イオン化蒸着法により作製したDLC膜の特性におよぼす成膜条件の影響
1 1
南守* 土山明美*
Effect of Coating Conditions on Characteristics of DLC Films Prepared by Ionization Deposition Method
Mamoru Minami, AkemiTsuchiyama
ダイヤモンド状炭素(以下 DLC と記す)膜は,高硬度,低摩擦係数,非晶質,化学的安定性といった優れた特 徴を有するため,その応用展開が期待されている。しかしながら DLC 薄膜は,使用原料や成膜条件によって得ら れる特性が大きく変化するといわれている。そこで,イオン化蒸着法を用いて WC-Co,SUS304 基板上に DLC 膜 を作製し,DLC 膜の欠陥,硬さ,密着性に及ぼすバイアス電圧,アノード電圧の影響について検討した。成膜初 期のプラズマ状態はバイアス電圧,アノード電圧により変化することが分かった。膜の密着性は明確な違いが認め られなかったものの,アノード電圧を変化させることによって膜の硬さ,皮膜欠陥は変化することが判明した。
1 はじめに
薄膜は,優れた硬さ,潤滑性を有し,化学的 DLC
安定性があり,電気抵抗の制御が可能といった多くの 特徴をもっている。そのため DLC 膜は,ハードディ スク,磁気ヘッド,磁気テープなどの電子機器部品,
切削工具,金型といった機械加工部品,人工骨,人工 関節などの生体材料,高分子フィルムやプラスチック 容器のガスバリア膜,光学部品,水洗金具などの幅広 い分野で利用が期待されており,一部はすでに実用化 されている 。1)
とは,炭素を主成分とする非晶質炭素薄膜の DLC
うち高硬度・低摩擦係数を有するものを指すが,その
, ,
境界区分は明確ではなく 作製方法もプラズマCVD スパッタリング,イオンプレーティングなど様々な手 法が提案されている 。このため,2) DLC 薄膜は,使用 原料や成膜条件によって得られる特性が大きく変化す るといわれている 。3 )
当研究所では工業的に利用しやすい手法である4 )イ
。 オン化蒸着法を用いてDLC膜の形成を行っている5)
本研究は,主要な成膜条件であるバイアス電圧及びア ノード電圧の薄膜特性に及ぼす影響について調査,検 討したものである。
2 研究,実験方法 2−1 DLC膜の形成
既報5)と同様に薄膜作製にはイオン化蒸着装置を,
原料ガスにはベンゼンを用いた。基板には,鏡面研磨 仕 上 げ し た WC-Co 合 金 (15 × 15 × 2.5mm) 及 び ステンレス鋼( × × )を用いた。
SUS304 10 15 1mm
構造,硬さ,密着性の評価には WC-Co 合金を用い,
被膜欠陥評価には SUS304 ステンレス鋼を用いた。こ れらの基板はアセトン,メタノール中で超音波洗浄し
, ( )
た後 水冷した回転式基板ホルダー 回転速度:5rpm に取り付けた。チャンバー内は真空ポンプにより 2.7
×10 Pa-4 以下の圧力になるまで排気した。所定の圧力
に到達後,DLC 膜形成に先立ち基板の前処理として アルゴンガスによるイオンボンバードメントを行っ た。その後,ただちにアルゴンガスをベンゼンガスと 置換し DLC 膜の形成を行った。成膜条件の詳細は表
−1に示す。薄膜の膜厚は,接触式表面粗さ計(テー ラーホブソン(株)製,Talysurf)を用いて,成膜前に基 板の一部をポリイミドテープでマスキングしておき,
成膜後のマスキングしている部分としていない部分と の段差から求めた。
2−2 各種評価
, 。
薄膜の構造は ラマン分光分析法を用いて検討した プラズマ中に存在する励起種の同定および評価には発
( ( ) , )
光分光分析装置 浜松ホトニクス 株 製 PMA-11 を用い,成膜初期の発光を調べた。
*1機械電子研究所
薄膜の硬さは,ナノ・インデンテーション・テスタ ー( 株)エリオニクス製,( ENT-100a)を用いて,荷
重100mgf,試験荷重保持時間1sec,圧子先端形状(三 角錐,稜間隔115°)の条件で塑性変形硬さを測定す ることにより評価した。
薄膜の密着性は,圧痕試験を行うことにより評価し た。圧痕試験は Rockwell硬度計を用い,試料表面か ら基板に達するまでダイヤモンド圧子(Cスケール)
を押し込み,圧痕周辺部に発生する皮膜の損傷状態を 光学顕微鏡により観察した。
膜中に存在する欠陥は,電気化学的測定法で DLC
あるCPCD法6)を用いて評価した。本法は,ピンホー ルの貫通型欠陥を欠陥面積率として定量的に評価する も の で あ る 。 欠 陥 面 積 率 R( % ) は 0.5kmol・
溶液中におけるアノード m H SO+0.05kmol m KSCN-3 2 4 ・ -3
分極曲線を測定し臨界不動態化電流密度(以下 icrit と 記す)を求め,下式(1)に代入することにより算出 した。
× ( ) ( ) ・ )
R=1/fs icrit DLC/SUS304 /ic r i t SUS304 × 100% (1 ここで,icrit(SUS304)は基材金属(SUS304) の 臨界不
DLC/SUS304 DLC SUS304 動態化電流密度,icrit( )は 被覆 の臨界不動態化電流密度,fsは腐食ピットの形状係数
(半球状の場合は 2)である。本研究では,ピットの 形状はすべて半球状であるものと仮定する。
3 結果と考察
3−1 発光スペクトルに及ぼすバイアス電圧,アノード電 圧の影響
図− 1 に,アノード電圧を 50V と一定にし,バイ アス電圧を -500 〜-2000Vに変化させた場合のベンゼ ンプラズマ中の発光スペクトルを示す。いずれの場合 も300〜500nmの波長範囲において,CHラジカルに
ガス流量(sccm) 10
2.7×10 成膜圧力(Pa)
原料ガス ベンゼン
リフレクター電圧(V) 50
基板−アノード間距離(mm) 220 基板回転速度(rpm) 5
-500,-1000,-1500,-2000 基板バイアス電圧(V)
フィラメント電流(A) 30
WC-Co,SUS304 基板
-1
アノード電圧(V) 50,100,150
膜厚(µm) 0.1〜0.8
表−1 成膜条件
基づく強い発光と C2 ラジカルに基づく弱い発光7 )が 認められている。それら発光スペクトル強度はバイア
ス電圧により変化していることが分かる。また観察さ れたスペクトルを CH(390nm)に基づくピーク強度 で相対化した結果,いずれも相対強度はバイアス電圧 に関係なくほぼ一定であることが分かっている。一般 に炭化水素ガスを原料とした DLC 膜形成過程におい て,プラズマ中には CH, , , ,C C2 H H2 等が観察さ
。 , , ,
れることが知られている8 9) ) しかし本研究では C H
。 ,
H2に帰属される発光線は観測されていない これは 本装置では熱電子を発生させるイオンガンにタングス テンフィラメントを使用しており,タングステンフィ ラメントの発光スペクトル強度がC, ,H H2 に帰属さ れる発光スペクトル強度より大きくなったことも起因 しているのではないかと考えられる。
次にベンゼンプラズマ中の発光スペクトルに及ぼす アノード電圧の影響について調査した。図−2は,バ
-2000V 50
イアス電圧を と一定にし,アノード電圧を
〜 150V に変化させた場合の発光スペクトルを示すも
300400 500
600 700
800 -500 -1000
-1500 -2000 0
10 20 30 40 50
強度(任意単位)
バイアス電圧(V) 波長(nm)
図−1 バイアス電圧を変化させたときの発光スペクトル
CH CH
CH CH C2
C2 C2
C2 CH
CH CH
CH CH
CH CH
CH
300400 500
600 700
800 50
100 0 150
20 40 60 80
強度(任意単位)
アノード電圧(V) 波長(nm)
図−2 アノード電圧を変化させたときの発光スペクトル
H
H CH
CH CH
C2
C2
C2
CH
CH
CH
CH
CH
CH
H2
H2
のである。いずれの場合においても 300 〜 800nm の 波長範囲では、CH、 、 、C2 H H2 に基づく発光スペク
。 ,
トルが認められている それら発光スペクトル強度は アノード電圧の増加に伴い増加していることが示され て い る 。 ま た , 観 察 さ れ た 発 光 ス ペ ク ト ル を CH
(390nm)に基づくピーク強度で相対化した結果,ア
ノード電圧の増加とともに H,H2 の相対強度が増加 していることも分かっている。これらの結果は,アノ ード電圧を増加することにより原料ベンゼンガスの分 解反応が促進されることを示唆するものである。拡散 ポンプによる排気では,ベンゼンの排気速度は水素の 排気速度よりも遅い10 )。つまり,チャンバー内の圧 力は水素の存在割合よりもベンゼンの存在割合が増加 すると上昇する。本実験では,チャンバー内の圧力は アノード電圧が 0V のときにはアノード電圧を印可し たときよりも上昇している。この現象は,すなわち,
上述のようにチャンバー内のベンゼンの存在割合の増 加を示すものであり,アノード電圧を印可することで ベンゼンの分解反応が促進されることを支持するもの である。
以上ベンゼンプラズマ中の発光スペクトルに及ぼす バイアス電圧,アノード電圧の影響ついて調査した結 果,バイアス電圧,アノード電圧を変化させることに よりプラズマの状態は変化することが確認できた。こ のことは,同じ原料ガスを用いても投入するエネルギ ーによりプラズマ中の分子種の組成は異なり,バイア ス電圧,アノード電圧を制御することにより膜の成長 速度や膜質などが異なる DLC 膜の作製が可能となる ことを示唆している。
3−2 DLC膜の特性に及ぼすアノード電圧の影響 膜の特性に及ぼすバイアス電圧の影響につい DLC
ては,以前に調査したので11),本実験では DLC膜の 特性に及ぼすアノード電圧の影響について検討した。
図− 3は,アノード電圧を変化させ SUS304基板上 に作製した DLC 膜の欠陥面積率に及ぼすアノード電 圧の影響を示す。欠陥面積率はアノード電圧の違いに よらず膜厚の増加と共に減少していることがわかる。
, ,
この理由としては 蒸着物質が堆積されていくにつれ 最初にできた欠陥が蒸着物質によりふさがれていくも のがあること,膜欠陥には基板表面の欠陥を受け継い でできたものがあるが,膜厚が厚くなるにしたがって 基板の影響が少なくなり欠陥が少なくなる1 2 )ことな
どが考えられる。また,アノード電圧 50V の試料の 方が 150V の試料と比べ幾分欠陥面積率が低い値を示
しており測定値のばらつきも小さい。このことは,ア ノード電圧50Vの方が150Vと比べ欠陥の少ない環境 遮断効果の大きな膜が形成されていることを示唆する ものである。
作製した DLC 膜の硬さとアノード電圧の関係を図
−4に示す。膜の硬さは,同程度の膜厚ではアノード 電圧が50Vの方が 150Vより高い硬さを示している。
また,どちらのバイアス電圧においても,膜厚が低下 するほど硬さは低下している。これは,薄膜の硬さは 下地の硬さの影響を受けやすく,膜厚が薄くなるにつ れてその影響が顕著になることに起因しているものと 思 わ れ る1 3 )。図− 5 は , ア ノ ー ド 電 圧 を 変 化 さ せ 基板上に作製した 膜の圧痕試験結果を示
WC-Co DLC
す。膜厚が増加するほど圧痕周辺部の膜の剥離面積は 増加するが,アノード電圧による膜の剥離状況の違い はあまり見受けられない。このことから,膜厚が増加 するに従って膜の内部応力は増加するものの,アノー ド電圧を変化させても膜の成長過程に伴う内部応力は 密着性に大きな影響を与えるほど変化していないと推 測される。
図−3 欠陥面積率に及ぼすアノード電圧の影響
欠陥面積率(%)
膜厚(µm)
0.001 0.01 0.1 1 10 100
0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6
アノード50V アノード150V
5000 10000 15000
0
:アノード50V
:アノード150V
0.09 0.13 0.37 0.37 0.78 0.83
膜厚(µm)
硬さ(kg/mm2)
図−4 WC-Co基板上にアノード電圧を50,150Vと変化させ 作製した試料の硬さ
, , 以上の結果 アノード電圧はDLC膜の欠陥面積率 硬さに影響を及ぼすことが判明した。これはアノード
電圧を変化させると原料ガスの分解反応が変化し、膜 中の水素量,膜の化学結合状態といった DLC 膜自体 の構造が変化する1 4 )ためではないかと推察される。
そこで DLC 膜の構造におよぼすアノード電圧の影響 についてラマン分光分析を用いて調査した。アノード 電圧を50,100,150Vと変化させWC-Co基板上に作 製した試料のラマンスペクトルを図−6に示す。一般 的に DLC 膜の化学結合状態は,DLCのラマンスペク トルを2成分のガウス関数を用いて分割し,2 本のラ マンバンド(1500cm-1付近のGバンドと1400cm-1付近
) 。
のDバンド の相対強度の比から評価されてきた15)
しかしながら本研究で使用したいずれの試料も,発光 強度が弱く,またノイズも激しいため,DLC 特有の ブロードなスペクトルを呈してはいるが,アノード電 圧に対応した顕著な差は見受けられない。
4 まとめ
種々のバイアス電圧、アノード電圧で成膜処理した
, ,
DLC膜の特性について調査した結果 バイアス電圧 アノード電圧を変化させることによりベンゼンプラズ
。 , マの発光スペクトルは変化することが分かった また 圧痕試験では明確な違いは認められなかったものの,
図−5 WC-Co基板上にアノード電圧を50,150Vと変化させ 作製した試料の圧痕試験後の表面状態
アノード電圧を変化させることによって DLC 膜の硬 さ,欠陥面積率は変化することが判明した。これらの
ことから,発光分析により DLC 膜作製時のプラズマ 状態をモニタすることで,得られる薄膜の特性を推定 することが可能となることが示唆された。
終わりに,本実験を遂行するにあたり有益なご助言 を賜りました久留米工業大学蓮山寛機氏 (株)エリ, オニクス佐々木亮氏に感謝の意を表します。
5 参考文献
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1 , Vol.49,No.3,P.68 2001
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)小林 巧:工業材料 ( )
3 ,Vol.48,No.6,P.94 2000
) 土山 明美,他 名:日本金属学会九州支部春期
4 6
講演概要集, P.20 2001( )
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7)R. W . P . P e a r s e,他1名:The Identification of ( ) MolecularSpectra,4thed.ChapmanandHall, 1976 8) C. Barholm-Hansen, 他2名:Diamond and Related
( ) Materials, No.3, P 5 6 4 1994
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)金持 徹編:真空技術ハンドブック ( )
10 , P.241 1990
)土山 明美,他 名:福岡県工業技術センター平
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成8年度研究報告 第, 7号, P.33 1997( )
12)岡本 卓茂 他 名:, 3 Zairyo-to-kankyo,Vol.45,No.6, ( )
P.370 1996
)薄膜の力学的特性評価技術 (株)リアライ
13 , P.53,
1300 1400 1500 1600 1700
100 200 300
アノード電圧50V アノード電圧100V アノード電圧150V
強度(任意単位)
ラマンシフト(cm -1)
図−6 WC-Co基板上にアノード電圧を50,100,150Vと 変化させ作製した試料のラマンスペクトル
ズ社(1992)
14)山本 尚之:トライボロジスト, Vol.41,No.9,P.760 (1996)
15)吉川 正信,他1名:表面技術,Vol.47, No.1,P.18 (1996)