奈良教育大学学術リポジトリNEAR
集団づくりの発展と集団像
著者 永田 陸郎
雑誌名 奈良学芸大学紀要. 人文・社会科学
巻 12
ページ 104‑126
発行年 1964‑02‑29
その他のタイトル THE DEVELOPMENT OF GROUP‑MAKING AND THE GROUP‑IMAGE
URL http://hdl.handle.net/10105/3470
集団づ く り の発展 と 集団像
永 田 陸 郎
(教 育 学 教 室)
1 課 題
戦後教育史のきわだった特色の一つは、その著しい子どもの集団への接近であろう。新教育成 立以来、ガイダンス、特別教育活動、生活綴万教育による集団形成、仲間づくり、集団主義教育 など、さまざまのイメージをもち、それぞれに異なる願いをこめて集団づくりがなされてきたこ とは普く知られるところである。「子どもの集団」をどう育てるかということは、子どもの主体 性をどのように見、どう把えていくかの問題にゆきつかざるを得ない。旧国民教育といえども、
(1)
子どもの「主観的主体」までも埋没圧殺されることは、それが近代日本の公教育である限りはな かったといってよい。しかし戦後では、新教育のもとで、自発性豊かで社会性のある主体として 子どもは期待されるに至った。しかしながら、人間尊重をうたう新教育も、子どもの「全体的自
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覚的主体」化にどうせまるかの問題に直面せざるを得ない歴史的社会的現実において、近代個体 と現代的個体の矛盾、さらにそこにからみついている前近代的個性との矛盾の波涛の中におかれ つつある。今日の段階では「生活訓練と生活指導との矛盾対立関係が菟服され、生活指導の原理 に立って学校集団の体制的条件をかくとくする可能性が現実化する」という、戦前になかった明
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るさが萌してきている。しかしその半面では、戦前の修身科の廃止にも拘らず、生活と教師のメ ンタリティとしての修身科と旧観念主義的訓練の残存、戦前の部分的実践における「自学、自 治」ないし「集団自治」をとおす生活訓練のいっそうの発展、そのようなものとして特別教育活 動などの全国的展開が見られる中で、実質における、新しい観念主義の生活訓練ないし集団づく りが展開されている。このような明るさと暗さという表現をこえる矛盾対立は、現に、それが戦 前かってなかったほどの国民運動の一環としての国民教育運動の戦後における高まりに集約きれ 今日、教育は、様々の次元における、従って文教政策から、日常の教育実践におけるたたかいの
:様相を示しつつある。
しかしながらこのような集団づくりをとりかこむ教育実践における矛盾対立、その本源として の体制的矛盾対立は、単に学校をとりまく二大陣営のたたかいに過ぎないものではなく、ひとり
・ひとりの教師とその集団、学校組織、ひとりひとりの子どもとその集団内部の矛盾として現存し ひとりひとりの教師、父母、子どもの悩み、それら諸集団の分裂抗争として頗在化しつつ、体制 的矛盾は、それらを貫徹せずにはいない。従ってここでわれわれが求める集団づくりの実践と理 論は、それらの現象の奥にひそむ体制的矛盾の本質に立ちかえって、矛盾克服をおしすすめうる ものとして求めるのであり、このような意味で、集団づくりを、歴史的課題達成の主体を支える もの、すなわち一筋の思想として把握しようとするものに外ならない。単にあれこれの集団づく りの方法技術を知り、駆馳するためというのではなく、歴史的現実に立ち、全体的自覚的主体と
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して、どのような社会と人間をのぞみ、それを現実的具体的に、教育の道をとおしてどのように 達成するのか、そのような思想、目的意識、方法意識に立って集団づくりを追求しようというの である。この道こそ現代教育実践の課題であり、そのような質をもったものとして教育の科学的 追求をはかろうとする意図に立っている。大きいテーマとしては、まず第一に、わが国近代史に おける、戦前と戦後の集団づくりの発展、第二に、このような中で現実に根をおろしつつある集 団づくりの集団像を究明しようと思う。
2 戦前における集団づくりの発展
戦前の生活指導実践とその系譜をたどるとき、およそ次の如き類型を見出しえよう。(1)伝統的 学校訓練型、(2)生活訓練型(しつけ、自治訓練)、(3)生活綴方教育型(前期生活主義綴万、前期 生活綴万、後期生活綴万)、(4)組織的協働自治訓練型。さて(1)わが国近代教育を大きく枠づけた 伝統的学校訓練型はどのような性格をもっていたろうか。そこには明治以釆の教育理論の一大支 柱になった、歪曲されたヘルバルト訓練論が、修身教育強化のために適用されており、ヘルバルト 派がその上に立っていた新人文主義の伝統と、絶対主義の要請としての観念的徳目主義との結合 がみられる。子どもたちは、部分的には新人文主義の伝統、全体的には絶対主義の要請をうけい れ、結局は校風振起のため、校紀校憲、訓練要目の外的行動的な遵守者とみなされる。(2)生活訓 練型は二つに分けられうる。支配的な、観念的徳目主義的学校訓練状況の中で、第一次新教育運 動の影響をうけて、教師は教壇をおりて子どもの中にたちいって生活訓練をなすべきではないか という主張があらわれている。その中で用「教師が‥・直接に子どもの具体的な行動にふれながら
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直接的に訓練をはかる」べきであるとする主張がある。このばあいそれは修身教授の外側での修 身の徹底、即ち徳目人物をよりどころとして実践実行を指導するものであってまさに「しつけ
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型」生活訓練といわるべきであろう。(ロにれに対して千葉師範の手塚岸衛の「自由教育真義」に
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おける「自治訓練」、奈良女高師の岩瀬六郎の「生活修身原論」における学級自治会の方法は、
仰の如く子どもの行動の、教師による直接管理ではなく、子どもの集団的自治を媒介する。「自 治自修」における如く自学と併せていわれる伝統的個人的自修、ないし自分のことは自分でする
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式の個人的自治ではなく、子どもたちが「相互に白治しあう」とか、生活修身即学級集団の自主 的問題解決行動とする立場に立つのである。これらは確かに教師の教権による生活行動の直接支 配をまのがれてはいるが、生活規範そのものが、生活修身のばあい、国体観念を基底にしており また手塚のばあい団体自治における多数決原理の難点を克服したものではなく、集団自治の形式 での、子どもの間接支配に晴いることなまのがれがたい。(3)生活綴万教育型、大正期既に「表現
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指導を付随的なものとし、生活指導を基本的なものとする綴方教育の考えかた」が提出されてい るが、第一次新教育運動のなかで、生活指導の概念は、単なる綴り方のわくをこえて、教育の一 般的基本的概念として深められてくる。しかもこのような生活指導概念の深化するなかで、逆に 綴方教育の独自の任務の自覚も深められてくる。(イ)千葉春雄が形式的学校訓練や「修身的立場に
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おける生活指導」に対置させて自らの立場を「生活させる疲方指導」としたものは、生活指導と 綴万教育の相互媒介による自覚の深化に立ち、いわば生活指導概念の綴方教育を軸とした再組織 再編成に外ならなかった。彼は、綴方を通しての生活指導の独自のしごとを、「自己の心境を他 人の行為でも見ながら、その行為を理解し批判し共感できるように自己のそうした第三者の立場
から取扱う態度をつくることが生活指導の眼目」として把えるのである。すなわち、綴方教育は 自他を含めたひとりひとりのなかまの生き方、考え方行い方、即ち態度を、より客観的なものと して把えさせると共に、それらをその基底における人間的なものとして育てていくところに、そ の独自のの役割を見出しているのである。回同じ態度形成論としての生活綴万教育のなかから、
単なる自由な表現による態度形成を、表現の自由の体制的条件の要求、さらにそれにも拘らず厳 存する体制的環境的制約とともに自覚することから、態度そのものを、環境的制約に変革的に働
きかける主体的条件をも包摂して考える力動的で目的志向的な生き方と態度にまで深める北方教 育運動が現われるのである。これは、千葉春雄等に見られる子どものありのままの自然、「個を 通して個とのつながりの社会性、集団性という展開を、子どもじしんにみつめさせ、表現させる ものとしての前期生活主義の立場をこえている」。そこには「自然主義リアリズム」から「生産 主義リアリズム」の綴方教育、佐々木昂の「自然発生的なありのままから次第に目的意識的であ
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り、目的意識的であるが故に一段と克明であるという高次の関連」を求める綴方教育への発展が みられる。それはいうまでもなく、綴方教育の内での発展があるが、ここでの綴方は、子どもの 帯皮を中軸とする生活の発展、とりわけ生産点に接する生活の発展を目的としている。即ち北方 的綴方教育の自覚は、子どもの生活態度、環境に変革的に働きかける目的意識的で、実践的な生 活認識に責任を負おうとする新たな綴方教育の自覚にはかならないし、むしろそのような意味で 生活教育に外ならない。ところで北方教育に参加した教師たちが異口同音に、北方的生活台にお ける生活惨苦のなかでの集団的組織的人間像をめざしていることは、その著しい特徴といえる。
このような北方的生活綴万教育を、集団的個性の教育との関係で、どう把えたらよいかという問 題がある。この点に関して宮坂哲文は、「生活綴方教育と北方教育とは、げんみつには概念をこ とにしているのではないかと思う。生活綴方の側からみれば、北方教育の段階ではじめて地域の 生活台に立つ子どもの生活意欲と生活知性を育てるという生活綴万として、もっとも高度な立場 に到達したといえるだろう。しかし北方教育という概念からすれば、それは未解決な課題を残し それじたいの理論と方法とを確立するにいたらなかったものとみることができるように思われ
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る。」このようにして「北方教育がのこした課題を念頭において、われわれがこんにらの集団づ くりの理論と実践を展望してみるとき、こんにらのいわゆる集団主義的諸実践をふくむ集団づく りの教育こそ、北方教育がのこした実践的ならびに理論的課題をはじめて本格的に達成しようと しているものであることに想到する」という把握がなされる。このような北方教育の現代的把握
(12)
は、戦前における生活綴万と集団主義の関係の問塩把握につらなるのである。(4)組織的協同自治 型、それは一万では既にのべた手塚岸衛の自活訓練、奈良の生活修身のもつ生活訓練としての消 極面を脱し、他方で生活綴方の北方教育への脱皮の中でその自覚に達した集団主義的人間像の積 極面をとりこみ、集団づくりの教育を、端緒的ながら一個の体系として育てつつ、「組織的協同 自治」をめざす集団主義的教育がわずかながら公教育のノ内外におこなわれたことを意味する。そ れは大衆の生活が愈々暗さを加えていった時代、わが国が一路大戦へと急ぐかまえをうちに蔵し っっあった時代の出来事であった。鈴木道太は宮城県荒浜小学校で自分の集団主義的教育の実践 を記録しており、それは少くとも公教育のわく内で行われたという事実がある。彼はそこで既に 集団主義のことばを用い、個人主義をふりきった抵抗力のある強い集団組織の育成をめざしてい るのである。また野村芳兵衛は、東京池袋の児童の村小学校という私学のなかで、同じく昭和七 年には、彼の前期の実践における子どもの解放の観念性から脱して、現実に立った解放の教育と
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して、集団主義的「協働自治」の規律の教育を提唱している。そこには観念的生活訓練から科学 的生活訓練へ、そして「内的必然が外的必然を統制して行くための科学的認識力と組織的協働力
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とを与えることこそ、最も進歩せる生活訓練」とする集団主義的教育の基本原理がみごとに把え られている。
ここでひとまず、戦前における以上の全体を通観することも無意味ではなかろう。戦前では、
生活指導とそれに即する集団づくりは、自らと似て非なる質の実質をもった教育との、潜在的顕 在的同居という形をとりながら、現実的には、公教育体制の中では、伝統的学校訓練が主軸とな り、部分的に生活訓練と生活指導との矛盾対立が顕在化がきれてきたといえよう。①わが近代公 教育体制の確立以釆をめどにしていえば、時代的にみて、かなり早く明治中期から、修身教授に 対応する伝統的学校訓練が成立し連続し、敗戦前には高度国防国家体制における思想国防、皇国民 錬成のしつけ型学校訓練が存立した。⑨中間には、一方に第一次新教育運動の影響のもとに、子 どもの生活の直接訓練、奈良の生活修身にみられる生活訓練が、部分的にはある程度、伝統的学 校訓練を弱める力として働き、他方、これにたいして生活の危機を反映して生活綴万教育に立つ 生活指導、集団づくりが、自覚的に深められていった。しかし両者が公教育の伝統的訓練をまき
こんでゆるがす程のものにはならなかった。このようななかで生活綴方教育の中から北方的生活 教育運動があらわれるが、そこで自覚化された集団主義的個性の人間教育は、その日的像の自覚 に止まり、集団主義的方法体系への課題をひそませていたに止まる。③このようななかで、全体 主義体制の強化、それに対応する、高度国防国家、思想国防国家の要請のもとに、一方では、思 想善導、時局認識の教育と「身体や行動や種的感情、すなわち単に自然的な旺盛こそが教育の目
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的ときれ」る自然的衝動的な教育方法の強制がめだつ。生死、公私の統一としてたかめられた忠
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誠ないし「城死的集団感情」の教育が、実は「一つの信念より一直線に発動してくる行動力の旺
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盛」さへの反知性的身体的集団訓練と結びつくという矛盾におかれる。きびしい抑圧・弾圧の中で も矛盾は現われる必然性をもっていた。滅私奉公、身体的衝動的集団訓練の裏側で、科学的認識 力と集団組織力の統一的発展としての規律の教育、集団主義教育は、ききやかな灯をかかげた。
以上を要するに、始めには、伝統的観念注入とそれに相対応する干渉主義行動訓練、中程には、
適応主義的生活訓練と、生活認識と真実のなかまづくりとしての綴方的生活指導の矛盾対立、後 程には、思想国防の一環としての皇国民教育、衝動的身体的集団性の教育と、科学的認識力と組 織的能力の統一としての集団主義教育との矛盾がある。支配的教育が矛盾的対立者の全面的抑圧 体制となりきったときそれが敗戦への過程となってしまった。
3 戦後における集団づくりの発展
戦後における「子どもの集団」への教育的接近の特色を、まず概観することが便宜であろう。
第一に、天皇制の廃止の中で、独占資本主義のむきだしの成長とその高度化がみられ、それに対 応して労資の公然たる対立の激化が教育をゆるがすという現象が注目される。そこでは教育に おける教化主義から、適応主義ないし集団主義的接近への移行が顕著なものとされる。第二に、
生活指導概念の、極小化と極大化の概念拡張が頭著となる。生活指導は、一万で個人指導とし てのカウンセラーのしごとにされるかと思うと、他方で教育改革運動、学校改革運動にまで拡 げられている。第三に、戦後生活指導史全体が、集団づくりの時代といわれる程にまで、集団づ
くりが多様化されるだけでなく、集団そのものの性格に着目し、方法主義、技術主義の集団づく りを克服し、国民的志向に根ざした集団づくり概念が成立するに至った。第四に、生活指導概念 におけるその実践形態としての多様な概念の成立がみられる。戦後の生活指導の実践形態からみ た発展は、およそ次の如くいえるであろう。ガイダンス、特別教育活働、生活綴万的生活指導、
学級づくり、特設遺徳に対応する生活訓練、集団主義的教育である。以下夫々について簡単にふ れよう。
戦後の学校教育は、アメリカの占領下において、教師中心の教育から、児童中心の生活指導と 学習指導の教育への転換がみられる。このことは一面で、学習にも、生活にもその指導に、ガイ ダンス理論、思想、技術がしみこんできたことを物語ると見られよう。しかし占領教育行政下に おける上からの普及がめだち、なによりも、まず発想と技術が教育現場に流布されるという傾向 がめだった。
「ガイダンスは事実として個人をたすけるはたらきであり、そのために一つには個人を正しく
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理解することと、二つにはその個人に必要な助力を与える方法を用意すること」である。アメリ カは、高度な資本主義的成長をとげており、そのようななかで、今尚自らの実態と矛盾する創建
(18)
期の思想と発想、すなわちアメリカ的夢「(American Dream)」が生き残っているといわれるが、
ガイダンスの思想は基本的にはそのような思想に支えられており、占領下のわが国も大きくは、
その影響下におかれる傾向を示したといってよい。そうとすればアメリカにおけるガイダンスの 運動は、わが国の新教育にも影響を与えずにはいないであろう。一般にはアメリカではガイダン スはおよそ三期をなす発展形態を示しているとみなされている。すなわち、まず、職業、教育上 の配分機能、社会的基準への心理的適応機能(矯正、予防、治療を含めて)、さらに人材開発計 画における発達の機能がそれである。ところで以上を一貫して貰ぬいているのは「アメリカ的夢」
につながる個人こそ目的であるとする個人主義の思想であるし、生徒たちの配分、適応、発達の いずれも、個人としてのそれである。そのようななかで、個人をめあてとして、グループを場と するいわゆるグループ・ガイダンスが発達するが、グループの意味づけはそれぞれに異なる。
初期では、職業、教育上の情報の集団への提供となり、中期では、グループ・カウンセリング グループ・インターヴュー、さらには小集団討議方式がはいる。現代期では、集団的方法はいっ
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そう重視されて、「パーソナリティと人間関係は同一物の二つの側面」という把握のもとでパー ソナリティの発達課題は集団的方法と不可分におかれる。さらにそのような現代集団諸理論とし
て集団工学、ソシオメトリー、集団心理治療法等があげられる。
ところでこのようなアメリカ的ガイダンスは、戦後のわが国の特別教育活動の実践とどうかか わるであろうか。まず、さきにもふれた如く、ガイダンスは、一般的に、とりわけ初期には、方 法技術の普及、発想またはムードといわれる形で特別教育諸活動の内部に浸透しているというこ とができよう。占領下では何よりもまず、自由で自己の興味に従う活動、自主、自治と協同の組 織化は、子どもに、かってなかった子どもじしんの自主的生活をあたえ、権威主義的管理の克服 に大きく寄与した。占簡終結後、なお占領影響下にあって最も進歩的であったとされる昭和26年 の指導要韻の精神は、実質的に後退を示し、さらに昭和33年の形式化抽象化をともなった規定に なり、子どもの自主自治は大きく枠づけをうけることしになったのである。
しかしながらこのような発想と技術の上からの普及という形が、初期には優先しながら次第に ガイダンスの方法技術が教育現場に定着を示しつつある傾向もみのがすことはできない。例えば
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ソシオメトリーによる科学的児童理解の方法、ケース・スタディに代表される診断と治療の方法、
諸カテゴリーを含むグループ・ダイナミックス、適応的指導としての自由討議法、さらに、職業 指導のための諸方法、諸技術も何等かの程度で現場に定着を示してある。日教組教育研究集会に
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は既に「レファレンス・グループ、グループ・サイコ・セラピー、バズ・セッションなど」もあ
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らわれているし、蜂屋慶、宇野登の「子どもらが遺徳をつくる」は集団力学の技術が採用され、
しかもかなりの効果をあげている。以上の如くガイダンスは、戦後公教育指導要領の線に沿って その内部に入りこみ、その発想において極めて広く、技術的にもある程度の浸透をみたものとい
ってよいであろう。われわれはガイダンスの導入によって、子どものひとりひとりの理解の大切 さ、配置、適応、発達のための情報、診断、治療、測定、調査、演技、討議のすぐれた諸技術を 何程かは身につけてきた。だが問題は何か。われわれは、配置、適応、発達の問題を、それらの
問題性の根本である社会的体制的条件にまで掘りきげることせず、個人における心理的メカニズ ムの問題ないし階級や民族からきりはなされた小集団的理論や技術の問題内にとどめおくことに こそ問題があるといわねばならない。
「特別教育活動とは、従来教育課程の外に置かれた任意的な各種の生徒活動が教育的に組織化 され、学校計画の一部となったもので、青少年の旺盛な生活意欲の望ましいはけぐちとなり、学 校に対する興味がそれによって増大するとともに、民主的な政治の実践と価値ある文化の享受と 創造とを通じて、新しい社会における生き方が学ばれるところの自主的協同的な活動の系列であ
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る。」前半はまきにその定義であり、後半はその背景をなす目的的価値観である。特別教育活動 がガイダンスと異なるところは、(1)ガイダンスは一般的にいえば専門家たるカウンセラーが顧問 教師として担当するのに対して一般教師が担当するものである点、(2)たとえばグループ・ガイダ ンスの場における討議場面においてもどちらかといえば人為的に構成された場面であるのに対し
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生徒活動場面は、現実的な生活実践の場面たることをその基本的性格」としておること、さらに
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(3)前者が「臨時的短期間のものであるのに対して、生徒活動は比較的恒常的」であるであろう。
ところで特別教活動はガイダンスに対してこのような違いをもちながら、既にのべたようにガイ ダンスが特別教育活動の内部にかなり深く浸透していることをのべたのであるがそのことはどう 考えるべきであろうか。「しかし、もしも指導を、カウンスラーの具体的職務としてでなく、よ
りひろい人間関係の諸場面における機能としてとらえて行く立場をとれば、生徒活動に顕著な指 導的価値が潜在していることは、おのずから明らかとなってくる。そしてこのような指導のとら えかたは、…すでにわれわれにとって新しいものでなく、むしろ承認された立場であるとすらい
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えるであろう。」以上両者の相違と親近性を別にすれば、ガイダンスは分配、適応、発達におけ る生徒の自己滑導の援助であるのに対して、特別教育活動は、「教科活動との相互的な関係の仕 方を通して、学校教育計画全体のありかたに対して直接的なかかわりをもつものにはかならな
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い」し、そこから学校教育計画全体の立場からみた生活指導計画のなかでの特別教育活動の位置 と役割における次のような特質をみることができよう。(1)「生徒たち自身によっていとなまれる
… ….(27) (28)
自由な集団活動」であり、しかも(2)その「活動内容に社会の動きを敏感に反映」することによっ て教科指導がいっぱんに内容的に田定化しやすく、社会の変化や時代の動きからとりのこされた
り、その間にずれを生じやすい弊を克服し、(3)教科指導が一般に生きた現実から抽象に走り、ま た伝統的な教科の学習場面にあらわれる利己的競争の相互関係の克服のためにも「教師と生徒と
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による日々の不断の共同生活の建設という現実的な生活実践をその根幹」としていることであ る。以上の如くガイダンスとの対比のなかで特別教育活動の定義、目的観、特色を集約して規定 すればどのようにいえようか。「特別教育活動は、‥日日一方では、子どもの全人的個性的な発達 を求め、他方では社会と学校とを密着させようと願うなかで、子どもの学校における全生活を教 背の対象とし、この生活を子どもたちが自主的にとりくむもの」といえよう。
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それでは次に戦後の特別教育活動の展開における具体的問題に移ろう。まず戦後の正規の教育
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課程を規制する学習指導要領における特別教育活動の本質的位置づけをみれば、既にガイダンス の項で略述したように昭和26年をピークとして昭和33年には大巾に後退している。同年小学校で ははじめて「特別教育活動」の名称を与えられたが、時間配当のなかには特別教育活動や学校行 事は文字さえ消えてしまい、ただ「年間、学期、月または過ごとに適切な授業時間を配当するこ
とが望ましい」とされた。その点については「望ましい」はト・とする」よりも基準性が弱いとする 文部省側の説明を併せて考えられねばならない。教育課程構造に新たに「道徳」「学校行事」が 何ら教育科学的究明をみることなくして分化的に加わり、児童集会(小学校)、集会活動(中学 校)が姿をけしそれに代って学校行事は「学校が計画し実施する教育活動」とされた。かくて全 体的には生徒の自主的自治的活動を育成するという点が大きく後退した。中学校では過一時間の 時間配当はなされているが、これは「学級活動」にあてることと規定されて、しかも半分は進路 指導にあてることとされている。ただでさえ進学就職のための当面の配慮に流れるなかでは特別 教育活動はあってなきがものになるのは自然の勢ではなかろうか。これは特別教育活動の重視と はどうしてもつながらない。
現場の実態はどのようであったろうか。占領下および占領支配終了後も、それが生活指導であ りながら、子どもの現実生活は一向に才巴えられないという形式性が続いた。生徒活動であるにも かかわらず子どもたちは何をどう討議すべきかに困惑し、結局筋書は教師に与えられる。形の上 の自発自治は、実質は下請機構、あやつり人形、教師の直接支配にかわる間接支配の機構と化し た。戦前の生活訓練にさえあった生活性のなまなましきさえ失われた形式的訓練組鰍こおちこん でいった。ガイダンス的集団指導の限界はここではっきりと露呈された。守ろうとも思わず守る ためにきめるのでもない規則の決議の累積ではあるが、結局は学級会活動や生徒会は、子どもに とって自縄自縛の機構に外ならぬ。特別教育活動が形式的に育成された期間では、教師の意向を 察知して優等生は自ら下請の役割を買って出たが、制度的後退化のなかでは、教師も、優等生も 一般にはそっぽを向くようになった。一般に自治活動が真に必要になる上級生になるほど子ども の発言がなくなるが、方法論に問題があるのか、内容、教科指導との関係はどうか。「学校にお
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ける」「学級として」の実験室的人為的な実践にすぎないのではなかったか。心ある教師は真剣 に問塩を模索しだした。いっ早く特別教育活動の問題にも深くとびこんでいったのはコア・カリ キュラム運動の人々であった。そのなかでもわが奈良学芸大学の前身奈良女子師範学校附属小学
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校の教師たちの実践、所謂吉城プランは「日常生活課程」運動の代表的なものとして高く評価さ れている。それにもかかわらずそこでの日常生活課程がなお、体制の要求のなかでの一定の活動 や組織の枠づけなのかにおかれた。「ひな型社会論にもとづくスクール・コンミュニティ的活動 を施設していく方向」のものに外ならず、「国民の現実生活=子どもの日常生活」の生活指導の
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本質実現を枠づけられていたのである。そのような悪戦苦闘の未たどりつかざるを得なかったの
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は、ほかならぬ生活綴万的生活指導ないし集団づくりの貴重な遺産と現代における再興の道であ った。それはひとりひとりの子どもがまのがれがたくおかれている現実生活のなかで何を求め何 を悩んでいるかを深くさぐり、何よりも学級でその要求をはりおこし組織づけていくことから再 出発しようとする道であった。以上のような一般的状況のなかでは京都旭ヶ丘中学校の生徒会活 動は極めて例外的な高度な実践であった。
生活綴万運動の復興は朝鮮戦争前後から始まって、昭和28、9年頃からたかまった。それは戦 前からのすぐれた指導者に教育実践家、学者が加わって公教育内でも極めて巾広く推進され、さ らにガイダンスや特別教育活動の低迷のなかで、その低迷を克服しうる貴重な遺産であり、また 今後の発展を期待されうるものとして求められるに及んで戦前にもまして巾広く戦後日本の公教 育をもその根もとから育てうる生活指導運動の基斡部とみられるようになった観がある。そのよ うな生活綴方運動の現段階での本質認識の発展と現場実践の問題点について一断面をのべよう。
それは「第一に‥・人間および社会の事物を、あくまでも素直に観察し研究させるということでな ければならない。子どもたちをとりまく生活環境を具体的につかませること、それと取っ組んだ 子どもたちの生きた心理を、生活環境との交互作用による産物と考えて大切にすることでなけれ
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ばならない。」ときれる。ここには戦前における生活綴万把握である自然主義リアリズム、社会 リアリズム、生産的リアリズムの精神の流れのなかで、子どもを実生活の生活認識者として育て ることの重要さがのべられ、さらに生活認識は子どもの生活にまで貫いている社会の矛盾の認識
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を「社会の全体制の矛盾にかんする認識」にまで深めたものとして育てようとする意図さえ感ぜ られる。「第二に大切なことは、生活綴万を、低学年から高学年、中学校に進むにしたがってだ んだんと『何かしっかりした考えにつらぬかれたもの』にしたいということである。しっかりし
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た考えというのは知性といってもよいし、思想といってもよい。」子どもを実生活の認識者とし て期待することは同時に子どもを実生活できたえられた思想の持主として期待することでもある
ということである。「ほんとうの自由というものは、思いついた考えを言うということの中にで はなくて、自己の願望、要求とそれに根ざした考えをいうことでなければならない。あるいはさ らに掘りさげて言えば、自己の願望・要求を自己の考えにまで形づくることでなければならな
(38)
い」といわれるばあい、自由はほんとうの自由の表現としてほかならぬ「自己の生活の根もとか らきたえあげた考えかた」いわば「思想」の持主であることと統一されていなければならないと いうのであり、この点から、生活綴万教育のしごとは、いわゆる「概念くだき・概念づくり」の 方法によって、子どもを思想の主体者として形成していくしごとであるといえよう。「第三に大 切なことは、できた綴万作品を、集団の中に投げだして、それを教育的に活用するということで
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ある。」概念づくりは襲団づくりと不可分の関係におかれる。固定概念にとらわれた集団をくだ
(40) (41)
き、真実の「人間的な共感」と「表現の自由」に支えられた集団につくるのである。以上をとお
(42)
して生活綴方教育は子どもの「認識主体の確立と自由の獲得」に大きく寄与することによって現 代の基本的病弊に挑戦する力量を子どもにそだてようとするのである。
次に教育の現場に眼を移してみよう。「今日になって綴方教師の実践をみると、奇妙なことだ が、一般に、社会についての見方がロマンチックであるように思えてしょうがない。子どもとと
もにもっとも生き生きと矛盾にみちた社会をみているはずである。たしかに見ているものはきび しい社会である。だがそれを見ている子どもたちの間は美しくもあたたかい。貧乏を問題にし、
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階級を問題にしていても、やはりそんな気がする」という状況が広汎にひろがっている。また 生活綴万がただたんなる道具、手段として料なされているばあいがすくなくないように思われ
る。たとえば、第一には、生徒に日記や作文やグループノートなどをかかせて、そこにかかれた 結果を話しあいながら集団づくりのてがかりとしてつかいさえすれば生活綴方をやっていること
になったり、第二には、日記やグループノートを子どもたちにかかせ、その記載内容に教師が目 をとおすことによっていままで生徒の生活について知らなかったことが教師にわかり教師と生徒 間、生徒相互間のコミュニケーションがひらけ、さらにはそれが円滑化きれるといったことが生
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活綴方をやっていることであったりするばあいがすくなからずうかがえる」といわれる。前者で は、生活綴万教育は情緒的許容の集団雰囲気をつくることと不可分のものとされるにいたり、後 者では、生活綴方が教師と子ども、子ども同志の間の「通路づくりの手段、道具」とされるにい たる。それはいったい生活綴方の本質にふれているのだろうか。先きにのべた生活観方の本質に かえりみてすでにあきらかであろう。
このような情緒的許容の雰囲気づくり、通路づくりの集団づくりは、生活綴万の側からみれば
(45)
本来の生活綴方的教育とは似て非なるものであり、「生活綴万亜流」とよばれるが、それは実は 所謂学級づくり実践の現実的な一面であったのである。生活綴方はもともとさきにのべたように 綴ることと話しあうこととを結びつけることによって現実的な認識を集団的に深めあうことを通
して、子どもに主体的な思想を育て、意識における変革的発展の道を開いた。ガイダンスとの対 比によってみれば、ガイダンスはあくまでも主として個の心理的解放に主眼をおいたのに対して 生活綴方では、個に着眼し、一個の生活者としての認識を相互にきびしく点検する中で認識主体
の独立化、解放をめざした。また特別教育活動との対比では、特別教育活動は、本来子どもの学 校生活全体を対象とし、この生活を子どもが自主的にとりくむものとし、全人的個性的発達を期 待するが、現実には、連続的発展の「ひな型社会」観におちいり、自発自治における「幻想の調 和」、活動のはんらんの中での一種の埋没、ないし体制原理の下請機構化さえきたした。これに 対して生活綴方は、全体的自覚的主体として少くとも生活認識における矛盾の認識における変革 的発展を導くことができたのである。
朝鮮事変後の教育の民族的自覚の拾頭と、新教育における諸実践の批判的克期過程において、
生活綴方における自由と真実の集団形成と生活認識の発展の教育が、労働大衆を基底とする仲間 意識と相呼応し、諸集団づくり概念の創出、実践と展開、交流の中で、生活綴方教育を母体とし て自らにおしつつんだ所謂「学級づくり」実践がひろがり、新しい国民教育のイメージをうみ出 していく。そのようななかですぐれた実践記録として、小西健二郎「学級革命」、戸田唯己「学 級というなかま」、宮崎典男「人間づくりの学級記録」等はその一例にすぎない。それらは多く 昭和28、9年頃の実践がまとめられたものである。小西健二郎は次のようにのべている。「ある 程度、自由でなんでもいえる学級から生れた文。その文を教師をふくめて、相互に話し合ってい
くうちに、より自由な友愛に結ばれた学級になり、そこからより質の高い文が生れ、それを中心 に、より価値のある話合いができ、自由で友愛に結ばれた学級になり、集団のレベルがたかまり あるものは実践にうつされ、その中からさらに文が生れるということを、くりかえしていくこと
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になります。′」森田俊男はこれを、「ある程度自由な学級が前置としてどうやら必要だ、という
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こと」ともう一つは、「文・話合い」±亨「より自由な学園つくり」すなわち実践≒認識の循環的
隼田.づくりの発展と集団像(永田)
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深化を、子どもの「いきの長い人間形成過程」について証言しようとしたものとして把えてい る。学級づくりでは、本釆ある程度の自由でなんでもいえる学級が前提とされることによって、
学級がそのままに「仲よし」的友愛や観念的同情・慈恵のみが横行しがちな修身的授業の適応肘 集団に移行するのではなく生活綴万的「文・話しあい」を通すことによって学級づくりでは、現 実生活に根ざし、現実をとおして互に人間的要求・願望において全体的生活を理解しあうこと、
相互の理解・友愛を妨げている社会的・経済的条件を追求すること、そこからしきたりや服装や 貧富などの差別からも解放される「仲間意識」が育つというのである。全国的な実践と理論の年 毎の交流のなかで第六次日教組教育研究集会で、それが次のような一つの定式としてまとめられ るに至った。「1.学級のなかに、何でもいえる情緒的許容の雰囲気をつくること。2.生活を 綴る営みをとおして一人一人の子どもの真実を発現されること。3.一人の問題を皆の問題にす ることによる仲間意識の確立という集団づくりの三つの段階」が提案された。だがこのような学
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級づくりを中心とする集団づくりでは到底立ちむかえない教育の反動攻勢が次々にうち出されて くるし、大衆社会的状況における人間疎外は、容易に個の「情緒的解放から仲間意識へ」の学級 づくりそのものをおし流してしまう現状があった。やがてさきにあげた単なる通路づくりの道具
としてこの生活綴方亜流をも含めた学級づくりは集団主義教育を始めとする内外のきびしい批判 の的になってしまった。日本社会の重く深い矛盾、差別、敵対的競争、支配被支配、学力の商品 化の圧力の中でいささかの真実を掘りねこすためには、まず学級を温かな情緒の通うものとする ということは、まきに日本的社会の中から出てきたすじみちに外ならないのだが、半面でこのよ うな社会の壁の部厚さの故に情緒的解放を動力にするだけでは出発点から既に行詰りになるとい う現状があった。学級づくりは「情緒的なものだけでつながっている集団では大事にぶっかると
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もろくもくずれる」と指摘きれるが、外からの大事がなくとも、学級内部の差別的なきびしい競 争にも既に立ち向えない弱きを認めざるを得なかった。「解放から規律へ」なのか「規律化と解 放化の同一過程」なのか、きびしい現実に対応したきびしい組織的な秩序をいかにして創りうる
のか。新しい探究は既に始まっていた。このようななかで集団主義教育が深められると共に、他 方でこれに対立し、しかも生活指導運動を大きくつき崩すものとして特設道徳が文教政策のルー
トに乗って立ちあらわれてきた。
特設道徳は昭和33年以釆強化されているが、文部省は生活指導は「生徒の日常生活における個
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々の問題の処理にとどまることが多く」所謂偶発的臨機的指導であったとして、特設道徳は「学
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校の教育活動全体に通ずる道徳教育」を基礎にしながら、それらを補充・深化・統合・交流する ために時間を特設して垣接に、項目を網羅して全面に、遺徳教育を施すというのである。昭和26 年の文部省の「遺徳教育のための手引書要綱」が示していたところの道徳時間特設を不要とする 道徳観を、自らの手でひっこめただけでなく逆に特設時間をうち出してきた。このような中で次 のような大きな転倒が起っている。そこでは第一に、ガイダンス、特別教育活動、学級づくりと たどたどしいながら着実に、子どもの現実意識への接近、生活のはりおこし、それらの筋道の探 究がすすめられてきた。そのような苦難に満ちた教育の過少評価、第二に昭和26年では「学校の教 育活動全体に通ずる道徳教育を基本とするという構えを少くとも維持していたのを、それを33年 では単に名目としてだけのこし、「特設時間」の道徳教育を、実質的に本体にふりかえるという ことにおちいったのである。生活指導は決して子どもの個々の問題の偶発的処理ではなく、「日本
中のどこにも今日なお存在し、それ故に子どもたちも生活のなかで身につけてしまっているノトもの.
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歴史的社会的に共通なもの、だからまたどこの学校や学級でもおこり得るもの」であり、現象的 には個々の問題、偶発的におこる問題にちがいないとしても、本質的に歴史的必然的にくりかえ し、共通にせおっているゆがみとしておこるものへのとりくみに外ならない。生活指導は、その ような歴史的ゆがみのなかでなお生活に立ち向う主体的で意欲的な構えをととのえさせようとす
るものであり、そこから広く教科指導と全生活の指導の発展を期待しようとするのであり、その 上に立っていっそう力強い「学校の教育活動全体を通ずる道徳教育」を期待するのである。それ では次に特設道徳と本来の道徳教育の違いの諸側面として二三を指摘しておこう。第一に特設道 徳の立場では、「たとえば『偶発的指導などということをいっていたのでは、盗難事件が起るま では、盗むなかれということを教えることができないことになる』…だからたいせつな徳目をも れなく網羅的に排列して、計画的に徳目を教えることができるようにすべきである・・このばあ い計画というのは徳目をもれなく酉己置することであり、、系統というのは徳目の体系ということに はかならない。」と考える。本来の道徳教育では、いわゆる「徳目は現実の生活実践から抽象き
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れた形式的概念であって、現実の道徳の実践は、さまざまな徳目を同時に総合的にあらわしなが ら、それら全体に具体的な一定の意味を賦与し、それらを一元的に統合して成立しているものに はかならない。その、さまざまな徳目を全体的に方向づけ意味づけるべき統一的原理となるべき ものが自他の尊重であって、この原理にかなっているかどうかの判断によって、さまざまな形式 的徳目がはたして具体的な意味をもっているかどうかが決定されねばならない。その意味では自 他の尊重という基本原理こそが道徳教育における系統でなければならず、徳目というものは、自 他の尊重を具体的なさまざまな生活場面のなかで貫いていくという統一的系統的な実践のなかで あるいはそのあとで具体的な意味連関において吟味され、説明されればよいものであり、また必
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ずLもことばにあらわして説明されるまでもないばあいが多いものでさえある。」第二に計画面 ではどうであろうか。特設道徳では一般に主題設定すなわち指導計画立案の第一段階、計画の実 施過程という第二段階、場における指導過程の第三段階にわけて考えてみると、第一段階では
「特設道徳の内容として指導要領に示された小学校三十六項目、中学校二十一項目との関連表な
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いし対照表が作製されるということがきわめて特徴的である。」第二段階では「実施過程の特徴 は、学年、学期、月、過にわたって予め立てられた計画がその順序に従って次々に実施されてい
くという手頓に見出される。・‥一般に教科領域において考えられている指導計画観がそのまま横 すべりして道徳教育ないし生活指導の計画にあてはめられているという点が、ここでは見逃して
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ならないきわめて重大な点である。」第三段階では、前の段階にみられた欠陥は、さらに拡大さ
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れて現われてくる。その顕著な傾向は「教師の指導意識過剰」ということであり、全面的に教科指 導と変らぬようなありかたさえ示しがちである点、かくて子どもたちが教師と一緒に話し、感じ 考え、疑い、意志する自由を生み出していく民主的な集団づくりと平行する辛棒づよい努力がで
きていないことである。これにたいして本釆の道徳教育では、計画ということは、最も基本的な 計画を中心として他は仮設的計画ないし矛盾的媒介の計画とされる。ところで基本的な計画は、
むしろ「毎日の学級づくりのなかで教師と子どもたちとが、共同でとりくまなければならない問 題が教師と子どもたち白身の手によって次々に構えられていくという、いわば学級集団の自主的
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創造的な問題設定の計画活動とでもいうべきものとしての計画」なのである。このような基本的
集団づくりの発展と集団像(永田)
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な計画活動に配するに、そのような基本的な「学級集団による計画活動にたいしてなんらかの見 通しを与え、その指導過程に対してなんらかの手がかりになる資料や手引を盛った学校としての・
いわば仮説的計画」が考えられる。ところでこのような「学校としての計画は、むしろ初めから 学級集団独自の計画活動をできるかぎり多くの学級にわたって展開させるための媒介として役立
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ちうるようにという意図のもとに用意されるべきもので」むしろ「計画ということばで呼ばれる
(59)
よりは、資料集・手引ということばで呼ぼるべきもの」とされている。これら上記の両者の中間、
に、さらに、個々の学級担任教師の学級づくりのめあて、見通し、もくろみといった計画を用意 するということで、以上の意味を含めて三次元の計画活動が考えられる。第三に特設道徳で基本 的な方法の一つとされている道徳的価値葛藤をどう考えるかという問題がある。だいたい徳目を 表面に出し、それを裸のままわしつける徳目主義は今日の徳目主義でなくなっており、文部省の 指導書がのべているような「なるべく生活に即する」という線で生活主題的指導計画が、じつは 今日の徳目主義道徳教育計画になっているのだが、そこでは教師が道徳的価値葛藤場面を与える 方法が盛んに行われている。もともと「道徳的価値葛藤の問題はほんらい日常の集団的社会生活
のすべての場面に内在しているものであり、ときにはそれが学級会やホームルームというような 場面でとりあげられ、時間をかけて組織的にとりくまれることが必要であっても、ほんらいから いえば、そのような生きた場面そのもののなかで子どもたち白身による問題事態へのとりくみと 教師からの教育的影響作用が展開されているわけである。それは教育的当為の問題であるよりも
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まず、事実認識の問題である。」ところが「教師がある結論をもってのぞみ、子どもたちの話題を すぐとってしまって勝手にまとめてしまったり、あるいは教師が一方的に話し合いを、すじをう
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ち出してそれに合ったような発言だけを引き出していくような指導をしている限り」それがどん なに形の上で「道徳的価値葛藤場面」を示していても、子どもにとって他人事であり、架空の事 であり、架空の場面のことならどんな立派な事もいえるし、子どもたちが真剣に生き、その故に 迷い考え話し合いを求め実行へとたち向わずにはおれない主体的選択の判断は期待できない。
(61)
「葛藤に全身をもってとりくむ条件」をつぶしながら、架空場面をめぐる活溌な言葉のやりとり、
立派な心がけが導出きれたとしても実践と認識の相互媒介による変革的成長は期待できない。子 どもは外ならぬ自他の共通の人間的要求をきり開き、現実にとりくむための、現実認識を鋭くし そのような条件を協力してつくり出していかねばならない。そのような認識と実践の変革的成長 を素通りして「立派な心がけ」に観念的に反応するだけで安心してしまう子どもは、体制の矛盾 に盲目であることによって体制的条件の温存に貢献する。つきつめていえば「道徳は労働におけ る人間の創造的本質の確信に由来するもの」であり「その自覚過程としては自我と他我とのぶつ かりあいのなかでの統一を求める志向」に外ならず、「その統一原理が人間の尊厳を守り高める
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ということであり、その現実的保証が労働のもつ創造性」なのである。道徳教育は、「自我と他
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我とのぶつかりあいのなかでの統一を求める志向」の形成のための、子どもにおける、自覚過程の 指導である。以上の意味で、道徳はブラメルド(Brameld T.)のいう「社会的一自我一実現
(63)
(social・Self−realization)」過程の指導に外ならない。現代における社会的構造矛盾の中での、
社会的自我実現は、集団主義的集団づくりの努力によって保証されえよう。このことは何よりも 以上の戦後生活指導問題史そのものが明らかにしている。それでは次に集団主義教育の実践とそ の概念の展開をみよう。
日教組の教研集会で生活指導部会に「集団」概念が正当にうち出されたのは第四次集会で、一 般的な意味での諸実践、なかでも「学級づくり」の批判超克形態として「集団主義貌育」が正当 な位置づけをもったものとしてうち出されたのは第九次千葉集会であった。その間、第五次松山 集会でマカレンコの集団主義教育に学んだ「エヒメ集団教育研究会」が、当時としては極めてユ
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ニークと思われる実践と理論を打出して注目をあびた。第六次金沢集会では、さきにのべた「学 級づくり」の定式化とともに、他面で解放過程と規律のかかわりが強く問題をなげた。第七次別
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府集会で、「学級のきまりの確立の中でこそ、自由な解放された子どもが育っていく」という原 則がある程度の説得力をもってうけいれられ、第八次大阪集会で、大阪守口グループの、規則を めぐる集団における相互批判(つるしあげ)によって、かえって真の結びつきが生れるという主 張が論議される中で、「規則を生み出し、規則をたかめていく子どもの生活が保証されてこそ、
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集団の自覚的規律が生み也ざれる のだ」という集約によって集団主義教育の本質的自覚に迫っ た。かくて集団主義教育は漸く第九次千葉集会で、それは解放過程と組織過程の統一による自覚 的規律の教育として、「仲間意識」にたつ「学級づくり」論にたち向う本質をもつ国民的なも のとして承認されるに至った。そこで自らの実践に基づきつつ集団発展の組織理論をうち出した のは香川代表の大西忠治であった。集団主義とは集団のもっている諸要素を人間形成のための教 育に役立てることであるとし、その諸要素として次の三つをあげる。「A、目的がある。目的に 向っての一致した集団行動がつねに問題になること。Bこ集団成員間に矛盾がある。だからたえ ず討議とその結果の相互規制がおこなわれる。C、リーダーがある。そこには常に合令と服従が おこなわれる。」このような集団観に立って学級の集団づくりの方法を話し合いづくり、核づく
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り、班づくりの三側面から考え、集団要求の主体からみた集団の法則的発展段階を、寄り合い班 前期の班、後期の班の三段階において把えた。かくして一応の集団主義教育の方法論の成立をみ た。第十次東京集会では、以上の基本的目的論に立ちつつ、まず班をつくりぶつかり合うなかで 解放されるとする組織論と、体制的矛盾のきびしいわが国では、まず要求をはりおこし矛盾にぶ つけて子どもを内から強く育てあげて組織するという組織論の対立が残り、それは実践によって 確めるべきであるとされた。以後集団主義教育は広く生活指導運動の中軸となり、社会主義にお けるそれとの差異を明らかにするため特に桑田主義的教育という呼称も現われ、生活綴方的方法 による意識づくりに対しまた、それとのかかわりにおいて、体制づくりに力点をおく独自の方法 体系の樹立に向って着実な発展を見つつある。かくて「集団主義的教育というのは、現代の人間 が事実上それに依拠して生活している集団ないし組織を前提とし、それぞれの集団成員が、つね に同時に上位集団の成員として、全集団の目的的立場に立ち、集団にまつわりついている集団的 エゴイズムを洗いきることによって、真に正しい姿における社会的集団的生きかた、行動の規律
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を子どもたちのうちに形成していこうとするにある。」、し、その本質的なねらいは「目的的な集 団的行動と集団規律の路線へとかれらをみちびき、そのなかでこそ、社会的存在としての個々人
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の実体をあかるみに出し、隼田主義的な自己規律(道徳)の確立を生み出そうとする」ところに ある。しかしながら現代の段階では集団主義的教育を、一義的に以上のようなものとして規定し きってしまうことが出来ないし、今後の開拓にまつべき面が多いことに注意しなければならな い。このようななかで、今迄のべてきた概念としての「集団づくりは生活指導の方法体系全体を
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さ」すものと考える。すなわち集団づくりとは「社会的存在である人間の生きかたの根源的な問