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[資料] 1575 年にバルディビア沖で発生した巨大地震が日本にもたらした遠地津波

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歴史地震 第 33 号(2018) 139-144 頁 受付日 2017/11/29, 受理日 2018/04/19

[資料] 1575 年にバルディビア沖で発生した巨大地震が

日本にもたらした遠地津波

新居浜工業高等専門学校* 柴田 亮

Foreign Tsunami in Japan caused by the 1575 Valdivia Earthquake Akira SHIBATA

Niihama National College of Technology, Niihama, Ehime, 792-8580 Japan

The 1960 Valdivia earthquake (on May 22 1960) was well known that huge tsunami was generated and reached at wide range of coast around the Pacific Ocean According to previous research, the penultimate event (on Dec. 16, 1575) was as large as the 1960 earthquake, but the record of its tsunami in Japan was not discovered. The historical document of Ise Grand Shrine that describes the foreign tsunami caused by 1575 Valdivia earthquake has been newly confirmed. In addition they may also exist oral traditions suggesting this foreign tsunami.

Keywords: 1575 Valdivia earthquake, foreign tsunami.

* 〒792-8580 愛媛県新居浜市八雲町 7-1 電子メール: shibata@sci.niihama-nct.ac.jp §1. はじめに 長らく原因不明の津波とされてきた現象の一つに 元禄十二年十二月八日(1700 年 1 月 27 日)の高潮 があった.この津波は今村(1949)の遺稿中の年代表 に紀伊田辺の記録として掲載され,それには「浪原遠 し,此月陸中大槌にも同様の津浪あり.」とある.古く から遠地津波の可能性が指摘されていたことになる. Satake et al.(1996)は,この元禄十二年の田辺や大槌 などの記録から推定される波高分布などから,波源が カスケード沈み込み帯にあり,地震の発生時は 1700 年 1 月 26 日 21 時頃と推定した.Yamaguchi et al. (1997)は,アメリカ西海岸のカスケード沈み込み帯沿 いの海岸に於いて巨大地震によると思われる沈降現 象の痕跡を調査し,浸水で枯死した樹木の年輪によ り1699 年から 1700 年のイベントに対応すると指摘し た.都司・他(1998)は,沈降現象の痕跡と日本の高 潮記録の時期が一致することから,高潮の原因がカ スケード沖の巨大地震(以下1700 年カスケード地震) である可能性が高いとした.このイベントは渡辺(1998, 2010)がまとめた「日本の沿岸に影響を与えた南米沖 の地震津波」の表に加えられた.また Atwater et al. (2005)は,日本各地に襲来した津波の推定波高分布 から,1700 年カスケード地震の規模を Mw8.7-9.2 と見 積もった.全地球規模での古記録の調査の重要性を 改めて認識させられる結果となった. 遠地津波を発生させた有名な地震に1960 年 5 月 22 日にチリ南部のバルディビア沖で発生した巨大地 震(以下1960 年チリ地震)がある.この地震は世界最 大級のものとされ[Kanamori(1977)],チリ沿岸はもとよ り,ハワイ,日本の太平洋沿岸など太平洋沿岸諸国 各地に甚大な津波被害を及ぼした.この遠地津波は 「 チ リ 地 震 津 波 」 と し て 知 ら れ る [ 中 央 防 災 会 議 (2010)].また,1960 年チリ地震の震源域では 1575 年,1737 年,1837 年にも巨大地震が発生している. Cisternas・他(2006)は 1575 年 12 月 16 日にバルディ ビア沖で発生した巨大地震(以下1575 年バルディビ ア地震)は,記録に見られる強震動,津波および地殻 変動など諸現象の比較,およびチリ沿岸マウジン川 河口付近の湿地で調査された津波堆積物から 1960 年の地震に匹敵する規模であると推定した.渡辺 (1998, 2010)の一覧表にはバルディビア沖で発生し た1837 年の巨大地震に伴うと推定される遠地津波が 掲載されているものの,Cisternas・他(2006)が指摘す る 1837 年の地震よりも規模が大きいと推定される 1575 年バルディビア地震による遠地津波は掲載され ていない. 本調査で,筆者は都司(1981)がまとめた『紀伊半 島地震津波史料』の中に1575 年バルディビア地震に よる遠地津波と考えられる記録を見出した.他にも候 補となり得る記録が存在すると考えるので報告する. 図1 には 1575 年バルディビア地震による遠地津波の 記録やその可能性を示唆する口碑の伝わる地点,お

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よび 1960 年チリ地震による遠地津波の各地の浸水 高および津波到達時間を示した.まとめとして,表 1 に『新収 日本地震史料』などに遠地津波の記録が 収録されている巨大地震に遠地津波の被害が著しか った1877 年イキケ地震と 1960 年チリ地震を加えて一 覧で示し,その史料の出典を示した.次章以降 1575 年バルディビア地震による遠地津波を示唆する史料 について,その詳細を述べる. §2. 1575 年バルディビア地震による遠地津波を示唆 する史料 2.1 伊勢の記録 都司(1981)によれば,「天正三年十一月十六日, 十七日,伊勢山田の海辺を高浪おそう」とあり,神宮 文庫所蔵の『久志本年代記』が引用されている.『久 志本年代記』は伊勢神宮に伝わる神宮文書の一つ であり伊勢神宮の神宮文庫に所蔵される.これは久 志本家に伝来した年代記を抜書きしたものであり編 者,成立年代共に不明である[神宮司庁(2013)].本 書には養老七年(718 年)から天正二十年(1592 年) までの記事が編年順に漢文体で記されている[神宮 司庁(2013)].抜書きの元とされた伝来の年代記は現 存しないが,記事が天正二十年までであることから, 元年代記の成立年代は天正三年からそう年月の経 過しない天正・文禄年間頃であろう.『久志本年代 記』には以下の様に記録されている. 同十一月南方赤光夜々有之、廿五日当高倉 岩屋有大音如雷鳴。十六日十七日日中七度塩 干塩満高浪如山。 この記録の内発光現象である「南方赤光」は日付 が不明であり,二十五日の「大音如雷鳴」も関連は不 明であるが,「高浪」が見られた天正三年十一月十六 日はユリウス暦で1575 年 12 月 18 日に換算される. この「高浪」の日の記録には地震動や暴風雨など気 象現象を示唆する記述は見出されない.この頃京都 で記されていた『御湯殿の上の日記』[東京大学地震 研究所(1981)p136]にもこの日に地震が起った記述 は見られないことから日本近海で起こった地震による 津波である可能性は低いと考えてよいであろう.ただ し天正三年といえば長篠の戦と戦乱の時代にありこ の時期が記録の欠損期間であった可能性も否定でき ない.一方,この頃南米のバルディビア沖で巨大地 震が発生した日時は現地時間で1575 年 12 月 16 日 14:30 頃であり[宇津(1990)],日本暦(日本時間)に 換算すると天正三年十一月十五日寅刻(1575 年 12 月17 日 3:30)となる.南米チリから伊勢に津波の第 1 波が到達するのは近隣の鳥羽における 1960 年チリ 地震津波の観測[中央防災会議(2010)]から類推して 地震発生後凡そ 23 時間半程度を要すると推定され る.1575 年バルディビア地震による津波の第一波が 伊勢に到達するのは十六日の午前 3 時頃となり,十 六日未明以降に海面変動が始まると予想される.こ の記録は1575 年バルディビア地震による津波に日時 が一致する.また,高波が翌十六日と十七日の 2 日 間にわたって観察され,日中に 7 度の潮の満引と恐 らくは長周期の津波が長時間にわたって観察された ことを示唆し,規模の大きな地震による遠地津波とも 調和的である.1960 年チリ地震津波では日本各地の 験潮所で 3 日間程記録され,沼津市内浦では 53 時 間 程 度 で 津 波 の 影 響 が 消 え た [ 中 央 防 災 会 議 (2010)].「高浪山の如く」と記述しているのであるから 具体的な高さは判らないが遠地津波の規模が僅少な ものでなかったものと予想される.チリにおける現地の 地震津波の記録と,日本における神宮文書の記録は 全く独立のものであるから,この記録は 1575 年バル ディビア地震によって発生し日本に到達した遠地津 波の可能性が高いと結論付けて良いであろう. 2.2 その他可能性が考えられる記録(口碑) 2.2.1 戸倉村の口碑 1896 年明治三陸津波後に刊行された『宮城県海 嘯誌』には天正十三年十一月二十九日の畿内・東 海・東山・北陸の大地震を引用し 按ずるに県下本吉郡戸倉村民の口碑に天正 十三年五月十四日海嘯ありしと云うもの蓋し之を 指すか 1933 年昭和三陸津波後には 1935 年に室谷精四 郎 に よ り 編 纂 さ れ た 『 宮 城 県 昭 和 震 嘯 誌 』 [ 武 者 (1943a)p552]が刊行されやはり宮城県本吉郡戸倉 村における天正年間の津波の口碑が記されている. 宮城県本吉郡戸倉村の口碑に海嘯ありしを 伝ふ その下に参考として「同年十一月二十九日、畿内・ 東海・東山・北陸に大震ありて死者多し。」と同年の 1586 年天正地震に触れているのみである.日付は天 正十三年五月十四日(1585 年 6 月 11 日)とされてい るが,口碑にそのような具体的な日時が正確に伝わ る も の で あ ろ う か . 渡 辺 (2010)が作成した表には 1586 年 7 月 9 日に発生したペルーのリマ沖の地震に よる遠地津波が掲載され,戸倉村の口碑に津波あり とされている.これは元々気象庁(1961)の第 7 章「過 去の遠地地震による津波の表」に記載されていたも のである.この地震による津波はリマにおいて高さ 26m に達し内陸 10km まで侵入する破壊的なもので あったという[渡辺(2010)].しかし Okal(2006)は,この リマ沖地震の震源域の長さは175km 程度であって日

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本にもたらした遠地津波は説明できないとしている. 佐竹(2017)は,『チリ地震記念 三陸津波誌 1960』 に「天正 14.5.14-(1586.6.30) 海嘯アリ本吉郡戸倉村 口碑」と口碑の日付を1 年誤記した事実を指摘してお り1586 年の遠地津波の存在自体を疑問視している. 『宮城県海嘯誌』の「海嘯の歴史」で紹介されている 歴史津波は玉石混交の様相で津波の表の信頼性は 低いと言えよう.ならばこの口碑にある津波の存在自 体が疑わしくなるが,何らかの津波が伝えられた可能 性があり,1575 年バルディビア地震による遠地津波 であった可能性は考えられないであろうか.1960 年 チリ地震津波が三陸地方に甚大な被害を与えるほど であったのだから1575 年バルディビア地震が同等の 規模ならば現在の三陸沿岸に大津波をもたらしてい た可能性があり,それが言い伝えられても不思議はな いであろう.1960 年チリ地震津波における津波浸水 高は気仙沼で2.6m,女川で 4.2m であった[中央防災 会議(2010)]. 2.2.2 広村の口碑 今村(1943)の推定により 1605 年慶長地震の津波 記録とされてきた紀伊広村の口碑『和歌山県有田郡 地震津浪の記事』(1930 年)[武者(1943a)p677]は, 天正年間地大に震ひ、紀州沿岸に津浪襲来 し、広村及び辰ヶ浜最多く其害を被る、広村は 当時人家一千七百余戸を有し郡中第一の繁華 地なりしが、此津浪の為に戸数七百を流亡し、 多数の死傷者を出せり. また 1854 年安政地震の記事である,『濱口梧陵 伝』[武者(1951)p264]は, 然るに此の地は古来海岸の災多く、天正年間 海嘯の来り襲ふあり。村内人家の過半を流失倒 潰して、其の創痍未だ癒えざるに、宝永四年海 嘯再び来襲して又もや人家三百余戸を洗ひ去 れり。 しかし,『安政見聞録附図』[武者(1951)p241]にあ る広村に伝わる口碑は, 又天正の頃の津浪は広安楽寺遁れしよしに て、宝永の浪には人々安楽寺を慥に思逃入、二 番浪の高かりしにて堂鐘楼も引倒され夥人を失 せりと記録にあり。然るに此度(1854 年安政地 震)は堂計残れり。 であって,『和歌山県有田郡地震津浪の記事』およ び『濱口梧陵伝』は広村の大半の家屋が津波で流失 したと伝わり,『安政見聞録附図』では安楽寺に避難 して難を逃れる程度で,口碑とは言えこれらの間には 随分と津波の規模に差があるように見える.広村にお ける天正津波の規模の程度については,村の大半が 流失するほどであったか否かは現段階では判断でき ない.『安政見聞録附図』は天正年間から約280 年経 過後の1854 年安政地震後に成立し,杉村廣太郎著 『濱口梧陵伝』は1920 年に成立した文献である. 広村の津波の口碑を1605 年慶長津波に比定する 可 能 性 に つ い て は , 年 号 は 「 天 正 」 で あ り , 石 橋 (2014)および山本(1995)らの指摘通り慶長津波によ る広村の被害は否定できる.また,1586 年天正地震 による可能性は残るが,飯田(1978),羽鳥(2015)を 始めとして現在推定されている何れの震源域も紀伊 水道に及ぶものはない.1575 年バルディビア地震に よる遠地津波も広村の口碑にある津波の可能性の一 つとして候補には挙がるであろう. §3. 地震規模の凡その見積り 文書に記された遠地津波の記録は多くが 1~2 行 程度のものであり,当時の人々に認識された津波の 継続時間と波数・浸水被害などが簡単に記されてい る程度である.各遠地津波について文書に記され た継続時間と回数・浸水について表 1 にまとめた.今 後新たな史料の発見如何では解釈も変わり得るが, 現段階で確認されている史料の範囲で可能な限りの 比較を行った.津波の継続時間はほぼ地震の規模を 反映していると見てよいであろう.観測された高潮の 回数は,ほぼ津波の強度および継続時間を反映して いると考える.田畑浸水や家屋流失などの被害につ いては,標高など土地条件が不明であるが定性的な 議論は可能である. 江戸時代以前の遠地津波記録の中で認識された 津波の日数が 2 日間に亘っているのは 1575 年バル ディビア地震と 1700 年カスケード地震のみである.こ のうちカスケード地震については高潮が認識された のは真夜中から翌日の昼頃までである.高潮の回数 が記録されたものもそれ相応の規模以上のものであ ろう.浸水被害については記録されているのは殆どが 遠地津波の影響を受けやすい三陸海岸における記 録である.三陸海岸以外でも浸水の被害記録がある のは 1700 年カスケード地震と 1868 年アリカ地震であ る.1700 年カスケード地震は全体として記録の数も多 い.ただし江戸時代以降と安土桃山時代以前では史 料の残存率は著しく異なり,特に三陸海岸では 1611 年慶長三陸(奥州)津波以前の記録は極めて乏しい. 1575 年バルディビア地震の三陸海岸の確かな記録 が確認できないのもそれ故であろう.以上を勘案すれ ば江戸時代までの遠地津波記録から,1700 年カスケ ード地震の日本における遠地津波が他の地震より規 模において凌駕すると思われる.ただし,地震そのも のの規模については震源距離や津波の指向性の違

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いなどを考慮したさらなる検討が必要であろう.1575 年バルディビア地震は三陸海岸以外の地点に於い て2 日間に亘って高浪が認識されている点に着目す るなら,日本における遠地津波規模・地震そのものの 規模共に 1700 年カスケード地震と同等程度かやや 上回る程度の規模ではないかと思われる. §4. おわりに 『久志本年代記』にある伊勢の高波記録は1575 年 バルディビア地震による遠地津波である可能性が高 い.1575 年の地震が 1960 年チリ地震と同様に非常 に大規模であるとする Cisternas・他(2006)の推定を 裏付ける日本の史料の一つが見出されたことになる. また,本吉郡戸倉村および紀伊広村に伝わる天正年 間の津波の記録も口碑であるから不確実ではあるが, 1575 年の地震による遠地津波である可能性も一つの 検討候補であろう.1960 年チリ地震が広範囲に津波 をもたらしたように1575 年バルディビア地震も日本の 太平洋沿岸各地に津波が襲来した可能性は充分に 考えられるのであり,今後新たな史料の発掘を期待し たい. 謝辞 小稿の作成に当たっては,査読をしていただいた 匿名査読者と佐竹健治氏,編集担当の加納靖之氏 の懇切丁寧なご指導により内容が改善できました.記 して感謝します. 対象地震:1575 年バルディビア地震 文 献

Atwater B. F., S. Musumi-Rokkaku, K. Satake, Y. Tsuji, K. Ueda, and D. K. Yamaguchi, 2005, The orphan tsunami of 1700 -Japanese clues to a parent earthquake in North America, U.S. Geological Survey Professional Paper.

中央防災会議,2010,災害教訓の継承に関する専 門調査会報告書 1960 年チリ地震津波,第 3 章 日本沿岸でのチリ津波, 24-52. Cisternas, M.・B. Atwater・鎌滝孝信・澤井祐樹・宍倉 正展,2006, 1960 年チリ地震震源域でくり返し 生じた過去の巨大地震,歴史地震,21,87-91. 羽鳥徳太郎,2015,1586 年天正地震の震源域と津 波,歴史地震,30,75-80. 飯田汲事,1978,歴史地震の研究(1) 天正 13 年 11 月29 日(1586 年 1 月 18 日)の地震の震害,震度 分布および津波について,愛知工業大学研究 報告. B,専門関係論文集,13, 161-167. 今村明恒,1943,慶長九年の東海南海両道の地震 津浪に就いて,地震 第 1 輯, 15, 150-155. 今村明恒,1949,報告:本邦津浪年代表,地震 第 2 輯, 2, 23-28. 石橋克彦,2014,南海トラフ巨大地震 -歴史・科学・ 社会-,岩波出版,54. 神宮司庁,2013, 二宮叢典 前篇,増補大神宮叢書, 43-44.

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渡辺偉夫,中央防災会議,2010,災害教訓の継承に 関する専門調査会報告書 1960 チリ地震津波, 第1章 チリ地震津波とは何であったのか 付属 資料-1,5.

Yamaguchi, D. K., B. F. Atwater, D. E. Bunker, B. E. Benson and M. S. Reid, 1997, Tree-ring dating

the 1700 Cascadia earthquake, Nature, 389, 922-923. 山本武夫・萩原尊禮,1995,慶長九年(一六〇五)十 二月十六日の地震について -東海・南海沖の津 波地震か-, 萩原尊禮編,古地震探求 -海洋地 震へのアプローチ-,東京大学出版会, 3-34. 図1 1575 年バルディビア地震による遠地津波記録の地点 および1960 年チリ地震の津波到達時間と津波浸水高

Fig.1. Locations of the foreign tsunami in Japan caused by 1575 Valdivia earthquake, and the tsunami run up heights and their travel times in Japan caused by 1960 Valdivia earthquake.

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表 1 日本の沿岸に到達 した主な遠地津波記録 Ta ble1 Li st of m ajor forei gn tsunam is i n Jap an 発生年月日(現地時間) (日本時間換算) 発生場所 史料 出典 *註 3 継続時間 高潮の回数 浸水・流家 等被害状況 襲来地点 15 75 年 12 月 16 日 14: 30 天正三年十一 月十五日 3:3 0 チリ バルディビア 沖 『久志本年代記』 〃 『宮城県海嘯誌』 * 註 1 『宮城県昭和震嘯誌』 * 註 1 『安政見聞録附図』 * 註 1 『濱口梧陵伝』 * 註 1 都司( 19 81 )p1 9 神宮司庁( 201 3 )p1 05 6 宮城県( 19 03 ) 武者史一 p5 52 武者史 pp 23 5-245 武者史 pp2 62 -27 3 2 日 7 回 高浪如山 口碑 〃 口碑 〃流家 伊勢山田 陸奥戸倉村 〃 紀伊広村 〃 15 86 年 7 月 9 日 19 :3 0 天正十四年五 月二十四日 9: 30 ペル ー リマ沖 『宮城県海嘯誌』 * 註 1 『宮城県昭和震嘯誌』 * 註 1 『安政見聞録附図』 * 註 1 『濱口梧陵伝』 * 註 1 宮城県( 19 03 ) 武者史一 p5 52 武者史 pp 23 5-245 武者史 pp2 62 -27 3 口碑 〃 口碑 〃流家 戸倉村 〃 広村 〃 16 87 年 10 月 20 日 5: 30 貞享四年九月 十五日 19: 30 ペル ー カヤ オ沖 『肯山公綱村治家記録目録』 『球陽 』 武者史一 p9 24 武者史一 p92 4 1 日 1 日 12 ~ 13 回 4 回 市中浸水 海水漲退 陸奥宮城郡 琉球与那城郡 17 00 年 1 月 26 日 21 時 元禄十二年十 二月八日 14 時 北米 カス ケー ド 沖 『田辺町大帳』 『万代記 』 『大槌記録抄』 『大槌古今代伝記』 『南部雑書 』 『古実伝書記』 『日記書留帳』 『藩庁日記抄』 『村中用事覚』 『御用留 』 武者史二 p2 5, 続補遺 p1 46 都司( 19 81 )p 35, 補遺 p3 07 武者史二 p25 続補遺 p1 45 続補遺 p1 45 新収二 p5 19, 続補遺 p1 46 続補遺 p1 46 続補遺 p1 46 都司・他 (1 998 ) 都司・他 (1 998 ) 1 日 1 日 1 日 1 日 1 日 2 日 2 日 1 日 明日昼迄 明日夕方迄 ? 7 回 潮水増長 蔵へ潮入 大汐差す 大塩さ し 田畑損 流家・出火 流家・出火 出火・田畑損 汐差 し 難破船 紀伊田辺 田辺 陸奥大槌 大槌 大槌 陸奥津軽石・魹ヶ崎 津軽石・魹 ヶ崎 魹ヶ崎 ・大槌 駿河三保 常陸那珂湊 17 30 年 7 月 8 日 3:45 享保十五年五 月二十四日 17 :45 チリ バルパ ラ イ ソ 沖 『小野寺弥平太所蔵小割帳』 * 註 2 『東藩史稿 』 『獅山公治家記録』 武者史二 p2 76 武者史二 p3 31 続補遺 p20 3 1 日 1 日 田畑被害 田畠損 潮水溢 れ 陸奥本吉郡階 上村 宮城郡・本吉郡・他 陸奥塩釜 17 51 年 5 月 25 日 0:30 寛延四年五月 一日 14 :3 0 チリ コンセプ シオン沖 『大槌官職記』 新収三 pp 55 8-559 武者史二 p39 0, 続補遺 p25 1 1 日 大潮 7 回 小潮 5 回 民家浸水 大槌 18 37 年 11 月 7 日 7:30 天保八年十月 十日 20 :3 0 チリ バルディビア 沖 『東藩史稿 』 『六代治家記録』 武者史三 p4 17 続補遺 p63 5 1 日 1 日 田を傷 む 田を傷 む 気仙郡・牡鹿郡 気仙郡本吉 18 68 年 8 月 13 日 16 :4 5 明治元年六月 二十五日 5: 45 チリ( ペ ル ー) アリ カ 沖 『蓮専寺誌 』 『宮城県海嘯誌』 都司( 19 81 )p3 85 宮城県( 19 03 ) 渡辺( 19 98 )p2 19 〃 1 日 4 時間 16 ~ 17 回 36 軒流失 小海嘯あり 津波観測 津波 田辺 本吉郡戸倉村 函館・本吉郡・下田 那覇 18 77 年 5 月 9 日 21 :1 6 明治十年五月 十日 11 :16 チリ イキケ沖 渡辺( 19 98 )p2 19 被害あり 死者あり 函館・三陸 房総半島 19 60 年 5 月 22 日 15 :1 1 昭和三十五年 五月二十三日 4:1 1 チリ バルディビア 沖 気象庁( 19 61 ) 中央防災会議( 20 10 ) 3 日 (験潮儀 ) 周期約 40 分 流家 被害多数 太平洋岸各地 * 註 1. 可能性は考 え られる も のの不確実な口碑 . 註 2. 文書には享保年間とあり具体的な年月日は不明 . 註 3. 武者史一: 『大日本地震史料 増訂 第一巻』 , 武者史二: 『大日本地震史料 増訂 第二巻』 , 武者史三: 『大日本地震史料 増訂 第三巻』 , 武者史: 『日本地震史料』 , 新収二: 『新収 日本地震史料 第二巻 』, 新収三 : 『新収 日本地 震史料 第三巻』 , 補遺 : 『新収 日本地震史料 補遺 』, 続補遺 : 『新収 日本地震史料 続補遺』 .

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