死者への眼差し
―チベットに於ける死後世界の叙述とその意義について―
津 曲 真 一
序にかえて
本論は 2013 年 7 月 27 日に東洋英和女学院大学死生学研究所で行われた シンポジウム「アジアの死生観―生者と死者の交流」において、筆者が「チ ベット人の死生観―生者と死者の関係を巡って―」という題目で行った口頭 発表をもとに、それに幾らかの加筆を施して一つの論文に纏めたものであ る。シンポジウムにおいて筆者は、チベットにおける枕経の一つである所謂
『チベット死者の書』と呼ばれる文献群から読み取れる死生観と、仏教伝来 以前からチベットに伝わる伝統的な霊魂観を取り上げ、両者の比較を試みつ つ、そこから見えてくるチベット人の死生観、及び生者と死者の関係に関す る彼らの思考方法について一つの見方を提示した。本論では同シンポジウム における口頭発表の内容を纏めた上で、チベットで伝承される幾つかの死後 世界物語を取り上げてチベット人の死生観を概観し、更に死後世界の叙述と いう行為がもつ意義について考察を試みたい。
一
『チベットの死者の書』は、チベット仏教の死生観と死のプロセスに関 する思考が凝縮された書物として紹介されることが多い。この書物は 1927 年に人類学者 W. Y. エヴァンス・ベンツ(Walter Yeeling Evans-Wentz, 1878–1965)によって翻訳出版されて以来、東洋の神秘思想に関心を抱く 人々の間で広く読まれてきた。また 1935 年に出版されたドイツ語版に付さ れたカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875–1961)による 同書の解説「チベットの死者の書の心理学的注解」(Psychologischer Kom- mentar zum Bardo Thödol 〈Das tibetanische Totenbuch〉)1)は、『チベッ
トの死者の書』に叙述される死後世界の様子を深層心理学の観点から捉え直 したことで注目を集めた。
『チベットの死者の書』とは、チベットで死者が出たときに唱える枕経お よびその関連典籍から成る文献群であり、同書名はエヴァンス・ベンツによ る翻訳出版の際、古代エジプトの葬祭文書『死者の書』を意識して名づけら れたものである2)。この文献群の中核を成すのは「中有における聴聞による 大解脱」(bar do thos grol chen mo)と名づけられた枕経であり、この経 典の読誦は当事者の死後まもなく開始され、死者が次の生を受けるまで断続 的に行われる。死者が来世に生まれ変わるまでの期間は中有(bar do)と 呼ばれる。一般に仏教では一切衆生は天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の6 つ、或いは修羅を除いた5つの世界を輪廻すると説くが、一つの世界から次 の世界に移行するまでの状態が中有であり、最長で 49 日間に及ぶとされる。
この種の枕経はチベット仏教の複数の宗派、及びチベットの伝統宗教であ るボン教によって伝承されており、それぞれの間で内容の相違も認められる が、何れも死者の魂の救済、死者の輪廻からの解放を目的としている点で一 致している。生前に特別な修練を積んだ者は臨終に際し、嘗て実修した行法 の記憶を喚起することで中有を経ずに解脱することができるので、導師によ る助けを必要としない。しかしそれ以外の者には僧侶の導きが必要である。
『チベットの死者の書』に依れば、死の瞬間に解脱を遂げることができな かった人々はその後、速やかに中有の第一段階へと進む。そこで死者は生前 の業に起因する様々な幻影を見るという。最初の一週間は寂静尊と呼ばれる 柔和な相の神々が、次の一週間は恐ろしい形相の忿怒尊たちが眷族を引き連 れて現れる3)。この二週間、死者は仏の世界から放射される強烈な光線と、
六趣の世界から差し込む魅惑的でぼんやりとした薄日を見る。この時、強烈 な光線こそが仏の光明であると悟り、それと一体となれば輪廻から脱却でき るが、大抵の死者は強烈な光を畏れ、魅惑的で弱々しい光に惹き付けられ、
再び輪廻の世界に飲み込まれていく。こうして最初の二週間のうちに輪廻を 離れることができなかった死者は、次の段階へ進むことになる。
中有の第二段階に入ると、死者の感覚は研ぎ澄まされ、心身には力が漲 る。失われた筈の肢体や感覚が完全に甦り、更に神通力が具わることで全能 感が得られる。だが次第に死の自覚が生じてくると、激しい苦悩や虚脱感が 心に広がり、様々な恐ろしい事象に追撃されていると感じるようになる。や
がて死者は死王の前に引き出され、生前の行状が裁かれ、悪行の報いとして 身体を刻まれるなどの恐ろしい体験をする。こうした段階を経て死者の姿は 次第に不明瞭になり、輪廻世界から差し込む薄日が明るくなるにつれて来世 で受ける身体が輪郭を見せてくる。死者は寄る辺の無い不安と得体の知れな い憂いから逃れる為に再生への道を急いでしまう。しかし、こうした体験は 何れも自己の業に起因する幻影であると悟れば、忽ち解脱を遂げることがで きるとされる。
この段階に及んでもなお解脱できない場合、死者に残された最後の道は入 胎そのものを阻むことである。『チベットの死者の書』に依れば、死者は中 有の最終局面において未来の父母に対し、エディプス複合を髣髴とさせる次 のような感情を抱くとされる。
……もしも男性として生まれる時は、自分自身が男性であるとの思いが 現れる。そして交媾する父母の父に対しては激しい敵意を生じ、母に対 しては嫉妬と愛着を生ずる思いを持つであろう。もしも女性として生ま れる時は、自分自身が女性であるとの思いが現れる。そして交媾する父 母の母に対して激しい羨望と嫉妬を生じ、父に対しては激しい愛着と渇 仰の気持ちを生ずるであろう。これが縁となって汝は胎への道にあるこ とになる。(中略)眼をあけて見るがよい。汝は一匹の子犬としてこの 世に戻ってきたのだ。4)
こうして交媾する男女の姿が見えた瞬間、それを仏とその配偶神が抱擁する 姿として想念することができれば、再生への門を閉ざすことができる。だ が、この最後のチャンスを逃してしまった場合は、せめて胎の善し悪しを慎 重に判別し、より良い生を求めるべく努めよ―そのように忠告して『チ ベットの死者の書』はその中核的説示を終える。
このように同書では中有のあらゆる場面において解脱の可能性があると述 べ、その為の方法を数多く示すのであるが、それらの方法の基本にあるの は、一切の事象は業に起因する幻影であることを悟り、それに執着しないと いうことである。実際『チベットの死者の書』の終盤では、事象の幻影性を 悟ることができれば、生前における修練の実績や善業の蓄積が無くとも、輪 廻からの解脱が可能であると述べられている。善行善果・悪行悪果の原則を
淡化してまで解脱の可能性が強調される背景には、解脱のチャンスは最後の 瞬間まで残されており、それ故、49 日が過ぎるまで死者に経典を聴聞させ ることが重要であるとする立場がある。
二
このように『チベットの死者の書』では、死者が中有を彷徨う様子が生々 しく語られるのであるが、ここで注目されるのは、同書に於いて死後世界の 様子を語るのは死者自身ではなく、死者に解脱の道程を示す導師であると いう点である。これに対しチベットには、死者自身が自らの死後体験を語 る“デーロク”と呼ばれる伝統がある。デーロク(’das log)とは「去った
(のち)戻った」という意味で、死後の世界から帰還したとされる人々のこ とを指す場合もあり、彼らが語った蘇生譚を指すこともある。
デーロクたちは死と再生の中間世界である中有を一巡した後、この世に帰 還して自身の体験を人々に語ったと伝えられる。その後、彼らの語りは書き 記され、デーロク文学と呼ばれる一つの纏まった文献群を構成するに至っ た。『チベットの死者の書』には死者・導師の個人情報に関する記述は無い が、デーロク文学の場合は主人公であるデーロクの出身地や生い立ちが比較 的詳細に記されている場合が多い。死後世界の様子を生々しく語るデーロク たちは民衆の尊崇の対象でもあったらしい。2002 年に遷化したチベット僧 チャンドゥ・トゥルク(lcags mdud sprul sku, 1930-2002)はデーロクと して生涯をおくった自身の母について回想し、彼女が亡くなったあと5日後 に蘇生したことや、幼少の頃、彼女が大勢の人々に囲繞され、死後世界の体 験を生き生きと語っていた様子などについて述懐している5)。
デーロクたちの語りにはそれぞれ個性があるが、ブライアン・クエバス
(Bryan J. Cuevas)は、デーロクたちの語りには以下のような共通のパター ンがあると指摘している6)。即ち、デーロク文学の主人公(デーロク)たち は大抵の場合、突如として原因不明の病に襲われ、ある日、忽然と亡くなっ てしまう。しかし彼/彼女は自分が死んだということになかなか気付かず、
親戚や友人が自分の葬儀の準備をしたり泣いている様子を見て困惑し、彼ら が自分を無視していると思いこんで激しい怒りの感情を抱くようにもなる。
だが、やがてデーロクは自分が亡くなったことに気づき、不思議な存在に導
かれて死者の世界へと旅立つ。
その後、血と炎の河、針の山、暗闇の谷などを巡り、最後にデーロクは死 王の従者が死者たちを拷問にかける様子を目撃する。死者たちは苦痛に悶え ながら、苦しみを軽減するための供養と祈りを捧げるよう家族に伝えて欲し いと、デーロクに嘆願する。デーロクは、死後世界を旅する高僧や瑜伽行者 たちと出会い、彼らの祈りによって死者が救済される様子を目の当たりにす ることもある。
やがてデーロクは死の王(閻魔)の前に引き出され、生前の行いの善悪が 裁かれる。法廷に立つ死者には大抵二人の証人が付き添っている。一人は手 に白い小石を持つ倶生神(lhan cig skyes pa’i lha)であり、もう一人は黒 い小石を持つ倶生魔(lhan cig skyes pa’i ’dre)である。両者は人と倶に生 まれ、その人の一生の善悪を全て記録し、死後の法廷でそれを報告するので ある。死の王は正義の秤で小石の重さを量った後、死者の生前の行状を映し 出す業の鏡(las kyi me long)を覗き込む。そして全ての手続きを終える と死の王はデーロクに向かい、それまでの心と行為を改めよと忠告し、一切 有情の為の宗教的な活動・修練に専心するよう命じる。その後、デーロクは この世に帰還し、死者たちのメッセージを親族に伝え、人々に善行善果・悪 行悪果の理を説き、利他行に専念することを誓う。
このようにデーロクたちは死後の世界を覗き、死の王と会った経験から、
この世で悪事を為すと死後に恐ろしい目に遭うので、心を改めて善を為せと 説くのである。彼らは死後世界に漠然とした不安を抱える民間の人々、特に 非識字層に因果応報の理を教え、善業蓄積の重要性を説く宗教的指導者の役 割を果たしたに違いない。しかし民間に於けるデーロクの役割は多岐に亘っ ていたようである。前述のチャンドゥ・トゥルクは、デーロクとして尊崇を 集めていた母が、遷化した高僧に宗教的な助言を求めたり、埋蔵された金銭 や宝石の在処を死者から聞き出すことを依頼されるなど、口寄せにも似た役 割を果たしていたと述べている7)。
デーロク文学の基礎を成しているのは仏教的な死生観・倫理観であるが、
デーロクという存在そのものには、仏教伝来以前からチベット人が信仰する ラ(bla「魂」)の概念が反映されているように見える。ラは個人の生命力そ のものであり、個人の肉体に宿ると同時に他の動植物やトルコ石のような鉱 物にも宿るとされる。個人のラは樹木や動物に宿るとされることが多く、そ
の場合、人々は自分のラが宿っている樹木を伐ったり、動物に害が加えられ たりすることがないように注意する。例えばラが特定の馬に宿っているとさ れる場合、飼い主はその馬を他の馬から離して大切に育て、他人がその馬に 乗ることを許さない。また現代でもチベット各地には、子供が生まれた時に 樹を植える習慣が残っているが、チベット人たちはこの樹の事を「魂の樹」
(bla shing)と呼んで大切に育てる8)。また自分のラの拠り所が分からない 場合は、占い師に頼んで特定してもらうこともある。但しラは脆弱で定着性 が低く、肉体や拠り所を離れやすい。ラが肉体から離れたり拠り所である動 植物や鉱石に危害が加えられたりすると、それが病や死の原因になると考え られている9)。恐らく死後世界を一巡して再びこの世に帰還するというデー ロクの存在は、こうしたラの概念を背景として生まれたのだろう。
ラの信仰は明らかにチベット起源のものであるが、現在では様々な形で仏 数儀礼の中に取り込まれている。例えばツェ・ワン(tshe dbang)と呼ば れる長寿を祈願する仏教の儀式で強化の対象となるのもこのラである。また チベットの伝統宗教であるボン教では、人間の内体的・精神的衰弱はラが魔 の誘惑を受けて連れ去られ、帰る場所が分からず彷徨っていることに起因す ると信じられており、彼らはこうした状況を改善する為にラを適切な場所に 呼び戻す儀礼を行う10)。また、ラは個人のみならず共同体や国家の生命にも 関わると考えられている。現在のチベット自治区の中心都市ラサの近郊にあ るヤムドク湖(“トルコ石色の湖”という意味)はチベットのラの拠り所と 見做されており、この湖の枯渇はチベット全体の生命力の衰退を意味すると 考えられた。同様の信仰はブータンのカラ湖(ka la mtsho)やシッキムの セー湖(sras mtsho)等にも見られるが、自然の一部が共同体の生命力を 象徴するという思考はチベット文化域各地で認められ、それらは常に共同体 の成員によって保護されてきた。
デーロク文学の萌芽は既に 12 世紀頃に認められるが、文学ジャンルとし て確立は 15 世紀頃のこととされている。14 ~ 15 世紀初頭、チベット人の 死生観にはインド仏教が齎した死生観・他界観と、ラに代表されるようなチ ベット固有の生命観が混在していた。そのような状況下で彼らは独自の死生 観や葬送の方式を編み出し、やがて『チベットの死者の書』やデーロク文学 に見られるような死後世界観を確立するに至ったのである11)。『チベットの 死者の書』は宗教的専門家を対象にした書物という性格が強いが、デーロク
文学は民間の人々に向けて語られたものであり、それため専門的な仏教用語 が頻出することも少ない。
フランソワーズ・ポマレ(Françoise Pommaret)の研究12)に依れば、
デーロク文学が誕生したのはチベットの東南部の辺境地帯であったらしい。
デーロク文学が盛んに編まれた 15 世紀は、後にチベット仏教最大宗派となる ゲルク派が興起した時代でもある。同派は以後、中央チベットに於ける支配 権を確立していくことになるが、恐らくデーロク文学の伝統はこうした権力 の中心から離れた民間の人々によって伝承され、確立されていったのだろう。
三
このようにデーロク文学と『チベットの死者の書』は、その成立背景や対 象とする読者層等の点において異なっているが、何れも因果応報の理をその 死生観の基礎に据えているという点では一致している。善行善果・悪行悪 果、即ち人間は死後、生前の善悪の行為に応じた境遇に転生し、其処で然る べき業果を受けるという思考は、仏教思想がチベットに浸透してゆく過程で チベット人たちの精神に甚大な影響を与えていったと考えられる。
因果応報・業果の思想は今日ではボン教の死生観の根幹を成しているが、
ボン教には本来、業や因果応報、輪廻という思想は存在しなかった。サムテ ン・カルメイ(Samten Gyeltsen Karmay, 1936-)の研究13)に依れば、ボ ン教徒たちが業や輪廻という概念を知ったのは7世紀頃のことであるとされ るが、それ以前のボン教徒が如何なる死生観を持ち、どのような葬儀を行っ ていたかということについては、未だその詳細は明らかになっていない。但 しボン教徒に任されていた重要な任務の一つに葬儀の執行があったことは明 らかである。或る仏教徒歴史家は、黎明期のボン教を主導したのは、チベッ ト人たちに死者儀礼の方法を教えるためにシャンシュン(羊同)、或いはギ ルギットから招聘された宗教的職能者たちであったと主張している14)。チ ベットの古代王の崩御に際し陵墓の設営を提案し、葬送儀礼を行ったのも、
こうした外来の宗教者であったと伝えられる15)。
古代ボン教徒たちが行っていた死者儀礼とその背後にある世界観・死生観 は、後世に仏教徒たちによって齎されたものとは大きく異なっていたに違い ないが、今日のボン教の死生観は悉く仏教の影響を受けており、両者は殆ど
見分けが付かない程である。例えばボン教の聖者トンパ・シェンラブの事績 を記した『セルミク』(mdo gser mig)という書物には、因果応報と死後世 界に関する以下のような印象的なエピソードが挿入されている。
……或る日、トンパ・シェンラブとの謁見に訪れたポ国の王バル ウェー・ドンマチェンは、隣国で起きた次のような事件について語っ た。隣国には死病に冒された王子が居り、両親はあらゆる手を尽くした が快復の兆しは見られなかった。すると一人の占者がやってきて「下僕 の子が身代わりとなって生命を捧げれば王子の病は快癒する」と主張し た。下僕の子はティシャンという名の少年で、王子と生まれた日時が同 じだった。王子は占者の提案に強く反対したが、両親は我が子の意見に 耳を貸さなかった。
やがて身代わりの儀式が占者と儀軌に詳しい祭司によって執行される ことになった。占者は報酬として王の財産の半分の譲与を、祭司は国土 の半分の割譲を要求した。そして両者は物乞いに食物を与え、ティシャ ンを殺めるよう命じた。祭司がティシャンに事情を告げると、彼は自分 の運命を静かに受け入れた。ティシャンは草原に連れ出され、占者と祭 司に手足を押さえつけられた。そして愚昧な物乞いがティシャンの胸を 切り開いて心臓を取り出すと、占者と祭司はその遺骸を四方に散蒔い た。しかし占者と祭司が王城に戻ると王子は既に息を引き取っていた。
占者と祭司は慚愧に堪え兼ねて自害した。王子の死に絶望した王と妃は 王城から身を投げて自尽した。一方、ティシャンの両親は復讐の炎に燃 えていた。彼らはティシャンを殺めた物乞いを殺害し、その後、王城を 占拠した。
バルウェー・ドンマチェン王は、この事件に関与した人々が今どの ような境遇を生きているかトンパ・シェンラブに尋ねた。シェンラブは 人々の現況を透視しつつ次のように述べた。王子は慈愛に満ちた少年で あった、彼は死ぬ間際、自身の病の快癒の為に他者の生命が犠牲になる ことに激しく抵抗した。それゆえ王子は今、あらゆる欲望が満たされる 世界に転生している。ティシャンも思いやりのある少年だった。彼は王 子の病が治るのであれば自分の命を捧げても構わないと思った。それゆ え彼は透明で明るい世界に転生し、今はそこで最上の歓喜を享受してい
る。一方、王子の父は凡庸な精神の持ち主だった。彼は下僕の子が身代 わりになることで息子の病が治るのであれば儀式の執行は止むを得ない と考えたが、もし息子の病状が快復しないようなことがあれば下僕の子 が気の毒だとも思っていた。また王子が死ぬ間際、王の脳裏には次のよ うな考えが過ぎった。いま一命を取り留めても、息子はやがて必ず死を 迎える。王権もいつか何者かに奪われる。ならば生きていてどんな喜び があろうか。王はそう思って自らの命を絶ったのである。それゆえ王は 頞部陀地獄に転生し、頭が二つある牛の姿で生きている。一方、王子の 母の心は王のそれとは異なっていた。彼女は我が子の為に下僕の子が犠 牲になることに何の躊躇いもなく、もし儀式が失敗して息子が死んでし まっても、犠牲になった下僕の子を哀れに思う気持ちなど微塵も無かっ た。そして彼女は王子が死ぬ間際、いま死ねば我が子と一緒に逝くこと ができると思って自尽したのである。それゆえ彼女は今、大号叫地獄に 居る。
占者は欲望に駆られて虚偽の占いを行い、祭司は報酬を得る為に儀軌 に精通していると嘘を付いた。しかし儀式は失敗し、王子とその両親も 亡くなってしまったので、もう彼らに儀式や占いを依頼する者は居なく なった。両者は将来に対する絶望感から自害したのである。それ故、い ま占者は等活地獄で、祭司は黒縄地獄で、それぞれ業の報いを受けてい る。また物乞いは自身の愚昧さゆえに殺生に手を染めた。それ故、彼は 闇の島という畜生の世界に居る。そして我が子の仇を討つために物乞い を殺害し、その後王城を占拠したティシャンの両親も最早この世に居な い。彼らはいま人を殺めた罪を浄化する世界に居る。
シェンラブがこのように述べるとバルウェー・ドンマチェン王は怯え た。王は、自国の軍を率いてティシャンの両親が占拠する王城に攻め入 り、彼らを殺害したことを告白した。そしてシェンラブに対し、自心を 苛む深い後悔の念と、地獄に堕ちる恐怖心から逃れる方法について尋ね た。シェンラブは、死者の鎮魂の呪文や、紙に死者の姿を描いて罪を浄 化する方法、死者を供養する為の祭壇を築造する方法を教えた。言われ た通りにすると、この悲劇に関与した人々の罪が順に浄化され、最後に 王自身の悪業が浄化された。こうして人々はそれぞれの苦から解放され た16)。
(A)病に冒されたティシャン王子と両親。
(B)王子の回復を願って儀礼を行う祭司。
(C)下僕の子を身代わりにすることを提 案する占者とそれに反対する王子。(D)
王子の身代わりにされる下僕の子。(E)
儀式の失敗に絶望して城から身を投げる 王と妃。(F)我が子を殺めた物乞いを殺 害する下僕たち。(G)王城を占拠する下 僕たち。(H)軍を率いて王城に至り、下 僕たちを殺害するバルウェー・ドンマチェ ン王。
バルウェー・ドンマチェ王の逸話を描いた宗教画(国立民族学博物館蔵)
(右図)バルウェー・ドンマチェン王に請 われ、シェンラブは死者たちの罪を浄化す る為の方法を説いた。
(I)欲しいものが完備する世界に転生したティ シャン王子。(J)透明で明るい世界に転生し た下僕の子。(K)頭が二つある牛の姿で頞部 陀地獄に転生した王子の父。一方の頭は白い 絹の布を纏った少年が守ってくれるが、もう 一方の頭は「鉄の少年」(lcags kyi khye’u)
が持つ鉄の斧で叩かれ、舌は鉄の鉗子で引き 抜かれる。(L)狼の頭をもつ女性として大号 叫地獄に転生した王子の母。業の力に依り、
彼女には鉄の鋸の枝が生えた樹木のてっぺんに、我が子が居るのが見える。我が子に会 うために痛みに耐えてその樹を上るが、樹のてっぺんに到着すると我が子の姿はない。
樹の上から下を見ると、今度は樹の根本に我が子が立っている。彼女は再び痛みに耐 えながら樹を降りるが、樹の根本につくと子供の姿は見えない。こうして彼女の肉体 は繰り返し鋸の枝で切り刻まれ、苦しみのあまり泣き叫び続ける。(M)三つの蛇頭を もって黒縄地獄に転生した祭司。一つ目の頭は鋸で切られ、二つ目の頭は金槌で打たれ、
三つ目の頭は鉄釘で打たれ、尻尾は煮られ、胴体は焼かれている。(N)女性の身体と 熊の頭を持って等活地獄に転生した占者。頭が九つある白蛇に眼を喰われ、九匹の赤 蠍に鼻を喰われ、蜥蜴に舌を喰われ、手足が九つある蜘蛛に心臓を喰われ、眼が九つ ある亀に臍を喰われている。(O)黒豚の姿で闇の島(mun pa’i gling)に転生した物 乞い。四本の杭で身体を固定され、鉄の牙を持つ蠍によって胸を切り開かれ、心臓を 喰われている。(P)山羊と羊の頭をもって罪を浄化する世界に転生した下僕の子の両親。
彼らはそこで肉を掴む鉤針を持った羅刹と,鉄の剃刀を持った羅刹女によって胸を切 り開かれ,心臓と肺を喰われて苦しみの叫び声を上げている。
この物語は今日のボン教徒が行う死者供養の儀礼の起源譚として知られる ものである。この挿話は先に見たデーロク文学と同様、因果応報の理をその 中核に据えるものであるが、やや複雑なプロットを介することによって悪業 を積む要因の多様性や、悪行に質的差異が存在することを示しているように も見える。
このほか死者供養という観点からこのエピソードを見た場合に興味深いの は、地獄で果報を受けることを怖れてシェンラブの前に参上した王に対し、
シェンラブは王自身の罪を浄化する方法ではなく、死者たちの罪を浄化する 方法を説いている点である。この物語では、バルウェー・ドンマチェン王が シェンラブが示した通りの儀礼を行うと、死者たちの罪が浄化されて彼らは 苦から解放され、そして最後にバルウェー・ドンマチェン王自身も苦から解 放されたと語られている。これは死者の鎮魂が結果として、生者の苦の解放 に繋がるということを示唆しているように見える。そして附言すれば、死者 の慰霊という行為には屡々生者の贖罪の感覚が付き纏うということを、この エピソードは仄めかしているようにも思える。
結びにかえて
以上、死後世界に関する幾つかの叙述を参照しながらチベット人の死生観 を概観した。これらの語りが眼目とするのは、その聞き手・読み手に善行善 果・悪行悪果という因果応報の理を説き、彼らに死への準備を促すことであ る。それらが基盤とする死生観・倫理観は主として仏教的ものであるが、そ こには仏教伝来以前のチベットの古い生命観の影響や、死者供養を行う人間 の内面に関する洞察も看取することができる。
死後世界の様子が語られることの意義を、その聞き手・読み手の立場から 考える時、そこには二つの側面が認められる。一つは死後世界についての語 りが、その聞き手・読み手に自己の死について熟慮する機会を与え、死のた めの準備を促すという側面である。この意味において死後世界の語りには死 への準備教育という性格が具わっている。そして死後物語はその読み手・聞 き手に対し、彼ら自身が死後世界に於いて苦を回避し、より良い生を享受す る為は、生前において善業の蓄積に邁進することが重要であると強調する。
これは死後世界の叙述が、その聞き手・読み手に自利的な行動を起こす契機 になり得るということである。
一方、死後世界の語りには利他的な行為をその聞き手・読み手に促すとい う側面もある。業報を受けて地獄で煩悶する死者の様子が生々しく語られる ことで、死者の慰霊と供養の感情が引き起こされる。苦しみを軽減するため の供養と祈りを捧げるよう家族に伝えて欲しいとデーロクに嘆願した死者の エピソードや、シェンラブが死後世界で苦しむ死者の責め苦を軽減するため に死者供養の方法を説いたとされる逸話には、死後世界の語りがその聞き手 や読み手に死者の救済という利他的な感情を惹起させ得るということを示し ている。
死後世界のルートマップ、死にゆく人にとってのトリップ・ガイドという 性格をもつ『チベットの死者の書』にも、死者の安穏を願う言葉や、利他的 な行為を生者に促す言葉が多く含まれている。例えば同書の附属文献の一つ である『諸仏・諸菩薩による守護を祈願する文』には次のような一節があ る。
……貴方がた、慈悲深い方々よ、○○と申すこの者は、この世界を去っ て、かの世へ行こうとしております。この世を離れようとしておりま す。大変な移動をしようとしております。この者には友もなく、苦悩も 大きいのです。庇護してくれる所もなく、守護してくれる人もいないの です。同胞・縁者もいないのです。(…)貴方がた、慈悲深い御方たち よ、誰も庇護してくれる人もいないこの者○○に、加護の手をさしのべ てください。同胞・縁者となってください。中有の大いなる暗闇からお 守り下さいますように。業の大旋風よりこの者を引き戻してください。
ヤマ王(死王)の大いなる恐怖と脅威からお守りください。中有の長 くて大変な難関からお救いくださいますように。(…)以上のように敬 慕と崇拝を激しく寄せながら、皆で一斉に三遍唱えるべきである(『諸 仏・諸菩薩による守護を祈願する文』)17)
このように『チベットの死者の書』では、生者は諸仏や菩薩に対し、死者の 魂の庇護を請願するべきであると説いている。この他、この枕経が死者の傍 で読まれている間、死者の出た家では長机の上に大小様々な燈明を点して神
仏を供養し、葬儀が終わりに近づくと地域の人々が集まって死者の守護と安 穏を祈願する文言や真言が唱えられる。死者の家族は集まった人々に食事や 飴などを喜捨する。こうした行為には何れも死者に代わって善行を積む追善 供養の意味がある。
しかし死者に代わって善を積むという行為、或いは死者の慰霊という行為 は、利他的なものであると同時に広い意味での自利的な意義を持つものでも ある。様々な宗教的・儀礼的行為を行うことで死者の苦しみが緩和されてい るという感覚、或いは死者の為に自分は出来る限りの事をしているという実 感を持つことは、生者が死別の悲しみを乗り越える為に必要な過程であると 考えられるからである。チベット人が伝える死後世界の語りの多くが、単に 死後の世界の描写に留まらず、死者供養の意義やその具体的な方法に関する 記述を含んでいるという事実には、様々な行為を通じて死者の安穏を祈るこ とが、結果として生者の心に安穏を齎すという信念が反映されているように 見える。死者に対する責務を果たしているという感覚を欠いたまま、生者が 善き生を送っていると実感し、そして穏やかな死を迎えることは困難なので はなかろうか。そのように考える時、如何なる特殊な状況下に於いても、死 別を経験した人々が十全なかたちで死者の供養や慰霊の為の行為に従事でき る環境を確保・整備しておくことの重要性を改めて指摘せざるを得ないので ある。
(付記:本論は大畠記念宗教史学研究助成基金による研究成果の一部である。記し て謝意を表する。)
註
1) 湯浅泰雄・黒木幹夫による邦訳がある。C. G. ユング、「チベットの死者の書の心 理学(1935)」、湯浅泰雄・黒木幹夫(翻訳)『東洋的瞑想の心理学』ユング心理学 選書(5)、創元社、1983、61-95 頁。
2) 『チベットの死者の書』の主要な解説書・翻訳書には以下のようなものがある。
Walter Yeeling Evans-Wents, The Tibetan Book of the Dead, Oxford University Press, 1957 (3rd ed.); Francesca Fremantle & Chogyam Trungpa, The Tibetan Book of the Dead: The Great Liberation through Hearing in the Bardo, Shamb- hala, 1975; Sogyal Rinpoche, The Tibetan Book of Living and Dying, Harper Collins, 1992. 川崎信定(翻訳)『チベットの死者の書』ちくま学芸文庫、1993 年。
ラマ・ロサン・ガンワン(著)、平岡宏一(翻訳)『ゲルク派版・チベット死者の書』
学習研究社、1994。ソギャル・リンポチェ(著)、大迫正弘・三浦順子(翻訳)『チ ベットの生と死の書』講談社、2010。
3) 『チベットの死者の書』では、中有に於いて死者の前に現れる神々は、死者の心が 造り出した幻影であると同時に死者を救済する実在の仏でもあるという二律背反的 な性格を持つものとして位置付けられている。この点について C. G. ユングは次の ような解釈を示している。「…この書によれば、「怒りにみちた」神々ばかりでなく、
「平和な」神々の姿さえも、輪廻する人間のたましいが生み出した投影にすぎない。
神々の姿が心のイメージの投影にすぎない、ということは、知的教養ある現代のヨー ロッパ人からみると、まったく当たりまえの合理的な考え方に思われるであろう。
それは彼らに、物事をありきたりのものにしようとする、彼らの知的単純化の傾向 を思い出させるからである。しかしヨーロッパ人は、これらの神々の姿は単なる投 影であるにもかかわらず、同時に実在するものであると説かれるとき、もはやその 説明を認めるわけにはゆかなくなるであろう。ところがバルド・テドル(『チベッ トの死者の書』)では、そういうことが可能なのである。それは、教養のないヨーロッ パ人だけでなく、教養あるヨーロッパ人に対しても与えることができるような、最 も本質的な形而上的諸前提を含んでいるのである。バルド・テドルには、あらゆる 形而上的主張は必ず二律背反的性格をもつという考え方が、暗黙の了解として、至 るところに認められる…」(C. G. ユング「チベットの死者の書の心理学」、湯浅泰 雄・黒木幹夫訳、前掲書、63 頁)。
4) 川崎信定、前掲書、136-137 頁。
5) Delog Dawa Drolma, Delog: Journey to Realms beyond Death, Richard Barron and Chagdud Tulku (tr.), Pilgrims Publishing 2001 (First Published by Padma Publishing in 1995), p.vii.
6) Bryan J. Cuevas, “The Death and Return of Lady Wangzin: Visions of the Af- terlife in Tibetan Buddhist Popular Literature,” in: Bryan J. Cuevas & Jacque- line I. Stone (eds.), The Buddhist Dead: Practices, Discourses, Representations, Motilal Banarsidass, 2010 (First published by the University Of Hawai'i Press in 2007), pp. 297-325.
7) Delog Dawa Drolma, op.cit., p.vii.
8) 魂の樹(bla shing)の信仰には様々な形態が認められる。人類学者マリオン・ダ ンカンに依れば、東チベットでは魂の樹は個人ではなく家族全体を守護する役割 を担うとされる(Marion H. Duncan, Customs and Superstitions of Tibetans, Mitre Press, 1964, p.249)。またハインリヒ・イェシケに依れば、子供の誕生と共 に植えられる樹木は護摩儀礼に用いることを目的としており、これは樹木を燃や すことで土地の神々との関係を築くことができるという信仰に基づくとしている
(Heinrich August Jäschke, A Tibetan-English dictionary with special reference to the prevailing dialects. To which is added an English-Tibetan vocabulary, Routledge & K. Paul, 1965, p.383)。
9) ラ(bla)の概念及びそれに関連する儀礼については以下の研究を参照。Samten Gyaltsen Karmay, “The Soul and the Turquoise: A Ritual for Recalling the bla,” in: Samten Gyaltsen Karmay, The Arrow and the Spindle: Studies in His- tory, Myths, Rituals and Beliefs in Tibet, Mandala Book Point, 1998, pp. 310- 338; René de Nebesky-Wojkowitz, Oracles and Demons of Tibet: The Cult and Iconography of the Tibetan Protective Deities, Mouton, 1956; Geoffrey Samuel, Civilized shamans: Buddhism in Tibetan societies, Smithsonian Institution Press, 1993.
10) Namkhai Norbu, Drung, Deu, and Bön: narrations, symbolic languages and the Bön traditions in ancient Tibet, Library of Tibetan Works & Archives, 1995, p.90.
11) 『死者の書』の成立過程に関する研究には次のようなものがある。Bryan J. Cue- vas, The Hidden History of The Tibetan Book of the Dead, Oxford University Press, 2003(pp. 39-68).
12) Françoise Pommaret, “Les Revenants de l'au-delà dans le monde tibétain,”
CNRS, 2010, pp.86, 102. この他デーロク成立史についてはローレンス・エ プ シ タ イ ン に よ る 次 の 研 究 が あ る。Lawrence Epstein, “On the History and Psychology of the ’Das-Log,” Tibet Journal 7〈no. 4〉, 1982, pp. 20-85.
13) Samten Gyaltsen Karmay, “A General Introduction to the History and Doc- trines of Bon,” in: Samten Gyaltsen Karmay, The Arrow and the Spindle: Stud- ies in History, Myths, Rituals and Beliefs in Tibet, Mandala Book Point, 1998,
pp. 104-157.
14) 12 世紀の博学な教理学者ディグンパ(’bri gung skyob pa ’jig rten mgon po, 1143-1217)は、『一意趣』(dgongs gcig)という書物の中で、ボン教教理の歴史 的発展の経緯を「顕れ出た(初期の)ボン教」(brdol bon)、「方向を転じたボン」
(’khyar bon)、「変容したボン」(bsgyur bon)という3段階に分けて説明してい る。これは後に 17 世紀に活躍した仏教徒歴史家トゥカン・チューキニマ(thu’u bkwan blo bzang chos kyi nyi ma, 1737-1802)によって敷衍され、ボン教の歴 史的発展段階を簡潔に示すものとして広く知られるようになった。ボン教徒の多く はこの説を認めていないが、古代ボン教と死者儀礼の関係、及び仏教徒によるボン 教の見方の一端を示すものとして重要であるため、以下に訳出する。
「“顕れ出た(初期の)ボン”(とは以下の通りである)。(初代チベット王である)
ニャティ・ツェンポから(始めて)第6代目の王ティデ・ツェンポ(ダクティ・ツェ ンポ)の時代に、中央チベットのアムシュロン(’am shod lon)という所に、シェ ン氏族の 13 歳の少年(がいた。彼は)魔鬼(’dre)によって 13 年間、チベット 全土を連れ回されたのち、26 歳に(なって、ようやく)人間の世界に戻ったので あるが、(彼は)阿修羅(mi ma yin)の力能によって、これこれの地域には、こ れこれの神や魔鬼が居て、これこれの益・害をもたらす(ということを知り)、そ れに対して、祈祷や供養(をこのように行い)、儀式の供物(yas stag)をこのよ うな流儀で与えれば役に立つ、ということを色々と知った。歴代の王統記には、ニャ ティ・ツェンポ(王)から(第 27 代チベット王である)ティト・ジェツェンまで の 27 の王統において、ボン(教徒)によって政権が執られたということしか述べ られていないが、チベットでボン(教)が広まったのは、これ以降であることは明 らかである。しかしながら、当時のボン(教)においては、下では魔鬼・悪霊(sri)
を制圧し、上では古老の神を供養し、中間では家の竃(に害を与える魔)を追い払 う、という三つほど(の宗教活動が行われていただけであり、それら)以外には、
ボン教独自の哲学体系)などといった用語は生まれていなかったので、一部の宗 教史書や王統記には、(この時期より後の)ディグム・ツェンポの期間からボンが 広まったとも述べられている。“顕れ出た(初期の)ボン”は、因のボン・黒い河
(rgyu’i bon chab nag)としても知られている。“方向を転じたボン”(とは以下の 通りである)。(チベットの第8代目の王)ディグム・ツェンポの(時代、)剣の葬 礼の儀式(gri bshid)の仕方を、チベットのボン教徒が知らなかったので、カシミー ル、ギルギット、シャンシュン(という)三つ(の国)から、剣の葬礼(の儀式を よくする)3 人のボン教徒が呼ばれた。ひとりは、かまどを祓い、火の神を崇拝す ることによって、太鼓に跨って空を進み、瀉血を行い、鳥の羽によって鉄を切断す るなどの力を示した。ひとりは、ジュティ(ju tig)と呼ばれる占い用の紐と、神 の託宣と、肩胛骨など(を用いて)占いを行い、良し悪しを決めた。ひとりは、死
者の調伏や剣の調伏などといった諸々の葬儀の区別を知っていた。これら三者が現 れる以前は、ボンに、これといった哲学体系はなかった。(しかし)それ以降、ボ ンも一つの見解として捕らえられるようになった。(しかし、これは)外道と自在 天派の宗義が、方向を転じたボンと混ざりあったものであるとされる。“変容した ボン”には三つ(の段階がある。まず)初めの変容とは、パンディタ・シャムタプ・
ゴンポチェン(という人物)が、顚倒した仏法を埋蔵し、(それを後で)自ら取り 出したもの(と)、ボンが混ざり合ったものを言う。次に、中間の変容とは、(チベッ トの第 38 代王)ティソン・デツェン(khri srong lde btsan、 r. 755–797)の時代 に、ボン(教徒)たちも(仏)法に参入しなければならないという勅令が出された
(のであるが)、ギャルウェー・チャンチュプ(rgyal ba’i byang chub)という者が、
最高の宝珠として仏法に耳を傾けることを望まなかった。(彼は、自分が)王の勅 令に背いたとされたことに激怒し、ボン(教徒たち)と結んで、仏陀の経典の一部 ををボン(教の流儀)に変えた。それを王が聞いて、如来の教説(=仏陀の教え)
をボン(教の流儀)に変える者たち(は、そ)の首を切るといって、継続して多く の(人々の)首を切ったので、ボン教徒たちが怯え、(ボン教の流儀に)変えた残 りの分を埋蔵経として隠蔽した。それらが後に取り出されたものが、ボンの埋蔵経 典(gter ma)であるとされる。3番目に、最後の変容(というのは、以下の通り である)。(チベットの第 42 代の王)ランダル(マ)(glang dar ma, r. 836–842)
によって教説が沈められた(=仏法が弾圧された)後、ツァン(地方)の上手のニャ ン(という土地)に、シェングル・ルガー(gshen rgur klu dga’)という者が(現 れた。彼は)、ダルユル・ドラ(dar yul sgro lag)というウー(=中央チベット)
のとあるボンの聖地で、仏陀の多くの御言葉をボン(の流儀)に変え、『仏説大般 若経十万頌』を『大段』、『仏説中般若経二万五千頌』を『小段』、『論議経』を『ボ ン経』、『陀羅尼経』を『十万白龍』『十万黒龍』と名付け、術語や文体を仏法と異 なるものにして、(それらを)五つの湖と小悪魔の洞穴に埋蔵経典として隠し、後 で、自分で発見したかのようにして取り出した。その後、キュンポというボン教の 一派なども、同様に多く(の仏典)を(ボン教の流儀に)変えた。(以上の)前・
中・後の三つの変容したボンは、白い河と呼ばれ、果のボンと名付けられたので ある。」(thu’u bkwan blo bzang chos kyi nyi ma, thu’u bkwan grub mtha’, kan su’u mi rigs dpar khang〈图官・洛桑却吉尼玛著『宗教源流史』甘肃民族出版社〉)。
ボン教の歴史を3段階に分けて説明する以上の見解は、一学僧によって提案され たものに過ぎないが、全く根拠を欠いたものと言うことはできない。とりわけ“変 容したボン”と名付けられる第3の段階は、今日におけるボン教の特徴を、少なく とも外見上は極めて的確に言い表したものである。実際、今日のボン教の伝統には
―ボン教徒たちがそれを認めるかどうかは別として―教義・儀礼・文化など様々 な側面において、仏教からの多大な影響が認められる。
15) Per Kværne, “Royauté divine. Au Tibet,” in: Yves Bonnefoy (ed.), Diction- naire des mythologies et des religions des sociétés traditionnelles et du monde antique (vol.2), Flammarion, pp.381-384.
16) mdo gzer mig; dus gsum gshen rab kyi ’byung khungs dan mdzad pa’i rgyud
’dus pa rin po che gzer mig gi mdo(『賽米』中国藏学出版社)1991, pp. 226- 382.
17) 川崎信定、前掲書、162-164 頁。
Keeping an Eye on the Dead:
Narratives of Death and their Significance in Tibet
by Shin’ichi TSUMAGARI
In this article, the author first summarizes his presentation given at the symposium organized by the Institute of Thanatology, Toyo Eiwa University on 23 July 2013. In the symposium presentation, the interaction between the living and the dead in Tibetan Buddhist literature and the influences of pre- Buddhist beliefs about life and death were explained. In addition to the sum- mary, the meaning of telling stories of life after death in traditional Tibetan societies is also comprehensively examined in this article. Religious materi- als including the Tibetan Book of the Dead: The Great Book of Natural Lib- eration Through Understanding in the Between (bar do thos grol chen mo), the Delok (’das log) or the Tibetan Buddhist popular narratives of death and the afterlife, and a Bonist sacred book called Zermig (gZer-mig: “Piercing Eye”) or the hagiography of Tönpa Shenrab who is considered the founder of the Bon religion are cited to do this. The author concludes that the narratives of death and the afterlife in traditional Tibetan societies explain the impor- tance of showing courtesy and offering prayers to the souls of deceased per- sons, and also function as a guide to the principles and methods of educating people about death.