1
右は︑﹃万葉集﹄巻十九の巻頭に載せられた大伴家持の代表作である︒この歌が高等学校の国語の教科書で教材とされるよ
うになったのは戦後のことのようだが︑現在まで︑多くの教科書で教材とされて来た︵恒吉薫﹁高等学校国語教科書﹃万葉集﹄採録デー
タ﹂上代文学会HP︶︒まさに定番教材だと言ってよい︒したがっ
て︑戦後の高校教育を受けた人たちの中では︑記憶に残ってい
る人も多いのではないかと思われる︒ これについては︑本シリーズですでに論じたことがある︵拙稿﹁教科書の中の万葉歌︱︱大伴家持の︿名歌﹀を読む︱︱﹂﹃語文﹄一五〇輯・二〇一五︶が︑平成三十︵二〇一八︶年三月︑文部科学省は新
しい高等学校学習指導要領を告示した︒令和四︵二〇二二︶年度
にスタートする教育課程である︒それは現行のものとは大きく異なり︑﹁主体的・対話的で深い学び﹂を標榜し︑﹁知識重視型﹂
から﹁課題解決型﹂の学習への転換であるとされる︒したがっ
て︑同じ教材を扱うにしても︑従来とは違った授業の展開が考
えられなければならない︒ ︿研究へのいざない﹀万葉歌を読む
29
梶 川 信 行 教科書 の 中 の 万葉歌 ︱︱ 新学習指導要領 に 対応 した 教材 へ︱︱
春 の 苑 紅 にほふ
桃 の 花 下 照 る 道 に 出 で 立 つをとめ ︵巻十九・
四一三九︶
2
旧稿︵拙稿﹁教科書の中の万葉歌︱︱大伴家持の︿名歌﹀を読む︱︱﹂︶
と重複するところがあるのだが︑当該歌を理解するための予備知識として︑その概要について若干説明しておこう︒
この歌には︑
天平勝宝二年三月一日の暮に︑春苑の桃李の花を眺矚て作れる歌二首
という題詞が付されている︒天平勝宝二年︵七五○︶の家持は︑現在の富山県高岡市伏木古国府の勝興寺境内に比定される越中国庁に︑国守︵国の長官︶として在任していた︒すなわち︑右は越中国での作である︒この歌を含む巻十九冒頭の十二首
︵四一三九〜四一五○︶は︑家持の歌々の中では比較的評価が高い
こともあって︑一般に﹁越中秀吟﹂と称されている︒当該歌は︑家持の関与がもっとも濃厚と見られる巻十九の巻頭に載せられ
ているので︑家持自身にとっても︑満足できる歌だったのでは
ないかと想像される︒家持はこの年三十三歳︒都の文化を身につけた若々しいエ
リート官僚だった︒また︑この年の三月一日は︑太陽暦の四月十一日︵岡田芳朗ほか編﹃日本暦日総覧 具注暦篇 古代前期﹄本の友社・一九九四︶︒越中に赴任してすでに四回︑平城京とは比較になら
ない長く厳しい冬を過ごして来たが︑春の遅い北陸にも︑よう
やく麗らかな季節が訪れようとしていた︒モモの木も︑その美 しかし︑それに対しては文学教材を学ぶ機会が少なくなると
いうことを中心に︑すでに多くの人たちが批判的な発言をして
いる︒もちろん︑その点も重要なのだが︑新学習指導要領の求
める授業は難易度が高過ぎるという点にも目を向けなければな
らない︒﹁これらを立案・計画した人々には︑決められた目標
に向かって進める能力を持ち︑それを可能にする環境にある高校生だけしか見えていないのではないか﹂︵朝比奈なを﹃ルポ 教育困難校﹄朝日新書・二〇一九︶とする批判は︑教育困難校で教鞭
を執った経験のある人のものだけに︑説得力がある︒新指導要領の求める授業を実施に移すため︑多くの教員が日々苦闘する
ことになるだろうが︑筆者は︑苦闘空しく︑そうした学習に適応できない高校生が大量に生み出されるのではないかと懸念し
ている︒
ところが︑多くの批判によって頓挫した大学入学共通テスト
の記述式問題導入とは異なり︑それについてはなぜか︑社会的
な盛り上がりが見られない︒このままでは︑それが撤回もしく
は軌道修正される可能性はない︑と見なければなるまい︒
﹃万葉集﹄は大学入試にほとんど出題されないこともあって︑学習しない高校も多い︒貴重な文化遺産の継承が危ぶまれる状態である︒したがって︑新学習指導要領の趣旨に沿う形で︑﹃万葉集﹄をより魅力ある教材とするための方法を考えること︒そ
れが現実的な対応の一つではないかと考えられる︒もちろん︑
その特効薬のようなプランがあるわけではないが︑本稿ではこ
の定番教材について︑新課程の中でどのように利用できるのか
を考えてみたいと思う︒
隆﹁鳥毛立女屏風﹂﹃国史大辞典 第十巻﹄吉川弘文館・一九八九︶で︑エ
キゾチックな図柄だが︑その代表的なものとして︑奈良の正倉院には有名な鳥毛立女屏風︵六扇で一組︶が所蔵されている︒筆者は︑毎年秋に奈良国立博物館で行なわれる正倉院展で︑何度
か現物を目にしたことがあるが︑日本史の教科書などで見たと
いう人も多いのではないか︒天平勝宝八歳︵七五六︶六月︑聖武天皇の四十九日に︑光明皇太后が東大寺の廬舎那仏︵大仏︶に献納した宝物の一つである︒正倉院の鳥毛立女屏風は聖武天皇の持ち物だったので︑家持
が見たのは別の樹下美人図であろう︒しかし︑当該歌が絵画的
であるということは︑古くから指摘されている︵尾山篤次郎﹁越中時代の家持﹂﹃大伴家持の研究﹄平凡社・一九五六︶︒また︑樹下美人図の影響とする見方も多くの研究者に支持されている︒漢文体の題詞には﹁春苑﹂という漢語が用いられているが︑
﹁春の苑﹂という表現は︑その漢語の翻訳語である︵小島憲之﹁萬葉集と中國文學との交流﹂﹃上代日本文學と中國文學 中﹄塙書房・一九六四︶︒家持はそうした翻訳語を用いつつ︑エキゾチックで絵画的な構図の一首をなしたのだ︒まさに天平文化の粋と言う
べき一首である︒
3
念のために︑少し過剰な形で口語訳しておくと︑以下のよう
になる︒春の︵広大な︶庭園︵全体︶が︵エキゾチックな︶くれない色
に彩られている︒︵気がつけば︶桃の花の下の︵色鮮やかに︶照り映
えている道に︑︵宛然と︶佇んでいる乙女︵の何と美しいことよ︶︑ しい花をつける頃であった︵大後美保﹃季節の事典﹄東京堂・一九六一︶︒当該歌は﹁二首﹂とされており︑
吾が園の 李の花か庭に散る はだれのいまだ 遺りたるかも
︵巻十九・四一四○︶
というもう一首と︑一体の作品である︒モモもスモモも中国原産の帰化植物︵本田正次ほか﹃原色植物百科図鑑﹄集英社・一九六四︶︒
したがって︑そこに自生していたものではあるまい︒天平期の越中国府に︑実際それらが植えられていたのか否かは不明だ
が︑仮に植えられていたのだとすれば︑桃の花ばかりでなく︑真っ白なスモモの花も︑花期を迎えていたことになろう︒
そうしたよい季節の中で︑家持は﹁桃李の花を眺矚て作れる﹂
と題して︑﹁桃の花﹂と﹁李の花﹂を一首ずつ詠み︑二首でもっ
て一つの世界をなした︒﹁眺矚﹂の﹁矚﹂は︑﹁眺める意﹂︵澤瀉久孝﹃萬葉集注釋 巻第十九﹄中央公論社・一九六八︶︒そして︑﹁眺矚﹂
で﹁高処から眺望する場合に用いられる語﹂︵佐竹昭広ほか﹃萬葉集四︿新日本古典文学大系﹀﹄岩波書店・二○○三︶とされる︒桃色の花
と真っ白な花が︑鮮やかに咲き誇る﹁春苑﹂を広く見渡しつつ
なした二首︑ということになろう︒なかなか美しい風景ではな
いか︒一般に︑これは樹下美人図を彷彿とさせる構図であるともさ
れている︒それはインドから西アジアを源流とするもの︵濱田
になろう︒曖昧な表現のように見えるが︑むしろ︑一首を読み進める過程で万華鏡のように変化して行く風景︑と見るべき
か︒あるいは︑読み返すたびに違った風景が浮かぶ仕掛け︑と
でも考えるべきか︒いずれにせよ︑これは永遠に決着のつかな
い問題であろう︒
すでに述べたように︑新学習指導要領は﹁主体的・対話的で深い学び﹂を標榜している︒従来通り﹁文語のきまり﹂の学習
も求めている︵﹁言語文化﹂
2内容・⑵ウ︶が︑﹁解釈の違いについ
て話し合ったり︑テーマを立ててまとめたりする活動﹂︵﹁言語文化﹂
2内容・B⑵エ︶を求めている︒したがって︑一つの正解が
ない問題の方がむしろ︑﹁解釈の違いについて話し合﹂うこと
には適しているとも言えよう︒
そこでこの歌を︑写真を撮る時のようなイメージで考えてみ
る︒問題を単純化するために︑以下は二句切れか三句切れかと
いう二択で考えることにする︒三句切れの場合︑﹁春の苑 紅にほふ﹂という初句と第二句
は﹁桃の花﹂の修飾語に過ぎない︒したがって︑まずは鮮やか
に色づく﹁桃の花﹂が︑デジカメのモニター画面の中央に映る︒
ところが︑その木の下に﹁をとめ﹂が立っていることに気づく︒
そこで︑焦点は﹁をとめ﹂に合わされ︑シャッターが押される︒
すると︑そこに正倉院の鳥毛立女屏風のような樹下美人図が現
れる︒桃の木の下の美女といった構図である︒
しかし︑二句切れの場合は︑まったく違ったものになるので
はないか︒題詞の﹁眺矚﹂は︑﹁高処から眺望する場合に用いら
れる語﹂であった︒したがって︑﹁春の苑 紅にほふ﹂という二 というほどの意︒﹁春の苑﹂という表記は原文を尊重したもの
だが︑庭園に﹁広大な﹂という修飾語をつけたのは︑﹁苑﹂とい
う漢字の字義に基づく︒﹁広い禁苑の意﹂︵小島憲之﹁むつかしき哉万葉集︱︱春苑桃李女人歌をめぐって︱︱﹂﹃文学史研究﹄三五号・一九九四︶である︒
ところが︑﹁春の苑﹂の歌についてはさまざまな問題があり︑解釈が定まっていない︒その最大の争点は︑二句切れか三句切
れかという問題だが︑右は二句切れと見た場合の口語訳であ
る︒一方︑三句切れと見た場合は︑次のような口語訳になる︒春
の︵広大な︶庭園︵の中で咲いている︶︑︵エキゾチックな︶くれない色
に彩られた桃の花よ︒その花の下の照り映えている道に︑︵宛然と︶佇んでいる乙女︵の何と美しいことよ︶︑ということになろう︒
つまり︑二句目の﹁にほふ﹂が︑二句切れの場合は終止形︑三句切れの場合は連体形といった違いである︒つまり︑二句切
れの場合︑﹁紅にほふ﹂のは﹁春の苑﹂全体だが︑三句切れの場合は︑﹁桃の花﹂だけが﹁紅にほふ﹂という意味になる︒筆者は二句切れを支持するので︑本稿の冒頭もそれに基づいた形で提示したが︑三句切れとしている注釈書も多い︒したがって︑国語の教科書の中の説明も︑二句切れとするものと三句切れとす
るものとに分れている︒
さらには︑奈良時代の人たちが︑終止形か連体形かなどと文法的に考えていたはずはないから︑家持は句切れという意識を持っていなかった︑という考え方も成り立つ︒だとすれば︑﹁紅
にほふ﹂のは﹁春の苑﹂であり﹁桃の花﹂でもある︑ということ
新学習指導要領では︑国語の授業でも﹁生徒がコンピュータ
や情報通信ネットワークを積極的に活用する機会を設ける﹂︵第
3款 2⑶︶とされている︒これは︑そうした趣旨に適う学習にな
るのではないかと思われる︒
4
もう一つは︑絵画を使った学習である︒次に示す二枚の絵は︑平成二十六年度の卒業生で︑私のゼミ
で学んだ糟谷茜さんの作品である︒一枚目の絵は在学中に描い
たもの︒また二枚目の絵は︑卒業五年後に製作したもので︑い
ずれも私の依頼に応じて当該歌のイメージを絵にしたものであ
る︒彼女のようなすばらしい絵心の持ち主の協力がないと︑この学習は成り立たないのだが︑どこの高校にも︑美術部の生徒は
いるのではないか︒そうした生徒たちの協力によって︑絵画を用いた学習を行なうことも可能であろう︒一枚目の絵は︑正倉院の鳥毛立女屏風の第三扇︵六扇あるうち
の向かって右から三番目︶を参考にしたものと見られる︒鳥毛立女屏風は画面がもっと縦長だが︑全体の構図はもちろん︑服装︑髪形︑頬紅︑手の構え︑指の形などがそっくりである︒何より
も︑ふっくらとした頬と︑眉間に花鈿︵唐代に流行した化粧と言わ
れる︶を施した女性は︑まさに天平美人にほかならない︒家持
が心の中に描いていた樹下美人図は︑これに近いものだったの
ではないか︒ 句で︑﹁苑﹂を鳥瞰していることになろう︒大きな﹁苑﹂の美し
い景色を隅々まで記録するために︑動画を選択し︑デジカメを
ゆっくりと動かしつつ︑その全景を映して行く︒次の瞬間︑視線は大きな景の中の一部としての﹁桃の花﹂へと移る︒一本の
モモの木の下に︑﹁をとめ﹂を見つけたからである︒そこで︑﹁下照る道に 出で立つをとめ﹂に焦点が当てられる︒つまり︑一枚の写真ではなく︑広く見渡しながらズーム・アップし︑やが
て﹁をとめ﹂に焦点が合わされる動画である︒
昨今はスマホの普及もあって、動画を撮る人と機会が飛躍的
に増えた。いつでもどこでも、動画を撮ることができる。高校
生たちにとっても、それはお手の物だろう。また、高校の教室
ではタブレットの使用も広がっている。インターネットで検索
すれば、桃の花が満開となっている庭園の写真を、すぐにでも
手に入れることができる。パソコンの画面上で、その写真を拡
大したり、縮小したり、トリミングしたり。動画のように変化
させることが可能である。そして、樹下美人図もネットから手
に入れれば、二つの画像を比較することができる。
画像を使用した学習は、「国語表現」という選択科目の中の
「言語活動」に提示されている(
2A・⑵オ)。確かに、文章では
理解できないことも、画像ならばわかる生徒もいるだろう。そ
うした画像を見つつ「解釈の違いについて話し合」(「言語文化」
2内容・B⑵エ)いを行なってもよい。また、その画像を作成す
る過程で考えたことやわかったことを「発表したり文章にまと
めたりする活動」(「言語文化」
2内容・B⑵オ)に繋げることもでき
る。
五年の歳月を経たからこその違いであろうか︒単なる樹下美人図の模倣から︑自分がイメージする﹁春の苑﹂の歌へと︑彼女の中で熟成して行った様子が窺える︒新学習指導要領の﹁古典探求﹂という科目の目標には︑﹁古典などを通した先人のも
のの見方︑感じ方︑考え方との関わりの中で伝え合う力を高め︑自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるように
する﹂︵
1⑵︶とされている︒また︑﹁生涯にわたって古典に親し
み自己を向上させ﹂︵
1⑶︶るともあるが︑彼女は確かに︑こう
した絵を描くことを通して︑﹁自分の思いや考えを広げたり深
めたり﹂したのであろう︒ぜひ﹁生涯にわたって古典に親し﹂
んでほしいと思う︒ 一方︑二枚目の絵には︑鳥毛立女屏風のような﹁奇怪な樹木﹂
︵奈良国立博物館﹃第六十六回﹁正倉院展﹂目録﹄︶ではなく︑爛漫の﹁桃
の花﹂が描かれている︒しかし︑一枚目の女性に比べると目が大きく︵二重瞼か︶︑頬もすっきりしている︒体の線もやや細く︑着物が似合いそうな撫肩である︒衣装は古代的で︑花鈿が施さ
れてはいるものの︑現代的な美人に見える︒
また︑一枚目の絵とは違って︑裳の裾が後ろに流れ︑画面か
らはみ出している︒その点からすれば︑花が満開となったモモ
の林の中を︑ゆったりと散策しているように見える︒道は見え
ないが︑樹下に﹁立つ﹂乙女ではなく︑樹下から﹁下照る道に 出で立つ﹂乙女の姿であろう︒
れによっても︑現代の社会や価値観を見直す学習が可能であろ
う︒授業の一案を示すと︑まずはクラスをいくつかのグループに分ける︒その中には必ず絵が描ける生徒を含める︒たとえマン
ガ的な絵であっても︑構図や色合いなどが示せればそれでよ
い︒新しい学習指導要領は﹁論述したり発表したりする活動﹂︵﹁古典探求﹂
2の⑵イ︶を求めているので︑﹁春の苑﹂の歌のイメー
ジについて︑グループごとに話し合わせる︒その結果を一枚の絵にまとめ上げ︑なぜそうした絵になったのかを代表者が発表
する︑といった形である︒﹁発表したり議論したりする活動﹂︵﹁古典探求﹂
2の⑵ア︶も想定されているので︑質疑を通して理解
を深めるのである︒
あるいは︑予め美術部などの何人かの生徒に︑﹁春の苑﹂の歌からどのようなイメージを抱いたか︑その絵を作成しておい
てもらうことも一案である︒一人一人の絵に︑さまざまな違い
が見られることが予想されるが︑なぜそういう絵にしたのか︑
まずはそれを描いた生徒たちに報告させる︒複数の絵は︑人に
よって歌の理解の仕方に違いのあることを浮かび上がらせるは
ずである︒ほかの生徒たちにも︑そうした違いがなぜ生まれた
のかを考えさせる︒そして︑どの絵が自分のイメージに近いか
を表明させた上で︑﹁短い論文などにまとめる活動﹂︵﹁古典探求﹂
2Aの⑵カ︶を行なう︒
このように︑議論して発表するにせよ︑文章にまとめるにせ
よ︑生徒たちの﹁主体的・対話的﹂な活動を通して行なうので
ある︒ さて︑本題に戻って︑この二枚の絵を通して︑どんな学習が可能なのかということを考えなければならない︒その際に求め
られることは︑必ずしも歴史的事実に忠実であるということで
はあるまい︒知識を獲得することよりも︑﹁古典などを通した先人のものの見方︑感じ方︑考え方との関わりの中で︵中略︶自分の思いや考えを広げたり深めたりすること﹂が重要である︒
その結果として﹁伝え合う力を高め﹂ることこそが︑学習の目標となる︒一枚目の絵は︑天平期の文化を知る材料となろう︒当時の貴族の女性の服装や化粧法などを知ることができる︒また︑こう
した構図に︑﹃万葉集﹄の中にシルクロードを通じた海外の文化の流入があった︑という事実を学ぶこともできる︒それを
きっかけにして︑﹃万葉集﹄や天平の文化に関するさまざまな情報を︑インターネットを利用して集めることもできるだろ
う︒﹁知識重視型﹂の学習だが︑それは﹁我が国の言語文化の特質や我が国の文化と外国の文化との関係について理解するこ
と﹂︵﹁言語文化﹂
一方︑二枚目の絵は現代的である︒二枚の絵を比較すること 2内容・⑵ア︶になろう︒
を通して︑古代と現代とでは美意識や価値観に違いのあること
などを見て取ることができる︒とりわけ︑ふっくらした女性と
スマートな女性という違いは重要であろう︒
﹃続日本紀﹄を見ると︑膨大な食品ロスが問題となっている現代とは違って︑奈良時代には頻繁に飢饉のあったことが知ら
れる︒ふっくらした体型はステイタス・シンボルでこそあれ︑医者からダイエットを勧められるようなものではなかった︒そ
じ込められていた世界を︑生徒たちがわいわい言いながら映像化することによって︑より理解を深める契機になると思われる
からである︒終止形と連体形の違いも︑丸暗記する文法の学習
によってではなく︑こうした活動の中で自然に理解して行く方
が︑意味のある学習となろう︒そして︑自由な発想で映像化す
ることを通して︑古典が親しみやすいものになることをも期待
したいと思う︒
そもそも︑﹁深い学び﹂は﹁主体的・対話的﹂な活動によって生み出されるというのが︑新しい学習指導要領の趣旨なのだか
ら︒︻補足︼ 令和二年三月二十四日︑文科省は令和三年度から使用さ
れる中学校の教科書の検定結果を公表した︒新聞各紙の報道
によると︑頁数は現行の教科書より約八パーセント増え︑グ
ループディスカッションに繋げる構成が多いと言う︒高校の教科書も︑同じような傾向になるのではないかと思われる︒
︵かじかわ のぶゆき︑本学教授︶ 5
とは言え︑こうした学習が成り立つ高校は少ないだろう︒冒頭でも述べたように︑新しい学習指導要領の求める学習の難易度は︑非常に高い︒非現実的であると言った方が適切かも知れ
ない︒当該歌は従来︑必履修の﹁国語総合﹂で教材化されていたが︑同じく必履修の科目で学習するとすれば︑﹁言語文化﹂で扱う
ことになる︒ところが︑その標準単位数は二単位︒週に二時間
である︒しかも︑扱うのは﹁古典及び近代以降の文章﹂︵﹁言語文化﹂
時間が少ないことも︑右のような授業の展開を困難にするに違 見ても︑﹃万葉集﹄の学習時間は二時間程度でしかない︒授業 3⑷ア︶とされ︑古典だけではない︒従来の教師用指導書を
いあるまい︒
とすれば︑現実的な方法としては︑﹁春の苑﹂の歌について教員が基本的なことを簡単に説明した上で︑教室に予め用意し
た右のような絵を提示し︵タブレットがあれば︑そこにデータを送っ
てもよい︶︑生徒たちの自由な意見を求める程度のことか︒せめ
て文章を書かせたいが︑少ない授業時間の中では難しい︒とす
れば︑生徒たちの意見を踏まえて宿題とするか︒いずれにせよ︑教育現場の実情に合わせて考えるしかあるまい︒日本には︑絵巻によって古典を享受する伝統もあった︒また現在では︑授業にマンガを利用することも広く行われている︒
しかし︑与えられた画像を使うのではなく︑自ら創り出す画像︑協働して創り出す画像による学習を提唱したい︒文字の中に閉