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新古今時代の「風」(2)「風+動詞の連用形+て」の形態

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新古今時代の「風」(2)「風+動詞の連用形+て」の

形態

著者

見尾 久美恵

雑誌名

清心語文

3

ページ

54-65

発行年

2001-08

URL

http://id.nii.ac.jp/1560/00000349/

(2)

会 学 文 本 日 語 本 日 学 大 子 女 、し 一 圭目 、︶﹂ー ム ダ ル ト ー ノ 月

8

年 01 20 号

3

第 文 語 、し 一 圭目 、︶﹂1

新古今時代の﹁風﹂目

        ﹁風十動詞の連用形十て﹂

 本誌創刊号一注−一で、新古今時代の﹁風﹂を承接する動詞の特徴的 な形態の一つとして、初句﹁風十動詞の連体形﹂を指摘した。そして、 歌材としての風の属性や機能と和歌の表現構造とを関連づけることで、 新古今歌人の新風の一面を照らし出すことができた。そこでも指摘し たように、﹁風﹂は極めて新古今的な素材である。一方、第三句末を助 詞﹁て﹂で切る形が多いのは、﹃玉葉集﹄と﹃風雅集﹄の中核をなす京 極派歌人の歌の表現の特徴として従来から指摘されており一注2一、その 流れは新古今歌人に遡ることができるという指摘もある一注3一。では、 ﹁風﹂という素材が第三句目において﹁動詞十て﹂と結びついた形態 は、新古今歌人の特徴的な表現の一つではなかろうか。このように考 え、この形態がいかにして成立し展開してきたかという観点から、数 量的な調査を行った。調査には﹃新編国歌大観﹄を用い、長歌は含め ず、新古今時代までに成立した作品を管見において対象とした一勅撰

の形態

見 尾

久美恵

集の初見の項目はこの限りではない一。新古今時代の範囲については藤 平春男氏の説一注4一に拠り、建久元︵一一九〇︶年から承久三一一二 二一一年前半までとした。私家集は第七巻所収の順徳院の﹃紫禁和歌 集﹄までを見ている。この調査結果をまとめたものが本稿末に掲げた 表である。それぞれの表現が生まれる背景にあったと考えられる漢語 について、管見に入った限りを対照させている。これらの漢語は歌の 表現との厳密な対応はつきかねる部分もあり、今後更に検討が必要な ものであるが、風の表現の成立を考える上で重要な役割を担っている ものと思われる。  ﹁風ふけば﹂は用例も多く、﹃万葉集﹄と八代集、そして新古今歌人 を中心に用例数を記し、第三句以外の総数は初句に限っている。ここ に︵十︶で示した数は初句に用いられているもので、﹁風ふけば﹂は第 三句目よりも初句に多く見える表現であることがわかるが、慈円や定 家では逆転している。﹁風ふかば﹂も初句に多く見えるほか、第四句目 に﹁秋風ふかば﹂などと用いている例もある。﹁風ふきて﹂からは ﹁風十動詞﹂を助詞﹁て﹂で受けた形のものである。﹁風ふきて﹂も初 . 54 −

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句や第二・四句目にも多く使用されている。︵風おとづれて︶はもちろ ん主として第二・四句目に用いられる表現で、俊頼が早く、︵風たた で一も第三句目にはなく初句に西行の用例が一首見えた。最後の︹風 あれて︺と︹風みえて︺は玉葉・風雅集時代の表現であるが、参考と して記した。﹁風さえて﹂の漢語の欄に記した﹁風寒﹂は、数首の歌に 見えた﹁風寒えて﹂という表記から付記したものである。  この表に示したように、﹃万葉集﹄から三代集までは﹁風ふけば﹂を 専らとし、中に﹁風ふきて﹂が十首程度見えた。初見の欄には第三句 目のみを記している。三代集までの﹁風ふけば﹂﹁風ふきて﹂以外の用 例は、第三句以外のものでも、﹁風ふかば﹂が﹃古今集﹄の頃行われた ﹁宇多院歌合﹂︵定文︶と大斎院選子内親王に、﹁秋風ふかば﹂が﹃拾遺 集﹄一是則一に、﹁とき風ふかば﹂が恵慶に、﹁風ふけど﹂が﹃古今集﹄ 一躬恒一と﹃古今和歌六帖﹄一躬恒︶及び恵慶に見えるだけである︵な お表には入れていないが、第三句﹁風ふけど﹂が能宣に一首ある︶。後 拾遺から金葉集の時代にかけて、﹁しほ風こして﹂一能因一、﹁風おとづ れて﹂︵俊頼︶、﹁風かけて﹂一俊頼︶、﹁風さえて﹂︵仲実︶が見え、この うち﹁風さえて﹂だけが際立って多く用いられるようになる。﹁風なく て﹂以下のものは、早くても俊恵、重家、西行、俊成が始め、更に用 例数は少ないが定家、慈円、良経といった新古今歌人達が新奇な表現 を試みており、﹁風﹂を受ける動詞が多様化する。  このように見てくると、第三句﹁風十動詞の連用形十て﹂の形態は、 新古今歌人によって広げられ、深められていったものと考えられ、こ の時代の表現の特徴の一つと見なすことができよう。

 まず、千載から新古今時代に格別多く用いられた﹁風さえて﹂を見 ておきたい。﹁風さえて﹂や﹁風さゆる﹂は﹁風寒えて﹂﹁風寒ゆる﹂ と表記されることもあり、そのほとんどが冬の情景︵第三句及びそれ 以外の﹁風さえて﹂六十七首中、季節が冬と確定できたもの四十八首一 として冷たく冴えた風が吹くのを表す。ほかにも風がさえる、さえる 風という表現は様々に詠まれており、このことは、院政期から中世に おいて、積極的に冬の美を見出そうとした動向と関連するものと思わ れる。勅撰集では﹃金葉集﹄以後、冬の部が質量ともに増大し、﹃新古 今集﹄では秋とともに比率が増え、夏を越えて春に迫る数となる。﹁風 さえて﹂の初見である﹁堀河百首﹂の、  ①しながどりゐなのふしはらかぜさえてこやのいけみづこほりしにけ   り一金葉集・冬・二七三・藤原仲実・﹁氷をよめる﹂、堀河百首一 では、猪名の伏原は風が冴えて、昆陽の池水も氷が張ったと気づいて いる。﹁風さえて﹂は大気の変化であるとともに、視点を絞り込んで風 景の変化に気づく契機となっているのである。金葉集時代には﹁風さ えて﹂がほかに三首一﹁為忠家初度百首﹂一四六三・四九八一と﹁後度 百首﹂︵五三一︶で、すべて冬の歌︶見え、凍るだけでなく霜や雪が降 る景へと変化させているが、①の構成を踏襲し、歌末は﹁けり﹂と − 55 .

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﹁かな﹂であった。−  詞花から千載集時代の﹁風さえて﹂の総歌数は十八首一うち冬の景 十三首︶に及ぶ。歌合には三首見え、歌人では覚性法親王、俊恵、西 行が好んで詠んでいた。﹃千載集﹄にも、  ②よなよなのたびねのとこに風さえてはつ雪ふれるさやの中山   一千載集・轟旅・五〇二・藤原実行・﹁行路初雪といへる心をよみ   侍りける﹂一 が入集している。これまでの歌と異なり、風景の変化に対する感動で はなく、上句に都からの距離感や時節の経過を表し、﹁風さえて﹂を契 機に季節の進行を示す冬の風景を体言止めで呈示しているところに新 しさがあると言えよう。  ﹁風さえて﹂の残る四十五首一うち冬の景三十二首︶は新古今時代 の用例である。﹁風さえて﹂という表現に限った数を見るだけでも、冬 の歌の急増と冬の美の構成における﹁風さえて﹂の意義を窺うことが できる。﹃新古今集﹄に入集されたのは次の二首である。  ③そらは猶かすみもやらず風さえて雪げにくもる春のよの月   ︵新古今集・春上・二三・良経・﹁家に百首歌合に、余寒の心を﹂、   六百番歌合︶  ④さざなみや志賀のからさき風さえてひらのたかねに譲ふるなり       ︵同・冬・六五六・藤原忠通︶ ④の忠通は金葉から詞花集時代の歌人で、志賀の唐崎に吹く﹁風さえ て﹂を契機に比良の高嶺の景を想像している。この一首の構成は前代 的であり、﹁風さえて﹂は上句の場所から下句の場所へと空間を移動す る契機として用いられている。③の良経は、春になっても冷え冷えと 風が吹き霞もかからない空と、その風で雪模様に曇った春の月とが同 一の時空にあり、冬と春とが重層している。このような﹁余寒﹂の二 重の季節感を演出する詞として﹁風さえて﹂が用いられている。同時 にこの歌における﹁風さえて﹂は、空から月へと、同一の時空の中で 視線をズームインさせる契機ともなっている。﹁風さえて﹂の身に染み 入る感覚と構想力によって﹁余寒﹂の本意を追求した一首と言えよう。  ﹁風さえて﹂は、良経の歌のように春の景であるならば余寒や春の 浅さを感じさせる現象として、秋の景ならば多くが月とともに詠まれ ていた。新古今時代の冬の歌に詠まれた﹁風さえて﹂を、もう少し見 ておきたい。  ⑤はれやらぬ横雲まよひ風さえて山の端しろきゆきのあけぼの        一守覚法親王集・冬・﹁暁天雪﹂・九九︶  ⑥をしのゐるこほりのひまに風さえて心のそこぞまづはくだくる       ︵拾遺愚草員外・一字百首・冬・六〇一 ⑤は雪の朝の凄まじい天象の叙景で、﹁風さえて﹂を挟んだ上と下は同 時現象と考えられる。しかし、同一時空での現象でありながら、視点 は雲から山の端へと移動しており、その契機を﹁風さえて﹂が作って いることには注意する必要があろう。これは、③におけるズームイン と同様の効果であると考えられる。⑥の定家の歌では、﹁風さえて﹂と いう冷気が心の奥底を顕在化する契機となっている。したがって、上 − 56 −

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句は自然現象であるが、そこには心象風景も潜在している。これを ﹁風さえて﹂を契機とした外界から心象への視点の移動と捉えれば、③ ⑤の歌と類似の働きを﹁風さえて﹂が持っているものと考えることも 可能であろう。これを外界の中での視点の移動でなく、心象に向かう 視点の移動としたところが定家の新しさである。  次に、千載集時代の歌人が始めた﹁風たちて﹂﹁風こえて﹂﹁風すぎ て﹂を考察したい。﹁風たちて﹂は、   ソロタヘノ  ナミヂワケテ ヤ   ハルハ ク ル  刈司一ー  ハナモサキケ リ   甘妙之 洪道別手哉 春者来留 風立毎丹 花裳折芸里       ︵新撰万葉集巻下・春・二六五︶ を淵源として、      樹陰風来   ひざかりはあそびてゆかん影もよしまののはぎはら風たちにけり       ︵散木奇歌集・夏・三三九一 と、俊頼が題の﹁風来﹂を﹁風たちにけり﹂と詠嘆で表し、その俊頼 の子俊恵の、        た て ぱ イ  ①岡のべのならのましばに風君かへるは葛のうらばのみかは       ︵林葉集・秋・四〇一・﹁野風﹂︶ が初見である。しかしながら﹁たてば﹂という異本が見られることも あって、やはり新古今時代の、とりわけ慈円と定家の所産と言ってよ い。慈円の、  ②夕まぐれ玉まく葛に風たちてうらみにかかる露の命か       ︵拾玉集・楚忽第一百首・恋・﹁恨﹂・七八一︶

③人生無幾何、必寄天地問、心有千載憂、身無一日閑

  ながむればあまつみ空に風たちてただなに事もゆふ暮の空        ︵同・文集百首・述懐・一九九一︶ は、いずれも﹁夕まぐれ﹂﹁ゆふ暮﹂というほの暗く内省的な時空を背 景にして、﹁風たちて﹂という瞬間に内面の心理が目に映る景へと投影 される。②では露の命へと気持ちは集約していき、③では逆に空へと 解放されてはいるが、﹁風たちて﹂が心理を景に投影させる契機となる 点は共通している。定家は用例数からしても格別﹁風たちて﹂を好ん でおり、二十代後半にあたる文治・建久のいわゆる新風模索期から、 建保六年の﹁文集百首﹂に至るまでの長い期問に亘って﹁風たちて﹂ の歌を詠んでいる。  ④けふといへば梢に秋の風たちてしたのなげきも色かはるなり        ︵拾遺愚草上・重奉和早率百首・秋・五三六︶  ⑤風たちてさはべにかけるはやぶさのはやくも秋の気色なるかな        ︵同上・十題百首・鳥・﹁隼﹂・七五三︶  ⑥天の河わたせの浪に風たちてややほどちかき鵠の橋        ︵同中・後仁和寺宮五十首・秋・﹁早秋﹂・二〇二七︶

 ⑦摂政殿詩歌合、轟中眺望

  秋の日のうすき衣に風たちて行く人またぬをちのしら雲        ︵同下・雑・旅・二六八四、玉葉集・旅︶

 ⑧厭風風不定、風起花粛索

  春のゆく梢の花に風たちていづれの空をとまりともなし ■ 57 ■

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一同員外・文集百首・春・四二一︶  ⑨   団扇先辞手   はしたかを手ならす比の風たちて秋の扇ぞ遠ざかり行く        一同員外・文集百首・秋・四⋮二︶ 初句に置かれている⑤も含めて合計六首が定家の﹁風たちて﹂である。 ④は慈円の②の歌が詠まれた﹁楚忽第一百首﹂に和した﹁重奉和早率 百首﹂のもの、⑧⑨は慈円の③と同じ﹁文集百首﹂での詠である。結 果的に﹁風たちて﹂は、二人の往還によって洗練されたような感があ る。④は俊恵から慈円の歌に流れる境地に共通する。④⑤⑥⑧⑨は、 いずれも季節の変わり目に吹く風を鋭く際立たせることにより、季節 の推移に伴う気分の変化をも捉えている。⑦について、赤羽淑氏は ﹃定家の歌一首﹄一注5一の中で、漢詩文の発想や表現との類似性を指摘 され、﹁風たちて﹂も⑧の題である﹃白氏文集﹄の詩句﹁厭風風不定、 風起花粛索﹂が示す通り﹁風起﹂という漢語に拠るものであろうζ言 われている。⑦と照応する漢詩としては漢武帝の﹁秋風辞﹂の第一句 目﹁秋風起号白雲飛﹂を挙げられ、更には﹁悠然たる自然の捉え方や、 天と地を対極的に捉える世界観は、日本古来の雲や風のイメージを一 変させるに充分であった﹂と漢詩文摂取によって開かれた世界観を説 かれている。第三句﹁風たちて﹂は、旅人の漂泊の衣に風が立つさま と、その風によって旅人の遥かかなたを過ぎ去っていく白雲との対比 を、同時現象として同一の画面の中で鮮やかに行っているのである。 ⑧の歌の場合には、上句の﹁梢の花﹂と下句の﹁空﹂とが﹁風たちて﹂ を挟むことで対をなしている。風が花に吹くことによって空に舞う。 その花がいずれの空にも泊まらないという漂揺とした感覚により、風 の姿を視覚的に捉えられるとともに、行く春に対する思いがその花の 姿に投影されているのである。  ﹁風こえて﹂と﹁風すぎて﹂は、風が上句に描かれた景物を吹き越 え、あるいは吹き過ぎたのち、その景物を取り巻く全景や天上のもの、 または心の中にまで吹いて行き、点景と全景、景と心象とを重ね合わ せる作用を持っている。定家の、  ①しぐれゆくはじの立枝に風こえて心色づく秋の山ざと    ︵拾遺愚草上・十題百首・木・﹁櫨﹂・七四九、玉葉集・秋下一 では、﹁しぐれゆくはじの立枝﹂を風が越えることに気づいたその瞬問 に、一首の世界の中では、﹁はじの立枝﹂とそれを取り巻く﹁秋の山ざ と﹂、﹁しぐれゆく﹂姿と﹁心色づく﹂景とが照応し、部分は全体への 拡がりを持って全体と融合するのである。更に慈円の、  ②夏ふかきみねのまっがえ風一﹂えて月影すずしあり明の山   ︵拾玉集・百番歌合・夏・二十五番右勝・一七五五、風雅集・夏一 では、﹁夏ふかきみねのまつがえ﹂を越えてくる風が涼しさを運んでき て、眼前の有明の山の月光を涼しく感じている。夏深い中にも秋の気 配を感じ始めた感覚の変化を﹁風こえて﹂が担っていると言えよう。  ﹁風すぎて﹂の場合、上句に描かれる景物は眼前のものであること が多い。俊成の、  ①雨そそく花たちばなに風すぎて山時鳥雲になくなり − 58 ■

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     一新古今集・夏・二〇二・俊成・﹁郭公﹂、右大臣家百首一 では地上の景と上空の景とが呼応している。慈円の、  ②かるかやのしげるまがきにかぜ過ぎて心みだるる秋のゆふぐれ         ︵拾玉集・詠百首倭歌・秋・﹁刈萱乱離﹂・八四一︶ と、定家の、  ③かげきよき池の蓮に風過ぎてあはれすずしき夕まぐれかな       ︵拾遺愚草上・閑居百首・夏・三三三︶ は、実に類似した構造とリズムを備えており、ともに﹁風すぎて﹂を 契機として景と心象とが重層している。いずれも文治三年に詠まれて おり、同じ時代に共通の志向性を持ちながら新たな境地を開拓しよう としていた二人の歌人が、このように非常に類似した和歌を残したこ とは興味深い。構造とリズムという点では、慈円の②は、﹁風こえて﹂ の①であげた﹁しぐれゆく﹂とも類似している。なお、﹁風すぎて﹂は 単純な表現でありながら俊成以前に用例は見つからず、漢語の﹁風過﹂ から学んだ可能性も考えられる。  ﹁風おちて﹂﹁風ちりて﹂﹁風ふけて﹂も、慈円と定家によって造り 出された奇抜な表現である。﹁風おちて﹂の用例は、  ①春ふかき花の木ずゑに風おちて雲吹きはらふをはつせの山       一拾玉集・春・﹁泊瀬山﹂・三九七七一  ②夜もすがら野べのまくずに風落ちて月にぞあそぶ秋のこころは        ︵同・詠三十首和歌・秋・四九三三︶  ③そよくれぬならのこの葉に風おちて星いづる空の薄雲のかげ    ︵玉葉集・雑二・二一五五・定家、﹁雨中吟﹂では﹁風吹きて﹂︶ の三首にとどまる。落ちるという言葉には、風が上から下に吹き降ろ すという意味と、風の勢いが弱まるという意味があり得る。①②の慈 円の歌の﹁風おちて﹂は、風が吹き降りてという意味であろう。①は、 泊瀬山に雲がかかるように咲いている桜に風が吹き降ろし、雲が吹き 払われるように花びらが散っている光景である。②は、上空から吹き 降りる風が野辺の葛を揺らす地上の景と、上空の月の景とを重ね合わ せて、秋を楽しむ心を詠んでいる。一方、③の﹁風おちて﹂は、﹁雨中 吟﹂では﹁風吹きて﹂となっているものの、﹁そよくれぬ﹂という初句 から考えても、風が止んでという意味であろう。これについては既に 岩佐美代子氏が、﹁吹いていた風がぱったりと止んで﹂一注6一と解釈さ れている。吹いていた風が止み揺れていた葉の動きが止まるという、 動から静への転換が、視点を地上から天空へと移し、薄雲のかかる空 に星がひそやかに輝き始めるという、そのひそやかさを強調している ように思える。ここには﹃白氏文集﹄一注7一の、   霜降水返墾 風落木帰山     ︵白氏文集巻十一・﹁歳晩﹂︶ という詩句の影響が考えられるのではあるまいか。  ﹁風ちりて﹂は、  ①はるくればさくらが枝に風ちりて花の浪こすすゑのまっ山       ︵拾玉集・一日百首・﹁花﹂・九〇八︶ では花の、  ②秋ぞかし露のよすがに風散りて月吹くよひの袖のかた敷 ’ 59 ’

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      一未来記・秋・二七一 では露の縁から創り出された風を視覚化した詞である。②は後代のも のであるが、この二首以外に用例を見出すことはできない。いずれの 場合にも、散るものとしての花や露の属性から生まれた表現生言えよ う。しかし、風そのものが﹁ちる﹂という属性や動態を持っていると は言い難いため、その後用いられなかったのかもしれない。  現象としての風が感覚や心象、あるいは虚構の世界に交錯している ものとして﹁風ふけて﹂がある。﹁風ふけて﹂の初見は定家の﹁花月百 首﹂の歌で﹃新古今集﹄に入集している。その他の新古今歌人の用例 としては、ここでも慈円の一首が検索できただけである。  ①さむしろや待っよの秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫        ︵新古今集・秋上・四二〇・定家、花月百首・﹁月﹂一  ②思ひかぬるよはのたもとに風ふけて涙の川に千鳥鳴くなり    ︵拾玉集・六百番歌合・恋八・﹁寄鳥恋 勝、有家﹂・一六八三一 ともに人を待つ夜の時問が経過し、恋情は募っていくが、筆二句目の ﹁風ふけて﹂という風の感触の変化が転換点となっている。素材や状況 の上で共通するのが中国六朝時代の閨怨詩で、一例として﹃玉台新詠﹄ 一注8一所収、王僧儒の﹁秋閏怨﹂を掲げる。   斜光隠西壁 暮雀上南枝   風来秋扇屏 月出夜燈吹   深心起百際 遥涙非一垂   徒労妾辛苦 磐言君不知︵玉台新詠・巻六・梁・王僧儒﹁秋閨怨﹂︶ ﹃万葉集﹄の、   君に恋ひしなえうらぶれ我が居れば秋風吹きて月傾きぬ       ︵万葉集・巻十・二二九八・﹁寄月﹂一 という歌もそうである。これらと共通した夜を詠みながらも、定家の 歌は﹁月﹂の心を詠んだ題詠であり、したがって下句は﹁風ふけて﹂に よって導かれた月光が照らし出す幻想と見ることができる。慈円の﹁風 ふけて﹂は、悶々と募る恋情の極点に感じる風である。したがって、涙 の河に千鳥が鳴く下句の情景は、張りつめた思いが崩れ、溢れ出た悲 しみの象徴ともなっている。﹁風ふけて﹂に先行する表現として、   人はこで風のけしきもふけぬるにあはれにかりのおとづれてゆく         ︵新古今集・恋三・一二〇〇・西行、御裳濯川歌合一   雲をいとふよひのまくらに夢さめてふけゆく風に山のはの月        ︵拾玉集・詠三十首和歌・秋・四九三二︶ が挙げられる。﹁風のけしきもふけぬるに﹂、﹁ふけゆく風﹂は時間の経 過を表すとともに、作中人物に時間の長さを感じさせる。﹃源氏物語﹄ においても、風が吹くことで夜の更けるのを実感する時問経過の描写 が何度も出ている。このような用法は風が﹁吹く﹂ことと夜の﹁更く﹂ という音の類似もあって、﹁風ふけて﹂という表現の成立に密接に関わ っていたものと考えられる。第三句目に置かれた﹁風ふけて﹂は、上 句から下句へと一首が展開していく契機となっている。  ﹁風ふれて﹂は定家の、  ①桜花ちらぬ梢に風ふれててる日もかをる志賀の山越 ■ 60 一

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      ︵拾遺愚草上・花月百首・﹁花﹂・六〇五︶ が初見である。志賀の山越え道に陽光が香るのは、桜を散らさない風 が吹いているからで、その風を﹁風ふれて﹂と表現している。風の表 情を様々に実体化する定家ならではの感覚であるが、﹁風触﹂という漢 語との関連も考えられる。すなわち、   秋風触処養鳴寒 木葉零惟衣一単   夜夜愁音侵客耳 朝朝余響満庭壇︵新撰万葉集巻上・秋・一四六︶   秋風触処露不閑 吹過浪花岸前発   竹葉隠低自引杯 相説黎民女宴盛  ︵同巻下・女郎花・五二一︶   月沈頻藻銀鉤影 風触松杉玉鞍声      一新撰朗詠集上・夏・﹁夏夜﹂・一四二・田忠臣﹁池樹消暑﹂一 では、秋風が触れるところ、こおろぎの鳴き声が寒い、露がこぽれる、 あるいは風が松や杉に触れ玉の琴柱の音を奏でると詠んでいる。定家 の一首とは季節感を異にするものの、いずれも風は何かに触れるもの として捉えられている。定家以外の﹁風ふれて﹂の中に、  ②露もろきをのの篠原風ふれてやどりもあへぬ有明の月   ︵民部卿家歌合 建久六年・﹁暁月﹂・廿一番右勝・二二四・見仏︶ という歌が見え、秋風が触れて露がもろく零れ落ちる景が描かれてい るし、時代は下るか、   われもかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだる比   ︵玉葉集・秋上・四六三・伏見院・﹁五十番歌合に秋露をよませ給   うける﹂一 のような歌もある。  定家以外に用例が検索できなかった﹁風とぢて﹂は、   ふかき夜にをとめのすがた風とぢて雲ぢにみてる万代のこゑ        ︵拾遺愚草員外・一句百首・冬・一九二一 である。良山今宗貞の、   あまっ風雲のかよひぢ吹きとぢよをとめのすがたしばしとどめむ   一古今集・雑上・八七二・良峯宗貞・﹁五節のまひひめを見てよめる﹂︶ を本歌としているが、天女の姿を風が雲路に閉じ込めるという幻想を 描くところが定家らしい。  更に、新古今時代には﹁風はれて﹂﹁風くれて﹂﹁風しみて﹂﹁風もり て﹂等、多彩な表現が試みられているが、個々の説明は省略する。﹁風 さびて﹂﹁風ふりて﹂﹁風もれて﹂に見られるように、良経によっても 新しい風の境地が開拓されていることだけを指摘しておきたい。  ここまでは、﹁風十動詞の連用形十て﹂のうちで、動詞に着目して分 類を行っズきたが、最後に、風が独自の作用を一首に喚起している歌 について触れておきたい。次に挙げるのは、夢のうちにも風を感じて、 夢と現実とが甘美に交錯する束の問を詠んだ歌である。   のきちかきむめのこずゑに風すぎてにほひにさむる春のよのゆめ       ︵秋篠月清集・二夜百首・﹁梅﹂・一一〇︶   夢のうちもうつろふ花に風吹きてしづこころなき春のうたたね       ︵式子内親王集・春・二一六︶   むめのはなそでににほひのかぜこえてゆめの枕にきゐる鶯 ’ 61 ■

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        ︵千五百番歌合・春二・百十番左負∴二九・公経︶ 夢とうつつを行き来する意識の膝騰とした状態では、外界の現象と夢 の中の現象とが交錯する。五感の全てが正常に働いているわけではな く、瞼を閉じていれば視覚の情報は遮断され、無意識のスクリーンに 映っているのは現実にはない夢の景である。しかし瞼のような遮断装 置を持たない他の感覚は、様々な情報を脳に送る。膝騰とした意識は その情報を捉えて夢の景を描いていく。風が運んできた梅の香りを嗅 覚が感知した時、目覚めるのも鶯を夢の景に描くのも、膝腱とした意 識のなせるわざであろう。嗅覚や触覚あるいは温度感覚など、多様な 感覚に同時に働きかけるからこそ、風は夢と現実の交錯を促す作用を 持ち得るのであろう。

 ﹁風十動詞の連用形十て﹂の形態を個別に概観したが、新古今時代 には非常に多様な動詞を用いる試みがなされていることがわかる。そ の機能については、個々の動詞の持つ意味や他の歌語との相互作用に よる部分が大きいため、統一的な結論は避けるべきであると思われる が、一つ指摘しておく必要があるのは、風の属性との関わりの中から 新たな動詞の表現が模索されたのではないかと考えられることである。  風は、物理的には空気の流れであり、空気が動くことによって眼前 の景物に視覚的な動きを与えるだけでなく、温度や湿度、香りなどを 運んでくる。季節の推移や一日の中の時間の移り変わりを皮膚感覚で 感じることができるのは、それぞれの季節や時問に応じた風の作用に よるところが大きい生言えよう。このような風の属性に即して、表で 取り上げた﹁風十動詞の連用形十て﹂を大まかではあるが分類してみ ると、以下のようになろう。  一、視覚的に景物に動きを与える風の属性と関わるもの︵雲をはら   うなどして明るさを変化させるものも含む一    ﹁風たちて﹂﹁風こえて﹂﹁風すぎて﹂﹁風おちて﹂﹁風ちりて﹂    ﹁風ふれて﹂﹁風とぢて﹂﹁風さ一荒・寂一びて﹂﹁風はれて﹂  二、視覚的な変化が時問の推移を想起させるという属性と関わるもの    ﹁風くれて﹂  三、温度・湿度などの皮膚感覚を喚起する風の属性と関わるもの    ﹁風さえて﹂﹁風もれて﹂﹁風しみて﹂﹁風もりて﹂  四、風が喚起する皮膚感覚が時問の推移を想起させるという属性と   関わるもの    ﹁風ふけて﹂﹁風ふ一古一りて﹂ このように分類してみると、視覚的な風の属性に関わる動詞が多く用 いられている。これは、動きを伴った風を表現するにあたって、視覚 的な表現が効果を持つためと考えられよう。皮膚感覚と関わる動詞は、 ﹁さえて﹂﹁もれて﹂﹁もりて﹂﹁しみて﹂など、温度感覚に直結する動 詞が用いられている。﹁ふけて﹂﹁ふりて﹂は、風が運んでくる温度や 湿度、あるいは香りが時間経過の中で時々刻々と変化するという、微 . 62 ・

(11)

妙な感覚を表現する詞として捉えることができよう。  冒頭に記したように、第三句末を助詞﹁て﹂で切る形が多いのは、 ﹃玉葉集﹄と﹃風雅集﹄の中核をなす京極派歌人の歌の表現の特徴とし て従来から指摘されている。西下経一氏、安田章生氏、大坪利絹氏は ﹁て﹂止めの指摘とともに、これが連歌的であると言われた一注9一。その 後、稲田利徳氏、高遠二郎氏、今野鈴代氏によって、第三句末﹁て﹂が 京極派表現の特色に至る過程として、新古今時代が誕生の時代であると いうことが明らかにされた一注−〇一。今野氏は、従来型の﹁三句て﹂と区別 して、﹁て﹂を軸に上句と下句に独立した景を描き出す展開性に注目し ておられる。本稿で特に焦点を当てたのは、第三句における﹁風十動詞 の連用形十て﹂の形態であるが、これが個々の歌における上句から下句 への展開の契機となっているものが新古今歌人に多いことを見れば、京 極派の表現における﹁三句て﹂に近いものであることは明らかである。 ﹁風﹂という素材について見れば、その自在性や種々な感覚への訴求性、 また風によって喚起される情景変化のダイナミズムなどを考えてみると、 第三句における展開性を促す素材であったとも言えよう。﹁風﹂という 素材の属性と﹁三句て﹂という和歌構造との相互作用により、一首の中 における展開性が深められて行ったのが、﹁風十動詞の連用形十て﹂の 形態と見ることができるのではあるまいか。  一方、﹁風﹂の表現の多様化に漢語からの影響を指摘できるものが少 なくなかった。また、第三句を契機に上句と下句とで視点を移動させて 描かれる情景を変化させるなど、第三句の持っ展開性が、上句と下句と の間の対比的な構造をもたらしている歌も多く認められた。このような 和歌構造上の特徴について、漢詩文における対句構造との関係から既に 学会で報告したが一注11一、﹁風十動詞の連用形十て﹂の形態においても、 風という素材の持つ自在さやダイナミズムを背景として、上句と下句と の対比が行われていることだけは、ここに指摘しておきたい。 ※ 注1

3

4

﹃万葉集﹄以外の和歌、﹃新撰万葉集﹄﹃新撰朗詠集﹄所収の漢詩 の引用は﹃新編国歌大観﹄に拠る。﹃万葉集﹄は﹃萬葉集訳文篇﹄ ︵塙書房、一九七九年三月第七刷︶に拠る。 拙稿﹁新古今時代の﹁風﹂Hl﹁風﹂を承接する動詞の表現−﹂ ︵﹃清心語文﹄創刊号、一九九九年一二月一  西下経一﹃和歌史論﹄一至文堂、一九四四年一一月︶、安田章生 ﹁光厳院﹂一﹃甲南大学文学会論集﹄三九、一九六八年一一月︶、大 坪利絹﹁京極歌風の問題点﹂一大阪大学﹃語文﹄第二九輯、一九 七一年五月一  稲田利徳﹁和歌と連歌﹂︵﹃論集 和歌とは何か﹄笠間書院、一 九八四年一一月︶、高遠二郎﹁京極派歌人の表現−叙景歌第三句末 ﹁て﹂表現について−﹂︵﹃古典論叢﹄第一八号、一九八七年八月︶、 今野鈴代﹁第三句末﹁て﹂にみる展開の様相 水福門院の一つの 表情 ﹂︵﹃国語国文﹄第六六巻第三号−七五一号−、一九九七年 三月︶  藤平春男﹃藤平春男著作集 第−巻 新古今歌風の形成﹄︵笠問 − 63 −

(12)

5

6

7

8

9

01

1

1

 見尾久美恵﹁藤原定家の和歌における対句的発想とその表現﹂  注3に同じ。  注2に同じ。  ﹃玉台新詠﹄の引用は新釈漢文大系︵明治書院︶に拠る。  ﹃白氏文集﹄の引用は日本那波道円活字本に拠る。 月一  岩佐美代子﹃玉葉和歌集全注釈下巻﹄︵笠問書院、一九九六年九 九九頁  赤羽淑﹃定家の歌一首﹄一娑楓社、一九七七年八月︶一八九−一 書院、一九九七年五月︶所収﹁新古今時代歌壇の範囲﹂ ︵第十八回和漢比較文学会大会口頭発表、一九九九年一〇月一〇 日、於早稲田大学︶ ■ 64 ■ ︹付記︺本稿は、一九九八年八月に行われた﹁ノートルダム清心女子大   学日本語日本文学会第一回研究発表会﹂での口頭発表の前半部分   に基づく。貴重なご意見をいただいた神部宏泰先生にお礼を申し   上げます。        ︵みお くみえ/本学助手︶

(13)

総 数

勅撰集の初見

初   見

主要歌人別用例数

第三句以外 第 三 句 の総数 漢 語 万2一十3︶、古今一十4一、後撰一十−一、拾遺1︵十−一、後拾遺−一十4一、金葉一十4一、詞花一十3一、千載0、新古今2︵十4︶、俊頼7 18 風ふけば 78 拾遺 万葉

1

一十11一、俊恵−一十2一、俊成1︵十1︶、西行1︵十2︶、良経−一十4一、慈円3︵十2一、家隆3︵十3︶、定家6︵十4一等多数 ︵初句のみ一 風ふかば

3

詞花︵贈左大臣一 定頼 定頼1、贈左大臣1、定家1

1

風ふきて 51 玉葉一山口女王、公顕一 万葉 万葉3、康資母1、登蓮1、為忠1、堀河百首︵師時一1、式子1、慈 円1、定家一﹁雨中吟﹂1一、小侍従1 11 風こして

1

ナシ 散木 俊頼1

1

一風おとづれて一

0

ナシ

7

風かけて

1

ナシ 山家 西行1

2

風さえて 95 金葉︵仲実一 →堀川百首 俊恵2、西行3、家隆1、良経2、慈円1、定家4、隆信2、後鳥羽院

8

9、宮内卿2 風寒 風なくて

1

ナシ 山家 西行1

0

一風たたで一

0

ナシ

1

風起 風たちて 41 玉葉一含定家﹁秋の日の﹂︶ 林葉 一異本﹁たてば﹂一 俊恵1、讃岐1、忠良2、慈円2、定家5、俊成卿女1

1

風起 風たたば

1

ナシ 拾愚員外﹁一句百首﹂ 定家1

0

風起 風こえて 71 玉葉︵定家一、風雅一慈円一 林葉、 重家 俊恵1、重家2、家隆3、良経1、守覚1、後鳥羽院1、慈円2、定家2

1

風すぎて 73 新古今一俊成一 →長秋詠草 俊成2、式子1、良経2、隆信2、後鳥羽院か1、寂蓮1、慈円4、定家2

1

風過 風おちて

3

玉葉一定家、﹁雨中吟﹂では 拾玉 慈円2、一定家−一

0

﹁風ふきて﹂一 風落 風ちりて

1

ナシ 拾玉 ﹁一日百首﹂ 慈円1

O

風散 風とぢて

1

ナシ 拾愚 ﹁一句百首﹂ 定家1

0

風ふけて

2

新古今一定家一 →拾愚﹁花月百首﹂ 慈円1、定家1

0

風ふれて

6

ナシ 拾愚 ﹁花月百首﹂ 定家1、有家1、通親1、小侍従1、敦房1

O

風触 風きえて

1

ナシ 拾玉 ﹁百番歌合﹂ 慈円1

0

風さびて

3

ナシ 拾玉、 月清 ﹁花月百 慈円1、良経2

1

首﹂ ︺一夜百首﹂ 風ふりて

1

ナシ 月清﹁十題百首﹂ 良経1

O

風もれて

1

ナシ 月清﹁花月百首﹂ 良経1

0

風はれて

2

ナシ 文治六年女御入内和歌 隆信1、惟明親王1

0

風くれて

2

ナシ 御室五十 阿闇梨覚延1、通具1

O

風暮 風しみて

1

ナシ 正治初 沙弥静空1

0

風もりて

1

ナシ 三百六十番歌合 権大紬言1

0

風断 風たえて

1

ナシ 正治後 源家長1

0

風止 風息 [風あれてu 玉葉一藤原定兼一 永仁五年当座歌合 一伏 見院一 □風みえて] 風雅一後伏見院一 嘉元百首 一公顕一 ※ は第三句に用例のないもの。 ︺は新古今時代を下る用例。 − 65 −

参照

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