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ER

富士通総研経済研究所

経済・経営・技術読本

5

May 2017

人間を見つめ直す

マシンとの共進化

(2)

『ER』第5号は、「人間を見つめ直す マシンとの共進化」と題して、 AIやロボットといったエクスポネンシャルに進化する技術との「つき 合い方」について、さまざまな識者の実践知を集めました。以下に、 そのエッセンスをご紹介します。 カリフォルニア大学名誉教授のスチュアート・ドレイファス氏をお 訪ねして、AIと人間の関係性に関するお話をうかがいました。兄の ヒューバート・ドレイファス氏はアメリカを代表する現象学の研究者 であり、2人の共著『純粋人工知能批判』(アスキー)はいまこそ必読 の名著です。 シカゴ大学准教授のホイト・ロング氏は、社会的関係からつむぎ 出された産物である「文学」を最新技術によって解釈する、という研 究に専心しています。この実験の成果について聞きました。 日本でもベストセラーとなった『ワーク・ルールズ!』(東洋経済新 報社)の著者であるグーグル前上級副社長のラズロ・ボック氏は、 ミッションを遂行するという強い意識が企業文化を形成する、と主 張しています。この現代デジタル社会の象徴といえる組織では、ど のように人間の力は引き出されているのでしょう。非常に興味深い お話です。 マサチューセッツ工科大学教授のピーター・ソロヴィッチ氏は、コ ンピューター科学の専門家であると同時に、「臨床意思決定」という 新領域の研究家でもあります。今回は、このユニークな学問的チャ レンジについて語っていただきました。 2013年に発表した「雇用の未来」という論文において人間の職業 の半分近くが機械に代替されると予測した、オックスフォード大学准 教授のマイケル・オズボーン氏にインタビューをいたしました。彼 は、「機械学習と人間のバイアス」という、きわめて時宜にかなった 視点から、我々の問いかけに答えてくれています。 農業の世界でもICT化/AI化/ロボット化が着実に進行していま す。そのフロントランナーであり、アイコンでもあるエムスクエア・ ラボ代表取締役社長の加藤百合子氏に、新しい農業システムの構想 と実践についてうかがいました。 CAD/CAMや産業ロボットなどもコンピューターの進化によって 高度化しています。こうした新しい知能機械は、人間にも環境にもや さしいだけでなく、新しい市場を創造しています。名古屋大学教授の 武田一哉氏が詳しく説明してくれました。 弊社が開催しておりますトポス会議でも、第6回会議において ヒューマン・エンハンスメント(人間強化)技術の可能性について議 論しましたが、東京大学教授の中邑賢龍氏より、「支援技術」によっ て障がい者の社会参加が拡大し、より多様性豊かな社会が実現する、 という素晴らしい論稿を頂戴しました。 弊社の研究員も日頃の研究活動の成果を披露しております。合わ せてご笑読いただければ幸甚です。 この4月より、富士通総研経済研究所長を拝命いたしました。2014 年まで同社経済研究所理事長を務められた一橋大学名誉教授の野 中郁次郎先生のご指導を忘れることなく、調査や分析にとどまらず、 世界の「賢慮の知」を探索・紹介することにも尽力していく所存です。 これまで同様、みなさまのご指導ならびにご鞭撻を賜りたく、よろ しくお願い申し上げます。 2017年5月 株式会社富士通総研 取締役執行役員常務 経済研究所長

むら

 元

はじめ

経済研究所長ごあいさつ

(3)

P03

経済研究所長ごあいさつ

小村 元 株式会社富士通総研 取締役執行役員常務 経済研究所長

巻頭言

P06-11

人間と技術の関係性

社会がどう変化し、人間がどのような存在になるのかは、

私たちが今何をするかである

スチュアート・ドレイファス カリフォルニア大学バークレー校 名誉教授

P12-17

デジタル・ヒューマニティーズの挑戦

技術によって新たな関係性をあぶりだす

ホイト・ロング シカゴ大学東アジア言語文化研究科 准教授(日本文学)

P18-21

ミッションが働き方と生き方を変える

よい仕事をする文化を作る

ラズロ・ボック Google 前人事担当上級副社長

P22-25

臨床現場の意思決定を支える

データから学び解釈する姿勢の大切さ

ピーター・ソロヴィッチ マサチューセッツ工科大学電気工学・コンピューターサイエンス学部 教授

2017

5

22

日発行号 目次

株式会社富士通総研 経済研究所 

(4)

P30-31

農業はイノベーションの宝庫

農業を生産という機能だけで

評価するのは勿体ない

加藤 百合子  株式会社エムスクエア・ラボ 代表取締役社長

P32-33

ヒトと知能機械が協奏する

新しいサービス・社会

人間機械協奏技術コンソーシアム

武田 一哉  名古屋大学未来社会創造機構 教授

P34-35

ICT

を活用した

AT

の未来と課題

中邑 賢龍   東京大学先端科学技術研究センター 教授

P36-37

サービスをいかに受けるか

?

サービスイノベーションは

「受け手」のイノベーション

中島 正人  株式会社富士通総研 経済研究所 上級研究員

P38-39

公教育の情報化の現在と未来

エビデンスに基づく教育の実現に向けて

蛯子 准吏  株式会社富士通総研 経済研究所 主任研究員

P40

ER

バックナンバー

編集後記

浜屋 敏 株式会社富士通総研 経済研究所 研究主幹

P41

研究レポート一覧

(5)

人間と技術の関係性

社会がどう変化し、人間がどのような存在になるのかは、

私たちが今何をするかである

スチュアート・ドレイファス

 カリフォルニア大学バークレー校 名誉教授

Dreyfus, Stuart Professor Emeritus, University of California, Berkeley

『マインド・オーバー・マシン』(

Mind Over Machine

)は、

1986

年に兄のヒューバート・ドレイファスと私が一緒に書いた本です。人工知 能に対する希望的観測が、人間と技術との関係性を歪んだものにしていることに対して、警鐘を鳴らしました。 兄は、ハイデガーを始めとする哲学者の理論を

AI

に応用し、現実世界で起きている「真実」にだけ興味を持っていた最初の哲学者です。

AI

と機械学習は、非常に興味深く、重要な応用です。私は、兄と協力し、共著で論文を書いたり、講演を行ったりしました。もしも兄が応 用哲学者でなかったら、そして、私が応用数学者でなかったら、これらの共同研究はなされなかったことでしょう。私は、現実世界の中で どのように哲学が用いられるのか、兄は現実世界の中でどのように数学が用いられるのかに興味を持ち、私たちはお互いに学び合いました。 システム0 ∼哲学の遺産∼ 2002年にダニエル・カーネマンがノーベル経 済学賞を受 賞し、 『ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?』という本 を書き、それがベストセラーになって以来、「システム1」と「システ ム2」という概念が注目されてきています。 この本の中で、彼はシステム1を「速い思考」と定義しています。 彼や、他の認知科学者は、システム1を連想記憶として捉えています。 これは、もし私が質問したら、あなたは何か自分の過去の記憶を思い 出し、極めて迅速に回答を導き出すことを意味します。 システム2は、一方で、「遅い思考」と定義され、論理的思考や論理 プロセスを意味します。私の関心は、このような基本的プロセスのい ずれでもありません。ですから、私は自分のアイデアを「システム0」 と呼んでいます。これはシステム1や2の下位概念で、さらに興味深 いプロセスです。 システム1と2は、認知科学の観点からはつまらないものだと私は思 います。この分野の研究は、いつも異様な状況下で物事を考えるの です。例えば、人々が何も経験したことがないような条件などを想定 し、いかにその異様な質問に対する回答が異様であるかを示すのです。 システム0は、私にとって、そのような特別な名前を付けずとも、 哲学者らが過去に書いた膨大な量の思想です。私の兄ヒューバート・ L・ドレイファスは、20世紀を代表する偉大な哲学者の一人であるド イツ人哲学者のハイデガーに学びました。ハイデガーは、「道具的存 在」という概念について膨大な思想を残しました。道具的存在は、事 物を扱う人間の行為に着目しています。例えば、椅子は様々な材料か ら作られていますが、座るための道具という役割を可能にしているの は、人間の行為なのです。また、寝室や図書館ではどのように座るの かという行為も異なります。私たちは、知識と共に生まれてきたので はなく、自然と経験から学んできました。ですから、「経験」という着 想を強調することは重要なことです。 システム1と2を強調する人たちは、「経験」という着想に気づかな いふりをしているように思います。経験とは、ノウハウです。1949年 に英国の哲学者であるギルバート・ライルは、「いかにするかを知る」

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(knowing-how)と「なんであるかを知る」(knowing-that)という2 つのプロセスを区別し、ノウハウというものがいかに重要であるかを 指摘し始めたのです。ノウハウというものは、ある種、分別ある判断と いう常識です。システム1と2は、常識については何も言及していま せん(AIもまた常識とは無関係で、これはこの研究分野の弱点です)。 私は、システム0は、強化学習(reinforcement learning)のコン セプトとも異なる概念だと思います。私の兄が熱心に考えた哲学的な いくつかの論点は、ここでも重要になってきます。 1つは、脳には1つの世界の模型があるかどうかという点です。最 近の哲学の分野では脳が経験に基づいた世界という模型を創り出し ているということは常識的なこととして受け入れられています。しか し、強化学習は、模型をつくるための努力を全くしません。単に現 実世界で機能していることを学び応用しているに過ぎません。私は、 MITの教授であるロドニー・ブルックスが言った「世界がそれ自体の 最適模型だ」というフレーズが好きです。世界は、あなたに質問への 答えを示すためにそこに存在しているのです。なぜそのための模型が 必要なのでしょうか? 兄は、この前提について考え、AIというコンテクストにおいて考え を発展させた人です。兄は、私がランド研究所でAIに関する基礎研 究に従事していた1960年に、私がわくわくするような研究のことを 話したのですが、兄は「あなたが正しい方向に進んでいるとは思わな い」と言ったのです。 それが、兄の哲学が何を意味するのかの手がかりをつかんだ最初 の瞬間でした。私は兄が現象学者であると知っていましたが、それが 何を意味するのか見当がつきませんでした。それは、兄と私が共通の 何かを突然手にした興奮するものでした。 私は、数学とコンピューター科学を専攻しており、兄は哲学でした。 私は、ランド研究所を説得し、1964年に兄を研究所に迎え入れ、初期 のAI研究に従事していた研究所のみんなに話をしました。兄は、『錬 金術と人工知能』1というテーマで講演しました。錬金術師はかつて、 自分たちのことを、卑金属を貴金属の金に変えようとする科学者だと 考えていました。兄は、この仮説の上に、推論をAIのための知能に 置き換えるという、事実に基づいていないプロセスになぞらえて言っ たのです。すなわち、真の知能を人工的に実現するのは、不可能であ ると。 研究を始めて間もない頃、兄の反論は当時存在したAIのアプロー チに対してのみでした。このアプローチとは、記号処理、1978年に ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンや、当時のランド 研究所の研究者らによって提唱された人工知能を実現するためのルー ルベース・メソッドでした。兄の見解では、このルールベースという 視点は、全く受け入れがたいものだったのです。 スキル・モデル ∼専門知識を獲得するまで∼ 私は、専門的技能と言う考え方は、機械学習にも応用しうると思っ ていますが、この分野においてはまだそれほどの進展は見られませ ん。兄と私は、かつていくつかの職業において技能獲得のプロセス を観察し、人間が様々な専門的技能を獲得するための「5段階のス キル・モデル」を提唱しました。それらは、①初心者(Novice)、② 中級者(Advanced Beginner)、③上級者(Competence)、④熟練者 (Proficiency)、⑤エキスパート(Expertise)という5段階に分かれて

(7)

います。プロセスの最初の3段階は、非常に重要です。もしあなた が経験を積むために社会に出れば、急速に経験を積むもっと多くの 機会に恵まれるでしょう。 しかし次の2つの段階はさらに重要です。重要であるにも関わらず、 特に「熟練」は最近ではほとんど意識されていません。「熟練」は、状況 の意味を理解する感覚を巻き起こし、そしてその中の何が問題なのか を知ることに関係しています。その状況下で「どうすべきか」までは分 からないのですが、しかし、「何が起こっているのか」は分かっています。 神経科学者たちは、この問題に大きな関心を払うべきだと思ってい ます。最近、脳がいかに物事を知るのかを研究している神経科学者た ちは、連想記憶システムを見ておらず、確実に推論システムでもなく、 むしろ潜在記憶あるいは非陳述記憶を見ているのです。神経科学者 がやっていることの一つは、人間を画像装置の中に入れて、脳全体に 今何が起こっているのかを知ることです。単に脳の部分的な動きを見 るのではなく、脳全体がどう動いているのかということが注目されて います。私は、これは大きな進歩だと思っています。なぜなら、脳が 行っている最も単純なことの中で何が起こっているのかを知ることが できますし、脳の至るところでどのような活動が行われているのかを 知ることができます。 恐らく10年前は、神経科学者たちは脳の様々な個別の場所ごとに、 異なる機能を持った動きがなされていると考えていました。「xは脳 のこの場所で起こっている」などと言っていました。しかし、この見解 は過去のものになってきています。「xは脳全体で起こっている」とい うのが、今ではより一般的に受け入れられてきています。 カリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執った神経科学者である

ウォルター・フリーマン(Walter Jackson Freeman III)は、哲学と 数学を専攻のバックグラウンドに持ち、「吸引流域」と呼ばれるもの を持つ脳を描きました。彼の考えは、ある特定の方法で世界を見て いる時に、脳の中のその活動は吸引流域で起こっている、というも のでした。脳は、人間が専門知識を蓄えるに従って、その吸引流域 に占領されていていくのです。特定の状況下での感覚を例にとると、 もしあなたが注意を払っている刺激が限界に達すると、暗黙知に転 換され、異なるように見え、異なるように行動するということを脳が 学習するように設定されています。 私のお気に入りの例は、テニスです。あなたは頻繁に点を入れよう とするのですが、対戦相手はロブという守備的なショットで、あなた の頭を超えてボールを返します。優れたテニスプレーヤーは、コート の後方に戻るのも早く、ロブを返すためにジャンプしてオーバーハン ドで打とうとします。なぜなら、そうすることによってポイントを取れ そうだからです。 しかし、ある時点で、相手にボールを返せそうにないことを認識し なければなりません。そしてあなたは、ボールが一度跳ね返って戻っ てきた後さらにボールを返せるように、出来るだけ早く走ります。これ は、野球の外野選手が、ボールを取れないことを知っておきながら行 動することと似ています。また、チェスにも言えます。典型的なチェ スのグランドマスターのゲームでは、双方のプレーヤーが状況の詳細 な感覚を共有しており、起こりうる結果を共有しています。 時々、プレーヤーがひどく強かったり、ひどく弱かったりするので、 状況の感覚は変化します。私が神経科学者に研究してほしいと思うこ とは、ゲームの外にいる人間が、状況を変化させるために意図的に動

社会がどう変化し、人間がどのような存在になるのかは、私たちが今何をするかである

人間と技術の関係性

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きを作っている時のグランドマスターの脳です。状況の感覚が変化す る現象を分析してほしいのです。これは私にとって、熟練者であること と、熟練のための技能を持つことの違いを意味する一つのやり方です。 「専門的技能を持っている」と言った場合、「専門家である」ことと 比べて、前者はより潜在的な状況の感覚を持ち合わせていると思い ます。熟練者は、特別な努力をして挑戦し、そして失敗します。あな たは挑戦し、失敗する必要があるのです。そして、感情的に、結果に 執着し、そして熟練者になっていくのです。 最終段階のエキスパートは、より徹底的に状況の感覚を作っていま す。スポーツやゲームにおいては、その状況下で何をやるのか理解し チャンスをつかむ人がエキスパートで、これは普通のプレーヤーでは 為しえないことです。バスケットボールの有名な選手であるラリー・ バードの言葉を引用すれば、「自分が分からないことをやり、できる までやり続ける」ということです。 彼は、明らかに想像しえない量の練習をして、ありとあらゆること をやろうとしているからできるのです。練習しても、ある程度うまく いかないこともあります。しかし、とにかく練習する。彼にとっては それでいいのです。そして、ゲームが続いている時、彼の脳は無意識 のうちに諸条件から状況を判断して、何がうまくいって何がうまくい かないのかを識別しているのです。彼は、自分が知っていることを明 らかにすることはできませんでした。なぜなら、全て彼の脳のシナプ スの中で、経験や記憶によりコード化されているからです。私にとっ ては、この分野の伝統的な見解は、「説明できないのなら、知らない ということだ」ということですが、それに対する究極の反論は、「説 明できるのなら、知らないということだ」ということです。最近では、 神経科学の研究者らのおかげで、知識は単なるシナプスの変化だと わかってきています。 冬の時代から可能性の扉へ 私は、AIの将来性と可能性に対しては楽観的です。昔と比べて、多く のことがわかってきていますが、しかし過大評価されていると思います。 「AIの冬の時代」という言葉には聞き覚えがあると思います。AIの 冬の時代は、これまでに2度ありました。1度目は1960年代で、2 度目は1980年代です。1960年代には、ランド研究所やカーネギーメ ロン大学、MITなどの記号処理に注目した研究者らが、10年以内に機 械が世界を占領するだろうと予想していました。ハーバート・サイモン は、オペレーションズ・リサーチ・ジャーナルに論文を出し、その中 で、人間の数学者よりも、コンピューターが全ての数学的な決定を行 うと予測しました。1957年に、彼は機械学習のチェスが10年以内に 人間の脳力を超えると予測しましたが、実際には40年かかりました。 多くのファンディングがAIの分野に流れ込み、研究者はパーセプト ロンに着手し、そしてそれは初期のニューラルネットで、可能性があ る研究に思われました。アメリカの心理学者であり、ニューラルネッ ト研究の開拓者のひとりであるフランク・ローゼンブラットは、オー バーなほど熱心にその可能性を語っていました。しかし、短期的な結 果は、それほど良いものではありませんでした。 2度目の冬の時代は、日本人研究者らによってもたらされた一面も あります。日本の通商産業省(現在の経済産業省)が、エキスパート システム(人工知能研究から生まれたコンピューターシステムで、人 間のエキスパートの意思決定能力をエミュレートするもの)をAIの未

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来であると決めたのです。 エドワード・ファイゲンバウムとパメラ・マコーダックは『第五世代 コンピュータ―日本の挑戦―』(阪急コミュニケーションズ、1983 年)2という本の中で、第五世代コンピューターを作る通産省のイニシ アチブがエキスパートシステムに基づいていることについて書いたの です。ファイゲンバウムらは、もしも自分たちがエキスパートシステム の研究をしないのなら、日本人が世界を乗っ取ってしまう、と警告し たのです。それは非常に影響力を持ち、1980年代には多くの政府予 算がそのプログラムに投入され、研究者らはエキスパートシステムの 研究に没頭したのです。 しかし、予算元である米国政府や日本政府は、エキスパートシス テムが実らない研究だと気づきました。兄と私もまたエキスパート システムに関する論文を執筆しましたが、私たちは「能力システム」 (competent system)と呼んでいました。なぜなら、それは私たちが 考えたスキル・モデルの3段階目に該当するものだったからです。そ れは、論理と推論などに注目しているレベルです。 私は、確実にエキスパートシステムと呼ばれる何かが世界の役に 立ったと思っています。しかし、それにも関わらず、政府は資金投入 を止めてしまったのです。そして、その後、1990年代後半に、ニュー ラルネットワークやイメージング、強化学習などの時代がやってくるの です。今は、爆発的にAIに対する熱狂的関心が高まっており、特に、 私が暮らしているここシリコンバレーで顕著です。ベンチャー・キャピタ リストらがこれらのイニシアチブに対して資金注入したがっています。 今の議論は、汎用人工知能(AGI)に少しシフトしてきました。AI が全ての分野で人間と同じようにうまくやるべきなのだという考え方 です。それこそが、熱狂的なベンチャーキャピタルなどが極端に熱狂 的になっている分野です。 パターン認識では非常に素晴らしい研究が出て来ていますし、非 常に想像力に富み、新しい方法で、人工ニューラルネットワークを使っ て、強化学習などの研究でも興味深いものもあります。彼らは、世 界最強の囲碁プレーヤーを作ろうとしており、それについては、私は かつてそんなことは不可能だと言ったことがあります。でも、彼らは、 不可能を成し遂げたのです。 囲碁は分かりづらいゲームですが、AIに関しては、専門的技能が人 工的世界の中のパターン認識に限定されており、それがすなわちゲー ムのルールを構成しています。ですから、実世界のパターンを認識す ることは、碁盤の上の限定的なパターン認識とは非常に異なるという ことです。 限定的な人工的世界では、単に駒の位置を認識しているに過ぎず、 その中に「知恵」は必要ないのです。それは、状況の感覚を作り上げる という、スキルレベルシステムの全体的なアイデアを回避しています。 少なくとも、状況の感覚を作る一部は、その変数は何なのかを知って いるということです。そのシステムは、達人のビッグデータを利用す ることで上手に碁を指しますし、また達人に一致した評価を下すよう にニューラルネットに学習させ、セルフプレイを通じて強化学習を開 放します。そしてそれは、汎用人工知能の応用ではできなかったこと です。ですから、世界のなかで、インテリジェントであり続ける既存 のビッグデータの全体的な可能性は、疑わしいものです。そして、セ ルフプレイの全体的な可能性もまた疑わしいのです。 データを用いて何かの構造を見つけ出すという研究は、AIの観点か

社会がどう変化し、人間がどのような存在になるのかは、私たちが今何をするかである

人間と技術の関係性

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ら非常に著しい進歩を遂げています。このデータの応用で重要なもう 一つのことは、地震データや、地震を事前に予測する何らかのサイン を分析することです。この分野は、多くの可能性を秘めています。AIは しばしば大規模なデータセットを用い、カオスの中から秩序を作り出す ことに非常に有効です。しかし、これらの応用のどれも、あなたがセル フプレイするようにはできていません。トランプのカードは、セルフプレ イ・カードです。なぜならセルフプレイは経験に基づいているからです。 しかし、依然としてコンピューターと畳み込みニューラルネットワー クなどには可能性があります。数学を機械学習へ応用する最前線にお いて発明されたコンセプトです。可能性の扉を開けますが、下された ままのカーテンがあることも事実です。 感情移入とシステム 神経科学の分野でまだ研究されていないのは、ニューラルネットが 感情システムを構成しているかどうかという議論です。神経科学の専 門用語では辺縁系と呼ばれています。それは、ニューラルネットのよ うに見えますし、ニューラルシステムに見えます。ですから、研究者 らは薬物がへんとう体をハイジャックしていることについて話をしま す。しかし、私は神経科学の論文で辺縁系の学習プロセスについて 議論しているのを読んだことがありません。彼らは確実に辺縁系があ る種の役割を果たしていることを知っています。 兄と私にとっては、私たちの論文で取り上げて議論したように、世 界の中でいかなる進歩を遂げるためにも、感情移入することが必要な のです。AIが難しいことの一つの理由に、人工的なへんとう体をつ くりたいと思っていることが挙げられるでしょう。そしてそれは、この ステージにおいて起こりえないことのように見えます。へんとう体は、 非常に重要です。これに関して、沢山の研究がなされてきており、私は、 このような研究はビッグストーリーに不可欠に違いないと思います。 私は、喜びというものはAIの分野でも非常に重要だと思います。 神経科学の分野の人々は喜びなどの感情が知るということに置いて 非常に重要であることを理解していると思います。しかし、感情を理 解することは、論理やそこから導き出されるルールを理解するよりも 極めて難しいことなのです。論理を理解することは、感情の役割を理 解することと比べると、とるに足らないことです。 私は、「とにかくやってみる」という重要性の話に戻ると思います。 成功するか失敗するかを知らずに、何かに挑戦してみるということで す。ある分野では、いちかばちかやってみることは本質的なことです。 子供たちは、実行前に熟考したりしません。それこそが早く学ぶこと が出来る理由です。そして、多くを学ぶことが出来るのです。リスク を取ることは、それ自体非常に興味深いコンセプトです。私たちの教 育システムは、事実に基づいたものに比重が偏っており、事実を暗記 することに焦点が当てられています。感情ではなく、推論が重要視さ れていますが、感情もまた非常に重要なのです。 聞き手:富士通総研経済研究所 研究員 ニック・オゴネック 主任研究員 吉田倫子 カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。専門は、産業工学研究。 ハーバード大学で数学を学び、同大学にて博士号を取得(応用数学)。 ランド研究所時代は、動的計画法というプログラミング最適化技術の考案で知られているリチャード・E・ベルマン氏と共同研究を行った。 バークレー校では、数学的モデリング技術の限界について興味を持ち、 哲学者でありバークレー校名誉教授である兄のヒューバート・ドレイファス氏と共に 『純粋人工知能批判―コンピュータは思考を獲得できるか』(アスキー)を出版。 現在の人工知能や数学的モデリングのアプローチが抱える問題を詳らかにし、警鐘を鳴らす。 最近は神経科学と人工知能についての研究に従事。 1 http://www.rand.org/pubs/papers/P3244.html

(11)

文学研究とデジタル・ヒューマニティーズ デジタル・ヒューマニティーズとは、一言で申し上げれば、コンピュー ターを利用して人文科学(ヒューマニティーズ)の調査研究を行う方法 論的アプローチです。私が携わっている分野は文学ですが、定量的 視点から文学を見ることにおける関心は極めて古く、夏目漱石や彼の 文学論の中にまでさかのぼることができるでしょう。 20世紀に入り、文学を統計的に分析する試みが色々となされる ようになりました。例えば、字句の豊かさや語彙の豊富さを見たり、 韻律を理解したり、その著者の文体を分析したりすることなどです。 そして、1950∼60年代ごろには、文体論が出て来て、言語学や 文学資料に関心を持つ学者らと共に議論が行われるようになりま した。 当時の研究の主流は、抽出することでした。特定の著者の文体を 定義するために、使われている単語や型の利用頻度などを分析する のです。例えば、シェイクスピアの作品だと思われる一文があるとし ましょう。しかし、実際に著者は誰なのかわからないとします。そこで、 統計的手法を用いて、シェイクスピアの他の作品と比較し、「利用さ れている単語の正確な組み合わせから判断してシェイクスピアの作品 とみなせそうだ」と言うのです。このような研究は、長年にわたって 行われてきており、技術そのものや、技術を用いるテクニックが改良 されたことによって進歩しました。 デジタル・ヒューマニティーズの分野で重要な一歩がもう一つあ ります。2000年に英文学者であるフランコ・モレッティが「遠読」 (ディスタント・リーディング:distant reading)という考え方を発 展させたことです。これは、「精読」(クロース・リーディング:close reading)とは対照的な概念です。 精読が一つひとつの文学作品を掘り下げ、限られた作品を主題に 沿って記号的に、あるいは修辞学的に取り上げて作品の議論や解釈 を導き出すのに対し、遠読は文学を一つのシステムとして理解し、著 者が何を感じていたかということを超えて、広大なスケールで、あり とあらゆる影響を考慮するものです。モレッティは、「世界文学」に関 心があり、文学それ自体と、文学を地球規模で捉えることに関心を  人文科学の分野では、「デジタル・ヒューマニティーズ」や「カルチュラル・アナリティクス」など、新しい方法論的 アプローチが注目され始めています。これらは、デジタル画像処理システムや高解像度分析、

AI

(人工知能)などの 技術を駆使して、定量的に人文学のコンテンツを分析し、さらにそのような技術によって影響を受ける人間そのもの を理解しようとするものです。  私の専門は日本文学ですが、文学そのものを研究すると同時に、文学によって見えてくる関係性を把握したいと思っ ています。文学は、社会的関係の産物と捉えることができますし、それは歴史を濾過した一つの生き方のかたちです。

ホイト・ロング

 シカゴ大学東アジア言語文化研究科 准教授(日本文学)

Long, Hoyt Associate Professor of Japanese Literature, East Asian Languages & Civilizations, The University of Chicago

デジタル・ヒューマニティーズの挑戦

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持っていました。この世の中には、一個人が読むには膨大過ぎる量 の小説が存在し、詳細に把握することはほとんど不可能です。そこで、 彼はこの遠読という考え方を思いつき、データ分析に着手し、比較 研究を行ったのです。 有名な研究事例は、「小説のタイトルの長さは短くなるのか、長く なるのか、それとも変化しないのか?」という問いを立て、検証した ことです。19世紀に書かれた小説のタイトルに含まれる単語数を分 析したというシンプルな内容ですが、しかしこのことによって、文学 における統計分析の扉が開かれ、注目が高まったのです。彼は、そ れを最初にやった人です。モレッティの著作は昨年日本語でも出版さ れており、私は、彼の本が日本においてデジタル・ヒューマニティー ズという考え方に対する新たな関心に火を付けるのではないかと 思っています。 この分野は学際的でもあります。私の関心の一つは、定 量的 な計算手法で大 規模に、従 来 からの 研究課 題に挑 戦するのか、 人間としては把握することができない新しい研究課題に対して技 術を駆使して挑戦するのか、という点です。このような分野は今、 「カルチュラル・アナリティクス」と呼ばれるようになってきてい ます。 カルチュラル・アナリティクスとは、視覚資料などを中心とした文 化的コンテンツを、デジタル画像処理システムや高解像度分析などの 技術を用いて研究する新しい領域です。人文科学における既存の研 究課題だけではなく、ICTによって生み出された巨大なデジタルコン テンツや、新しい技術によって変化した人間そのものを分析して理論 を導き出します。 「文学 × 技術」で見る関係性 上述の通り、デジタル・ヒューマニティーズは学際的で、文学だけ ではなく、歴史、哲学、宗教など、研究分野は広範囲にわたっており、 何が課題となっているかはその分野の研究者によってまた様々です。 私がこの分野に挑んだ時の最初の問題意識は、「社会的関係の産 物としての文学」を理解できるかどうかということでした。例えば、 詩人が詩を出版した場所に基づいて考えてみましょう。詩人が雑誌に 作品を発表したり、雑誌自体を世の中に認めさせようとしたりするこ とは、プロセスとして重要な活動の一つです。なぜなら、討論のた めの開かれた場としてのフォーラムを形成し、コミュニティを創造し ているからです。 我々が解こうとしている問いは、こういうものでした。すなわち、 「もしも2人の詩人が同じ雑誌で何度も詩を公表していたら、一方の 詩人は他の一方に対して社会的繋がりなり関係性を持っていることを 意味するのだろうか?」ということです。他のネットワーク科学のプ ロジェクトにおいては、出版データを用いてソーシャルネットワーク のイメージがどう見えるかを分析したりもしました。しかし、ここで の「ソーシャル」の定義は極めて限定的なもので、共著ネットワーク と言ってもよいでしょう。詩人の間に存在するリンクは、同じ雑誌で 一緒に詩が公表されているほど、強い結びつきとみなされます。 この点において、今度は次のような疑問が浮かぶでしょう。それは、 「雑誌において詩人が頻繁に公表していた特定の期間は、2人が一緒 に活動していたことを意味するのか?」ということです。詩人が一緒 になり、自分たちの独自の思想を述べる方法であるかのように一つ の雑誌をつくる。これは重要なことだと思っています。

(13)

技術によって新たな関係性をあぶりだす

デジタル・ヒューマニティーズの挑戦

定量的な観点から、私たちはこれらが社会的機能のようなものを 持っていると知ることができます。そして、膨大なデータから次に見 えてくる疑問は、これら全てのリンケージをマップに表した時にどう 見えるのかということです。マッピングで表出したグループは意味が あるものなのか? そうでないのなら、特定したその期間について新 たな問いが生まれてきます。 翻訳から見る関係性 過去に執筆した論文において、様々な雑誌において何が翻訳され ているのかを見るために、翻訳の問題について研究しました。様々 な言語から日本語への翻訳です。アイデアが一つの場にどのように入 り込むのかを見るのですが、そのプロセスについてはしばしば非常 に曖昧なことしかわかっていないこともあります。フランス語やドイ ツ語から日本語へ翻訳された詩が多いようです。 しかし、思想は極めて特定されたチャネルを通じて世界を旅する 必要があるのです。他の言語で書かれた未知の思想は、別な言語に 翻訳され、特定の新しい場所で印刷され、そして誰もがそれまでア クセスできなかった場で公表されなければならないのです。思想は、 単に一つの場で公表されるのではなく、様々なルートを旅しなけれ ばならないのです。思想が交差する時もあればしない時もあります。 ですが、翻訳され広く理解されるべきものなのです。 どの言語から詩は翻訳されているのでしょうか? そして、どの雑 誌において出版されているのでしょうか? その点から、私たちは、 より沢山の粒度の細かい理解を発展させることができます。例えば、 日本人の詩人のこの特定グループは、アメリカの詩人のこの特定のグ ループを好み、そして必ずしもフランスの詩人ではない、などという ことが分かります。そしてまたアバンギャルドを象徴している別のグ ループはフランスの詩人を好む、などということです。ですから、基 本的に、社会的繋がりが、いかに題材の外に向かう態度を形成して 題材の外にあるものを受容し、そして形成されているのかについて の理解を発展させることができます。これが、私が研究したいと思っ ていることです。私が、繋がりがいかに異なっているのかを理解し始 めることができたのは、ネットワーク分析を通じてでした。 私にとって、ひとつの原動力となった問いは、「日本の外から日本 へ、そして日本の中において、文体と型の動態変化を追うことがで きるかどうか」という考えでした。私たちはまだ、文体の進化を全体 論的に理解することができていません。これは、カルチュラル・アナ リティクスが突き止めようとしている核心となる問いの一つです。 しかしながら、抵抗もあります。文系の研究者の多くが、定量化 という手法では何が文学を面白いものにしているのか、あるいは何 がその文学の比類なき価値であるのかを理解することができないと 信じていました。機械学習のモデルは抽象で、文学の複雑性を減少 させます。しかし、それは自然科学や他の科学でも同様です。この モデルは、決して世界全体を捉えているのではありません。 多くの文系の研究者らが犯している間違いは、数字が一つの真実 だけを伝えると誤解しているということです。しかし、統計学を勉強 するほど、数字とデータから多くのことを解釈できる可能性があると いうことがわかります。科学の分野で研究する人々は、数字がいかに 不確実なものになりうるかということを知っています。私は、これは 数字が唯一の絶対的な真実を伝えるのだという反知性運動の一つだ

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と思います。それは全く真実ではありません。 社会的変化への対応 日本、中国、米国、ラテンアメリカなどの国々の同時期におけるネッ トワークの形状を分析したことがありますが、形状はそれぞれ国に よって異なります。1920年代と1930年代における世界的な共通点 であり常識となっていることは、詩人たちが小規模な出版媒体に加 わっていたことです。ですから、今日のブログやSNSと同様の新し い出版形式だったのです。しかし、同じメディアを利用していたとい うだけの理由でネットワークの構造が同一に見えるということは意味 しません。 ネットワークが我々の理解を助けるだろうと期待していることは、 そこに特定の構造があるかどうか、すなわち、「関係の合流点」が見 られるかどうかということです。米国では、例えばより密接な構造に なっており、主要雑誌に重点が置かれ、そしてそれがたくさんの重 なりと共通の繋がりを持ち、広範囲に及んでいます。日本の場合は、 米国と似てはいるものの、共通の繋がりが少ない構造になっていま す。中国では、ネットワークが非常に断片化した構造になっており、 共通の繋がりはほとんど見られません。地理的な問題など、多くの 理由と関係しています。しかし、このような分析により詩人の内集団 がどのように集中しているのかといったことや、いかに他のグループ に参加しようとしていたかについてもわかります。 これは、私の研究ではありませんが、このような関係の合流点を、 「創造と共創の共通構造」に注目して分析し、国ごとにどのように違っ て見えるのかを比較した研究もあります。また、別な研究では、共 同体意識が何を意味するかについて分析しており、いかに詩人の作 品が場に依存しているかを示したものもあります。もしも彼らが、極 めてお互いが区分された派閥に分かれていたのなら、これはすなわ ち中国のようなケースですが、そしてお互いに接点を持たず、他の人々 と作用し合っていないのであれば、そこには非常に閉鎖的で固い結 びつきのグループがあり、お互いに影響を与えない関係性が構築され ていたことを意味します。しかし、一方で、もしも派閥がオープンな ら、そこには異なる分野の相互作用が見られたり、相互に影響を及 ぼし合ったりしています。 このように異質なグループ間の交流について、日本のケースは特に 興味深いと思います。なぜなら、明治に入ってからたくさんの異なる 思想や影響が全て一気に流れ込んできたからです。西洋文明の輸入 により、西洋の思想・文学の翻訳と紹介を中心とする啓蒙時代が始 まり、それに続く自我意識の目覚めが人間性の解放をもたらし、自 由からロマン、さらに自由主義的な動きに発展しました。ですから、 形成するエコシステムは、文学運動の線形進歩が見られるヨーロッパ とは異なります。 ジャンルのバウンダリー ∼不変性の発見∼ テッド・アンダーウッドという学者は、探偵小説やSFなどといっ た人気のあるジャンルの研究をしており、1800年から今日に至るま での何千という小説のコレクションを持っています。 探偵小説を創り上げている「探偵用語」は何なのでしょうか? 人 間の読者にとっては、フィクションとノンフィクションを無意識に区 別するのは非常に簡単なことですが、でもそれは何故でしょうか? 

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フィクションである感覚を創り上げている特定の単語や単語体系は 何なのでしょうか? 彼の問いは、「小説が用いている単語体系だけを見ることで、特定 のテキストのジャンルを特定することができるのか?」そして、もしそ うならば、「どの程度正確なのだろうか?」ということです。時を経て もなお、エドガー・アラン・ポー(1800年代の米国の小説家)と現 代作家を理解するのに同じ単語体系を使うのでしょうか? 彼は、200年以上の期間を分析対象とし、機械学習を用いて、そ の期間において多くの不変性があることを発見しました。探偵小説 の言語はそれほど変化しておらず、実際に、ポーの作品を、ごく簡単 にですが、1950年代のハードボイルド小説から見分けることに成功 しました。なぜなら、同じ単語体系を用いる傾向があることが分かっ たからです。 突き詰めると、彼の問いは探偵小説についてのものではなく、小 説のジャンル全体についてのものです。すなわち、いかに一貫性があ るかということです。彼の研究は「ジャンルのライフサイクル」という もので、長期間に及ぶ大規模なデータセットを見ようとする試みであ ると言えます。 私自身の研究においては、私小説を見ています。そしてそれは、日 本の近代文学にとって特徴的なジャンルです。私小説は、自伝的です が、作者の内面的な精神変化やイデオロギーに焦点が当てられてい ます。しかし、文体的に、何がジャンルを定義するのでしょうか? こ れは、共同研究者と一緒にやっているプロジェクトの一部ですが、私 は、私小説とプロレタリア文学あるいは大衆小説を区別するような文 体の傾向を定量化したいと思っています。 私小説は、作者自身の生き方を心情と共に吐露するもので、日本 では大正から昭和にかけて主流でした。プロレタリア文学は、作者 自身という個ではなく社会主義思想や共産主義思想と結びついて描 かれてきたものです。実は、中国においても類似の現象がみられる ことから、私たちは、日本と中国の両方のケースを調べたいと思って います。 両国において、私たちが近代文学について考える起源ですが、こ れは近代的自我の発見と関係しています。私たちは現代的であると 言えます。なぜなら、自分の独自の内面性について書くことができ ますし、自分たち自身のことを、特定の階級の一員であるとか、あ る種の地位にある人間であるとはみなさず、それとは対照的に、大 きな社会の中の一個人としてみなしています。両国においては類似の 動きがあり、ですから私たちは両国の間に共通する何かがあるので はないか、言語学的に書物における独自性があるのではないかと考 え、それを見つけたいと思ったのです。 私たちが得た知見は、実際にこれら2つのジャンルに共通する2 ∼3のシンプルな特徴があったということです。最も分かりやすい例 は、他のジャンルで書かれた作品より、いずれも反復的で冗長な傾向 があるということです。この反復性や冗長性は、しばしば口頭言語 に関係しているということがわかります。私たちは自分のことを話す ときにより反復的になる傾向があります。 このような反復性という特徴ですが、当時の作家たちが創造的選 択をするためにはいくぶん必要だったのです。作家たちは、個とは何 か、人間とは何かを表現するための言語の新しい型を発展させる必 要があったのです。そして、これが反復性と口頭コミュニケーション

技術によって新たな関係性をあぶりだす

デジタル・ヒューマニティーズの挑戦

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著書にはOn Uneven Ground: Miyazawa Kenji and the Making of Place in Modern Japan (Stanford University Press, 2011)があり、 メディア史やデジタル・ヒューマニティーズの分野で幅広く論文を発表している。

最近の論文には、Richard Jean So教授との共著“Literary Pattern Recognition: Modernism Between Close Reading and Machine Learning,”Critical Inquiry (Winter 2016)、“Turbulent Flow: A Computational Model of World Literature,”Modern Language Quarterly (September 2016)がある。 シカゴテキストラボをSo教授と共同運営しており、現在、日本文学におけるコンピュータ分析の過去と未来についての本を執筆中。 への傾向に集中して表れたのです。これは、同時期における中国文 学にも一致しており、この傾向についてはどこか普遍的なところがあ るのだと言えます。 歴史を濾過した文学という産物を機械で知るということ 文学は、文化についての異なる歴史的レンズを与えます。それは直 接的な反応ではありません。メディアとしての文学の中に入り込んで いく技法と構文がたくさんあります。文学は、社会的関心、政治的 関心、実存的関心などまだ固まっていない物事を取り込む方法のひ とつであり、特定の時代における他人の生き方のモデルを提供する 物語の中に還元されて行きます。 文学は、歴史を濾過した一つのかたちです。いかにこの濾過機能 が作られているのかを見るには、調べなければならないことがたく さんあります。しかし、その仕事の裏に存在するのは、文学が紐解 く社会的実在性です。 「文学を読む時になぜコンピューターを使うのか?」という問いに ついて考えるとき、私にとって重要なことがあります。ミクロとマク ロのレベルがありますが、まずミクロのレベルでは、「文学を異なっ た方法で読む」ということです。これは限定的な課題目標です。なぜ なら、文学の研究をしている人々にとってのみ意味があることだから です。しかし、マクロのレベルでのより大きな教育的目標は、文系の 研究者として機械学習の技術をどう利用するのかを知ることです。な ぜなら、「いったい何が我々の存在の要素的な側面の一つになってき ているのか」に対するリテラシーを養うことができるからで、その挑 戦がすなわちAIです。 私たちがこの研究で用いているアルゴリズムは、Google翻訳やソー シャルメディアなどと同じ原理で動いています。私たちの生活に関す る意思決定は、全てデータ分析や機械学習の要素を持っているもの です。 文系の研究者である私たちにとって重要なことは、このような試 みについて批判的であることだと思っています。まさに本の時代に、 本がいかに機能していたかを理解するためのツールを開発したのは、 文系の研究者でした。そして、それは非常に大きな意味を持っていま した。 かつて私は、日本のコミュニケーションの歴史について研究してい たことがあります。明治時代の作家たちが、ラジオ、電報、電話など、 新しいコミュニケーション方法から文学作品を生み出していたという 歴史です。この研究を通じ、コミュニケーションについての人々の考 え方がいかに変化してきたかを多く知ることができます。 今、私たちは機械学習の時代に生きています。ですから、私たち はこれらの問題に取り組むツールについても考えるべきなのではな いでしょうか。私たちは、取り残されたくありません。これがより大 きな全体像です。この研究をすることで、定量的サイドと定性的サイ ドという両方の側に立つ観察者になることができるでしょう。私たち は、基本的なレベルを知らないことについては批判的になりえませ ん。いかに基本的なレベルで影響を及ぼしていて、いかに文化の中 に返ってきているのか、ということが大切なのです。 聞き手:富士通総研経済研究所 研究員 ニック・オゴネック 主任研究員 吉田倫子

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どのようにミッションを感じるのか イェール大学経営大学院のエイミー・ウルゼンスキー教授が行っ た 興味深い研究を紹介しましょう。ある病院の清掃スタッフの一人 が、昏睡状態の患者の部屋に掛けてある絵を定期的に移動させてい ました。教授が、なぜそのようなことをやっているのかと尋ねたとこ ろ、医療知識の無い彼女たちは、「新しい絵の刺激が、患者に何らか の活気を与え、早く回復するかもしれないから」と答えました。教授は、 この作業が彼女たちの仕事の範囲を超えているため、解雇される可 能性があると言い聞かせたのですが、それにもかかわらず絵を移動さ せ続けました。その仕事が患者にとって意味のあることだと考え、 ミッションを感じていたからです。 では、大企業の場合はどうでしょうか? 巨大で、階層化された企 業において、ミッションへの繋がりを開く方法はいくつかあります。1 つ目は、社員に「なぜそこで働くのか」と尋ねることです。お金を稼ぐ ことだけが目的の人もいれば、出世の階段を上りたいという人もいま す。しかし中には、非常に有意義で働き甲斐があるからだ、という人 がいるのです。このような話を共有し、広げていくことは組織にとっ て非常に効果的です。 2つ目は、イノベーションです。どのようにしてイノベーションを引 き起こすのかについては、いくつかの矛盾する考えが存在しています。 極秘の最先端技術開発チームが鍵だと言う人もいますが、それを引き 起こすものは、同時に成立するのが困難な2つの両極端なケースです。 1つは自由度が増すことと、もう1つは自由な行動などに対する制約 を非常に明確に定義した労働環境です。 例えば、企業の中には、x量の時間とお金しかない状態で問題を 解決しなければならないのに、どうやって問題を解決するかという議 論や、そのプロセスについて自由度を高めてしまうということがある でしょう。しかし、非常に階層化され、硬直した構造の組織環境の中 では、社員にほんの少しの自由でさえも与えることは危険です。一方 で、イノベーションのために、セレンディピティの瞬間を細心の注意 を払いながら巧妙に作り出すことは重要なことです。人々はカフェテ リアや休憩中にお互い偶然出会います。ゴールを明確に定義するだけ  根本的に、どこにいる人でも、文化に関わらず、私たちは異なっているというよりも、むしろ類似しています。人々はみんな、一日の 終わりに、その日に行った重要な仕事を振り返り、同僚と共有している使命感などを思い出しながら、自分の価値を実感したいのです。  もっとも重要なことは、「自分たちがより大きな物事と結びついている」と感じることができるかどうかです。単に「新製品を開発し て市場で

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位を獲得したい」ということではなく、「これこそが私たちがやっている仕事なのだ、私たちがやっている仕事は人々の生活 を変えるのだ

!

」という意識です。これこそ人間の普遍的な要求です。日々の仕事の中でこの意識を持つことで、私たちの働き方はず いぶんと変わってくるでしょう。

ラズロ・ボック

 Google 前人事担当上級副社長

Bock, Laszlo Former SVP of People Operations, Google

ミッションが働き方と生き方を変える

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では社員は行動しません。マネジャーとして、あなたの息遣いはチー ムをコントロールするためのもので、だからこそチームメンバーが職 務を遂行しなかったら、具合が悪くなるのです。 3つ目は、あなたがその人の仕事や努力を気にかけて励ましたいと 思っている社員を褒めることです。全員参加の会議のたびに、仕事の 価値を説明する良い事例となるような創造的なことをした社員を見 つけ、そして彼らの話をするのです。 コンサルタントのアドバイスに従って経営方針を変えたり、大改革 が必要だと騒ぎ立てて着手したりすることは、実際には些細なテク ニック、いわば「その場限りの座興」と言っても過言ではありません。 しかし、創造的な社員を褒めるという簡単な方法をとれば、経営を大 きく変える必要はありません。あなたは、人として自分を変える必要 はありませんし、企業人としての自分を変える必要もありません。ト ラストフォール(お互いの信頼を高めるためのゲーム)をやる必要も なければ、リーダーシップ 研修に行く必要もありません。このような ことは、組織に大きなインパクトをもたらします。 中間管理職の役割 日本で暮らしていた頃、日本人ができるだけレベルの高い高校に入 学して、できるだけ良い大学に入って遊び三昧をし、そして就職をして 定年まで仕事をするという例を見てきました。もちろん、そうでない 人たちもいますが、このような人たちにとっては、潜在力やあらゆる 可能性の大損失です。そしてこのような人たちがコミットせずに、中 間管理職に就いている場合、問題になります。 大企業といえども、同じチームに属して一緒に仕事ができるのはほんの 少しの人数に過ぎません。数年間、一緒に仕事にコミットし、どう変化す るか見てみましょう。小さなグループなら、実験的な試みをすることがで きますし、それだけなら売上や利益を落とすことにはならないでしょう。 Googleがかつて行っていたパフォーマンスマネジメントシステムで は、社員が3か月毎に評価され、評価をまとめる間接部門の管理職 がいました。以前の評価は20点の固定制で過度に厳格なものになっ ており、時間の無駄でした。以前は、私たちの中にも極めて硬直的で 変化をしない体質があり、ゆえに、どのように変化したかを見るため に、同時に8つの異なる実験的プログラムを実施したのです。 実験の結果をよりロバストなものにするために、いくつかやらなけ ればならないことがあります。まず、実験をしたり、制約を与えたりす るグループがなければなりません。他のチームに依存していない、ある いはほとんど依存していないチームを取り上げることも重要です。万が 一、突然連絡が取れなくなったり、問題を生じさせて利益を失ったりし ても、グループの独立性が担保されているほうがやりやすいからです。 また、被験者となる社員に対しても補償が必要です。このプログラムに 選ばれた社員にとっては不公平な面もあります。なぜなら、評価に影 響を及ぼす可能性があり、それによってボーナスにインパクトがあるか らです。しかし、私たちは彼らに事前に言いました。これは一つの機会 なのだと。優秀な人には、多く支払われるという公平な制度なのだと。 日本のような企業文化では、いつも職場に調和を求めながら仕事を しており、全員が同じように扱われるマネジメントシステムに向かう重 力が働いているので、「不公平な報酬は公平なのだ」という考えは受け 入れ難いことでしょう。しかしここには2つの問題があります。1つ目 は、他の社員よりも一所懸命に仕事をする人々がいるということ、天

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よい仕事をする文化を作る

ミッションが働き方と生き方を変える

賦の才能を持つ社員がいるということ、優れた仕事をする社員がいる という事実です。2つ目は、それを無視したり、見なかったことにして 給料や昇進を決めたりすると、最も優秀な社員たちはもうあなたのた めに働きたくなくなるでしょう。あるいは、働いたとしても自発的に努 力をしなくなります。定時まで会社に残っていても言われたことだけや る人と、創造性やイノベーションに向けて努力を重ねる人を比べてみて 下さい。競合と戦いたいのなら、特別な努力をすることが不可欠です。 自発的な努力をすることがなぜ重要なのかという理由を社員に示す 必要があります。自発的な努力が集合する場こそ、世界にまだ存在し ない新しい何かが生まれる場であり、さらに利益の源になる何かが生 まれる場であり、顧客にさらに喜んでいただく何かを生み出す場なの です。社員のやる気を引き出すような内因性動機付けを行わず、優秀 な社員への効果的な昇給や昇進などといった外的動機付けを行うこ とを怠るのなら、あなた自身が、単に出社して1日を過ごし40年後 に定年退職する社員と共に取り残されるでしょう。要は、自分たちが どうなりたいのか、という問題です。 変わりたいのに変われない企業 以前読んだ本に、70年前にアメリカ人の総監督が中国の建設中の ダムを視察した話が書かれていました。労働者たちがシャベルとピッ クを使っていたので、アメリカ人の総監督が中国人の現場監督にこう 指摘しました。「近代的な道具を使えばもっと効率的に仕事ができる はずだ」と。中国人の現場監督は、「でも効率的に仕事をすると、み んなが仕事を失います」と言いました。すると、アメリカ人総監督は、 「作業の目的が人々に仕事を与えることなら、今すぐシャベルとピック を取り上げ、代わりにスプーンで作業させるべきだ」と言ったのです。 仕事が多層的に構造化しており、そのうちの仕事の目的の一つが安 定と予測可能性であるのなら、それでも良いでしょう。しかし、2つ の問題を引き起こします。1つ目は、優秀な人々は、このような環境 を望まず、彼らはもっと希望に合う他の企業に転職してしまうでしょ う。2つ目は、競合に対峙している時です。基本的に、安定した環境 を作るために利益創出が先延ばしになってしまっているのです。もし も、競合があなたたちよりも利益性を考慮したビジネスを展開してい るのなら、彼らはあなたたちよりもより速いスピードで企業成長を遂 げ、あなたたちの事業をさらに脅かすことになります。 日本は文化的に米国と非常に異なります。少なくとも私の日本文化 に対する理解からはそうです。日本の国民文化と異なる企業文化を構 築することは、非常に難しいことです。私は、何もかもGoogleを目指し た企業を日本に作ることは、意味があることとは思いません。しかし、 社員の誰もがその価値を認め、喜んで受け入れるような何かを単純な ことでも良いので実践しなければなりません。自分たちの結果が何な のか、そして生産性の観点から見た場合、それは本当に良いものなの かどうかを測定しなければなりません。遅くまで会社に残ったり、上 司やチームメンバーが先に帰るのを待っていたりするようなことにプレ ミアム感があるような文化のもとでは、人間は生産的になりえません。 企業の高齢化と世代間ギャップ 日本だけではなく、米国全体において、世代間格差は非常に大きく なってきていると言えるでしょう。私の父は1941年生まれで、最初の 仕事で何を成し遂げたかったのかと聞いた時、「職を得て家族を養う

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ことだ」と答えました。仕事をしていて最も良かった時については「自 分のボスが私を一人職場に残して行ったので、集中して非常に優れた 仕事をすることができた」と言いました。 このような働き方は変化してきていますが、しかし、ほとんどの人々 は、単に良い仕事をしたいのです。その点においては、全世代に当て はまることです。違いは、若い世代のほうが、より繋がり合っていて、 発言力があるということです。彼らが望んでいるのは、私たち全世代 が欲しがっていることです。 日本では、恐らく、ある一定のワークスタイルなり、仕事を通じた 生き方なりが、長年に渡って変わらずに残っているという実態がある のだと思います。そして、そのような伝統に対するある種のリスペクト すらも存在するのではないでしょうか。しかし、そのような傾向は米 国にもあります。 物事が変化するとき、そこには憎しみが存在します。多くの人々は、 変化したがらないのです。「慣れ」というのは、徐々に起こってきます。 ルーティンワークは、簡単で安定しています。そこで「私はもう自分 の仕事をやった。次はあなたの番だ。じゃないと私にとってアンフェ アだ」と言う人がいるでしょう。しかし一方で、「とにかくやってみる」 と言う人も存在します。 最も厄介なグループは、「自分はもうやった」という人たちです。彼 らがやったというのは本当ですが、長時間働いたという意味において です。しかし、今私たちが生きている世界は違います。より大きな何 かと繋がっている必要があるのです。それが危機であろうと、会社が 直面している問題を解決しようとする向上心であろうと、「自分はもう やった」というような人たちにもしっかり貢献してもらって、以前まで の状況を置き換える必要があるのです。 良い仕事をするという責任 日本のマネジャーやリーダーにいつも感心するのは、計り知れない ほどの深い責任感です。米国の技術系企業では、社員に食べ物を与 えたり、素晴らしい職場環境を与えたり、職場というよりも遊び場の ような居場所になっています。そこで起こっている大議論は、社員が 権限を与えられていると感じているかどうかです。大卒2年目かそこ らで、昇進への道が用意されていて欲しいと思っており、昇給と昇格、 無料の食べ物と移動手段が欲しいのです。 日本は米国から多くのことを学ぶでしょう。しかし、私は実際に、 責任感や、企業理念と自分の仕事の繋がりをどのように説明するのか など、米国は日本から多くのことを学ぶことが出来ると思っています。 私は、そのような考え方を企業全体にどのように浸透させて、それを 維持した状態をどのように保てるのか、どのようなコミュニケーショ ンを行っているのか、知りたいと思っています。これこそ、私が社員 の使命感や文化について多く考える理由です。 私は今、この問題解決を手助けする製品を提供する会社を起こそ うとしているところです。ある意味では、使命感は、義務・責任・義 理が総合された文化的な精神状態です。あなた自身を何かに繋げる モチベーションです。「良い仕事をすること、それが私の責任です」と 好意を持って仕事をすることが、望ましいのではないでしょうか。 企業規模を拡大し、業界を牽引するような急成長を遂げたり、驚異的な企業文化を創り上げたりしている企業の創設者やリーダーらと 連携しながら、「最高の職場」を作るために尽力している。 著書である『WORK RULES!』は、ニューヨーク・タイムズのベストセラーに選出され、日本語を含め、20以上の言語に翻訳されている。 2006∼2016年 Google人事担当上級副社長を務め、社員数が6,000人から72,000人へと増大する中で、 Googleの企業文化を革新的で頑強なものに育て上げていった。任期中、Googleは最高の職場として150回以上表彰されている。 技術や社員の行動データを用いてより良い職場を創り上げる「ピープル・アナリティクス」という分野の創造に貢献。 学術的な研究成果を厳格に現場に応用することにも熱心である。現在は同社のアドバイザーを務める。 聞き手:富士通総研経済研究所 研究員 ニック・オゴネック 主任研究員 吉田倫子

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