• 検索結果がありません。

論文の内容の要旨

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "論文の内容の要旨"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

論文の内容の要旨

氏名:青 木 学

博士の専攻分野の名称:博士(文学)

論文題名:近代日本における「ジャズ」の定着過程-「モダン」の象徴に至るまで-

本論文では、近代日本において「ジャズ」が定着していく過程を検討することで、新たな「ジャズ」の 受容を明らかにしつつ、大正・昭和戦前期の新たな近代日本像の構築を試みた。

欧米の大衆音楽である「ジャズ」は、唱歌教育を主とした当時の学校では習うことのない音楽であった。

しかし、その後「ジャズ」は昭和戦前期の大衆文化や芸術に大きな影響を与え、「モダン」の象徴となった。

なぜ、そのような馴染みのない音楽が昭和戦前期に「モダン」の象徴として大衆化することができたのか。

その問題意識から、本論文では外来の大衆音楽である「ジャズ」を取り上げ、近代日本において「ジャズ」

がどのような音楽として認知され、人々に定着していったのかを検討した。

こうした問題の検討は日本の音楽史の展開のみならず、日本における西洋文化が定着するまでの一つの 構造を示すことができると考えられる。また、流入してきた西洋文化の役割を見出すことで、新たな近代 日本社会の様相を捉えることを本論文の課題とした。

従来の日本の戦前の「ジャズ」史研究を辿ってみると、内田晃一『日本のジャズ史:戦前戦後』(スイン グ・ジャーナル社 1976 年)、瀬川昌久『舶来音楽芸能史-ジャズで踊って』(清流出版 2005 年)、毛利 眞人『ニッポン・スイングタイム』(講談社 2010年)などが挙げられる。他に隣接する分野に、社会学や 音楽学も挙げられるが、社会学は人間の相互関係から社会を明らかにする学問であり、音楽学は楽曲や作 曲者などを分析する学問である。つまり、これらの先行研究の特徴として演奏者、楽曲、歌い手などを中 心に構成された展開が指摘できる。

「ジャズ」は音楽である以上、作品や発信する側が存在しなければ成立しないため、その点で先行研究 は日本の「ジャズ」の歴史を知る上で大きな功績を残したといえる。しかし、一方で、作品や演奏者のみ に焦点を置いた研究だけでは、日本において「ジャズ」がどう認知され、人々に広がっていったかそのプ ロセスは断片的にしか解からないため、日本における「ジャズ」の受容が完全に明らかになっているとは 言い難い。そこで、日本の歴史において「ジャズ」が定着する意味を歴史的変遷を追いながら考察し、そ の史実から従来とは異なる近代日本の歴史像を見出すために、歴史学の観点から「ジャズ」を検討する。

従って、本論文では「ジャズ」の受容者に焦点をあて、当時発行されていた様々な種類の新聞、雑誌など の一次史料を論拠とし、多方面の視点から「ジャズ」の定着過程について検証を試みた。

現代におけるジャズの重要な定義として、『最新音楽用語事典』(リットーミュージック 2000 年)のジ ャズの項目では、「躍動的な4ビートと即興演奏」を挙げている。しかし、1926年に三省堂から出版された

『コンサイス英和辞典』における「Jazz」の項目では、その定義において、リズムについてのみ述べられ ている点で、やはり現代と相異していることが指摘できる。その点を考慮すると、当時日本において何を

「ジャズ」としていたかを探るのが本論文の役割ともなってくる。従って、現代の定義を用いての検討は 行わず、当時の史料の文脈に則して戦前日本における「ジャズ」の様相を明らかにする。また、「ジャズ」

同様、「モダン」についても現代とは異なる解釈ができると考え、モダンに鍵括弧を付け、戦前特有の意味 を持つことを指摘することにした。

本論文は全5章で構成され、第1章は大正後期の外国人演劇、音楽会、外国映画における「ジャズ」、第 2章は大正後期における社交ダンスと「ジャズ」、第3章は、大正後期から昭和初期における「ジャズ」楽 器の認知、第4章は、大正後期から昭和初期における娯楽文化と「ジャズ」、第5章は、昭和初期における

「ジャズ」の利用という章立てになっている。対象時期は1920から1931年までを設定し、区分は1920-

1922年を流入期、以降1931年までを定着期とした。定着期には2つの段階があると考え、1923-1928 を認知段階、1928-1931年を普及段階として分割した。国内での外国人の「ジャズ」演奏が1920年から確 認でき、同時期から1922年までには社交ダンスの流行も確認できる。また、その流行に伴い、新聞、雑誌

1

(2)

等では「ジャズ」という言葉も紙面に表れはじめる。従って、日本において1920-1922年は「ジャズ」が 流入、紹介された時期と判断し、流入期とした。1923年頃からは流入期(1920-1922年)の動向が、当時 の人気娯楽であった映画、「歌劇」などの国内の作品内にも「ジャズ」が反映される様になるため、その時

期を1923-1928年とした。1928年で区切りをつけた理由としては、「ジャズ」ソングである「私の青空」

などの大ヒットや同年の昭和天皇即位の大礼記念のラジオ番組において「ジャズ」の放送されていること から、時代を象徴する音楽であったことが指摘できる。従って、「ジャズ」の認知は全国区であったと判断 し、1923-1928年を認知段階とした。

認知された「ジャズ」を扱う文化が普及することで、「ジャズ」は様々な意味を含むようになる。それが 文章表現の場でも利用され(例:建築ジャズ、ジャズ的構図など)「ジャズ」は1 つの文化現象として確 立したといえる。そうした利用が顕著になり始めるのが1928-1931年であり、この期間を普及段階とした。

そして、1931年に中村書店から出版された『超モダン用語辞典』に「ジャズ」の項目が掲載されている 点、同年に封切られたトーキー映画第1号である五所平之助監督作品『マダムと女房』の内容に「ジャズ」

が扱われている点を考慮すると、1931年には「ジャズ」が「モダン」な音楽として定着していたと考えら れる。よって、この普及段階をもって「ジャズ」が大衆文化として定着したことを示すことができる。

各章の内容としては、第1章では、流入期における外来演劇団の来日公演、音楽会に注目した。第1 では、その演目で「ジャズ」が演奏されていたこと、また、第 2 節では海外の状況を映し出す映画に着目 し、当時上映されていた映画における「ジャズ」の演奏シーンから映像による流入もあったことを明らか にした。

2章では、大正後期に流行した社交ダンスに焦点をあて、第1節ではダンスホール花月園以外の社交 ダンスの奏楽等を確認することで、新たな「ジャズ」の流入を検討した。第 2 節では、社交ダンスの流行 に伴う新聞、雑誌における「ジャズ」の紹介から、「ジャズ」がどのように認識されていたのかを考察した。

3章では、「ジャズ」楽器の概念に注目し、第1節では、「ジャズ」楽器から「ジャズ」がどのように 認識されていたかを明らかにし、第2節では、1920年に存在した「東京ジアツバンド」を「ジャズ」楽器 という観点から検討した。

4 章は、大正後期から昭和初期における映画、「歌劇」、新聞、雑誌の小説、ラジオなどの人気娯楽に 焦点をあてて、認知までの過程を検討した。第 1 節の映画では、国内外の作品における「ジャズ」の演奏 場面に加え、休憩奏楽についても検討を行ない、第 2 節の「歌劇」では、宝塚少女歌劇、浅草オペラの演 目などでの「ジャズ」演奏を明らかにし、奇術師松旭斎天勝による「ジャズ」流入を意義づけた。第3 の新聞、雑誌の小説では、新聞小説や婦人雑誌、青年雑誌『新青年』の作品における「ジャズ」の描写に ついて検討を行い、第 4 節では、ラジオ放送では番組だけでなく、批評等にも目を向けながら、ラジオに おける「ジャズ」の位置付けを考察し、これら人気娯楽から「ジャズ」の認知について検討した。

5章では、第4章における認知に伴い、「ジャズ」が様々な意味を持ちはじめ、利用されることについ て検討を行ない、第 1 節では昭和初期の落語を中心に取り上げ、出囃子、演目等での「ジャズ」の利用に ついてふれた。当時、落語は民衆娯楽として考えられており、その様な場所における「ジャズ」の利用を 検討することによって「ジャズ」の大衆化を示した。第 2 節では、同時期に様々な雑誌の文章表現として

「ジャズ」が利用されていることについて言及し、それらを多角的に検証することで、「ジャズ」が単に一 過性の音楽ではなく、一つの文化として定着したことを明らかにした。

終章では、序章で設定した課題に答えると同時に、なぜ「ジャズ」が「モダン」の象徴として位置付け られるようになったのかを、これまでの検討もふまえ考察した。「近代的」などと訳されることの多い「モ ダン」であるが、当時の「合理化」が流行する社会背景からここでは「モダン」の持つ意味を「合理的」

として捉え、さらに、「ジャズ」の持つ「合理的」な側面を示すことで、「モダン」と「ジャズ」の共通点 を指摘した。そして、「ジャズ」のもつイメージがアメリカの思想である「自由主義」と重ねられていたこ とにも言及し、本論文では、「ジャズ」の特色であるリズムを手がかりに、日本社会における「ジャズ」の 定着を、国家を重視しない「自由主義」的な感覚が根付きはじめた時期として捉えた。以上のことをふま えると、この時期の日本社会には合理化の流行と「自由主義」的精神の萌芽が存在したと考えられる。

合理性の追求が自由の獲得へとつながることから、「モダン」の追求は「自由主義」的な精神の萌芽につ ながることが指摘でき、従って、同時期に見られた合理化の流行と「自由主義」的な精神は表裏一体の関 係性であり、「ジャズ」はその象徴として相応しいものであったと結論づけられる。

2

参照

関連したドキュメント

日露戦争は明治国家にとっても,日本資本主義にとってもきわめて貴重な

記述内容は,日付,練習時間,練習内容,来 訪者,紅白戦結果,部員の状況,話し合いの内

前述のように,本稿では地方創生戦略の出発点を05年の地域再生法 5)

本県は、島しょ県であるがゆえに、その歴史と文化、そして日々の県民生活が、

本稿筆頭著者の市川が前年度に引き続き JATIS2014-15の担当教員となったのは、前年度日本

「大学の自治l意義(略)2歴史的発展過程戦前,大学受難

本県の工作機械の歴史は、繊維機械 産業の発展とともにある。第二次大戦