著者 磯野 博
雑誌名 東洋大学社会福祉研究
巻 14
ページ 5‑17
発行年 2021‑12
URL http://doi.org/10.34428/00013005
静岡福祉医療専門学校
磯野 博
●論文
障害年金に関する日韓比較研究
― 政策決定に対する障害者運動の視点から ―
【要旨】
本稿は,障害年金に関する日韓比較研究を行う ものである.とりわけ,政策決定に対して障害者 運動が関与してきた経緯を重視する.
国民皆年金体制が整備される経緯は,日韓には 共通点が多い.しかし,2000年前後から,韓国に おける各種の社会保障では独自の改革が行われて いる.そのため,日韓の国民皆年金体制には相違 点が生じている.障害年金も同様である.
本稿は,この共通点と相違点に着目する.そして,
「国民皆年金体制が整備される経緯」と「障害者の 権利に関する条約の批准によって国内法が整備さ れる経緯」という2つのポイントから考察する.
【キーワード】 国民皆年金体制 障害年金 障害者 運動 障害者の権利に関する条約
ⅰ.はじめに
昨今,東アジアの比較研究が多くの社会福祉系 の大学や学会において意欲的に取り組まれている.
その一環として,日中韓の研究者ネットワークが 日中韓社会保障国際論壇の開催と併行して形成さ れてきたことが挙げられている(埋橋 2013).また,
研究内容に関しては,「制度間の比較」,「国と国の 比較」といったマクロな研究が多く,「問題別の比 較」,「グループ間の比較」といった実証的な研究 が相対的に手薄になっていることも指摘されてい る(埋橋 2013).
本稿は,この指摘を踏まえ,東アジア比較研究 を障害者政策,とりわけ先行研究が少ない障害年 金の分野にも発展させる契機にすべく,2017年9 月16日,南京大学において開催された第13回日中
韓社会保障国際論壇年金分科会での報告内容を加 筆・修正したものである1).
1.日韓比較研究
本稿は,東アジアのうち日韓比較研究に焦点を 当てている.それは,韓国の国民年金は発足当初 の日本の厚生年金保険を模倣して創設されており,
国民皆年金体制の整備に向けても日本のモデルを 参考にしてきたからである.そのため,現在も類 似した国民皆年金体制になっている(朴 2015).
たとえば,韓国では,国民福祉年金法の制定(1973)
に先立ち,社会保障に関する体系的な研究を行う ため,日本の社会保障制度審議会を参照した同名 の諮問機関を保健社会部に設置している(1962).
これは,制度のみではなく,組織や運営について も日本のシステムを詳細に検討したことを示して いるといえる(朴 2016).
一方,各種の社会保障と同様,2000年前後から,
韓国の国民皆年金体制は日本とは異なる改革が急 速に断行され,老齢基礎年金(2007),障害基礎年 金(2009)という韓国独自の基礎年金が創設され ている.これらは,同名の日本の基礎年金とは受 給要件や給付内容などが異なる韓国独自のもので ある(朴 2015).
これら,日韓の国民皆年金体制の整備における 共通点と相違点は,障害年金を含めた公的年金に おいても日韓比較研究が有効であることを示して いると考える.
2.障害者運動
また,本稿は障害者運動にも焦点を当てている.
これは,国民皆年金体制の整備における障害年金 の政策決定過程は,日韓における障害者運動の特
徴の一端を示していると考えるからである.
たとえば,憲法第25条が保障する「健康で文化 的な最低限度の生活」を争った朝日訴訟は,日本 における障害者の所得保障に関する障害者運動 の原点のひとつであるという指摘がある(児島 2009).そして,障害基礎年金の政策決定過程は,
労働運動に後押しされた障害者運動の影響が大き いという指摘もある(三澤 2009).
一方,韓国における障害基礎年金の政策決定過 程は,政府主導というより障害当事者主導のモデ ルであるとともに,障害者のニーズが様々な経路 をとおして反映され,障害者団体と政治家との連 携によって策定された多元主義的政策決定モデル であるという指摘がある(李・李=金 訳 2010).
このように,日韓の国民皆年金体制の整備に おける障害年金の政策決定過程に障害者運動が関 与してきた経緯を比較することは,本稿の主要な 視点である.
ⅱ.研究の枠組
1.時期区分
日韓における国民皆年金体制の時期区分は,制 度の創設,廃止,統合といった制度の体系そのも のを改める抜本改革を踏まえるという指摘がある
(朴 2015).本稿では,これら制度的視点に加え,
国際障害者年,「障害者の権利に関する条約」(以下、
権利条約)といった障害者政策に大きな影響を与 えた国連の動向などを考慮に入れ時期区分を行う.
とりわけ,権利条約は,日韓ともに政府とNGOが 起草段階から関与し,障害者政策と障害者運動を 発展させる契機になった.
具体的には,以下の時期区分を採用する.
【日本】
<第1期(1950 ~ 1972)>
社会保障制度審議会が示した「社会保障制度に 関する勧告」を踏まえたセイフティーネットを創 設するため,国民年金法が制定され,「分立型の国 民皆年金体制」が構築される時期である.
<第2期(1973 ~ 1980)>
「福祉元年」では,各種の社会保障の充実と併せ て公的年金の給付水準が上昇するが,オイルショッ
クによって高度経済成長期から低成長期に入るな か,「福祉見直し」へと転換する時期である.
<第3期(1981 ~ 1990)>
国際障害者年から「国連 障害者の10年」が展開 されるなか,財政赤字によって行財政改革が断行 される一方,国民年金法の抜本改正によって「二 階建ての国民皆年金体制」が構築される時期であ る.
<第4期(1991 ~ 2003)>
バブル崩壊が徐々に顕在化し消費と雇用に甚大 な影響を与えるが,適切な対策が採られないまま デフレに突入するなか,公的年金の保険原理が一 層強化され,被保険者(国民・住民)に対する管 理が進行する時期である.
<第5期(2004 ~ 2012)>
リーマンショックによって世界金融危機が誘発 され,「失われた20年」に拍車が掛かる一方,更な る規制緩和が格差と貧困を拡大させるなか , 権利条約に応じた提言を「障がい者制度改革推進 会議」(以下,推進会議)が行う時期である.
【韓国】
<第1期(1950 ~ 1972)>
軍事独裁政権に基く維新体制のもと,経済成長 が優先され,社会保障の整備は遅れ,公的年金も 特殊職域年金が先行する時期である.
<第2期(1973 ~ 1985)>
重化学工業振興への財源調達のため,国民福祉 年金法が制定されるが,オイルショックによって 施行が無期延期される時期である.
<第3期(1986 ~ 1997)>
施行が無期延期されていた国民年金法が施行さ れ,被保険者を徐々に拡大するが,アジア通貨危 機に陥り,後発型利益を享受できなくなる時期で ある.
<第4期(1998 ~ 2003)>
アジア通貨危機以降,各種の社会保障において もワークフェアを基調にする超高速改革が断行さ れ,国民皆年金体制が構築される時期である.
<第5期(2004 ~ 2012)>
権利条約が採択され,障害者政策のパラダイム シフトが図られるなか,老齢基礎年金,障害基礎 年金という韓国独自の基礎年金が創設される時期
である.
2.比較項目
本稿では,5つの時期区分における比較項目と して以下の4点を設定する.これらは,前述の指 摘(埋橋 2013)を踏まえ,<政治的・経済的な状 況>と<国際的な動向>が日韓比較研究を行うマ クロな視点であり,<障害者政策・公的年金等の 状況>と<社会・市民運動 障害者運動等の状況>
が本テーマを探求する実証的な視点である.
<政治的・経済的な状況>
各国の社会保障はそれぞれの国の経済状況や財 政状況などに影響を受けることはいうまでもない.
本項目では,高度経済成長や財政抑制など,公的 年金を含めた社会保障に影響を与える「政治的・
経済的な状況」について示す.
<国際的な動向>
グローバル経済が伸張するなか,各国の「政治的・
経済的な状況」は外国の支援や経済恐慌・金融恐 慌といった「国際的な動向」に影響を受けてきた.
本項目では,これらに加え,障害者政策に影響を 与える国連の動向などについて示す.
<障害者政策・公的年金等の状況>
本項目では,上述の「政治的・経済的な状況」と「国 際的な動向」のもと,日韓において展開される主 要な社会保障,そして障害者政策や公的年金,と りわけ障害年金の状況について示す.
<社会・市民運動 障害者運動等の状況>
上述の障害者政策や公的年金,とりわけ障害年 金は,日韓ともに障害者運動の関与によって制定 されている.本項目では,これら障害者運動の状 況に加え,障害者運動と連携している労働運動や 市民運動などの状況について示す.
以下,これら5つの時期区分と4つの比較項目 に基き,日韓における国民皆年金体制の整備と障 害年金について概観する.
ⅲ. 日本における国民皆年金体制の整備と障 害年金
1.第1期(1950 ~ 1972)
戦後日本における社会保障の指針は,首相の諮
問を受けた社会保障制度審議会が示した「社会保 障制度に関する勧告」(1950)といえる.これは,
当時の疲弊した国民生活の「救貧」を喫緊の課題 にしながら,貧困に陥らない「防貧」を旨にして おり,生活保護を土台にした各種の社会保険の整 備を提起している.
翌年,サンフランシスコ平和条約とともに日米 安保条約が締結され,日米軍事同盟が成立する
(1951).そして,国際連合への加盟が承認され,
日本は国際的地位を回復すする(1956).一方,朝 鮮戦争によって日本に「朝鮮特需」が齎され,高 度経済成長が起こる(1954 ~ 1973).そのような なか,保守合同によって自民党が結成され,公約 のひとつとして国民皆年金体制の創設が掲げられ る(1955).
このようなアメリカの傘の下での平和と順調な 高度経済成長を背景にし,国民年金法が制定され,
国民皆年金体制は構築されたのである(1959).し かし,国民皆年金体制とはいえ,すべての国民・
住民を対象にはしておらず,学生と専業主婦は任 意加入であり,外国人は対象外であった.加えて,
拠出年金が中心であり,障害福祉年金といった無 拠出年金は臨時的・補完的なものでしかなかった.
とはいえ,障害福祉年金の対象は順次拡大され,
内部障害者と精神障害者(1964),知的障害者(1965)
が対象に加えられた.
その後,ニクソンショックによってブレトンウッ ズ体制は崩壊し(1971),固定相場制によって保護 されていた円は,変動相場制による国際競争に晒 されることになり,高度経済成長は終焉に向かう.
この時期,GHQの意向によって結成された日本 労働組合総評議会(以下,総評)(1950)は,中央 社会保障推進協議会を結成し(1958),労働運動と ともに社会保障運動に参画する.そして,朝日訴 訟の提訴(1957)を支援し2),堀木訴訟の提訴(1970)
に影響を与える3).また,「全国青い芝の会」(以下,
「青い芝の会」)(1957),「全国脊髄損傷者連合会」(以 下,「脊損連」)(1959),「障害者の生活と権利を守 る全国連絡協議会」(以下,「障全協」)(1967)といっ た障害者団体の全国組織が結成される.
2.第2期(1973 ~ 1980)
参議員での保革伯仲と各地の革新自治体誕生を 背景にし,「福祉元年」が政府の主要政策になり,
各種の社会保障の充実が図られる(1973).「福祉 元年」では,老人医療費公費負担制度による70歳 以上の自己負担無料化,健康保険の被扶養者の給 付率の引き上げ,高額療養費制度が導入される.
そして,社会福祉施設整備緊急5カ年計画(1971
~ 1975)が実施される.公的年金では給付水準の 引き上げが実施される.具体的には,現役勤労者 の賃金の上昇による賃金スライドと消費者物価指 数の変動による物価スライドが併用され,年金給 付水準は大幅に上昇する.また,障害福祉年金に 2級が設けられる(1974).
しかし,第4次中東戦争の勃発によるオイル ショックから各国のインフレが加速し,日本の高 度経済成長は終焉を迎える.同時に低成長期に見 合う社会保障給付水準を確保するため,「福祉元年」
から「福祉見直し」への転換が図られる(1974).
加えて,日本は既に高齢化社会に突入しており
(1970),将来の高齢化に備えた各種の社会政策の 整備も求められていった.
一方,国連総会では,「知的障害者の権利宣言」
(1971)と「障害者の権利宣言」(1975)が採択され,
12月9日が「障害者の日」になる.
この時期,生後27年間寝たきりであった心身障 害の実子を父親が絞殺して心中を図る事件(1967),
介護を苦にして脳性麻痺者の実子を母親が絞殺す る事件(1970)への賛否が世論に渦巻く.しかし,
このような障害当事者不在の議論を「青い芝の会」
は「障害者にとって生存権の危機である」と健常 者中心の社会に対して強烈な自己主張を行う.こ れらの障害者運動にマスコミや市民運動が注目し,
「さようならCP」の連続上映会開始(1972)4),『母 よ!殺すな』の出版(1975)5)などに結び付く.また,
全国各地で相次ぐバスへの車椅子の乗車拒否に対 して,「青い芝の会」はバスに篭城するなどの障害 者移動権闘争を展開する(白石 2016).
一方,総評が春闘において障害者の所得保障を 課題として掲げ,障害者団体は障害年金の改正を 主張する(1974)(三澤 2009).これを契機にし,「障 害者の生活保障を要求する連絡会議」(以下,「障
害連」)が結成され,「障害年金改正をすすめる会」
も結成される(1974).そして,「青い芝の会」,「障 害連」などが呼掛団体になり「障害者所得保障確 立連絡会」が結成される(1979).また,国際障害 者年を目前にし,「国際障害者年日本推進協議会」
が結成される(1980).
3.第3期(1981 ~ 1990)
低成長期の最中,「増税なき財政再建」を目指す 第2次臨時行政調査会(以下,第2次臨調)が設 立され,行財政改革が断行される(1981 ~ 1983).
また,新経済社会7カ年計画(1979 ~ 1983)に掲 げられた「小さな政府」による自助と相互扶助を 重視した「日本型福祉社会」への転換が図られる.
しかし,プラザ合意によるG5の為替レイトへの協 調介入から急速な円高・ドル安が誘導され(1985),
円高を日銀が放任し景気が悪化する.
そのようななか,国民年金は老齢年金の25年と いう加入期間満期を迎え,行財政改革の一環であ る年金財政調整のため,国民年金法が抜本改正さ れ,「基礎年金+報酬比例年金」という「二階建て の国民皆年金体制」が構築される(1985).基礎年 金のうち,老齢基礎年金の財源の1/3(現在は1/2)
は租税によって賄われる.そして,保険料納付義 務がない第3号被保険者を創設するが,第3号被 保険者の保険料総額は第2号被保険者の保険料総 額によって賄われる.そして,基礎年金のひとつ として障害基礎年金が創設され,初診日が20歳以 前の障害者が障害基礎年金の対象になり,従来の 障害福祉年金より受給額も対象者も拡大される.
また,「完全参加と平等」をテーマにした国際 障害者年(1981),「国連 障害者の10年」(1983 ~ 1992)が展開されるなか,日本でも各種の障害者 政策が改正され,重度障害者福祉が重点化される.
加えて,難民条約批准によって生活保護を除く日 本の社会保障から国籍要件が撤廃され,国民年金 から排除されていた在日外国人が被保険者に加わ る(1982).
この時期,「障害者所得保障確立連絡会」が中心 になり,厚生省交渉や国会へのロビー活動などを 行い,厚生省でも障害年金改正に向けての動きが 加速する.また,「国際障害者年日本推進協議会」は,
国際障害者年を具現化する長期行動計画の一環と して障害者の所得保障の充実を提起する(1981).
行財政改革が断行されるなか,これら障害基礎年 金創設に向けての運動が拡大する.そして,「障 害者インターナショナル(以下,DPI)日本会議」
が結成され(1986),「無年金障害者の会」も結成 される(1989).
一方,宇都宮病院事件(1984)をマスコミが大 きく取り上げ,それまで目が向けられなかった精 神障害者の分野にも世論が注目する.
4.第4期(1991 ~ 2003)
実態経済を上回る金融市場の加熱が引き起こし たバブル経済の崩壊がはじまるが(1991),有効な 景気対策は採られず,過剰労働力を解消するため に新規採用を抑える就職氷河期に突入する(1993).
その後,消費税増税やアジア通貨危機により,日 本経済はデフレの様相を呈するようになる(1997).
そして,「月例経済報告」(内閣府)において,政 府は日本経済がデフレ状態であることを公式に認 める(2001)6).
そのようななか,国民年金に任意加入であった 学生が強制加入になり(1991),在外邦人以外の国 民・住民は国民年金に強制加入になる.また,各 年金共通の基礎年金番号が導入され(1997),保 険原理に基く公的年金の管理は一層強化される.
しかし,国に策定が義務付けられている障害者基 本計画に無年金障害者の解消が盛り込まれたり
(1993),厚生年金保険の「6ケ月条項」が撤廃され ることによって一部の無年金障害者が救済される
(1994)といった前進も見られた.
一方,「国連 障害者の10年」のあと,アジア太 平洋障害者委員会(以下,UNESCAP)は「第1 次アジア太平洋障害者の10年」を決議し(1993 ~ 2002),その後,びわこミレミアムフレームワーク を経て「第2次アジア障害者の10年」がはじまっ ており(2003 ~ 2012),国際障害者年以降,国連 を通した<国際的な動向>は連綿と繋がっている.
この時期,「全国精神障害者家族会連合会」は無 年金障害者実態調査を行い(1991),「無年金障害 者の会」も同様の調査を行う(1992).そして,在 日韓国・朝鮮人無年金障害者は京都地裁において
(2000),学生無年金障害者は全国8地裁において
(2001)国に対する一斉提訴を行う.被保険者への 管理強化と構造改革のなか,厳しさを増す障害当 事者の実態を踏まえ,障害者団体は行政訴訟によ る問題解決に向かう.
これらの訴訟の係争中,厚生労働大臣の試案と して坂口試案が示される(2002).坂口試案は無年 金障害者を4類型・約12万人と試算し,福祉的措 置による救済を示す.そして,この試案と学生無 年金障害者訴訟東京地裁での原告勝訴判決を後押 しにし,障害者団体は,議員立法による「特定障 害者に対する特別障害給付金の支給に関する法律」
(以下,特別障害給付金法)の制定に向けての運動 に邁進する.
5.第5期(2004 ~ 2012)
労働者派遣法が改正され(2004),派遣労働者の 対象が製造業にまで拡大されることによって若年 層を中心にした雇用の流動化・非正規化が進行す る.一方,総務省行政評価局は,「行政評価・監視 調査」において厚生年金保険無届事業所が約3割 であることを明らかにする(2005)7).そして,年 金記録問題が国会で糾弾され,「消えた年金問題」
が社会問題になる(2007).そのようななか,経済・
社会情勢に応じて給付水準を自動調整(抑制)す るマクロ経済スライドが導入される(2004).
一方,若年者納付猶予制度が導入され,前年度 の本人・配偶者の収入が一定額以下の20歳から30 歳(現在は50歳)までの被保険者は保険料の納付 が猶予されることになる(2004).また,厚生年金 特例法が制定され(2007),厚生年金保険無届事 業所問題に対する救済策が採られる(2007).加 えて,特別障害給付金法が制定され,任意加入時 代の学生と専業主婦という一部の無年金障害者が 福祉的措置によって救済される(2004).その後,
リーマンショックによって世界金融危機が誘発さ れ(2008),日本は「失われた20年」に陥り,各種 の社会保障においても規制緩和と自己責任を重視 した新自由主義的政策が強化される.
この時期,権利条約の策定に積極的に関与する ため,日本における障害者NGOの協議体として「日 本障害フォーラム」が結成される(2004).そして,
権利条約が国連総会において採択され(2006),権 利条約の理念に基く総合的制度改正行うため,内 閣府に推進会議が設置される(2010)8).
推進会議では,無年金障害者問題を含めた障害 年金の課題も論点になる(2010 ~ 2012).そして,
総合福祉部会がまとめた「障害者総合福祉法の骨 格に関する総合福祉部会の提言―新法の制定を目 指して―」(以下,提言)において,障害者に対す る保護雇用の制度化との関連から障害基礎年金の あり方が提言される9).しかし,提言は実施されて いない.
ⅳ. 韓国における国民皆年金体制の整備と障 害年金
1.第1期(1950 ~ 1972)
朝鮮戦争(1950 ~ 1953)によって国土は荒廃す るが,経済開発5か年計画(1962 ~ 1966)に象徴 される経済の自立と成長を国是にし,朴正煕政権 は「漢江の奇跡」という高度経済成長を成し遂げ る.この背景には,西ドイツに大量に送った出稼 労働者が外貨を齎したことに加え(1962),ベトナ ム戦争への参戦をとおしてアメリカから特需を獲 得したこと(1964 ~ 1973),日韓基本条約の締結
(1965)をとおして日本から獲得した経済援助に よって産業インフラへの投資を推進したことがあ る.そして,野党勢力の伸張に危機感を持った朴 正熙は非常戒厳令を発令し,長期独裁体制を確立 する(1972).
一方,経済成長優先であり,社会保障の整備は 遅れていく.障害者政策も傷痍軍人と遺族に対す る施策が大統領令によって優先され(1949),傷痍 軍人に対する障害年金が支給される(1953).そし て,公的年金も公務員年金(1960)や私立学校教 職員年金(1973)といった特殊職域年金が先行する.
この時期,農村において消費者生協や信用組合,
労働組合や教会関係者などによる協同組合が結成 されるが,大部分は政府によって強制的に解散さ れる(廣田 2015).協同組合の整備は政府主導に よる農協を中心にした生産者組合に重点が置かれ,
農協法が制定されるが(1961),朴正煕政権は消費 者の組織化を受容できなかった(金・李=松本 訳
2014).
障害者分野では,1950年代半ばから1960年代末 に流行した小児麻痺の後遺症を持つ障害児が中学 校への入学を拒否されたことに対して世論が反発 し,私的に救済されるという事件(1963)などは あるが,障害者運動は存在せず,社会的関心も薄 かった(鄭 2007).
2.第2期(1973 ~ 1985)
引きつづき,日本やアメリカといった諸外国か らの支援を受けることによって産業や経済を維持 する高度経済成長であり,軽工業から重化学工業 への産業構造の転換のための財源調達が政治課題 になる.そのようななか,大統領選挙の公約とし て国民福祉年金の創設が掲げられたこともあり,
朴正煕政権はトップダウンによって急速に国民福 祉年金法の制定を行う(1973).しかし,施行は無 期延期される(1974).これは,オイルショックの 影響もあり,新たな保険料の徴収が重化学工業振 興への財源調達手段として政府には魅力的でなく なったことが外的要因だが,無拠出年金や保険料 の免除制度といった日本のような国庫負担による 各種の特例措置がないなど,国民からの支持が得 られなかったことが内的要因にはある(金 2016).
その後,世界にノーマライゼーションの理念を普 及させた国際障害者年を契機にし,韓国でも「障 害者の日」が制定され,心身障害者福祉法も制定 される(1981).しかし,あくまで政府主導による シンボル的なものでしかなかった.
この時期,朴正煕が暗殺され(1979),韓国では
「ソウルの春」という民主化の兆しが見られる.と ころが,軍事クーデターによって政権を掌握した 全斗煥政権は,学生と市民が蜂起した「光州事件」
を武力鎮圧する(1980).一方,障害者の救済は,
プロテスタント教会といった宗教家や社会事業家 による活動が中心であり,重度障害者は宗教に依 存し,家族の負担から抜け出るため,非認可施設 に入所していた.
3.第3期(1986 ~ 1997)
全斗煥政権は,市民による民主化運動と政府に よる弾圧という両極が激しい時期であるが,高度
経済成長は持続されており,オリンピック(1988),
国連加盟(1991),OECD加盟(1996)など,新興 工業国としての韓国の国際的地位は向上する.全 斗煥のあと,大統領選挙が行われるが軍出身の盧 泰愚が当選する.しかし,民主化運動の進展により,
盧泰愚は大統領直接選挙を目指した改憲を約束す る(1987).
このような民主化の進展とともに無期延期され ていた国民福祉年金法が改正され,国民年金法が 制定される(1986).本法は施行に至る(1988).
国民年金法の制定により,障害年金も拠出年金と して制度化される.同時期,障害者の基本法であ る障害者福祉法が制定され,日本と類似した障害 者登録制度が制定される(1988).当初,国民年 金の被保険者は従業員10人以上事業所の被用者に 限定されていたが,従業員5人以上事業所の被用 者(1992),農漁業民・農漁村部の自営業者(1996)
と被保険者を順次拡大していく.
その後,アジア通貨危機による経済恐慌が起こ り,現代グループなどの財閥が解体する(1997).
アジア通貨危機は韓国をデフォルト(債務不履行)
寸前にまで追い込み,IMFは韓国経済に介入する
(1997 ~ 2000).
この時期,「6月民主抗争」が展開され(1987),
韓国の民主化は加速度的に進展する.そして,民 衆運動・市民運動と社会変革運動が連携する進歩 的運動が模索され,参与連帯が発足する(1994).
参与連帯は,国民基礎生活保障法など,韓国にお ける社会保障の進展を推進していく.
これらの社会変革運動の影響を受けた青年障害 者運動が展開され,ウリントが結成される(1986).
これは,社会変革運動における障害者領域として 認知されている(鄭 2007).ウリントは1980年代 後半から1990年代初頭にかけて大きな成果を挙げ るが,国外でのソビエト連邦の解体,国内での 社会変革運動の低迷から目的を見失い解散した
(1992).
4.第4期(1998 ~ 2003)
日本政府が日米欧民間銀行団短期債務繰り延べ 交渉を妥結に導き,ウォンの為替レイトは安定を 取り戻す(1998).また,海外の証券投資の規制緩
和によって対外証券の投資が促進され,韓国の国 際収支も安定する.そして,アジア通貨危機以降 の経済恐慌と大量失業がもたらした生活不安のな か,金大中政権は,ワークフェアを基調にする「生 産的福祉」による超高速改革を断行する(1998).
たとえば,労働市場の柔軟化を推進するため,
整理解雇規制の緩和と労働者派遣制度の導入を行 う(1998).これにより,多くの企業は多発する解 雇をめぐる紛争の回避と人件費の削減のため,正 社員の採用を控え非正規労働者を増やし,雇用の 流動化・非正規化が進展する(呉 2009).このよ うな就業構造の転換のなか,「生産的福祉」の核に 成る国民基礎生活保障法が制定される(1999).
国民年金法も改正され(1998),被保険者を都市 部の自営業者,零細事業者,臨時・日雇労働者に 拡大することにより,韓国において国民皆年金体 制が構築される(角田 2005).
そのようななか,金大中政権は2015年までに償 還予定であった資金援助(550億ドル)をすべて償 還し,IMFの管理を脱した(2000).同年,「太陽政策」
のもと,経済協力などを推進し,南北首脳会談が 実現する(2000).
この時期,韓国における消費者協同組合運動が,
日本における生協の先進事例をモデルにし,1880 年代半ばから本格的に展開される.生協法の制定 により(1999),法的地位を得た生協は,消費文 化の変化に対応しつつ成長をつづけている(金・
李=松本 訳 2014).その後,協同組合基本法が制 定され,各種分野の協同組合の結成が可能になる
(2012).
一方,韓国において障害者の所得保障問題を社 会問題化させたのは「崔オクラン事件」である
(2001)(李・李=金 訳 2010).重度脳性麻痺の女 性障害者である崔は,最低生計費の保障を求めた 運動を展開し,政府庁舎などで集会や篭城を行う が,警察に抑制される.そして,各種メディアが これを報道し,障害者の貧困が政策課題として浮 上する.この運動の最中,崔は自殺を図り,その 後心臓麻痺で死亡する(2002).
これを契機にし,30の障害者団体が終結する「障 害年金法制定共同対策委員会」が結成され,障 害基礎年金の創設を政策課題として浮上させる
(2002).「障害年金法制定共同対策委員会」は国 会でのロビー活動や地方巡回説明会といった積極 的な活動を行い,与野党大統領候補に無拠出の障 害基礎年金の創設を公させるという成果を挙げる
(2002).
5.第5期(2004 ~ 2012)
リーマンショックによって世界金融危機が誘発 され,韓国の外需は低下したため,李明博政権は 企業による海外投資の自粛といった厳格な外貨規 制政策を採るが,外貨準備を切り崩しウォンは暴 落する(2008).ウォン暴落を支えるため,アメリカ,
中国,日本は,韓国と外貨を融通し合う通貨スワッ プ協定を締結する(2008).
そのようななか,韓国では,権利条約の理念に 基き,移動権の公的責任が具体的に明記された交 通弱者移動便宜増進法(2004),障害者への「合理 的配慮」が義務である障害者差別禁止法(2007)
が制定される.
一方,予測に反して急速に進展する少子高齢化 のなか,盧武鉉政権の政策的主要課題は老齢基礎 年金と老人長期療養保険に移行しており,財政的 問題から障害基礎年金の創設は先送りされる.そ して,李明博政権のもと,老齢基礎年金という韓 国独自の基礎年金が創設される(2007).その後,
障害基礎年金という韓国独自の基礎年金が創設さ れる(2009).老齢基礎年金の創設に際して,国会は,
障害者に対する社会保障を強化するための法案を 別途整備することを決議しており,これが障害基 礎年金創設の伏線になった(李・李=金 訳 2010).
この時期,国会では与野党の議員から障害基礎 年金制定に関する法案が発議され,「障害年金法制 定共同対策委員会」はこれらの法案の議論に積極 的に関与する.しかし,盧武鉉政権は障害基礎年 金の創設を会期満了のため廃案にする(2007).大 統領選挙を迎え,「障害年金共同対策委員会」は「障 害年金法制定共同闘争団」と改称し,104の障害者 団体が結束して結成される(2007).「障害年金法 制定共同闘争団」からの要請を受けた李明博は,
大統領選挙において障害基礎年金の創設を公約し
(2007),国会でも与野党の議員から法案が発議さ れ,政府は「障害基礎年金導入推進タスクフォー
ス」を設立する.「障害年金法制定共同闘争団」は
「障害年金共同団タスクフォース」の活動をとおし て草案を策定し,公聴会を開催する(2008).そし て,障害基礎年金は制定され(2009),施行される
(2010).
ⅴ.障害年金に関する日韓比較研究
前述のとおり,日韓の国民皆年金体制には共通 点が多い.しかし,2000年前後から,韓国では各 種の社会保障に対して独自の改革が行われており,
日韓の国民皆年金体制には相違点が生じている.
障害年金も同様である.
以下,政策決定に対して障害者運動が関与して きた経緯を重視しつつ,この共通点と相違点に関 して,「国民皆年金体制が整備される経緯」と「権 利条約の批准によって国内法が整備される経緯」
という2つのポイントから考察する.
1.国民皆年金体制が整備される経緯
日韓の国民皆年金体制は,それらが構築された 時期の経済状況と産業構造・就業構造に影響を受 けている.
日本では,ブレトンウッズ体制によって国際的 に保護された順調な高度経済成長のもと,長期政 権の与党を担う自民党結成の公約として掲げられ たこともあり,官主導によって国民皆年金体制は 構築される(第1期).この国民皆年金体制は,被 用者保険と地域保険を組み合わせた「混合型」で ある.これは,高度経済成長期に構築されたため,
大企業中心の終身雇用と手厚い中小企業補助政策,
そして,家族単位の小規模農業を網羅する必要性 から「混合型」を選択したものである(金 2013).
この時期,日本では完全雇用政策が機能しており,
極めて安定した就業構造を維持していた.そのた め,拠出年金が中心であり,障害福祉年金といっ た無拠出年金は臨時的・補完的なものでしかなかっ た.
一方,韓国では,アジア通貨危機による経済恐 慌から財閥が解体し,デフォルト寸前にまで追い 込まれ,IMFからの介入を受ける最中に国民皆年 金体制は構築される(第4期).この国民皆年金体
制は,すべての国民を対象にした「単一型」である.
これは,アジア通貨危機から立ち直るなか,重化 学工業からサービス業へ産業構造を転換する過程 において国民皆年金体制が構築されたため,零細 かつ不安定な「新たな雇用」の受皿として「単一 型」を選択したものである(金 2013).この時期,
韓国では整理解雇規制の緩和と労働者派遣制度の 導入が行われており,非正規労働者の急増による 雇用の流動化・非正規化が進展していた.そのため,
被用者保険の性格が強い「単一型の国民皆年金体 制」は適切に機能せず,障害基礎年金といった無 拠出年金の導入が積極的に行われたのである.
また,日韓の国民皆年金体制は,それらが構築 された時期の少子・高齢化の状況にも影響を受け ている.
日本の老年人口比率が7%を超え,高齢化社会 の段階に入ったのは高度経済成長の最中,1970年 であるが,「福祉元年」では,賃金スライドと物価 スライドが併用され,公的年金の給付水準は大幅 に上昇する(第2期).その後,低成長期に入り,
第2次臨調による行財政改革の断行と急速な円高・
ドル安による景気悪化のなか,年金財政調整のた め,26年ぶりに国民年金法などの抜本改正が行わ れ,「二階建ての国民皆年金体制」が構築される(第 3期).そして,日本において少子化に対する社会 的関心が高まったのは,それから4年後の1989年 である.
一方,韓国では国民皆年金体制は構築されたも のの,財政問題と急速な少子高齢化によって給 付抑制を同時に実施することになる(申 2006).
2000年には,韓国の老年人口比率は7.2%と高齢化 社会の段階に入っていることに加え,合計特殊出 生率も1.47と低迷しており,急速な少子・高齢化の 進展により,各種社会保障の超高速改革が迫られ ていたのである(第4期).
ところが,これら国民皆年金体制の構築に関与 した障害者運動には,時差はあるものの,日韓に は共通点がある.
日本では,GHQの意向によって結成された総評 が中央社会保障推進協議会を結成し,労働運動と ともに社会保障運動に参画する.そのようななか,
「青い芝の会」,「脊損連」,「障全協」といった障害
者団体の全国組織が結成される(第1期).そして,
父母の重度心身障害児・者殺害事件への世論に対 して強烈な自己主張を行った障害者運動にマスコ ミや市民運動が注目する.これが,各地に革新自 治体を誕生させ,自治体独自の社会保障を充実さ せた市民運動と障害者運動が結び付く契機になっ た(第2期).
障害年金に関しても同様である.総評が春闘に おいて障害者の所得保障を課題として掲げ,障害 者団体は障害年金の改正を主張したことを契機に し,労働運動と連携した「障害者所得保障確立連 絡会」が結成される(第2期).そして,同連絡会 が中心になり,厚生省交渉や国会へのロビー活動 などを行い,厚生省でも障害年金改正に向けての 動きが加速するのである(第3期).
当初,韓国では障害者運動は存在せず,社会的 関心も薄かった(第1期).また,宗教家や社会事 業家による活動が中心であり,重度障害者は宗教 に依存し,家族の負担から抜け出るため,非認可 施設に入所していた(第2期).これが重度障害者 が運動に参加しなかった大きな要因であるといわ れている(鄭 2007).
しかし,「6月民主抗争」が展開され,韓国の民 主化は加速度的に進展する(第3期).この時期,
日本では第1期,第2期に展開された<社会・市 民運動 障害者運動等の状況>と類似した特徴が韓 国でも見られるようになる.
韓国では,民衆運動・市民運動と社会変革運動 が連携する進歩的運動が模索され,参与連帯が発 足し,韓国における社会保障の進展を推進してい く.これらの社会変革運動の影響を受けた青年障 害者運動が展開され,ウリントが結成される(第 3期).この青年障害者運動は社会変革運動だけで 障害者の問題は解決できると考え,重度障害者が 必要とする年金や介助サービスには関心を持たな かった(鄭 2012).青年障害者運動が沈滞するな か,韓国の障害者運動はふたつの特徴を見せる(鄭 2008).ひとつは,障害友権益問題研究所(1988)
と連携し,学会や法曹界の支援を受け,市民運動 としての障害者運動を展開するものである.もう ひとつは,既に結成され,ソウルでアジア太平洋 DPI総会を開催していたDPI(1986)と統合し,当
事者運動を推進するものである(1998).
2. 権利条約の批准によって国内法が整備さ れる経緯
日本では,総評が解散することによって労働組 合のナショナルセンターが分裂し,労働運動の影 響力は政治的にも社会的にも衰退する.また,特 定非営利活動促進法の制定によって市民運動は事 業活動に重点が置かれるようになる.そのため,
障害者運動は労働運動や市民運動との接点が希薄 になる.一方,規制緩和と自己責任原則の強化と いう新自由主義的政策に対して,障害者運動は行 政訴訟による問題解決を希求する.しかし,一部 の無年金障害者に対する福祉的措置による救済と いう譲歩は引き出されるが,根本的な問題解決は 先送りされている.
その後,権利条約が国連総会において採択され,
権利条約の理念に基く総合的制度改正を行うため,
内閣府に推進会議が設置される.推進会議では,
無年金障害者問題を含めた障害年金の課題も論点 になる.そして,総合福祉部会がまとめた提言に おいて,障害者に対する保護雇用の制度化との関 連から障害基礎年金のあり方が提起される.しか し,提言は実施されていない.
韓国では,1980年代後半の民主化の加速度的な 進展以降,障害者運動と市民運動,政党などが有 機的に連携するという特徴は持続されている.た とえば,日本では第2期に展開された障害者移動 権闘争が,韓国では第5期に急速に進展する.首 都圏の地下鉄駅舎内のリフトからの転落事故と国 鉄ホームからの転落事故を契機にした障害者移動 権闘争は,韓国における障害者運動の転機といえ る(尹 2013).具体的には,運動の主体は高学歴・
軽度・小児麻痺障害者から低学歴・重度・脳性麻 痺障害者に変わってきている.また,運動の方法も,
「移動権連帯」や「便宜施設推進市民連帯」が与野 党の国会議員と連携して発議している(崔 2005).
この潮流は,障害者差別禁止法制定運動において 一層明確になる.
権利条約を積極的に活用した障害者差別禁止法 制定の運動の特徴と今後の障害者運動に向けて の影響として以下の5点が挙げられている(崔
2007).
① 障害者移動権闘争以降の障害者自身の権利意識 の伸張と運動の活発化が背景にある.
② 国内外での活動と交流,情報収集が世論を喚起 し,運動の土台になる.
③ 目的に賛同した弁護士などの専門家が参加して おり,政府内外で専門家とともに法案の作成を 行う.
④ 与野党の障害者国会議員が障害者運動と政府・
議会の繋がりに効果的な影響を及ぼす.
⑤ 政府と障害者NGOが積極的に権利条約の交渉に 参加したことが,障害者の権利への政府・国会 の認識を促進する.
このような障害者運動の高まりのなか,障害者 の所得保障は障害者運動の主要な課題のひとつに なっていくのである.
韓国の障害者運動は,1960年代から1970年代に 掛けて起きた先進国の障害者運動より20年程度遅 れてはじまる.しかし,2000年前後から,韓国の 障害者運動は世界に例がないほど急速に成長し,
権利条約を背景にし,障害者差別禁止法の制定や 障害基礎年金創設といった大きな成果を挙げてい る(鄭 2012).これは「圧縮の歴史」ともいえる一方,
短時間で成長したことによる大きな課題も残って いる.
ⅵ.おわりに
以上,政策決定に対して障害者運動が関与して きた経緯を重視しつつ,日韓における国民皆年金 体制の共通点と相違点に関して,「国民皆年金体制 が整備される経緯」と「権利条約の批准によって 国内法が整備される経緯」という2つのポイント から考察してきた.その結果,日韓の国民皆年金 体制は,それらが構築された時期の経済状況と産 業構造・就業構造,そして少子・高齢化の状況か ら相違点が生じていることが分かった.また,国 民皆年金体制の構築に関与した障害者運動には,
時差はあるものの,日韓には共通点があることも 分かった.一方,韓国では,1980年代後半の民主 化の加速度的な進展以降,障害者運動と市民運動,
政党などが有機的に連携するという特徴は持続さ
れており,これは,2000年前後から,労働運動や 市民運動との連携が希薄になり,新自由主義政権 から部分的な譲歩しか引き出せていない日本の障 害者運動との相違点であり,韓国における障害者 運動から学ぶべき教訓でも有るといえる.
本稿のおわりに当たり,今後の課題を2点記し ておきたい.
1点目は,引きつづき東アジア比較研究を発展 させることである.本稿は,東アジア比較研究を 障害者政策,とりわけ先行研究が少ない障害年金 の分野にも発展させる契機にすべく,2012年まで の日韓比較研究を試みた.しかし,2012年以降も 韓国の変化と発展は著しく,継続した比較研究が 必要である.比較対象も,韓国以外,たとえば中 国との比較研究も検討に値すると考える.
2点目は,障害年金そのものに関する比較研究 である.韓国の社会保障は,先進国といわれた日 本へのキャッチアップは既に果たしており,課題 を共有し,それらの課題の解決を目指して協働す べき段階に入っているといえる.障害年金に関し ても同様である.とりわけ,韓国では障害基礎年 金に関する研究が進展しており,日本の課題とも 共有すべき点が多い.
韓国の障害基礎年金は基礎給付と不可給付から 構成されており,基礎給付は「障害に伴う稼得能 力の減退・喪失に対する所得保障」,そして,付加 給付は「障害に伴う経費の補填」と給付目的が明 確であることが特徴である.この障害基礎年金の 課題として,以下の4点が挙げられている(禹 金 訳,2009).
① 障害年金は社会手当方式であるべきだが,予算 の制約によって障害年金の本質を毀損しないこ とを条件にし,折衷案として社会扶助方式にす べきである.
② 対象は,重度・軽度すべてを含む18歳以上の障 害者にすべきであるが,類似した性格の年金支 給による二重受給を禁止するため,受給額に差 がある場合は,補填することを条件にして65歳 以上は老齢基礎年金に切り替えるべきである.
③ 軽度障害者は,障害年金ではなく職業リハビリ テーションを促進すべきであるが,障害特性に よって就業と生活に困難がある場合は,速やか
な職業リハビリテーションへの誘導を条件にし て受給対象に含めるべきである.
④ 障害年金は「稼得能力の減退・喪失に対する所 得保障」であることから,給付水準は最低賃金 を基準にして一定割合を定めるべきである.
これら4点が,障害基礎年金に関する日韓比較 研究の当面の論点であると考える.
本稿での研究成果を踏まえ,今後も日中韓社会 保障国際論壇のネットワークを活用し,これらの 課題を精査していく所存である.
【注】
1)本論壇は,2003年,中国人民大学において発足し,
毎年,日中韓の大学が持ち回りにて開催してき ている.本論段では,日中韓の研究者が集まり,
各国の社会保障と社会政策の現状と課題につい て認識を共有し,その発展方向をともに模索す る貴重な機会が提供されている.
2)総評が朝日訴訟を支援した概要は,「しんぶん赤 旗」(2013.5.12)に掲載されている「生活保護改 悪/朝日訴訟学び阻止を/生存権裁判支援する 会シンポ」集会を参照している.
(https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-05- 12/2013051214_01_1.html,2021.9.20).
3)総評が堀木訴訟に与えた影響は,「しんぶん赤旗」
(2016.5.22)に掲載されている「生存権「兵庫裁判」
勝利を 全国連が総会と交流会」集会を参照して いる.
(https://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-05- 22/2016052214_01_1.html,2021.9.20).
4)本作品(監督・撮影:原一男 製作:小林佐智子 録音:栗林豊彦)の概要は,「ドキュメンタリー 映画の鬼才 原一男公式サイト」を参照している.
(http://docudocu.jp/title,2021.9.20).
5)本書は,横塚晃一 著として1975年にすずさわ書 店から出版されているが,2007年には,横塚晃 一 著・立岩真也 解説として生活書院から復刻さ れている.
6)本報告は以下を参照している.
(https://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei/2001/
0316getsurei/main.html,2021.9.20).
7)本調査は以下を参照している.
(http://www.soumu.go.jp/main_content/000253111.
pdf,2021.9.20).
8)推進会議の議論の経緯は,内閣府「障がい制度改 革推進本部、障がい者制度改革推進会議及び差 別禁止部会について」を参照している.
(https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/
kaikaku/kaikaku.html,2021.9.20).
9)本提言は以下を参照している.
(https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/
sougoufukusi/dl/110905.pdf,2021.9.20).
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