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本の解決の取り組みを首脳会談の開催要件にしているからである 慰安婦問題の解決を志向することは 日韓関係において 障害を取り除き 将来における多面的な連携可能性を高めることにつながる極めて重要なことである 本研究は 慰安婦問題の経緯について説明した上で 公開されている歴史的資料を用いて戦時中における軍

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1 関係者各位 平成27 年 9 月 26 日 明治大学雄辯部2 年 戸田幸一郎

日本と韓国に橋を架ける

~慰安婦問題をいかに解決するか~

目次 0. はじめに 1. 日本の戦後処理 1-1. サンフランシスコ平和条約に基づく日本の戦後処理の過程(賠償問題に絞る) 1-2. SF 平和条約に参加していない国々に対する戦後処理(賠償問題に絞る) 2. 慰安婦問題の浮上 3. 慰安婦問題が集められる方法と過程(太平洋戦争以前) 4. 太平洋戦争期における慰安所の数および慰安婦の数 5. 総括 6. 1991 年以降の慰安婦問題の経緯 7. アジア女性基金 8. 「償い」事業の結果 9. 総括 10. 慰安婦問題解決に向けた天祐 11. 提言 12. 終わりに 13. 参考文献 0. はじめに 戦後70 年の中で、日本の 1910 年~1945 年における戦争や朝鮮の植民地支配における歴 史解釈に起因する問題は度々、外交問題にまで発展し、今日の日韓関係に大きな影響を与 えている。靖国参拝問題や領土問題、歴史教科書問題など歴史解釈に起因する問題は常に 外交ルートを通じて平和的に解決されることが望ましく、また、中国や北朝鮮による軍事 的脅威に対抗する安全保障体制の構築、第3 国でのエネルギー資源・金属資源開発の際の 経済協力など今後益々、日本と韓国は連携していくことが求められている。しかし、日韓 関係の近況を鑑みると、首脳会談が3 年間行われておらず、解決すべき問題や求められる 協力関係の構築に向けた交渉の機会を失っているのが現状である。何故ならば、慰安婦問 題は既に解決済みとする日本政府に対して、韓国の朴槿恵大統領が慰安婦問題に対する日

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2 本の解決の取り組みを首脳会談の開催要件にしているからである。慰安婦問題の解決を志 向することは、日韓関係において、障害を取り除き、将来における多面的な連携可能性を 高めることにつながる極めて重要なことである。本研究は、慰安婦問題の経緯について説 明した上で、公開されている歴史的資料を用いて戦時中における軍部の強制性や従来の日 本政府の対応を批判的に検証し、今後のあるべき慰安婦問題の解決案を提言することが目 的である。 1 日本の戦後処理 1-1. サンフランシスコ平和条約に基づく日本の戦後処理の過程(賠償問題に絞る) 慰安婦問題とは、戦前に日本軍将兵の性的暴行を継続的に受けた女性への待遇や人権に 関する問題であり、日本の戦争責任の1つである。まず初めに戦後、日本がどのような形 で戦争責任を果たしたかを国際法をもとに述べる。 1951 年のサンフランシスコ平和条約(以後 SF 条約)によって日本は主権を回復し、国 際社会に復帰した。この条約で、日本は連合国との戦争に関わる諸問題や賠償や領土、東 京裁判の受託などについて取り決められた。戦争に関わる諸問題や領土、東京裁判の受託 やその処理を巡っては、現在においてもイデオロギー対立を引き起こしているが、本研究 においては言及しない。SF 平和条約第 14 条において以下の通り記されている。 SF 条約 第一四条 (a)日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償 を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維 持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損 害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行する ためには現在充分でないことが承認される。 よつて、 1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、 日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生 産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合 国の利用に供すること・・・ → 同条は、日本の連合国への賠償義務を明記したが日本の賠償能力が不十分であること を認め、連合国が希望する場合に行われるべき賠償の形を労働力やサービスの提供に 限ることを明記している。 また、同条(b)項において (b)この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠 償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた

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3 連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合 国の請求権を放棄する。 → 同条に従い、ほとんどの連合軍は賠償請求権を放棄した。賠償請求権を放棄しなかっ たごく一部の東南アジア諸国との間にも1950 年代以降に賠償協定が結ばれる。1 SF 条約 第十九条 (a) 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生 じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄 し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の 軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。 → 日本も連合国とその国民に対する請求権を放棄すること賠償問題は解決された。 1-2. SF 平和条約に参加していない国々に対する戦後処理(賠償問題に絞る) SF 講和条約に参加していない、インド、ソ連、中華人民共和国(中国共産党)、韓国、 とは個別で対応することとなった。インドに関しては1952 年に日印平和条約、ソ連に関し ては1956 年に日ソ共同宣言を締結し、相互に賠償請求権を放棄した。中華人民共和国(共 産党)とは、1972 年に日中共同声明を締結し、国交の回復を図った。 日中共同声明 二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。 → 国民党政府の否定を意味する。台湾と相互の国家間による賠償請求権の放棄(個 人対国家による賠償請求権については棚上げ)を明記していた日華平和条約と は日中共同声明の発効と同時に失効となった。 五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請 求を放棄することを宣言する。 → 「請求」が「請求権」ではない理由は、請求権にした場合に日華平和条約が当初 から無効となってしまう為に「権」を取り外すことで同意した。そのため、国 家間の請求権中国国民が日本政府に対して賠償請求権を有するという解釈の余 1 賠償の形態は様々であるが、フィリピンやタイ、ミクロネシアなどに総額1兆110億7, 716万3,465円を支払った。 「賠償並びに戦後処理の一環としてなされた経済協力及び支払い等」 外務省より

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4 地を与えている。しかし、国家間における賠償請求権の相互放棄は約束された。 また、韓国とは1965 年に日韓基本条約を締結し、国交の回復を図った。日韓基本条約の締 結の際に、賠償請求権に関する取り決めについては日韓請求権並びに経済協力協定を結び 対応がなされた。 日韓請求権並びに経済協力協定 (日韓基本条約) 第二条 1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締 約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フ ランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含め て、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する SF 条約(参考までに) 第四条 (a) この条の(b)の規定を留保して、日本国及びその国民の財産で第二条に掲げ る地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこ れらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するも のの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及び その国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日 本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第二条に掲げる地域にあ る連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つてい る当局が現状で返還しなければならない。(国民という語は、この条約で用いる ときはいつでも、法人を含む。) →SF 条約において請求権問題は 2 国間の取決め課題としている。14 条の別段の定はこれ に該当する。 日韓基本条約において、賠償請求権は相互に放棄してことにより賠償問題について完 全に解決したものと解釈することが可能。しかし、日韓請求権並びに経済協力協定 (日韓基本条約)には以下のことが記されている。 第三条 1 この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解 決するものとする。

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5 2 1の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が 他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から三十日の期間内 に各締約国政府が任命する各一人の仲裁委員と、こうして選定された二人の仲裁委員 が当該期間の後の三十日の期間内に合意する第三の仲裁委員又は当該期間内にその二 人の仲裁委員が合意する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員 からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとする。ただし、第三の仲裁委員は、 両締約国のうちいずれかの国民であつてはならない。 → 協定の解釈があった場合には外交ルートを通じて解決することが明記されている。 日本政府は、韓国の賠償請求権放棄を条件に5 億米ドル(無償 3 億米ドル、有償 2 億米ド ル)及び民間融資3 億米ドルの経済協力支援を行った。当時の韓国の国家予算は 3.5 億米ド ル程度であったことから見れば巨額の経済支援を行ったといえる。 2. 慰安婦問題の浮上 現在、慰安婦とは公式には以下の定義で使用されている。 “いわゆる「従軍慰安婦」とは、かつての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所等に集 められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです”(デジタル記念館「慰安婦問 題とアジア女性基金」第一室冒頭より) 本研究においても慰安婦とは上記の定義で使用する。つまり、慰安婦とは基本的に戦争を している日本軍の慰安所で将兵に性的な奉仕をさせられた女性である。それはその本人の 意志に反しており、堪えがたい苦痛を感じ、人間としての尊厳を蹂躙されたといえる。も ちろん、貧しさゆえに自主的に慰安婦を志した女性もいたことは事実である。彼女達(日 本人女性に関しては強制ではない)は戦後も、日常生活の中では先程の経験を思い出すこ とはあっても口に出すことははばかっていた。ゆえに賠償請求権に関する各国の交渉にお いても議題にすら上がらなかった。しかし、1983 年に出版された吉田清治氏の「私の戦争 犯罪―朝鮮人強制連行」(三一書房)が事態を大きく変えることとなった。彼の著作は1989 年に韓国語に翻訳されて刊行された。1943 年に済州島で人かりのようなやり方で女性達 200 人を拉致連行してきて慰安婦として海南島に送ったという自分の罪を告白するという 本であった。この本が韓国社会でセンセーショナルを呼び起こし、慰安婦問題が一挙に注 目の的となった。韓国では韓国挺身隊問題対策協議会(略装「挺対協」)が結成され、日本 政府に対して慰安婦問題における日本政府の関与と強制性についての謝罪と賠償を要求す るようになった。1991 年には金学順氏が挺対協の事務所で自身が日本軍の将兵に性的な奉 仕を強いられた女性であることをカミングアウトし、本格的に慰安婦問題が公で明るみと なった。

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6 3. 慰安婦問題が集められる方法と過程(太平洋戦争以前) 1931 年に満州事変が起こり、日本軍が満州を占領する。この段階では軍が慰安所を設け るという動きはなかった。1931 年に第一次上海事変起こり、日本軍(海軍陸戦隊)が上海 地区に侵入してつくった「海軍慰安所」が最初の慰安所であるといわれている。支那派遣 軍がこの海軍慰安所をモデルに長崎県知事に依頼して、女性を送ってもらい慰安所をつく ったのが第一号だといわれている。支那覇派遣軍は1937 年の日中戦争の開始以降に一挙に 拡大し、最終的には100 万人の大群となった。関東軍、北支那方面軍、中支那方面軍、南 支那方面軍、南支那派遣軍と分かれている。軍慰安所は、軍部隊が業者に女性集めを頼み、 建物を選び、慰安所を新規に建設して、業者に経営を委託するのが広く見られたやり方で あった。そうする必要があるとして、「性的慰安ノ設備ヲ整へ」ることを指示した北支那方 面軍参謀長の通牒(1938 年)は有名な歴史的資料である。(図 A) 同趣旨の方針は中支那 方面軍にもあったことが現在では判明している。慰安所の創設に応じて必要な女性は、軍 に依頼された業者が内地で調達した。しかし、必要に応じた調達ができず内務省警保局が 本格的に協力に乗り出した。内務省警保局は同年に通達「支那渡航婦女ノ取扱二関スル件 を出した。(図B―1~3)

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(図A)北支那方面軍参謀長岡部直三郎の通牒(1938 年 6 月 27 日)

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8 (図B-1)支那渡航婦女ノ取扱二関スル件(1938 年 2 月 28 日) (デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金の取り組み より画像引用) → 慰安婦の渡航は「現地二オケル実情二鑑ミルトキハ蓋シ必要已ム得ザルモノアリ」 と認められる。だから、警察当局としても「特殊ノ考慮ヲ払ヒ実情二即ス措置ヲ講ズ ル」必要、援助する必要があると述べている。

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9 (図B-2)支那渡航婦女ノ取扱二関スル件(1938 年 2 月 28 日) (デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金の取り組み より画像引用) → 「出兵兵士遺家族」に悪影響を及ぼさず、「国際条約ノ趣旨2」にも反しないように、 以下の枠内で実施せよと述べている 2 婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約(1904)や婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際 条約(1910)などがこれに該当する。

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(図B-3)支那渡航婦女ノ取扱二関スル件(1938 年 2 月 28 日)

(デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金の取り組み より画像引用)

→ 慰安婦となる者は内地ですでに「醜業婦」である者で、かつ21 歳以上であり、親権 権者が本人の渡航を承諾する条件などが課された。

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11 こうした内務省の協力に応じて、最後に陸軍省副官も訓令を出す。(図C) 3 月 4 日「軍慰安所従業婦等募集に関する件」として各方面軍に通牒を出した。 (図C)陸軍省副官の通牒「軍慰安所従業婦等募集二関スル件」(1938 年 3 月 4 日) (デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金の取り組み より画像引用) → 中国での「慰安所設置」のため「内地二於テ」女性を募集するさい、「軍部諒解等ノ名 義ヲ利用シ」「軍ノ威信ヲ傷ツケ」、「誤解ヲ招ク虞アルモノ」、「募集ノ方法誘拐二類シ 警察当局二検挙取調ヲ受クルモノ」があるので、募集にあたっては「派遣軍二於テ統 制シ」、「人物ノ選定ヲ周到適切二シ、其実施二当タリテハ関係地方ノ憲兵及警察当局 トノ連繁ヲ密二」せよと述べている。

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12 戦争が長期化し、前線が拡大していく過程において、軍慰安所の数を急速に増やさなけ ればならなくなった。そこで、内務省や陸軍省は現地の日本軍と協力し国家的推進体制を 整えていった。日本からの慰安婦の獲得はこれまで述べてきた通り、本人の許可を得た上 で行われた。しかし、このとき、朝鮮、台湾にも女性達を集めることが要請されている。 以下は、「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金の取り組み」より引用である。 “台湾や朝鮮からの調達はどのように進められたのでしょうか。朱徳蘭女史の研究は、 1939 年の台湾での事例を明らかにしています。海南島を占領した海軍から台湾の海軍 武官に要請がなされ、そこから華南と東南アジアの軍事的経済開発のために設立された 国策会社、台湾拓殖株式会社に要請が行われました。この会社が海南島に慰安所のため の建物を建設し、業者の選定を行ない、資金の提供を行いました。業者は自分の抱える 女性をひきつれて、海南島へ渡っています。業者は日本人で、慰安婦とされた女性たち はすでに「醜業に従事している年齢21 歳以上」(朱徳蘭編『台湾慰安婦調査と研究資料 集』)の者でした。この場合は、日本本土と同じ基準で募集がなされているようですが、 この形がいつも守られたかどうかは、不明です。なお日本政府は1925 年に「婦人・児 童の売買禁止に関する国際条約」を批准するに当たって、植民地を適用外としています。” 少なくとも朝鮮からは21 歳以下の女性が渡航していることが確認されている3ことなどか ら鑑みると、朝鮮、台湾では内務省通達に縛れていなかった可能性が高いと考えられる。 沿岸部や交通の要衝を占領していた部隊の場合は、海を越えて日本、朝鮮、台湾から女性 達を集めることができたかもしれないが、内陸の山村部ではそのような可能性は低い。そ こでは、近隣の部落を襲撃して、拉致してきた女性を部隊の基地のそばの建物に監禁して、 強姦を繰り返すという形で、准慰安所が作られた。山西省ではそのような准慰安所で被害 を受けた女性たちが1990 年代末に日本の裁判所に提訴している。 4. 太平洋戦争期における慰安所の数および慰安婦の数 1941 年 12 月 8 日、日本は米英に宣戦布告し、戦線を東南アジアへ急速に拡大した。外 務省は慰安所開設の為の渡航者に対しては旅券を発行せず、「軍の証明書に依り渡航セシメ ラレ度シ」と回答した。南方占領地への慰安婦の派遣は全て軍に委ねられることとなった。 ○慰安所の数 昭和17 年(1942 年)の段階ではアジア全域で合計 400 ヶ所に及ぶといわれている。 3 和田春樹(2015)「慰安婦問題の解決のために~アジア助成基金の経験から~」P60

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13 ●中国(図D 参照) 全体数は不明だが、特に慰安所が密集していたとされる揚子江ぞいにあった慰安 所について、上海約24、杭州 4、鎮江 8、常州 1、揚州 1、丹陽 1、南京約 20、 蕪湖6、九江 22、南昌 11、漢口 20、葛店 2、華容鎮 2、応山 1、宜昌 2 を数えており、 合計で125 カ所が明らかとなっている。(図 D 参照) (図D)中国 揚子江周辺地図 デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金の取り組み より画像引用 ●南方地方 フィリピンでは、30 ヶ所、ビルマは 50 ヶ所以上、インドネシアは 40 ヶ所以上、この 3 国で 120 ヶ所以上になると推測され、南方 100 ヶ所を超えている。 ●南海地方 ソロモン諸島などの南海方面では総数は20 と推測される。

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14 ○慰安婦の数 総数を知りうるような総括的な資料は存在していない。総数についてのさまざまな意見 はすべて研究者の推算4である。 研究者たちの推算 研究者名 発表年 兵総数 パラメーター 交代率 慰安婦数 秦郁彦 1993 300 万人 兵50 人に 1 人 1.5 9 万人 吉見義明 1995 300 万人 兵100 人に 1 人 1.5 4 万 5000 人 兵30 人に 1 人 2 20 万人 蘇智良 1999 300 万人 兵30 人に 1 人 3.5 36 万人 4 41 万人 秦郁彦 1999 250 万人 兵150 人に 1 人 1.5 2 万人 昭和13 年 11 月から 14 年 12 月まで台湾各州を経由して中国へ赴いた軍慰安所関係者の 民族別構成(図E)参照 内地人 朝鮮人 本島人 台北州 649 207 229 新竹州 65 86 11 台中州 3 143 27 高雄州 218 53 117 台南州 3 72 0 計 938(49.8%) 561(40.1%) 384(20.4%) 『資料集成』1 巻 171-210、219-251、257-297、301-337、407-415 頁 高雄州は13 年 12 月の資料を欠く、台南州は 13 年 12 月、14 年7月、11 月の資料のみ データ等は「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金の取り組み 」より引用 4 推算の仕方は、日本軍の兵員総数をとり、慰安婦一人あたり兵員数のパラメーターで、 これを除して、慰安婦数を推計するやり方がある。この場合に交代率、帰還による入れ替 りの度合いが考慮に入れられる。問題はパラメーターと交代率の取り方であることは明ら かである。「兵100 人女 1 名慰安隊ヲ輸入」という言葉が金原メモに見える昭和 14 年 4 月 の上海第21軍軍医部長の報告を参考にしている。(上海第 21 軍軍医部長報告 金原節三資 料摘録より)。この数字を基準に考えれば、兵士 100 人当たり慰安婦 1 人ということは、兵 士が毎月1 回慰安所にいくとしたら、慰安婦は日に 5 人を相手にして、月平均 10 日は休ん でいるという状態となる。

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15 (図E)第二次世界大戦時における台湾の行政区分 wikipedea より画像引用) 5. 総括 慰安婦問題において、政府や軍が関与していたことは事実である。 日本側において、女性たちが慰安所で自らの意志に反して売春をしていたという事実を証 明する歴史的公文書は存在しない5が、同時に自らの意志で売春をしていたことを証明する 歴史的公文書も証明しない。あるのは、自らの意志に反して性的奉仕を強いられたという 被害者の証言、叫びである。 6. 1991 年以降の慰安婦問題の経緯 挺対協に運動や金学順氏の記者会見による韓国社会の慰安婦問題の関心の高まりを受け て、韓国側は日本側に対して慰安婦問題の真相究明とそれに基づく適切な措置を求めた。 日本側が調査を開始すると、韓国側でも国会において挺対協代表の参考人の陳述、元慰安 婦の証言が行われた。日本政府、韓国政府共に在外公館に資料調査を指示し、日韓両政府 が同時に慰安婦問題の調査研究に着手した。1992 年 1 月 13 日、宮沢内閣における加藤紘 一官房長官が談話を出した。 5 連合国側においては存在し、各国政府は強制性があったと結論づけている。

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16 朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する内閣官房長官発表 1992(平成 4)年 7 月 6 日 内閣官房長官 加藤紘一 朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題については、昨年12 月より関係資料が保管され ている可能性のある省庁において政府が同問題に関与していたかどうかについて調査を行 ってきたところであるが、今般、その調査結果がまとまったので発表することとした。調 査結果について配布してあるとおりであるが、私から要点をかいつまんで申し上げると、 慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・ 監督、慰安所・慰安婦の衛生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府 の関与があったことが認められたということである。調査の具体的内容については、報告 書に各資料の概要をまとめてあるので、それをお読み頂きたい。なお、詳しいことは後で 内閣外政審議室から説明させるので、何か内容について御質問があれば、そこでお聞きい ただきたい。 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし 難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上 げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下 に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及び その他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。 この問題については、いろいろな方々のお話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする。 このような辛酸をなめられた方々に対し、我々の気持ちをいかなる形で表すことができる のか、各方面の意見も聞きながら、誠意をもって検討していきたいと考えている。 → 韓国政府に対して、慰安婦問題における日本政府の関与を認め、謝罪した。 また、被害者に対する対応策を検討していることを伝えた。 日本が日韓条約体制(日韓関係における全ての請求権問題は終了していると解釈する体制) から踏み出して、慰安婦問題の調査を開始すると日本中の保守的な人々による批判が巻き 起こった。その代表例が、「吉田清治本」批判である。多くの研究者や出版社は慰安婦問題 が外交問題にまで発展する火種となった吉田清治氏の本の信憑性を非難した。後にこの本 は著者の創作であることが発覚したが、韓国社会は慰安婦問題の証言として現在も認識し ている。日本政府と韓国政府は継続して真相解明に向けて協力し、1993 年 8 月 4 日には調 査結果の発表及び、河野官房長官談話が発表された。

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17 慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話 1993 年(平成 5)年 8 月 4 日 内閣官房長官 河野洋平 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12 月より、調査を進めて来たが、 今般その結果がまとまったので発表することとした。 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安 婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたもので あり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接に これに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当た ったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数 多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、 慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大 きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管 理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つ けた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる 従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての 方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国 としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後と も真剣に検討すべきものと考える。 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として 直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記 憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心 が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参 りたい。 → 慰安婦問題における軍の関与や強制性があったことを認めた 韓国政府は一連の行動を高く評価したが、挺対協は慰安婦募集の強制性の認め方が「きわ めて曖昧な部分的な認定」であり、募集の主体を業者にしていると批判した。また、日本 政府に対する法的責任の追及や、賠償、責任者の処罰などを要求していくようになってい く。

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18 7. アジア女性基金 河野談話で示された慰安婦問題認識と謝罪に基づいて、日本政府が打ち出した被害者に 対する措置が、アジア女性基金の設置とその事業である。村山政権内部に与党戦後五〇年 問題三党プロジェクト・チームが結成され、事業の中身について激しい議論がなされに煮 詰めていった。日本政府にとってこの事業はSF 条約、または各国との個別の条約で請求権 に関しては解決済みであるため法的責任ではなく、道義的責任として行うこととして位置 付けられていた。 最終的には、以下の内容の実施が決定された。 ①国民からの拠金による償い金(アジア女性基金) ②総理のお詫びの手紙 ③歴史の教訓とするための事業を国がおこなうこと ④国による医療福祉事業 ①については元慰安婦の方に対して一人当たり200 万円の支給し、不足した場合には政府 が国庫から補填する仕組みとなっている。 ②については、政府の反省と謝罪の意味を込められている。 ③については政府が調査収集した慰安婦関係資料の公刊である。慰安婦問題に関する全て の公開資料は『デジタル記念館「慰安婦問題とアジア助成基金」』としてウェブ上に公開 されている。 ④についてはすでに高齢の元慰安婦たちが医療や介護のサービスを受けるためという意味 づけであり、韓国と台湾とオランダなどの被害者には一人当たり300 万円、フィリピン には一人当たり120 万円が国庫から支払われることとなった。(フィリピンが低いのは物 価水準による)これにより基金の事業は実質的な国家補填という性格をもつようになっ た。 基金の事業関する広告はメディアを通じて大々的になされ、1995 年~2007 年までには最終 的に5 億 6725 万 1590 円の寄付が募った。この事業は基本構想の段階においても国内外に おいても強い批判がなされた。国内においては、革新系である共産党や社会党内部におい ても、日本政府が法的責任を認めた上での謝罪と賠償責任を果たすことが真の和解につな がるとして、道義的責任としての本事業の不十分さを指摘した。保守系である自民党内か らは、日本の道義的責任を認めることによって本事業がアジア全体で無限に拡大すること を危惧する声が上がった。国外においては、特に韓国が基金の事業の中に自らの責任から のがれようとする日本政府の不誠実な態度を指摘し、お金を受け取らないという主張が大 きかった。その他の国においても同様の声が上がった。

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19 8. 「償い」事業の結果 ○フィリピン アジア女性基金は、フィリピンの新聞各紙にアジア女性基金の事業を説明する広告を 掲載した。「アジア女性基金は、このたび、先の大戦中に「慰安婦」とされたフィリピン の犠牲者の方々への道義的責任を果たすため、国民の償いの気持ちを表す一時金のお届 けを致します。」

disburse a sum of money to offer atonement from the Japanese people to meet moral responsibility to those who suffered as “wartime comfort women”

英文では、atonement(贖罪)という言葉が moral responsibility(道義的責任)という言葉と響 きあって好印象を受けた。フィリピンではフィリピン政府が認定した211 人の慰安婦に対 して償い金が支払われた。また、同時に医療福祉事業として被害者一人当たり120 万円を フィリピン社会福祉省に委託し、ソーシャル・ワーカーを一人一人の家に派遣して、使い 道の希望を聞いて実行することとなった。フィリピンでは償い金を受け取るか受け取らな いかは個人の決定を尊重された。 ○韓国 基金事業の説明に関して、韓国語の訳に致命的な誤りが起こされた。韓国語では「償い」 は漢字語の「補償」と訳された。韓国語では「보상(ボサン)」である。日本語の「補償」 と「償い」は、韓国語では訳し分けられず、ともに「補償」となってしまった。基金の基 本コンセプトは、被害者に対して「補償」を支払うことができないので、「補償」に代わる ものとして「償い金」を支払う、それは法的責任に対する「補償」ではないが、道義的責 任の認識、謝罪に基づく支払いである。そのときに「償い」を「補償」と訳したのでは、『「補 償」はできないが、「補償金」を支払う』という韓国の元慰安婦からすれば理解できない状 態が起こってしまい、基金のコンセプトの説明が全く伝わらず、先程の反発の声が上がっ てしまっていた。1996 年にある一人の元慰安婦の方が基金を受け取るとの意思表明があり、 支給を行ったが、これが韓国政府は「強制執行」であると非難し、韓国社会も「買収工作 である。」「罪を認めない同情金を受け取る行為は、被害者は志願して出かけて行った公娼 になる」という反発が相次いだ。最終的には韓国政府から基金の事業の停止を要求され韓 国政府が個別に見舞金を支払う次第となった。残念ながら韓国社会において、基金を受け 取りたいという元慰安婦の方の個人的な意見は全体の意見に押しつぶされてしまった。韓 国政府が認定した慰安婦被害者は 207 人であるが、基金の事業を受け入れた人はその 3 割 程度であった。

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20 ○台湾 台湾でも、韓国と同様の反発があり全体の3割程度である 13 人しか基金の事業を実施す ることが出来なかった。 ○インドネシア インドネシア政府は個別での基金事業ではなく、インドネシア政府を経由した償いを求 められ、アジア女性基金は 10 年間で総額 3 億 8000 万円の事業資金をインドネシア社会省 に与えた。高齢者社会福祉施設の建設の資金として活用された。 ○オランダ オランダ政府が認定した79 名のほとんどが基金事業を行われた。その中には男性も含ま れていた。 ○その他の国々 中国は日中共同声明において日中共同声明で解決済みの問題であるとして一切関心をし めさなかった。しかし、中国の元慰安婦の方は日本の裁判所に訴訟を起こしたが、全て 敗訴した。韓国の元慰安婦の方も同様に敗訴した。 北朝鮮やマレーシア、東チモールも同様に一切取り上げなかった。 9. 総括 2007 年にアジア女性基金は解散した。 韓国と台湾では、アジア女性基金は慰安婦被害者の多数の理解を得られず、事業を充分に 実施することは出来なかった。そのため、問題は解決したとはいえない。フィリピンとオ ランダでは、申請を出して、認定を受けた被害者は全員基金の事業を受け取ったことから、 事業は最後までやり遂げられたといえる。インドネシア、中国と北朝鮮、それに慰安婦の 存在が知られているマレーシアと東チモールは、慰安婦被害者はいまだいかなる処置をう けていない。 慰安婦問題における日本政府の批判的検証 慰安婦問題の対応を巡って日韓双方において様々な批判的検証がなされている。 以下は大沼保昭著(2007)「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪 P,66 より引用する。 ひたすら嵐が過ぎ去るのを待ち、不作為を旨として、「慰安婦」問題で韓国世論を変える努 力をまったくといっていいほど払わなかった日本政府の消極姿勢。挺対協とアジア女性基 金が話し合えばよいというだけで、みずからは強硬なNGO の説得に動こうとしなかった韓 国政府の無為。元「慰安婦」を「売春婦」「公娼」呼ばわりして韓国側の強い反発を招いた

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21 日本の一部の政治家や右派メディア。みずからが信じる「正義」の追及を優先させて、と きに元「慰安婦」個々人の願いと懸け離れた行動をとった韓国と日本のNGO。強固な反日 ナショナリズムの下で一面的な「慰安婦」像と国家補償論を報じ続け、多くの元「慰安婦」 の素朴な願いを社会的権力として抑圧した韓国メディア。そうした過剰なナショナリズム をただそうとしなかった多くの韓国知識人。韓国側の頑なな償い拒否に、被害者を心理的 に抑圧する独善的要素があることを批判しようとしなかった日本の「左派」や「リベラル」 な知識人とメディア 私は双方に責任があると思う。これに加えて、私は更に日本政府の対応を3 点批判したい と思う。 ①基金設立の精神の核心を表す「償い」という言葉を十分に説明せず、韓国語と中国語へ の翻訳にあたって「補償」とするという決定的な誤りおかした点。 ②首相の謝罪の手紙を出すが、その謝罪の気持ちを表すお金は政府から一切出さず、国民 募金だけから出すという不誠実さ。これにより韓国に被害者達や、運動団体の強い反発 を招いた。 ③基金では政府が「道義的責任」を認めていることを重視したが、「法的責任」を求める被 害者からすれば、それは感情を逆なでしていることにしかなっていないことを認識でき なかった点。つまり、被害者からすれば「責任」を認める以外に方法はないことを理解 すべきであった。 10. 慰安婦問題解決に向けた天祐 2011 年 8 月 30 日韓国の憲法裁判所が、元慰安婦 109 名から出されていた訴えについて、 この人々の賠償請求権が日韓基本条約のときの請求権協定第二条1 項によって消滅した か否かについて、両国政府間に解釈上の紛争があることが認められた。6つまり、請求権 に関する問題は「完全、かつ最終的に解決されることになったことを確認する」という 第二条1 項の文言をたてにとって、日本政府は元慰安婦の主張を認めないが、韓国政府 はそれに同意しないのだから、解釈をめぐって意見が分かれたときは協議し、第三国参 加の仲裁を求められるという協定第三条に基づいて解決するべきである。それをしない 「韓国政府の不作為は憲法違反である」という判決が出た。そのため、朴槿恵大統領は 慰安婦問題における日本政府の譲歩を日韓首脳会談の開催要件としている。韓国政府は 慰安婦問題解決に向けて動かざる得ない状況となった。今こそ、日本政府が解決済みで 6 国際法において人権への意識が高まったことが原因。解決済みの請求権問題においても人 権が大きく絡む問題であればそれを覆すような判決が出つつある。韓国は2012 年において も大法院において戦時強制労働未解決判決において三菱商事や新日鉄にたいして賠償金の 支払いを命じている。

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22 あるとする慰安婦問題において譲歩し、日韓関係における障害を取り除き、未来志向の 日韓関係の構築を志向するべきであると思う。 11. 提言 私は慰安婦問題解決に向けて、日本政府に対して2 つの提言をする。 ① 慰安婦問題における狭義の強制性を否定した2007年の第一安倍内閣における閣議決 定の撤回 第一次安倍内閣は2007 年に慰安婦問題における広義の強制性(詐欺によるもの) は認めたが、狭義の強制性(強制連行)に関して歴史的記述が見つからないとし て否定した。確かに、狭義の強制性に関する歴史的記述は見当たらないが被害者 の証言や各国の実態調査から予測されるものであり、この閣議決定を撤回すべき である。 ② 歴史的責任の自覚による謝罪と償い 日本は1910 年~1945 年の植民地支配や戦争において、多くの外国人に対して強制 労働、強制連行、暴行、略奪、殺害、強姦を行ったことは隠しようのない事実であ る。こうした行為に対する責任、つまり歴史的責任を自覚するべきである。ここで いう歴史的責任とは法的責任と人道的責任を抱擁しかつ超克した概念である。慰安 婦問題においては法的には解決済みであるという姿勢を保ちつつ、歴史的責任とし ての謝罪と政府支出による償いを行うべきである。その金額や運営等についてはア ジア女性基金と同様に行うべきであると考える。 12. 終わりに 慰安婦問題は決して捏造ではない。慰安婦問題は遠くない過去に、日韓の間に起こった 不幸な歴史の出来事に一つである。日本がいかなる補償をしようとも、被害者である元慰 安婦の心の傷は完全に癒えることはないだろう。しかし、私はこの問題を日本と韓国が誠 心誠意で協力して解決することによって、新時代に即応した日韓の信頼関係が構築される と確信している。慰安婦問題の解決は日本と韓国に間に橋をかけることなのである。本研 究が皆様にとって慰安婦問題に対する興味関心のきっかけになれば幸いである。

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23 13. 参考文献 大沼保昭・江川紹子(2015)「歴史認識」とは何か 中公新書 大沼保昭(2007)「慰安婦」問題とは何だったのか 中公新書 東郷和彦(2015)「危機の外交」角川新書 和田春樹(2015)慰安婦問題の解決のために アジア助成基金の経験から 平凡社新書 波多野澄雄(2011) 国家と歴史 戦後日本の歴史問題 中公新書 高橋哲哉(2005) 靖国問題 ちくま新書 腹部龍二(2015)外交ドキュメント 歴史認識 岩波新書 熊谷奈緒子(2014) 慰安婦問題 ちくま新書 渡部洋三 (1998) 法とは何か 岩波新書 萱野捻人 小林よしのり 朴順梨 那覇覇潤 宇野常寛 (2014) ナショナリズムの現在 朝日新書 幹尚中・森巣博(2002) ナショナリズムの克服 集英社新書 熊谷徹(2015)日本とドイツふたつの「戦後」 集英社新書 デジタル記念館 「女性のためのアジア助成基金 」資料集成 1~5 日本の戦争賠償と戦後賠償 wikipedia 賠償並びに戦後処理の一環としてなされた経済協力及び支払い等 外務省 大森典子・川田文子(2010)「慰安婦」問題が問うてきたこと 岩波ブックレット

参照

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