T 墓 葛 西 城 址
1 在所 地 京東 都 葛飾 区青 戸七 丁 目 2 調査 期 間 一 一九 八六 年 6.︵昭
︶五 月
〜 一九 七八 年 月四
︑ 一一 一九 七八 年 月五
〜 一〇 月 3 発掘 機関 葛西 城址 調査 会 4 調査 担当 者 谷 口 榮 5 遺跡 の種 類 城館 跡 6 遺 跡 の年 代 世中
〜近 世 7 遺 跡 及び 木簡 出 土遺 構 の概 要 葛 西城 址 は 中︑ 川右 岸 の自 然 堤防 上 に立 地 す る中 世 の城 館 跡 あで る︒ 近 世 には 徳 川将 家軍 の 御 殿
︵青 戸御 殿︶ と し て使 用 され て るい
︒ 調査 は 下水 道 の敷 設 に伴 てっ 実施 され た 葛︒ 西 城址 の中 心 を南 北 に貫 く環 七状 号 線を 挟 ん で︑ 東 側 が下 水 道 東地 区︑ 西側 が 下水 道 西 地 区 であ る︒ ト レ ンチ 状 の
調査 では あ たっ が 堀︑ や溝 な ど の葛 西城 関連 の遺 構 が確 認 され
︑ 城 縄の 張 りを 把 握 す る上 重で 要 な ーデ タが 得 ら れた
︒ 下水 道西 地区 では
︑ U区 か らW 区 にか け て の五 遺号 構 から 木簡 一 点 出が 土 たし
︒ 五号 遺 構 は︑ 主郭 北 側 の郭 の西 側 に位 置 す る堀 であ る︒ 遺構 の時 期 は およ そ 一六 紀世 と 思わ れ る︒ 下水 道 東 地 区 では
︑ M区 二人 号 遺 構 か ら将 棋 の駒
︵二ω
︶︑
I区 三 一号 遺 構 か ら卒 塔 婆
︵二②
︶と 板 材
⑤︵二
︶が 出 土 し た︒ 葛 西 城 の主 郭 は周 囲が 堀 で囲 ま れ てお り︑ M区 二人 号遺 構 はそ の東 側 位に 置 す る堀 であ る︒ こ 堀の は 一六 世 紀 整に 備 さ れ︑ 七一 世紀 青の 戸御 殿 の時 期 ま で機 能 し て いた と みら れ る︒ I区 三 一号 遺構 は︑ 主郭 東 側北 に所 在 す る幅 四 m程 度と 推 測 さ るれ 溝 であ る︒ 出 土遺 物 は︑ 中 世と 近世 のも のが 混 在 し てお り︑ 三 ハ世 紀 葛の 西 城 の時 代 掘に られ たも のが ︑ 一七 世紀 以降 も溝 と し 使て われ て いた 可能 性 あが る︒ 8 木 簡 の釈 文
・内 容 一 下水 道 西 地区 ω
﹁<
□ 大
□
﹂
∞巽
﹈蒙
﹃ 寓﹈ 文三 字 確が 認 でき る が︑ 判 読 でき る のは 二文 字 目 のみ で あ る︒
6 円
︱︱︱
︱
・
︱︱
︱︱︱十
︲︲︲I U
∞ 帥醐 陶脚 脚脚
⇔ 帥醐
・く・︐
(東京東北部)
2005年 出上 の木簡
一一 下水 道 東地 区 M区 二人 号遺 構
︹W ﹁ 人→ 工﹂ ∞〇 ﹀︿∞ 〇﹀︿ ∞ 〇 ⇔牌
I区 二 一号 遺構
︵﹈ P∞
︶×
∞Φ
× ω oω
︺
︵∞ N︶
×
﹈﹃ 卜
×
∞ oω い
∩ H
= H
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
= H
=
=
=
=
=
一鞄 ヽ 噛 剤
(3)(2)
□ 。 □
回 >。 日
□油十 回
□
⑪ 将は 棋 駒の
②︑ は卒 塔 婆 であ る︒ 0 用は 途 不明 の板 材 で︑ 釘 孔 有を す る︒ 9 関係 文 献 葛 飾 区遺 跡 調査 会
﹃葛 西 城
︵第 二分 冊運
︵葛飾 区遺 跡調 査会 調査 報告 五︑ 一 九九 二年
︶
︵永越 信吾
︵葛飾 区教 育委 員会
︾