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「精神障害」を生きるという経験 : 精神障害者の 語りの検討を通じて

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「精神障害」を生きるという経験 : 精神障害者の 語りの検討を通じて

著者 南山 浩二

雑誌名 人文論集

巻 56

号 2

ページ A25‑A50

発行年 2006‑01‑31

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00006781

(2)

「精神障害」を生きるとい う経験 *1 一精神障害者の語 りの検討を通 じて一

南 山 浩 二 *2

1章 日精神障害者の語 り

本論の目的は、精神障害者の語 りの検討を通 じて、自己や病いの意味、家族 との関係性が経過のなかでどのように変容したのか、その軌跡を記述するとと もに、その変容を可能にした要件、すなわち転機 (エ ピフアニー体験 )と なつ た出来事はどのようなものであったのかを検討することにある。

キュアからケアヘ とい うテーゼのもと、人生や生活、意味世界も合めた患者 理解の必要性が高まっていること、精神医療・福祉領域にも「インフオーム ド コンセン ト」「自己決定」概念が徐々にではあるが定着しつつあること t「 語 り」

や 「物語」が、当事者や家族にとうて、重要な実践的意味を持ち うることが認 識 されるようになつたことなどを背景に、精神障害のケアの臨床実践において 障害当事者の

:「

語 り」「物語」への関心が高まっている (南 山 ,2004,2005)。 社 会学においても「病い」の語 りに接近する研究が散見されるようになつており、

とりわけ、「臨床社会学 (Clinical Sociology)」 (大 村・野口 ,2000)で は、「語 り」「物語」 と「ケア」 とい うテーマは、「対象 としての臨床」 (手 医療・福祉

0

家族 )と 「方法 としての臨床」 (=ナ ラテイヴ)双方が重な りあう主要な研究テー マの一つ として位置づいているのである。

ところで、 本論では手記をライフヒス トリー研究法に基づき考察することで、

自己や関係性の変容の軌跡を記述することとしたい。ライフヒス トリー研究法 は、「社会的行為者の主観的見方や社会過程の主観的側面を重視 した方法」 (桜

*1本 論 は、博士論文『精神障害者一家族の相互関係 とス トレスに関す る研究』 (東 京都立大学 )の

11章 を圧縮 し大幅 に加筆 したものである。なお本論文 には平成 15〜 17年 度科学研究費萌芽研究課 題名『「精神障害者家族」の組織化が専門家お よびその集団に及ぼす影響 に関する研究』 (研 究代 表者南山浩二 )の 成果 も一部合まれている。

*2 [email protected]

(3)

井 ,1992:16)で ある。ライフヒス トリー (生 活史 )は 、 <過 去一現在 >と い う時間軸上に広がる個人の出来事や体験の記録であ り、 「口述史」 「日記」 「自伝」

「伝記」などが、その具体的資料 となる。ライフヒス トリー研究法に関わる研 究の傾向は、概 して、① ライフヒス トリー研究法を用い、一定の社会学的テー マの解明をめざすもの、 と、②ライフヒス トリー研究法そのものを研究の対象 とするもの、 とに大別できる。①は、ライフヒス トリーをデータとし、既に研 究の俎上にあるテーマを、改めて 「行為主体の経験の解釈」から捉えなおそ う

とするものである。また、②の場合、主題 となるのは「特定の個人や集団の出 来事に対する経験がどのような関連をもつているか、それ らにどのような意味 づけを与えているか、ライフヒス トリーの構造 (転 機やエピファニー体験、時 間的空間的構造、経験 と表現の関係 )は 、 どうか、インタビューと語 りの関係 はどうなつているか」などである (桜 井,1992116)。 ここでは、前者の立場、

すなわち「二定の社会学的テーマの解明」のために用いる立場に重点を置 くこ とになる。

2章 口方   

1節 ロライフヒス トリー研究法導入の意義

第一の意義は、この方法が、まさに個人の「主観的側面」に着目する方法で あることにある。統合失調症をはじめとする精神病は長期化 0慢性化する傾向 があるとされている。家族や当事者の手記などを見ても明らかなように、闘病 生活が長期化する中で、障害者の病状の変化や人との出会い・家族内の出来事 など、障害者・家族は様々な変化・出来事を経験する (佐 々木 ,198Q仲 原 ,198z 滝沢,198覧 全家連編 ,1995)。 また時間の経過の中で、変化や出来事を経験 し つつ、障害者や家族が疾病・障害をどう捉え、状況をどのように意味づけし、

そしてその意味づけがどのように変化してい くのかといった受容プロセスに関 する研究もなされるようになつた (白 石,1994;Kenneth,1987)。 しかし、そ う した研究によって呈示 される内的変化の過程は、あくまでも「理念型」 として 抽出されたものであって、現実には :そ れぞれの障害者や家族によって変容プ ロセスや到達 している段階は異なることが多いのである。よつて、ライフヒス トリー研究法を用いることにより、個々のコンテクス トを尊重 した分析が可能 となるのである。

また、従来の障害児の親たちの「障害の受容」過程に関する研究について次

のような批判がある (要 田 ,198Q8‐ 24.,石 川 ,199■

25‐

59)。 家族の「受容」研

(4)

究 において、呈示 される受容プ ロセ スは、おおむね、わが子が 「障害」 をもつ ことを知 り衝撃 を うけ、 「障害をもつ」ことを否定 し、そ して悲 しみ怒 りを経て、

やがては徐々にわが子が 「障害をもつ」 ことを引き受けなが ら新たな人生や生 活 に踏み出 してい く、とい うものである。批判の焦点は、親が、「障害」を意味 付 けてい く際の認識のフレームについては全 くふれ らない点にあて られる。石 川 は、要田の議論 (要 田 ,1986)を 援用 しなが ら、 クラウス らが呈示 した 「悲 嘆の過程」について次の よ うな問題点を指摘す る。クラウス らは、「シ ョックの 段階」 「否認の段階」「悲 しみ と怒 りの段階」「適応の段階」「再起の段階」の 5つ のステージか らなる「悲嘆の過程」 を経て、子の障害や障害児の親であること を「受容」してい くとしているが、「子の「障害」を「不幸」「克服すべ きもの」

「劣等性」な どとする認識枠組みや価値観」の変容 について何 も言及 していな い。もし、「認識枠組み」「価値観」が一定だ とすれば、「再起」の段階にあつた としても、子の進学ヾ卒業後の問題、親なきあ との問題な どの問題 に直面する たびに、 <悲 嘆の過程 >は 繰 り返 され ることとなる。障害児の親たちは <悲 嘆 の過程 >と い う無限ループを永久に回る「不幸」な存在 にしかな りえないので ある (石 川,199駐

26‐

27)。 本論でも、こ うした議論 を参照 し、「精神障害」に付 与 され る意味については、その内容の記述 にとどま らず、意味付 けが依拠する

ところの枠組み についても、言及す ることとしたい。

そ して、二点 目の意義は、 ライフ ヒス トリー研究法が、社会的 に抑圧 されて いる人々の経験 を記述 しうる方法であるとい うことにある。 これは、第一番 目 にあげた意義― 「主観的側面」 に着 目す る方法一 と重なつている。桜井は、社 会科学 における従前の実証主義的傾 向 と対比 させつつ、 ライフヒス トリー研究 法の特性 について、次のよ うに述べ る。

「これまでの歴史は、 この領域 (ラ イフヒス トリー研究法 )で 採集 された デニタが、社会的 に支配的な人び とや集団の経験 にもとづ くとい うより、マ イ ノ リテイ、逸脱者、下層社会生活者、女性な どの経験 にもとづいているも のが多い とい う傾向を示 している。なぜか。つ ぎの ような社会科学への批判 が もっともその本質を突いているのか もしれない。 これまでの社会科学にお いては、実証主義的傾向が強 く、そのために社会 についての抽象的な知識か らこ うした人び との社会生活 における経験的な知識が相対的に排除 され、そ れがむ しろ彼 らの従属性 を維持す るのに力を貸 してきた とい う批判である。

そ こには研究者 こそが社会 と生活 を説明す るにたる十分な知識 をもうている

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とい う実証主義的な方法論者がもつている暗黙の前提への批判が含まれてい る。 」 (桜 井 ,1996:214)

よつて本論の手記の検討から導き出されるのは、障害者の「生」を一定の方 向へ と水路づける社会構造の圧倒的な姿なのかもしれないが、「規範」「社会関 係」についても、単に個人に対する外在的条件 としてとらえリジッ ドで固定的 なものとするのではなく、 日常実践の中で変容しうるものとしてとらえたい。

そして、言 うまでもなく、検討の基点は障害者の語 りによつて表象される「生 きられた経験 としての病い」におかれることになる。

2節 口手記に着目する意味

「病い」の語 りに接近する方法としては、まずインタビューが想起 しやすい だろう。 しかし、インタビューを行 うことについては検討すべき課題がある。

次のような指摘がある。とりわけ、慢性精神病患者にとつて、 「過去を語る作業」

には、 「時機」があり、「きつかけ Jが ある。そして、 「発病 とされる強烈な体験」

は、 「それまでの連続した経験 と断絶 し、時にはそれまでの経験の意味を丸ごと 変えてしま う力」をもつもの (江 日 ,2002:51)な のであり、その後の経過も、

後述するような「精神障害を生きることの難 しさ」 とともにあるといえる。

とするならば、インタビューの対象 となりうる、未だ出会つたことのない精 神障害者が、 「過去を語る時機」にあるかどうかを、調査者が、インタビューに 先立つて知ることは、極めて困難であると言わぎるを得ない。また、たとえ、

調査依頼への承諾が得 られ、インタビューを行 うことができたとしても、検討 すべき点はまだ残っている。 人生を語ることは、まさに自己を物語ることであつ て、精神病を患い、自己存在の根源的な部分での苦悩を経験 している (あ るい は、経験 していた )精 神障害者にとって、その作業が、容易ではない場合があ ることが考えられる。つまり、過去を物語る作業は、既に述べたような経験で ある「発病」も合めた闘病の経緯を物語ることに他ならないのであり、結果 と

して、精神障害者に心理的な負荷を与えてしま う可能性があるからである。

以上のような点を考えた場合、インタビュー調査を実施することについては 充分すぎるほど慎重でなければならないのではないか。 :こ の課題にこたえるた めに、本論では、過去を物語る「きつかけ」「時機」を得て語 られた精神障害者 の語 りに注目することにしたい。

過去を物語る「時機」を得て語 られた精神障害者の語 りとして、精神障害者

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の手記 に着 目す ることとしよ う。具体的 には、 『 こころの病い ‑100人 の体験』

を とりあげることとす るが、そのなかか ら、「発病」前後か ら「現在」に至る経 過 に関す る語 りが数多 く収録 されている「第 1部   病気の とき」 「第 2部   地域 で暮 らして」に限定す ることとしたい。確かに、手記は、紙 に記 されたもので あ り、対面的な相互作用 の場 において生成 されるものでもな く、また「即興的」

に記 され るもの とも言いがたい。 しか しなが ら、それが、個々の人々の人生が 語 られたものであるな らば、ま さに「人生物語 (ラ イフス トー リー

)」

に他な ら ないのである。

まず、精神障害者の語 りを、「発病」前後か ら「現在」までを時系列的 に再構 成 し、語 りを障害者の出来事 (状 態

)・

家族 の出来事 (状 況 )0「 精神病」や 「状 況」に対す る意味づけと対処の四つ にカテ ゴ リーをわ けた。そ して、「発病前」

「発病時」か ら「現在」の二つの時点に注 目し、意味づ け・対処状況が どうなつ ているか検討 を加 え、特 に発病後の経過の中で大きな変化が見 られ るか どうか 検討 を加 えた。

なお、 ライフコ∵ス研究 における議論 (藤 崎 ,1993)を 参考 に、 自己や病い の意味、家族 との関係性 を変更・修正 0強 化する契機 となつた出来事をライフ ヒス トリーにおける転換点 とした。 よって、ある出来事が転換点 と成 り得るた めには、その出来事を経験 して、 自己や病いの意味、家族 との関係性が、その 出来事が生起する前のそれ らと比較 して、変更・修正・強化 され ることを必須 要件 とす る。

3章 口「前兆」「精神科受診」 とその後 1節 .「 前兆」「発病」

多 くの手記の中に「発病」前 の変化 についての語 りが見 られた。生活環境の 変化や、過重なス トレスや疲労の蓄積な どを背景 に、あるいは、「原因」は定か ではないが、ある日か ら、「生活習慣の変化」「性格がが らっと変わる」ことや、

「妄想・幻覚」を経験す ることとなつた ことが記 されている。彼 ら /彼 女たち にとって、まさに「前兆」や 「発病」の経験 は、それ以前の 「連続 した経験」

と断絶 したものであったのであ り、 自己の存在の根源的な不安定化あるいは混 乱 をもた らした経験であつた とい うことができる。

「。 ……大学に入つて、何かにひかれたようにデモに行つていた私の中に、

穴があいて絵 を描 きたい と思 つた。恥ずか しが り屋で内気で 自己表出ができ

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なかつた私が裏返 ってい くよ うだつた。 「展覧会 に出 してごらん、絵 を描 く友 達ができるか ら」。絵の先生が勧めた。○○ を一度 この 日で触れたかつたか ら した○○旅行、展覧会の出品 (落 選

)、

そ して文学 に進 も うと心に決めて三年 になった四月 に発病 し五月 に入院 した。」 (女 性 042歳 /p56)

「当時の私は、小学校の六年生。発病の原因については、医師はもちろん のこと私 自身にもわか らない。 しか し、発病 による性格変化や生活態度の変 化については克明に覚えている。まず生活態度が極めてだ らしな くなつた。

通学 していた小学校 に、毎朝のよ うに遅刻を重ねるよ うになつた :担 任教師 に厳 しく注意 されて も、私は平気の平左だった。そ して、常に気分が不快 に なつて、毎 日イライラす るようになった。…… (略 )… …。 さらに困つた こと には、総合失調症 による性格変化が露呈 されたのである。私の場合、それは、

「奇妙な 自己顕示欲」であつた。」 (男 性・ 34歳 /p3)

彼 ら /彼 女たちが、 この よ うな 「強烈」な経験 に、一定の意味を与えること は、極めて困難 を伴 うものであつた。 とい うのも、多 くの場合、彼 ら /彼 女た ち 自身が、なぜそのようになつたのか 自体がわか らないばか りか、その経験 自 体が如何なる意味をもつのかもわか らなかつたか らに他な らない。ある者は、

その意味を見出すために、またある者は、その経験の恐怖か ら逃れ るために彿 径す る。そ して、ある者は、まだ幼かつたことも重なつて、 自らの経験 を言語 化 し重要な他者である家族 に伝 えることが出来ず、ただひたす ら、孤独の中で その恐怖に耐 えるしかなかつた とを語 つている。

「も う 20年 にもな りますが、 ごく平凡に勤務 していた現場労働者で した。

年度替わ りで年休がもらえたので、 しば らくゆつ くりと家で本 を読んだ り身 のまわ りの整理 をしていました。 ところが、毎 日ひ どい下痢 に悩ま され、加 えて睡眠が昼夜逆転す るようにな り、「この くそ」と思 つている時、いろいろ な人の声 に混 じつて○○○○ さんの声が聞 こえてきま した。東京へいけば何 かがわかるかもしれない と、 リュックサ ックに衣類を詰め込み地下足袋を一 足買い入れて上京 しました。」 (男 性 051歳 /p62)

「私は若い ころ世の中を変革するとい う活動 をしていま した。それは、 こ

の世の中か ら貧乏人 と金持ちの差 をな くして、 自由・平等・平和を柱 とする

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活動です。でも、それは仕事 をす る中で標傍す るにはあま りに若かつた。二 十歳やそ こらで語 るには、勉強、勉強の毎 日で した。昼間、仕事をしてきて、

明け方の二時、三時まで勉強 をして 1年 間を過通 しま した。それほ ど会社 よ り活動が楽 しかつたのです。でも私の体力が続かなかつたのか、そのころか ら妄想が出てきま した。何かいつ も誰かにあ とをつ けられ るよ うな、仕事に い くといつ も誰かに悪 口をいわれているよ うな、そんなこんなで、私 も疲れ て しまい、一人で旅 に出ました。それ はも う今か ら思 うと、死出の旅で した。

足の向 くままに、○○までい きま したが、やつば りあ とをつ けられているよ うに思い、駅をでま した。」 (男 性 0年 齢不明 /p35)

「小学校五年生の時だつた。夏休み中、父に水泳 を特訓 され、泳 げるよう になったの とひきかえに水恐怖 になつて しまい、毎朝洗顔の少量の水にもパ ニ ック状態になつた。その後、鬼面の男女の嘲 り笑いで熱を出し、寝込んで しまつた。これが最初の幻聴であ り、孤独な闘病生活は十一歳 にして始まる。

幼いが故 に表現力を伴わない恐怖感は出口を失い体いつぱいに広が り容赦な く私 自身を苦 しめた。家庭 においても父は何かにつ け怒鳴 りつ け暴力を振るつ た。私 は毎 日泣いていた。母は 「おかげで家が暗い」 と愚痴 をこぼ した。」

(女 性・ 29歳 /p103) 2節 .「 精神科受診」「入院」

「生活習慣の変化」「性格の変化」「妄想・幻覚」「引きこもり」とい う経験 に、

対峙 し続 けるなかで、彼 ら /彼 女たちは、疲弊 し、そ して、更 に、その経験が より活性化 したもの とな り、家族や親族、職場の人 に連れ られて精神科受診 と なつた経緯が語 られている。

「で も声はますます大 き くな り睡眠が とれな くて、がまんができませんか ら、どこか仕掛 けの していない場所 に行 きたい と思い、夜の 18時 頃か ら山に 登 り午前 1時 頃真 つ暗な道 を血だ らけにな り下山した り、変な行動が 目立つ よ うになつてきて、いろいろな人たちを疑いま した。病院の先生や、叔母、

母たちが何のために仕掛 けなんて したんだろ うか ?と 思いま したが、ますま

す声は大 き くな り、 とうとう二か月間全 く眠れず、叔母のい とこに病院 に連

れて行つてもらい、先生 に言いま した。」 (男 性・ 47歳 /p109)

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精神科医の診断を受 け精神病院に入院することは、精神医学 とい う説明モデ ル に基づいて彼 ら /彼 女たちの 「不安」や 「苦悩」 に意味が与 えられ る過程 に 他な らない。しか しなが ら、そのことは、「不安」や 「苦悩」を取 り除 くもので はなかつた との語 りもみ られ る。 「精神科受診」「入院」は、障害者当事者にとつ て、「絶望」的、「屈辱的」、「耐えがたい」、「シ ョジク」な出来事であつた と意 味づ けられている。「発病」し「受診」あるいは「入院」す るとい うことは、彼 ら /彼 女たちにとつて、学業や仕事、そ して地域で生活す ること自体が継続不 能 となつた こと、家族関係 も含め従前の社会関係か らの離脱な ど、 自己を価値 づ けてきたアイデンティティ項 目を二気 に喪失す る経験そのものであった。

とりわけ、 「精神科」である意味は大 きい。「鉄格子」をそなえ「刑務所のよう な」、 「エキセン トリック」な空間 としての「精神病院」は、彼 ら /彼 女たち 自身 に、従前の生活空間 とは、隔絶 された空間にいるとい う「現実」をより明確 に 意識 させるのに十分な条件をそろえていたのであった。 「どうしてこんなことに」

「なぜ、俺が…」「精神病 を患 うことは、当初は何 よりも屈辱的で耐 えがたい体 験」 との言葉か らも示唆 され るように、彼 ら /彼 女たちは、 自らが否定的価値 を付与 され る位置 に置かれた ことに衝撃 を うけ苦悩 した とい う。ある者は、 「生 きることを忘れ る」段階にまで至 る深刻なアイデンテ ィティ危機 に直面 してい た ことを記 している。

「精神病院へ連れて こられた時、何がなんだかわか らなかつた。エキセ ン トリックを感 じ、また、まわ りを見て も不気味な感 じで 自分の心の中で長怖 感 を感 じた。最初の入院はシ ョックで した。その夜は、泣 くだけ泣きま した。

哀 しい、苦 しい、淋 しい心の中で感情だけが躍動す る。日々がたつ につれて、

無為な 日々、なにもない現実、虚脱 した心、荒廃 してい く心、や り切れない と思いなが ら、なにもみつめない心の 日、明 日さえ煩わ しい。生 きることを 忘れた人間で した。」 (女 性・ 歳 /p17)

「そ うい うことで、 とうとう部屋 に閉 じこも りき りにな り、動 けな くなつ て しまいま した。タンカに乗せ られて、○○のジープで連れて行かれた所が、

精神病院だ と気付いた時は、ま さに絶望以外のなにものでもあ りませんで し

た。「どうして こんなことに」「なぜ、俺が・……」 と思いま した。大部屋の病

室でた くさんの患者 さん と一緒で したが、その答えをいつて くれ るものは誰

もいません。 これか らどうすればいいのかわか らず、孤独で不安ばか りが先

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に立ち、 自信喪失状態での入院生活で した。」 (男 性 040歳 /p131)

「私は中学校二年の時 t精 神病 にかか り、医大 に入院 しま した。 初めは四 ケ月 で退院 しました。入院 した時は、びつ くりしました。鍵 をかけられ、窓は鉄格 子がついて、刑務所 とまるで変わ りがあ りませんで した。病状が悪 く、主治医 の先生 も、入院 もやむを得ない と言 つて、入院 しま した。」 (男 性 036歳 /p15)

「私の ような自意識の強い人間にとつて、精神病 を患 うことは、当初は何 よ りも屈辱的で耐 えがたい体験であつた よ うに思 う。」 (男 性・ 48歳 /p47)

この ような状況に直面 した彼 ら /彼 女たちの多 くは、 「重層化 された悲嘆」と も呼べ る感情 に囚われた ことを記 している。すなわち、孤立 と孤独一 「一体な ぜ私だけが こんな目に遭 うのか」―、感情・体験 を共有する他者の不在 と自閉 一 「他の誰 も私の苦 しみを解 つて くれない」一、問題経験の社会的文脈の不可 解、 自己の置かれた位置の測 り難 さ一 「これはいったい何だろ う」―、アイデ ンティティの危機一 「私は どんな人間だろ う」一、である (春 日 ,2001:234)。

そ して、 「重層化 された悲嘆」に苦 しむ彼 ら /彼 女たちの憤 り、不安の矛先が、

家族 にむけられる場合がある。なぜな ら、彼 ら /彼 女たちに とつて、家族は、 「重 要な他者」であ り、 「身近な関係者」であ り、「道づれ」 (プ ラース ,1985)で あつ たのであ り、「重層化 された悲嘆」の原因、すなわち、「精神科受診」、「入院」

に導いたのは家族であつた場合が多いか らである。こ うした、家族への感情が、

その後の経過 において、家族関係の葛藤 をたびたび引き起 こす要因 とな り続 け る場合がある。

「私が発病 したのは十九歳の時で した。精神病院 ともわか らず、そ う状態 がひ どく、だまして入院 させ られま した。だか ら、後で家族 を恨みま した。

しか し、病識 もないのに突然そ う状態 になつたのに、家族が驚いて入院 させ たのも無理か らぬ ことだ と、今では思います。」 (男 性・年齢不詳 /p20) 3節 口「その後の経過」

「その後の経過」において、家族の精神病 に関す る理解や態度 に対する違和

感やその変化を語 つたものも多い。発病 当初 は、「気の持 ちよ う」な ど、障害者

の認識やパーソナ リテイの問題の改善 に解決の糸 口を求めていた親 も、再燃を

(11)

繰 り返すなかで、あるいは、服業を中断し再入院した他の患者の経験の共有を 通じて、服薬継続の重要性を認識することとなる。すなわち、クラインマンが 言 う「病い」の意味のひとつ、「病因」 、「経過」、「改善 と悪化の原因」といつた

「病いや治療のさまざまな側面に有用な説明をあたようと努力」する際、生じ る意味 (Kleinman,1988=1998:54)│こ 変化が生じたとい うことができる *3.

このことは障害者自身においても同様である :自 己の体験を通 じ、あるいは患 者仲間の経験の共有を通 じ、「治る」 とは言い難 く、り長薬継続」が肝要である とい う、「精神病」観、「経過」、「改善 と悪化の原因」に関わる意味づけを獲得 していったことが語 られている。

「最初入院 した当時は母が精神病の理解が少な く、気の持ちようとか、大 きな気になつて、気持 ちを持 ち替 えな さい とか言 つていま した。でも入退院 を繰 り返 している うちに薬をちゃん と飲んでいかな くては、一生統合失調症 は治 らない と思 うようにな りました。僕の入院中も、患者の仲間が薬を飲む のをやめて再入院 してきた りするのをた くさん見てきました。」 (男 性 0年 不詳 /p81)

家族の態度 に関わる語 りに、次のよ うなものがある。「苦 しい」時、家族 に対 して、 ことさら特別な ことを望んでいたわけではな く、ただ単 に「話 を聞いて ほしかった」 とある。家族は障害者 にとつて最 も身近な重要な他者である場合 が多い。先に述べたよ うな 「重層化 された悲嘆」の うちにあ り、孤立化 しやす

*3ク ラインマンは、医療人類学あるいは臨床的視点か ら、病いは 「多義的」「多声的」なものであ り、病いの経験や出来事は常に複数の意味を表 し、あるいは隠蔽 しているとして、病いの意味を 4つ に区分 し議論 している (Kleinman,1%卜

1998)。

まず、一つ 目が、 「症状 自体の表面的な明示

的意味 (denOtatiOn)」 である。た とえば、「背部痛や、動悸、喘鳴のような症状が、能力低下や

苦悩 とい う直示的で慣習的な意味 を表す」とい うことである。この区分の意味は、あるローカル な文化において共有 されている理解 に基づいているので、異なる社会集団においては、往々にし て異なる場合が多いのである (Kleinman,19田 =199&12)。 そ して、病いの文化的意味である。 「特 定の症状や障害が、異なつた時代や社会 において文化的 に際立 った特徴を帯びている場合」、病 いは文化的意味をもつてるともいえ、「特殊な症状や病いのカテ ゴリーは、 とりわけ強力な文化 的重要性 をたず さえていて、いわばスティグマ (烙 印 )を 押す ような種類のものであることが多 い」 (Kleinman,1%卜 199&22)と している。三番 目の意味が、個人的経験 に基づ く「病いの個 人的意味」である (Kleinman,19田 ■ 99&38‑39)。 そ して最後の病いの意味が「病いや治療のさ まざまな側面に有用な説明をあたようと努力」する場合に付与 される意味である (Kleinman,1988

■ 99854)。 病者 自身や家族、治療者が、病いや治療の諸側面― 「障害の原因」「病因」「病いの身

体への影響」 「将来の経過」「改善 と悪化の原因」な ど― について与える満足のい く説明を与える

ことのなかで生 じる意味である。

(12)

い彼 ら /彼 女たちにとつて、 自己の感情 と経験の共有 を期待 しうる重要な他者 として最 も想起 しやすい家族であるか らこそ、その役割 を期待 しえない ことの 意味は障害者 にとつて大 きい。

「その ことをきつかけにして、病気が、 こころの病いが始まつたのでしょ うか。シ ョック療法 をして、太つて何 もできな くな り、三歳の子 より悪 くな り、ボーつ としていて、小 さな子供 にも嫌われ、それでいて心は苦 しく重 く、

「母 さん苦 しいんだ、来て くれないか」 と誰 もいない三階に呼びました。で も一度 も来て くれませんで した。後で母 に聞 くと、お前の話はいつ も同じだ か らとい う話で した。私は苦 しいのです .話 を聞いてほしかった。母はテ レ

ビをみてキヤッキャッいつて笑 つている時はあつても、私 と話 をした ことは なかつた。話 をす ると、お前は くどい といつて嫌われました。ただ聞いてほ しかった。」 (女 性・ 43歳 /p126)

また、家族が、本人 も合め他者 に対 して「病名」「精神障害であること」を言 わない場合がある。ゴフマンによれば、「精神障害」は、肢体不 自由な どの身体 障害 と異な り、可視的ではないゆえに、精神障害のステ ィグマは、当人の 「信 頼 を失いかねない」 (discreditablё )も のである (Goffman,1963=1973:56)。

家族が、 「病名」を「隠そ うとした」ことは、スティグマ化 された「精神障害 (者

)」

に付与 された否定的価値 を拒否するのではな く、む しろ、それを前提 としてい るか らともいえる。 「悪い ことをしているような感 じ」との言葉 もあるように、

「隠す」 ことが、障害者に「異質な他者」であることを再確認 させることにな る場合がある。

「私は思います。病気を隠すのはよくない と思います。一週間や二週間で 治るのな ら隠せ るけれ ど、五年 も治 らない と隠 しよ うがあ りません。 しか し 両親 と祖母は隠そ うとしま した。私 はそれで 自分 は悪い ことをしているよう な感 じが しました。 私は自分が怠け病ではないか と思いました。」 (男 性・ 28歳 /

p23)

「入院の半年前 ぐらいには友人が小生の母 に、「少 し変みたいだよ」とい う

ような ことを言 つて くれたみたいです。その友人は、や は り後 になつてわかつ

たのですが、精神科の病院 に入院の経験があったそ うです。家族 には「統合

(13)

失調症」 とい う診断名を医師は伝 えていたそ うですが、面 と向かってその病 名を日に出 して言つたのは小生の兄で、なにかの用事で市役所の障害福祉課 の人に言 うのを小生が耳には さんだのが最初で した。ギ ョッとしたのを覚え ています。」 (男 性・ 40歳 /p26)

4節 口現   在

現状 に関わる語 りのなか には、 長期 にわたる発病後の経過 を振 り返 りなが ら、

「焦 らない」ことの肝要 さに気づ き、就労 に絶対的な価値を置かない ようになつ た と語 るものが多い。それは、「寛解」にはある一定の時間を要することを、自 己の経験や他の患者仲間の経験の共有を通 じて、知 り得たか らである。 このこ とは、それまで、 自己を束縛 し続 けてきた 「自立」や 「労働」の能力の有無を 前提 とする「個人」 観あるいは当該社会 におけるモーダルなライフコースパター ン (あ るいは、個人の自立 と家族 による扶養 についての規範 )と いつた社会 に おける支配的ス トー リーを相対化 し、それ らか ら自己を解放 してい く過程であつ た とい うこともできる。

「長い十五年であつた ようにも思えるし、逆 にあつとい う間でもあつた と 思 えるし、定かではないが、今は、1日 4時 間の図書館での読書 と夜のテ レビ のナイター観戦だけが 日常である。それ もまた結構であると思 えるようになつ てきている。完全 に寛解するようになれば、また先 も見えて こよう。今はあ せ らず この 日々を大切 に生きてゆきたい。それ しかないのである。」 (男 性・

年齢不詳 /p49)

そ して、 こ うした経過のなかで、家族が とった過去の対処 について回想 し評 価す る語 りがある。それは、障害者が「 (充 分 に )で きない こと」を批判するの ではな く、共感的 に傍 らにあ り続 けて くれた ことに対す る評価である。障害者 本人が、「精神病」の 「症状」や 「生活障害」、「自己」「家族」な どについて、

どのように意味づ け、あるいは表現 し、それ とともに生活 しているのか とい う

「生きられた経験 としての病い (illness)」 とい う文脈 において障害者の行為の 意味を理解 しようとす る営みである。

「私の家は、母 と姉 と私で喫茶店 をしています。五年ほ ど前、作業所 に通

いなが ら、社会復帰への第一歩 として、店で掃除機 をかけることを母か ら言

(14)

われて始めました。作業所か ら疲れて帰 り、毎 日、閉店後の掃除は苦痛でつ らかつた。で も毎 日続 けない と意味がない と思い努力 しかあ りませんで した。

ていねいにできなかつた掃除にもかかわ らず、母は一言 も文句を言わず、 「ご くろ うさま」 と言われる とまたがんばろ うと思いま したし …… (略 )… ……思 えば、 母 と姉 に見守 られていたか らこそ、ここまで働 けた と感謝 しています。 」

(女 性・ 28歳 /,120)

「そ して 1990年 12月 30日 に退院 して、兄 さん夫婦 と両親 と一緒 に○○ヘ 行つて来 ま した。みんなのおかげでホテルでゆつた りと過 ごす ことができま した。でも○○の公園で、薬 を飲むために水を飲 んだ ところ、二時間ほどし て胃が痛み出だ し苦 しみま した。軽い胃潰瘍 と診断 され、病院通いが始ま り ま した。虫歯 も多かつたので、結局 12月 に退院 してか ら、翌年の五月まで、

週二回の病院通いが続 きま した。その間に両親は退院 してか ら家で何 もしな いでいるのは体 によくないか らと、姉の ところか ら内職 をもらつてきて くれ ました。今、父の話 を聞 くと、その内職は、仕事 を取 りに行 くガ ソリン代 に もな らなかつた との ことです。それで も両親 は、僕のためになるな らと、一 緒 に手伝 つて くれていた とい うことに感謝 しています。 」 (男 性・ 32歳 /p72)

しか し、 こうした ドミナ ン トス トー リーの捉 え返 しとい うプロセスが、全て の障害者の語 りに一様 に見 られ るとい うわ けではない。就労 していない こと、

そ して、他者の支援 を必要 としていること、 とりわけ、家族 に経済的・精神的 に依存 していることについて、苦悩す る語 りもある。

とりわけ、周囲の人々の反応 について彼 ら /彼 女たちは極めて敏感である。

ゴフマンらによればスティグマのラベルを付与 された人々は、周囲の人々によつて

「避 けられた り、嘲笑 を浴びた り、拒絶 された り、面 目を失わ された り」す る ことになるが、最終的には、この ような反応 を予期す るよ うにな り、反応が生起 する前や、た とえ生起 しな くとも、予期す るよ うになる。そ して、その段階に おいて、ステ ィグマは完全 に内面化 され、その人のアイデンティテイは傷つき、

関 獅 いを抱えることとなる (lo壼 man,1963;Kleinman,1988=1998:209‑210。

自己を包 囲す る他者の圧倒的な否定的反応 に対す る強い不安 と、 「健常者」の よ うに「できない」 「続かない」とい う過去の記憶や現実 に苦悩 した と語 る彼 ら /

彼女たち。ある障害者は、こ うした苦悩 の中で、 「今の病気の状態で幸せ とは ど

うい うことだろ うか」 と問いかけている。また、ある者は、周囲の差別 に抗議

(15)

するなかで、「精神障害」「精神障害者」に対する社会的意味といつた ドミナン ト・ス トー リーから、自己が必ずしも自由になつていないことに気づいたと記 している。彼女は、その言葉に続けて、社会の偏見の是正のためには、障害当 事者が「殻に閉じこもる」のではなく、社会活動に積極的に参加 していくこと が必要であるとする (pl12‐ 113)。

「私は、医者の紹介でデイケアに行きました。最初のうちは、「こんなこと もわからないのか」 とか「こんなこともできないのか」 と言われそ うでとて も怖かつたです。私は。今でも友人やデイケアを卒業 して働いている人 と話 をする時に気をつかいます。「まだ、君はデイケアに行つているのか」とか、

「君は働かずにすむからいいね」と言われるのが怖いです。今の病気の状態 で幸せ とはどうい うことだろうか、 と思います。私は、家族の人に支えられ ないと生きていけません。 28歳 にもなって親から小遣いをもらいます。何か 問題があると自分では解決できないので、父親に相談 します。」 (男 性・ 28歳 /

p24)

「精神障害者になつたか ら悪いなんて問題 じゃない。でもそ う思っている 人たちも多 くいる。健常者 には進める道―進 んで しま う一 を、精神障害はな ぜ進めないのか、考 えれば考 えるほ ど、進めな くなる。 よい とか悪い とかの 問題でな く、できないのだ。知能の程度の高い低いはあるにしても、やっぱ りできない し、続かないのだ。病気が再発 して しま う。まわ りの人たちには、

た よりのない者 に思われて しま う。突然、本人 にしかわか らない理由で社会 の人でな くなつて しま う。それは、医者がなん とか聞き出 して も現実の社会 ではなんの意味下社会的価値― をも考 えつかない ささいなこと―妄想一 なの だ と思 う。考えと現実が どん どん離れていき、 自分の考 えを信 じることが現 実をどん どん遠いものにしてい く。」 (男 性・ 37歳 /p41‐ 42)

「二、三 日ぐらい前で したで しょうか、 A学 院で私 と他の人 とが差別 され

ているような気がしたので、先生に私の思 つていることを話 したのですが、 「私

たちは、あなたを障害者 とは思つていない。その証拠 には、皆 と同 じように

同 じ時間 に同 じよ うに平等 に教 えているで しょう。 もしか した ら、あなたの

こころの中に障害者 とい う概念があるんじゃないか。そ うい う気持 ちを持 つ

ている限 り、あなたは障害者か ら脱皮できないで しょう。…… (略 )… …・

.」

(16)

と言えば思いあたることがあ ります。」 (女 性・ 43歳 /pl12)

4章 口転 換 点

次 に、転換点 となつた出来事 について検討 しよう。転換点を「障害者 に関す る出来事」 と「家族 に関する出来事」 に大別 し、 どの よ うな出来事が転換点 と なつていたのか見てい くこととしよ う。その上で、それぞれ代表的な事例 をと りあげ、転換点 とな り得た出来事が、障害者の人生史 において どのような意味 をもつ ものであったのか、 とりわ け、 自己や家族 との相互関係 に焦点をあてな が ら検討 してい くこととする。

1節 口障害者に関する出来事が転換点 となつた事例

)転 換点 とな つた出来事

相談相手 をみつ け、話 しは じめた ことが転換点 となつていた事例がい くつか 見 られた。 Sさ んは、 入院後、 「ボ ロボ ロの心がぞ うきん」のようであるほどシ ョッ クを受けていたが、入院後四 ケ月頃か ら自分を客観視できるよ うになつた とい う。そ して、まわ りの人 と話す ことを通 じて、楽観主義的な思考の大切 さを痛 感 し、「自然な笑顔が可能」 にな り「自信 と自分」を取 り戻 していつた とい う。

Sさ んが、語 りは じめることができたのは、語 りに耳を傾 けて くれる他者が いたか らに他な らないが、 この ことに加 え、 自分 を客観視する、すなわち、 自 己の経験 に対 し一定の距離 をもち対象化することができるようになつたことも 大 きな意味をもっている。

「発病」「入院」とい う経験のなかで、「無為な 日々」を過 ごし、「生きること を忘れた人間」 とな り、 自殺 も試みた こともあるとい う。「発病」「入院」 とい う経験 とそれ に伴 う「重層化 された悲嘆」 に、受動的 に翻弄 され る日々であつ た とい うこともできよ う。 しか しなが ら、話す ことで 「自分 と自信」を取 り戻 した とあるように、他者 と語 りあ うことを通 じて、まさに、 自己を物語 り、 自 らの経験 に対 し意味を与え、「悲観主義的な 自己」か ら「楽観主義的な 自己」ヘ と更新す ることができた といえるのではなかろ うか。

「入院 して四 ケ月頃か ら自分 自身を客観的 に見つめ られるよ うにな りまし

た。ボ ロボ ロの心がぞ うきんになれ る ぐらいで したが、 日々が流れることに

よつてシ ョックか ら立ち上がれるよ うにな りま した。 自分の心で変革が生 じ

(17)

まわ りの人々 と話す とい う段階か ら自分 を変 えよ うと決心 しました。ペ シ ミ ス トでは生 きられない とわかつた時点でオ プチ ミス トにな り、看護師 さんた ち と話 し、 自然な笑顔が可能 にな りま した。話す ことによつて少 しずつ 自信 と自分 をとりもどしていつたのです。」 (Sさ ん   女性 040歳 /p18)

また、家族や周囲の人々に支えられ何 らかの役割を担 うようになつた こと、

あるいは就労 し始めた ことが転換点 として語 られた事例 もみ られた。 Fさ んは、

作業所 に通所 しなが ら、母 と姉が経営 していた喫茶店 を手伝い始めた ことが転 換点 として位置づ けられている。 Fさ んは、閉店後の掃除仕事を充分 にこなす こ とができなかつたが、母の 「ごくろ うさま」 とい う言葉 に励 まされ続 けた とい う。後に、洗い物 をするよ うにな り、その後、初めて コー ヒーを入れた ときの 喜びを記 している。そ して、いつ も見守 つて くれた母 と姉 に対する感謝の気持 ち とともに、精神障害者を「安心できるや さしさで、温か く見守つてあげてほ しい」 とも述べている。

「私の家は、母 と姉 と私で喫茶店 をしています。五年 ほど前、作業所 に通 いなが ら、社会復帰への第一歩 として、店で掃除機 をかけることを母か ら言 われて始めました。作業所か ら疲れて帰 り、毎 日、閉店後の掃除は苦痛でつ らかつた。で も毎 日続 けない と意味がない と思い努力 しかあ りませんで した。

ていねいにできなかった掃除にもかかわ らず、母は一言 も文句を言わず、 「ご くろ うさま」 と言われ るとまたがんばろ うと思いま した。…… (略 )… …・思 えば、 母 と姉 に見守 られていたか らこそ、ここまで働 けた と感謝 しています。」

(女 性・ 28歳 /p120)

121ラ イフ ヒス トリー ーー障害者に関する出来事が転換点 となつている事例 一 では、障害者 に関す る出来事が転換点 となっている事例 として、 Kさ んの語 りを取 り上げ、転換点 となる出来事が人生史において如何なる意味をもつ もの であったのか見てい くこととしよう。 この事例では、 Kさ んがインコを飼い始 めた ことが一つの転換点 となつている (Kさ ん   女性 0年 齢不詳 /p74‐ 75)。 K

さんは、 中学 3年 生の時、手の リインコを買いもとめた。インコは、「いんこ・

ちび」 と名付 けられた。

「中学校三年の大晦 日に、○○デパー トでブルーの手の リインコを買いま

(18)

した。湯で温めた餌 を、箱か らインコを出 しては食べ させま した。素敵な名 前 をつ けてや るつ もりで したが、アチ コチ動 きまわるのを呼び戻すのに「ち びちゃん、危ない よ」 と声 をかけると戻つて くるので 「いんこ・ ちび」 と名 づ けました。」 (p74)

「急 に昔のことが よみがえつてきて母を攻撃 した り、薬をた くさん飲んで眠 り続 けた り、昼間カーテンがあけられない」 (p74)こ ともあつた。 しか し、具 合が悪い ときで も自分 を一番の頼 りにす る「いんこ・ ちび」がかわい くな り、

甲斐 甲斐 しく、その世話 に励 んだ とい う。最初、気持ちが悪い と思 つていた「季 節の変わ り目に羽が角の よ うに固まって生えかわ る」ことを「生 きている証拠」

だ と感 じるようにな り、無精卵を産み肛門が 「赤い風船の ように」膨 らんだ時 は、 「このまま破裂 して しま うのではないか」と心配 した とい う。インコを飼い 始めた とい う出来事 を契機 として、 Kさ んは、 「頼 られている存在」であるとい う肯定的な 自己認識 を得たのであったのであ り、 「インコを世話する」とい う役 割 を獲得 したのであった。 Kさ んは、「ちび ,い んこ」が亡 くなるまでの 8年 間 世話 し続 けた とい う。

他方、 この出来事は、 Kさ んの母親 にとつても大 きな意味をもつていた 治医は、母親 に F娘 さんは、 よく小鳥のめん どうもみているようだ し、アレコ ̀主

レや るのも、 自分をなん とか しな くてはいけない と承知 しているか らだ。お母 さんはお母 さんのや りたかつた ことをや つて ごらん。」とア ドバイス した とい う

(p74‐ 75)。 この医師の言葉 を うけて、母親は習字を習い始め、その後 も続 けた。

急 に調子が悪 くなつた ときは、 「信 じて見守つてほしい」の一語 に尽 きると「い んこ・ ちび」の思い出を締め くくった Kさ んの言葉 にもあるよ うに、母親が習 字 を習い始めた ことには二つの意味がある。

まず第一 に、母親が習字 を習い始めた ことによつて、 Kさ んに集中しがちで あつた母親のエネルギーが分散 され ることとなつたのであ り、ケア役割へのコ ミッ トの程度が低下 し、 自己 とケア役割 との分節化がお しすすめられた とい う ことができる。そ して、第二 に、 この よ うに母親がケア役割 に距離 を持ち得た ことは、結果 として、 Kさ んに対する管理的・保護的な態度 を緩和することに 結びついた と考 えられ るのである。

このように、 Kさ んがインコを世話するとい う役割をみいだし自己を肯定す

る意識をうることができたこと、専 ら Kさ んとの関係に基点を置いていた母親

のアイデンティティが変容したことによつて、内閉的で葛藤が生 じやすかった

(19)

Kさ んと母親の関係性自体も変化したのであった。それは、ケアする一 される 関係から、 「ちび」の存在を介 した協同的関係への変化であつたと言 うことがで きる。そして、 「ちび」の死後一ヶ月後、 Kさ んは、母親 とともに暮 らした家を でることになる。

「「ちび」のはこべを取 りに、母 と二人でよく○○から○○へ峠越えをしまし た。私は、母が 42歳 の時の子 どもですから、その時もう 60代 でした。 「ちび」

は私が 22歳 の 11月 3日 に亡 くな りました。…… (略 )… …。 私はその一ヶ月 後、○○の姉のアパー トにころが りこみました。そして、その後、○○に帰 ることはほとんどありません。」 (p75)。

2節 .家 族に関する出来事が転換点となつた事例 H)転 換点となつた出来事

家族に関する出来事 としては、他の家族員が要介護状態になつたことがあげ られている。 Iさ んは、自宅療養中、「半分認知症の祖母」を勉強をしながら介 護したとい う。 「無表情でひたす ら甘い物を口に運ぶ祖母の横でレポー トや内職 に追われ、慣れない食事療法で狂いそ うにな り、酒で気を紛 らわせていた」 と い う (p104)。 しかし、その後、祖母の介護を介 して家族関係に変化が生 じる。

「互いに思いや り」、コミュニケーションできる「普通の家族」になつていたの であり、 「祖母の介護とい う役割を与えられたおかげで家族関係がぐんと良くなっ た」(p105)と している。そして祖母の死後、「妄想」は、現実の人間関係の リ アリティのなかで、「色あせ単純化」したのであった。

「祖母の介護を通じていつのまにかお互いを思いや り、一緒にお茶を飲ん で世間話をした りできる普通の家族になつていた。花壇の花を祖母に掘 り返 されても母は黙つていたし、幼い頃から何かにつけ祖母から暴力を振るわれ た父も献身的に世話をした。その祖母が一年前になくな り、その頃だと思 う、

グリコの犯人にされているとい うこだわ りは、家庭やセンタニでのもつとリ アルで強烈な人間関係の中で、いつのまにか色あせて単純化した。」 (Iさ ん

女性 。 29歳 /p104)

そして、家族の対応が転換点 となつた事例も見られた。 Fさ んは、18歳 で発

病。「世界没落体験」の「妄想」 と「イライラ」が主な症状であり、「妄想」は

(20)

消失 した ものの、「イ ライラ」に苦 しんでいた。母親は、その「イライラ」に対 し、怒るのではな く、 Fさ んの足踏み にあわせ 「おいつち、に。おいつち、に」

とかけ声 をかけた とい う。母親は、 Fさ んの「イライラ」を否定す るのではな く、ま さに彼 自身の体験 を基点 に共感的 に理解 しよ うとしたのであつた。それ は、 「生きられた経験」としての病い とい う文脈 を通 じ、障害者の感情や体験 を 共有 しようとす る努力であつた と言 うことができる。

「妄想は消えたが、イライラするのが続いたある日の ことです。母親 と話 している時、母が突然、「おいつち、に。おいつち、に」と言 つて、僕の顔 を 見る。わ けがわか らず、また しば らくす ると「おいっち、に。おいつち、に」 。

どうしたのか聞 くと、僕が足踏み しているので、「かけ声 してあげよんで」と 言います。たぶんその時、おちつかなかったのだ と思います。そ うし続 けて いると、「そ うか。おいつち、に。おいつち、 に」。今度は手 をとつて、いつ しょに足ぶみ します。赤ちゃんのお遊戯みたいやなあ と思いま した。そのか いあつてか おいつち、 に "は 治 りました。…… (略 )… …・その時は、思わ なかつたが、母はいつ も笑顔で、それ らをしていま した。病気 とい うよりは、

副作用 に近かったので覚えています。あの時、止めな さい と言わず に、 こん な方法で治るとは不思議だつた。怒 つてや っても、いけないのが この病気の 特徴だ と思 う。」 (Fさ ん   男性 0年 齢不詳 /p97‐ 98)

121ラ イフヒス トリー ーー 家族に関する出来事が転換点 となつている事例 一 では、家族に関する出来事が転換点となつている事例 として、 Sさ んの手記を とりあげよう。 Sさ んの事例では、母親が要介護状態になつたことが、転換点と なつている。

生前、母親にそれまで何度も迷惑 と心配をかけたことを詫びたとき、母親は いつも「気にするな」 と笑っていたとい う。母親は、肝臓癌に倒れ入院するま で、元気に働いてお り、少 し顔色が変わった以外、これ といつた前兆が見られ なかった。入院当初、母親にもSさ んにも病名が告知 されていたなかつたので、

Sさ んは「母がいたつて元気なので病気が治 り、家に帰つてこられ、また親子 二人の生活ができるものと思い」、妻 とともに看病に励んだとい う。しかし、そ の後病状は一向に回復 しなかつたので、担当医師に病名を強 く尋ねたところ、

肝臓癌であると告げられることとなる (p141)。 そして母親は病床で息を引き取っ

た。 70歳 であつた。

(21)

「治るものと思 つていた母の病気がなかなか回復せず、入院 しているにも かかわ らず、ますます悪化の道をた どり、大小便 も自分でできな くな り、私 共夫婦で世話するようにな り、これはただの病気ではない と思い、 先生にはつ きりと母の病名を聞いた ところ肝臓癌だ と話 され、 助かる見込みがない と知つ た時、今までの看病がむだにな り、 も う三度 と母の元気な姿が見 られな くな ると思つた時、涙が流れ、悲 しみの感情が こころいつぱいに広が りま した。」

(p141‐ 142)

「昭和 63年 6月 4日 、午前 9時 48分 。母 70歳 。この 日と時刻は一生忘れ られない 日であ り時刻なのです。母の死後、 この命 日には私は母の位牌 に向 かい独 り言 を語 ります。その年その時により、 自分の こころにわきあがる感 情 を口に出 します。」 (p142)

この事例では、転換点を境 にして、 Sさ んは、発病後、何度 も何か と「迷惑 と心配」をかけた母親 を介護す るようになったのであ り、ケアの授受一 される 関係がまさに逆転 している。手記の中に、 「迷惑 と心配」をかけた ことを母親 に 詫びる言葉が繰 り返 し記 されているが、 Sさ んにとつて、病床 にあつた母親を世 話す ることは、過去 に母親 にかけた 「迷惑 と心配」 に対す る返礼 としての意味 をもつていたのであった。そ して、 こうした ことに加 え、 この転換 には今ひ と つの大 きな意味がある。 Sさ んは、母親の生前、母親 とともに父親 も看病 し看 取 つた経緯があ り、両親 を看病 した とい う経験は、 Sさ んに大 きな自信 を与えた のであつた。それは近隣 との社会関係 をも変 えた ことが語 られている。

「この二人の親の看病体験が、親なき後、自分 自身に大きな自信 を植えつ ける結果 になつたのです。それまで障害者 として t隣 近所の人々に対 して、

ま ともに頭 も上げられず、顔す ら見ることもできない 自分を大 きく変 えてい ま した。妻の協力もあ り妻 には感謝 してお ります。」 (p142)

6章 .「 精神障害」を生きるということ

精神障害者 にとつて、「前兆」「発病」の経験は、それ以前の「連続 した経験」

と断絶 した経験、 自己の存在の根源的 な不安定化あるいは混乱 をもた らした経

験であつた。そ して、「精神科受診」「入院」は、 自己を価値づ けていたアイデ

(22)

ンテイテイ項 目が剥奪 され、「異質な他者 とい う位置」「周縁的位置」「否定的価 値を伴 う位置」 に置かれて しま う経験 に他な らず、彼 ら /彼 女たちは、孤立 し たなかで「重層化 された悲嘆」「アイデ ンティテイの危機」に直面せ ぎるをえな かったのである。

その後の経過は、まさしく、アイデンティティ問題 に対処 しようとする軌跡 であつた ともいえよう。その軌跡は、社会の ドミナ ン トス トー リー、すなわち、

「個人」観あるいはモーダルなライフコースパターン、家族扶養 に関わる諸規 範、「精神病 (者

)」

に付与 され る社会的意味、な どか ら自己を解放 してい くと

ともに、 自己の経験や他の患者仲間の経験の共有な どを通 じ「病い」の経験 を 提えなお してい く過程であつた とい うことができる

*4。

もちろん、すべての障害者が こうしたプロセスを経ているわけではな く、ま た、経ていた としても、捉 えなお しは、不断の営み としての様相をもっていた。

中には、他者の否定的反応 に対す る強い恐怖心 と、「健常者」のように「できな い」 「続かない」といつた過去の記憶や現実 に苦悩する障害者 も少な くないので ある。苦悩の内にあ り続 けること、あるいは、 この苦悩か ら脱却すべ く「健常 者」カテ ゴ リーに限 りな く近づ こ うとす ること、が、結果 として「再燃」 「再発」

を招来する場合 も少な くない。この よ うな「再燃」「再発」の繰 り返 しとい う自 己の経験、あるいは他の患者仲間の経験の共有を通 じて、「完全な寛解」 には、

ある程度時間を要するとい うことを学んだ と語 る障害者 もいた。そ して、精神 障害者が、捉 えなお しのプ ロセ スにとって重要であるととらえていたのは、彼 ら /彼 女たちの感情 と経験 に耳 を傾 け、共感的 に共有 して くれ る他者や コミュ ニティの存在なのであった。

また、 家族 に関す る出来事が転換点 とな りうる場合がい くつかみ られた。この ことか らも、障害者の人生・生活 にとつての家族の存在の大 きさが確認 される。

いずれ にせ よ、精神障害者 にとって「精神障害を生 きる」ことは、如何 に、 「病 気」「障害」を意味づけ、「病気」「障害」とつ きあいなが ら生きてい くのかを問 い続 けなければな らない ことを示 している。ここに難 しさがある。なぜな ら、 「治 療の対象」 (=「 治す ことが好ま しい」もの )と され、しか し一方で容易 に「治 る」 ものではな く、「幻覚」「妄想」や 「生活障害」の残存、そ してスティグマ な ど、自らも「病い」のつ らさを経験 しつつ、その ような意味を付与 され る「病 気」「障害」をもつ 「自分」を生きる とい うことであるか らである。

*4「 就労」「自立」 とジェンダー との関係 については、 (南 山 ,1995,2006)に おいて検討 した。

(23)

さて、精神障害者は「家族」をどうの よ うに語 つていただろ うか。「アイデン テイテ ィの危機」 に直面 し、孤立化 していた精神障害者にとって、家族 は「重 要な他者」「道づれ」である場合が多い。ゆえに、精神障害者の「病い」の軌跡 に対 し、彼 ら /彼 女たちの経験 と感情 に対す る家族 の意味づけや対処が もつ影 響力は大 きい。換言すれば、家族が、どの ようなフレームに準拠 しなが ら、「病 い」の経験 をとらえ対処 しているか、その内実が障害者の病いの経験 に深 く関 わつているとい うことである。       ̀

家族 を評価する語 りに着 目すれば、障害者が肯定 していたのは、家族が、障 害者の経験 をあ くまでも、「生 きられた経験 としての病い (illness)」 とい う文 脈で理解 し共有 しようとする営みであうた。つま り、障害者本人が、「症状」や

「生活障害」、「自己」「家族」な どについて、どのように意味づけ、それ ととも に生活 しているのか とい うことを基点に障害者の行為の意味を理解 しよ うとす る営みなのである。

親たちにとって、「わが子が精神病 を発病 した」とい う体験は、親たちの人生 を「一変 させた」決定的な出来事 として位置づけられ ることが多い。親たちが、

前兆期・精神科初診時の回想 において、確かに、「わが子」の身体は、眼前 に存 在す る、 しか し、一方で、「わが子」の 「言動」や 「表情」は、「発病」前の記 憶 とは大 き く乖離 したものであった と語 ることがある (南 山 ,1995)。 この経験 は、身体的 に存在するが、心理的には不在であるがゆえに生 じる不確かな喪失、

すなわち、 「曖味な喪失」体験のひ とつ として捉 えることができるものであった。

そ して、存在 /不 在がまさに曖昧であるがために、 「両極的な否定」へ と向かい やすい (Boss,1999=2005)こ とも確認 された。すなわち、親たちは、 「ノイ ロー ゼ程度」 「も うなおった」といつた変化を否定する極 (=も はや精神病ではない

)

と、 「も うもとにはもどらない」といつた存在を否定する極 (=も はやあの とき の息子 /娘 ではない )の どちらかに置かれやすい とい うことである (南 山 ,1995)。

しか し、「生 きられた経験 としての病い」とい う文脈 に基づ き、障害者に関わる とい うことは、この どちらの極 にもよらない とい うことに他な らないのである。

また、い くつかの事例 において、障害者が何 らかの役割 を取得することで、

自己肯定感が得 られること、あるいは、家族 自身における自己 とケア役割 との 距離化・分節化が生 じることで、過剰な保護や管理が軽減 され、障害者の「自 立性」が尊重 される過程が見 られた。多 くの障害者が家族 に「あたたか く見守つ てほしい」と思 つていた、あるいは、思 っているとしている。こうした語 りは、

家族が障害者の感情や経験 を共有 し障害者の主体性 を尊重す ることへの障害者

(24)

の期待の高 さを表象するものである。

以上が本論 の結論である。本論文は、「疾患」としての「精神病」 、「患者」と しての彼 ら /彼 女たちに焦点を当てるのではな く、 「生 きられた経験 としての病 い」 とい う文脈 を基点に、彼 ら /彼 女たちの人生の軌跡 を記述す ることを目的 とした。そ して、その ことは、彼 ら /彼 女たちの 「病い」の個人的な意味だけ ではない、「病いの経験」を巡 る重層的な意味 にも着 目することでもあった。そ の結果、彼 ら /彼 女たちの意味世界の一面を明 らかにすることができた。 しか しなが ら課題 も残 されている。

本論文では精神障害 をめ ぐるステ ィグマ (stig11la)に ついて幾分かは検討す ることができたが、ステ ィグマをめ ぐるアイデンティティ管理 についてやや単 調な記述 にとどまったきらいがあ り、 さらに踏み込んだ議論が必要であるとい えるだろ う。本論で検討 した語 りのなかには、スティグマ化 された「精神障害」

とい うカテ ゴ リーを介す るのではな く、 <生 きられた経験 >を 基点に家族 を受 容することへ と向かつた親 も存在 した。 しか し、語 りのなかには、家族が精神 障害者であることを「言わない」場合 もあつた。こうしたパ ッシングは、「他者 の否定的反応」を回避す ることになつて も、親たちの 自己嫌悪 を増幅 させ、い つ知 られて しま うかもしれない とい う不安 も重な りその心理的重圧は深刻なも の となつていたことが想起 しうる。また単 に他者 に「言わない」 ことを 「社会 のエージェン ト」の側 にたつ ことと同義 とすることには慎重 になる必要がある。

なぜな ら、他者の否定的反応 を回避 しよ うとする生活上の 「戦略」 とい う場合 もあ りうるか らである

*5。

*5ゴ フマンは、ステイグマをもつ人々が何 らかの支持を期待できる人々として、「同一のスティグ マ」を有する人のほかに、「事情通」をあげている。「事情通」とは、焦点 となっているスティグ マを有 してはいないが、スティグマをもつ人々の「秘密の生活 に内々に関与 して、その生活に同 情的で、 さらにある程度 [彼 らに ]受 け入れ られている」存在である。そ して、「事情通」 にあ てはまる例のひ とつ として示 しているのが「スティグマのある人に、社会構造上関係をもつ人」

である。包括社会は、この場合の「事情通」とスティグマのある人 とを「一つのもの」として扱 うのであ り、彼 ら /彼 女たちは、ステ ィグマのある人の「不面 目」を一定程度、引き受けぎるを 得ない状況 におかれることとなる (Goffman,196卜 197050‐

56)。

精神障害者の親たちも、この「事 情通」 にあてはまる人々であ り、「精神障害者」 に負わ されている 「不面 目」は、ある程度、親 たちに波及 しうるもの といえる。「精神障害」の場合、ステイグマが波及するルー トは、 しばし ば、「育て方」や 「遺伝」な どによ り作 られ ることがある。「精神障害」「精神科通院歴」をもつ とされるものの関わる事件 におけるメデイア報道 には「生育歴」は欠かせない情報 となってお り、

しかも「生育環境」がいかに「通常」のものか ら逸脱 したもであつたかが強調 される場合が多い。

また 「遺伝」 も「そ うい う家系」「そ うい う血筋」な どとい う表現を伴いなが ら、両者を媒介す

る場合がある。

参照

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0 0 1

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