アジアの英字紙 にみ る世界 と日本
斎
藤
吉 史
Japan
and the World,
as Reflected
in English
Language
Newspapers
of Asia
Yoshifumi
SAITO
I deem it very important for the future of Japan, to ascertain the views of Asians, be-cause they are our neighbours.
As a first step, I tried to find out the attitude of Asian English-language newspapers, I selected four daily papers from two countries. These were two dailies of Indonesia ; the Indonesia Times and the Jakarta Post, and two of Thailand ; the Bangkok Post and the Nation. I also sometimes referred to one weekly, the Far Eastern Economic Review from Hongkong.
This is a tentative report of my findings through these media from October 1988 to March 1989.
Some of more remarkable findings are as follows ; First, the subjects which these media were most interested in were Russo-American relations and Southeast Asia.
It was really impressive that these media were showing keen interest in the dynamic diplomacy of Mr. Garbachev.
Second, Southeast Asian security, especially the Khmer problem, was the subject most frequently referred to.
It was really regrettable in this connection that the second Jakarata informal meeting (JIM II) could not find a way to break through the impasse of the problem.
As for Japan, many things happened during this half-year.
But the biggest event was the demise of Emperor Hirohito of Japan on 7 Jan. 1989, followed by the state funeral on 24 February.
These media showed very ambivalent attitudes on those occasions. On the one hand, they paid respect to the Emperor as a great man who showed Japan the way to prosper-ity, but on the other hand, they referred to the dark memory of the Japanese occupation during the war. Those dismal days were included in his 63-year-long reign.
President Soeharto of Indonesia and the Crown Prince and Prime Minister of Thailand attended the state funeral.
The media of these countries followed the activities of those dignitaries in Tokyo. Their editorials hoped Japan would develop new and closer relations with their
tries.
But one of the editerials reminded us that "some things (in the Constitution) are best left unchanged." は しが き 経 済 大 国 に な っ た 日 本 の 将 来 に と っ て,極 め て 重 要 な 役 割 を 担 っ て い る ア ジ ア ・太 平 洋 地 域 の,対 日関 心 を確 認 し た い とい う の が, こ の 研 究 の 発 端 で あ っ た 。 た だ し初 め か ら全 地 域 と い う わ け に もい か な い の で,第 一 着 手 と して ア ジ ア 南 部 の 国 ぐに に し ぼ り,し か も 英 字 紙 を 通 して 調 べ る こ と に し た 。 こ の た め に 予 備 調 査 で 対 象 に した の は 、 次 の 日刊 紙7 紙 と週 刊 誌2誌 で あ っ た 。 日 刊 紙 ① イ ン ド ネ シ ア ・ タ イ ム ズ(lndonesia Times) ② ジ ャ カ ル タ ・ポ ス ト(JakartaPost) ③ バ ン コ ク ・ポ ス ト(BangkokPost) ④ ネ ー シ ョ ン(Nation) ⑤ サ ウ ス ・チ ャ イ ナ ・モ ー ニ ン グ ・ポ ス ト(SouthChinaMorningPost) ⑥ ス ト レ ー ツ ・ タ イ ム ズ(Straits Times) ⑦ ヒ ン ド ウ ー(Hindu) 以 上 の う ち ⑤ ま で は 毎 日 の 新 聞 を と り 寄 せ た が,⑥ と⑦ はOverseasWeeklyを と る こ と に し た 。 週 刊 誌、 ⑧ フ ァ ー ・イ ー ス タ ン ・エ コ ノ ミ ッ ク ・ レ ビ ュ ー(FarEasternEconomicReview =FEERと 略 記 す る) ⑨ ア ジ ア ウ ィ ー ク(Asiaweek) FEERは 筆 者 が す で に 長 年 愛 読 して お り, ア ジ ア 問 題 を 考 え る 上 で 欠 か せ な い 代 表 的 な 英 字 週 刊 誌 で あ る か ら,こ れ で ア ジ ア の 空 気 の 一 部 を み る こ と が で き る と考 え た 。 こ の 際 同 様 な 週 刊 誌 と し て ア ジ ア ウ ィ ー ク も合 わ せ \. て み る こ とに した が,こ の方 は利 用 で きたの は1989年1月 か らに な った。 そ の 国 別 ・地域 別 の発 行 状 況 は次 の 地 図 の 通 りで あ るが,い よい よ調 査 にか か る と,船 便 に よ る到 着 の 先 後 が あ り,時 に は2,3カ 月 も待 た ね ば な らな い こ と もあ っ て,結 局 今 回の 報 告 まで に取 り上 げ た の は口 の4紙 で,' これ にFEERを 参 考 と して利 用 した。 1)イ ン ドネ シア と タイ の4紙 の 性 格 ① 創 刊 と 特 色 イ ン ドネ シ ア の 英 字 紙 に は イ ン ドネ シ ア ・ オ ブ ザ ー バ ー(lndonesiaObserver)と イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ,ジ ャ カ ル タ ・ポ ス トの 3紙 が あ る が,今 回 利 用 した の は,イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ と ジ ャ カ ル タ ・ポ ス トの2紙 で あ る。 イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ は1974年5.月2日 創 刊 で,昨 年 の5月2日 付 に は 一 面 題 字 下 に "い ま や15周 年"と 囲 い ,2面 に は 「15周 年 記 念 日」 の 社 説 を 掲 げ,「 わ れ わ れ は 自 主 独 立 」 と 書 い た 。Editors&Publishersの 年 鑑 に よ る と発 行 部 数 は4万9000部 で,中 立 系 と み ら れ て い る が,国 内 ニ ュ ー ス は 国 営 の ア ン タ ラ 通 信 に依 存 し,外 電 は 外 国 通 信 社 に 頼 る と こ ろ が 多 い 。 編 集 長 はR.P.ヘ ン ド ロ 氏 。 一 方 ジ ャ カ ル タ ・ポ ス ト紙 は,3紙 中m 新 し く1983年 創 刊 で,発 行 部 数 は3万5000部 だ が,コ ン パ ス,シ ナ ル ・ハ ラパ ン と い っ た イ ン ドネ シ ア 語 の 主 要 日刊 紙 と週 刊 誌 テ ン ポ な どが 所 有 し支 援 して お り,そ れ ら の 記 事 を 英 訳 す る と い わ れ る 。(FEER,1984年3月 1日 号,イ ン ドネ シ ア の メ デ ィ ア)編 集 長 は ス バ ム ・シ ア ギ ア ン氏 。 次 に タ イ 国 で は,現 在 バ ン コ ク ・ポ ス ト
W ヒ ン ド ウ ー 紙
(朝 刊)と バ ン コ ク ・ワ ー ル ド(Bangkok World夕 刊),そ れ に ネ ー シ ョ ン(朝 刊)の 英 字3紙 が あ る 。 こ の う ち 夕 刊 の バ ン コ ク ・ ワ ー ル ドは バ ン コ ク ・ポ ス トと 同 じ く トム ソ ン ・グ ル ー プ に 買 収 さ れ,同 系 列 に 入 っ た が, 1970年 代 末 に トム ソ ン ・グ ル ー プ の 手 を 離 れ, 現 在 は ア ラ イ ド ・ニ ュ ー ス ペ ー パ ー(Allied Newspapers)の 傘 下 に 入 っ て い る 。 バ ン コ ク ・ ポ ス ト は1948年 創 刊 で,Edi-tors&Publishersの 年 鑑 に よ る と,発 行 部 数 は3万8500部 で,編 集 長 は テ ー ・チ ョ ン カ デ ィ キ 氏 。 ネ ー シ ョ ン紙 の 方 は1971年 創 刊 さ れ,1976 年 反 共 ク ー デ タ ー の 後,NationReviewに 名 を 変 え た が,ま たtheNationに 帰 っ た 。 全 額 タ イ 人 の 出 資 で,部 数 は3万2000部 。 中 立 系 で,編 集 長 は ス ッチ ャ イ ・ユ ー ン氏 。 タ イ の 英 字 紙 は 発 行 部 数 こ そ 少 な い が,実 業 家,高 級 官 僚,学 者 な ど の エ リ ー ト層 が 読 み,そ の 影 響 力 は 大 き い 。(FEER1984年7 月19日 号,タ イ の メ デ ィ ア) ②4紙 の 紙 面 構 成 イ ン ドネ シ ア の2紙 に つ い て は,広 告 が 少 な く,毎 日 の 紙 面 が ほ ぼ8ペ ー ジ で 固 ま っ て い る の で,比 較 が 容 易 で あ る 。(た だ し ジ ャ カ ル タ ・ポ ス トは 金 曜 日だ け が12ペ ー ジ で あ る) 1988年10A11日(火)か ら10月20日(木) ま で の 紙 面 構 成 を み る と,イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ は(A表)の 通 りで あ る 。 〈A表 〉 イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズの 紙 面 の1例 ペ ー ジ 数 一 面 ト ッ プ 社 説 1011(火) 8 スハ ル ト大 統 領 ゴ ル カ ール 中 執 委 で 演説 正 しい こ と は正 しい,悪 い こ と は悪 い とい え(大 統 領 演 説 の 一節) 12(水) 8 スハ ル ト大 統 領OPECで の 合 意 を期 待 ゴ ルバ チ ョフの 外 交 演説 (大統領 の写真 も) (ク ラ ス ノヤ ル ス ク演説) 13(木) 8 スハ ル ト大統領 アラタス外相 に指示 米基地 の社会 ・経済的側 面 (右 に レー ガ ン ・シ ア ヌ ー ク会 談) 14(金) 8 スハ ル ト大 統 領,ナ イ ジ ェ リ ア外 相 と会 談 ナ イ ジ ェ リア外 相 の 訪 問 (写 真 つ き) 15(土) 8 イラ ン依然 アラブ諸 国と不仲 世界食糧 デーと農村青年 16(日) 休刊 17(月) 8 スハル ト大統領世界食糧 デーに演説 円高 と日本へ の影響 (写 真 つ き) 1 18(火) 8 ス ドモ 政 治 治安 調 整 相,ゴ ル カ ー ルで 言 明 米の 自給 は難 しい問題 (コ メ) 19(水) 8 ス ダ ル モ ノ総 裁 は ゴ ル カ ー ル を辞 め まい 新石油国家北 イエメン 20(木) 8 共和 国(RI)湾 岸諸国の合意 を称賛 ゴル カ ー ル発 足 の記 念 日 (ス ハ ル ト大 統 領 写真) 〈B表 〉 紙面構成 日曜 日休刊 連 日8ペ ージ建 (金曜 日も特別扱いせず) 通常は 1面 2 3 4 5 6 7 8 総 合(ス ハ ル ト大 統 領 な ど要 人 の 演 説 が トップ) 社 説(左 題 字 下,通 常1本) 国 内各 地 ニ ュ ー ス フ ィー チ ャー,解 説 もの 芸術 ・文化 又 は レジ ャ ー,女 性 な ど 日に よっ て異 な る フ ァ ッシ ョ ンな ど雑 ニ ュ ー ス 世 界 ニ ュー ス ス ポ ー ツ
一 見 して明 らか な こ とは,ス ハ ル ト大 統 領 の演 説 や言 明 が 一 面 の トップ を飾 り,し か も 概 して大 統 領 の 写 真 が つ い て い る こ とで あ る。 また大 統 領 が 現 れ ない 時 は,ス ダル モ ノ副 大 統 領 とか ス ドモ 調 整 相 の よ う な要 人 の 言動 が 大 き く扱 わ れ る。 そ の 扱 い ぶ り は ジ ャ カ ル タ ・ポ ス トの紙 面(C表)と 比 べ て み れ ば, 大 きな相 違 で あ る。 そ の 限 りで は,イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ紙 は政 府 の 準機 関 紙 的 な印 象 を受 け る 。 また社 説 につ いて み る と,合 計9本 の社 説 の うち7本 まで が 国 際 関係,純 粋 に イ ン ドネ シ ア 国 内 に 関す る もの は2本 とい う こ と にな る 。 た だ しこ れ を も って 直 ち に国 際 的視 線 が 強 い と断 定 す る わ け に はい くまい 。 そ れ は紙 面 構 成(B表)を みれ ばわ か る。 (B表)に よる と,1面 は総合 で,2面 が 社 説 と解 説,7面 国 際 ニ ュー ス,8面 スポ ー ツ とい う順 で,こ の4面 は ほ ぼ 固定 して い る。 他 の4面 も概 して 表 示 した通 りだが,日 に よ っ て変 わ る こ とが あ る。 そ れ に して も国 際 ニ ュ ー ス は そ れ ほ ど大 きな紙 面 を と ら ない 。 1面 の総 合 と4面 解 説 に は,国 際 ニ ュー ス の現 れ る こ とが 多 い と して も,ま ず を が 限 度 で あ ろ う か。 とい う こ とは,意 地 悪 い見 方 を す れ ば,国 内問 題 を社 説 で取 り上 げ る よ りも, 国 際 問 題 を取 り上 げ る 方 が いい とい う見 方 も で き な いで は ない 。 次 に ジ ャカル タ ・ポ ス トの場 合,ス ハ ル ト 大 統 領 は じめ 政 府 要 人 も1面 の ど こか に 出 て くるが,そ の 扱 い はイ ン ドネ シ ア ・タイ ム ズ よ り も ぐん と抑 え られ て い て,他 の 問題 が ト ップ を飾 る こ とが 多 い 。 社 説 は9日 で10本 の社 説 の うち5本 が 国 際 〈C表 〉 ジ ャカ ル タ ・ポ ス トの紙 面 の1例 ペ ー ジ数 一 面 ト ッ プ 社 説 1011(火) 8 RIア サ ハ ン ・ア ル ミの取 分 増 大 要 求 日本 と対立 は残念 12(水) 8 ア ル ジ ェ リ アの暴 動 で死 者500人 分権化 問題 7 13(木) 8 レ ー ガ ン ・ シ ア ヌ ー ク 会 談 シ ア ヌ ー ク の工 作 14(金) 12 ス プ ロ トOPEC書 記 長,西 側 批 判 思想のカテ 15(土) 8 ブ ッシ ュ,最 終討 論 で デ ュ カ キス を圧 倒 ス マ リ ン蔵 相 の2つ の 帽子 16(日) 休刊 17(月) 8 環境問題ゼ ミの発言 ゴ ル カ ー ル の挑 戦 18(火) 8 ス ダル モ ノ 政 治調 整 相,ゴ ル カ ール 辞 任 か 米比基地協定 19(水) 8 ス ミ トロ大 統領 顧 問,ル ピ ア切 下 げ の 理 由 生 死の問題(失 業の死) な し 20(木) 8 イ ン ド航 空機 事 故 で死 者164人 '
・
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繍 驫 羃 ア関係の改善を
〈D表 〉 紙面構成 など特色 通 常 日の8Pの 紙 面 1面 総 合 2 3 4 5 6 7 8 CityNews 国 内 ・地 域 ニ ュー ス 社 説(通 常1本) worldNews レ ジ ャ ー また は特 集 経 済 スポ ー ツ 金 曜 の12Pの 紙 面 1面 2 3 4 5 6 7 8・9 10・11 12 総 合 CityNews 国 内 各地 の動 き 経 済 worldNews 社 説(通 常1本) Opinion(外 部 ・解 説 も の) レジ ャー(軽 い読 み もの) ス ポ ー ツ 国 内 ・地域 ニ ュ ース *地 域(Regiona1)はASEANな ど近 隣 諸 国 ニ ュ ース 5関 係 だ が,イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ ほ ど 国 際 関 係 が 多 い わ け で は な い 。 紙 面 構 成 は 〈D表 〉 の 通 りで,こ れ か ら み る 限 り,イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ が 政 府 系, ジ ャ カ ル タ ・ポ ス トは 中 立 系 と い え る だ ろ う 。 次 に タ イ 紙 の 場 合,バ ン コ ク ・ポ ス トの 連 日 の 紙 面 は 〈E表 〉 に み る 通 りで,社 説 は 土 曜,日 曜 に は な い が,そ の 他 の8日 間 に10本 の 社 説 の う ち,国 内 の 農 業 銀 行 と 農 協 の 従 業 員 が3日 つ づ き で 職 場 を 放 棄 した 問 題 を 取 り 上 げ た1本 を 除 け ば,残 り9本 は 全 部 国 際 関 係 と い う異 常 さ で あ る 。 バ ン コ ク ・ポ ス トの 普 通 の ペ ー ジ 数 は,44 ∼52ペ ー ジ だ が ,そ れ は ニ ュ ー ス 主 体 の 第1 部(12∼16ペ ー ジ)と 経 済 主 体 の 第2部(通 常16ペ ー ジ),そ れ に 広 告 と フ ィ ー チ ャ ー の 第3部(Outlook)か ら な る 。 そ の う ち 第1 部 の 紙 面 構 成 〈F表 〉 を み る と,ア ジ ア 全 体 を 含 め た 地 域 ニ ュ ー ス の ほ か に 国 際 ニ ュ ー ス が あ り,こ れ に1面 の 総 合 と4,5面 の 解 説 に 現 れ る 国 際 関 係 を 加 え る と 全 広 を 除 い た13 面 中5∼6面 で,40%が 国 際 ニ ュ ー ス と い え る よ う だ 。 一 方 ネ ー シ ョ ン の 紙 面 の 実 例 で み る と,1 面 ト ッ プ は 国 内 の 動 きが つ ね に 主 に な っ て い る が,社 説 の 方 に は 国 際 関 係 が 多 く な る 。 日 曜 日 だ け は 社 説 が な い が,そ の 他 の 日 は 通 常 2本 の 社 説 で,時 に1本 だ け の 日 も あ る 。10 月11日 か ら10月20日 ま で の10日 間16本 の 社 説 の う ち,国 際 関 係 は ち ょ う ど半 分 の8本 で あ る 。 そ の 限 り で は ま ず バ ラ ン ス が と れ て い る と い うべ き で あ ろ う か 。 紙 面 構 成 は,土,日 を 除 く ウ ィ ー ク デ ー は 40ペ ー ジ,こ れ が ニ ュ ー ス 主 体 の 第1部,経 済 商 況 の 第2部,そ れ に フ ィ ー チ ャ ー と広 告 を 集 め た 第3部(Focusと い う)に 別 か れ る 。 第1部 は ほ ぼ12ペ ー ジ,時 に14ペ ー ジ が ま じ る く ら い で,経 済 セ ク シ ョ ン は16∼18ペ ー ジ で あ る 。 こ の 経 済 セ ク シ ョ ン に も 国 際 経 済 は 多 い し,日 本 関 係 も 多 く登 場 し て い る が, 当 面 は 紙 面 の 比 較 と い う 点 で,第1部 の ニ ュ ー ス ・セ ク シ ョ ン に 限 定 す る と,12ペ ー ジ 〈E表 〉 バ ン コ ク ・ポ ス トの 紙 面 の1例 総 ペ ー ジ (第一 部) 一 面 ト ッ プ 社 説 1011(火) 46(16) プラマン内相 の人事 問題 コロ ンブ スの 責 任 1012(水) 48(16) プ ラ マ ン内相 対 チ ヤ ム ロ ン知 事 米比基地交渉決着 1013(木) 46(14) タイ経済 の見通 しは明るい 離脱 は必要 だったか
く
ASEANの ジ レ ン マ 1014(金) 52(16) テー編集長 アキノ大統領会見 東欧に不満の ざわめ き 1015(土) 34(10) 比の米基地2年 後 に解消か (な し) 1016(日) 34(14) 米援助 の機械 を贈呈 (な し) 1017(月) 46(14) 米比基地協定調 印 中ソの冬 に雪解 け 1018(火) 44(12) ビルマ軍が恐怖政 治 平壌 に必要 な柔軟性 1019(水) 46(14) サ ンテ ィ副内相 に非難動議 ビルマの学生大義 を妨げ 1020(木) 44(14) サ ンテ ィ副内相 難局切 り抜 けか ベ トナム退席 で和平望み薄く
微 妙 なバ ラ ンス 〈F表〉 紙 面 構成 平均的な14Pの 時 1面 2 3 4 5 6 7 総 合 Homeと 地 域 ニ ュ ー ス Homeニ ュ ー ス 社 説(1∼2本)と 解 説 解 説 Homeと 地 域 ニ ュ ー ス 地 域 ニ ュ ー ス 8面 9 10 11 12 13 14 全 広告 特 殊 フ ィー チ ャ ー >world二 ・ 一 ス 国内の南部 〉スポーツ〈G表 〉 ネ ー シ ョンの 紙 面 の1例 ペ ー ジ数 (第 一 部) 一 面 ト ッ プ 社 説 1011(火) 40(12) サ ンティ副内相調査 に 日本 の シル バ ー 計 画 反対
く
ピノ チ ッ トは民 意 を聞 け 1012(水) 40(12) 与 党 もサ ンテ ィ副 内相 注 視 (経 済 面 に,日 タイ 合 弁 特 集)〈
バ ンコク市書記選任難航 米の在比基地で合意 1013(木) 40(12) シ テ ィ外 相 言 明 「ポ ル ポ ト派 排 除 を」 南 タ イ の心 をつ か めく
国営企業 を私す るな 1014(金) 40(12) 米 国麻薬大物 を追いつめ〈
ポ ル ポ ト支 持 をや め よ 忘 却 さ れ た10月 の 英 雄 1015(土) 30(12) 蔵相,国 営企業の賃上反対〈
ビル マ学 生 の苦 境 シ ンガ ポ ー ル は タ イ人 に善処 を 1016(日) 24(12) チ ャバ リ ッ ト将 軍 政 治 家 に挑 戦 (な し) 1017(月) 40(14) 国営 労働者 ス トの構 え ゼ ネ ス トは政 府 の 力 だ め しく
官 僚vs政 治 家 1018(火) 40(12) 蔵相,国 営従業員 に賃上示唆 副内相を待つ大論戦 1019(水) 40(12) 副内相へ の不信任討議 ベ トナム非公式協議退席く
討議 を制限するな 1020(木) 40(12) 副内相結局は辞任 か 盧大統領の新提案 〈H表> 12Pの 場 合 ネ ー シ ョ ン紙 の 紙 面構 成 1面 総合 1>国 内 孅 二1ス(国 内は馳 贓 ・ま近隴) 4,6,10全 広 5 7 8 9 11 12 〉世 界 二 ・ 一 ス 社 説(概 して2本,時 に1本)解 説 世 界 ニ ュ ース 〉スポーツ の 紙 面 は 通 常 〈H表 〉 の よ う に な っ て い る 。 同 じ く地 域(regional)ニ ュ ー ス と い っ て もバ ン コ ク ・ポ ス ト は ほ と ん ど全 ア ジ ア を 含 ん で お り,従 っ て 日本 も地 域 に扱 わ れ る の に 対 し て,ネ ー シ ョ ン紙 で は 日本 は 世 界 ニ ュ ー ス の 方 に 入 る 。 し た が っ て リ ク ル ー ト ・ス キ ャ ン ダ ル で 宮 沢 蔵 相 が 国 会 で 陳 謝 の 意 を 表 明 し た 報 道 は,10月18日 の 世 界 ニ ュ ー ス の 中 に 入 っ て い た 。 こ う し た 紙 面 構 成 か ら み る 限 りで は,タ イ の 新 聞 の 方 が 国 際 関 係 に 約40%,イ ン ドネ シ ア の 新 聞 は25%見 当 で,そ の 点 タ イ の 新 聞 の 方 が 国 際 的 視 野 が 開 け て い る と い う結 論 に な りそ う で あ る 。 し か し社 説 に し ぼ っ て 国 際 度 を み る と,ま た 違 っ て く る 。 II)世 界 を見 る 目 ① 国際 的 な視 野 と焦 点 地 域 社 説 に しぼ っ て,4紙 の 国 際 的 な視 野 と, どの地 域 に一 番 関 心 を も って い るか を調 べ て み た い 。 日本 との関 係 につ い て は,次 節 に あ る程 度 ま とめ る こ とに した の で,こ こで はそ れ 以外 の 地域 と事 件 に焦 点 をお きた い。 た だ し この調 査 で は,半 年 間 にわ た る4紙 の 社 説 を全 部調 べ て い る余 裕 が なか った ので ま だ不 十 分 な暫 定 的報 告 に と どま る こ とをお 断 わ り して お か な けれ ば な らな い。 まず イ ン ドネ シ ア ・タイ ム ズ か らみ て い こ う。 1988年10月3日 か ら89年2月23日 まで の 問 7にみ た社 説 は合 計56本 で,そ の うち 国 内 関係 は24本(42.9%)で,国 際 関係 に属 す る もの は32本(57.1%)で あ った。 これ は先 の 紙 面 構 成 で の 国 際 関係25%と 比 べ る と,約2倍 で あ る。 この 傾 向 は他 の3紙 で も変 わ らな い 。 これ を地 域 別 に分 け てみ る と,次 表 の 通 り。 地 域 本 数 国連 と米 ソ関係 4 中東 ・ア ラ ブ ・石 油 8 南 ア ジ ア 5 東南 アジア 6 オー ス トラ リ ア 2 日本 ・韓 国 2 その他 5 計 32 そ の 中 で 注 目す べ き も の と し て は,ゴ ル バ チ ョ フ ・ソ 連 書 記 長 の ク ラ ス ノ ヤ ル ス ク 演 説 を 論 評 し た も の(10月12日),カ ン ボ ジ ア に 関 す る 非 公 式 協 議(JIMH)を 論 じ た3本 の 社 説,パ キ ス タ ン の プ ッ ト首 相 を 祝 福 し た も の(12A3日)な ど で あ ろ う。 ジ ャ カ ル タ ・ポ ス トの 場 合 は,88年10A3 日 か ら89年2月23日 ま で の 間 に 合 計64本 の 社 説 を み た が,国 際 関 係35本(54.7%)と 国 内 関 係29本(45.3%)に 分 け ら れ る 。 国 際 関 係 を 地 域 別 に 分 け る と 次 表 の よ う に な る が,米 ソ 関 係 と東 南 ア ジ ァ が 双 璧 と う い こ と に な る 。 地 域 本 数 米 ・ソ 関係 中東 ・ア ラ ブ ・石 油 南 ア ジ ア 東 南 ア ジ ア 東 ア ジ ア(日 ・中 ・韓) 8 5 5 11 6 合 計 35 ジ ャ カ ル タ ・ポ ス ト は イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ 以 上 に 共 産 圏 に 目 を 向 け て い る 感 じ を う け た 。1つ の 例 証 は,12月12日 か ら3日 つ づ きで,4面 の 社 説 の 横 に,ゴ ル バ チ ョ フ 書 記 長 の 国 連 総 会 で の 演 説 を 掲 載 した こ と で あ る 。 ま た12月5日 の社 説 「中 ソ の仲 直 り」 で も一 体 中 ソが 仲 直 りす れ ば 、 そ れが 東南 ア ジ アに どう響 くの か を見極 め よう と して い る 。 一方 的 に コ ミ ッ ト しな い非 同盟 の立場 が うか が わ れ る。 バ ンコ ク ・ポ ス トに な る と,国 際 関 係 の 比 重 が圧 倒 的 に増 え て くる。 88年10月4日 か ら89年4月26日 まで の 問 に 国 際 関係62本,国 内関係18本 合 計80本 の社 説 を取 り上 げ たが,国 内 関係 につ い て は 意 識 し て加 え な か っ た もの もあ るの で,こ の ま ま比 較 す る わ け に はい か ない 感 じが す る 。 そ れ で も国 際 と国 内 の割 合 は7:3ぐ らい だ ろ うか 。 国 際 関係 の62本 を地 域 別 に分 け る と次 の 通 り で あ る。 地 域 本 数 米 ソ両大 国関係 20 うち(狸 東欧 9 9 西 ヨ ー ロ ツパ 3 中東 3 南 ア ジ ア 6 東 アジア 7 東南 アジア 21 う ち1イ ン ドシ ナ 10 ビ ルマ 4 1フ ィ リ ピ ン 4 その他 2 合 計 62 バ ンコ ク ・ポ ス トの 考 え方 を よ く示 して い る の は,88年11月2日 の 「米 国 の アジ ア化 」 とい う社 説 だ ろ う。 日本 の 東京 銀 行 が カ リ フ ォル ニ ア第5位 の ユ ニ オ ン銀行 を買 収 し,韓 国人 が米 国 の深 南 部 へ 進 出 して い る こ とで, 米 国 が ア ジ ア に乗 と られ つ つ あ るか に み え る が,米 国 の経 済 指 導 力 はゆ るが な い との べ て お り,そ こ に米 国 へ の 深 い信 頼 が あ る よ う に み え る。1988年 タ イ国 は米 国 との 間 に トラ ブ ルが つ づ いた が,そ れ を越 えて米 国へ の 信 頼 は ゆ るが ない とみ るべ きだ ろ うか 。 そ れが 例 え ば,1989年1月2日 の年 頭 見 通
し に も表 れ て い る 。 ネ ー シ ョ ン で は88年10月1日 か ら89年3月 18日 ま で の 間 に65本 の 社 説 を抜 き 出 し た が, バ ン コ ク ・ポ ス ト に 比 べ る と,は る か に 国 内 問 題 の 比 重 が 大 き い 。 そ れ で も 国 内 関 係 が29・ 本(45%)で,国 際 関 係 は36本(55%)で あ る6 国 際 関 係 の 地 域 別 割 合 は 次 の 通 りで 近 隣 の 東 南 ア ジ ア と米 ソ 関 係 が 双 璧 で あ る こ と は, バ ン コ ク ・ポ ス ト と変 わ ら な い 。 地 域 本 数 米ソ両大 国関係 10 東南アジア 15
うち(旱鵬
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4 7 東 ア ジ ア(日 ・中 ・韓) 4 南 ア ジ ァ 2 その他 5 合 計 36 ネ ー シ ョンは 政府 にず けず け もの をい う。 そ れ は88年10月8日 の社 説 「タ イ の 国連 演 説 に は ビ ジ ョン もパ ンチ もな い」 に あ らわ れ て い る。 この社 説 は,シ チ外 相 の 国連 演 説 が, 15ペ ー ジ もか け て,世 界 の現 状 を朝 鮮 半 島か ら中東 まで 論 じなが ら,全 く新 しい見 方 は な く,き ま り文句 で迫 力 もな い と,き び し くこ き下 ろ して い る 。 次 いで11月8日 プ ラパ ー ト副 外 相 を ビル マ に 派 遣 す る こ とが 発 表 さ れ る と,翌 日に は 「プ ラパ ー トの ラ ン グー ン派遣 は大 ミス テ ー ク」 と論 難 す る社 説 を掲 げ た 。 そ の 中で この 社 説 は,ビ ルマ の軍 事 政 権 が行 った8月 の あ の 虐殺 を忘 れ た のか,米 国 も日本 も ビル マ と の 経 済接 触 をや め て い るの に,プ ラパ ー ト副 外 相 が い けば,お そ ら く外 国 高 官 の 先頭 を切 る こ と に なろ う,シ チ外 相 は考 え直 せ,と 論 じて い た。 〈K表〉 世 界 の主 要 事 件 とFEER誌 の 力 点 ① 主 要 事 件 FEER誌 9月3 シ ンガ ポ ー ル総 選 挙 9.1 マ レー シ アの 経 済 政 策 8 ビル マ全 土 で ゼ ネ ス ト 出 を待 つ パ キス タ ンの 軍 13 イ ・イ 交 渉(ジ ュ ネ ー ブ) 9.8 韓 国 とソ ウ ル五 輪 16 ゴ ル バ チ ョフ演 説(ク ラ ス ノヤ ル ス ク) 平和を迎 えるイラン経済 17 ソウル五輪開幕 9.15 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド と マ オ リ 族 18 ビルマ軍全土 を鎮圧 総 選挙 後 の シ ン ガポ ール 政 局 19 天皇容体急変 9.22 騒 乱 の ビル マ 20 UN総 会 開 く 9.29 アジ ア ・太 平 洋 で の米 国 の 役 割 30 チ ュ オ ン ・チ ン 死 10月1 ゴルバチ ョフ幹部会議長に 10.6 日本 の 天 皇制,ビ ル マの 政 情 2 ソウル五輪 閉幕 10.13 台湾の株式ブーム終 わる 16 サ ッチ ャ ー首 相 ポ ー ラ ン ド訪 問 10.20 フ ィ リ ピ ンの 人 口急 増 17 米比基地で合意 10.27 悩み多い中国共産党 20 ゴ ル カ ー ル全 国大 会 27 宮 沢 蔵 相 リク ル ー トで 陳 謝 11月3 モルジブで傭兵襲撃 11.3 多発す る中国の犯罪 3 UNカ ンボジァ決議採択 ユ1.10 ゴ ル カ ー ル と イ ン ドネ シ ア,パ キ ス タ ン 7 カ ンボ ジ ア ・パ リ会談 総選挙 8 米大統 領選挙 11.17 日本 の 農業 ロ ビ ー 16 パキス タン総選挙 11.24 パ ラワ ン(比)の 熱 帯 雨 林,韓 国 の経 済 18 ゴルバチ ョフ書記長訪 印 23 全韓国前大統領謝罪 29 ア ンゴラ和平会談 9〈K表〉 世 界 の 主要 事 件 とFEER誌 の 力点 ② 主 要 事 件 FEER誌 12月1 プ ッ ト女 史 パ キ ス タ ン首 相 に 12.1 プ ッ ト女 史勝 利 後 の パ キ ス タ ン 7 ゴルバチ ョフ書記長国連演説 12.8 韓 国に働 きかける中 ソ 7 米 ソ首脳 会談 12.15 日本の金融 と投資 9 宮沢蔵相 辞任 生 き残 る マ ニ ラの 葉 巻 王 19 ス リ ラ ンカ大 統 領選 挙 12.22 香 上銀行 の中国復帰策 19 日ソ外相 会談(東 京) 日ソ外相会談 19 ガ ンジ ー 印首 相 訪 中 12.29 密輸 の天 国南 アジァ 22 ア ンゴ ラ和平合 意 パ キ ス タ ン経 済 29 SAARC首 脳 会 議 1989 1月7 昭和天皇崩御 1.5 ガ ンジ ー(印)首 相 の 中 国 訪 問 9 タイ ・ベ トナ ム外 相 会 談 イ ンドの情報組織 13 シ ュ ワル ナ ゼ(ソ)外 相,ア フ ガ ン訪 問 1.12 活気 甦 る カ ン ボ ジ ア 20 ブ ッシ ュ米大 統領就任 南 ア ジ ア地 域 協 力 連 合(SAARC) 23 リ ン ・ベ トナ ム 書記 長訪 印 1.19 昭和 天皇崩御 「平成」 はじまる 25 フ ン ・セ ン(サ ム リ ン派)首 相,タ イ訪 問 ベ トナ ム 1.26 国 王選 び の マ レ ー シ ア バ ング ラ デ シ ュ 2月1 ソ連外相 中国訪問 2.2 イ ン ド亜 大 陸 の河 川,ビ ル マ 2 竹下首相ブ ッシ ュ大統領 と会談 2.9 シ ンガ ポ ー ル の ア イ デ ンテ ィテ ィ 11 プ ッ ト(パ)首 相 訪 中 フ ィ リ ピ ン 〆 15 ソ連 軍 ア フガ ニ ス タ ン完 全 撤 兵 2.16 ア ジ ア の ホ テ ル,ラ オ ス 19 カ ンボ ジ ア 非 公 式協 議(JIM皿)開 く 2.23 イ ン ド,ア フ ガ ニ ス タ ン 24 昭和天皇の御 大葬 25 ブ ッ シs大 統 領 訪 中 27 ベ ネ ズ エ ラ暴 動 〈K表〉 世 界 の 主要 事件 とFEER誌 の 力点 ③ 主 要 事 件 FEER誌 3月5 ラサで 「独立 要求」騒 ぎ 3.2 1年 経 った盧韓 国大統領 8 中国 ラサに戒厳令 ア フガ ニ ス タ ン 10 米ブ レイデ ィ新提案 3.9 リ クル ー トに ゆ れ る 日本 15 チ ャチ ャイ ・タ イ 首相 訪 中 ニ ュー ジ ー ラ ン ド経 済 20 中国全 人代 開幕 3.16 労働 攻勢 に悩 む韓 国 と台湾 26 ソ連人民代議 員選挙 3.23 バ ング ラデ シ ュ のチ ャクマ 族 26 ラオス総選挙 3.30 接近する中ソ 4月5 ベ トナ ム 「9月 末 ま で に完 全 撤 兵 」 と発 表 4.6 イ ン ドの 中 央 ・州 関係 7 竹 下 首相 リ社 か ら2,500万 円 4.13 積 極化 するバ ンコク銀行 12 李鵬 中国首相 訪 日 4.20 岐路に立つ香港 の法曹界 15 胡耀邦前総書 記死去 イ ン ドネ シ ア とゴ ル カ ー ル 22 中国で胡氏迫 悼大会 4.27 もが くベ トナ ム経 済 25 竹 下首相 退陣表明 29 竹下首相 バ ンコク着
5日 後 に シチ外 相 が,プ ラパ ー ト派 遣 の と りや め を発 表 す る と,ネ ー シ ョンは"大 変結 構"と 称 賛 の社 説 を書 い た 。 日本 に対 して も,後 にみ る よ うに,天 皇 崩 御 に は,各 紙 中一 番 の 熱 の 入 れ 方 だ っ たが, しか し一 方 で は,シ ル バ ー計 画 を タイ に持 ち 込 む の は御 免 だ(10月11日)と 率 直 な意 見 も 表 明 して い る。 ② ア ジ アの 問 題 を ど うみ るか 4紙 が大 きな 関心 を示 して い る アジ ア の 問 題 に的 を しぼ る となれ ば,ア ジ ア各 地 に特 派 員 を 出 し,客 観 的 な 報 道 を して い るFEER の 見 方 を参 考 にす る必 要 が あ る。 現 に起 きて い る事件 につ い て,万 べ ん な くカバ ー して い るが,ど こ に力 点 をお い て い るか は よ くわ か ら ない の で,一 つ の 目安 と して特 集 記 事 に注 目 して み た。 こ の 半 年 間 の 世 界 の 主 要 事 件 とFEERの 毎 号 の 特 集 記事 を表 示 した のが,前 出(9,10 ペ ー ジ)の 〈K表 〉(① ② ③)で あ る。 当然 日刊4紙 の 立場 をつ づ けな け れ ば な らな いが, 紙 面 の 関係 か ら,こ こで は割 愛 して,日 本 と の 関係 に進 む こ と に したい 。 皿)日 本 へ の関 心 と姿 勢 88年10.月 か ら89年3月 ま で の半 年 間 に は, 日本 に もか つ て な い ほ どの大 事 件 が 続発 した 。 そ の 最 大 の もの は89年1月7日 の昭 和 天 皇 の 崩 御 で あ り,2月24日 の大 葬 に は世 界 中 か ら 163国 もの 元 首,首 相 や 代 表 が 参 列 した 。 そ して昭 和 が 終 わ り,平 成 が は じま った 。 次 に は リク ル ー ト事 件 に よ る政 界 の動 揺 か ら,竹 下 宇 野 海 部 と,首 相 が 交代 し た 。 しか し竹 下 首 相 の退 陣表 明 は4A25日 の こ とで あ り,本 調 査 の定 め た半 年 の枠 を越 え て い る 。 た だ し対 象 の新 聞 の到 着 に は若 干 の 幅 が あ った か ら,イ ン ドネ シ ア の2紙 とバ ン コ ク ・ポ ス ト紙 は4月 一 ぱ い 紙 面 が見 られ た の で,竹 下 首 相 の 退 陣 表 明 か ら東南 ア ジ ア 出 発 まで もあ わせ て 調べ た が,こ れ も また割 愛 す る 。 し た が っ て こ こ で は 次 の2つ に し ぼ る 。 ① 昭 和 天 皇 の 崩 御 ② 昭 和 天 皇 の 大 葬 ① 昭 和 天 皇 の 崩 御 1月7日(土 曜 日)の 崩 御 だ っ た 。 日曜 に は新 聞 を 発 行 して い な い イ ン ドネ シ ア の2紙 は,慣 行 通 り に休 刊 だ っ た が,タ イ の2紙 は 特 別 紙 面 で 発 行 し た 。 な か で も ネ ー シ ョ ン の 紙 面 は 正 に 驚 異 的 で あ っ た 。 日 曜 に 第1部20ペ ー ジ とFocus12ペ ー ジ 計32ペ ー ジ(普 通 の 日 曜 は24ペ ー ジ)の 新 聞 を 出 し た が,第1部 は16ペ ー ジ ま で が 天 皇 関 係 で 埋 ま り,関 係 の な か っ た の は5,6ペ ー ジ の 世 界 ニ ュ ー ス と19,20ペ ー ジ の ス ポ ー ッ だ け だ っ た 。 ま たFocusの 方 も,21,22, 23ペ ー ジ と一 番 裏 の32ペ ー ジ が 天 皇 と皇 室 御 一 家 で 埋 め ら れ た。 こ れ に 対 し て バ ン コ ク ・ポ ス トの 方 は,第 1部 の5ペ ー ジ ま で の 間 に,1,2,3ペ ー ジ と5ペ ー ジ に 天 皇 関 係 を お さ め て い た 。 各 紙1A10日 ま で は 何 らか の 形 で,天 皇 関 係 は つ づ い た が,最 も熱 心 で あ っ た の が ネ ー シ ョ ン,つ づ い て バ ン コ ク ・ポ ス ト,ジ ャ カ ル タ ・ポ ス トで,最 も扱 い が 少 な か っ た の は イ ン ドネ シ ア ・タ イ ム ズ だ っ た 。 最 も熱 烈 だ っ た ネ ー シ ョ ン紙 の 場 合 は,1 面 に 全 段 ぶ ち 抜 き で,大 文 字 で HIROHITOISDEAD の 見 出 し を 掲 げ,そ の 上 に 少 し字 を 小 さ く し て 「明 仁 天 皇 『平 成 』 の 治 は じ ま る 」 と あ り, 右 腕 を あ げ ら れ た 昭 和 天 皇 の 写 真 が 真 中 で, そ の 右 に 新 天 皇 の 写 真 が 並 べ ら れ て い る 。 ま た そ の 下 に 「国 王,首 相,弔 電 を 送 ら る」 と い う見 出 しで タ イ 国 の 動 きが 伝 え ら れ て い た 。 そ れ と は 別 に 小 さ な 囲 み 記 事 で あ る が,「 偉 大 な 損 失Agreatloss」 と い う次 の よ う な 社 告 が あ り,天 皇 崩 御 に対 す る ネ ー シ ョ ン紙 の 立 場 を示 し て い る 。 偉 大 な 損 失 一11一
ネ ー シ ョ ンは,日 本 の 皇 室,政 府,国 民, と くに タ イ在 住 日本 人社 会 な らび に全 世 界 と と もに,裕 仁 天 皇 の 死 去 に 哀悼 の意 を表 す 。 そ の 治 世 に は,日 本 だ け で な く全 世 界 の歴 史 の 中で も最 も激 しか った動 乱 期 が 含 まれ て い るが,天 皇 は大戦 が引 き起 こ した憎 悪 に よ って で はな く,あ た た か い人 間性 と国 の 安 定 を実現 す る影響 力 に よっ て 日本 と世 界 の 多 く の 国 ぐに に,和 解 と平 和 と繁 栄 の 時代 を導 い た 人 と して記 憶 され るで あ ろ う。 こ う した感 情 は わが 国 民 の 問 に 広 く行 きわ た って い る とわ れ われ は確 信 して い る 。 タイ 人 は 同情 心 の強 い こ とで 知 られ て お り,道 行 く人 た ち も 「安 らか にお休 み な さい」 とい う に違 い な い。 亡 くな ら れ た 天 皇 の 治 世 は 「昭 和 」(昭 明 の 平 和)と 呼 ばれ た が,明 仁 新 天 皇 の時 代 が 「平 成 」(平 和 の 達 成)と 名 づ け られ た の は ま こ と に適 切 で あ る。 しか し初 日これ ほ ど熱 を入 れ た ネ ー シ ョン も社 説 で み る限 りで は,他 紙 の社 説 と大 きな 違 い はな い ど ころ か,む しろ きび しい 表 現 さ え使 わ れ て い る。 以 下4紙 の社 説 の要 旨 を,掲 載 順 に見 るこ とにす る。 バ ン コ ク ・ポ ス ト紙 社 説 1月8日(日)2面 下 段 に 「哀 悼 と 内 省 の 時 」 裕 仁 天皇 の死 で 日本 に新 しい 時代 が は じま った 。 これ は昭和(昭 明 の 平和)時 代 が終 わ った とい うだ けで な く,皇 位 の継 承 と と もに 過 去 を埋 め て将 来 を築 く時代 が来 た こ とで あ る。 63年 間 の治 世 の 問 に,日 本 は富 裕 か ら極 貧 に,そ して また富 裕 に と変 わ り,軍 国主 義 か ら貿 易 の た め に ひた す ら平 和 を求 め る経 済 大 国 に変 身 した。 故 天 皇 は 晩年 に は植 物 学 に熱 中 し,く らげの 実 験 をす る ひ そ やか な人 で あ った 。 天皇 の死 は 日本 に と って はみ そ ぎで あ る と い う人 もあ る。 老 人 に は そ うか も しれ な い が, 若 い世 代 に は ご くわず か な影 響 しか 及 ぼ され な か っ た。新 天皇 の下 で,日 本 は古 い複 雑 な 感 情 をふ り捨 て て,国 際 大 国,経 済 強 国 と し て の新 しい役 割 を進 め る こ とが で きる だ ろ う。 憲 法 改正 を求 め る声 も聞 か れ る が,日 本 国 民 の 大 多 数 は ア ジ ア ・太平 洋地 域 の安 全 維 持 に 日本 が 一役 買 うべ きで は な く,そ の軍 隊 は 自衛 の た め にだ け使 わ れ るべ きだ と考 えて い る。変 え な い方 が い い もの もあ るの だ 。 今 日わが 国 は 日本 人 に深 い同 情 と,偉 大 な 損 失 に対 す る哀 惜 の意 を表 す と と も に,明 仁 天皇 の新 しい 時代 が長 く繁 栄 す る治 世 で あ る よ うに,深 甚 な敬 意 と希 望 を表 明 す る 。 タ イ と 日本 とは時 に経 済摩 擦 で損 な わ れ た こ とが あ る とは い え,数 十 年 に わ た っ て親 密 な友 好 関係 を維 持 して きた 。 日本 の新 時 代 の 開 幕 は,よ り成 熟 した,互 い に実 りの あ る両 国 関係 を発 展 させ る好機 で あ る。 イ ン ドネ シ ア ・タ イム ズ紙 社 説 1月9日(月)第2社 説 「最 長 治 世 の君 主 死去 」 日本 の玉 座 に62年 間座 って い た君 主 が,1 月7日 に死 去 さ れた 。 裕 仁 天皇 は対 米 戦 争 に不 安 を感 じ、 そ の影 響 力 を使 っ て軍 首脳 を制止 し よ う と したが, 無駄 だ っ た。 しか し1945年 降伏 か徹 底 抗 戦 か で首 脳 陣が2分 して い た 時 に は,天 皇 は和 平 派 を支 援 して決 着 をつ け た 。戦 後 日本 は,占 領 軍 の起 草 した 新 憲 法 の下 で立 憲 君 主 国 に な り,天 皇 の権 限 は大 幅 に削 減 さ れ た。 第125代 の 明 仁 天 皇 は,酒 も飲 ま ず タバ コ も吸 わず,自 ら も海 洋生 物 学 者 で あ り,父 天 皇 の足 跡 を た ど る とみ られ て い る。 イ ン ドネ シ アの 国民 に は,か つ て の対 日関 係 で悲 しい思 い 出 を もつ もの もあ ろ うが,帝
国 主義 の時 代 は と っ くに過 ぎ去 っ て い る。 ス ハ ル ト大 統 領 は大 葬 に は 自 ら出席 す る と伝 え られ て い る。 神 よ裕仁 天皇 に永 遠 の 安 ら ぎ を 与 え た まえ。 ジ ャカ ル タ ・ポ ス ト紙 社 説 1月9日(月)第2社 説(第1社 説 は予 算 案 だ った) 「日本 に新 しい 時代 」 一 何 か月 ものわ ず らい の後 で,裕 仁 天 皇 は87 才 で逝 去 さ れた 。 63年 の長 い治 世 は昭和(昭 明の 平和)時 代 と して知 ら れ るが,日 本が 恐 るべ き軍事 大 国 と して台 頭 した の は,そ の治 世 の問 で あ った 。 天 皇 が 単 に軍 指 導 者 の と りこで あ っ たの か, そ れ と もか れ らの 誇大 な ナ シ ョナ リズ ム が 国 際 政 治 にお け る 日本 の威 信 の増 大 に役 立 つ 限 り大 目にみ て い た の か は,今 日なお 歴 史 家 が 論 争 す る問 題 で あ る。 1942年 か ら45年 まで の 日本 占領 を記憶 す る イ ン ドネ シ ア人 は,総 じて あ の時 代 に対 して あ い ま い な態 度 を とっ て い る。 あ れ は苦 しい 年 月 だ った。 生 活 必 需 品 はな く,人 間 の 尊厳 は問 題 に な らな か った。 しか しその 一 方 で は1942年 の 日本 の侵 略 は,オ ラ ンダ植 民 地 主 義 を終 わ らせ る助 けに な っ た。 オ ラ ンダの 軍 事 力 は ほ ん の2,3週 間 で,み じめ に粉 砕 され た 。 日本 の 占領 は,こ の 国 に 独 立 の準 備 を させ る絶 好 の機 会 と して,イ ン ドネ シ ア の民 族 主 義指 導者 た ち に よ って 最大 限 に活 用 された が,そ の こ ろ に は 日本 帝 国 が 敗 北 に直 面 して い る こ とは 明 らか だ った 。 裕 仁 天皇 に 開戦 の 責 任 が あ る か ど うか は と もか くと して,1945年8月 に 将軍 た ち に現 実 を認 め て 降服 を受 け入 れ るよ う説 き伏 せ たの は天 皇 の勇 気 で あ り,そ れ が 戦争 終 結 を導 い た決 定 的 な 要 因 で あ っ た。 しか し天 皇 の死 で,日 本 人 は新 時代 に どん な立 場 を と るべ きか決 断 を迫 られ て い る。 日 本 は その 後 の 世界 の主 要 な経 済 超 大 国 に まで 成 り上 った 。 い まこそ マ ッカ ーサ ー元 帥 が押 しつ け た憲 法 を改 正 して,日 本 は もっ と積 極 的 に な れ と 主 張 す る グル ー プが 台 頭 して い る。 例 え ば, そ う した グル ー プ は,自 民 党 の 国会 議 員 で, 日本 は ア ジ ア ・太 平 洋 の戦 争 を始 め た ので は な く,連 合 国 に よっ て 開戦 に追 い込 ま れ た の だ とい っ たた め に,さ る5月 に閣僚 を解 任 さ れ た奥 野 誠 亮 の周 りにつ くられ つつ あ る。 新 天皇 は,こ う した民 族 主 義 的抱 負 を正 し く導 くに は知 恵 と技 巧 とを必 要 とす る。 明仁 天皇 が世 界 の 中 で建 設 的 な努 力 を進 め る の に 相 応 しい地 位 を見 出せ る よ う望 み た い 。 と同 時 に,天 皇 が 日本 の政 治 と文化 の 中 に,若 い 世代 の希 望 とス タイ ル とを取 り入 れ る よ う, 指導 者 た ち を説 得 す る こ と を望 み た い 。 しか しそ れ は皇 室 に民 主 化 過 程 が起 こ らね ばで きな い こ とで もあ る。 新 天 皇 の 下 で,日 本 が 民主 的で 活 力 の あ る 国家 に発展 し,そ の 経 済 力 を賢 明 に活 用 で きる 国 に な る こ と を期 待 した い 。 ネー シ ョ ン紙 社 説 1月10日(火)8面 の 社 説(一 本) 「日本 は世 界 の平 和 実 現 を助 け られ る」 裕 仁 天 皇 の 死 は世界 の 目を 日本 に ひ きつ け た。 そ の傷 だ ら けの 過去,繁 栄 の 現在,そ し て洋 々 た る未 来 へ 。 第2次 大 戦 中,日 本 の 占領 を生 きの びた 多 くの アジ ア 人 と,日 本 軍 と戦 っ て捕 虜 に な っ た 多 くの西 洋 人 に と って は,裕 仁 天 皇 は残酷 な軍 国 主義 と野 蛮 の 権 化 で あ っ た。 日本 の侵 略 は天 皇 の 名 に お い て行 われ,緒 戦 の 勝 利 は,天 皇 が 聖 な る 日の御 子 で あ り, その 軍 隊 は無敵 で あ る との 天 皇神 話 を強 めた 。 米 国 と2発 の原 子 爆 弾 が 天 皇 に無 条 件 降服 を強 制 した。 44年 後 の 今 日,戦 争 の苦 い 思 い 出 は な お残 っ て い る。 例 えば英 国で は,新 聞 数紙 が天 皇 の葬 儀 に英 王 室 や 政府 の要 人 が 派遣 さ れ る こ 一13一
と に強 い 反対 を表 明 した。 しか し米 国 で は反 日感 情 は そ う強 くは な い し,ブ ッシ ュ次 期 大 統 領 が 参列 す る と伝 え られて い る。 タ イは1941年12月 日本 軍 に攻 撃 され,占 領 され た 。1942年1月 に は ピ ブ ン元 帥 の戦 時 内 閣 は米 英 に対 して宣 戦 布 告 を した 。 中 国 や マ ラヤ(現 マ レー シ ア と シ ンガ ポ ー ル)の よ うに 日本 軍 の 占領 下 にあ った 国 で は, 日本 の 野 蛮 な 行為 が広 く行 わ れ た こ とが伝 え られ て い るが,こ の 国 で は政 府 が タ イ国進 駐 日本 軍 指揮 官 と協 力 した お か げで,日 本 の野 蛮 な行 為 か ら国 民 を救 うこ とが で き た。 裕 仁 天 皇 の 死 は,こ の 国 で は何 ら悪 感情 を か き立 て な か った 。 そ れ どこ ろか 国 王 陛 下 は 直 ち に明 仁 皇 太 子 に 弔 電 を送 られ た し,チ ャ チ ャイ首 相 は竹 下 首相 に 弔電 を お く り 「日本 国民 の取 り返 しもで きな い悲 しい損 失 に,タ イ政 府 の 心 か らの 弔 意 と同情 」 を伝 え た。 〈L表 〉 大 葬 の 時 の4紙 の 紙 面 チ ャチ ャイ首 相 とシチ外 相 とは東 京 で の 国 葬 に参 列 す る。 タイ の新 聞 はす べ て 天 皇 の死 を大 き く取 り 上 げ た 。 中 に は 日本 人 の 悲 しみ に 弔意 と理 解 を示 す社 説 を掲 げ た もの もあ る 。 戦 後 の 日本 の 奇蹟 的 な経 済 成 功 は,世 界 の 多 くの 人 々,と くに戦 時 中 の 日本 の 蛮 行 と搾 取 を経 験 した人 々 に と って は,せ ん望 の 的 で あ っ た。 皇 位 を継 承 され,平 和 を実 現 す る とい う平 成 の治 世 を始 め た明仁 天皇 は,新 しい 日本 の 時 代 を象 徴 して い る。新 天皇 は 巨大 な富 と技 術 を もつ 成 功 した国 民 を統 治 す る ので あ る。 世 界 平 和 の た め に力 をつ く し,第3世 界 の 発 展 を助 け る こ とに よ って,明 仁 天 皇 の 日本 は世 界 に認 め られ,戦 争 中 の行 動 に対 す る免 責 をか ち とる こ とが で き る。 (P=ペ ー ジ) イ ン ドネシ ア タ イ ジ ャ カ ル タ ・ポ ス ト イ ン ドネ シア ・タイム ズ バ ン コ ク ・ポ ス ト 不 一 シ ョ ン、 2月21日(火) 9P 大葬 の引 き起 こ した論 争(ロ イ ター) 2月22日(水) 1P タイ皇太 子訪 日 7P 竹下侵略発言で日本釈 (新天 皇 と会見 の写真) 明(鯉) 4P (社説)「 昭和 」 の弔 8P (社説)米 ・タイ首 脳 問外 交(論 評)ア ジ ア 東京会 談(論 評)日 ・ 人日本に教科書を投げ る タ イ関係 2月23日(木) 1P スハ ル ト大統 領東 京着 1P厳 戒 の 中要人 到着 8P 弔 問外交 始 まる(AP) 6P 厳戒 の東京(AP) (写真つ き) スハ ル ト大統 領東 京着 4P (社説)「 ヒロ ヒ ト後 (写真つ き) の 日本」 4P日 本,大 国の 役 に調整 中 2月24日(金) 1P 葬儀関係 1P国 葬 準備 進 む 1P (中 段)ブ ッ シ ュ ・チ 1P 世界の指導者参集 7P 日本政府厳戒態勢 渡辺 氏 イ ン ドネ シア閣 ヤチ ャイ会 談 ブ ッ シ ュ ・チ ャチ ャ イ (ロ イ タ ー,UPI) 僚 と会談(援 助問 題) (i1PI) 会談 7P 世界の指導者参集 7P 日本 新時代 の は じま り (AP) (ロ イ タ ー) 特集(4P分) 新旧天皇中心に 2月25日(土) 1P 葬儀の模様(写 真付) 1P葬 儀 の模 様 iP 葬儀の模様 1P タイ皇太子葬儀 に参列 (スハ ル ト夫妻 の写 真) (カ ラー写真 付) (カラ ー写真付) 5P (全ペ ージ)葬 儀 関係 6P 葬儀は過去と現在を結 6P 竹下侵略問題 を回避 ぶ(AP) (nr) 2月27日(月) 1P スハ ル ト ・竹 下会 談 1Pス ハル ト ・竹 下会 談 3P 日 ・タイ首相 会談 1P チ ャチ ャイ首 相帰 国談 (写真付) (写真 は7P) 2P 日 ・タイ首相 会談
社 説 をみ る限 りで は,ネ ー シ ョ ンの 論 調 が 一 番 き び しい よ う にみ え るが ,そ れ は 日本 を た た えた8日 以後 の紙 面 を考 え る と,バ ラ ン 、 ス を と る とい う面 が あ る よ うに思 え る。 この 点 は2月24日 の大 葬 に対 す る紙 面 か ら もうか が える 。 な お1月10日 付 で,バ ン コ ク ・ポ ス ト と ネ ー シ ョ ンの両 紙 と も,天 皇 の 崩御 で竹 下 首 相 の 政治 生 命 が伸 び るか も しれ な い とい う観 測 記事 を掲 せ て い た のが 注 目 され た 。 ② 昭 和 天 皇 の 大 葬(2月24日) この葬 儀 に は,イ ン ドネ シ ア の スハ ル ト大 統 領 が 参 列 した こ と もあ って,イ ン ドネ シ ア の新 聞 も可 成 り と りあ げ て い た 。 各 国首 脳 が 東 京 に向 か った2月21日 以 降 弔 問外 交 の終 わ る2月27日 まで の 間で あ っ たが, 各 紙 の 扱 い を表示 す る と 〈L表 〉 の通 りで あ る 。 こ こで も最 も熱 心 だ っ たの は タイ の ネ ー シ ョン紙 で あ っ た 。バ ンコ ク ・ポ ス ト紙 も 日本 関係 を よ く取 り上 げ て い たが,む しろ批 判 的 な 論調 が 目立 っ た。 こ れ は,対 日批 判 の きび しい イ ギ リス の トム ソ ン財 団 の 支配 下 にあ っ た こ とが影 響 して い るの で はな いか と思 われ る が,い ず れ に して もネ ー シ ョ ン紙 との 対 照 は あ ざ や かで あ っ た。 しか しそ の詳細 は書 い て い る余 裕 が ない 。 取 敢 ず 事 実 の指 摘 だ け に と どめ て,筆 をお き た い。(こ の 研 究 は 同名 の 主 題 の下 で情 報 学 部 の1988年 度(昭 和63年 度)の 研 究 と して 認 め られ た もの で あ る。) 一15