宅建築の発展とドメスティシティの構築
著者 石塚 則子
雑誌名 同志社アメリカ研究
号 53
ページ 1‑20
発行年 2017‑03‑31
権利 同志社大学アメリカ研究所
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015372
アンテべラム期の「リパブリカン・ホーム」
― 住宅建築の発展とドメスティシティの構築
石塚 則子
はじめに
未完に終わった『パサージュ論』の草稿の中で、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)は住居というものはもともと「外殻」(“shell”)にすぎないが、19 世 紀の「家」には他の時代には類を見ないほど特別の意味合いがあるという。19 世 紀の住居は、特にその内装とその住人の関係性が密であり、住人の属性を表象す るあらゆるものをすべて「包み込んでいる」(“encase”)からである1。ベンヤミン はこの草稿の中で 19 世紀から 20 世紀にかけてのパリを取り上げたのだが、彼の この言葉は 19 世紀のアメリカにも当てはまるであろう。近代化が進む中、家族 像や性別役割分業が変化する一方で、ピューリタニズムに裏打ちされた道徳性や 精神性から、商業活動や競争社会へと時代の潮流が変化し、ジャクソニアン・デ モクラシーや領土拡大の気運が高まり、アメリカは国家建設に国を挙げて邁進し ていく。社会の単位ともいえる「家族」のありようが変化し、西漸運動によるモー ビリティの高まりや交通の発達で「一戸建て」建築が普及し、19 世紀の「住居」
には、その時代の政治的・社会的・文化的属性が内包される。特にアンテべラム 期においては人々の「家づくり」に対する思い入れは、有徳な市民のための「リ パブリカン・ホーム」、さらにアメリカという「国づくり」へとリンクするのである。
19 世紀のアメリカ社会の中で、家(ホーム)は単なる居住空間だけではなく、ク リフォード・エドワード・クラーク・ジュニア(Clifford Edward Clark Jr.)の 言を借りれば、「家族の絆やアイデンティティの象徴」2でもあった。
「家」や「ホーム」という言葉には、様々な意味が内包されている。単に建築
1 Walter Benjamin, The Arcades Project, trans. Howard Eiland and Kevin McLaughlin (Cambridge: The Belknap Press of Harvard University Press, 1999), 220.
2 Clifford Edward Clark Jr., The American Family Home, 1800-1960 (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1986), xv.
物としての「家」だけではなく、そこに住まう「家族」、その家族が営む「家庭」
を表わし、家族の理想や生き方、家族それぞれ個人の関係性や心情、さらには、
アメリカの市民(citizen)としての共同体や国家とのつながりも「家」に託され ている。建築物としての家が持つ物質性に対して、「家」や「ホーム」に託され た社会性・道徳性、時には政治性を「ドメスティシティ」という一つの理念とし てとらえ、19 世紀前半のアメリカにおいて、近代化と社会のパラダイム変化と共 振しながら、ドメスティシティがどのように構築されていったかを考察してみた い。具体的には、住宅建築に関する理論のパイオニアであるアンドリュー・ジャ クソン・ダウニング(Andrew Jackson Downing 1815-1852)を取り上げ、住宅 建築の萌芽期における住居観を考察し、さらにドメスティシティ言説を反映し た文学テクストとして、キャサリン・マリア・セジウィック(Catharine Maria Sedgwick 1789-1867)の『ホーム』(Home 1835)を読み解くことが本論の企図 するところである。
I 近代化による家族と住宅の変化
ヴィトルト・リプチンスキ(Witold Rybczynski)によると、住居の構造につ いて中世と近代の大きな相違は、中世の場合、大部屋に親族や使用人などを含め た大家族が雑魚寝のような状態で居住しており、公/私の区分けが曖昧であった ことである。“home”、“family”、 “domesticity”、“privacy” という概念が構築され るのは、近代化とともに個人主義が発達し、「個人」という概念が確立してから だという3。ヨーロッパにおいて、多少の時代的差異はあるにしても、産業化や市 場経済の発達によって仕事場と家庭が分離し、以前には 7 歳ぐらいで修業に出さ れていた子どもが、教育の普及とともに家に留まるようになり、家庭での教育や 子育ての重要性が高まる。こうした家族のあり方や子ども観の変化は、家の構造 の変化に直結し、近代化が進むとともに、大部屋からいくつかの小部屋に居住空 間が細分化され、さらにそれぞれの部屋の機能が分化する4。そして廊下が家の間 取りの中に登場することで、続き部屋からそれぞれの部屋の隔離性・独立性が高 まる5。リプチンスキはヨーロッパ、特にフランスやオランダを例に近代化による 家の構造の変遷を論じ、18 世紀ごろに住居は家族が住む「私的」な場所6、つまり
3 Witold Rybczynski, Home: A Short Hisotry of an Idea (New York: Penguin Books, 1986), 39-49.
4 Ibid., 86-88.
5 Clark, xvi を参照。
6 Rybczynski, 39.
「ホーム」となることを明らかにしている7。このような家の構造の変化と家庭生活 や家族像の変化の相関関係は、単に居住空間という物理的環境だけではなく、そ こに住む人間の意識や家族としての連帯感を高めたという8。それは、近代の自我 の確立と密接に関わっているのである。
19 世紀前半から中葉にかけてのアメリカにおける住宅の構造と家族のあり方 の変化、さらにジェンダー観の変化との密接な関係性は、近代化とともに独立国 家として発展していくアメリカの歴史的・政治的ダイナミズムと共振する。ク ラークはその著書『アメリカン・ファミリー・ホーム 1800 年-1960 年』(The American Family Home, 1800-1960)の冒頭で、「1830 年代アメリカの激浪の大
躍進に一抹の不安を感じる多くの作家たちは、家族(family)と家庭(home)と いう二つの理想像を常に国家の発展の度合いを測る基準点(ベンチマーク)とし て掲げてきた」と述べている9。19 世紀前半、説教、自己修養のマニュアル本、住 宅建築のパターン・ブック、雑誌やアドバイスブック(指南書)において、住居 や家庭が常にテーマとして取り上げられ、それらを守り、強化し、改善することが、
当時のアメリカの国家としての目覚ましい躍進への不安や様々な感情の「はけ口」
(“pastime”)となっていたという10。
その一例として、雑誌『ニュー・イングランダー』(New Englander)の 1850 年 8 月号に掲載された記事「建築」(“Architecture”)を取り上げてみたい。その 記事の著者は、1849 年に出版された、建築にも造詣が深いイギリス美術評論家 ジョン・ラスキン(John Ruskin)の著書『建築の七燈』(The Seven Lamps of Architecture)を紹介しながら、当時のアメリカの社会的状況や家づくりについ
てやや拡大解釈しながら、技術面よりも「建築に付随する道徳的重要性と価値」
(“the dignity and moral importance of architecture”)を主張している11。アメリ カはヨーロッパに比べて円熟した芸術もなく、社会の基盤ができて間もない新し い国であり、また新天地を求めて「移住してきた人種」から成る国である12。建築 への新たな関心が喚起されているものの、アメリカの住宅はまだ「総じて雨風を しのぐもの」13であり、建築について語る段階には至っていない。そこで、ラスキ
7 Ibid., 77.
8 Ibid., 49.
9 Clark, xi.
10 Ibid.
11 “Architecture,” New Englander 8 (August 1850), 434. クラークはごく簡単にこの記事について 言及している。Clark, 4.
12 Ibid., 419.
13 Ibid., 421.
ンの考えを借用しながら、物理的・工学的見地以上に、建築に付随する精神性や 道徳性に注目し14、特に “home feeling” の重要性を説いている15。なぜならば、ア メリカ国民は他国に比べて、幼いころから「自立」や「自己信頼」を涵養し、成 人になる前に家を出て世の中での成功を夢見てきたが、そうすることで「神が お示しになる家族の絆の重要性を見逃す危険性に晒されている」からであると いう16。今よりもさらに家庭を大事にすること、その心情が「家の構造」(“home structure”)17にも目を向けることになるであろうと、ドメスティシティの強化と 住宅建築の進化の重要性を指摘している。経済活動に従事するための単なる寝食 の場としてではなく、家族が住まう「家庭」として家を考えることの重要性を謳っ ている。クラークが指摘しているように、1840 年代のアメリカにおいては「居住 水準と家族のあり方(housing standards and appropriate family behaviors)を 結びつけることで、社会を良き方向に導き、文明化に貢献することが期待され た」18。それは近代の自我意識やアメリカの国民としての意識の深化とリンクして いるように思われる。
人々の関心が住宅建築に急速に高まる時期が、ヨーロッパ、特にイギリスから の文化的独立を確たるものにし、アメリカの国家像を構築していく時期と同期す ることは興味深い。精神性と物質性の両側面から、建築家だけではなく、聖職者、
小説家、思想家が「住居」と「道徳性」の関係性を主張し、「アメリカらしい家」
が説教集や地域の雑誌の記事など、様々な活字メディアを通じて喧伝されたので ある19。
II 建築家ダウニングの思想
アンテべラム期の住宅建築に大きな影響を与えた人物の一人がアンドリュー・
ジャクソン・ダウニングである。アメリカの知的独立宣言と評価されている、ラ ルフ・ウォルドー・エマソン(Ralph Waldo Emerson 1803-1882)による “American Scholar” の講演が 1837 年に行われたことが象徴するように、独立宣言から 60 余 年を経て、アメリカはヨーロッパから自立し独自の歩みを遂げようとしていた。
その時期に、ダウニングはアメリカにおける住宅建築の方向性について持論を展 開したのである。
14 Ibid., 422.
15 Ibid., 432.
16 Ibid.
17 Ibid., 433.
18 Clark, 4.
19 Ibid., 15 を参照。
ダウニングは、ニューヨーク市から 60 マイルほど北のハドソン川流域の町で 造園業を営む家に生まれ、幼いころから園芸に携わっていた。1830 年代から雑 誌などに建築や園芸に関する記事を寄稿し始め、1841 年から 1850 年にかけて住 宅建築に関する著書を 4 冊出版し、1853 年までに 36,750 部売れ、19 世紀末まで には 100 版近く増刷されたという20。特に建築に関しては、交通や道路の発達で郊 外に住むことが可能になり、「アメリカの田園地帯に住んでいる人の 1 / 3 が生 涯のうち一度は一戸建ての家を建築する」21という時流に合わせて、建築デザイン の指南・手引書を出版する。やがてダウニングは園芸業から建築や設計に関心を 広げ、1850 年にはイギリスから建築家カルヴァート・ボウ(Calvert Vaux 1824- 1895)を呼び寄せ、彼とともに首都ワシントン D.C. の景観デザインをはじめ、ア メリカ国内の多くの公園や景観プロジェクトを手掛けていた。しかしながら、
1852 年ハドソン川での汽船の火事という不慮の事故で、36 歳の短い生涯を閉じ ることになる。
アメリカ人が執筆した建築に関するマニュアル本やパターン・ブックが出版さ れるようになったのは 18 世紀末であるものの、1830 年代ごろから建築業者(ビ ルダー)ではなく、もっと広く顧客やアメリカ市民に向けて書かれたものが多く 出版されるようになり、その代表的な著者がダウニングであった22。同時代に出版 されたパターン・ブックに比べて、ダウニングの著作は建築工法やデザインとと もに理論や説明が分かりやすく、それが彼の著作や建築に人々の関心を引き寄せ たとアダム・W・スウィーティング(Adam W. Sweeting)は述べ、園芸や建築 を普及させた “popularizer” とダウニングを評価している23。
ダウニングは 1846 年から 1852 年まで自身が編集した月刊誌Horticulturist に 多くの記事を寄稿するが、“A Few Words on Our Progress in Building”(1851)
の中で、当時のアメリカにおける公共や民間の建物、特に住宅建築に対する関心 の高まりや技術に対する急速な進化を認めながらも、まだ建築に関しては「実験
20 Robert Twombly, “Introduction: Architect and Gardener to the Republic,” in Andrew Jackson Downing: Essential Texts, ed. Robert Twombly (New York: W. W. Norton, 2012), 15.
21 George Wightwick, Hints to Young Architects, Calculated to Facilitate Their Practical Operations [originally published in 1847] in Twombly, 79.
22 Dell Upton, “Pattern Books and Professionalism: Aspects of the Transformation of Domestic Architecture in America, 1800-1860,” Winterthur Portfolio 19, no. 2/3 (Summer - Autumn 1984):
107-22.
23 Adam Sweeting, Reading Houses and Building Books: Andrew Jackson Downing and the Architecture of Popular Antebellum Literature, 1835-1855 (Hanover: University Press of New
England, 1996), 15-16.
的な段階」でしかないと述べている24。高揚するナショナリズムの中で「アメリカ の建築スタイル」の確立を待望する声が強い一方で、ダウニングは建築に「オリ ジナルな様式」は存在せず、現在の建築様式は過去の建築様式が時間とともに修 正されてきたものであると考える25。確かにアメリカは、ヨーロッパと違って、広 い国土とユニークな制度によって国家としての独自性を有しているものの、知的 で洗練された建築様式を涵養することは容易なことではなく、時間をかけて過去 の様式を採り入れながら、アメリカの国家体制や慣習や気候などの諸条件に適合 した建築様式を案出することが肝要であると述べている26。つまり、アメリカ独自 の建築様式を追い求めたのではなく、スコットランド人の建築家ジョン・クロー ディアス・ラウドン(John Claudius Loudon 1783-1843)の影響を受けながら、
イギリスのロマン主義や古典主義を採り入れようとしたのである。さらにそこに 道徳性を加えてアメリカ人の美徳を表現する様式を構築し、住環境や住宅建築に 関して当時台頭してきた中産階級を教化したのである。
その理論においては、「有用さと美しさ」(“the Useful and the Beautiful”)27、
“taste” や自然との融合などが論じられ28、単に建築工法について説明するだけで はなく、審美的・ロマン主義的な要素が強調される29。美的であること、それは多 分に視覚的な要素が強い。美しさと言っても、華美なものや装飾性を求めるので はなく、素朴で自然との融合や周囲との調和が大事なのである。例えば、それま で人気のあった古典的な住宅建築(例えばギリシャ・リバイバル様式)では白い 外観が主流であったが、ダウニングは周囲の自然と融合しやすい自然な色合いの 落ち着いた緑や茶色を推奨した30。ダウニングが提示した建築モデルは、郊外のコ
24 Downing, “A Few Words on Our Progress in Building,” [originally published in The Horticulturist 6, June 1, 1851] in Twombly, 125.
25 Ibid., 123-24.
26 Ibid., 124-26.
27 Downing, The Architecture of Country Houses (New York: Da Capo Press, 1968), 2.
28 Sweeting, 20-26.
29 スウィーティングは、ダウニングの建築に関する姿勢を “Genteel Romanticism” と評している。
その特徴として次の三点を挙げている。第一に、住環境にとって自然が大事な要素ではあるもの の、自然に神秘的なインスピレーションを求めるトランセンデンタリストや無垢の荒野に憧憬を 抱くイギリスのロマン主義者と違って、人間の審美眼に合致した風情ある自然を愛することを主 張する。第二に家庭を通して社会を改善しようと志向する。つまり、家庭のもつ道徳的な癒し や浄化を信奉している。第三に都会でもなく、田舎でもなく、田園地帯での暮らしを賛美する。
Sweeting, 10-11.
30 Downing, Country Houses, 198-99.
テージ31から上流階級のヴィラまで多様であるが、なかでも有名な建築様式はゴ シック・リバイバルである。この様式の特徴を採り入れた住居は、急勾配の屋根 や高い煙突とゴシック的な装飾によって、家に陰影がもたらされ、厳かな印象を 与え、周囲の木々と調和し、クリスチャンの住まいにふさわしい佇まいと言われ た32。
ダウニングが推奨する「郊外」、つまり “suburb” や “rural life” という言葉は、
都市化の度合いによって時代ごとに異なる特質がある。ダウニングの時代は、近 代化とともに産業構造が変化し、ヨーロッパからの移民が増え始め、領土拡大と ともに米墨戦争をはじめとする対外的な軋轢も生まれる。特に都会の住環境の悪 化が著しく、1820 年から 1860 年の間に都市人口は 797%も増加し、主な都市に 430 万人のドイツやアイルランドからの移民が流入する33。例えば、社会活動家で あり大衆作家として当時一世を風靡したジョージ・リパード(George Lippard 1822-1854)の代表作『クェーカー・シティ』(The Quaker City 1844)では、フィ ラデルフィアを舞台に都会での人間性の腐敗がゴシック小説として描かれてい る。こうした世情の中、物質面や経済面で都会と繋がっていることがますます必 要になる一方で、変化が著しい都会の喧騒から逃れられる癒しの空間を確保する ことが求められた。ダウニングの場合、住民のほとんどが農業を営むような農村 ではなく、例えばニューヨークから蒸気船を使って週末を豊かな自然の中で暮ら す白人の富裕層の住環境がその概念の基本にある。都会での競争や商業活動から 離れて、豊かな自然と共生する住居で、精神的癒しと家族との絆を深める生活こ そが、ダウニングが提言するドメスティシティの中心にあるのである34。
実際に彼の理論をもとにどれほどの住宅が建てられたかは不明であるが、彼の 美意識と道徳観は当時のドメスティシティの言説に大きな影響を与えた。周りの 自然と融合した庭と趣味のよい住居に、「道徳的浄化作用」(“moral catalysts”)35 が求められたのである。社会的安定は都会にではなく、「趣があり、ピクチャレ スクな住居」(“tasteful and picturesque properties”)にあり、道徳的規範と分別
31 ダウニングの言うコテージとは「勤勉で知的な労働者が、土地を購入し自分で家を建て家族とと もに自分たちの趣向に合った暮らしができるような住まい」のこと。Ibid., 40.
32 ダウニングは宗教性を強調したわけではないが、教会建築に関しては、天を希求するゴシック様 式こそが「真の信仰や信心を象徴している」(quoted in Sweeting, 52)と述べている。
33 Clark, 15.
34 スウィーティングやドロレス・ハイデン(Dolores Hayden)は敢えて “suburb” を “borderlands”
と 呼 ん で い る。Sweeting, 11; Dolores Hayden, Building Suburbia: Green Fields and Urban Growth, 1820-2000 (New York: Vintage Books, 2004), 21-44.
35 Sweeting, 120.
がその秩序ある空間に反映される。そのような「道徳的体系」(“ethical system”)
が住居に託されたのである36。
個人住宅に具現化される美意識と道徳性は、究極的にはアメリカの国家建設の 精神的支柱となると、ダウニングは当時の住宅建築に関する言説をナショナリズ ムの言説に接続させる。例えば、1852 年に出版された『カントリー・ハウスの建築』
(The Architecture of Country Houses: Including Designs for Cottages, Farm- Houses, and Villas, with Remarks on Interiors, Furniture, and the Best Modes of Warming and Ventilating)の序文で、アメリカ国民が「良き家」をもつべき「卓
越した理由」として以下の三点を挙げている。第一は「良き家は文明にとって強 力な手段の一つである」。つまり、「美しい芝生と趣のある住まい」がアメリカ全 土に普及することによって秩序と文化が確立し、国の文明の進歩に大きく貢献す るからである。第二に「個人の家は国民にとって大きな社会的価値がある」37。都 市部で繰り広げられる様々な競争によって荒んだ精神を癒すのは、郊外の豊かな 自然と家庭であり、都会から離れて解放的な雰囲気の中で営まれる家族との暮ら しは、国としての純粋性を維持し、その知性を高揚させるからである。第三には 郊外の家はそこに住まう人々の精神に大きな影響力をもつのである38。
このようにナショナリズムと共鳴するダウニングの理論の背景にはリパブリカ ニズムがあるとグウェンドリン・ライト(Gwendolyn Wright)やロバート・トゥ オンブリー(Robert Twombly)は指摘している39。ダウニングは、『カウントリー・
ハウスの建築』の中で、ヨーロッパとは違って、生まれながらに平等な権利を保 障されているアメリカ国民にとっての「真のホーム」とは「リパブリカン・ホーム」40 であると明言している。園芸家として事業を始めたころに、名家であり裕福な実 業家の娘キャロライン・デュウィンド(Caroline De Windt)と結婚することで、
社会的成功を確立したダウニングに対して、リパブリカニズムを謳いながらもエ リート意識が強く、また白人の中流以上の階級を対象としているという批判があ
36 Ibid., 11.
37 Downing, Country Houses, v.
38 Ibid., v-vi.
39 以下の著書を参照。Gwendolyn Wright, Moralism and the Model Home: Domestic Architecture and Cultural Conflict in Chicago, 1873-1913 (Chicago: University of Chicago Press, 1980), 10-11;
Twombly, 34-35.
40 Downing, Country Houses, 269.
るが41、彼の目指した住宅は「有徳な市民の家」である42。つまり、躍進するアメリ カで推奨される住宅は、「華美ではなく、美しく、調和のとれた家で、持ち主で ある田園の紳士が、ひとりのリパブリカンとして満足、必要、愉悦を与えること ができる、程よい大きさの家であり、決して大きすぎず贅沢になりすぎず、子孫 の暮らしやマナーに悪影響をあたえることがない家」43と定義している。また 1848 年に寄稿した記事の中で、大西洋の向こうのヨーロッパでは、富を所有する一部 の特権階級のみが美しい屋敷に住むことができるが、アメリカでは「誠実さと勤 勉さ」(“integrity and industry”)は大抵の場合報われ、我々アメリカ人は「建築
(fine arts)には道徳的4 4 4影響力(moral effects)があると堅く信じ」、「美しいコテー ジやカウントリー・ハウス(郊外の家)の持つ優れた影響力、そして美しい庭園 やよく実のなる果樹園は必ずや人間性を向上させ、その効果はあらゆる階級4 4に波 及する」と、ダウニングは述べている44。さらに「(ヨーロッパと違って)代々財 産を築き上げ継承していく国ではない」ので、「美しく適正な建築」を推進する ことが「公共的美徳と一般的善」(“public virtue and the general good”)を促進 することに繋がると主張したのである45。このようにダウニングは、イギリスの建 築様式を学びながらも、特権階級が存在するヨーロッパの国々と差別化して、「リ パブリカン・ホーム」が内包する精神的、道徳的影響力を強調し、家庭で醸成さ れた美徳や、個よりも共同体の向上を希求する精神こそがアメリカ国家の精神的 支柱であることを提唱する。
ダウニングは様々な事業を展開し始めた時期に不慮の事故でこの世を去るが、
彼の理論や事業は後世に引き継がれ、アメリカの住宅建築や都市景観の発展に寄 与することになる。ダウニングがアメリカに呼び寄せた建築家ボウはのちにフレ デリック・ロウ・オルムステッド(Frederick Law Olmsted 1822-1903)ととも にダウニングが着手したニューヨークのセントラルパークを完成させ、19 世紀後 半に造られる都市の公園や大学キャンパスの景観デザインの多くを手掛け、アメ リカの景観建築を飛躍的に進化させることになる。またダウニングは農学校など
41 David P. Handlin, The American Home: Architecture and Society, 1815-1915 (Boston: Little, Brown, 1979), 41-42. ダウニングの妻となったキャロラインは第二代大統領のジョン・アダムズ
(John Adams 1735-1826)の孫であり、従って第六代大統領のジョン・クィンシー・アダムズ(John Quincy Adams 1767-1848)とも姻戚関係にある。Twombly, 17.
42 Ibid., 270.
43 Ibid., 269.
44 Downing, “On the Moral Influence of Good Houses,” [originally published in The Horticulturist 2, February 1848] in Twombly, 117. 強調著者。
45 Ibid., 118.
の教育機関の設立の重要性を早くから主張し、生前に実現することはなかったも のの、その遺志はやがて農学校設立へと継承される。アメリカが国家として独自 の成長を歩み始め、移民の流入や治安の悪化で都市問題が顕著になっていく時期 に、住宅建築や景観建築の発展の礎を築き、実用性と理論の両方を普及させたダ ウニングの功績は大きい。また、住居が内包する精神性や道徳性の意義を推進し、
国家への連帯意識やドメスティシティ言説を強化したことは、国家として急速に 発展する当時の社会思潮を反映している。
ダウニングの著作は、彼の死後も多くの人の共感を得るが、注目すべき一人は 19 世紀において大きな影響力と読者を有する婦人雑誌『ゴーディーズ・レディー ス・ブック』(Godey’s Lady’s Book 1830-98)を創設したルイス・アントワーヌ・ゴー ディ(Louis Antoine Godey 1804-1878)である。ダウニングの著作に感銘を受け たゴーディは同誌でアメリカのヴィラやコテージなどのデザインを特集し、「マ イホームづくり」(“own-your-own-home”)のキャンペーンを実施したのである。
その後 1846 年から 1898 年にかけて 450 ほどのモデルハウスのデザインが掲載さ れ、最初はイギリスの住宅モデルも取り上げられたが、やがて同誌に大きな影響 力をふるった編集者サラ・ジョセファ・ヘイル(Sarah Josepha Hale 1788-1879)
の英断で、ダウニングをはじめとするアメリカの建築家のデザインのみを掲載し、
住宅建築の普及に貢献したのである。施工する建築業者や主婦層に与えた影響は 大きく、モデル住宅に関心を持った読者は雑誌社に手紙を書いて設計図を請求で きたようで、掲載し始めて最初の 10 年間で 4000 件以上のデザインを提供したと いう46。ダウニングの著作にゴーディが啓発されたことで、19 世紀後半に多くの女 性読者を獲得し大きな影響力を持つメディアに成長する『ゴーディーズ・レディー ス・ブック』に、モデルハウスが掲載されるようになったことは、住環境に関す る知識の普及に大きく貢献することになる。
III アンテべラム期の文学テクストに描かれる「リパブリカン・ホーム」
―セジウィックの場合
電子メディアや映像メディアが発明される前のアンテべラム社会において、活 字メディアは印刷技術や物流革命によって出版文化が発達することで、ある意味
「イデオロギー的国家装置」、つまり社会にイデオロギーを伝播するメディアとし て大きな役割と影響力をもつこととなる。ダウニングが建築を通して提唱した「リ パブリカン・ホーム」、つまり「有徳な市民の家」が、活字メディアのひとつで
46 Wright, 11.
ある文学テクストにどのように反映されたか、一例としてキャサリン・マリア・
セジウィックの家庭小説を取り上げてみたい。
ダウニングは住宅建築の理論の普及に努めた一方で、ナサニエル・パーカー・
ウ ィ リ ス(Nathaniel Parker Willis 1806-1867)、 ワ シ ン ト ン・ ア ー ヴ ィ ン グ
(Washington Irving 1783-1859)、 キャサリン・マリア・セジウィック、ウィリアム・
カレン・ブライアント(William Cullen Bryant 1794-1878)などニューヨーク近 郊の文学作家たちと親しく交流し、また出版者ジョージ・パーマー・パットナム
(George Palmer Putnam 1814-1872)の自宅での集まりにも足しげく通ったよう だ47。スウェーデンの作家でありフェミニストのフレデリカ・ブレマー(Frederika Bremer 1801-1865)は、1849 年から 1851 年にかけてアメリカを旅行し、その印 象を姉への書簡で語る形で旅行記を発表しているが、その中で、1849 年 10 月に ダウニングにセジウィックを紹介されたこと、さらに二人の印象を記録している。
セジウィックについては作家としての安定した地位を築いていることを書き記 し、ダウニングについては、貧富の差に関係なく、家を建てて庭を造ろうと考え る人なら誰でも彼の著作を必ず参考にしていると、彼の建築家としての名声と影 響力を評価しているセジウィックの言葉を引用している48。
ちょうどダウニングが雑誌などに投稿し始めるころにあたる 1835 年に、セ ジウィックは小説『ホーム』を発表する。1830 年代から 1860 年代のアンテべ ラム期に活躍した女性作家たちの家庭小説の系譜を論じた『母親の帝国』(The Empire of the Mother)の著者メアリー・P・ライアン(Mary P. Ryan)によると、
キャサリン・ビーチャー(Catharine Beecher 1800-1878)同様、有名な宗教家を 輩出したニューイングランドの名家に育ったセジウィックは、19世紀初頭の古 い伝統的な家庭観を有しているという49。確かに、『ホーム』においては、住環境 としての都会と田園地帯の対比、自然豊かな住環境の重要性、家族の道徳観や篤 い信仰心が描かれ、道徳的な「家庭小説」の先駆けといえる作品である。
『女性の小説』(Woman’s Fiction)の著者ニーナ・ベイム(Nina Baym)は、
アメリカの女性作家として、セジウィックをパイオニア的存在と位置づけ、一人 の強い女性主人公を通して読者に多くのことを伝えていると論じ、New England Tale や Hope Leslie など代表的な 4 作品を取り上げているが、『ホーム』につい
47 Sweeting, 4 を参照。
48 Fredrika Bremer, The Homes of the New World: Impressions of America, trans. Mary Howitt, vol. 1 (New York: Harper & Brothers, 1854), 31-46.
49 Mary P. Ryan, The Empire of the Mother: American Writing about Domesticity, 1830-1860 (New York: Harrington Park Press, 1985), 21-23 を参照。
ては言及していない。しかし『ホーム』が出版された1835年は、ちょうどセジウィッ クが歴史小説から同時代の女性の物語に転換し、もっとも多くの作品を発表し作 家としての名声を獲得した時期でもある。また教訓的な小説に転向する時期とも 重なる50。セジウィックをパイオニアとして 19 世紀半ばに活躍した女性作家たち の作品の特徴や人生について論じたメアリー・ケリー(Mary Kelley)によると、
著作権が確立していない当時、イギリスの小説の安い再版が市場を席巻している 中、『ホーム』は 2 年間で 12 版、1846 年までに 20 版を重ねたという51。『ホーム』
執筆時にセジウィックがダウニングの建築理論についてどれほど熟知していたか は定かでないが、建築や園芸に関する論考を彼が雑誌などの活字メディアに発表 し始めたころに発表された文学テクストである。社会の諸言説の結節点、換言す ればジェイン・トムキンス(Jane Tompkins)の言う “cultural work”52として、『ホー ム』が如何に当時のドメスティシティ言説を反映しているかを読み解いてみたい。
主人公ウィリアム・バークレイ(William Barclay)は都会で生まれたが、幼 いころに父と死別し、母親とともにニューイングランドの自然豊かなグリーンブ ルックという「ピクチャレスクな」53小さな村に戻り、牧師をしていた母方の祖父 の家で少年時代を過ごす。しかしながら、祖父の死後、牧師館は人手に渡り、そ れ以降親子は知人などを頼って転々とし、バークレイは大学に行くことを諦める。
やがて独学で印刷業を学び、22歳のときにニューヨークで印刷業を共同経営す るまでになり、ベンジャミン・フランクリンの立身出世物語をなぞるかのように、
勤勉と節約で社会的成功を勝ち取るのである54。しかしながら、仕事も家庭生活も すべてが順風満帆な折に、バークレイはパートナーのノートン氏(Norton)の 家庭のトラブルから苦境に立たされる。信頼していた長男が投機による多額の負 債を苦に自殺したことで、ノートン氏は精神的打撃を受けて亡くなってしまうの である。事業の負債をバークレイが背負い込むこととなり、それまで順調であっ た事業は大きな財政的損失を被る。しかし、バークレイはノートン氏に対して憤 怒や私怨の念を抱くどころか、引き取り手のない彼の遺児を引き取り、緑豊かな
50 Nina Baym, Woman’s Fiction: A Guide to Novels by and about Women in America, 1820-70 (Urbana: University of Illinois Press, 1993), 53-63 を参照。
51 Mary Kelley, Private Woman, Public Stage: Literary Domesticity in Nineteenth-Century America (New York: Oxford University Press, 1984), 13. またブレーマーも『ホーム』の人気を
旅行記で記していて、人から読むようにと勧められたと書いている。Bremer, 31-32.
52 Jane Tompkins, Sensational Designs: The Cultural Work of American Fiction, 1790-1860 (New York: Oxford University Press, 1986), xv-xvi, 200.
53 Catharine Maria Sedgwick, Home, 15th ed. (Boston: James Munroe, 1841), 1.
54 作品中でバークレイが子どもたちにフランクリンの自伝を読み聞かせる場面がある。Ibid., 88.
グリーンブルックに戻って育てるのである。様々な困難に遭遇しながらも、クリ スチャンとしての美徳で乗り越えていく姿に教訓的なメッセージが込められてい る。
『ホーム』では、バークレイの全き人格者としての個人の生きざまよりも、題 名が示すように、彼の築き上げた家族の絆や道徳的学びの場としての家庭の重 要性が前景化される。小説はニューヨークで事業が軌道に乗り、「やさしく聡明 な」55幼なじみの女性アン(Anne)と結婚し、新居を構えるところからストーリー が展開していく。幼少時代に他人の家を転々としたバークレイにとって、「家庭」
は「美徳のためのあらゆる動機や助けであり、幸せの根源」56である。都会の雑駁 な街で、小さなみすぼらしい庭のある 2 階建ての住居を新居とするものの、将来は、
小川が近くを流れ、木々に囲まれ緑の小道がある「コテージ」に戻る日を夢見て いる57。妻と協力しながら、節約して、華美なものではなく実用的な家具や調度品 を整え、「家族の誰にとっても(使用人にとっても)どんな言葉よりも素晴らし い家庭(ホーム)」58を築こうと努力するさまが詳しく語られる。家の中で大事な 場所はパーラー(居間)であり、そこで様々な出来事が起こり、家族にとって大 切なことが決められる59。そのパーラーの定められたところに「毎日使う家庭用聖 書」が置かれていて60、家庭内の祭壇(domestic altar)の前に毎晩家族で集まり、
聖書を読むのである。パーラーに置かれた聖書は、家族の絆によって道徳的情感 と宗教的情操を涵養する場としての「ホーム」を象徴し、彼にとっての理想の家 庭の支柱が信仰であることを物語っている61。
バークレイ家においては、子どもたちに対して人間として大切な「家庭教 育」が両親によって施され、敬虔な信仰心とともに、一人一人が「自治の精神」
(“self-government”)を自ずと習得するように日々の生活が営まれる62。12 歳まで は神の導きによって親は子にとって「一番の教師」であり、「家庭こそが最もふ さわしい学校」63であるとバークレイ夫妻は考えているからである。家庭 =イコール学 校という構図は、例えば食事の時間や日曜日の過ごし方に良く表れている。父親
55 Ibid., 12.
56 Ibid., 5.
57 Ibid.
58 Ibid., 8.
59 例えば、子の命名など。Ibid., 第三章を参照。
60 Ibid., 11.
61 Ibid., 13.
62 Ibid., 27.
63 Ibid., 42.
のウィリアムは忙しくても必ず家族との食事の時間を大切にし、毎日一時間ほど 子どもと一日の出来事を話す。食事の時間は単に空腹を満たすのではなく、「人 間形成と社会的幸福の好機」と考えているのである。子どもたちはテーブル・セッ ティングや食事中のマナーを学ぶことで、身のこなしや物事の秩序や整理整頓を 学ぶ。また日曜日には、午前中の礼拝の後、都会の中でも自然豊かな静かなバッ テリー公園(The Battery)へ散策に出かけ、家に戻ってからは母親が中心になっ て、家庭的な温かい雰囲気の中で聖書について語るのである。夜には本を読んだ り、礼拝での説教で印象に残ったことを書き記したり、また自分の行動の反省や 計画を書き留める。このように「家庭の愛情」(“domestic affections”)と「宗教性」
(“the religious”)64の両方を内包する「家庭の4 4 4影響力」(“home influences”)65がバー クレイ家には満ちているのである。
こうした敬虔で道徳的なバークレイ家の高い倫理観と好対照に描かれるのは、
隣人で仕事にかまけて家庭や子どもの教育を顧みないアンソン家(Anthone)や、
社交界の名声や派手な生活を求めて失敗するノートン家である。バークレイは、
我が子に与えるべきものは、大学教育や財産や土地ではなく、「良き人格、良き 教育、社会に出ていくための準備」66と考える。19 世紀初頭のアメリカの家庭では 珍しくなかったことであるが、バークレイ家は核家族ではなく、親を失った移民 の子どもや家庭が崩壊した仕事のパートナーの遺児、さらに未婚の親族などを家 族として受け入れる。「ホームのない人」を受け入れ、家庭という場とその精神 的豊かさを共有するのである。財産の破綻と兄の自殺、それに続く父の死で一家 が崩壊したノートン家のエミリー(Emily)とハリー(Harry)は住み慣れた邸宅 がオークションにかけられることになるのだが、バークレイは子どもたちに、大 切なものは「家にあるさまざまなモノに込められた家族の愛情や幸せな家族の絆」
(“family love and happy domestic intercourse”)67であると諭すのである。バーク レイは「美徳を育むことに長けた」(“a most successful grower of the virtues”)68 妻とともに、家庭のない人々にも手を差し伸べ、善良な人間に育つ環境を与える のである69。
ダウニングが提唱したような自然に囲まれた田園地帯の暮らしと、競争や商業 活動など物質的欲求を追求する都会の生活の対照性は、『ホーム』の中で鮮やか
64 Ibid., 54.
65 Ibid., 63.
66 Ibid., 75.
67 Ibid., 94.
68 Ibid., 72.
69 例えばバークレイ夫人の未婚の姉ベッツィー(Aunt Betssey)も同居している。Ibid., 20.
に描かれる。都会は「牢獄」70と形容され、一方バークレイにとってのグリーンブ ルックは大人になった今でも心のよりどころであり、「俗世間から離れ、神の創 造物である豊かな自然の中で神と対話し、自然を慈しみ、幼少時代のこの家と深 く心の中で繋がっていた」71のである。都会で経験した経済的な苦難を乗り越えて、
家族でグリーンブルックの牧師館に戻ってきた一家が、ベランダ(piazza)に集 まってニューヨークとグリーンブルックの違いを語る場面がある。都会には娯楽 があるかもしれないが、心を豊かにするのは都会の娯楽ではなく自分たちの心の 内にあるという。「田舎では、人間関係の温かさや絆の強さが常に感じられる」
からだ72。こうした語らいがなされる場はベランダであり、この場所はダウニング が家の建築の中で、自然と融合する場として重要視した場所である。都会で暮ら しているときは、家族が集まる場所としてのパーラーが重要な空間であったが、
田舎のグリーンブルックでの生活においては、パーラーに代わってベランダがそ の機能を担っている。バークレイは古い牧師館を改築する際に、新しくベランダ を増築し、「まるで新しい服を身に纏った旧友」73のように、住み心地の良い家に 造り替えるのである。
セジウィックは都会の誘惑や倫理観の低下を批判的に描くと同時に、自然と 共生する暮らしに道徳的癒しや人間性の回復を見出している。さらに、先に論 じた『ニュー・イングランダー』の記事の著者が主張した “home feeling” のよう な、生まれ故郷や代々家族が暮らした土地への愛着を前景化している。19 世紀前 半に西部の開拓が進むとともにモービリティが高まると、人々は家庭に精神的よ りどころと道徳的浄化を求め、そうすることで精神的バランスを保ち美徳を堅持 することができるのである。こうした教訓的なメッセージが込められたテクスト に仕立て上げたのは、ニューイングランドの暮らしに愛着を持つセジウィックら しい「ホーム」の描き方である。これはまた自然との共生関係の中で家族との精 神的絆を育むという、ダウニングのロマン主義的な住居観にも通底する。“home feeling” を尊重し、徳のある市民としての自覚を促進する、こうしたドメスティ シティ言説の背後には、経済的安定のために、より豊かな土壌を求めて移動を続 けるアメリカ人のモービリティと都会の物質的欲望に翻弄される人たちの暮らし への批判や警鐘が透けて見えるのである。
70 Ibid., 3.
71 Ibid.
72 Ibid., 117-18.
73 Ibid., 115.
セジウィックは「ヤンキー少年の心は常に故郷」74にあること、たとえ西部に 豊かな農場を所有したとしても「懐かしい土地」(“the old place”)75に勝るもの はないと訴える。家庭や自然が持つ癒しの力は、作品の最終章で長男チャールズ
(Charles)が結婚相手を弟に譲り、ひとり西部の開拓地へ向かったあと、病に倒 れる場面にも表れる。彼の最期の望みはグリーンブルックの「愛着ある家」(“his beloved home”)76に戻ることである。やがて病をおして家族が待つ家に戻った チャールズは、居心地よく整えられた昔の自分の部屋で横たわり、懐かしい秋の 夕暮の情景を眺める。そして家族に看取られながら、「更なるホーム」(“a better home”)77、つまり神の国へ旅立っていくのである。家族の一員の死を初めて経験 した家族の悲しみは深いものの、「クリスチャン・ホーム」78だからこそ、神の導 きによって乗り越えられるという教訓的な結末で小説が閉じられる。
おわりに
ダウニングの住宅建築の理論は、具体的な建築工法やデザインを普及させた以 上に、自然との共生、美意識、そしてそこに住まう家族の道徳的情感を重要視 し、住環境への関心をアンテべラム期の人々に喚起し、ドメスティシティの言説 を強化した。彼が建築に関する持論を展開し、「リパブリカン・ホーム」を提唱 した 1840-1850 年代は、中産階級が台頭し始め、市民としての意識や社会改革へ の関心が高まり、住宅建築や家族の社会的位置づけに新たな規範が確立していっ た時期である79。人間が住まう物理的環境としての住居よりも、公徳心あるアメリ カ市民の家族が空間と時間を共有する場としての住居の意義を主張する。そのレ トリックはまさにジャクソニアン・デモクラシーとともに国家建設に邁進するナ ショナリズムのレトリックと重なっていくのである。
リパブリカニズムというアメリカの建国理念の中で重要な概念は、古くはロー マの共和政にまで遡るが、1960 年代後半からアメリカの建国期におけるリパブ リカニズムの意味についての読み直しが盛んにおこなわれ、君主制に対立する 概念と定義されるぐらいで、例えば “republican religion, republican children, republican motherhood” のように様々な文脈の中で「使用可能な」言葉として、
74 Ibid.
75 Ibid., 116.
76 Ibid., 151.
77 Ibid., 154.
78 Ibid., 158.
79 Clark, 15 を参照。
幅広い「含意」をもつとされてきた80。リンダ・カーバー(Linda K. Kerber)は、「リ パブリカニズムは、アメリカ国民にとって単に国王の排除や代表制度を意味する のではなく、英国からの政治的独立に道徳的広がりとユートピア的な深みを付け 加えた」というゴードン・ウッド(Gordon S. Wood)の定義を用いて、独立の前 後、さらに建国期を経て、リパブリカニズムの変容を論じている81。さらにカーバー はアメリカ国内の経済や産業が発達するとともに、共同体意識や公徳心よりも個 人の利益追求や自由主義が優勢になり、共和政を支える「徳のある市民」の存続 が危惧されるようになったことを指摘している82。
もともとアメリカのリパブリカニズムは、共同体意識とともに、建国の歴史 的文脈から自由主義や個人主義を内包していた。近代化とともに経済活動や 物質主義に国民が邁進すれば、国家建設の動力としての市民の公徳心が弱ま り、公共的美徳と一般的善の再確認が必要になったのであろう。ロバート・E・
シ ャ ル ホ ー プ(Robert. E. Shalhope) が “Republicanism and Early American Historiography” において論じているように、リパブリカニズムは「単一のイデ オロギーではなく」、時代を経るごとに「イデオロギーとしての概念とそれが認 知される環境の間にダイナミックな関係性が構築されていく」83。まさに 19 世紀前 半からその中葉にかけて、近代化とともに、物質主義や個人主義や自由主義が台 頭すると、個人の欲望追求よりも公共心の重要性を掲げ、国家としての団結や市 民としての意識を希求するベクトルをもつリパブリカニズムにも様々な力が働き かけるのである。「リベラリズムがアメリカ国民の経済的社会的活動を形づくる 一方、古典的なリパブリカンのレトリックはアメリカ国民の自己認識に影響を与 え続け、19 世紀社会の発展に貢献した」とシャルホープは分析している84。そして、
「リパブリカニズムはアメリカ国民にアイデンティティと進むべき方向性を示す、
宗教、政治、経済、社会に関する信条を統合する媒体である」85と位置付ける。
アンテべラム社会において、国家建設に邁進しながら、経済活動や物質的成功 を希求する個々のアメリカ市民を統合するためのレトリックとして、リパブリカ ニズムは、宗教、文化、経済、社会など国民の暮らしのあらゆる位相に浸透す
80 Linda K. Kerber, “The Republican Ideology of the Revolutionary Generation,” American Quarterly 37, no. 4 (1985): 477.
81 Ibid., 478.
82 Ibid.
83 Robert E. Shalhope, “Republicanism and Early American Historiography,” The William and Mary Quarterly 39, no. 2 (1982): 337.
84 Ibid., 350.
85 Ibid., 351.
る。そういう複雑なレトリックがダウニングの提唱する「リパブリカン・ホー ム」に反映しているのである。セジウィックの描く善良なクリスチャンとしての バークレイの人生には、単に自然に囲まれて信仰篤く暮らす生活だけではなく、
都会での物質的成功や、精神的充足よりも裕福な生活を望む隣人たちの生活が並 置されている。またダウニングの代表的なモデル住宅のゴシック・リバイバル様 式も、天を指向する厳かな信仰を象徴する外観を呈しながらも、その屋内は部屋 の個別化が進み、近代的な家族が住むようなレイアウトである86。ダウニングやセ ジウィックが活字メディアを通じて表象した「リパブリカン・ホーム」は、近代 化とともに発展していくアメリカ社会の中の諸力のダイナミズムによる産物であ る。それはさらに、この頃から強化される女性の領域言説、つまりドメスティック・
イデオロギーを補強し、ジェンダー空間構築の底流となっていくのである。
*本研究は、JSPS 科研費基盤研究(C)16K02516 の助成を受けたものである。
86 Sweeting, 49-50 を参照。
ABSTRACT