• 検索結果がありません。

ファジー意味論Ⅰ 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ファジー意味論Ⅰ 利用統計を見る"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ファジー意味論Ⅰ

Fuzzy Semantics Ⅰ

仲 本 康一郎(山梨大学)

*

Koichiro NAKAMOTO

 日常言語の概念は、数学や論理学のように明確な定義を持たないため、言語が指示する対象の集合も 曖昧になる。このような言語の曖昧性をファジー性(fuzziness)という。ファジー性は従来から言語記 述において不明確さ(vagueness)として指摘されることはあったが、これらが言語の重要な性質とし て本格的に議論されるようになったのは、1970 年代の米国における生成意味論の研究を発端とする。  生成意味論の基本的主張は、統語構造は意味構造を基底として生成されるというもので、Chomsky に代表される生成文法が唱える統語論の自律性に異議を申し立てるものであった。生成意味論では、意 味構造を基底とする統語論の構築の一環として、言語のカテゴリーは、統語的なものであれ意味的なも のであれ、柔軟かつ動的なものであるとする言語のファジー性が重視された。  こういった生成意味論の運動のなかで、言語のファジー性を包括的に議論したLakoff(1973)は以下 の三つの観点からファジー性を論じている。第一は、認知意味論の基本的主張となるカテゴリー論であ り、第二は、概数表現や形容詞、程度副詞等の不確定な概念、第三に、言語に曖昧性を明示的に導入す るヘッジ表現の三つである。以下、これらの分類を指針にファジー意味論のその後の展開を概観する。   1.カテゴリー化とファジー概念  専門用語にあるような厳密な規定に比べ、日常言語の概念は曖昧である。例えば、法律における「未 成年」という語は、日常言語の「子ども」という概念を比べて、年齢によって(日本の法律では二十歳 未満と)明確に規定されている。このように言語の表わす意味が曖昧で、どの辺までが適用範囲として 許容されるかが不明確である現象を不明確さ(vagueness)という(Channell 1994)1 1.1.意味の不明確さ  意味の不明確さとは、あるカテゴリーがどの範囲までの内容を指すかという問題になる。例えば、「子 ども」と「大人」の境界は日常言語では厳密には規定されておらず、「高校を卒業すれば大人だ」「社会 に出たら大人だ」「家庭をもって初めて…」というように、いくらでもその基準は変動する可能性があ る。以下では、まず哲学、言語学、心理学の分野で展開されたカテゴリー論を概観する。 1.1.1.哲学的考察:家族的類似性  概念の不明確さの問題を最初に哲学の俎上に載せたのは、Wittgenstein(1953)の家族的類似性(family resemblance)の議論であろう。Wittgenstein は、従来の古典的カテゴリー観のように言語の概念が素性 の集合によって定義されるとする前提を否定し、それらは言語ゲームに基づく事例(exemplar)によっ て学習されるもので、事例間にあるのは共通属性(feature)ではなく、むしろ家族的な類似性であると 主張した。  Wittgenstein によれば、ゲーム(game)のような概念は、サッカーやベースボールのような球技に代 表される団体スポーツだけでなく、チェスやトランプのような個人的な頭脳ゲーム、また勝敗を決めな い歌やダンスのようなものもふくみ、従来のような共通素性、例えば <身体的な活動> や <勝敗を決 める> といった成分によって定義することができないとし、ことばの概念は各々の事例間に存在するゆ

(2)

るやかな類似性に基づくネットワークによって結びついているとした。 1.1.2.言語的考察:カテゴリーの連続体

 また日常言語におけるファジー概念は、言語学ではLabov(1973)の cup の概念による研究を先駆と する。Labov は cup の概念が、glass や mug、bowl といった他の類似の概念と明確な境界を持たないこ とを実験的に示した。Labov はまず色々なかたちの食器類を示し、それらを cup と呼べるかどうか被験 者に尋ねた。すると、cup の概念が適用されるかどうかの判断には段階性が存在し、そこにはいくつか の要因が関わることがわかった。  具体的には、<底面が丸い> といった形状や、<不透明である> といった材質、さらに、<取っ手がある >、<受け皿がある> といった付随物の条件が重視された。また、容器のなかにはポテトや花束よりも、 コーヒーのような飲み物が入っているほうが、同じ容器でもcup として認識される可能性が高まるとい う興味深い現象も報告されている。この最後の要因は、カテゴリーは場面や状況を背景として認識され ることを示唆するものである2 1.1.3.心理的考察:プロトタイプと階層構造  次に、心理学ではRosch(1978)が、「鳥」「野菜」「果物」「乗り物」「武器」「衣類」等、幅広い概念 について各々の成員のカテゴリー帰属の度合いを調査し、カテゴリーは均質な成員からなるのではな く、典型例から周辺例、境界例まで、段階的なプロトタイプ構造をなすことを解明した。例えば、燕や 雀は最も典型的な鳥の事例であるが、駝鳥やペンギンは空を飛べない周辺的な事例ということになる。  さらに、Rosch はこういった典型性効果に基づく概念の内部構造だけでなく、各々の概念が配置され るカテゴリーの階層構造にも言及している。特にファジー概念という点から興味深いのは、上位概念は 下位概念を事例としたプロトタイプ効果を生むという点であり、例えば、funiture という上位概念の典 型例にはchair や table 等があり、bookshelf 等は周辺に位置し、さらに TV や telephone になると家具か

どうかが不分明となる。 1.2.意味と指示と曖昧性  言語のファジー概念には、不明確さ(vagueness)に加えて曖昧性(ambiguity)という現象がある。 曖昧性は、ひとつの表現に対して複数の解釈が可能な場合のことで3 、大きく意味の曖昧性(ambiguity of sense)と指示の曖昧性(ambiguity of reference)に分類される。これらの現象は、語の多義性の問題 として認知意味論で活発に議論されている。以下、多義の構造を認知的に説明する代表的なカテゴリー 論を紹介する。 1.2.1.語の多義性:放射状構造  Lakoff(1987)は、言語の概念が身体的経験に基づくイメージ図式、フレーム、スクリプトなどの知 識構造、さらにメタファーやメトニミー等、私たちのことばや概念を支える知識モデルを理想認知モデ ル(Idealized Cognitive Model: ICM)と呼び、これらが均質な成員から成り立つものではなく、中心と 周辺を持つ放射状構造(radial category)をなすことを指摘している。具体的には、日本語の類別詞「本」 や英語の前置詞over、さらに mother や lie といった語が、多義的に拡張される事例を取り上げている。 このような放射状構造を日本語に適用した興味深い論考として、Hirose(1989)の child の分析があ る。Hirose によれば、英語の child は、mother と同様に、概念的な放射状構造を形成する。その証拠に、

John’s child is no longer a child. のような文が自然に解釈できるのは、child の概念が <子孫モデル> と <未

(3)

解されるためであるという4

 また、< 未熟モデル > からは、さらに次のような表現が放射状に拡がりを持つ。それぞれ(1a)は身 体的未熟を、(1b)は心理的未熟を、(1c)は社会的未熟を表わす。

  (1) a. You can’t lift that stone up; you are still a child. b. He is a child because he can hardly contain his anger. c. Bill wasn’t allowed into the bar; after all, he is a child. 1.2.2.活性化領域

 言語の曖昧性という場合、意味の曖昧性に加えて指示の曖昧性がある。指示の曖昧性が存在しないと 仮定すると、私たちはYour dog bit my cat. のようにいう場合も、Your dog's teeth bit my cat’s tail. のような 厳密な表現をしなければならない。Langacker(1990)は、こういった語の指示対象としてさまざまな 側面が取り上げられることを指摘し、ある概念によって活性化される領域  例えば、「犬」から「犬 の歯」が活性化されるように  を活性化領域(active zone)と呼んでいる。  活性化領域は、他にも、「電話(→受話器)をとる」「自転車(→ペダル)をこぐ」「扇風機(→はね) が回る」のように、< 全体で部分を表わす > メトニミー表現を考えたとき、私たちはこれらの表現に曖 昧性を感じることなく自然に理解することができることに気づく。これは私たちがことばを日常的な場 面と結びつけ、ある表現からその一部の領域を活性化するからと説明できる。ただ、なかには「テーブ ルをかたづける」のように、かたづけるのはテーブルの本体なのかテーブルの表面なのか曖昧になる場 合もある。  また、多義語に関しては、Sweetser(1999)がフレーム意味論を参照し safe の多義性を分析している。

safe は名詞を修飾するときその意味解釈が変わるが、これは safe がリスク場面(Risk frame)を喚起

し、その中の多様な要素に注目するからであるという。具体的には、safe baby(→ victim)、safe money

(→asset)、safe driver(→ causer)、safe house(→ shelter)でそれぞれ右記の意味役割によって被修飾名 詞が解釈される5

1.3.ファジーな文法カテゴリー

 生成意味論では、統語的な範疇も均質な集合から成り立つのではなく、何らかの概念的な基盤に基づ き、連続体(gradience)をなすと主張されてきた。例えば、Ross(1973)は、英語の名詞句の範疇は理 想的な名詞句だけからなるのではなく、欠陥のある名詞句(defective noun phrases)をふくむことをさ まざまな統語操作の可能性に即して主張している。このような文法的な範疇のファジー性は、その後言 語類型論における品詞論が展開されるなかで活発に議論されるようになっている。

 伝統文法では、品詞論は屈折や活用の有無、また性数の一致といった形態的・統語的な基準に基づき 規定されてきたが、近年の言語学では、そのような形式的な基準に加えて、品詞の概念上の基盤や談話 的な機能が重視されるようになっている。またそういった概念的、機能的な基盤を背景に品詞は連続体 をなすという主張が進められている(Dixon 1977、Givón 1984、Hopper & Thompson 1984、Croft 1991、 Wierzbicka 1995 等)。  例えば、形容詞という範疇をひとつ見ても、形容詞として記号化される概念は言語ごとに異なり、形 容詞という範疇をほとんど形成しないイグボ語(Igbo)のような言語もある。また、形容詞が備える文 法機能も言語によって異なり、どちらかと言えば、英語は名詞寄りであるのに対して、日本語の形容詞 は述語になる等、動詞に近い性質を持つ。さらに日本語の形容詞の内部でも名詞寄りのものから動詞寄 りのものまで連続体をなしている。  日本語の形容詞には「健康(な)」「親切(な)」のような形容動詞と(nominal adjective)いう範疇が

(4)

あるが、これらは文法的に主語や目的語になるなど、名詞と形容詞の中間に位置する。さらに、名詞と 形容動詞の中間に「懸命の/な努力」「特別の/な処方」や、最近は「問題な日本語」「普通な人びと」「名 古屋な人」といった表現が、名詞と形容動詞の中間というファジーな領域で揺れていることが観察され ている(上原 2004)6 。 2.不確定な情報と不確実な態度  日常言語で伝達される命題は、計算機のような正確な情報ではなく、ある程度の誤差を許容できる不 確定な情報であると言える。また、命題内容に対する発話者の態度も、つねに事実のみに言及する断定 的な態度であるというよりも、たぶんそうであろうという程度の曖昧な判断であることが多い。ここで は、命題内容を「ぼかす」ための言語的手段、及び命題内容に対する発話者の不確実な態度に言及する 表現について考察する。 2.1.概数表現

 What time is it now? と聞かれて、It’s 8:48:27. のように、秒単位の正確な時刻で答えることは考えにく い(確かにそのような情報が必要とされる場面もあるが)。このような場合、そういった正確な情報よ りも、It’s almost 9 pm. や、It’s time for news. のように大雑把な情報を提供するほうが一般的であろう。

実際、このようなファジーな表現のほうが、聞き手にとってわかりやすく、スケジュールを立てるといっ た意味でも親切である(Williamson 1994)。

 Lakoff(1973)は、こういった情報量を調節する概念をヘッジ表現として認めている。例えば、aboutaround 等は数値を概数化する典型的な表現であり、several や a little も正確な数値を避けてファジー な数量や程度を表わす。こういった表現は日本語にも多く、「大体」「およそ」「約」「くらい」「ほど」 等の表現で数値を概数化する7

、また「数人」「2、3日」のように数に幅を持たせるといった方法があ る(森山 2001、井上 1993)。

 これらの表現は大きくabout や around のような前後に幅のある数量を表わす概数量副詞(rounder)と、

almost や nearly のように到達点への近似を表わす近似値副詞(approximative)に分類される。日本語で

も、「{およそ、約、ざっと}百名の学生」のようにきりのよい数値の前後を含むファジー概念へと変換 する概数量副詞と、「{大体、ほぼ、ほとんど}百名だ、完成だ、満足だ」のようにある数値への近似を 表わす近似値副詞がある(工藤 1983、加賀 1997 等)8・9

。 2.2.例示表現

 大雑把な情報を提示する方法として、もうひとつbread or something で edible things を表わすように、 事例の一部を提示することでカテゴリー全体を連想させる表現がある(Channell 1994:122)。この種の 表現は日本語では例示表現(または、並列表現)と呼ばれ、完全な情報を伝える代わりに、代表的な事 例を示すことで(聞き手の推論能力に依存しつつ)効率的なカテゴリー化を行なわせる。  例えば、「麦茶か何か」「兄弟か誰か」「海かどこか」といった形式の例示表現は、それぞれ飲み物全 般、家族の人間、遊楽地一般を表わす。また、「鯛や平目の舞踊り」のような並列表現で、鯛や平目以 外にもたくさんの魚の踊りがあったことを暗示したり、「食べたり飲んだり踊ったりで…」で、「食べて 飲んで踊った」以外にも、いろいろな活動をして楽しんだことが含意される。  日本語はこういった表現を豊富に発達させている(寺村 1991、森山 1995、中俣 2007)。以下は、日 本語の代表的な並列表現である。これらの表現はそれぞれが特有の文法的、意味的、語用論的な制約 を備えている。例えば、「~やら~やら」で取り上げられる現象は心理的混乱をもたらすものであると いった観察がある(沈 1996、鈴木 2004 等)。今後、認知言語学による構文研究の主題としても興味深

(5)

い現象といえる。   (2) a.恥ずかしいやら、申し訳ないやらで… b.ケータイだのパソコンだのいろいろせがまれて c.出るは、出るは、大判小判がざっくざく d.煮るなり焼くなり、どうとでもしてくれ e.色といい柄といい申し分ありませんね Cf.うどんにマヨネーズかけたりして(森山 1997) 2.3.不確実な態度:認識的モダリティ  曖昧さを表わす最も発達した領域はモダリティ表現(modal expressions)であろう。モダリティは一 般に「発話者の命題内容に対する心的態度」を表わすと定義され、命題内容に対する確信度を表わす認 識的モダリティ、義務や許可など未来の行動に対する評価的態度を表わす義務的モダリティ、さらに 根拠の在処を示し間接的に確信度を表わす証拠性モダリティに分類される(Palmer 1990、仁田・森山・ 工藤 2000、澤田 2006 等)。  このうち曖昧さで重要なのは、認識的モダリティと証拠性モダリティである。例えば、「太郎君は結 婚しない」という命題に対して、「太郎君は結婚しないにちがいない」、「太郎君は結婚しないかもしれ ない」は確信度の度合いを表わし、「太郎君は結婚しそうにない」「太郎君は結婚しないようだ」「太郎 君は結婚しないそうだ」等は、それぞれ感覚・推測・伝聞といった証拠に言及することで間接的に確信 度が低いことを表わす10  ヘッジ表現との関連で言えば、「かもしれない」が、「いい話かもしれないけど、あまり賛成できない ね。」11 「ごめん、そのステレオの音、ちょっと大きいかも。」のように命題内容に対する確信度ではな く、発話の前置きや非難を弱めるといった機能を持つように発展している。最近は、「このパスタ、す ごくおいしいかも。」のように自己の主張を弱めるだけの緩和表現としての用法も観察されている(平 田 2001、山岡・牧原・小野 2010:203)。  また、比較的最近現れてきた若者語として、証拠性モダリティのひとつである「みたいな」が、「物 理なんか全然興味ないし、みたいな(学生)」、「家に帰ったら電気がついているのよ、あら~みたいな」 のように、引用標識として機能する用法を発達させている。これらの用法では、引用された発話と距離 をとることで、あたかも取り上げた事態を曖昧に茶化し、それらを軽視するような発話者の態度が表わ される(Suzuki 1995, Fujii 2006)。 2.4.曖昧さのメタファー  確信度の低さや曖昧性といった現象は、メタファー表現によって比喩的に表わされることもある。例 えば、英語のI see what you mean. や、日本語の「話の筋が見えない」等、私たちは〈わからない〉とい

う抽象的な事態を視覚に基づく具体的な経験を媒介にして理解する。こういった現象は、言語を超えて 広く観察され、UNDERSTANDING IS SEEING〈わかることは見ることである〉という概念メタファー によって動機づけられている(Lakoff and Johnson 1980、Sweetser 1990 等)。

 視覚に基づく知覚には、知覚者の能力や対象物の見えやすさだけでなく、光や障害物といった場面 的要素が関わり、これらがメタファー表現にも利用される(瀬戸 1995、鍋島 2004、進藤 2010 等)。例 えば、「明るみに出る」(come to light)、「問題に光をあてる」(shed light on a subject)、「闇雲に」(in a blind way)「一寸先は闇」(An inch ahead is darkness)等の表現は、光という媒質の性質によって理解の

可能性に言及している。

(6)

るのは、clear や fuzzy のような視覚的な知覚を基盤とした表現の多さである。以下に、曖昧さを表わす 代表的な事例を挙げる(菅野 1989:157)。   (3) cloudy(くもった)、blind(見えない)、blur(ぼやけた)、dark(暗い)、 dim(かすんだ)、dull(くすんだ)、faint(かすかな)、hazy(かすんだ)、 misty(霧のなか)、nebulous(漠然とした)、obscure(はっきりしない)、 shady(かげった)、spooky(あやしい)、woozy(ぼんやりした)  これらの語は、視覚的な経験を基盤に、光の加減による明暗、霧や雲、陰といった障害物の存在等に 基づく視覚的属性を表わし、そこから見えにくさ=わかりにくさという状態を表現している。これらの 現象については、認知言語学の観点からのメタファー研究として、今後の研究が期待される12 2.5.曖昧さとメトニミー  曖昧性はメトニミーによっても表現される。メトニミー(換喩)とは指示の曖昧性を示す代表的な比 喩である。例えば、「なべが煮えているよ」という場合、容器である「なべ」でその中身が表わされる。 この場合、発話者は「鍋の中の具が…」といった回りくどい表現を避け、伝達の効率性を高めている。 ただし、メトニミーのすべてがこのような短絡的表現というわけではなく、指示の曖昧性を積極的に利 用し、新しい観点から事態を意味づけるという場合もある。  例えば、排泄の場所を「御手洗」や「化粧室」、bathroom や restroom というとき、不快なイメージを 払拭するため、曖昧な婉曲表現が用いられる。また、死や性に直接言及することを避け、return to earth (土にかえる)、sleep with someone(誰かと寝る)と言う場合も同様であろう。さらに、警察を「サツ」、

麻薬を「ヤク」、捜索を「ガサ」というように隠語表現を用いて、周囲の人間の理解を妨げるという場 合もある。

 さらに、シネクドキ(提喩)も上位概念で下位概念を言い換えることで指示を曖昧にする効果を持つ。 例えば、人の死を「不幸」、月経を「生理」、排泄行為を「用足し」と言い換えるとき、私たちは上位概 念から下位概念へというシネクドキによって直接の指示を避けている。またこういった〈ぼかしの効 果〉は、One shouldn’t do things like that や「だれかさんが教えてしまうから」のようにぼかすことで丁 寧かつ皮肉を込めた言い回しにもなる。

3.ヘッジ表現:研究史

 言語が伝える情報は不明確である。私たちはこのような言語のファジー性を、コミュニケーションに おいてあえて意識的に利用する場合がある。例えば、He is sort of nice.(彼ってなかなかいいじゃない) いう場合のsort of のように、情報を意図的にぼかして表現することがある。このようなぼかし効果を 持つ特有の表現をヘッジ表現(hedged expression)という。ヘッジ表現は、生成意味論の旗手 Lakoff (1973)によって体系的に導入された。

 具体的には、sort of や very、strictly/loosely speaking のように伝達しようとする命題内容を調節する機 能を持つ概念であり、その後、Fraser(1975)が、I suppose that Harry is coming. のように、命題内容に 対する発話者の心的態度を弱める機能を持つ表現を加えた。これらは現在も語用論の中心的な主題とし て活発に議論が続いている。

 以下、ヘッジ表現の現在までの研究を歴史的な変遷に沿って概観する。 3.1.メタ言語的操作子:

Weinreich

(1966)

 Sort of や like,strictly speaking のような言語の命題内容をぼかすヘッジ表現を、言語学が扱うべき領 域のひとつとして最初に導入したのは、Weinreich(1966)が初めてであるとされる(Frazer 2010:16)。

(7)

Weinreich(1966)は、ヘッジ表現の概念を先取りするかたちで次のように規定している。   (4) metalinguistic operators (Weinreich 1966:163)

for every language “metalinguistic operators”such as (in) English true, real, so-called, strictly speaking, and most powerful extrapolator of all, like, function as instructions for loose or strict interpretation of designata.  Weinrich は、これらの概念は、言語の命題内容そのものを規定するものではなく、命題内容がどのよ うに伝達されるかというメタ言語機能(metalinguistic operators)を持つことを指摘した。さらに、ヘッ ジ表現の重要な機能として、言語の意味解釈においてゆるやかな解釈(loose interpretation)を持たせる 場合と、厳密な解釈(strict interpretation)を持たせる場合の二つの場合があることを提示したという点 でも先見的であったといえるだろう13 。 3.2.ヘッジ表現:

Lakoff

(1973)  こういった先駆的研究ののち、ヘッジ表現の研究史に最も大きな影響を与えたのはLakoff(1973)で あろう。Lakoff はこれらの表現を hedged expression(垣根表現)と呼び、従来までの論理学や集合論が 扱うことが困難な概念であることをZadeh(1965)の集合論を引用しつつ論じている。Lakoff は、ヘッ ジ表現が、言語の意味内容をより不明確(fuzzy)に、またはより明確(less fuzzy)にする機能を持つ とし、次のような例を挙げている。

  (5) actually, almost, as it were, basically, for the most part, in a sense, kind of, more or less, par excellence, loosely speaking, pretty much, rather, real, regular, relatively, roughly, sort of, strictly speaking, technically, typically, very, virtually

 具体的に見てみよう。例えば、sort of や kinda、relatively のようなヘッジ表現は、John is smart や I

love you、My car is small という命題内容を不明確にし、さらにそういった命題の主張に対する責任(例

えば、根拠の提示の必要性)を回避するといった機能を持つとしている。これに対して、very や really、 absolutely のような表現は、上記の命題内容を積極的に肯定し、さらに命題内容に対する責任を請け負

うといった機能を持つ。

  (6) a. John is {sort of, very}smart. b. I {kinda, really} love you.

c. My car is {relatively, absolutely} small.

 さらに、Lakoff はこれらのヘッジ表現は、命題内容をぼかすという機能を持つだけでなく、カテゴ リーの成員可能性(membership)を表わし、特に周辺例が問題のカテゴリーに帰属するかどうかを問う 標識として用いられることを指摘している。例えば、John is a regular fish.(ジョンはまさに魚だ)とい う文は、「優れた泳ぎ手」であるという比喩的意味で用いられるが、このときregular(まさに)は、ジョ ンが優れた泳ぎ手という集合の中心的な成員であることを述べている。 3.3.発話行為論:

Fraser

(1975)  Lakoff(1973)が導入したヘッジ表現は、語の意味論(またはカテゴリー論)という観点から見たも のであった。これに対して、Fraser(1975)が導入したヘッジ遂行文(hedged performative)は、ヘッジ 表現の語用論的な側面を取り上げている。Fraser は、勧誘や依頼といった特定の発話行為動詞に添えら れる助動詞に注目し、これらの表現が何らかの意味で相手に対する攻撃をやわらげる効果を持つことを 示している。

  (7) a. I suppose that Harry is coming.14

(8)

c. I must advise you to remain quiet.

 例えば、(7a) は、思考動詞を付加することで Harry is coming. という命題を直接的に断言するよりも 弱い主張となっている15。また (7b) の思考動詞は、相手の選択権を配慮した弱い勧誘となっている16

さらに (7c) は、相手に勧告を与える発話であり、それを弱めるために義務のモダリティを用いている。 Fraser はこのように他者への働きかけを曖昧にするだけでなく、ある発話行為を不本意ながら行うと いった自己配慮に基づく表現の存在も指摘している。

  (8) a. I have to admit that you have a point. b. I should apologize for running over your cat. c. I can promise that I will be there on time.

 その後、Fraser は、これらの発話行為を弱める機能を mitigation(緩和表現)と呼び、談話標識(discourse markers)という観点から分析を進めている(Fraser 1980)。また Holmes(1984)も同様の趣旨で、You are a kind of pretty in a way. のように発話行為を弱める緩和機能(attenuating)、Really you are amazingly pretty. のように、それらを強める促進機能(boosting)も加えて議論すべきであると述べている。 3.4.ポライトネス:

Brown and Levinson

(1979)

 このようなヘッジ表現が持つ効果をより広く理論的に高めたのが、Brown and Levinson(1979)の ポライトネス(politeness)理論である。Brown and Levinson は、Goffman(1967)の face(面子) の概 念を応用し、ポライトネスの基盤となる面子を以下の二つにまとめ、合理的な発話者は、会話の相手 の持つ、相反する二つの面子を調整しつつ言語形式を選択し、ポライトネスを形成すると述べている (Brown and Levinson 1979:101,129)。

  (9) A.積極的面子:他者に自分を正当に認めてもらいたいという要求 B.消極的面子:他者に自分の領域を侵害されたくないという要求

 ヘッジ表現は会話の相手への攻撃を抑制する機能を持ち、消極的ポライトネスの指標として用いられ る。例えば、私たちは断定的な依頼を避けるために、Close the window, {if you can, if I may ask you, by any

chance,…} のように、発話内効力を弱めるヘッジ表現を用いる。日本語でも、依頼表現で「もしできた

ら」「よかったら」「悪いんだけど」のような形式で相手の負担に配慮する表現が用いられる(山岡・牧 原・小野 2010:146)。

 また、Grice(1975)の協調の原則を違反することを注釈する表現もある。例えば、私たちは「真実 を述べよ」という質の原則に反する場合は、I think/believe…、As you know、As I recall といった表現を、

「過不足なく述べよ」という量の原則を破る場合は、roughly speaking、more or less、to some extent といっ た表現を用いる。また関連性の原則に違反する場合、By the way、All right, now…のように話題転換の指 標を用いる。

 このようにBrown and Levinson によって理論的に展開されたポライトネス研究は、ヘッジ表現を社 会的な人間関係を円滑に維持するための潤滑油であるとして位置づけた意義がある。その後、Spencer-Oatey(2000)が格下げ表現をさらに詳細に論じており、また Holmes(1995)はヘッジ表現の性差を議 論している17。また第二言語習得という観点からも、Myer(1989)、Hyland(1998)が科学論文で用い られるヘッジ表現の機能をポライトネスの観点から議論している。 3.5.ヘッジ表現の分類  以上のようにヘッジ表現には意味的にも機能的にも多様な表現が混在している。そのため次の段階で はこれらを一定の観点から整理する試みが行なわれた。Prince, Bosk and Frader(1982)は、ヘッジ表現 を「命題に対する話者の確信の度合いを調節する」機能を持つものと定義し、以下の二つの範疇に分類

(9)

している。ひとつは命題内容に関わる近似表現(approximator)であり、もうひとつは命題内容に対す る話し手の態度を表わす保護表現(shield)である。

 Prince らによれば、近似表現はさらに、適応表現と概括表現に下位区分される。適応表現(adaptor) はI feel a little bit tired. のように、ある発話場面に適応するため(例えば、相手に過度の心配をさせな いように)自己の主張を弱めるといった注釈的な機能を持つ。これはLakoff(1973)がヘッジ表現と呼 んだものとほぼ等価なものである。これに対して、概括表現(rounder)は He arrived at about 5 pm. のよ うに数量表現等に付加することで概括量を提示するものである。

 また、保護表現もWell, I think, you are probably right. のように、発話者の命題内容に対する確信度plausibility)に関するものと、According to the doctor, she’ll be fine soon. のように、発話内容がどこで得 た情報に基づくものかを表わす帰属度(attribution)に関わるものに下位区分される。これらの区分は、 モダリティ表現でいう、認識的モダリティと証拠性モダリティの区分をそのまま踏襲したものといえ る。  以上ヘッジ表現を概括的に見てきたが、最近のヘッジ表現の研究では、ヘッジ表現を具体的な言語活 動においてどのように用いるかという機能的な観点が重視されているようである。特に、大規模なコー パスを利用した研究、特定のジャンルに依存したヘッジ表現、さらにレトリックとしてのヘッジ表現 等の研究が精力的に進められている (Markkanen and Schröder 1997、Kaltenböck, Mihatsche and Schneider 2010、Benkhedda 2010 等 )。今後の展開が期待される。 4.ヘッジ表現と成員可能性  統語的なものであれ、意味的なものであれ言語的なカテゴリーの境界は本質的に曖昧である。した がって、カテゴリーにおける周辺的な事例については、それが本当にカテゴリーの成員かどうかが問題 にされる。Lakoff(1973)は、そういったカテゴリーへの帰属度(membership)を示す指標としてヘッ ジ表現が用いられることを指摘している。ここでは、日英語の研究から帰属度を問題にするヘッジ表現 の研究を紹介する。 4.1.

Strictly Speaking

 私たちは日常生活において、十八歳は成人といえるか、自転車は歩行者か車両か、共通語と方言のさ かいはどこにあるかといった問題を議論する。ヘッジ表現はこのようなカテゴリーのゆらぎを示す指標 であり、カテゴリーの成員可能性について発話者がどのような立場をとるかを表わす。例えば、ごく身 近な事例であるが、次のようなヘッジ表現を用いる場合、私たちはbird という語が指示する集合の成 員可能性を問題にしている18 。   (10) X is sort of a bird.  このとき私たちは、penguin や ostrich のように典型的な鳥ではない飛べない「鳥」を、「鳥」と呼ん でよいかどうか、カテゴリー成員としての資格を持つかどうかを問題にしている。この場合、sort of を 用いる発話者は、カテゴリーの成員資格を厳密な基準によってではなく、ゆるやかな基準によって定め ることをメタ言語的に伝達していることになる。こういったカテゴリーの成員可能性を表わす代表的な 標識として次のような表現がある。

  (11) a. Loosely speaking, whale is a fish b. Strictly speaking, whale is not a fish.

c. Technically speaking, whale is not a fish.

 (11a) の loosely speaking はゆるやかな基準で帰属度を問題にすることを示すもので、日常的な立場か ら大雑把な規定を行うことを表明している。これに対して、(11b)(11c) の strictly speaking や technically

(10)

speaking は、発話者が魚に関する専門知識を備えていること前提に、厳密な定義づけを行っている。社

会言語学的な観点からいえば、こういった表現を用いるとき、発話者は自分を生物の専門家として表明 していることになる(Kay 1997:140)。

4.2.

REAL

(本物)と

FAKE

(偽物)

 real や fake という語は論理的に様々な問題を提起する。Austin(1962)は、最初にこれら二つの表現

が持つ奇妙さを指摘した論考であるが、そのなかで、real(本当の)はある概念の存在を前提として、 そのような概念を否定することで成り立つ「否定主導語」であると述べている。つまり、real は積極的 に何らかの性質に言及しているのではなく、real-fake という対立軸のなかで、実際は not fake であるこ

とを主張する語であるという。例えば、(12a) は real によって、ある対象が fake gun ではないことを意 味している。

  (12) This is a real gun.(これは本物の銃だ)

=This is not a fake gun.(これは偽物の銃ではない)  同様に、(13) では、false teeth ではないことを意味している19

。   (13) These are real teeth.(これは本物の歯だ)

=These are not false teeth.(これは義歯ではない)

 ここでの議論に則して言えば、これらの語は否定主導語というかたちで、当該のものが「本物」か 「偽物」のどちらのカテゴリーに属するのか、その帰属度を問題にする語であるということになる。同 様に、Lakoff(1973)もこれらの語をカテゴリーへの帰属度を表わすヘッジ表現とみなしている。例え ば、次のような文では、眼前の事物がダイヤモンドかどうか、また相手を愛しているかどうかという真 偽値=帰属度が問題にされている。

  (14) a.Is this a real diamond? b.Do you really love me?

Cf.A robin is a bird par excellance.20

(コマドリは正に鳥の中の鳥だ) 4.3.形容詞の程度用法

 英語の形容詞には、perfect idiot(完全な馬鹿)、absolute bliss(無常の喜び)、awful mess(ひどい混 乱)のような表現がある。これらの用法において形容詞は、純粋な形容詞の意味を失っている。例えば、

perfect husband と perfect idiot を比べると、前者は「完璧な」という評価的意味を維持しているのに対し

て、後者は「完璧な(馬鹿)」という性質(quality)を表わすのではなく、どれほどの馬鹿かという程 度(degree)を表わす(Paradis 2001:60)。  このような程度を表わす形容詞は、先に見た「本当の」と同様にカテゴリーへの帰属度を表わす表 現とみなされる。英語のperfect は帰属度が最高値にあることを表わす。こういった表現は英語だけに ある特殊な用法ではなく、日本語にもこれと同様の効果を持つ表現が存在する。例えば、「立派な犯罪」 「完全な病気」「いい大人が…21 」といった表現はそれらが指示するカテゴリーへの帰属度が高いことを、 これに対して「下手な同情」は帰属度が低いことを表わす(今井 2008)。  このような場合は、それぞれの形容詞は語彙的意味(おもに、評価的意味)を失っている。その証拠 に、「立派である」ことと「犯罪(を犯す)」ことは普通は両立しないし、「下手である」ことと「相手 に同情する」ことも意味的に整合しない。つまり、これらの形容詞は性質を表わすのではなく、perfect と同様にカテゴリーへの帰属度を表わす。今井はこういった表現の背後には、「〈カテゴリーへの帰属度 が高い〉ことは〈よい〉ことである」というメタファーが働いているとまとめている。

(11)

4.4.日本語の反復構文  日常言語には論理的に不可解な構文がある。その一つに主語と述語が同一のコピュラ文、すなわち トートロジー(同語反復)という形式がある。例えば、「時間は時間だ」「時間が時間だ」「時間も時間 だ」といった表現は論理的には情報的な価値が存在しない奇妙な表現であるといえる。しかし、日常言 語においては、こういった表現は一定の表現効果を持つ(Wierzbicka 1987、森山 1989、Okamoto 1993、 坂原 2002、酒井 2005、古牧 2012 等)。  特に、「時間は時間だ」に代表される「X は X だ」型のトートロジーは、ここでいうカテゴリーへの 帰属度に言及する形式といえる。例えば、「どんなに大人ぶってもやはり子どもは子どもだね」のよう に、この形式のトートロジーは、周辺的な事例(例.大人びた子ども)をカテゴリー成員とするどうか を問題にする機能を持つ。ただし、これらにはいくつかの解釈の可能性が現れるという指摘がある。こ こでは坂原の議論を参考に、「上司は上司だ」という事例を例にとって考えてみよう。  カテゴリーの帰属度を検討する際、その基準を厳密にするかどうかで二つの解釈が存在する。まずゆ るやかな基準をとった場合、「どんな上司でも上司は上司だよ」というようにカテゴリーへの帰属を認 めるという解釈になる(同質化)。これに対し、厳格な基準をとった場合、「部下を大事にしてこそ上司 は上司だよ」というように帰属を認めないという解釈になる(差異化)。ただいずれにしても周辺的な 事例の帰属性が問われている点は共通する。  こういったトートロジー表現は、構文文法の観点からも精力的に研究が進められている(野呂 2009 他)。例えば、「男の中の男」といった名詞反復構文は、当該の成員がカテゴリーの典型例であることを 意味し、「男男している」は中心的な成員であるが、同時に何らかの否定的な性質を持つことを表わす。 また、「面白いといえば面白いが/面白いことは面白いが(どこか物足らない)」のように一応成員とし て認めるが決定的な点で帰属度が低いことを表わすといった構文もある。 4.5.直喩形式と程度表現  シミリー(直喩)とは、二つの事物を類似性によってつなぐ明示的な比喩である。例えば、「りんご のようなほっぺた」という場合、りんごには色や味、形などさまざまな側面があるが、ほっぺたと結び 合わせた結果、そこに「真っ赤な」という特徴が連想され、そのような特徴を焦点化し、それらを印象 的に表わす効果がある(佐藤 1978、山梨 1988 等)。ここではカテゴリーへの帰属度という観点から日 本語の直喩形式を考察する。  日本語の直喩にはさまざまな形式がある(中村 1977:140)。例えば、「象に劣らぬ足」「象に匹敵する 足」「象顔負けの足」等にある「当らぬ」「顔負け」「匹敵する」といった表現は、勝利と敗北の概念を 基盤にした表現であり、こういった形式の背後には < 比較は戦争である > という概念メタファーが働い ている可能性がある。また、他にもあるカテゴリーへの接近を表わす表現として、「あの足は象に近い」 のような空間概念、「あの足はすでに象だ」のような時間概念、そして「あの足はほとんど象だ」のよ うな程度概念を基盤にした形式が挙げられる。  なかでも程度副詞は、「半分/ほとんど/完全に象だ」のようにカテゴリーへの帰属度を表わす形式 として広く用いられる。ここで用いられるのは、ある概念への近さを表わす近似値副詞であるが、その 他にも実際の事例をみると、「あの方はとても紳士です」「あいつも相当政治家だ」「彼は結構詩人なん です」のように(狭義の)程度副詞が用いられる場合もある。これらの副詞はふつうは形容詞のような 段階語を修飾することを考え合わせれば、これらの用法は例外的な用法ということになる(工藤 1983、 佐野 1999、加藤 2003 等)22・23 。  ではどのような解釈がこういった表現の背後に働いているのだろうか。一般に「犬」のような普通名 詞はさまざまな属性から成り立つ複合的な概念であるが、ここで用いられている「紳士」や「政治家」「詩

(12)

人」は形容詞と同様に、ある特定の性質だけが焦点化された概念となっている。例えば、紳士といえば 「礼儀正しい」、政治家といえば「狡猾である」といった性質が取り上げられ、そういった性質をどれく

らい持つかで、カテゴリーの帰属度を示しているわけである。 ※ 註はすべて「ファジー意味論Ⅱ」に収録した。

参照

関連したドキュメント

[r]

[r]

今回のわが国の臓器移植法制定の国会論議をふるかぎり,只,脳死体から

これに対し,わが国における会社法規部の歴史は,社内弁護士抜きの歴史

に会社が訴追の主体者であったことを忘却させるかのように,昭和25年の改

ヘーゲル「法の哲学」 における刑罰理論の基礎

ずして保険契約を解約する権利を有する。 ただし,

会社法規部は, 如何なる会社にとっても著しい有 いうまでもなくここでいう会社法規部とは,