門教育を統一的に行なうための方式として考えられているのほ,現在のように.一 般教育の授業料目と専門教育の授菜科目を形式的に区別することをやめて,各学部の開講科月の なかから一版教育にふさわしいと判断されるものを選んで指定し,学生にそのなかから自己の専 門とにらみ合ぁせて適宜な組合せを選択させる方式である。イギリスのサセックス大学などでと られ■ている方式はその一つのタイプと見ることができよう。また,アメリカのリベラル・アー・ツ ●カレッジにおいて行なわれているのも,一般的にほ,各学科の閃許科目のうちから,全学要望 科目を選択的に.受諾する方式であり,ほぼこれに近いといえよう。 この方式笹よる場合は,後に述べるような,教養課程・教養部の問題が生まれる余地がなく, 4ケ年のカリキュラムを有横的に鼠撤しうる点で利点があると考えられ,またこれが一般教育担 当教官の粋が固定されるところからくる内容の硬直化を防ぐこともできる。しかし,その反面次 のここつの点において大きな因数を含んでいることも見逃してはならない。 すなわち野点の一つは,必ずしも一般教育を目標としないで開設された学部の投薬科目から適 当な科日を選ぶというかたち・で.はたしてどの程度まで一般教育理念が生かされるかの問題にか・ かわっている。今日の大学人の気風としては.自分の専門とする領域の研究・教育についてほ極 めて意欲的であるが,広い鱗域にわたっての研究・教育を見通すことに.,多くはほなはだ消塩的 である。そうした現況のなかで,「一般教育」を菜としない教員集団によってどこまで一般教育 の目標が達成されるかはすこぶる疑問である。 もうひとつの難点は学生数の大きさに関係するものである。大規模な大学では一戯教育の授業 ほ100名を越えるクラスによって行なわれる場合がほとんどであるが,この犬丑の学生をどう捌 くかは,時間割編成上の大きな問題であり,そのための有効な組織が考えられなければならな い。 以上の諸点を考慮した場合,一級教育の授業料日を形式的に設定しない方式は,それによる効 果が十分に期待でき,難点解消の期待が確かである場合にのみ行なわれるべきで,安易に行なわ れるべきでほないし,今日の国立大学の現状においてはまず検討段階とみなすべきであろう。そ の意味で特定の講畿を一儀的に一級教育科白であるか,専門科目であるかのどちらかのためのも のと割り切るという考えはとらないで,同一の語義が学生の専攻のとり方に応じて一般教育科月 の単位としても,また専門教育科日の単位としてもなりうるという原則をみとめた場合にも,ど の名称の講義かではなく,じっさいに開設されたどの特定の講義が一般教育科目の単位にかぞえ うるかは予め大学があリキュ.ラムを鰐成する場合に明確に.しておく必要があろう。

参照

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