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雑誌名 国立民族学博物館研究報告

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(1)

12イマーム派シーア主義におけるイマーム・アリー の位置について : イラン人ムスリムの場合

著者 嶋本 隆光

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 10

号 3

ページ 725‑753

発行年 1986‑02‑22

URL http://doi.org/10.15021/00004397

(2)

嶋本   12イ マ ー ム派 シー ア主 義 に お け る イ マー ム ・ア リーの 位 置 に つ い て

12イ マ ー ム 派 シ ー ア 主 義 1)に お け る イ マ ー ム ・ ア リ ー の 位 置 に つ い て

イ ラ ン 人 ム ス リム の 場 合

光 *

The Position of 'Ali b. Abi Taleb in Twelver Imami Shi'ism (Ithna `Ashariyya)

The Image of 'Ali among Iranian Muslims

Takamitsu SHIMAMOTO

One of the most important characteristics of a religious symbol is its plasticity or flexibility. This functions in homo religiosus, enabling him to comprehend the meaning of life in the way most fitting to him.

Religious men, who belong to various social strata and differ in their level of education, understand the meaning of symbols according to their own experience, so that they can obtain the satisfaction to feel themselves "real" (Eliade). Sometimes a religious symbol might be interpreted in a highly illogical and passionate manner, but, in other cases, interpretation may be quite logical and rational. In each case,

1) 我 が 国で は , シ ー ア派研 究 の 根 が浅 い た め ,現 在 イ ラ ンの 国教 で あ るイ ス ナ ー ・アシ ャ リー   ヤ (英語 で は TwevermamiShiim) の 用語 につ い て 呼称 が 確定 して い な い。 本 論 に おい て   は, 12イマ ー ム派 シー ア主 義 とい う用語 を 用 い るが , こ こで 「派 」 と 「主 義 」 の用 法 の 区別 に   つ いて 若干 の注 意 を行 な い た い。

    英 語 で は, Shiim とい う語 が 「シー ア派 」及 び 「シー ア主 義」 の 両 方 の 意 味を 表 わ す もの   と して用 い られ る 。 しか し,本 論 で は 「派 」 と 「主 義 」 を 区別 して用 いる 。 「派 」 とは ,例 え   ば ス ンニ ー派 や シ ーア 派 とい うよ う に, 宗 教 , 政 治 的 セ ク トの相 異 を 明示 す るた め に, ま た   「主 義 」 と い う言葉 は, 哲 学 ,思 想 的 な 内容 の 相 異 に重 点 を 置 いて 用 い る こ とがで きる 。     この よ う に考 え た場 合 , 従 来 の よ うに 「派 」 とい う語 が 固定 的に シー ア とい う言 葉 に付 加 さ   れ 「シー ア派 」 と な るの で は な くな る 。つ ま り, ス ンニー 派 に対 置 さ れ る シー ア派 の 内部 にお   いて も,様 々な 分 派 ,例 え ば 7イマ ー ム派 (イ スマ ー イ ール 派) や 4イ マ ー ム派 (ザ ィデ ィー   派) とい うよ うに , そ れ ぞれ の セ ク トの 相異 を明 示 す るた め に用 い る ことが 可 能 で あ る。

    さ らに , これ ら シー ア派 内部 の各 分 派 の哲 学 , 思 想 的葦 異 に 注意 を 払 う場 合 , 7イマ ー ム主   義 (イ スマ ー イー ル主 義 ), 4イマ ー ム主 義 (ザ イデ ィー主 義 ) とい う こと がで き る。

    従 って , 12イマ ー ム派 シー ア主 義 とい う場 合 , 12イ マ ー ム派 の 「派 」 は, 7イマ ー ム派 や 4   イマ ー ム派 と区別 す るた め , シー ア主 義 の 「主 義 」 は, 同派 に お け る哲学 , 神 学 ,思 想 的 内 容   に注 意 を 払 うと い う意 図の も とに用 い た 。

* 大 阪外 国 語 大学 ,国立民族学博物館共同研究員

725

(3)

国立民族学博物館研究報 告  1巻 3号

however, interpretation should be that most fitting to the interpreter.

In this paper, through the examination of 'Ali b. Abi Taleb, a figure of crucial significance in the Shi'i tradition in general and in that of the Twelver Imami Shi'ism in particular, I attempt to demon- strate those contentions. To do this I examine; (I) how this figure became so important among Shi'i believers (particularly among Iranians) ; (2) how he has been accepted by them; (3) how those believers (i.e., theologians, traditionists, secular intellectuals and ordi- nary mass believers, among others) have interpreted him; and lastly

(4) how we can appreciate his importance in religic-is, societal and political terms.

1. は じ め に

l. 12イ マ ー ム 派 シ ー ア 主 義 研 究 の 現 状 と 問 題 の 糸 口

皿 . 本

1・ ア リー の 経 歴 と シ ー ア 派 の 起 源 2・ 宗 教 的 エ リー ト(神 学 者 , 伝 承 学 者 等 )

に よ る イ マ ー ム ・ア リー 像 (① 一 a)

3. 世 俗 的 知 識 人 に よ る イ マ ー ム ・ア リ ー ① 一 b)

4. 一 般 信 者 の イ マ ー ム ・ア リ ー 像 (② ) V. 結

1 .

「ア リー 彼 に 神 の 栄 光 あ れ ) の 宗 教 は , 単 に 宗 教 的 な 知 識 , つ ま り信 仰 (ib記 at) や 禁 欲 主 義 (yizat) と い う側 面 の み で 極 立 っ て い た ば か り で な く, 理 性 あ る い は 思 想 的 宗 教

din・kr) と い う側 面 か ら言 って も , ア リー と い う 人 格 と 結 び っ い た 特 異 な も の で あ っ た 。」 (ハ サ ン ・サ ドル 『無 限 の 人 , ア リー ・b 。ア ビ ー ・タ ー レ ブ』) [SADR  l982:56] :・

  宗 教 的 シ ン ボル の機 能 の重 要 な 特 徴 の一 つ に , そ れ が宗 教 的 人 間 (homo rgio−

US)に働 きか け,彼 に宗 教 的 現 実 を 身 を以 って 体 験 させ る こ とに よ って , 真 に充足 し た生 活 を送 る原 動 力 とな る点 を 挙 げ る こ とが で き る。既 存 の様 々 な宗 教 に は,必 ず幾 つ か の枢 要 な シ ンボ ル の体 系 が あ って , こ れ が多 様 な社 会 階 層 に属 す る信 者 に,各 人 の社 会 的 地 位 ,個 人 的体 験 , 教 育 レベ ル の差 異 等 に応 じて プ実 に多 様 に しか も流動 的 に働 きか け る。 そ の結 果 , 信者 は 自 らの 置 かれ た立 場 ,境 遇 に従 っ て, 宗 教 的充 足 感 を最 も効 率 的 に獲 得 で きる方 法 で シ ンボ ル を解 釈 して ゆ くの で あ る。 時 に は感 性 的 , 直 感 的 に ,ま た あ る時 に は理 性 的 に冷 徹 な心 で シ ンボル の解 釈 を行 な うこ と もあ る2

2) エ リアー デ は, シ ンボ ルが人 間 の内 部 に 占 め る枢要 な 働 き, 特 に想 像 力 との関係 につ い て 論 じて い る。 そ して , 「想 像 力 を持 つ こ とは , 世界 を総 体 と して 眺 め る こ とがで き る ことで あ る」

と述 べ て い る [ELIADE  1961:20]。

726

(4)

嶋 本   12イマ ー ム派 シ ー ア主 義 に お け るイ マ ー ム ・ア リー の 位 置 に つ い て

  イ ス ラ ー ム の よ う に神 の 唯 一性 (aw hid) を 極 端 に 強 調 す る宗 教 で は , 厳 密 に 言 え ば , ア ッ ラ ー 以 外 に い か な る 並 置 す べ き シ ン ボ ル 体 系 も存 在 し得 な い 。 しか し , 現 実 に は , カ ー バ 神 殿 の 黒 石 に 代 表 さ れ る よ う に , 神 の 絶 対 的 唯 一 性 の 原 則 に 抵 触 す る シ

ン ボ ル の 体 系 が 存 在 した 。

  聖 者 に 対 す る 尊 崇 も ま た , タ ウ ヒー ドの 原 則 に 対 す る 著 し い違 反 の 一 例 で あ る 。 預 言 者 マ ホ メ ッ トに対 す る 崇 拝 や そ の 他 ス ー フ ィ ー の 聖 者 に 対 す る崇 拝 は , 無 知 蒙 昧 な 一 般 ム ス リ ム に と っ て 近 づ き難 い 一 神 教 の 原 則 と彼 ら の 多 神 教 的, 土 俗 的 な 宗 教 慣 習 の 空 隙 を 埋 め る効 果 を 持 ち な が ら発 展 した 3)

  同 様 に , イ ラ ン に お け る12イ マ ー ム 派 シ ー ア 主 義 の 伝 統 で は , ス ン ニ ー 派 の 信 者 共 同 体 全 体 の 総 意 (イ ジ ュ マ ー ) に 対 して , イ マ ー ム と い う神 的 知 識 を 併 せ 持 つ 指 導 者 個 人 に 対 す る 絶 対 的 帰 依 を 教 義 の 核 心 に 据 え る た め , 一 種 独 特 の シ ン ボ ル 体 系 の 発 達 を 観 察 す る こ と が で き る 4)

  本 論 で は , 同 派 に お け る 12人 の イ マ ー ム の 中 で 初 代 イ マ ー ム の 位 置 を 占 め , イ ラ ン 人 ム ス リム の 間 で 巾 広 い 人 気 と計 り知 る こ と の で き な い 影 響 力 を 持 つ , ア リー ・エ ブ ネ ・ア ビ ー ・タ ー レ ブ と い う 人 物 を 取 り扱 う 。 こ の 人 物 が ど の よ う に 神 話 化 さ れ て き た か 。 そ して , そ の 神 話 が 人 々 の 間 で 広 汎 に 受 け 入 れ られ て き た 結 果 , ど の よ う に 多 様 な 人 々 の 想 像 力 を 掻 き 立 て て き た か 。 さ ら に , ム ス リ ム の 日常 生 活 の レベ ル か ら , 社 会 思 想 , 政 治 活 動 の レ ベ ル に 至 る ま で , ど れ 程 甚 大 な 影 響 力 を 行 使 し て き た か に つ い て 分 析 を 行 な い た い 。 こ の 作 業 に よ っ て , 宗 教 (イ ス ラー ム ) が , 単 に 礼 拝 や 儀 礼 の 集 積 と し て で な く, 現 実 の 歴 史 の 中 で ダ イ ナ ミ ッ ク な 要 因 と して 作 用 す る こ と を 理 解 す る一 助 と し た い 。

l. 12イ マ ー ム 派 シ ー ア 主 義 研 究 の 現 状 と 問 題 の 糸 口

  イ ラ ン近 ・現 代 史 を 一 瞥 した だ け で , 宗 教 (イ ス ラ ー ム ) の 果 た して き た 特 異 な 役 割 を 知 る こ と が で き る 。 タ バ コ=ボ イ コ ッ ト運 動 (1891− 1892), 立 憲 革 命 (1905−

1911), さ ら に 1978− 1979年 の イ ラ ン=イ ス ラ ー ム 共 和 革 命 等 に お い て , 12イ マ ー ム 派 の ウ ラ マ ー (特 に後 者 で は 法 学 者 (aqih, plu. fuqaha)) の 演 じ た 役 割 は , 内 外 の 研

3) Goldziher の研 究 は , イス ラー ム の聖者 崇 拝 の 発 展 史 と今 世 紀初 頭 にお け る聖 者 崇 拝 の実 状 を知 る上で 基 本 的 な も ので あ る 。彼 の 著作 「GoLDzlHER  l971:Vol.2,265]に お いて ,聖 者 崇 拝 の発 展 の過 程 で , 権 威 の 依 り処 と して ア リー の重 要 な 位 置 につ い て示 唆 が 行 な われ て い る 。 4) ナ スル は , 「あ る意 味で , ス ンニ ー派 を 『ア ブ ー ・バ クルの イ ス ラー ム』 と言 う ことが で きる よ うに, シー ア派 を 『ア リー の イス ラー ム』 と呼 ぶ ことが で きる」 と述 べ て い る [NASR  1972:

531。

      727

(5)

国立民族学博物館研究報 告  10巻 3号 究 者 の 関 心 を 引 い て き た 5

  こ れ ら の 事 例 に お い て 宗 教 の 果 た して き た 役 割 を 考 慮 に 入 れ る と , イ ラ ン近 ・現 代 史 を 総 合 的 に 把 握 す る た め に , 12イ マ ー ム 派 シー ア 主 義 (lthna Asharyya (A ),

Twelver Im am i Shiism (E))6)に 関 して 何 らか の 言 及 を 行 な う こ と な く論 じ る こ と は ほ と ん ど 不 可 能 に 近 い こ と が 分 か る。 こ の 意 味 で , 本 論 に 入 る 前 提 と し て , 同 派 に 関 す る 研 究 の 現 状 に つ い て 略 述 を 行 な う こ と は , 本 論 を 理 解 す る 上 で 有 益 で あ る。

  ホ メ イ ニ ー 師 (Ayatullah R Uh alAlah M UsaviK hum eini,1902− ) の 指 導 に よ る イ ス ラ ー ム 共 和 革 命 の 勃 発 以 後 , イ ラ ン の 国 教 で あ る12イ マ ー ム 派 シ ー ア 主 義 の 特 異 性 に 対 して , こ れ ま で 以 上 に 注 目 が 払 わ れ た 結 果 , 様 々 な 角 度 か ら研 究 が 行 な わ れ る よ う に な っ た 7 しか し , 依 然 と して 未 開 拓 の 分 野 が 多 く, こ の 意 味 で イ ラ ン の シ ー ア 主 義 研 究 は , 多 くの可 能 性 を秘 めた 研究 分 野 で あ る とい う こ とが で き る。

  こ れ ま で 行 な わ れ て き た 研 究 の 成 果 は , 大 雑 把 に 次 の よ う に分 類 整 理 す る こ と が で き る :

  (1) 教 義 的 ア プ ロ ー チ ,   () 社 会 ・政 治 的 ア プ ロ ー チ ,   () 経 済 的 ア プ ロ ー チ ,

  () 一 般 民 衆 , 信 者 の 信 仰 , 宗 教 観 の 立 場 に 基 づ くア ブ u 一 チ 。

  以 下 に お い て , こ の 四 つ の 立 場 に 立 脚 し た 研 究 に つ い て , 主 要 な 研 究 業 績 を 紹 介 し な が ら, 批 判 検 討 を 行 な う こ と に す る 。

  ()の 教 義 的 ア プ ロ ー チ は , 宗 教 の い わ ば 「建 前 」 を 論 じ 、 そ の 枠 組 み を 知 る 上 で 極 め て 重 要 で あ る 。 研 究 テ ー マ と して は , イ マ ー ム 論 , イ マ ー ム の 権 威 の 基 盤 と そ の 権 威 の 委 譲 の 問 題 , さ ら に こ の 議 論 の 発 展 と し て , 信 者 共 同 体 に お け る ウ ラ マ ー の 権 限 の 教 義 的 根 拠 を 探 る こ と な ど が 中 心 と な る8)。 し か し, こ の 分 野 に 関 心 を 持 つ 研 究 者

5) 例 え ば , E・Abrahalniyan, Irn: Beωe Two Reolutns. 1982, Prnceton U niv・ Pres N .K eddie, Ro of Reutn. 1981, Yal u niv、 Pres E・J.H ooglund, Land and Reol n lran: 1960−1980. 1982,U niv.ofTexasPrs な ど が あ る 。 前 二 者 は , 政 治 的 側 面 に 重 点 を 置 く。 Abraham iyan は , 巾 広 く資 料 を 駆 使 し た 力 作 ,  K eddie は 初 心 者 向 きで あ る 。 ま た H ooglund は , 革 命 を 農 村 の 側 か ら眺 め た 研 究 で あ る 。

6) 本 論 で 用 い た 特 殊 な 用 語 の 音 訳 に つ い て , 特 に 明 示 しな い 場 合 は ペ ル シ ア 語 , あ る い は ペ ル シ ア 語 化 した ア ラ ビ ア 語 で あ る 。 た だ し, ニ カ 国 語 を 並 置 し た り, 紛 ら わ しい 場 合 に は , ペ ル シ ア 語 (P), ア ラ ビ ア語 A), 英 語 (E)の 記 号 を 付 した 。

7) こ れ 以 前 の も の と して , Donaldson, D・M .[933] を 参 照 さ れ た い 。 本 書 は , 12イ マ ー ム 派 シ ー ア主 義 研 究 の 画 期 を 示 す も の で あ る 。 多 くの 点 で 不 十 分 で あ る が , な お 利 用 価 値 が あ る 。 8) 例 え ば Sachedina [1981] は , 12イ マ ー ム 派 理 論 確 立 の 過 程 で , 特 に 隠 れ イ マ ー ム 」 理 論

の 形 成 に 重 点 を 置 い た 力 作 で あ る 。

ま た Calder[n.d。]は , 初 期 シ ー ア 派 神 学 者 , 法 学 者 の 著 作 に 依 拠 し て , ウ ラ マ ー が イ マ ー ム の 代 理 人 と して の 権i威 を 継 承 し得 る か 否 か を 論 じ て い る 。 こ の 他 M cDERMoTT [978]は , ム ゥ タ ズ ィ ラ派 神 学 と 12イ マ ー ム 派 神 学 の 橋 渡 し的 存 在 と して Shaykb alM ufd を 位 置 づ け る こ と を 主 張 す る 興 味 深 い 研 究 で あ る 。

728

(6)

嶋本   12イ マ ー ム派 シ ー ア主 義 に お け る イ マ ーム ・ア リー の 位 置 につ いて

は, と もす れ ば歴 史 的 諸 条 件 (社 会 ,政 治 ,経 済 的諸 条 件 ) の変 化 を 無視 , あ るい は 軽視 す る こ とに よ って , 超 時 間 的 に 問題 を把 握 す る とい う欠 点 が あ る9。 例 え ば , ウ ラマ ー (イス ラー ム の宗 教 学者 ) が イ マ ー ム の代 理人 と して信 者 共 同体 を直 接 支 配 す る権 限 を 持 つ か ど うか と い う議論 が あ る。 教 義 的 アプ ロー チ の立 場 を と る人 々 は ,初 期 の神 学 書 に これ を立 証 す る記 述 が存 在 しな い こ とを根 拠 に , ウ ラマ ーの この権 限 を 否 定 す る。 つ ま り,12イ マ ー ム派 の教 義 は ,10−−1世紀 にそ の基 礎 が確 立 され た が , そ の教 義 を その ま ま近 ・現 代 の 状 況 に当 て は め よ うと試 み るの で あ る。 時 代 の 推 移 に 従 って ,宗 教 を め ぐ る諸 条 件 が 変 化 す る こ とは 当然 で あ り,教 義 も時 代 と共 に変 化 す る。 しか も,教 義 は あ くまで 「建 前 」 の議 論 で あ って , 実 際 に宗 教 に係 わ る諸 問題 を 取 り扱 う ウ ラマ ーた ちが ,歴 史 条 件 の 変化 に従 って様 々な権 限 を 持つ よ うにな った こ とは ,何 ら不 思 議 な こ とで は な い。 特 に, シー ア 派 で は ,宗 教 問題 の解 釈 に際 して 理 性 的判 断 (イ ジ ュテ ィハ ー ド) の門 は閉 ざ され て い な い と され るの で , これ を 用 い る こ と によ って , ウラマ ー (特 に イ ジュ テ ィハ ー ドの行 使 を許 され た ム ジ ュタ ヒ ド) の 権 限 が 拡 大 され た と考 え る こ とは十 分 に根 拠 が あ る。

  (, 次 い で社 会 ,政 治 的 アプ ロー チ につ いて 。 この 立場 の 中心 を 占め るの は , イ ス ラー ムの 宗 教 学者 『ウ ラマ ー』 論 で あ る。

  イ ラ ン近 ・現代 史 (特 に19世紀 初 頭 か ら現 代 に至 るま で) を一 貫 して , ウ ラマ ー は 社 会 ,政 治 の 分 野 で計 り知 る こ との で きな い重 大 な役 割 を 果 た して き た。 ムス リム社 会 に お け る彼 らの 役 割 は 非常 に大 き く, 人 々の生 活 の細 部 に至 るま で多 か れ少 な かれ そ の影 響 の下 にあ った 。 この意 味 で , ウ ラマ ー の社 会 ,政 治 的 役割 に注 意 を払 う こ と は けだ し当然 で あ る。

  しか し, この点 を 強 調 す る余 り, ウラマ ー に関 連 す る諸 々 の事 件 に つ い て ,社 会 , 政 治 的利 害 関係 の枠 内 で の み論 じ, この利 害 関係 が 彼 らの影 響 力 の す べ て を 決定 す る か の よ う に説 明 を行 な う こ とは 誤 りで あ る1。 信 者 共 同 体 の 宗 教体 験 の 代 表者 , 指 導 者 と い う彼 ら本 来 の重 要 な 役 割 を軽 視 す る こ と はで きな い 。宗 教 の 問 題 は ,宗 教 本 来 の機 能 ,役 割 に基 づ い て考 察 す る こ とが必 要 で ,宗 教 以 外 の何 物 か の 尺 度 を 用 い て 判 断 を下 す こ とが で きな い場 合 が 多 い1

9)例 え ば, Elash[1979]が これ に該 当 す る。 ま た , Algar[1969】は, 国 家 対宗 教 (ウ ラマ ー)

  の 対 立を 教 義 的 に 不変 の もの と して 把握 す る神 学 的 ア プ ロー チを 行 な って い る 。

10) N.Keddieの 立場 が これ に 当た る 。 彼女 は,20年 以 上 の 長 きに 渡 って 宗 教 の社 会 ,政 治的 機   能 に 関心 を 払 って きた 。 しか し,主 著 [KEDDIE  I972】に お いて も, ア フガ ー ニー が宗 教 を 政   治 的 に 実用 的 に 利用 した点 を 強 調 す る が, 信 者 の 宗 教意 識 宗教 の 受 容形 態 に 関す る分 析 は ほ   とん ど行 なわ れ て いな い 。

11) C・J・Adamsは, Iamic ReousTradion とい う論文 の 中で , 研 究者 が宗 教 を取 り扱   う際 の基 本 的 立 場 を明 らか に して い る [BINDER(d・) 1976:29−95]。

      729

(7)

国立民族学博物館研 究報告  10巻 3号   (, 経 済 的側 面 か ら行 な う12イマ ー ム派 シー ア主 義 研究 は , これ まで 最 も未 開 拓 の 分 野 で あ る。 ス ンニ ー派 の ウ ラマ ー は ,国 家 か ら多 大 な金 銭 的援 助 を 受 けて い た た め,

国 家 か ら独 立 した独 自 の立 場 を堅 持 で きな か った とい わ れ る。 こ れ に対 して , シー ア 派 の ウ ラマ ーは , 一 般 信 者 か らの布 施 や ワ ク フ1管 理 等 々 か らの 収 益 に よ って か な りの 収 入 を 得 る こ とが で きた た め ,経 済 的 に国 家 に対 す る依 存 度 が低 く, 強硬 な態 度 を 維 持 す る こ とが で きた と いわ れ て きた。

  これ ま で ,点 数 は少 な いが ウ ラマ ーの経 済 基 盤 に関 す るい くつ か の 研 究 が 存 在 す る1。 しか し, 実情 を把 握 す るた め に多 くの 困難 が伴 うた め , 実 質 的 な研 究 が行 な わ れ て こな か った。 例 え ば, ワ ク フ につ い て も, 実 際 これ が ウラ マ ー の権 力 の経 済 的 基 盤 と して , そ して そ の結 果 と して 彼 らの社 会 , 政 治 的権 力 の基 盤 と して どれ程 重 要 で あ った か , さ らに , マ シ ュハ ドや コム な ど , イ ラ ン最 大級 の ワ ク フ を持 つ聖 地 に お け る ワ ク フの 管 理状 況 の実 態 等 を 知 る こ とは至 難 の術 で あ り,具 体 的 に は ほ とん ど 明 らか に され て い な い1

  この他 , 信 者 か らの寄 進 や 宗 教 税 の徴 収 , さ らに ウ ラマ ー 自身 が行 な う商 業 活動 等 々 につ いて も不 明瞭 な点 が多 い のが 実状 で あ る。 これ らの 問題 を解 明す るた め に は,

以 上 の経 済 活 動 に関す る フ ァ トワ ー (教令 ) や タ ゥズ ィー フ (aw写距 ,ム ジ ュ タ ヒ ド に よ る法 的 問 題 の解 説 ) 等 を 分 析 し,現 実 の慣 行 と比 較検 討 す る こ とが必 要 で あ る。

  (,第 四 番 目の ア プ ロー チ は, 一般 民衆 , あ る い は信 者 の宗 教 観 ,信 仰 ,宗 教 的 慣 習 の側 面 か ら行 な う もの で あ る。 本 論 は ,基 本 的 に こ の方 法 に基 づ く一 考 察 で あ る。

一 般 の信 者 か ら知 識人 エ リー トに至 る ムス リム の宗 教 観 や 宗 教 的 慣 習 に注 意 を払 うこ と によ って ,彼 らの 歴史 参 加 の動 機 の一 端 を 知 ろ う とす る。

  ム ス リム の宗 教 観 や信 仰 とい う観 点 か ら彼 らの歴 史 参 加 につ い て知 る こ とは ,具 体 12) ワク フ (複数 ア ウカ ー フ) とは , 「停止 」 を 意 味す るア ラ ビア語 で, イス ラー ム法 の用 語 と   して は, 所有 権 移 転 の永 久 停 止 を意 味す る 。一 般 に は, あ る物 件 の 所有 者 が そ の用 益 権 を放 棄   し,そ れ か らの収 益 が最 初 に設 置 され た 目的 に使 用 され て い る 限 り, そ の 処 分権 を も放棄 す る   こ とを 意 味 す る。 主 要 な形 態 と して , イ ス ラー ム寺 院 や 学 院, 病 院 な どを 維持 す るた め の土 地 ,   建物 の寄 進 が あ る。

   イ ラ ンで は , ウラマ ー が この 寄 進 財 の管 財 人 (モ タ ワ ッ リー) と して 任命 され る こ とが多 く,

  管 財人 は ワ クフ収 益 の お よそ 1/10を 報酬 と して 受 け とる こ とが で き た。

13) ア ン ・ラム トンは ,ワク フの 基 本 的性 格 に つ いて 解 説 を行 な ってお り [LAMBToN  l953:230   −237],ま た 別 の著 作 [LAMBToN  1964]に お いて ,  mara alaqhd 制 を ウ ラマー の 経済 基 盤   の問題 を も含 めて 取 り扱 って い る 。 この他 , 宗 教税 ホ ムス を取 り扱 った興 味 深 い論文 と して は,

  Sachedina[980]を参 照 さ れ たい 。

14) ワク フの研 究 に 際 し て は , 12イマ ー ム派 の 法 学 的立 場 を知 る一方 , 様 々な rワ ク フ文 書   (vaqfnameh)」 を 検 討す る こ とに よ って , ワク フ管 理 の実 態 を 知 る こ とが必 要 で あ る。 ワク フ   文書 か ら,直 接 特 定 の ウ ラマ ー の収 入 を 知 る こ とは至 難 で あ る が ,彼 らの経 済 的基盤 を類 推 す   る ことが 可能 とな る 。 この他 , 19世紀 に おけ る個 人 の ワ クフの 管 理状 況 を 知 る文 書 が い くつ か   存 在す る (g.AgAbaddmeh)。 今 後 , これ らの文 書 を 総合 的 に 分析 す る ことが 望 ま れ る。

730

(8)

嶋本  12イマーム派シーア主義に おけるイマーム ・ア リーの位置にっ いて

的 資 料 に 乏 しい た め , 資 料 的 に 裏 づ け る こ と は 極 め て 困 難 で あ る 。 しか し, 一 方 で タ ァ ジ ー エ (受 難 劇 ), バ ス ト (聖 域 に 避 難 す る行 為 )15), 聖 者 崇 拝 (イ マ ー ム や セ ィ エ ド自 身 , あ る い は , 彼 ら の 廟 及 び 縁 の あ る場 所 , 事 物 に 対 す る崇 拝 ) 等 々 , イ ラ ン 人 ム ス リム の 間 に 広 汎 に 流 布 し た (して い る) 慣 習 を 考 察 す る こ と に よ っ て , 又 他 方 で , 知 識 人 の 書 き 残 した 文 書 や 説 教 の 類 を 調 査 す る こ と に よ って , 彼 ら の 宗 教 観 を 知 る こ と が で き る。 そ の 結 果 , ム ス リム が 参 加 した 歴 史 的 運 動 の 背 後 に 種 々雑 多 な 宗 教 的 動 機 が 存 在 し た こ と が 明 らか と な り , 歴 史 の 理 解 が 容 易 に な る と 考 え る 。

  以 上 を ふ ま え て , 具 体 的 に イ ラ ン 「民 衆 」 の 間 で 絶 大 な 人 気 を 誇 り , 尊 崇 の 対 象 と な っ て い る イ マ ー ム ・ア リー を 一 例 と し て 考 察 を 行 な う 。 そ し て , こ の 半 神 格 化 さ れ た 人 物 が , イ ラ ン社 会 の 各 層 の 人 々 に よ っ て ど の よ う に 受 容 さ れ , 解 釈 さ れ て き た か を 探 る こ と に よ っ て , 歴 史 形 成 の 過 程 で ム ス リム の 信 仰 , 宗 教 観 が ど の 程 度 重 要 な 役 割 を 果 た す の か を 提 示 した い 。

  な お 以 下 の 議 論 を 円 滑 に 行 な う手 順 と して , ム ス リム を 次 の よ う に 分 類 す る 。 ム ス リ ム の 分 類

リ ー

一 般 の信 者

a. 神 学 者 , 法 学 者 , 伝 承 学 者 (一 般 に ウ ラ マ ー ), 学 僧 な ど b, 世 俗 的 知 識 人 (イ ン テ リゲ ン チ ア) ム ス リ ム , 世 俗 的 高 等     教 育 を 受 け た 人 々 , 学 生 な ど

高等 教 育 (宗 教 ,世 俗 共 に) を受 けた こ との な い ,比 較 的 俗 信 , 軽 信 に陥 り易 い グル ー プ の人 々

こ の分 類 表 に現 わ れ る 「エ リー ト」 と 「一般 の 信者 」 の 間 に は共 通 部 分 も多 く,必 ず しも厳 密 な もの で は な い。 しか し,両 者 に は宗 教 的 シ ンボ ル に対 す る接 近 の方 法 に お い て, 決 定 的 と もい え る差 異 が存 在す るた め , この 点 に留 意 して 分 類 を 行 な った 。   本 項 の最 後 に 資料 に 関 して付 言 した い。 本 論 の 執 筆 に際 して ,10− 11世 紀 に 記 さ れ

た12イマ ー ム派 シ ーア主 義 確 立 期 の文献 , さ らに同 派 発 展 の一 大 画 期 で あ る17世紀 末 葉 か ら18世 紀 初 頭 以 降 ,現 代 に至 る まで の 長期 に渡 る時 代 に記 され た資 料 を用 いた 。 本論 の取 り扱 う時 代 は基 本 的 に近 ・現代 で あ り,厳 密 な歴 史 記 述 に お い て この よ うな 資 料 の 用 い方 を採 用 す る こ とが ,好 ま し くな い場 合 が多 い。 しか し,初 期 の資 料 が,

現 在 も イ ラ ン宗 教 界 で依 然 と して 重要 な宗 教書 と して読 ま れて い る とい う事 実 に よ っ 15) タ ァジ ー エ につ いて は, 社 会 , 政 治,宗 教 , 救 済 論等 の 立 場 か ら, 数 多 くの 研 究 が可 能 で あ   る 。 例 え ば, Beeman [982]が あ る。 ま た , タ ァジー エ の シナ リオ も多 く存 在す る。 Pe   [1879],Humayini[n.d.]な ど。

バ ス トにつ いて は, そ の 宗教 的意 味 に焦 点 を 当て た 論文 を 近 日発表 の 予定 であ る。

        731

(9)

国立民族学 博物館研究報告  1巻 3号 て , そ れ らは 現 代 的 意 義 を 持 つ と 考 え る こ と が で き る 。 従 って , 本 論 で は ,

に 基 づ い て 資 料 を 用 い た こ と を 銘 記 した い 16)

この前 提

皿 . 本

1.  ア リ ー の 経 歴 と シ ー ア 派 の 起 源

  ア リー ・ b ・ア ビ ー ・タ ー レ ブ は , 600年 17)頃 , ラ ジ ャ ブ 月 13日 に メ ッ カ で 生 ま れ た 。 父 は , ア ビ ー ・タ ー レ ブ と い っ て ,預 言 者 マ ホ メ ッ トの 父 親 と兄 弟 で あ る 。 従 っ て , ア リー と マ ホ メ ッ トは 従 兄 弟 で あ った (表 1, 家 系 図 を 参 照 )。  ま た , ア リ ー の 生 ま れ る 以 前 の こ と で あ る が , マ ホ メ ッ トが 父 母 を 亡 く し孤 児 で あ っ た 時 代 , ア ビ ー

・タ ー レ ブ は 彼 を 引 き取 り育 て た [IBN lSHAQ  l980:79]。 さ ら に重 要 な こ と は , マ ホ メ ッ トが 長 じ て 商 人 と して 成 功 を 収 め た 後 に起 こ っ た 。 つ ま り ,▼ク ラ イ シ ュ 族 が 大 飢 謹 に 襲 わ れ た 時 , ア ビ ー ・タ ー レ ブ は 多 数 の 子 供 を 扶 養 す る こ と が で き な く な り , 預 言 者 に ア リ ー を 引 き取 り養 育 す る よ う依 頼 す る こ と に な っ た の で あ る [IBN ISHA9 1980:114]。 そ の 結 果 , 二 人 の 従 兄 弟 は , 年 令 こ そ 20才 ば か り異 な っ て い た が , ア リ ー は 文 字 通 り マ ホ メ ッ ト と寝 食 を 共 に し て 成 長 した の で あ る18)。 610年 頃 , ア ッ ラ ー

16)本 論で は , 12イ マ ー ム派 シー ア主 義 の教 義 ,神 学 的議 論 , な らび に同 派 の伝承 に 関す る記 述   にお い て ,M ai[n・d.], Shaykh alM ufd [1981,琉 bawayhi[1942】Tabitab5i[1975]な   どを主 に用 い た 。

17) 中近 東 の大 多 数 の 国 々で は , 西暦 622年 を元 年 とす る イス ラー ム暦 (回教 暦 , あ る い は ヒジ   ュ ラ暦 ) を 用 い る。 イ ス ラー ム暦 は太 陰暦 で あ るた め ,我 々の用 い る太 陽暦 とは一 年 の 長 さ が   異 な って い る。

    本論 で は ,特 に明 示 しな い 場合 は西 暦 を用 い た が, 歴 史 叙 述 の慣 例 上 , あ るい は叙 述 の流 れ   か ら必 要 上 イ ス ラー ム暦 を用 い た と こ ろ もあ る。 そ の 場合 は年代 の前 に イス ラーム暦 と 明示 し   た 。

18) 「私 (ア リー) は , 習 慣 的 に夜 も昼 も極 秘 密の う ちに , ア ッラー の使 徒 を訪 れ た もので あ っ   た 。 そ の時 ,彼 は私 の 尋 ねた こ とに答 え て くれ た もので あ る 。 そ して , 私 は彼 の行 くと こ ろな   ら ど こへで も同伴 した もので あ った 。 ア ッラー の教 友 た ちも, 彼 が他 の誰 に 対 して もこ の よ う   に振 る舞 わ な か っな こ とを よ く知 って いる。 そ して , これ (秘 密 の会 話 ) は , しば しば私 の 家   で 行 な われ た 。 私 が彼 の休 息 の場 所 を訪 れた 時 は いつ で も, 彼 は 私 と二 人 き りにな るよ うに手   配 し,彼 の 妻 に座 を はず す よ うに言 った 。 こ う して , 彼 と私 の他 は, 誰 もそ の場 には残 らな か   った 。 そ して , 彼 が秘 か に私 の元 にや って来 る時 は, フ ァーテ ィマ あ るい は私 の 二人 の 息子 の   うち一 方 を 除 いて す べ て の者 に席 を はず させ た 。 そ して質 問 され る と, 私 の質 問 に答 えて くれ   た もので あ った 。私 が沈 黙 を保 ち, 質 問す る こと がな くな って しま った 時 , 彼 は 自 ら語 り始 め   た もので あ る 。 そ の結 果 ,合 法 や 違 法 につ い て, 命 令 や禁 止 , ま た従 順 や 罪過 につ いて , はた   ま た過 去 や 未来 の こ とにつ い て , 何 事 であ れ ,私 にそ れ らを教 え , それ を 読 ませ , 書 き留 め さ   せ た 。 そ して ま た, 私 自身 の手 で 書 き留 め られ る こ とな く, コー ラ ンの章 句 が預 言 者 に啓 示 さ   れ た り, ア ッラー によ って 教 え が下 る こ とはな か った。 彼 は 私 にそ の 真 実 の意 味 (aW1)や ,   明 らかな 意 味 と 隠 され た 意 味 (羅訪 i b5tn)に つ い て 教 えて くれ た もの で あ った 。 そ して ,   私 は そ れを 記 憶 に 留 め, そ の 一 字一 句 す ら忘 れ る こ とは な か った の であ る。」 [BλBAWAYHi   l942:122−123

732

(10)

嶋 本   12イマ ー ム 派 シ ー ア主 義 に お け る イ マ ー ム ・ア リー の位 置に つ い て 表 1 、預 言 者 マ ホ メ ッ トと ア リー の系 図

A.H ・は イ ス ラ ー ム 暦 を 表 わ す 。

出 典 :[M ASHKUR  n・d.] に よ る 。

の 神 か ら お 告 げ を 受 け た マ ホ メ ッ トは , や が て 宣 教 を 開 始 す る。 新 し い 教 え に つ い て 間 近 で 聞 い た と 推 察 さ れ る ア リ ー 信 , 一 足 早 くそ の 教 え を 受 け 入 れ た 。 彼 は , 男 子 で 最 も 早 くイ ス ラ ー ム 教 徒 に な っ た 人 物 で あ る と言 わ れ て い る (因 み に , 最 初 の 女 子 ム ス リ ム は , マ ホ メ ッ トの 妻 ハ デ ィ ー ジ ャで あ る )。  こ の 時 , ア リー は わ ず か 10才 で あ っ た 。

  ヒ ジ ュ ラ (622年 )以 降 , ア リー は イ ス ラ ー ム の 戦 士 と し て 多 くの 戦 い で 武 名 を 轟 か せ た 。 イ ス ラ ー ム 暦 2年 , ラ マ ザ ー ン月 の パ ドル の 戦 い , イ ス ラ ー ム暦 3年 , シ ャ ヴ ァ ー ル 月 の ウ フ ドの 戦 い , イ ス ラ ー ム 暦 5年 , ハ ンダ ク の 戦 い , さ ら に イ ス ラ ー ム 暦 7年 , カ イ バ ル の 戦 い 等 に お け る 彼 の 活 躍 は , 後 代 様 々 な 神 話 的 物 語 を 生 み 出 し , 多 数 の 信 者 に 偉 大 な る武 人 ア リー の イ メ ー ジ を 作 り 出 す こ と に な っ た 19)

9) イ ラ ン人 の 間 で, ア リー は フ ェル ドゥー ス ィ ーの 『王 書 』 の主 人 公 , ロス タ ムに比 較 され る   よ うで あ る。 例 え ば , シ ャ リア テ ィー の著 作 の 一つ [SHARrATr  n・d・1:9】に これ を示 唆 す る  発 言 が 記 録 ざれ て い る。

      733

(11)

        国立民族学博物館研究報告  10巻 3号   さ ら に , ア リ ー と マ ホ メ ッ トの 関 係 に お い て 重 要 な 事 件 は , イ ス ラ ー ム暦 2年 に お

け る , 預 言 者 の 娘 フ ァ ー テ ィ マ と の 結 婚 で あ る。 ア リー 21才 , フ ァ ー テ ィ マ 15才 の 時 で あ っ た 。 こ の よ う に , ア リー は , 預 言 者 の 家 系 で あ る ハ ー シ ム 家 に 属 す る ば か り で な く , 彼 の 従 兄 弟 で あ り , 養 子 , しか も女 婿 で あ っ た た め , マ ホ メ ッ トと 非 常 に 親 密 な 関 係 を 持 っ て い た 。 や が て , 彼 の 従 者 の 間 で は , こ の 特 異 な 位 置 と彼 の 人 格 に 対 す る熱 烈 な 支 持 と 崇 拝 の 感 情 が 生 ま れ て き た 。 こ れ が 一 層 鮮 明 に , しか も 血 生 臭 い 党 派 聞 の 争 い と して 表 面 に 現 わ れ る の は , 預 言 者 の 没 年 632年 以 降 の こ と で あ っ た 。   シ ー ア 派 の 運 動 の 発 端 は , 預 言 者 マ ホ メ ッ ト亡 き後 , ア ラ ブ 人 ム ス リ ム の 間 で 生 じ

た 後 継 者 を め ぐ る宗 教 , 政 治 的 闘 争 で あ っ た 。 マ ホ メ ッ トの 没 後 , ウ ンマ 信 者 の 共 同 体 ) は , 最 も偉 大 な 指 導 者 を 失 い , 困 難 の 極 地 に 達 した 。 ウ ン マ に と っ て , 新 し い 後 継 者 を 見 い 出 す こ と が 急 務 で あ っ た 。 こ の 状 況 下 に あ っ て , 既 に 述 べ た 理 由 か ら , ア リ ー は , こ と 家 系 と血 統 に 関 す る 限 り , マ ホ メ ッ トの 後 継 者 と して 最 有 資 格 者 で あ っ た 。

  し か も , シ ー ア 派 信 者 の 間 で は , マ ホ メ ッ ト自 身 が , 生 前 に ア リ ー を 後 継 者 に 任 命 して い た と い う伝 承 が 固 く信 じ られ て い た (後 述 )。 い ず れ に せ よ , 預 言 者 の 後 継 者 は , ハ ー シ ム 家 の 者 で な くて は な らな い と信 じ る 少 数 の 人 々 は , ア リー が ま さ に そ の 人 物 で あ る と主 張 し た の で あ る 。 こ の 一 団 の 人 々 は , シ ー ア トア リ ー (ア リー の 一 党 )

と呼 ば れ た 。 こ れ ま で 使 用 して き た シ ー ア 派 の 語 の 起 源 は こ こ に あ る 。

  しか し, 実 際 に マ ホ メ ッ トの 後 継 者 (カ リフ K hala) に 選 出 さ れ た の は , ム ス リ ム 共 同 体 の 長 老 ア ブ ー ・バ ク ル 632− 634) で あ っ た 。 彼 の 死 後 は , ウ マ ル (− 644),

ウ ス マ ー ン (− 656) が 相 次 い で カ リ フ に 任 命 さ れ , よ う や く ア リ ー が カ リ フ の 地 位 に 即 い た の は , マ ホ メ ッ トの死 後 20年 以 上 も経 過 した 656年 の こ と にす ぎ な い 。   しか も , こ の カ リ フ任 命 す ら順 調 に行 な わ れ た わ け で は な か っ た の で , 5年 足 らず

の 彼 の 統 治 期 間 は , 安 定 を 欠 い た 相 次 ぐ 内 乱 の 時 代 で あ っ た 。 と り わ け , ウ マ ィ ア 家 と の 権 力 闘 争 は 熾 烈 で あ っ た 。 しか し, ア リー の 同 家 に 対 す る 対 応 の し方 が 徹 底 し な か っ た た め , 一 部 の 者 が 彼 の 陣 営 か ら 離 脱 し た (ハ ー レ ジ ー 派 , K hwarijites (E))。

こ の 離 脱 事 件 は , 後 に 彼 の 暗 殺 へ と つ な が る の で あ る 。

  661年 , ラマ ザ ー ン月 18日 , ア リー は , ク ー フ ァ に あ る モ ス ク で 朝 の 礼 拝 を 行 な う た め に そ こ へ 向 か っ た 。 そ して , そ こ で 彼 を 暗 殺 す る た め に 待 ち 受 け て い た ハ ー レ ジ ー 派 の 刺 客 イ ブ ン ・ム ル ジ ェ ム (A bd alR ahm an b. M ulem  al−M aradi)の 凶 刃 に 驚 れ た の で あ る。 ア リー は , こ の 後 数 日 間 生 と 死 の 間 を さ 迷 うが , 同 月 21日 , つ い に 他 界 した 。 彼 の 遺 体 は , 遺 言 に 従 っ て ク ー フ ァか ら程 近 い ナ ジ ャ フ に 埋 葬 さ れ た 。 こ

73

(12)

嶋 本   12イ マ ー ム派 シ ー ア主 義 に お け る イ マー ム ・ア リー の位 置に っ い て

の 地 は , そ れ 以 来 今 日 に 至 る ま で , サ ー マ ッ ラ , カ ー ゼ マ イ ン , ケ ル ベ ラ ー等 の 聖 地 と 並 ん で シ ー ア 派 の 学 問 の 中 心 地 と して , ま た 巡 礼 地 と して 多 くの 信 者 に 崇 め られ て き た の で あ る。

  以 上 で 述 べ た シ ー ア 派 の 運 動 は , そ の 後 紆 余 曲 折 を 経 て 様 々 な 分 派 が 生 じ る こ と に な る 。 そ の 中 で 現 在 最 大 の グ ル ー プ が 12イ マ ー ム シ ー ア 派 で あ る 20

  と こ ろ で , シ ー ア 派 の 運 動 は 元 来 ア ラ ブ 人 ム ス リム の 間 に お け る宗 教 , 政 治 闘 争 に 端 を 発 す る と述 べ た が , こ こ で こ の イ ス ラ ー ム の一 派 と イ ラ ン と の結 び つ き に つ い て 少 し触 れ る 必 要 が あ る。 イ ラ ン が イ ス ラ ー ム 化 さ れ た の は , 7世 紀 の 末 葉 で あ る が , 14〜 15世 紀 に至 る ま で イ ラ ン 人 の 大 半 は ス ン ニ ー 派 に属 し て い た 。 しか し , サ フ ァ ヴ ィ ー 朝 (1501− 1722) の 成 立 と 同 王 朝 の 宗 教 , 政 治 政 策 に よ っ て 12イ マ ー ム 派 が 国 教 に 制 定 さ れ る こ と に な り , イ ラ ン と 同 派 の 結 び つ き は 決 定 的 に な った 。 以 来 , イ ラ ン で は イ ス ラ ー ム共 和 制 体 制 の 今 日 に 至 る ま で , 12イ マ ー ム 派 シ ー ア 主 義 が 国 教 の 位 置 を 占 め て い る 。

  さ ら に イ ス ラ ー ム と イ ラ ン の 結 び つ き に 関 し て 非 常 に興 味 深 い こ と は , す で に ブ ワ イ 朝 (932− 1062) に お い て , ア リー の 息 子 ホ セ イ ン (厳 密 に は , 預 言 者 マ ホ メ ッ ト の 娘 フ ァ ー テ ィ マ か ら生 ま れ た 第 二 児 ) と イ ラ ン の サ ー サ ー ン 王 朝 (226− 642) の 最 後 の 王 ヤ ズ デ ギ ル ド 皿世 の 娘 が 結 婚 して , そ の 結 果 四 代 目 イ マ ー ム が 生 ま れ た と い う 考 え が 存 在 し た こ と で あ る 21)。 つ ま り , こ の 時 以 後 の イ マ ー ム に は , 預 言 者 の 家 系 の 血 と イ ラ ン王 家 の 血 と が 相 混 じ る こ と に な っ た と い う の で あ る 。 こ の 考 え は , 現 在 で も イ ラ ン人 ム ス リ ム の 間 で 真 実 と して 巾 広 く信 じ られ て い る 。 こ の よ う に , イ ス ラ

ー ム の イ ラ ン 的 解 釈 が 行 な わ れ て き た の で あ る

  上 述 した ア リー の 経 歴 と シ ー ア 派 発 生 の 経 緯 に つ い て の 説 明 か ら, 何 故 に 12イ マ ー ム 派 の 学 者 た ち が 異 常 な ま で に初 代 イ マ ー ム ・ア リー の 特 異 な 位 置 を 強 調 して き た か 首 肯 で き る 。 そ し て , 彼 が預 言 者 マ ホ メ ッ トの 直 接 の 後 継 者 で あ り , 信 者 の 政 治 , 社 会 的 指 導 者 で あ る ば か り で な く, 霊 的 指 導 者 で あ る と い う主 張 は , ウ ラ マ ー の 著 述 の

中 心 を 占 め て き た の で あ る。

  宗 教 学 者 た ち の こ の 熱 意 は , 単 に 彼 ら の 机 上 の 空 論 , 高 題 な 知 的 遊 戯 に 終 っ た の で は な い 。 彼 ら の 思 索 と体 系 化 の成 果 は , 彼 ら 自 身 の 説 教 や 職 業 的 説 教 僧 (V a eの の 説

20) シ ー ア 派 全 体 の そ の 後 の 発 展 史 に 関 し て は , M ahktr [n.d.] や ,  D. Donaldson [1933]   Rihard [1980]な ど を 参 照 さ れ た い 。

21) ク ミ ー は , ホ セ イ ン と ヤ ズ デ ギ ル ドの 娘 , シ ャ フ ル バ ー ヌ ー イ ェ と の 間 に 生 ま れ た ア リー ・   ア ク バ ル (Al Akbar) が , ケ ル ベ ラ ー で 殺 害 さ れ た と い う一 般 の 人 々 の 考 え は 誤 って い る と   述 べ て い る 。 こ の よ う に , 二 入 の 結 婚 は 自 明 の こ と と して 取 り 扱 わ れ て い る の で あ る Q PMMf   n.d。:195−196]

735

(13)

                              国立民族学博物館研究報告  巻 3号 教 等 を通 して, よ り教 育 レベ ル の低 い人 々に対 して 彼 らが 理解 し易 い用 語 を 用 い て伝 え られ て きた。 そ の 一 方 で ,一 般 信 者 の俗 信 や土 着 信 仰 が ウ ラマ ー の解 釈 に逆投 影 さ れ 影 響 力 を与 え るな ど, 複雑 な様 相 を呈 しな が ら, ア リーは ム ス リム の間 で 受 け留 め

られ て きた ので あ る。

  そ こで , この ア リー につ い て ム ス リムが 具体 的 に どの よ う に受 け留 めて きた の か , 先 に行 な った分 類 に従 って検 討 を加 え る こ と にす る。

2. 宗 教 的 エ リ ー ト (神 学 者 , 伝 承 学 者 等 ) に よ る         イ マ ー ム ・ ア リ ー 像 (① 一 a )

  既 述 の よ う に , シ ー ア主 義 が 存 在 す る こ と の 根 本 は , ア リー ・ b ・ア ビ ー ・タ ー レ ブ が 預 言 者 マ ホ メ ッ トか ら 直 接 ,公 然 と 後 継 者 と して の 承 認 を 受 け た か (na蹄 e jalh),

あ る い は , 暗 黙 の う ち に 承 認 を 受 け た か (na蹄 e khaf五), そ の い ず れ に せ よ , こ の 承 認 に 対 す る絶 対 的 信 仰 で あ る 。 従 っ て , 神 学 者 や 伝 承 学 者 た ち が , 並 々 な らず こ の 点 に 注 意 を 払 っ て き た こ と に は十 分 な 根 拠 が あ る 。 シ ー ア 派 の ウ ラ マ ー に と っ て , ア リ ー が 預 言 者 の 後 継 者 で あ り , 信 者 の 霊 的 指 導 者 で あ る こ と を 証 明 す る こ と は , 実 に 死 活 の 問 題 で あ っ た と言 っ て も 過 言 で は な い 。 こ う し て , ウ ラマ ー の 著 作 の 中 で 「イ マ ー ム 論 」 が 最 も重 要 な 部 分 を 占 め る こ と が 理 解 さ れ , 普 通 そ れ は 次 の 項 目 に つ い て 行 な わ れ る :

  () イ マ ー ム が 存 在 す る こ と の 必 然 性 , 不 可 避 牲 に つ い て 。 イ マ ー ム で あ る た め の   諸 条 件 。

  (2) ア リ ー は , 紛 れ もな くマ ホ メ ッ トか ら直 接 後 継 者 と して の 承 認 を 得 た 。   (3) (の 事 実 に も か か わ らず , 偽 善 者 た ち (m unafeqan) が こ れ を 無 視 し た こ と に   対 す る 批 難 と攻 撃 。

  (4) ア リ ー以 下 12名 の イ マ ー ム の 業 績 , 奇 跡 に 関 す る伝 承 , 並 び に そ の 解 説 。   (5) 12代 目 『隠 れ イ マ ー ム 』の 再 臨 と そ れ に 伴 う公 正 (adl)の 到 来 と 不 正 (ulm )22   の 克 服 。 信 者 た ち の 救 済 。

  (3)及 び (5)は , 本 論 の 主 題 と は 直 接 関 係 が な い の で , (1), (2)及 び (4)に つ い て 具 体 的 に 22) イ ランの 12イ マ ー ム派 シー ア主 義を 論 じる場 合 , ア ドル (adl・公 正 ) の 問題 は 極 め て 重要   で あ る。 12代 目イ マ ー・ム は ,世 の 終焉 に際 して, 公正 と公 平 (ens5f)を もた ら し,信 者 を救 済   す る と信 じ られ て い る。 さ らに, 共 同体 の 指導 者 ,統 治 者 に 求 め られ た最 大 の徳 は公 正 で あ り,

  そ の 逆が 不正 (gulm>で あ った。 後代 , 同 派 の理 論 にお い て ,公 正 の 名 の下 に不正 な統 治者 を   取 り除 くこ とが正 当化 され るよ うにな る 。

    ア ドル は , イ ラン史 にお け る宗 教 , 社 会 ,政 治 の 問題 を取 り扱 う際 不可 欠 の概 念 であ るの で,

  そ の社 会 , 宗教 的 意 味 につ い て 稿 を改 め論 じる予定 で あ る 。 な お, 公正 の主 と して社 会 , 政 治   的 意 味, 役 割 につ いて は ,拙 稿 [嶋本   1981]を参 照 され た い 。

736

(14)

嶋 本   12イ マー ム 派 シ ー ア主 義 に お け る イマ ー ム ・ア リー の 位 置 につ い て

論 じ る こ と に す る 。

  現 代 イ ラ ン の 哲 学 者 で神 学 者 , タ バ ー タ バ ー イ ー (A lam a Sayyid M ubam m ad 耳 usain T abatab乱1) は , イ マ ー ム が 存 在 し な くて は な ら な い 理 由 を 次 の よ う に説 明

し て い る 。

「人 間 と い う も の は ,神 か ら授 け られ た 性 格 上 , 組 織 さ れ た 統 合 体 , 例 え ば 国 や 町 , 村 , 部 族 等 々 に お い て , 指 導 者 が い な け れ ば 成 ら立 た な い こ と を 知 っ て い る。 イ ス ラ

ー ム の 宗 教 も ま た 社 会 的 な宗 教 で あ る か ら, 神 御 自身 も預 言 者 も 社 会 集 団 と そ の 指 導 者 , 及 び そ の 後 継 者 の 問 題 に 対 し て 大 い な る 関 心 を 持 っ て い た 。 こ の よ う な わ け で , イ ス ラ ー ム 共 同 体 に と っ て 指 導 者 (イ マ ー ム ) は 必 ず 存 在 し な け れ ば な らず , 紛 れ も な く,マ ホ メ ッ トは 自 ら の 後 継 者 と して ア リー を 任 命 した の で あ る 」 と 。[TAB且TABλ i

l975:174−75]

  ま た マ ジ ュ リス ィ ー (A lam a M uham m ad Baqer b. M uham m ad Taqi M ajl は , 次 の よ う に 説 明 し て い る 。 [M AJu s  n.d.:41]

  イ マ ー ム と は , ウ ンマ の 政 治 , 宗 教 の み な らず , あ ら ゆ る 問 題 に 関 す る 指 導 者

m uqtava,pihva)で あ り , 預 言 者 の 代 理 (niyabat),及 び 後 継 者 (janeshini) と し て の 機 能 を 果 た す 。 イ マ ー ム が 存 在 しな くて は な ら な い 理 由 は 1信 者 の 共 同 体 は 常 に 過 誤 を 犯 す 傾 向 が あ る の で , こ れ を 矯 正 す る 必 要 が あ る た め で あ り , イ マ ー ム が シ ー ア 派 の 共 同 体 に 送 られ て い る の は 神 の 恵 み で あ る , と。 そ して , イ マ ー ム で あ る た め の 資 格 に 関 し て , 細 目 に渡 る 条 件 が 述 べ られ て い る 。 そ れ ら の 中 で 最 も 重 要 な も の は :

  (1) イ マ ー ム は , 信 者 共 同 体 の す べ て の こ と に つ い て 最 も よ く知 っ て い る , 最 も 学   識 の あ る者 (afzal)で な く て は な らな い ,

  (2) イ マ ー ム は , 預 言 者 同 様 無 謬 性 (ism at)を 持 っ て い る こ と ,   (3) 彼 は , ハ ー シ ム 家 の 者 で な くて は な ら な い , な ど で あ る 。

  こ の 他 に , 勇 敢 で あ る こ と (huja at), 完 全 な る 資 質 (Sefate kam el)を 保 持 し , 勇 気 , 寛 容 (ekhavat), 男 ら しさ (m uravvat), 慈 愛 (karm )を 持 っ て い る こ と, さ ら に盲 や 癩 病 な ど 肉 体 的 欠 陥 が な い こ と , ま た 嫉 妬 心 (kakhal)や 貧 欲 (hers) そ の 他 の 性 格 的 欠 陥 が な い こ と , そ し て 奇 跡 を 行 な う 能 力 が あ る こ と な ど が イ マ ー ム で あ る 条 件 と して 列 挙 さ れ て い る 。

  以 上 の 諸 条 件 を 備 え た イ マ ー ム が , 12イ マ ー ム 派 で は 12名 い る わ け で あ る が , そ の 初 代 目 が い う ま で も な く ア リ ー な の で あ る 。 従 っ て , 第 (2)点 の ア リ ー が , 神 及 び マ ホ メ ッ トか ら後 継 者 と して の 任 命 を 受 け た 紛 れ も な い 信 者 共 同 体 の 指 導 者 で あ る こ と を 737

表 2 ア リ ー の 家 系 図

参照

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