南アジア研究 第28号 004書評論文・佐藤 宏「長崎暢子・堀本武功・近藤則夫(編)『現代インド3 深化するデモクラシー』」
全文
(2) 書評論文 長崎暢子・堀本武功・近藤則夫 (編) 『現代インド 3 深化するデモクラシー』. 序章 インド型民主主義の可能性(長崎暢子・堀本武功・近藤則夫) 第1章 民主主義の拡大と再編(田辺明生) 第8章 グローバル化と国内政治(中溝和弥) 第6章 政治経済論─補助金と貧困緩和のポリティカル・エコノミー (近藤則夫) 短い序章では表題に「インド型民主主義」という用語が用いられる。 民主主義のいくつかの側面について簡潔な紹介はあるが、 「インド型」と する理由が述べられていないのが残念である。この点、インドにおける 民主主義の様態あるいは変容をより積極的に提示しているのは他の3 章である。 第1章では「深化するデモクラシー」を、筆者の持論でもある「ヴァ ナキュラー・デモクラシー」の展開として描いている。結論部分で提示 されるインド民主主義の現状認識、つまり「民衆の政治参加が進むなか で、生活世界の民主化とデモクラシーのヴァナキュラー化が双方起こり 2. つつある」 (31頁)との認識には筆者も賛成したい 。 その一方、きわめてテンポの速い本章の展開を、ひとコマごとに分解 してみると、筆者の基本的な主張のいくつかに疑問が感じられるのも事 実である。 第一に「ヴァナキュラー・デモクラシー」と英語を媒介にした憲法、 司 法制度などとの関係をどう理解したらよいのだろう。インド民主主義に おける「英語世界」の重要性は無視できないと評者は考えるのだが(こ の点については、第 5 章へのコメントも参照) 。 第二にヴァナキュラー世界そのものに関する疑問である。 「ヴァナキュ ラー」には「日常的に使う口語」と「民衆の生活形式に即した」 (31頁) の二つの意味が与えられている。日常語の世界、民衆の生活世界は、サ バルタンの世界とも等置されている。だが他方で、 「生活世界の民主化」 という表現も使われるから、ヴァナキュラー世界にもサバルタン一色で ない「エリート」も存在するようである。同様に、 「サバルタンの声はヴ ァナキュラーな声」 (29 頁)かもしれないが、その逆に「ヴァナキュラ ーな声はサバルタンの声」とは限るまい。ヴァナキュラー世界は、やや 理想郷化されてはいないだろうか。 第三に、筆者は今日的なインド民主主義の位相について、民衆の主体. 75.
(3) 南アジア研究第28号( 2016年). 化と政治参加のもとで「グローバルとローカル、国家と社会、政党政治 と非政党政治、エリートとサバルタン、合理性と宗教、アソシエーショ ンとコミュニティなどの二元論的構造は媒介されつつあり、民主的な政 治と社会の領域はグローカルかつハイブリッドに広がっている。インド 政治はこうしたヴァナキュラー・デモクラシーの進展のなかで新たな自 己展開を遂げつつある」 (46 頁)と語る。ここでも各種の二元論は過去 のものとなるが、 「ヴァナキュラー」対「非ヴァナキュラー」の二元論だ けは生き残るようだ。筆者の論理を貫徹すれば、現在は「ポスト・ヴァ ナキュラー・デモクラシー」の時代とはならないだろうか。 以上、読者として感じたところを率直に述べたが、批判だけでは意味 がない。有効な代替的理解を提示することは、評者を含めて民主主義を 重視するものの課題である。 いっぽう、第 8 章で用いられる方法は、譬えるならば「ズームアップ」 の手法である。地球大の構図からローカルな文脈へと読者の視点が導か れ、グジャラートというローカルな舞台において、グローバル化のもと での経済自由化による格差拡大と、 「反テロリズム」の名のもとの人権 抑圧に光が当てられる。 「グローバル化、すなわち相互依存の進展と覇 権秩序の形成は、モーディー政権のような荒廃を生み出すだけなのだろ うか」 (236 頁) 。だが希望は「グローバル化の時代における正義の実現」 (237 頁)をめざす活動が「グローバルなネットワークによって支えられ ている」 (236 頁)ことに見出せる。グローバル化時代の民主主義論であ る。 主張には賛成だが、 「大きな構図」とローカルな文脈の関係について 議論したい。 「大きな構図」がそのままローカルな舞台に投射されるの であれば、話しは「大きな構図」だけで足りる。ローカルな文脈が問題 になるのは、 「大きな構図」が「ローカルな文脈」の中でさまざまに流用. されるからである。9 .11の直後、 インド人民党(BJP)連合政権は 9 月18. 日を「連帯の日」と称して反テロ・キャンペーンを展開した。そこでは. WTC へのハイジャック機突入が、カシミール過激派によるハイジャック. やヒンドゥー教徒の殺害、ムンバイでの爆破事件という一連のテロ事件 3. の延長上に置かれた 。筆者が描くようにグジャラート暴動も、こうした 「反テロリズム」の流れの中で発生した。 インドだけではない。グジャラートでのムスリム虐殺と並行して、 2002. 76.
(4) 書評論文 長崎暢子・堀本武功・近藤則夫 (編) 『現代インド 3 深化するデモクラシー』. 年 4 月、イスラエル占領下のジェニンではシャロン政権による戦争犯罪 4. が発生した 。これも「反テロリズム」に便乗したパレスチナ住民の虐 殺であった。 「覇権国」アメリカはこの同質の犯罪に対して、 モーディー のみを入国禁止の対象とした(2005 年から2014 年まで) 。もっともイン ドもアフガニスタンやイラクでの「反テロ戦争」に付き合わなかったか らおあいこではある。 「大きな構図」 は複雑な陰翳をもってローカルな文 脈に投射される。 ジャナーリスト広河隆一氏の発言を引こう。かれは「反テロ戦争」は 9・11のはるか前からレバノン、パレスチナ、中南米と、世界の各地で 行われてきたと指摘する。 「すべての場所で、支配と占領に抵抗する民 衆は『テロリスト』と呼ばれてきた」 [広河 2003: 50]のである。細部か. ら世界を撮しとる人の視点であろう。. この二つの章を民主主義の「マクロ分析」とすれば、第 6 章は民主主 義の「ミクロ分析」であろうか。収録の順序を変えて、1、8 章を先に検 討したのは、それゆえである。 まずは論考の趣旨を要約する。インドでは構造改革の実施や貧困者比 率の低下にもかかわらず、肥料・食糧補助金や対貧困層政策に一定比率 で財政支出が行われ続けてきた。選挙政治上の必要から生まれる 「競合 的ポピュリズム」 (159 頁)の結果である。これは「貧困大衆を抱える民 主主義体制では普遍的な現象」 (178 頁)であり、 そのための財政支出は 「民主主義のコスト」 (178 頁)であるとみなされる。論点を二つ挙げた い。 まず筆者は別の箇所で、 「貧困削減、食糧安全保障、セイフティ・ネ ットの重要性」が「近い将来に解消される見通しはない」 (177 頁)と、 貧困政策が客観的根拠をもつことも示唆する。 「ポピュリズム」を大衆 迎合性として理解すると、論旨の一貫性に疑問が生じる。 また筆者にとっての民主主義は、政党が提供する財(選択肢)に対し て貧困層が投票を通じて選好を表明する、政党選択のプロセスとみなさ れている。 「ポリティカル・エコノミー」のもとで筆者が頭に描いている のは、こうした市場選択論的な民主主義のようである。 こうして本巻では、ヴァナキュラー民主主義、グローバル民主主義、 市場選択論的民主主義と、 三つの特徴ある民主主義論が展開されている。. 77.
(5) 南アジア研究第28号( 2016年). 2 政党政治論 以下の2 章では、主に会議派の一党優位体制が崩れた後の政党システ ムのありかた、そのもとでの中央と州の政治、行政関係に焦点が当てら れている。 第2章 政党システムの変容と民主主義のガバナンス(三輪博樹) 第3章 中央―州関係、州政治の脱中心化と連立政治の不安定化 (上田知亮) 第 2 章は「政党システム」論の観点から、インドの政党政治の特徴と 時期区分が論じられる。第 3 章では、インドの連邦制度における中央と 州の関係を、機構における集権的特徴にもかかわらず、政治において州 の比重が高まるという「背理」が描かれる。この背理が「脱中心化」と して描かれる。関連して2 点ほど議論したい。 まず、インド政治研究においては、政党制度と政党の機能が中心的な 位置を占めてきた。第 2 章の「政党システム」論はその代表的な流れで ある。しかし時代とともに、政党批判、議会制の危機、さらには社会運 動がインド政治に及ぼす影響をはじめ、政党を社会のなかで相対化する 視点が重要になってきている。第1章の議論もそうした流れのなかにあ るし、P・チャタージの提起した「市民社会」対「政治社会」の対概念、 あるいはシティズンシップの媒体としての政党などの議論が積極的に 展開されている。 「政党システム」論を超えた現代政党論の必要性があ るのではないだろうか。 また、インドの連邦制に対応する政党政治のありかたに関しては、 1980 年代末以降の連立政治において、州レベルの地域政党が政権の帰 趨を握る事態が恒常化し、第 3 章はこれを「脱中心化」として描く。だ が、中央の連立政権の形成や維持の側面だけでなく、連立政治のもとで. の政策決定過程に注目すると、基本的な政策課題は国民会議派と BJP が. 決めてきたのであり、地域政党の役割は、一種の拒否権行使にすぎなか 5. った 。また1989 年以降、有力な州首相から連邦首相へという、地方か ら中央に向かう上昇コースも珍しくない。中央政治と州政治の連関は多 面的・相互依存的に観察する必要があるだろう。. 78.
(6) 書評論文 長崎暢子・堀本武功・近藤則夫 (編) 『現代インド 3 深化するデモクラシー』. 3 政治思想論 政治思想論としてまとめた以下 3 章では、それぞれ思想の多様性、社 会正義、ヒンドゥー・ナショナリズムに焦点があてられる。 第4章 近代政治思想の形成と展開(長崎暢子) 第5章 「社会正義」の実現とインド憲法(孝忠延夫) 第7章 インド社会変動とヒンドゥー・ナショナリズム(志賀美和子) 第 4 章はインドの近現代思想の核心を「多様性」のなかに求める。 「暴力と非暴力、議会制と大衆運動、宗派対立、そして中央政府と州政 治といったさまざまな対立は、いずれもどちらかを完全に否定すること なく、むしろ結果におけるバランスを達成するかのように、処理されて きた[Kohli 2001 : 1 -2] 。しかもそれは、単に西洋から移植されたもので はなく、インド固有の文化に根差すものである」 (129 頁) 。. 引用文冒頭の例示のなかで、 「宗派対立」があげられる理由が評者に は定かでないが、筆者が「多様性」によって何を意味しているかは明ら かである。 他方で「多様性」にも一種の限界が読みとられている。例えばガンデ ィーの暗殺には「独立運動期における多様性尊重型民主主義の限界が 端的に現れている」 (128 頁)のである。あるいは、最終節のタイトル 「真の多様性国家を求めて」からも、筆者が「多様性」に一定の留保を 置いていることがうかがえる。その「限界」とはいかなるものか、 「真の 多様性」の意味するものは何か、について議論の展開が欲しかったよう に思う。 つぎの第 5 章では、1970 年代非常事態以降の司法を理解する鍵として の「社会正義」に焦点があてられる。 「社会正義」それ自体はかなり包 括的な概念であり、それが「権利」あるいは「平等」といった概念に媒 介されて初めて、法的な操作性をもつのではなかろうか。ここでは「権 利」の拡張をとりあげる。 第一に、本章で指摘のある第 4 編(国家政策の指導原則)の豊富な規 定の基本権化、 「指導原則の基本権化」 (137 頁)が、近年の基本権の豊 6. 富化のひとつの経路であったことは疑いない 。しかし、 もう一つの経路. 79.
(7) 南アジア研究第28号( 2016年). として考えられるのは、直接に第 3 編に規定された基本権それ自体の解 釈を豊富化する道である。とくに近年の「権利解釈」が第19 条(“right. to freedom”)と第 21条(“right to life”)に集中していることが重要だ. ろう。なかでも本来は第 20 ~ 22 条の「人身の自由」条項の一部である 第 21条が、 「生命への権利」として読みかえられ、労働の権利、環境の 権利、教育の権利、個人の尊厳、さらにはプライバシー、遺伝子組み換. え食品、安楽死・自死、LGBT 問題など、広範な事例に対して適用され. ていることはきわめて興味深い。上記の事例のうち、プライバシー以下. に挙げた事例は、憲法制定時には(それゆえ第 4 編では)想定されてい なかったと思う。このような第 21条の権利の拡張について、ある元最高 裁判事は、第 21条を「憲法の基本権条項のなかでもっとも壮大かつ奥 行きの深い規定」 であると強調している [Chinnappa Reddy 2008 : 127] 。イ. ンド憲法第 21条における “life” の新たな解釈は、第1章の筆者がいう. 「民衆の生活世界」を憲法につなぐ架け橋となったのである。. 最後の第 7 章では、1990 年代に入って政治学、歴史学をはじめ、さま ざまな研究分野で、インド内外の研究者の強い関心を惹きつけてきた、 いわゆる「ヒンドゥー・ナショナリズム」の台頭を、筆者の専門とする 南インドに焦点を当てて分析する。 おそらくこの分野での政治研究にとっての一つの問題は、 「ヒンドゥ. ー・ナショナリズム」と BJP という政党との関係である。本章でも、 「BJP. の台頭は、必ずしもヒンドゥー・ナショナリズムへの支持拡大を意味し. ない」 (190 頁) 、 「逆に、BJP が得票率を減らしたとしても、ヒンドゥー・ ナショナリズムへの人びとの共感が減退したという解釈には直結しな い」 (190 頁)と両者の微妙な関係が強調されている。過去の研究を含め て両者の関係は説得的に描かれてこなかったと評者には思われる。原因. は二つある。ひとつは政党としての BJP の綱領的基盤への関心の薄さ、 も. うひとつは「ヒンドゥー・ナショナリズム」そのものの読み方の問題で ある。. まず BJP の公式文書をみてみよう。 「ヒンドゥー」への言及はあるのだ. ろうか。関連するのは党の目的と基礎哲学を規定した党規約の第 2 条と 7. 第 3 条である 。 第 2 条は3 段落からなるが、引用したのは第一段落である。他の2 段 落では、すべての市民の平等と正義に基づく民主主義的国家、第三段落. 80.
(8) 書評論文 長崎暢子・堀本武功・近藤則夫 (編) 『現代インド 3 深化するデモクラシー』. では憲法の遵守が謳われる。 「ヒンドゥー」を連想させるのは唯一第一 段落であるが、そこでは「インド古来の文化と価値」に基礎をおく近代 国家という、かなり幅の広い目標が掲げられている。. これに対して第 3 条は何を意味するか。Integral Humanism(統合的. 人間主義)とは、インド人民連盟(Bharatiya Jana Sangh)創設に力の. あ っ た RSS 指 導 者 デ ィ ー ン ダ ヤ ル・ ウ パ ッ ダ ー エ(Deendayal. Upadhyay)が提唱した概念であり、原語では Ekātmatā が用いられる 。 この ʻintegralʼ あるいは ʻekātmaʼ には、個人と社会の統合性(無矛盾 8. 性)および、人間の活動目的における物質と精神の統合性という二側面. が含まれる[Nene 1991] 。Ekātmatāを党の基礎哲学とすることによって、 党の究極的な権威が RSS に由来することが明示されている。こうして党 規約の第 2 章と第 3 章は一体のものとして理解することで、BJP なる政党. の多面的な性格が明らかになる。. 党規約の第 2 章と第 3 章の差異に照応するかのように、 「ヒンドゥー・ ナショナリズム」にもふたつの「読み方」が可能である。通常の読み方. は、英語表記のまま Hindu+nationalism と読む。ここでは各種の「ナシ. ョナリズム」論や「国民国家」論と「ヒンドゥー・ナショナリズム」の 9. 異同が論じられる 。. もう一つの読み方は、“Hindu Nation” alism、つまり “Hindu Rashtra (Nation)” 主義という読み方である[Bhishikar 1991 : 28] 。これは単なる 多数派ナショナリズム一般に解消できない RSS 固有の主張である。この ように読まれる「ヒンドゥー・ナショナリズム」を理解するには、RSS 指 10. 導者らの思想に対する入念な検討が不可欠になる 。 「ヒンドゥー・ナシ. ョナリズム」研究には、この二つの読み方の間にある差異と関係性を方 法的に意識化することが重要だと思う。. 4 外交・軍事論 最後に足早になるが、インド外交・軍事を論じた3 つの章を扱う。 第9章 現代インド外交は何を目指すのか(堀本武功) 第10章 覇権なき地域大国としてのインド(伊藤融) 第11章 政軍関係―シビリアン・コントロールと軍事力構築 (伊豆山真理). 81.
(9) 南アジア研究第28号( 2016年). まず第 9 章では、民間専門家集団による報告書『非同盟 2 .0』を材料. としてインド外交の基本方向が探られる。この報告書の検討をとおして 近年のインド外交を貫く基本的な特徴として、戦略的自律性(strategic. autonomy) 、状況対応型外交、大国化・大国志向外交の3 点が取り出さ. れる。近年のインド外交を理解するうえで、この3 つの特徴はいずれも 11. 有効であろうと思われる 。2 点ほど議論したい。 まず政党政治と「大国化」外交の関係である。評者のみるところ、90. 年代のインド政治では、BJP と会議派という二大有力政党が、野に在っ. ては何かと相手を批判しながら、政権というバトンを受け取ると、たが. いの「成果」を利用し合う一種の「超党派外交」を演じてきた。 「状況 対応型」外交と「大国化」外交は、こうして政党政治と結びついてきた のではないか。 また「大国」概念そのものの検討も重要であろう。国際関係における 「大国性」は、経済力のような客観的指標とともに、関係性、つまり他 国からの承認、受容の対象としてとしての「大国」という側面が大きな 意味をもつからである。おそらくこの点が次の第10 章での論点になるの だろう。 その第10 章では「大国」というよりは「覇権国」という表現が用いら れ、 「地域大国」であるインドの「覇権国」化の可能性がパキスタンお よびそれと「全天候型」友好関係にある中国の存在によって制約されて いる状況が描かれる。パキスタンと中国に対する敵対と協調というイン ド外交の両面性も、本章の分析から引き出すことができる。 当面の中国が推進する世界戦略である「一帯一路」ビジョンとインド の関係も、そうした観点から観察することができそうだ。インドは日本 の安倍政権と協調しつつ、中国に対抗するインフラ投資を国内や周辺諸 国ですすめている。インドの外交評論家ラージャ・モーハンが歓迎する ように、こうした動きからは明らかに中国の「一帯一路」ビジョンへの 12. 対抗を読みとることができる 。その意味で日本外交も、いまや印・中 パの敵対と協調の文脈の一部となっている。 本巻の最終章である第11章は、内容的には筆者による先行論文[伊 豆山 2002]を引き継ぎ、新たな段階を迎えたインドにおける「シビリア. ン・コントロール」の問題点に焦点を当てている。筆者の言葉を借りれ. 82.
(10) 書評論文 長崎暢子・堀本武功・近藤則夫 (編) 『現代インド 3 深化するデモクラシー』. ば、先行論文が「軍からの安全保障」について論じたとすれば、本章で は「軍による安全保障」が問題の焦点となっている(312 頁) 。 とはいえ、軍が依然として国防政策決定機構の周縁に置かれている状. 態には変わらない(316 -320 頁) 。結局インド国防政策の有効性は、首相. と国防、内務、外務、財務の 4 相からなる内閣安全保障委員会(CCS) 、 および国家安全保障補佐官(NSA)を一員とする首相府(PMO)に加え. て、首相と NSA を中心とする核司令部(Nuclear Command Authority) が平時、非常時にどう機能するかにかかっているようである。インドに. おける「シビリアン・コントロール」の問題は、軍にまして政治指導部 の能力と行動、その信頼性の問題に帰着するのであろう。 註. 1 このほか9点の補論では、 各章とかかわる興味深い主題が取り上げられているが、 紙幅の関. 係で残念ながら言及できない。. 2 評者は[堀本・広瀬 2002] のなかで「 『表層の民主主義』 を、 より生活に近い次元でさらに深化 3. (進化) させてゆく」 ことをインド政治の課題とした[佐藤 2002: 286] 。. Indian Express(18 Sept. 2001). 11面の全面広告を参照。. 4 ジェニンでのイスラエル軍による破壊活動については、 [広河隆一 2002] など参照。 5 こうした拒否権を発揮できるのは第3章で事例とされる全インド草の根会議派のような大. 人口州の有力政党に限定される。 政策上の一貫性に欠けることもこれら政党の特徴である。 政策が州内政治を反映して揺れ動くからである。 6 評者自身も基本権の豊富化を第4編に求める立場であった(本章153頁注4) 。 その立場をここ. でやや修正したい。. 7 Article II: Objectives. The Party is pledged to build up India as a strong and prosperous nation, which is modern,. progressive and enlightened in outlook and which proudly draws inspiration from Indiaʼs ancient. culture and values and thus is able to emerge as a great world power playing an effective role. in the comity of nations for the establishment of world peace and a just international order.. Article III: Basic philosophy. Integral Humanism shall be the basic philosophy of the party.. (斜体は評者、 出所:Constitution and Rules, Bharatiya Janata Party, http://www.bjp.org/about. the-party/constitution、 2015年10月1日アクセス). 8 本章では「一つの魂」 と訳されている(198頁) 。 ローマ字表記での最後の4文字mata に惑わ. されて「一人の母」 と訳す研究書もある。 9 かつて本誌上で「ヒンドゥー・ナショナリズム」 の表記に異論を唱え、 この場合の「ナショ. ナリズム」 を「国家主義」 と表記すべきだとした中村平治氏による議論も、 読み方としては Hindu+nationalism である[中村 2009] 。. 83.
(11) 南アジア研究第28号( 2016年). 10 とくに重要なのはD・ウパッダーエの政治思想である。 RSS の政治思想は彼以降ほとんど進. 化していない。 2014年に成立したモーディーBJP 政権のもとでは、 ウパッダーエへの回帰(=. インド人民連盟BJS への本掛還り) がめざましい。. 11 インド国防省年報を見ると、 strategic autonomy はUPA 政権の最後の年(2013-14年度) から、. self-reliance とセットにされて、 国防の基本方針とされるようになった。. 12 C. Raja Mohan, “Japanʼs counter to Chinaʼs silk road,” Indian Express, 24 Nov. 2015.. 参照文献. 伊豆山真理、 2002、 「インドのシビリアン・コントロール―パキスタンとの比較を視野に入れて」 、 堀本武功・広瀬崇子 (編) 『現代南アジア3 民主主義へのとりくみ』 、 東京大学出版会、 219-244. 頁。. 佐藤宏、 2002、 「インド政治史への政治経済学的アプローチ」 、 堀本武功・広瀬崇子 (編) 『現代南ア ジア3 民主主義へのとりくみ』 、 東京大学出版会、 267-289頁。. 中村平治、 2009、 「三輪博樹論文を読む」 『 、南アジア研究』 、 21、 228-231頁。. 広河隆一、 2002、 『写真記録 パレスチナI 激動の中東35年』 、 日本図書センター。. 広河隆一、 2003、 『反テロ戦争の犠牲者たち』 (岩波フォト・ドキュメンタリー 世界の戦場から) 、 岩波書店。. 堀本武功・広瀬崇子編、 2002、 『現代南アジア3 民主主義へのとりくみ』 、 東京大学出版会。. Bhishikar, C. P., 1991, Pandit Deendayal Upadhyaya Ideology and Perception, Part V, Concept of the Rashtra, New Delhi: Suruchi Prakashan. Chinnappa Reddy, O., 2008, “The Garden of Fruits and Flowers, Right to Life,” in The Court and the Constitution of India, Summits and Shallows, New Delhi: Oxford University Press, 127-149. Nene, V. V., 1991, Pandit Deendayal Upadhyaya Ideology and Perception, Part II, Integral Humanism, New Delhi: Suruchi Prakashan. さとう ひろし ●日本南アジア学会. 84.
(12)
関連したドキュメント
Standard domino tableaux have already been considered by many authors [33], [6], [34], [8], [1], but, to the best of our knowledge, the expression of the
初 代 福原 満洲雄 第2代 吉田 耕作 第3代 吉澤 尚明 第4代 伊藤 清 第5代 島田 信夫 第6代 廣中 平祐 第7代 島田 信夫 第8代
H ernández , Positive and free boundary solutions to singular nonlinear elliptic problems with absorption; An overview and open problems, in: Proceedings of the Variational
Keywords: Convex order ; Fréchet distribution ; Median ; Mittag-Leffler distribution ; Mittag- Leffler function ; Stable distribution ; Stochastic order.. AMS MSC 2010: Primary 60E05
Inside this class, we identify a new subclass of Liouvillian integrable systems, under suitable conditions such Liouvillian integrable systems can have at most one limit cycle, and
Amount of Remuneration, etc. The Company does not pay to Directors who concurrently serve as Executive Officer the remuneration paid to Directors. Therefore, “Number of Persons”
インド C・P・ラムダス オイスカ南インド支局会員 インド P・チャンドラ・ミシュラ オイスカオディシャ支局会長 インド フォウジア・ムバシール
日髙真吾 企画課長 日髙真吾 園田直子 企画課長 鈴木 紀 丹羽典生 樫永真佐夫 樫永真佐夫 樫永真佐夫 川瀬 慈 齋藤玲子 樫永真佐夫 三島禎子 山中由里子 川瀬