は じ め に
「大 織冠
」は 舞の 本の 一つ であ る。 舞の 本と は、 室町 時代 後期 から 江戸 時代 初期 にか けて 流行 した 幸若 舞( 曲舞
)と いう 芸能 の台 本を 読 物に 転用 した もの のこ とで ある
。写 本が 伝存 する だけ でな く、 慶長 年
(
)
間に は古 活字 本が
、さ らに 寛永 年間 には 製版 本が 刊行 され てい るこ と など から
、か なり 需要 があ った もの と思 われ る。 その 後も 寛文 頃ま で 版行 が続 くが
、最 も広 く流 布し たの は絵 入の 寛永 製版 本で あっ たと い う。 また
、奈 良絵 本や 絵巻 とし ても 制作 され てい るが
、奈 良絵 本は
「や や稚 拙な 感じ の大 和絵 風の 挿絵 をも つ冊 子」 であ るの に対 し、 絵 巻は
「一 流の 土佐 派の 絵師 によ って 描か れた と思 われ る豪 華絢 爛た る 逸品 で、 おそ らく 棚飾 り用 の大 名献 上本 とし て制 作さ れた もの
」と 推 定さ れて いる
。
(
)
さて
、本 稿で 紹介 する 奈良 絵本
「大 織冠
」は
、平 成二 十七 年夏 に奈 良大 学図 書館 で開 催さ れた
「奈 良絵 本「 花鳥 風月
」と
「文 正草 子」 付、
奈 良 絵 本
「 大 織 冠
」 に つ い て
― 個 人 蔵 本 の 翻 刻 と 釈 文 ―
塩 出
貴 美 子
*
要 旨
「大 織冠
」は
、幸 若舞 の語 り台 本を 読物 に転 用し た舞 の本 の一 つで ある
。 大織 冠す なわ ち藤 原鎌 足の 次女 紅白 女は
、唐 の太 宗皇 帝の 后と なり
、興 福 寺金 堂の 釈迦 如来 のた めに 宝物 を贈 る。 とこ ろが
、一 番の 重宝 であ る宝 珠 を海 底の 竜王 に奪 われ てし まい
、大 織冠 がそ れを 取り 返す とい う壮 大な 物 語で ある
。 写本 のほ か、 版本
、奈 良絵 本、 絵巻 など が多 数伝 存す るが
、本 稿で 紹介 する のは
、三 冊本 の奈 良絵 本の 上冊 のみ の端 本で ある
。ま ず、 その 本文 の 翻刻 と釈 文を 作成 し、 版本 二種
(古 活字 版と 寛永 丹緑 本)
、お よび 奈良 絵 本三 種と 校合 する
。次 に、 これ ら五 件の うち 挿絵 を伴 う四 件と
、挿 絵の 挿 入箇 所お よび 描か れて いる 場面 の内 容を 比較 する
。そ の結 果、 本文 は古 活 字版 と大 差な いが
、挿 絵に は他 本と 同じ もの があ る一 方、 本作 品だ けに 見 られ る独 自の 場面 もあ るこ とが 明ら かに なっ た。 キー ワー ド: 大織 冠 舞の 本 奈良 絵本 挿絵
古活 字版
平成29年9月20日受理 *文学研究科文化財史料学専攻 教授
「大 織冠
」」 展に 参考 作品 とし て出 陳し たも ので ある
。現 状は 巻子 に
(
)
改め られ てい るが
、元 は冊 子で あり
、恐 らく 三冊 本の 上冊 にあ たる 部 分と 思わ れる
。結 論か ら言 えば
、本 文は 古活 字版 や寛 永整 版本 と大 差 ない が、 挿絵 には 寛永 製版 本で は絵 画化 され なか った 場面 も描 かれ て おり
、こ の点 に本 作品 の独 自性 が窺 われ る。 本稿 では
、本 誌前 々号 お よび 前号 で紹 介し た「 花鳥 風月
」と
「文 正草 子」 に引 き続 き、 この
(
)
「大 織冠
」の 翻刻 と釈 文を 公刊 し、 若干 の考 察を 加え るこ とに した い。
一
概 要
(一
)書 誌 本稿 で取 り上 げる 奈良 絵本
「大 織冠
」( 以下
、個 人蔵 本と 称す る。 図 1) の書 誌は 次の 通り であ る。 現状 は巻 子一 巻で ある が、 絵の 料紙 に綴 じ穴 の痕 跡が 五ヶ 所ず つあ るこ とか ら、 元来 は四 目綴 じの 冊子 本で あっ たこ とが わか る。 料紙 は 三十 四枚 を数 える が、 冒頭 と末 尾の 白紙 は他 の料 紙と は紙 質が 異な る ので
、巻 子に 改装 する 際に 加え られ たも のと 思わ れる
。残 る三 十二 枚 は袋 綴じ の料 紙十 六丁 分に あた り、 それ ぞれ を表 と裏 に切 り離 し、 余 白を 切り 落と して 繋い だも ので ある
。以 下で は、 その 一枚 目を 第一 丁 表と し、 冊子 に戻 した 状態 の丁 数で 表記 する
。な お、 第一 丁表 の左 下 は著 しく 汚れ てい るが
、こ れは 冊子 を捲 る際 につ いた 手垢 であ り、 程 度は 減少 する が、 第二 丁以 降に も同 様の 汚れ が見 られ る。
法量 は縦 が十 六・
〇セ ンチ
、各 料紙 の横 は表 1の 通り であ り、 横の 総長 は六 七五
・四 セン チに なる
。詞 の料 紙に 長短 があ るの は、 行間 を 揃え るた めに 左右 の余 白お よび 綴じ 代を 切り 落と した から であ り、 特 に各 段の 最終 紙は 短く なっ てい る場 合が ある
。一 方、 絵の 料紙 は綴 じ 代の 部分 にも 絵が 描か れて いる ため
、切 り詰 めら れる こと がな かっ た よう であ り、 詞の 料紙 より も二 セン チ前 後長 くな って いる
。こ れに 巻 子に 仕立 てる ため の糊 代分 を足 した 数値 が元 来の 冊子 の横 幅に なる が、 ちょ うど 二十 三セ ンチ くら いで あり
、縦 横と もに 横本 の奈 良絵 本の 標 準的 な大 きさ であ る。 表紙 は茶 地亀 甲文 の金 襴で あり
、金 地の 題箋 に墨 の跡 が見 える が、 文字 は判 読で きな い。 見返 しは 金箔 布目 押で ある
。た だし
、こ れら は 改装 の際 に付 され たも ので ある
。 絵は 六図 あり
、第 六図 のみ 見開 きで ある
。第 六図 の後 にも 半丁 分の 本文 があ るの で、 絵巻 の構 成と して は詞 七段
、絵 六段 にな る。
(二
)内 容 大織 冠の 語は
、元 来は 大化 三年
(六 四七
)に 制定 され た七 色十 三階 冠の 最上 位の 名称 であ るが
、こ れを 授け られ たの は藤 原鎌 足だ けで あ るこ とか ら、 大織 冠と 言え ば鎌 足を 指す こと にな る。 ただ し、 舞の 本 の「 大織 冠」 では
、鎌 足と 不比 等が 同一 視さ れて おり
、主 人公 の名 前 は鎌 足で ある が、 興福 寺を 建立 し、 その 長女 は聖 武天 皇の 后に なっ て いる
。話 の鍵 を握 るの は大 織冠 の次 女の 紅白 女で ある が、 勿論
、こ れ
は架 空の 人物 であ る。 各段 の概 略は 以下 の通 りで ある
。
【第 一段
】大 織冠 は春 日社 に参 籠し
、興 福寺 の建 立を 発願 する
。公 達 があ また おり
、長 女は 聖武 天皇 の后 であ る。 次女 の紅 白女 は三 国一 の 美人 であ る。
【第 二段
】紅 白女 の噂 をき いた 唐の 太宗 皇帝 は見 ぬ恋 に憧 れる
。皇 帝 の様 子を 案じ た臣 下た ちは
、事 の次 第を 聞き
、勅 使を たて て迎 え取 る よう に進 言す る。
【第 三段
】太 宗は 日本 に勅 使を 送る が、 大織 冠は 辞退 する
。二 度目 の 勅使 を送 ると
、そ れを 聞い た聖 武天 皇が 承諾 する
。唐 から 迎え の船 団 が出 帆す る。 后の 船は
「龍 頭鷁 首」 と名 付け られ
、舳 には 鸚鵡 の頭 を
象り
、艫 には 孔雀 の尾 を垂 らし てい る。
【第 四段
】迎 えの 船団 が難 波の 浦に 着き
、勅 使は 奈良 の京 に着 く。 大 織冠 は一 行を 半年 余り にわ たっ て饗 応す る。 翌年 四月 の吉 日に 出帆 し、 大唐 の明 州に 着く と、 内裏 から 多数 の迎 えが やっ て来 る。 諸国 から も 貢ぎ 物が 届き
、后 の姿 を拝 した 人々 は貧 苦を 逃れ
、富 貴の 家と なる
。
【第 五段
】紅 白女 は、 大織 冠が 建立 する 興福 寺金 堂に 施入 する ため の 仏具
、法 具を 用意 する
。そ の中 で最 も重 宝で ある のは
、金 堂の 釈迦 像 の眉 間に 彫り 嵌め るた めの 無価 宝珠 であ る。 宝物 の守 護に は万 戸将 軍 が選 ばれ
、明 州か ら出 帆す る。
【第 六段
】海 底の 竜王 は宝 珠を 奪い 取ろ うと 画策 し、 阿修 羅た ちに 襲 わせ る。 阿修 羅た ちは ちく らが 沖と いう 所で 万戸 将軍 の船 を待 ち伏 せ し、 合戦 が始 まる
。
【第 七段
】阿 修羅 たち は火 炎の 雨を 降 らす など の神 通力 を発 揮し
、唐 人は 劣 勢に なる
。 個人 蔵本 はこ こで 終わ るが
、そ の後
、 万戸 将軍 は阿 修羅 たち との 合戦 には 勝 利す るも のの
、竜 王が 差し 向け た美 女 に謀 られ て宝 珠を 奪わ れて しま う。 そ れを 聞い た大 織冠 は海 女と 契り を結 び、 竜宮 城か ら宝 珠を 取り 返し てく る よう に命 じる
。海 女は 決死 の覚 悟で 竜
横(㎝)
詞の行数 内容
元装 料紙
18.7
- 見返し 別紙
-
14.3
- 白紙 別紙
1
20.6 16
詞1 第1丁表 2
19.8 16
第1丁裏 3
19.1 15
第2丁表 4
22.6
- 絵1 第2丁裏 5
19.9 詞2 16
第3丁表 6
13.7 9
第3丁裏 7
21.9
- 絵2 第4丁表 8
19.9 16
詞3 第4丁裏 9
19.5 16
第5丁表 10
20.9 17
第5丁裏 11
22.3
- 絵3 第6丁表 12
20.0 16
詞4 第6丁裏 13
19.7 16
第7丁表 14
20.9 16
第7丁裏 15
22.5
- 絵4 第8丁表 16
19.6 16
詞5 第8丁裏 17
19.6 16
第9丁表 18
20.1 16
第9丁裏 19
12.3 7
第10丁表 20
22.4
- 絵6 第10丁裏 21
19.3 16
詞6 第11丁表 22
19.7 16
第11丁裏 23
20.0 16
第12丁表 24
19.8 16
第12丁裏 25
19.6 16
第13丁表 26
19.9 16
第13丁裏 27
20.0 16
第14丁表 28
21.2 16
第14丁裏 29
19.3 8
第15丁表 30
22.3 絵6 -
第15丁裏 31
22.2
- 第16丁表
32
17.2 13
詞7 第16丁裏 33
23.3
- 白紙 別紙
34
表1 「大織冠」の料紙寸法
・縦 16.0㎝
宮に 赴き
、宝 珠を 取り 返す が、 最後 は竜 に追 われ て絶 命す る。 しか し、 その 直前 に宝 珠を 胸の 中に 隠し 納め てい たの で、 宝珠 は大 織冠 の手 に 渡り
、興 福寺 の本 尊釈 迦如 来の 眉間 に彫 り嵌 めら れた とい う。
二
本 文
「大 織冠
」の 伝本 は極 めて 多く
、絵 を伴 うも のに 限っ ても 多数 の作 品が 伝存 する
。例 えば
、小 林健 二氏 の「 舞曲 の絵 入り 本一 覧稿
」に は 版本 三種 のほ か、 四十 五件 の絵 本や 絵巻 が列 挙さ れて いる
。ま た、 恋
(
)
田町 子氏 は薄 雲御 所慈 受院 門跡 所蔵
「大 織冠 絵巻
」の 紹介 に際 し、 絵 巻・ 奈良 絵本 二十 五件
、丹 緑本 四件
、お よび 参考 作品 とし て「 大織 冠 屏風
」七 件を 挙げ てい る。 筆者 は、 その うち の極 一部 しか 見て いな い
(
)
が、 本稿 では 個人 蔵本 の本 文を 次の 五件 と校 合し た( 以下
、① 東洋 文 庫本
、② 国会 丹緑 本、
③國 學院 大本
、④ 龍谷 大本
、⑤ 国会 奈良 絵本 と 称す る)
。な お、 恋田 氏が 紹介 した 薄雲 御所 慈受 院門 跡本 は、 個人 蔵 本と は詞
、絵 とも に異 なる とこ ろが 多く
、か なり 離れ た位 置に ある と 思わ れる ので 校合 の対 象か らは 除外 した
。
①東 洋文 庫所 蔵「 日本 紀 大織 冠」
(
)
②国 会図 書館 蔵「 大織 冠」
(寛 永丹 緑本
)
(
)
③國 學院 大學 図書 館蔵
「た いし よく わん
」
(
)
④龍 谷大 学図 書館 蔵「 大し よく わ
」
⑤国 会図 書館 蔵「 たい しよ くわ
」( 奈良 絵本
)
(10
ん)
(11
ん)
五件 のう ち①
②は 版本
、③
④⑤ は挿 絵入 りの 写本
、所 謂奈 良絵 本で ある
。① 東洋 文庫 本は 岩崎 文庫 収蔵 の古 活字 版「 舞の 本十 五種
」の 中 の一 つで ある
。「 日本 紀」 と一 冊に まと めら れて おり
、個 人蔵 本に 該 当す るの は第 四丁 表一 行目 から 第十 七丁 裏十 行目 まで であ る。 慶長 元 和( 一五 九六-
一六 二四
)頃 の刊 と見 られ てお り、 五件 の中 では 最も 古
。挿 絵は ない が、 挿絵 入の 古活 字版 を入 手で きな かっ たの で、 そ の代 わり に加 えた
。縦 は二 六・ 三セ ンチ
、横 は一 八・ 三セ ンチ であ る。
②国 会丹 緑本 は慶 長( 一五 九六-
一六 一五
)の 古活 字版 を元 にし た寛 永( 一六 二四-
四四
)の 整版 本で あり
、挿 絵に は簡 略な 手彩 色が 加え られ てい る。 一冊 本で あり
、冒 頭か ら第 十七 丁表 七行 目ま でが 個人 蔵 本に 該当 する
。縦 は二 四・ 三セ ンチ
、横 は一 七・
〇セ ンチ であ り、
① 東洋 文庫 本よ りも 若干 小さ い。
③國 學院 大本 は二 冊か らな る奈 良絵 本で あり
、上 冊の 冒頭 から 第十 七丁 表八 行目 まで が個 人蔵 本に 該当 する
。縦 は一 七・ 二セ ンチ
、横 は 二五
・五 セン チの 横本 であ る。
④龍 谷大 本も 横本 の奈 良絵 本で ある が、 こち らは 三冊 から なり
、上 冊の 冒頭 から 末尾 まで が個 人蔵 本に 該当 す る。 縦は 一五
・五 セン チ、 横は 二三
・〇 セン チで あり
、③ 國學 院大 本 より も若 干小 さ
。形 式的 には
、こ の二 本が 個人 蔵本 に最 も近 い。
⑤ 国会 奈良 絵本 は、
④龍 谷大 本と 同じ く三 冊か らな り、 やは り上 冊の 冒 頭か ら末 尾ま でが 個人 蔵本 に該 当す る。 ただ し、 こち らは 縦が 三十 三・ 四セ ンチ
、横 が二 四・
〇セ ンチ の大 型縦 本で ある
。本 文の 料紙 す べて に金 泥の 下絵 を施 し、 丁寧 な筆 致で 細密 に描 かれ た挿 絵に も金 泥
(12
い)
(13
い)
や金 砂子 を多 用す るな ど、 贅を 尽く した 豪華 本で ある
。 以上 三件 の奈 良絵 本の うち
、③ 國學 院大 本と
④龍 谷台 本は
「は じめ に」 で述 べた
「や や稚 拙な 感じ の大 和絵 風の 挿絵 をも つ冊 子」 に当 た るが
、⑤ 国会 奈良 絵本 はそ れら とは 一線 を画 し、 むし ろ「 豪華 絢爛 た る逸 品」 で「 棚飾 り用 の大 名献 上本
」と 推定 され る絵 巻と 同種 の趣 が ある
。な お、 個人 蔵本 を三 冊本 の上 冊に あた るも のと 判断 した のは
、 同じ く三 冊本 であ る④ 龍谷 大本 およ び⑤ 国会 奈良 絵本 の上 冊と 内容 が 一致 する から であ る。 さて
、個 人蔵 本と 右の 五件 を校 合し た結 果は 本稿 末尾 に掲 載し た通 りで ある
。異 同の 数は
、第 一段 から 順に 二十 一、 十六
、四 十、 三十 九、 四十 六、 九十 一、 八で あり
、合 計二 六一 ヶ所 であ る。 この うち 個人 蔵 本だ けが 異な り、 他の 五本 は同 じで ある もの
、す なわ ち個 人蔵 本単 独 の異 同は
、第 一段 から 順に 七、 十、 二十 一、 十八
、二 十五
、四 十二
、 四で あり
、合 計一 二七 ヶ所 であ る。 全体 の約 半数 であ るが
、そ の大 部 分 は「 え」 と「 ゑ」
、「 お」 と「 を」
、「 う」 と「 ふ」
、「 は」 と「 わ」
、
「し やう
」と
「せ う」 など の仮 名表 記の 相違
、あ るい は一 字程 度の 脱 字な どで ある
。一 方、 語句 の異 同は 少な いが
、第 三段 34( 数字 は各 段 の異 同番 号、 以下 同) では
、個 人蔵 本の
「た うど
」を 他五 本は
「も ろ こし
」と する
。こ れは
「唐 土」 を音 読み と訓 読み にし たも ので ある
。 同様 の例 には
「さ う」 と「 ひだ りみ ぎ」
(第 四段 15)
、「 こほ り」 と「 く ん」
(同 21)
、「 のち な」 と「 こう めい
」( 第五 段7
)な どが ある
。そ れ ぞれ
「左 右」
「郡
」「 後名
」で あり
、漢 字で 書か れた 先行 本を 書写 する
際に 生じ た異 同と 見ら れる
。ま た、 第一 段4 は個 人蔵 本は
「し やう 〴 〵」 であ るの で「 生々
」を 宛て たが
、他 五本 は「 しや うち やう
」で あ り、
「生 長」 が宛 てら れて い
。こ のほ か「 すき 行た まひ し」 と「 う ちゆ くほ と」
(第 五段 1・ 2)
、「 やら ん」 と「 へき そと
」( 第六 段40
)、
「は なち らん ひや うし
」と
「は なし みた れひ やう し」
(第 六段 89) な どが ある
。先 の二 例は 語句 の相 違で ある が、 三つ 目は
「放 ち、 乱拍 子」 と「 放し
、乱 れ拍 子」 であ る。 これ らは 個人 蔵本 の誤 記と 見て よい だ ろう 次 。 に、 個人 蔵本 単独 の異 同以 外の もの につ いて は、 個人 蔵本 との 一 致率 を見 てお く。 一三 四ヶ 所の うち
、① 東洋 文庫 本と 一致 する のは 八 十二
、同 じく
②国 会丹 緑本 とは 八十 三、
③國 學院 大本 とは 六十
、④ 龍 谷大 本と は七 十七
、⑤ 国会 奈良 絵本 とは 五十 九で あり
、そ れぞ れ六 一・ 二%
、六 一・ 九%
、四 四・ 八%
、五 七・ 五%
、四 四・
〇% であ る。
①東 洋文 庫本 と② 国会 丹緑 本は 謂わ ば親 子関 係に ある もの であ り、 ほ ぼ同 文で ある が、 右の 数字 から 見る と、 個人 蔵本 の本 文は この 二本 に 最も 近い
。総 じて 言え ば、 特に 大き な異 同は なく
、古 活字 版系 統の 本 文を 取り 入れ たも のと 見て よい だろ う。
三
挿 絵
個人蔵本 の挿 絵は 六図 あり
、第 六図 は見 開き であ る( 図1
)。 各図 の場 面内 容は 左記 の通 りで ある
。
(14
る)
【挿 絵1
】画 面左 上の 御簾 の中 に女 性が 二人 いる
。正 面を 向い てい る のが 紅白 女で あり
、左 手前 は侍 女で あろ う。 御簾 の前 には 大織 冠が 座 し、 その 前に は盃 を載 せた 三宝 など が置 かれ てい る。 大織 冠の 正面 に は銚 子を もっ た稚 児が おり
、そ の左 右に 衣冠 を付 けた 男が 三人
、烏 帽 子を 被っ た男 が一 人い る。 大織 冠の 邸内 を描 いた もの であ るが
、本 文 には これ に対 応す る場 面は ない
。強 いて 宛て れば
、「 二女 にあ たり 給 ふを 紅白 女と 名づ けて
、三 国一 の美 人た り」
(本 文は 釈文 で表 記す る。 以下 同) から 始ま る紅 白女 の様 子を 表し たも ので ある
。な お、 画面 左 下の 屋根 は建 物の 構造 とし ては 不自 然で ある が、 檜皮 葺の 屋根 を描 く こと によ り、 ここ が寝 殿の 内部 であ るこ とを 示し てい る。
【挿 絵2
】本 文の
「臣 下卿 相一 同に 奏し 申さ れけ るや うは
」以 下の 会 話の 場面 を描 いた もの であ る。 玉座 に座 るの が唐 の太 宗皇 帝で あり
、 正面 に臣 下が 三人
、脇 に侍 臣が 一人 描か れて いる
。い ずれ も衣 服や 拱 手す る姿 で唐 人で ある こと を示 して いる
。玉 座の 背後 には 水墨 で雲 を 描い た衝 立屏 風が 立て られ てい る。 第一 段と 同様 に画 面左 下に 屋根 が 描か れて いる が、 ここ では 瓦葺 きに なっ てい る。 この 瓦葺 きの 屋根 や、 文様 入り の磚 を敷 き並 べた 床、 朱塗 りの 桟戸 など も異 国表 現の 通例 で ある
。
【挿 絵3
】本 文の
「吉 日選 び、 早々 に迎 ひ船 をぞ
、こ され ける
」の 場 面を 描い たも ので
、唐 から の迎 えの 船が 数千 万里 の海 路を 行く とこ ろ であ る。 屋形 船が 二艘 あり
、奥 の船 は本 文の
「舳 には 鸚鵡 の頭 をま な び」 の通 りに 舳先 を鳥 の頭 の形 にし てい る。 これ が紅 白女 のた めに 用
意さ れた 船で ある
。両 船と も窓 の中 には
「船 中の 御介 錯の ため
」に 選 ばれ た女 官や 侍女 たち が描 かれ てお り、
「飾 り船
」ら しく
、船 体に は 花や 文様 が描 かれ てい る。
【挿 絵4
】唐 に到 着し た紅 白女 が太 宗皇 帝と 並ん で座 って いる とこ ろ が描 かれ てい る。 二人 の前 には 大き な卓 があ り、 食籠 や水 瓶、 食物 を 盛り つけ た鉢 や椀 など が所 狭し と並 べら れて いる
。背 後に は水 墨で 山 水を 描い た衝 立屏 風が 立て られ
。周 囲に は五 人の 侍女 が立 って いる
。 これ も本 文に は対 応す る場 面が ない が、 強い て宛 てれ ば、
「皇 帝、 龍 顔に 親し み、 馴れ 近づ かせ 給へ ば」 とい う様 子を 表し たも ので ある
。
【挿 絵5
】本 文の
「一 葉の 船に 棹を さし
、追 手の 風に 帆を 上げ て数 千 万里 を送 りけ り」 とい う場 面を 描い たも ので
、紅 白女 が父 大織 冠に 送 る無 価宝 珠な どの 重宝 を、 万戸 将軍 が護 送す ると ころ であ る。 ただ し 船は
「鸚 鵡の 頭」 では ない こと 以外 は挿 絵3 の船 とよ く似 てい る。 屋 根の 下の 右側 にい るの が万 戸将 軍で あろ う。
【挿 絵6
】無 価宝 珠を 奪い 取る こと を、 海底 の竜 王か ら依 頼さ れた 阿 修羅 たち は、 ちく らが 沖に 陣を とり
、万 戸将 軍を 待ち 受け る。 画面 は 合戦 が始 まる とこ ろで あり
、右 には 鎧兜 を身 につ けた 万戸 将軍 が「 船 の舳 板に つゝ 立ち 上が る」 とこ ろを 描い てい る。 左に は波 の上 に立 つ 阿修 羅た ちが 描か れる が、 その 姿は それ より 少し 前の
「鉄 杖、 乱刃 の 剣を 引っ さげ
、雲 霞の 如く 攻め かか る」 とこ ろの よう であ る。 また
、 右の 船上 には 空か ら石 や刀
、鉾 が落 ちて くる とこ ろが 描か れて いる が、 これ は挿 絵6 の後 で述 べら れる
「盤 石を 降ら す事 は雪 の花 の散 る如 く、
剣を 飛ば せ、 鉾を 投げ
」を 表し たも ので ある
。 六図 の場 面内 容は 以上 の通 りで ある
。い ずれ も画 面の 上下 にす やり 霞を 描い てい るが
、こ れは 奈良 絵本 の定 型的 表現 であ る。 ただ し、 弧 線の 部分 を二 重に した り、 段数 を重 ねて 長短 をつ ける など
、基 本形 よ りも 複雑 化し た形 にな って いる
。人 物は 丁寧 な筆 致で 描か れ、 目鼻 の はっ きり した 顔立 ちで ある
。装 束に も金 泥で 細や かな 文様 が描 き込 ま れて いる
。挿 絵3
・5
・6 には 船が 描か れる が、
「鸚 鵡の 頭」 以外 は 構造 も装 飾も 似通 って おり
、パ ター ン化 が著 しい
。し かし
、波 は表 情 豊か であ り、 画面 上方 に行 くに つれ て次 第に 小さ くな り、 遂に は消 え てい くと いう よう に遠 近感 も巧 く表 され てい る。 また
、挿 絵3
・5 の 海は 穏や かで ある が、 挿絵 6の 海は 波間 から 黒雲 が湧 き上 がり
、戦 い の場 面に ふさ わし い異 様な 状況 を呈 して いる
。奈 良絵 本の 挿絵 は、 概 して
「稚 拙」 であ ると 言わ れる が、 実際 には 本当 に稚 拙な もの から
、
⑤国 会奈 良絵 本の よう に美 麗な もの まで
、そ の表 現は 多様 であ る。 個 人蔵 本は
⑤国 会奈 良絵 本と は比 べよ うも ない が、 人物 も事 物も 丁寧 な 描写 で的 確に 表さ れて おり
、稚 拙と は言 い難 い作 品で ある
。 さて
、挿 絵の ない
①東 洋文 庫本 はさ てお き、 他の 四本 と個 人蔵 本の 挿絵 を比 較し てみ よう
。た だし
、同 じ場 面で あっ ても 図様 は大 きく 異 なる ので
、こ こで は挿 絵の 位置 と場 面内 容を 見る こと にす る。 個人 蔵 本に 該当 する 部分 にお ける 各本 の挿 絵の 数は
、② 国会 丹緑 本、
③國 學 院大 本、
④龍 谷大 本は 各四 図、
⑤国 会奈 良絵 本は 五図 であ る。 その う ち④ 龍谷 大本 の第 四図 と⑤ 国会 奈良 絵本 の第 五図 は見 開き であ る。 表
2は
、こ れら 四本 と個 人蔵 本の 挿絵 の挿 入箇 所を 一覧 でき るよ うに し たも ので ある
。合 計十 二ヶ 所あ り、 ロー マ数 字で 通し 番号 を付 した
。挿 絵の 位置 は個 人蔵 本に おけ る位 置と し、 例え ばⅠ の1 裏9 は第 一丁 裏 九行 目に あた ると ころ にあ るこ とを 示し てい る。 直前 の本 文の 欄に は 挿絵 の前 の本 文の 末尾 を記 した
。各 本の 欄の 数字 は各 本ご とに 挿絵 に 付し た通 し番 号で あり
、見 開き は丸 数字 で示 した
。 これ を見 ると
、個 人蔵 本は
Ⅰに ある 他四 本の 第一 図に 相当 する 場面 を描 いて いな いこ とが わか る。 これ は大 織冠 の春 日社 参詣 の場 面で あ り、 他四 本は いず れも 春日 社の 門と 本殿 を描 いて いる
。一 方、
Ⅱの 大 織冠 邸の 様子 を描 く図 とⅢ の唐 の太 宗皇 帝と 臣下 の様 子を 描く 図は 個 人蔵 本だ けの 場面 であ り、
Ⅳの 唐の 勅使 が日 本の 皇帝 に見 える 図は
⑤ 国会 奈良 絵本 だけ の場 面で ある
。次 のⅤ の図 も個 人蔵 本だ けの 場面 の よう に見 える が、 その 直前 の「 妻越 し船 の帆 をあ げた り」 とい う本 文 は、 その まま
Ⅵの 直前 の本 文に 続く ので
、Ⅴ はⅥ より も一 文だ け前 に 位置 する に過 ぎな い。 その 一文 には 迎え の一 行が 難波 に着 き、 勅使 が 奈良 に至 るこ とが 語ら れて いる が、 挿絵 はと もに 二艘 の船 が航 行す る とこ ろを 描い てい るの で、
Ⅴの 図と
Ⅵの 図は 実質 的に は同 じ場 面で あ り、 五本 全て に共 通す る。 ただ し、 妃の 船を 本文 通り に「 鸚鵡 の頭
」 に描 くの は個 人蔵 本だ けで あり
、他 は龍 の頭 を描 いて いる
。こ れは 本 文の
「妃 の御 船を ば龍 頭鷁 首と 名付 けて
」か ら「 龍頭
」を 描き 出し た ため に起 こっ た誤 りで ある が、 元来
、龍 頭鷁 首の 船は 二艘 で一 組の も ので ある から
、本 文の 記述 が誤 解を 招い たと 言え なく もな い。
次の
Ⅶは 五本 の挿 入箇 所が 完全 に一 致す る唯 一の 例で ある
。た だし
、 個人 蔵本 は太 宗皇 帝と 后が 並ん でい るだ けで ある が、 他四 本は 朝貢 者 も描 いて いる
。Ⅷ の図 は個 人蔵 本だ けの 場面 で、 万戸 将軍 が宝 物を 船 で運 ぶと ころ を描 いて いる
。Ⅸ から
Ⅻは 挿入 箇所 は異 なる が、 いず れ も船 上の 万戸 将軍 と海 上の 阿修 羅軍 が対 峙す ると ころ であ り、 一連 の 出来 事を 描い てい ると いう 点で 同じ 場面 と見 てお きた い。 以上 のこ とか ら、 五本 全て に描 かれ てい るの はⅤ
Ⅵ、
Ⅶ、
Ⅸ~
Ⅻ、 以上 三場 面の みで ある こと がわ かる
。一 方、
Ⅱ、
Ⅲ、
Ⅷの 三場 面、 す
なわ ち個 人蔵 本第 一図
・第 二図
・第 六図
、お よび
Ⅳ、 すな わち
⑤国 会 奈良 絵本 第二 図は
、他 本に は描 かれ てい ない 場面 であ る。 この よう に 個人 蔵本 は六 図の うち 三図 まで が独 自の 場面 であ り、 また
、Ⅴ
(第 三 図) では 個人 蔵本 のみ が后 の船 に「 鸚鵡 の頭
」を 描い てい るこ とな ど から
、極 めて 独自 性の 強い 作品 であ ると 言え るだ ろう
。
番号
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
Ⅴ
Ⅵ
Ⅶ
Ⅷ
Ⅸ
Ⅹ
Ⅺ
Ⅻ
挿絵 の位 置 1裏 9 4表 4表 5表 3 6表 6裏 3 8表 10裏 12表 9 12裏 3 12裏 12 15 16裏
・ 16 17表
直前 の本 文 あま たの 願を 立て させ た給 ふ 情け は天 下に 並び もな し 叡覧 あれ との 宣旨 にて 忝く も皇 帝の 印判 をな され けれ ば 妻越 し船 の帆 を上 げた り 勅使 は奈 良の 京に 着く 民の 竈も 豊か なり 数千 万里 を送 りけ り 万戸 が船 を待 ち居 たり さら ぬ体 にて 吹か せ行 く さら すは 一人 も通 すま しひ 昔も 今も 例し なし
場面 内容 大織 冠の 春日 社参 詣 大織 冠邸 の様 子 唐の 太宗 皇帝 と臣 下 日本 の皇 帝と 唐の 勅使 迎え 船の 航行 唐の 太宗 皇帝 と紅 白女 万戸 将軍 の護 送 万戸 将軍 と阿 修羅 の戦 い
個人 蔵本 1 2 3 4 5
⑥
②国 会丹 緑本 1 2
3 4
③國 學院 大本 1 2
3 4
④龍 谷大 本 1 2
3
④
⑤国 会奈 良絵 本 1 2
3 4
⑤
表2
「大 織冠
」の 挿絵 の位 置
・場 面の 欄に は五 本の 場面 の通 し番 号を ロー マ数 字で 記し た。
・挿 絵の 位置 の欄 には 個人 蔵本 にお ける 位置 を記 した
。1 裏9 は第 一丁 裏九 行目 の略 であ る。 以下 同。
・直 前の 本文 の欄 には 挿絵 の直 前の 本文 の末 尾を 記し た。
・個 人蔵 本以 下の 欄に は各 本の 挿絵 の通 し番 号を 記し た。 丸数 字は 見開 きで ある
。
・場 面番 号が 異な って いて も、 同じ 場面 を描 いて いる もの は太 線で 囲っ た。
結 語
本稿では
、三 冊本 のう ち上 冊だ けが 残る 奈良 絵本
「大 織冠
」を 紹介 した
。本 文は 古活 字本 系統 に連 なり
、大 きな 異同 はな い。 しか し、 挿 絵は 六図 のう ち三 図は 他に は描 かれ てい ない 独自 の場 面を 描い てお り、 その 点で 貴重 な作 例で ある と思 われ る。 まだ 多く の作 品を 見て いな い ので
、類 例が ある こと を期 待し なが ら、 ひと まず 資料 紹介 を終 える こ とに した い。
注
(1
)舞 の本 につ いて は、 麻原 美子 校注
『舞 の本
(新 日本 古典 文学 大系 59)
』
(岩 波書 店、 一九 九四 年) の解 説を 参考 にし た。
(2
)注 1掲 載書
、六
〇〇 頁。
(3
)「 奈良 絵本
「花 鳥風 月」 と「 文正 草子
」 付、
「大 織冠
」」 展は
、平 成二 十 七年 八月 一日 から 九月 二十 日ま で開 催さ れた
。同 展の 企画 は筆 者が 担当 し、 奈良 絵本 の一 例と して 架蔵 の「 大織 冠」 を展 示し た。
(4
)塩 出貴 美子
・槙 坂祐 美・ 太田 均・ 渡邊 将隼
・中 尾優 司「 奈良 絵本
「花 鳥 風月
」に つい て― 奈良 大学 図書 館本 の翻 刻と 釈文
―」
『奈 良大 学大 学院 研究 年報
』第 二十 一号
、二
〇一 六年 三月
。塩 出貴 美子
・望 月香 穂「 奈良 絵本
「文 正草 子」 につ いて
―奈 良大 学図 書館 本の 翻刻 と釈 文―
」『 奈良 大学 大学 院研 究年 報』 第二 十二 号、 二〇 一七 年三 月。
(5
)小 林健 二「 舞曲 の絵 入り 本一 覧稿
」『 中世 劇文 学の 研究
―能 と幸 若舞 曲―
』 三祢 井書 店、 二〇
〇一 年、 五五 二― 五五 四頁
。
(6
)恋 田知 子『 薄雲 御所 慈受 院門 跡所 蔵大 織冠 絵巻
』勉 誠出 版、 二〇 一〇 年、 九二
―九 三頁
。
(7
)① 東洋 文庫 本は 東洋 文庫 監修
・編 集『 岩崎 文庫 貴重 本叢 刊〈 近世 編〉 第 一巻
幸若 舞曲
御伽 草子
』( 貴重 本刊 行会
、一 九七 四年
)に 影印 が掲 載さ れて いる
。
(8
)② 国会 丹緑 本は 国会 図書 館デ ジタ ルコ レク ショ ンで 公開 され てい る
(
htt p:/ /d l.n dl.g o.jp /in fo:n dlj p/ pid /1 28 83 78
)。 また
、東 京大 学総 合図 書 館霞 亭文 庫所 蔵の 同版 が注 1掲 載書 に収 録さ れて いる
。
(9
)③ 國學 院大 本は
、國 學院 大學 デジ タル
・ミ ュー ジア ムで 公開 され てい る
a_ id = 15 89 3 htt p: // k-a m c.k ok ug ak
(htt p:/ /k -am c.k ok ug ak uin .ac .jp /D M /d eta il.d o? cla ss_ na m e= co l_ld l& da t
、
uin .ac .jp /D M /d eta il.d o? cla ss_ na m e = co l_ld l& da ta _id = 15 89 4
)。 また
、翻 刻と 解題 が公 刊さ れて いる
。針 本正 行・ 太田 敦子
「國 學院 大學 所蔵
『大 織冠
』の 解題 と翻 刻」
『國 學院 大學 校史
・学 術資 産研 究』 第九 号、 二〇 一七 年三 月。
(10
)④ 龍谷 大学 本は
、龍 谷大 学図 書館 貴重 資料 画像 デー タベ ース で公 開さ れ てい
nu /0 30 9.h tm l?l= 1,5 & c= 01 & q= 11
る(htt p:/ /w w w .afc .ry uk ok u.a c.jp /k ich o/ co nt_ 03 /p ag es _0 3/ v_ m e
)。
(11
)⑤ 国会 奈良 絵本 は、 国会 図書 館デ ジタ ルコ レク ショ ンで 公開 され てい る
(
htt p:/ /d l.n dl.g o.jp /in fo:n dlj p/ pid /1 28 68 25 ?to cO pe ne d= 1
)。
(12
)注 掲7 載書 の解 題に よる
。五 三六 頁。
(13
)注 13
10掲 載の 画像 デー タベ ース の画 像か ら測 定し た数 値で ある
。
(14
)注 1掲 載書 の翻 刻は
「生 長」 とす る。
[付 記]
②国 会丹 禄本 およ び⑤ 国会 奈良 絵本 の閲 覧に 際し ては
、国 立国 会図 書館 古典 籍資 料室 に、 また
、③ 國學 院大 本の 閲覧 に際 して は、 國學 院 大學 図書 館に 御高 配を いた だい た。 記し て謝 意を 表す る。
【第 一段
】
(1 オ) それ わか てう と申 はあ まつ こや ねの みこ との あま のい はと をお しひ らき てる ひの ひか りも ろと もに かす かの みや とあ らは れて こつ かを まほ り たま ふな りさ れは にや かす かを
・春 の
日と かく 事は なつ の日 はご くね つす 秋の 日は みし かく 冬の 日は さむ ふ し春 のひ はの とか にし てよ くは ん ぶつ をし やう 〴〵 す四 きに こと さら す くれ めい 日な るに より つゝ 春の 日 とか きた てま つて かす かと なづ け 申な りか のみ やの うぢ こは ふち はら うぢ にて おは しま すふ ちは らの そ の中 にた いし よく わん と申 はか また り のし んの 御事 なり はし めは もん せう しや うに て御 さあ りけ るか いる かの
(1 ウ) しん をた いら け大 しよ くわ んに なさ れ させ たま ふ10
そも 此く わ
10
ん11
と申 は上 代 にた めし なし さて まつ たい にあ り かた きめ てた きく わん と12
なり けり これ によ つて 此き みを はふ ひ13
とう とも 申し い14
つも かま をも ちた まへ は かま たり のし んと も申 なり かす かの みや にさ んろ うあ つて あま たの ぐわ ん15
をた てさ せ給 ふ(
②③
④⑤ 絵1
)中 にも こう ふく し のこ んた うを さい しよ に御 こん りう ある へし とて しや うご ん七 ほう をち り はめ しや こん たう をた てさ せた まふ くわ ほ16
うは てん より あま くた りく にの
【第 一段
】 それ 我朝 と申 すは
、天 津児 屋根 命の
、天 の岩 戸を 押し 開き
、 照る 日の 光も ろと もに
、春 日の 宮と 現れ て、 国家 を守 り 給ふ なり
。さ れば にや
、か すが を春 の
日と 書く 事は
、夏 の日 は極 熱す
。 秋の 日は 短く
、冬 の日 は寒 ふ し。 春の 日は のど かに して
、能 く万 物を 生々 す。 四季 に殊 更す ぐれ
、明 日な るに より つゝ
、春 の日 と書 き奉 て、 春日 と名 付け 申な り。 かの 宮の 氏子 は藤 原 氏に てお はし ます
。藤 原の そ の中 に、 大織 冠と 申す は、 鎌足 の臣 の御 事な り。 始め は文 章 生に て御 座あ りけ るが
、入 鹿の 臣を 平ら げ、 大織 冠に なさ れ させ 給ふ
。そ も此 の官 と申 すは
、上 代 に例 しな し。 さて
、末 代に 有り 難き
、目 出度 き官 途な りけ り。 これ によ つて
、此 君を ば、 不比 等 とも 申し
、い つも 鎌を 持ち 給へ ば、 鎌足 の臣 とも 申す なり
。春 日の 宮に 参籠 あつ て、 数多 の願 を立 てさ せ給 ふ。 中に も「 興福 寺 の金 堂を 最初 に御 建立 ある べし
」と て、 荘厳 七宝 を鏤 め、 しや こん 堂を 建て 給ふ
。 果報 は天 より 天降 り、 国の
奈 良 絵 本
「 大 織 冠
」 翻 刻 と 釈 文
【凡 例】
・上 段に 翻刻 を、 下段 に釈 文を 掲載 した
。
・翻 刻に あた って は、 改行 は原 文通 りと し、 改頁 は各 頁の 冒頭 に( 1オ
)
(1 ウ) のよ うに 示し た。
(1 オ) は第 一丁 表、
(1 ウ) は第 一丁 裏の 略で あり
、以 下、 これ に準 じる
。
・翻 刻は
①東 洋文 庫本
、② 国会 丹緑 本、
③國 學院 大本
、④ 龍谷 大本
、お よび
⑤国 会奈 良絵 本と 校合 した
。異 同の ある 箇所 に傍 線を 引き
、段 ごと に通 し 番号 を付 して
、末 尾に 各本 の字 句を 示し た。
①か ら⑤ の丸 数字 は、 右の 五 本に 対応 する
。た だし
、① から
⑤の すべ てに 同じ 異同 が生 じて いる 場合 は 丸数 字を 省略 した
。「 ナシ
」は 本作 品の 字句 が他 本に ない こと を示 し、 逆 に他 本の 字句 が本 作品 にな い場 合は
、本 作品 に「
・」 を挿 入し た。
・濁 点の 有無
、漢 字と 仮名 の異 同は 無視 した
。た だし
、本 作品 の濁 点は 原文 の通 りと した
。
・他 本の 挿図 は翻 刻の 中に
(① 絵) のよ うに 示し た。
・釈 文の 作成 のあ たっ ては
、適 宜、 仮名 を漢 字に 改め
、句 読点 を加 えた
。ま た、 科白 には 鉤括 弧を 付し た。
なひ きし たか ふ事 はふ る雨 のこ くと をう るほ ふし たゝ さう よう の17
かせ にな ひく かこ とし きん たち あま たお
(2 オ) はし ます ちや く女 を18
はく わう みや う くわ うく うと 申た てま つて し19
やう むく わう てい の20
きさ きに たゝ せ給 ふ 二女 にあ たり 給ふ をこ うは く女 とな つけ て三 こく 一の ひし んた りし かる に
・21
ひめ きみ のゆ うに やさ しき 御か たち たと へを とる にた めし なし かつ らの ま ゆは あを ふし てゑ んさ んに にほ ふか す に み にも ゝの こび ある まな さき はせ き やう のき りの まに ゆみ はり 月の いる ふぜ いひ すい のか んざ しは くろ ふし て なが けれ はや なき のい とを 春風 の けつ るふ せひ にこ とな らす すか たは 三十 二さ うに しな さけ はて んか にな ら ひも なし
(2 ウ 絵1
)
【第 二段
】
(3 オ) かゝ るゆ ふな る御 かた ちの いこ くま て き も こえ のあ り・ 七み かと のそ うわ う たい そう くわ うて いは つた へき こし め れ さ て見 ぬこ ひに あく かれ 雲の うへ もか きく もり 月の とも ゝを のつ から ひか りを うし なひ 給ひ けり しん かけ い しや う一 どう にそ ふし 申さ れけ るや う き は よく たい の御 ふせ いよ のつ ねな らす おか み申 て候 なに をか つゝ ませ 給ふ へき おほ しめ さる ゝ事 のさ うは せん し の ん 中へ せん しあ れと そふ し申 され たり けれ はみ かと ゑい らん まし 〳〵 てあ ら はつ かし やつ ゝむ にた えぬ 花の かの もれ ても 人の さと りけ るか いま は なに をか つゝ むへ きこ れよ りと うか い10
すせ ん里 日ほ んな らの みや こに すむ
(3 ウ)
靡き 従ふ 事は
、降 る雨 の国 土 を潤 ふし
、た だ草 葉の 風に 靡 くが 如し
。公 達あ また お はし ます
。嫡 女を ば、 光明 皇后 と申 し奉 て、 聖 武皇 帝の 后に 立た せ給 ふ。 二女 にあ たり 給ふ を、 紅白 女と 名 付け て、 三国 一の 美人 たり
。然 るに
、 姫君 の優 にや さし き御 かた ち、 例へ をと るに 例し なし
。桂 の眉 は青 ふし て、 遠山 に匂 ふ霞 に似
、百 の媚 びあ る眼 先は
、夕 陽の 霧の 間に
、弓 張月 の入 る 風情
。翡 翠の 簪は 黒ふ して
、 長け れば
、柳 の糸 を春 風の 梳る 風情 に異 なら ず。 姿は 三十 二相 にし
、情 けは 天下 に並 びも なし
。
(絵 1)
かゝ る優 なる 御か たち の、 異国 まで も 聞こ えの あり
。七 帝の 総王
、 太宗 皇帝 は、 伝へ 聞こ し召 さ れて
、見 ぬ恋 にあ くが れ、 雲の 上 もか き曇 り、 月の 友も 自ず から 光を 失ひ 給ひ けり
。臣 下卿 相、 一同 に奏 し申 され ける やう は、
「玉 体の 御風 情、 世の 常な らず 拝み 申し て候
。何 をか 包ま せ給 ふ べき
。思 し召 めさ るゝ 事の 候ば
、せ ん の 臣 中へ 宣旨 あれ
」と 奏し 申さ れた り けれ ば、 帝、 叡覧 まし 〳〵 て、
「あ ら、 はづ かし や、 包む に堪 えぬ 花の 香の
、 漏れ ても 人の 悟り ける か。 今は 何を か包 むべ き。 これ より 東海 数千 里、 日本 奈良 の都 に住 む
1 を 2③ は 3け
4 しや うち やう 5①
②⑤ 奉て
、③
④た てま つり て 6
③⑤ は 7 もん しや うせ う 8
①② む 9
③ナ シ、
④た いし よく はん に 10
⑤ナ シ 10
11③ は 10
11
12
③は ん、
⑤わ む 10
11 12
13③ い 10
11 12
13
14
⑤也 10
11 12
13 14
15①
②⑤ 願、
③く
はん 16
③は 16
17
①⑤ 草葉
、② 草葉
、③
④く さは 16 17
18 ナシ 16 17
18
19
①② 奉て
、③
④
くさ ば
⑤た てま つり て 20せ うむ てん わう 20
21 かの
たい しよ くわ んか お11
とひ めを 風の た より にき くか らに 見ぬ おも かけ の たち そひ てわ すれ もや らて い かゝ せん しん かけ いし やう ゝけ たま はつ て12
これ はな によ り・
12
め13
てた き御 し よま うに て候 もの かな ちよ くし を たて ゝり んげ んに てむ かへ と14
らせ た まひ て15
ゑ15 い16
らん あれ との せん きに
( て 4オ
絵2
)
【第 三段
】
(4 ウ) うん かと 申つ わ物 をち よく しに たて させ たま ふう んか すて にた いそ う のき んさ つを たま はり すせ んは んり のか いろ をす き日 本な らの みや こ につ きた いし よく わん の御 もと にて てう さつ をさ ゝく 大し よく はん は御 らん して われ はこ れし ちい きと て せう こく のわ うの しん かと しい かん と して いこ くの 大わ うを さう なく むこ
には とる へき と一 どは ちよ くし を した いあ るち よく した ちも とつ て この むね をそ うも んす たい そう いと ゝあ く10
かれ 二と のち よく しを たて させ 給ふ しや う11
むく わ
11
う12
てい き こし めし なさ けは 上下 によ るへ から す せう こく のし んか のこ なり とも その
(5 オ) へた て13
ある へか らす まる へん てう
・
13
14
いた すと てか たし けな くも くわ うて い のい ん15
ばん をな され けれ は(
⑤絵 2) ち よく し めん ほく ほと こし てい そき たち もと つて へん てう をさ ゝく れは たい そう 大き にゑ いら んな り16
きち 日ゑ
16
ら17
ひさ う 〳〵 にむ かひ ふね をそ こさ れけ る こん との むか ひの ちよ くし には た ち花 のあ
・18
そん にう たい しん ほう けん なり そも ほん てう と申
・19
はせ
19
う20
こく なり とは 申せ とも ちゑ たい 一の く にな りみ れん のい てた ちか なふ まし けつ こ21
うあ れと のせ んじ
21
22
にて むね との 大せ ん三 百そ うき さ きの 御ふ ねを はれ うど うげ きし う とな つけ てし ゆ・23
たん をも つて かさ
23
り24
(5 ウ)
大織 冠が 弟姫 を、 風の 便 りに 聞く から に、 見ぬ 面影 の 立ち 添ひ て、 忘れ もや らで
、如 何せ ん」
。臣 下卿 相、 承 て、
「こ れは 何よ り目 出度 き御 所 望に て候 もの かな
。勅 使を 立て ゝ、 綸言 にて 迎へ 取ら せ給 ひて
、叡 覧あ れ」 との 詮議 に
( て 絵2
) 運賀
と申 す兵 を勅 使に 立て させ 給ふ
。運 賀、 既に 太宗 の金 札を 給は り、 数千 万里 の海 路を 過ぎ
、日 本奈 良の 都 に着 き、 大織 冠の 御も とに て、 朝札 を捧 ぐ。 大織 冠は 御 覧じ て、
「我 は、 これ 日域 とて
、 小国 の王 の臣 下と し、 如何 と して 異国 の大 王を
、左 右な く婿
には 取る べき
」と
、一 度は 勅使 を 辞退 ある
。勅 使、 立ち 戻つ て、 この 旨を 奏聞 す。 太宗
、 いと どあ くが れ、 二度 の勅 使を 立て させ 給ふ
。聖 武皇 帝、 聞 こし めし
、「 情け は上 下に よる べか らず
。 小国 の臣 下の 子な りと も、 その 隔て ある べか らず
。丸 返諜 いた す」 とて
、忝 くも 皇帝 の印 判を なさ れけ れば
、勅 使、 面目 施し て、 急ぎ 立ち 戻 つて 返諜 を捧 ぐれ ば、 太宗
、 大き に叡 覧な り。 吉日 選び
、早 々に 迎ひ 船を ぞ、 こさ れけ る。 今度 の迎 ひの 勅使 には
、橘 の朝 臣に
、右 大臣 法眼 なり
。「 そも
、本 朝と 申す は、 小国 なり とは 申せ ども
、智 恵第 一の 国 なり
。未 練の 出で 立ち 叶う まじ
。結 構あ れ」 との 宣旨 にて
、宗 徒の 大船 三百 一艘
、后 の御 船を ば、 龍頭 鷁首 と名 付け て、 朱丹 を以 て飾 り、
1
①②
④⑤ う て2
3
③は 4 こ
5 う ち6
7 う
①8
②④
⑤え 9
①②
④⑤ へ 10③ ナシ
、④ たう かい 10
11 を 10
11
12③
⑤り 10
11 12
13 もつ て 10
11 12
13
14ひ 15 ナシ 15 16え
へに はあ ふむ のか しら をま なひ と もに
・25
くし やく のお
25
を26
たれ たり ふね のう ちに は27
にし きを しき ぢん だん を まし へく わう よう らん けい みか きた て たま のは たは 風に なひ きこ かね の かわ ら28
はひ にひ かり ぐぜ いの ふね とも いつ つ29
へし はつ ひて んく わん たま をた み れ をか さつ たる 女く わ30
ん二 女
30
三31
百人 す つ く てこ れは せん ち32
うの 御か いし やく の め た にと てか さり ふね にそ の33
せら れた り ける じち いき より もた うど ま34
てす せん はん 里の かい しや うの 御な くさ ひ35
の その ため にを ん36
かの まひ ある へと し
36
37
てち こ百 人す くつ てみ をか さつ て38
そ のせ られ たる す39
てに 文月 のす ゑつ かた とも つな とひ てを しい たす あま のか は せに あら ねと もつ まこ しふ ねの ほを あけ た り40
(6 オ 絵3
)
【第 四段
】
(6 ウ) かく てな み風 しつ かに てふ ねは ほん てう つの くに やな んは のう らに つき しか はち よく しは なら のき やう につ く
(②
③④ 絵2
、⑤ 絵3
) たい しよ くわ んは うけ とつ て一 はい こ の く きこ えと いひ 又一 つは ほん てう の いく わう のた めそ とお ほし めし めさ れ さん かい のち んく わを 山と つみ 五千 人 の上 下を こぞ の八 月な かは より あ くる う月 はし めま ても てな し給 ふ たい しよ くわ んく わほ うの ほと のめ て たさ よう 月も やう 〳〵 すゑ にな り ゆき けれ はき ち日
・ゑ らひ たま のみ こし をた てま つる なん はの うら へ御 い てあ りそ れよ り・10
れう
10
と11
うげ きし ゆ
10
11
12
うに めさ れし ゆん ふう にほ をあ けけ れ ふ は ねは ほと なく たい たう のみ やう じう
13
舳に は鸚 鵡の 頭を まな び、 艫 に孔 雀の 尾を 垂れ たり
。船 の内 には 錦を 敷き
、沈 檀を まじ へ、 光耀 鸞鏡 磨き 立て
、 玉の 幡は 風に 靡き
、黄 金の 瓦は 日に 光り
、弘 誓の 船と も 言つ つべ し。 法被 天冠 玉を 垂れ
、 身を 飾つ たる 女官
、侍 女三 百人 すぐ つて
、こ れは 船中 の御 介錯 の為 にと て、 飾り 船に ぞ、 乗せ られ たり ける
。日 域よ りも 唐土 まで
、数 千万 里の 海上 の御 慰ひ の その ため に、 御賀 の舞 ある べと し て、 稚児 百人 すぐ つて
、身 を飾 つて ぞ、 乗せ られ たる
。既 に文 月の 末つ かた
、 纜解 ひて 押し 出す
。天 の川 瀬に あら ねど も、 妻越 船の 帆を 上げ たり
。
(絵 3)
かく て波 風静 かに て、 船は 本 朝津 の国 や、 難波 の浦 に着 き しか ば、 勅使 は奈 良の 京に 着く
。 大織 冠は 請け 取つ て、 一つ は異 国 聞こ えと いひ
、又 一つ は本 朝の 威光 のた めぞ と思 し召 され
、 山海 の珍 菓を 山と 積み
、五 千人 の上 下を 去年 の八 月半 ばよ り、 明 くる 卯月 初め まで
、も てな し給 ふ。 大織 冠、 果報 のど の目 出 度さ よ。 卯月 もや う〳 〵末 にな り ゆき けれ ば、 吉日 選び
、玉 の御 輿を 奉る
。難 波の 浦へ 御出 あり
。そ れよ り龍 頭鷁 首 に召 され
、順 風に 帆を 上げ けれ ば、 船は 程な く大 唐の 明州
1 は 2⑤ ナシ 3④ は 4 わ 5② ゆ 6④ を 7 に 8ナ シ 9①
②
④⑤ ち 10こ 10 11 せ 10 11
12
③は 10 11 12
13 はゝ かり は 10 11 12 13
14を 10 11 12 13
14 15
①②
③⑤ ゐ 10 11 12 13
14 15
16①
②
④⑤ えい りよ あり
、③ ゑい りよ あり 17 え 17 18つ 17 18 19
⑤に 17 18 19
20
⑤ナ シ 17 18 19 20
21 か 22き 22 23
①②
③⑤ つ 22 23
24た と 22 23
24 25は 22 23
24
25 26
④を
、⑤ 尾 22 23
24
25 26
27 ナシ 22 23
24
25 26
27 28は 22 23
24
25 26
27
28 29 云 30③ は 30
31
①②
③⑤ 侍女
、④ さふ らひ 30 31
32⑤ む 30 31
32
33⑤ ナシ 30 31
32 33
34も ろこ し 30 31
32 33
34
35 み 36①
②④ お 36
37 しと 36
37
38
⑤り 36
37 38 39り 36
37 38
39 40
③て