教育における共生の意味—他者の存在を想定して—

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教育における共生の意味 ―他者の存在を想定して― 専攻 人間教育専攻 コース 現代教育課題総合コース 氏名 小川 直樹 はじめに4月題の所在― 現代の教育における課題のーつに共生がある。 文部平s隊省は2012 年に、共生社会の形成に向 けたインクルーシブ教育の方針を打ち出した。 また、近年では、ソーシャルインクルージョン という視点が掲げられている。教育的ニーズは 身体的ハンディキャップ以外にも、様々な要因 が挙げられることが指摘されている。それに伴 い、教育的ニーズの多様化も進んでいる。 しかし、 インクルーシブ教育を通して目指さ れる「共生」は、多数派を基準としたマイノリ ティの同化という形をとる場合が多い。また、 多くの実践研究においても、多数派への同化を 目指して行われている。 本研究の目的は、教育において共生がどのよ うな意味で用いられてきたかを明らかにし、教 育における共生の意味を明らかにすることにあ った。 第1章 共生の相手としての他者 共生は、「私」と他者との間において成立する 行為である。教育学では、コントロール可能な 対象として、学習者を「他者」としてきた。一 方で教育者は、学習者のコントロールに長けた 「他者」としてきた。 しかし、「教育者」や「学習者」を客体化され た「他者」として捉えることによって、双方の 他者性が看過されてしまう恐れがある。他者陛 指導教員 太田 直也 の看過は、教育における共生を考察するにあた って様々な問題が想定される。 教育学によって客体化された「他者」に代わ って、実際に「私」が出会うのは、他者陛のあ る存在としての他者である。他者性は「『私』 - 対象-他者」という、対象を介在した三項関係 において現れる。「私」と他者の関係は、この間 主観的な対象に対する意味(振る舞い)の違い によって決定される。 教育学では、この三項関係における間主観的 な対象の位置に教育内容が位置づけられる。教 育内容を基準として、「教育者-教育内容-学習 者」といった、教育的関係が取り結ばれる。こ の教育内容に関する量的・質的な欠如によって、 教育における他者が現れることが明らかになっ た。 第2 章 教育的関係の中で 教育的関係とは、「教育者ー教育内容ー学習者」 から成り立つ三項関係である。この関係は、関 係を取り結ぶ両者の間にある教育内容について の質的・量的な知的格差の解消を目的とする。 そのため、教育的関係は維持ではなく、関係そ のものの解消を目的とする。教育における他者 性の露見は、教育的関係における質的・量的知 的格差の逆転が要因のーつと考えられる。 学習者にとって、教育者は教育において他者 として現れうる者でありながら、基本的に共生

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の相手として想定されていない。この事実の前 提となる教育のコロニアリズム的性格について の議論を概観した。教育におけるコロニアリズ ム的陛格は、教育的関係における「教育者一学 習者」間の差異を本質化する役割を担う側面が ある。教育とコロニアリズムの類似性とその限 界が明らかになった。 また、日本の教育史を参照した場合、日本人 が他者性に対する感覚が欠如している傾向にあ ることが推測された。学校における「教育者- 学習者」の断絶が意識されたときに、共生に当 たって求められる寛容が試される。 第3 章 共生再考 今日における「共生」は、同化主義的傾向を 孕んだものである。イヴァン・イリイチは、「道 具」によるコンヴィヴィアリティ(自立共生性) の欠如に伴う価値の制度化について述べている。 そのことから、「共生」という価値が制度化され ているという問題が明らかになった。 また、共生それ自体について、共生という目 的を達成することに価値を見出す立場と、共生 の過程そのものに価値を見出す立場がある。「共 生」の制度化は、共生の目的における価値を重 視することによる。これは、「共生」に対する実 在主義的な期待を生み出す。 村井実は「性向善説」という動的な人間陛を 提唱している。「私」と他者による動的かつ自立 的な共生の生成は、「性向善説」という人間性を 前提とする。 この「陛向善説」の立場をとった場合、共生 の様相は多様かつ動的なものとして想定するこ とができる。共生は、他者や「私」の他者陛を 想定したとき、実在主義的な期待から離れ、コ ンヴィヴィアルなものとなっていく。 この動的な共生は、常に暫定的であり、「私」 と他者の双方に変化を迫るものとして現れるの であって、他者に多数派への一方的な同化を要 求した結果ではない。共生が動的なものとなれ l散 いつか到来するであろう新たな他者が入り 込む余地を保証できるものである。 おわりにー謙合括と今後の課題― 本論では、教育における共生の意味について 考察した。コンヴィヴィアリティの欠如に伴う 価値の制度化は、「共生」に対して実在的な期待 を抱かせ、同化主義的な意味合いを付与するこ とが明らかとなった。 また、教育において「性向善説」という動的 な人間性を採用することで、他者性を有する他 者を想定した、動的な共生を考察することがで きる。「性向善説」に基づくコンヴィヴィアルな 共生は、「私」と他者の双方に変容を迫る形で、 常に暫定的な完遂を迎える。実在主義的な期待 から見れば動的な共生は脆弱性と流動陛を持 ちうるものである。しかし、そのことは、新た な他者を迎え入れるための余剰を保つことでも あるのだ。 本論を通しての課題は、教育的関係における 「教育内容」についてである。イリイチの「道 具」という材瞬且みによって、教育内容を構成す る者の意図が、教育的関係に介入していること が明らかになった。教育内容の有し得る他者性 によって、教育的関係は複雑さを極めることが 明らかになった。今後の課題として、この教育 的関係における教育内容についての詳しい考察 が求められる。

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