1.ま え が き
第五世代コンピュータは 1982 ∼ 92 年度のプロジェ クトだった.一方,Web(World Wide Web)は 1989 年 にその提案書が作成され,1990 年に最初の実装があり, 1992年に画像も含むブラウザ(Mosaic)が作成されて 急速に普及した.大まかに言うと,前者は 1980 年代の プロジェクトであり,後者は 1990 年代に大発展した. 結果としての対比では,前者は(学術面,研究者育成 面での成果は認められるものの)コンピュータ技術・産 業に大きな影響を残すようにはならなかった.後者はそ の後の社会の情報流通・共有・サービスに不可欠なプラッ トフォームになった. 第五世代コンピュータについてはこれまでに多くの 論評がなされている.重なることになってしまうかもし れないが,ここでは Web との比較の観点から考察する. このような論考は,第五世代コンピュータとの関わり方 にかなり影響されたものになるが,著者の個人的な関わ りについては 5 章に記させていただく.また,ここでは 第五世代コンピュータ,Web の技術的詳細には踏み込ん でいない.そうではなく,なぜ第五世代コンピュータは 社会的,産業的に上記のような結果になったのか,Web 時代から振り返り,ではどのような道があったかについ て考えてみる.
2.第五世代コンピュータと Web の差異
最初に議論の土台として,第五世代コンピュータと Webの差異についてまとめてみる. (1)第五世代コンピュータ(以下「第五世代」と略記) は 1982 ∼ 92 年度の日本の国家プロジェクト(通商 産業省主導)であり,総額 570 億円が投じられた*1.(2)Web は CERN(欧州原子核研究機構)での Tim
Berners-Leeによる 1989 年の最初の提案,1990 年の 最初の実装(Web サーバとブラウザ),1991 年のイ ンターネット・ニュースグループへ投稿による最初の 一般への紹介,Marc Andreessen ら(イリノイ大学 NCSA)による 1992 年の Mosaic ブラウザの開発で, 急速に普及した.少数の個人による開発が基点となっ た.この段階での開発費はわずかなものだった.その 後すぐに関連ビジネス(ブラウザ,ポータル,検索エ ンジン,広告など)が立ち上がった.Tim Berners-Leeにより 1994 年に設立された W3C(World Wide Web Consortium)は,以後,Web 規格の標準化に大 きな役割を果たしてきている*2.
Web 技術から見て
第五世代コンピュータを考える
Thinking of the Fifth Generation Computer from Web Technologies’
Viewpoint
石塚 満
早稲田大学大学院基幹理工学研究科情報理工学専攻Mitsuru Ishizuka Dept. of Computer Science and Eng., School of Fundamental Science and Eng., Waseda University. [email protected]
Keywords:
5th generation computer, WWW, national project. 「第五世代コンピュータと人工知能の未来」 *1 第五世代コンピュータの狙いと成果を簡単にまとめると以下 のようになろうが,これらの基盤として論理型言語を採用した ことが大きな特徴である. (i)高速な知識処理(非定型的処理):逐次論理型言語(KL0, ESP)と逐次型推論マシン(PSI-Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ),並列推論マシン (PIM) (ii)生産性の高い汎用並列ソフトウェア:並行・並列論理型言 語(GHC, KL1),並行・並列プログラミング手法,並列 OS (PIMOS). (iii)記号処理,知識処理の新しい応用:いくつかの知識表現・ 高次推論法,自然言語処理,遺伝子・ゲノム情報処理,並列 定理証明システム(MGTP),プログラム合成,法的推論シ ステム(HELICS-Ⅱ),LSI 配線設計・論理シミュレーション. リーダであった渕 一博氏は,日本の情報技術で世界の先端に立 つこととともに,情報分野の若手研究者育成も配慮し研究者の 創意重視で極端にテーマを絞ることはなかったが,主な狙いは 汎用性のある高速並列マシンとその基盤ソフトウェアであった と推察する.基盤とした論理型言語は Prolog を出発点にしたが, 新たな論理型言語を開発することが大きな目標であり,オリジ ナルの並行・並列論理型言語を生み出した(第五世代の成果に ついては本特集の古川康一氏の稿(pp. 159-165)に具体的に記 されている). *2 W3C で標準化された Web 規格には以下のようなものがある(順 不同,略語の説明略):HTML, XHTML, XML(XLink, XPath, XQuery, XSL, XSLTなども含む),CSS, CGI, DOM, RDF, SVG, SOAP, SMIL, VoiceXML, WSDL, SPARQL,{HTML5は進行中}, セマンティック Web 関係では XML Schema, PDF Schema, OWL,{関係の深い HTTP は IETF による規格}.(3)共に次世代情報技術の基盤を目指したものだが,第 五世代はコンピュータの(並列処理)ハードウェアお よび基盤ソフトウェアで世界をリードする基盤プラッ トフォームづくりを目指したのに対し,Web はイン ターネットを介する情報流通・共有の共通的プラット フォームが対象だった.Tim Berners-Lee は次世代情 報技術基盤としての意義ももちろん意識していたであ ろうが,すぐ目先のニーズを感じ取っていた. (4)1980 年代初めという時代背景もあり,第五世代は 主要な適用分野として知識処理,高速推論,知識ベー スを想定した.一方,当初の Web はデータ・文書共 有が狙いで AI 的な色彩は薄かったが,流通・共有デー タが増大した(ビッグデータとなる)ことで,これが 実用性のある規模の有用な知識源となり,情報検索, データ・知識マイニングなどを始めとする知的機能の 欠かせないリソースとなった.ビッグデータの Web により,知識処理,知識ベースのパラダイムは変わっ た.このパラダイム変化は Before Web/After Web と 呼べる(一般には Before Internet/After Internet だが, AI的にはこちらのほうが合っている).
3. Web 誕生と普及の要因および AI に関わりの
ある展開
本稿の主旨は第五世代の技術の論評であり,それを Web技術と対比して行っている.Web は最も成功した 情報プラットフォーム基盤となったが,第五世代につい て考える前に,Web 成功の背景と展開について振り返っ ておきたい. インターネット上の分散ハイパーテキストである Web のコンセプトをたどると,1945 年の Vannevar Bush の 情報検索システム Memex(論文 “As We May Think” に書かれ,当時のことでマイクロフィッシュが媒体 だった),1960 年代の Ted Nelson のハイパーテキスト Xanadu辺りが源流といえよう.Tim Berners-Lee は 1980年に最初に CERN に加わった頃より,文書間の連 携を図るシステムを構想していたようである.HTML 設計のもとになった SGML は 1986 年に ISO で規格化 されている.1989 年の WWW の提案から動作する初期 実装まで短期間だったが,その前に長い熟考期間があっ たと思われる.目標と基本設計,および(必ずしも難し い研究を必要とするような技術ではなく)共通的に使わ れることを目指し過度に複雑でない実現技術が採用され たと思う.基本部分は 30 年以上経た今でも Web の基盤 として生きていることからも,基本設計の良さを示して いる(この Web で用いられたハイパーリンクは片方向 リンクだった). あまり知られていないが,この Web より先に 1985 ∼ 90 年にブラウン大学で IRIS Intermedia Project が あり,テキストとグラフィクスの分散ハイパーメディア システムがつくられた.著者は 1989 年に訪問する機会 があり,稼働しているデモを見て説明を聞いた.その後 の WWW ではないが「Web」という呼称も用いており, 教育用コンテンツが作成されていた(当時はよく知ら なかったが,この Intermedia は双方向リンクだった). 詳しくは調べていないが,その後の Web のようにコン テンツ記述に共通的 HTML 使用や簡素なシステム構造 ではなかったようで,ブラウン大学から外には広まらな かったようだった.そして研究資金の終了で止まってし まった. 1992年の Mosaic ブラウザの登場で Web は急速に広 まることになったのだが,その前までにサーバに置いた ファイルの不特定多数への anonymous FTP による転送, および 1991 年に登場した Gopher があった.Gopher は anonymous FTP可能なファイルをリスト化したサービ スだった.これらは基本的にファイル転送であり,今か ら見ると非常に限定的な情報交換モードだった. 著者が最初に Web/Mosaic を使用したのは 1994 年だっ たが,それまでの anonymous FTP や Gopher と比べる と,異次元の UX(ユーザエクスペリエンス)だった. 多くの人がそう感じたので急速に広がった.初期の頃は ハイパーリンクを辿る Web サーフィンといった使い方 が多かったが,間もなくポータル,検索エンジンが登場 した.魅力ある技術を加速させる米国の研究者層の厚さ, 新ビジネス・産業にするベンチャー企業の活力と速度は, 日本をかなりしのいでいた(現在も). 情報利用面だけでなく,情報発信面でもマークアップ 言語 HTML によるテキストでの Web ページコンテンツ 記述は敷居が低く,しかもハイパーリンクによる関連付 けや画像も含めてレイアウトでき,魅力的だった.この ようにしてコンテンツ生成と利用の両面の魅力で,コン テンツ量は増大していった. Webの主要な狙いは情報流通・共有の共通的プラット フォームで,AIは少なくとも直接的な狙いではなかった. しかしこのプラットフォーム上に大量の情報が流通,蓄 積されることで,AI(コンピュータによる知的能力)の 欠かせないリソースになった.しかしこのリソースは, それまで知識といわれていた整った形のものでなく,テ キスト形などの生情報だった.洗練度よりも幾分雑多で あっても多様な量がものをいう状況を出現させた.情報 検索エンジンの役割は増し,実用的知的機能として定 着した.Web の情報量は AI のパラダイムシフトをもた らした.大分後になるが,2011 年にテレビクイズ番組 Jeopardy!で人間のチャンピョンをしのいだ IBM の質問 応答システム Watson は,その象徴だった. このように Web は直接的に AI を狙いとしたものでは なかったが,AI に直接的に関わる動きも起こってきた. 大きなものは Tim Berners-Lee の提唱に始まり,2001 年から W3C で標準化活動が始まったセマンティック Webだった.通常の Web は人が見て理解する形で情報を表すが,セマンティック Web は機械(コンピュータ) が見て理解できる形で情報を表す.人間が扱う自然言語 テキスト情報は一部曖昧性を含みながら広い表現能力を 有するが,セマンティック Web で表現対象とするのは 限定的なメタデータの範囲である.これを基底レベルで は三つ組構造の RDF で表す*3. RDFに加えて,共通基本語彙を定めるオントロジー, 上位表現としての論理層を構成するのが大まかなセマ ンティック Web の枠組みである.これらによって,機 械が理解し推論も行うデータ Web を,人間が見て読む Webとは別につくろうとする計画である.しかし,多く のAI研究者が取り組み10年以上経過するが,全く広まっ ていない.著者が思うこの理由は,1)論理層に採用し た記述論理(Description Logic)に基づく OWL は利用 者には敷居が高過ぎる,2)オントロジーは領域ごとに は定められても,領域間にわたる共通化・利用は困難を 極め,領域間の使用語彙のマッピングの研究はあっても 容易ではないことだと思う.1)に関しては,ヨーロッ パの論理の研究者が 1980 年代に第五世代コンピュータ で注目を集めた論理の夢を再現できると,(利用者に配 慮せずに)入れ込み過ぎたのではないかと感じる. 利用が広がらなければデータは増大せず,効用は生ま れない.Tim Berners-Lee が機械用の第 2 の Web が必 要であるとの信念の方向性は正しいと思うものの,Web に関し彼ほどの経験と見識をもつ人がリーダシップを 取っても,常に成功するとは限らないということか.
数年前からセマンティック Web は,RDF での分散デー タを共有・利用する LOD(Linked Open Data)へと変 わってきている.LOD のデータが増大したときに,こ れから知識を構成しグローバルに管理する新たな層の共 通技術が生まれるかに注目したい.
Webに関連の知識に関する最近の話題として触れてお きたいのは,Google の Knowledge Graph である.これ は膨大に蓄積した森羅万象の情報をエンティティ単位で 関連付けし,(弱い)組織化・知識化をしている(近い 形としては意味ネットワークになるだろうか).Google であるので,カバー範囲と量はこれまでで最大であろう. 当面の利用用途は Semantic Search であり,すでに部分 的に検索エンジン結果表示に反映されている.今後もこ れを活用した Intelligent/Semantic サービスが登場する であろう.Singularity を唱える Ray Kurzweil が 2013 年 1 月に Google に加わり,Knowledge Graph を利用し た革新的機能に取り組み始めているようである.
1980年代の第五世代は論理を基盤とした知識をメイ ンにした.Web で利用できる洗練度は必ずしも高くな いビッグデータを知識として利用する 2000 年代以降 の実用的規模システムでは,Knowledge Graph, IBM Watsonシステム(内部表現の詳細は不明),LOD の RDFのような表現法が採られている.もう少し進化す ると上位層知識表現として,論理やそれに近い数学的な 堅固な基礎をもつ共通的表現が重要になる可能性は十分 あろう.このときに第五世代の成果が生きてもらいたい と願うのだが,どうかわからない.
4. 1980年代日本に果たして第五世代コンピュータ
の別の道はあったのか?
第五世代が始まった 1980 年代初頭は,日本のコン ピュータ産業が力を伸ばしてきて,米国の追従だけでな く独自技術で世界に飛躍を期す時期だった(日本全体も 高度成長時代に入っていた).ハードウェアだけでなく, 弱かったソフトウェアでも独自のもので世界の一角に食 い込むことを期す時期だった(現在も変わらず).並列 コンピュータ(非ノイマン型)とその並列ソフトウェア は必要性が増してきて,次世代コンピュータの主流と目 されたがまだ本命形が定まっておらず,チャンスはあっ た(この状況も今日でも継続している). また AI の実用システムへの適用が始まり,いわゆる AIブーム前夜だった.AI は情報システムの主流,ない しは重要な部分になるとの期待感が世界的に強かった. AIには大きな計算パワーが必要であり,新しいコン ピュータ形が求め始められていた(米国では Lisp マシ ンが一つの動きだった). 著者は計画段階の議論をよく知っているわけではない が*4,この二つを背景として渕 一博氏を中心に次世代コ ンピュータ開発の大型国家プロジェクトとして構想,立 案されたのが第五世代だった.世界に飛躍するには後追*3 RDF(Resource Description Language)はセマンティック Webや Linked Open Data でデータ表現の一番の基礎になって いるが,RDF 自身はセマンティック Web 以前に規格化された ものである.1995 ∼ 97 年に Apple にいた V. G. Ramanathan は MCF(Meta Content Framework)を開発した.1997 年 に Guha は Netscape に移ったが,Netscape は MCF の権利を Appleから買い取り,これをもとに Tim Bray と共同で開発し たのが RDF である.1999 年に W3C で規格化された. この Guha は知識と Web に亘る経歴で興味あるので,少々 紹 介 し て お く.1987 ∼ 94 年 は MCC(Microelectronics Computer Tech. Corp.)で大規模常識知識ベース CYC の知識 表現開発の中心研究者だった.1989 年には CYC 開発のリー ダ Doug Lenat と共著で“Building Large Knowledge-Based Systems: Representation and Inference in CYC Project”の本 を出している.上記のように 1995 年に Apple に移り,1997 年 に Netscape に移っている.その後,2 社を共同創業した後, 2002年に IBM Almaden 研究所に移り,2005 年からは Google で,現在に至っている. *4 児西清義氏(現 ナレッジプロデュース)は 2000 年代に なって知りあった知人である.この児西氏は 1978 年に電 電公社から通産省機械情報産業局電子政策課に出向し,第 五世代コンピュータの立上げを担当した.以下,Web にプ ロジェクト企画段階のエピソードが「わが旅,次世代コン ピュータ」として紹介してある.これは関係者の人物像など も含めて通産省側の経緯が記述してあり興味深い(ただし 途中で中断している).http://k-produce.net/index. php?%CF%A2%BA%DC%CA%AA%B8%EC(あるいは「わが旅,次 世代コンピュータ」で検索)
い技術や生産性技術ではダメで,独自性のある基盤技 術で世界的地位を築くのが不可欠だった.そこで着目し たのが論理型言語に基づく次世代コンピュータへのア プローチだった.米国ではコンピュータ科学基礎とし て論理は重要ではあったが,AI は Lisp 主体で,論理型 言語への関心は一般に薄かった.欧州は伝統的に科学 の基礎として論理は重要な位置を占めており,論理型言 語 Prolog の開発も欧州で行われていた.Prolog は最初, 古川康一氏によりスタンフォード大学より日本にもたら された.渕氏もその前から論理に強い関心をもっておら れた.第五世代において論理型言語を基盤に据えるとい う選択は,コンピュータ産業としては強くはないがソフ トウェア基礎は強い欧州の知恵を導入し,米国とは違う 独自のアプローチで次世代に迫るといった戦略性もあっ たはずである. 国家プロジェクトとして世界的に強い地位・競争力を 獲得しようとする場合,ほかとは異なる独自な基盤技術・ プラットフォームを創造,確立することは欠かせない. そうでなければ,技術導入的な産業育成は可能であると しても,ほかに優位となる競争力をもち得ない.第五世 代はこの論理型言語を芯として,並列コンピュータ,そ して高速知識処理の独自な次世代コンピュータの確立に 向かった.論理は数学として堅固な基礎をもつ知識表現 でもあるが,推論機構も併せもつので,知識処理に適す るとの判断もあったと思う.並列に関しても当初ははっ きりしていなかったが,いくつかの可能性があった. 後から振り返ると思惑とは違った面があったとは思う が,当初は次世代に向けて世界的な優位性を目指す国家 プロジェクトとしてまっとうな計画であったと思う.事 実,この計画は当初,世界に衝撃を与え,日本のコン ピュータ研究開発は世界に注目された.第五世代プロ ジェクトに参加した研究者・技術者は,世界の先端レベ ルで研究しているという誇りと高揚感,緊張感をもった ものである.日本のコンピュータ研究が世界の舞台で脚 光を浴びたのは,歴史上このときが最大であった. Webに見られるように,技術は使われることにより強 くなり進化し,そしてさらに使われ強くなるといったサ イクルが産業的成功のパターンとなる.第五世代は高速 推論マシン(逐次と並列),並列論理型言語,そしてい くつかの知識表現・推論システムの成果はあったが,広 く使われることなく,この成功パターンに乗らなかった. なぜなのだろうかとその要因を考えてみたい.基盤とし た論理型言語の選択が良くなかったのだろうか? Webは情報流通・共有のニーズに応える新しいプラッ トフォームとして受け入れられ,上記成功パターンに 乗った.第五世代の 1980 年代にも知識利用の期待,十 分なニーズはあった.しかしこの当時の知識は現在から 見ると量的に貧弱なものだった.少数の人(専門家)が 情報や知識のリソースであることが多く,洗練度は高い かもしれないが,今から見ると桁違いの少ない量であっ た.論理型の知識表現や推論の良い点は厳密性だが(実 問題での融通性に欠ける面はある),1980 年代はリソー スとして利用するオンライン情報・知識がまだ不十分 な時代だった.ゲノム情報など当時から大規模データは あったが,その解析に第五世代が不可欠とは言い難かっ たと思う.第五世代技術に限らず世界で多くの知識ベー ス・知識システムがつくられたが,十分な価値を生み出 すには至らず,継続的に発展するシステムは見いだす ことが難しい(知らないところであるかもしれないが). 米国や欧州の第五世代対応のプロジェクトでも,後の情 報産業に大きな影響を与えるような成果はなかったと思 う.知識利用のニーズはあったが,(高性能コンピュー タなどでなく)価値を生むリソースとなる情報や知識の 面で,環境ができていなかったように思う. 第五世代プロジェクトでも応用(キラーアプリケー ション)の重要性は認識されており,プロジェクト内部 や関連企業でいくつかのシステムが開発された.その知 見は残っているが,第五世代の機能を十分にアピールす るようにはならなかった. 並行・並列計算モデルはいくつかあるが,論理的枠組 みは必ずしも主流にはならなかった.知識処理を見据え た論理などにとらわれず,並列マシン,並行・並列プロ グラミングに焦点を当てた第五世代プロジェクトなら, 結果はどうであったかは大変興味ある問いである.しか し著者にはよくわからない*5, *6.大体 1980 年代は四世 代の後の第五世代といった捉え方がはっきりしない,コ ンピュータが多様な発展を遂げる時期となった. コンピュータ分野で 1980 年代に最も発展したのはイン ターネットと PC だった.産業的効用を目指すのなら,こ れらに関係するプロジェクトのほうが良かったのではな いかとの意見もある.社会的影響は確かに大きい技術で あったが,米国に対して我が国がどのような独自技術の視 点でこれにアプローチし,固有の競争力を獲得できたかは よくわからない.なかなか難しいのではなかったか. *5 知識処理を見据えた論理などにとらわれず,並列マシン,並行・ 並列プログラミングに焦点を当てた第五世代プロジェクトなら, 結果はどうであったかは大変興味ある問いである.著者にはわ からないので,同じ学科・専攻になった専門家である GHC の 開発者,上田和紀氏に尋ねてみた.答えは以下であった. 上田和紀氏談:出口(応用)を何も設定せずに並列処理技術を 追求するというのは,そもそもプロジェクトとして成り立たな い(何を目標にして走ればよいかわからない)気がする.この 理由で「悩ましい」設問である.次のようにはいえる. ● 論理に基づくという設定がなければ,(つまり並行・並列パ ラダイム の確立というお題だけであったら)Guarded Horn Clauses(GHC)が出てこなかったことは確実. ● 知識情報処理と並列処理は掲げるけれど,論理アプローチを 設定せずにプロジェクトを走らせたら,何かは達成できたか もしれないけど,オリジナリティは下がったのではないか. *6 並行・並列モデルに基づくプログラミング言語の研究開発は 進展しているが,なかなか本命が定まらない.意識下のプロセ スは別にして,人間は意識上の思考で並行・並列計算は慣れて いない(得意でない)ということも関係しているようである. 実用的には大粒度プロセスを単位とする MapReduce/Hadoop 形の分散並行処理が進んでいる.
1985年から 5 年間,シグマ計画と呼ばれる通産省主 導の国家プロジェクトがあった(総額 220 億円).日本 のソフトウェア生産性向上を目的とし,共通 UNIX 準拠 の共通 OS とワークステーションがつくられたが,世界 の UNIX の動きの中で影響力をもつことなく消えてし まった.産業界中心で研究的要素は薄かったが,独自の 芯となる技術が定まらないプロジェクトでは世界で勝負 にならない.
1992∼ 2001 年度には RWC(Real World Computing) プロジェクトが実施された.総額 480 億円を投じた国家 プロジェクトだった.一つのスローガンとして第五世代 の対極の「柔らかな情報処理」が謳われ,1)実世界知 能技術,2)並列分散コンピューティングが主要なテー マだった.しかし関連が薄い複数テーマの実施となった. 強い芯となる基盤を欠いたプロジェクトでは,世界で認 められるような骨太の成果は困難である. Webが広まった 1990 年代に,次世代の情報基盤・プ ラットフォームの覇権を目指す大型国家プロジェクトを 起こすとしたら,何があっただろうか? 先に述べたよ うに,広く使われることを通じて進化するパターンでな いと,強くはならない.一方で強い芯となる骨太の独自 基盤技術がなければ,埋没してしまう.Web やインター ネット周辺の IT ベンチャー企業の速度や活力に抗して, 強い実用的・産業的競争力,優位性を得る国家プロジェ クトを立案するのはなかなか難しい. 後になるが,2007 ∼ 09 年に,Web やビッグデータに 関係が深い情報大航海プロジェクトがあった.経済産業 省のプロジェクトで総額 150 億円だった.共通基盤技術 の開発もあったが,メインは新情報サービスの実証,実 用的実現が目標となり,15 のシステム開発が行われた. 使われる新情報技術を生み,使われることによって伸ば していく戦略だったが,残念ながら思惑どおりにはなら なかった.学術ならともかく,米国が強い状況において, 産業にも影響を与え得る情報分野国家プロジェクトはな かなか難しい. インターネットは米国で一番成功した情報インフラ国 家プロジェクトであろう.軍事的必要性の認識から,日 本の国家プロジェクトに比べると緩く柔軟に,また長期 にわたり支援し,成長を支えたと見受けられる.できた 技術は自ら使用するつもりであるから要求条件も実際的 で,支援の眼も他人事でない真剣さがあったと思われる. 日本で軍事というわけにはいかないであろうから,例え ば世界一の電子政府(e-Government)をつくることを 目的にして,その基盤技術をつくるといった国のアプ ローチはあり得るだろう.自ら使うものなら中途半端で 終わることなく真剣になるし,良い成果はまず自ら使い, それが(世界に)広がる可能性が拓けよう.技術だけで は解決できない制度や規制などの課題も克服しなければ ならないが,真剣に実現を計るならそれこそ国が果たす 役割であろう. 以上,第五世代は強い独自の芯をもつという点では 世界をリードする要件を備えていたが,広く使われるこ となく情報産業的な観点では後に与えた影響は小さかっ た.1990 年代に広まった Web に対比して,1980 年代 という時代からその要因を考察してみた.歴史に「も し」はないが,ほかの道を採ったならどうだったかも考 えてみた.世界に挑み世界を動かす研究プロジェクトが 目標どおりの成果となることはまれであるので(国家プ ロジェクトの公式評価は概ね優だが),諦めずに独自の 新基盤・プラットフォームとして信念をもてるプロジェ クトに継続的に挑戦することが必要だろう.逆に,その ような強い独自基盤技術と信念が見えないプロジェクト は,世界への挑戦としてはムダである.また動きの速い ITの世界であるので,早期の見直し,中止や転換も必 要である.3 章「Web 誕生と普及の要因および AI に関 わりのある展開」に書いたように,Web 情報空間の上位 層表現・組織化として,新たな共通的プラットフォーム が必要とされることが予見される.第五世代の知見も生 かして,挑戦したいものである.
5.第五世代と Web への個人的な関わり
第五世代と Web についてかなり主観的な論評を記し たが,これらは個人的な関わり方に影響されている.最 初に述べておくべきだったかもしれないが,論評の背景 を知ってもらうために,後になったが簡単に述べておき たい. 著者が AI に本格的に取り組み始めたのは 1980 年か ら 1 年半,米国 Purdue 大学に客員准教授として滞在し たときだった.給与は建築物地震被害査定の NSF 研究 費から支払われたので,この研究をする必要があった. 二人の教授が研究プロジェクトリーダで,一人はパター ン認識の K. S. Fu 教授,もう一人は土木工学科(Civil Engineering)の J. T. P. Yao 教授でこの問題の専門家の であるとともに civil engineering でのファジィ理論適用 の第一人者だった.承認済み研究計画書にはパターン認 識手法,ファジィ理論を使ってアプローチすると書いて あった.渡航前年の 1979 年夏に東京であった IJCAI で 医療コンサルテーションシステム Mycin のデモを見る などして,実問題での AI 実用化の兆しが見えてきた時 期であり,AI のアプローチが面白そうと思い医療診断 と同じような考えで,建築物地震被害査定のエキスパー トシステムを開発した.基礎理論面では不確実知識によ る推論にファジィ集合に拡張した Dempster-Shafer の 確率理論を導入した(ファジィは Yao 教授の手前,利用 することが望まれた).1981年10月に日本に帰国すると, ちょうど第五世代プロジェクトが始まる時期だった.当 初,Prolog を基盤とすると聞いたときはまだよく知らな かったこともあり,違和感があった.Technology,新世代コンピュータ技術開発機構)には所 属したことはないが,最初から最後まで主に WG 委員や 主査として関わらせてもらった.当初違和感があった論 理型言語基盤は,世界に挑戦する日本の独自の特色とし て良い選択であると思うようになり,自分自身の研究に も反映するようになった.ICOT には若い優秀な研究者 が集まり,世界をリードしまた注目される高揚感があり, 世界を相手に切磋琢磨した.著者自身はこの時期,主に 不完全な知識を扱うが簡素な形で実用性が高い仮説推論 の高速推論法の研究を行った. 渕 一博 ICOT 所長とは ICOT 時代はお話する機会は 多くなかったが,東京大学教授になられた 3 年間は同じ 学科・専攻だったので,親しくお話を伺う機会があった. ICOTの基盤ソフトウェア面の中心研究者であった近山 隆氏も,この同じ学科・専攻で長く一緒だった.ICOT の WG では多くの研究者と話す機会があり,学ぶことが 多かった.ICOT 次長だった古川康一氏とは ICOT 時代 とその後も含め,長く研究面を始めとしていろいろお話 を伺う機会があった.ICOT 次長から EDR(日本電子化 辞書)研究所長になられた横井俊夫氏とは ICOT 時代は 関係が薄かったが,2000 年代になりコンピュータ用世 界共通語の展開を目指す NPO 法人 ISeC(セマンティッ クコンピューティング研究開発機構)関係でご一緒する ことが多い.GHC を創案し並行・並列論理型言語開発 を主導した上田和紀氏とは,現在早稲田大学で同じ学科・ 専攻である. 余談だが,論理の融合原理(resolution principle)発明 者の Alan Robinson 先生が東京大学客員教授であった 1991年に,お話しする機会があった.堅物の論理学者で 話しにくいかと思ったが,全く逆で,人当たりが良く論 理学者らしくない柔軟な考えをする先生だった.ニュー ラルネットワークにも興味をもっておられる話をされた. そういえば渕 一博先生も信念は強かったが,人当たりは やさしかった.また興味の範囲も広く,電子技術総合研 究所では音声認識研究室長をされていたこともあり,以 後も音声処理プログラムなどをつくっておられた. RWCとはそれほど関係がなかったが,マルチモーダ ルインタフェース関連で幾分関係があった.またプロ ジェクトの評価委員を務めた. Webが Mosaic と と も に 日 本 に も た ら さ れ た の は 1993年の後半だったと思うが,1994 年に触れ,非常に 魅力的で新時代の予感を感じた.当時,知識処理の研究 に並行して擬人化エージェントを用いるマルチモーダル インタフェースの研究も始めていたが,早速 1994 年に これを Web ブラウザに組み込むため,オープンになっ た Mosaic のソースコードを改造することをした(研究 室の土肥 浩氏による VSA-Mosaic 版).その後,社会に おける情報・知識基盤として Web の重要性を認識し, 知識処理では Web インテリジェンス関係が中心になっ た.Web 情報を扱うと必然的に自然言語処理が必要であ り,その研究も手掛けた. Webは新しい研究対象,新サービスのプラットフォー ムとして面白く,いろいろ研究することがある.しだい に楽しいばかりでは十分でなく,日本として世界に貢献 する共通基盤・プラットフォームづくりに貢献すること が重要で,それが日本情報産業を強くし世界での地位を 得るため必要と思うようになった.セマンティック Web は名前が魅力的だが,扱う対象はメタデータであり,自 然言語テキストが多い Web 情報を十分にカバーできな いと思った.自然言語は人間が長い歴史を通じて発展さ せてきた汎用的な情報伝達・記録の手段であり,知識 の表現としても汎用性が非常に高い.自然言語テキス ト情報をコンピュータ可読な世界共通語で表し,これで Webの意味世界をコンピュータにも広げることの意義 は大きく,日本が世界に貢献できる次世代 Web 基盤技 術と思い,上記 ISeC で活動した(2008 ∼ 13 年理事長 だった).ISeC では W3C にインキュベーショングルー プをつくり,標準化(W3C での名称は CWL(Common Web Language))に向けての議論を行ったので,W3C の活動にも触れる機会があった.このコンピュータ理解 可能な世界共通語は言語の壁を克服する意義ももってい るが,米国などの英語を母国語とする国にはその必要性 を十分理解されない現状である.逆に非英語国の代表と して日本が世界に貢献する技術だと思っている. 2007年から 4 年間は JST 研究開発戦略センター特任 フェローを務め,国の情報関連研究プロジェクト立案の 仕事に関係した.情報技術は日本の発展に欠かせない重 要分野だが,大きな予算を伴うプロジェクトは他分野を 含む多くの人の賛同を得なければ成立せず,情報分野は この理解が得られにくいことが多い.広く理解を得よう とすると世界のトレンドに沿ったテーマとなり,これで は世界をリードする位置は得られない.米国が圧倒的に 強い IT の世界で,独自の尖ったコンセプトで勝負しな ければ,世界をリードする道は拓けない.成功ばかりで はないので,信念をもった挑戦を続ける必要があるのだ が,失敗が続くようだと抵抗が多くなってしまう.これ を回避しようとするとトレンドに沿ったほどほどの成功 を目指すテーマ設定となり,世界レベルでのインパクト にはならない問題がある. 第五世代は間違いなく独自のコンセプトで世界に挑戦 した大型プロジェクトだった.必ずしも広まらず産業的 成功には結び付かなかったが,これに懲りずに独自のコ ンセプトで次世代を拓く研究プロジェクトでの挑戦を継 続し,道を拓くことが必要である.一発パンチの大型プ ロジェクトが良いというわけでも必ずしもなく,多数の ジャブのような中小プロジェクトを放ち有効打を狙うほ うがよいケースもある.