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第六十四回
物語
理解を深めるために
「須磨の秋」の登場人物 前 回 ま で に な ら い、 最 初 に 登 場 人 物 を 整 理 し て お く。 な お、 「 須 磨 の 秋 」 の 主 たる登場人物はごく少ない(実質的には 光 ひかる 源 げん 氏 じ だけと言ってもよい)が、この話 は、話自体には登場しない人物のことを知っておくほうが理解しやすい。そこで それらの人物についても触れる。 ◇話に登場する人物 光源氏…………実質的に政争に敗北したことで、自ら須磨に隠居した『源氏 物語』の主人公。この時点で二十六歳。 良清、 民 みん 部 ぶの 大 たい 輔 ふ 、 前 さきの 右 う 近 こんの 将 ぞ 監 う ……源氏に同行した側近たち。 ◆話には登場しないが知っておくと話がわかりやすくなる人物 右大臣…時の権力者。帝の祖父にあたる。 右大臣の 女 にょう 御 ご …右大臣の娘で、前帝(源氏の父)の妃の一人で、現在の帝の 母。源氏を敵視している。 帝………かつての「一の皇子」。源氏の異母兄にあたる。一般に「 朱 す 雀 ざく 帝」と呼ばれる。 朧 おぼろ 月 づき 夜 よ の君……右大臣の女御の妹。帝のもとに入内する予定だったが、源氏 と関係を持ったことが露見し、できなくなる。源氏が須磨へ隠 居したもう一つの理由。 藤 ふじ 壺 つぼ 女御…前帝の妃の一人。現在の皇太子の母。 皇太子…………前帝と藤壺女御との子とされている皇子。前帝は源氏にこの 皇 子 の 将 来 を 託 し た 。 後 に 即 位 し て 帝 と な る 。 一 般 に 「 冷 れい 泉 ぜい 帝」と呼ばれる。 紫 むらさきの 上 うえ …………源氏の妻。「若紫」の話に出てきた少女。 源氏が須磨にいる理由 番組で取り上げる部分は、すでに源氏が須磨にいる所から始まっている。 学習のポイント源氏物語
(全六回) 第6回須磨の秋
①右大臣家との確執 ②須磨の源氏 ③『源氏物語』のそれから 第 6 回
▼ 学習のポイントでも触れるが、源氏が須磨へ隠居することになった理由は、ひ と言で言えば「右大臣家との確執」である。右大臣家は、前帝の愛情を一身に受 けていた桐壺更衣を敵視していたから、その子である源氏にも強い敵意を抱いて いた。自分たちにとっては次の帝になるはずの「一の皇子」の立場を脅かしかね ない源氏の存在は邪魔だったのである。さらに、源氏は、身から出た錆とも言う べ き か、 そ れ と 知 ら ず に 右 大 臣 家 の 姫 君 と 関 係 を 持 っ て し ま っ て い た。 「 朧 月 夜 の 君 」 で あ る。 こ の 女 性 は 本 来、 「 一 の 皇 子 」 が 即 位 し た 帝 の も と へ 入 内 す る は ずになっていた。それができなくなってしまったのである(後に立場の低い「尚 侍」として出仕するが、もともとは妃の最高位に近い「中宮」として入内する予 定であった) 。 源氏自身と、保護すべき皇太子や紫上の身の安全を考えて、須磨へと退去する ことにしたわけである。 ここまで理解したうえで、番組を聞いていただけるとありがたい。 須磨から明石へ、そして京へ しかし源氏の数奇な運命は、彼に須磨で生涯を終えることをさせなかった。 まず、源氏は須磨で、近くの明石からやってきた 明 あか 石 しの 入 にゅう 道 どう という地元の有力者 (もとは源氏とも縁のある貴族だった)に誘われて明石へと移る。そして明石入 道に勧められて、その娘( 「 明 あか 石 し の君」と呼ばれる)と結ばれる。 都では前帝(源氏の父)の霊が現在の帝(朱雀帝)の夢に現れて叱責、帝は病 気になる。さらに源氏の敵対勢力の頭目とも言える右大臣が死去。おそらくもと もと源氏の隠居に反対していたであろう帝は、源氏の存在が都に必要だと強く感 じ、母である右大臣の女御の反対を押し切って源氏を都へと呼び戻す。 源氏は身ごもっていた明石の君を、いずれ呼び寄せると約束して明石に残して 都へと戻り、政界にも復帰する。間もなく帝は退位し、藤壺女御と前帝との間に 生まれていた皇太子が新たな帝として即位する。源氏はもともと、前帝からこの 皇太子の後見役を頼まれており、結果として帝の後見役を務めることになった源 氏は、最大の権力者となるのである。 源氏の抱える秘密 「若紫」 、「須磨の秋」の話の流れの背景には、 源氏の抱える大きな秘密があった。 「 若 紫 」 で、 源 氏 が 後 に 妻 と す る こ と に な る 少 女 に 心 ひ か れ た の は、 一 つ に は 彼 女 の 面 影 が、 「 限 り な く 心 を 尽 く し 聞 こ ゆ る 」 人、 つ ま り、 こ の 上 な く 愛 す る 女性に似ているからであった。この、源氏が「この上なく愛する女性」とは、当 時の帝であった源氏の父の新たな妃、藤壺女御であった。源氏は当初、物心も付 かない内に失った母、桐壺更衣に似ている、というこの藤壺女御に、覚えてもい ない母の面影を重ねていたが、五歳しか年上でないこの女性に対する気持ちは、 源氏自身の成長に伴って、異性としての思慕へと変わっていった。 そして、あろうことか、源氏は自分の気持ちを抑えきれず、父の妃である藤壺 女御と関係を持ってしまうのである。 しかも、藤壺女御はそのことがもととなって懐妊する。
▼ 実は、源氏が父から後見役になってくれと頼まれた「皇太子」とは、源氏と藤 壺女御との子なのである。二人にとって、何としても隠し通さねばならない秘密 であった。 結果として二人は強い罪の意識に怯えつつ生きることになるが、事実だけを見 れば、都へ復帰した源氏は、単に新たな帝(冷泉帝)の後見役となっただけでは ない。もちろん公おおやけにはできないが、帝の父親でもあるのである。 一つの時代の終わり 都へも戻り、政界においても最高とも言える立場についた光源氏であったが、 すべての苦悩から解き放たれたわけではなかった。 藤壺女御との秘密は相変わらず誰にも明かすことのできないものであったし、 帝の父であるということも、政界においては最大の利点であるはずなのに明かせ ば身の破滅という皮肉な運命となった。 また隠居の間にもうけた明石の君には娘が生まれており、源氏はかつて約束し た通り、娘ともども都へ呼び寄せるが、このことは最愛の妻でありながら子のい ない紫上との間に新たな波紋を起こした。結局、娘の将来を考えた源氏は、娘を、 紫上に引き取らせて育てさせる。源氏の実質的な正妻となっていた紫上の娘とし て育てた方が、妾に過ぎない明石の君の娘でいるより、恵まれた人生を送れるだ ろうとの配慮からであり、実際にこの娘は、後に皇太子妃となる。しかし明石の 君からすれば、愛した男との間に生まれた子を、その男の別の女性(紫上)に奪 われた形になり、悲しみと屈辱は大きなものがあった。 さらに、最高権力者に近い存在になったことで、これまでのように気楽な生活 は送れなくなった。さまざまなかせ、しがらみが源氏を縛ることになる。 源 氏 を 取 り 巻 く 状 況 も、 『 源 氏 物 語 』 と い う 作 品 の 流 れ も、 一 つ の 時 代 を 終 え、 新たな時代へと入っていく。けっしてそれは、平穏無事な日々ではないのである。 今 回 の「 光 る 君 誕 生 」、 「 若 紫 」、 「 須 磨 の 秋 」 の 学 習 で は、 『 源 氏 物 語 』 の 最 初 の時代を扱った。それでも、扱いきれなかったさまざまな魅力的な話がある。さ らに、新たな時代を迎えた源氏がどのように生きていくのか、その先のことにつ いてはまったく触れていない。 最 初 に 番 組 で 触 れ た 通 り、 『 源 氏 物 語 』 の 魅 力 の 一 つ は、 そ の 世 界 の 広 さ、 登 場人物の多さにある。少しでも『源氏物語』の世界に興味を持たれたなら、ぜひ、 ここまでの時代で抜けている話でもよい、あるいはこれからの時代の話でもよい、 番組では触れられなかったことについて、読んでみてもらえるとうれしい限りで ある。
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須磨の秋
須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、
行
ゆき平
ひらの中納
言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、よるよるは、げにいと近く聞こえ
て、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕
をそばだてて
四
よ方
もの嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ち来る心地し
て、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。
琴
きんを少しかき
鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、
恋ひわびて泣く
音
ねにまがふ浦波は思ふ
方
かたより風や吹くらむ
とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、
あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。
「
げ
に
い
か
に
思
ふ
ら
む、
わ
が
身
一
つ
に
よ
り、
親
は
ら
か
ら、
か
た
時
た
ち
離
れ
が
た
く、
ほ
ど
に
つ
け
つ
つ
思
ふ
ら
む
家
を
別
れ
て、
か
く
惑
ひ
合
へ
る。
」
と
お
ぼ
す
に、
い
み
じ
く
て、
「
い
と
か
く
思
ひ
沈
む
さ
ま
を、
心
細
し
と
思
ふ
ら
む。
」
と
お
ぼ
せ
ば、
昼
は
何
く
れ
と
た
は
ぶ
れ
ご
と
う
ち
の
た
ま
ひ
紛
ら
は
し、
つれづれなるままに、いろいろの紙を継ぎつつ手習ひをし給ひ、めづら
しきさまなる唐の綾などにさまざまの絵どもを書きすさび給へる、壯風
のおもてどもなど、いとめでたく、見どころあり。人々の語り聞こえし
海山のありさまを、はるかにおぼしやりしを、御目に近くては、げに及
ば
ぬ
磯
の
た
た
ず
ま
ひ、
二
にな
く
書
き
集
め
給
へ
り。
「
こ
の
こ
ろ
の
上
手
に
す
め
る
千
ち枝
えだ、
常
つね則
のりな
ど
を
召
し
て、
作
り
絵
つ
か
う
ま
つ
ら
せ
ば
や。
」
と、
心
も
と
源氏物語
講師・内田 洋 紫式部 源氏二十三歳の冬、父帝桐壺院が崩御した。政治の実権は、新帝(朱雀帝) の外祖父である右大臣家に移り、源氏たちは不遇の時代を迎える。源氏は、し ばらく京を離れようと考え、二十六歳のとき、須磨に退いた。▼
ながり合へり。なつかしうめでたき御さまに、世のもの思ひ忘れて、近
う慣れつかうまつるをうれしきことにて、
四
よた、五
いつ人
たりばかりぞつと候ひける。
前
せん栽
ざいの花いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に
出で給ひて、たたずみ給ふ御さまの、ゆゆしう清らなること、所がらは
ましてこの世のものと見え給はず。白き綾のなよよかなる、
紫
し苑
をん色など
奉りて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、
「
釈
しや迦
か牟
む尼
に仏
ぶつ弟
で子
し。」
と
名
の
り
て、
ゆ
る
る
か
に
読
み
給
へ
る、
ま
た
世
に
知
らず聞こゆ。
沖より舟どもの歌ひののしりて
漕
こぎ行くなども聞こゆ。ほのかに、た
だ小さき鳥の浮かべると見やらるるも、心細げなるに、雁のつらねて鳴
く声、
楫
かぢの音にまがへるを、うちながめ給ひて、涙のこぼるるをかき払
ひ給へる御手つき、
黒き御
数
ず珠
ずに映え給へるは、
ふるさとの女恋しき人々
の心、みな慰みにけり。
初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき
とのたまへば、良清、
かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども
民
みん部
ぶの大
たい輔
ふ、
心から
常
とこ世
よを捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
前
さきの右
う近
こんの将
ぞ監
う、
「常世出でて旅の空なるかりがねもつらにおくれぬほどぞ慰む
友惑はしては、いかに侍らまし。」と言ふ。親の常陸になりて下りしに
も誘はれで、参れるなりけり。下には思ひくだくべかめれど、誇りかに
もてなして、つれなきさまにしありく。
(須磨) 翌年の春、暴風雨に遭った源氏は須磨の浦を去り、明石の入道の邸に移る。 そこで入道の娘(明石の君)を知った。一方、都では、故桐壺院が朱雀帝の夢 に現れて諭し、帝は源氏帰京の許可を出す。源氏二十八歳の秋、出産を来春に 控えた明石の君に形見の琴を残して、上京の途についた。▼ 【口語訳】 須磨の秋 須 磨 で は 、( 世 の 常 よ り ) い っ そ う も の を 思 わ せ る 秋 風 が 吹 い て 、 海 は 少 し 遠 い け れ ど 、 行 平 の 中 納 言 が 、「 関 吹 き 越 ゆ る 」 と よ ん だ と い う 海 辺 の 波 が 、 夜 に な る と 、 本 当 に す ぐ 近 く に 打 ち 寄 せ る よ う に 聞 こ え て 、 こ の う え な く し み じ み と 心 に し み と お る の は 、 こ の よ う な 所 の 秋 な の で あ っ た 。 ( 源 氏 の ) 御 前 に は 全 く 人 少 な で 、 み な 寝 静 ま っ て い る の に 、( 源 氏 は ) 一 人 目 を 覚 ま し て 、 枕 か ら 頭 を も た げ て 四 方 の 激 し い 風 を 聞 い て い ら っ し ゃ る と 、 波 が す ぐ そ こ に 寄 せ て く る 気 が し て 、 涙 が 落 ち る と も 気 づ か な い う ち に 、 枕 が 浮 く ほ ど に な っ て し ま っ た 。 琴 を 少 し か き 鳴 ら し な さ る ( そ の 音 色 ) が 、 我 な が ら ひ ど く も の さ び し く 聞 こ え る の で 、 途 中 で 弾 く の を お や め に な っ て 、 恋 ひ わ び て ・・ ・ 都 恋 し さ に 堪 え か ね て 私 が 泣 く 声 に 似 て い る 海 辺 の 波 の 音 は 私 の 恋 し く 思 う 都 の ほ う か ら 風 が 吹 く か ら で あ ろ う か ( 私 の 心 が 波 に 通 じ て 、 私 の 泣 く よ う な 音 を 立 て て い る の だ ろ う か )。 と歌われると、人々は目を覚まして、すばらしいと思うにつけても、(都恋しさ が)こらえきれずに、なんとはなしに起き上がっては、次々に鼻をそっとかんで い る 。 「 本 当 に ど う 思 っ て い る の だ ろ う 、 私 一 人 の た め に 、 親 兄 弟 、 片 時 も 離 れ に く く 、 そ れ ぞ れ に 応 じ て 大 事 に 思 っ て い る よ う な 家 を 捨 て て 、 こ の よ う に と も に さ ま よ っ て い る こ と よ 。」 と お 思 い に な る と 、 た ま ら な く 悲 し く て 、「 全 く こ う し て 私 が 沈 ん で い る さ ま を ( 見 る と )、 心 細 い と 思 っ て い る だ ろ う 。」 と 思 わ れ る の で 昼 は あ れ こ れ と 冗 談 を お っ し ゃ っ て 気 を 紛 ら わ し 、 退 屈 に ま か せ て 、 色 と り ど り の紙を継いでは歌をお書きになり 、珍しい唐の綾織物などにさまざまな絵などを 興 に ま か せ て 描 い て い ら っ し ゃ る 、 壯 風 の 表 の 絵 な ど は 、 実 に す ば ら し く 、 見 事 で あ る 。 人 々 が お 話 し 申 し 上 げ た 海 山 の 様 子 を 、( 以 前 は ) は る か 遠 い も の と 想 像 し て い ら っ し ゃ っ た が 、( 今 ) ま の あ た り に な さ っ て は 、 な る ほ ど 思 い 及 ば な い 磯 の 風 景 、( そ れ を ) ま た と な く 上 手 に 描 き 集 め な さ る 。「 当 節 の 名 人 だ と ( 世 間 で ) 言 っ て い る ら し い 千 枝 、 常 則 な ど を 召 し て 、( 源 氏 の 君 の 墨 描 き の 絵 に ) 彩 色 さ せ 申 し 上 げ た い も の だ 。」 と 、 口 々 に 残 念 が っ て い る 。( 源 氏 の ) 親 し み や す く 立 派 な ご 様 子 に 、 世 の 憂 い も 忘 れ て 、 お そ ば 近 く 仕 え る の を う れ し い こ と と し て 、 四 、五 人 ば か り が い つ も お 仕 え し て い る の で あ っ た 。 前 栽 の 花 も 色 と り ど り に 咲 き 乱 れ 、 風 情 あ る 夕 暮 れ に 、 海 の 見 渡 さ れ る 廊 に お 出 に な っ て 、 た た ず ま れ る 様 子 が 、 不 吉 な ほ ど 美 し い こ と は 、( 須 磨 と い う ) 場 所が場所だけにいっそうこの世のものともお見えにならない 。白い綾の柔らかな 下 着 に 、 紫 苑 色 の 指 貫 な ど を お 召 し に な っ て 、 濃 い 色 の 御 直 衣 に 、 帯 は 無 造 作 に く つ ろ い で い ら っ し ゃ る お 姿 で 、「 釈 哥 牟 尼 仏 弟 子 。」 と 唱 え て 、 ゆ っ た り と 経 文 を 読 ん で い ら っ し ゃ る 声 は 、 こ れ も ま た 世 に た ぐ い な く す ば ら し く 聞 こ え る 。 沖 の ほ う か ら 多 く の 舟 が 大 声 で 歌 い な が ら 漕 い で 行 く の な ど も 聞 こ え る 。( そ の 舟 影 が ) か す か で 、 た だ 小 さ な 鳥 が 浮 か ん で い る よ う に 遠 目 に 見 え る の も 、 心 細 い 感 じ が す る う え に 、 雁 が 列 を な し て 鳴 く 声 が 、 楫 の 音 と よ く 似 て い る の を 、 も の 思 い に ふ け っ て 眺 め な さ っ て 、 涙 が こ ぼ れ る の を お 払 い に な る お 手 つ き 、( そ れが)黒檀の御数珠に映えていらっしゃるその美しさは 、都に残してきた女を恋 し く 思 う 人 々 の 心 も 、 み な 慰 め ら れ る の で あ っ た 。 初 雁 は 恋 し く 思 う 都 の 人 の 仲 間 な の か 。 旅 の 空 を 飛 ぶ 声 の 悲 し い こ と よ 。 と お っ し ゃ る と 、 良 清 が 、 次から次へと昔のことが浮かんできます 。雁はそのころの友ではないので す が 。 民 部 大 輔 は 、 自分の意志によって常世の国を捨てて鳴く雁を、雲の彼方のよそごとと聞い
▼ て い た こ と で す よ 。 前 右 近 将 監 は 、 「 常 世 出 で て ・・ ・ 常 世 の 国 を 離 れ て 旅 の 空 に あ る 雁 も 仲 間 に は ぐ れ な い う ち は 心 も 慰 め ら れ る こ と で す 。 友にはぐれたら、どんな(に心細いこと)でしょう。」と言う。(この人は)親 が常陸介になって(任国に)下ったのにも同行しないで、(源氏のお供をして) 参ったのであった。心の中では思い悩んでいるにちがいないようだが、表面は意 気 盛 ん に 振 る 舞 っ て 、 平 気 な 様 子 で 日 を 送 っ て い る 。 (学習メモ執筆・内田 洋)