1.本書の特徴
本書は、環境の意思決定を支援すると いう役割を果たすための基礎理論を提供 することを目的とした基本書であり、研 究書でもある。その意味であまり類書が 存在していないタイプの著書といえよう。
本書全体を通じて、環境問題を経済学 の観点から根本的に考えようという姿勢 と共に、より広範囲な関係者の意見を取 り入れようという多角的な視点がとられ ていることが印象的である。日本におけ る環境問題のとらえ方は得てして範囲を 限定してしまう傾向が見られることと、
一部の利益を優先することになりがちな ことが特徴として挙げられる。例えば、
環境アセスメント(環境影響評価)に関 していえば、環境影響評価法の導入の必 要性は 1980 年代初めに指摘され、法案 も検討されたが見送られていた。法律で 明記されたのは 1993 年の環境基本法が 初めてであり、しかも、実際に環境影響 評価法が成立したのは 1997 年と大変遅 かった。
環境影響評価法によりようやく費用便
益分析のような経済的手法を用いて環境 問題が検討されるようになってきたが、
すでにプロジェクトの実施が決まってか らアセスメントが行われるため限定され たアセスメントしか行われていないとい う問題点があった。そのため、環境影響 評価法の改正の必要性が指摘されていた にもかかわらず再び 10 年以上遅れた。ま た、費用便益分析は分配の側面に関して 限界があることに関してあまり注意され ていないという別の問題点もある。その 上、費用便益分析は金銭表示という単一 の基準で評価しているため、金銭で評価 しにくい項目については軽視しがちであ るというより重大な問題点を含んでいる。
その点欧米では、環境アセスメントにお いて費用便益分析だけでなく、多数の関 係者の視点を取り入れられるように多基 準分析などの手法が採用されている。こ のような状況を反映するかのように、日 本では費用便益分析に関する著作物は一 定数あるが、多基準分析に関する著作物 は極めて少ないのが現状である。
環境アセスメントをプロジェクト実
【書評 1】
萩原 清子 編著
『環境の意思決定支援の基礎理論』
(勁草書房、2013 年)
藤 岡 明 房
施 前 か ら 適 用 す る 場 合、 多 く の 利 害 関 係 者 が 登 場 す る こ と に な る。 す る と、利害関係者の意見を聞き整理する 必要が出てくるが、利害の対立が著し ければ調整は困難になる。このような 状況の場合調整がうまく行われるとは 限らない。そこで、このような調整が 必要な状況に関する知見が必要になるが、
そこで役立つのが「コンフリクト」の議 論である。しかし、コンフリクトに関し ても日本では適当な専門書が少ない。そ の点、本書ではコンフリクトの考え方を ゲームの理論に則って丁寧に説明されて いる。これによりコンフリクトについて 深い理解がなされるものとみなせる。
このように本書は日本で軽視されがち な多数の利害関係者が存在するような場 合について最適な意思決定を行うための 方法を体系的に示すことが試みられてい る。このような状況に置ける意思決定は 当然安易なものではない。厳密に説明し ようとするとそれだけで話が複雑になる という性質のものである。したがって、
多数の利害関係者の意思決定を取り扱う 本書は必ずしも読みやすいという種類の 著書ではないのはやむを得ないであろう。
しかし、それだけに、本書で取り扱った 多数の利害関係者が存在する場合の意思 決定について学ぶならば、費用便益分析 のレベルにとどまってしまいがちなわが 国の環境の意思決定に比べて、より広い 視点を得られることが期待できる。国際 的な場ではすでに多基準分析に基づく意
思決定の手法が採用されていることを踏 まえると、わが国においても遅かれ早か れ多基準分析的な方法が採用されるよう になることは間違いないであろう。その 意味で本格的に環境についての意思決定 を研究したい方や多数の利害関係者が存 在する場合の意思決定問題を取り扱いた いと考えている方は、本書に挑戦される ことをお勧めする。
2.各章の解説
第 1 章では「環境の意思決定支援の基 礎としての厚生経済学」として厚生経済 学について検討している。厚生経済学は ケンブリッジ大学の A.C. ピグーによって 創設された学問分野である。同名の著書 が 1920 年に発刊されている。厚生経済 学の特徴は、資源配分の仕組みが望まし い成果を上げているかという「評価」の 問題とそれをさらに改善するための「対 策」の問題を取り扱うという「規範的」
分析を中心に行っていることである。こ の様な規範分析は社会の厚生を増加させ るために必要なものであることは明らか である。例えば、所得格差が存在する場 合、その格差を是正することは社会全体 にとって好ましいことであろう。しかし、
実際に所得格差を是正しようとすると、
各個人の効用あるいは厚生水準が分から
ないとどの程度の格差是正を行うべきか
判定できなくなる。このような論点を明
示的に取り上げて批判したのがロビンズ
であった。この批判に応える形で序数的
な効用概念に基づく「新厚生経済学」が 誕生することになる。そして、厚生経済 学の 2 つの基本定理が定められた。それ らを保証するのが、「完全競争」、「市場の 普遍性」、「凸環境」の 3 つの条件である。
もしこれらの条件が満たされないならば、
市場の失敗という現象が生じることにな る。環境に関連する市場の失敗としては、
公共財、外部性、情報の非対称性が挙げ られている。
第 2 章では、新厚生経済学が誕生する きっかけとなったカルドアやヒックスに よる補償原理とその後の発展についてく わしく取り上げている。たとえば、シト フスキー・パラドックスを取り上げ、カ ルドア基準やヒックス基準の限界を示し、
その上で効率性だけでなく公平性も考慮 するリットル基準を紹介している。補償 原理との関連で補償変分や等価変分など の消費者余剰についても紹介している。
その延長上で、バーグソン=サミュエル ソンによる社会厚生関数の定式化を行っ ている。社会厚生関数の具体的な例とし て、ベンサム型、ロールズ型、ナッシュ 型の定式化を行っている。公平性につい ては、ロールズ基準や投票の問題にも触 れている。
第 3 章は、社会的選択についてかな り本格的な議論を行っている。アローに よる一般不可能性定理が登場したことに より、社会的選択においても単純多数決 のような方法では最適解が得られないこ とが明らかになった。効率性と公平性に
基づく社会的な意思決定に関する従来の ルールが否定されたことにより、集団的 意思決定のための社会的選択関数の構築 が図られることになった。そこで、ギバー ト=サタースウェイトの定理が紹介され た。新たな well-being のとらえ方として ロールズの社会的基本財とセンのケイパ ビリティ・アプローチが示され、その分 かりやすい説明がなされている。
第 4 章では費用・便益分析が取り上げ られ、その解説が行われている。そして、
費用・便益分析を適用する際の留意点も 述べられている。環境の便益の評価を行 う場合、環境の価値として利用価値と非 利用価値を分類し、それを合計すること で総経済的価値を求めるとしている。環 境の経済的評価手法として 4 種類の消費 者余剰を取り上げそれぞれ説明している。
その上で、顕示選好データと表明選考デー タに分け、さらに直接的と間接的に分け、
それぞれの分類に基づく評価手法を取り 上げそれらの性質を概説的に説明してい る。すなわち、たとえば、顕示選好デー タで間接的な場合は回避費用アプローチ、
旅行費用アプローチ、ヘドニック・アプ ローチ、離散的選択モデル、などである。
そして、最後の箇所で費用・便益分析の 限界について述べている。
第 5 章は多基準分析に関する包括的な
紹介がなされている。まず、多基準分析
の歴史的経緯から述べられ、多目的最適
化モデル、多属性効用理論、価値関数に
関する内容の説明がなされている。これ
らはそれぞれ経済学的にはレベルの高い 議論が土台となっているため、本質的に 難しい内容のものである。そこで、理解 が進むように具体的な事例が用いられて いる。すなわち、これらの事例を確認し ながら読むことによって、難しい内容が 理解できるようになっている。その後、
多基準分析の具体的な手法である AHP、
アウトランキング法、線形加法モデルが 紹介される。このうち、アウトランキン グ法についての説明は、ELECTRE 法、
コ ン コ ー ダ ン ス 分 析、PROMETHEE 法、NAIADE 法を取り上げ簡潔に紹介 しているが、あまり日本では紹介されて いない方法であることから興味深いも のであった。最後の部分で多基準分析 手法の適用可能性について論じているが、
納得のできる見解が結論として表明され ている。
第 6 章はコンフリクト分析の基礎理論 が取り上げられている。ゲームの理論に 基づくコンフリクトの説明から始まる。
社会システムを標準形ゲームによって表 現するとは何かを述べ、その後社会シス テムの特定関数形協力ゲームによる表現 についてくわしく説明している。コンフ リクト分析の方法を理解するうえで重要 なものとしてゲームの理論の 1 分野であ るメタゲーム理論についても説明されて いる。また、社会システムにおけるプレ イヤーの戦略的選択確率の変化過程につ いてモデル化するために進化ゲームにつ いても説明されている。これらの説明に
より難解なコンフリクト理論について一 応の理解ができるように構成されている。
第 7 章から第 9 章までは第 6 章までの 議論を踏まえて、具体例に基づく環境の 評価方法、多基準分析、コンフリクト分 析の適用方法が説明されている。特に、
第 8 章においては適応的水辺整備計画方 法論を実際の地域に適用し、持続・生存 可能性を考慮した水辺環境マネジメント システムを構築している。そこでは、京 都市内を流れる鴨川流域での地域住民と 水辺環境との関わりを捉えるため GES 環 境システムを定義している。すなわち、
地域住民と水辺環境のかかわりをメタ、
アクタのレベルで定義している。その上 で、末丸町、大原、雲ケ畑の 3 地域を選 び出し、地域ごとの水辺環境の社会調査 を行い、その結果を PROMETHEE によっ て多基準評価している。また、上下流域 におけるコンフリクト問題としてダム建 設問題を取り上げコンフリクト解析の適 用可能性を論じている。第 9 章では吉野 川の第十堰問題を取り上げ、コンフリク ト分析を行っている。
3.まとめ
著者たちは現行の環境の意思決定に対
して不満と疑問を抱えており、環境の意
思決定を支援するための方法を提示する
ことによって環境の意思決定を改善させ
ることを目指したものとみなせる。しか
し、それを実現するためには費用・便益
分析に比べると多基準分析やコンフリク
ト分析のようなレベルの高い理論を用い る必要があることから、困難が予想され たがそれを手際よくまとめたことは評価 できるであろう。その意味で、本書は今 後環境の意思決定の分野におけるマイル ストーンとみなされるであろう。
参考
『環境の意思決定支援の基礎理論』
Fundamental Theory for Environmental Decision Aiding
萩原清子編著、朝日千里、木村富美子、堀江典 子共著、勁草書房
ISBN978-4-326-50379-7 定価(本体 3,000 円+税)
2013 年 6 月 20 日第 1 版第 1 刷発行 282 ページ