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自閉スペクトラム症児の自己感の発達 -間主観的相互作用の観点から-

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Academic year: 2021

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Ⅰ. はじめに

1943 年に Kanner, L が 「早期幼児自閉症」 を報告し てからわずか 75 年. その概念はその間何度も大きな転 換点を迎え, それでも未だに新しい知見や概念が示され 続けている. わが国では発達障害概念の導入とスペクト ラム概念の浸透により, 支援の対象が広がり, それにつ れて様々な分野で多様なアプローチが展開されている. 本論では, DSM−5 に規定された診断名である 「自 閉スペクトラム症 (以下 ASD)」 の用語を用い, 知的な 障害の程度によらず, その中核に社会的相互作用の質的 な障害を有する (あるいは有すると推察される) 児童を 対象にする. 筆者は ASD の支援においては, その中核 的な障害である対人的な関係性への支援が不可欠だと考 え, 自身の心理臨床実践では ASD 児の関係性の発達や 調整, そして関係性の基盤となる 「自己」 の発達を意識 した支援を行ってきた. しかし, 近年, 個別の心理臨床的かかわりにとどまら ず, 療育などの保健機関や福祉機関, 学校や園などの教 育機関で, それぞれの専門性の範囲でその自閉性 (社会 性の障害) に支援的なアプローチを行う必要が生じ, 筆

自閉スペクトラム症児の自己感の発達

間主観的相互作用の観点から

美和子

日本福祉大学 子ども発達学部

The Development of 'The Senses of Self' in Children with Autism Spectrum Disorder

the Viewpoint of the Intersubjective Interactions

Miwako HORI

Faculty of Child Development, Nihon Fukushi University

Keywords:自閉スペクトラム症児, 間主観的自己感, 中核的自己感, 情緒的相互作用 要旨 本論文は自閉症スペクトラム症児 (以下 ASD 児) の発達支援的アプローチを検討するために, その障害特性を ASD 児 の自己発達の側面からとらえなおすことを目的としている. はじめに, ASD 児の最早期の自己の発達を Stern (1985) の 自己感の発達理論を援用しながらとらえなおし, 社会性の障害による養育者との相互作用の不調律のため前言語的な段階で の中核的自己感および間主観的自己感の形成の障害が生じているという仮説を示した. その上で, ASD 児の社会性の障害 の指標とされる 「心の理論」 および共同注意の研究を概観し, 合わせて 「こだわり」 や 「常同行動」 などの自閉的行動の意 味を情緒的な母子相互作用の困難とそれに変わる 「もの」 との相互作用による ASD 独自の自己感のあり方として示し, 今 後の発達援助的支援における情緒的相互作用へのアプローチの重要性について示唆した.

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者もしばしばコンサルテーションの場で可能な自己の発 達を促進する支援の在り方について検討してきた. そこで, 本論では改めて, ASD の自己の発達につい て, 定型発達児の最早期の発達理論を援用する形で整理 し, 障害特性の発達的意味と, 適切な支援の視点につい て整理し, 必要な実践研究や実践支援について検討する 枠組みを示すことを目的とする.

Ⅱ. 定型発達における自己の発達

∼Stern の

自己感の理論から∼

乳幼児のパーソナリティ発達において, 早期の養育者 と子ども (母子) の親密で情緒的で相互的なかかわり (情緒的相互作用・エントレインメント) の重要さにつ いては, 古くは Bowlby の愛着理論や Maternal depri-vation (母性的擁護の剥奪) の概念, Elikson の Basic trast (基本的信頼感) に始まる例を挙げるまでもない だろう. そして, 早期の母子相互作用の様相は, その後 のパーソナリティ発達や対人関係の基盤となり, 時には 生涯にわたりその発達に大きな影響を与えるものである. 特に 1900 年代後半からの乳幼児研究の隆盛と並行する かのように児童精神医学の領域では, 従来の精神分析理 論を背景に持ちながらも, 独自に周産期から言語獲得以 前の再早期の母子の関係性をとらえなおし, 詳細な臨床 分析や科学的手法をもちいて乳児のパーソナリティ, 特 に 「自己」 の発達について新しい知見が多く示され, 今 日の発達支援やその研究に寄与している. 本論ではその 中で Stern (1985) の自己感の発達理論をもとに, ASD 児が体験する自己の感覚とその障害特性について検討し たい. Stern の理論の特徴のひとつは, 当時精神分析理論で は主流であった 生後しばらくは母親と新生児が一体と 感じられている未分化な時期がありそこから分離してい く という考えから離れ, 乳児は生れた時から 「自己」 を体験しているという考えに立っている点である. そこ でいう 「自己」 は, 確かな輪郭を持った 「私」 というほ ど明確なものではなく, あいまいで一貫性のない漠然と した感覚である. その乳児が主観的に体験している感覚 を明確な 「私」 という感覚の 「自己」 とは区別し 「自己 感」 という概念で示したのである. そして, 新生児から 2 歳までに 「新生自己感 (0 歳∼)」 「中核自己感 (2 カ 月頃∼)」 「間主観的自己感 (7∼9 か月頃)」 「言語的自 己感 (15∼18 か月頃)」 という 4 つの自己感が生じ, そ れらが階層構造をなすものとした. 階層構造とは発達の 段階理論のように以前の自己感から次の段階の自己感へ と変化 (発達) するのではなく, 新しい自己感を獲得し てもそれ以前の自己感は消えることなく同時に存在し, 層をなすことにより, 豊かで多様な自己を形成していく のである1). 「新生自己感」 は生後すぐから乳児が漠然と体験して いるまとまりのない自己の感覚であるが, 育児の中での 養育者との身体的なかかわり合いや“生気情動”の水準 での感覚的な相互の刺激を通して, 乳児は生後 2 ヶ月ご ろから自己を他者とは分化したひとつのまとまりとして 感じる 「中核自己感」 を獲得するのである. そして自分 と養育者が違う個体であることを知ることで, より積極 的な親密なかかわり合いが促進され, その中でその他者 (養育者) と 「ともにいる感覚」 を体験していくのであ る. その体験をベースとして, 乳児は 「他者や自分の行 動の背景には感情や動機, 意図などの精神的な状態があ るということや, 他者にも自分とは異なった精神的な状 態を持つ心があるということ」 を感覚的に知るようにな るのである. これが, 7 ヵ月から 15 ヶ月頃に発達する 「間主観的自己感」 の領域である. また, そういった感 覚を知った乳児は心の状態を自分以外の誰かと共有する ことができるのだということに気づき, さらにより深い 形で情動を共有しようとするやり取りが行われるように なる. この時期の領域で母子に見られる特徴的な前言語 的で情緒的相互交流のパターンを Stern は 「情動調律 affect attunement」 と名づけた. これは, 母親が子ど もの示す感情体験の表現に共鳴し, その表現を自動的に 他の表現型に変換して, 乳児とは別の様式を用いて行動 の背後にある乳児の内的感情を反映するようなかかわり の様式である. そして, 言葉が話せるようになると 「言 語的自己感」 が形成され自身の主観的体験を言葉によっ て客観化することや, 他者と言語的コミュニケーション によってやり取りすることができるようになることで, より複雑で正確な体験を他者と共有することが可能にな るのである. その一方, 時に言語的な体験と間主観的な 体験にずれが生じ, それが子どもの神経症的不安につな がるとされている. ASD 児の理解や支援的アプローチにおいてこれらの 再早期の母子相互作用と自己感の発達の理論は大変有用 である. ASD 児の中核的な障害は社会性の障害 「対人 的相互反応における質的な障害」 である. このことは,

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対人場面での適切なコミュニケーションができないこと を示しているのではなく, その背景にある器質的な特性 により, 本来促されるべき再早期の母子相互作用が適切 に行うことができなかったことによる関係性の障害であ ることも示している. また, 後に述べるように, 間主観 的なかかわりの難しさを有する ASD 児において, 早期 から生じる各自己感のかかわり合いの領域における体験 のずれがしばしば生じることが想定される. 自閉的特性 として表出される特徴はこのずれによる不安の対処の結 果生じたものと言えるのかもしれない. 次節では, それ らの点から ASD 児の特性についての理解を整理し, ASD 児の自己の発達支援を考慮したアプローチについ て検討する.

Ⅲ. ASD

児の特徴による自己の形成

1. 心の理論と社会性の障害 (ASD 児の障害特性とは) ASD 児の特徴を社会性の障害の観点からとらえる際 に主に指標とされるものの 1 つに 「心の理論 (Theory of mind)」 (Premack & Woodruff 1978) があげられ る. 「心の理論」 とは一般に, 「他者の心の状態, 目的, 意図, 知識, 信念, 志向, 疑念, 推測などを推測する心 の機能」 とされており, 心の理論を有しているがゆえに 人は他者にも自分とは異なる心を有しており, その行動 や態度の背景にその人の意図や信念があることに気づき, 自分と異なる他者の行動を予測することができるものと されている. ASD 児の社会性の障害を心の理論からとらえるきっ かけとなったのは Baron-Cohen (1985) によって自閉 症の 「心の理論」 障害説が提唱されてからであるが, そ れ以降 ASD 児の 「心の理論」 の発達に関する莫大な数 の研究が積み重ねられてきている. その際, 多くの研究 がサリーとアンの課題に代表される 「誤信念の理解」 の 課題の通過をもって 「心の理論」 獲得の有無を判断して おり, 定型発達児においては 4∼5 歳で, ASD 児におい ては 9 歳ごろ (あるいは 9 歳相当の発達水準) において 通過することからも, ASD 児の心の理論の障害説を裏 付けるものとみなされている. しかし近年, ASD 児の 中核的な障害を 「心の理論」 の障害としてとらえる見方 に疑問が示されている. それは, ひとつには言語的な理 解や認知的な理解などの能力が必要とされる 「誤信念課 題」 は 「心の理論」 の一部を測定しているだけであり (German 2000, 西原ら 2006), 誤信念課題を用いた 「心の理論」 は ASD 児のコミュニケーションの困難さ という点を示すことはできても, ASD の特性を説明す るものにはなり得ないという点 (Gernsbacher 2005, 郷式 2013 など). また, 「心の理論」 の一連の研究はそ の認知的な側面を扱っているに過ぎず, 情動的な側面を 扱っていないため, ASD 児の支援や理解に重要な情動 調整の困難さ (別府 2013) を説明し得ない点などを指 摘するものである. 筆者は 「心の理論」 は, 本来は先の Stern の理論の 中で示された 「他者や自分の行動の背景には感情や動機, 意図などの精神的な状態があるということや, 他者にも 自分とは異なった精神的な状態を持つ心があるというこ とを感覚的に知る」 ことができる間主観的自己感の形成 において生じる心の機能であり, 前言語レベルでの養育 者との情緒的なかかわり合いの中で形成されるものと同 様の心の動きを示したものだと考えるべきものだったの ではないかと推察している. その文脈からとらえると, ASD の 「心の理論の障害」 とは, 誤信念課題で測定す るような認知的な意味での社会性の障害ではなく, それ 以前の段階での適切な相互作用が働かず, 間主観的自己 感が機能しないという, 他者との相互作用の不調 (律) としてとらえられるのである. しかし現在, 誤信念課題こそが 「心の理論」 (あるい はその代表的なもの) ととらえられているのであるなら ば, 両者は明確に区別して議論しなければならないだろ う. とはいえ, 誤信念課題を用いて示された ASD 児の 「心の理論」 の障害説によって, 対人関係の中での ASD 児の困難さのありようが示されたことは間違いなく, そ のことから ASD 児への適切な対人関係への介入の必要 性が明確に示され, 具体的で実践的なソーシャルスキル 獲得のための試みが多くなされてきたことには大きな意 義がある. しかし, 同時に, 認知的レベルでのスキルト レーニングのみで心の理論の障害に対応しうるかのよう な誤解が一部に生じたこともまた, 事実である. ASD 児の社会性の障害への理解において, もうひと つの指標とされているのは共同注意 (joint attention) 行動である. これは指差しを代表とする行動であるが, 自分と他者が同時に同じ事物に注意を向け, そして相互 に相手が自分と同じものに注意を向けていることがわかっ ていることがその成立条件である. そしてその背景には, 乳児自身がそのものに対して感じている情動を相手に伝 え共有しようとする意図が含まれているのである. この

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共同注意において ASD 児は, 要求などのための共同注 意行動 (指差しなど) に比べ, 情動の共有を求める行動 注意がほぼ見られない, あるいは極端に少ないことがわ かっている. このことからも ASD は認知レベルでの他 者の意図の理解のみではなく, 自分自身の気持ちを他者 に伝え, 共有したいという感覚に乏しいこと, そしてそ の結果, 気持ちを他者と共有できたという体験を充分に 感じられないことこそが問題だということがわかる. 2. ASD 児の自閉的特性の意味 前項では ASD 児の社会性の障害の理解について述べ たが, 自閉症に特有な症状・特性として示される, こだ わり行動や常同行動, また, しばしば見られるパニック や特異な視線を用いた自己刺激的遊びなどを, これまで の文脈でとらえなおすとどのように理解されるだろうか. ASD 児の再早期の発達課題は, いかにまとまりのあ る自己を体験し他者と 「ともにある」 事の安心感を得る かにある. しかし, ASD 児の多くが感覚過敏などによ り自身が体験する感覚刺激の調整を適切に行うことが難 しく, 本来はポジティブな体験としてとらえられる養育 者からの接触や音・においなどが過剰な刺激として体験 されたり, 逆に充分に体験されなかったりする. また, 乳児だけでなく養育者にとってもお互いの情動を感じ取 ることが困難であるため適切な情動的応答性は適切に働 き難い. これらの相互的なかかわりの乏しさにより ASD 児の自己は一貫したまとまりに欠くあいまいでつ かみようのないばらばらな状態のままになりかねない. しかし, 定型発達において乳児が養育者との原初的な水 準でのかかわりを能動的に行いながら自己感を体験する ように, ASD 児も自己のまとまりを体験しうるような かかわりを能動的に行おうとしている. ただし, その対 象になるのは 「ひと」 ではなく, 脅威を感じることなく 安心してかかわることができ, 乳児自身でコントロール することが可能な 「もの」 に対してである. そして養育 者を安全基地とするように, 不快や不安な状況に陥った 場合には, その 「もの」 に安心感を求める, それがこだ わりのスタートではないだろうか. 「もの」 に依存する 形で得た 「自己感」 (ASD 児なりの中核的自己感) の領 域では他者との相互のやり取り, ましてや情動調律のよ うな間主観的かかわりは生まれがたい. 代わりに ASD 児は儀式的・常同的行動を繰り返し, また, 指透かしな どの自己刺激的な遊びによって, 自己の中に一定の秩序 を生み出していることが伺われる. 堀 (2013) では, そ の 「もの」 との相互作用の中で強化された自己のありよ うを, 脆弱な自己とそれを守るための 「自閉の殻」 とし てとらえ, 自閉の殻の内部にある豊かな情動の流れや自 閉的ファンタジーの世界である 「内的体験の世界」 へ働 きかけることによって自己のまとまりをつくり, 社会的 かかわりの世界につなげる,“個人心理療法的なかかわ り”について考察した. また黒川 (2012) は, 臨床的な経験の中で ASD のリ スクがある乳児を, 「人を目で追わない」 「ひと以外の物 事に熱中する」 という“人間への注目の障害”と, 「不 快な場面でも怒りなどの表出がない」 「表情が乏しい」 などの“感情表出の障害”といった特徴があるか否かか らとらえ, 生後 4∼5 ヶ月頃 (一部幼児を含む) の乳児 のおとなとのかかわりの様態を描写している. 乳児は養 育者が抱き上げあやしても目を見交わしたり笑顔をかわ したりすることはほとんどなく, 天井やポスターなどを じっと眺め, 眺めている間は養育者の声かけも耳に入っ ていないかのようである. また突然顔に布がかぶさった り, 治療などの予期せぬかかわりに不安や混乱を感じた 場合には, パニックになるか, 突然体の動きも感情の動 きも凍りついたかのように停止させ, まるで何も感じて などいないかのように振舞っていた. これらのひとへの 関心を持つことができていないリスクのある乳児が, こ のままおとなとの心の交流を持つことなく育つことで, 何らかの心理的問題を示す可能性が高いとして, 黒川は 乳児の安全感と能動性を高めることを意識した乳児への 働きかけを提言している. 3. ASD 児への支援的アプローチの視点 ASD あるいはそのリスクのある児へのアプローチが 乳児期初期から行われることはまれである. 多くはある 程度その特性が明確になる幼児期前期以降であり, 知的 障害や発達の遅れを有しないまたは軽微な場合にはさら に遅くなる傾向がある. しかし, それぞれの発達段階に おいて ASD 児の自己感の機能や対人相互作用の様態に 応じた自己 (感) の発達および情緒的な相互作用の促進 を念頭に置いたアプローチは不可欠であろう. 心理臨床 相談などの専門機関においては, 先の黒川や堀の取り組 みに限らず, 定型発達の再早期の発達理論を用いて他者 との情緒的な対人交流を促し, ASD 児なりの自己の発 達へ寄与する取り組みは複数行われている.

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一方, グループでの ASD 児へのアプローチはソーシャ ルスキルトレーニングに代表されるような集団適応や適 切な対人関係の構築を目的として行われるものが主流で あり, 幼児期の療育グループにおいても幼稚園や小学校 といった集団への参加に先立つ集団活動のルールの理解 や行動コントロールの体験を主眼として行われている場 合も少なくない. これらのトレーニングには一定の意義 があり, その目的を否定するものではない. しかし, 集 団 (他者) の中で適応的に生活し, 他者とのかかわりを 楽しみ, 意欲を持って活動に取り組んでいくことができ るようになるためには, 集団 (他者) への関心とそこで 安心して他者とともにいられるちからが育まれているこ とが不可欠である. そうでなければ, 集団の中で 「生活 する」 のではなく, 機械的にそこに 「ある」 だけになっ てしまうだろう. 集団への関心とそこに安心していられ る力は, 先に述べた乳児がまとまりのある自己と養育者 との間で情緒的な相互作用を行いながらはぐくまれる自 己感がベースにある. 別府 (1997) は, 現場で ASD 児 を支援する人たちに向けて ASD 児が新しい場面に安心 して生活し他者との交流を行うことができるようになる ためには, まず 「心の支えとなるひと」 をつくることが 重要だと述べた. これは, 不安を感じたときに児がその 人を求め, その人の存在によって安心し, その存在に支 えられてその不安な場面に立ち向かうことができる人の ことであり, 愛着対象や安全基地となる人などと言い換 えることができるだろう. 先に述べたように, ASD 児 が 「こだわり」 や 「常同行動」 という形で, ひとではな くものを安全基地として活用している場合, 「心の支え となる人」 ができることは, ひとの存在を安全基地とし て活用できるようになったことを示している. そして, その人との情緒的相互性が増していくとそこを基盤とし て他児への関心や他児とのかかわりへと広がっていくの である. 4. 多様な自己の状態に応じたアプローチの必要性と課題 幼児期以降の ASD 児は知的能力や自閉性, 自己の発 達やおかれた環境, 受けてきた支援などにより, 多様な 状態像を示している. 知的にも言語発達にも遅れがなく, 集団の中でそれなりに適応して過ごしてきた者もあれば, 集団に適応できずおとなから見ると問題行動を多く起こ している者もいる. 自閉的な楽しみの中に埋没し他者と のかかわりを必要としないかのように見える者もいれば, クラスの中で他児と一緒に遊びたいと気持ちを強く持っ ている者もいる. たとえば, 知的な能力と言語は ASD 児がとらえにく い他者や自分の情動や思い, 意図といったあいまいなも のを, 言葉と論理的思考によって形を与え操作可能なも のにしうる有用なツールである. そのため ASD 児は言 語的自己感の領域で他者とかかわり, 周囲もその領域で のかかわりに尽力しやすい. 定型発達児においては言語 的自己感の領域でかかわりが行われているときには, そ れと同時に間主観的自己感の領域などの他の領域でのか かわりも行われており, 話した内容に伴う情緒的体験を 共有していたり, ともにいることでの安心感を育んだり しているのである. しかし, 本来同時に働くべき領域が 充分に機能しないままである場合, 言語や理論によって 処理しきれない事態に陥った際に, 自己のまとまりが保 てないかのような強い不安を感じ, パニックなどに直面 してしまう. そして, そういった体験は対人的なかかわ りの中での不安となり 2 次的な障害に結びつくことにな りかねない. そういった場合, 言語的に落ち着かせたり 説明したりすることでいったんは落ち着く場合がほとん どであるが, それだけでは同じことの繰り返しになりか ねない. 言語能力の高い ASD 児であっても, 前節で示 した情緒的相互作用に働きかけるアプローチを意識する 必要があるだろう.

Ⅳ. おわりに

∼具体的な発達の様相と集団に

おける支援∼

本論では再早期の発達理論を枠組みとして, ASD 児 の自己の発達から, その障害特性といわれる特徴の意味 について検討し, 集団場面でのアプローチの視点につい て提言した. 今回論じた点は自閉症研究の流れの中で行 われてきた研究や知見を整理したものであり, 自閉性の プリミティブで中核的な部分についてのみ取り上げた. しかし ASD 児の今日的課題のひとつがその多様性であ るように, ASD 児の状態像や受けてきた支援は様々で ある. 知的障害を伴わず早期から言語的コミュニケーショ ンが可能な ASD 児も多く, 場合によってはその特性に 気づかれないまま専門機関での支援を経ないで保育所や 小学校の集団の場に参加していることもある. もちろん, 気づきの段階で専門機関と連携がされることが望ましい が, それだけでなく, ASD 児が日常を過ごす保育所な どの集団の場で可能な ASD 児の自己感の発達を促すよ

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うなアプローチについて検討していくことが必要となる. 既にいくつかの実践報告や調査研究がはじめられている が, 今後, 筆者も実践研究を重ねることでこれらの課題 について検討し, 本論を展開していきたいと考えている. 注釈 1 ) Stern は 2000 年の論文において, 言語的自己感の後に 「ナラティブ自己感」 を加えたが, 本論では割愛する. 文献

Baron-Cohen, S., S., Leslie, A. M., & Frith, U. (1985) Does the autistic child have a "theory of mind"? Cognition 21, 37-46

別府哲 (1997) 障害児の内面世界をさぐる 全障研出版部 別府哲 (2013) 自閉症児と情動 情動調整の障害と発達

発達 135 ミネルヴァ書房

Bloom, T., & German, T. P. (2000) Two reasons to abandan the false belief task as a test of theory of mind. Cognition 77, 25-31

Gernsbacher, M. A. & Frymiare, J. (2005) Does the autistic brain lack core modules? Journal of Developmental and Learning Disorders 9, 3-16 郷式徹 (2013) 「心の理論」 と実行機能 どのような認知機 能が誤信念課題に必要か? 発達 135 ミネルヴァ書房 36-41 堀美和子 (2013) 自閉症児の“こころ”を育む 初期の関 係性への発達への心理臨床的アプローチ 後藤秀爾 (監) “いのち”と向き合うこと・“こころ”を感じること ナカ ニシヤ出版 黒川新二 (2012) 自閉症とそだちの科学 日本評論社 西原数馬・吉井勘人・長崎勤 (2006) 広汎性発達障害児に対す る 「心の理論」 の発達支援:「宝さがしゲーム」 による 「見 ることは知ることを導く」 という原理の理解への事例的検討 発達心理学研究 17 28-38

Premack, D. & Woodruff, G. (1978) Does the chimpanzee have a theory of mind? The Behavioral and Brain Sciences, 1, 515-526

Stern, D. N. (1985) The interpersonal world of the infant: A view from psychoanalysis and developmenta psychology. New York: Basic Books (小此木啓吾・丸田俊彦 (監訳) (1989) 乳幼児の対人世界Ⅰ (理論編) 岩崎学術出版

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