Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.16 March 2014
Ⅰ はじめに
Ⅱ ザーディン城とその概要
Ⅲ フランス植民地時代の囲郭地区内の 土地利用とその変遷
Ⅳ 囲郭内の都市的機能とサイゴンの空間的 布置構成
Ⅴ むすびにかえて
Ⅰ はじめに
2013 年 10 月 3 日の新聞記事で,ホーチミン市 の人民委員会の庁舎が再建されるとの報道がなさ れた(VnExpress, 03/10/2013).ホーチミン市の 人民委員会庁舎は,サイゴン河港へ至るグエンフ エ通りの起点に位置し,そのファサードは今や 観光客にとっての主要な撮影スポットとなって いる.
人民委員会の庁舎は,フランス植民地時代に建
旧サイゴン囲郭地区における行政機能の変遷と都市景観の特色
Transformation of Administrative Function and Urban Landscape in Walled City Centre of Old Saigon, Hochiminh City
大 塚 直 樹
* (OTSUKA, Naoki)丸 山 宗 志
** (MARUYAMA, Motoshi)松 村 公 明
***(MATSUMURA, Koumei)Abstract: The purpose of this study is to analyze the landscape change of the former citadel of Gia Dinh from the French colonial rule to present age and to grasp how such historical place is embedded for the landscape of present Hochiminh City. In summary as follows: Firstly, the central administrative agencies under the French colonial period were located in the citadel of Gia Dinh. This historical land-use pattern has been continuity of the present urban space in Hochiminh City. Secondly, urban area of Saigon was functionally-differentiated. On the one hand land use pattern in the citadel area was characterized by space of administrative function, on the other hand outside landscape of the citadel area, especially southern-west part of the citadel acted as a centre of the distribution of goods.
Key words: フランス植民地主義(French colonialism),ヨーロッパの建築様式(European style of architecture),都市景観(urban landscape),サイゴン(Saigon),ザーディ ン城(Citadel of Gia Dinh)
立教大学観光学部紀要 第16 号 2014年 3 月
立 教 大 学 観 光 学 部 紀 要 第 16 号 2014年 3 月Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.16 March 2014
Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.16 March 2014
***立教大学観光学部・兼任講師/亜細亜大学国際関係学部・講師
***立教大学大学院観光学研究科・院生
***立教大学観光学部・教授
pp. 89-98.
論 文
されてきた.しかし,歴史的価値をもつ庁舎は,
都市的(行政)機能を担う役割を果たせていない という指摘もあった.その結果,観光スポットと して庁舎の正面部分を残しつつ,官庁としての機 能を充実させる再建計画となったという(VnEx- press, 03/10/2013).
こうした当局の対応からは,ベトナム二大都市 のひとつ,ホーチミン市の実質的な行政機能を充 実させると同時に,外貨獲得の有効な手段である 観光的側面をも重視したいという意向が読み取れ る.さらには歴史的建築物を保存する必要がある という認識の表れとも捉えることができよう.
ここで興味深い点として,当局が現体制からみ るとかつての独立運動の相手国であった旧宗主国 の建築を積極的に流用していることが挙げられ る.確かに,現在,負の遺産という概念が提示さ れ,歴史的にネガティブなイメージを有する対象 が観光地化されている.しかし,ホーチミン市で は,観光の対象としてだけではなく,行政機能を もった庁舎として継続的に使用されている.
言い換えると,フランス植民地時代の建築景観 が,いまだにホーチミン市の空間的布置構成に影 響を与えていると指摘できる.筆者らは,こうし たフランス植民地期の都市空間について,当該期 に敷設されたサイゴン-ミトー鉄道の旧サイゴン 駅の立地を中心に検討した.結果として,旧サイ ゴン駅が,都市の物流の中心を担うような市場や サイゴン河港からの大通りに直接的に結合する形 で存在していたこと,またこうした場所的性格が 現代の都市景観にも部分的に刻み込まれているこ とを指摘した(松村・大塚,2012).
しかし,ここでの留意点は,旧サイゴン駅
(現・9 月 23 日公園)とその周辺が,一方では物 流の中心となる都市景観を形成していたが,他方 で,フランス植民地以前のグエン朝期のザーディ ン(嘉定)城および城壁からみると,その城外に 位置していたことである(図 1).事実,前稿で 分析した旧サイゴン駅を中心としたエリアは,グ エン朝期における囲郭地区の外側を沿うような形 で南西側に拡張している.
以上に鑑みて,本研究は,フランス植民地時代
ける都市景観の連続性・非連続性を明らかにしつ つ,当該囲郭地区の内部と外部における歴史的な 建築景観を比較し,ホーチミン市の都市空間の特 徴を指摘することを目的とする.
第Ⅱ章ではザーディン城とその歴史を概観す る.続く第Ⅲ章ではフランス植民地時代のサイゴ ン中心部の歴史的景観とその変化を確認し,第Ⅳ 章では囲郭地区の行政機能とその変遷を明らかに する.本研究は,先行研究を援用しつつ,主とし て旧版地図を用いた 2013 年 8 月の現地調査の結 果にもとづき考察を進める.なお,本研究で使用 したホーチミン市中心部の旧版地図(1 万分の 1)
のうち,1942 年発行の地図は立教大学アジア地 域研究所,1961 年発行の地図はテキサス大学オー ス テ ィ ン 校 図 書 館〈http://www.lib.utexas.edu/
maps/vietnam.html〉にそれぞれ所蔵されている.
Ⅱ ザーディン城とその概要
かつてサイゴンと呼ばれたホーチミン市は,歴 史的にはクメール系の人びとの居住地であったと されている.当時はクメール語で「森のなかの街」
を意味するプレイノコールと呼ばれた.17 世紀 頃には,この地に狭義のベトナム人(ベト族)が 南下してきた.1623 年にクメール王は,ベトナ ム中部の豪族グエン氏に対して,プレイノコー ルの交易税の取得権を委譲し,ベト族の移民受 け入れを承諾した.結果として商人,農民,漁 民からなる移民の数は増大した(高田,2005:
433–434).17 世紀後半以降,ベトナム中部から 集団的な移住が進められるようになり,当該地域 はクメール人からベトナム人の街へと漸進的に変 化していった.こうしたベト族の南下は「民が先 に進出し,それに国家が追従した」と評されてい る(Nguyen Dinh Dau,1992:43).
囲郭地区を形成する城名はザーディン府に由来 する.ザーディン府は,1698 年に現在のホーチ ミン市,タイニン省,ロンアン省およびティエン ザン省に相当する地域を統括する軍営であった藩 鎮営に設置された.その後,18 世紀後半以降の タイソン党の乱の時代,1777 年にサイゴンはタ
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イソン軍の支配下に置かれた.グエン・フック・
アイン(後のグエン朝ザーロン帝)は,フランス 軍と中国人の力を借りてタイソン党からサイゴン を奪還した(高田,2005:434).とくに,グエ ン・フック・アインの軍隊は,フランス人宣教師 ピニョー・ド・ベーヌの協力の下,西洋式の軍隊 訓練を受け,新しい兵器や戦略を取り入れたこと で,タイソン党との戦いを優位に進めることが可 能になった(Mantienne,2003:520–521).
軍隊の質的向上を目指すほか,タイソン党の乱 に対抗するため,1790 年にはサイゴンにザーディ ン城が築かれた.グエン・フック・アインの居城
とされたザーディン城は,同氏からの依頼を受け たフランス人のオリヴィエ・ド・ピュイマネルに より建設された(高田,2005:434).ザーディン 城は,1802 年にグエン朝が全土統一後,南部統 治の中心的地位を占め,とくに 1808 年以降,南 部間接統治の拠点とされた.
ザーディン城は,フランスのヴォーバン(Vau- ban)式を基本とし,中国の様式も折衷した石造建 築で八角形の要塞になっている.またこの城は,
周囲が 4,176mの四角形を成しており,さらにそ の外側のうち三辺を河川で囲まれているため,築 城に理想的な位置にあった.ザーディン城は,そ
図 1 研究対象地域(2013 年)
(
Google earthおよび市販の地図を原図として作成)
0 400m
イイ ゴゴ
河河
べ べ
ゲ ゲーー
運 運 河河
ン ン
ンン ササ
テテ ィィ ゲゲ
ー ー 運運 河河
活動の拠点となり,最終的にミンマン帝により陥 落させられ,1836 年に再建された(Mantienne, 2003:522–529).
19 世紀半ば,植民地主義的侵略をはかったフ ランスは,1858 年のダナンの攻撃が不首尾に終 わった後,モンスーンに乗って南下して翌 1859 年にはサイゴンに到着した.フランス軍は,グエ ン朝の軍隊を敗退させ,ザーディン城を陥落させ た(高田,2005:435).その結果,ザーディン城 はその城壁の壕を埋め立てられ,フランス軍用地 となり(大田,1996:495),同時にフランス植民 者向けの公共施設・住居用のバラックなども建設 され,再開発が進んだ(Wright,1991:168).
Ⅲ フランス植民地時代の囲郭地区内の土地 利用とその変遷
研究対象地域として取り上げる囲郭地区は,一 辺およそ 1kmのほぼ正方形を成し,グリッドパ ターンを基本とする街路網の基軸は,統一会堂を 起点に北東へと進展するレズアン通りである(図 1).囲郭地区の中心で,レズアン通りに直交する 街路がハイバーチュン通りであり,第Ⅲ章と第Ⅳ 章では,これら 2 つの街路を境界線として囲郭地 区を 4 分割し,それぞれを便宜的にA~D地区 と呼称することとする(図 2).
1942 年 の 旧 版 地 図「SAIGON」(1 万 分 の 1)
には,公的機関を主体とする索引が掲載されてお り,地図中の敷地・建物に記された番号と対照す ることによって,最初に 1942 年当時の施設名称 とその位置を確認した.索引総数 155 件のうち,
囲郭地区に含まれる施設は 45 件であり,図 2-a には,これら 45 件を「行政施設」,「教育・医療 施設」,「宗教施設」,「軍関係施設」の 4 つに分類 してその分布を示した.施設の分布は,囲郭地 区全域に認められるものの,A地区を中心にB 地区からC地区へと広がっていたことがわかる.
とりわけ,A地区には 45 施設のうち 18 施設が 含まれ,インドシナ総督府から囲郭地区の外周に 沿って,具体的には裁判所と中央刑務所,コーチ シナ知事官邸,サイゴン・チョロン市庁舎といっ
覆していた.さらには,リートゥチョン通り(当 時のラ・グランディエール通り)沿線から,それ に直交するドンコイ通り(当時のカティナ通り)
沿線にかけては,行政施設の稠密な分布が認めら れる.具体的には,総督府事務局,教育局,理財 局,土地登録局,総督府図書館,米国およびベル ギー領事館が連担して官庁街を形成し,その北端 は囲郭地区の中心部,サイゴン大教会に隣接する 逓信管理局(現・サイゴン中央郵便局)であった.
一方,B地区とC地区では,医療施設(グラ ル病院)と軍関係施設(マルタン・デ・パリエー ル兵舎)が,それぞれきわめて大規模な用地を占 有していた.とくに,マルタン・デ・パリエール 兵舎と,それに接続する軍関係施設の大規模な土 地利用は,前章で述べたように,ザーディン城陥 落後の軍用地を反映するものと考えられる.軍関 係施設は兵舎に接続するように配置されており,
これらはコーチシナ・カンボジア地区参謀本部と 師団本部を核心とする軍の中枢機関をはじめ,将 校官舎,将校クラブ,軍法会議,軍衛生部などが B・C地区には広く配置されていた.A地区が行 政施設の分布域によって特徴づけられていたのに 対して,B・C地区は中枢的な軍関係施設を主体 とする土地利用に特色があった.
D地区には,索引に示された施設は数少なく,
1942 年旧版地図からも読み取れるように,街区 にはヨーロッパ人向けの個人住宅が立ち並んでい た(高田,2005:437–438).実際に,D地区で 索引に掲載された施設は,具体的には女子中高等 学校と幼稚園,警察署,水道局であり,D地区は,
A~C地区とはその性格を異にしていたことが 改めて確認できる.
囲郭地区は現在に至って,その地域的性格をど のように変化させたのであろうか.そこで,図 2-aに示された 45 件の施設について,2013 年の 用途・機能を示したものが図 2-cである.
図 2-aと図 2-cを対照すると,まず,1942 年の 囲郭地区は,行政地区(軍を含む)としての性格 を有していたが,2013 年には行政施設は相対的 に減少し,それらの用途は,会社・事務所,小 売・飲食店へと転換していることがわかる.とく
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図 2 旧サイゴン囲郭地区における土地利用変化(1942 年・1961 年・2013 年)
a
)は 1942 年旧版地図,
b)は 1961 年旧版地図,
c
)は 2013 年 8 月の現地調査をもとに作成
ンドシナ総督府は,南ベトナム大統領官邸(図 2–b)を経て,現在は統一会堂として教育と観光 のために活用されるようになった.同様に,中央 刑務所はホーチミン市総合科学図書館へ,コーチ シナ知事官邸はホーチミン市博物館へとその役割 を変えて,市民に開放されている.
次に,1942 年のB地区を特徴づけていた大規 模な医療施設(グラル病院)は現在に引き継が れている.一方,C地区に位置した大規模な兵舎
(マルタン・デ・パリエール兵舎)は廃止され,
兵舎によって分断されていた街路(トンドゥック タン通りとディンティエンホアン通り)は兵舎跡 地に形成された街区を貫通して接続している.兵 舎のみならず,1942 年には行政施設とともに囲 郭地区の主要な機能であった軍関係施設は,2013 年にはすべて廃止され,その用途が転換している ことがわかった.
Ⅳ 囲郭内の都市的機能とサイゴンの空間的 布置構成
囲郭地区におけるフランス植民地時代の土地利 用のなかで,行政機能をもった施設がどのように 変遷したのかを確認してみよう.表 1 は 1942 年 を起点として,同時期の行政施設が 2013 年現在 において,どのように変化したかを示している.
ここから,第 1 に,前述した現在のホーチミン 市人民委員会だけでなく,多くの行政施設がフラ ンス植民地時代からの連続性をもっていることが わかる.とくに,行政施設が相対的に密集してい るA地区を確認すると,フランス植民地期の当 該 14 施設のうち,9 施設において 2013 年現在も 継続的な土地利用がみられる.さらに囲郭地区全 域に範囲を広げて確認してみると,仏印時代の 26 施設中 13 施設が現在でも行政機能をもつ建造 物として使用されている.また,当該区域の植民 地時代の地図には記載されず,先に挙げた 1961 年の地図(図 2–b)にのみ示されていた行政施設 のなかでも,5 施設において,2013 年現在との機 能の連続性を確認できる.
第 2 に,一部の行政施設では,その具体的な
地区 番号 1942 年 2013 年
A
① 中央刑務所 ホーチミン市総合科学図書館
② 裁判所 ホーチミン市人民検察院
ホーチミン市人民裁判所
③ コーチシナ知事官邸 ホーチミン市博物館
④ サイゴン・チョロン市庁舎 ホーチミン市人民委員会
⑤ 貯蓄銀行(市庁舎) ホーチミン市人民委員会
⑥ 教育局 SEAMEO(東南アジア教育大臣機構)
ベトナム教育センター
⑦ 総督府事務局 通信情報局
⑧ 裁判所の競売場 薬局
⑨ 総督府図書館 資源環境局
⑩ 土地登録局 複合オフィスビル
⑪ 理財局サイゴン代表部 複合オフィスビル
⑫ ベルギー領事館 飲食店舖
⑬ アメリカ領事館 飲食店舖
⑭ 逓信管理局 サイゴン中央郵便局
B
⑮ フランス-アジア石油会社 ペトロリメックスサイゴン(石油公社)
⑯ 英国領事館 英国領事館
⑰ 海事登録局 オフィスビル
⑱ 財務監理院 廃屋
⑲ 地籍測量部 インターコンチネンタル・アシアナ サイゴン
C
⑳ 農業会議所 商業施設,マンション
㉑ 経済農業部 工事中
㉒ 経済博物館 商業オフィス
㉓ 獣医部 国営家畜薬品衛生所
㉔ 林野部 駐車駐輪場
D ㉕ 飲料水工場(水道局) レストラン
㉖ 第 3 区警察署 教育訓練省ホーチミン支部
大規模な敷地
0 200m
A
B B C
D
レズアン通り レズアン通り
リートゥチョン通り リートゥチョン通り レタイントン通り レタイントン通り グエンディンチェウ通り
グエンディンチェウ通り ナムキ
ーコイギ
ア通 り ナムキ
ーコイギ
ア通 り
ハイバー チュン通
り ハイバー
チュン通 り
ディンティエンホ
アン通 り ディンティエンホ
アン通 り
トンドゥックタン通
り トンドゥックタン通
り
統一 会堂 統一
会堂
①
⑪
⑭
⑩
⑧ ⑤
③ ④
⑫⑬
⑥
②
⑨
㉖
⑳
㉔㉓
㉕
㉒
㉑
⑯
⑮
⑱⑰
⑲
⑦
(
1942 年旧版地図および 2013 年 8 月の現地調査により作成.
1942 年の施設名称は,南満州鉄道東亜経済調査局(1943)
による.)
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使用目的に継続性があることがわかる.例えば,
1942 年の施設のうち,裁判所,サイゴン・チョ ロン市庁,逓信管理局,英国領事館,フランス-
アジア石油会社は,2013 年現在も用途を同じく する施設になっている.また,完全には一致しな いものの,教育局(現・SEAMEOベトナム教育 センター),獣医部(現・国営家畜薬品衛生所)
など,その用途に類似性を有する施設も存在す る.
こうした囲郭地区内にみる都市景観の歴史的連 続性の要因として以下の 3 点がある.第 1 に,宗 主国フランスの影響を色濃く受けた植民地時代の 建築には,石造建造物が多いことが挙げられる.
周知のように,石造建造物は木造建造物などと比 較して永続性が高く,施設として保存・保全が容 易であり,耐久年数が長いという特徴をもつ.
第 2 に,宗主国フランスによるサイゴンの都市 計画の安定性が挙げられる.「東洋のパリ」建設 を目論んだフランスは,サイゴンに本国の建築様 式を取り込もうとした.結果として,植民地主義 的な発想の移植にもとづいて,景観的には異質で はあるものの十分な都市機能を有する空間がサイ ゴン中心部に出現した.つまり,当時のサイゴン は,その都市計画を大きく再編することなく,機 能的に流用が可能であった.もちろん,資金面な どの問題で必ずしも当初の予定通りに都市計画が 実行されたわけでない(高田,2005:443).しか し,大田によれば,サイゴンの都市計画では,フ ランス当局が植民地支配当時から大規模な開発構 想を立案したために,現在に至るまでその基本的 骨格に変化がみられないという(大田,1996:
496).事実,軍のエンジニアであったコファンが 1861 年に立案したサイゴンの都市計画では,総 面積 2,500ha,人口規模 50 万人の大都市が構想 された(Wright,1991:168).
第 3 に,より具体的な理由として,ベトナムの 歴史的背景が挙げられる.すなわち,ホーチミン 市は,1975 年 4 月の「サイゴン解放」,翌 1976 年のベトナム社会主義共和国の成立により,従来 のベトナム共和国から現行体制に組み込まれた.
当時のベトナムは,第 2 次世界大戦以後 30 年間 にわたり戦争が継続し,統一後も南部の急激な社
会主義化への反動,カンボジアへの侵攻,中国と の関係悪化など国内外における政治的な緊張状態 に置かれていた.その結果として,共産党・政府 には,経済的・政治的に旧サイゴンの街を再開発 する余力がなかった.言い換えれば,サイゴンの 都市計画は,革命的な体制転換後も大きな変更が 実施され得なかった.
以上のように,統一により国土に編入された ホーチミン市では,社会主義国家の建設・維持と いうイデオロギーを優先するなかで,既存の施設 を流用することで「合理的」に都市の再編を実践 したといえよう.もちろん表 1 で言及したすべて の施設において,フランス植民地時代の歴史的建 造物それ自体がそのまま流用されているとは限ら ない.しかし,都市空間の機能が連続性を有して いることは確認できる.
また,歴史的にみても多くの行政施設が立地し ていた囲郭地区内の土地利用は,拙稿(松村・大 塚,2012)で指摘した旧サイゴン駅周辺の景観と は異なるパターンを示している.つまり,フラン ス植民地期のサイゴンでは,都市機能の分化が生 じていた.具体的には,ザーディン城の囲郭地区 内が行政区域として機能していたのに対して,そ の周辺地域,とくにサイゴン河港から囲郭の南西 方向に広がる地域が物流のハブとして機能してい た.囲郭内には,行政機能のうち,中央官庁や裁 判所のような植民地経営の初期段階から欠かすこ とができない機関が配置されていた.
これに対して,囲郭の南西方向に広がる市街地 は,サイゴン河港から植民地当時のブールヴァー ルを通じて,市場やサイゴン駅に直結し,メコン デルタと河港の結節点となっていた.高田によれ ば,サイゴンは南進するベトナム人の開拓地への 発進拠点であり,フロンティア世界への入り口と しての役割を担ったという(高田,2005:443).
ここでのフロンティア世界とはメコンデルタ地域 を指す.事実,植民地当局は,その支配の初期段 階でサイゴン-ミトー鉄道の建設に着手し,メコ ンデルタへ進出のためインフラを整備していた.
言い換えれば,当時のサイゴンの市場・駅周辺地 域は,チョロンという華人街を介したメコンデル タ開発のためのゲートウェイであったと考えられ
代の都市機能の分化は,漸進的な変化を含みつつ も,現在に至るまで景観的連続性を示している.
Ⅴ むすびにかえて
本論文は,フランス植民地時代から現在までの ザーディン城壁跡内における都市景観の変化を明 らかにしつつ,当該囲郭地区内とその周辺部にお ける建築景観を対照し,ホーチミン市の都市空間 の特徴を指摘することを目的とした.結果とし て,以下の 2 点が明らかになった.
第 1 に,ザーディン城囲郭地区におけるフラン ス植民地時代の建造物は,現在のホーチミン市の 都市景観と連続性を有している点が挙げられる.
囲郭内の行政施設に限定してみると,実に 5 割の 建造物が仏印時代から引き継がれている.とりわ けA地区では,裁判所や市庁舎など政治的な管 理・運営に不可欠な施設がその用途を含め継続的 に利用されている.
第 2 に,囲郭地区とその外部,とくに囲郭の南 西方向に広がる地域では,都市機能に空間的差異 がみられた点が挙げられる.多くの行政施設が立 地していた囲郭内に対して,サイゴン河から旧サ イゴン駅および市場は物流の拠点となっていた.
さらにサイゴン駅を起点とした鉄道は,チョロン を経由し,メコンデルタのミトーまで敷設され,
サイゴンとメコンデルタを空間的に接合してい た.また,ゲートウェイとしての場所的性格は,
サイゴン駅が移転した現在でも景観的な変化をと もないつつ,ホーチミン市における都市空間の特 徴として引き継がれている.
しかし,メコンデルタへのゲートウェイ的な地 理的位置は,あくまでサイゴン河港およびそこか ら市場・旧サイゴン駅へと通じる大通りによって 形成された都市的性格の一端を説明するに過ぎな
範なホーチミン市における都市空間の布置構成と その変化を分析するためには,旧サイゴン中心部 のさらなる詳細な調査が必要となろう.この点は 今後の課題である.
付 記
2014 年 3 月,立教大学観光学部を定年退職される小沢健 市先生ならびに松本和幸先生に感謝して,この小論を献呈 いたします.
文 献
大田省一(1996):「フランス植民地時代のサイゴンの都市 計画と建築」『日本建築学会大会学術講演梗概集』495
–496
高田洋子(2005):「フランス領インドシナの植民地都市研 究序説─ハノイとサイゴン・チョロン」中川文雄・山 田睦男共編『植民地都市の研究』(
JCAS連携研究成果報 告 8)民族学博物館地域研究企画交流センター,423
–443 松村公明・大塚直樹(2012):「外邦図から読む新旧サイゴ ン駅の立地と都市空間の再編」『立教大学観光学部紀要』
14,143
–158
南満洲鉄道東亜経済調査局(1943):『仏印行政制度概説』
南満洲鉄道東亜経済調査局
Mantienne, Frederic
(2003)
: The transfer of western mili- tary technology to Vietnam in the late eighteenth and early nineteenth centuries : the case of the Nguyen, Jour- nal of Southeast Asian Studies,34
–3
,519
–534
Nguyen Dinh Dau
(1992)
: Che do cong dien cong tho trong lich su khan hoang lap ap o Nam Ky Luc tinh, Ha Noi:Hoi Su Hoc Viet Nam
Wright, Gwendolyn
(1991)
: The politics of design in French colonial urbanism, Chicago: University of Chi- cago Press新 聞
VnExpress, TP HCM co trung tam hanh chinh
18
,000
m2
o ‘khu dat vang’〈
http://vnexpress.net/tin-tuc/thoi-su/tp-hcm-co-trung-tam-hanh-chinh-
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.html〉(最終閲覧日:2013 年 10 月 7 日)
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Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.16 March 2014
大塚・丸山・松村:旧サイゴン囲郭地区における行政機能の変遷と都市景観の特色
写真 1 囲郭地区の景観(2013 年 8 月)
サイゴン河に近接したサイゴンスカイデッキ(ビテクス コ・ファイナンシャルタワー 48 階展望室)から,北西方 向の囲郭地区を俯瞰する.囲郭地区は,統一会堂(写真左 手奥,緑地内)の右手,ホーチミン市人民委員会(写真中 央,朱色の屋根)の後方に広がる.
写真 2 ホーチミン市人民委員会庁舎(2013 年 8 月)
人民委員会庁舎前を左右に横切るのが,囲郭地区の南東側 を縁取るレタイントン通り.庁舎の手前,緑豊かなグエン フエ通りには記念撮影に絶好のホーチミン像がある.庁舎 右手奥,高層建築物背後に突き出た三角錐は,サイゴン大 教会の尖塔である.
写真 3 囲郭地区中心部に位置するサイゴン大教会とサ イゴン中央郵便局(2011 年 8 月)
サイゴン大教会(1880 年完成)と中央郵便局(旧逓信管理 局・1891 年建設)は,旧サイゴンの香りを今に伝える歴史 的建造物であり,高層化の波に見え隠れしながらも,ドン コイ通りを軸とする都市観光空間のランドマークであるこ とに変わりはない.
写真 4 統一会堂のテラスから展望するレズアン通り
(2011 年 8 月)
レズアン通り(旧ノロドム大通り)は,統一会堂を起点に
北東に進展し,終点にはブランシャール・ド・ラ・ブロス
美術館(現・歴史博物館)と植物園(現・動植物園)が配
置されていた.写真右手,サイゴン大教会に続く緑地の森
の木陰では,若者のグループが思い思いの時間を過ごして
いる.
写真 5 ハイバーチュン通りとグエンズー通りの交差点
(2013 年 8 月)
サイゴン大教会から 100
mも離れると,そこは繁華な生活 空間である.写真中央,タベール学院
Institution Taberdの 建築は,ハイバーチュン通りのトラムこそ廃止されてはい るものの,今なおフランス植民地期を彷彿させる.一方,
背後にはショッピングモールを備えた複合オフィスビル・
ビンコムセンターがそびえ,新旧の景観的コントラストを 際立たせている.
写真 6 タイヴァンルン通りの起点・グラル病院(2013 年 8 月)
広大な敷地を占めるグラル病院は,フランス植民地期以来,
B