日本大学文理学部人文科学研究所 第10回哲学ワークショップ
「現代形而上学から倫理学へ」
日本大学文理学部人文科学研究所第10回哲学ワークショップを、「現代形而上学から 倫理学へ」というテーマで開催します。
どうぞみなさんお誘いあわせのうえ、ご参加ください。
日時:2016 年 3 月 14 日(月) 13:30-17:00 場所:日本大学文理学部 3 号館 2 階 3204 教室
(交通:京王線 下高井戸/桜上水駅下車 徒歩 10 分)
オーガナイザー:飯田隆(日本大学文理学部)
提題者/コメンテイター:鈴木生郎(慶應義塾大学)
提題者:谷川卓(千葉大学・慶應義塾大学)
提題者:蝶名林亮(創価大学・東洋哲学研究所)
提題者:吉沢文武(千葉大学)
プログラム
第1部 提題
13:30-13:50 鈴木生郎「現代形而上学と倫理学の幸福な関係に向けて:問題の所在」
13:50-14:20 谷川卓「原因と責任──現代形而上学は倫理学に対して(どのように)
貢献できるのか」
14:20-14:50 吉沢文武「害に関する比較説/非比較説の対立と非存在の価値」
14:50-15:20 蝶名林亮「メタ倫理学における非還元的実在論について」
15:20-15:30 休憩
第2部 質疑と討論
15:30-15:45 鈴木生郎「谷川氏、吉沢氏、蝶名林氏へのコメント」
15:45-17:00 応答と自由な討論(谷川、吉沢、蝶名林、鈴木)
問い合わせ先:日本大学文理学部哲学研究室 東京都世田谷区桜上水 3-25-40 電話 03-5317-9702 日本大学文理学部哲学科 飯田隆
提題要旨
鈴木生郎「現代形而上学と倫理学の幸福な関係に向けて:問題の所在」
形而上学は、世界や私たちのあり方について一般的に生じる哲学的問題の解決を目指す 分野である。こうした問題解決の側面は、とりわけ現代の形而上学において著しい。他 方、倫理学はーー形而上学者である発表者に倫理学が何であるかを述べることなどできな いことを承知で言えばーー私たちのあるべきあり方に関わる哲学的問題を探求することを 目的としている。そして、ここで特に重要なのは、倫理学は単に私たちが何をするべきか といった問題だけではなく、私たち自身や世界のあり方についての探求を行うことも重要 な課題としているという点である。
形而上学と倫理学の関係は、もちろん単純なものではない。たとえば、世界についての 特定の形而上学理論が正しいことから、私たちが何をするべきかについての結論を導くこ とは、一般には誤謬のひとつに数えられる。逆に、ある形而上学理論が極端な倫理的帰結 をもつとしても、そのことを当の理論の欠点とみなせるかどうかは疑わしい(世界が適切 な倫理的理論に適ったあり方をしているという想定は、擁護することが難しいものであ る)。しかし、こうした単純な見方を避けるならば、実際には両者の間には豊かな相互貢 献が成り立ちうる。倫理学は、すでに述べたように、世界や私たちのあり方についても探 求する。たとえば、行為者のあり方やその因果的な振る舞い、その時間のうちに存在する あり方、道徳的性質の本性の探求はその重要な課題である。そして、こうした問題につい て考える際には、現代形而上学の知見はさまざまな点で貢献できるはずである。こうした 貢献の有名な具体例のひとつとしては、たとえば D・パーフィットの『理由と人格 Reasons and Persons』が挙げられるだろう。
とはいえ、パーフィットの試みがその後の形而上学と倫理学の関係にもたらした影響 は、必ずしも前向きのものばかりではなかった。本発表ではこうした点も踏まえつつ、現 代において形而上学から倫理学への貢献の試みがどのような形になりうるか、どのような
問題に直面することになるのかについて簡単な整理を与える。同時に、続く三つの発表が こうした新しい試みの重要な一例となることを示すことも、本発表の重要な目的である。
谷川卓「原因と責任:現代形而上学は倫理学に対して(どのように)貢献できるのか」
今回の発表では、責任帰属の条件に関する議論を題材として、現代形而上学と倫理学の 関連性について検討したい。責任帰属の条件において因果性の概念――形而上学的に重要 な概念である――が重要な役割を果たすことは、伝統的にも認められてきた。ある行為者 がある出来事について責任をもつならば、その出来事はその行為者の行為を原因として起 こっている、というように。現代形而上学における因果論を踏まえたとき、古くから認め られてきたその関連性について、哲学的・倫理学的に興味深い論点を指摘することができ るだろうか。これが今回の発表で焦点となる問いであり、そして私はそれにイエスと答え ることになる。
現代形而上学の因果論が責任論に対して貢献できることは、発表者の考えるところ、た しかにある。それは分析ツールの提供という貢献である。因果論ではある与えられたケー スにおける因果関係を分析するための枠組みがいろいろ提案されている。どのような枠組 みにもしばしば反例と思われるケースが提示されるが、そのときには問題のケースを扱え るように枠組みを改良することが試みられる。ここで問題となるケースは往々にして責任 帰属の場面でも問題となるものであり、よって因果論における議論は責任帰属の問題を考 えるうえで参考になるだろう。本発表では、先回りや不作為のケースを取り上げて、因果 論の議論を責任論の議論にどう活かせるのかを検討する。そしてその検討を踏まえて、提 供される分析ツールのおかげで、責任の概念と因果性の概念の関連性をあらためて検討す ることが可能となり、場合によっては責任帰属の条件の是正・改訂が促されるということ を指摘したい。この論点は、発表者の考えでは、現代形而上学と倫理学の関係一般につい てのある見方――改訂的形而上学の一つの方向性――を示唆している。
吉沢文武「害に関する比較説/非比較説の対立と非存在の価値」
害に関する比較説によれば、ある出来事がある主体にとって害であるかどうかは、その 主体のもつ現実の福利の水準と、ありえた反事実的な福利の水準との比較によって決ま る。対照的に、害に関する非比較説によれば、出来事が害であるかどうかは、そのような
比較によってではなく、苦痛などの負の内在的特徴がその出来事に伴うかどうかによって 決まる。本発表の目的は、害に関する比較説と非比較説のあいだに実質的な対立は存在し ないと示すことである。私の考えでは、そのことは、両見解を分かつ典型的な例だとみな されている死の悪さや誕生の価値の扱いに関してさえ成り立つ。
本発表の基本的な論点は次のようになる。ある出来事が害であるかという評価において 比較に訴えるかどうかは、実践的な選択の場面において、どのシナリオを選ぶべきかとい う評価に違いを生じさせない。なぜなら、非比較説のもとでも、それぞれのシナリオが主 体に与える(避ける、あるいは推進する)理由は、結局のところ比較されるからである。
その意味において、比較説と非比較説に実質的な対立はない。この基本的な論点を明確に したうえで、死と誕生という「非存在の価値」の問題――主体の死後の非存在や生まれな い場合の非存在が当の主体にとって価値をもちうるかという問題――が関係するケースに ついてもこの論点が同様に成り立つと論じる。それらのケースはしばしば、両見解のもと で異なる帰結をもたらすとみなされている。しかしながら本発表で私は、そうした見方が 正しくないということを、存在と価値の帰属に関する形而上学的な諸条件を明確にするこ とを通して示すつもりである。
蝶名林亮「メタ倫理学における非還元的実在論について」
メタ倫理学における主要な問いの1つは、道徳的性質の本性に関する形而上学的考察で ある。このようなメタ倫理学的な探求が規範倫理学や我々の道徳的実践にどのような含意 を持つのか、常に議論の的となってきた。近年、非還元的実在論(non-reductive realism)と呼ばれる立場が提案され、この立場を巡って様々な論争が展開されている が、その論争の1つもメタ倫理学と規範倫理学の関係についてのものである。
非還元的実在論によると、道徳的性質や規範的性質一般は他の性質と同一ではない独自 のもの(sui generis)である。非還元的実在論には2種の異なる形態が存在する。1つ 目は、そのような独自の道徳的性質それ自体は自然的性質であるとの自然主義的な形態で あり、2つ目は、道徳的性質が自然的性質であることを否定する非自然主義的な形態であ る。2つ目の形態の擁護を目指す論者の多くは、非自然主義と自然主義の間に形而上学的 なコミットメントのレベルで大きな違いはなく、非自然的な道徳的性質なるものの想定は 形而上学的にそれほど問題のあるものではない、との議論を展開する。
非自然主義者のこのような主張は一種のトロープ理論(trope theory)として理解する ことができるかもしれない。だが、このような道徳的トロープ理論は不適切な規範倫理的
含意を持ってしまうとの指摘がある。本発表はこの指摘に対して非自然主義者がどのよう に応答することができるのか、検討していく。その中で、メタ倫理学における論争が、メ タ倫理学と形而上学、もしくは形而上学一般と倫理学の関係についてどのような示唆を与 えるのか、考察していく。