社会史の
一
中学校社会科歴
研究成果をふまえた歴史内容構成の考察
史的分野
「日本の中世
」を事例
としてー
’
T
h
e Strucutre of Instructional Contents of History based on Social History
別
府
陽 子
(福
岡
県糸
島
郡
志摩
町
立
志摩
中学校)
はじめに 中学校社会科歴史的分野では,世界史を背景に日本 の歴史を通史として学ばせる。各時代の特色と時代の 移り変わりを学習させることが最も重視され,政治・ 経済・社会の制度や組織,政権交替に関わる事件・事 象の学習が中心となる。しかし政治史中心の歴史教育 は「事件・事象の羅列,知識注入,暗記教科」になっ ているといった問題点が指摘され続けてきた。学習指 導要領はこうした問題点を改善するために,昭和52年 版から歴史の舞台を重視し,生活や生活文化の視点を 取り入れるようになった。平成元年版でも空間や生活 文化の視点が匚身近な地域」「生活と生活に根ざした 文化」としてさらに強調され,内容の取扱いに明記さ れている*1.ここには民俗学や新しい歴史学の影響が うかがえる。 しかし,生徒に生き生きとした歴史像を描かせるた めには,内容の取扱いに工夫を凝らすことにとどまっ ているのではなく,内容そのものの大胆な見直しが必 要ではないだろうか。本稿ではこうした点を踏まえ, まず新しい歴史学としての社会史の性格を明らかにし, 社会史からみた現行の学習指導要領および歴史教科書 の内容を検討する。次いで,社会史の研究成果をふま えた中学校社会科歴史的分野成について私案を提起したい。「日本の中世」の内容構I。社
会
史の
特徴
と歴
史教
育
に
と
りいれ
る視
点
「新
しい歴史
学
」
と呼
ばれ
る
社
会
史は
,従
来の
歴
史
学
では
あま
り目
を向
けられ
なか
った
歴
史
の
諸側
面に
光
を
あて
,
生き
生
き
と
した歴
史像
を描
き出
して
いる
。社
会
史の
新
しさは
,既
成の
枠
に
と
らわ
れ
な
い
,常に
新
し
い視
角か
らの
研
究
をめ
ざ
して
いる
と
こ
ろに
あ
る
と
いわ
れ
る゛2
.それ
は
,単
に
知
識
量
を増
大
した
り,新奇
な対
象
を求め
る
だ
けで
は
な
く,
対象領
域
の
質的
な
転換
をも
た
ら
した
。
日本
の
社
会
史で
は
,①
地域
を重視
す
る
,②
これ
ま
で
軽
の
視
内
され
面の
て
世界
きた
に
人々
目
を向
に
け
着
目す
る
,
とい
る
,③
う新
日
しい視
常生
活か
角か
ら
人々
らの
研
究が
発
表
され
て
いる'3
。そ
して①
∼③
の
研究対象
を
個
別
の
も
の
と
して
と
ら
えるの
では
な
く
,相
互
の
関連
を
追
究
し
,社会
の
総体
を明
らか
にす
る
こと
をめ
ざ
して
い
る
。そ
の
ため
に
,それ
ぞれ
の
研
究対
象
に適
した
多様
な
史料
を用
いた
り
,他
の
学
問
分野
の
研
究
成
果
を積
極
的
に
活用
しよ
うとす
る
。社
会
史
は今
や
多
くの成果
をあげ,
特
に
中世
の
分野
に
お
いて
は
これ
まで
の
歴
史像
を
一変
さ
せ
た
と
いわ
れ
る
。
この
よ
うな
社会
史の
研
究
成
果
をふ
ま
え
,歴
史
教
育に
と
りいれ
る
視
点
と
して
次
の
3点
を導
き
出
した
。
A。地域
の
複
合
体
と
しての
日本
列
島の
歴
史
B.
多様
な
民衆
とその
生
活に
視
点
をあ
てだ歴
史
C,
集
合
心性
に
視
点
を
あ
てだ
歴
史
A。地
域
の複
合
体
と
しての
日本
列
島
の歴
史
従
来の
歴
史
教
育
では
,政
権
交
替史
が
内
容構
成
の
枠組
み
と
して
設
定
され
,古
代
大
和朝
廷の
成
立
以
来鎌
倉
幕府
成
立
まで
は
畿
内朝
廷が
,幕
府成
立
以後
は鎌
倉一
室
町一
江
戸幕
府
の
武
家政
権
が
日本
全
国
を支
配
し
,
日本
と
い
う
単
一
国家
が連
綿
と
して
続
い
て
きた
とい
う理
解
を
もた
ら
す
。そ
こでは
北海
道
や
沖縄
は
「進
ん
だ
日本
」か
ら征
服
され
日本
に
同
化
した
と
され
,各
地
域の
歴
史
や
地域
の
特
質は
「遅れ
た
もの
」で
あ
り,
「進
ん
だ
中
央
一遅れ
た
地
方
」
とい
う図
式の
も
と
に歴
史の
発
展が
説
明
され
る
。
日本
列
島
を
地域
の複
合体
と
して
と
ら
える
ことは
,
日
本
の
歴
史
を相
対化
して歴
史発
展
の
多様
性
を認め
,
さま
ざま
な
民
族や
地
域
の歴
史
をそ
の
民
族
・地域
に即
して理
解
す
る
こ
とで
ある6
この
視
点か
ら
地域
の歴
史
を
日本
列
島
の
歴
史の
中に
位置
づ
け
,ま
た
日本
列
島
をア
ジ
ア
諸
地
域
との
関連
に
おい
て相
互
の
交
流
と発
展
を考
える
広
い視
野
を持た
せ
る
こ
とが
で
きる
。
B。多様
な
民
衆
とそ
の
生
活
に視
点
をあ
てだ
歴
史
歴
史教
育に
おい
て
一般
に
,民衆
と
い
えば農
民
の
こ
と
を
だ
さす
け
で
な
状
く漁
況が
ある
民
,狩
。
しか
猟
民
し近
,各
代
種の
以前
手工
の
業者
社会
にも
,遍
,農
歴す
民
る
芸能民や聖,遊女など多様な民衆が存在し,多様な生 活が営まれていた。これまであまり顧みられることのな かったこれらの人々も含めて社会が構成されているので あれば,農民だけに焦点をあてた民衆の生活は,偏った 歴史像あるいは誤った歴史像を描かせることにもなる。 絵巻物などの絵画史料にはさまざまな民衆の姿が描 かれており,各時代の具体的なイメージを与えてくれ る。また,その描かれ方からその時代の価値観,社会 各階層の身分関係を読みとることができる。絵図は, 自然の力や開発によって変化する以前の歴史的景観を 伝え,土地利用の状況,共同体の範囲や結びつきかた などを読みとることができる。また,民話や伝承,各 地に残る習俗は人間の自然との関わり方を明らかにし, 陶器や漆器などの出土品は想像以上に豊かで多様な民 衆の生活ぶりを示している。 このような史料から,多様な民衆の存在とその生活 を知ることができる。また民衆に視座をおくことによ り,厳しい支配のもとにおかれながらもしたたかに生 きた民衆の姿や,規制に縛られない旺盛な活動を示す 民衆の生活が明らかになる。 C,集合心性に視点をあてた歴史 各時代の政治・経済のあり方をみても現代の常識で は理解できないことが多い。例えば,なぜ古代・中世 において寺社が多くの土地を所有し,政治的にも大き な発言権を持ちえたのか。なぜいったん所有権の移動 した土地をもとの所有者に返すという徳政が実施でき たのか,これらは当時の人々の意識の底に共通に流れ ていたもの(「集合心性」と称される)を理解するこ となしには説明できない。また,現代に残る行事や習 俗・遊びの淵源を探ることから,その時代や社会にお ける意味を知り,当時の人々の世界観・自然観・価値 観などに迫ることができる。 集合心性に視点をあてることは,歴史事象を当時の 人々の目でとらえようとすることであり,社会の特質 を明らかにし,歴史をより深く理解することができる。
H,
現
行
の
学習
指
導要
領
と歴
史教
科
書
の
内
容
昭
和52
年版
学習
指
導
要
領
では
,地
域
の
重視
に
関
して
「第
一に
日本
列
島内
の
地域
ご
との
歴史が展
開
している
こ
とに
気
づか
せ
る
こと
,第
二
には
,地
域
を
自分
に
関係
させれ
ば郷
土
とい
うこ
とに
な
るが
,そ
の郷
土の
歴
史
を
探
る
こと
に
よ
って
歴
史
を
自分
と密
着
させた
か
た
ちで
と
らえ
させ
る」*4
ことが
意
図
され
て
お
り
,
郷
土の
歴史
を
通
して
,
地域
の特
性
を反
映
した
独
自の
歴
史が
展
開
した
こ
性
と
と関
を学
連
ばせ
させ
よ
て理
う
とす
解
させ
る
。
る
目標
姿
勢が
か
らも
読み
とれ
歴
史
る
を地
。
域
の
特
しかし,内容の取扱いをみると,空間の視点が郷土 に限定され,しかも郷土の歴史をとり上げる目的が, 歴史学習に具体性と親近性をもたせることにおかれて いる。さらに,平成元年版になると,国際社会への対 応という観点から,世界の中の日本に焦点があてられ, 日本国という国家の枠組みが強調されている。ここで も身近な地域を取り扱う目的が,具体性と親近性をも たせることにおかれており,地域の歴史を日本列島の 歴史や東アジアの歴史に位置づけ,日本国の歴史を相 対化するものとはなっていない。 52年の改訂にあたり学習指導要領は,従来の政治史 中心の歴史学習を改め,人々の生活にも目を向けさせ ることをめざしている゛5が,それは多様な民衆に着 目したものではなく,「庶民」の生活として一括して 扱われている。内容の部分における記述の中心は,昭 和33年版以来依然として,支配階級(武士)が農民を 中心とする民衆をいかに支配したかにおかれている。 平成元年版でも同様で,多様な民衆の存在に着目させ, その生活を学習させるものとはなっていない。例えば, 日明貿易に関連して「背景にあるアジア各地域との交 流」゛6という解説がなされているが,誰が誰と貿易し ていたかは問題にされていない。そこでは民衆間の交 流が幕府による公式貿易の背景として触れられている にすぎない。 また学習指導要領は,生活文化の展開をみることに よって「政治・経済・社会の組織の動き,歴史的事件 などの意義を明らかにする」と意義づけ,平成元年版 では,学習の対象として衣食住・年中行事・労働・信 仰などがあげられている。生活文化の重視を単に知識 の増大に終わらせず,集合心性に迫るためには,生活 文化と時代や社会との関連を追究することが必要となる。 このように学習指導要領は社会史的視点を取り入れ ようとする意図はあるものの具体化されておらず,前 述の3つの視点を満足するものではない。では,教科 書の内容はどのように変化しているのだろうか。 昭和36年版教科書に比べると昭和44年版,58年版教 科書は,しだいに歴史の舞台を重視するようになって いる゛7。しかし,歴史の舞台に関する記述は,政治的 事件が起こった場所と,政治の中心地である京都・ 鎌倉がほとんどである。それも地名のみを記したもの が多く,地域の自然条件や歴史的背景と関連付けて歴 史の展開を学習する内容とはなっていない。例えば, 倭寇について「九州や瀬戸内海沿岸の武士や漁民のな かには,集団をつくって朝鮮や中国にわたり,貿易を 強要したり,海賊をはたらいたりする者が現れた。」 と説明するがていったのか,なぜ,海賊この地域のをはたらくのはなぜなのか,な人々が中国や朝鮮にっど −88−はいっさい記されていない。 教科書の中世の部分には,農民をはじめ商人・職人・ 漁民一芸能民などさまざまな職業の民衆が記述されて いる。また,生活に関する記述の分量が増しているが, その大部分は武士と農民に関するものである。そして 貨幣経済の浸透にともない政治的にも無視できなくなっ た有力商人の生活が付け加えられてい。る。それ以外の 民衆については,その生活や職業の社会的意義などを 学習するものとはなっていない。 また,58年版教科書には自由研究のページが設けら れ,地域に残る生活文化が紹介されている。衣食住に 関する記述が48年版教科書から登場し,本文でも生活 文化に関する記述が増しているが,いずれも表面的な 紹介にとどまっている。例えば,戦国時代の頃から村 祭が始まったことが記されているが,それが氏神を中 心とする村の共同体のしくみや,氏神に対する信仰の あり方と関連づけてとらえられなければ,単なる事実 的知識の増大にとどまってしまう。 絵画資料や遺跡遺物の写真,地図などの資料の掲載 も増えている。しかし,これらの資料は本文記述との 関連が明確ではなく,実際の授業の中でも十分に活用 されているとはいえない。
Ⅲ
。
「日本
の
中世
」の
内
容構
成
ここで
は前
述
の
社会
史の
視
点
をと
りいれ
て
,中世
史
を事例
に
した
新
しい
内
容構
成
案
を提
起
す
る
。
1.内容
構
成の
方
法
まず
前
述の
視
点
A
<地域
の複
合体
と
して
の
日本
列
島
の
歴
史
>を最
も重
視
して
,
図
1の
よ
う
に地
域
の
枠組
み
を設
定
した
。
図1.地域の忰耜み / 〆 网図1.
地球の
枠組
み
日本
列
島の
地域
的
差異
は
,東
日本
と西
日本
との
間
に
最
も顕
著
に
あ
らわ
れ
て
いる
。そ
こでま
ず
網野
善
彦氏
の
研
究゛8
。に依
拠
して
,
日本
列
島
を大
き
く東
国と西
国に
わ
けた
。次
に
日本
列
島
を
東ア
ジ
ア
全体
に
位置
づ
ける
た
め
に
,村
井
章介
氏
の
地域
モ
デル
゛9
をも
とに
,
「蝦
夷」
一
環
シナ
海
地
域
・環
日本
海
地域
を
設定
した
。
内
容の
選
択
に
あ
た
っ
ては
,
東
国
と西
国の
対抗
関係
を
鮮
明
にす
る
こ
と
,
中央か
らみ
た
地
方の歴
史ではな
く,
地
域
に視
点
を
おき
,
日本
列
島の
歴
史や周
辺諸
国
・諸
地
域
の
動
き
と関
連
づ
け
る
こ
と
を考
慮
した
。
中世の
政
治
的
対
立
・争
乱は
,
下記の
よ
うに
東
国
と西
国の
対抗
関係
で
表す
こ
とが
で
きる
。
厂 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 源 平 の争 乱 l 承 久 の乱 i 本所一円頷に総動員令をしく | 倒幕と建武の新政 l 観応の擾乱 | 室町公方と鎌倉公方の対立 I ﹁ 1 1− − − − ︱ ︱− − ︱︲ − − − − − − − 一 一 一 二 こ こ 二 二 こ 一 東 西 東 西 西 西 ︲︲ こうした東西の対立は,それぞれの自然環境や歴史 的背景に規定された社会のあり方の違いから生じたも のである。東国の武士団と西国の武士団の性格の違い, あるいは東国武士団を基盤とする鎌倉幕府と,西国に 本拠地をおき朝廷や西国武士団をも支配下に組み込も うとする室町幕府との相違点を,地域の特質と関連づ けて明らかにする。 歴史は,政権交替など中央の政治的な動向だけで進 展するものではない。日本列島の歴史は,東アジアの 大きな動きの中で,他の地域と相互に作用しあって形 成されたものである。この観点から環シナ海地域と環 日本海地域に視点をおき,この地域の活動を取り扱う。 同時に,日本列島には通常日本史で用いられる時代区 分では説明できない独自の歴史を持つ地域が存在した ことを確認する’lO。 次に,前記Bの視点<多様な民衆とその生活に視点 をあてた歴史>から,農民以外に海民,悪党,都市住 民,職人をとりあげ,中世においてもさまざまな生業 を持つ人々が存在し,多様な生活が営まれていたこと に気づかせる。 さらに,前記Cの視点<集合心性に視点をあてた歴 史>については,「蝦夷」観念の変遷と一揆をとりあ げる。「蝦夷」を取り扱うことで中世の人々が観念し た日本の領域を探る。また,一揆が中世社会の慣行に 基づくものであったことを理解させ,現代の常識で中 世社会をとらえるのではなく,中世の集合心性に即し て事象をとらえさせる。 内容の配列にあたっては,地域の歴史を特設の課題 学習としてではなく,通史の中に組み込んだ。 中世が古代と異なる大きな特色は,武士が政治の舞 台に登場したことにある。小単元田「中世の夜明け」 では,武士のおこりが新しい時代をきりひらいたことを鮮明にするために,武士団を多く生みだした東国を 最初に配置する。東国における武士団の成長や西国か らの自立は,東北社会が深く関与している。・東国の武 士は,西国朝廷の「蝦夷」支配の軍事力として動員さ れ,「蝦夷」と戦うことで騎射などの武芸を鍛え,前 九年・後三年の役などの戦争で武士団を成長させていっ た。東国と東北の関係を明らかにするために東国の次 に東北をおき,その後西国をとりあつかう。 つぎに,鎌倉幕府の成立から戦国時代にはいる前ま での時期を,政治史を中心に,小単元(2囗3)にまと め,東国と西国を対比させる。その際,生徒が歴史事 象や社会の変化を無理なく受け入れられるよう時間の 流れにそって配列することを基本とした。 中世後期には東国と西国の違いだけでなく,農村・ 漁村・都市などに分化し,惣村や自治都市の成立など 地域の自立が顕著になる。環シナ海地域でも14・5世紀 の倭寇に引き続き,活発な交易活動が展開する。中世 後期の特徴である貨幣経済の進展や土一揆の頻発は, 民衆の広範な自立的活動によってもたらされたもので ある。そこでこれらの内容を,小単元 「地域の自立」 にまとめ,戦国時代が中世から近世への過渡期である ことを象徴的に表している越前朝倉氏の戦国城下町一 乗谷を最後においた。ただし,環日本海地域について は,「蝦夷」・アイヌ人の歴史との関連から,小単元 (1<表卜②1.「『蝦「日本の夷』の社会中世」の」に組み内容構成案込んだ>。
(1
)中世の
夜
明
け
①
武
士発祥
の
地
東国
②
「蝦
夷
」
の社
会
③
平
氏のめ
ざ
した
海
洋
性西
国
国
家
(2
)東
国の
自立
①
東
国
武家
政権
の
誕
生
②
東
国
政権
の
西
国進
出
(3
)西
国社
会
の
転換
①
西
国朝
廷
の抵
抗
②
西
国
武家
政権
の
誕
生
(4
)地
域の
自立
①
環
シナ
海
地
域
②
a.
民衆
惣村
の
と一
自立
揆
b,
都
市
と民衆
③
地
域
的小
国家の
出現
2。
内容
の
特色
と展
開の
視
点
小単
元
ごと
に内
容の
特
色
と展
開の
視
点に
つ
い
て述べ
て
い
く
*11
.
剛 中世の夜明け ここでは武士のおこりから平安時代末期までを扱い, 東国・ 匚蝦夷」・西国のそれぞれの地域の特質と独自 の歴史に着目する。 ①では,10世紀に朝廷を震寒させた平将門の乱を中 心に,考古学の研究成果や自然条件と関連づけて東国 の歴史に焦点をあてる。平将門の乱には,東国武士団 の実態と西国朝廷からの自立志向をみることができる。 東国が多くの武士団を生み出した理由を,開発に欠か せない馬と鉄の生産地であったことから説明する。ま た支配階級に仕える存在であった武士団が,武家政権 を樹立させるまでに実力を蓄えることができた理由を, 石井進氏の匚イエ支配権」の理論を用いて探求させる。 ②では,「蝦夷」には自然環境に適合した独自の歴 史が展開したことを明らかにする。「蝦夷」は狩猟・ 採集の生活が長くっづき,水田耕作を基盤とする律令 体制にはなじまない地域であった。西国の人々にとっ てそこは異界との境を接する境界の地であり,古代と 中世では「蝦夷」ということばが指し示す地域も異なっ ている。鎌倉時代になると,東北地方最北部や北海道 南部は幕府によって流刑地とされ,主に西国の悪党や 海賊が流された。 しかし,俘囚の豪族は「蝦夷」の人々との交易を行 い,西国朝廷に朝貢しつつ独立国家を築き,平泉を中 心に仏教文化を栄えさせた。津軽十三湊の繁栄に注目 して,この地域が中国や朝鮮への北の窓口となってお り,北陸以北の日本海沿岸地域との海上交通も開けて いたことを明らかにする。 ③では,海上交通の発達した西国社会を扱う。海民 には漁業だけでなく,交易や廻船を生業とする人々も いた。彼らは,朝廷や大寺社と結びついて,海での自 由な活動を保証する特権を獲得し,商人や剋船人となっ て各地を遍歴したが,時には掠奪を行う海賊に変身す ることもあった。西国の武士団は海民との関係が深く, 海の武士団といえる。ここでは,海民の生活を扱い, 海の武士団の典型として松浦党をとりあげる。平氏は, 瀬戸内海や九州の海の武士団を組織し,中国の貿易を 積極的に推進しようとした。貿易港として栄え中国人 の居留する博多を手中におさめ,さらに瀬戸内海航路 を整備し,福原に遷都する。 (2)東国の自立 鎌倉幕府は最初の自立した武家政権である。この政 府が古くからの政治の中心地である畿内にではなく, 東国の鎌倉に本拠地をおいたところに武家政権として 自立・成長できた最大の原因がある。 ①では,幕府成立から承久の乱後,執権政治が確立 した頃までを扱う。鎌倉幕府は自立志向をもつ東国武 −90−士 団 を 基 盤 と す る政 権 で あ る。 畿 内 か ら 離 れ た, 防 衛 に 適 し た地 形 を もつ 鎌 倉 に 本 拠 地 を お く。 ま た幕 府 成 立 当 初 か ら朝 廷 や 貴 族 , 寺 社 の 支 配 下 に あ る西 国 や 本 所 一 円 領 に は 介 入 し な い こ と が 原 則 と な っ て い た。 こ れ ら の こ と か ら, 西 国 朝 廷 か ら の 自 立 を め ざ す 東 国 政 権 と し て の鎌 倉 幕 府 の性 格 を 浮 き 彫 り に す る。 ② で は, 蒙 古 襲 来 と そ れ が 日 本 に 及 ば し た 影 響 を 扱 う。 蒙 古 に侵 略 さ れた 高 麗 や ベ ト ナ ム は 激 し い 抵 抗 を 示 し た 。 ま た, 日 本 に 襲来 し た蒙古 軍 は, 侵略 地 の人 々 を含 む 寄 せ集 め の 軍 隊 で あ っ た 。 そ の た め に 日 本 は蒙 古 軍 に 侵 略 さ れ るに は い た ら な か っ た が, そ の 影 響 は 大 き か っ た。 蒙 古 襲 来 を契 機 と し て , 幕 府 内 部 で は北 条 氏 の専 制 化 か 進 み, 成 立 以 来 の 原 則 を 崩 し て 西 国 に も支 配 を 拡 大 し て い き, 幕 府 滅 亡 へ と つ な が る。 ま た, 蒙 古 襲 来 絵 詞 を 使 っ て 竹 崎 季 長 に 焦 点 を あ て, 当 時 の 御 家 人 , 特 に 警 備 に動 員 さ れ た 御 家 人 の 対 応 と , 御家 人 の所 領 を 切 望 す る あ り さ ま を 扱 う。 (3) 西 国 社 会 の 転 換 南 北 朝 の動 乱 に よ っ て 朝 廷 や 寺 社 の 権 威 が 低 下 し 変 質 し て い く西 国 社 会 を 扱 う。 後 醍 醐 天 皇 を 中 心 と す る 朝 廷 勢 力 は , 西 国 の 悪 党 を 組織 し,幕 府 内 の反北 条氏 勢力 と結 びつ い て幕 府 を 倒 す。 ① で は, 建 武 の新 政 が東 国 武 家 政 権 に よ る西 国 進 出 に対 す る西 国 の 反 撃 で あ っ た と と らえ , 悪 党 の 実 態 と 荘 園 領 主 で あ る公 家 や寺 社 の 衰 え に注 目 す る。 悪 党 は 幕 府 や 荘 園 領 主 の支 配 に 従 わ な い た め 禁 圧 の対 象 と さ れ た が , 在地 に 勢 力 を 持 ち, 流 通 の拠 点 を お さ え, 遍 歴 す る人 々 を も組 織 す る人 々 で あ っ た。 建 武 新 政 府 の 成 立 後 も足 利 氏 は独 自 政 権 の 樹 立 を め ざ し 東 西 の 対 立 は つ づ く。 日 本 列 島 を 大 軍 が 駈 け め ぐ り , 日 本 中 で 争 い が 展 開 す る。 南 北 朝 の動 乱 と 南 朝 の 敗 北 は 朝 廷 や 寺 社 の 権 威 を 低下 さ せ た。 ② で は, 西 国 に 拠 点 を お い た 室 町幕 府 の性 格 を 明 ら か に す る。 義 満 は, 武 士 だ け で な く朝 廷 と寺 社 を も支 配下 にお く た め に , 自 ら 公 家 化 し , さ らに 出家 し て つ い に 法 皇 と 同 等 の地 位 を 獲 得 す る。 室 町 幕 府 を 支 え た 武 士 団 も 南北 朝 の動 乱 を 経 て 変 質 し て い っ た。 武 士 の 家 で は惣 領 制 か ら嫡 子 単 独 相 続 制 へ 移 行 し , 庶 子 た ち は権 限 を 強 め た 惣 領 の も と で , 家 人 と 同 様 に 遇 さ れ る こ と に な り, 誰 が惣 領 と な る か が大 き な問 題 と な9 て く る。 家 督 相 続 を め ぐ る争 い は, 上部 権力 であ る幕 府 ・ 将 軍 の 口 出 し を 招 き, 鎌 倉 時 代 認 め ら れ て い た イ エ支 配 権 が崩 れ て い く。 こ こ で は イ エ 支 配 権 に み ら れ る 武 家 社 会 の変 化 を 中 心 に 社 会 の変 質 を 取 り扱 う。 (4) 地 域 の 自 立 室 町時 代 は社 会 の変 動 期 に あ っ て , 確 か な 権 威 が 存 在 し な い が た め に, 地 域 独 自 の動 き や 民 衆 の 自 立 的 な 活 動 が顕 著 に な る。 ① で は, 中 国 ・ 朝 鮮 ・ 日 本 とい っ た 国 の 領 域 を 越 え た民 衆 の 活 動 を とり あ げ , そ れ が 周辺 の国 家 の歴 史 に も影 響を 及 ぼ し て い る こ と を 明 ら か に す る。 < 表2. 14 ∼15 世 紀 倭寇 と 東 ア ジ ア の 動 き> 1333 1336 1350 1351 1356 1368 1375 1380 1392 1397 1401 1419 倭 寇 この年以降、高麗の沿 岸をしばしば侵す。 このころ活助最盛期に はいり、朝鮮半島全域 を襲う。 このころまでに倭寇の 活動おおよそ柊息 日 本 鎌倉幕府滅亡 南北朝分裂 観応の助乱 南 ・ 北 九州南朝 鮮 最盛期 の 動 乱 南北朝合 義満、日明貿易開始 中 国 〈元〉 1 1 1 紅巾の乱 1 〈明〉の建国 海禁を厳しくし、勘 合の制を定める。 朝 鮮 〈高麗〉 1 1 1室町幕府に倭寇 禁圧を求める。 1 1 李 成桂 倭寇を破る。 〈李氏朝鮮〉の建国 倭寇の根拠地対馬を 襲撃(応永の外寇) 表 2 で 示 し た よ う に , こ の 地 域 の中 心 的 な 担 い 手 で あ っ た 倭 寇 の活 動 は , 日 本 で は南 北 朝 の 動 乱 期, 中 国 に お い て は元 か ら 明 へ の王 朝 の交 替 期 , 朝 鮮 で は元 の 侵 略 に よ っ て 疲 幣 し た高 麗 が 衰 え , 李 氏 が 新 た に 建 国 す る 時 期 に あ た る。 そ し て こ れ ら の国 の 政 権 が安 定 す る と 倭 寇 の活 動 も終 息 に 向 か う。 こ の こ と は, 環 シ ナ 海地 域 の活 動 と 周 辺 国 家 の 状 況 が 相 互 に 影 響 を 及 ぼ し あ っ て , そ れ ぞ れ の 歴 史 を 形 成 さ せ る こ と を 表 し て い る。 こ こ で は倭 寇 の 掠 奪 ・ 海 賊 行 為 を , 彼 ら の生 業 で あ る 通 商 活 動 の一 環 と し て と らえ , 根 拠地 と さ れ る 対 馬 な ど 西 北 九 州 の地 域 的 特 質 と 関 連 づ け て , 交 易 が 重 要 な 生 活 手 段 で あ っ た こ とを お さ え る。 ② − a で は, 室 町 時 代 に 頻 発 し た一 揆 を 集 合 心 性 の 視点 か ら取 り 扱 う。 一 揆 は, あ る 目 的 の た め に 特 定 の 手 続 き や 作 法 に 従 っ て 結 ば れ た 集 団 を さ す 。 一 般 に 「 一 味 神 水 」 と い う手 続 き が と ら れ, こ れ に よ り 神 を 媒 介 と し た 「一 味 同 心 」 と い う連 帯 の 心 性 を 創 り 出 す こ と が で き る と 考 え ら れ て い た。 畿 内 近 国 に多 く み ら れ る惣 村 で は, 一 揆 を 結 ん で 掟 を 定 め た り , 頷 主 に対 抗 し た。 こ こ で は, 琵 琶 湖 の北 岸 に あ る菅 浦 を事 例 に, 自 治 を 行 う 惣 村 の生 活 を 明 ら か に す る 。 ま た , 幕 府 に 初 め て 天 下 一 同 の徳 政 令 を 発 布 さ せ た 嘉 吉 の 土 一 揆 を と り 上 げ , 土 一 揆 の 組 織 的 で 計画 的 な 行 動 と と も に , 一 揆 を 結 ん で の 要 求 で あ るか ら 徳 政 も認 め ら れ る べ き だ と い う中 世 の集 合 心 性 に 焦 点 を あ て る。 ② − b で は, 都 市 住民 の生 活 を あ つ か う 。 室 町 時 代 に は, 貨 幣 経 済 ・ 商 品 流 通 が 活 発 と な り , 各 地 に 都 市 が 形 成 さ れ る。 大 都 市 と して 政 治 経 済 の中心 地京 都 を, 中 小 の 港 町 とし て草 戸 千 軒 町, 自 治 都 市 と し て 博 多 を と り あ げ る 。 こ れ ら の事 例 は, 想 像 以 上 に 豊 か で多 様 な 生 活 が 営 む ま れ て い た こ と を 物 語 っ て い る。 草 戸 干 軒 町 遺 跡 か ら発 掘 さ れ た国 内 各地 の 陶 器 や 中 国 ・ 朝 鮮 の 陶 磁 器 は, 広 い 範 囲 に わ た り , 活 発 に 交 易 が 行 わ れ
ていたことを示している。 ③では,戦国大名によって地域的小国家が形成され, 近世へと移行していく時期を扱う。越前一乗谷は,朝 倉氏の家臣や手工業者の住居が立ち並び,城下町を形 成している。これは,在地領主として自立した「イェ 支配権」を認められていた中世武士団が,所領地から 切り離され,城下に集住する近世武士団へと変質して いくありさまを示している。また,住居跡からはさま ざまな手工業者の生活をよみとることができ,茶道具 や花器,香炉などの出土品から,茶の湯が民衆にまで 広く普及していたことなどもわかる。一乗谷の遺跡や 出土品からの社会のありさま,中世から近世への過渡期にを探求させる。 ある戦国時代 おわりに 本稿では,社会史の研究成果を歴史教育にとりいれ る意義を述べ,中学校社会科歴史的分野「日本の中世」 の内容構成のモデルを提示した。その際通史学習とし て構成したために,社会史がもっている多様な性格が 十分生かしきれない面が生じたかもしれない。今後は 実際の授業を通して問題点を明らかにするとともに課 題学習などについても考察し,社会史の研究成果をふ まえる方法を検一般に社会科授討しなけれ業においてはばならない,教科書の。内容を所与 のものとして受け入れ,その内容をいかに理解させる かに力点がおかれる。しかし,歴史学の動向をふまえ ながら歴史教育内容そのものを検討することも必要で あろう。社会史の研究成果をとりいれた歴史教育内容 や授業構成について,さらに多くの人々によって研究 が行われ,相互に批判検討されることが望まれる。 注 *1 内容の取扱いには(1)イ, 「民俗学の成果や博物 館,郷土資料館などの文化財の見学,調査を通 じて有様の(2」あらまに考古学などの成果を活用しを理解させる)とあるして生活の。