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全文

(1)

修身篇第二

善を見れば、修然(楊注:「修然」は、整飭の貌。身をととのえること)として 必ず以て自ら存(かえりみる、王念孫は「存」を「省」、「察」の意に解す)み、

不善を見れば、愀然(シュウ・ゼン、楊注:「愀然」は憂懼の貌。うれえつつし むこと)として必ず以て自ら省みるなり。善身に在れば、介然(楊注:「介然」

は、堅固の貌。固く守って変わらない事)として必ず以て自ら好み、不善身に 在れば、菑然(シ・ゼン、「菑」は「淄」に通じ、泥で汚れ黒ずむこと)として 必ず以て自ら惡むなり。故に我を非として當る者は、吾が師なり。我を是とし て當る者は、吾が友なり。我に諂諛する者は、吾が賊なり。故に君子は師に降 りて友に親しみ、以て致(楊注:「致」は、猶ほ「極」のごときなり。きわめて と訓ず)めて其の賊を惡む。善を好みて厭くこと無く、諫を受けて能く誡むれ ば、進むこと無からんと欲すと雖も得んや。小人は是に反す。亂を致めて而も 人の己を非とするを惡み、不肖を致めて而も人の己を賢とせんことを欲し、心 虎狼の如く、行い禽獸の如くして、而も又人の己を賊とすることを惡み、諂諛 する者は親しみ、諫爭する者は疏んじ、修正(身を修めた人)を笑いと為し、

至忠を賊と為す。滅亡すること無からんと欲すと雖も得んや。詩(小雅の小旻 篇)に曰く、「滃滃(キュウ・キュウ、軽々しく人と和すること)訿訿(シ・シ、

軽々しく人を誹ること)として、亦た孔(「甚」に同じ。はなはだ)だ之れ哀し。

謀の其れ臧(「善」に同じ、よし)きには、則ち具に是れ違い、謀の臧からざる には、則ち具に是れ依る。」此を之れ謂うなり。

扁善の度(「扁」の字については異説が多い、主な説は、楊注の、「扁」は「辯」

であるとし、君子は善を辯別するの法有りとするものと、王念孫の、「扁」は「徧」

であるとし、あまねくいつでも善である尺度とするものが有る、王念孫説を採 用する)、以て氣を治め生を養えば、則ち彭祖(古の長寿で知られている、七、

八百歳まで生きたと伝えられている)に後れ、以て身を修め自ら名(なあげる)

ぐれば、則ち堯禹に配す。通に時るに宜しく(王引子曰く、「時」も亦た「處」

なり。「通」は境遇が通じて思い通りに達すること)、窮に處るに利(「宜」に同 じ)しきは、禮信に是れなり。凡そ血氣・志意・知慮を用うるに、禮に由らば 則ち治通(よく治まって乱れないこと)し、禮に由らざれば則ち勃亂提僈す(乱 れ弛みだらけること)。食飲・衣服・居處・動靜、禮に由らば則ち和節し(先謙 案ずるに、和節は、猶ほ和適のごとし。調和適切の意)、禮に由らざれば則ち觸 陷(つまずいて禍に陥ること)して疾を生ず。容貌・態度・進退・趨行、禮に 由らば、則ち雅なるも、禮に由らざれば、則ち夷固僻違(王引子は、「夷固」は

「夷倨」と同じで、倨傲の意とする、「僻違」はひがみそむくこと)にして、庸 衆(凡庸な大衆)にして野(下品)なり。故に人禮無ければ則ち生きず、事禮 無ければ則ち成らず、國家も禮無ければ則ち寧からず。詩(小雅の楚茨篇)に

(2)

曰く、「禮儀卒(ことごとく)く度あり、笑語卒く獲。」此を之れ謂うなり。

善を以て人に先だつ者は、之を教と謂い、善を以て人に和する者は、之を順と 謂い、不善を以て人に先だつ者は、之を諂(カン、「諂」はテンと読んでへつら うの意であるが、楊注により、カンと読んで陥の意に解す、佞言を以て人を陥 れること)と謂い、不善を以て人に和する者は、之を諛と謂う。是を是とし非 を非とする、之を智と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う。良を傷 くるを讒と曰い、良を害するを賊と曰う。是を是と謂い、非を非と謂うを直と 曰う。貨を竊むを盜と曰い、行を匿すを詐と曰い、言を易うるを誕と曰い、趣 舍の定め無きは之を無常と謂う。利を保ち義を棄つるは之を至賊と謂う。多聞 を博と曰い。少聞を淺と曰う。多見を閑(楊注:「閑」は「習」なり、能く其の 事に習わば則ち迫遽せず)と曰い、少見を陋(ロウ、かたくな)と曰う。進み 難きを偍(テイ、楊注:弛緩を謂うなり)と曰い、忘れ易きを漏と曰う。少な れども理まるを治と曰い(楊注:「少」は、其の要を舉げて、條理有るを謂う、

之を治と謂う)、多なれども亂るるを秏(ボウ、王念孫曰く、「秏」は、読んで 眊と為す、「眊」は「亂」なり、「眊」と「秏」とは、古同声にして通用す)と 曰う。

氣を治め心を養うの術。血氣剛強なれば、則ち之を柔ぐるに調和を以てし、知 慮漸深(王念孫は「漸」を「潜」の意に解す。「潜深」でふかくひそむこと)な れば、則ち之を一にするに易良(平易温良、やさしく理解しやすく、おだやか ですなおこと)を以てし、勇膽猛戻(勇気があって、猛々しく無道なこと)な れば、則ち之を輔くるに道順(道理と順安)を以てし、齊給便利(楊注:『爾雅』

に云う、齊は疾なりと、「齊給便利」は、皆な捷速なり。早合点であわてものの こと)なれば、則ち之を節するに動止(動静)を以てし、狹隘褊小(気性が狭 くて小さいこと)なれば、則ち之を廓(ひろめる)むるに廣大(おおらかな心)

を以てし、卑溼(楊注:「卑溼」は、謙恭に過ぎて禮無き者を謂う)重遲(楊注:

「重遲」は、寛緩なり、夫れ恭に過ぎれば則ち威儀無し、寛緩にして常に機事 に及ばず)貪利なれば、則ち之を抗(あげる)ぐるに高志を以てし、庸衆駑散

(のろまでしまりがないこと)なれば、則ち之を劫(原文の字は“去”の右に

“刂”の字、「劫」に同じ、とどめると訓ず)むるに師友を以てし、怠慢僄棄((楊 注:「僄」は、「輕」なり。「僄棄」で軽率なこと)なれば、則ち之を炤(ショウ、

さとす)すに禍災を以てし、愚款端愨(「款」は真心、「端」は「正」、「愨」は つつしむ、馬鹿正直で愚直なこと)なれば、則ち之を合するに禮樂を以てし、

之に通ずるに思索を以てす(兪樾曰く、「血気剛強則柔之以調和」自り以下八句、

文法皆同じ、此れ独り「通之以て思索」の五字多し、上文と一律ならず、當に 衍文と為すべし。兪樾は衍文としているが、この五字の上に五字を脱している とする説もある。いずれとも定め難いのでこのままにしておく)。凡そ氣を治め

(3)

心を養うの術は、禮に由るより徑(楊注:「徑」は、捷速なり。すみやかと訓ず)

かなるは莫く、師を得るより要なるは莫く、好を一にするより神なるは莫し(「一 好」について、王念孫は、好む所二あらずを謂うと解している。専一にするこ と。「神」は精妙的確の意)。夫れ是を之れ氣を治め心を養うの術と謂うなり。

志意修まれば則ち富貴に驕り(驕り高ぶるの意ではなく、引け目を感じないこ と)、道義重ければ則ち王公を輕んず(軽く見るの意より、無益な重圧を感じな いこと)。内に省みて外物輕ければなり。傳(言い伝えられている言葉)に曰く、

「君子は物に役し、小人は物に役せらる。」此を之れ謂うなり。身勞するも心安 ければ之を為し、利少きも義多ければ之を為す。亂君に事えて通ずるは、窮君 に事えて順なるに如かざるなり(楊注は、「亂君」を大國の暴亂の君、「窮君」

を小國迫脅の君と解している)。故に良農は水旱(出水と日照り)の為に耕さず んばあらず、良賈は折閲(盧文弨は、すぐに売れずに在庫を抱えて損をする意 に解している。之に從う)の為に市せずんばあらず,士君子は貧窮の為に道に 怠ることあらざるなり。

體恭敬にして心忠信、術(身を整える方法)禮義にして情愛人(「人」は「仁」

んい通じ、仁愛のこと)ならば、天下に橫行し、四夷を困(「極」の意、きわめ る)むと雖も、人貴ばざること莫し。勞苦の事は則ち先を爭い、饒樂(豊かで 楽しいこと)の事は則ち能く讓り、端愨誠信にして、拘守(楊注:「拘守」は、

守りて失う勿きを謂う)して詳かにせば、天下に橫行し、四夷を困むと雖も、

人任ぜざる莫し。體倨固(ヘキ・コ、おごりたかぶる)にして心執詐(偽りに 満ちていること)、術順墨(礼義風習をわきまえないこと)にして精(ジョウ、

「情」のこと)雜汙(粗雑汚穢)ならば、天下に橫行し、四方に達すと雖も、

人賤しまざる莫し。勞苦の事は則ち偸儒轉脱(トウ・ダ・テン・ダツ、楊注:「偸」

は、苟も事を避け、儒も、亦た懦弱にして事を畏るるを謂う。「儒」は「ダ」と 読んで「懦」の意。心弱く労苦を避けて安楽に逃げること)、饒樂の事は則ち佞 兌(ネイ・エツ、楊注:「兌」は、「悦」なり、人を佞悦して以て饒樂の事を求 む。口先で人に取り入ること)にして曲ならず(楊注:直だ之を取るを謂うな り。人に譲らず遠慮なく取ること),辟違(王念孫曰く、「辟違」は皆邪なり)

にして愨ならず、程役(仕事の量を量る)にして録せざらば(楊注:「録」は検 束なり。一生懸命に仕事をしないこと)天下に橫行し、四方に達すと雖も、人 棄てざる莫し。

行きて供翼(楊注:「供」は、「恭」なり、「冀」は當に「翼」に為るべし。「翼」

は「敬」の意、鳥の翼のように両肘を張って、慎み深く小走りに行くこと)す るは、漬淖なるに非ざるなり(「漬」は水につかること、「淖」はぬかるみ、泥 水にはまるのを恐れているのではない)。行きて項(うなじ)俯するは、擊戾な るに非ざるなり(ぶつかるのを避ける為ではない)。偶視(楊注:「偶視」は、

(4)

對視なり。視線を合わせること)して先に俯するは、恐懼するに非ざるなり。

然るは夫の士獨り其の身を修めて、以て罪を比俗の人に得ざらんことを欲すれ ばなり。

夫の驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば、則ち亦た之に及ぶ。將に 以て無窮を窮め、無極を逐わんか、其れ骨を折り筋を絕つも、終身以て相及ぶ 可からざるなり。將に之に止まる所有らんとすれば(定めた到達点があれば)、

則ち千里遠しと雖も、亦た或いは遲く、或いは速く、或いは先んじ、或いは後 れんも、胡為れぞ其れ以て相及ぶ可からざらんや。識らず、道を步む者は、將 に以て無窮を窮め、無極を逐わんか、意々(そもそも)亦た之に止まる所有ら んか。夫の「堅白」・「同異」・「有厚無厚」の察は、察ならざるに非ざるなり。

然れども君子の辯ぜざるは、之に止まればなり(到達点を知っていて、そこに 止まろうとするからである)。倚魁(楊注:「倚」は「奇」なり、「魁」は「大」

なり。奇抜なこと)の行いは、難からざるに非ず、然れども君子は行わざるは、

之に止まればなり。故に學には遲(楊注:「遅」は「待」なり)を曰う。彼止ま りて我を待ち、我行きて之に就かば、則ち亦た或いは遲く、或いは速く、或い は先んじ、或いは後れんも、胡為れぞ其れ以て同じく至る可からざらんや。故 に蹞步して休まざれば、跛鼈(ハ・ベツ、片足のスッポン)も千里、累土して 輟まざれば、丘山も崇く成る。其の源を厭(楊注:「厭」は「塞」なり)ぎ、其 の瀆(水路の口)を開かば、江河も竭す可く、一進一退、一左一右すれば、六 驥も致さず。彼の人の才性(生まれつきの才能)の相縣(へだたる)たるや、

豈に跛鼈の六驥の足に與けるが若くならんや。然り而して跛鼈は之を致し、六 驥は致さず。是れ他の故無し。或いは之を為し、或いは為さざるのみ。

道は邇(ちかい)しと雖も、行かざれば至らず。事は小なりと雖も、為さざれ ば成らず。其の人と為りや、暇日多き者は、其の人(王念孫曰く、「出入」は當 に「出人」に為るべし)に出づることも遠からざるなり(「不遠」は遠くないの 義でなく、人を超えて遠くまで達することが出来ないと言う意味)。法(先謙案 ずるに、法は即ち禮なり)を好んで行うは、士なり。志篤くして體するは、君 子なり。齊明にして竭きざるは、聖人なり。人法無ければ、則ち倀倀然(チョ ウ・チョウ・ゼン、楊注:「倀倀」は、適く所無き貌。迷う様)たり。法有るも 其の義を志(楊注:「志」は、「識」なり)ること無ければ、則ち渠渠然(こせ こせしておちつかぬ様)たり。法に依り、而も又其の類を深くして、然る後に 溫溫然(楊注:「温温」は、潤沢有るの容。満ち足りて穏やかな様)たり。

禮とは、身を正す所以なり。師とは、禮を正す所以なり。禮無ければ何を以て か身を正さん。師無ければ、吾安んぞ禮の是為るを知らんや。禮然くして然く するは、則ち是れ情禮に安んずるなり。師云いて云うは、則ち是れ知師の若く なるなり。情禮に安んじ、知師の若くなれば、則ち是れ聖人なり。故に禮を非

(5)

とするは、是れ法を無みするなり。師を非とするは、是れ師を無みするなり。

師法を是とせずして、自ら用うるを好むは、之を譬うれば是れ猶お盲を以て色 を辨ずるがごとく、聾を以て聲を辨ずるがごとく、亂妄を舍きて為す無きなり

(楊注:「舍」は、「除」なり。為すことは悉く亂妄なことだけと言う意)。故に 學なる者は、禮に法るなり。夫の師は、身を以て正儀と為して、自ら安んずる を貴ぶ者なり。詩(大雅の皇矣篇)に云う、「識らず知らず(知らないうちに)、 帝の則に順う。」此を之れ謂うなり。

端愨順弟(「端愨」タン・カク、は正直誠実、「順弟」は、楊注に、「弟」と「悌」

とは同じとあり、「順悌」で、年長によくつかえること)なれば、則ち善の少き 者と謂う可し。加うるに好學遜敏(「遜」は謙虚、「敏」は務めること)なれば、

則ち鈞有るも上無く、以て君子の者と為す可し。偷儒(トウ・ダ、怠惰で無気 力)にして事を憚り(仕事を嫌がること)、廉恥無くして飲食を嗜まば、則ち惡 の少き者と謂う可し。加うるに愓悍(「愓」は「蕩」に同じで、放蕩の意、「悍」

は気が荒い事)にして順ならず、險賊(陰険賊悪)にして弟ならざれば、則ち 不詳の少き者と謂う可く、刑戮に陥ると雖も可なり。老を老とすれば(楊注:「老 老」とは、老を以て老と為し、而して之を尊敬するを謂うなり)、而ち壯者焉に 歸し、窮を窮せしめざれば、而ち通者焉に積(あつまる)まり(兪樾曰く、窮 通は賢不肖を以て言う。「窮」は不肖者、「通」は賢者)、冥冥(暗いところ、乃 ち人の知らないところ)に行いて、無報に施せば、而ち賢不肖も焉に一ならん。

人に此の三行有らば、大過有りと雖も、天其れ遂げしめざらんや。

君子の利を求むるや略なるも、其の害に遠ざかるは早し。其の辱めを避くるは 懼(王引之曰く、「懼」は「怯」なり。怯弱のことで臆病者の意、積極的でない こと)るるも、其の道理を行うは勇なり。君子は貧窮なりとも志廣く、富貴な りとも體恭しく、安燕(やすらぎくつろぐこと)なりとも、血氣惰らず、勞勌

(ロウ・ケン、「勞」はつかれる、「勌」は「倦」に同じ、うむ)なりとも、容 貌枯(粗悪なこと)ならず、怒るとも過奪(奪いすぎること)せず、喜ぶとも 過予(与えすぎること)せず。君子の貧窮なるも志廣きは、仁を隆(とうとぶ)

べばなり。富貴なるも體恭なるは、埶を殺(そぐ)げばなり。安燕なるも血氣 惰らざるは、理を柬(えらぶ、楊注:「柬」と「簡」(えらぶ)とは同じ、其の 事理の宜しき所を柬択して驕逸を務めず、故に安燕なりと雖も怠惰に至らず)

べばなり。勞勌なるも容貌枯ならざるは、交を好めばなり(「好交」の解釈は、

楊注と王先謙とは相違する。楊注:和交を以て物に交接すれば、志意は常に泰 らかなり。楊注を採用する)。怒るも過奪せず、喜ぶも過予せざるは、是れ法私 に勝てばなり。書に曰く、「好を作すこと有る無く、王の道に遵う。惡を作すこ と有る無く、王の道に遵う。」此れ君子の能く公義を以て私欲に勝つを言えるな り。

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