クスと組織標本による検証および培養細胞を用いた三次 元細胞凝集体の標本作製の具体例を紹介する.
1. 固定液の特徴
代表的な組織の固定液としては,アルデヒド(ホルム アルデヒド,グルタルアルデヒドなど),脱水剤・有機 溶媒(エタノール,メタノールなど),酸(酢酸,ピクリ ン酸など)およびそれらの混合(カルノア液など)があ る(表1).
架橋による固定で用いられるアルデヒド基(−CHO)
を有する化学物質は,蛋白質側鎖のアミノ基と異なるア ミノ基の間に架橋を形成することによって組織を固定す る.アルデヒド基を有する代表的な固定液は,ホルムア ルデヒド,パラフォルムアルデヒド,グルタルアルデヒ ドなどである.近年の組織標本を用いた研究の主流は,
抗体を用いた免疫組織化学研究であるため,アルデヒド によって架橋されると抗原がマスクされてしまい,抗原 は じ め に
成人ヒト水晶体の中心には,水晶体の発生段階で形成 された水晶体核(胎児核)が排除されることなく存在し,
長期間にわたって透明性を維持している.この胎児核の 周囲を取り囲むように形成された水晶体線維は,成人核 となってさらに水晶体核を形成していく(図1)1~3).水 晶体の研究の歴史は古く,約 100 年前からさまざまな 研究成果が報告されているが,いまだに白内障の発症原 因やメカニズムは完全に解明されていない.
一方,手術機器や眼内レンズ(intraocular lens:
IOL)のめざましい進歩・発展によって白内障治療は飛 躍的に向上し,日帰り手術もできる一般的で安全な治療 法となった.しかし,白内障手術後に発生する後発白内 障(posterior capsule opacification:PCO)は,まだ完 全に抑えることはできていない4~6).
本稿では,標本の作製にあたり基礎的ではあるが重要 なポイントの一つである固定液の特徴と選択,さらに白 内障モデルマウス眼球の組織標本,水晶体のプロテオミ
《教育セミナー》 さあ,研究を始めよう 日本白内障学会誌 30:68~72,2018©
組織標本の作製入門と研究の展開
─綺麗な組織標本は組織の固定が重要─
山 本 直 樹
**Naoki Yamamoto:藤田保健衛生大学研究支援推進センター・再生医療支援推進施設
〔別刷請求先〕 山本直樹:〒470-1192 愛知県豊明市沓掛町田楽ヶ窪 1 番地 98 藤田保健衛生大学研究支援推進センター・再生医療支援 推進施設
表 1 代表的な固定液 架 橋
アルデヒド ホルムアルデヒド(パラホルムアルデヒド)
グルタルアルデヒド 凝固・変性 脱水剤・
有機溶媒
アルコール(エタノール,メタノール など)
アセトン
酸 酢酸
ピクリン酸
混合 カルノア液(エタノール,クロロホルム,氷酢酸)
ファーマー液(エタノール,氷酢酸)
前極部
後極部
前囊
後囊 水晶体囊(カプセル)
水晶体 上皮細胞
赤道部 水晶体
線維細胞 水晶体線維
弯曲部 水晶体核(成人核) 増殖帯
水晶体核
(胎児核)
皮質
図 1 水晶体の模式図
る作用があるといわれている7).
筆者は新しい固定理論を開発し,2005 年に特許『難 浸透性組織迅速固定液:特許第 3723204 号』を取得し た.この特許技術に基づき商品化されたのが「SUPER FIX」(クラボウ)である.図2にホルマリン,または SUPER FIX で固定した組織およびパラフィン切片標本 を示した.ホルマリンで固定すると架橋によって組織が 収縮するため,組織が変形してしまう(図2a,c).水 晶体のホルマリン固定パラフィン切片を作製すると,固 定液の浸透が不十分となることもあり,結果として標本 中に多数の割れ目が観察される(図2e),または免疫組 織化学染色の際に非特異反応(図2g)が起きてしまうこ とがある.SUPER FIX を用いて固定することによって,
これらの問題は解決できるようになった(図2b,d,f,
h)7,8).
2. 白内障モデルマウス眼球の組織解析
藤田保健衛生大学で作製した白内障モデルマウス
(BpS/cat,図3a,b)眼球の組織標本を作製して,混濁 と抗体との反応性が低下してしまう.しかし,マスクさ
れた抗原性を回復させるさまざまな抗原賦活法の開発や 抗体の改良によって,ホルマリン固定パラフィン切片標 本による免疫組織化学染色の研究が実施しやすくなって きた.
グルタルアルデヒドは,ホルムアルデヒドよりも分子 が大きいため組織への浸透は遅いが,より遠い距離にあ る蛋白質を架橋することができるといわれている.グル タルアルデヒドは,ホルムアルデヒドよりも組織の固定 力が強いため,おもに電子顕微鏡標本を作製するための 固定液として使用されている.眼科領域の研究におい て,以前は水晶体や網膜神経の組織標本を作製する際,
ホルムアルデヒドでは組織構造が崩壊しやすいため,グ ルタルアルデヒド固定で作られることが多かった.
凝固・変死による固定では,強い脱水作用と脂質の溶 解・溶出によって蛋白質を凝固させて固定する.酢酸は 変性剤として有機溶媒と組み合わせて使用されることが 多い.一般的に,アルコールは組織から脱水させるため に組織が収縮するのに対し,酢酸などは細胞を膨潤させ
h f
a
b
c
d
e g
bar=50mm
Formalin (☆)
SUPER FIX
図 2 固定液の違いによる固定後の組織形態や標本への影響
20%ホルマリン(a)と SUPER FIX(b)で一晩固定したマウス眼球のマクロ写真.ホルマリンで固定したことによって 組織の収縮が起こり,眼球全体の形態が変形,角膜の一部もへこんでいる(arrow head).SUPER FIX で一晩固定す ると水晶体は完全に固定されるため,水晶体が白濁していた.マウス水晶体よりも大きいブタ水晶体のパラフィンブ ロックでも 20%ホルマリン(c)は SUPER FIX(d)と比べて明らかに水晶体の形態が変化していた.20%ホルマリン
(e)と SUPER FIX(f)で固定したブタ水晶体のパラフィン切片を H.E. 染色した.20%ホルマリンで固定した水晶体は,
水晶体線維細胞に多数の割れ目が観察されたが,SUPER FIX で固定した水晶体ではホルマリン固定標本のようなアー チファクトは観察されなかった.ブタ水晶体を細胞周期マーカーの PCNA 抗体(Abcam plc, Cambridgeshire, UK)を 用いて免疫組織化学染色したところ,20%ホルマリンで固定した標本(g)では,水晶体の中心側で固定不良による非 特異反応(☆)が観察されたが,SUPER FIX で固定した標本(h)では非特異反応は観察されず,染色目的とした核内 蛋白質が染色されていた.
水晶体の組織構造を観察した.BpS/cat は眼球の大き さ,さらに眼球に対する水晶体の大きさなどを BpS/cat の wild タイプ(BpS/wild)のマウスと詳細に比較する ためには,アーチファクトの少ない眼球全体の組織標本 を作製することが肝心である(図3c,d).アーチファ クトの少ない水晶体標本を作製することで,水晶体のど の領域で細胞の分化異常が起こっているのかが判断でき る.図3cと図3dは,SUPER FIX で固定した眼球のパ ラフィン切片をヘマトキシリン・エオジン染色(H.E. 染 色)したものである.水晶体の中心で標本を作製する目 安としては,この標本では瞳孔にあたる左右の虹彩の間 がもっとも広くなっている箇所を確認しながらパラフィ ンブロックの面出しをする.BpS/cat の水晶体では,優 性遺伝性白内障マウスの Cts 系マウス9)と同様に,水晶 体赤道部で水晶体上皮細胞が水晶体囊から離れて水晶体 線維細胞から水晶体線維へ連続的に分化することができ ず,逆に,細胞質が膨化している所見が観察された.さ らに,水晶体の中心にある水晶体核部でも,細胞質が膨 化した細胞が多数観察された.
3. 組織標本からの研究展開
BpS/wild と BpS/cat の水晶体をホモジナイズして,
蛋白質の二次元電気泳動を行い(図4a,c),SYPRO® Ruby(Thermo Fisher Scientific Inc., Waltham, MA)
で染色して検出されたスポットをイオントラップ型質量 分析装置(LCQ,Thermo Fisher Scientific Inc.)で解析 した.たとえば BpS/cat の二次元電気泳動で wild タイ プよりも強く発現していたスポットを解析したところ,
collagen type-1 alpha-1 であることがわかった.検出 された collagen type-1 alpha-1 は,眼球では角膜に多 く含まれるコラーゲンで,透明水晶体における含有量は 少ない.そこで水晶体の組織標本を collagen type-1 alpha-1 抗体(Novus Biologicals, LLC Littleton, CO)で 免疫組織化学染色を行ったところ,wild の水晶体では collagen type-1 alpha-1 抗体陽性の細胞は観察されな かったが(図4b),BpS/cat の水晶体では図3cで観察 された水晶体核部の膨化した細胞が染色されていた(図 4d).最近の機器の進歩は著しく,質量分析装置を用い たショットガン解析が比較的容易にできるようになり,
水晶体赤道部
水晶体核部
a b
c
d
bar=50mm bar=1 mm
図 3 白内障モデルマウスの水晶体
藤田保健衛生大学で作製した白内障モデルマウス(BpS/cat)のスリット写真(a)とその拡大写真(b).水晶体核部に明瞭 な混濁を認め,水晶体周囲まで混濁していた.BpS/cat と BpS/wild のパラフィン切片の H.E. 染色を行い,組織標本を観 察したところ,BpS/cat(c)の眼球および水晶体の大きさは,BpS/wild(d)と比べると小さかった.水晶体中心部の標本 を作製する目安として,瞳孔にあたる虹彩と虹彩の間(2 点の arrow head の間)がもっとも広くなっている箇所を確認し ながらパラフィンブロックの面出しをすると,水晶体中心部で標本を作製することができる(c).BpS/cat においては,
水晶体上皮細胞から水晶体線維細胞および水晶体線維への分化異常が,水晶体の混濁を引き起こす要因の一つである.
組織や細胞などから網羅的に数百~数千の蛋白質を同定 することが可能となってきた.
4. 三次元細胞凝集体の標本作製
筆 者 が 作 製 し た ヒ ト 不 死 化 水 晶 体 上 皮 細 胞 株
(iHLEC)を用いて,浮遊培養と回転培養を組み合わせ て,三次元細胞凝集体を作製した(図5a).1 mm 程度 の大きさの三次元細胞凝集体でも,パラフィンセルブ ロック法を用いることでパラフィン切片標本を作製する ことができる(図5b).作製した切片をaA-crystalline
(☆)
a b c d
bar=200mm 図 5 三次元細胞凝集体の解析
ヒト不死化水晶体上皮細胞株を用いて作製した三次元細胞凝集体のマクロ写真(a)とパラフィンセルブロック法で作製 したパラフィン切片の H.E. 染色(b)およびaA-crystalline(c)とbB2-crystalline(d)の免疫組織化学染色の結果を示 す.三次元細胞凝集体は,周辺で細胞密度が高く,中心部では細胞密度が低くなっていた(b).aA-crystalline は三次 元細胞凝集体の周辺で発現が強い傾向が観察され,bB2-crystalline は最周辺部より少し内側の領域(☆)で発現が強い 傾向が観察された.
collagen alpha-1
(☆)
a b
c d
bar=100mm 図 4 水晶体のプロテオミクスと組織標本による検証
透明な水晶体の BpS/wild と混濁している BpS/cat のマウス水晶体から蛋白質を抽出し,二次元電気泳 動と質量分析装置による蛋白質のスポット解析を行った.BpS/cat のサンプルで強く発現していたス ポット解析結果の具体例の一つとして,collagen type-1 alpha-1 が検出されたため(a,c),この抗体 を用いて BpS/wild(b)と BpS/cat(d)の水晶体組織標本の免疫組織化学染色を行ったところ,BpS/
cat の水晶体核部を中心に陽性の領域(☆)が観察された.
抗体(Abcam plc, Cambridgeshire, UK)とbB2-crys- talline 抗体(Abcam plc)を用いて免疫組織化学染色を 行ったところ,crystalline 蛋白質の発現極性を確認する ことができた(図5c,d)10).現在,筆者の研究室では,
iPS 細胞を用いた三次元水晶体の再生研究にも取り組ん でいる11).
お わ り に
組織標本は,構造・形態や組織における研究ターゲッ ト物質の局在を証明することができ,かつ客観的な評価 をすることができる重要な研究ツールの一つである.こ の組織標本において「綺麗な組織標本」とは,どのよう な標本のことをいうのであろうか? 筆者は,生体の状 態のまま正確に保持された組織標本であり,さらに,標 本作製時のアーチファクトが少ない標本こそ「綺麗な組 織標本」であると思う.このような「綺麗な組織標本」
を作製するためには,組織の「固定」が重要である.ま た,最近の研究機器や解析ソフトの進歩により,組織標 本から得られる情報も非常に多くなってきている.ぜ ひ,組織標本を用いた研究を,皆様の研究手法の一つに 加えてほしいと思っている.
文 献
1) 山本直樹:水晶体の組織学的検討.日本白内障学会誌 18:
22-31, 2006
2) 山本直樹:水晶体の細胞生物学:なぜ透明なのか? あたら しい眼科 31:1425-1429, 2014
3) 山本直樹:病理からみた前眼部手術 水晶体と白内障手術.
IOL&RS 29:325-331, 2015
4) 馬嶋清如,山本直樹,糸永興一郎:眼内レンズ光学部のエッ ジ形状と表面性状が水晶体上皮細胞の生理活性に及ぼす影 響.臨床眼科 58:835-839, 2004
5) Nishi O, Yamamoto N, Nishi K et al:Contact inhibition of migrating lens epithelial cells at the capsular bend created by a sharp-edged intraocular lens after cataract surgery.
J Cataract Refract Surg 33:1065-1070, 2007
6) 山本直樹:水晶体と白内障─基礎研究と臨床研究の Collabo- ration─.日本白内障学会誌 20:12-19, 2008
7) 山本直樹:光学顕微鏡で観察する組織標本の作製法─組織 の固定から標本作製まで─.日本白内障学会誌 23:40-44, 2011
8) 山本直樹:“綺麗”な組織標本作製のポイント─固定の重要 性─.生物試料分析 32:43, 2009
9) 宇賀茂三,小原真樹夫,石川 哲:優性遺伝性マウス(Cts 系)白内障の発生成因に関する形態学的研究.日眼会誌 85:895, 1981
10) 平松範子,山本直樹:細胞を用いた水晶体再生の基礎検討
─不死化水晶体上皮細胞による三次元水晶体再構築モデル 作製の試み─.日本白内障学会誌 28:106-110, 2016 11) 山本直樹,平松範子,谷川篤宏ほか:虹彩由来 iPS 細胞を
用いた水晶体上皮細胞への分化誘導.日本白内障学会誌 29:80-83, 2017
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