A 3
ミ
理
の 基 本 計
主主L
肩岡
構 造
i
資 本 主 理 論
・ 実 体 理 論
で ま
;6t
え
き
(1)
科学は︑概念的構造︑すなわち活動的内容︵
O B 3 2 88
巴 己
g δ
を も
った思考の統一体である︒科学がそのような構造を欠くならば︑諸手続は実
質のない無意味な形式︵ユ
E巴ろとなり︑その進歩は環境からくる健倖にす
ぎず︑研究は暗闘を手探りするに等しい︒そして知識の普及は煩わしいもの と な る で あ ろ う ︒
会計学も︑その起源と実務界における発展にもかかわらず︑一貫した思考
構造に基づいた方法学︵
B Z F a
︒ 目
︒ 巴
︑ ︶ で あ る ︒ そ こ に は
︑ 会 計 士 が た ず さ
わる仕事の合理的な根拠となる会計諸手続を︑基礎付ける思考体系が存在す る︒これらの思考体系が科学的基準に遠く及ばないようにみえても︑それら
は会計実務の基礎となっているのである︒これら思考系列の吟味・再組織化
・普及は︑会計が発達を遂げる手段である︒確かに経験が︑何れの学聞にお
いても︑普遍化︵
m g R
丘町 丘
町
0 ろに対する唯一の基盤であるが︑経験はま
た︑それ自体解釈であり︑ある種の基準による資料もしくは行為の分棋や評 価を含んでいる︒論理的な思考の筋道こそ実践の本質的な部分である︒それ
は︑種々の観察を真相
QR
︶と呼ばれる単純な普遍へ帰納する︒経験は
g妥当性に対する窮極にして唯一の指標ではあるが︑会計の理論的基盤は︑論
理的な
iものでなければならない︒会計がコシヴェン ν
ョシによって色彩ら
れ︑実務上︑試行錯誤によって推進され︑あるいはまた適用に際し便宜性の
山 崎
・ 会 計 理 論 の 基 本 構 造
・ 資 金 理
論
i山
崎
佳
夫
ために汚されるととがあっても︑会計の基礎をなす理論の論理的構造は︑そ
の領域を明らかにし︑財務報告に関係する会計諸手続を体系化するのに役立
つ の で あ る ︒
W ・ I ・ ヴ ァ ッ タ
lは︑理論の一般構造についてこのように述べている︒
次いで彼は︑従来の資本主理論︵噌
B胃
ぽg
q5 02 5
および実体理論
︿ 岡 田 氏
qp g
﹃ ろ に 対 し 解 釈 と 批 判 を 加 え
︑ 新 し い 資 金 理 論
︵
匂 s a
弓︶の展開を試みている︒彼の思考は︑未開拓のむしろ予言的な理論構 s s
想であり︑その意味では一層の発展が期待される研究分野であるといえよ
う o s r
下は︑資金理論的立場からする会計主体論の︐吟味である︒
註
ω黒 沢 清 博 士 は
︑ こ の 穣 理 論 の 先 駆 的 な も の と し て
︑ シ ュ ミ ッ ト の 有 機 論 や ワ ル プ の 動 態 論 を 挙 げ て お ら れ る
︒ し か し 資 金 理 論 は ︑ 直 接 こ れ ら の 影 響 を 受 け
て は
い な
い ︵
﹁ 会
計 理
論 の
基 礎
構 造
﹂ 企
業 会
計 ︑
七 巻
十 一
号 ﹀
︒ 問 主 題 に 関 す る ヴ ア フ タ ー の 所 説 は 次 の 著 述 に 詳 し い
︒ 本 稿 は 主 と し で こ れ ら
に 負
う て
い る
︒
男 同 ・
5 苦
F 3 0 E E
凶 d 虫
S a b a g 豆 諸
g a E E M M M W
住 吉 嗣 言
S
明 日
RE H
同
8
2 A 副
・ 沼
崎 ・
4
﹃ −M ・
55円 ・ ︒
g 対 0
2
同時
ω H a r p § 5
・ 回
目 刷 邑 げ
円
o r o片 冨 邑 母 国 ﹀
8 2 呈 出 向
吋 医
guJH 師
由自
問・
=︑資本主理論とその批判
歴史的にみて資本
e g
号
E
毎 日 巴
‑1
関一
の概念降︑会計理論の起源にまで遡
富山大学紀要
経済学部論集
(2)るといえよう c 資本主侍分の既念なくして会計理論は完全ではありえなかっ
た︒複式簿記の思考ですら︑資本概念が認められるまでは︑一組の法則にす
ぎなかった︒けだし︑資本概念がなければ︑借方および貸方の等式関係は戎
立しないからである︒
資本主理論の生成は︑少くとも十九世紀の初期に始まる︒それは会計理論
の原初的基盤をなすものであると断定できないまでも︑今日そのような構造
を有するものであると認められている︒資本主理論のもとにおいては︑資本
主の見地から会計記録が行われ︑財務諸表が作成される︒それらは︑資本主
の正味身代︵口弘
4 4 2 a
︶における増︑減の測定・分棋を目的として る︒す ρ F
なわち︑会計手続および会計報告の凡ては︑資本主に対し資本主一のために行
われ︑正味身代および利潤の概念は個人的概念であって︑資本主の利権
︵ 山 口
S H
E S
資産は資本主の財産であり︑負債は彼
E︶が会計の主軸であつが ω
の債務である︒収益および費用は︑資本主の決定および行為を通して発生す
る︒資本主理論は︑企業における最高の要因として資本主の概念を強調し︑ 取引の解釈ならびに報告においては︑その人格的見地を堅持する︒この理論に
おいて︑利潤は︑資本主の決定に基づいて投下された資産︑雇傭された大事の
組織を通して︑彼によって彼のためになされた取引から生じた利益および損
失の純額であるにすぎない︒それゆえ貨幣投資・個人的努力・危険負担・臨
時収!入等から挙げた利益を区分表示するが如きは意味のあることではない︒
そこで資本主理論の基本的構造は︑資本もしくは正味身代の概念によって
要約される︒かくして会計測定の基準は︑次の資本等式で一不される
oM﹀
lM ロH24司・これは︑常に︑資本主の資産総額︵﹀︶から彼の負債総額︵ロ
︶を差引いたものが︑彼の正味身代︵
HL
巧︶に等しいということである︒資
本主の目的は彼の正味身代を最大にすることであるので︑凡て事業の取引
は︑この等式に関係してくる池利潤は︑資本主の投資あるいはー減資以外の款
引から生じた正味身代における増加である︒収益勘定および費用勘定は︑資
本主勘定の単なる分割にすぎないっ複式簿記の理論は︑質問的勘定および収益
勘 定
が ︑
E 時身代と同じ︑偶数的性格をおっているという思考に碁﹃づいてい る︒つまり︑正味身代︑を増す勘定は貸記され︑正味身代を誠守する勘定は借記 される︒凡ての費用勘定および収益勘定は︑総勘定元援を資本等式の原始形 態へ還元するために︑会計期末に︑資本主勘定へ振替えられる︒このように 資本主は︑会計の中心であり︑会計概念および会計手僚の凡ては︑資本主の 利権という基本概念に結付けられる︒
しかし︑この会計思考は︑事業が個人企業として組織されている場合に最
もよく適合していた︒そこに意味される利益概念が有用かつ実行可能なもの
であった︒一つの事業は資本主の資本投下をもって始り︑事業における彼の 接触は︑その開始から終了まで継続していた︒これが当時の一般的な企業形
態であったから︑もともと資本主の利益のため︑彼に対する情報提供のため
に会計が記録されたのも意味のないことではなかった︒組合企業の場合です
ら︑資本主の利権は︑一般に事業への投資・回収と同時的であった︒組合に
おける人事の異動は一事業の終了であり︑しかも他の事業の開始であると
いう法的規定は︑所有主投資と会計行為との明白な関係を維持するのに大い
に 役 立 っ た ︒
~uo ←
こ¢ように資本主珪論は︑主として個人企業や組合企業において事業が営
まれていた時代の会計基準としては満足すべき︑ものであったが︑近代の会社
会討には不透当であることが判った︒会社は︑次のような法的規整によって 個人企業や組合企業とは異なる︒付所有を経営から分離する
i H
権利と義務をもった法人として認める︒司会社およびそれに参加した入々の H 企業単位を
第三者
i債権者・証券所持者等ーに対する責任を有限とする︒伺事業活動上︑
従うべき諸手続を含めて︑営業の行為・範囲・方法等ある種の型を規定する
また法定資本・剰余金;・現金配当町一株式配当の訪概念︑株式の先買権・優先 権等は︑会社が法律上︑それを組織し︑支配し︑それから利益をえている実
際の人々か︵ち分離し区別された個体であるという概念をもって始めて説明さ
れ る
もっとも資本主理論に関係のある概念や方法を︑会社形態の企業にも適用
︒しようとする試みがなされた︒しかし資本主理論は︑会社形態の出現によっ
てもたらされた新しい問題に応えることができなかった︒資産は︑資本主に
よって所有され支配される財産とみることはできない︒法律は︑窮極の所有
主でない社債権者一・優先株主等の優先権を認めたからである︒さらに法定資
本は︑債権者の利益と保護のための信託基金
QE
弘
同 5
3
と み な さ れ た
︒
このことは︑単純な企業形態において要請されない資本と利益の峻別を必要 とした︒利潤は単に資本主持分の増加にすぎないという思考は︑数個の利権
が関与する広い利益概念に道を譲らねばならなかった︒ここに単純な企業形
態における利権の継続性という特徴は︑会社組織のもとにおいて破壊され︑
所有権の概念は︑複雑と吐りしかも移動する概念となった︒個人企業や組合 企業形態のもとにおいて問題にならなかった利潤の引出は︑配当方法および
配当にあてられた剰余金の効力に関する法的制限や諸手続と抵触するに至っ
た ︒
(8)また会社の出現によって︑報告という新しい問題が撞頭した︒理論上経営
者は︑取締役会を選出する株主に対して責任があり︑株主によって支配され
る︒しかし︑株式の多様性とその分散は︑所有主と会社業務との聞に事実上
のギャァプをもたらした︒比較的大口の利権の存する限り︑資本主的思考が
なお会計の基準として役立つかもしれない︒しかし︑所有権が数種の株式に
散布され︑しかも証券市場で売買されて小口に所有されるようになると︑正
味身代・利潤・資本等式等の古い思考は妥当しなくなった︒このようにして
財 務
報 告
と 管
理 責
任 ︵
巴 ゆ
さ 釦
円 品
FGE 目
品 ︒ ロ 曲
目 E
g
︶が︑新たに重要性を帯
富 山びるに至った︒造有株主︑法的規整︑企業の拡大・複雑化によって︑会計報
告は︑会社業務の内容を利害関係者に知らしめる手段となった︒この報告任
務は︑古い企業形態のもとにおいても多少は存在したが︑会社形態において新
しい顕著な地位を占めるに至った︒そしてこの報告が外部者︵証券所持者・債
権者・政府もしくは代短機関﹀を目標とする以上︑アカウシタピ
pティの重視
が 緊 要 と さ れ た ︒
このような事情は︑価格水準の変動と共に︑会計上︑全く新しい秩序を醸
成した︒個人企業あるいは組合企業のもとにおいては︑利害調係者は少散で
山 崎
・ 会 計 理 論 の 基 本 構 造
あり︑彼
J
等の事業との接触は密接であり︑また彼等の個ふ尚利金問は︑直接︑
会社と結付いてい元︒価格水準の変動は︑そのような所有主にとって大して
重要ではない︒ただ組合員の脱退もしくは加入の場合︑資本主的持分の修正
を要するが︒会計資料を利用する人は︑会社の所有主あるいは債権者にすぎ
なかった︒彼等はかなり密接に事業と関係しており︑そのためによく会計報
告書を解することができた︒勘定の設定が︑価値としての資産または費用と
しての資産の何れを表示するかは︑さして重要とはならない︒けだし多くの
場合︑正しい修正が可能であったからである︒
価格水準の変動時における管理責任は︑会社の出資者持分が実際︑株主の
常に変動するグループであるという事実によってさらに複雑となった︒各株
主は︑市場において意のままに株式を売買することができる︒しかし会社 は︑これらの取引の当事者ではないので︑株式に対して如何なる価格が成立
したか関知しない︒かくして特定の株主の投資は︑会社の帳簿に記録された
投資とは全く異なる︒株式の市場価格に影響するあらゆる要因が︑会社の帳
簿に記録されないならば︑正味身代の数値は株式の市価と一致しない︒会社
の設立以後︑株式を取得した株主は︑資本主的意味において彼の利潤を測定
する基準をもたない︒彼の投資は会計報告には現れないからである︒しかし
ながら︑株主は何時でも資本の投下または回収をなしうるから︑定期の会計
報告とは無関係に︑即座に正味財産計算に基づいて判断をなす必要がある︒
しかし︑仮令株主が如何なる修正をなすべきかが判ったとしても︑資本主的
意味において株主の必要に適合した報告をうることは︑なおも困難な問題で
ある︒このことは株価の変動する度に︑常に評価替を行うととであり︑株式
を売買する当事者さえ必ずしもはっきりしない評価要因を認めるととであ
る︒その上︑市場の正常な状態においても価格の変動が常であること︑また
それは売手・買手の予想における相違を反映していることを知らなければな
ら な
い ︒
‑111
ー
註( 2 ) 。 (
会 P
君。叩.
論ロ
の 畠
::g ~{痘て
l §
も 雪
の 誌は昌
司聖
曲 。号E
0
g時こ の.~
ま宮
ら H
・
1十 喝
九 回
世患
R礼ム ...,
で
ま
の
間』 主
成
守岡 山大 学紀 要
経 済 学 部 論 集
(4)
立 し な か っ た
o 成 程 ︑ 理 論 の 片 鱗 は 若 干 み ら れ た が ︑ 組 織 的 な 体 系 を な す 程 の
も の で は な か っ た
︒ も っ と も 個 々 の ケ
l ス
に 適 用 さ れ る 法 則 の 大 部 分 が 発 達 し た と い わ れ る
S
−
b・ 吋
R
白 宮 口
0 ・ ︒ 広 岡 山 口
日
apa EB
ぇ
g z d日 中 阿 国 待 可
図 ︒ ︒ ︼
会 開 叩 匂
山 口 問 ・
同 申
ω∞w H M
・ 由
N
・
︶
な お
﹀ ・
︒ −
E E a o p B E −
− 可
一 戸
民 間
iH
町 田
参 照
聞このような見解は︑程度の差こそあれ多くの学者によって主張されてきた︒
ス プ レ ー グ の 次 の 文 言 は そ の 好 例 で あ ろ う
o
﹁ か く し て 貸 借 対 照 表 の 貸 方 は
︑ 悉 く 借 方 に 対 す る 請 求 権 も し く は 権 利 を も っ て 構 成 さ れ て い る
o ﹃ と す れ ば ︑ 貸 方 は 凡 て 負 債 か ら 成 立 っ て い る の が 正 し
い の か ﹄ と 問 わ れ る か も し れ な い
o こ れ に 対 す る 答 は ︑ 他 人 の 権 利 す な わ ち 負
債 は
︑ 資 本 主 の 権 利 と は 本 質 的 に 異 な る と い う こ と で あ る
︒ ﹂
︵ の
・ 開
・
ωUS
宮 タ
凶
J H M
由旬日比﹈
o m o H U H M
可O
同﹀町内円いロロH
由
H U H ω
−
H ν
・品∞・﹀
一 ︑ 実 体 理 論 と そ の 批 判
これらの複雑な問題は実体理論によって解決された︒実体理論は︑企業体
を会計の研究対象とする点においては︑資本主理論と異ならない︒しかし︑
会計の記録・財務諸表の作成にあたり︑如何なる見地をとり何を重視するか
については全く見解を異にする︒実体理論は︑会社をそれ自体権利をもった
人格とみる法律的擬制に白米する︒この立場は次の文言に最もよく現れてい
る︒﹁企業は︑一般に実体︑すなわち︑基金を提供している当事者から分離
した別個の︑それ自体権問をもった制度であると考えられる︒企業の勘定や
財務諸表が︑資本主・社員・投資家その他の関係者もしくはグループのもの
ではなく︑企業実体の︑ものであることは自明のこととなってきている︒﹂
この見解は︑資本主なる人格の代りに︑実体それ自体を持帰った新しい思
考である︒実体は︑所有主・経営者・債権者・その他の関係者から分離した
もう一つの人格を暗示する︒かくして資産および負債は会社実体のものであ
り︑利害関係者に対する実体の報告は︑
n o m g g
に対する受託者の報告と全
く同じ方法で行われる︒会社は︑費用および収益なる語によって︑委託され
た財産をその財務報告を通して説明︵
R 8
5 仲
営
︒ す る
︒ 各 種 の 利 答 闘 係
者の持分は維持されるが︑資本主利権の意味における正味身代を測定しよう
とはしない︒そこで貸借対照表貸方は︑法的もしくは持分的利権に対する責
任︵
ω R O E S E
宮町ぬるを表わす︒貸借対照表借方は︑価値でなく費用として
の資産を表わす︒けだし責任が関係しなければならないのは費用であるか
ら︒費用・収益の対応によって測定される利益は︑会社の利益であり︑利益
の処分は︑法的・持分的利権を維持しつつ行う会社の業務である︒正味身代
の概念は実際放棄され︑会計等式は︑蹄岡 H 早めという責任方式をとる︒
実体理論のもとにおいて収益の認識は︑法的・持分的概念に基づいてい
る︒収益のテストは︑顧客との取引の完了による新しい資産の取得である︒
それは役務の供与・財貨の引渡によってえた総売上高である︒この理論にお
いて資本︵
US
耳 目 ゆ
g g E H
V
︶は重要な地位を占めないから︑収益は資本の増
加ではない︒
資本主理論から実体理論への推移によって︑費用め意味も亦変った︒費用
の資本主的概念は︑資本主によってなされた支出︵︒
E U
苫︶の概念であっ
た︒現金による支出はもとより︑資産を手離しあるいは債務を負担すること
によって蒙ったコストであった︒しかし費用の概念は︑なお正味身代の控除
という性質のものであった︒費用が数個の分類のもとに記録されるとしても
それは︑個人会計におけると殆んど同じ︐怠味において支出︵︒己的︒︶であ
った︒従ってそれは︑望ましくないが︑しかも必要な犠牲のような意味をも
っていた︒しかしながら︑実体理論のもとにおいては︑費用は収益の実現の
ために配分されたコストである︒企業実体は︑財貨および役務を生産し分配
する巨大な機構の一部である︒会社は企業組織の一部として︑財貨および役
務を新しい異った種類のものへ転換するところの装置
S2−8
︶である︒費
用は︑会社の製品の財務的測定︑すなわちコストにすぎない︒ゆえに製造原
価・販売費・一般管理費は︑市場において顧客へ供与された用役の財務的表
現である︒会社によって取得されたが︑未だ一顧客に供与されない用役は資産
である︒資産は︑それが将来の転換および提供に利用されるものとして残留
する限りにおいて︑繰延べられたコストである︒この後の意味において現金
‑n2
ー
および受取勘定ですら︑将来の転換および提供に対して利用される用役であ る︒かくして資産の本質は︑財産の物質的存在やその交換価値に直接関係し
ない︒資産は︑将来の転換および市場への提供のために利用される用役に対
す る コ ス ト で あ る ︒ 実体理論のもとにおける営業報告は︑期間収益に費消原価を対応させるこ
とによって測定された会社利益を強調する︒会社利益は︑株主や所有主のた
めに発生するのではなく︑会社のために発生する︒会社利益は︑かくして正 味身代に関連する利益の資本主的意味から解放される︒実体理論は︑財務取
引および利益分配を︑資本主取引もしくは利益決定取引切何れからも区別せ
られたものとする︒実務上︑一般には認められてはいないが︑実体理論にお
いて支払利子は︑費用ではなく利潤の分配である︒同様に配当も︑資本主に
よる資本の引出ではなく利潤の分配とみなされる︒純利益に対する課税も
亦︑利潤の決定要素ではなく利潤の分配という範噂に入るであろう︒
これらの結論に導く基盤は︑会社が利害関係者の何れからも分離した実体
であるという概念である︒すなわち︑株主ではなく会社が会計の中心であれ ν
目的であるということである︒財務諸表は会社に関する経営の報告である︒
これらの報告は︑差別も偏見もなく︑凡ての利害関係者に向けられている︒
これらの報告において︑特定のグループの特別の必要や利害関係に芯ずる何
らの試みもなされていない︒
しかしながら︑資本主理論および実体理論の何れも満足すべき理論構造で
はない︒それぞれが︑研究の焦点として人格を採用している点︑承認し難い
のである︒このために会計報告の内容が︑自然人もしくは擬制人によって影
響され易い︒すなわち︑問題がその本質によって決定されず︑人格の延長と
して考察される︒しかも概して便宜的な結論に到達し︑とれを支持するに至
る︒会計理論が人格やその擬制に依存することは︑それがコシグエシ
ν g y
としてであっても︑定量分栃︵
AZ
gt
st
︐S
S
丘
一 富
山 田
︶ を
目 標
と す
る 会
計 の
目的に何ら貢献しない︒加えて︑会計資料の利用は極めて多様であって︑単
一の人格に理論を基礎付けるととができなくなった︒つまり利宣間関係者は多
(5)
山 崎
・ 会 計 理 論 の 基 本 構 造
数であり吊会計資料が果す役割は様々の利害関係者の間において錯綜してい
る︒しかし︑会計記録や会計報告が異った意味をもっ︑少くとも三つの領域
を区別することができる︒まず︑これらの会計資料に対する直接の要求は︑
経営によってなされる︒会計そのものの基礎をなす手続体系の範囲を決定す
るのは経営者であるからである︒次のグループは︑各種行政機関・産業諸国
体・諸学者等︑社会的統制機関である︒第三は︑信用の授与・投資を目的と する現在および将来む投資家・債権者である︒彼等は︑情報をえるために会
計報告を頼みにする︒亡れをもってしでも︑単一の人格が︑種々の見地に応
ええないことは明らかである︒会計情報の利用は多面的であるから︑人格的
理論は一部を強調して他を除外するか︑それらを凡て折衷しなければならな
い︒資本主理論も実体理論も会計資料の多様性に適応しえないならば︑より
客観的なより根本的な理論への接近が要請される︒
それだけではない︒会社が種々の源泉から資本を調達する場合︑資本概念
は甚だ不明確となる︒実体概念は︑企業活動と利害関係者との聞に接制人を
措定することによって︑負債と資本とを区分する問題を避げたが︑実務にお
いて︑それはなおも困難に陥った︒会社管理は︑現実において︑経営を資本 から分離した︒実務上︑経営者は︑企業活動と所有主との聞の裁定者
G E 2 g a s
ミ一︶になろうとしている︒しかし︑それはさらに進んで新しい
状態にまで発展した︒すなわち︑経営は︑所有主︑長期・短期の債権者︑役
務・財貨の供給者︑政府その他社会的統制団体︑従業員︑競争会社︑従属会
社等の異なる利害が融合されるところの管理機関
e a g g
佐 官
丘 町
話 陶
随 一
命 ロ
n u
﹃ ︶
となった︒経営者は資本主のナ
lヴアジトではなく︑これら数グループの調
停 機 関
︵ g
目 立
ロ ω
弓
E
m m g q
︶である︒現実的にみて会社は︑人格・資源
.条件・諸関係の集合体である︒
また企業実体の概念は一︑いかにして実際に適用されるのか明らかではな
い︒企業単位は︑普遍的かつ正確に定義されうるものではない︒企業単位は
凡て︑より大なる全体の部分であるにすぎない︒逆に企業単位は︑殆んど︑
より小なる単位の結合であるにすぎない︒一つの見地からみて最も有用かっ
:.....:.113
: . ニ
富 山 大 学 紀 要
経 済 学 部 論 集
(6)実行可能な企業単位である状態も︑他の利用や条件に対しては︑都合の惑い
不適切なものとなるかもしれない︒結局︑企業単位の概念は︑対象の範囲 l
各 種 の 会 計 資 料 が 作 成 さ れ る と こ ろ の ︑ 限 定 さ れ ︑ 規 整 さ れ た 一 連 の 活 動 ー を 指 定 す
る手段であるにすぎない︒そのような単位が会計の基盤となるのでなければ
ならない︒しかし︑それは人格的意味をもたず︑同時にその範囲をはっきり
と限定する単位でなければならない︒それは︑各種の企業形態や様々の活動
に適合する単位でなければならない︒しかも会計が果す諸手続や諸成果と明
確な関係をもったそれでなげればならない︒そのような単位は︑これを資金
︵甘口⑦概念のうちに見出すことができる︒
註
ω
4 ﹃ ・ ﹀ −
H U E S
− K
戸n
n g
国 間 E
38
一 円 F H
U M M
− E
H ︾ ・
p g l g
− N
臼ω 1 8 N
・
倒4﹃ −
hv
−
ES
出 品
rb
・ ︒
・ 巴
邑 R
・ 8
﹀ ロ
F H H R z a s
ぎの
O円 匂
OBB
﹀ 8
2 a
回 目 白
ω 同
時
一 E
E 円 品 目 −
H E 0
・ 可 − ∞
−
剛この人格化の意味は︑継続性ハ
g国 一 江 口
E q
︶の仮定によって︑さらに推し進
め ら れ る
︒ ﹁ 企 業 実 体 が 継 続 性 を 有 す る と い う 仮 定 は
︑ 主 と し て 便 宜 的 な も の
で あ
る か
も し
れ な
い ︒
な ぜ
な ら
︑ 誰
も 確
信 を
も っ
て 物
事 の
進 路
を 予
一 宮
一 間
で き
な い
か ら
︒ し か し な が ら ︑ 破 産
・ 清 算 ・ 解 散 の 最 中 に あ っ て さ え も
︑ あ る 程 度 の 継
続 性
は 通
常 の
経 験
と し
て 認
め ら
れ る
︒ ﹂
ハ 巧
・ ﹀
・
2 H g h F K M ・
︒ ・ ピ 邑
28
・
g笛 ・ 同
M
・
唱 し 実 体 が 継 続 性 を 有 す る と い う 右 の 陳 述 に よ っ て 意 味 さ れ る そ の 人 格 化 は ︑ 会 社 企 業 が 長 期 間 存 続 す る と い う こ と に よ っ て 正 当 化 さ れ る ︒ ま た 突 体 の 人 格 化 は 評 価 の 問 題 に も 関 係 し て く る
︒ ﹁ 実 体 は 評 価 方 法 に 関 与 せ ず
︑ む し ろ 貨 幣 な る 尺 度 に よ っ て
︑ 実 体 と 資 本 主 と の チ ャ
l
ヂ
・ デ ィ ス
チ
γl
ヂ
の 関 係 を 反 映 す る 各 種 取 引 を シ ン ボ ラ イ ズ す る ︒ 実 体 の 見 地 か ら 原 価 に よ
る 評
価 が
当 然
で あ
る ︒
﹂ ︵
ω ・
の 出
自 国
出 ﹀
22
日 立
話 ︒
︒ R
S s a p n E F H 8 也 ︑
−
EU
勿 論
︑ こ の 原 価 主 義 の 立 場 も ︑ 逆 の 事 態 に 直 面 す れ ば 支 持 さ れ な く な る こ と は い う ま で も な い
︒ す な わ ち ︑ あ る 程 度 の 変 化 に 対 し て は 原 始 評 価 の 修 正 が な さ れ る ︒ し か し 実 体 の 見 地 か ら
︑ 原 則 と し て 評 価 は 原 価 を も っ て す る そ れ に 限 定 さ れ る
︒ 要 す る に ︑ 実 体 理 論 に お い て 原 価 基 準 が 重 視 さ れ る の は 実 体 の 人 格 的 側 面 な の で あ る
︒
ω k
− H
F K
︐ ・
b o n g
江 H M
口 問
︑ 同
百 四
時 国
宮 色
︒ 唱
何 回
目 ︼
骨 神
宮 戸
可 −
E − 間 ハ ズ バ ン ド に よ れ ば ︑ 実 体 は 株 主 ・ 債 権 者 ・ 労 働 者 ・ 経 営 者 か ら 区 別 せ ら れ
た 人 格 で あ る の で
︑ 費 用 を 伴 わ ず し て こ れ 等 の グ ル ー プ か ら 用 役 を 取 得 し う る も の と は 考 え ら れ な い
︒ 従 っ て
︑ 配 当 ・ 利 子
・ 賃 銀 ・ 経 営 者 報 酬 は 利 潤 の 分 配 と し て 取 扱 わ れ る の で は な く ︑ 共 に 費 用 と し て 取 扱 わ れ て い る ハ の
・ 同
・ 出
g
−
EE
− −
E 四
回 図
書 ﹃
︒ ︒
民 団
U H S K F R O E
仲 町 出 向
切 ﹀ R
O E 江
口 白
河 2
5 4
匂 ・
︒ n F
− H U
E
−
一 H M
戸 回
目 ︒
目 白
同 ・
﹀ ︒
け だ
し 会
社 持
分 を
認 め
る 実
体 理
論 と
し て
の 論
理 的
帰 結
で
あ ろ
う ︒
回︑費金程論の展開
資金理論の見地は︑実体理論の拡張と考えられる︒それは会計諸問題の取
扱いにおいて︑人格的な思考方法をとらず︑むしろ統計的な見地を重視す
る︒資金理論のもとにおいて会計の基礎は︑資本主でもなければ会社でもな
い︒その研究対象は︑法律的制度のパタ
iyとも無関係である︒会計単位の
領域は︑資産のグループと︑これらの資産が運用される一連の運動もしくは機
能という意味に解される︒そのような資産のグループが資金と呼ばれるので
ある︒資金は︑活動単位もしくは利害の中心であり︑完全に非人格的な意味
において会計実体である︒管理組織・特定の活動もしくは特殊の目的といっ
た諸要因を識別するために︑各種の資金が設定され︑それぞれの単位に対し
て簿記記録が個別的に行われる︒との資金概念は︑政府会計︑慈恵院会計を
始め︑支店会計︑不動産︵
gg
︶会計︑管財人・信託会計︑外国為替・仲
g買人会計︑連結財務諸表・資金表の作成等の基礎をなしているのである︒資
金会計において︑資金は単なる現金資産ではなく︑また特定の目的のために
さしおかれた単なる一団の資産でもなく︑むしろそれ以上のものである︒各
資金の勘定は︑資産項目の凡てを含むばかりでなく︑資金に関する持分の凡
てを合んでいる︒さらにまた収益・費用・利益勘定の完全な分類がなされて
いる︒資金は︑それが一連の記録や財務報告によって示される対象の範囲を
表わすという意味において︑会計の単位である︒
とこに資産とは︑事業の諸過程を通して欲求︵
4 5
己ろを充たす潜在的用役
︵ 招 2
w o
吉 伸 O
D E Z
であるとされ旬︒︒資産を未償却の費用︵
E ω B R t N a
n g δ
であると定義することは︑それが普通資産と目される凡てを合まない
‑114‑
(7)
ゆ え に 弱 点 を も っ て い る ︒ 当 座 資 産
︵ 向 日 目 白
EVU
一 日 己 色 目 白
︶ は 確 か に 資 産 で あ
る︒少くとも実務上資産とみなされている︒しかし︑それらが如何に原価基
準としての測定対価や価格総計の概念に関係があるとしても︑費用︵ g
由 ︒
ではない︒それらは︑将来の収益を待っている費用でもなければ︑現在の収
益に対する費用でもない︒資産は経済的性質をもつものである︒それは将来
の取引のために︑変形・交換・貯蔵されるところの潜在的用役という形をと
った将来の欲求充足の具体化されたものである︒資産を測定するために如何
なる基準が採用されようと︑それは潜在的用役であり︑物質的なもの・法律
的権利・金銭債権ではない︒︒へイトン・リトルトシも述べるごとく︑﹁会計
が貨幣を用いるのは︑それが使利な公分母であるからである︒重要なのは︑
貨幣でもなければ価格でもない︒用役こそ勘定の背後にある大切な要素であ
る︒すなわち交換されると︑さらに他の用役を企業にもたらすところの潜在
的用役である︒一般の人が価値・貨幣またはせいぜい価格を表わすと考えて
いる会計数値の系列の背後には︑用役が有形・無形に具体化されているので
ある︒﹂基本的にいって資産は︑管理的・企業家的あるいは社会的目的のか
めに集められた一団の潜花的用役なのである︒
資本主理論のもとにおいて︑貸借対照表の貸方は︑資本主の負債と正味身
代を表示する︒実体理論のもとにおいて︑それは持分概念として資産に対す
る請求権を表明すお v しかし資金理論においては︑貸借対照表の貸方は︑盗
産に対する拘束︵店鬼門戸己目︒出町︶からなるものと考えられる︒この拘束︑ど は︑法律的・衡平法上の・経済的問務的・管理上等の事由に起幽する︒例支
ば︑工場拡張積立金は︑それが資産の運営に対する拘束を表わすという以 外︑正当化され難い︒減債積立金も亦同じ性質のものである︒持分の概会
は︑法律的債務の表現であるよりも︑明らかに資金の運営に対する拘束を表
味する︒債務は︑法律的にその支払期日に発生するから︑負債として示され
ている項目は法律的な債務ではない︒つまり債務は︑それが満期になった時
に支払われる︒持分の会計的概念は︑現存の法律的義務に加えて︑との事実
の認識による︒持分として貸借対照表に一店されるものは︑見越された法律的
山 崎
・ 会 計 理 論 の 基 本 務 造
負債であって現実の負債ではない︒持分は資産に対する拘束であるという思
考は︑種々の見地から最も有用なそして明白な概念である︒
拘束概念は︑また利益および剰余金を説明するのに役立つ︒資本的持分
︵ 株 式 資 本 ・ 資 本 剰 余 金 ・ 処 分 済 利 益 剰 余 金
・ 未 処 分 利 益 剰 余 金 ︶ の 分 類 に お い て ︑
ねらいとされる主なる目的は︑それらの法律的意味を表示するためではな
く︑資産の用途に課せられた各種の拘束を表明するためである︒留保利益の
本質は︑貸借対照表的見地からいって︑一定資金のもとにおける凡ての資産
が︑貸借対照表の特定貸方項目によって制限されているか︑あるいは資金目
的に捧げられているという一般観念によって制限されている事実に基づいた
残 余 持 分
骨 2
5 5
−
2 ε
々︶である︒ゆえに仮令︑法律的・衡平法的・財務
的・管理的拘束がないとしても︑資産は︑それにも拘らず残余的持分によっ
て制限されている︒すなわち︑資産は︑目的およびその呂的のための資金運
用に捧げられていることを示す一般的拘束によって制限されている︒負債・
株主資太・管理目的のための特定持分の存する限り︑残余持分は少くなる︒
しかし持分の凡ては︑資産の額に等しくなければならない︒けだ
L︑資産は
一定の資金として︑資金の管理者により資金の機能・活動・目的を実行する
ために用いられるからである︒損益計算書の見地から︑収益︒口止︒巧︶と費
用守口同町宮司︶の差額は︑﹃分配されるか留保されなければならないから︑借
方および貸方は平均する︒従って損益計算書は貸借対照表と同様の方法で︑
しかも同一の明白な理由で平均すると考えられる︒借方・貸方の均衡による
チェックは︑会計的測定の二つの見地︑すなわち貸借対照表の状態︵印
EEろ 的接近と損益計算書の流れ
QZ
﹃︶的接近が︑会計期間の残余的持分におい
4て同様の変化を一不さなければならないということである︒つまり︑それらは
同じ資料を集計し︑同一の状態を対象としているからである︒
資金理論は︑会計の諸過程を説明するために︑利益概念の使用を必要とし
ない︒資本主理論は︑複式簿記における残余要素としての正味身代を補足す
る た め に
︑ 利 益 レ
︿ ぬ
ω 古︶または利潤︵匂 5
己d という莫然とした概念を要求
した︒これが利害の轄湊した近代企業形態に不適切であることはいうまでも
一115‑
(8)
富山大学紀要
ない︒実体理論は︑個人的利益の代りに会社利益を置換えて︑企業の勘定を
外部関係者の特定利害から孤立させることによって|株式資本金勘定および剰
余 金 勘 定 を 使 用 し
若干の難問題を解決した︒しかしながら︑資金理論は人
lて
格的概念に依存もしなければ︑個人企業・組合企業・会社等に対して特別の
または異った説明も為しはしない︒資金理論は︑事業活動の唯一の目的とし
て利潤獲得に結付けられることもなげれば︑資本主理論や実体理論の場合に
必然的な特別の態度や評価の問題に拘束されるとともない︒利潤算定を極度
に強調することは︑財務報告の形式のみならず意義までも不当に歪めること
になる︒財務報告における利説数値の重視は︑種々の要求に応えることがで
きないばかりでなく︑その数字が特別の意味をもつことや測定の究寛性・正
確性を暗示する恐れがあるからである︒財務諸表の読者にとって重要な資料
は︑彼等の必要と欲求に応える利益数値の計算を可能ならしめるような方泊
で表示さるべきである︒すなわち︑財務報告は︑凡ての必要に応えるために
最も有効な形式において︑資産・持分・収益・費用を原価その他の基準で表
示するところの統計的集計でなければならない︒しかし︑歴史的支出額・市
価あるいは他の評価基準が目的に適うか︑また報告の諸条件に添うかは︑会
計の基礎的・根本的論理とは分離した別個の問題である︒要するに会計士
は︑企業活動の成果を単一の数字で報告せず︑企業取引の報告に止めるべき
である︒そして特定の人格的見地から︑利潤の測定を会計の目的として強調
することから生ずる複雑・混乱・失意を避けるのがよい︒資金概念に会計の
焦点を合わすことによって︑利益概念にまつわるこれらの混乱を避けること
ができる︒資金表
QZ
E
目Z
S5 23
はこの要請に応える一助となるが︑
その内容および機能吋一読者にとっても作成者にとっても未だそれ程はっき
り理解されていない︒
j 経済学部論集註
︶
︵
官
会 計 に 導 入 さ れ た 資 金 概 念 の 先 駆 的 表 現 は 次 に み ら れ る ご と く で あ る ︒
﹁ 個 々 の 所 有 権 は 個 々 の 手 持 財 貨 と 給 付 い て い な い の で ︑ 財 産 が 凡 て の 所 有
主 の た め に 共 通 に 保 有 さ れ て い る こ と か ら ︑ 報 告 は ︑ 企 業 財 産 が 一 つ の 大 き な
資 金 | 会 計 は そ の 記 録 を な す ! を 構 成 し て い る か の ご と く ︑ 行 わ れ な け れ ば な
ら な
い ︒
﹂ ︵
当 ・
出 −
z o
− a
﹀
Z S Z 2 a b g
幻O 同 ﹀ 円
n p c p
同 町
出 向
ぐ と
ロ 注
A E 目
− − p n
n o g p
口 問 H 山
1 河 町
2 F
O n
f H
C お −
J
コつの基本的な資金があるのみである︒しかしながら︑この資金は︑業務 上 ︑ 明 ら か に 重 要 な 二 つ の 統 計 的 記 録 を 含 ん で い る o
﹂ ︵ 巧 −
kp
−
HV白 神
O P F s a s z
O 同
﹀ 円
白 ロ
ロ 江
口 問
・ 同
由
ω
∞
・ 司
・ 印
日 ︶
凶4
﹃ −
KF
−
E H g h
w
﹀ ・
︒ ・
巴 邑
28
・ V
問 ︒ ・ ・
可 −
H ∞・なお
k r
︒
−
EE 28
・
ω H
H Z
n ε
5 0 時
n ﹀
n E
宮 D 神
間 寸
v m
O 門 司 ・
5g
・
MM
−
N−
E参 照
矧請求権は資産に対して生ぜす人に対して生ずる︒資産は請求権を充たすため
に 用 い ら れ る が ︑ 請 求 権 は 財 産 権 の 領 域 に 存 在 し ︑ 財 産 そ れ 自 体 に は 存 在 し な
い ︒ こ の こ と は ︑ 債 権 者 が 個 々 の 財 産 に 対 し て 特 定 の 請 求 権 を 有 し な い 事 実 か
ら も 明 ら か で あ る
︒
削資金理論において︑費用は資金目的のために放出された用役であって︑それ は営利本位の企業活動のみならず︑利潤を追求しない奉仕活動にも適用され る o こ れ は ︑ 収 益 を う む コ ス ト で あ る と す る 一 般 の 費 用 概 念 と 一 致 す る が ︑ そ
れ よ り も 広 い
o 会 計 概 念 は ︑ そ れ が 適 用 さ れ る あ ら ゆ る 状 態 に 適 合 し な け れ ば
な ら な い か ら で あ る
o 費
用 概 念 も そ の 例 外 で は な い
︒
収 益 は ︑ 資 金 の 残 余 持 分 以 外 の 拘 束 か ら 全 く 自 由 な 新 し い 資 産 で あ る ︒ す な
わ ち
︑ 付 資 金 に 新 た な 用 役 が 付 加 さ れ る こ と
︑ 同 そ の 用 役 に は 特 定 の 拘 束 ︑ が 課
せ ら れ て い な い こ と が 要 件 と な る ︒ 因 み に 資 金 に 課 せ ら れ る 拘 束 は ︑ 資 金 の 目
的 お よ び 活 動 に 照 し て 解 釈 さ れ な け れ ば な ら な い
︒
こ こ に 費 用 ・ 収 益 対 応 の 原 則 も ︑ こ の 共 通 の 概 念 認 識 の 上 に 理 解 さ れ る で あ
ろ う
︒ 間 ス ウ ヤ
l
ネ
シ も 企 業 の 社 会 制 度 的 観 点 か ら
︑ 付 加 価 値 概 念 を 説 き
︑ 従 来 の 損 益 計 算 書 の 外 に 付 加 価 値 計 算 書 守 己 巴 町 田
E a a R 3 M g 3
な る 補 助 財 務 表 の 作
成 を 提 唱 し て い る ハ 巧
・
4
﹃
−
W C
﹈
g
g − ﹀
a g
a −
口 問
吋
Z門 司
Og b
p E
湾 問 F
︒
︒ ︒ 門 司
O 円 国 民
o p
﹀ n n
白 白 神 宮
間 河 台 刊
日 開 d
F M
g q ・
5E
・ ︶
0
‑11G.::..
車︑
泊 t
あ
き
と
資本主理論も実体理論も︑会計理論の基本的諸問題を解決することができ
ない︒これは主として︑資本および実体概念が人格観から出発しているとい
う事実に基因する︒すなわち︑会計の諸報告は︑この人格に対して︑人格の ために︑人格についてなされているえここにヴアツタ
iは︑資金なる非人格 的な概念を会計の基礎概念として提唱する︒
資産が潜在的用役であるという認識は︑その活動的内容と本質の同質性と
を兼ね備えている︒かくして資産の概念は︑収益の流れとそれに対応する費
用の流れとにはっきり関連する︒持分は︑請求権もしくは償権関係でもなけ
れば︑また単なる法律的な債務でもない︒それは資金としての資産に対する
拘束を意味する︒資産と持分との等式関係は︑残余持分の事実に基づくので
あって︑財産がある人に属するとか︑擬制人が委託された資産を所有主のた
めに説明するという思考に基づくものではない︒このような資産・拘束概念
のもとに︑費用・収益把握の基準を認識することができる︒また人格的な結
付けや解釈から生守する障害のために︑資金理論は利益概念を拒否する︒それ
とともに︑資金表による資金理論の会計実践への応問が暗示される︒
理論は︑概念が寄せ集められた単なる組織ではない︒これらの概念が有用
であり︑また健全であるかは主として解釈と適用の問題である︒窮極の解答
は︑経験と実務の現実社会においてなされるであろう︒しかし︑実務は盟論
のように︑すっきりはしていない︒会計土の同意できない大小多くの問題が
存在する︒このことは︑理論は実践に適応しないとか︑実践が型論を作ると
か︑あるいは理論は不適切であり無用であるということを意味しない︒その
意味するところは︑ある問題に関する見解や論議が異った見地から生じ︑異
った目的をもっているということ︑これである︒
註ω黒 沢 治 博 士 に よ れ ば ︑ 今 日 の 実 体 涯 論 の 主 流 は 費 用 動 態 論 で あ っ て
︑ す で に 人 格 説 か ら 脱 皮 し て し ま っ て い る ︒ そ の か ぎ り で は 実 体 理 論 に 対 す る ヴ ァ ッ タ
! の 批 判 は ︑ ま と 外 れ で あ る と さ れ る ︵ 前 掲 稿 ︶
︒ し か し
︑ ヴ ァ ッ タ
l
の資金
理 論 に は
︑ 肯 定 し な け れ ば な ら な い 多 く の 点 が 含 ま れ て い る ︒
ハ一九五七・一・二
O︶一117‑
(9)